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2020年3月15日 (日)

新潟日報で読む昔の鉄道関連記事その二

前回から引き続き、新潟日報縮刷版及び製本版による「新潟県民放子供向け番組放送の推移」調査のついでにメモしていた県内鉄道関係記事の備忘録第二回です。

昭和44年
2月
7/1から高田駅に特急「あさま」が停車、当初は季節停車扱いで、秋のダイヤ改正から正式な停車駅になりました。
前回で述べた「あさま」直江津延長の陳情が見事花開いた形で、高田駅もこれで目出度く特急停車駅の仲間入りです。
これで新潟県内特急停車駅は、新潟新津東三条長岡直江津越後湯沢糸魚川、田口(現・妙高高原)、そして高田の九駅になりました。

3月
「信越本線・羽生田駅の渡線橋完成」
現用の跨線橋はこの時以来のもののようです、築半世紀か・・・。
それまで下り利用の客は線路を横断していたそうで、勿論構内踏切なのでしょうが列車密度がそれなりに高く優等列車が通過するロケーションでそういう状態なのは、安全保安上いただけない話なので、まずは目出度い話です。

7月
特急「あさま」高田駅停車開始から10日間の実績は乗車521人、降車481人。
当時の特急停車駅の合格ラインは1日平均乗降客30人台だったそうで、約50人の高田駅は合格ラインを楽々クリアしています。
市を挙げての陳情の成果でもあり、しばらくはご祝儀相場で利用も多いのでしょうけれど、利用してその利便性をひとたび体験すれば特急料金が多少高くとも冷房のよく効いたロマンスシートは快適で、指定席も冷房無し四人掛けの当時の急行列車からの本格的な利用移転はかなりのものがあったのではと推測するところです。

10月
「両駅とも利用好調、10日を経た特急いなほ」
昭和44年10月ダイヤ改正で運行を開始した上野-秋田間の気動車特急「いなほ」の停車駅に選ばれた羽越本線の新発田村上両駅の話題であります。
ただ前述の高田駅のように具体的な数字が述べられていないのが残念、まぁこの記事は「下越版」の小さな記事なのでそれもやむを得ないか。
ちなみに新潟日報で記事を見つけることは出来なかったのですが、「新鉄局五十年史」によるとこの10月改正で特急「はくたか」の柏崎駅停車も実施されています。
「はくたか」はそれまで長野経由の気動車特急でしたけれど、この改正で電車化され長岡経由に代わっています。
これでこの時点での新潟県内特急列車停車駅は、村上、新発田、新潟、新津、東三条、長岡、柏崎、直江津、高田、妙高高原、糸魚川、越後湯沢の12駅になりました。

11月
12/5から新潟、新津、長岡の各駅で自動券売機を導入。
この券売機は50キロ以内、250円までの区間用です。
という事は50キロで250円、現在は幹線で50キロ860円ですから約半世紀で約三倍半の値上げなのです。
他の物価や給与水準と考えてこの数字は安いと言えるのかどうか。

昭和45年
6月
6/15から急行「佐渡」「赤倉」「越後」の普通車指定席の冷房化を開始。
ちなみに「越後」はかつての「きたぐに」が愛称変更したもので、昭和43年10月改正で新潟県内初の寝台特急「日本海」が設定され、従来「日本海」を名乗っていた急行は「きたぐに」と改称し、従来「きたぐに」と名乗っていた大阪-新潟間の気動車急行が「越後」にトコロテン改称したのです。
「鉄道ピクトリアル」2018年1月号の特集「ディーゼル急行」に急行「越後」の編成表が載っていて、気動車急行の全車冷房化に欠かせないキハ65が連結されているのに驚愕したのは私事として記憶に新しいところですが、この時にキハ65の連結が実施されたのかどうかが新たな疑問なのです。

昭和46年
1月
3/1ダイヤ改正で羽越本線・中条駅に急行「しらゆき」停車、4/20ダイヤ改正で上越線・六日町駅に特急「とき」1往復が停車。
六日町駅と小千谷駅への特急「とき」停車開始時期は今回の調査で確定できたのですが、問題は小出駅です。
昭和46年から48年の間だろうとアタリを付けて、その間の新潟日報縮刷版を注意して見たのですが小出駅停車記事を見つけることは出来ませんでした。
停車開始時期を特定するには当時の時刻表を毎月調べる必要がありますね。

昭和47年
1月
1/14から小千谷駅発着のスキー特急「新雪」運行開始。
これは臨時列車とはいえ小千谷駅に特急が停車する初のケースで、記事は3月改正で特急「とき」1往復が小千谷駅に停車と続けています。

10月
10/2国鉄ダイヤ改正で信越本線・加茂駅に特急「とき」1往復と寝台特急「つるぎ」、見附駅に特急「とき」1往復、羽越本線・村上駅に特急「白鳥」停車。
加茂駅と見附駅への特急列車定期停車はこれが嚆矢になります。
この改正で電車化された「白鳥」の村上駅停車がついに実現、ライバルの新発田駅は「いなほ」のみの停車なので県北地域における村上駅の威勢は更に高まったと言えましょう

定期券で乗れる急行列車発表
この月から新潟県内急行列車の定期券乗車が解禁になりました。
とは言え該当区間はまだほんの一部です。
下り「羽越1号」の新潟-村上間
上り「あさひ1号」の新潟-小国間と上り「あさひ2号」の坂町-今泉間、下り「あさひ2号」の小国-坂町間
上下「あがの2号」の津川-喜多方間
上り「うおの」の新潟-長岡間
上下「とがくし2号」の新潟-長岡間
上り「ひめかわ」の吉田-柏崎間と下り「ひめかわ」の直江津-吉田間

昭和48年
8月
10月ダイヤ改正で信越本線・新井駅に特急「あさま」1往復が停車。
近隣の高田、妙高高原駅に常に遅れを取っていた新井駅にようやく初の特急停車です。
これで新潟県内特急列車停車駅のほとんどの停車開始時期を特定できたのですが、今もって不明なのが前述した小出駅です。

10月
12月実施を目標に駅無人化。
弥彦線・矢作駅、磐越西線・東下条駅、米坂線・越後大島駅越後片貝駅、越後線・西中通駅荒浜駅妙法寺駅桐原駅
他に委託化が磐越西線・猿和田駅、越後線・礼拝駅粟生津駅岩室駅
この頃からローカル駅の合理化が深度化していくのです。

昭和49年
1月
長岡-新潟間の特定特急券売れ行き好調。
1日平均202枚だそうです。
これは特急「とき」「北越」に限って(つまり「白鳥」は乗っちゃダメということ)、通常の特急料金の二割引の400円で普通車に乗車できるというもの。
下り限定のようなので、空席対策と増収の一石二鳥を兼ねたものなのでしょう。
私は幼少の頃に南魚沼に住んでいて、特急「とき」の六日町-新潟間に年数回乗っていましたけれど長岡から必ず座れましたからね。
「とき」の乗客が長岡駅でゴソッと降りるので、新潟駅よりも長岡駅の方が「とき」利用客は多いんじゃないかと思っていたほどです。

昭和50年
3月
3/10から越後線・岩室駅に急行「ひめかわ」停車。
岩室駅は前述のように昭和48年12月に委託化されていますが、委託駅に定期急行列車が停車するのは当時全国的に見ても稀なケースとの事。
急行が停まるほどの駅が何故委託化されるんだい!?という疑問に対する答えは残念ながら載っておりませんでしたが。
岩室温泉からの強い働きかけが当局にあったのではと推測するところです。

7月
急行「羽越1号・2号」が桑川駅に臨時停車(7/20-8/10)。
夏季に定期急行列車が海水浴場最寄駅に停車する最初のケースのようです。
この頃は「かっぱ」「くじら」と名乗る海水浴客向けの臨時列車が多数設定されていましたっけ。
私は一度も乗車の機会が無かったのですが。
海水浴といったら、せいぜい祖父母の家に遊びにいって瀬波海岸に行く程度だったもんなぁ。
何の縁もない土地の海水浴場に遊びに行く機会は一度もありませんでした。

8月
10月ダイヤ改正から中条駅に特急「いなほ」1往復が停車。
私は今まで中条駅への「いなほ」停車は昭和53年10月改正からと思い込んでおったので、この記事も驚愕しました。
思い込みはいけませんなホント、きちんと調べて事実を認識しないといけませんわ。

昭和53年
4月
上越線・土樽駅構内で貨物列車脱線転覆事故
4/5午前2時25分頃、土樽駅2番線を通過中の上り貨物列車の8両目と9両目が横転し、この事故で信号がダウンしたために上下線共に運転不能になりました。
正確には脱線は越後中里駅を出てまもなく起こっていたそうで、ブレーキ異常に気づいた車掌が列車を停めて点検後出発して間もなく脱線と、その後土樽駅構内まで約7kmを二両脱線のまま走っていたとの事。
事故の15分後の上り線には新潟発上野行の夜行電車急行「佐渡4号」が続行していましたが、土樽駅手前で停車して事無きを得ました。
乗客は285人で、土樽駅下り線で抑止中の下り急行「佐渡4号」に移って三時間後に長岡駅に戻った後、信越本線経由で目的地に向かったとの事
当時の「佐渡」が12両編成だとすると座席定員は1000人弱というところで、上り「佐渡4号」の乗車率は3割弱。
学生の春休み中のこの時期の夜行急行の乗車率がこの程度というのは、なかなか考えさせられる話であります。
この夜行「佐渡」は上越新幹線大宮暫定開業の昭和57年11月改正で廃止されています。
なお不通区間(越後湯沢-水上間)は6日朝から単線で運転再開、ダイヤが正常化したのは9日でその間はバスで代行輸送をしたとの事。
バス代行ということは国道17号線経由になりますけれど、あの区間をバスで行くとなると半端なく時間がかかりそうです。
上越線に比べて超迂回ルートになりますからね。

9月
越後線にキハ40系投入
10月から越後線に当時最新鋭のキハ40系気動車10両を越後線に投入という話です。
新潟県内におけるキハ40系の活躍はここから始まり、そして本年(令和2年)3月改正で実質的に終了なのでございます。
42年間に渡る活躍、お疲れ様でした。

11月
「とき」増発したのに乗客減る
昭和53年10月ダイヤ改正で特急「とき」が早朝に1往復増発されたのですが、それにも関わらず利用客合計は前年10月とほぼ同様(1日平均約7,200人)のために平均乗車率は前年10月の95%から77%に落ちてしまったのです。
記事では一例として新潟駅を朝六時台に出発する便の比較がされていて、ダイヤ改正前の「とき1号」(新潟発06:50)の平均乗車率が実に119%だったのに対して、改正後は「とき2号」(新潟発06:18発)の平均乗車率が74%、「とき4号」(新潟発06:50)のそれは67%になっています。
利用客から見れば朝の混雑が分散されて結構な話だと思うのですが、記事のニュアンスはなんとなく否定的なのがよくわからないところ。
一方、この改正で急行「越後」が格上げされて誕生した大阪行特急「雷鳥16号」の平均乗車率は92%、新潟行「雷鳥13号」のそれは76%で、急行「越後」時代と比べても好調との事。
そりゃあねぇ、遠出するのに揺れるわ汚いわでボックスシートの気動車急行と小奇麗でロマンスシートの特急電車を比べれば、急行大好きな鉄オタでもない限り料金が倍上げ以上でも特急に乗りたいのが人情でしょう。
またこの改正で新たに特急が停車した駅の利用状況も紹介されておりまして、こちらも中々興味深い。
村上駅:寝台特急「日本海2号・3号」・・・1日平均一人。
実はきっぷを求めにくる人は1日平均10人いるそうですが、寝台券が売り切れのために需要に対応できないそうです。
当時の「日本海」は寝台特急の中でもトップクラスの乗車率と鉄道ジャーナル誌で語られている人気列車だったのですから無理もない話です。
定員制の列車は需要に対する弾力性に欠けるその弱点が如実に現れてしまった形ですな。
新発田駅:特急「白鳥」・・・上り13人、下り24人とまずまずの数字との事。
昭和44年に特急「あさま」が高田駅に停車するようになった頃の特急利用合格ラインは片道1日平均30人、上下で約60人だったので、それから9年後の合格ラインは半分ほどに下がったということなのでしょう。
加茂駅:特急「雷鳥16号・13号」、見附駅:特急「雷鳥12号・21号」・・・両駅共に利用は15人程度でいまひとつとか、合格ラインの半分というところでしょうな。
高田駅:特急「白山2号・5号」・・・上り2号の乗車が34人、下り5号の降車が52人とかなり良い数字だそうです。

昭和54年
6月
「キハ17引退」
小さなベタ記事ですが、越後線で運用されていたキハ17系気動車がこの月をもって引退という話です。
私はキハ17系は乗った覚えがまるでないです。
キハ17どころかキハ55系もキロ25格下げ車に一度乗ったのを座席の豪華さでうっすら覚えているだけ。
この当時、私は新潟市在住でしたが日常的に乗るのは信越本線と白新線で、越後線は未知の世界だったのです。

それではまた次回

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