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2020年3月22日 (日)

新潟日報で読む昔の鉄道関連記事その三

前回前々回から引き続き、新潟日報縮刷版及び製本版閲覧調査に基づく「新潟県民放子供向け番組放送の推移」のついでにメモしていた県内鉄道関係記事の備忘録第三回です。

昭和55年
6月
10月ダイヤ改正で上越線・浦佐駅に特急「とき」1往復が停車。
上越新幹線の停車駅に相応しい駅の格だと主張するアリバイ作りのような浦佐駅への「とき」停車であります。
改正前は急行「佐渡」が1往復停まるだけだったのに。
改正後は「とき」と「佐渡」が各1往復停車ですが、「佐渡」が全便停まらない駅に「とき」停車ってなんじゃらほいと、当時の私は時刻表を見て思ったものです。
またこの10月改正では寝台特急「日本海2-3号」のA寝台と磐越西線の急行「あがの2-3号」のグリーン車連結が終了との事です。
「あがの」は昭和59年の初冬に郡山から新潟まで指定席に乗ったことがありますが、見事なまでにガーラガラでしたっけ。
指定席であれでは、グリーン車はフルムーンパスのお客以外は誰も乗らんでしょうな。

昭和57年
8月
「高波シャットアウト」
北陸本線(現・えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン)・市振駅構内の防波柵が完成という話です。
これは昭和55年12月に構内の待合室が傾くなどの高波被害に遭遇したのを受けての防護措置で、アルミ製の高さ6m、1㎡あたり2~3トンの波に耐えられる設計だそうです。

市振駅の島式ホームその1
市振駅の島式ホームその2
2013年10月撮影、上は糸魚川方面、下は富山方面を望んだ画です。
上の画の左側、下の絵の右側が防波柵です。
現在はホームに待合室はありませんけれど、高波被害で撤去したのかどうかが市振駅に関する新たな疑問ですね。

9月
181系電車の解体開始。
9/21から特急「とき」で最後の活躍をした181系電車の解体が新潟鉄工所の大山工場で開始という話です。
ちなみに最初に解体されたのは「クハ180-4」。
上越新幹線開業の二ヶ月前の話です。

12月
「新幹線開業一ヶ月」
上越新幹線の大宮暫定開業から一ヶ月間の、新幹線停車駅から外れた主要駅の収入の話です。
東三条駅・・・53%減、小千谷駅・・・21%減、小出駅・・・43%減、六日町駅・・・47%減。
在来線特急「とき」全廃の痛手の大きさが如実に現れている数字です。
ちなみに新幹線開業直前は東三条駅に11往復、小千谷駅に4往復、小出駅に5往復、六日町駅に6往復の「とき」が停車していたのです。

昭和58年
1月
弥彦線・東三条-越後長沢間、来年3月に廃止
実際には昭和60年3月の廃止でした。
弥彦線・弥彦-東三条間の電化と引き換えの形で国鉄から提示されていた末端区間の廃止がついに決定という話。
この区間の1日平均輸送人員は約500人で、これは赤谷線と同レベルだったそうです。
当時の東三条-越後長沢間は平日1日上下10本の運行なので、単純計算では一列車あたり50人。
朝の通学時間帯でもせいぜい100人というところでしょうか。

2月
浦佐駅の収入激増。
前年12月の記事とは対照的な、新幹線景気に湧き立つ浦佐駅の話です。
駅の収入は前年の1,134万円から7,492万円と実に661%の大幅アップなのです。
六日町駅と小出駅の特急利用客の落すおカネを全部吸い取っちゃった形ですなこれは。
現在の最繁忙期以外はガランとした駅の数字がどれ程のものなのか興味あるところです。

3月
東亜国内航空(TDA)の新潟-羽田便を5/15から廃止へ。
上越新幹線の利便性に圧倒されたこの空路の搭乗率は20~30%で、採算ラインの70%には遠く及ばない状態です。
この5月廃止は実際には無かったのですが、空路廃止はいよいよ現実の日程になってきたのです。
ちなみに上越新幹線開業直前の昭和57年6月時点の新潟-羽田便のダイヤはダグラスDC-9(乗客定員128~163名)使用で、
羽田発 08:10  11:20  14:45  16:30
新潟発 09:40  11:55  16:15  18:00
所要時間は55分で、運賃は片道13,600円、往復24,660円です。
一方、新幹線開業直前の東京-新潟間鉄道利用の場合は下記の通りです。
在来線特急「とき」利用の場合は、所要約4時間15分でグリーン車利用10,100円、指定席利用6,800円、自由席利用6,300円。
急行「佐渡」利用の場合は所要約5時間でグリーン車利用9,200円、指定席利用5,900円、自由席利用5,400円。
寝台急行「天の川」利用の場合は開放型A寝台利用上段14,400円、下段15,400円、三段式B寝台利用9,900円。

4月
TDAの新潟-羽田便、10月末休止で県と合意へ
実際には8月末で休止になりました。

国鉄貨物合理化、県内の荷物取扱駅は112駅から42駅へ
この時期は貨物の各駅取扱を止めて拠点間輸送に切り替わっていますが、より一般の生活に密着した荷物扱いにも合理化で大ナタが振るわれるという話です。
昭和58年末以降の荷物取扱駅は下記の通りです。
信越本線:新潟、上沼垂、亀田新津加茂、東三条、三条見附長岡宮内柏崎柿崎潟町犀潟直江津春日山高田脇野田新井関山妙高高原
上越線:小千谷、越後堀之内、小出、六日町、越後湯沢
北陸本線:名立能生糸魚川青海
羽越本線:水原新発田中条坂町村上越後寒川府屋
磐越西線:五泉津川
弥彦線:北三条吉田
米坂、白新、赤谷、越後、魚沼、飯山、大糸の各線は線区単位で荷物取扱廃止です。
当時の荷物取扱量を勘案して決めたのでしょうけれど、うーむ、今日の目で見ると何故この駅が?という疑問が湧くラインナップなのであります。
越後寒川なんてどれほどの需要があったのでしょうかね。
あの駅は比較的近年まで委託で人がいましたし、中線のある運転業務上重要な駅とはいえ営業面で何故近隣の駅と比べて優遇されているのか謎です・・・。

5月
上越新幹線開業から半年。
新幹線が開業後半年を経ても依然として好調という話で、平均乗車率は速達便の「あさひ」が約80%、各駅停車の「とき」が約60%。
グリーン車は約40%、指定席は約55%、自由席は約100%という盛況ぶり。
単に在来線の特急「とき」「いなほ」「はくたか」と空路の顧客を吸収しただけではなく、さらに需要を誘発した形です。

昭和59年
1月
信越本線・押切駅構内で除雪ロータリー車の排雪ミス
押切駅の中線で除雪作業中の除雪車が排出した雪が、下り線を通過中の十日町発新潟行快速列車(つまりかつての急行「うおの」)を直撃して、3両編成の気動車の窓ガラス45枚が割れて乗客12人がケガを負いました。
傍目で見ると綺麗な雪のシャワーも、実際には相当の威力があり危険だという事ですね。
ちなみに当時の乗客は3両で60人。
乗車率は二割強というところで、閑散期1月の平日とはいえ快速列車のこの数字は低過ぎです。
この快速列車が後に廃止されたのも無理はない話。

3月
越後線に「新県庁前駅」構想
現在に至っても実現できず、構想が暗礁に乗り上げている新潟-白山間新駅に関する最初の記事です。
当時の新潟鉄道管理局は「話があれば相談に乗る」とやや前向きなお返事。
ただし当時から駅建設費用は地元負担になっています。
記事のニュアンスを考えるに、国鉄時代に話を纏めていれば、案外早く新駅開業が実現していたかもしれません。
現在はJRが「赤字になる」と消極的ですから、駅建設費用は無論のこと、駅の営業赤字をも市で負担補償する形にしないと実現は困難でしょう。
・・・しかし「新県庁前」と名乗ってはいても、新駅予定地から新潟県庁まで2kmあるのよね。
越後線で県庁へ行くのなら、関屋駅の方が近いのです。

5月
「新県庁前駅」信濃川左岸案も浮上
前述の新駅構想に国鉄側が新提案をしてきたという話です。
前述案が信濃川の右岸(信濃川鉄橋の手前)なのに対して、国鉄側の案は左岸。
千歳大橋寄りの地点という事なので、最早新潟-白山間新駅ではなくて白山-関屋間新駅という話になってしまいます。
国鉄側としては「新県庁前」に拘りがあったのかも。

6月
上越線・長岡-越後中里間「機織り列車」実現へ
これは上越線の20分ないし30分毎の頻発運転実現に向けて、沿線市町村で作る「国鉄列車増強対策協議会」が約9万5千人分の署名を新鉄局に手渡したという話です。
機を織るように列車をこの区間に往復させろという構想ですが、今日まで実現することはなく上越線は毎時約一時間の過疎運転に留まっています。

11月
北陸、大糸線合理化
両線を管理する金沢鉄道管理局の発表で、北陸本線の名立駅を委託化、北陸本線の市振駅と親不知駅、大糸線の根知駅小滝駅を無人化するというものです。
ただ「無人化」といっても国鉄職員が配置されないという意味での「無人化」と我々の理解する意味での「無人化」を混同しているきらいがありますので、「無人化」と記事に載っていてもそのまま鵜呑みにはできないのが面倒なところなのです。

最後に時代はぐっと下がって平成7年10月の記事を。
国鉄末期からは私の気を惹く鉄道関係の記事が無くて(知っている話が大半)、古新聞をめくっていても驚愕することも無かったのですけれどこれだけは別格。
「都市高速公共輸送システム"METS"構想」なるものです。
新潟市内を貫く軌道型輸送機関という大変に壮大な夢の話なのでございます。
新潟駅を起点として、西新潟地区は万代-礎町-古町-関屋田町-関屋-青山-松美台-小針-小新-流通センター-ふるさと村-西曽野木-東曽野木-運動公園-長潟-市民病院そして新潟駅という循環ラインです。
驚くべきは、この路線と競合するJR越後線・新潟-小針間は廃止!して、新潟中心部は小断面の地下鉄化するということです。
また新潟交通電車線は白山、そして新潟駅まで乗り入れを謳っているので、廃止する越後線の白山-新潟間を買収するつもりなのかもしれません。
東新潟地区へは新潟駅出発後、万代で分岐して万代島-山の下-秋葉-河渡-船江町-新潟空港で将来は新潟競馬場方面に延伸するというもの。
パークアンドライド施策として、市民病院、運動公園、流通センター、ふるさと村、新潟空港の各所に大駐車場を設置します。
実現できたらどんなに素晴らしいことか!
朝晩の交通渋滞も大幅緩和でしょう。
でもこんな事はとても出来ません、資金がありません。
新潟県が新潟州になったら単独でAIIBに加入して、新潟西港と東港と空港その他インフラを担保にしておカネを借りて中国の業者に発注して造りましょうね。

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