脇野田駅(信越本線)
本日の駅紹介は信越本線・脇野田駅。
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皆様ご存知のように、脇野田駅は昨年10月に北陸新幹線開業に先駆けて、在来線駅を新幹線駅側に移転の上「上越妙高駅」に改称し、今年3月には新幹線開業に伴う第三セクター「えちごトキめき鉄道」に移行して在来線駅はその所属となりました。
旧駅と「上越妙高」駅とでは、所属会社の違い以前に在来線の駅としては全く異なるものになってしまいましたので、新駅については後日取り上げることとして、今回はかつての脇野田駅について偲んでまいろうと思います。
脇野田駅は旧信越本線の新井-直江津間が開業した明治19年(1886年)時点では存在せず、大正7年にまず信号場として開設された後に、この地へ鉄路が敷かれてから35年後の大正10年(1921年)8月15日にようやく開業の日を迎えました。
文献によると、当初の駅開設予定位置は現在位置から約1km新井寄りの石沢地区だったそうですが、脇野田地区の大地主が土地を寄付するなどの誘致活動を熱心に行った結果、この位置への設置に決定したそうです。
前述の信号場との関連は書かれていなかったのですけれど、信号場を設置する際に、近い将来の駅昇格の約束を当局と取り付けていたのか、はたまた新駅は信号場とは別の案件として検討されていたのを、地元の誘致活動で既設の信号場格上げに変更したのか、興味のあるところです。
脇野田駅は新潟県上越市に所在する有人駅で、駅設置当時の所在については明確に記述している資料に行き当たらなかったのですが、推測するに中頚城郡和田村であったのではないかと考えています。
和田村の前身である大和村は、明治22年に脇野田村を含む周辺の村々が合併して誕生したそうですので。
和田村はその後昭和30年に分割され、この地区を含む地域は高田市に編入されて、さらに昭和46年に直江津市と合併して新潟、長岡に次ぐ県下第三の都市「上越」市になり現在に至ります。
JR東日本によると、2013年度の脇野田駅一日当たり乗車人員は139人で、JR東日本新潟支社管内の有人74駅中71位。
当駅よりも下位にいるのは、飯山線・津南駅、羽越本線・府屋駅、そして最下位の米坂線・越後下関駅だけです。
地域の玄関駅である下位3駅と異なり、当駅は近隣に高田駅と新井駅という比較的大きな駅に挟まれていてそれぞれへの距離も近く、無人化しても特に差し支えはないように思われたのですけれど、早い時期に新幹線の駅の設置が決定していたことが、有人維持に多分に影響していたのでしょうか。
脇野田駅駅舎の様子、2014年6月撮影。
建築財産票によると、駅舎完成は大正10年7月。
駅開業以来、移転までこの駅舎が時代の移り変わりを見守ってきたわけですな。
出入り口の上の屋根がいい味を出してます。
駅舎内部の様子、2009年7月撮影。
近年、古い駅舎でも内部に手が加えられて、狭い駅舎内に仕切りを入れて待合室の冷房化を図った例が散見されますけれど、当駅の場合は最後まで無粋な仕切りは入れずに昔のままの佇まいを保っていました。
信越線と共に第三セクターに移行する北陸線の県内区間の諸駅は、「消費増税に対応できないから」(車掌氏から直接聞いた話)という理由で、主要駅の糸魚川以外はことごとく券売機が撤去されてしまっていましたけれど、JR東日本に所属する信越線の諸駅の場合、当駅のような小駅でもしっかり券売機を維持していたのは流石天下の東日本と感心したものでした。
ホーム側から見た駅舎の様子、2005年9月撮影。
駅舎からホームへは、構内踏切付きの通路で連絡します。
特急列車が通過する、または通過していた駅でこのような形態の駅は、新潟県下では他に旧北陸本線の有間川、親不知、市振の各駅のみです。
構内通路から駅舎とその後方を見る、2005年9月撮影。
島式ホームの直江津方から先を見通す、2005年9月撮影。
同じ位置から新井方を望む、2005年9月撮影。
駅舎とホームを結ぶ構内通路は直江津方の端に設置されていました。
島式ホームの新井方から見た脇野田駅構内、2005年9月撮影。
島式のホームは待合室以外のアクセントに乏しく、駅舎や構内通路とは対照的に魅力を感じられないものでした。
島式ホームの新井方から先を見通す、2005年9月撮影。
まだ北陸新幹線の高架建設未着手の頃です。
ホーム上の待合室の様子、2012年6月撮影。
建築財産票によると昭和10年7月の完成。
許容積雪量は駅舎同様250cmで、冬季の厳しさを感じさせます。
なお当駅の列車発着は通常2番を使用していて、1番は列車交換時のみに使用していました。
2014年6月に最後に訪れた時点では、1番ホームが使用されるのは一日四回で、夕方以降の新井方面の列車が停車。
1番線に停車中の新井行485系電車快速「くびき野」、2012年6月撮影。
1番線に停車中の直江津行189系電車国鉄特急色の「妙高」、2014年6月撮影。
1番線に進入する189系電車直江津行「妙高」、2012年6月撮影。
国鉄時代は当駅に特急型電車が定期停車するなど考えられなかったことでしょうね。
なにしろ急行も一切停車しない小駅だったのですから。
脇野田駅に停車中の115系電車その1、2012年6月撮影。
晩秋の夕暮れの脇野田駅に停車中の115系電車直江津行、2006年11月撮影。
11月末の降雪直前の時期ともなると、16時ちょい過ぎでもこの情景なのであります。
直江津方の踏切から見た構内の様子。
上が2006年11月、中が2009年7月、下が2014年6月の様子です。
同じく直江津方を見る、2014年6月撮影。
ホーム上から見た北陸新幹線・上越妙高駅建設の様子。
上が2006年11月。
この時点では高架の建設は未着手で、駅予定地の整地が始まったばかりでした。
下は2008年5月。
高架が立ち上がり始めていますけれど、駅についてはまだこれからという状態です。
上越妙高駅予定地の2008年5月時点の様子。
ようやく用地の造成が終わったところです。
北陸新幹線・上越妙高駅建設進捗の観測。
上は2012年6月、中は2013年5月、下が2014年6月の状況です。
2013年初夏の時点で、駅の外観は概成していました。
直江津方の踏切から見た、建設中の在来線構内、2014年6月撮影。
駅前広場から駅前通りを見通す。2009年7月撮影。
新幹線の駅が置かれるとは、俄かには信じ難いローカルなロケーションです。
失礼ながら、場違い感という点では上越新幹線の浦佐駅を遥かに凌ぎますです...
信越線と並走する県道の様子、2012年6月撮影。
この時点では、付近には高田方に少し歩くとコンビニがある程度。
民家が立ち並んでいるので、駅の利用者も周辺の店ももっとあってもよいのではと感じたものですが、買い物については隣の北新井駅付近の国道沿いにロードサイドショップが軒を連ねているので、大抵のことはそっちで済んでしまうのでしょうね。
大正生まれの古びて味わい深い駅舎、ホームへ行くには構内通路。
そんな古典的な構内配置の脇野田駅も、今では解体されて完全に過去帳入りしてしまいました。
信越線から第三セクターに移行する象徴のような駅。
島式でのっぺりとしたその姿は、私的にはあまり惹かれるものではありませんでしたけれど、新幹線の建設が始まる直前の晩秋にホームから見た夕焼けの美しさ、あの情景を忘れることはないでしょう。
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