大沢駅(上越線)
本日の駅紹介は上越線・大沢駅。
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新潟県南魚沼市に所在する無人駅で、開業は昭和24年(1949年)5月28日。
開業当時の所在は南魚沼郡塩沢町で、同町は平成の大合併の号令によって近隣町村と合併して市制を施行し、新自治体の南魚沼市の一部となり今日に至ります。
さて大沢駅の前身は、戦時下の昭和18年秋に開業した大沢信号場です。
上越線の塩沢-石打間の距離は7km強あって、単線時代の決戦輸送力強化に必要な施設として、両駅のちょうど中間にあるこの地に信号場が作られたのです。
戦後は日本各地で戦時中に作られた信号場の駅昇格が盛んに行われて、大沢信号場も早期の駅昇格を果たしています。
石打郷土史によると、早期の駅昇格に当たっては駅周辺の集落によって大正15年に設立された大沢駅設置期成同盟会の運動の成果が大きかったとの事で、普段からの地道な活動が大きな大輪の花を咲かせたのです。
同史によると、昭和31年の当駅一日平均乗車人員は349人。
駅に配置された国鉄職員は保線区、通信区の派出所要員も含めて24名。
現在の駅の佇まいからは信じがたい人数です。
かつての鉄道が、いかに労働集約型産業であったかを物語る数字なのであります。
大沢駅駅舎の様子、上は2013年6月、下は2004年9月撮影。
建築財産表によると昭和54年12月8日の完成。
許容積雪量は3mで、流石は豪雪地帯の駅舎です。
色合いこそ違いますが、同時期に改築された信越本線の上下浜駅などと共通したデザイン性で、当時の流行り(と言ってよいのかどうか)はこんな形だったのでしょうかね。
駅前通りの様子、2013年6月撮影。
画像右側の道を下っていくと上越国際スキー場前駅に行き着きます。
周辺は半農半住な地域で、コンビニ等はありません。
駅舎内部の様子、2014年5月撮影。
内部にはベンチが6脚設置。
画像右奥はかつての窓口で、駅舎改築当時は当駅のような小駅でも有人体制を維持することを前提とした設計だったのです。
駅舎の構内側の様子、2013年6月撮影。
トイレは画像からは切れていますが、建物の向かって左側にあります。
当時は男女共用でした。
上りホーム(水上方面乗り場)の水上方から見た大沢駅構内、2013年6月撮影。
当駅は複線上の2面2線です。
上りホームの水上方から先を見通す、2013年6月撮影。
跨線橋内部の様子、2009年7月撮影。
小駅のそれとして、標準的なタイプです。
跨線橋上から構内の長岡方を見る、2013年6月撮影。
駅舎の位置関係と画像左側の下りホームの張り出し具合がよくわかります。
駅舎横の木々は巨大で小さな駅舎を圧倒。
同じく構内の水上方を見る、2013年6月撮影。
下りホーム(長岡方面乗り場)の長岡方から見た構内、2013年6月撮影。
構内が対面式ホームで、ホームと駅舎がこれだけ離れている構造の駅は、新潟県内では当駅とえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの浦本駅ぐらいです。
下りホームの長岡方から先を見通す、2009年7月撮影。
ホームのこの辺りは完全に遊休化してしまっていて、それ故に国鉄時代からの白線が今も残っています。
下りホーム上の待合室の様子、2013年6月撮影。
下りホーム待合室内部の様子、2013年6月撮影。
内部はベンチが4脚で、JR東日本の現在の標準型ではない古いタイプでした。
駅舎のそれは標準仕様になっているのにここは以前のまま。
小さな駅の待合室までは流石に目が行き届いていないということなのか。
下りホームの水上方から見た構内、2013年6月撮影。
下りホームに停車中の115系電車長岡行、2014年5月撮影。
上越線水上-長岡間の普通列車は、2016年3月改正で全列車がE129系電車に更新されました。
上りホームに停車中の115系電車湘南色越後湯沢行、2014年5月撮影。
下り線を通過する北越急行HK100形電車の直江津行、2014年5月撮影。
当時も今も、ほくほく線直通列車は当駅を全便通過しています。
この電車がこの駅に停まってくれたらなぁと、当駅を訪れる度に思うところです。
何しろ上越線JR列車の日中は一時間半~二時間に一本の過疎ダイヤなのですから。
上り線を通過する特急「はくたか」越後湯沢行、2013年6月撮影。
六日町-越後湯沢間で「はくたか」を撮影するに当たって、一番画になったのが当駅です。
しかも無人駅なので好きな時に撮れたのです。
隣の上越国際スキー場前駅はホームが短く作りもドライでイマイチ、塩沢、石打両駅は有人駅で撮影できる列車がごく限られてしまいました。
下り線に進入する特急「はくたか」金沢行、2014年5月撮影。
上越線の六日町-越後湯沢間は、この列車が飛び去ってしまったことで一気に華が無くなりましたなぁ。
トドメが115系電車の撤退。
かつて特急「とき」、急行「佐渡」が駆け抜けた幹線としての時代は過去のものとなってしまいました。
下り線を通過する、EH200形電気機関車牽引の貨物列車、2014年5月撮影。
旅客列車が完全にローカル化してしまった上越線の新潟県内区間において、唯一幹線の雰囲気を保っているのが貨物列車の存在です。
かつては地味過ぎて撮影の触手が伸びなかった貨物列車も、現在の上越線では花も実もある鉄路のスタァです。
大沢駅と上越国際スキー場前駅間の距離は僅か1km強。
道中はこのような長閑な風景です。
画像左側に見える石碑は、「樺沢城跡」。
上杉家の本拠地・春日山城の番城で、上杉勢が関東に遠征する際の宿城として使われていたとの事です。
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