糸魚川駅(北陸新幹線・えちごトキめき鉄道・日本海ひすいライン)
本日の駅紹介は北陸新幹線/えちごトキめき鉄道・糸魚川駅。
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2017年4月15日記、糸魚川駅の旧記事二つを新記事と統合し加筆修正しました。
大正元年(1912年)12月16日の開業で、新潟県西端の自治体である糸魚川市の玄関駅です。
2015年3月ダイヤ改正でJR西日本・北陸本線から第三セクター鉄道の「えちごトキめき鉄道」日本海ひすいラインに所属が変わっています。
一方、同日に開業した北陸新幹線の駅として新たなスタートをきっています。
糸魚川駅の開業当時の所在は西頸城郡糸魚川町で、同町は昭和29年(1954年)6月に周辺諸村と合併して市制を施行、平成の大合併の号令下の平成17年(2005年)3月に周辺町村と合併して今日に至ります。
糸魚川駅はかつてセメント輸送の拠点として活況を呈し、昭和50年代半ばの貨物収入は14億円前後を数え、当時の国鉄金沢鉄道管理局管内の貨物収入は隣の青海駅に次ぐ第2位、当駅と青海駅で同局管内の貨物収入の1/3を占める程だったといいます。
旅客面においても北陸路を往く優等列車多数が停車していて、新潟県西端の客貨の要衝として重きを成していた栄光の過去があるのです。
そんな糸魚川駅の利用状況は、古い資料で恐縮ですが糸魚川市統計要覧によると平成19年度(2007年)の当駅年間乗車人員は409,911人。
単純計算すると1日平均約1,123人です。
この数字は市内の他の12駅の合計よりも多く、この地域における当駅の求心力の高さは相当のものなのです。
しかしJR東日本管内の新潟県内駅と比較すると中条駅や五泉駅と同レベル。
市の人口に対して駅の乗車人員は少ないように見えますが、大合併前の旧市の人口は3万人強なので、前述の2駅と比べて特別悪いわけではありません。
もしJR東日本所属なら、自動改札導入の下限に位置する利用状況なのです。
ちなみに昭和54年(1979年)の1日平均乗車人員は約2,900人。
30年弱で約6割減っています。
糸魚川駅旧駅舎の様子、2009年6月撮影。
建築財産票を見つけられなかったので竣工年月を確認できませんでした。
色々資料を見ると昭和32年の竣工という話を見つけたましたが、建物の造りを見るにそのように思えます。
旅客のみならず前述のように貨物の拠点駅でもあったその証が、二階建ての駅舎ということなのでしょう。
駅舎改築以前の駅前の様子、2006年9月撮影。
駅前ロータリーにはタクシーがぱっと見で十台ほど常駐の様子。
路線バスは降車が駅ロータリー内、乗車が駅前停留所と乗降場所が区別されていました
。
なお2017年4月時点での駅前発着の糸魚川バス運行の路線バスの鉄道補完路線としては、青海能生線(青海、梶屋敷、浦本、能生)、根知線(姫川、頸城大野、根知)、早川線(梶屋敷)、おうみ巡回線(青海)があります。
幹線の主要駅らしく、改札口が多い旧駅舎内部、2009年6月撮影。
これらの改札口を使用していた頃、例えば昭和55年10月改正当時の当駅に日中停車する優等列車は12往復(特急10往復、急行2往復)、富山-糸魚川間は快速列車として運転される急行1往復でした。
優等列車の停車本数で言うと、2011年3月改正では特急14往復、2017年3月改正の北陸新幹線「はくたか」の停車本数は15往復。
停車本数そのものは国鉄時代よりむしろ増えているのですが、受ける印象はそれとは逆なのが不思議なところ。
乗り越しなどの運賃精算は画像中央のみどりの窓口で行うようにと言われたのです、2009年6月撮影。
しかしこの窓口がまたアレで・・・。
地方の駅にありがちな事なのですけれど、おぢいさんおばぁさんが旅行相談所としてみどりの窓口であーでもないこーでもないと粘っておられる(後ろの行列は眼中に無しで話に夢中)ので、待たされる事といったらもう!(怒)
駅も駅で、小駅のような一人勤務ではないのですから、もう少し融通を利かせてもらってもと思うところですけれどね。
利用する側も、きちんと旅程を決めて切符を買うように心がけていただきたいものです。
こういう光景は新潟駅でも他の駅でも頻繁に目にしますからね・・・。
旧駅舎の出入り口の様子、2009年6月撮影。
駅コンコース内はタバコ自販機一台と自動券売機が二台設置されていました。
コンコースの向かって左手には待合室がありました。
待合室内は中央に机状の四角ベンチと壁沿いの一人掛けベンチが二列。
コインロッカーも設置されており、2列X4段構成。
テレビが出入り口上方に置かれて暇つぶしにぼんやり見るのも良し。
また室内にはキヨスク「STATION-PIT」があり、営業時間は0650~2000で品揃えもそこそこ。
なおトイレは改札内外にそれぞれあり、清掃も行き届き綺麗でした。
旧駅舎から新駅舎への移行期の改札口と窓口及び待合室の様子、2013年9月撮影。
これを見た時も、国鉄時代の特急停車駅に相応しかった舎内がこんなに小さくなっちゃって...と衝撃を受けたものでしたが、後述のようにえちごトキめき鉄道に転換後はこれどころではなかったのであります。
北陸新幹線が開業して、装いも新たになった糸魚川駅日本海口(北口)の様子、2015年10月撮影。
こちら側は北陸本線から転換されたえちごトキめき鉄道の駅としての顔です。
昭和30年代前半に改築された国鉄型の旧駅舎と比べて、当然の事とはいえ何とも垢抜けたものだと感慨もひとしお。
駅前ロータリーも拡幅されてスッキリしましたが、人影もクルマも少ないのは旧駅舎時代と変わらず。
糸魚川駅アルプス口(南口)の様子、2015年10月撮影。
こちらは北陸新幹線駅としての顔です。
日本海口にも増して立派な佇まいですけれど、これもまた高架駅特有の作用に基づく印象。
アルプス口駅前通りの様子、2015年10月撮影。
かつてはこちら側から駅へ行くには、駅前後の踏切を渡り大きく迂回していかねばならなかったので、住民の方々にとっては大いなる福音と申せましょう。
まだまだ発展途上ながら、市役所もこちら側にあるので今後の発展の伸び代は日本海口よりも大きいかもしれません。
アルプス口駅前に設置された、かつての駅構内赤煉瓦車庫の出入り口、2015年10月撮影。
移築保存の動きがあったものの、結局叶う事なく新幹線工事に伴って解体されてしまった赤煉瓦車庫。
こうして一部だけでも残されて往時を偲ぶことが出来るのは幸いです。
アルプス口一階の「糸魚川ジオステーション ジオパル」内で保存一般展示されているキハ52、2015年10月撮影。
私が最後に大糸線キハ52に乗ったのは、2009年6月。
私的なさよなら乗車は、雨の夕刻の平岩発でしたっけ。
新装成った駅舎の日本海口とアルプス口を連絡する自由通路の様子、2015年10月撮影。
天井も高く立派な構えの建物ですけれど、道行く人は残念ながらまばら。
新駅舎のえちごトキめき鉄道改札口付近の様子、2015年10月撮影。
旧駅舎時代と比べて、なんとスペースの小さくなったことか。今回、最初に衝撃を受けたのがここでした。
日本海口の立派な様子は言わばショーウィンドー、前途多難な第三セクター鉄道としての実際の顔がこれなのです。
北陸新幹線乗り場の様子、2015年10月撮影。
上が改札口付近、下が改札を抜けた構内です。
利用予測を十二分に検討した産物のような、こじんまりとした様子です。
上越新幹線の諸駅を見慣れた目には小さすぎるように思えるのですけれど、上越新幹線の方が少々異常なんでしょうな多分。
浦佐とか浦佐とか浦佐とか。
駅舎改築前の駅前通りの様子、画像中央奥にチラリと見えるのが旧駅舎時代の糸魚川駅です、2009年6月撮影。
通りはアーケードになっていて風雨を凌げます。
しかしこれといった店も無く、非常に地味です・・・。
当時の駅前通りにはこれといった食料調達先も無かったのですが、そこは灯台下暗し。
駅ロータリー右手を歩く事数分にあるのがスーパー「ナルス」。
午前9時からの営業で、品揃えも充分です。
大糸北線を鉄道&バスで見て回る方は、ここでの食料確保を強くお奨めします。
一度北線に入ってしまうと、本当~に!唖然とするぐらい何も無いですから。
姫川駅近くにセブンイレブンがある程度で、他の駅周辺には正しく「何もありません」。
コンビニ・スーパーは勿論食堂もありませんし雑貨店もありません。
飲料以外は現地調達不可。
(何かあるだろうと甘く見て行ったらドツボに嵌った経験者は語るw)
商店街のアーケードが一時完全撤去された頃の駅前、2013年9月撮影。
斜陽化する駅前商店街の姿が白日の下に晒された感じで、ちょっと感傷的になりながらこれを撮ってましたっけ。
駅舎改築後の駅前通りの様子、2015年10月撮影。
こうして見ると駅はとても大きく立派に見えるのですけれど、橋上駅舎化と新幹線の高架のもたらす錯覚的作用が大きいのが実態。
駅とロータリーの工事に伴って撤去されてしまった商店街のアーケードも復活。
しかし見たところ新規出店は無いようで、新しい皮袋に古い酒といった印象です。
さて2009年6月訪問当時、駅前通りの横道は道幅の狭い、昭和三十~四十年代の地方都市の懐かしい雰囲気。
「小学館の学習雑誌」という黄色い看板など見てしまうと、幼稚園や小学校低学年の頃を思い出して、もう懐かしくって切なくって、その場にしばし佇んで・・・。
2016年12月に起きた糸魚川大火では、あの辺りも相当の被害を受けているでしょう。
被災された方に遅まきながらお見舞い申し上げます。
あの長閑な通りがまた再建されることを願っております。
そのように寄り道しながら、駅前通りを真っ直ぐ400mほど進むと突き当たるのが国道8号線。
国道を地下道でくぐった先にあるのが、日本海の大海原を望む展望台、2009年6月撮影。
国道8号線の富山方を望む、上は2004年3月、下は2009年6月撮影。
上の画の沈む太陽を見るたびに、昔の金曜ロードショーの物悲しいトランペットの音色が脳内再生されるのですよ。
下の画の背景にうっすら見えるのは姫川港。
同じく直江津方を望む、上は2004年3月、下は2009年6月撮影。
やはり夕景のほうが画になるかなぁ、ここは・・・。
さて駅に戻って構内を見てみます。
北陸新幹線駅舎建設が本格化する前の1番線の富山方から見た糸魚川駅構内、2005年6月撮影。
切り欠き型の4番ホームでは大糸線のキハ52形気動車が待機中。
1番線の富山方から見た北陸新幹線駅舎建設工事たけなわの構内、2012年6月撮影。
北陸新幹線建設本格化以前の1番線端から富山方を見る、2005年6月撮影。
概成した北陸新幹線の高架を横目にしつつ、1番線端から富山方を見る、2012年6月撮影。
高架建設以前の構内に感じた幹線鉄道の停車場のダイナミズムは随分と薄れてしまった印象です。
1番線の直江津方から見た橋上駅舎建設以前の構内、2012年6月撮影。
1番ホーム端から直江津方を見通す、2012年6月撮影。
旧駅舎時代の跨線橋内部の様子、2013年10月撮影。
幹線の主要駅に相応しい広さです。
この味のある跨線橋も今はもうありません。
画像中央の案内板は、特急「はくたか」「北越」編成案内です。
跨線橋上から構内の富山方を見る、上は2009年6月、下は2012年6月撮影。
新幹線の駅舎や高架の圧迫感はやはり強烈。
同じく構内の直江津方を見る、上は2009年6月、下は2012年6月撮影。
上の画の2番線に停車している415系電車は当時当駅以東の運用には入っておらず、
富山方からの列車が朝晩に入るのみの希少な存在でした。
駅舎改築後の橋上駅舎の通路から見た構内の直江津方を見る、2015年10月撮影。
島式ホーム2番の直江津方から見た構内、2012年6月撮影。
島式ホーム3番端から直江津方を見通す、2012年6月撮影。
画像右側の車庫らしき中に大糸線用のキハ120が顔を覗かせています。
北陸新幹線建設本格化以前の島式ホームを直江津方から見る、2005年6月撮影。
島式ホーム上屋下の様子、2012年6月撮影。
上屋は長大で、流石は北陸本線の主要駅の貫禄。
しかし列車撮影の場合はコントラストがきつすぎてあまり宜しくなかったりします。
ホーム上には待合室はありません。
3番線は北陸本線上り富山方面乗り場、2番線は待避線です。
3番線の中程から富山方を見る、2012年6月撮影。
かつてのレンガ車庫はその雰囲気も完全に消え去っています。
同じく2番線中程から富山方を見る、2012年6月撮影。
2番線で普通列車が特急の通過待ちをする光景も、北陸新幹線開業で完全に過去帳入りになりました。
3番ホーム上から見たレンガ車庫、2004年3月撮影。
かつてのこの駅の見所といったらこの車庫につきました。
その色艶・風格も見事であります。
車庫にはDE10形ディーゼル機関車2両が入庫中。
構内に留置中のDE10形ディーゼル機関車、2005年6月撮影。
構内で待機中のキハ52とキハ58系2両のイベント編成、2005年6月撮影。
この日は大糸線にこの編成のイベント列車が走っていて、私も頸城大野駅で撮影したものです。
富山方の踏切から見た構内の様子、上は2009年6月、下は2013年10月撮影。
新幹線の駅舎の完成前後ではやはり構内の印象が変わって、下の画では「立派になったものだ」と感じるところ。
しかしその実態は・・・。
富山方の踏切を渡ったすぐ先がレンガ車庫でした、2009年6月撮影。
車庫にはDE10形ディーゼル機関車とスカ線色のキハ52を確認できます。
この建物は地元ボランティアの方々が保存を求めて運動していましたけれど、その甲斐も無く移築は無理という結論になりました。
残しておけば後々街のイメージアップに貢献したと思いますが、費用を考えると当局が二の足を踏んだのも已む無しでしょうなぁ。
双方の言い分共に理解できるので複雑な思いだったものです。
朝の419系電車富山行が3番線を出発直前、2009年6月撮影。
2番線に停車中の475系急行型電車、2009年6月撮影。
当時、この駅には朝夕しか姿を見せなかった413系電車、2009年6月撮影。
旧塗装のキハ52と「食パン顔」の419系電車の揃い踏み、2005年6月撮影。
3番線から出発する413系電車富山行、2013年10月撮影。
当駅のような上屋の長大な駅構内での列車撮影は夜間の方が当たり外れが無くてよいなぁとつくづく思うところ。
昼間だと上屋のせいでこの駅はホント、撮りにくいのですよ。
懐かしの大糸線気動車キハ52 125 2009年6月撮影。
この色は少々悪ノリだよなぁと当時は思ったものです。
構内で憩うキハ52 115 2009年6月撮影。
キハ52といったらやはりこの国鉄色がベストでしょう。
キハ52 115と旧塗装の恐らくキハ52 125 2005年6月撮影。
国鉄首都圏色のキハ52 156が雨中の4番線で客待ち中 2009年6月撮影。
4番線で待機中の大糸線用キハ120形、2012年6月撮影。
この時は隣の姫川駅までこの気動車に初乗車してみたのですけれど、乗るのはともかく、撮る対象ではないなぁと再認識しました。
当ブログの趣旨から言うと、定期運用される旅客車両は可能な限り撮るのが本筋なので、大糸線も少なくとも新潟県内の平岩駅までの各駅停車のキハ120形を撮らなければならないのです。
しかし車両に魅力を全然感じないし、駅とその周辺はつくづく見て回ったしで、全然その気にならないのですよ、困ったモンだ。
我が街界隈で俄然目にする機会の増えた新鋭E129系電車にも同じ事が言えて、乗れば最高撮るにはサッパリなあの電車を各駅で追っかけするのはなんだかなぁと、全然やる気が起きないのです。
3番線から出発する485系電車T編成の金沢行特急「北越」、2013年9月撮影。
1番線に到着した485系電車R編成の新潟行特急「北越」、2013年10月撮影。
北陸新幹線開業以前に撮った当駅のラストショットがこれ。
これで北陸本線糸魚川駅とはサヨナラかと、ある種の感慨を抱きながら車上の人となりましたっけ。
1番線に進入する特急「はくたか」越後湯沢行 2005年6月撮影。
「はくたか」と旧塗装キハ52のツーショット、2005年6月撮影。
3番線から出発する金沢行特急「はくたか」、2013年9月撮影。
1番線を出発した下り越後湯沢行特急「はくたか」、2013年9月撮影。
「はくたか」は、乗ろう乗ろう特にほくほく線区間は乗ろうと思い続けつつ、他のスケジュールとの兼ね合いで結局果たせず、糸魚川から直江津まで一度乗ったきりで打ち止め...
他の取材なんぞ後回しにして乗っとけばよかったと、今頃になって当時の自分の判断を悔いる日々にございます。
1番線に進入する越後湯沢行特急「はくたか」と、4番線で待機中の大糸線キハ120形、2013年10月撮影。
北陸新幹線開業とそれに伴う在来線の第三セクター化で、それまでは多種多様な列車が行き交っていたこの駅に日中乗り入れる列車はひすいラインのET122系気動車と大糸線のキハ120形のみになりました。
かつての電車特急「北越」の最後の残影として走っていた、485系電車R編成使用の通称「糸魚川快速」も2017年3月ダイヤ改正で廃止されています。
3番線に到着したET122系気動車単行の泊行、2015年10月撮影。
特急列車の乗車口案内板が無くなり、ガランとした長大なホームに単行の気動車...。
この訪問で最大の衝撃を受けたのがこの光景です。
1番線に到着したえちこトキめき鉄道ET122系気動車単行の直江津行、2015年10月撮影。
JR時代は3連だったのを単行にしたのですから当然と言えばそうなのですけれど、混んでました。
糸魚川から直江津までこの列車で移動しましたが、能生まで座れません。
日曜で学生がいないにも関わらず。
JR西日本時代の土日は、座れないなどまず考えられなかったことです。
当駅出発時の単行気動車の乗客の七割は直江津まで乗り通した感じで、運賃がJR時代と同じ事もあって対上越市往来エコノミー派の利用が多いものと推察されます。
なお、待避線の2番線は特急廃止に伴い遊休化したわけではなく、糸魚川発着列車も設定されているために列車が入っています。
2015年3月ダイヤでの2番線発ダイヤは下記の通りです。
直江津方面
07:59発 快速新潟行
以下は直江津行
08:58発 11:01発 13:08発 15:48発 16:18発 17:41発 22:44発
泊方面
05:37発泊行 06:41発金沢行 07:31発高岡行
北陸新幹線糸魚川駅構内の様子、2015年10月撮影。
上越妙高駅同様、ホームドアが完備されているので面白味は全く無し。
駅構内は面白くなくとも、やはりテンション上がるのがE7/W7系電車です。
2015年10月撮影。
ホームドアも柵も、車両撮影には支障の無いレベルなのが救いですな。
このカッコいい電車、来年度からはE4系電車の後継として上越新幹線にも投入開始するとのアナウンスが2017年4月にありました。
さて、糸魚川といえば私がぜひ行ってみたかったのは美山公園の展望台と「フォッサマグナミュージアム」。
国道148号線を大糸線・姫川駅から市街地に向けて歩きながら一枚、2012年6月撮影。
前述の大糸線キハ120形に乗車して姫川駅で下車、そこから歩いて向かうことに。
姫川駅から見上げた小山の頂上に美山公園の展望台が見えるので、歩きでもそんなにかからんのではと誤断したのです。
展望台に向かうには大糸線を横断せねばならないのですが、肝心の踏切がなかなか無くて、かなり歩いてしまってようやくここを横断。
これなら糸魚川駅から素直に行った方が速くね?と後悔し始めた頃でした。
セメント工場を見下ろしつつ、北陸自動車道の側道を進んで...
北陸自動車道の上を渡って...
ようやく目的地の美山公園に到着。
姫川駅を出発してここまで30分。
道は間違えなかったので、掛け値無しにこれだけ掛かるということです。
高低差を甘く見てはいけないと良い教訓になりました。
公園内のこのデカいタンクがくだんの展望台。
長野側へはこのような眺望。
山々に雲がかかって冴えないのが残念。
冬の晴れた日に順光で撮れれば最高でしょうね。
展望台から見下ろした大糸線・姫川駅。
俯瞰で見ると駅の小ささがより実感できます。
かくして次の目的地「フォッサマグナミュージアム」に到着。
糸魚川静岡構造線の北端に位置するこの街の特質を生かした地質・鉱物博物館であります。
野外展示されている軽便鉄道用の蒸気機関車「くろひめ号」。
産業用としては国産最後の蒸機だそうで、昭和25年ごろ製造されて昭和31年から57年まで運搬用軽便鉄道で使われたとの事です。
重量は5.1tで、日本初の蒸機一号機関車や国鉄の国産蒸機最小のB20形の約1/4に過ぎない小兵てすけれど、実見するとなかなかどうして堂々たるものです。
館内に展示されている岩石。
鉱物にそれなりの知識が無いと理解するのはちょっと難しいかも。
ブラタモリでタモリさんがここを訪れて知識を披露するのを期待したいところです。
フォッサマグナミュージアムに隣接する「長者ヶ原遺跡」。
3,500~5,000年前の縄文中期の集落跡で、当時の竪穴式住居が再現展示されています。
個人的にはイマイチつかみどころのない岩石鉱物よりも、こちらの方に強い印象を受けました。
高台にあるミュージアムから糸魚川駅へ戻りながら一枚。
市中心部の街並みと概成した北陸新幹線の高架を望見できました。
駅アルプス口至近の糸魚川小学校校庭に展示されている蒸気機関車
「C12形88号機」。
重量は50tで前述の「くろひめ号」の約十倍です。
この機関車もアルプス口で展示保存すればいいのになぁ。
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