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2020年4月26日 (日)

1950年代前半のイギリス空軍(RAF)・その1(1951年末時点のイギリス空軍戦力概要)

私は九年ほど前に当ブログで、「1960年の英国海軍」「1970年の英国海軍」「1980年の英国海軍」「1990年の英国海軍」「2000年の英国海軍」という連載記事を掲載していました。
戦後のイギリス海軍の勢力消長の全体像を大雑把に調査記述したもので、個人的にはかなりの手間をかけて書いた労作であります。
そして今回からは「イギリス空軍(RAF)の戦後の消長」をこれまたごく大雑把ではございますが備忘録を兼ねて記述しておきたく存じます。
これを思い立ったのは一昨年暮の世界の傑作機「ハンドレページ・ヴィクター」とその後の「アブロ・バルカン」のリニューアル版を読んで、
「戦後のイギリス空軍爆撃機の配備状況はどんなものだったのだろうか?」という疑問と好奇心からでした。
ちょうど一年前からまず爆撃機について調査を開始したのですが、調査を進めるにつれて爆撃機が搭載するイギリスの核爆弾、核兵器、そしてそれを運用する戦闘爆撃機の配備状況についてまで話が広がってしまいまして、ここまで風呂敷を広げたのならいっそのこと戦闘機や哨戒機などについても調べてしまおうという事になったのであります。
英語版ウィキペディアやRAFの公式サイト、英語のサイト「ウイング・アビエーション」、「世界の傑作機」を情報ソースとして、なんとか年代別の形に纏めてみました。
配備飛行隊や配備時期についてはソースによって異なる事が間々あるのですが、その辺は私の独断で判断して記述しておりますので正確さに欠ける部分は確実にありますけれど、大体の流れについてはそれなりの確度があると自負しておるところです。
では今回は第一回「1950年代前半のイギリス空軍・その1」であります。

下記に挙げているのは1951年末時点における、RAFの戦力の概況であります。

戦闘及び戦闘爆撃飛行隊 推定49個:
ジェット戦闘機
グロスター・ミーティアF.8戦闘機 x 14個(No1 19 41 43 56 63 64 65 66 74 92 222 245 263の各飛行隊)
グロスター・ミーティアNF.11夜間戦闘機 x 4個(No29 85 141 264の各飛行隊)
デ・ハビランド・ヴァンパイアFB.5戦闘爆撃機 x 23個(No3 4 6 11 14 16 26 28 32 54 60 67 71 72 93 94 98 112 118 185 213 247 249の各飛行隊)
デ・ハビランド・ヴァンパイアFB.9戦闘爆撃機 x 1個(No73飛行隊)
デ・ハビランド・ヴァンパイアNF.10夜間戦闘機 x 2個(No23 25の各飛行隊)

レシプロ戦闘機
デ・ハビランド・ホーネットF.3戦闘機 x 3個(No33 45 65の各飛行隊)
デ・ハビランド・モスキートNF.36夜間戦闘機 x 2個(No39 219の各飛行隊)

第二次大戦末期に実戦配備を開始した双発ジェット戦闘機のグロスター・ミーティアは、F.1、F.3、F.4を経て完成形のF.8が1949年ないし1950年初めから配備を開始し、1951年末時点ではイギリス本土に展開する戦闘機軍団(ファイター・コマンド)の主力になっていて、派生型として複座で迎撃レーダー装備のNF.11も夜間防空の主力として配備されています。
しかしミーティアF.8は、朝鮮戦争に国連軍の一員として参加したオーストラリア空軍のF.8が共産軍の最新鋭戦闘機ミコヤンMiG-15と戦火を交えて、MiG-15に比べて飛行性能で明らかに見劣りがするのが明らかになります。
夜戦型のミーティアNF.11も、肝心の迎撃レーダー「Mk X」は第二次大戦後半に夜戦型モスキートに搭載されて実用化されたタイプで、戦争終結から5年以上経つのにこのような旧式迎撃レーダー装備に甘んじているのは、イギリスの戦後の財政難による新型迎撃レーダーの開発の遅延とアメリカからの技術導入に必要な外貨(ドル)不足が主な原因のようです。

グロスター・ミーティアに続いて、第二次大戦終結直後に実用化された単発のジェット戦闘機のデ・ハビランド・ヴァンパイアは戦闘機型のF.1、F.2、F.3を経て戦闘爆撃型のFB.5が1949年から配備を開始し、1951年末時点ではミーティアF.8と並ぶRAFの主力機の座を占めていて、西ドイツ駐留のRAF第2戦術空軍の主力機になっています(第2戦術空軍にはヴァンパイアFB.5装備のNo3 4 11 14 16 26 71 93 94 98 112 118の計12個飛行隊が配属)。
ヴァンパイアは単発機で小柄の為、双発で大柄のミーティアよりも価格が安いのは素人目にも容易に想像のつくところで、戦後の財政難に苦しむイギリスにとって安くてそれなりの性能で数を揃えられるヴァンパイアは魅力的な機体であったと思われます。
ヴァンパイアにはミーティア同様に複座の夜間迎撃型NF.10も配備されていますが、こちらの迎撃レーダーもミーティアNF.11と同じく旧式のMk Xで、加えて機体が小型で発展性に乏しいこともあり、1952年初めにNo151飛行隊への配備をもって戦力化は終了し、1954年の春までに実戦部隊から退役しています。
なお、ミーティアとヴァンパイアはアメリカが同盟国へのジェット戦闘機の本格供給を始める1951年までは、アメリカ以外のNATO諸国が調達できる唯一の貴重なジェット戦闘機で採用国も多岐に渡っています。

1951年末の時点でレシプロの単発戦闘機(スーパーマリン・スピットファイアやホーカー・テンペスト)は、補助空軍所属飛行隊も含め全ての戦闘飛行隊から退役しています。
ちなみに補助空軍とは有給のボランティアで構成される組織で戦闘機部隊は20個飛行隊を擁しており、有事でイギリス本国の戦闘機部隊が海外に展開した場合はその穴埋めとして本国防衛任務に就きます。
1951年末の時点ではミーティアF.8飛行隊x6個、ミーティアF.4飛行隊x2個、ヴァンパイアFB.5飛行隊x10個、ヴァンパイアF.3飛行隊x2個です。
戦闘機型スピットファイア最後の現役戦闘飛行隊は香港に配備されているNo65飛行隊で、1951年末にスピットファイアF.24からデハビランド・ホーネットF.3に改編されているようです。
この時点でイギリス空軍現役のレシプロ戦闘機飛行隊は僅か5個(双発機のデ・ハビランド・ホーネットとモスキートNF)になっていて、私の事前の予想よりもかなり少ない数です。
ホーネットF.3は1955年の夏に、本機装備で最後まで残ったNo45飛行隊がヴァンパイアFB.9戦闘爆撃機に機種改編したことで退役しています。
またモスキートNF.36は1953年春に本機装備の最後の飛行隊No39がジェット爆撃機のキャンベラに機種改編して退役しているようです。
この辺の情報の確度については、いずれ発売されるであろう世界の傑作機のモスキート(リニューアル版)での記事に期待しましょう。

爆撃飛行隊 推定22個:キャンベラ以外は全てレシプロ機
イングリッシュ・エレクトリック・キャンベラB.2双発ジェット爆撃機 x 1個(No101飛行隊)
ボーイング・ワシントンB.1四発爆撃機 x 8個(No15 35 44 57 90 115 149 207の各飛行隊)
アブロ・リンカーン四発爆撃機 x 10個(No7 9 12 49 61 83 97 100 148 617の各飛行隊)
ブリストル・ブリガンドB.1双発爆撃機 x 2個(No8 84の各飛行隊)
デ・ハビランド・モスキートB.35双発爆撃機 x 1個(No139飛行隊)

イギリス初のジェット爆撃機にして戦後イギリス軍用機の一大傑作であるイングリッシュ・エレクトリック・キャンベラはこの年の6月にNo10飛行隊がアブロ・リンカーンからの機種改編を終えて最初の実戦飛行隊になっています。
この後、キャンベラは爆撃機部隊と偵察機部隊に大量配備が行われて、爆撃機型はジェット戦略爆撃機の所謂「Vボマー」が戦力化するまでの繋ぎとして一時期はRAF爆撃機軍団(ボマー・コマンド)の主力を形成し、偵察機型は21世紀初頭まで配備が続けられるという長寿機になりました。

ポーイング・ワシントンB.1四発爆撃機はアメリカから貸与されたボーイングB-29スーパーフォートレスの事で、1950年夏のNo115飛行隊を皮切りに、1951年夏までにここで述べている8個飛行隊全てへの配備が完了しています。
素人目には旧態依然としたアブロ・リンカーン爆撃機よりは余程頼りになる、ボマー・コマンドの主柱を任せるに相応しい高性能の機体なのですが、運用した当のRAFの評価はかなりの辛口なのが今回の調査で驚いた事のひとつでした。
機内与圧式の爆撃機にRAF側が不慣れだったことと、中古機ということで状態不良の機があったことが悪印象の要因です。
このワシントンB.1に対するネガティブな評価から、1954年にアメリカが提案した「ボーイングB-47ジェット戦略爆撃機最大90機のRAFへの提供」もイギリス側が即座に拒否してお流れになったそうです。
B-47の提供を断った表向きの理由は「B-47よりもイギリス国産のジェット爆撃機のキャンベラの方が運用性において勝る(離陸に必要な滑走路の長さなど)」ですけれど、背景にはワシントンB.1の運用に苦慮した経験から来るアメリカ製爆撃機に対する不信感があったとの事。
この不信感ゆえなのか、または最初からイギリス国産のキャンベラ爆撃機の配備までの短期間の貸与という取り決めがあったのかは定かではありませんが、RAFのワシントンB.1の運用期間は短期間で終わり、1954年の春までに配備を終了しています。
なおイギリスが受け入れを拒否したB-47戦略爆撃機は、1953年から58年まで爆撃機配備定数45機のアメリカ戦略空軍(SAC)の一個航空団がイギリス本土の基地に常時展開しています。

アブロ・リンカーン爆撃機はドイツの諸都市に対する夜間爆撃で名を馳せた(悪名を残した)アブロ・ランカスター爆撃機の改良型で、1947年末には14個飛行隊に配備されてRAFボマー・コマンドの主力機に君臨していました。
しかし最大速度が600km/hに満たず、B-29のような高高度飛行性能も持ち合わせていないリンカーンはこの時期陳腐化が甚だしく、ソ連相手の全面戦争でどれ程の活躍が出来るのかはソ連の夜間防空体制次第という状態です。
リンカーンは本機装備の最後の実戦飛行隊No97が1956年初頭に解散して第一線から引退し、その後は後方支援やテストベッド用の機体として数年間最後のご奉公に励むことになります。
ブリストル・ブリガンドB.1は第二次大戦中の主力戦闘爆撃機ブリストル・ボーファイターの後継機として戦後すぐに就役しましたけれど、生産は僅か147機で1951年末時点での配備は中東地区のみです。
ブリガンドは1953年に最後の運用部隊No84飛行隊が解散したことで実戦部隊から退役しています。
デ・ハビランド・モスキートB.35はモスキートシリーズの最終量産型で、最後の運用部隊No139飛行隊が1952年末に最新鋭ジェット爆撃機のキャンベラB.2への機種転換によって引退しています。

偵察飛行隊:推定8個
グロスター・ミーティアPR.10高高度偵察機 x 3個(No2 13 541の各飛行隊)
グロスター・ミーティアFR.9戦闘偵察機 x 3個(No9 119 208の各飛行隊)
スーパーマリン・スピットファイアPR.19とデ・ハビランド・モスキートPR.34の混成 x 1個(No81飛行隊)
デ・ハビランド・モスキートPR.34偵察機 x 1個(No540飛行隊)

グロスター・ミーティアの偵察機型は武装偵察型のFR.9と非武装高高度偵察型のPR.10に大別されています。
戦闘機型はこの時期既に退役してしまったスピットファイアは、偵察型PR.19がモスキートとの併用で辛うじて残存していましたが、両機共に1953年暮れにNo81飛行隊がミーティアPR.10に機種転換したことで第一線から退いています。

海上哨戒飛行隊:推定11個
アブロ・シャクルトンMR.1 x 3個(No120 220 224の各飛行隊)
アブロ・ランカスターASR.3/GR.3 x 4個(No37 38 203 210の各飛行隊)
ショート・サンダーランドGR.5 x 4個(No201 205 209 230の各飛行隊、他に輸送任務部隊のNo88飛行隊:香港駐留があります)

海上哨戒部隊は沿岸軍団(コースタル・コマンド)の管轄ですが、第二次大戦後の空軍戦力削減で一番割を食ったと言われているのがこの軍団。
1951年末時点でも本格的な対潜能力の無い第二次大戦型の機材(ランカスターとサンダーランド)が多数を占めています。
この時期にはドイツのUボートの技術を元にしたソ連の潜水艦戦力が大増強しつつあり、その脅威に対してコースタル・コマンドのこの戦力では不安は否めません。
その為、コースタル・コマンドは国産のシャクルトン哨戒機が充分に増勢するまでの繋ぎとして、1952年初めから当時のアメリカ海軍新鋭海上哨戒機・ロッキードP2Vの提供を受けていて、ネプチューンMR.2の名称で54年までに4個飛行隊(No36 203 210 217)に配備しています。
第二次大戦以来の大ベテランであるランカスターの最後のタイプ、GR.5は1954年夏にNo203飛行隊がP2Vに機種改編したことで第一線から退いています。
なお、第二次大戦後半にアブロ・ランカスターに次ぐ大型爆撃機として活躍したハンドレページ・ハリファックス爆撃機の海上哨戒型GR.6は、本機装備の最後の飛行隊No224が1951年後半にアブロ・シャクルトンに機種改編したことで引退しています。
ランカスターに比べるとひどく地味な印象のハリファックスですが、海上哨戒型として1950年代初頭まで任務に就いていたというのが、私が今回の調査で驚愕したことのひとつです。

大型輸送飛行隊:推定5個
ハンドレページ・ヘイスティングス x 5個(No24 47 53 99 511の各飛行隊)

輸送機は小型から大型まで多岐に渡るので、一応の線引きとして四発機のみを上げてみました。
RAF輸送コマンドの主力を成すレシプロ四発輸送機のハンドレページ・ヘイスティングスは、第二次大戦末期から配備を開始したアブロ・ヨーク四発輸送機の後継機として、1948年半ばにNo47飛行隊から配備を開始、1951年末時点で5個飛行隊が戦力化しています。
これに伴い、アブロ・ヨークは1951年に第一線から退いています。
なお、ヘイスティングスに次ぐ輸送機として、双発機のビッカース・バレッタ輸送機が1947年から配備を開始し、この時点で推定9個飛行隊に配備されています。

次回は1952年から55年にかけてのイギリス空軍関連の特記事項についてです、ではまた。

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