森宮野原駅(飯山線)
本日の駅紹介は、飯山線・森宮野原駅。
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当ブログは新潟県の駅をメインコンテンツにしており、長野県の駅である当駅は本来守備範囲外です。
しかし飯山線の列車運行上の要衝である当駅は新潟長野県境のすぐ向こうにあって、列車交換駅であることから区切りも良い為、当ブログでの飯山線の守備範囲はこの森宮野原駅までとします。
さて森宮野原駅は長野県下水内郡栄村に所在する有人駅で、開業は大正15年(1925年)11月19日。
飯山方面から延伸された飯山鉄道の終着駅として開業し、昭和2年8月に当駅-越後外丸駅(現・津南駅)に延伸されて中間駅となりましたが、飯山鉄道の旅客貨物の要衝駅の一つとしてその後も存在感を発揮してきたのです。
開業当時の所在については、当時の水内村だったのか堺村だったのか他県の人間である私にはよくわからないのが正直なところです。
両村の境界はこの駅の南至近にある信濃川なのであろうことは推測できますけれど、当駅の立地は実に微妙なところにあるのです。
信濃川の北側が水内村なので、単純に考えれば当駅もギリギリ水内村に入りますが果たして・・・?
また「森宮野原」と言う駅名は、当駅周辺の「森」地区と新潟県側の「宮野原」地区を合わせたものなんだとか。
開業当時、県境の新潟側に足滝駅は置かれませんでしたので、新潟県側の中魚沼郡上郷村内の宮野原集落にとっても当地への鉄道停車場設置は大きなメリットがあったのが窺える話です。
なおこの宮野原地区はかつて村だった集落です。
飯山鉄道のやり方としては他駅のエントリーで述べているように、「停車場設置自治体への寄附金要求」がありますけれど、この場合は長野県側の自治体に加えて駅名にその名を連ねる宮野原地区(上郷村)も寄附金を負担したのか?
その辺の県を越えて錯綜した裏事情は実に興味深い話なのであります
閑話休題、水内村と堺村は昭和31年9月に合併して現在の栄村になり、今日に至ります。
森宮野原駅駅舎の様子、2011年5月撮影。
実に立派な駅舎!・・・と思いきや、実は栄村の「森宮野原駅交流館」との合築です。
合築というよりは駅が交流館に間借りしていると言った方が適当ですな。
建築財産票を見つけられなかったのですが、ウィキペディアによると2004年4月に完成との事です。
新潟県内でもこういう合築例は散見されます。
単純にJRとの共同で駅舎を建てるよりは、こちらの方が県や国からの補助率が高いとか、そういう事情もあるのでしょうか。
「森宮野原駅交流館」の大きな看板の右に小さな「森宮野原駅」の駅名板。
間借りのような状況を端的に表していると申せましょうか。
2011年5月撮影。
駅舎待合室内の様子、2011年5月撮影。
駅名に相応しい木をイメージさせる内装です。
JR東日本によると、森宮野原駅の2014年度一日平均乗車人員は45人。
JR東日本とJR東海の長野県内有人駅は私が数えたところ84駅ありましたが、当駅は80位。
当駅より下位にいるのは、大糸線・神城駅、飯山線・横倉、平滝、信濃白鳥の各駅です。
飯山線の三駅はいずれも栄村内の駅です。
栄村の人口は約1,900人で、県境で接する新潟県の津南町の約1/5。
一方で森宮野原駅は津南駅の半分弱の利用実態です。
津南駅が津南町の中心部から距離があって不便であり、潜在需要を掘り起こせないでいる点を考慮しても、人口規模の差を考えれば当駅は健闘しているように思えます。
待合室からホームへは、飯山鉄道定番の構内通路で連絡です。
2011年5月撮影。
飯山線の新潟県内区間各駅では見られない物々しい遮断機に注目。
十日町方から見た構内の様子、2011年5月撮影。
飯山線定番の短いホームですが、当駅は列車交換駅であり上屋も架かっています。
大きな合築駅舎や広い構内と相まって、線区の要衝としての貫禄は充分。
画像右手に旧貨物ホームらしきものが見えます。
ホーム端から見た駅舎、2011年5月撮影。
飯山方から見た構内の様子、2011年5月撮影。
画像右側に見えるバスは、当駅前で折り返し待機中の南越後観光バス運行の越後湯沢駅行です。
島式ホーム端から飯山方を見る、2011年5月撮影。
飯山線のこの先、長野県側には久しく乗っていませんなぁそういえば。
四半世紀も足を踏み入れていませんよ。
森宮野原駅で列車交換するキハ110系気動車、2011年5月撮影。
右の単行戸狩野沢温泉行と左の二連越後川口行です。
1番線で列車交換待機中のキハ110系気動車の戸狩野沢温泉行、2005年5月撮影。
ホーム上の名所案内板、2005年5月撮影。
新潟県側麓のスキー場でも有名な苗場山まで、地図上の直線距離で約20km。
村域はさらにその南方まであります。
当駅から南方に、実に奥行き広いのが栄村の特徴です。
駅構内に建つ、日本最高積雪地点の記念柱、2011年5月撮影。
積雪実に7.8m・・・!
二階から出入りするの冬を何度か経験したのが上限の私には、想像を絶する世界です。
構内通路から見た構内、2011年5月撮影。
栄村は東日本大震災の発災翌日未明に起きた「長野北部地震」の震源地で、最大震度6強。
大々的に報道されるべき内陸型の大地震だったのですが、世界の地震史史上有数の大地震であった東日本大震災の影に隠れてしまって、報道がされず被害の実態がなかなか伝わってこなかったのは、栄村村民の皆様にとって実にお気の毒な事であったのは記憶に新しいところです。
当駅も被害が大きく、新しく舗装した部分は復旧箇所でその範囲は実に広いのです。
この撮影時は当駅の営業再開からまだ半月程で、線路のバラストもまだ真新しい。
構内通路から十日町方を望む、2011年5月撮影。
駅前通りの様子、2011年5月撮影。
少し進むと国道117号線に出ます。
通りには旅館と食堂の看板が各一軒というところ。
左側の書店の「小学館の学習雑誌」の看板が実に懐かしい。
この当時はまだあちこちで地震被害の復旧工事中でした。
駅前広場横の駐車場で折り返し待機中の、南越後観光バス運行の越後湯沢駅行路線バス、2011年5月撮影。
「急行」バスと銘打ってはおりますけれど、私が乗車した石打郵便局前までは通過扱いのバス停は無かったように思います。
まぁ乗降が少なく通過するバス停が圧倒的に多いので、実態は急行と言えましょうか。
この時ガッカリしたのは、バスがフツーの古い路線バスタイプだったこと。
このバス路線について予備知識無しで行ったので、観光用のお古の冷房バッチリなタイプと信じて疑わなかったのですよ。
ですので駅のホーム上からこのバスを見た時は、なんかため息出ちゃいましたね。
昔と違って、観光用の中古バスを格下げ転用なんてしないのでしょうね。
格下げする前に廃車しちゃうんでしょう。
そのように心の中で愚痴りながら車中の人へ。
古いバスの固い座席に座り、一時間近く揺られて石打に到着です。
バスはいただけませんが、車窓は素晴らしかった!
清津峡は実に風光明媚で、降りてあちこちウロつきたい衝動に駆られましたが、次のバスは三時間後でしかも最終便。
車中でかなり悩んだ末に、下車は断念して当初予定の石打駅へという道行でございました。
なおここからは津南への便も出ていて、飯山線との相互補完で駅巡りに使えます。
ただし足滝、越後田中、津南各駅共最寄バス停からは離れているので要注意。
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