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2011年3月27日 (日)

日出谷駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・日出谷駅

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2016年7月31日記、駅舎解体後の画像追加及び加筆修正を実施しました。

日出谷駅の駅名標

新潟県東蒲原郡阿賀町に所在する無人駅で、開業は大正3年11月11日。
開業当時は東蒲原郡日出谷村の所在で、同村はその後南隣の豊実村と共に昭和30年に北隣の鹿瀬村と合併して新自治体・鹿瀬町の一部となり、その鹿瀬町も2005年4月1日に近隣町村と合併して阿賀町の一部となり今日に至ります。

日出谷駅は磐越西線新津-会津若松間のちょうど中間に位置するのと、駅周辺が平地であったのが幸いして、蒸機の給水炭場という運転上の要衝として永らく重きを成してきました。
また区間列車の起終点としても使われて、さらに駅弁「とりめし」が販売されていた事もあり、急行「いいで」「あがの」が停車しないにも関わらずその知名度は高いものがありました。
区間列車の件で言えば上越・東北新幹線大宮暫定開業前の昭和55年10月改正ダイヤでは当駅から新津へ2往復、郡山に1往復が設定されております(いずれもDL牽引の客車列車)。
昭和60年3月ダイヤ改正でもなお新津、会津若松に各1往復の客車区間列車が設定されていて、蒸機時代の運転上の要衝であったのを慣例化しているが如きダイヤ設定が生き残っていたわけですが、その後は区間列車の気動車化に伴いまた利用実態に合わせてか区間列車の起終点は津川駅と野沢駅に移り、当駅を含む津川-野沢間はすっかり過疎区間と化してしまい・・・。
まさに栄枯盛衰、諸行無常の歴史です。

日出谷駅の旧駅舎その1
日出谷駅の旧駅舎その2
日出谷駅旧駅舎の様子、2007年7月撮影。
建物はJA東蒲原日出谷支所との合築でした。
建築財産票が見当たらなかったので竣工年は残念ながら不明。
支所も閉鎖されて久しい様子で、建物の存在意義も見出せない状況ですが、それとは対象的に駅舎の隣には「当麻公民館」が新築されていました。
私が当駅を最初に訪れた2003年11月には汲み取り式の便所などがあったスペースに、2007年7月に再訪した時にはこのような立派な建物があって驚愕!
トイレを貸していただいたのですが、ピカピカに綺麗で勿論水洗、バリアフリーです。
公民館内は新築の木造家屋の清々しい匂いがそれは心地良いものでした。
後述する待合室内部と比べるとその差は甚だし。

日出谷駅旧駅舎内部その1
日出谷駅旧駅舎内部そのふ
旧駅舎内部の様子、2007年7月撮影。
それなりに大きな建物でありながら、今日有効活用されているのはこの待合室兼通路のみ。
室内にはJR定番のものでは無い、どこかの公園から持ってきたようなベンチ一脚。
室内は薄汚さが否めず、前述の公民館内とのギャップが強烈で色々考えさせられます。
それに輪をかけたのがベンチ下に置かれた蚊取線香の缶。
ここでタバコを吸う人がいるようで、灰皿代わりになっていました。
成人喫煙者はわざわざ駅まで来て吸わないでしょうし、やはり高校生の仕業でしょうかねぇ・・・、ここなら人目に付きにくいですし。
何しろ過疎ダイヤなので人の出入りも少なく、白昼の死角のような建物ですから。


ホーム側から見た旧駅舎
構内通路ホーム側から見た旧駅舎と公民館の位置関係、2007年7月撮影。


車中から見た構内通路
車中から見た構内通路周り、2003年11月撮影。

日出谷駅の上屋付きの出入り口その1
日出谷駅の上屋付きの出入り口その2
五年ぶりに日出谷駅に降り立った時には、遊休化著しかった駅舎は解体されて、代わりに最早駅舎でも待合室でもない上屋付きの出入り口が建ちました、2012年7月撮影。
建築財産票によると平成22年(2010年)10月4日の竣工。
シャッターの向こうは除雪器具などの倉庫になっているのかもしれません。
何しろ建物の許容積雪量は200cmで、地味ながら雪深い土地なのです。

日出谷駅の旧島式ホームその1
旧島式ホームの野沢方から見た日出谷駅構内、2003年11月撮影。

日出谷駅の旧島式ホームその2
同じく津川方から見た構内、2007年7月撮影。
側線はこの時点では駅構内中程から豊実方に伸びる一本のみが残置。
当駅はSLばんえつ物語号の停車駅で、長時間停車のせいなのかホーム上には石炭と煙の残り香が。

日出谷駅の旧島式ホームその3
駅舎解体後の駅構内を津川方から見る、2012年7月撮影。
五年経ってもホームや周辺には変化がありません。
駅舎の有無だけが画像撮影時期の判断材料になりましょうか。

日出谷駅の旧島式ホームその4
撤去された線路跡、2007年7月撮影。
現在は棒線化されている日出谷駅も、往時は蒸機運転上の要衝であると同時に列車交換駅でもありました。


日出谷駅の旧島式ホームその5
ホーム端から津川方を見る、2007年7月撮影。
SLの停車位置標がホーム先端に設置されています。

日出谷駅の旧島式ホームその6
ホーム端から野沢方を見る、2007年7月撮影。
くだんの側線が本線と繋がっているのがわかります。

ホーム上の待合室その1
ホーム上の待合室その2
ホーム上の待合室内部、2007年7月撮影。
待合室は建築財産標によると昭和58年5月竣工。
待合室内には無人駅定番ベンチ二脚と券売機一台とゴミ箱。
駅舎は解体されてしまいましたが、元々向こうよりもこちらの方が居心地はずっと良いので、駅舎解体も利用者に大した影響は無いと思います。

ホーム上の待合室その3
駅舎解体後の待合室内、2012年7月撮影。
ベンチがJR定番型に換わった以外、変化無しです。

日出谷駅の旧島式ホームその7
旧駅舎時代の待合室手前の様子、2003年11月撮影。
大正浪漫風のベンチと独特の駅名標こそは、当駅がばんえつ物語号停車駅であることの証であります。

日出谷駅の旧島式ホームその8
現在のホーム待合室とその先の駅舎跡、2012年7月撮影。
JAと合築の駅舎は大きな建物だったので、そっくり撤去されてしまうと駅前はこのようにガラガラの空間と化してしまいました。
4年前の画ですけれど、私はこの後磐越西線には鹿瀬までしか行っていないので、現在この更地がどのようになっているのかはわかりません。
駐車場にする・・・といっても、周辺人口は少ないし観光地も近くに無いし、あえて作る意味はないよなぁ。
でも更地のまま放置では、地区の印象が宜しくないでしょうしねぇ。

構内の線路撤去跡
線路撤去跡を豊実駅方から観察、2003年11月撮影。
対向式ホーム跡らしきものが見えます。
なお日出谷駅は、開業後昭和初期まで阿賀野川流域のダムや発電所建設拠点の一つとして機能し、また薪炭や木材の出荷拠点としても相応の賑わいを見せていたそうですが、貨物取扱いは昭和48年12月に廃止されております。

駅舎反対側の道路から見た日出谷駅全景
駅舎反対側の道路から見た日出谷駅全景、2003年11月撮影。
晩秋朝の光景で、おりからそぼ降る秋雨に煙った背景の山々が印象的であります。

日出谷駅を出発するキハ40系気動車
旧駅舎時代の日出谷駅を出発する朝のキハ40系気動車会津若松行、2003年11月撮影。

日出谷駅を出発したキハ40系気動車
駅舎解体後の日出谷駅を出発したキハ40系気動車会津若松行、2012年7月撮影。
当駅に停車するキハ110系気動車列車はごく少数で、大半は昔ながらのキハ40系です。
当ブログの趣旨から言えば、定期運用されている車両の駅停車画像はフォローしておきたいところなのですけれど、当駅の場合はキハ110系を撮るのがなかなか難しいのが悩みどころ。
ただ当駅の場合、本数はごく僅かながら日中に路線バスが津川まで走っているのでまだ良いのです。
これが隣の豊実駅になると、バスは走っていないのでキハ110系の停車画像撮影はクルマで追っかけるしか現実的な方法がありません。
列車で行くと待ち時間が五時間もあるので、せっかちな私は身を持て余してしまうこと確実。



日出谷駅前その1
旧駅舎から見た駅前の様子、2007年7月撮影。
画像右手にある建物は「朝陽館」で、日出谷名物「とりめし」はこちらで調製販売。
しかしウィキペディアによると2006年に「とりめし」の調製販売はやめてしまわれたそうです・・・。
当駅隆盛の生き証人もこれで消えてしまって、実に寂しい話ですな。

日出谷駅前その2
駅舎解体後の駅前の様子、2012年7月撮影。
ただでさえ広大に過ぎた駅前広場は、駅舎解体によって寂寥感が濃厚に漂う風情に。

日出谷駅前通り
駅前通り側から見た旧駅舎周りの様子、2007年7月撮影。
かつての村の中心地らしく、当時は駅前通りとその左右に伸びる小道では郵便局の他に雑貨店、食料品店、理容店が営業しており、電器店と酒屋の看板もありました(この時にはシャッターを降ろしていましたが)。
駅前から鹿瀬方に少し歩き磐越西線をくぐると半ば廃墟化した元GS有り。
駅前は明確に集落を形成していて相応の規模でもあるのですが、この日は路上に人影もクルマも少なくひっそりとしていました。

日出谷駅前その3
駅舎解体後の駅前広場から見た日出谷駅、2012年7月撮影。
右側がホーム出入り口、左側がホーム上の待合室です。
かつての運転上の要衝が、何の変哲もない過疎ローカル線の小駅に成り果ててしまったのです。

日出谷駅前で待機中の路線バスその1
前述の公民館前で発車待ちの津川行きバス、2007年7月撮影。
日出谷駅前-津川駅間には、新潟交通観光バス運行の路線バス日出谷-津川線が走っています。
この時はここから鹿瀬駅最寄の電工前バス停まで乗車してみました。
所要時間は当駅から電工前まで20分強。
磐越西線では日出谷-鹿瀬駅間は途中の山をトンネルで真っ直ぐ抜けて5.2km。
それに対してバスの走る国道459号線は、山を大きく迂回する為に倍以上の距離がある為、それだけの時間がかかるのです。
私は13:20発の便に乗車しましたが、出発時の乗客は私を含めて5人。
角神温泉までに私以外の4人は下車し、乗車は電工前までゼロという乗り具合。
最近は過疎地域のバス路線整理が深化しており、この路線あたりも鉄道と競合している事もあって安泰とは言えない感じですね・・・。
しかしこの路線の車窓はなかなかに味わい深いものがあります。
発車後しばらくは鄙びた農村近郊を走り、やがて山を大きく迂回する隘路へ。
道幅は狭く生活道路に毛の生えたか如きものですが、行き交う車が少ないのでこれでも良しなのか。
小さなトンネルやシェルターが連続し、その壁面は素堀りそのままのような荒々しさ。
途中には行き違い用の信号が設置。
そんな山間の細道を抜けると角神温泉、そして巨大な角神ダムの偉容を望見出来ます。

日出谷駅前で待機中の路線バスその2
夕刻の駅前で出発待ちの路線バス津川行、2012年7月撮影。
2007年7月乗車の感想としては、なかなか将来は厳しいと思われた路線バス津川日出谷線ですが、2016年3月改正ダイヤでは一日三往復が運行されています。
ただし平日と土休日ではダイヤが異なるので、ご利用の際は新潟交通観光バスのHPでダイヤをご確認ください。

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R010 磐越西線の駅」カテゴリの記事

コメント

日出谷駅で検索してたどり着きました。何を知りたかったかと言うと・・・

昨日、磐越西線乗りました。日出谷に到着し、朝陽館が気になって車内から見てみると、何か違和感が・・・。
「駅舎がない!」ホームからスロープを降りて駅舎があった箇所が目新しい砂利敷きになっており、以前と変わらぬ佇まいの朝陽館が丸見えでした。比較的新しい駅舎だったので目を疑いましたが、ホームの待合室の方が便利ですし、駅舎ではなく農協の資産だったような気もします。寂しいですが、解体された跨線橋とともに「要らない」のでしょう。隣の建物もあり券売機も移設されているので、まだ良い状況でしょう。
と言いつつ、私としては寂しいの一言。跨橋橋のあったころの交換風景。駅舎内で食べた「とりめし」を思い出しました。(私も大昔は知りません。初めて乗ったのは、非電化区間のみ50系客車になっていたころです。)

あいさん、はじめまして。
日出谷駅舎解体・・・!衝撃です・・・
先程調べてみたら、どうやら昨年末には解体されて
いたようです。
おっしゃるようにあの建物が農協の持ち物であったのならば、不要な建物を維持=固定資産税を
払い続けるなんて事もやってられないでしょうし、仕方の無い話なんでしょうね。
しかし駅舎が無くなった事で完全に何の変哲も
無いローカル無人駅に成り果ててしまった事実は中々受け入れがたいです・・・
新潟に長年住んでいる鉄オタには、幼少の頃に
駅や沿線でよく見た旧型客車の「日出谷行」の
サボは懐かしい古き良き思い出なのですから。

はじめまして。昔日出谷始発の汽車で通学していました。ブログ面白いですね。楽しく読まさせていただきました。JA東蒲原による簡易委託廃止は平成4年6月1日、朝陽館のとりめしの調整最終日は平成21年11月29日でした。日出谷駅は今でも好きな駅のひとつです。

日出谷始発の列車で通学ですか!
昔の時刻表を引っ張り出して見て
みると、日出谷発新潟行の初発は
5:44ですが、ひょっとして
そんな早い時間に通学?
日出谷駅には2007年7月以来
行っていないので、現在の新たな駅の
佇まいにはまだ触れていないのです
けれど、他ブログの画像を見ると、
上越線の湯檜曽駅同様、寂しくなっち
ゃいます・・・。
時代が変わったと言われればそれまで
ですが、あの駅がかつては蒸機時代の
拠点駅だったなんて、若い人には信じ
がたい事でしょう。

阿賀町で検索してたどり着きました。

最近まで日出谷で暮らしていました。
平成20年から23年のたった3年ですが、駅の写真を見て「懐かしい~」と思いました。
朝陽館の幻のとりめし!
一度でいいから食べてみたかったな~

お返事ありがとうごさいます。

私は日出谷始発1222列車に乗っていました。乗車は山都〜喜多方間です。

日出谷駅に停車中の貨物列車が構内通路を確保するために切り離していました。

日出谷、鹿瀬、津川とかつての三駅連続三つ巴が懐かしい限りです。

昨年末の日出谷駅映像です↓
http://www.youtube.com/watch?v=txmtDy4tnfE&sns=em

>みっちゃんさん
日出谷地区はこう言っては失礼ですが「何もない」
ところなので、お住まいの方は特に冬場の苦労を
お察しします。
クルマを使っても、津川まであの国道で出るのは
大変ですよね。
とりめしは・・・阿賀町が音頭を取って業者を
募って復刻・・・なんてうまい具合に事が運び
ませんかねぇ。

>小池さん
日出谷駅に貨物というのは、最早忘却の彼方って
感じですよね。
あの人気の無い駅にもそういう時期はあったのだと、
まともな駅舎さえ無くなってしまった現在を考える
と、まさしく栄枯盛衰諸行無常です。
動画のクリスマスツリーは、実際に見たらかなりの
インパクトがありそうですね。
雪が深くなかったら行って実見してみたいものです

日出谷とりめしで辿り着きました。

はじめまして。

ここ数年鉄道から離れておりましたが、久々にSLばんえつ物語号に乗車しようかと思いました。

一度購入した「日出谷とりめし」をまた購入しようと思い
確か2号車付近と思っていた矢先、販売終了しているとは。

この時代なので仕方ないのでしょう。

幾つか楽しみにしていたものが無くなってしまいましたが

約4時間、楽しんでこようと思います。

はじめまして。
来週からいよいよ今年のばん物運行開始ですね。
「とりめし」はファンがかなり多いようで、
事前予約制でリバイバルを・・・とも思うので
すけれど、調製する方が変われば味もまた変わ
ってしまって、やはり思い出の味は思い出の
ままの方が良いのかもしれません。
ともあれ蒸機の旅は思い立ったが吉日です、
4時間の旅を存分に楽しんできてください!

・・・かく言う私は実はどうもイベント色の濃い
列車に触手が伸びず、ばん物乗車経験はまだ無い
のです(汗)。

こんばんは。
過疎化の進む地域の無人駅は、さみしいものですね。
それでも、地元の有志の方が綺麗に清掃されていたり、座布団が置いてあったり、と気遣いが感じられる駅もあります。
鉄道が地元にとって有意義で愛される存在であり続けて欲しいと願っています。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc

こんばんは。
日出谷で検索してたどり着きました。

はじめまして。

日出谷は亡くなった父の故郷です。
私も社会人になるまでは毎年行っていました。
とても懐かしいです。また行きたいな。

色々と今の状況を載せてくださってありがとうございました。
今の日出谷はこんな感じなんですね。

朝陽館のとりめしが終わったのは聞いていました。
寂しいなと感じたことを覚えています。
とても美味しかったですよね。
父は若い頃、朝陽館でアルバイトをしていたそうです。
その関係で朝陽館のご主人とも父の生前、日出谷に行く度にはご挨拶していたのですが、最後に会ったのは父のお葬式でした。
ご主人ももう90代なのかな。
奥様も亡くなって、とりめしを作るのは難しいんだそうです。

懐かしい父の故郷の画像をアップしてくださって本当にありがとうございます。
嬉しいです。

日出谷で検索したらたどり着きました。高校卒業するまで
日出谷に住んでおり、とっても懐かしく拝見させていただきました。30年前高校へ通学するのに、当時7時の下りで通っておりました。あのころは、乗客も多く座れないほどでしたが、今はガラガラで本当にさみしい限りです。

この、画像みてたら急に帰りたくなりました。
若いころは、あまり好きではなかったけど、今は日出谷が
大好きです。

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