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2008年7月の記事

2008年7月27日 (日)

只見線・魚沼田中駅

本日の駅紹介は只見線・魚沼田中駅

2016年2月24日記、画像を入れ替えました。

越後広瀬駅はこちらへ← →越後須原駅はこちらへ

魚沼田中駅の駅名標

新潟県魚沼市(2004年10月末日までは北魚沼郡広神村)に所在する無人駅で、1951年(昭和26年)10月1日の開業ですが、ウィキペディアによるとその七ヶ月前に仮乗降場として開設されていたとの事です。
出自が仮乗降場で列車交換設備も無い事から、開業当時よりずっと無人駅なのでしょう。

魚沼田中駅の待合室その1
魚沼田中駅駅舎(待合室)の様子、2004年7月撮影。
建築財産票が見当たらなかったので完成日時は不明ですが、開業時の建物だと思われます。

魚沼田中駅の待合室その2
駅待合室内部の様子、2013年5月撮影。
簡素な造りで文字通り座って待つだけの機能しかありません。
券売機、乗車証明発行機共になく、トイレもありません。
くず入れが置いてあるのは外来の人間にとって有難いところです。
管理されている方に感謝しなくてはなりますまい。

魚沼田中駅の待合室その3
ホーム側から見た待合室の様子、2013年5月撮影。

踏切から見た魚沼田中駅
只見方至近の踏切から見た魚沼田中駅、2013年5月撮影。
気持ちよくスッと伸びた直線上にあるのが当駅。
軌道の規格が高ければ高速運転できそうな区間であります。

魚沼田中駅のホームその1
ホーム端から只見方を見通す、2013年5月撮影。
小出駅からここまで比較的平坦な道のりの只見線も、この先から勾配区間が増えていきます。

魚沼田中駅のホームその2
小出方から見た構内、2013年5月撮影。
ホームの有効長は2~3両分というところで、少なくとも只見線南部区間の旅客需要は当駅の開業当時からその程度の両数で充分なレベルでしかなかった事を窺わせます。

魚沼田中駅のホームその3
ホーム端から小出方を見通す、2013年5月撮影。

魚沼田中駅に停車中のキハ40系気動車
魚沼田中駅に停車中の只見行キハ40系気動車、2013年5月撮影。


駅舎とその周辺その1
駅舎とその周辺その2
駅舎とその周辺の様子、2013年5月撮影。

俯瞰で見た魚沼田中駅
俯瞰で見た魚沼田中駅の様子、2004年7月撮影。
このようなローカル線の棒線駅の場合、俯瞰で取れることはほとんど無いのですけれど、例外なのが当駅。
駅正面の宅地が高台にあるので、その生活道路上からこのような画が撮れるのです。

魚沼田中駅近くの国道252号線
只見線と並走する国道252号線の駅入り口付近の様子、2013年5月撮影。
郵便局とスタンドと小さなスーパー、蕎麦屋(南蛮漬けが自慢の一品のようです)、理容店が固まって営業しておりました。
旧広神村の北端に位置し、隣の旧守門村との分水嶺という過疎地的なロケーションですが、実際は想像よりずっと賑やかであると言えます。
家並も越後広瀬駅周辺に比べれば明らかにまばらにはなっているものの、過疎のイメージはあまり抱かせない古き良き田舎の風情なのであります。

越後アクシオムスキー場
当駅周辺で最も目に付く存在が、駅裏手の山腹にあるスキー場らしきもの、2006年9月撮影。

少し古い地図には「越後アクシオムスキー場」と記されておりましたが、2001年に倒産してしまったとの事。
私は雪国新潟に住んでいながらスキーはまともにやった事のない門外漢なのですが、駅前から眺めてみた限りではリフトの配置などからしてそれなりの高低差もあり、面白そうにも思えますけどねぇ・・・。
前述のブログ様によれば、利用のピークは1996年。それからたった5年で倒産とは小雪の影響があったとはいえ、バブルを経てスキー需要がいかに減少したかを示す、かつての冬レジャーの王様の末路の小典型を見る思いです。
今も残るリフトの支柱はそれを無言のうちに物語る永遠の標というところでしょうか。

2008年7月21日 (月)

只見線・越後広瀬駅

今回の駅紹介は只見線・越後広瀬駅

2016年2月27日記、画像入れ替えと加筆修正しました

魚沼田中駅はこちらへ← →薮神駅はこちらへ

越後広瀬駅の駅名標

新潟県魚沼市に所在する無人駅で、只見線・小出大白川間が開通した1942年(昭和17年)11月1日に開業しました。
開業当時の所在は北魚沼郡広瀬村で、同村の玄関駅でした。
同村は昭和30年(1955年)3月に隣接する藪神村と合併して広神村となり、平成16年11月1日に周辺町村との広域合併で魚沼市の一部になり今日に至ります。
旧広神村の村役場は小出寄り隣駅の薮神駅裏にありますが、人口集積は当駅周辺が最も多く感じられ、実際駅から国道252号線に出る小道はかつて駅前商店街であったような雰囲気を多分に漂わせております(薮神駅前にそのような雰囲気はありません)。

さて越後広瀬駅は、只見線全線開通(1971年8月)からJR化後の昭和63年(1988年)3月まで設定されていた(冬季・12月~3月は全区間運休)気動車急行「奥只見」の停車駅でした。
広神村の実質的玄関駅である事と、当時列車交換設備を備えていた(「奥只見」は列車交換設備を備える駅には全て停車します)からなのでしょう。

越後広瀬駅駅舎その1
越後広瀬駅駅舎の様子、2012年5月撮影。
建築財産票が見当たらなかったので完成年は不明ですが、おそらく開業当時からの建物と思われます。
出入り口の上屋の形状など、実に昔の昭和風。

越後広瀬駅駅舎内部
駅舎内部の様子、2006年9月撮影。
「広瀬村史」によると、当駅が委託化されたのは昭和52年7月。
無人化時期は不明ですが、急行「奥只見」の停車駅だった間は有人だったのやら。
駅舎内は旧窓口も完全に塞がれて単なる待合室そのものへ姿を変えています。
なお券売機も乗車証明発行機も設置されておらず、トイレもありません。

只見線新潟県区間で列車交換設備を撤去された駅は越後須原駅(旧守門村中心)と入広瀬駅(旧入広瀬村中心)がありますが、両駅とも現在も有人駅で待合室内も綺麗に保たれ、駅や只見線の昔の写真や地元の物産品その他展示コーナーがあって地元の駅を
守る姿勢が強く打ち出されて好感を持てます。
それに引き換え当駅のこの現状はなんとも・・・。
私が当駅を訪問した2004年7月と2006年10月には、いずれも駅舎前後の出入り口の引き戸は開放されていて、虫が入り放題! 
窓には大きなクモが巣を張って獲物を待ち構え、私の住まいの街ではまずお目にかからない虫がそこかしこに。
特に最初の訪問時、待合室内はクロスズメバチがたむろする剣呑な空間と化しておりまして、ここで昼食を摂る予定だった私が助六寿司の蓋を開けるやいなや黒いハチどもが匂いを嗅ぎつけて突進してくる始末・・・。
前年に体験した田子倉駅での恐怖体験がフラッシュバックして肌に粟立つ戦慄!w。
ほうほうの体で待合室を逃げ出し、駅前の路上でもそもそと食する他ない仕儀に至りました。
地元の通行人にはジロジロ見られるし、まぁ情けないやら頭にくるやらで寿司もまるで砂を噛むようでしたね。

旧村の只見線に対する温度差もあるのでしょうし、越後須原、入広瀬両駅が村の中心集落にあり且つ村役場も近くにあって行政の中心でもあったのに比べ、当駅は村の中心村落ではあっても前述のように行政の中心ではないという事情もあります。
この地域の中心であり只見線始発駅でもある旧小出町との距離の遠近も多分に関係があると思いますけれど・・・、
豪雪による国道途絶時のライフラインとしての只見線の恩恵を考えれば。小出から当駅まで5.7km、越後須原まで12.1km、入広瀬まで19.6km。
当駅なら小出まで無理して歩けない距離ではないですが、越後須原、入広瀬になるとそれはまず無理。
国道が通行止めになった場合、頼れるのは只見線だけですからね。
今では国道より只見線が豪雪に対して脆弱になってしまっていますが、駅の無人化云々が議論された二十年以上前は親方日の丸の国鉄の除雪体制は万全でした。
また只見線各駅の乗降を当駅以外にも何度も行い、土曜の夕方、学生の帰宅列車に数回乗車した印象では当駅(及び薮神駅も)での降車客は極めて少なく、村民の税金で有人駅を維持するにはそれによる間接的な効果を考えに入れても割り
が合わないでしょう(越後須原や入広瀬なら距離的に見て通年列車通学の学生がほぼ全てでしょうから、それなりの定期券収入が期待できます)。
従って当駅の無人化は仕方の無い事です。
ただ駅舎内の現状は考え物ですね。
薮神駅の待合室はずっとこじんまりとしていますが、地域の方々の意識が高いのか、あるいは旧村役場至近というメンツで職員が清掃をしているのか小奇麗で、当駅のそれよりずっと快適に列車を待つ事ができます。
以前書いた飯山線・越後岩沢駅のケース同様、行政が然るべき手を打つ事を期待しておりますが、恐らく今後も存続するであろう飯山線に対し、只見線は名うての閑散路線。
JR西日本のように外国人投資家が発言力を持って、

「過疎地域での公共交通の維持? 私企業がそんな事を考える必要はない! 会社は株主投資家の利益追求に働け~! 我々への増益の妨げとなる赤字路線は皆廃止してしまえ!!」
なんて方向にJR東日本が傾いてしまえば、いの一番に廃止対象になる路線ですからね。
将来を見据えての投資となるだけに難しいものがあります・・・。

構内側から見た越後広瀬駅駅舎その1
構内側から見た越後広瀬駅駅舎その2
構内側から見た越後広瀬駅駅舎の様子、2013年10月撮影。
軒先にはツバメの巣があったりするのです。

ホームへの構内通路
駅舎からホームに至る構内通路、2012年5月撮影。

越後広瀬駅の旧島式ホームその1
駅舎側から見た構内、2012年5月撮影。
列車交換設備も撤去されて久しいようで、雑草が根を張り半ば自然に還ってしまっています。
昭和55年のダイヤではすでに定期旅客列車の当駅交換は無く、設備が健在だったとしても冬季の除雪待機場ぐらいの位置付けだったのでしょう。

越後広瀬駅の旧島式ホームその2
小出方から見た旧島式ホームの様子、2012年5月撮影。

越後広瀬駅の旧島式ホームその3
ホーム端から小出方を望む、2012年5月撮影。
ホーム端から右横に伸びているのは構内通路です。

越後広瀬駅の旧島式ホームその4
只見方から見た構内の様子、2012年5月撮影。
只見線新潟県内区間のホーム長は皆この程度です。

越後広瀬駅の旧島式ホームその5
ホーム端から只見方を望む、2012年5月撮影。

踏切から見た越後広瀬駅
小出方の踏切から見た越後広瀬駅、2012年5月撮影。
駅舎が映り込んでいないので、停留所のように見えます。
この駅にかつて急行列車が停車していたとは信じがたいものがあります。

越後広瀬駅を出発するキハ40系気動車
越後広瀬駅を出発する只見行キハ40系気動車、2012年5月撮影。

越後広瀬駅に停車中のキハ40系気動車
雨に煙る旧島式ホームに停車中のキハ40系気動車、2013年10月撮影。。
駅舎が映り込んでいるこのアングルで順光でとなると、午後イチの只見行に乗って下車撮影しか方法が無いのです。
この日は大雨だったので、順光かどうかは大して関係無かったのですけれど。

越後広瀬駅に進入するキハ58系気動車の「懐かしの急行奥只見号」
構内に進入するキハ58系気動車の「懐かしの急行奥只見号」、2006年9月撮影。
急行「奥只見」が現役だった当時はこの駅に停車していたのですが、当時果たしてどれほどの利用客があったことやら。


越後広瀬駅駅舎その2
秋雨に濡れつつ佇む越後広瀬駅の風情、2013年10月撮影。

越後広瀬駅前通りその1
駅から国道へのメインルートの様子、2012年5月撮影。

越後広瀬駅前通りその2
前述した、かつて駅前通りを形成していたと思われる、駅から国道への二つ目のルート、2012年5月撮影。

越後広瀬駅付近の国道252号線
只見線と並行する国道252号線の駅付近の様子、2012年5月撮影。
こちら側にはコンビニのセーブオンがあります。
只見線新潟県内区間の諸駅で駅付近にコンビニがあるのは、
ここと薮神駅のみです。

「広瀬駅前」バス停に接近する小出行路線バス
越後広瀬駅最寄の「広瀬駅前」バス停に接近する、南越後観光バス運行の小出駅前行路線バス、2013年10月撮影。

2008年7月17日 (木)

越後湯沢駅(上越線/上越新幹線)

本日の駅紹介は上越線/上越新幹線・越後湯沢駅

岩原スキー場前駅はこちらへ←上越線→石打駅はこちらへ
                 上越新幹線→浦佐駅はこちらへ

2016年7月10日記、画像の画像の貼り替えと加筆修正を実施しました。
2017年4月15日記、画像の再張り替え及び追加を実施しました。

越後湯沢駅在来線の駅名標
越後湯沢駅上越新幹線の駅名標

新潟県南魚沼郡湯沢町に所在する有人駅で、開業は1925年(大正14年)11月1日。
上越線長岡側の塩沢-当駅間の延長開通によって開業しました。
開業当時の所在は南魚沼郡湯沢村で、同村は昭和30年(1955年)に周辺諸村と合併して町制を施行し、新自治体の湯沢町に生まれ変わって今日に至ります。
なお、平成の大合併の嵐の中で南魚沼郡下の六日町、大和町、塩沢町は合併して南魚沼市になっており、この町だけが郡唯一の自治体として孤高の地位を保っているのです。
ちなみに新潟県では大合併によって町村は大幅に減り、現在、大合併に加わらずに単独で存続している町村は当町の他に岩船郡の関川村と粟島浦村、北蒲原郡の聖篭町、南蒲原郡の田上町、西蒲原郡の弥彦村、三島郡の出雲崎町、刈羽郡の刈羽村、中魚沼郡の津南町の5町4村だけになっています。

ここ湯沢の地は越後と関東を結ぶ三国街道の、越後口における平場最後の宿場町で、
ここから先は上野国に抜けるまでの40km弱の山道を進む事になります。
往時は旅人がこの町の旅籠で、明日からの山越えにそなえて英気を養っていたのでしょう。
戦前から温泉や冬季レジャーの開発が進み、首都圏から上越国境を越えた最初の観光拠点である越後湯沢駅にはかつての上越線全盛時代には多くの優等列車が停車していました。
人口一万人弱の町の駅でありながら、「佐渡」「越路」といった急行列車は電気機関車牽引の客車列車の時代から停車。
特急「とき」も、上越線新潟県内区間の大駅である六日町駅小出駅に先駆けて、昭和40年3月改正から停車するようになりました。
上越新幹線開業前最後の昭和55年10月改正時点では、特急「とき」9往復、急行「佐渡」「よねやま」が計5往復停車しています。
さらに冬季は季節特急「新雪」と水上止まりの急行「ゆけむり」が当駅まで延長運転。
「とき」は小出駅に5往復、六日町駅と小千谷駅に各4往復停車でしたから、小出町、六日町、小千谷市に比べて人口規模が格段に落ちる湯沢町の玄関駅にそれらの倍の特急が停車するのは、いかにこの駅の観光面での存在感が圧倒的であったかの表れと言えます。
上越線隆盛時代は当駅以上の存在感であった水上駅と異なり、当駅は上越新幹線の駅になった事でその存在感は更に増して、上越線の優等列車全廃でローカル線の拠点駅に格下げされた感の強い六日町、小出、小千谷駅との差は大きく開いています。
観光に加えて別荘地としての新たな顔も加わり、バブル期にはリゾートマンションが次々に建てられて「東京都湯沢町」などと言われていたのは皆様もご存知の通りです。

JR東日本によると、越後湯沢駅の2015年度一日平均乗車人員は2,905人で同社新潟県内有人67駅中第9位。
上越新幹線と特急「はくたか」の乗り継ぎ客が入っていると思われる前年度が3,108人なので、減少率は7%に過ぎません。
となると、新幹線と「はくたか」の乗り継ぎに関しては乗車人員に含めていないということなのでしょうね。

越後湯沢駅東口駅舎その1
越後湯沢駅東口駅舎その2
越後湯沢駅東口駅舎の様子、上は2008年5月、下は2011年5月撮影。
在来線の駅として元々規模の大きい駅ですが、上越新幹線の高架駅として更にボリュームアップされたことで視覚的には新潟長岡両駅に次ぐ大駅の風格です。
駅前広場にはタクシーが多数待機、南越後観光バス運行の路線バスのターミナルにもなっています。
ただしバスの運行本数は残念ながらさほどではありません。
鉄道補完関係では上越線の岩原スキー場前、越後中里、土樽(但し本数僅少)方面及び石打、塩沢、六日町方面への二路線と、飯山線の越後田沢津南森宮野原方面への路線が発着しています。

越後湯沢駅東口駅前広場
駅舎自由通路から俯瞰で見た東口駅前広場の様子、2011年5月撮影。

越後湯沢駅東口駅前通り
日曜夕刻の東口駅前通りの様子、2008年5月撮影。
人口一万人に満たない町のメインストリートで、人影は無し。
町の人口規模に比べると、アーケードの街並みは大きく見えます。

越後湯沢駅西口駅舎
駅舎西口の様子、2008年5月撮影。
こちら側はどことなく浮ついた感じの東口に比べて落ち着いた印象です。

越後湯沢駅西口駅前通り
西口駅前通りの様子、2008年5月撮影。
西口から後述のガーラ湯沢駅への道すがらには昔ながらの温泉旅館や冬季スキー客対象の民宿やロッヂがあって実にノスタルジック。
クルマも人もゆったりと動いているようで非常に好感が持てました。
温泉地のこういう佇まいはホント好きだなぁ~。

越後湯沢駅駅舎内部その1
越後湯沢駅駅舎内部その2
駅舎内部の様子、上は2008年5月、下は2016年9月撮影。
「はくたか」が去った後も内部は商業施設が入っていて賑やかでした。
駅そのものが集客力を持っているのです。
しかし私的にはこういうノリが好きではないので・・・。
スキー場やリゾート周辺の商店街の延長線上のイメージで、駅らしさは感じられませんからねぇ、駅の立地、乗降客の目的を考えれば仕方の無い事なんですが・・・。

越後湯沢駅駅舎内部その3
越後湯沢駅駅舎内部その4
在来線構内の様子、上は2011年5月、下は2016年9月撮影。
上越新幹線と「はくたか」の接続時間帯は人また人の盛況ぶりでしたけれど、「はくたか」が飛び去った後の下の画の時には閑散としていました。

1番線の出入り口
かつて「はくたか」が発着していた1番線出入り口の様子、2016年9月撮影。
2015年3月改正までは新幹線との乗り継ぎ客で賑やかだったところです。
この撮影時、1番線に定期列車の発着は無くひっそりとしていました。

越後湯沢駅の1番ホームその1
「はくたか」が飛び去った後の閑寂とした1番線、2016年9月撮影。
かつては日中、常に「はくたか」が停車している感じで、早朝以外はこのような画がなかなか撮れなかったものでした。
今ではいつでも好きなように撮れます。

越後湯沢駅の1番ホームその2
1番線で折り返し待機中の特急「はくたか」、2014年5月撮影。
想い出の彼方のひとコマです。

越後湯沢駅の1番ホームその3
1番ホームの跨線橋出入り口付近から水上方を見る、2014年5月撮影。
「はくたか」入線直前で、自由席車前には既に行列が出来ています。

越後湯沢駅の1番ホームその4
1番ホーム端から長岡方を見る、2014年5月撮影。
冬季の降雪対策からか、かつて長編成の「とき」や「佐渡」が停車していたホームの上屋が長大なのが当駅在来線構内の特徴です。
それゆえに現在の短編成列車撮影の場合は上屋に編成全体が完全にかかってしまうので、明暗のコントラストが大きすぎて画的にはイマイチ。

越後湯沢駅の島式ホームその1
ほくほく線乗り入れ列車以外の上越線の定期列車が発着する2番3番の島式ホーム中央部の様子、2004年3月撮影。
画像右の4番線には現在定期列車の発着は無く閉鎖されていますが、この当時は少ないながらも定期列車が出入りしていました。

越後湯沢駅の島式ホームその2
島式ホームの水上方から見た構内、2016年9月撮影。
現在、構内で機能している乗り場は5つ中3つです。

越後湯沢駅の島式ホームその3
島式ホーム端から水上方を見通す、2016年9月撮影。

越後湯沢駅を出発した115系電車
3番線を出発した115系電車水上行、2014年5月撮影。

1番線で待機中の特急「はくたか」と0番線のほくほく線HK100形電車
Echigoyuzawa0170508
2番ホームの長岡方から見た、1番線で待機中の特急「はくたか」と0番線のほくほく線HK100形電車、上は2014年5月、下は2008年5月撮影。

越後湯沢駅の島式ホームその4
島式ホームの長岡方から見た越後湯沢駅構内、2016年9月撮影。
こちら側には旧型の駅名標が何故か健在。

越後湯沢駅の島式ホームその5
島式ホーム端から長岡方を見る、2016年9月撮影。

越後湯沢駅で待機中の115系電車その1
3番線で客待ち顔の115系電車長岡行、2014年5月撮影。

越後湯沢駅で待機中の115系電車その2
2番線で出発を待つ115系電車長岡行、2014年5月撮影。
この当時は上下別で特定のホームが指定されてはおらず、融通無碍に振り分けられていました。

越後湯沢駅に停車中の115系電車その1
2番線に停車中のE129系電車長岡行、2016年9月撮影。
上越線・長岡-水上間の普通列車は2016年3月ダイヤ改正で115系電車からE129系電車にバトンタッチされました。

越後湯沢駅に停車中の115系電車その2
現在は閉鎖中の4番ホームに停車中の115系電車水上行、2004年3月撮影。

越後湯沢駅の4番ホーム
4番ホーム端から水上方を見る、2005年6月撮影。
4番ホームに足を踏み入れたのはこの時が最後でしたっけ。

跨線橋上から見た構内その1
跨線橋上から俯瞰で見た構内の水上方の様子、2011年5月撮影。

跨線橋上から見た構内その2
同じく構内の長岡方の様子、2006年9月撮影。

踏切から見た越後湯沢駅構内
水上方の踏切から見た構内、2016年9月撮影。

越後湯沢駅の上越新幹線構内その1
越後湯沢駅の上越新幹線自動改札口、2016年9月撮影。

越後湯沢駅の上越新幹線構内その2
越後湯沢駅の上越新幹線構内その3
越後湯沢駅の上越新幹線構内その4
上越新幹線・越後湯沢駅構内の様子、上二枚は2008年5月、一番下は2016年9月撮影。
島式二面と通過線付きの大規模な構造です。
新幹線駅構内の常として、造りは画一的で面白味にはすこぶる欠けますが・・・。
2016年3月改正では、東京-新潟間の「とき」上下43本に加えて東京-当駅間の「たにがわ」9往復と当駅-新潟間の「とき」1往復が停車しています。

ホーム至近の大清水トンネル
上越国境を抜ける全長約22.2kmの大清水トンネルは、駅至近にぽっかりと口を開けています、2008年3月撮影。

越後湯沢駅に停車中のE1系新幹線電車
2012年9月に営業運転を終了した、初代MAXのE1系新幹線電車、2008年5月撮影。

越後湯沢駅に停車中の200系新幹線電車
2013年6月に営業運転を終了した200系新幹線電車、2008年5月撮影。

越後湯沢駅に到着したE2系電車「たにがわ」
到着した当駅終着のE2系電車「たにがわ」、2016年9月撮影。
ガラガラで到着し、大丈夫かこれで!?と心配してしまうレベルでした。
まぁ高崎までは満員御礼なのでしょうけれど。

折り返し待機中の「たにがわ」と停車中の新潟行「とき」
折り返し待機中の「たにがわ」と停車中の新潟行「とき」、2016年9月撮影。
E2系電車の横並びで構内に花を添えます。

越後湯沢駅に到着したE4系電車「MAXとき」
E2系電車「とき」に続いてE4系電車「MAXとき」新潟行が到着、2016年9月撮影。
先日、E4系電車の引退と後継としてE7系電車の上越新幹線への投入が発表されたのは皆様ご存知の通り。

春のガーラ湯沢駅その1
駅西口からフラフラ歩いて25分でガーラ湯沢駅に到着、2008年3月撮影。
平成2年(1990年)12月20日に開業した、スキー場「ガーラ湯沢」に隣接した冬季限定の臨時駅です。
新潟県内の鉄道駅で、2016年6月現在私が降り立ったことのない唯一の駅が当駅です。
JR東日本によるとガーラ湯沢駅の2014年度一日平均乗車人員は1,440人で、同社新潟支社新潟県内有人67駅中、浦佐駅と同じく第29位。
四ヶ月強の営業期間でこの数字ですから、斜陽とはいえスキーレジャーの集客力は以前として侮りがたしですな。

春のガーラ湯沢駅その2
春のガーラ湯沢駅その3
訪れたのは5月中旬ですが、この施設の冬季営業はGWまで。
この日は周りに人影は全く無く、まるで廃墟のように静まりかえっいましたなぁ。
夕方の魚沼に吹きわたる風もなにやら侘し気で、そんな寂寥感溢れる情景の中、ひとり写真を撮る我ここにありなのでした。
独り身の影も伸びゆくアスファルトかな。

2008年7月11日 (金)

上越線・岩原スキー場前駅

本日の駅紹介は上越線・岩原スキー場前駅

越後湯沢駅はこちらへ← →越後中里駅はこちらへ

2016年7月10日記、画像の張替えと加筆修正を実施しました。

岩原スキー場前駅の駅名標

新潟県南魚沼郡湯沢町に所在し、昭和8年(1933年)に仮乗降場として設けられて以来、永らく臨時/仮扱いでしたが、国鉄からJRへ移行した1987年(昭和62年)4月1日に晴れて正規の駅になっております。
駅昇格時の所在は既に湯沢町でした。

当駅は「スキー場前」と命名されてはおりますが、駅東口が即スキー場の入り口という 越後中里駅と異なり、「岩原スキー場」へは駅入り口の県道を横断して歩く事1km弱と、ドアツードアが常識の今日では立地条件はすこぶる宜しくないのです。
く(当駅とスキー場間に送迎バスが運行されるのかもしれませんが、それにしたって・・・)。
スキー客やリゾート客の利用には立地的に?なこの駅ですけれど、かつては駅入り口の県道を越後湯沢方面に歩く事約1kmに県立湯沢高校が所在し、この学校への最寄駅としての学生利用が多いのが部外者にとっては少々意外。
かつてはスキー場前を名乗り周囲にリゾートホテルが建つ文教とは何の関係もないようなこの駅に、朝の上越線登り列車からは多数の学生がゾロゾロと降り立つという、少々不思議な光景が見られたのです。
しかしその湯沢高校も2007年度をもって六日町高校に統合されて廃校になり、当駅に学生が集中する事も無くなってしまいました。

岩原スキー場前駅駅舎その1
岩原スキー場前駅駅舎その2
岩原スキー場前駅舎と駅前の様子、上は2013年6月、下は2004年3月撮影。
建築財産票を確認できなかったので゛竣工年月は不明。
上の画像の左側のコンクリート製の建造物はホームへ行き来する地下道の出入り口です。
トイレは駅舎の右奥にあります。

岩原スキー場前駅駅舎内部その1
岩原スキー場前駅駅舎内部その1
駅舎内部の様子、2013年6月撮影。
元臨時駅にしては内部は広くて凡百の無人駅を凌ぎます。
冬季限定とは言え賑わったであろう昔日の残照ですなぁ。
自動券売機が一台設置されていますが、2006年9月に訪問した時点では未設置で、置かれたのは比較的最近だと思われます。
券売機が置かれるほどの需要が、果たして今の当駅にあるのやら。
また当駅には窓口がありますけれど、私が2004年3月に初めて当駅を訪れた時には、まだスキーシーズン中だったにも関わらず閉鎖されていました。
ウィキペディアを見ると、窓口が冬季営業していたのは昭和末期までのようです。

下りホームから見た駅舎
下りホーム(長岡方面乗り場)から見た駅舎、2005年6月撮影。
事務空間も広く取ってあるようで、今日の目からは甚だ過剰な設備の建物です。

岩原スキー場前駅の上りホームその1
上りホーム(水上方面乗り場)の水上方から見た岩原スキー場前駅構内の様子、2013年6月撮影。
変則配置の二つのホームは右にカーブしていて、ここからの見通しは甚だ悪し。

岩原スキー場前駅の上りホームその2
上りホーム端から水上方を見る、2013年6月撮影。
ここからは左カーブしていて、後背の関越自動車道も邪魔をして見通しは甚だ悪し。

岩原スキー場前駅の上りホームその3
上りホーム端から長岡方を見る、2013年6月撮影。
水上方が全く冴えないのとは対照的に、こちら側は見通しも良く風情もあります。
後背の山々、近くの緑、大変涼やかな景色なのですよ。

構内の連絡地下道
変則配置の上下ホームを連絡する地下道内部、2013年6月撮影。
この連絡地下道は昭和52年12月の完成。
この地下道完成まで、二つのホームはどうやって連絡していたのか?
構内通路があったのか?謎です・・・。
白と緑のツートンカラーは、冬の雪と春夏の盛緑というこの地方の色合いを表しているかのようです。

岩原スキー場前駅の下りホームその1
下りホームの水上方から見た構内、2013年6月撮影。
上下のホームは変則配置に加えて千鳥式です。

岩原スキー場前駅の下りホームその2
下りホーム端から長岡方を見る、2013年6月撮影。
駅の裏手には魚沼南端の田圃が広がり、駅前周辺のリゾート然とした雰囲気とは好対照を成しております。

岩原スキー場前駅の下りホームその3
下りホームの長岡方から見た構内、2013年6月撮影。
左側に曲線を描くこの辺りの見通しはよくありません。

岩原スキー場前駅の下りホームその4
下りホームから見た構内中央部の様子、2013年6月撮影。
上りホームの基礎はご覧のように昔風のしっかりした造り。
戦前に仮乗降場として造られた時代のものなのかもしれません。
水上方の端部以外は同じ構造なので、ホーム長は後から延伸されたものではなく、元々この長さで作られたものではないかと思うのですが。
そうだとすれば、「仮乗降場」としてはかなり力の入ったホームと言えます。
それに対して下りホームのそれは鉄骨の支柱多数で支える形式です。
このホームが造られたのは昭和39年9月に越後湯沢-越後中里間が複線化された時だったのか?
はたまた単線時代にこのホームは既に作られていて、当駅が列車交換設備を備えた信号場の役割を果たしていたのか?
その辺が当駅に関する個人的な疑問と関心なのであります。
でも湯沢町史を見ても、そういう裏話って全然載っていないのよね。

岩原スキー場前駅を出発した115系電車
下りホームを出発した115系電車長岡行、2004年3月撮影。
雪景色はこれぐらいがちょうど良いなぁと、個人的には思うところです。

岩原スキー場前駅に到着する115系電車
上りホームに到着する115系電車、確かスキー客向けの臨時の越後中里行だったような記憶があります。
ウィキペディアによると、当駅に定期普通列車が通年停車するようになったのは昭和56年からとの事で、時刻表の昭和57年6月号を見ると当駅の普通列車通年停車は下記の通りです。
下り:725M新潟行13:25、727M長岡行16:03、729M長岡行17:54。
上り:724M上野行08:37、732M上野行18:10。
学生の流れの圧倒的多数は長岡方面からの入り込みですから、朝の通学便、土曜の帰宅の便、平日の帰宅の便としての停車になっていました。

岩原スキー場前駅に停車中の115系電車
下りホームに停車中の115系電車長岡行、2013年6月撮影。
この時の訪問では、この駅で下車した際に車掌氏に「ここで降りるんですか?」と声を掛けられましたっけ。
カメラを持った明らかに非地元民のオッサンが、特に珍しい列車が通るわけでもないいたって普通の土曜の朝にこんな地味な小駅に降り立つのは珍しかったようですw
私は新潟県内ではガーラ湯沢駅以外の全ての駅で乗ったで降りたでしてますけど、下車時に「本当にここで降りるのですか!?」な顔の車掌氏に声掛けされたのは、当駅と羽越線の今川駅ぐらいですな。

岩原スキー場前駅に進入したEH200形電気機関車牽引の貨物列車
下り線に進入したEH200形電気機関車牽引の貨物列車、2013年6月撮影。
私は貨物列車時刻表を購読していないので、貨物列車の撮影は全て偶然の産物です。
この時もこのホームでウロウロしていたらたまたま入ってきたので一枚。
朝の逆光なのが残念なところです。

踏切から見た構内
長岡方の踏切から見た構内、2013年6月撮影。
構内は左カープしているので全体を見通すことは残念ながら出来ません。

踏切から見た長岡方
同じく長岡方を見る、2013年6月撮影。
こちら側の景色は見通しも効いていて良いのにねぇ。
かつてはこの線路を「とき」が、「佐渡」が駆け抜けていったのですよ。

ホームから見た岩原スキー場
ホーム上から遠望した岩原スキー場、2013年6月撮影。

岩原スキー場前駅至近の県道その1
岩原スキー場前駅至近の県道その2
駅から歩くこと数分で、越後湯沢と土樽方面を結ぶ県道に出ます、2013年6月撮影。
上の画像中央を横切っているのは関越自動車道です。
駅周辺にはホテルが多いのですが、リゾート、スキーの両シーズンの狭間にある春と秋に歩いた限りでは、建物の見た目の華やかさと人気の無い寂れた雰囲気が入り混じって
独特の雰囲気を醸し出しておりました。
また付近にスーパーなどは無く、県道に出てすぐにあるリカーショップと廃校になった旧湯沢高校至近にあるコンビニがある程度でした。
なおこの県道には南越後観光バス運行の路線バス越後湯沢-土樽-蓬橋線が運行されており、当駅と越後中里駅へ行く場合の鉄道補完足りえる存在です。

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