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カテゴリー「R016 北陸新幹線・えちごトキめき鉄道の駅」の記事

えちごトキめき鉄道の各駅及び北陸新幹線の糸魚川駅と上越妙高駅の紹介記事です

2017年7月 9日 (日)

春日山駅(えちごトキめき鉄道)

本日の駅紹介はえちごトキめき鉄道妙高はねうまライン・春日山駅

高田駅はこちらへ← →直江津駅はこちらへ

JR東日本所属時代の春日山駅駅名標
えちごトキめき鉄道移管後の春日山駅駅名標

新潟県上越市に所在する有人駅で、現在はえちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインの所属です。
開業は昭和3年(1928年)10月26日で、当時の所在は中頸木郡春日村で、同村唯一の玄関駅でした。
春日村はその後昭和30年に高田市へ編入され、同市は昭和46年に直江津市と合併して新自治体の上越市となり今日に至ります。

信越本線直江津-高田間は6.7kmもの距離があるので、その中間地点の春日村村内に駅が設置されても全く不思議ではないのですけれど、明治19年にこの地へ鉄道が敷設されて以来、当局が駅設置に積極的に動くことはなかったようです。
それに業を煮やしたのかどうかは定かではありませんが、大正末期に至って、春日村が誘致運動を開始。
その甲斐あってようやく春日山駅誕生にこぎつけたそうです。
当時は上越線が全通しておらず、新潟-東京間のメインルートは信越線でしたから、複線化の進まぬ当時に輸送力を増強する為には列車交換設備の拡充が不可欠です。
この駅の誕生には地元の熱心な誘致活動と、信号場を必要とする当局の思惑が合致した結果ではなかったかと推察する次第ですが真相は果たして?

春日村から高田市時代にかけてはこれといって特徴の無い地方幹線の小駅に過ぎなかった当駅ですけれど、上越市発足に伴い市の行政機能は高田と直江津の中間に位置する春日地区に移転しました。
そして当駅はその最寄り駅として、これまでになかった位置付けになります。
しかし何分クルマ社会な地方都市のことゆえに、それが直接当駅の利用に結び付いたとは残念ながら言い難いのです。
当駅がJR東日本所属時代に統計に載っていた最後の年の2013年度一日平均乗車人員は732人で、漸増状態とはいえ同社新潟県内有人75駅中50位。
上越線・塩沢駅と同レベルで、一日平均2000人を余裕で越す直江津、高田両駅には大差をつけられてしまっています。
この辺はやはり、そもそもの出自が村の駅だったことの限界でしょうか。
新潟県第三の都市の官庁最寄り駅だというのに、国鉄時代は特急はもちろん急行が定期停車することもなかったようです。
しかし当駅がJRから切り離されたその日に運転を開始した特急「しらゆき」5往復の内、1往復の当駅停車が実現。
皮肉なことに、JRの駅では無くなってしまった途端にJRの特急列車が停まるようになったのです。

春日山駅駅舎その1
JR東日本所属時代の春日山駅舎、2011年6月撮影。
建築財産票によると、平成14年12月5日の完成。
トイレは画像左側の駅舎とは別棟の建物です。
この建物は仮駅舎的なモノで、本命をいずれ建てるという話のようですが、一向に具体化していません。

春日山駅駅舎その2
えちごトキめき鉄道移管後の駅舎、2016年9月撮影。
駅名板が変わったこと以外はJR時代と変化無しです。

春日山駅前広場
駅前広場の様子、2016年9月撮影。
駐輪場に上屋が無いのは、駅舎が仮住まいであることの表れなんでしょうか。
人気観光スポットの「春日山」のお膝元らしく、周辺の大きな観光案内板が設置されているのは来訪者にとって心強いところです。
路上のバスはくびきバス運行の直江津-中央病院線で、直江津駅北口と春日山、高田市街地を結んでいます。

春日山駅駅舎内部その1
JR所属時代の駅舎内部の窓口とホーム出入り口周りの様子、2011年6月撮影。
実用本位の簡素でそっけない造りです。
仮住まいの駅舎という話も頷けますな。

春日山駅駅舎内部その2
駅舎内部の待合空間、2011年6月撮影。
ベンチは駅舎内の壁南側にまとめて設置されています。

春日山駅駅舎内部その3
えちごトキめき鉄道に移管後の駅舎内窓口と自動券売機、2016年9月撮影。
窓口の表記と自動券売機がえちごトキめき鉄道型に変わった以外は変化無し。
JR時代から宣伝掲示の類が少なく少々寂しい駅舎でしたので、三セクに変わっても印象は変わらないのです。

春日山駅のホームその1
直江津方から見た春日山駅構内、2011年6月撮影。
当駅はかつて2面2線で列車交換可能な駅でしたが、平成14年12月にそれまでよりも直江津方に400m移動しています。
したがって事実上新駅といって差し支えないのが現在の駅の姿です。

春日山駅のホームその2
ホーム端から直江津方を見る、2011年6月撮影。

春日山駅のホームその3
ホーム上屋下の様子、2012年6月撮影。
手前が駅舎側になります。

春日山駅のホームその4
新井方から見た構内、2012年6月撮影。
前述したように事実上の新駅ゆえに、遺構の類は無く余り見所はありません。

春日山駅のホームその5
ホーム端から新井方を見る、2011年6月撮影。
当駅のホーム有効長は6両です。

横取り線の分岐
不自然な線路の曲がり方と横取り線の分岐をホーム端から望見できます、2012年6月撮影。
あの辺りが旧駅跡になります。
昔の時刻表を紐解くと、昭和55年10月改正ダイヤでは1日2回、昭和60年3月改正ダイヤでは1日5回の定期旅客列車の交換が当駅で行われていました。
早い時期から遊休化していたわけではなく、国鉄末期には普通列車の増発もあって交換回数が増えてさえいたのです。

線路と並行する道路から見た構内
駅舎反対側の線路と並行する道路から見た構内、2011年6月撮影。
駅舎が見えないと、平凡なローカル線の小駅のように見えます。

道路上から見た駅舎のホーム側
道路上から見た駅舎のホーム側の様子、2011年6月撮影。

春日山駅に進入する485系電車快速「くびき野」
ホームに進入する485系電車T編成の快速「くびき野」新潟行、2005年6月撮影。

春日山駅に停車中の485系電車普通列車
快速「くびき野」編成の新井駅への回送を兼ねて朝に設定されていた、485系電車T編成の普通列車新井行が停車中、2011年6月撮影。

春日山駅に到着した189系電車の普通列車「妙高」
ホームに到着した189系電車の普通列車「妙高」長野行、2011年6月撮影。

春日山駅を出発する115系電車
出発する115系電車直江津行、2012年6月撮影。
えちごトキめき鉄道に移管後の当駅で115系電車を見れるのは、快速「くびき野」の後身である通称「新井快速」と、新井快速用車両の直江津からの送り込み列車のみになりました。

春日山駅に到着したET127系電車
到着したET127系電車妙高高原行、2016年9月撮影。
JR時代は上越界隈で定期運用されることのなかったこの電車も、今や妙高はねうまラインの主役の座に。

春日山駅に停車中のET127系電車
秋の陽を浴びながら停車中のET127系電車新井行、2015年10月撮影。
こちらのカラーリングはJR所属時代そのまま。
この電車に乗り慣れていた私は、七ヶ月ぶりに旧友と再会した気分。
でも車内は雰囲気がなんとなく荒れていました。
乗客が荒んでいるということではなく、車内清掃があまり行き届いていない感じを受けてしまったのです。
JR西日本時代の北陸本線の電車もそんな感じでしたっけ。
それを考えるに、何だかんだ言ってもJR東日本はやはり凄いやと再認識させられるのであります。

春日山駅に停車中のE653系電車特急「しらゆき」
停車中のE653系電車特急「しらゆき」上越妙高行、2015年10月撮影。
国鉄及びJR時代には無かった当駅への特急列車停車が、第三セクター移管と同時に実現したのは皮肉と言えようかはたまた純粋に喜ぶべきことなのか。
上越地方にお住まいの方以外は現地に宿泊しない限り、陽の出ている時間帯で当駅に停車する「しらゆき」を撮影できるのは、午後のこの6号のみです。
私もこれを撮るために、トキ鉄内の特急料金210円也を払って高田駅まで一駅乗車しました。

春日山駅に停車中のほくほく線直通HK100形電車
停車中の、ほくほく線直通HK100形電車越後湯沢行、2016年9月撮影。
JR信越本線時代は実施されていなかったほくほく線電車の乗り入れも、三セク化によって実現の運びに。
本数は少ないですが、JRから乗り入れてくる「新井快速」以外はロングシートのET127系電車ばかりになってしまったこの線区で、クロスシート車に乗車券だけで乗れるのは貴重な事なのであります。

春日山駅の東西を結ぶ道路
ホームのすぐ下をアンダークロスして駅の東西を結ぶ道路、2008年5月撮影。
画像右側の白い建物が、新潟県第三の都市・上越市役所です。
市役所が人口の多い旧高田市内ではなく、直江津、高田に挟まれたこの地に建てられた事は、両市の合併が対等なものであった事の表れか。


上越市役所の所在する界隈
道路をくぐって上越市役所の所在する界隈に出ます、2012年6月撮影。

線路とアンダークロスする道路
線路とアンダークロスする道路の春日山方、2006年10月撮影。
春日山駅は画像左方に位置しています。
この通りを道なりに2km程進むと、かつての越後上杉家の本拠地・春日山界隈に行き着きます。

春日山への道のり
駅から15分ほど歩くと、駅周辺の地方中核都市近郊の車の喧騒とは隔絶した鄙びた風景に変わってまいります、2011年6月撮影。

春日山城跡ものがたり館
駅から17分程歩いて、「春日山城跡ものがたり館」に到着、2011年6月撮影。
春日山一帯を見て回る前に、予備知識を仕入れるためにここでこの地域や上杉氏の歴史についてのビデオ解説を見るのが良いでしょう。

春日山史跡広場
「春日山城跡ものがたり館」に隣接した史跡広場、2011年6月撮影。

春日神社の入り口
史跡広場から数分で春日神社の入り口に到着、2011年6月撮影。
今から千年と少し前に、奈良春日神社の分霊を祀るためにこの地に建てられた神社です。
「春日山」の由来もこの神社からきています。
神社が現在位置に移ったのは1381年の事なんだとか。

春日神社の社殿
春日神社の社殿、2011年6月撮影。

林泉寺山門
春日神社から10分ほど歩いて林泉寺に到着、2011年6月撮影。
1497年に上杉謙信公の祖父であられる越後守護代・長尾能景公が、長尾氏の菩提寺として建立した曹洞宗の寺です。
越後の地に威勢を誇った上杉氏ゆかりの寺らしく、惚れ惚れする山門の造りであります。

林泉寺本堂
林泉寺の本堂、2011年6月撮影。



林泉寺境内の様子
林泉寺境内の様子、2011年6月撮影。

上杉謙信公のお墓
上杉謙信公のお墓です、2011年6月撮影。

林泉寺の宝物館
林泉寺の宝物館、2011年6月撮影。
上杉氏ゆかりの多数の展示物を解説付きで見学できます。
戦国女子の諸女はぜひ押さえておいてもらいたいところです。

春日山神社
林泉寺から12分ほど歩いて春日山神社に到着、2011年6月撮影。
上杉謙信公の時代の武士姿の方々のパフォーマンスが行われていました。
しかしぶっちゃけ私はこういうのはかなり苦手・・・。

春日山城址に向けて登り始めます
春日山神社からいよいよ春日山城址に向けて登り始めます、2011年6月撮影。

春日山城址への道のり
城址への道のりは整備されているので、山登りではなくピクニック気分です。
2011年6月撮影。

直江屋敷への道
画像左手を登ると、「花の慶次」で慶次郎の莫逆の友・直江兼続で有名な上杉家の重臣・直江氏の館跡「直江屋敷」に行き着きます、2011年6月撮影。

直江屋敷
春日山神社から9分で直江屋敷に到着、2011年6月撮影。

直江屋敷から下界を見下ろす
直江屋敷から下界を見下ろす、2011年6月撮影。

史蹟 春日山城址
直江屋敷から5分で、史蹟 春日山城址に到着、2011年6月撮影。
春日山神社からここまで、あちこちフラフラしながら私の足で18分というところです。
「春日山城跡ものがたり館」からだと、途中春日神社、林泉寺、春日山神社に寄り道しつつ所要45分。



城址から下界を見下ろす
城址から下界を見下ろす、2011年6月撮影。
生憎この日は薄曇で、素晴らしい眺め!とはいかなかったのが残念。

2016年2月 6日 (土)

糸魚川駅(北陸新幹線・えちごトキめき鉄道・日本海ひすいライン)

本日の駅紹介は北陸新幹線/えちごトキめき鉄道・糸魚川駅

青海駅はこちらへ←日本海ひすいライン→梶屋敷駅はこちらへ
姫川駅はこちらへ←大糸線
北陸新幹線 →上越妙高駅はこちらへ

2017年4月15日記、糸魚川駅の旧記事二つを新記事と統合し加筆修正しました。

北陸本線時代の糸魚川駅の駅名標
北陸新幹線糸魚川駅の駅名票
えちごトキめき鉄道糸魚川駅の駅名票

大正元年(1912年)12月16日の開業で、新潟県西端の自治体である糸魚川市の玄関駅です。
2015年3月ダイヤ改正でJR西日本・北陸本線から第三セクター鉄道の「えちごトキめき鉄道」日本海ひすいラインに所属が変わっています。
一方、同日に開業した北陸新幹線の駅として新たなスタートをきっています。

糸魚川駅の開業当時の所在は西頸城郡糸魚川町で、同町は昭和29年(1954年)6月に周辺諸村と合併して市制を施行、平成の大合併の号令下の平成17年(2005年)3月に周辺町村と合併して今日に至ります。

糸魚川駅はかつてセメント輸送の拠点として活況を呈し、昭和50年代半ばの貨物収入は14億円前後を数え、当時の国鉄金沢鉄道管理局管内の貨物収入は隣の青海駅に次ぐ第2位、当駅と青海駅で同局管内の貨物収入の1/3を占める程だったといいます。
旅客面においても北陸路を往く優等列車多数が停車していて、新潟県西端の客貨の要衝として重きを成していた栄光の過去があるのです。

そんな糸魚川駅の利用状況は、古い資料で恐縮ですが糸魚川市統計要覧によると平成19年度(2007年)の当駅年間乗車人員は409,911人。
単純計算すると1日平均約1,123人です。
この数字は市内の他の12駅の合計よりも多く、この地域における当駅の求心力の高さは相当のものなのです。
しかしJR東日本管内の新潟県内駅と比較すると中条駅五泉駅と同レベル。
市の人口に対して駅の乗車人員は少ないように見えますが、大合併前の旧市の人口は3万人強なので、前述の2駅と比べて特別悪いわけではありません。
もしJR東日本所属なら、自動改札導入の下限に位置する利用状況なのです。
ちなみに昭和54年(1979年)の1日平均乗車人員は約2,900人。
30年弱で約6割減っています。

糸魚川駅旧駅舎
糸魚川駅旧駅舎の様子、2009年6月撮影。
建築財産票を見つけられなかったので竣工年月を確認できませんでした。
色々資料を見ると昭和32年の竣工という話を見つけたましたが、建物の造りを見るにそのように思えます。
旅客のみならず前述のように貨物の拠点駅でもあったその証が、二階建ての駅舎ということなのでしょう。

駅舎改築以前の駅前の様子
駅舎改築以前の駅前の様子、2006年9月撮影。
駅前ロータリーにはタクシーがぱっと見で十台ほど常駐の様子。
路線バスは降車が駅ロータリー内、乗車が駅前停留所と乗降場所が区別されていました

なお2017年4月時点での駅前発着の糸魚川バス運行の路線バスの鉄道補完路線としては、青海能生線(青海、梶屋敷、浦本能生)、根知線(姫川、頸城大野根知)、早川線(梶屋敷)、おうみ巡回線(青海)があります。

糸魚川駅旧駅舎内部その1
幹線の主要駅らしく、改札口が多い旧駅舎内部、2009年6月撮影。
これらの改札口を使用していた頃、例えば昭和55年10月改正当時の当駅に日中停車する優等列車は12往復(特急10往復、急行2往復)、富山-糸魚川間は快速列車として運転される急行1往復でした。
優等列車の停車本数で言うと、2011年3月改正では特急14往復、2017年3月改正の北陸新幹線「はくたか」の停車本数は15往復。
停車本数そのものは国鉄時代よりむしろ増えているのですが、受ける印象はそれとは逆なのが不思議なところ。

糸魚川駅旧駅舎内部その2
乗り越しなどの運賃精算は画像中央のみどりの窓口で行うようにと言われたのです、2009年6月撮影。
しかしこの窓口がまたアレで・・・。
地方の駅にありがちな事なのですけれど、おぢいさんおばぁさんが旅行相談所としてみどりの窓口であーでもないこーでもないと粘っておられる(後ろの行列は眼中に無しで話に夢中)ので、待たされる事といったらもう!(怒)
駅も駅で、小駅のような一人勤務ではないのですから、もう少し融通を利かせてもらってもと思うところですけれどね。
利用する側も、きちんと旅程を決めて切符を買うように心がけていただきたいものです。
こういう光景は新潟駅でも他の駅でも頻繁に目にしますからね・・・。

糸魚川駅旧駅舎内部その3
旧駅舎の出入り口の様子、2009年6月撮影。
駅コンコース内はタバコ自販機一台と自動券売機が二台設置されていました。

旧駅舎時代の待合室
コンコースの向かって左手には待合室がありました。
待合室内は中央に机状の四角ベンチと壁沿いの一人掛けベンチが二列。
コインロッカーも設置されており、2列X4段構成。
テレビが出入り口上方に置かれて暇つぶしにぼんやり見るのも良し。
また室内にはキヨスク「STATION-PIT」があり、営業時間は0650~2000で品揃えもそこそこ。
なおトイレは改札内外にそれぞれあり、清掃も行き届き綺麗でした。

新駅舎に移行期の駅舎内改札口
窓口と待合室の様子
旧駅舎から新駅舎への移行期の改札口と窓口及び待合室の様子、2013年9月撮影。
これを見た時も、国鉄時代の特急停車駅に相応しかった舎内がこんなに小さくなっちゃって...と衝撃を受けたものでしたが、後述のようにえちごトキめき鉄道に転換後はこれどころではなかったのであります。

糸魚川駅日本海口
北陸新幹線が開業して、装いも新たになった糸魚川駅日本海口(北口)の様子、2015年10月撮影。
こちら側は北陸本線から転換されたえちごトキめき鉄道の駅としての顔です。
昭和30年代前半に改築された国鉄型の旧駅舎と比べて、当然の事とはいえ何とも垢抜けたものだと感慨もひとしお。
駅前ロータリーも拡幅されてスッキリしましたが、人影もクルマも少ないのは旧駅舎時代と変わらず。

糸魚川駅アルプス口
糸魚川駅アルプス口(南口)の様子、2015年10月撮影。
こちらは北陸新幹線駅としての顔です。
日本海口にも増して立派な佇まいですけれど、これもまた高架駅特有の作用に基づく印象。

アルプス口駅前通り
アルプス口駅前通りの様子、2015年10月撮影。
かつてはこちら側から駅へ行くには、駅前後の踏切を渡り大きく迂回していかねばならなかったので、住民の方々にとっては大いなる福音と申せましょう。
まだまだ発展途上ながら、市役所もこちら側にあるので今後の発展の伸び代は日本海口よりも大きいかもしれません。

赤煉瓦車庫のモニュメント
アルプス口駅前に設置された、かつての駅構内赤煉瓦車庫の出入り口、2015年10月撮影。
移築保存の動きがあったものの、結局叶う事なく新幹線工事に伴って解体されてしまった赤煉瓦車庫。
こうして一部だけでも残されて往時を偲ぶことが出来るのは幸いです。

ジオパルで展示されているキハ52その1
ジオパルで展示されているキハ52その2
アルプス口一階の「糸魚川ジオステーション ジオパル」内で保存一般展示されているキハ52、2015年10月撮影。
私が最後に大糸線キハ52に乗ったのは、2009年6月。
私的なさよなら乗車は、雨の夕刻の平岩発でしたっけ。

糸魚川駅橋上駅舎の自由通路
新装成った駅舎の日本海口とアルプス口を連絡する自由通路の様子、2015年10月撮影。
天井も高く立派な構えの建物ですけれど、道行く人は残念ながらまばら。

糸魚川駅橋上駅舎内部その1
新駅舎のえちごトキめき鉄道改札口付近の様子、2015年10月撮影。
旧駅舎時代と比べて、なんとスペースの小さくなったことか。今回、最初に衝撃を受けたのがここでした。
日本海口の立派な様子は言わばショーウィンドー、前途多難な第三セクター鉄道としての実際の顔がこれなのです。

糸魚川駅橋上駅舎内部その2
糸魚川駅橋上駅舎内部その3
北陸新幹線乗り場の様子、2015年10月撮影。
上が改札口付近、下が改札を抜けた構内です。
利用予測を十二分に検討した産物のような、こじんまりとした様子です。
上越新幹線の諸駅を見慣れた目には小さすぎるように思えるのですけれど、上越新幹線の方が少々異常なんでしょうな多分。
浦佐とか浦佐とか浦佐とか。

旧駅舎時代の糸魚川駅前通り
駅舎改築前の駅前通りの様子、画像中央奥にチラリと見えるのが旧駅舎時代の糸魚川駅です、2009年6月撮影。
通りはアーケードになっていて風雨を凌げます。
しかしこれといった店も無く、非常に地味です・・・。
当時の駅前通りにはこれといった食料調達先も無かったのですが、そこは灯台下暗し。
駅ロータリー右手を歩く事数分にあるのがスーパー「ナルス」。
午前9時からの営業で、品揃えも充分です。
大糸北線を鉄道&バスで見て回る方は、ここでの食料確保を強くお奨めします。
一度北線に入ってしまうと、本当~に!唖然とするぐらい何も無いですから。
姫川駅近くにセブンイレブンがある程度で、他の駅周辺には正しく「何もありません」。
コンビニ・スーパーは勿論食堂もありませんし雑貨店もありません。
飲料以外は現地調達不可。
(何かあるだろうと甘く見て行ったらドツボに嵌った経験者は語るw)

アーケードが撤去された駅前通り
商店街のアーケードが一時完全撤去された頃の駅前、2013年9月撮影。
斜陽化する駅前商店街の姿が白日の下に晒された感じで、ちょっと感傷的になりながらこれを撮ってましたっけ。

糸魚川駅日本海口方の駅前通り
駅舎改築後の駅前通りの様子、2015年10月撮影。
こうして見ると駅はとても大きく立派に見えるのですけれど、橋上駅舎化と新幹線の高架のもたらす錯覚的作用が大きいのが実態。
駅とロータリーの工事に伴って撤去されてしまった商店街のアーケードも復活。
しかし見たところ新規出店は無いようで、新しい皮袋に古い酒といった印象です。

さて2009年6月訪問当時、駅前通りの横道は道幅の狭い、昭和三十~四十年代の地方都市の懐かしい雰囲気。
「小学館の学習雑誌」という黄色い看板など見てしまうと、幼稚園や小学校低学年の頃を思い出して、もう懐かしくって切なくって、その場にしばし佇んで・・・。
2016年12月に起きた糸魚川大火では、あの辺りも相当の被害を受けているでしょう。
被災された方に遅まきながらお見舞い申し上げます。
あの長閑な通りがまた再建されることを願っております。

そのように寄り道しながら、駅前通りを真っ直ぐ400mほど進むと突き当たるのが国道8号線。

国道沿いの展望台
国道を地下道でくぐった先にあるのが、日本海の大海原を望む展望台、2009年6月撮影。

糸魚川駅付近の国道8号線その1
糸魚川駅付近の国道8号線その2
国道8号線の富山方を望む、上は2004年3月、下は2009年6月撮影。
上の画の沈む太陽を見るたびに、昔の金曜ロードショーの物悲しいトランペットの音色が脳内再生されるのですよ。
下の画の背景にうっすら見えるのは姫川港。

糸魚川駅付近の国道8号線その3
糸魚川駅付近の国道8号線その4
同じく直江津方を望む、上は2004年3月、下は2009年6月撮影。
やはり夕景のほうが画になるかなぁ、ここは・・・。

さて駅に戻って構内を見てみます。

糸魚川駅の1番ホームその1
北陸新幹線駅舎建設が本格化する前の1番線の富山方から見た糸魚川駅構内、2005年6月撮影。
切り欠き型の4番ホームでは大糸線のキハ52形気動車が待機中。

糸魚川駅の1番ホームその2
1番線の富山方から見た北陸新幹線駅舎建設工事たけなわの構内、2012年6月撮影。

糸魚川駅の1番ホームその3
北陸新幹線建設本格化以前の1番線端から富山方を見る、2005年6月撮影。

糸魚川駅の1番ホームその4
概成した北陸新幹線の高架を横目にしつつ、1番線端から富山方を見る、2012年6月撮影。
高架建設以前の構内に感じた幹線鉄道の停車場のダイナミズムは随分と薄れてしまった印象です。

糸魚川駅の1番ホームその5
1番線の直江津方から見た橋上駅舎建設以前の構内、2012年6月撮影。

糸魚川駅の1番ホームその6
1番ホーム端から直江津方を見通す、2012年6月撮影。

旧駅舎時代の跨線橋内部
旧駅舎時代の跨線橋内部の様子、2013年10月撮影。
幹線の主要駅に相応しい広さです。
この味のある跨線橋も今はもうありません。
画像中央の案内板は、特急「はくたか」「北越」編成案内です。

跨線橋上から見た構内その1 跨線橋上から見た構内その2
跨線橋上から構内の富山方を見る、上は2009年6月、下は2012年6月撮影。
新幹線の駅舎や高架の圧迫感はやはり強烈。

跨線橋上から見た構内その3
跨線橋上から見た構内その4
同じく構内の直江津方を見る、上は2009年6月、下は2012年6月撮影。
上の画の2番線に停車している415系電車は当時当駅以東の運用には入っておらず、
富山方からの列車が朝晩に入るのみの希少な存在でした。

自由通路から見た構内
駅舎改築後の橋上駅舎の通路から見た構内の直江津方を見る、2015年10月撮影。

糸魚川駅の島式ホームその1
島式ホーム2番の直江津方から見た構内、2012年6月撮影。

糸魚川駅の島式ホームその2
島式ホーム3番端から直江津方を見通す、2012年6月撮影。
画像右側の車庫らしき中に大糸線用のキハ120が顔を覗かせています。

糸魚川駅の島式ホームその3
北陸新幹線建設本格化以前の島式ホームを直江津方から見る、2005年6月撮影。

糸魚川駅の島式ホームその4
島式ホーム上屋下の様子、2012年6月撮影。
上屋は長大で、流石は北陸本線の主要駅の貫禄。
しかし列車撮影の場合はコントラストがきつすぎてあまり宜しくなかったりします。
ホーム上には待合室はありません。
3番線は北陸本線上り富山方面乗り場、2番線は待避線です。

糸魚川駅の島式ホームその5
3番線の中程から富山方を見る、2012年6月撮影。
かつてのレンガ車庫はその雰囲気も完全に消え去っています。

糸魚川駅の島式ホームその6
同じく2番線中程から富山方を見る、2012年6月撮影。
2番線で普通列車が特急の通過待ちをする光景も、北陸新幹線開業で完全に過去帳入りになりました。

ホーム上から見たレンガ車庫
3番ホーム上から見たレンガ車庫、2004年3月撮影。
かつてのこの駅の見所といったらこの車庫につきました。
その色艶・風格も見事であります。
車庫にはDE10形ディーゼル機関車2両が入庫中。

構内に留置中のDE10形ディーゼル機関車
構内に留置中のDE10形ディーゼル機関車、2005年6月撮影。

構内で待機中のキハ52とキハ58系2両のイベント編成
構内で待機中のキハ52とキハ58系2両のイベント編成、2005年6月撮影。
この日は大糸線にこの編成のイベント列車が走っていて、私も頸城大野駅で撮影したものです。

Itoigawa208
踏切から見た糸魚川駅構内その1
富山方の踏切から見た構内の様子、上は2009年6月、下は2013年10月撮影。
新幹線の駅舎の完成前後ではやはり構内の印象が変わって、下の画では「立派になったものだ」と感じるところ。
しかしその実態は・・・。

糸魚川駅のレンガ車庫
富山方の踏切を渡ったすぐ先がレンガ車庫でした、2009年6月撮影。
車庫にはDE10形ディーゼル機関車とスカ線色のキハ52を確認できます。
この建物は地元ボランティアの方々が保存を求めて運動していましたけれど、その甲斐も無く移築は無理という結論になりました。
残しておけば後々街のイメージアップに貢献したと思いますが、費用を考えると当局が二の足を踏んだのも已む無しでしょうなぁ。
双方の言い分共に理解できるので複雑な思いだったものです。

糸魚川駅を出発する419系電車
朝の419系電車富山行が3番線を出発直前、2009年6月撮影。

糸魚川駅に停車中の475系電車
2番線に停車中の475系急行型電車、2009年6月撮影。

糸魚川駅に到着した413系電車
当時、この駅には朝夕しか姿を見せなかった413系電車、2009年6月撮影。

糸魚川駅構内のキハ52と419系電車
旧塗装のキハ52と「食パン顔」の419系電車の揃い踏み、2005年6月撮影。

糸魚川駅を出発する413系電車
3番線から出発する413系電車富山行、2013年10月撮影。
当駅のような上屋の長大な駅構内での列車撮影は夜間の方が当たり外れが無くてよいなぁとつくづく思うところ。
昼間だと上屋のせいでこの駅はホント、撮りにくいのですよ。

糸魚川駅で待機中のキハ52 125
大糸線の気動車キハ52 125 
懐かしの大糸線気動車キハ52 125 2009年6月撮影。
この色は少々悪ノリだよなぁと当時は思ったものです。

構内で憩うキハ52 115 
構内で憩うキハ52 115 2009年6月撮影。
キハ52といったらやはりこの国鉄色がベストでしょう。

糸魚川駅構内のキハ52 115とキハ52 125
キハ52 115と旧塗装の恐らくキハ52 125 2005年6月撮影。

糸魚川駅で待機中のキハ52 156その1
糸魚川駅で待機中のキハ52 156その2
国鉄首都圏色のキハ52 156が雨中の4番線で客待ち中 2009年6月撮影。

糸魚川駅で待機中のキハ120
4番線で待機中の大糸線用キハ120形、2012年6月撮影。
この時は隣の姫川駅までこの気動車に初乗車してみたのですけれど、乗るのはともかく、撮る対象ではないなぁと再認識しました。
当ブログの趣旨から言うと、定期運用される旅客車両は可能な限り撮るのが本筋なので、大糸線も少なくとも新潟県内の平岩駅までの各駅停車のキハ120形を撮らなければならないのです。
しかし車両に魅力を全然感じないし、駅とその周辺はつくづく見て回ったしで、全然その気にならないのですよ、困ったモンだ。
我が街界隈で俄然目にする機会の増えた新鋭E129系電車にも同じ事が言えて、乗れば最高撮るにはサッパリなあの電車を各駅で追っかけするのはなんだかなぁと、全然やる気が起きないのです。

糸魚川駅を出発する485系電車特急「北越」
3番線から出発する485系電車T編成の金沢行特急「北越」、2013年9月撮影。

糸魚川駅に到着した485系電車特急「北越」
1番線に到着した485系電車R編成の新潟行特急「北越」、2013年10月撮影。
北陸新幹線開業以前に撮った当駅のラストショットがこれ。
これで北陸本線糸魚川駅とはサヨナラかと、ある種の感慨を抱きながら車上の人となりましたっけ。

糸魚川駅に進入する特急「はくたか」
1番線に進入する特急「はくたか」越後湯沢行 2005年6月撮影。

糸魚川駅構内の特急「はくたか」とキハ52
「はくたか」と旧塗装キハ52のツーショット、2005年6月撮影。

糸魚川駅を出発する特急「はくたか」
3番線から出発する金沢行特急「はくたか」、2013年9月撮影。

糸魚川駅を出発した特急「はくたか」
1番線を出発した下り越後湯沢行特急「はくたか」、2013年9月撮影。
「はくたか」は、乗ろう乗ろう特にほくほく線区間は乗ろうと思い続けつつ、他のスケジュールとの兼ね合いで結局果たせず、糸魚川から直江津まで一度乗ったきりで打ち止め...
他の取材なんぞ後回しにして乗っとけばよかったと、今頃になって当時の自分の判断を悔いる日々にございます。

糸魚川駅構内の特急はくたかとキハ120形
1番線に進入する越後湯沢行特急「はくたか」と、4番線で待機中の大糸線キハ120形、2013年10月撮影。

北陸新幹線開業とそれに伴う在来線の第三セクター化で、それまでは多種多様な列車が行き交っていたこの駅に日中乗り入れる列車はひすいラインのET122系気動車と大糸線のキハ120形のみになりました。
かつての電車特急「北越」の最後の残影として走っていた、485系電車R編成使用の通称「糸魚川快速」も2017年3月ダイヤ改正で廃止されています。

糸魚川駅に入線するET122系気動車その1
糸魚川駅に停車中のET122系気動車その1
3番線に到着したET122系気動車単行の泊行、2015年10月撮影。
特急列車の乗車口案内板が無くなり、ガランとした長大なホームに単行の気動車...。
この訪問で最大の衝撃を受けたのがこの光景です。

糸魚川駅に入線するET122系気動車その2
糸魚川駅に停車中のET122系気動車その2
1番線に到着したえちこトキめき鉄道ET122系気動車単行の直江津行、2015年10月撮影。
JR時代は3連だったのを単行にしたのですから当然と言えばそうなのですけれど、混んでました。
糸魚川から直江津までこの列車で移動しましたが、能生まで座れません。
日曜で学生がいないにも関わらず。
JR西日本時代の土日は、座れないなどまず考えられなかったことです。
当駅出発時の単行気動車の乗客の七割は直江津まで乗り通した感じで、運賃がJR時代と同じ事もあって対上越市往来エコノミー派の利用が多いものと推察されます。
なお、待避線の2番線は特急廃止に伴い遊休化したわけではなく、糸魚川発着列車も設定されているために列車が入っています。
2015年3月ダイヤでの2番線発ダイヤは下記の通りです。
直江津方面
07:59発 快速新潟行
以下は直江津行
08:58発 11:01発 13:08発 15:48発 16:18発 17:41発 22:44発

泊方面
05:37発泊行 06:41発金沢行 07:31発高岡行

北陸新幹線糸魚川駅構内その一
北陸新幹線糸魚川駅構内その二
北陸新幹線糸魚川駅構内その三
北陸新幹線糸魚川駅構内の様子、2015年10月撮影。
上越妙高駅同様、ホームドアが完備されているので面白味は全く無し。

糸魚川駅に進入するE7/W7系新幹線電車
駅構内は面白くなくとも、やはりテンション上がるのがE7/W7系電車です。
2015年10月撮影。
ホームドアも柵も、車両撮影には支障の無いレベルなのが救いですな。
このカッコいい電車、来年度からはE4系電車の後継として上越新幹線にも投入開始するとのアナウンスが2017年4月にありました。

さて、糸魚川といえば私がぜひ行ってみたかったのは美山公園の展望台と「フォッサマグナミュージアム」。

姫川駅から国道148号線を歩く
国道148号線を大糸線・姫川駅から市街地に向けて歩きながら一枚、2012年6月撮影。
前述の大糸線キハ120形に乗車して姫川駅で下車、そこから歩いて向かうことに。
姫川駅から見上げた小山の頂上に美山公園の展望台が見えるので、歩きでもそんなにかからんのではと誤断したのです。

大糸線糸魚川-姫川間の踏切
展望台に向かうには大糸線を横断せねばならないのですが、肝心の踏切がなかなか無くて、かなり歩いてしまってようやくここを横断。
これなら糸魚川駅から素直に行った方が速くね?と後悔し始めた頃でした。

北陸自動車道の側道
セメント工場を見下ろしつつ、北陸自動車道の側道を進んで...

北陸自動車道の上を渡る
北陸自動車道の上を渡って...

美山公園
ようやく目的地の美山公園に到着。
姫川駅を出発してここまで30分。
道は間違えなかったので、掛け値無しにこれだけ掛かるということです。
高低差を甘く見てはいけないと良い教訓になりました。

美山公園内の展望台
公園内のこのデカいタンクがくだんの展望台。

美山公園展望台からの眺め
長野側へはこのような眺望。
山々に雲がかかって冴えないのが残念。
冬の晴れた日に順光で撮れれば最高でしょうね。

展望台から見下ろした大糸線姫川駅
展望台から見下ろした大糸線・姫川駅。
俯瞰で見ると駅の小ささがより実感できます。

フォッサマグナミュージアム
かくして次の目的地「フォッサマグナミュージアム」に到着。
糸魚川静岡構造線の北端に位置するこの街の特質を生かした地質・鉱物博物館であります。
軽便用蒸気機関車「くろひめ号」
野外展示されている軽便鉄道用の蒸気機関車「くろひめ号」。
産業用としては国産最後の蒸機だそうで、昭和25年ごろ製造されて昭和31年から57年まで運搬用軽便鉄道で使われたとの事です。
重量は5.1tで、日本初の蒸機一号機関車や国鉄の国産蒸機最小のB20形の約1/4に過ぎない小兵てすけれど、実見するとなかなかどうして堂々たるものです。

フォッサマグナミュージアムに展示されている岩石その一
フォッサマグナミュージアムに展示されている岩石その二
館内に展示されている岩石。
鉱物にそれなりの知識が無いと理解するのはちょっと難しいかも。
ブラタモリでタモリさんがここを訪れて知識を披露するのを期待したいところです。

長者ヶ原遺跡その一
長者ヶ原遺跡その二
フォッサマグナミュージアムに隣接する「長者ヶ原遺跡」。
3,500~5,000年前の縄文中期の集落跡で、当時の竪穴式住居が再現展示されています。
個人的にはイマイチつかみどころのない岩石鉱物よりも、こちらの方に強い印象を受けました。

高台から見た糸魚川市街
高台にあるミュージアムから糸魚川駅へ戻りながら一枚。
市中心部の街並みと概成した北陸新幹線の高架を望見できました。

糸魚川小学校校庭に展示されている蒸気機関車C12
駅アルプス口至近の糸魚川小学校校庭に展示されている蒸気機関車
「C12形88号機」。
重量は50tで前述の「くろひめ号」の約十倍です。
この機関車もアルプス口で展示保存すればいいのになぁ。

2015年11月 3日 (火)

能生駅(えちごトキめき鉄道・日本海ひすいライン)

本日の駅紹介は、北陸本線・能生駅

浦本駅はこちらへ← →筒石駅はこちらへ

能生駅の駅名標

新潟県糸魚川市に所在する有人駅で、現在はえちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインの所属です。
開業は大正元年(1912年)12月16日で、開業当時の所在は西頸城郡能生町で、平成17年3月に糸魚川市と合併してその東部地域になって今日に至ります。

現在の能生駅は名立、筒石両駅と同じく、昭和44年10月1日の北陸本線・糸魚川直江津間の複線電化に伴い、それまでの海岸近くから山側に移転して今日に至っているわけですが、トンネル間の僅かな明かり区間に移転した名立、頸城トンネル内に移転せざるを得なかった筒石両駅と比べると谷あいの地形も緩やかで立地条件は悪くないように感じられます。
駅構内は二面四線という立派な造りで、本線たる通過線にホーの無い名立駅と比べても、移転当時のこの駅の地位を窺い知れるのです。
駅移転計画時点の日本経済は右肩上がりの高度成長下にあり、貨物輸送はまだまだ重要でしたから、当駅のこの豪勢な造りは普通列車の優等退避以外にも、急行貨物・荷物の退避も考えての事ではなかったかと推測している次第ですけれど、貨物の重要路線であり続けてはいるものの往時に比べてその輸送量は大幅に減り、優等列車は僅かな快速列車だけの今日にあっては、全てが過剰な設備になってしまっています。
当線区の斜陽化を最も象徴しているのがこの能生駅と申せましょうか。

糸魚川市統計要覧によると、平成19年度の能生駅年間乗車人員は159,428人で、単純計算では一日平均約437人。
上越線・越後堀之内駅と同水準で、合併前の能生町の人口が一万人強、広域合併して魚沼市になる前の堀之内町の人口が一万人弱ですから、人口一万人前後の自治体の玄関駅で期待できる利用はこのレベルに落ち着いてしまっているということなのでしょう。
能生町史によると、昭和55年度の当駅一日平均乗車人員は約1,160人で、それから27年間で六割強も減ってしまっているのです。

前述したように駅構内の造りは豪勢な当駅ですけれど、定期優等列車の停車実績は少なくて、手元の古い時刻表を紐解くと昭和55年10月改正ダイヤでは上野発金沢行の上り急行「能登」と新潟-青海間の気動車急行「ひめかわ」1往復。
「能登」の当駅発車時刻は早朝04:20なので、この停車は東京からの新聞輸送と思われます。
昭和57年11月改正では「ひめかわ」が廃止された救済措置として、青海駅と共に新潟-金沢間特急「北越」1往復が停車。
朝新潟に行き、夜帰ってくるパターンです。
昭和60年3月ダイヤ改正では長野経由になっていた「能登」が上下とも停車しており、特急、急行各1往復が停車していたこの時期が、この駅の優等列車停車史におけるピークと言えます。
しかし、明確な時期は遺憾ながら資料が無いものの、「能登」も「北越」も当駅停車を取り止めます。
夜行の「能登」はともかく、「北越」が通過になったのは青海駅共々余程利用が少なかったのでしょう。
一度特急の停車駅になったらそれが既得権化して、利用が少なくても慣例的に続いていくのが常なのにです。
かくてJR所属時代の晩年は、特急「はくたか」「北越」が高速で走り抜けていく一陣の疾風だけが広い構内を吹き荒れるだけの駅となってしまいました.....

能生駅駅舎その1
能生駅駅舎その2
能生駅駅舎の様子、上は2013年9月、下は2004年4月撮影。
二階建ての大きな建物、広大な駅前広場。
駅舎は一見すると無駄に大きいと思えますけれど、名立駅では駅舎とは別に構内にあった運転保守関係とおぼしき建物と駅舎の合築と考えれば、妥当な大きさなのかもしれません。

駅舎内部の待合室
能生駅駅舎内部
駅舎内部の様子、2008年5月撮影。
名立駅と異なり、出入り口のあるテレビ付き待合室があります。
この辺も移転当時の当駅の立ち居地を感じさせます。
撮影当時の窓口営業時間は07:00~17:30で待合室の開放時間は07:00~18:00まででした。
自動券売機も一台設置されていました。
昨年(2014年)の消費増税では、「増税に対応できないから」(要するに一年後には切り捨てる線区の特急も停まらないローカル駅には余計なコストをかけたくないってこと?w)という理由で券売機を撤去(これは糸魚川以外の近隣他駅も同様)してしまいましたが、えちごトキめき鉄道移管後は改めて設置されたそうでまずは目出度し。

能生駅の1-2番島式ホームその1
2番線の直江津方から見た能生駅構内、2005年10月撮影。

直江津方の頸城トンネル
同じ位置から直江津方の頸城トンネルを見る、2005年10月撮影。

能生駅の1-2番島式ホームその2
2番線の糸魚川方から見た構内、2005年10月撮影。
当駅構内の眺めはこの位置がベストだと個人的には思っています。

能生駅の1-2番島式ホームその3
同じ位置から糸魚川方を見る、2005年10月撮影。
JR西日本所属時代の当駅の乗り場は1、2番線が直江津方面、3、4番線が糸魚川方面になります。

能生駅の1-2番島式ホームその4
1番線の糸魚川方から見た構内、2014年5月撮影。

能生駅の1-2番島式ホームその5
3番線の直江津方から見た構内、2014年5月撮影。

能生駅の1-2番島式ホームその6
同じ位置から直江津方の頸城トンネルを見る、2014年5月撮影。
上下線共に横取り線が分岐しているのがわかります。

能生駅の3-4番島式ホームその1
3・4番島式ホームの駅舎との連絡地下道出入り口付近の様子、2014年5月撮影。

能生駅の3-4番島式ホームその2
3番線の糸魚川方から見た構内、2013年9月撮影。

能生駅の3-4番島式ホームその3
4番線の糸魚川方から先を見る、2014年5月撮影。
横長の架線柱から見るに、かつては四番線の横に側線があったのかもしれません。

構内地下道
構内地下道の様子、2008年5月撮影。
JR東日本なら壁にやたらとポスターを貼るところですが、JR西日本は商売気があまりないのかこのような感じ。

能生駅から出発する475系電車その1
秋雨降りしきる4番線から出発する北陸地域色の475系電車富山行、2013年10月撮影。
くもりのち晴れの天気予報が大外れの雨の日でしたなぁ。

能生駅から出発する475系電車その2
同じく4番線から出発する青一色の475系電車富山行、2013年9月撮影。
青一色の電車には最後まで馴染めなかったですな。

能生駅に停車中の475系電車
夕刻の下り特急「北越」退避の為に、1番線に停車中の国鉄急行交直流色の475系電車直江津行、2012年6月撮影。
幸運にも国鉄交直型急行色編成に乗り合わせて、「北越」通過撮影までの間くまなく撮影しようとホルホルしておりましたところ、予測より早く「北越」が来てしまって最適撮影位置に行けず、頸城トンネルに突入する後姿しか撮れなかったのは一生の不覚にございました.....
なおこの特急退避、確か翌年の改正で名立駅に変更になり、当駅での優等退避は無くなってしまいました。

能生駅を出発する413系電車
3番線から出発する北陸地域色の413系電車富山行、2013年9月撮影。
当駅の場合、当時は3番4番に特急退避の有無を問わず、適宜停車していました。

能生駅に停車中の419系電車
上り特急「北越」退避の為に4番線に停車中の、上り419系電車富山行、2005年10月撮影。

能生駅を通過する485系電車特急「北越」
3番線を通過する485系電車R編成の金沢行特急「北越」、2014年5月撮影。

能生駅を通過する特急「はくたか」その1
2番線を通過する下り越後湯沢行特急「はくたか」、2014年5月撮影。

能生駅を通過する特急「はくたか」その2
土砂降りの雨の中、2番線を通過する下り越後湯沢行特急「はくたか」、先頭車両は貫通型です、2013年10月撮影。

能生駅前通りの様子
駅から海岸沿いの国道8号線へ至る駅前通りの様子。
国道まではおよそ1km。
山側に少し進むと北陸自動車道のICに行き着きます。
この駅前通り沿いにはスーパー一軒、コンビニ二軒、ホームセンター一軒があって、日常の利便性は極めて高し。
なお、路線バスは糸魚川便と筒石便はこの道を通って駅前バス停に停車しますけれど、直江津便は国道沿いの能生案内所止まりです。
いずれの便も日祝は全休なので要注意。

旧能生町役場の様子
旧能生駅跡の記念碑
海岸近くの旧能生町役場、2013年9月撮影。
かつてはここに旧能生駅が所在していたのです。

旧能生町のメインストリート
旧町のメインストリート、2008年5月撮影。
国道8号線に並行して、筒石方に沿って昔からの個人商店街になっております。
しかし御他聞に漏れず、開いている店は僅かでひっそり。
近くのスーパーやホームセンターは駐車場に車が並び賑わっているというのに。

旧能生町の白山神社
メインストリートを抜けて白山神社へ到着、2008年5月撮影。
駅からここまで私の足でおよそ20分。
この白山神社、重要文化財として神社本殿と聖観音立像、重要無形民俗文化財として舞楽、重要有形民俗文化財として海上信仰資料97点、新潟県文化財として十一面観音立像と汐路の鐘と泰澄大師坐像と舞楽面五面などなど、周辺随一と言ってよい古来文化の集積地と言えます。
隣接して旧能生町の歴史民俗資料館もあって見学にかなり心が動いたのですけれど、この日はマリンドーム能生まで歩きそこから路線バスで筒石集落に移動というスケジュールでゆっくりしてもいられず、後ろ髪を引かれながら先を急いだ次第。

旧北陸本線跡サイクリングロードの白山トンネル
白山神社近くにある旧北陸本線跡サイクリングロードの白山トンネル、2008年5月撮影。

旧能生町海岸の弁天岩その一
旧能生町海岸の弁天岩その二
神社から海岸に出てすぐの弁天岩、2008年5月撮影。
話によるとここが「竜宮」への入り口なんだとか。
すぐ向こうにはロケットに跨ったツインテールの乙姫ちゃんが手を叩き風船ガムをぷーっと膨らませてゲヘヘと笑いながら待っておられるのでしょうかね?
それはさておき、大昔の海底火山の噴火による噴出物で構成されているというこの大岩は実に眼福です。
岩へ渡る橋とその下の浅海のコントラストも良し。

弁天岩の頂上から歩いてきた方向を望む
弁天岩の頂上から歩いてきた方向を望む、2008年5月撮影。

能生マリンパーク
能生マリンパーク内の海の資料館「越山丸」
白山神社と弁天岩に立ち寄りつつ、駅からプラプラ歩いておよそ50分で「能生マリンパーク」に到着、2008年5月撮影。
距離にして3km弱、寄り道せずに直行していれば35分程で歩けたのに。
そのツケがこのフネ、「海の資料館越山丸」見学の時間を取れなかったこと。
能生にある海洋高校の実習船が、退役後の余生を浮かぶ資料館として送っているのです。
こういうフネを見学できる機会は他に無いので、こちらもかなり心が動きましたなぁ.....
しかし筒石行のバスの時間も極めて切迫しているし、前述の歴史民俗資料館同様に見学断念。

マリンパーク近くの国道上のバス停から見える旧北陸本線のトンネル
マリンパーク近くの国道上のバス停から一枚、2008年5月撮影。
少々わかりにくいですが、信号の左上に旧北陸本線のトンネルが見えます。
この地を再訪することがあったら、それは有間川-浦本間の旧線跡徒歩踏破の道草でということになるでしょう。

2015年11月 1日 (日)

筒石駅(えちごトキめき鉄道・日本海ひすいライン)

本日の駅紹介は北陸本線・筒石駅

能生駅はこちらへ← →名立駅はこちらへ

筒石駅の駅名標

新潟県糸魚川市に所在する有人駅で、名立-能生間を結ぶ全長11,353mの頸城トンネル内にあります。
現在はえちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインの所属です。
開業は大正元年(1912年)12月16日で、名立-糸魚川間開通と共に開業しました。
当時の所在は西頸城郡磯部村で、当初は村の玄関駅であることから村名そのままの「磯部」としたかったそうです。
しかし「磯部」駅は群馬県下の信越本線に既に存在していたので已む無く断念、駅が所在する地名を取って「筒石」と命名したとの事です。
磯部村は昭和29年に周辺諸村と合併して新自治体・能生町となり、能生町は2005年に糸魚川市と合併してここ筒石の地は上越市と境を接する東端部になり、今日に至ります。

北陸本線・糸魚川-直江津間複線電化による新線建設に当たっては筒石駅も廃止の危機に見舞われて、この地区でも近隣駅地区と共に反対運動を展開、これにより国鉄当局も当初の長大トンネル案を撤回して現在のルートに落ち着いたのですけれど、当駅の
場合は頸城トンネルの必要上から明かり部分に駅を移転するのは不可能で、次善の策として全国的に極めて珍しいトンネル駅になったのは皆様ご存知の通り。

筒石駅駅舎
筒石駅駅舎の様子、2014年6月撮影。
駅移転時からの建物ですが、無骨な造りの名立駅舎に比べてあまり古さを感じさせません。
トイレは駅舎右側にあって男女別。

筒石駅駅舎内部その一
筒石駅駅舎内部その二
駅舎内部の様子、2014年6月撮影。
有人駅でかつこじんまりとしているだけに、清掃も行き届いています。
自動券売機はJR時代も設置されておらず、乗車券入場券は常に窓口で購入。

いささか古い数字で恐縮ですが、糸魚川市統計年鑑によると筒石駅の平成19年度年間乗車人員は20,739人で、単純計算すると一日平均約57人。
JR東日本の新潟県内区間と西日本区間の通算では、有人駅中最下位になってしまっていますけれど、当駅の場合有人なのは旅客営業上の必要性からではないので致し方ありません。
旧北陸線新潟県内区間の他駅との比較では、市振駅とほぼ同じで梶屋敷駅の約半分というところです。
能生町史によると、昭和55年度の当駅一日平均乗車人員は約171人で、27年間で2/3も減少してしてしまっています。

ちなみに上越、糸魚川両市の統計年鑑から算出した、旧北陸線新潟県内区間諸駅の平成19年度一日平均乗車ランキングは下記の通りです(直江津駅は除く)。

1位 糸魚川駅 1,123人(定期56% 非定期44%)
2位 能生駅     437人(定期77% 非定期23%)
3位 青海駅     221人(定期77% 非定期23%)
4位 名立駅     148人
5位 梶屋敷駅   107人(定期74% 非定期26%)
6位 筒石駅     57人(定期84% 非定期16%)
7位 市振駅     56人(定期80% 非定期20%)
8位 有間川駅    43人
9位 親不知駅    41人(定期63% 非定期37%)
10位 谷浜駅     32人
11位 浦本駅     19人(定期84% 非定期16%)

青春18きっぷで乗降する客をどのようにカウントしているのかはわかりませんが、この数字を見る限りにおいては、有名なトンネル駅というネームバリューも乗降の実数にはあまり反映されていないようです。
ただ当駅の場合、入場券やJR時代の赤い青春18きっぷの販売等があって、実収入は乗降の実数以上であったのは確実でしょう。

地上の駅舎と地下のホームを結ぶ階段
地下ホームへの通路
地上の駅舎と地下のホームを結ぶ階段と、ホームへの通路、2014年6月撮影。
旅番組では当駅に降り立ったタレントが、地上までの道中がキツいとしきりにこぼしていましたけれど、土合駅に比べればモノの数ではないと申せましょう。
ホーム出入り口から改札まで撮影しながら上がってきて所要4分というところです。
土合駅の場合はやはり撮影しながら登って10分はかかりますからね。

下りホームへの出入り口
地下の下り(直江津方面)ホームへの出入り口、2014年6月撮影。
風圧対策で引き戸は少々重いです。
ここで待っていると、列車が頸城トンネルに突入した轟音が早期に聞こえてきますから、撮影待ちのいい合図になったものです。

筒石駅構内の様子その一
筒石駅構内の様子その二
筒石駅構内の様子その三
筒石駅構内の様子その四
筒石駅構内の様子その五
頸城トンネル内の筒石駅構内、2014年6月撮影。
構内は典型的な千鳥配置ですが、撮影した画を見ると、駅名票無しではどっちがどっちやらさっぱりわからない始末(大汗)。
現在(2015年10月末)のところ、当駅に降り立った直近のこの日は通過する特急「はくたか」「北越」の動画撮影が目的で、入場券で構内に入り二時間ほど上下のホームを行ったり来たりしておりましたが、18きっぷオフシーズンの土曜日だからなのか、ご同業は皆無でしたなぁ。
この日に限らず私が当駅に降り立ったのは2004年から2014年の11年間で計6回のいずれも、18きっぷのオフシーズンの土日でご同業とは未遭遇。
新幹線や特急に揺られてはるばるここまで来る人は実は少数ってこと?

筒石駅に停車中の475系電車
筒石駅に停車中の413系電車その1
筒石駅に停車中の413系電車その2
いずれも過去帳入りの、筒石駅に停車する普通電車の面々。
上の国鉄交直流急行色475系電車は2012年6月、中の青一色の413系電車と下の北陸地域色413系電車は2014年6月撮影。
419系のマトモな画像を撮れず終いだったのが心残りです。

筒石駅を通過する特急「北越」
筒石駅を通過する特急「はくたか」
通過する特急「北越」と「はくたか」、2014年6月撮影。
私の機材と腕では闇の中を高速で通過する列車をマトモに捉えられるはずがなく、動画からのキャプチャ画像になります。

高台から見た筒石駅駅舎
地上に戻って高台から見た駅舎全景、2014年6月撮影。
ご覧のように、車数台の駐車スペースと駐輪場を有していますが、この日は車二台、自転車は無し。

筒石駅前の様子
海岸沿いの筒石集落へ至る道に足を踏み出しつつ、振り返って駅舎を撮影、2014年6月撮影。

筒石駅から海岸への道
駅から海岸への道中、2008年5月撮影。
当駅訪問の場合、何がキツいかと言ったらこの道の行き来です。
いい歳をしたオッサンの割にはそれなりの脚力を誇る私でも、この坂道は少々難敵。
距離は1km弱とさほどのものではないのですが、私の足では国道に下りるまでたっぷり10分はかかります。
日常的にジョギングや高速ウォーキングをして体脂肪率5%台の健常者のオッサンでもこんな調子ですから、年配の方は歩いて駅までなどかなり無理がありますな。

駅近くの北陸自動車道
海岸への道中で上に架かる北陸自動車道と切り立った山の壁面。
2008年5月撮影。
この地域の地形の峻険さがよくわかります。

海岸沿いの国道8号線と筒石漁港その一
海岸沿いの国道8号線と筒石漁港その二
海岸沿いの国道8号線と筒石漁港、2008年5月撮影。
集落の特に年配の方にとっては、鉄道よりも路線バスの方が遥かにバリアフリーで便利なのは確実で、事実、日祝運休の能生-直江津間の路線バスは労災病院発着で、年配者の通院の行き来に適したダイヤになっております。
能生-筒石間に限っては仙納線も使えますけれど、こちらも日祝は運休なので駅巡りに使えるのは実質土曜日のみです。

筒石地区の北陸本線旧線跡のサイクリングロード
北陸本線旧線跡のサイクリングロード、2008年5月撮影。
私が次に筒石駅を訪れるとしたら、このサイクリングロードを歩き通すついでにトキ鉄の気動車を撮影する時ぐらいでしょう。
私はウォーキングが趣味なので列車の待ち時間が長く他にする事も無い場合は駅間を積極的に歩くことにしているのですけれど、この旧線跡は谷浜-有間川間と能生界隈の一部しか歩いた事が無いのです。
機会を見て有間川-浦本間をぜひ歩き通してみたいところなのです。

筒石川橋梁跡その一
筒石川橋梁跡その二
旧線の遺構である、筒石川橋梁跡、2008年5月撮影。
この橋梁跡については予備知識無しで遭遇したので、まだこんなデカブツが残っていたのかと驚きましたなぁ。
周辺は整備されて遺構など残っていないので、古びた橋脚だけが鎮座ましましている光景は異様の一言。

筒石地区の日本海に沈む夕陽
初夏の夕暮れ、日本海に沈む夕日、2012年6月撮影。
昔の金曜ロードショーで流れていた、物寂しいトランペットの演奏が聞こえてくるようです。
これから盛夏を迎えるというのに、何故か晩秋のように感傷的になって夕映えの海をしばらく見てましたっけ。

2015年10月31日 (土)

名立駅(えちごトキめき鉄道・日本海ひすいライン)

本日の駅紹介は北陸本線・名立駅

筒石駅はこちらへ← →有間川駅はこちらへ

名立駅の駅名標


新潟県上越市に所在する無人駅で、現在はえちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインの所属です。
開業は明治44年(1911年)7月1日で、当時の所在は西頸城郡名立町でした。
同町はその後2005年に上越市に編入されて、上越市名立区となって現在に至ります。
開業当時は北陸本線が全通に至っておらず、名立駅は暫定的に直江津方からの終着駅になり、翌大正元年に本来の中間駅の姿に落ち着きました。

名立駅は町の玄関としての旅客機能に加えて、名立漁港から長野・富山方面への鮮魚の発送拠点として大きな役割を果たしていました。
名立町史によると、昭和40年度の当駅一日平均貨物発着トン数は約44トン。
発着といっても出荷超過で、その大半は鮮魚です。
それが僅か五年後の昭和45年度には、貨物は実に75%減の約11トンに激減。
漁獲量の減少もあったのかもしれませんが、これに大いに関係していると思われるのが、昭和44年10月1日に北陸本線複線電化に伴う内陸への駅移転です。
当初、国鉄は輸送力増強と合理化を兼ねて、浦本直江津間を長大トンネルで直接結ぶことを計画していたそうで、そうなれば能生、筒石、名立、有間川、谷浜、郷津の各駅は廃止されることになります。
当然のことながら、こんなラジカルな計画を沿線住民が受け入れるはずもなく、この町を含め各自治体で激しい反対運動を展開。
国鉄当局はこれに折れて、昭和39年に折衷案として海岸沿いの旧線から1km弱内陸の現ルートを提示。
反対派がこの案で妥協したことで、駅廃止は郷津駅のみにとどまり、駅の存続と移転が決定して今日の名立駅となったのです。
しかしこれまでは漁港至近に駅があって利便性が高かったのに、漁港からだと新駅まで1km以上ありますから相当な不便さを感じたことでしょう。
国道8号線は漁港の前を通っておりますので、国道の整備が進めばモータリゼーションが進展しつつあった当時にあっては、手間のかかる鉄道発送よりもトラック発送に切り替えるのは当然の成り行きと言えます。
かくて名立駅の一日平均貨物発着トン数は、オイルショック下の昭和49年にはたった6トン弱にまで減少。
翌年にはとうとう貨物取り扱いが廃止されてしまいました。

一方旅客はと言えば、貨物ほどの劇的な減少はないものの、昭和40年度の一日平均乗車人員700人弱から駅移転後の同45年には500人弱に減少。
その後もジリジリと減少を続け、当駅に停車する唯一の優等列車であった急行「ひめかわ」が廃止された昭和57年には300人台半ば。
上越市統計要覧からの推定では平成19年度のそれは150人弱。翌年には無人化されてしまいました。
特急電車が華やかに頻発運転される地方幹線のもうひとつの裏の顔の小典型と言えるのが、この駅の凋落ぶりなのです...。

名立駅駅舎
名立駅駅舎の様子、2005年6月撮影。
この時点ではまだ有人駅でした。
新駅移転時からの建物で、今年(2015年)現在で築46年。
トキ鉄の駅舎は年季が入ったモノが多いのですけれど、当駅を含めて改築をどのように行うかが自治体にとって頭の痛い問題になりそう。
トイレは駅舎の奥(画像右側)にあって水洗。
駅前広場は車5~6台が優に駐車できるスペースが確保されていて、往時はタクシーの常駐もあったのではと想像を逞しくするところ。
駅前の県道にはバス停があって、直江津駅南口と行き来できますが、残念ながら本数は少ないです。
なお路線バスで筒石、能生へ行きたい場合は、海岸沿いの国道8号線まで歩く必要があります。

名立駅舎内部その1
駅舎内部の様子、2008年5月撮影。
無人化直後の様子です。
有人時代の窓口営業は07:00~18:00で、窓口営業中は自動券売機の稼動を停止していました。
有人時代は駅員氏の物腰がソフトかつ丁寧で、好感が持てましたっけ。
直江津までのきっぷを求めたら、こちらが恐縮してしまうぐらいの接客態度で、某羽越線の現在は無人化された某駅の、客に最初からケンカ腰なオイコラ駅員とはエラい違いですw

名立駅無人化のお知らせの掲示
上の画像撮影時に張ってあった、名立駅無人化のお知らせ。

名立駅舎内部その2
こちらは駅舎内を改札側から見た様子、2012年6月撮影。
駅舎内は広い空間を確保しておりますけれどベンチの数は少なめ。
今となっては無意味な広さになってしまっていますな.....

名立駅舎内部その3
ホームへの地下通路から見た改札口周り、2012年6月撮影。

名立駅の下りホームその1
下り(直江津方面)ホームの直江津方から見た名立駅構内、2005年6月撮影。
当駅構内は上下両方向ともトンネルで似た風景なので、駅名票が映り込んでいない画像だと方向がわからなくなってしまうのです。

名立駅の下りホームその2
下りホームの直江津方端から先を見る、2005年6月撮影。
画像右側に上りホームが映っていますが、筒石方はこれとは反対に下りホームがトンネル直前まであります。

名立駅の下りホームその3
下りホームの中央部から直江津方を見る、2012年6月撮影。

名立駅の下りホームその4
下りホームの糸魚川方から見た構内全景、2005年6月撮影。
トンネルに挟まれた立地で長大な旅客ホームと通過線を有している様子は、どことなく山陽新幹線のローカル駅を想起させます。
優等列車が廃止されて今後設定される事もおそらく無く、完全に遊休化した当駅の通過線ですけれど、将来的にはポイントを撤去して使用不可にするのかはたまた上越線の
土樽駅のように、ホームを通過線まで張り出して使用するようにするのか?

頸城トンネルと接近する電車
下りホームの糸魚川方から全長11,353mの頸城トンネルと、接近する電車を見通す、2012年6月撮影。

名立駅の上りホームその1
上り(糸魚川方面)ホームの直江津方から見た構内全景、2005年6月撮影。
ホームのこの辺りは遊休化されて久しいのでしょう。
かつてはEF81型電気機関車牽引の長編成旧型客車列車がこのホームに停車していたのです。
「新・ドキュメント列車追跡No5」(鉄道ジャーナル社)を見ると、昭和57年2月時点の米原発長岡行523レは客車10両と荷物車1両でした。
通過線を有する当駅ですが、当時の時刻表から推測するにこの時点での普通列車の優等退避は無く、せっかくの設備も宝の持ち腐れ気味。
まぁダイヤが乱れた際には活用されたのでしょうけれど。
近年ではJR時代の最末期に、それまで能生駅で新潟行「北越」を退避していた夕方の下り普通列車が当駅で退避するように変更されていました。

それにしても、長大編成の客車列車が幅を利かせていた当時、日中ワンマン単行の気動車が行き来している現在の姿を、当時一体誰が想像できたでしょうか.....

名立駅の上りホームその2
上りホームの直江津方から先を見る、2010年5月撮影。

名立駅の上りホームその3
上りホームの糸魚川方から見た構内、2012年6月撮影。

名立駅の上りホームその4
上りホームの糸魚川方から頸城トンネルを見る、2012年6月撮影。

名立駅を通過する特急「はくたか」その一
下り通過線を疾走する北越急行所属車の越後湯沢行特急「はくたか」、2012年6月撮影。
私は鉄道車両、特にJR化後のソレについては疎いので、恥ずかしながら681系と683系の区別がつきません(大汗)。

名立駅を通過する特急「はくたか」その二
上り通過線を往くJR西日本所属車の金沢行特急「はくたか」、2012年6月撮影。

名立駅を通過する485系電車特急「北越」
上り通過線を走る485系電車T編成の金沢行特急「北越」、2012年6月撮影。
R編成も撮影したかったのですけれど、この日の二度の撮影機会はいずれもT編成で残念無念。
来年(2016年)3月ダイヤ改正で廃止されるのではと噂の、名無しの快速(新潟-糸魚川間)はR編成でしかも当駅に停車するので、マニアとしてはかなりグラリと来るのですけれど、私の住まいからでは現地で一泊しないと無理。
その為だけに泊まりでここまで来るのもアレですし、これまた残念無念かなぁ。
先日、当駅が所属する「えちごトキめき鉄道」ひすいラインに初めて乗車する機会があったのですけれど、国鉄仕様の長大なホームに単行の新ピカ気動車が停まる画は触手が全然伸びませんでしたし。
駅とその周辺はくまなく歩き回っているので、列車が行ってしまった後は何もする事なく暇過ぎる時間を持て余すのも確実。

名立駅に停車中の475系電車
上りホームに停車中の475系普通電車、2012年6月撮影。
455・475系電車の引退で、急行型車両も完全に過去帳入りです。

名立駅に停車中の413系電車
上りホームに停車中の上り413系普通電車、2010年5月撮影。
私が駅巡りを本格的に始めてこの駅に降り立った2004年当時は、413系は朝晩の糸魚川止まりで当駅にはまだ顔を出していませんでしたっけ。
引退した419系電車の後任として直江津口でもその姿を見れるようになってたったの五年程で、これまた過去帳入りです。

名立駅に停車中の419系普通電車その一"
下りホームに停車中の419系普通電車直江津行、2005年6月撮影。

名立駅に停車中の419系普通電車その二
春雨に煙る名立駅に停車中の419系普通電車、2004年4月撮影。
私がこの駅に初めて降り立った時の画です。
特急車時代そのままのシートピッチで快適だった419系でしたが、車内にゴミがやたら多いのには閉口しましたなぁ。
車内にあんなにゴミが散らかっているのは、JR東日本区間では三条・加茂界隈で高校生が乗降した後ぐらいです。

下りホーム上から見た名立川と北陸自動車道
下りホームから日本海へ注ぐ名立川と北陸自動車道の高架を見る、2010年5月撮影。
駅から海岸沿いの国道8号線までは1km弱といったところ。

上りホーム上かに見た名立川上流
上りホームから名立川上流を見る、2010年5月撮影。
こちら側はすっかり山間の風情。

海岸沿いの国道8号の様子
海岸沿いの国道8号の様子、2008年5月撮影。
旧町の中心街はこれといった店もなく、来訪者にとっては「うみてらす名立」を除けば画像左手のセプンイレブンが貴重な存在です。

うみてらす名立に立つ風車
名立地区の一大集客拠点「うみてらす名立」にニョッキリと屹立する風車、2008年5月撮影。
上越市は風力発電用の風車が多いのですけれど、落雷で頻繁に故障するのであまりうまくないという話を聞きます。
欧州でうまくいっている事例を取り上げて安易に「我が国も風力を盛んにしよう!」という論調は、その辺の気象条件もよくよく考えなければいけませんな。

名立崩れの痕跡
国道8号線を直江津方面に進むと、目的地の鳥ヶ首岬灯台が右手に見えてきます、2012年6月撮影。
灯台周辺の切り立った地形はは江戸時代寛延年間に起きた宝暦高田地震によって引き起こされた大規模な崩落「名立崩れ」の痕跡であります。
今から260年程昔の話です。

鳥ヶ首岬灯台の様子
鳥ヶ首岬灯台の様子、2012年6月撮影。

鳥ヶ首灯台直下から見た旧名立町の様子
鳥ヶ首灯台直下から見た旧町市街地の様子、2012年6月撮影。
当地域が日本海と山地に挟まれた極めて狭隘な地勢なのが実感できます。

2015年10月25日 (日)

上越妙高駅(北陸新幹線・えちこトキめき鉄道)

本日の駅紹介は、北陸新幹線及びえちごトキめき鉄道・上越妙高駅

南高田駅はこちらへ←妙高はねうまライン→北新井駅はこちらへ
糸魚川駅はこちらへ←北陸新幹線

上越妙高駅の駅名標

北陸新幹線の駅としては2015年3月14日に開業、在来線駅としては2014年10月19日に旧脇野田駅から移転して、北陸新幹線開業と同時にえちごトキめき鉄道に移管されて、同社妙高はねうまラインの「上越妙高」駅と改称して今日に至ります。

上越妙高駅東口駅舎
上越妙高駅の東口駅舎の様子、2015年10月撮影。
なお以後の画像の撮影日は全て同日であります。
あのクラシカルで郷愁を誘った脇野田駅舎に比べて、何と豪勢な造りでしょうか。
事実上の新駅ではありますが、日本広しといえど旧駅からここまでヴァージョンアップした駅もそうは無いのでは?

上越妙高駅東口駅前通りその1
東口駅前通りの様子。
旧駅時代同様、こちら側がメインストリートと呼べます。

上越妙高駅東口駅前通りその2
線路と平行する県道の様子。
旧駅時代からあった昔ながらのくすり屋さんが健在でした。
他は変わりすぎて浦島太郎の気分。
去年の訪問から一年と四ヶ月しか経ってないのに。

上杉謙信公の像
東口の外れのイベント広場に置かれていた、上杉謙信公の像。
うっかりしてると見落としてしまいそうな場所にあります。
謙信公といえば、ここ上越の地が生んだ最高最強の偉人。
もっと目立つ場所に置けばいいのにと、部外者の一見さんは感じるところであります。

上越妙高駅西口
上越妙高駅西口の様子。
駅名は東西とも「JR」表示でした。
旧来の駅前であった東口と異なり、こちらは駅建設までは一面の田圃だったところです。
こちら側にもタクシー待機はあるものの、メインはバスも乗り入れる東口で、西口は新幹線駅とは思えないほど閑散としておりま
した。
なお、トキ鉄よりも便数はかなり少ないものの、高田公園へ行くにはバスの方が便利です。

上越妙高駅西口全景
西口全景。
未だ各種工事をやっていて雑然とした東口界隈よりも、まだ未開発でスッキリしたこちら側からの方が、新駅の威容を把握できます。

上越妙高駅西口駅前通り
西口の駅前通り。
ご覧のようにまだまだこれからです。

踏切から見た上越妙高駅構内
駅の東西を渡る踏切から見たえちごトキめき鉄道上越妙高駅構内。
当駅止まりのE653系特急「しらゆき」とET127系が揃い踏み。
「しらゆき」はかつての「北越」から二両減車の四両になったので、かなり混むのではないかと思い念のため指定席で来ましたが、乗車率は50%ほどで快適な車内でした。
糸魚川を挟みつつ、直江津妙高高原間を行き来したこの日は210円を払って自由席にも乗りましたけれど、余裕で窓側に座れたのでちょっと拍子抜け。
繁忙期で無い限り乗り具合はこんなものなのかな?
新潟-上越地区間には2015年3月ダイヤ改正まで、「北越」自由席往復プラス新潟-長岡間は新幹線自由席利用も可という「えちご往復きっぷ」が発売されておりましたけれど、ダイヤ改正後は新幹線利用不可で値段四割増しの「しらゆきWきっぷ」に、あえて言うと改悪。
「くびき野」も廃止されてしまったので、新幹線に関係ない層は本数が少なく運行時間帯が偏っている「しらゆき」よりも、毎時一本運行の高速バスの利用なんですかね?

旧脇野田駅付近の旧線跡?
踏切を渡って少し歩いたこの辺りが、脇野田駅移転に伴い撤去された、高田方面に伸びる信越本線の旧線跡ではないかと思うのですが?
近くには商業施設建設予定地の看板が立っておりましたけれど、確か上越市の方針で当駅周辺には大規模な商業施設は出店させないはずではなかったかと。
当駅周辺が上越新幹線の燕三条駅界隈のような商業集積地になってしまったら、直江津や高田は完全に沈んでしまいますものね。
ひょっとして方針が変わったのでしょうか?

上越妙高駅内部その1
駅周辺を一回りして、再び駅に戻ってきて自由通路へ。
新幹線が発着しない時間帯はこんな感じですが、ひとたび列車の出入りがあれば相応の人の行き来があります。

「光のテラス」から見た周囲の風景
西口にある「光のテラス」から見た周囲の風景。
ウィキペディアには冬に撮影した画がありますけれど、冬の方が画になりますなやはり。

上越妙高駅内部その2
自由通路から見た、えちごトキめき鉄道の改札口。
閑散としていた旧駅と異なり、特に新幹線到着前後は賑わっておりました。

上越妙高駅内部その3
改札内から見た様子。

上越妙高駅内部その4
ホームへの階段と待合室。

上越妙高駅の島式ホームその1
新井方から見た上越妙高駅の在来線構内。
今風の島式ホームでこれといった特徴は無し。

上越妙高駅の島式ホームその2
ホーム端から新井方を見る。

上越妙高駅の島式ホームその3
橋上駅舎直下の直江津方から見た構内。
コントラストが大き過ぎて、この位置の撮影は夜間に限られますな。

上越妙高駅の島式ホームその4
橋上駅舎直下から直江津方を見る。
1番線の一線スルーがよくわかります。

上越妙高駅の島式ホームその5
夕刻のホーム中央部。
北陸新幹線と接続していない時間帯に人影は少なく、この辺は旧脇野田駅時代からの地元の需要が少ないことの表れです。

上越妙高駅を出発する特急「しらゆき」
1番線から出発する、JR東日本から乗り入れの新井行E653系特急「しらゆき」と、2番線で客待ち顔の臨時快速「越乃Shu*Kura」。

上越妙高駅で待機中の快速「越乃Shu*Kura」
北陸新幹線からの乗り継ぎ客はあまりおらず、首都圏や北陸での知名度はイマイチなのかもしれない「越乃Shu*Kura」でした。

上越妙高駅に入線した特急「しらゆき」
直江津方から入線した、当駅始発の特急「しらゆき」。
当駅終着の「しらゆき」は、到着後折り返すまでホームに据えつけておくのか?でもダイヤを見るとその間に普通列車の交換もあるし...と疑問に思っていたわけですが、何のことはない清掃要員が乗り込んだ後、直江津方面に回送されておりました。

到着したET127系電車
1番線に到着したえちごトキめき鉄道・はねうまラインの直江津行ET127系電車普通列車。
新幹線からの乗り継ぎ客で相応の混み具合です。
ラインカラーが青なのに少々驚き。
トキ鉄のET127系って、トキ鉄カラーとJR時代の緑ラインの二種類じゃなかったっけか?

上越妙高駅で列車交換する上下のET127系電車
JRカラーのえちごトキめき鉄道所属ET127系電車二連同士の交換。
当駅の乗り場については、新井方面は全便1番からになります。
直江津方面も基本的に一番ですが、列車交換時は2番になります。

上越妙高駅で列車交換する特急「しらゆき」と115系電車
上越妙高駅に停車中の115系電車快速
夜の2番線で出発を待つ新潟行特急「しらゆき」と、1番線に入ってきたJRから乗り入れてくる新潟発新井行の115系快速。
この快速は2015年3月まで走っていた485系快速「くびき野」の後身ですけれど、快適だった「くびき野」とは何もかもが違いすぎます...
JR東日本の115系運用もいよいよ終末段階に入ろうかというこの時期になって、150kmを越える長距離快速運用で一部のコアな方々を喜ばせたこの快速、二番線の「しらゆき」のすぐ後に新井折り返しで新潟行が来ますけれど、私はとてもソレに乗って新潟まで帰る根性はありませぬ。

上越妙高駅の新幹線改札口その1
ここからは北陸新幹線の上越妙高駅としてのご紹介。
自由通路から見た新幹線改札口の様子。
画像左側には「NEW DAYS」があります。
旧駅時代はコンビニ空白地帯だったこの地にも、ようやくコンビニが進出したのです。

上越妙高駅の新幹線改札口その2
改札内から見た改札口の様子。
こういう事を書くと、シャベツニダ謝罪汁とか粘着されそうですけど、このハングル表記はどーにかならんのかと。
何故そこまで彼らに阿る必要があるのかと、ホントに違和感バリバリ。
ハングルよりもフランス語やスペイン語の方が余程良いんじゃないの?

上越妙高駅の新幹線改札口その3
改札側からホームへの入り口を見る。

北陸新幹線・上越妙高駅構内の様子その一
北陸新幹線の上越妙高駅構内
北陸新幹線・上越妙高駅の二面四線のホームの様子。
新幹線の駅は規格化されていて面白味に欠けますが、ホームドアがあるとますますその感強し。
特に新幹線は安全対策上ホームドアの設置は必要不可欠だと思うものの、駅マニアとしてはうーむと思ってしまいますなぁ。

上越妙高駅に到着したE7系・W7系新幹線電車
面白味の無い駅構内に比べて、やはりE7系・W7系はカッコいいの一言!
当駅から隣の糸魚川駅まで一駅乗車してみましたが、「しらゆき」同様予想よりもずっと空いていていささか拍子抜けでした。
乗車したのは「しらゆき」から接続していない便だからなのか、それなりの乗車がある東京行と違って金沢行は当駅からの乗車数名。

2015年10月19日 (月)

南高田駅(えちごトキめき鉄道)

本日の駅紹介は、信越本線・南高田駅

高田駅はこちらへ← →脇野田駅はこちらへ
              →上越妙高駅はこちらへ

南高田駅駅名標その1
南高田駅駅名標その2

新潟県上越市に所在する無人駅で、現在はえちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインの所属です。
開業は昭和36年(1961年)12月10日で、えちごトキめき鉄道の駅としては、上越妙高駅を脇野田駅の改称として捉えれば、最も新しい駅になります。
開業当時の所在は高田市で、高田市は昭和46年4月に直江津市と合併して県内第三の都市・上越市となって今日に至ります。

南高田駅に関しては北新井駅同様に、駅設置の経緯についての資料が皆無でしたので推測の域を出ませんが、北新井駅同様に区間運転の気動車列車用としてではないかと思います。
当駅は高田駅との距離は僅か2km、脇野田駅へは1.7km。
客車列車を牽引する蒸機の加減速性能では、当駅に停車していては運転時分が伸びてしまって、かつ単線区間とあっては優等列車のダイヤにも影響を及ぼしかねませんしね。
高田-新井間の平坦直線区間に気動車が走るのであれば、その点も相当に緩和されるでしょう。

上越市統計要覧によると、平成19年度の南高田駅年間乗車人員は26万9900人。
単純計算すると一日平均約740人です。
上越市内所在19駅中、直江津、高田両駅に次ぐ第三位で上越市の官庁最寄りの春日山駅や、旧柿崎町の玄関口で特急停車駅の柿崎駅よりも多いのです。
無人駅の場合は発券データが正確に計上されない為に実態と相違する場合アリとの但し書き付きですけれど、あの駅の佇まいを見るに信じられない利用状況なのです。
この利用の多さは、至近にある高田商業高校の学生利用が効いているのは明らかで、土曜の午後に学生たちがホームにずらりと座り込んでいるのを見た時は驚きましたw。
あんな(行儀の悪い)列車待ちはそうそうお目にかかれるものではありません。
いわゆるDQ・・・もといヤンチャ系の学生が多いと壷の某スレでその名を轟かす加茂駅中条駅でもあそこまで酷くないですな。

南高田駅駅舎その一

南高田駅駅舎その二

南高田駅駅舎その三
南高田駅駅舎の様子、上は2013年5月、上は2004年9月、中は2013年5月、下は2016年9月撮影。
駅名板の昔の型からJR東日本定番型、そして現在のえちごトキめき鉄道型に移り変わっている以外は変わっていません。
開業以来の実用本位な建物です。
駅前の駐輪スペースには自転車が鈴なりで、当駅の利用状況を物語っています。

南高田駅駅舎内部
JR時代の駅舎内部の様子、2012年6月撮影。
画像奥には窓口跡らしきものがあるので、有人だった時期があったのではないかと推測するところです。
えちごトキめき鉄道移管後も、自動券売機が変わった以外は変化ありません。

駅舎のホーム側
駅舎のホーム側の様子、2004年9月撮影。
建物右端には男女兼用のトイレがあります。
内部は未確認なのですが、この時は故障に付き使用不可でした。

南高田駅のホームその1
棒ホームの直江津方から見た南高田駅構内、2013年5月撮影。
えちごトキめき鉄道移管後も駅名標が変わった以外は変わっていません。
駅舎は道路に近い直江津方に偏った位置にあります。

南高田駅のホームその2
同じ位置から直江津方を望む、2013年5月撮影。
元JRというよりは私鉄のような雰囲気です。

南高田駅のホームその3
ホームの新井方から見た構内、2013年5月撮影。
ホームの有効長は6両です。
2006年11月時点ではホーム上に駅名標が設置されていましたが、2010年5月に再訪した時には撤去されていて、えちごトキめき鉄道移管後もそのままです。

南高田駅のホームその4
ホーム端から新井方を望む、2013年6月撮影。
駅の両側は宅地です。

南高田駅に停車中のET127系電車
停車中のET127系電車直江津行、2016年9月撮影。
直江津-妙高高原間において、JR時代の115系電車や189系電車に変わる鉄路の新たな主役です。

南高田駅を出発したET127系電車
上越妙高駅に向けて加速するET127系電車妙高高原行、2016年9月撮影。

南高田駅を出発する485系電車快速「くびき野」
出発する485系電車T編成の新潟行快速「くびき野」、2012年6月撮影。
「くびき野」や「妙高」は当駅のホーム有効長一杯に停車するので、撮影のチャンスは停車直前もしくは発車直後。
しかし485系にしろ189系にしろ、快速や普通列車としてこの小駅に停車するなど、国鉄時代は考えられない話ですな。

南高田駅を出発する189系電車「妙高」
出発する189系電車長野行「妙高」、2013年5月撮影。
この時は日曜の午前中なのでホームに人気はありませんでしたが、最初に撮影を試みた土曜の午後は学生が鈴なりでとても撮影出来る状態ではありませんでしたな...

南高田駅に停車中の115系電車
停車中の長野色115系電車直江津行、2013年5月撮影。
このカラーの電車が当駅に停車する光景も、「くびき野」「妙高」共々過去帳入りになりました。

南高田駅を出発する115系電車
出発する新潟色の115系電車、2006年11月撮影。

駅至近の道路の様子
駅至近の道路の様子、2013年5月撮影。
この道を1km弱真っ直ぐ進むと、高田市街地へ至る県道に出ます。

2015年10月18日 (日)

高田駅(えちごトキめき鉄道)

本日の駅紹介は、信越本線・高田駅

春日山駅はこちらへ← →南高田駅はこちらへ

高田駅の駅名標その1
高田駅の駅名標その2

新潟県上越市に所在する有人駅で、現在はえちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインに所属しています。
開業は明治19年(1886年)8月15日。
新潟県内初の鉄道が関山直江津間開通と同時の開業で、関山、新井、直江津の各駅と共に新潟県内最初の鉄道駅であります。

高田駅の開業は明治憲法下での町村制が施行される以前の話なので、高田藩15万石の城下町であったこの地域は多数の自治体に細分化されていて、高田駅の当時の所在は地元民ではない私には判断しかねるのですけれど、ともかく高田地域は明治22年の
町村制施行により中頚城郡高田町になります。
市制を施行したのは明治44年で、新潟県では新潟市、長岡市に続く三番目という流石は譜代藩の後身というべきでしょう。
この街は戦後に至るまで県内第三の都市として、上越地方の中心的存在でしたが昭和46年に隣接する直江津市と合併して新自治体「上越市」となり今日に至ります。
ウィキペディアを見ると合併当時の両市の人口は直江津約四万五千に対して高田は約七万五千。
直江津駅と高田駅周辺を歩くと、元々の人口規模の差は現在でも明らかで、駅前商店街の規模は後者が圧倒しています。

JR東日本によると、高田駅がJR所属時代の2013年度一日平均乗車人員は2,410人でJR東日本新潟支社管内有人75駅中18位。
越後線・巻駅と同レベルになります。
3位の六日町駅と6位の犀潟駅は北越急行ほくほく線の通過旅客もカウントした大幅水増しなので、当駅は実質的に16位ということになります。
この利用状況ゆえか、えちごトキめき鉄道に移管される駅の中では起点の直江津駅を除けば唯一自動改札機が設置されていたのが当駅でしたけれど、移管に伴って撤去されてしまい、有人改札に逆戻りしてしまったのです。

高田駅駅舎
高田城をモチーフにした高田駅駅舎、2010年5月撮影。
建築財産票を見つけられなかったので、完成年月日は不明なのが実に遺憾でした...。
資料を色々当たると、駅舎は昭和27年に県内初の鉄筋コンクリート製駅舎として完成とあったので、その駅舎をリニューアルしたのが今日の姿ということなのでしょうか?

高田駅前
雁木通りをモチーフにした駅前の様子、2010年5月撮影。
実際の駅の規模は地方中規模都市のそれで特段大きいわけではないのですが、ここを見た限りでは大駅と錯覚しそうな威容です。

高田駅駅舎内部その1
1番ホームから見たJR時代の駅舎内の様子、2010年5月撮影。
向かって左手に待合室とNEWDAYSがあります。
訪問時には駅至近にコンビニやスーパーはありませんでしたから、駅ナカのNEWDAYSが唯一の買い物スポットでした。
待合室内のベンチは16脚で、訪問したいずれの日もお年寄りで満席といった具合。

高田駅駅舎内部その2
現在の駅舎内部の様子、2015年10月撮影。
えちごトキめき鉄道移管に伴い撤去された自動改札撤去跡には、昔の改札風の木製の柵が設置されています。
それ以外は大きな変化無し。

高田駅の1番ホームその1
1番ホーム(妙高高原方面乗り場)の駅舎と跨線橋周り、2012年6月撮影。
以前の跨線橋はホーム直江津方の端に設置されていましたが、駅設備のバリアフリー化事業に伴って改札口近くにエレベーター併設の新跨線橋が2010年に作られました。
それに伴い古びて味のある旧跨線橋は解体されています。

高田駅の1番ホームその2
1番ホームの直江津方から見た高田駅構内、2012年6月竣工。
189系「妙高」の指定席車乗車案内板に注目。

高田駅の1番ホームその3
1番ホームの改札口付近から直江津方を望む、2012年6月。

高田駅の1番ホームその4
1番ホームの新井方から見た構内、2012年6月撮影。
画像右手に貨物ホーム跡が見えます。
当駅の貨物取り扱いは国鉄末期の昭和59年に廃止されました。

高田駅の1番ホームその5
1番ホーム端手前から新井方を望む、2012年6月撮影。

新跨線橋上から見た構内その1
新跨線橋上から構内の新井方を望む、2014年6月撮影。

新跨線橋上から見た構内その2
同じく構内の直江津方を望む、2014年6月撮影。

旧跨線橋上から見た構内
旧跨線橋上から直江津方を望む、2010年5月撮影。

高田駅の島式ホームその1
2番ホーム(直江津方面乗り場)の新井方から見た構内、2010年5月撮影。
画面奥に旧跨線橋がチラリと映っています。

高田駅の島式ホームその2
高田駅の島式ホームその3
3番ホームの様子、2010年5月撮影。
当駅では定期列車は1、2番線を使用していて、三番線は当駅折り返し用になっておりますけれど使用されるのは稀です。
かつて当駅発着だった特急「みのり」はこのホームで折り返していたのでしょう。

高田駅の島式ホームその4
島式ホームの新跨線橋近くの様子、2012年6月撮影。
前述したように、跨線橋は従来のホーム端から中央部近くに移設されました。
ベンチは3番線に背を向けているあたり、3番ホームの使用頻度を当局がどのように考えているのか推察できそうです。

高田駅の島式ホームその5
島式ホームの直江津方端部の様子、2012年6月撮影。
今は更地になっているホーム先端部に旧跨線橋は建てられていました。

特急「しらゆき」の乗車口案内板
特急「しらゆき」の乗車口案内板、2015年10月撮影。
皮肉にも、えちごトキめき鉄道移管に伴って当駅発着の特急列車が12年と三ヶ月ぶりに復活することになりました。

直江津方踏切から見た旧跨線橋時代の高田駅構内
直江津方踏切から見た旧跨線橋時代の構内、2010年5月撮影。
ホームと旧跨線橋の位置関係がよくわかります。

直江津方踏切から見た新跨線橋完成後の構内
同じ位置から新跨線橋完成後の構内を見る、2013年5月撮影。
以前と異なり、現在はこの位置からの構内撮影が良い感じになりました。

新井方踏切から見た高田駅構内
新井方の踏切から見た構内遠景、2010年5月撮影。

高田駅を出発する485系電車快速「くびき野」
2番線から出発する485系電車T編成の新潟行快速「くびき野」、2014年6月撮影。
上越地区から帰宅する際は、繁忙期以外はガラガラの「くびき野」指定席でマッタリと殿様気分が私のささやかな楽しみでしたけれど、これも思い出の彼方。
現在の特急「しらゆき」は特に帰路、時間帯が偏っていて不便なのよね。
その点高速バスだと新潟まで2000円で特急料金よりも安いし本数も多いから、「くびき野」が走っていた時には全くノーマークだったのが俄かに帰宅の有力選択肢になっているのです。

高田駅に到着した国鉄特急色の189系電車「妙高」
2番線に到着した国鉄特急色の189系電車直江津行「妙高」、2014年6月撮影。
最後に「妙高」を撮ったのがこの日で、この後赴いた関山二本木、新井、脇野田各駅でもやはり国鉄特急色の「妙高」でした。

高田駅で列車交換する189系電車「妙高」と115系電車
高田駅で交換する直江津行189系電車「妙高」と115系電車長野行、2013年5月撮影。

高田駅で列車交換する115系電車
115系電車の長野行と直江津行が列車交換中、2012年6月撮影。
この光景も過去帳入りになりました。

高田駅を出発する485系電車の普通列車
1番線を出発する「くびき野」送り込みの485系電車T編成普通列車新井行、2014年6月撮影。
指定席とグリーンは締め切り扱いでした。

高田駅に入線する快速「越乃Shu*Kura」
使用頻度の少ない3番線に発着する、快速「越乃Shu*Kura」の入線の様子。
2014年6月撮影
酒には強いものの日本酒は苦手な私は悪酔いしそうですが、車中で地酒を振舞われるという金土休日運転の気動車列車です。
しかし私はこの手の列車には全く興味ナシ。
磐越西線の「ばんえつ物語号」や羽越線の「きらきらうえつ」もそうなのですけれど、列車に乗る事そのものがコンセプトのような、日常活動に立脚していない列車には魅力を感じないのです。
北陸新幹線開業のダイヤ改正で、この列車は上越妙高駅発着に変更になったので、当駅3番線が運用されることもまた稀になったのでしょうね。

高田駅に停車中のE653系電車特急「しらゆき」
ほくほく線からの直通列車と交換するE653系電車新潟行特急「しらゆき」、2015年10月撮影。
秋の快晴の逆光気味がツライです...

高田駅を出発するE653系電車特急「しらゆき」
2番線を出発するE653系電車特急新潟行「しらゆき」、2015年10月撮影。
午前中の撮影は、ホーム新井方にポジションを取る方が良いです。

高田駅に到着したE653系電車特急「しらゆき」
1番線に到着した午後の上越妙高行E653系電車特急「しらゆき」、2015年10月撮影。

高田駅で列車交換するET127系電車
えちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインの主力車両ET127系電車の普通列車が列車交換中、2015年10月撮影。
この三月まで私の住まいの駅では当たり前の存在だったこの電車。
走っていた頃は空気みたいな存在でしたけれど、半月強経ってこの上越の地で再会すると懐かしさがこみ上げてまいりました。
ちなみに二連の場合は乗り降りに便利なように跨線橋近くに停車するので、撮影の際はホーム直江津方先端部に位置するのがベストかと思います。
そうなると順光で撮影出来る時間は限られてしまうのですが。

高田駅前通り
駅前通りの様子、2010年5月撮影。
前述したように当時駅至近にはスーパーもコンビニも無く、唯一集客力のあったデパート「大和」もこの撮影日の前月に閉店してしまいました。

高田城三重櫓
駅から2kmほど東にある観光スポット「高田公園」。
かつての高田城跡に作られた公園で、日本三大夜桜に数えられる桜の名所でもあります。
花見の時期には新潟-高田間に特急車両使用の臨時快速列車が運行されております。
画像は復元された高田城三重櫓、2010年5月撮影。

三重櫓上から見た風景
三重櫓上から見た風景、2010年5月撮影。
実はもっと雄大な景観を期待していたので、この見通しの悪さは少々残念。

高田公園内の堀とその先の山々
公園内の堀とその先の山々、2010年5月撮影
三重櫓上よりはこちらの風景の方が、私的には良いですな。

旧帝国陸軍第13師団師団長官舎その一
旧帝国陸軍第13師団師団長官舎その二
旧帝国陸軍第13師団師団長官舎その三
高田公園から少々遠回りして駅に戻る道すがらにある、
旧帝国陸軍第13師団師団長官舎、2010年5月撮影。
見学は無料で、訪問時の開館時間は午前9時から午後4時半。
明治時代のモダンな建築を仔細に観察できます。
師団関連の資料を充実させて有料にすればいいのにと、部外者は思うところであります。

2015年10月13日 (火)

北新井駅(えちごトキめき鉄道)

本日の駅紹介は、信越本線・北新井駅

新井駅はこちらへ← →脇野田駅はこちらへ
              →上越妙高駅はこちらへ

北新井駅の駅名標


新潟県妙高市に所在する無人駅で、現在は第三セクター「えちごトキめき鉄道」の所属です。
開業は昭和30年(1955年)7月15日で、当時の所在は新井市でした。
新井市は2005年4月1日をもって周辺町村を編入し、新自治体「妙高市」となって現在に至ります。

北新井駅の場合、駅設置に関する資料が文字通り皆無でしたので、私の全く個人的な推測になってしまうのですが、当駅開業には多分に「ガスカー」(気動車)の本格的運行開始との関係が大きいのではと思っております。
鉄道ピクトリアル・アーカイブセレクション13を見ると、当駅が開業した昭和30年当時は、信越線柿崎-新井間が気動車の区間運転になっています。
旅客列車が客車列車の場合、特に蒸機牽引の場合は機関車の加減速性能の関係で短い駅間距離は不得手です。
それが気動車列車となれば随分と緩和されるので、それまでは営業的には多少の需要はあっても運転上の問題で設置を見送っていた小駅設置も可能になったのではと。
新潟県内では磐越西線の東新津駅北五泉駅が、気動車列車の区間運行進展に伴う停留所として新設されていますし、当駅や南高田駅もそれと同じ事象ではないかと推論を立てています。
両者とも都市近郊という点で共通してもおりますし。

北新井駅駅舎
北新井駅駅舎はこのように小さいものです、2009年7月撮影。
駅開業以来の建物です。
トイレは画像右側の別棟で、男女兼用の模様。
確認はしていませんが、佇まい的にかなりアレそうでした。
近年はトイレの改善が進み、こんな駅にこんな綺麗なトイレが!と驚くことがしばしばあるのですけれど、当駅の場合はどうでしょうか...?
最後に訪問した2012年6月段階ではその点を確認しなかったのが我ながら残念無念。

北新井駅駅舎内部その1
北新井駅駅舎内部その2
駅舎内部の様子、2009年7月撮影。
内部は純粋に待合室のみの機能で、かなり年季が入っています。

駅舎のホーム側
駅舎のホーム側の様子、2004年9月撮影。
この薄緑の配色はどういう経緯だったのか?
厳冬期の視認性を考えると、もっと派手な色使いにした方が良いのではとシロウトは考える次第。
屋根の許容積雪量は250cmで、剛健そのものであります。

北新井駅のホームその1
ホームの新井方から見た北新井駅構内、2012年6月撮影。
6両対応の短く簡素なホームです。

北新井駅のホームその2
ホーム端から新井方を見通す、2012年6月撮影。
ここから見ると幹線らしさが感じられず、かつて長編成の特急「白山」や「あさま」が走っていたのがなかなかピンと来ないのです。
架線柱以外は越後線の内野以西と似た感じですし。

北新井駅のホームその3
ホームの直江津方から見た構内、2004年9月撮影。
駅舎の位置は直江津方に偏っています。

北新井駅のホームその4
ホーム端から直江津方を見通す、2012年6月撮影。
当駅前後は直線区間になっていて、見通しは良好です。

踏切から見た北新井駅
直江津方の踏切から見た構内、2012年6月撮影。
全てにおいてシンプルな駅ですが、人跡稀な田舎の小駅ではなく周辺には人気があります。

北新井駅に到着する485系電車快速「くびき野」、
到着する485系電車T編成の新潟行快速「くびき野」、2012年6月撮影。
「くびき野」は2010年に大半の列車がそれまで通過していた当駅と南高田駅に停車、189系「妙高」と共に乗車券や定期券だけで日常的に特急車両を利用できるようになりました。
普通列車と言えば115系電車やキハ40系気動車が大半の身にとっては、実に羨ましい話なんでありました。

北新井駅を出発する189系電車の「妙高」、
出発する189系電車の直江津行「妙高」、2009年7月撮影。
特急「あさま」に運用中の頃は、こんな小駅なぞ一瞥もくれずに通過していたというのに。
なんだか都落ちの哀れさを感じてしまうのですよ。

北新井駅に到着した115系電車
到着した115系電車の上り普通列車、2012年6月撮影。
かつては当たり前だった115系普通列車が当駅に停車する光景も、えちごトキめき鉄道移管後は新潟-新井間の名無し快速が一日二往復だけになりました。

北新井駅前
駅前の様子、2008年5月撮影。
駅周辺は宅地と農地が混在する長閑な風景。
鉄道の利便性は比較的高く、また国道も通っていることから宅地としての発展性は大きいと思うのですけれど、妙高市新井地区の人口規模から見てあえて開発するだけの需要は無いのかもしれません。

北新井駅至近の国道292号線
北新井駅至近の国道292号線の様子、2009年7月撮影。
駅からくだんの踏切を渡り300m程進むと行き当たる国道沿いにはロードサイドショップがそこかしこにあって、寂れて人通りも少ない新井駅前商店街とは比較にならない賑わいよう。
地方においては最早駅前では無く道沿いが完全に商業の中心になってしまっている小典型であります。

2015年10月12日 (月)

妙高高原駅(えちごトキめき鉄道)

本日の駅紹介は信越本線・妙高高原駅

関山駅はこちらへ← →黒姫駅はこちらへ

妙高高原駅駅名標その1
妙高高原駅駅名標その2

新潟県妙高市に所在する有人駅で、現在は第三セクター「えちごトキめき鉄道」の管轄で「しなの鉄道」が乗り入れています。
開業は明治21年(1888年)5月1日で、当時の駅名は「田口」。
現駅名に改称したのは昭和44年(1969年)10月1日。
当駅は新潟県内の鉄道駅では上越線・土樽駅に次ぐ標高の高さ(510m)を誇り、高原の名に相応しい立地であります。
開業時の田口という駅名は、当時の駅所在地が中頚城郡妙高村田口であったことに由来しています。
なお、こちらの妙高村は、隣の関山駅が所在していた妙高村とは異なり、明治34年に周辺諸村と合併して「名香山村」となり、戦後の昭和30年に「妙高々原」村に改称。
さらに隣接村と合併して町制を施行、昭和44年に「妙高高原町」に改称という経緯を辿ります。
妙高高原町は温泉と冬季レジャーでその名を広く知られる存在でしたけれど、平成の大合併では新井市に編入される形で新自治体「妙高市」の南部地域となって今日に至ります。
さてこの地に鉄道を敷設するにあたって、当局は駅予定地として北国街道の宿場がある関川地区を考えていたのですが、鉄道が敷設されては街道の機能が低下し宿場が廃れるという極めて保守的な理由から地元の反対に遭い、已む無く現在地で開業という成り行きに。
しかし鉄道が開業すると、客貨共に輸送は全面的にシフト。
宿場が廃れるからと反対して駅設置を阻止したというのに、逆に駅が置かれなかったせいで一気に廃れてしまったそうです。
鉄道の有用性がまだまだ認知されていない山間地域であったとはいえ、時流に乗らない代償は極めて高くついたわけです。
こうした経緯で開業した田口駅でしたが、周辺人口が少ないのと観光も赤倉温泉以外はまだまだ未開発だったこともあり、戦前は温泉に加えて陸軍の演習場が近くにある隣の関山駅の方が賑わっていたそうです。
しかし戦後の周辺リゾート・レジャー開発でそれも逆転。
上野からの優等列車が続々停車する信越本線の主要駅へと変貌していったのです。

手元にある昭和55年10月改正ダイヤの時刻表を見ると、当駅発着対上野の優等列車の時刻は下記の通り。

 

下り
急行越前     福井行  01:58
2321レ    直江津行 06:19
(長野まで急行妙高6号)
急行妙高1号   直江津行 10:55
急行妙高3号   当駅終着 12:43
特急白山1号   金沢行  13:13
特急白山3号   金沢行  15:11
特急白山5号   金沢行  18:42
急行妙高5号   直江津行 19:54
特急あさま15号 直江津行 20:40

上り(全列車上野行)
急行越前    福井発  01:35
特急あさま6号 直江津発 08:02
特急白山2号  金沢発  09:55
急行妙高2号  直江津発 11:31
特急白山4号  金沢発  12:55
急行妙高4号  当駅始発 13:25
特急白山6号  金沢発  16:54
急行妙高6号  直江津発 17:14
2322レ   直江津発 22:38
(長野から急行妙高10号)

優等列車はその他に、新潟-名古屋間の急行赤倉1往復、新潟-上田間に急行とがくし2往復が停車していて、実質21往復。
信越本線長野-直江津間の当時の優等列車全てが停車する駅は、高田駅とここ妙高高原駅。
特急白山は通過する新井駅よりも、当駅の方がランクは高かったのです。
なお当駅発着の普通列車は上下18本で、普通よりも優等の方が運転本数の多い地方幹線の小典型でもありました。

JR東日本によると、妙高高原駅がJR所属時の2013年度一日平均乗車人員は373人。
JR東日本新潟支社管内有人75駅中59位で、信越本線・安田駅と同レベル。
至近の高校の通学生メインで観光要素皆無の安田駅と同等の数字は、周辺人口が少ない事に加えて観光需要の大幅減退ぶりを冷徹に物語っているようです。
ウィキペディアによれば、2000年度は644人。
長野新幹線開業後でもこの数字ですから、開業以前に上野から特急「白山」「あさま」で直接来れた頃はさらに多かったのは確実なのです。

妙高高原駅駅舎その1
妙高高原駅駅舎全景、2009年7月撮影。
平屋の横長な駅舎は昭和38年12月の完成。
現在の利用実態では無意味に大き過ぎます。
築半世紀を越えてもおり、近い将来に改築になるのでしょうけれど、その時はずっとこじんまりした建物になるのは必至かと。

妙高高原駅駅舎その2
駅舎出入り口の様子 2004年4月撮影。
名にしおう豪雪地帯の駅ゆえに、屋根の厚さが目を引きます。
出入り口の佇まいは正調国鉄型。
タクシー数台が常に待機しているのは、かつて栄えた観光拠点駅の確かな余韻であります。

妙高高原駅駅舎内部その1
妙高高原駅駅舎内部その2
駅舎内部の様子、2009年7月撮影。
昔懐かしい「みどりの窓口」の案内板も、えちごトキめき鉄道に移管と同時に無くなってしまったようです。
下の画像撮影の時点ではキオスクが健在でしたけれど、一昨年(2013年10月)に訪れた際には撤退してしまっていました。

妙高高原駅の1番線その1
1番線の長野方から見た妙高高原駅構内、2013年10月撮影。
かつてはこのホーム長一杯に、食堂車付きの12連「白山」が停車していたのです。
上越線の越後湯沢駅と並ぶ、実に寂寥感溢れる眺めなのであります、兵どもが夢の後...。

妙高高原駅の1番線その2
1番線端から長野方を見る、2013年10月撮影。
この先の急勾配が一見してわかります。

妙高高原駅の1番線その3
1番ホームの上屋下、2013年10月撮影。
日曜の昼下がり、間もなく列車が到着するというのに客の影もありません。

妙高高原駅の1番線その4
1番ホームの直江津方から見た構内、2013年10月撮影。
右側に貨物ホームと側線が見えますが、当駅の貨物取り扱いは昭和53年6月に廃止。
観光拠点駅として賑わってはいても、地元の物流量は町の規模(人口一万人未満)に相応しいレベルでしかなかった証なのでしょう。

妙高高原駅の1番線その5
1番ホーム端から直江津方を見る、2013年10月撮影。

妙高高原駅の跨線橋
跨線橋内部の様子、2013年10月撮影。
当駅のかつての賑わいの生き証人が、この通路の広さと言えましょうか。
中央に見える案内板は、かつての優等列車の残照であった189系電車使用の普通列車「妙高」の乗車案内です。

跨線橋上から見た構内その1
跨線橋上から構内の長野方を見る、2013年10月撮影。
駅舎の屋根同様に、ホーム上屋も頑丈な造りなのが観察できます。

跨線橋上から見た構内その2
同じく構内の直江津方を見る、2013年10月撮影。

妙高高原駅の島式ホームその1
2番ホーム端から直江津方を見る、2013年10月撮影。
随分前に廃止された「シュプール号」の名残が未だ残存。
三セク化された今でも残っているでしょうか?...
なお2番ホームはJR所属当時は当駅折り返し用で、2013年10月時点では長野行が三本、直江津行が一本発着しておりました。
三セク移管後はしなの鉄道・北しなの線用になっているとの事。

妙高高原駅の島式ホームその2
3番ホームの直江津方から見た構内、2013年10月撮影。
JR時代は長野方面行だった3番線は、三セク移管後えちごトキめき鉄道・妙高はねうまライン用になっているとの事。

妙高高原駅の島式ホームその3
3番ホームの長野方から見た構内、2013年10月撮影。

妙高高原駅の島式ホームその4
島式ホーム跨線橋出入り口付近の様子、2013年10月撮影。
えちごトキめき鉄道移管後の当駅は2番に長野方面、3番に直江津方面の列車が発着して乗り換えの手間を極力廃して、、しなの鉄道とえちごトキめき鉄道が相互乗り入れを実施していない現状を出来る範囲でカバーしています。

「妙高」指定席車乗車表示板
3番ホームの「妙高」指定席車乗車表示板、2004年4月撮影。
私は「妙高」の指定席乗車体験が無いのですが、いつ覗いても見事なまでにガーラガラでしたな...
繁忙期のピーク時以外はそれが常態だったようです。
長野駅で新幹線から乗り継ぐ人も、指定料金は乗り継ぎ割引の適用外ですから有り難味も無いでしょうし。
自由席からして、私の乗車経験では概ね乗車率五割切ってる感じでしたしね。
三連115系が常に混んでいて、途中駅からの乗車ではまず座れなかったのとは好対照でしたっけ。
2013年10月に直江津駅から当駅まで乗車した際は、新幹線開業以前にここまで来る事は無いだろうからと、最後に一度指定に乗ってみたかったのですけれど、直江津駅の指定券自動券売機では「妙高」の指定券が買えない!
窓口はジジババが旅行センター代わりにベチャクチャしていていつ買えるか判らないし、まぁええわと断念してそれっきりでしたなぁ。

臨時改札口?の跡
かつては観光客で賑わった妙高高原駅の賑やかさの余韻の一つか? 臨時改札口?の跡。2013年10月撮影。
団体さんはここから外に出て送迎バスに乗り込んでいたのでしょうか?
上部の白紙の案内板っぽいのは、旅館やホテルの案内掲示跡?

妙高高原駅に到着した189系電車「妙高」
1番線に到着した189系電車の直江津行「妙高」、2009年7月撮影。

妙高高原駅を出発した189系電車「妙高」
3番ホームを出発した189系電車の長野行「妙高」、2013年10月撮影。

妙高高原駅に到着した115系電車その1
3番線に到着した115系電車長野行、2004年4月撮影。

妙高高原駅に到着した115系電車その2
1番線に到着した115系電車直江津行 2013年10月撮影。

妙高高原駅前
駅前の様子、2009年7月撮影。
撮影時点では駅前にみやげ物店が三軒と食堂二軒と喫茶店一軒という具合。
付近にはさらにヤマザキショップと食堂が各一軒。
駅は周辺観光地へ向かうバスやタクシーと鉄道の結節点としての役割です。

妙高高原駅前通り
駅前通りの様子、2009年7月撮影。
画像中央に小さく映っているのが妙高高原駅です。
駅から6分ほど歩いた先がこんな感じです。
民家と小さな個人商店が混在していて、集客力のある店舗は皆無でした。

えちごトキめき鉄道移管後は直江津-長野間直通運転も無くなり、観光客は恐らく新幹線長野駅からバスで現地へ直行。
長野県側のしなの鉄道との乗り換え・運行拠点としての機能しか見出せなくなってしまいそうなこの妙高高原駅。
新幹線金沢延伸の陰で寂れる並行在来線の象徴のような駅ですが、時間があればぜひ一度降り立って、過去の栄光の日々に思いを馳せていただきたく存じます。
どう頑張っても後ろ向きの事しか言えないのが遺憾なのですが、他にどうしようもないじゃないの...

2015年10月18日追記
先日、えちごトキめき鉄道移管後の妙高高原駅を実見してきました。

妙高高原駅駅舎その3
第三セクター「えちごトキめき鉄道」移管後の駅舎正面の様子。
駅名板は当然のことながら、えちごトキめき鉄道のそれに変更。

妙高高原駅駅舎内部その3
えちごトキめき鉄道移管後の駅舎内部の様子。
みどりの窓口表示が無くなった以外は、JR時代とさしたる変化は無し。
土曜夕刻ですが、人気無くガランとしてました。

妙高高原駅で待機中のET127系電車
3番線で折り返し待機中の、えちごトキめき鉄道所属ET127系電車。
前述したように当駅の乗り場はJR時代と異なっていて、2番がしなの鉄道専用、1番と3番がえちごトキめき鉄道専用です。
ただし、1番が使用されるのは一日四回のみ。
2015年12月訪問時点では、発車時刻は07:11、09:33、18:34、20:33です。

妙高高原駅に到着したしなの鉄道の115系電車
2番線に到着したしなの鉄道北しなの線所属の115系電車。
こちらは三連ですが、ガラガラなのはえちごトキめき鉄道ET127系と同様。

妙高高原駅で待機中のしなの鉄道の115系電車
跨線橋上から見た、折り返し待機中のしなの鉄道所属115系電車。

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