最近のトラックバック

無料ブログはココログ

カテゴリー「イギリス軍」の記事

2020年7月 4日 (土)

1960年代前半のイギリス空軍(RAF)その一(1961年末時点の戦力概要)

前回「1950年代後半のイギリス空軍その3」に引き続き、今回から1960年代のイギリス空軍(RAF)について備忘録的に述べていきたく存じます。
英語版ウィキペディアや英語のサイト「ウイングアビエーション」、雑誌「世界の傑作機」などを参考に纏めてみました。
多少の誤記はあるかと思いますが、大勢としては誤りは少ないだろうと自負しているところです。

では今回は1960年代前半のイギリス空軍その一として、1961年末時点におけるイギリス空軍の戦力概要について。

戦闘機部隊:推定23個飛行隊
BAC・ライトニングF.1/F.1A x 3個(No56. 74. 111.の各飛行隊)
グロスター・ジャベリンFAW.9 x 6個(No23. 29. 33. 41. 60. 64. の各飛行隊)
グロスター・ジャベリンFAW.7 x 1個(No25飛行隊)
グロスター・ジャベリンFAW.4 x 2個(No5. 11.の各飛行隊)
ホーカー・ハンターFGA.9飛行隊 x 6個(No1. 8. 20. 43. 54. 208.の各飛行隊)
ホーカー・ハンターF.6飛行隊 x 4個(No14. 63. 92. 145.の各飛行隊)
デ・ハビランド・ヴェノムFB.4飛行隊 x 1個(No28飛行隊)

かの「1957国防白書」で「対爆撃機の防空体制は時代遅れ」とされて、新型超音速迎撃戦闘機計画にキャンセルの大ナタが振るわれる嵐を唯一生き延びた、イングリッシュ・エレクトリック社開発の超音速迎撃戦闘機・ライトニングは1960年6月にNo74飛行隊がホーカー・ハンターF.6からライトニングF.1に機種改編したのを皮切りに、実戦配備が始まっています。
世界初の戦闘機用モノパルスレーダーと言われるAI.23(従来よりも高い解像度と対妨害性を有する)を搭載し、マッハ2を余裕で叩き出す超音速飛行性能を誇るライトニングですが、超音速テスト機上がりゆえに航続性能が著しく不足しているのと直列装備の大出力の双発エンジンの配置が近すぎることによるエンジン火災の多発、そして運用する空対空ミサイルが当初は敵機後方からのロックオンしか出来ない赤外線誘導のファイアストリークでコリジョンコースでの要撃能力が無いなど、新世代の迎撃戦闘機としては様々な問題を抱えた存在でもありました。

1956年初めから実戦配備を開始した遷音速全天候迎撃戦闘機のグロスター・ジャベリンはこの時点ではイギリス空軍戦闘機部隊の主力で、推定9個飛行隊が本機を運用し、在独イギリス空軍(RAFG)にもNo5とNo11飛行隊が配備されています。
装備するジャベリンFAW.4、FAW.7、FAW.9はいずれもイギリス製のAI.17迎撃レーダー搭載型で、アメリカ由来のAI.22迎撃レーダー装備のFAW.2やFAW.6は退役しているのが要注目でしょう。
レーダーに関する問題でこのような形になったのは素人でも想像のつくところで、TWSが可能な最も初期の空対空レーダーと言われるAI.22の信頼性に問題が生じたのか、保守整備に大きな問題があったのか、その辺はいずれ出るであろう「世界の傑作機・グロスター・ジャベリン」で詳細解説していただきたいところであります。

1950年半ばから末にかけてイギリス空軍の主力戦闘機として君臨した遷音速戦闘機のホーカー・ハンターは、「1957国防白書」後の通常戦力削減でその勢力を大きく減じ、1961年末時点で戦闘機型のF.6の装備飛行隊は僅か4個に。
たった五年前にはF.4、F.5、F.6の各型合計で29個飛行隊に配備されていたというのに。
そしてこの時点でハンターF.6を装備する4個飛行隊も、63年までに他機種に転換してしまいます。
一方、ハンターF.6の機体構造と空調装備を強化して、対地攻撃能力を向上し中東などの酷暑地での作戦能力を向上した戦闘爆撃機型のハンターFGA.9はデ・ハビランド・ヴェノムに代わる地上攻撃・近接航空支援用機材として再配備が進みました。
ハンターFGA.9は1960年初頭から、中東配備のNo8飛行隊がヴェノムFB.1から機種転換したのを皮切りに配備が始まっています。
1961年末時点では、イギリス本土に展開するNo38グループ(陸軍作戦支援用の攻撃・偵察・輸送部隊)所属のNo1とNo54飛行隊、極東空軍所属のNo20飛行隊(シンガポール駐留)、中東配備のNo8. No43. No208.の各飛行隊という配備状況です。
ハンターFGA.9にその座を譲って引退したヴェノム戦闘爆撃機最後の実戦飛行隊がNo28で、1962年5月にハンターFGA.9に機種転換。
これをもってヴェノムのイギリス空軍における第一線配備に終止符が打たれたのです。

爆撃機部隊:推定26個飛行隊
ハンドレページ・ヴィクターB.1/B.1A飛行隊 x 4個(No10. 15. 55. 57.の各飛行隊)
アブロ・ヴァルカンB.2飛行隊 x 4個(No27. 50. 83.617.の各飛行隊)
アブロ・ヴァルカンB.1飛行隊 x 2個(No44. 101.の各飛行隊)
ビッカース・ヴァリアントB.1飛行隊 x 6個(No7. 18. 49. 138. 148. 207.の各飛行隊)
イングリッシュ・エレクトリック・キャンベラ飛行隊 x 10個(No3. 6. 14. 16. 32. 45. 73. 88. 213. 249. の各飛行隊)

イギリス空軍爆撃機軍団(ボマー・コマンド)のジェット戦略爆撃機の本命たる、ハンドレページ・ヴィクターとアブロ・ヴァルカンが戦列に加わって、ビッカース・ヴァリアントに代わるボマー・コマンドの主力になりつつあります。
ヴィクターは1958年春にNo10飛行隊に配備を開始したのを皮切りに、1961年末時点で4個飛行隊が装備。
ヴァルカンは1957年春にNo83飛行隊に配備を開始したのを皮切りに、この時点でB.1とエンジンを換装しそれに合わせてインテイクを改良したB.2合わせて6個飛行隊が装備しています。
1955年から実戦部隊での運用が行われているビッカース・ヴァリアントは、ヴィクターとヴァルカンの配備により戦略核攻撃任務を両機種に譲り、キャンベラ中型爆撃機に代わってNATO最高司令部指揮下の戦術核攻撃任務への転換が図られています。
1961年末時点ではNo49. 148. 207.の各飛行隊がその任務に就いているようです。
これら爆撃機が搭載する核爆弾は、イギリス国産のブルーダニューブ(重量約5トン、核出力12キロトン)とバイオレットクラブ(重量約4.4トン、核出力400ないし500キロトン)、そして「バイオレットクラブ」搭載の兵器級高濃縮ウランコアの「グリーングラス」を新設計の弾体に搭載した「イエローサンMk.1」(重量約3.3トン、核出力はバイオレットクラブと同一)に加えて、前回に述べた「プロジェクトE」に基づいてアメリカから供給される各種の核爆弾です。
それらに加えて、イギリス国産の空対地核ミサイル「ブルースティール」(核出力1.1メガトン、最大射程約240km)とイギリス最初の実用型水素爆弾「イエローサンMk.2」(重量約0.77トン、核出力1.1メガトン」、戦術核爆弾(原子爆弾)「レッドベアード」(重量約0.75トン、核出力15~25キロトン)が間もなく実戦配備を開始という状況です。

1951年から実戦配備されている傑作ジェット中型爆撃機のキャンベラは、No18飛行隊が1961年9月に解散したことで、ボマー・コマンドから引退しています。
1961年末時点で実戦配備されているキャンベラ爆撃機の配備状況は、在独イギリス空軍(RAFG)に5個飛行隊(No3. 14. 16. 21. 88.の各飛行隊)と、キプロスに展開する近東空軍司令部指揮下の4個飛行隊(No6. 32. 73. 249.の各飛行隊)、シンガポール駐留の極東空軍指揮下のNo45飛行隊の計10個飛行隊になっています。
五年前の1956年末時点では推定25個飛行隊で実戦配備されていたので、当時の軍用機の第一線寿命の短さを痛感させられます。

偵察機部隊:推定11個飛行隊
ビッカース・ヴァリアントB(PR).1 飛行隊 x 1個(No543飛行隊)
イングリッシュ・エレクトリック・キャンベラPR.7/PR.9飛行隊 x 8個(No13. 17. 31. 39. 46. 58. 80. 81.の各飛行隊)
ホーカー・ハンターFR.10飛行隊 x 2個(No2. 4.の各飛行隊)

ボマー・コマンドに所属する長距離偵察部隊として、No543飛行隊がヴァリアント装備で任務に就いています。
爆撃任務からは順次退きつつあるキャンベラは、高高度偵察任務では依然として顕在。
これにとって代わる適当な機体が存在しないので、この後も永く偵察機として生きながらえることになります。
低空戦術偵察機では、スーパーマリン・スイフトFR.5の後継機として、ホーカー・ハンターF.6を改造した武装偵察型のハンターFR.10が60年から配備され、2個飛行隊がRAFGに配備されています。

海上哨戒部隊:推定11個飛行隊
アブロ・シャクルトンMR.3飛行隊 x 2個(No201. 206.の各飛行隊)
アブロ・シャクルトンMR.2飛行隊 x 8個(No37. 38. 42. 120. 203. 204. 210. 224.の各飛行隊)
アブロ・シャクルトンMR.1A飛行隊 x 1個(No205飛行隊)

イギリス空軍沿岸軍団(コースタル・コマンド)指揮下の海上哨戒部隊の使用機材はアブロ・シャクルトンで統一されていて、イギリス本土に展開しているのは7個飛行隊(No42. 120. 201. 203. 204. 206. 210.の各飛行隊)で、No37飛行隊はイエメンのコルマークサル、No38飛行隊は地中海のマルタ、No205飛行隊はシンガポール、No224飛行隊はジブラルタルにそれぞれ配備されています。
1956年から配備が始まったシャクルトンMR.3は、着陸装置をそれまでの尾輪型から機首輪型に変更、プロジェクトEに基づいて米国から提供される核爆雷Mk101への対応、居住性の大幅向上、燃料搭載量増などの改良を施したタイプですが、機体構造の強化がこれら施策に追いついていなかったようで運用寿命が大きく減ってしまったとのこと。
それがあってかシャクルトンMR.3は大成できずに、一世代前のMR.2がアップグレードを逐次施されながら、次世代のジェット海上哨戒機ニムロッドの登場まで、イギリス空軍海上哨戒戦力の主柱を担い続けたのです。

大型輸送機部隊:推定10個飛行隊
アームストロング・ホイットワース・アーゴシー飛行隊 x 1個(No114飛行隊)
ブラックバーン・ビバリー飛行隊 x 5個(No30. 34. 47. 53. 84.の各飛行隊)
ハンドレページ・ヘイスティングス飛行隊 x 4個(No24. 36. 48. 70.の各飛行隊)

RAF輸送コマンド指揮下の大型輸送機は、従来からの主力機ブラックバーン・ビバリーとハンドレページ・ヘイスティングスに加えてアームストロング・ホイットワース・アーゴシーの配備が開始されています。
双発中距離輸送機のビッカース・バレッタの後継機として採用されましたけれど、2,440馬力を発揮するターボプロップエンジン四基を搭載したその姿は小柄なバレッタとは異なる堂々てるものであります。
最大離陸重量は約47トンで、ビバリーの約65トンよりは軽量ですが、最高速度はビバリーの約380km/hに対して本機は約430km/hと優速。
バレッタというよりはヘイスティングスの後継機的な位置で、最終的に6個飛行隊に配備されることになります。

空中給油機部隊:推定2個飛行隊が転換中
ビッカース・ヴァリアントB(K).1 飛行隊 x 2個(No90. 214.の各飛行隊)

戦略核攻撃任務から外れたヴァリアントの一部は、RAF初の空中給油機に転身。
No90とNo214飛行隊が任務転換の途上にあり、翌年春から空中給油飛行隊として任務に就くことになります。

2020年6月14日 (日)

1950年代後半のイギリス海軍航空隊(FAA)

今回は前回「1950年代前半のイギリス海軍航空隊」に引き続き、1950年代後半のイギリス海軍航空隊についてです。
ウィキペディア英語版と英語サイト「ウィングス-アビエーション」、雑誌「世界の傑作機」を情報ソースとして纏めてみました。

最初に1956年末時点における、800番台の第一線飛行隊の概要です。

戦闘飛行隊:推定12個
ホーカー・シーホーク飛行隊x9個:800. 801. 802. 803. 804. 806. 897. 898. 899.の各飛行隊
デ・ビランド・シーヴェノム飛行隊x3個:808. 891. 893.の各飛行隊

直線翼の亜音速戦闘機、ホーカー・シーホークはスーパーマリン・アタッカーに次ぐイギリス海軍航空隊二番目の、そしてジェット機として設計された最初の艦上戦闘機です。
エンジンの排気ダクトを短縮して推力ロスを小さくしたい思惑から、単発機でありながら排気口は胴体中央に置かれたエンジンから左右の主翼の付け根に導かれて一基ずつ置かれているのが際立った特徴です。
ダクトの短縮はデ・バビランド・ヴァンパイア/ヴェノム/シーヴェノム、そしてシーヴィクセンでも行われていますが、こちらは双尾翼という人目を惹くデザイン。
一方、シーホークの方は奇をてらわないデザインで、この辺はイギリスを代表する戦闘機メーカーのホーカー社、そして社の主任設計技師シドニー・カム氏の保守性の表れなのでしょう。
1947年9月にプロトタイプが初飛行したシーホークですが、その実用化は同時期にやはり初飛行したスーパーマリン・アタッカーよりも2年近く遅れています。
しかしその将来性の高さゆえか、1951年にはチャーチル政権による「最優先機」リストにホーカー・ハンターと共に名を連ね、1953年5月に806NASが本機装備で再編成されたことで、実戦配備が始まっています。
1954年夏に第一線を退いたアタッカーと同様に、シーホークも昼間空対空戦闘と対地攻撃をその任務としていて、対地攻撃力に欠ける当時のイギリス海軍航空隊にとって頼りになる機体でした。
しかしジェット機の新陳代謝が激しい時代ゆえにシーホークの第一線配備期間も短く、1960年末に806NASが部隊解散したことで母艦任務を終了しています。
デ・ハビランド・シーヴェノムはイギリス海軍最初の迎撃レーダー搭載の複座戦闘機で、イギリス空軍において1953年末から配備を開始したデ・ハビランド・ヴェノム夜戦型の艦載機型です。
1954年に890NASまたは891NASが本機装備で再編成されたことで実戦配備が始まっています。
シーヴェノムの迎撃レーダーは、最初の量産型FAW.20は第二次大戦後半以来の旧式レーダー「Mk X」を搭載していましたけれど、二番目の量産型FAW.21ではMk xの約四倍の探知距離(約40km)を有するアメリカ製のMK21に換装され、その迎撃能力はようやくポストWW2の水準に到達しました。
量産機数においても、旧式レーダー搭載型のFAW.20は50機だったのに対して、新型レーダー搭載型のFAW.21/22は合計206機と多数に及び、1956年末時点で第一線に配備されているシーヴェノムは当初のFAW.20からFAW.21と更なる改良型のFAW.22に更新されています。
シーヴェノムはイギリス海軍本命の全天候遷音速艦上戦闘機シーヴィクセン実用化までの繋ぎで、891NASが1961年7月に解散したことで第一線から退いています。

攻撃/偵察/対潜/早期警戒飛行隊:推定8個
ウェストランド・ワイバーン飛行隊x2個:813. 830.の各飛行隊
フェアリー・ガネット飛行隊x5個:812. 815. 820. 824. 847.の各飛行隊
ダグラス・スカイレイダー飛行隊x1個:849飛行隊

元々は戦闘機として開発に着手されながら、エンジン選定のトラブル等で就役時期が遅れ、結局攻撃機として玉成したのがウェストランド・ワイバーン攻撃機。
ターボプロップ機であるワイバーンはジェット機のスーパーマリン・アタッカーやホーカー・シーホークよりも初飛行は遅く(1949年3月)、部隊配備は813NASがブラックバーン・ファイアブランドからの機種改編を1953年5月に終えています。
しかしターボプロップ機の空母での運用は未解決の事案が多々あったようで、空母に展開するのは1954年4月。
展開後もカタパルト発進の際に生じる高Gが燃料系統に悪影響を及ぼしフレームアウトするなどの欠陥を露呈し、最初に展開した空母「アルビオン」で一応の作戦可能になったのは1955年春からだったそうです。
伝えられるワイバーンの性能であれば、前述したシーホークの対地攻撃能力で一応の代替が効くレベルでもあり、それもあってなのか本機装備の第一線飛行隊は前述の二つに827NASを加えて三個飛行隊のみ。
1956年10月のスエズ危機で空母イーグルに展開した830NASが実戦参加したのが母艦運用における唯一のトピックで、1958年4月に813NASが解散したことで第一線から退いています。
ワイバーンと入れ替わるように配備を開始したのが、イギリス海軍機初の遷音速戦闘攻撃機のスーパーマリン・シミターで、1958年6月に803NASが本機装備で再編されたことで第一線配備を開始しています。

フェアリー・ガネット艦上対潜哨戒機は、第二次大戦後半からの古強者のフェアリー・ファイアフライやアメリカから1953年に改めて供与されたグラマン・アヴェンチャーの後継機として1955年初頭に826NASに配備されたのを皮切りに、艦隊の対潜警戒の主役として1956年末時点で推定5個飛行隊に配備されていました。
ガネットはワイバーン同様に二重反転プロペラ装備のターボプロップ機であり、その機体デザインは魁偉であります。
しかし問題の多かったワイバーンと異なり、母艦配備はスムーズに行われて大きな問題も無かったようです。
この辺は、最初から対潜哨戒を主任務に据えて全くブレずに開発できた賜物なのかもしれません。
しかしガネットの対潜哨戒機としての寿命は短くて、1960年夏までに対潜ヘリコプターのウェストランド・ホワールウィンドにその座を譲り第一線を退いています。
しかし後述するダグラス・スカイレイダーAEW.1の後継機として、そのレーダーシステムを移植され改造されたガネットAEWはイギリス海軍最後の艦隊型空母「アークロイヤル」の最後の航海(1978年)まで早期警戒任務を続けることになったのです。
そのガネットAEWに艦隊早期警戒任務を譲ったダグラス・スカイレイダーAEW.1はアメリカ海軍の傑作レシプロ艦上攻撃機の早期警戒レーダー搭載型で、1953年7月に849NASが本機装備で再編されています。
この飛行隊は前述したアークロイヤルの最後の航海まで空母に展開したイギリス海軍唯一の固定翼早期警戒飛行隊で、1961年にガネットAEWに機種改編しています。

次に1956年末時点のイギリス海軍空母の保有状況について

現役艦(艦隊配備・海外展開): 推定3隻 :「イーグル」「アルビオン」「ブルワーク」

この時点で確実に艦隊に配備され実働体制にあるのはこの3隻と思われます。
「イーグル」(竣工時の基準排水量41,200トン)は1951年10月に竣工して、翌年春に正式に就役してイギリス海軍最強の空母の一隻として1956年10月のスエズ危機にも参加しています。
「アルビオン」と「ブルワーク」はセントー級艦隊軽空母(竣工時の基準排水量20,200トン)の二番艦と三番艦で1954年9月と11月に竣工しています。
この二隻も「イーグル」同様にスエズ危機に参加しています。

現役艦(艦隊配備は不明):推定4隻:「アークロイヤル」「オーシャン」「ウォーリア」「シーシューズ」

「アークロイヤル」(竣工時の基準排水量43,340トン)は「イーグル」の同型艦として1955年2月に竣工していますが、1956年は早くも最初の改装に入っていて、スエズ危機の時点では未だ工事中だったようです。
改装といっても60年代後半に施される大規模なものではなく、左舷両用砲の一部撤去とアングルド・デッキの前方への延長程度なので現役復帰に時間はかからなかったと思われますが、1956年末時点で復帰していたのかどうかはわかりませんでした。
「オーシャン」「ウォーリア」「シーシューズ」の三隻は第二次大戦末期に竣工したコロッサス級軽空母(竣工時の基準排水量13,190トン)で、「オーシャン」と「シーシューズ」はスエズ危機において輸送任務に就いています。
特に「オーシャン」は史上初めて、洋上の母艦からヘリコプターによる強襲作戦を実施していて、もしかしたらこの実績が後の「コマンドー母艦」実現に寄与したのかもしれません。
「ウォーリア」は太平洋に展開して、イギリスが行った一連の核実験の支援任務に就いています。
この時期はイギリス海軍におけるコロッサス級軽空母運用の末期に当たり、「シーシューズ」は1957年、「オーシャン」と「ウォーリア」は1958年に退役しています。

改装中:2隻:「セントー」「ヴィクトリアス」

セントー級艦隊軽空母の一番艦「セントー」(1953年9月竣工)はこの年の6月から1958年8月まで近代化改装を実施しています。
この改装の最大の眼目は蒸気カタパルト「BS4」の搭載による、航空機運用能力の向上にあります。
再就役した「セントー」は同型艦の「アルビオン」「ブルワーク」では不可能だった最新鋭艦上戦闘機のデ・ハビランド・シーヴィクセンの運用が可能になり、1965年まで現役に留まることになります。
「ヴィクトリアス」は1941年5月に竣工した、艦隊装甲空母のイラストリアス・グループの二番艦で、グループ六隻中本艦のみが1950年から大規模な近代化改装を受けて58年に再就役し、「セントー」以上の航空機運用能力を持つ近代的な中型ジェット機母艦として見事再生を果たしています。
しかし足掛け9年のこの工期はもう少し何とかならなかったものかと。
「ヴィクトリアス」の改装中には、並行して「イーグル」の仕上げと「セントー」級3隻と「アークロイヤル」と「ハーミーズ」の建造を行っていますから、本艦にかけられるおカネもその分限られてしまって竣工時期も遅れてしまったのでしょうけれど。

建造中:1隻:「ハーミーズ」
ハーミーズは本来、セントー級艦隊軽空母の四番艦でしたが大幅な設計変更が行われ、「ヴィクトリアス」に匹敵する航空機運用能力を備えた中型ジェット機母艦として1959年11月に竣工します。

予備艦:2隻:「グローリー」「パーシューズ」
「グローリー」と「パーシューズ」はコロッサス級軽空母で、「パーシューズ」はカタパルトを撤去して航空機輸送艦として使用された後、一度は潜水艦母艦への改造が決まって待機中でした。
しかし1957年にその計画はキャンセルされ、翌年にはスクラップになっています。
「グローリー」は1956年に退役して五年間の待機の後、1961年に除籍スクラップとなりました。
なお、1947年以降は本国で訓練艦として使われその巨体を持て余していた艦隊装甲空母イラストリアス・グループは前述した「ヴィクトリアス」以外は1955年2月に一番艦「イラストリアス」が予備艦入りしたことで現役から退き、「イラストリアス」が1956年11月に除籍スクラップ処分とされてイギリス艦籍から消えてしまいました。
イギリス財政に余裕があれば、艦の状態が悪かったという三番艦「フォーミタブル」以外の五隻は近代化改装を受けてジェット機母艦として再生したでしょうに、現実には「ヴィクトリアス」一隻がやっとだったのです。

2020年5月31日 (日)

1950年代前半のイギリス海軍航空隊(FAA)

「1950年代のイギリス空軍」シリーズ全五回の付録的に、1950年代のイギリス海軍航空隊(FAA)について備忘録的に述べておきたく存じます。
ウィキペディア英語版と英語サイト「ウィングス-アビエーション」、雑誌「世界の傑作機」を情報ソースとして纏めてみました。
ただ、イギリス海軍航空隊はイギリス空軍と比べて情報が少なくて明確な結論の出せない話も多々あって、調べていて納得のいかない事が多々あったのです。
第一回は1950年代前半のイギリス海軍第一線飛行隊の勢力と空母の状況についてです。

最初は1951年末時点のイギリス海軍の第一線航空隊(800番台の航空隊)の概略から。
イギリス海軍の場合、第一線の飛行隊は800番台、訓練や後方支援、機種転換飛行隊は700番台になっているのでその辺は実にわかりやすいのです。

戦闘機飛行隊:推定9個
ジェット戦闘機
スーパーマリン・アタッカー飛行隊x2個(800. 803.の各飛行隊)
レシプロ戦闘機
ホーカー・シーフューリー飛行隊x6個(801. 802. 803. 804. 807. 898.の各飛行隊)
デ・ハビランド・シーホーネット飛行隊x1個(809飛行隊)

スーパーマリン・アタッカーは1951年夏から実戦配備を開始したイギリス海軍初の艦上ジェット戦闘機ですが、元々の設計が第二次大戦終結で開発中止になったレシプロ戦闘機のスーパーマリン・スパイトフルの流用であったので、その機体がジェットエンジンに適合していたとは言い難い面もあったようです。
コクピットの視界は従来のレシプロ機よりも良いとパイロットからは好評であったようですが、それは機首にプロペラが無くてレーダーも搭載していないのですから当然の話。
厚みがありながら空気抵抗が小さいせっかくの層流翼も、その空力特性は同じスーパーマリン社のスピットファイアよりも悪くて臨界マッハ数も低かったそうです。
しかしジェット機としては性能的に物足りない点があったとしても、レシプロ機を扱いなれた母艦の現場からすれば、アタッカーはレシプロ機の流用設計の分だけ扱いやすかったのかもしれません。
レシプロ機からジェット機への橋渡し的存在であったアタッカーは、1954年夏に上記の二個飛行隊が揃ってホーカー・シーホーク戦闘機に機種改編したことで第一線から退いています。

ホーカー・シーフューリーはイギリス海軍最後のレシプロ艦上戦闘機で、1947年夏から実戦配備を開始しています(807NASから配備をスタート)。
それまでの主力艦上戦闘機スーパーマリン・シーファイアの悪癖である発着艦特性の悪さは無く、最高速度は700km/hに達してさらに機体は頑丈で地上攻撃任務にも耐えうるという優れたレシプロ戦闘機です。
イギリス海軍の艦上戦闘機は第二次大戦中に使用した機体がいずれも帯に短し襷に流しでしたので、戦後になってようやく満足する性能を備えた艦上戦闘機を手に入れたのです。
しかし本機がシーファイアを完全に置き換えた1951年末には、既にジェット機時代の大波がすぐそこまで迫っていました。
朝鮮戦争にも参戦して、共産軍の最新鋭ジェット戦闘機・MiG-15を撃墜する戦果を挙げたシーフューリーも、1955年春に本機装備の810NASが解散したことで第一線から退いています。

双発レシプロ戦闘機のデ・ハビランド・シーホーネットは空軍のホーネット戦闘機の艦上戦闘機型で、最初の量産型F.20は1947年に801NASが運用を開始しています。
第二次大戦後半に実用化された迎撃レーダー「Mk X」搭載の複座型NF.21は1949年初頭から809飛行隊のみに配備されていて、1951年末時点ではイギリス海軍艦上戦闘機で唯一の迎撃レーダー搭載機でしたが、大柄な機体ゆえに当時イギリス海軍に就役していたコロッサス級軽空母での運用は困難と判定されていたとのことです。
シーホーネットNF.21は、1954年春に809NASがジェット夜間戦闘機のデ・ハビランド・シーヴェノムに機種改編したことで第一線から退いています。

攻撃/対潜/偵察飛行隊:推定8個
フェアリー・ファイアフライ飛行隊x6個(810. 812. 814. 815. 820. 826.の各飛行隊)
ブラックバーン・ファイアブランド飛行隊x2個(813. 827.の各飛行隊)

フェアリー・ファイアフライは1944年夏から実戦投入が開始された多用途の単発複座のレシプロ機で、この時期には対潜哨戒を第一の任務とした戦後世代のアメリカ製の装備品を搭載したAS.5型とイギリス製の装備品を搭載したAS.6型が第一線に配備されていました。
朝鮮戦争にも参戦したファイアフライは1953年末頃まで第一線にあったようですけれど、この機の戦後の配備状況については情報が極めて少なくて正確なところはわかりませんでした。
そのあたりは今後出るであろう「世界の傑作機」のファイアフライ号に期待しましょう。
退役するファイアフライと次回で述べるターボプロップエンジン搭載の艦上対潜哨戒機フェアリー・ガネット就役までのつなぎとして、1953年春からアメリカからの供与機であるアヴェンチャーAS.5(TBM-3E)、AS.5/6(TBM-3)が配備されておりますけれど、この機の配備状況については情報ソース毎に大きく違っていて残念ながら確定確証はできませんでした。

ブラックバーン・ファイアブランドは世界唯一と言ってよい実用「戦闘雷撃機」で、元々は第二次大戦中にイギリス海軍の次期主力艦上戦闘機として開発に着手されたものの、開発が遅延している間にスーパーマリン・シーファイアに主力戦闘機の座を追われて、戦闘雷撃機に転身させられた不遇の機体であります。
イギリス海軍の第二次世界大戦終結時の艦上雷撃機は、国産で性能のほどには疑問符がかなり付くフェアリー・バラクーダとアメリカからの供与機で実用性が高いアヴェンチャーの二機種が並存していて、これらの機体よりも大柄で高性能のフェアリー・スピアフィッシュが開発中という状況でした。
しかし計画中の大型空母「ジフラルタル」級搭載用として開発されていたスピアフィッシュは、ジブラルタル級の計画中止と心中する形で開発中止。
アヴェンチャーはアメリカの武器貸与法に基づく供与品なので、戦後も維持するにはアメリカに代金を支払わねばなりません。
バラクーダは戦後も引き続き第一線で使用できるようなレベルの機体ではありません。
そうなるとイギリス海軍からは艦上雷撃機が消滅してしまうことになる為に、機体の安定性に著しく欠けて欠陥機同然と言われるファイアブランドを無理やりにでも実用化させる必要があったのでしょうね。
ファイアブランドは1953年春に813NASがターボプロップ戦闘攻撃機のウェストランド・ワイバーンに機種改編したことで第一線から退いています。

さて、これら飛行隊の活躍の舞台となるイギリス海軍の保有する空母の1951年末における状況は推定で下記の通り。

現役艦(艦隊配備・海外展開):4隻
コロッサス級軽空母:4隻
「グローリー」、「オーシャン」、「ウォーリア」、「シーシュース」

第二次世界大戦末期から順次就役を開始して、空母としては計9隻が完成した艦隊型軽空母のコロッサス級(完成時の基準排水量13,190トン)はこの当時、イギリス海軍空母部隊の中核を成す存在でした。
1946年に一番艦「コロッサス」がフランス海軍に貸与、48年に「ヴェネラブル」がオランダ海軍に売却されているので、この時点でイギリス海軍に在籍するのは7隻です。
格納庫の天井高さが当初から多少余裕を持っていた為に、シーフューリーのような戦後の新型レシプロ戦闘機の運用に支障がなく、搭載機数はイラストリアス級艦隊空母とさして変わらず、商船規格で小柄な船体は運用経費が安いというのが戦後も艦隊任務用に重宝された理由のようです。
これら以外に最新鋭大型空母のイーグル(1951年10月竣工、基準排水量41,200トン)が就役前のシートライアルに入っていて、52年3月に正式に就役し、イギリス海軍空母部隊に一大威力が加わることになります。

現役艦(訓練・各種試験任務):6隻
イラストリアス・グループ艦隊空母:4隻
「イラストリアス」(格納庫一段式)、「インドミタブル」(格納庫一段半式)、「インプラカブル」「インディファティカブル」(いずれも格納庫二段式)
コロッサス級軽空母:2隻:「トライアンフ」「パーシュース」

第二次大戦中はイギリス海軍の主力空母として活躍したイラストリアス・グループの戦後は不遇で、1947年からはもっぱら本国艦隊での訓練任務に従事していて艦隊作戦任務に就いたことはありませんでした。
格納庫一段式のタイプは航空機の搭載数が船体規模に対してひどく少なく、格納庫一段半や二段のグループは格納庫の高さが戦後の新型機を運用するには低い事、そして前述のコロッサス級に比べて運用経費が高いことがその理由のようです。
コロッサス級軽空母の「トライアンフ」は朝鮮戦争の緒戦に実戦任務を果たした後に本国に帰還して、士官候補生の遠洋航海やアングルド・デッキのテストに従事した後に重工作艦への改造を実施しています(1956年から65年まで)。
「パーシュース」は1950年から最新装備品の蒸気カタパルトの試験任務に従事した後、52年にはカタパルトを撤去して航空機輸送艦に改造されています。

なお、コロッサス級にはもう一隻、「ベンジャンス」が現役艦のはずなのですが、1952年11月にオーストラリア海軍へ貸与されるまでの間に艦隊作戦任務に就いていたのかそれとも訓練任務に就いていたのかは情報が少なすぎてよくわかりませんでした。

長期改装中:1隻:「ヴィクトリアス」
イラストリアス・グループの一段格納庫艦「ヴィクトリアス」は、本国で訓練任務に従事した後の1950年から58年まで「再建造」と呼称される大改装を受けて、中型ジェット機母艦として見事に再生を果たしています。
前述の「インドミタブル」と「インプラカブル」についても、格納庫を一段に改正するなどの大改装が計画されていましたが、「ヴィクトリアス」の改装経費が非常に高額になったことから1952年中にキャンセルになってしまいました。
1952年というと、艦隊型軽空母の最新鋭艦であるセントー級3隻と中型空母「ハーミーズ」、イーグルの同型艦「アークロイヤル」が建造中ですから、けして潤沢とは言えない資金はそれら新型艦に集中投資して、改装経費が高額に過ぎる一方で艦齢が短い「インドミタブル」と「インプラカブル」の工事見送りの判断はやむを得ない措置であったと言えましょう。

予備艦:1隻:「フォーミタブル」
イラストリアス・グループの一段格納庫艦「フォーミタブル」は、グループの諸艦中で船体の状況が最も悪く、本格修理には多額の資金が必要とされたことから1947年夏に予備艦に編入されて、以後現役に復帰することなく53年にスクラップ売却されています。

1950年代後半のイギリス海軍航空隊については次回で、ではまた。

2020年5月24日 (日)

1950年代後半のイギリス空軍(RAF)その3(米英相互防衛協定、プロジェクトE、そしてプロジェクトエミリー)

1950年代後半のイギリス空軍(RAF)第三回は、イキリスの核開発において欠かせない「米英相互防衛協定」「プロジェクトE」「プロジェクトエミリー」と、付記としてイギリス国産の地対空ミサイル「ブラッドハウンド」についてです。
英語版ウィキペディアと英語のサイトを参考にして、自分なりに咀嚼解釈してなんとか形にしました。

1956年末時点のイギリス空軍の勢力についてはこちらへ。
イギリス独自の核兵器開発の進展状況についてはこちらへ。

イギリスの核兵器開発についてぜひ触れておかなければならないのが、1958年に締結された「米英相互防衛協定」です。
核兵器の独占を望むアメリカはそれまでイギリスを含めた各国の核兵器開発に反対で、1946年に成立した「原子力法(俗にマクマホン法と呼ばれています)」で、例え最重要同盟国のイギリスであっても自国の核技術は一切渡さない政策を続けてきました。
しかしソ連、そしてイギリスの原爆実験成功でアメリカの核独占の目論見は崩れ去ってしまいます。
イギリスはアメリカの反対にも関わらず核兵器開発を続行していて、最早それを止めることは出来ません。
さらに冷戦の一層の深刻化を受けて、アメリカはそれまでの方針を大転換するのです。
イギリスの核開発を止められないのであれば、アメリカの与り知らない未知の核兵器を勝手に作られてしまうよりは、アメリカの技術に基づく核兵器をイギリスに開発させて間接的にアメリカのコントロール下に置くというものです。
そしてマクマホン法を改正して、他国への核技術や情報の提供を可能にした上で締結されたのが米英相互防衛協定です。
前回に述べたイギリス独自の水爆やブースト型核兵器の開発、それらに一応の答えを出した事がこの協定締結の追い風になったようです。
自身にそれなりの力量が備わっていないと、より高い能力を持つ相手からは相手にしてもらえませんからね。
この協定によって、イギリスはアメリカから核兵器の技術情報を提供してもらえるようになりました。
また前回の「グリーングラス」ピットの件で述べたイギリス産プルトニウムとアメリカ産高濃縮ウランの交換取引も合法的に行えるようになります。
1960年代に入って実用化されたイギリス初の実戦用水素爆弾「イエローサンMk.2」は、アメリカが設計した核弾頭をベースにしたピット「レッドスノー」を組み込んであって、この協定の賜物と言える存在です。

この時期のイギリスの核兵器関係の話には注目すべきものが更に二つあります。
それは1957年に米英間で正式な覚書が交わされて実行に移された「プロジェクトE」と、1958年から開始された「プロジェクトエミリー」です。
「プロジェクトE」は、イギリス独自の核戦力が一定の規模に達するまでの間、アメリカがイギリスに核爆弾を提供してフォローするというもの。
具体的にはイギリス本土のRAF爆撃機軍団(ボマー・コマンド)の基地と西ドイツ駐留のRAF第2戦術空軍指揮下のキャンベラ爆撃機の基地にアメリカの核爆弾を備蓄し、有事の際にはイギリスの爆撃機に核爆弾を搭載して東側を攻撃するというものです。
このプロジェクトが発動した時には、アメリカでは例のマクマホン法が有効であったので、アメリカがイギリスに核爆弾を供与や売却をするわけにはいきません。
ですから建前としては「アメリカの核爆弾をイギリスに配備する」形を取り、マクマホン法に抵触しないようにしたそうです。
当然の事ながらイギリスがこれら核爆弾を勝手に使うことは出来ず、使用にはアメリカ側の同意が必要です。
ちなみにアメリカ戦略空軍(SAC)は1953年から58年にかけて、ボーイングB-47ストラトジェット戦略爆撃機の一個航空団(飛行隊3個、爆撃機の配備定数45機)を常時イギリス本土の航空基地に派遣していました。
爆撃機が常駐しているからには、搭載する核爆弾も当然イギリス本土に持ってきていたでしょう。
プロジェクトEの開始とB-47航空団のイギリス本土派遣終了はほぼ同じ時期なので、B-47搭載用に持ち込まれた核爆弾が横滑りの形でRAFボマー・コマンドに提供されたのではないかと個人的に思っているところです。
ともあれ、プロジェクトEに基づいてボマー・コマンドのVボマー用に戦略核爆弾Mk5(重量1.44トン、核出力は最大120キロトン)72発が提供され、第2戦術空軍のキャンベラ爆撃機用には戦術核爆弾のMk7(重量約0.9トン、核出力最大61キロトン)が供給され、次いでボマー・コマンドに当時所属していたキャンベラの4個飛行隊にも適用されました。
戦術核攻撃任務に指定されたキャンベラ部隊のB(I)6型やB(I)8型は、核爆弾投下用の低高度爆撃システム(LABS)が装備されます。
なおRAF第2戦術空軍は1959年元日をもってドイツ駐留イギリス空軍「RAFG」に組織改編が行われて、RAFG司令官はNATO中央ヨーロッパ連合空軍指揮下の第2戦術空軍の指揮官を兼任する形になりました。
新たな第2戦術空軍はRAFG、オランダとベルギーの空軍主力、西ドイツの複数の空軍師団、アメリカの戦闘航空団で編成されています。
またボマー・コマンド所属の核武装キャンベラ爆撃機部隊については、アブロ・ヴァルカンとハンドレページ・ヴィクター両爆撃機の配備で余剰になったヴァリアント爆撃機がキャンベラに代わって1960年初頭から再配備が行われ、NATO最高司令部指揮下の戦術核攻撃部隊に指定されています。
アメリカから提供される核爆弾も、当初のMk5やMk7に代えてより新型の爆弾に更新されていきます。

「ブロジェクトエミリー」は、核爆弾のイギリスへの提供に留まらず核ミサイルをもイギリスに提供する計画です。
アメリカが開発した中距離弾道ミサイル「ソー」60発をイギリス本土に配備するというものです。
それもただ単にアメリカ空軍がイギリスにミサイルを置くというものではなく、核弾頭の活性化以外のほぼ全てをRAFの管理の下で運用するのです。
ソーミサイルを展開する基地にはイギリス空軍の勢力縮減で余剰になった航空基地が充てられて、その配備手法は前回の「ブルーストリーク」ミサイルの記事で述べた地下サイロ式ではなく地上設置式です。
基地の管理、ミサイルの保守、攻撃目標の選定、実際の発射指揮はRAFが行い、核弾頭の活性化のみアメリカ側の要員によって実施されます。
メガトン級の熱核弾頭を搭載するソーミサイルは1958年9月から59年12月までに60発全てのイギリス本土への展開を実施していますが、地上設置式ではソ連の弾道ミサイル先制攻撃に対して非常に脆弱であるので、このプロジェクトがどれほどの軍事的実効性を見込んでいたのかぜひ知りたいところなのであります。

最後にイギリス国産の地対空ミサイル「ブラッドハウンド」について。
ブラッドハウンドは有名な(悪名高い)「1957国防白書」が発表される以前に開発されていた迎撃ミサイルで、その主な任務はボマー・コマンドの基地をソ連爆撃機の攻撃から守ることでした。
1957国防白書で「ソ連の弾道ミサイルの登場により、爆撃機を主敵とする従来の防空システムは時代遅れ」とされる以前は、のちのイングリッシュ・エレクトリック・ライトニングをはじめとする超音速戦闘機とブラッドハウンドの組み合わせによる、イギリスの核攻撃力(戦略爆撃機の展開する航空基地)の防御体制の構築が推進されていたのです。
本来、ブラッドハウンドミサイルは更に高性能の「ブルーエンボイ」(最大射程320km、最大速度マッハ3)ミサイル実用化までの中継ぎ的存在として位置づけられておりましたけれど、1957国防白書でブルーエンボイ迎撃ミサイルによる対爆撃機遠距離防空は弾道ミサイル時代には無意味とされて計画は中止されてしまいました。
1957国防白書は一般に「ミサイル万能主義」と言われて地対空ミサイルを重視すると言われておりますけれど、実際にはブルーエンボイのような強力な地対空ミサイルの開発も中止されているあたり、当時のイギリス政府のやり方は一貫性に欠けていて理解に苦しむ点が多々あるのですよ。

ブラッドハウンドの方は幸いなことに1957年時点で既に実用化寸前の状態であったので計画はそのまま実行され、ボマー・コマンドの基地と前述したアメリカ製の中距離弾道ミサイル「ソー」防衛の目的で、1958年末からイギリス本土に八箇所設置されるミサイルサイトへブラッドハウンドMk.1の配備が開始されます。
重量2トンのブラッドハウンドMk.1の性能は最大射程約50km、最大速度マッハ2.2、弾頭重量91kgというもので、誘導システムはセミアクティブレーダー式ですがパルスレーターを使用しているので低空目標に対する迎撃能力は低く、誘導システムの対妨害性も低いものだったそうです。
ちなみにブラッドハウンドMk.1と同じ年に配備を開始したアメリカ空軍の「ナイキ・ハーキュリース」はブースターを含めた発射重量が約4.9トンの、ブラッドハウンドよりも大型の地対空ミサイルですがその最大射程は140km、最大速度はマッハ3を超え、弾頭重量は272kgとブラッドハウンドMk1の約三倍の威力を持ち、更に最大威力49キロトンの核弾頭W31を搭載可能なので、ブラッドハウンドMk.1に比べてあらゆる点で強力な迎撃ミサイルです。
このナイキ・ハーキュリーズの航空自衛隊型「ナイキJ」が永らく日本の空を守っていた事は皆様ご承知の通りです。
イギリスもブラッドハウンドの核弾頭搭載型「ブラッドハウンドMk.3」の開発に着手していて、これは前回述べたイギリス国産の中距離弾道ミサイル「ブルーストリーク」防衛用として、ブルーストリークの収容されているサイロを襲うソ連の弾道ミサイル迎撃を考慮した「バイオレットフレンド」システム用のミサイルとされています。
バイオレットフレンドは第二次大戦末期にイギリス本土を襲ったドイツの弾道ミサイルV2の迎撃が全く不可能であった苦い教訓から、戦後に構想された防空システムです。
その後、ソ連の弾道ミサイル開発の進展を見て計画は急速に具体化していきます。
バイレットフレンド・システム用の迎撃ミサイルであるブラッドハウンドMk.3はセミアクティブレーダー誘導で飛来する敵の核弾頭に向かい、搭載する出力6キロトンの核弾頭によって高度一万メートル付近で要撃し、中性子の放出で敵ミサイルの核弾頭を無力化するという構想でした。
しかし敵ミサイルの核弾頭を無力化するほどの中性子を放てる小型の核弾頭の開発が当時のイギリスの技術力で可能であったかどうかは、素人の私でも大きな疑問を持つものであります。
中性子爆弾はまだ米ソでさえ実戦配備に至っていない時期の話ですしね。
ちなみにアメリカの場合、低層域(高度1.5キロから30キロまで)迎撃用の弾道弾迎撃ミサイル「スプリント」の核弾頭として1974年から75年にかけて実際に製造されたW66は核出力1キロトンの中性子弾頭です。
もしもバイオレットフレンドが開発を続行していた場合、ブラッドハウンドMk.3用の核弾頭は米英相互防衛協定に基づいてW66の技術を利用してアップグレードしていたのかもしれません。
ともあれ、1968年ないし70年の実用化を目指していたこの構想も、守るべき「ブルーストリーク」が1960年に計画中止になったので共倒れになり消滅してしまいました。
以後のプラッドハウンドの改良は通常弾頭による低空目標迎撃能力向上に力点が置かれて、1963年からは新型のブラッドハウンドMk.2の配備が開始されます。

1960年代のイギリス空軍については次回以降で、ではまた。

2020年5月17日 (日)

1950年代後半のイギリス空軍(RAF)その2(暫定メガトン兵器「バイオレットクラブ」)

1950年代後半のイギリス空軍(RAF)その2です。
→1956年末時点のイギリス空軍の戦力構成について述べた「1950年代後半のイギリス空軍(RAF)その1」はこちらへ。

前回は1956年末時点のイギリス空軍の勢力について述べましたが、今回は1956年から60年までのイギリス空軍に関する特記事項です。
主にイギリス独自の核兵器開発についての話になります。
英語版ウィキペディアや海外のサイトを調べて、自分なりに咀嚼してなんとか話を纏めてあります。
日本語版ウィキペディアには載っていない極めて興味深い話が多数あって、調べていても瞠目驚愕の連続でございました。

1956年11月にはスエズ危機(第二次中東戦争)が勃発。
エジプトのナセル革命政権によるスエズ運河国有化によって植民地帝国以来の利権を失うイギリスは、利害を同じくするフランス、そしてエジブト革命政権に一撃を加えておきたいイスラエルと共謀し、エジプトに対する軍事攻撃に踏み切ります。
RAFは中東を睨む地中海の要所キブロスに大部隊を派遣、最新鋭のヴァリアント戦略爆撃機まで出撃させるほどでしたけれど、英仏に勝手な軍事行動を取られて激怒したアメリカと、エジプトの革命政権を支持するソ連の圧力恐喝によって利権奪還の目論見はあえなく潰えてしまったのです。

1957年には「1957国防白書」が発表されます。
核ミサイル時代においては、対爆撃機のみを想定した旧来の防空体制は最早時代遅れであるとして、戦闘機部隊の大削減と超音速迎撃機の開発中止(ライトニングを除く)、新型地対空ミサイル「ブルーエンボイ」の開発中止、次期超音速戦略爆撃機の開発中止が相次ぎます。
イギリス航空産業の統合再編も国策として強く推進され、1960年までにBACとホーカー・シドレーの二社体制へ収斂されます。
1957年に配備が開始されたRAF待望の戦略爆撃機のアブロ・ヴァルカンとハンドレページ・ヴィクターに搭載する、最大射程200km強の空対地核ミサイル「ブルースティール」は開発続行。

ゆくゆくはヴァルカンとヴィクターに代わるイギリス戦略核戦力の主柱と期待されて、1950年代中盤から開発に着手された中距離弾道ミサイル「ブルーストリーク」計画も続行されますが、こちらは1960年4月に弾道ミサイルとしての開発中止が発表されます(衛星打ち上げ用としては開発続行)。
ブルーストリークは最大射程4000km弱を目標とする二段式の液体燃料ミサイルですが、これだと発射前に燃料を4分ないし5分かけてミサイルに注入しなければならず、敵の先制攻撃を許した場合の即時反撃能力に不安が付き纏います。
またミサイルを敵ミサイルによる先制攻撃から守る為に、配備方式は地上設置ではなく至近距離での核爆発に耐えうる堅固な地下サイロ方式としましたが、それもまた大きな問題になりました。
そもそもイギリス本土には堅固な地下サイロを作れる強固な地盤が少ないのです。
また先制攻撃に対する生存性を高めるため、サイロは広範囲に分散して作る必要がありますけれど、イギリス本土でそれに必要な土地の確保は極めて困難です。
人口密集地帯に近接した場所にサイロを展開すると、敵の攻撃の巻き添えをくってどれほど犠牲者が出るかそれも心配の種でした。
そうした問題とミサイル本体の開発難航のダブルパンチで、イギリス期待の核戦力であったブルーストリークは幻のミサイルとなったのです。
そのブルーストリークの代替としてイギリスが選定したのが、アメリカが鋭意開発中であった空中発射式弾道ミサイル「スカイボルト」です。
ヴァルカン戦略爆撃機の大きな主翼下にスカイボルトを二発搭載してイギリス核戦力の切り札とする構想で、ブルーストリークの開発中止発表の直後にスカイボルトの購入が正式決定されるのですが、その顛末は「1960年代前半のイギリス空軍」で述べさせていただきます。

イギリス独自の核爆弾/核弾頭については急ピッチで開発が推し進められ、1955年に計画が公表された水爆開発も引き続き推進されますけれど、こちらの方は結果を出すことがなかなか出来ず、水爆小型化の中核技術となるブースト型核兵器開発計画として立案した「グラナイト」は失敗、「グリーンバンブー」は計画放棄されてしまいます。
核分裂コアに重水素ガスを封入し、その核融合反応によって発生する高速中性子を利用して核分裂反応を大幅に促進効率化するブースト型核兵器の開発は水爆の小型化、ミサイル弾頭化の鍵となるものなので、これにことごとく失敗したのではミサイル搭載の熱核弾頭など到底実用化できません。
ただ水爆実験そのものは1957年11月に四回目のチャレンジで成功を収め、核出力1.8メカトンを発揮します。
ただしこれはブースト型のピットを使わない初期の水素爆弾で、相当に大型のものであったようです。
58年4月には五回目の実験でイギリス史上最大の爆発力3メガトンを達成します。
水爆の小型化に必須のブースト技術に関しては、イギリスは58年後半に三回実施されたブースト型核兵器の実験に成功しています。
しかしこれら水爆やブースト型核兵器製造に必須の兵器級プルトニウムの不足に悩むイギリスは、こうした技術を手にしたからすぐ実用水爆の調達をというわけにはいかなかったようです。

実用型水爆の製造に中々踏み切れない状況下において、それでも大威力の核爆弾保有を追及するイギリスは水爆完成までの繋ぎとして、後述する「米英相互防衛協定」に基づき、なけなしの自国製兵器級プルトニウム(ウィンズケール原子炉や後述のカルダーホール原発で造られた兵器級プルトニウムは1950年から58年までに約470kgほど)とアメリカ製の大量の高濃縮ウランを交換する取引を実施(イギリスはこの取引で7トンもの高濃縮ウランを取得できたそうです)。
なお水爆用の三重水素製造用に転用されたと言われるウィンズケール原子炉1号機は1957年10月に火災事故を起こして、イギリス史上最悪の核汚染を引き起こして再起不能に、無事であった2号機も運転休止となり再起しませんでした。
しかしウィンズケールの火災事故の前年には、兵器級プルトニウムを製造し副次的に発電も行うカルダーホール原発が稼動を開始しています。
この原発の稼動によってイギリスの兵器級プルトニウムの製造は続行されていくのです。

イギリスはアメリカとの取引で得た高濃縮ウランを使用したピット「グリーングラス」を、イギリス最初の原子爆弾「ブルーダニューブ」の弾体に載せ換える形で大威力の原子爆弾「バイオレットクラブ」を1958年に完成させます。
「バイオレットクラブ」の重量は約4.4トンと言われているので、核出力/重量比は400キロトンの場合約91になり、「ブルーダニューブ」の約3に比べるとカタログスペックとしては相当に進化したものと言えます。
しかし、ブースト技術を使わない純粋な原子爆弾としては世界最大級の400キロトンないし500キロトンの威力を誇り、「暫定的メガトン兵器」と呼称されたという「バイオレットクラブ」は、臨界量を超える大量の高濃縮ウランを使ったピット「グリーングラス」が不安定で危険な代物であったことから、水素爆弾の配備までの中継ぎ役と割り切って長期保管は想定しない緊急用兵器(配備は1960年まで)として推定10発あまりが準備されたとのことです。
「グリーングラス」に使用された兵器級高濃縮ウランは75kg(87kg、98kg説も有り)もあって、長崎に落とされたプルトニウム・インプロージョン式の原爆「ファットマン」に使われた兵器級プルトニウムが6kg強(これで22キロトンの核出力)なのを比べれば、高濃縮ウランとプルトニウムの効率性の違いはあるにせよ、インプロージョン式の純粋な原子爆弾で75kgもの高濃縮ウランを使う「バイオレットクラブ」はやはり異様な存在です。
ちなみに一説によると、濃縮率99パーセントの兵器級高濃縮ウランの場合、その臨界量は15kgとの事で、「グリーングラス」は最大500キロトンの出力を発揮させるためにその軽く五倍の量を使用したのです。
これだけの高濃縮ウランの量だと、核分裂反応を起こしきる前に爆発で吹き飛んでしまう核物質の量も相当なレベルというのは素人でも想像のつくところで、この爆弾が使われたら爆心周辺は猛烈な放射能汚染に晒されたことでしょうね。

大威力ですが不安定で危険な「グリーングラス」ピットは、投下時の弾道特性に優れパラシュートによる投下による落下速度低下にも適合した新設計の弾体に搭載され、「暫定的メガトン兵器」第二弾の「イエローサンMk.1」(重量約3.3トン)として1959年から配備されます。
イエローサンMk.1の爆発/重量比は400キロトンの場合、約121になるので「バイオレットクラブ」よりも更に効率的な爆弾になっていますが、「グリーングラス」が不安定で危険な代物なのに変わりはありませんから、この爆弾もやはり緊急事態用の核兵器に留まっています。
グリーングラスは推定37個が製造されたという話なので、単純計算では「イエローサンMk.1」は25発程度が作られたことになりますが、資料によっては「バイオレットクラブ」に組み込まれたグリーングラスがイエローサンMk.1に移設されたという話もあるので、この暫定メガトン兵器第二号が何発作られたのかはよくわかりませんでした。
ともあれこの危険な緊急用原子爆弾は次回に述べる「米英相互防衛協定」に基づいて、アメリカの核技術を導入して作られた水素爆弾「イエローサンMk.2」の配備に伴い、1961年に退役しています。

イギリスの核兵器開発のその後を語るのに欠かせない「米英相互防衛協定」等については項を改めて次回で、ではまた。

2020年5月10日 (日)

1950年代後半のイギリス空軍(RAF)その1(1956年末時点におけるイギリス空軍戦力概要)

前回「1950年代前半のイギリス空軍その2」に引き続き、今回から三回に渡って1950年代後半のイギリス空軍について備忘録的に述べていきたく存じます。
英語版ウィキペディアや英語のサイト「ウイングアビエーション」、雑誌「世界の傑作機」などを参考に纏めてみました。
多少の誤記はあるかと思いますが、大勢としては誤りは少ないだろうと自負しているところです。

最初に1956年末時点における、イギリス空軍(RAF)の戦力概要です。
この時期は第二次大戦後、イギリス空軍が平時体制になってから量的には最大規模に達していました。
この直後、1957年に有名な「1957国防白書」が発表されて、核戦力の充実が図られる一方で通常戦力の大幅削減と意欲的な新型機や新型対空ミサイルの開発が中止されてしまうのです。

戦闘飛行隊:推定66個
ホーカー・ハンターF.6戦闘飛行隊 x 5個(No19. 63. 65. 111. 263.の各飛行隊)
ホーカー・ハンターF.5戦闘飛行隊 x 5個(No1.3.34.41.56.の各飛行隊)
ホーカー・ハンターF.4戦闘飛行隊 x 19個(No4.14.20.26.43.54.67.71.74.92.93.98.112.118.130.222.234.245.247の各飛行隊)
グロスター・ジャベリンFAW.1全天候迎撃飛行隊 x 1個(No46飛行隊)
デ・ハビランド・ヴェノムNF.3夜間戦闘飛行隊 x 5個(No23.89.125.141.151の各飛行隊)
デ・ハビランド・ヴェノムNF.2夜間戦闘飛行隊 x 3個(No33.219.253の各飛行隊)
デ・ハビランド・ヴェノムFB.4戦闘爆撃飛行隊 x 7個(No5.6.8.11.73.249.266の各飛行隊)
デ・ハビランド・ヴェノムFB.1戦闘爆撃飛行隊 x 7個(No16.28.32.45.60.94.145の各飛行隊)
グロスター・ミーティアNF.12/NF.14夜間戦闘飛行隊 x 7個(No25.64.72.85.152.153.264の各飛行隊)
グロスター・ミーティアNF.11/NF.13夜間戦闘飛行隊 x 5個(No39.68.87.96.256の各飛行隊)
グロスター・ミーティアF.8戦闘飛行隊 x 2個(No74.245の各飛行隊)

1954年夏から実戦配備を開始したRAF期待の遷音速戦闘機、ホーカー・ハンターは機体の不具合と航続力不足に悩まされていたF.1とF.2から、それらを大幅に改善したF.4とF.5、そしてエンジンをパワーアップした決定版のF.6の配備が急ピッチで進められた結果、1956年末の時点で推定29個飛行隊が装備してイギリス空軍戦闘機軍団(ファイター・コマンド)の主柱になっています。
西ドイツ駐留の第2戦術空軍にもこの時点で推定10個飛行隊がハンターF.4とF.6装備で配備されています。

夜間/全天候レーダー迎撃機は依然としてヴェノムとミーティアが主力を形成していますが、両機種ともに迎撃レーダーをアメリカ製のMk21に換装して要撃能力を向上させたヴェノムNF.3とミーティアNF.12/14が多数派になってきています。
しかし第二次大戦後半以来の旧式レーダーMkXを搭載するヴェノムNF.2とミーティアNF.11/13が少なからず残っているのは、レーダー迎撃作戦上大きな課題と言えましょう。
これら旧世代機を置き換える為に、最初から迎撃レーダー搭載の後退翼全天候複座双発戦闘機として開発されたグロスター・ジャベリンは1956年初頭にNo46飛行隊が本機装備で再編成されましたけれど、本格的な配備開始は翌年以降になっています。
ジャベリンの本格配備が開始される1957年は前述した「1957国防白書」に従ってイギリス本土の防空網が抜本的な再編成を強いられて、迎撃戦闘機部隊には「ミサイル時代においては敵爆撃機を対象とした従来の迎撃戦闘は時代遅れ」として大削減の大ナタが情け容赦なく振るわれてしまいます。
ヴェノムNF型は57年秋までに全て第一線を退き、ミーティアNF型も1959年秋には第一線を引退しています。
なおジャベリン搭載の迎撃レーダーはイギリス国産のAI.17(ジャベリンFAW.1、FAW.4、FAW.5、FAW-7、FAW-9)とアメリカ製のAN/APQ-43(イギリスはAI.22と呼称、ジャベリンFAW.2、FAW.6、FAW.8)に大別されます。
性能的には最も初期のTWSレーダーと呼ばれるAI.22の方が上のようにも思われるのですが、多数派はAI.17搭載型です。
これはAI.22の信頼性が不足していたからなのか、はたまたイギリスがアメリカから買い付ける支払いのドルをケチったゆえなのかは定かではありませんが。

戦闘爆撃機においては、デ・ハビランド・ヴァンパイアFB.5/FB.9が1956年初頭にNo28飛行隊がデ・ハビランド・ヴェノムFB.1に機種改編したことで第一線を退き、ヴェノムFB.1とFB.4に機種統一されています。
しかしこのヴェノムFB型の現役寿命も前述のNF型同様に非常に短く、1957年中に推定11個飛行隊がキャンベラ爆撃機への機種改編もしくは部隊解散の憂き目を見ているのです。
この時点においては完全に旧式化している昼間戦闘機のグロスター・ミーティアF.8は現役部隊では2個飛行隊が残るのみで、これら部隊も翌年春にハンターに機種改編してミーティアF.8はイギリス空軍の第一線から退いています。

有事の際には海外に出撃するファイター・コマンドの戦闘機部隊の留守を預かってイギリス本土防衛の任に就く、イギリス補助空軍(RAuxAF)指揮下の戦闘機部隊20個はこの時点でミーティアF.8とヴァンパイアFB.5が各10個飛行隊を擁しています。
しかしこの補助空軍は「1957国防白書」で無用の長物とされてしまい、1957年3月に解散してしまうのです。
補助空軍という組織自体は1959年に復活して今日まで続いていますけれど、それは主に後方支援要員の人的プールであって以前のような戦闘部隊は保有していません。

爆撃飛行隊:推定27個
ビッカース・ヴァリアント戦略爆撃飛行隊 x 6個(No7.49.138.148.207.214の各飛行隊)
イングリッシュ・エレクトリック・キャンベラ中型爆撃飛行隊 x 21個(No9.10.12.15.21.27.35.40.50.57.59.61.76.88.100.101.109.115.139.199.213.の各飛行隊)

1951年末時点で10個飛行隊に配備されていたアブロ・リンカーン爆撃機は、リンカーン装備の最後の実戦飛行隊No97が1956年初頭に解散したことで、RAFの第一線から退いています。
イギリス国産のジェット戦略爆撃機、所謂「Vボマー」の第1号であるビッカース・ヴァリアントは当時イギリス唯一の原子爆弾「ブルーダニューブ」(重量約5トン)を搭載可能なこの時点では唯一の機体で、配備も急ピッチで進められてこの時点でRAF爆撃機軍団(ボマー・コマンド)指揮下の6個飛行隊を擁しています。
しかし肝心の「ブルーダニューブ」はイギリスの兵器級プルトニウムの製造歩留まりが相変わらず宜しくないために生産は低調で、1956年時点でもたったの14発しか保有していなかったそうです。
爆弾の中核であるピットをプルトニウムのみから、プルトニウムよりは調達状況がまだマシな兵器級高濃縮ウランとの複合式に切り替えることで生産数は上向いていくのですが、1958年に製造を終了するまでに完成させたのは58発に留まりました。
戦後イギリス軍用機の最高傑作のひとつであるキャンベラ爆撃機はリンカーンの後継として生産が進み、ボマー・コマンドと西ドイツ駐留の第2戦術空軍の双方に配備されています。
ボマー・コマンドではこの時点で推定18個飛行隊がキャンベラ装備になっています。

偵察飛行隊:推定13個
スーパーマリン・スイフトFR.5戦闘偵察飛行隊 x 2個(No2.79.の各飛行隊)
グロスター・ミーティアPR.10偵察飛行隊 x 2個(No81.541.の各飛行隊)
グロスター・ミーティアFR.9戦闘偵察飛行隊 x 1個(No208飛行隊)
イングリッシュ・エレクトリック・キャンベラPR.7偵察飛行隊 x 8個(No13.17.31.46.58.69.80.542.の各飛行隊)

スーパーマリン・スイフトは元々ホーカー・ハンターの保険的存在として開発された遷音速戦闘機で、戦闘機型スイフトF.1はハンターF.1に半年近く先んじて1954年2月にNo56飛行隊に実戦配備されました。
しかし戦闘機型スイフトはピッチアップの悪癖と高高度飛行ではリヒート(アフターバーナー)が使用不能という大きな欠陥を克服できず、ピッチアップによる墜落事故を二回起こしてしまい戦闘機型の配備は約1年で取りやめとされてしまいます。
しかし高速性能はハンターを凌ぐことから、ピッチアップは急激な機動を行わないことで回避し、作戦高度は低空を主とすることで高高度リヒート使用不能の欠陥をカバーする戦闘偵察機FR.5が開発されて実戦配備され、東西冷戦の最前線に展開するRAF第2戦術空軍に配備されています。
対ソ正面を担当する第2戦術空軍に配備されたということは、実用性は一応の水準に達しその低空高速性能は他に変えがたいものがあったのでしょう。
卓越した高速性能を持ちながらピッチアップの悪癖持ちで、昼間戦闘機としは早々に見切りをつけられて全天候迎撃戦闘機や戦術偵察機に転身して一応の成功を見た、アメリカ空軍のマクダネルF-101ブードゥーと同じような境遇のスイフトでありました。
グロスター・ミーティアの偵察機型であるPR.10とFR.9は60年代初めまで第一線の任務に就いています。
キャンペラ爆撃機の派生型である高高度偵察型のPR.7はこの時点で8個飛行隊が装備し、RAF偵察兵力の主柱を担っています。
地対空ミサイルの配備が本格化する直前のこの時期、キャンベラの亜音速ながら優秀な高空性能は高高度偵察任務にうってつけの機材でした。

海上哨戒飛行隊:推定17個
アブロ・シャクルトンMR.2飛行隊 x 7個(No37.38.42.120.206.224.228.の各飛行隊)
アブロ・シャクルトンMR.1飛行隊 x 3個(No220.240.269.の各飛行隊)
ロッキード・ネプチューンMR.2飛行隊 x 4個(No36.203.210.217.の各飛行隊)
ショート・サンダーランドGR.5飛行隊 x 3個(No201.205.230.の各飛行隊)

イギリス空軍沿岸軍団(コースタル・コマンド)の指揮下にある海上哨戒部隊はアブロ・ランカスター、リンカーンの血脈を受け継ぐシャクルトンは10個飛行隊に配備され、イギリス本土周辺の対潜及び海上哨戒の主力になっています。
1952年初頭から配備を開始したロッキード・ネプチューンMR.2はかつて海上自衛隊も装備していたアメリカ製のロッキードP2Vで、シャクルトンの増勢までの繋ぎとしての供与であった為にこの時点では退役段階に入りつつあり、1957年春までにイギリス空軍から退いています。
第二次世界大戦以来の古強者、哨戒飛行艇サンダーランドもイギリス本土に配備の2個飛行隊はネプチューンと同じく退役段階に入っており、1957年2月に部隊は解散しています。
ただし東南アジア一帯の安全保障を担うRAF極東空軍配備のNo205飛行隊(シンガポール駐留)だけは、サンダーランド装備で59年春まで活動を続けています。

大型輸送飛行隊:推定6個
ハンドレページ・ヘイスティングス飛行隊 x 5個(No24.53.70.99.511の各飛行隊)
ブラックバーン・ビバリー飛行隊 x 1個(No47飛行隊)

RAF輸送コマンド指揮下の大型輸送機は、1948年から配備を開始したヘイスティングスに加えて、56年春から配備を開始したビバリーの二機種です。
ビバリーは一基2,850馬力を発揮するセントーラス・レシプロエンジン四基を搭載する最新鋭輸送機で、この後1960年までに6個飛行隊が本機を装備します。
なお双発中型輸送機としてはビッカース・バレッタがこの時点で推定5個飛行隊に配備されています。

1950年代後半のイギリス空軍に関する特記事項は次回と次々回で。
主に核兵器関係の話になります、ではまた。

2020年5月 2日 (土)

1950年代前半のイギリス空軍(RAF)・その2(原子爆弾「ブルーダニューブ」登場)

「1950年代前半のイギリス空軍」第二回は、前回の"1951年末時点のイギリス空軍の戦力概況"に引き続き、1952年から55年までのイギリス空軍関係の特記事項を備忘録的に述べておきたく存じます。
英語版ウィキペディアを色々見て回って自分なりの解釈も交えてなんとか形にしました。
核兵器開発関係の話は迂闊にも知らないことばかりでまさに再勉強でございました。
イギリスの核開発の話って、日本語文献やサイトでは寡聞にして耳にしないもんなぁ。

さて、1952年夏にはデ・ハビランド・ヴァンパイアの発展型であるデ・ハビランド・ヴェノムが実戦配備を開始しています。
No11飛行隊がヴァンパイアFB.5からヴェノムの戦闘爆撃型FB.1に機種改編したのを皮切りに、戦闘爆撃機型のヴェノムはヴァンパイアの後継機として大量配備が続きます。
ちなみにヴェノムに関してはアメリカが自国のリパプリックF-84シリーズと並ぶNATO標準型の戦闘爆撃機にしようとイギリスに持ちかけたそうですが、イギリスは「生産能力の不足」を理由に断ったとのことです。
いくらアメリカの金銭的支援があるとはいえ、生産ラインを大きく増やしたらその後の維持は大変でしょう。
イギリスの判断はそうした背景があったのではと邪推するところです。
1953年秋からはヴェノムの複座夜間迎撃型NF.2が、No233飛行隊のヴァンパイアNF.10からの機種改編で実戦配備を開始。
ただしヴェノムNF.2搭載の迎撃レーダーは、第二次大戦後半に実用化したMk Xなのでその性能の旧式化は否めず、55年からアメリカ由来の新型迎撃レーダーMk21に換装したヴェノムNF.3の配備が開始されています。
なおこのMk21はヴェノムNF.3に先行して、1954年から配備を開始したグロスター・ミーティアNF.12に装備されて迎撃任務に就いています。
Mk21迎撃レーダーは最大探知距離が約40kmで、旧式のMk Xレーダーと比べて四倍近い探知距離向上を果たしており、Mk21を搭載したミーティアNF.12とヴェノムNF.3の配備が進んだ1950年代中盤において、イギリス空軍戦闘機のレーダー迎撃能力もようやくポストWWⅡの時代に入ったのでした。

昼間戦闘機では、後述するホーカー・ハンター戦闘機配備までの中継ぎとして、アメリカ製の遷音速戦闘機ノースアメリカンF-86セイバーをセイバーF.4の名称で供与を受け、1953年春のNo3とNo93飛行隊から配備を開始、54年春までに計12個飛行隊がセイバーF.4装備になっています。
セイバーが航空自衛隊の初代主力戦闘機でもあったのは皆様ご存知の通りです。
なお、セイバーF.4装備の12個飛行隊のうち10個が西ドイツ駐留の第2戦術空軍指揮下のヴァンパイアFB.5飛行隊からの機種転換です。
セイバーF.4は1955年夏からハンターF.4と交代を開始し、56年春までに12個飛行隊全てがハンターF.4に機種転換してイギリス空軍から退いています。
ハンターF.4は初期のF.1よりも機体の熟成に加えて航続性能が向上したゆえの第2戦術空軍への配備だったのですが、航続性能はセイバーが明らかに上回っていてその他の飛行性能は互角といって良いので、ハンターF.4の実用化後も西ドイツ駐留部隊にセイバーを残す選択肢もあったのではと思うところなのですけれど、そうはならずにアッという間にRAFから消えてしまったのはやはり国産機重視のイギリスの姿勢ゆえでしょうか。
ジェット爆撃機のキャンベラと共に開発最優先機に指定されていたイギリス国産の遷音速戦闘機のホーカー・ハンターは、1954年夏にNo43飛行隊がミーティアF.8からハンターF.1に機種改編したのを皮切りに実戦配備を開始。
ただし最初の量産型ハンターF.1とF.2はまだ試作機の延長のような状態でトラブルも相次ぎ、イギリス本土の昼間防空任務に留め置かれて東西冷戦の最前線西ドイツ駐留のRAF第2戦術空軍への配備は見送られます。
ハンターが第2戦術空軍に配備を開始したのは、前述したように完全な実用戦闘機型のハンターF.4からになります。

そのハンターの保険として開発されたのが遷音速戦闘機のスーパーマリン・スイフトで、ハンターに先んじてスイフトF.1が1954年2月にNo56飛行隊に配備されています。
しかしスイフトはハンターを凌ぐ高速性能を誇る一方、ピッチアップの悪癖とエンジンが高高度でリヒート(アフターバーナー)使用不能という戦闘機としては明らかな欠陥を抱えていて、No56飛行隊でも墜落事故を二件起こすなどトラブルが続き、55年春には暫定的に機種改編以前に運用していたミーティアF.8に使用機を戻してしまっています(間もなくハンターに再転換)。

1950年代前半はイギリスがアメリカの反対を押し切って独力での核兵器開発に邁進した時期でもあり、1952年10月に最初の原爆実験「ハリケーン作戦」を成功させています。
イギリスは第二次大戦中にアメリカの原爆開発プロジェクトのマンハッタン計画に科学者や技術者を派遣して支援し、戦勝の暁にはアメリカから原爆開発技術の提供を受けるつもりでいたのですが、核の独占を図るアメリカは1946年に制定された「原子力法」(俗にマクマホン法と呼称されています)で、たとえ最重要同盟国のイギリスであっても核技術は渡さない方針を定めてしまいます。
イギリスはこれに驚愕狼狽、そしてアメリカのこの新方針に大きな危惧の念を抱くのです。
「もしかして、アメリカはかつてのような中立主義に回帰してしまったのではないのか?」と。
まだNATOが結成される前の話です。
アメリカが中立主義に回帰して、欧州での西欧対ソ連の戦争に不介入を決め込んだ場合、衰亡したイギリスの国力や敗戦国同然のフランスの国力ではソ連の大軍勢に対抗できる軍事力の保有は不可能です。
それならば、万難を排してでもイギリスは原爆を開発して西欧を守り、そして世界の大国たるイギリスの威信を世界に知らしめねばならない。
この巌のような信念の元、イギリスは乏しい国力を動員して原爆開発を実行したのです。
アメリカは原爆の独占を目論んでいたので、たとえ最重要同盟国のイギリスであってもその核保有には反対です。
しかし少々の圧力ではイギリス側の決意を覆すことは出来ない為、懐柔策として1949年にある秘密提案をイギリスに示しました。
それは、イギリスで作られる兵器級プルトニウムと核科学者のアメリカへの移送移住、その代わりにアメリカは自国で製造する原爆のいくつかをイギリスに提供するというものです。
これを呑んでしまうとイギリスは独自の原爆開発能力を失いかねませんし、原爆のイギリスへの提供にしてもアメリカの都合で反故にすることもあり得るわけです。
このような提案をイギリスは到底呑むことは出来ずに話し合いは終了、1950年から51年にかけて兵器級プルトニウムを製造する軍用のウィンズケール黒鉛型原子炉二基が稼動を開始し、1952年秋のイギリス独力での原爆実験成功に繋がっていきました。

「ハリケーン作戦」の成功後、イギリスは1953年秋から最初の実用型核爆弾「ブルーダニューブ」のRAFボマー・コマンドへの引渡しを開始。
「ブルーダニューブ」は重量約5トン、核出力最大12キロトンというお世辞にも効率的とは言えない原子爆弾で、同じプルトニウム型原爆の「ファットマン」(長崎に投下された原爆)の重量が「ブルーダニューブ」よりやや軽量(約4.7トン)で核出力22キロトンだったのに比べると、「ファットマン」の八年後に実用化された原爆がこの程度の性能であることに当時のイギリスの国力技術力の衰亡ぶりが如実に表れているのです。
「ファットマン」の核出力/重量比は4.71なのに対し、「ブルーダニューブ」は約3に過ぎません(この数字が大きくなるほど効率的な爆弾ということです)。
「ファットマン」のピットはプルトニウム239が91パーセントで重量は約6.2kg、これで核爆発エネルギー寄与率は16%でした。
「ブルーダニューブ」の重量が「ファットマン」よりも重くて核出力が小さいということは、ピットのプルトニウム239の比率がより小さい、「質の悪い核物質」ではなかったのかと、理屈として最初に思い浮かぶところなのです。
質の悪い核物質を超臨界にもっていくには、爆縮レンズその他の構成品も大きくせざるを得ず、結果として重さ5トンで低威力の原子爆弾になってしまったのではないかと。

また万難を排してようやく配備を開始した「ブルーダニューブ」でしたけれど、肝心の輸送手段が配備開始当初は皆無でした。
改造すればなんとかこの巨大な爆弾を搭載可能かもしれないボーイング・ワシントンB.1(アメリカ製B-29)爆撃機の配備は54年春をもって終了。
アブロ・リンカーン爆撃機も改造すればこの原爆の搭載が可能かもしれませんけれど、如何せん飛行性能が旧式に過ぎます。
最新鋭双発ジェット爆撃機のキャンベラには、「ブルーダニューブ」搭載は機体のキャパシティ的に不可能です。

巨大な「ブルーダニューブ」の搭載を前提として開発に着手されたイギリス初のジェット戦略爆撃機のビッカース・ヴァリアントはまだテスト中。
ヴァリアント爆撃機は1954年春から訓練試験部隊のNo1321フライトに配備を開始しますが、この部隊は実戦部隊ではないのでヴァリアント自体は「ブルーダニューブ」の搭載は可能であっても、原爆の実戦運用はソ連との大戦争が勃発した時にぶっつけ本番で行うより他なかったことでしょう。
ヴァリアント装備の最初の実戦飛行隊No138が再編成されたのは1955年春で、この時点で原爆の実戦運用にようやく目処が立ったことになります。
しかし「ブルータニューブ」の生産ペースは上向かず、55年時点で保有するのはたったの10発だったそうです。
前述したウィンズケール原子炉で造られる兵器級プルトニウムの歩留まりがひどく悪いのがその要因のようで、「ブルーダニューブ」のピットも当初のプルトニウムのみからプルトニウムと高濃縮ウランの複合型に変えられているほどです。
兵器級の濃縮率90パーセント以上の高濃縮ウランを入手するには多数の遠心分離機を使うなどして相当の手間がかかるのですが、それでも兵器級プルトニウムの生産よりは歩留まりはまだマシだったようです。
最初の実用原爆がまだこのような状況なのに、イギリスは1955年2月に水素爆弾の開発計画を公表。
しかしイギリス最初の実用型水素爆弾「イエローサンMk.2」にたどり着くまでには紆余曲折があったのです。

1950年代後半のイギリス空軍については次回で、ではまた。

2020年4月26日 (日)

1950年代前半のイギリス空軍(RAF)・その1(1951年末時点のイギリス空軍戦力概要)

私は九年ほど前に当ブログで、「1960年の英国海軍」「1970年の英国海軍」「1980年の英国海軍」「1990年の英国海軍」「2000年の英国海軍」という連載記事を掲載していました。
戦後のイギリス海軍の勢力消長の全体像を大雑把に調査記述したもので、個人的にはかなりの手間をかけて書いた労作であります。
そして今回からは「イギリス空軍(RAF)の戦後の消長」をこれまたごく大雑把ではございますが備忘録を兼ねて記述しておきたく存じます。
これを思い立ったのは一昨年暮の世界の傑作機「ハンドレページ・ヴィクター」とその後の「アブロ・バルカン」のリニューアル版を読んで、
「戦後のイギリス空軍爆撃機の配備状況はどんなものだったのだろうか?」という疑問と好奇心からでした。
ちょうど一年前からまず爆撃機について調査を開始したのですが、調査を進めるにつれて爆撃機が搭載するイギリスの核爆弾、核兵器、そしてそれを運用する戦闘爆撃機の配備状況についてまで話が広がってしまいまして、ここまで風呂敷を広げたのならいっそのこと戦闘機や哨戒機などについても調べてしまおうという事になったのであります。
英語版ウィキペディアやRAFの公式サイト、英語のサイト「ウイング・アビエーション」、「世界の傑作機」を情報ソースとして、なんとか年代別の形に纏めてみました。
配備飛行隊や配備時期についてはソースによって異なる事が間々あるのですが、その辺は私の独断で判断して記述しておりますので正確さに欠ける部分は確実にありますけれど、大体の流れについてはそれなりの確度があると自負しておるところです。
では今回は第一回「1950年代前半のイギリス空軍・その1」であります。

下記に挙げているのは1951年末時点における、RAFの戦力の概況であります。

戦闘及び戦闘爆撃飛行隊 推定49個:
ジェット戦闘機
グロスター・ミーティアF.8戦闘機 x 14個(No1 19 41 43 56 63 64 65 66 74 92 222 245 263の各飛行隊)
グロスター・ミーティアNF.11夜間戦闘機 x 4個(No29 85 141 264の各飛行隊)
デ・ハビランド・ヴァンパイアFB.5戦闘爆撃機 x 23個(No3 4 6 11 14 16 26 28 32 54 60 67 71 72 93 94 98 112 118 185 213 247 249の各飛行隊)
デ・ハビランド・ヴァンパイアFB.9戦闘爆撃機 x 1個(No73飛行隊)
デ・ハビランド・ヴァンパイアNF.10夜間戦闘機 x 2個(No23 25の各飛行隊)

レシプロ戦闘機
デ・ハビランド・ホーネットF.3戦闘機 x 3個(No33 45 65の各飛行隊)
デ・ハビランド・モスキートNF.36夜間戦闘機 x 2個(No39 219の各飛行隊)

第二次大戦末期に実戦配備を開始した双発ジェット戦闘機のグロスター・ミーティアは、F.1、F.3、F.4を経て完成形のF.8が1949年ないし1950年初めから配備を開始し、1951年末時点ではイギリス本土に展開する戦闘機軍団(ファイター・コマンド)の主力になっていて、派生型として複座で迎撃レーダー装備のNF.11も夜間防空の主力として配備されています。
しかしミーティアF.8は、朝鮮戦争に国連軍の一員として参加したオーストラリア空軍のF.8が共産軍の最新鋭戦闘機ミコヤンMiG-15と戦火を交えて、MiG-15に比べて飛行性能で明らかに見劣りがするのが明らかになります。
夜戦型のミーティアNF.11も、肝心の迎撃レーダー「Mk X」は第二次大戦後半に夜戦型モスキートに搭載されて実用化されたタイプで、戦争終結から5年以上経つのにこのような旧式迎撃レーダー装備に甘んじているのは、イギリスの戦後の財政難による新型迎撃レーダーの開発の遅延とアメリカからの技術導入に必要な外貨(ドル)不足が主な原因のようです。

グロスター・ミーティアに続いて、第二次大戦終結直後に実用化された単発のジェット戦闘機のデ・ハビランド・ヴァンパイアは戦闘機型のF.1、F.2、F.3を経て戦闘爆撃型のFB.5が1949年から配備を開始し、1951年末時点ではミーティアF.8と並ぶRAFの主力機の座を占めていて、西ドイツ駐留のRAF第2戦術空軍の主力機になっています(第2戦術空軍にはヴァンパイアFB.5装備のNo3 4 11 14 16 26 71 93 94 98 112 118の計12個飛行隊が配属)。
ヴァンパイアは単発機で小柄の為、双発で大柄のミーティアよりも価格が安いのは素人目にも容易に想像のつくところで、戦後の財政難に苦しむイギリスにとって安くてそれなりの性能で数を揃えられるヴァンパイアは魅力的な機体であったと思われます。
ヴァンパイアにはミーティア同様に複座の夜間迎撃型NF.10も配備されていますが、こちらの迎撃レーダーもミーティアNF.11と同じく旧式のMk Xで、加えて機体が小型で発展性に乏しいこともあり、1952年初めにNo151飛行隊への配備をもって戦力化は終了し、1954年の春までに実戦部隊から退役しています。
なお、ミーティアとヴァンパイアはアメリカが同盟国へのジェット戦闘機の本格供給を始める1951年までは、アメリカ以外のNATO諸国が調達できる唯一の貴重なジェット戦闘機で採用国も多岐に渡っています。

1951年末の時点でレシプロの単発戦闘機(スーパーマリン・スピットファイアやホーカー・テンペスト)は、補助空軍所属飛行隊も含め全ての戦闘飛行隊から退役しています。
ちなみに補助空軍とは有給のボランティアで構成される組織で戦闘機部隊は20個飛行隊を擁しており、有事でイギリス本国の戦闘機部隊が海外に展開した場合はその穴埋めとして本国防衛任務に就きます。
1951年末の時点ではミーティアF.8飛行隊x6個、ミーティアF.4飛行隊x2個、ヴァンパイアFB.5飛行隊x10個、ヴァンパイアF.3飛行隊x2個です。
戦闘機型スピットファイア最後の現役戦闘飛行隊は香港に配備されているNo65飛行隊で、1951年末にスピットファイアF.24からデハビランド・ホーネットF.3に改編されているようです。
この時点でイギリス空軍現役のレシプロ戦闘機飛行隊は僅か5個(双発機のデ・ハビランド・ホーネットとモスキートNF)になっていて、私の事前の予想よりもかなり少ない数です。
ホーネットF.3は1955年の夏に、本機装備で最後まで残ったNo45飛行隊がヴァンパイアFB.9戦闘爆撃機に機種改編したことで退役しています。
またモスキートNF.36は1953年春に本機装備の最後の飛行隊No39がジェット爆撃機のキャンベラに機種改編して退役しているようです。
この辺の情報の確度については、いずれ発売されるであろう世界の傑作機のモスキート(リニューアル版)での記事に期待しましょう。

爆撃飛行隊 推定22個:キャンベラ以外は全てレシプロ機
イングリッシュ・エレクトリック・キャンベラB.2双発ジェット爆撃機 x 1個(No101飛行隊)
ボーイング・ワシントンB.1四発爆撃機 x 8個(No15 35 44 57 90 115 149 207の各飛行隊)
アブロ・リンカーン四発爆撃機 x 10個(No7 9 12 49 61 83 97 100 148 617の各飛行隊)
ブリストル・ブリガンドB.1双発爆撃機 x 2個(No8 84の各飛行隊)
デ・ハビランド・モスキートB.35双発爆撃機 x 1個(No139飛行隊)

イギリス初のジェット爆撃機にして戦後イギリス軍用機の一大傑作であるイングリッシュ・エレクトリック・キャンベラはこの年の6月にNo10飛行隊がアブロ・リンカーンからの機種改編を終えて最初の実戦飛行隊になっています。
この後、キャンベラは爆撃機部隊と偵察機部隊に大量配備が行われて、爆撃機型はジェット戦略爆撃機の所謂「Vボマー」が戦力化するまでの繋ぎとして一時期はRAF爆撃機軍団(ボマー・コマンド)の主力を形成し、偵察機型は21世紀初頭まで配備が続けられるという長寿機になりました。

ポーイング・ワシントンB.1四発爆撃機はアメリカから貸与されたボーイングB-29スーパーフォートレスの事で、1950年夏のNo115飛行隊を皮切りに、1951年夏までにここで述べている8個飛行隊全てへの配備が完了しています。
素人目には旧態依然としたアブロ・リンカーン爆撃機よりは余程頼りになる、ボマー・コマンドの主柱を任せるに相応しい高性能の機体なのですが、運用した当のRAFの評価はかなりの辛口なのが今回の調査で驚いた事のひとつでした。
機内与圧式の爆撃機にRAF側が不慣れだったことと、中古機ということで状態不良の機があったことが悪印象の要因です。
このワシントンB.1に対するネガティブな評価から、1954年にアメリカが提案した「ボーイングB-47ジェット戦略爆撃機最大90機のRAFへの提供」もイギリス側が即座に拒否してお流れになったそうです。
B-47の提供を断った表向きの理由は「B-47よりもイギリス国産のジェット爆撃機のキャンベラの方が運用性において勝る(離陸に必要な滑走路の長さなど)」ですけれど、背景にはワシントンB.1の運用に苦慮した経験から来るアメリカ製爆撃機に対する不信感があったとの事。
この不信感ゆえなのか、または最初からイギリス国産のキャンベラ爆撃機の配備までの短期間の貸与という取り決めがあったのかは定かではありませんが、RAFのワシントンB.1の運用期間は短期間で終わり、1954年の春までに配備を終了しています。
なおイギリスが受け入れを拒否したB-47戦略爆撃機は、1953年から58年まで爆撃機配備定数45機のアメリカ戦略空軍(SAC)の一個航空団がイギリス本土の基地に常時展開しています。

アブロ・リンカーン爆撃機はドイツの諸都市に対する夜間爆撃で名を馳せた(悪名を残した)アブロ・ランカスター爆撃機の改良型で、1947年末には14個飛行隊に配備されてRAFボマー・コマンドの主力機に君臨していました。
しかし最大速度が600km/hに満たず、B-29のような高高度飛行性能も持ち合わせていないリンカーンはこの時期陳腐化が甚だしく、ソ連相手の全面戦争でどれ程の活躍が出来るのかはソ連の夜間防空体制次第という状態です。
リンカーンは本機装備の最後の実戦飛行隊No97が1956年初頭に解散して第一線から引退し、その後は後方支援やテストベッド用の機体として数年間最後のご奉公に励むことになります。
ブリストル・ブリガンドB.1は第二次大戦中の主力戦闘爆撃機ブリストル・ボーファイターの後継機として戦後すぐに就役しましたけれど、生産は僅か147機で1951年末時点での配備は中東地区のみです。
ブリガンドは1953年に最後の運用部隊No84飛行隊が解散したことで実戦部隊から退役しています。
デ・ハビランド・モスキートB.35はモスキートシリーズの最終量産型で、最後の運用部隊No139飛行隊が1952年末に最新鋭ジェット爆撃機のキャンベラB.2への機種転換によって引退しています。

偵察飛行隊:推定8個
グロスター・ミーティアPR.10高高度偵察機 x 3個(No2 13 541の各飛行隊)
グロスター・ミーティアFR.9戦闘偵察機 x 3個(No9 119 208の各飛行隊)
スーパーマリン・スピットファイアPR.19とデ・ハビランド・モスキートPR.34の混成 x 1個(No81飛行隊)
デ・ハビランド・モスキートPR.34偵察機 x 1個(No540飛行隊)

グロスター・ミーティアの偵察機型は武装偵察型のFR.9と非武装高高度偵察型のPR.10に大別されています。
戦闘機型はこの時期既に退役してしまったスピットファイアは、偵察型PR.19がモスキートとの併用で辛うじて残存していましたが、両機共に1953年暮れにNo81飛行隊がミーティアPR.10に機種転換したことで第一線から退いています。

海上哨戒飛行隊:推定11個
アブロ・シャクルトンMR.1 x 3個(No120 220 224の各飛行隊)
アブロ・ランカスターASR.3/GR.3 x 4個(No37 38 203 210の各飛行隊)
ショート・サンダーランドGR.5 x 4個(No201 205 209 230の各飛行隊、他に輸送任務部隊のNo88飛行隊:香港駐留があります)

海上哨戒部隊は沿岸軍団(コースタル・コマンド)の管轄ですが、第二次大戦後の空軍戦力削減で一番割を食ったと言われているのがこの軍団。
1951年末時点でも本格的な対潜能力の無い第二次大戦型の機材(ランカスターとサンダーランド)が多数を占めています。
この時期にはドイツのUボートの技術を元にしたソ連の潜水艦戦力が大増強しつつあり、その脅威に対してコースタル・コマンドのこの戦力では不安は否めません。
その為、コースタル・コマンドは国産のシャクルトン哨戒機が充分に増勢するまでの繋ぎとして、1952年初めから当時のアメリカ海軍新鋭海上哨戒機・ロッキードP2Vの提供を受けていて、ネプチューンMR.2の名称で54年までに4個飛行隊(No36 203 210 217)に配備しています。
第二次大戦以来の大ベテランであるランカスターの最後のタイプ、GR.5は1954年夏にNo203飛行隊がP2Vに機種改編したことで第一線から退いています。
なお、第二次大戦後半にアブロ・ランカスターに次ぐ大型爆撃機として活躍したハンドレページ・ハリファックス爆撃機の海上哨戒型GR.6は、本機装備の最後の飛行隊No224が1951年後半にアブロ・シャクルトンに機種改編したことで引退しています。
ランカスターに比べるとひどく地味な印象のハリファックスですが、海上哨戒型として1950年代初頭まで任務に就いていたというのが、私が今回の調査で驚愕したことのひとつです。

大型輸送飛行隊:推定5個
ハンドレページ・ヘイスティングス x 5個(No24 47 53 99 511の各飛行隊)

輸送機は小型から大型まで多岐に渡るので、一応の線引きとして四発機のみを上げてみました。
RAF輸送コマンドの主力を成すレシプロ四発輸送機のハンドレページ・ヘイスティングスは、第二次大戦末期から配備を開始したアブロ・ヨーク四発輸送機の後継機として、1948年半ばにNo47飛行隊から配備を開始、1951年末時点で5個飛行隊が戦力化しています。
これに伴い、アブロ・ヨークは1951年に第一線から退いています。
なお、ヘイスティングスに次ぐ輸送機として、双発機のビッカース・バレッタ輸送機が1947年から配備を開始し、この時点で推定9個飛行隊に配備されています。

次回は1952年から55年にかけてのイギリス空軍関連の特記事項についてです、ではまた。

2018年2月 6日 (火)

イギリス海兵隊大幅削減という話

備忘録的に・・・
昨日、公共放送BSで流しているイギリスBBCニュースの中で、
「イギリス海兵隊の大幅削減と揚陸艦二隻の退役」をイギリス政府が計画していて、議会から反対の声が上がっているとの事。
国防費の更なる削減策の一環のようですが、海兵隊の大幅削減と揚陸艦の退役という話は戦闘機部隊の削減などとは次元の違う、イギリスの国防政策上非常にマズい話なのではないかと思うところ。

イギリス海兵隊は現在一個旅団規模の戦闘部隊を有していて、その錬度の高さ、作戦遂行能力の高さはつとに知られているところです。
アメリカ海兵隊のような正規の水陸両用部隊というよりは、半ば特殊部隊に近い性格でイギリスの紛争緊急対応において欠くべからざる戦力です。
報道では単に「大幅削減」と言っていたので、現在七千人規模の海兵隊をどれほど削るつもりなのかはまだ明らかではないのですけれど、海兵隊の海上機動を担保するドック型揚陸艦「アルビオン」(2003年6月就役)と「フィアレス」(2004年12月就役)を退役させるとなれば、この二隻で運べる最大1,420名の戦闘部隊は削減することになるのでしょう。
後方支援を含めれば3,000人以上の削減、つまり海兵隊の人的規模を現在の半分にまで減らすつもりなのかもしれません。
「アルビオン」と「ブルワーク」を葬ってしまうと、イギリス海軍に残る揚陸艦は現在建造中の新型空母「プリンス・オブ・ウェールズ」のみになります。
(補助艦隊に在籍するベイ級揚陸艦は戦闘艦艇とは呼べないので除外)
「プリンス・オブ・ウェールズ」は2017年末に就役した新型空母「クイーン・エリザベス」の同型艦で、現在就役中のヘリコプター強襲艦「オーシャン」(1998年9月就役、2018年退役予定)の後継となるフネ。
F-35B戦闘飛行隊と海兵隊を乗艦させる所謂「ハイブリット・キャリアー」になる予定です。
ここで視点をイギリス海軍側に移して見ると、「プリンス・オブ・ウェールズ」の乗組員定数は679名(航空要員と海兵隊は除く)です。
ここで考えておかねばならないのは、この乗組員をどうやって捻出するか?
「クイーン・エリサベス」の場合は2014年に退役した軽空母「イラストリアス」(乗組員定数685名)分の人的プールから汲み上げて充当したのかもしれません。
しかし「プリンス・オブ・ウェールズ」の場合、この艦の就役に伴って退役する「オーシャン」の乗組員定数は285名に過ぎないのです。
つまり400名近い乗組員の不足です。
駆逐艦やフリゲートはもうギリギリまで削り込んでしまっていて、これ以上の削減は無理となれば人的プールの財源を他に探さねばなりません。
するとどうでしょう、「アルビオン」と「フィアレス」の両艦乗組員総数は650名で、この二隻を削れば「プリンス・オブ・ウェールズ」の乗組員を充当してさらにお釣りが来るのです。

勿論これは単なる架空の数合わせで、艦艇乗組員の人的プールには2011年に退役した軽空母「アークロイヤル」の分もまだ残っているのかもしれません。
「クイーン・エリザベス」級空母は本来「イラストリアス」と「アーク・ロイヤル」の後継として就役するはずだった艦ですから、七年前に退役した「アーク・ロイヤル」の乗組員枠は何らかの形で残している可能性はあります。
しかしイギリス海軍としては今後、カネのかかる新空母二隻の運用に加えて、軍事面においてイギリスが大国である数少ない証になっている戦略原潜の更新も実施しなれければなりません。
現在就役中の「ヴァンガード」級の後継としては2028年に一番艦就役のスケジュールで「ドレッドノート」級計画が進捗していて、今後もし労働党が政権を奪取しても隻数の削減はあり得るにせよ計画自体は粛々と進めていくものと思われます(やはり雇用面での影響力は大きいのです、BBCニュースを見ていると実感しますわ)。
今後十数年間にこのような大金を投じるプロジェクトが控えていて、国防費は削減傾向が止まらず。
その中で予算減らしの特効薬で人減らしとなれば、海軍としては所詮二義的な存在に過ぎない海兵隊用の揚陸艦の切捨てに目が行くのはやむを得ないところかと。
フォークランド紛争の直前にも、国防費削減策の一環で当時在籍していた強襲揚陸艦「フィアレス」と「イントレピッド」を退役させる予定だったという過去もあります。

イギリス議会は賢明にも海兵隊の大幅削減と二隻の揚陸艦退役に反対しているので、政府の思惑通りに事が運ぶかは不透明。
削減はやむを得ないところなのでしょうけれど、結論は「アルビオン」と「ブルワーク」のどちらかを現役で残してその乗艦相当分の海兵隊削減に落ち着くのではと思うところです。
でもイギリスはこうだと決めたら即実行しますからね・・・。
「アーク・ロイヤル」なんて話が出てからアッという間に退役させられちゃいましたし。
日本の役所仕事では考えられない電光石火の早業でしたわ。
そして日本にとって気になるのは、退役するドック揚陸艦の売却先です。
艦齢はまだまだ若いので、購入に名乗りを上げる国が出てくるのは確実でしょう。
インドやブラジルあたりならよいのですけれど、中国だった場合はかなり危険な話になります。
もし退役が決まっている「オーシャン」も一緒に購入されると、近い将来の中国海軍の両用戦能力は大幅に向上し、南シナ海は勿論我が国の尖閣はもとより先島諸島も相当な圧力を受けることになるやもしれません。
イギリスのメイ首相は先日中国を訪問して、大型商談が成立してチャイナマネーの引込みに大喜びしているようです。
EU離脱後に向けて中国との関係を更に強化する方針だそうで、それが軍事面にも影響しないかと非常に気になるところなのです。
世の中所詮はカネですからな。
私はイギリスという国は好きですが、有色人種に対するイギリス人のやり口は全く信用していません。

2017年12月10日 (日)

真冬の新潟でシーハリケーンMk.ⅠAの勇者たちに想いを巡らす

11月末発売の「世界の傑作機」Noは「ホーカー・ハリケーン」のリニューアル版。
イギリス空軍の制式採用戦闘機として初の単葉引き込み脚を採用し、最大速度が500km/hを超えた最初の機体であります。
かのバトル・オブ・ブリテンでは、同僚のスーパーマリン・スピットファイアと共に英本土防衛に獅子奮迅の働きを見せ、その後は主役の座をスピットファイアに譲りつつも、戦闘攻撃機、対戦車攻撃機に転身して戦争終結まで第一線に残った長寿機でもあります。

昔の飛行機というものは人間と同じで、旬な花の盛りはごく僅か。
特に大戦下のそれは特に。
ひとたび旬を過ぎてしまえば、後はもう落ちていくのみ消え行くのみ。
しかしそのような残酷な世の定めに抗い、たとい一線級の命脈は尽きても身の程にあった第二の人生に活路を見出し、そこでいぶし銀の働きを見せる。
私ももういい歳のオッサンなので、最近はそのような事が頭をよぎり、そしてそのような飛行機にこれまで以上に愛着を感じるようになってまいったところです。
アメリカのカーチスP-40やグラマンF4F、PBYカタリナ、SOCシーガル、イギリスのソードフイッシュ、そして今回のホーカー・ハリケーンといった面々がまさしくその愛着を感じるヒコーキたちなのです。
なので今号は実に興味深く読み耽った次第。
以前の号は立ち読みして、内容が薄いな~と思い買わなかったのですよ。
まぁあの当時の「世界の傑作機」って大体あんな感じでしたけれど。

以前の号は所有しておらず、またこの戦闘機に関してはごくごく基本的な事しか知らなかったので、今回読んで初めて知ったこともいくつかありました。

>鋼管羽布構造といっても接続は溶接ではなくジョイントを使用
今までずっと溶接だとばかり思っていました、勉強不足ですいません親方!
溶接のための要員、設備を抑える為にハリケーン以前から試みられていたことで、当時の技術で造り慣れた構造を生かしつつ、より低コストで量産できるように考慮。
当時、セミモノコック構造全金属製の「ノースロップ・ガンマ」に魅了されて、官民上げてそちらの方向へ一気に突っ走っちゃったわが国とは違いますなぁ。

>バトルオブブリテンの従来の定説は違っている
従来の説では、Bf109には高性能のスピットファイアを充て、爆撃機には低性能のハリケーンを充てていたという話でしたが、当時のレーダーや指揮通信能力でそんなにうまい事いくのかいなとは、以前から感じていた疑問だったのです。
大型機なら早期に捉えられたにしても、小型の戦闘機はかなり近づかないと探知できなかったでしょうし、爆撃機には必ず戦闘機の護衛が付いていてそれらは爆撃機の上空にいるとは推定できても、高角レーダーが無かった当時は相手の侵入高度まではわかりませんし、そんな状態ではスピットファイアを差し向けるにしても推測以上の情報は与えられないでしょう。

>バトルオブブリテン後のハリケーン
パトルオブブリテン終了後はスピットファイアの充足に伴い、ハリケーンは本国の戦闘機軍団から中東や東南アジアに急速に転出・・・というのが、無知な私の勝手な思い込みだったのですけれど、実際は戦闘機軍団に所属してドイツ占領下の低地諸国に侵入攻撃作戦を繰り広げていたのです。
この手の任務だと戦闘機軍団ではなく陸軍直協軍団の領分じゃないのかなぁと思うところなのですが、基地に帰投寸前の敵爆撃機を狙うミッションは敵機撃墜を目的にしているので戦闘機軍団の仕事という考え方だったのでしょうか。

>最後のハリケーン
今回、最も驚いたのが英国空軍において戦後も僅かな期間ながらハリケーンが実戦配備されていたということです。
英国空軍ハリケーン最後の実戦飛行隊No6sq(中東パレスチナに展開)が、同じホーカー社製の後輩であるホーカー・テンペストに席を譲って退役したのが1947年1月。
ハリケーンの次にホーカー社が開発した戦闘機のタイフーンは、欧州戦終結後アッという間に消え去ってしまったのに、何とも長寿なハリケーンなのであります。
これも先述した「身の程にあった第二の人生に活路を見出し」の結果なのです。
旧式構造で飛行性能もそれなりのものになってしまっても、高性能な敵戦闘機に遭遇する心配のない戦後間もない中東では、過酷な自然条件に耐え得るその旧式構造ゆえのアドバンテージが多かったということなのでしょうね。

さて、今回私が最も期待しておったのが、英国海軍が急遽導入した「シーハリケーン」の実態についてでした。
空軍のハリケーンを艦上機に仕立て直した「シーハリケーン」は、まだ護衛空母が大挙投入されていなかった時期に船団の防空直衛用として配備されたCAMシップからカタパルト射出される使い捨てのMK.ⅠAと、着艦フックを取り付けるなどして空母での運用を可能にしたMk.ⅠB、Mk.ⅠC及びMk.Ⅱ2Cが存在します。
しかしそれらに関する記事が、ぶっちゃけ薄い・・・。
岡部いさく先生が書かれるからには、もっと濃い内容を期待していたのですよ。
シーハリケーンを運用した海軍戦闘飛行隊一覧とかね。
そういうネタはいずれ「フェアリー フルマー」を扱う時の為に温存しているに違いない、きっとそうなんだよウン!と、自慰に耽っている今時分なのであります。

しかしハリケーン萌えとは別に、冷静に考えてみるとはたしてMk.ⅠA以外の「シーハリケーン」が海軍航空隊にホントに必要だったのか?
性能はフルマーよりは良いとはいえ、イタリア空軍はともかく、帝国海軍やドイツ空軍の戦闘機相手には劣勢を免れない月並みな性能。
さらに致命的なことには主翼を折りたためないから母艦の格納庫に収容することも出来ない。
帝国空軍やドイツ空軍の戦闘機と正面きって戦う戦域では使わないからそれでもいいのだという話なのであれば、フルマーでも一応の役割は果たせるわけです。
また米国製のグラマン・マートレット(F4Fワイルドキャット)は、1941年春から主翼折りたたみ仕様のマートレットⅡが、1942年に入るとレンドリースでマートレットⅢが引き渡しを開始しています。
生粋の艦上戦闘機で主翼の折りたたみが可能、飛行性能は一長一短あるものの総じてシーハリリーンと互角で航続力はより長いマートレット、この機とシーハリケーンのどちらを選ぶかとなればやはりマートレットに軍配を上げざるを得ないでしょう。
それでもなおシーハリケーンを、応急処置的なMk.ⅠBに続いてエンジン換装、武装強化型のMk.ⅡCまで配備したのは、とにかく適当な性能の艦上戦闘機を一機でも多く欲しかっただけなのか、マートレットの主脚間隔の狭さ(シーハリケーンの2.31mに対してマートレットは1.96m)に懸念があって低錬度の搭乗員では危ないと判断したのか、はたまた万が一レンドリースを止められて米国に梯子を外される最悪の事態も頭に入れてのことだったのか。
識者の方々の見解をぜひ聞いてみたいと、常々念願しておるところなのです。

空母搭載型の「シーハリケーン」については、このようにその存在意義についてうーむといささか首を捻らざるを得ないのですが、最初のタイプであるMk.ⅠAについては、朝日ソノラマ刊「北欧空戦史」を読み耽って、往時のパイロットたちの勇気ある戦いに思いを巡らせておったところです。
時に1942年5月25日、ソ連のムルマンクスを出航してイギリスに帰投する船団QP-12がノルウェー北方海域でドイツ空軍爆撃機の襲撃を受け、船団唯一のCAMシップからケンダル中尉搭乗のシーハリケーンが勇躍射出出撃。
ケンダル機は見事ドイツ機を撃墜した後、空戦よりも過酷な機体からの脱出を敢行。
着艦設備の一切無いCAMシップからひとたび射出されたら、後は陸上の味方基地に向かうか機を捨てて脱出し味方のフネに拾われるかのどちらかしかないのです。
ケンダル中尉のパラシュートは海面上わずか15mで開き、5月とはいえまだまだ冷たい北洋の海面に叩きつけられるように着水、駆逐艦に救助されたものの死亡したという話。
今回、CAMシップ運用で戦死者は一名と書かれていましたが、もしかしたらこのケンダル中尉の話がその唯一の戦死例なのかもしれません。
日本の特攻と違って「必死」の作戦ではありませんが、まさしく「決死」の任務に違いなく、CAMシップ勤務は志願者で行われていたのも頷けます。
今号のカラーページに、怒涛逆巻く洋上を進むCAMシップとカタパルト上で待機するシーハリケーンの画が載っていますが、あんな海象条件であっても敵機来襲となれば射出発進していったのでしょう。
あんな海に落ちて救助を待つなど、生半可な戦意では無理ですな。
危急の際にはあのような任務をも進んで断行する。
それこそが海洋国家大英帝国の真髄発揮だと深く感じるところなのであります。

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

カテゴリー