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2011年4月の記事

2011年4月16日 (土)

越後滝谷駅(上越線)

本日の駅紹介は、上越線・越後滝谷駅

宮内駅はこちらへ← →小千谷駅はこちらへ

2016年7月17日記、加筆修正及び画像追加しました。

越後滝谷駅の駅名標

新潟県長岡市最南部に位置する無人駅で、開業は大正9年(1920年)11月1日。
開業当時は古志郡六日市村の所在で、駅名は「六日市」駅と村名から採ったものでした。
しかしその立地は村の中心でかつての宿場でもある六日市集落と、村の商業中心地区であった十日町集落(宮内寄りの地域)の中間に位置する滝谷集落で、鉄道駅設置に当たって前述の二大集落が激しい誘致合戦を繰り広げた結果、両集落間のバランスを取る為と、滝谷が宮内-小千谷間のちょうど中間にも位置する事から駅設置が決定したとの事です。

また六日市駅開業の約3年後に同じ上越線内で「六日町」駅が開業すると、当駅と間違える乗客や貨物が続出した為に地元が当局に苦情を申し立てた結果、大正14年に現駅名に改名しております。
新駅名を「滝谷」としなかったのは、当時南海鉄道高野線に「滝谷駅」が存在したからとの事で、私鉄の駅名にも配慮した命名が行なわれていたのにはちょっと驚きです。
なお、同村は戦後の昭和29年11月に長岡市に編入されて現在に至ります。


越後滝谷駅駅舎その1
越後滝谷駅駅舎の様子、2007年8月撮影。
建築財産票が見当たらなかった為、竣工日は不明です。
平成20年度長岡市統計年鑑によると、平成19年度の当駅乗車人員は44,000人で一日平均約120人。
北隣の宮内駅の約1/6、当駅同様鄙びた風景の信越線・押切駅の約1/3で、駅勢人口の大小以前に周辺の道路事情が良い事が駅利用の少なさに表れているような感じです。
しかしその一方では、この数字は有人駅の信越線・脇野田駅や米坂線・越後下関駅と同レベルで、それを考えると当駅の利用状況もそう捨てたものでもないのです。


越後滝谷駅駅舎その2
中越地震前の駅舎、2004年5月撮影。
当駅は2004年10月23日に発生した新潟県中越地震で被災し、その復旧によって地震前後では駅構内の様子が明確に変化しております。
なお、同地震において上越新幹線「とき325号」が脱線した滝谷トンネル北口付近は、当駅から北東に1km強です。

越後滝谷駅駅舎その3
越後滝谷駅駅舎その4
駅舎内外の様子、2007年8月撮影。
駅舎内には青色の一人掛けベンチと自動券売機が一台。
地震前は無人駅定番の朱色ベンチでしたが、震災復旧時に置き換えられたようです。
トイレは駅舎ホーム側に男女兼用であります。

越後滝谷駅の上りホームその1
上りホームの長岡方から見た越後滝谷駅構内、2005年9月撮影。
二本のホームはご覧のように大きく非対称形です。

越後滝谷駅の上りホームその2
上りホーム端から長岡方を見る、2005年9月撮影。

越後滝谷駅の上りホームその3
上りホームの水上方から見た構内、2005年9月撮影。
画像左側の中線側ホームの側面が整形されているのがわかります。

越後滝谷駅の上りホームその4
上りホーム端から水上方を見る、2005年9月撮影。

越後滝谷駅の上りホームその5
ホーム中央部の跨線橋周辺の様子、2007年8月撮影。
当駅の跨線橋は昭和40年7月の竣工で、震度6強の揺れにも耐え切った古強者。

越後滝谷駅の旧島式ホームその1
旧島式ホームの2番線側から水上方を見る、2009年7月撮影。
上越新幹線開業前の上越線最盛期には当駅にも待避線があって、昭和55年10月改正ダイヤでは普通列車の特急待避が一日一回設定されておりました。
しかし新幹線開業による昼間優等列車大削減によってその存在意義を急速に失い、ウィキペディアによると昭和59年11月に棒線化され今日の姿となります。
棒線化当時、当駅を通過する定期昼行優等列車は特急1往復(鳥海)と急行4往復(佐渡2往復、よねやま、野沢各1往復)で、待避線を持つ宮内駅と小千谷駅に挟まれた当駅の早期棒線化は止むを得ないところ。

越後滝谷駅の旧島式ホームその2
旧島式の下りホームの水上方から見た構内、2009年7月撮影。
震災前の2番ホームは線路こそ完全に撤去されていたものの、ホームは昔そのままでしたけれど、震災復旧を機に柵が設置され側面が整形されて、完全に変則対面式のホームに変わりました。


越後滝谷駅の旧島式ホームその3
震災前の旧島式ホーム跨線橋周りの様子、2004年5月撮影。
前述の白い柵がまだ設置されていない時期です。


貨物引込線跡
かつての貨物引込線、2004年5月撮影。
当駅の貨物取扱いは昭和45年12月に廃止されております。

越後滝谷駅の跨線橋
跨線橋内部の様子、2013年10月撮影。
震災以前の画像を撮影していないので断定はできませんが、天井の様子から見て震災復旧工事が施工されたと思われます。
通路の広さは流石国鉄にまだまだ力があった昭和40年製です。

跨線橋上から見た構内
跨線橋上から構内の水上方を見る、2007年8月撮影。

陸橋上から見た構内その2
上越線と隣の国道17号線をまとめて渡る歩道橋から構内の長岡方を見る、2005年9月撮影。
画像左側の線路は、駅構内中程から宮内側に伸びている側線です。

陸橋上から見た越後滝谷駅と国道17号線
越後滝谷駅とその右隣の国道17号線、2007年8月撮影。
国道の通行量は極めて多く、データイム1本/一時間半~2時間の上越線とは対照的。
三番線右隣の側線の右側も駅敷地になっていますが、空き地の広さから昔はあと数本の側線が敷かれていたように思えます。

越後滝谷駅前
くだんの歩道橋から駅前を見下ろす、2007年8月撮影。

越後滝谷駅至近の県道
駅前の県道の様子、2007年8月撮影。
画像左側中央に見えるのが越後交通の「滝谷駅前」バス停です。
この県道には越後交通の長岡駅東口-滝谷線が設定されており、当バス停から長岡駅東口まで所要20分強です。
また国道17号線にも「滝谷」バス停があり、こちらには長岡駅前-小千谷インター線と急行長岡駅前-十日町車庫線が停車。
前者は小千谷中心地区及び小千谷駅に、後者は飯山線越後岩沢十日町
への移動に使えます。
なお、県道の駅周辺にコンビニやスーパーは無く、酒屋が一軒あるきりで周囲は昔からの住宅地。
国道17号の小千谷方にコンビニがありましたが、駅からは少々距離があります。

踏切から見た構内その1
県道の水上方踏切から見た構内、2005年9月撮影。
画像手前に解体された旧中線のレールが。

踏切から見た構内その2
同じく長岡方踏切から見た構内、2005年9月撮影。

越後滝谷駅に停車中の115系電車
秋雨の中、下りホームに停車中の115系電車長岡行、2013年10月撮影。

越後滝谷駅に到着した115系電車
上りホームに到着した115系電車越後中里行、2013年5月撮影。

越後滝谷駅に到着したキハ110系気動車
当駅には朝にのみ姿を見せる飯山線直通十日町行キハ110系気動車が上りホームに到着、2009年7月撮影。

2011年4月13日 (水)

海賊戦隊ゴーカイジャー第8話「スパイ小作戦」をヒロイン目当てで見る

ども。
待望してやまないミスアメリカが未だ登場せず、本当にミスアメリカにゴーカイチェンジしてくれるのか少々疑い始めている今日この頃ですが、海賊戦隊
ゴーカイジャー第8話「スパイ小作戦」、はガオレンジャー、デンジマン、ゴーグルVにチェンジであります。

ガオレンジャーにゴーカイチェンジ
ガオホワイトには以前にゴーカイイエローがチェンジして、蜂須賀祐一さんが見事にまた萌える再演をしていたのですが、今回のホワイトはゴーカイピンク
のチェンジです。
なお、ゴーカイピンクを演じる野川瑞穂さんがケガで一時降板との事で、前回からピンチヒッターで人見早苗さんがピンクを演じているそうで、このガオホワイトも人見さんが演じているのでしょう。
スーツはとくにダブついている様子も無いので、蜂須賀さん着用のものとは別の女性サイズの新造品? 
マスクは共用なんでしょうけれど。
オリジナルの戦隊ヒロイン女形とはまた違った佇まいのホワイトも中々良いものです。
なお蜂須賀さんはイエローにチェンジで相変わらず芝居が細かいw

デンジマンにゴーカイチェンジ
ゴレンジャー、ジャッカーときたら次にゴーカイチェンジする古参戦隊は当然バトルフィーバーJ・・・ではなく、何故かデンジマン。
・・・なんか意図的にバトルフィーバー隊をシカトしてるんではと被害妄想も少々。
しかしデンジマンは変身カットも変身直後のマスクを顔に固定する仕草もデンジパンチもしっかり再現していてこれも良し。
デンジマンでこれなら、ミスアメリカの名乗りも大股ハイキックもナイフ投げもきっちり再現してくれるに相違無い!?

ゴーグルピンクにゴーカイチェンジ
デンジマンに続いてゴーグルVにもチェンジして得意の新体操リボン攻撃。
デンジピンクはオリジナルのイメージを保っていましたが、ゴーグルピンクのこの色は・・・。
オリジナルの濃いピンク色が、現在の生地には無いのかもしれませんが・・・
色の薄さに比例して出番もほんのちょっと。
ゴーグルピンクといえば、我が県小出出身の竹田道弘さんが華奢な身体を目一杯使ったハードアクションが売りでしたのにねぇ。
激しいアクションをしないのなら、薄手のオペコット生地にしてしまってもいいのにと思いました。
それなら原典のゴーグルピンクに近い色があります。
女性の柔らかい体型をより魅力的に、男性の逞しい体型をより魅力的に見せられて、男も女もゲイの方も私のよーなヘンタイも皆大喜び!
・・・しかしいいなぁ、リボンをあんなに振り回せて。
私も随分前に着ぐるみの撮影用ネタとして練習用の新体操のリボンスティックを買いましたけど、振り回す場所が無くて今では完全に遊休化。
戸外や体育館で自由自在に遠慮無く振り回したいものなんてすよ。

次回はガオレンジャーファン垂涎の展開のようですが、ミスアメリカもピンクファイブもチェンジマーメイド&フェニックスもカスリもしない模様。
いつになったら出るのかねぇ・・・もうそろそろ1クール目終了ですがな。

2011年4月 3日 (日)

古津駅(信越本線)

本日の駅紹介は信越本線・古津駅

新津駅はこちらへ← →矢代田駅はこちらへ

2017年3月20日記、画像貼り替えと加筆修正を実施しました。

古津駅の駅名標

新潟県新潟市秋葉区に所在する無人駅で、その前身である古津信号場は戦時下の昭和18年9月28日の開設。
切迫した戦況下での信越本線の決戦輸送体制強化の為に、田上保内東光寺長鳥の各信号場と同時期に作られました。
駅としての開業は昭和24年(1949年)5月28日で、当時は中蒲原郡金津村の所在。
長鳥駅のエントリーでも触れましたが、戦後国鉄が発足するに当たって、戦時中に開設されその後臨時乗降場として旅客扱いをしていた信号場が合理化の為に整理されてしまうのを怖れた各地の地元自治体が当局に駅への格上げを陳情しており、古津信号場の駅格上げもその一例のようです。
長鳥駅や東光寺駅のように採算性等の問題からすんなり格上げとはいかなかった例も少なからずありますけれど、古津駅の場合は金津村の玄関駅足りうる事からスムーズに事が運んだようで、国鉄発足直前に駅昇格を果たしています。
なお金津村はその後昭和30年4月に新津市に編入され、その新津市も平成19年4月1日付けで新潟市に合併編入されて同市秋葉区となって現在に至ります。 駅名はこの地の地名に基づくもので、その由来は新津市史によると「古い津」、つまり中世に河川交通の舟の発着場が置かれていたからとの事。
それに対して「新しい津」が新津の地名の由来です。
しかし地図を見ると当地は西側の信濃川とも東側の能代川とも距離があって、どちらの川に発着場が置かれていたのかも明記されておりませんでした。
この辺は郷土史を更にディープに当たって調べる必要がありそうです。

古津駅駅舎
古津駅駅舎の様子、2012年8月撮影。
建築財産票によると昭和54年3月24日の竣工。
駅前にタクシー乗り場がありますけれど、常駐待機しているわけではないようです。
駅舎の左側にカーテンで閉じられた一室がある事と、駅舎内の現在掲示板になっている辺りの感じが窓口跡のように見える事から、現駅舎竣工当時は有人駅だったのではないかとも思われます。
古い資料で恐縮ですが、平成21年度新潟市統計書によると、古津駅の平成20年度年間乗車人員は約33万3千人で、一日平均912人。
うち定期客は約720人で乗車人員全体の約8割です。
無人駅は発券データが正確に計上されない為に、実態と相違する場合が有るとの但し書き付きではありますが、一日平均900人台という数字は当駅西隣の矢代田駅や羽越線・水原駅や上越線・小出駅と同レベルであり、新潟県内のJR無人駅では越後線・内野西が丘駅(平成20年度の一日平均乗車人員約980人)と並んでトップクラスなのです。
もう少し増えれば、有人化はもとより自動改札化も考えてよさそうなレベルです。

古津駅東口駅前通りその1
駅舎から見た東口駅前通り、2012年8月撮影。

古津駅東口駅前通りその2
信越本線と並行する県道側から見た東口駅前通り、2012年8月撮影。

駅近くの県道
信越本線と並行する県道の様子、2012年8月撮影。
旧来の金津村中心地はこちら側で、この時点ではスーパーとレストランが各一軒営業中。
この県道にはバス路線が運行されていて、鉄道補完として新潟市秋葉区バスの新津小須戸線と新潟交通観光バス運行の新津白根線が使えます。
前者は途中で県道から外れて、かつて石油採掘で賑わった金津地区を経由し、かつての隆盛ぶりを今日に伝える「石油の里」へのアクセスに便利ですが、矢代田駅へ行くには遠回りです。
後者は県道を真っ直ぐ進むので矢代田駅へは最短距離で行けます。

古津駅駅舎内部その1
古津駅駅舎内部その2
古津駅駅舎内部その3
駅舎内部の様子、2012年8月撮影。
前回訪問の2006年11月と比べると、ベンチが新しくなった事とタバコの自販機が撤去されているのが変わった点です。
鉄道施設、車両での禁煙が常識になった今日、タバコの自販機を置くのは駅ひいては会社の印象が悪くなるだけですから、撤去されるのはごく自然の成り行きでしょう。

古津駅の上りホームその1
駅舎のホーム側と上屋の様子、2012年8月撮影。
トイレはこの時点では画像右端のドアが出入り口で、男女兼用でした。
上屋は駅舎と跨線橋出入り口の間の短いものです。

下りホームから見た駅舎
下りホームから見た駅舎ホーム側の様子、2012年8月撮影。

古津駅の上りホームその2
上りホーム(長岡方面乗り場)の長岡方から見た古津駅構内、2012年8月撮影。
現在のホーム有効長を示す黄色の太線ははるか彼方。
足元の白い白線が郷愁を誘うところです。

古津駅の上りホームその3
上りホームの端から長岡方を見通す、2012年8月撮影。
電化複線は当駅の手前でゆるやかなカーブを描いています。

古津駅の上りホームその3
構内中程の中枢部、2012年8月撮影。

古津駅の上りホームその4
上りホームの新津方から見た構内、2012年8月撮影。
こちら側は懐かしの白線が消え去っていました。
右隣の新潟方面乗り場のホームの基礎の形状が異なっているのは、ホーム完成時の原型部とその後の延長部の違いなのかどうか。

古津駅の上りホームその5
上りホームの端から新津方を見通す、2012年8月撮影。
戦後第一世代の当駅の構内はほぼ並行の対面型ホームで、戦前開業の駅と比べると明らかモダンですが面白味はありません。

古津駅の跨線橋
跨線橋内部の様子、2012年8月撮影。
国鉄時代の小駅跨線橋の標準形です。
当駅は無人駅で且つ東西両方に出入り口がある為、この跨線橋は自由通路としても機能しています。

跨線橋上から見た長岡方
跨線橋上から構内の長岡方を見る、2012年8月撮影。

跨線橋上から見た新津方
同じく構内の新津方を望む、2012年8月撮影。

古津駅の下りホームその1
下りホーム新潟方面乗り場)から見た構内中心部、2012年8月撮影。
こちら側には待合室が置かれていて、建築財産標によると昭和42年3月の完成。

下りホーム上の待合室内部
下りホーム上の待合室内部の様子、2012年8月撮影。
利用客の多さを反映してか、ベンチは新しいものに交換済みです。
また凡百の小駅構内待合室と違って、室内に自動券売機が設置されています。
旅客流動は圧倒的に対新潟指向なのでしょうし、その乗り口となるこちら側に券売機が置かれるのは当然の措置と言えましょう。

駅西口出入り口その1
下りホームから張り出して設置された駅西口、2012年8月撮影。
suicaの簡易改札機の上に上屋が架かっていますが、新潟に暮らす者としては、冬の季節風をこの程度で凌げるのか?とかなり疑問なところです。

駅西口出入り口その2
上りホームから見た西口出入り口の様子、2012年8月撮影。
旅客流動の指向性を考えれば下りホームの方が利用者数が多いのは確実で、それならば古い待合室を改築して上屋もそこまで延ばすのが、目に見えるサービス改善でお客にも喜ばれるところかと思います。
しかしその場合、費用は自治体持ちになるのかどうかですな問題は。

荻川駅西口その1
荻川駅西口その2
駅西口の様子、2012年8月撮影。
こちら側は新たに宅地開発が進んでいて、もしかすると駅舎のある東口よりも利用者が多いかもしれません。

古津駅の下りホームその2
下りホームの長岡方から見た構内、2012年8月撮影。

古津駅の下りホームその3
下りホームの新津方から見た構内、2012年8月撮影。
ホーム有効長を示す黄色の太線はホーム端手前まで伸びています。

踏切から見た古津駅構内
長岡方の踏切から見た構内、2005年3月撮影。

古津駅に停車中の115系電車その1
下りホームに停車中の115系電車新潟行、2012年8月撮影。

古津駅に停車中の115系電車その2
115系電車の新潟行と長岡行が古津駅で揃い踏み、2012年8月撮影。
日中に数回見られた光景です。

古津駅を通過する485系電車特急「北越」
下り線を通過する485系電車R編成の特急「北越」、2012年8月撮影。

古津駅を通過する485系電車快速「くびき野」
上り線を通過する485系電車T編成の快速「くびき野」、2012年8月撮影。

古津駅を通過するHK100型電車「ほくほく美人林号」
晩秋朝のホームを徘徊していたら偶然遭遇した北越急行HK100型電車の臨時列車「ほくほく美人林号」、2006年11月撮影。

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