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2008年4月の記事

2008年4月21日 (月)

防衛計画大綱5年ぶりの改定

政府は19日、日本の防衛政策の基本指針となる「防衛計画の大綱」を5年ぶりに抜本的に改定する方針を固めたそうです
→www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080419-OYT1T00894.htm

改定される新大綱では、中国の軍拡に対応して自衛隊の対潜能力やミサイル防衛の強化などが課題になると見られるそうですが、「中国の軍拡」って、自衛隊内部でのオフレコや「一部極右政治家の妄言」ではなくて政府レベルではっきり言っちゃって大丈夫か!?とちょっと心配してしまいました。
チベット問題ですっかり「ばけのかわ」が剥がれてしまって、「大きな北朝鮮」に成り果てた(元に戻っただけ)中国はこれを聞いて黙ってはいないでしょう。

「中国再侵略を画策する奸悪な日帝極右軍国勢力の策動に、我が人民は自存自衛の断固たる決意で臨むであろう!」

とか言い出しそうですね、北京五輪が終わった次の日から早速・・・。
媚中派のあのセンセイやこのセンセイは中南海に呼びつけられて、ハニトラのエロい写真を突きつけられ、「なんとかならんか!」と凄まれて顔面蒼白で帰国しそうです。
身から出た錆とは言え、誠にご愁傷様でございます・・・。

さてこの大綱改定では、自衛隊の対潜能力やミサイル防衛の強化を課題としているとの事ですが、海自の対潜能力は既に世界一流の水準ですし、ミサイル防衛についてもイージス艦4隻の改修や陸上配備の迎撃ミサイルPAC3の配備が予算化され着々と実行に移されております。

これ以上の対潜能力強化といっても、米海軍との特に情報面における一層の連携強化、2010年代半ばに退役するしらね型ヘリ護衛艦2隻の後継を現在建造中のひゅうが型多目的ヘリ母艦(若しくはその改良型)とする事の確定、新型AIP潜水艦を退役する在来型潜水艦と1対1の更新ペースの維持、新型哨戒機P-Xの戦力化促進・・・。
素人が考えられるのはこんなところ、いずれも質的向上という既定路線の範疇に入り、新味はないんですよね。
世代を経る事につれ、質的に前のモノよりも高くなるのは兵器システムに限らず世の工業製品の常であり、また相手の質も向上しているのですからその関係は相対的なものです。
従って明確に「対潜能力強化」を謳うのであるならば、既定路線の範疇を明らかに超えた事・・・、「更に高度な対潜技術」の獲得なのか、それとも一定の質の向上を計った上で量的拡大を目指すのかの二択になります。
前者に関しては技術開発の実際を見るにまずないように思えますから、後者つまり護衛艦、潜水艦、海上哨戒機の増勢(増やすというよりは冷戦後最初の防衛計画大綱改定の水準に戻す?)なのでしょうか・・・?
しかしそれには正面装備調達予算の大幅増額が不可欠です。
予算規模が現状水準では、以前のエントリーで書いているように増勢どころか相当の減勢を覚悟しなければなりません。

護衛艦に関していえば、現状の予算規模では現大綱別表で定められた約47隻は、艦齢30年以上の老朽艦の延命を実施しない限り、30隻前後へ減勢を余儀なくされます。
潜水艦や海上哨戒機についても、1~2割の減勢を覚悟しなければなりません。これだけのマイナスを生じる予算規模を、反転プラスに持っていくとなると、その予算額は・・・。
しかも予算増が不可避な案件は他にも前述の「ミサイル防衛の強化」、それに現在決定が先送りになっている空自ファントム戦闘機の後継機調達・・・。
陸自に泣いてもらうのにも限度がありますから(今まで泣かされっぱなし、もう鼻血も出ない状態。これ以上予算削減=定員削減されたら災害派遣任務を全う出来なくなる恐れあり)、これ以上の三自衛隊間での予算の融通(海空が陸から強奪)は不可能かと思われますので、改定新大綱に沿った防衛力の整備を本気でやるとなれば、防衛予算の他省庁に比較して突出した増加は不可避です。
しかし隙あらば予算を削ってやろうと鵜の目鷹の目の財務省が首を縦に振るとはとても思えません。

従いまして、大綱改定による防衛力の強化をいくら謳ったところで予算の裏付けの無いそれは絵に描いた餅そのもの。
また予算の裏付けを取ろうとしても、現在の政治環境では媚中派多数の民主党が政局に結びつけて大騒ぎ、マスゴミ各社もその提灯持ちを買って出て、年金や高齢者医療の問題と絡めてネガティブキャンペーンを張ってくるのは確実です。

財政的にも政治的にも、とても認められるとは思えない正面装備の増勢に繋がる施策を打ち上げるよりは、防衛予算の現状水準を確実に確保し続ける事で、量的な減勢は止むを得なくとも質的には一定の水準を保ち続ける一方、多額の経費を要する新たな部隊の造成を行う事無く実行可能な限定的「対地攻撃機能」を自衛隊に持たせる事の方がより国益に適う事だと私は思っているのですが・・・。

陸自には203ミリ自走榴弾砲の後継として、米国製の地対地ミサイル「ATACMS」(最大射程は約120~160km)を導入、小型軽量で機動性に富む発射機HIMARSも併せて導入し、島嶼防衛に際して有効な火制手段を獲得する(あくまでも特科部隊の装備更新であり、新たな部隊の造成は必要としない)。
海自、空自に関しては港に停泊中の艦船への攻撃並びに沿岸への限定的な攻撃が可能な米国製ハープーン対艦ミサイル(海自で現用中)の最新モデルを導入、護衛艦の一部と新型哨戒機P-X、F-2支援戦闘機に運用させ、侵攻船団及び敵艦隊のみならず、揚陸作業中の敵地上部隊や装備に対するスタンドオフ精密打撃能力を獲得させる。併せて国産で更に長射程の同機能巡航ミサイルを開発(既に現用の国産対艦ミサイルをベースとするので、完全な新規開発に比べて時間もコストも短縮可能)する。(ATACMSの導入については以前陸自で装備化を検討されており、国産の対地ミサイルの研究開発についても確か現中期防策定時に議論されたと思いますが、公明党の反対によって見送られた経緯があります)

敵の戦力中枢(弾道ミサイルのサイロや管制システム)を狙える火力を早急に獲得するのは予算上からも技術上、運用上からもまず無理です。
従ってそれは将来の課題として具体的な研究に着手しつつ、まずは上記の装備、能力を早期に獲得していくのが費用対効果上、最も有効な施策ではないかと思います。
非常にささやかな装備・能力ではありますが、従来の自衛隊には存在しなかったものです。
ゼロだったものが1になる(ゼロに何を掛けてもゼロですが、正整数は違います)事のインパクト、相手へのプレッシャーは1以上のものになると推察できます。
己の足元をよく見てまず櫂より始めよ、費用対効果においていかにこちらの出費を極限し相手の出費を極大化させるか、福田総理のおっしゃる
「相手の嫌がる事はしません!」
ではなく、最小の労力でいかに相手を嫌がらせるか。
それを考えていくのが防衛計画大綱の改定作業に際して肝要な事だと考える次第です。

2008年4月20日 (日)

新潟交通電車線廃線跡探訪その十六・月潟駅跡

新潟交通電車線廃線跡探訪・第十六回は月潟駅跡

白根~曲駅跡はこちらへ

西蒲原郡月潟村(現・新潟市南区・・・なお、新潟市の南端はこの旧村地域で、私の住まいからの距離は直線で20kmあります。新潟市東端からの直線距離は実に約40km! 
無駄に広いというかなんというか・・・)に所在していて、東関屋駅から21.6km、曲駅から2.5kmの地点にあります。
月潟駅の開業は白根-燕間が開通した昭和8年(1933年)8月15日で、開業当時は白根-月潟間に中間駅は存在せず、その距離4.2kmをノンストップで走っていました。
平成5年(1993年)8月1日に月潟-間が廃止された後は、電鉄線南の起終点として機能していました。
月潟駅跡は電鉄線内で唯一、現役当時の姿を保ったまま保存されており、かつて電鉄線で使用されていた電車2両と除雪車1両がホームに横付けされて、静態保存展示されています。


月潟駅駅舎
月潟駅駅舎の様子、2008年3月撮影。
2004年5月の電鉄線廃線歩き時に見た廃駅舎と異なり、綺麗に保存されています。
古い建物でも人の手が入るかどうかで劣化度は全然違います。
月潟駅構内その1
東関屋方から見た駅跡の様子、2008年3月撮影。
こちら側の駅構内は駐車場になっています。

月潟駅構内その2
燕方面はご覧のように遊歩道になっています、2008年3月撮影。

月潟駅跡の駐車場
東関屋方の駐車場の様子、2008年3月撮影。
こちら側にはトイレがありますから、安心して見学できるのです。

ホームで展示されている電鉄線の電車その1
ホームで展示されている電鉄線の電車その2
ホームに据え付けられて展示されている「かぼちゃ電車」、2004年5月撮影。

ホームで展示されているキ116形除雪車その1
ホームで展示されているキ116形除雪車その2
燕駅方にはキ116形除雪車が連結展示されています、2004年5月撮影。

私は2004年五月と2008年三月に当駅跡を訪問しましたが、いずれもホーム内・駅舎周り(駅舎内は立ち入り禁止です)共に綺麗に保たれており、食べカスやペットボトル、タバコの吸殻などの無粋極まるものは一切落ちておりません。
駅跡の鉄道施設の管理は「かぼちゃ電車保存会」の方々が行っているとの事ですが、きっと清掃もまめに実施されておられるのでしょう。
この駅の保存に携わる方々の、廃線から9年後の今直変わる事のない意識の高さと情熱に深く頭を垂れ、敬服並びに感謝するものであります。

さてこの駅で特筆すべきなのは、電鉄線の東関屋-月潟間において唯一、「駅前商店街」が存在している事です。
人口が集積している旧黒埼町中心部(越後大野黒埼中学前新大野)以外の駅は住宅地のど真ん中が農業地域の小集落に存在し、味方村は村の中心部を通るものの、「駅前
商店街」は形成されていません。
相応の周辺人口を抱えていた旧黒埼町中心部三駅にしても、商圏は国道を軸にして広がっていて、各駅はその末端という形になっていました。
駅前商店街といっても、個人商店と一般住宅が混在していて明確に商圏を形成しているわけではないのですが(ただし、銀行の支店はあります。電車線の駅近くに銀行があるのは、新潟市中心地区に含まれる東関屋~平島と黒埼中学前、そして当駅のみです)、駅を中心にストリートが形成されているその情景は、これまで正直うらぶれたイメージの駅跡を見て時にはヘコたれた身にとっては、眩く賑やかに映るのであります。
なお、この先燕駅に至る区間は電鉄線の遺構はほとんど残っておらず、中間の六分、新飯田、灰方の各駅跡はかつて駅が存在していた事を示す駅名票がおかれているだけだそうで、燕駅には電鉄線駅の面影は全くありません。
唯一、小中川駅跡のみはホーム状の休憩所に整備されており、そこから月潟方面へ向かって廃線跡とおぼしき小道が通っていて、私も燕から月潟へ行く路線バスの車中からそれを確認しました。
新生町バス停至近ですが、路線パスの日中の便は2008年3月現在で一往復しかなく、非常に不便でした。
燕駅からの距離は5km弱、当駅跡からは7kmというところで、クルマ無しには訪問困難な場所です。
周辺人口は結構あってクルマの通行量も多く、僻地のイメージにはほど遠いところなんですけど・・・。

月潟駅前通りその1
東関屋方から見た駅前通りの様子、2008年3月撮影。

月潟駅前通りその2
駅舎の手前には「月潟商店街」の案内板があります、2008年3月撮影。

おまけ*駅前にいたぬこさん

駅前にいた猫
私はぬこさんに会うとしゃがんで両目ウインクをしてコミュニケーションを試みるのですが、この冬毛もふもふの彼氏?はこちらに敵意がないと見るや、ひたすらガン無視(泣)。
話しかけても耳すら動かさんYO・・・
見ず知らずのオサーンよりも、すぐ近くの木の上で盛んに囀っている鳥サンに興味深々のご様子ですた。

2008年4月14日 (月)

新潟交通電車線廃線跡探訪その十五・味方駅跡~曲駅跡間

新潟交通電車線廃線跡探訪・第十五回は味方駅跡~曲駅跡間の点描です。

味方駅跡はこちらへ←→月潟駅跡はこちらへ

私が電鉄線廃線跡を最初に訪れた2004年5月時点において、味方駅跡~月潟駅跡間に存在した白根駅、千日駅、曲駅は完全にその姿を消していました。
レールや架線柱も、白根駅跡前後を挟んで千日駅跡近くまで残っていただけで、千日駅付近~月潟駅跡間は一部が遊歩道に、それ以外は廃路盤も半ば雑草に覆われて、現役当時の面影は既に失われつつありました。
聞くところによると、廃止後も長い間現役当時の面影を色濃く残していた東関屋-味方間とは対照的に、当該区間は電鉄線廃止後程なくしてレールや架線柱の撤去が行われたそうです。

白根駅跡の公園その1
中之口川の堤防道路を味方から歩いて、白根駅跡に造られた公園に近づきます。
2007年11月撮影。

白根駅跡の公園その2
旧白根駅跡に造られた公園の様子、2007年11月撮影。
旧白根駅は東関屋駅から17.4km、味方駅から1.9km地点に所在していました。
地域の方々以外には白根市の駅と認識されていた当駅(私もそのうちの一人)ですが、白根駅の住所は「西蒲原郡味方村白根」。
至近の橋で中之口川を渡ればそこは白根市の中心市街地で、その距離は500mもありません。
ゆえに感覚的には白根市の玄関駅と言って一向に差し支えないのですが・・・。
味方村としては村の外れにある駅が沿線きっての大駅で、外部の人には白根市の駅だと間違われて、色々と面白くなかったのでは?と思います。
この公園で白根駅に触れたモニュメント等は一回りしてみたところ、発見できませんでしたが、この扱いの冷たさが味方村流の意趣返しだと考えるとなかなか面白いですw。
代わりに「味方音頭」の立派な歌碑が置いてあるのが、村の面目躍如と言えなくもないw。

さて白根駅は電鉄線開業当時の終着駅で、東関屋駅と並ぶ電鉄線の要衝だったのですが、公園をこうして見る限り、そのスペースは案外狭かった事に驚かされます。
現役当時には、このスペースにそこそこの大きさの駅舎とホームが二面、貨物用の側線もあったといいますからね。
Nゲージのレイアウトでリアルに再現できそうなコンパクトさであります。

白根駅跡以南の廃線跡その1
旧白根駅跡の公園を出て、月潟方面に進みます、2007年11月撮影。

白根駅跡以南の廃線跡その2
白根駅跡以南の廃線跡その3
公園を出て少し進むと、線路と架線柱が姿を現します。
上は2004年5月、下は2007年11月撮影。
画像奥の架線柱の右側に信号機が併設されているのに注目。
ここから月潟方に少し進んだあたりが、2004年5月時点でレールや架線柱が残存していた終端になります。
そのあたりに存在した千日駅跡は背の高い雑草に覆われて、ホームが残っているのか撤去されたのかも確認できませんでした。
なお、千日駅は東関屋駅から18.2km、白根駅から0.8kmの地点にあって、味方村と月潟村の境界付近にに所在していました。
開業は1985年(昭和60年)12月で、電鉄線ではときめき駅の次に新しい駅です。
至近に病院がありますから、そこへの通院の便を図って新設されたのでしょう。

白根駅跡以南の廃線跡その4
千日駅跡付近から少し歩いて国道の下をくぐり、振り返っての風景。
2004年5月の撮影ですが、既に現役当時の面影はありません。
なおこの先も同じ日の撮影になります。

曲駅跡の遊歩道休憩所
電鉄線跡を活用した遊歩道の休憩所。
ここが曲駅跡のようです。
曲駅は東関屋駅から19.1km、千日駅から0.9kmの地点に位置していて、曲駅と月潟駅が旧西蒲原郡月潟村(現・新潟市南区)の所在になります。

白根駅跡以南の廃線跡その5
白根駅跡以南の廃線跡その6
曲駅跡と思われる休憩所から少し進むと存在する、レールと架線柱が消えてしまった月潟駅跡への道のりで唯一残る電鉄線の形ある遺構がこのミニ鉄橋。

白根駅跡以南の廃線跡その7
曲駅と月潟駅の間は距離2.5km、電鉄線の東関屋駅-月潟駅間の駅間距離としては最長になります。
バラストが敷かれている事が、電鉄線がここにあった唯一の証。

2008年4月 8日 (火)

ミスアメリカの薄桃色のくちびる

いささか旧聞になりますが、DVD「バトルフィーバーJ」Vol.1を購入視聴しました。
こちらでは再放送は無かったと記憶しているので、本放送(当時こちらは民放2局体制でしたので、テレ朝系の戦隊シリーズは確かダイナマンの頃までキー局よりも結構遅れて放送していました)以来の本編視聴になります。

・・・やっぱり、子供の頃の記憶って美化されているんだなぁ~・・・としみじみ思いましたネ。
バトルフィーバーの特に初期話は、当時の子供心にもアダルティな雰囲気だなぁと感じていて、確かに今見直してもその空気は近年の戦隊物は勿論、バイオマンやチェンジマンの頃と比べても独特なのですが、それでは「大人の鑑賞に耐える」作品であるのかどうかと問われれば、それはう~むむにゃむにゃ・・・なんです。


期待萌え萌えのミスアメリカにしても、ホントーに出番が少ない!
変身前のダイアンがそもそも第一話以外空気状態ですので、変身後だけ出番を増やすのは少々不自然という作劇上の理由もあるのでしょうが・・・。
また初期はミスアメリカを演じた小牧リサさんも、アクションはもとより「仮面を着けての芝居」も明らかに不慣れなご様子で、ミスアメリカとして初めての芝居らしい芝居のある第六話・バトルシャークコクピットでのバトルフランスとの会話でも、顔だけ動かしている状態。

Missamerica04081
これがそのシーン。
この時、ミスアメリカにニセの航空管制をノリノリで行うヘッダー指揮官がいい味出してます、必見!w

表情の無い仮面を着けているのですから、あのような比較的事務的な会話のシーンでもしかるべき手振り身振りは必要で、プロのスーツアクター/アクトレスならアドリブを織り込みつつもっと動く筈です。
小牧さんは多分顔出しの女優としての演技をそのまましただけだと思いますけど、それを視聴者が見ると味気無く思えるあたり、顔出し演技と仮面の演技の表現手法はそれだけ違うんだなぁとつくづく感じます(テレビ向けの芝居と舞台の芝居の違いが解りやすい例えになるかな?)

アクションに関しては、Vol.1最後の収録話(第十一話)で、お得意のハイキックを交えての激しい立ち回りをやっておられまして、小牧さんもようやく仮面を着ける事に慣れてきていよいよ本領発揮か!?と思わせますが、その数話後にはミスアメリカ役を降板(その後はダイアン/ミスアメリカの声優のみ)してしまうんですよね・・・残念です。

さて苦言の連続で、ならば購入視聴を後悔しているのかといえばさにあらず。
勿論収穫も大きいものがありました。
最大のそれはミスアメリカのマスクのアップが大画面でよく見れた事。
本に掲載されている写真とは比較にならないレベルです。
最初期は唇に薄いピンクのルージュがひかれていた事、それがマスクのリペイントに従って消えていき、目のブルーもくすんだ感じに変わっていった事など。
覗き穴も案外大きくて、マスクの下の小牧さんの目が見えるんじゃないかとキャプ画をドキドキしながらアップにしてしまったりw。

ミスアメリカのファンというと、大半はまず「ハイレグとストッキングに包まれた脚」が目当てなのでしょうけれど、私の場合、ミスアメリカにびびびっと来る以前に「仮面を着けた女性」萌えを刷り込まれ済みで、ミスアメリカを見て最も目を惹かれるのはあの人面風の仮面なのです。
仮面の女性を見れば、それをかぶっている人の顔や表情を妄想してしまう・・・、それが更なる妄想を誘発し、官能の大海で脳が溺れていくのです。
ましてミスアメリカの場合、仮面を被っている若い女性(小牧さん)のお顔がはっきり解っておりますので、妄想がより具体的になるんですね。
「顔がわかっているのに、仮面の下のそれに妄想を巡らせてしまう」
従って彼女の仮面がよく見れるのは、この上なく幸せで萌えるものなのであります。

2008年4月 6日 (日)

新潟交通電車線廃線跡探訪その十四・味方駅跡と「笹川邸」

新潟交通電車線廃線跡探訪・第十四回は味方駅跡

味方中学前駅跡はこちらへ←→白根駅跡はこちらへ

東関屋駅から15.5km、味方中学前駅から1kmの地点に所在しており、電鉄線の東関屋-白根間が開通した1933年(昭和8年)4月1日に開業しました、
味方駅は電鉄線最古参の駅の一つで、列車交換設備無しの棒ホーム駅ながら往時には
貨物の取り扱いも行われていて、広い駅構内が当時の活況を偲ばせます・・・。

堤防道路から見た味方駅構内その1
中之口川の堤防道路の東関屋方から俯瞰で見た構内。

堤防道路から見た味方駅構内その2
堤防道路の月潟方から見た構内の様子。
線路の左側の敷地が貨物ホームと側線跡のようです。
旅客用ホームの先に貨物用ホームがありますが、駅用地の横幅が取れなかったゆえの構内配置でしょうか。

味方駅の廃ホームその1
東関屋方から見た廃ホーム。
画像左側の堤防道路が壁になっていて、見通しは良くありません。

味方駅の廃ホームその2
味方駅の廃ホームその3
月潟方から見た構内の様子。

味方駅の廃ホームその4
味方駅の廃ホームその5
前述の独特の構内配置ゆえに、短い旅客ホームははるか向こうにあると錯覚してしまうのです。

撤去された駅舎跡
この時点で駅舎は既に撤去済みだったのが残念でした。

2004年5月時点ではこのように線路と架線柱が手付かずで残り、草に埋もれつつはありましたが構内も往時の面影を残していましたが・・・。
2007年11月の再訪時には、線路は外されて痛々しい姿に変わっていました。

線路撤去後の味方駅構内その1
堤防道路から見た、雑草と廃枕木に埋もれつつある廃ホーム。

線路撤去後の味方駅構内その2
並走する道路が比較的広く、旧貨物側線のフラットなところから重機が容易に入って来れる旧構内です。

味方駅前その1
駅前の様子。
左側には郵便局が以前と変わらず。
3年半前と比べ、周囲は何の変化も無いのに駅跡だけは急激な変化・・・。
電鉄線廃止以来これまで止まっていた駅跡の刻が、一気に動き出して時代に追いつこうとしているようでした。

線路撤去後の味方駅構内その3
この時期の近隣の諸駅跡同様に、廃枕木が束にされて置かれていました。

線路撤去後の味方駅構内その4
他の諸駅同様に、架線柱は最後まで残っています。

味方駅前その2
そしてそれから五ヵ月後の2008年3月時点の駅前の様子。
ホームも架線柱も完全に撤去されて、駅用地は更地になっていました。

さて、味方駅跡を訪れるにあたって、ぜひ押さえていただきたいのがこちら「笹川邸」。
画像は特記以外は2008年3月撮影です。

笹川邸付近の電鉄線廃線跡その1
道路の奥に見える建物が笹川邸正門、道路の右側が電鉄線跡。

前回、前々回は時間が無くて見学を断念した、私にとって非常に心残りなところでしたが、先月思い立ってついに訪問!
鉄道が走っていない土地へは足も遠ざかる身としては、思い立ったが吉日です。
この「笹川邸」は、1954年(昭和29年)、更に昭和53年、平成3年に追加でその建築総面積約4,800坪が国の重要文化財に指定されておりまして、江戸時代には味方組八か村(約八千石)を束ねる、小藩にもう少しでキャッチアップするほどの威勢を誇った大庄屋の面影を今に伝えています。

笹川邸表門
笹川邸表門。建築されたのは天正年間(1570年代)との事です。
では入場料金500円也を払って邸内へ。
見学コースは決まっておりまして、順路の指示に従って見学するのが一応のルールです。
部屋の中にも入る事が出来、近世和式建築の真髄を目の当りにして驚倒する事請け合い。
日曜の午後とあって家族連れで騒がしいのかなぁ・・・との不安も、皆様思いのほか静かに見学されていて、秩序立ったいい雰囲気の中でじっくりと見て回る事が出来ました。



笹川邸の母屋
1826年に再建された笹川邸の母屋。
画像右側の道を進んで見学に入ります。

笹川邸当主の居間その1
28畳敷の大広間。

笹川邸当主の居間その2
笹川邸当主の居間の様子。
内部は天気が曇りということも相まって、昼間でも薄暗いのです。

笹川邸内の廊下
採光を重視した廊下の造り。

この建物は明治維新後も昭和45年に至るまで笹川氏の邸宅で、それゆえ部屋には電灯
もついています。
それでも日中でこのような状態ですから、夜、それも近代文明の産物の存在しない昔のそれは果たしてどのような様子だったのか・・・。
闇、闇、闇・・・無音なのに何かが耳元に響いてくるような、漆黒の闇それ自体が身体に圧し掛かってくるようなあの感触・・・。
都市部で生活している身には、滅多に感じる事のないあの異様な感触が毎晩の事であったのだなぁと、畳敷きの間取りに佇みながら思うのでありました。

新潟県文化財の諏訪神社
笹川邸に隣接した味方界隈のもう一つの文化財、「諏訪神社」。
新潟県文化財第二十六号です。

笹川邸付近の電鉄線廃線跡その2
笹川邸付近の電鉄線廃線跡その3
笹川邸付近の電鉄線廃線跡、上は2007年11月、下が2008年3月の状況です。
一冬越した廃線跡は架線柱も完全に撤去され、最早舗装待ちの砂利道のようです。
冬枯れで緑が少ないので色彩もくすんで、廃線跡が消えていく寂しさを一層つのらせます・・・。

2008年4月 5日 (土)

ドロンジョマスクを被ってみた

先日、地元の「ドン○ホー●」に、何気に立ち寄って発見したのがこの、

なりきりマスク ドロンジョ」!

この手の女王様キャラが大好きな身としては一目見て即効脊髄反射!
風を巻いて砂を蹴ってレジに直行した次第・・・。

こちらのドン○は被り物系は冷遇されていて、昨年話題になったアニメ風の「メイド」マスクも店頭で見る事はありませんでした。
ゆうこりんのマスクが今も数個置かれているのが奇跡的な事なのであります。
そんな状況の中、しっかり複数個置いてあったドロンジョマスク(ドロンボー一味全員置いてました)。
また、なりきりコスチュームもヤッターマン1号&2号とドロンジョが置いてありました。
やはり番組がゴールデン全国ネットされているというのは大きいんですなぁ。
視聴率的にはあまり芳しくないという話ですけれど・・・。

さてこのドロンジョマスク、出来は値段(¥3,480也)を考えればまずまずでしょう。
被り口はやや小さめ(女性の頭に合わせてあるのかなぁ?)ですが、デザインから生じる必然として頭自体は大きめ。

ドロンジョマスクその1

私の場合、そのまま被るとマスクの頭部が大きすぎてぐらつくので、
マスクの天辺に畳んだタオルを入れて、顎先をマスクのそれに固定&安定させています。
また瞳の上の黒いラインにある覗き穴も、そのままでは全く視界が利かない!ので、顔の中心線側に向かって広げる必要があります。

・・・幸運にもおヘンタイなプレイが大好きなビザールパートナーがいらっしゃる方は、これと「ボヤッキー」マスクの組み合わせで「罵倒プレイ」なども宜しいのではないかと存じます。
彼女にドロンジョマスクを被ってもらって、あなたは赤褌にボヤッキーマスクですがな。

ドロンジョマスクその2

いつもいつもお前は失敗ばっかりでちょっとは反省しているのかいっ!

このスカポンタン!

・・・などと罵倒されながら夜の営みを楽しむのですよ。
(プレイの具体的な内容については差し控えさせていただきたい)

最後に余談ですが、昔、プロレスマスクのメーカーがゴレンジャーマスクなどを商品化していましたけれど(私はモモレンジャーのマスクを持っています)、あの路線はもうやめてしまったんでしょうかねぇ・・・。
今回のドロンジョマスクも、あそこならうまくアレンジして出してくれそうな気がするんですけどやらないのかなぁ。
ついでに言えば、けっこう仮面のマスクもぜひ出していただきたいところ。
覆面女子プロレスラー「けっこうマスク」なんてのがデピューすれば出す気も起きるのかな?

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