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2008年1月の記事

2008年1月24日 (木)

新潟交通電車線跡探訪その七・黒埼中学前駅跡

新潟交通電車線廃線跡探訪・第七回は黒埼中学前駅跡

越後大野駅跡はこちらへ←→新大野駅跡はこちらへ

黒埼中学前駅は東関屋駅から6.5km、越後大野駅から0.5kmの地点にある無人駅で、現役当時は西蒲原郡黒埼町(現・新潟市西区)に所在していました。

旧黒埼町は面積が狭い事もあって学校数は少なく、小学校は4校、中学校は1校のみ。
その1校というのが黒埼中学校で、当駅は黒埼中学(当駅から0.3km弱)への広域通学の利便性向上の為に1982年(昭和57年)1月1日に開業しました。
実際には隣の新大野駅(当駅から0.5km)からでも中学への距離は当駅からのそれとたいして違いはなく(新大野駅から黒埼中学まで0.5km弱)、その点ではあまり意味のない駅設置だなぁと思うのですが・・・。
それよりはむしろ、旧町中心街へのアクセスとしての意味合いが大きいように感じます。
旧町内の警察署や銀行、郵便局は当駅が最寄りだったのです。
昔読んだ本には町の要望、出資による駅設置とも、当時既に経営状況のよろしくなかった電車線の増収策の一環とも書かれていましたけれど、真相は果たして!?

黒埼中学前駅跡を初探索した2004年5月の時点では、待合室こそ撤去されていたものの、ホームもレールも架線柱も全て健在。

黒埼中学前駅遠景
東関屋方から見た構内遠景。
線路の中央左側がホームです。

黒埼中学前駅の廃ホームその1
月潟方から見た構内。

黒埼中学前駅の廃ホームその2
月潟方から見たホーム。
周辺は宅地で、その只中にある停留所が黒埼中学前駅でした。

黒埼中学前駅の廃ホームその3
電車線廃止から五年経っていますが、駅名標の枠もまだ残存しています。
撤去された待合室の基礎部分もはっきりわかります。

しかし2007年10月の再訪時には、ホームもレールも完全に撤去されてしまっていて、不自然な土盛りと周辺の変わらぬ家並みから、ようやくここが駅跡だと推定できる状況でした。

完全に更地化した駅跡

ホーム・レール共に完全撤去されているからには、廃線跡地の転用に何らかの結論が出たのでしょうか? 
廃線跡に沿った道路が学童の主要な通学路になっているようですし、道路拡幅と学童保護の為の歩行者専用道の設置あたりが妥当だと思われますけどね。

2008年1月14日 (月)

新潟交通電車線跡探訪その六・越後大野駅跡

新潟交通電車線跡探訪・第六回は越後大野駅跡

焼鮒駅跡はこちらへ←→黒埼中学前駅跡はこちらへ

当駅も前回ご紹介した焼鮒駅同様、東関屋-白根間開業時(1933年4月1日)の開設駅の一つで、有人駅且つ列車交換可能駅というのも共通の特徴です。
越後大野駅は東関屋駅から6.0km、焼鮒駅から1.8kmの地点にあり、当駅と焼鮒駅間は東関屋-月潟間(駅間18区間)では曲-月潟間2.5km、板井七穂間2.1km、新大野木場間、味方白根間各1.9kmに次ぐ距離、切れ目のない新旧入り混じった住宅街の中を通っている事を考えると、この区間内にもう一駅あっても全く不思議ではないのですが・・・。
西新潟地区では最大手と思われるボウリング場「グランドボウル」の裏を線路が通っていた事ですし(焼鮒駅から約1km地点)、この辺りに停留所を一つ設けたら遊興目的の利用がそこそこあったのではないかなぁなどと、実際に廃線に沿って歩いて見て感じた次第。
なお、越後大野駅はかつては西蒲原郡黒埼町(現・新潟市西区)に所在していて、旧黒埼町の中心街はちょうど当駅辺りから広がっています。
駅至近にはコンビニが一軒あり、これは東関屋駅を除く電鉄線各駅にはなかった利便性の高さでした。

越後大野駅の廃駅舎
駅舎の様子、2004年5月撮影。
この時点では隣の焼鮒駅同様に、古びた駅舎がしっかり残っていました。
中に入れなかったのは当然の事なれど、やはり残念也。

越後大野駅の廃ホームその1
月潟方から見た構内の様子、2004年5月撮影。
焼鮒駅に比べてこちらは側線も無くこじんまりとしてはいますが、駅構内前後の風景の広がりはこちらの方が断然勝っており、開放感に溢れた好ましい明るい印象を強く受けました。
なお画像右側の白い小屋はトイレです。

越後大野駅の廃ホームその2
東関屋方から見た構内遠景、2004年5月撮影。

ホームから見た廃駅舎
副本線?のホームから見たボロボロの駅舎の様子、2004年5月撮影。
焼鮒駅同様に駅舎は老朽化が進んでいます。
建物は使っていないと劣化が進むと言いますがまさにそれですな
電鉄線が営業していたら、こんな状態には至っていないことでしょう。

越後大野駅の廃ホームその3
東関屋方から見た駅構内、2004年5月撮影。
右側のホームの待合室の大きさは相当なものです。
内部にはすっかり色あせたベンチが2脚放置されていましたっけ。

越後大野駅の廃ホームその4
ホーム端から東関屋方を見通す、2004年5月撮影。

このように往時の姿を濃厚に留めていた旧越後大野駅でしたけれど、3年五ヵ月ぶりの再訪となった2007年10月にはその変わりように愕然。

線路撤去後の越後大野駅構内その1
線路撤去後の越後大野駅構内その2
線路は完全に撤去されていました。
架線柱は辛うじて残存。

線路撤去後の越後大野駅構内その3
線路撤去後の越後大野駅構内その4
駅舎もホーム上の待合室も撤去されて、駅舎跡には雑草がびっしり。
廃駅の悲哀です。
ホームが重機により介錯を受ける日も遠くない事でしょう。
駅前は綺麗に整地されていて、転用にはっきりとした目処が立っていたのかどうか。

2008年1月13日 (日)

F-15の余命はマジあと何年?

去る2007年11月2日、ミゾーリ州ボス南南東6キロで起きたミズーリ州空軍(ANG)所属のF-15Cイーグル機の墜落事故の原因は『機体前後を結ぶ重要な強度メンバー/縦通材の一つである上部右側の「ロンジロン」の破断である』と発表されました→http://www.aviationnews.jp/2008/01/f15f15_7d32.html

墜落した機が製造後何年経過していたのはわかりませんが、前述のソース元によると今回の事故原因である「ロンジロン」にクラックが生じている機体が全機検査の結果9機存在したとの事で、その機齢は22年から29年です。
米空軍のF-15については、アップグレードされた機が海外展開部隊に使い回されて酷使された結果、老朽化の進行が著しく超音速飛行が厳しく制限されたり、ひどいケースでは超音速飛行禁止などといった「ホンマかいな?」という話を漏れ聞いておりましたけれど・・・。
今回の事故は、「ロンジロン」の不良と機体の老朽化の複合要因らしいですが、老朽化進行の一応の目安となる飛行時間が累計でどの程度なのか、そこが問題ですね・・・。

F-15の設計寿命は当初4000時間と設定されておりましたが、機体疲労の測定方法の改善により見直しが行われ、現在は8000時間とも言われておりました。
しかし果たしてそれが妥当なものであったのか、高G機動の連続時間や頻度をどの程度まで織り込んで出した数字であったのか、また後継機取得の予算難からあとこのぐらいの年数は使いたい、使わざるを得ないという用兵側から提示された枠に無理をして入れた結果の数字ではなかったのか、明らかにしてもらいたいものです。

このF-15の老朽化問題は決して他人事ではなく、我らが航空自衛隊装備のF-15、そして次期防への決定先送りとなったファントム後継の次期戦闘機選定の行方にも大いに関係してくるのではないかと思うところでありまして・・・。
これまでの設計寿命8000時間という数字を前提にするならば、1981年から装備化された空自F-15の退役開始時期は恐らく2020年代前半からになると思います
けれど、今回のミズーリの事故をきっかけに、F-15の寿命再計算による余命引き下げが行われれば、退役開始時期はもっと早く、2010年代末からなんて事にもなりかねません。
一方で空自のF-15は現在、保有総数の半数を占めるMSIPタイプに対するアップグレード計画を進めておりますか、余命引き下げに伴い、費用対効果の観点からMSIPタイプ各機の余命をよくよく睨み合わせて改造対象機を選定する必要が生じるかもしれません。

また余命引き下げとなればファントムの退役完了からほどなくして、最古参のF-15のリタイアが始まる事になります。
これまでの計画ではファントムとF-15のPre-MSIPタイプの後継機は別機種というのが通説でしたが、両者の退役完了及び開始時期のタイムラグが小さいとなれば、共通の機種で代替という話になってくるでしょう。
これまで言われていた、ファントム後継=F-22ラプター(ライセンス生産は断念してでも)、F-15preMSIPタイプ後継=楽観的予測で国産開発のF-3?という図式から、ラプターはとても売ってくれそうにない、国産機の開発は間に合わない、仕方なく要撃戦闘機としての飛行性能は甚だ疑問なF/A-18E/Fスーパーホーネットのライセンス生産(今回の事故のとばっちりでF-15FXの、また対米配慮からユーロファイター・タイフーンのライセンス導入の目はないでしょうね)、若しくは多国間共同開発の形をとるF-35ライトニングⅡ(こちらも要撃戦闘機としての飛行性能は疑問)の早期導入の為に、多額の「お布施」(F-35はお布施をした国に優先的に機体の引渡しが行われます。お布施無しでは引渡しの順番はずっと後になってしまいます)をするのか、F-35ライセンス生産の許可を得る為に、現在米国以外の国との兵器共同開発に縛りをかけている「武器輸出三原則」にも手を突っ込むのか、そういう展開になっていくやもしれません。
後者の場合、今後相当の期間に渡って参議院での野党勢力優勢が続く状況下では、「武器輸出三原則の見直し」などと言い出せば野党の格好の政府与党
イジメのメシのタネになるのは必定ですしね・・・。
かと言ってFMS導入となれば稼動率その他の実働上の問題、国内航空メーカーの仕事が途切れることによる国産戦闘機開発への影響も懸念されます。

先読みし過ぎとか心配のし過ぎとか荒唐無稽な妄想だとか色々思われるでしょうが、一つの案件から、それに関連連鎖して起こる種々の問題を想定する癖のある私なのでございます。
今後どのような展開になるのか、個人的に目の離せない数年間になりそうです。

2008年1月11日 (金)

新潟交通電車線探訪その五・焼鮒駅跡

新潟交通電車線跡探訪・第五回目は焼鮒駅跡

ときめき駅跡はこちらへ←→越後大野駅跡はこちらへ

現役当時は西蒲原郡黒埼町(現・新潟市西区)の所在で電車線東関屋駅-白根駅間開通(1933年4月1日)と同時に開業しました。
東関屋駅から4.2km、ときめき駅から0.6kmのところにあります。
東関屋駅を出発して最初の列車交換駅であり、且つ最初の有人駅でもありました。
駅名の由来は越後七不思議の一つからで、地名からではありません。
この駅は新潟地震(1964年6月発生)の際、電車線の駅の中で最大の被害を受けたとの事で、ホームや線路があまりの揺れに曲がってしまい、改修にそれなりの費用がかかるからか、完全な復旧までは行わずに廃止の日を迎えたようです。
また合理化施策の為か、1961年には請負人配置駅(今で言う業務委託駅の事でしょうか?)になっています。

焼鮒駅跡を初探索したのは2004年5月のことでした。

焼鮒駅の廃ホームその1
焼鮒駅の廃ホームその2
東関屋方から見た構内の様子。
線路の分岐器もしっかり残っています。

焼鮒駅の廃ホームその3
月潟方から見た構内。
左側の建物が駅舎です。
東関屋駅跡を出発して初めての、ホーム2面に駅舎、架線柱がセットで残っている「駅」らしい構えや風情におぉ~っと心中どよめきが木霊したののを鮮明に憶えております。
対向式ホーム間を連絡する木道の構内通路も実に良い感じ。

焼鮒駅の廃駅舎
廃ホーム上から駅舎を見る。
駅舎は人並み?に大きいので、ただでさえ短いホームは更に短小に見えてしまうのです。
廃止後五年を経過して流石に建物の劣化は否めないところ。
大地震に見舞われたら倒壊しそうな危うさを感じたものです。

焼鮒駅の廃ホームその4
駅舎の置かれている本線?側のホームから月潟方を見る。
右隣のホームの待合室も手付かずで残っていました。

焼鮒駅跡を再訪したのは2007年10月でした。

駅舎と待合室が撤去された焼鮒駅跡
駅舎と待合室が撤去された駅跡。
構内信号機は未だ健在。

線路撤去後の焼鮒駅構内その1
駅構内の原型はまだ辛うじて保っていました。

線路撤去後の焼鮒駅構内その2
左側の駅舎跡は既に整地されていました。
こうやって廃駅は刻々と姿を消していくのです。

更地になった駅舎跡
更地になった駅舎跡の様子。

線路撤去後の焼鮒駅構内その3
ホーム端から月潟方を望む。
この辺りはまだ往時の面影が残っています。

線路撤去後の焼鮒駅構内その4
月潟方から見た構内とその周辺の様子。
当駅至近に小学校があり(画像右側)、駅構内に容易に立ち入れる事から子供達の遊び場にもなっているのでしょうが、彼らの安全上の観点からもそろそろこの廃駅に引導を渡す時だったのでしょう。
ちなみに2007年10月時点の電車線廃駅で、現役時代の面影を留めていた(ホーム
・レール・架線柱の三点セットが残存)のは、記念物として綺麗に整備保存されている終点の月潟駅跡を除けばこの焼鮒駅跡が最後でした。

2008年1月10日 (木)

祝サントラCD化!狂劇ジキルとハイド

「ばけのかわ」でも何度か取り上げた「恐怖劇場アンバランス」、その製作局や製作時期、ゴールデンタイムでの放送見送りなど共通点が多々見受けられるドラマが亡き丹波哲郎御大主演の「ジキルとハイド」。
「怖すぎて」地上波放送が遠慮気味だった「アンバランス」に比べ、こちらはあまりにアンモラルな作品内容(人間性悪説に立脚したストーリー、毎回繰り広げられる「ヤツ」の暴力・殺人・レイプシーン)の所為で地上波放送はごく稀な、「幻のカルトドラマ」ともっぱらの評判です。
ビデオ、LD、DVD共に、過去に一度としてソフト化されていない作品で、不肖みさっちもそのスチール写真すら一度も見た事がなく、持っている知識と言えば「夕焼けテレビ番長」という本でのストーリー概説と、ネット上でのいくつかのレビューでしかないのですが・・・
う~ん、見たい見たい見たいYO!!

「恐怖劇場アンバランス」の「吸血鬼の絶叫」前フリレビューで、「吸血鬼」に対する根深い恐怖を抱いていた過去を赤裸々に告白wした私ですが、そんな感覚の根本となった作品があります。それこそが何あろう「ジキル博士とハイド氏」です。

私の最古の記憶の一つなのですが、よりによってお盆の怪談バヤリな時期にNHK教育で夜遅く(と言っても22時ぐらい)放送したモノクロ1932年版「ジキル博士とハイド氏」(フレドリック・マーチ主演)を見て(ワルいウチの母親が、私のヘタレビビリっぷりを面白がって無理強いさせたというのが適切でしょうか、普段は厳格で夜のテレビなんて全然
見せてくれないクセにさ)しまったのが運の尽きだったんでございまして・・・(泣)。
眉目秀麗な紳士ジキル博士から、類人猿と人間のあいの子の如き粗野にしてグロテスクな容貌のハイド氏への変身、夜の闇にまぎれて暗躍するサディスティックなハイド。
やがてジキルの姿でいる事が困難になり、自分の運命を悟った彼は婚約者のきれいなおねいさんに悲痛な別れのセリフ。
よよと泣きはらすパツキンのおねいさん。
すると肩を叩く何者か。カレが戻ってきたと思い嬉々として振り返ると、そこに立っていたのは毛むくじゃらの醜い顔を不気味にニヤつかせたハイド!
(クスリを使わずにあっという間に変身しちゃた・・・)
警官隊に追われて実験室に逃げ込むハイド、皆が踏み込んでそこに見出したのは憔悴し、苦悩に蒼ざめたジキル博士の痛々しい姿・・・。
「僕はハイドじゃない、ハイドなんかじゃない・・・」と自分に言い聞かせるような弱弱しい声・・・そう言いながらもその姿は次第に変異して・・・!
最後の悪足掻きに暴れ狂うハイドですが、親友に銃で撃たれ、床へどっと倒れ伏します・・・。
こときれた怪物の姿は己の中の肥大化した悪と闇から解放されて天に召された、安らかな死に顔のジキル博士へと戻ります・・・。

何分幼かった頃の事ですので、物語に託されたメッセージなど読み取るだけの感受性もほとんど無く、映画から受けた印象の大半はハイド氏のグロテスクな容貌と行動に対するビジュアル的な恐怖だったのですけれど、その中で感じた唯一精神的な恐怖・・・。
それは自分の意思に反した二度と戻れぬ「不可逆的な変身」・・・。
(ジキル博士の場合は自業自得の面が大きいですけど)
「吸血鬼」も、「不可逆的変身を強いる存在」としてその延長線上にあります。

一方、私が幼少の頃より抱いている悪いクセが、恐怖の中に破滅的な甘美さを感じ取って好奇心を抱き、よせばいいのに恐怖の根源へとフラフラと近づいていく事w。
「ジキル博士とハイド氏」も、あれだけ怖い思いをしたというのに小学校の図書館で原作のジュブナイル版(カラーの表紙が鏡に映ったジキル博士、裏表紙が同じくハイド氏、それも赤黒い顔色で凄まじい形相のヤツ・・・あの画もかなりエグくてコタえたw)を読んでドツボに嵌まり、幼少時の恐怖が甦って夜トイレにいけないとか、親が突然怪物に変身しちゃったらどうやって逃げようかと真剣に考えたりとか、おバカな事をやってばっかりでしたなぁ。
そしてしばらくして恐怖が薄れるとへっぴり腰でおっかなびっくりまた読んじゃう、そして・・・そんなループを年中繰り返してましたw。
学習能力が足りないクセに好奇心はいっちょまえなおばかぬこみてーww。

そんなこんなで「ジキル博士とハイド氏」には特別な思いを抱いている私。
丹波哲郎版「ジキルとハイド」の存在を知ってからは(原作を読んでまだ間もない頃、新聞のテレビ欄で深夜帯の枠に載っているのを発見)前述のように見たい見たい見たい!だったのですが、良縁に恵まれず今日まで全く未見のまま。
しかし天は我を見捨てず、これぞ天佑! まさに天佑!!
これこそ神風が吹いたという事なのでしょう!!!
これまで一切ソフト化されていなかった作品のサントラCDが昨年十月、奇跡的にリリースされました!!!!(あらしのような拍手)
・・・もっとも、その事を知ったのは今年に入ってからでして(汗)。
CDの新譜情報を当たっていたら偶然知ったわけで、リリースを知らずに過ごし、気がついたら絶版でしたという恐ろしい事も十分有り得ました。
日頃の情報収集はやはり怠り無くやるべきですね、自戒自戒。

さてCDを目出度くゲットして、全く未聴のメロディ世界に恐る恐る・・・。
栄えあるファーストトラックのメインテーマは・・・サイケデリックな匂いぷんぷんなメロディライン、これから主人公・慈木留博士が体験する暴力とセックスに彩られた「めくるめく素晴らしい」幻想世界への導入部にふさわしい曲になっております。
旋律は一度聞いて覚えられるぐらい単調なんですが、その分耳について離れ
ませんね・・・。
また私は音楽は全くの門外漢なのですが、楽器の使い方など同時期の「アンバランス」のメインテーマと同じ手触りですね、音楽的な時代の流行りもあったのかな?

「ジキルとハイド」は、メインテーマとドラマ内の音楽とでは作曲者が異なるのですけれど、後者もなかなか聞かせてくれます。
直接的な恐怖楽曲が真骨頂の「アンバランス」に比べ、こちらは我々が日常生活の中でフト感じる類の不安感を醸し出す曲が印象的。
「慈木留の不安Ⅰ」は見知らぬ土地の街路燈もない人気もない夜道を、あてもなくひとりきりで歩いているような非常に不安で、心細い感覚を惹起させます。
「慈木留の変身Ⅱ」「慈木留の変身Ⅲ」は真打ちジャンジャジャーンと登場!という風で、禁断の変身を遂げた「ヤツ」がむっくり起き上がる様子、暴発寸前の抜き身の滾る狂気を連想させます。
私的に白眉は「ヴァイオレンス&エクスタシーⅢ」の4曲目かなぁ。
日常のシガラミ全てから完全に解き放たれて天衣無縫にあるいは気まぐれなハリケーンの如く暴れ狂う真の自由人「ヤツ」の無限曼荼羅とでも申しましょうか。
他人を蹴り殴って殺しちゃう時の心中って、音にしてみたらこんな感じなんだろうなぁ。
目の前のモノをぶっ壊す事しかアタマにない、人間の持つ恐らく最もピュアな感情の発露、余計な音など一切挟まず、単調で叩き付けるリズム・・・。
音だけでも色々想像出来てしまえるからには、実際にドラマで使われているのを聞いたらさらに凄みを増すんでしょうね。

これで私的ホラーサントラCDコレクションは「沙粧妙子・最後の事件」「幻想ミッドナイト」「恐怖劇場アンバランス」「ジキルとハイド」と大物ずらりと揃い踏み。
願わくば今年は特撮CDコレに「マイティジャック」、アニメCDコレに「宇宙戦士バルディオス」が加わりますように関係各位にお願いします!

2008年1月 5日 (土)

DDH「しらね」ついに引導渡された!?

防衛省は、昨年12月に火災を起こしたヘリ搭載護衛艦(DDH)「しらね」(5200トン)の修理を断念し、一線を退かせる「除籍」とする方向で調整を始めた。しらねの耐用年数が残り約5年しかないのに、修理に2年程度、200億円以上かかるとの暫定的な見積もりが出たためだ
→http://mainichi.jp/select/seiji/mod/news/20080104k0000m010085000c.html

久々のミリタリーネタですが、結局そうなるわけですね(涙)
艦の中枢たるCICが丸焼けになってしまったフネの御年28年・・・。
私の楽観的予想では来春に新型DDH「ひゅうが」に席を譲って退役する予定の「はるな」(1973年就役)を前倒しで今夏までにリタイアさせ、CIC装備
の機器を外して「しらね」CIC再建に再利用、併せて艦の中規模なオーバーホールも実施して、「しらね」の耐用年数を数年延長という筋書きだったのですがね~。
それがフタを開けてみれば2年の修理期間と最低200億円の修理費用・・・。
仮にそれに合わせて艦のオーバーホールを実施すれば400億円ですなんてトンでもない話になりかねませんし。
来春就役予定の13,500トン型新型DDH「ひゅうが」の建造予算が約1,000億円なのを考えれば、費用対効果で全く割りに合いませんもんねぇ、除籍も止むなしでしょう。

「しらね」後継の新型DDHは、最短コースで次期防初年度の2010年度予算で予算要求、14年度末(2015年3月)に就役です。
それまでのあと7年間をDDHx4隻体制を維持しようとするならば、現在の艦齢まもなく35年の「はるな」、同じく33年強の「ひえい」のどちらかの退役時期を延長(現計画では来春に「はるな」、再来年度中に「ひえい」退役の予定)する必要があります。
しかし両艦共、1980年代半ばに艦齢延長改装を実施していて、これ以上は老朽化まったなしの状態での退役計画でありましたから・・・。
更なる改修を施しても元々の艦齢が艦齢だけに能力も行動も多くは望めず、DDH4隻体制維持の為の単なる帳尻合わせになりかねませんしねぇ。
そんな艦を抱えているばかりに他艦と乗組員に負担をかけては、戦力維持上かえってマイナスのように思えます。
2015年春まではDDH3隻体制で凌ぐのも已む無しかと私は考えます。
旗艦任務はイージス艦で充分果せますし、部隊の哨戒へり不足は「たかなみ」型DD(ヘリの搭載定数は1機ですが、必要に応じて2機搭載/運用能力を持ちます)へのヘリの追加配備で対応できます。
DDHが担っていた洋上でのヘリの中規模整備は不可能になりますが、その辺は運用体制のやりくりで何とかするしかありませんね。

さて、一時的にDDH3隻体制になる事で生じるかもしれない、いや冷静に考えるぺき問題は、「海自が主張するDDH4隻体制は現在の戦略環境における海上防衛上不可欠のものなのか?」という点。
そもそもDDH4隻というのは冷戦時代の1970年半ばに定められた事で、現在の戦略環境とは大きく異なります。
定められた当時は質量共に強大なソ連潜水艦に対処する為、また米海軍の対潜
補完戦力としての要請から戦力整備の最優先順位としての「対潜」、そのシンボルとして必要不可欠のものがDDH4隻体制でしたが、現在はなにをさておいても「MD」。
防衛予算の削減傾向がこれから相当の期間続くと覚悟しなければならない状況下においては、あれもこれもと総花的な事など言っておられず、国防上の優先順位に
メリハリを効かせて決めていく必要があります。
DDH4隻体制の現在の根拠となっている「中国の潜水艦対策」「島嶼侵攻への対処」。
これらの脅威の掛け値無しの実態を、自衛隊の保有する他の対応手段(前者は海自の潜水艦と海上哨戒機、後者はやはり潜水艦と空自の航空阻止能力)とのすり合わせを十分に図った上でよくよく精査するべきでしょう。
災い転じてナントカよろしく、脱冷戦の21世紀海上防衛を根本から再構築するきっかけに転じれれば、不幸にも艦齢をまっとうできずに先達たちのもとへ逝く「しらね」へのせめてもの手向けになります。

私的には、最早ヘリ空母といって差し支えない新型DDHの導入と引き換えに、DDHの削減は止むを得ないと元々考えておりましたので・・・。
1隻減の3隻体制にして護衛艦隊司令部直轄艦にでもして、ヘリの充実した整備能力が求められる長期の海外派遣や災害対処、我が国島嶼に対する本格的且つ大規模な侵攻切迫時に、任務部隊の旗艦として柔軟に配備する体制を整えられればいいでしょう。
これらの対処事案は突発性のものではなく、危機に至るまでの外交的段階を踏み切っての事ですからそれなりの派遣・展開準備の時間を稼げます。
ゆえに常に1隻を洋上即応体制にしておく必要もなく、短期間で出動できるだけの錬度と準備が出来ていれば3隻での対応ローテーションでもこなせると思います。
・・・思いますが、専門家の見解は全く違うんだろうなぁ(涙)。

2008年1月 4日 (金)

新潟交通電車線跡探訪その四・ときめき駅跡

新潟交通電車線廃線跡探訪・第四回はときめき駅跡

寺地駅跡はこちらへ←→焼鮒駅跡はこちらへ

電車線の数ある駅の中でも最も新しい、1997年3月の開業です。
東関屋駅から3.6km、寺地駅からは0.8km地点にあり、開業当時は西蒲原郡黒埼町の所在でした(現在は新潟市西区)。

ときめき駅跡は近年になって開発が進んだ新興住宅街にあり、周囲には真新しい住宅やアパートが立ち並んでいます。
駅跡の寺地方向すぐに食堂が一軒ある以外、見渡す限りではコンビニ・スーパーも見当たらず、まさに「寝る」為のベッドタウンのようです。

ときめき駅跡
電鉄線と並走する路上から見た駅跡、2004年5月撮影。

ときめき駅の廃ホームその1
東関屋方から見た駅跡、2004年5月撮影。
後背の陸橋は北陸自動車道です。

ホーム端から見た東関屋方面
東関屋方への見通しはこのようにすこぶる良好、2004年5月撮影。
電車線現役時には撮影の名所であった雰囲気を今も色濃く残していて、未だ劣化の兆しのないホーム(なんてったってこの時点で築7年ですからね)に立ってこちら側を眺めて見れは、モーターの吊り掛け音も勇ましくゴトゴトと車体を揺らしながら次第に大きくなる古豪かぼちゃ電車の勇姿がわたくしめの心眼にくっきりと見えてまいります・・・。

ときめき駅の廃ホームその2
東関屋方から見た構内の様子、2007年10月撮影。
今風の上屋と風除け付きですがベンチは無し。
現役当時もそうだったのかどうか。
また、この先はレールも外されていました。

ときめき駅の廃ホームその3
月潟方から見た構内、2007年10月撮影。

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