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2020年5月17日 (日)

1950年代後半のイギリス空軍(RAF)その2(暫定メガトン兵器「バイオレットクラブ」)

1950年代後半のイギリス空軍(RAF)その2です。
→1956年末時点のイギリス空軍の戦力構成について述べた「1950年代後半のイギリス空軍(RAF)その1」はこちらへ。

前回は1956年末時点のイギリス空軍の勢力について述べましたが、今回は1956年から60年までのイギリス空軍に関する特記事項です。
主にイギリス独自の核兵器開発についての話になります。
英語版ウィキペディアや海外のサイトを調べて、自分なりに咀嚼してなんとか話を纏めてあります。
日本語版ウィキペディアには載っていない極めて興味深い話が多数あって、調べていても瞠目驚愕の連続でございました。

1956年11月にはスエズ危機(第二次中東戦争)が勃発。
エジプトのナセル革命政権によるスエズ運河国有化によって植民地帝国以来の利権を失うイギリスは、利害を同じくするフランス、そしてエジブト革命政権に一撃を加えておきたいイスラエルと共謀し、エジプトに対する軍事攻撃に踏み切ります。
RAFは中東を睨む地中海の要所キブロスに大部隊を派遣、最新鋭のヴァリアント戦略爆撃機まで出撃させるほどでしたけれど、英仏に勝手な軍事行動を取られて激怒したアメリカと、エジプトの革命政権を支持するソ連の圧力恐喝によって利権奪還の目論見はあえなく潰えてしまったのです。

1957年には「1957国防白書」が発表されます。
核ミサイル時代においては、対爆撃機のみを想定した旧来の防空体制は最早時代遅れであるとして、戦闘機部隊の大削減と超音速迎撃機の開発中止(ライトニングを除く)、新型地対空ミサイル「ブルーエンボイ」の開発中止、次期超音速戦略爆撃機の開発中止が相次ぎます。
イギリス航空産業の統合再編も国策として強く推進され、1960年までにBACとホーカー・シドレーの二社体制へ収斂されます。
1957年に配備が開始されたRAF待望の戦略爆撃機のアブロ・ヴァルカンとハンドレページ・ヴィクターに搭載する、最大射程200km強の空対地核ミサイル「ブルースティール」は開発続行。

ゆくゆくはヴァルカンとヴィクターに代わるイギリス戦略核戦力の主柱と期待されて、1950年代中盤から開発に着手された中距離弾道ミサイル「ブルーストリーク」計画も続行されますが、こちらは1960年4月に弾道ミサイルとしての開発中止が発表されます(衛星打ち上げ用としては開発続行)。
ブルーストリークは最大射程4000km弱を目標とする二段式の液体燃料ミサイルですが、これだと発射前に燃料を4分ないし5分かけてミサイルに注入しなければならず、敵の先制攻撃を許した場合の即時反撃能力に不安が付き纏います。
またミサイルを敵ミサイルによる先制攻撃から守る為に、配備方式は地上設置ではなく至近距離での核爆発に耐えうる堅固な地下サイロ方式としましたが、それもまた大きな問題になりました。
そもそもイギリス本土には堅固な地下サイロを作れる強固な地盤が少ないのです。
また先制攻撃に対する生存性を高めるため、サイロは広範囲に分散して作る必要がありますけれど、イギリス本土でそれに必要な土地の確保は極めて困難です。
人口密集地帯に近接した場所にサイロを展開すると、敵の攻撃の巻き添えをくってどれほど犠牲者が出るかそれも心配の種でした。
そうした問題とミサイル本体の開発難航のダブルパンチで、イギリス期待の核戦力であったブルーストリークは幻のミサイルとなったのです。
そのブルーストリークの代替としてイギリスが選定したのが、アメリカが鋭意開発中であった空中発射式弾道ミサイル「スカイボルト」です。
ヴァルカン戦略爆撃機の大きな主翼下にスカイボルトを二発搭載してイギリス核戦力の切り札とする構想で、ブルーストリークの開発中止発表の直後にスカイボルトの購入が正式決定されるのですが、その顛末は「1960年代前半のイギリス空軍」で述べさせていただきます。

イギリス独自の核爆弾/核弾頭については急ピッチで開発が推し進められ、1955年に計画が公表された水爆開発も引き続き推進されますけれど、こちらの方は結果を出すことがなかなか出来ず、水爆小型化の中核技術となるブースト型核兵器開発計画として立案した「グラナイト」は失敗、「グリーンバンブー」は計画放棄されてしまいます。
核分裂コアに重水素ガスを封入し、その核融合反応によって発生する高速中性子を利用して核分裂反応を大幅に促進効率化するブースト型核兵器の開発は水爆の小型化、ミサイル弾頭化の鍵となるものなので、これにことごとく失敗したのではミサイル搭載の熱核弾頭など到底実用化できません。
ただ水爆実験そのものは1957年11月に四回目のチャレンジで成功を収め、核出力1.8メカトンを発揮します。
ただしこれはブースト型のピットを使わない初期の水素爆弾で、相当に大型のものであったようです。
58年4月には五回目の実験でイギリス史上最大の爆発力3メガトンを達成します。
水爆の小型化に必須のブースト技術に関しては、イギリスは58年後半に三回実施されたブースト型核兵器の実験に成功しています。
しかしこれら水爆やブースト型核兵器製造に必須の兵器級プルトニウムの不足に悩むイギリスは、こうした技術を手にしたからすぐ実用水爆の調達をというわけにはいかなかったようです。

実用型水爆の製造に中々踏み切れない状況下において、それでも大威力の核爆弾保有を追及するイギリスは水爆完成までの繋ぎとして、後述する「米英相互防衛協定」に基づき、なけなしの自国製兵器級プルトニウム(ウィンズケール原子炉や後述のカルダーホール原発で造られた兵器級プルトニウムは1950年から58年までに約470kgほど)とアメリカ製の大量の高濃縮ウランを交換する取引を実施(イギリスはこの取引で7トンもの高濃縮ウランを取得できたそうです)。
なお水爆用の三重水素製造用に転用されたと言われるウィンズケール原子炉1号機は1957年10月に火災事故を起こして、イギリス史上最悪の核汚染を引き起こして再起不能に、無事であった2号機も運転休止となり再起しませんでした。
しかしウィンズケールの火災事故の前年には、兵器級プルトニウムを製造し副次的に発電も行うカルダーホール原発が稼動を開始しています。
この原発の稼動によってイギリスの兵器級プルトニウムの製造は続行されていくのです。

イギリスはアメリカとの取引で得た高濃縮ウランを使用したピット「グリーングラス」を、イギリス最初の原子爆弾「ブルーダニューブ」の弾体に載せ換える形で大威力の原子爆弾「バイオレットクラブ」を1958年に完成させます。
「バイオレットクラブ」の重量は約4.4トンと言われているので、核出力/重量比は400キロトンの場合約91になり、「ブルーダニューブ」の約3に比べるとカタログスペックとしては相当に進化したものと言えます。
しかし、ブースト技術を使わない純粋な原子爆弾としては世界最大級の400キロトンないし500キロトンの威力を誇り、「暫定的メガトン兵器」と呼称されたという「バイオレットクラブ」は、臨界量を超える大量の高濃縮ウランを使ったピット「グリーングラス」が不安定で危険な代物であったことから、水素爆弾の配備までの中継ぎ役と割り切って長期保管は想定しない緊急用兵器(配備は1960年まで)として推定10発あまりが準備されたとのことです。
「グリーングラス」に使用された兵器級高濃縮ウランは75kg(87kg、98kg説も有り)もあって、長崎に落とされたプルトニウム・インプロージョン式の原爆「ファットマン」に使われた兵器級プルトニウムが6kg強(これで22キロトンの核出力)なのを比べれば、高濃縮ウランとプルトニウムの効率性の違いはあるにせよ、インプロージョン式の純粋な原子爆弾で75kgもの高濃縮ウランを使う「バイオレットクラブ」はやはり異様な存在です。
ちなみに一説によると、濃縮率99パーセントの兵器級高濃縮ウランの場合、その臨界量は15kgとの事で、「グリーングラス」は最大500キロトンの出力を発揮させるためにその軽く五倍の量を使用したのです。
これだけの高濃縮ウランの量だと、核分裂反応を起こしきる前に爆発で吹き飛んでしまう核物質の量も相当なレベルというのは素人でも想像のつくところで、この爆弾が使われたら爆心周辺は猛烈な放射能汚染に晒されたことでしょうね。

大威力ですが不安定で危険な「グリーングラス」ピットは、投下時の弾道特性に優れパラシュートによる投下による落下速度低下にも適合した新設計の弾体に搭載され、「暫定的メガトン兵器」第二弾の「イエローサンMk.1」(重量約3.3トン)として1959年から配備されます。
イエローサンMk.1の爆発/重量比は400キロトンの場合、約121になるので「バイオレットクラブ」よりも更に効率的な爆弾になっていますが、「グリーングラス」が不安定で危険な代物なのに変わりはありませんから、この爆弾もやはり緊急事態用の核兵器に留まっています。
グリーングラスは推定37個が製造されたという話なので、単純計算では「イエローサンMk.1」は25発程度が作られたことになりますが、資料によっては「バイオレットクラブ」に組み込まれたグリーングラスがイエローサンMk.1に移設されたという話もあるので、この暫定メガトン兵器第二号が何発作られたのかはよくわかりませんでした。
ともあれこの危険な緊急用原子爆弾は次回に述べる「米英相互防衛協定」に基づいて、アメリカの核技術を導入して作られた水素爆弾「イエローサンMk.2」の配備に伴い、1961年に退役しています。

イギリスの核兵器開発のその後を語るのに欠かせない「米英相互防衛協定」等については項を改めて次回で、ではまた。

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