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2006年12月の記事

2006年12月21日 (木)

北越急行ほくほく線・うらがわら駅

本日の駅紹介は、北越急行ほくほく線・うらがわら駅

虫川大杉駅はこちらへ← →大池いこいの森駅はこちらへ

2016年6月19日、記事を完全リニューアルしました。

新潟県上越市に所在する無人駅で、開業はほくほく線開通と同日の平成9年(1997年)3月22日。
開業当時の所在は東頸城郡浦川原村で、同村の中心地区に位置しています。
浦川原村は平成17年(2005年)に上越市に合併編入されて今日に至ります。

旧浦川原村内の鉄道駅は当駅と虫川大杉駅ですが、後者が旧安塚町の玄関口としての機能を持つ公共交通の結節点なのに対して、当駅はれっきとした村の玄関駅です。
しかし当駅は、ほくほく線の前身である国鉄北越北線建設計画では設置されていなかったのが意外なところ。
人口密度が比較的高い当地区に列車交換駅を設けるとなると、高架にしろ築堤にしろ大規模なものになることから敬遠されたのかもしれません。
また計画段階では後述する頸城鉄道が健在だったので、ローカルな需要はそちらに任せるという意図も多分にあったのかも。
また虫川大杉駅からは2kmと比較的近く、国鉄的な感覚ではその辺もマイナスに働いたのかもと、その背景については色々と妄想を廻らしたくなるところであります。
第三セクターに転換後に設置が決定された「停留所」ゆえに、駅の規模は虫川大杉駅が圧倒的に大きく、その陰に隠れてすこぶる地味な印象なのは少々気の毒に思える、そんな駅です。

上越市統計年鑑によると、平成19年度(2007年)のうらがわら駅年間乗車人員は48,821人。
単純計算すると一日平均約134人になります。
虫川大杉駅よりも僅かに少ないレベルで、合併前の人口4,000人強の村の玄関駅の数字としては少々寂しいかも。
当駅周辺には高校が無いので学生の集中が無いのです。

うらがわら駅駅舎その1
うらがわら駅駅舎その2
うらがわら駅駅舎の様子、2012年5月撮影。
虫川大杉駅の駅舎をやや小ぶりにしたような建物です。
駅出入り口前の大きく傾斜した形状の上屋は豪雪地帯ならでは。

うらがわら駅駅舎内部
駅待合室内部の様子、2012年6月撮影。
虫川大杉駅のそれと同じ間取りの、天井が高く旧家の中にいるような穏やかな空間です。

ホーム横の待合室
待合室から階段を登って高架上のホームへ、2012年6月撮影。
その横にある小さな待合室はほくほく線定番の造りです。
待合室前に自動券売機が設置されています。

うらがわら駅の高架ホームその1
犀潟方から見たうらがわら駅高架ホームの様子、2012年6月撮影。
ほくほく線定番の二連用です。

うらがわら駅の高架ホームその2
ホーム端から犀潟方を見る、2006年9月撮影。

うらがわら駅を出発したHK100形電車
夕陽の中、うらがわら駅を出発したHK100形電車一般型の直江津行、2012年6月撮影。

うらがわら駅に到着したHK100形電車「ゆめぞら号」
夕闇迫る中、うらがわら駅に到着したHK100形電車「ゆめぞら号」の越後湯沢行、2012年6月撮影。

うらがわら駅至近の国道253号線
ほくほく線と共に、当地域の大動脈である国道253号線、2012年6月撮影。
当駅を最初に訪問した2006年9月当時、駅周辺はスーパーが駅から1km弱のところにある旧村役場近くの裏道(商店が数軒固まっている事やその佇まいからして旧村のメインストリートと思われます)に一軒。
コンビニはなく居酒屋と酒屋が一軒ずつという具合。
他にめぼしい商店というと駅前のミニ市場と前述の裏道手前にある浦川原バスターミナル向かいに有るくすり屋ぐらいで、人口四千人強という規模からして国道沿いにはそれなりに店があるのだろうとの予想は覆された格好。

浦川原バスターミナル
駅から虫川大杉駅方面に数分歩いて、浦川原バスターミナルに到着、2012年6月撮影。
昭和46年5月に全線廃止されたナローゲージの頸城鉄道・浦川原駅舎を転用した建物です。
新潟県内で廃止された駅舎をバス用に転用している例は、ここと旧栃尾鉄道の栃尾駅ぐらいですかね。
両者共に軽便鉄道の駅舎で、全国的に見ても貴重な建物かと思います。
この浦川原バスターミナルからは、鉄道補完では頸城バス(頸城自動車直営)の直江津線、くびき野バスの高田線、東頸バスの安塚線(虫川大杉経由)が発着しています。
直江津線は頸城自動車自らが運行しているので、同社グループ内では幹線としての位置付けと思われ実際に本数も当地域の路線バスとしては群を抜いて多く、平日12往復、土休日7往復です。
直江津までの所要時間は44分で運賃は2016年3月現在で770円。
ほくほく線と比べると所要時間は二倍強で運賃は倍近いのですが、経由地が全く異なるので棲み分けはうまく出来ているのでしょう。

裏手から見たうらがわら駅
裏手から見たうらがわら駅、2012年6月撮影。
賑やかな表側とは全く異なる顔がそこには。

2006年12月20日 (水)

世界の空母機動艦隊格付け

軍事専門雑誌「軍事研究」の今月号(2007年1月号)の記事に、「戦力判定! 2015年世界の空母機動艦隊」という中々興味深いものがありました。

これは2015年前後に就役する各国新型空母を中核とした戦闘グループの戦力を、ステルス性、艦隊防空力、弾道ミサイル防御力、機動力、航空攻撃力、
ISR(情報・偵察・監視)の6項目について評価し点数化するという試みで、評価の対象となるのは、
米海軍のフォード級原子力空母(満載排水量10万トン)グループ、
仏海軍のPA2型空母(満載7万4千トン)グループ、
露海軍のA・クズネツォフ型空母(満載5万8600トン)グループ、
印海軍のヴィクランド級空母(満載4万トン)グループ、
中国海軍のワリャーグ級空母(満載5万8900トン)グループ、
英海軍のQ・エリザベス級空母(満載6万5千トン)グループ、
伊海軍のカブール級ハイブリット空母(空母と揚陸艦の機能を併せ持つ。
米海軍の強襲揚陸艦と異なり、あくまで空母としての機能が主、揚陸
機能は従)グループ(満載2万7千トン)、
西海軍のハイブリット空母BPE(満載2万7千トン)グルーブの計8グループ。

空母の保有国としては他にブラジル海軍とタイ海軍がありますが、前者は空母自体が旧式(1960年代前半完成の元仏空母)で、随伴艦も最も新しいフネでも1970年代末に完成の旧英海軍フリゲート、艦載機も今や骨董品的存在の米国製A-4。
後者は完成こそ1990年代後半ですが、「世界で一番小さな空母」(満載排水量約1万1500トン)でハリアーを運用可能なものの、元々タイの国力では分不相応な持ち物なのに加えて前世紀末の通貨危機後は予算不足で維持すらままならないというトホホな状態。

評価は米フォードグループの各項目を最高評価(6点満点で合計点数は36点)
とし、それに対して他のグループを減点方式で採点するという形式で、
仏PA2グループが合計17.5点、露クズネツォフグループが13点、
印ヴィクランドグループが13.5点、中ワリヤーググループが13.5点、
英エリザベスグループが15点、伊カブールグループが13.5点、
西BPEグループが16点という結果でした。

空母戦闘グループの最大の売り物は航空打撃力ですから、それについては点数x1.5~2倍にするとか二乗にするとか、弾道ミサイル防御力は評価項目としては?(そんな能力が必需なのは世界中で戦争の出張販売する米海軍だけですし)とか、色々突っ込みたいところもありますけれど、元来スペック厨で未だに戦艦の戦力評価の指数化が出来ないものかと考える事しばしな私的には非常に興味深い試みでありました。
私的にはあと二項目、「錬度」「対潜」を加えて欲しかったですね~!

前者は各国空母運用の継続期間、実戦運用の有無や深度を加えた評価で・・・。
米フォードグループを6点満点とすると、英エリザベスグループが4.5点、仏PA2グループが4点、印ヴィクランドグループが3.5点、伊カブールグループと西BPEグループが各3点、露クズネツォフグループが1点、中ワリヤーググループが0点といったところでしょうか。

後者はグループトータルの対潜へり機数及び能力、随伴艦(潜水艦も含む)の沿岸~大洋に至る総合的対潜能力で。
米フォードグループを6点満点とすると、英エリザベスグループが4.5点、仏PA2グループが4点、印ヴィクランドグループが2.5点、伊カブールグループが3点、西BPEグループが3点、露クズネツォフグループが3.5点、中ワリヤーググループが1点。

これを前述の評価結果と合わせた平均点数は、米6点満点、仏3.2点、露2.2点、印2.4点、中1.8点、英3点、伊2.4点、西2.8点。

またお遊びで前述のブラジル海軍とタイ海軍空母戦闘グループを数値化してみると、ブラジル海軍サンパウログループはステルス性0点(任務部隊構成艦にステルス対策艦ゼロ)、航空攻撃力0.5点(艦載攻撃機のA-4に精密誘導兵器の運用能力無し、搭載機数自体少ない)、艦隊防空力0.5点(艦隊防空ミサイル艦ゼロ、個艦防御のみ)、高速機動力3点、ISR0点(0.5点の中ワリヤーググループより下)、弾道ミサイル防御力0点(言うまでもなし)、錬度3点(空母運用歴は長いので)、対潜2点。
合計点数は9点、平均点数1.1点・・・(wと言うべきかorzか判断に困る数字)。
タイ海軍のチャクリ・ナルエベトグループは錬度以外サンパウログループと同じ点数、錬度は0.5点、対潜0.5点で合計5点、平均0.6点。

サンパウログループは艦載機を精密誘導兵器の運用が可能なF/A-18の中古、せめてシュペルエタンダールに更新すれば航空攻撃力が1点は上がり
ますし、C・ナルエベトグループも同様に現在のAV-8Sから中古のシーハリアーFA2に更新すればやはり1点上がるでしょうけれど、イージスや西欧の多機能レーダーシステム搭載艦を導入しなければ艦隊防空力や弾道ミサイル防御力は向上しません。
(ブラジルはかつてのアルゼンチンのように欧米諸国と喧嘩する事を考えなければ必要ないんですがね、周辺各国の対艦攻撃力を考えれば)
タイは空母なんてモノを持つ事自体が無茶。
同じだけカネを使うのなら、米国から中古のペリー級フリゲートを複数買うとかドイツあたりの新型ミサイルコルベットを一個戦隊分買うとかしたほうが国防上余程実効性が高いと思います。
ISRは海軍、いや軍全体の情報ネットワーク化と不可分の分野ですので、高額な武器を揃える以上の改善困難な問題でしょう。
我が国でもそれに四苦八苦している状況なのに、中古兵器を買い揃えるので精一杯のタイのような途上国には全く無理な話です。
この2国、特にタイに関してはインドにでも売り払うのを強くお勧めしますね、以前にはリースの話もあったようですが・・・。
ブラジルはかつての戦艦同様、国威発揚としての側面が大きいので周辺各国との外交上、手放せない有力な政治的ツールなのでしょうが・・・。
旧式のCTOL空母にこだわるよりは、イタリアやスペインが保有しようとしているハイブリット空母の方が余程使いどころがある(限定的制海任務・限定的揚陸任務・災害派遣のいずれにも対処可能)と思いますけど。

2006年12月18日 (月)

米海軍の9000トン型軽戦艦妄想

去る12月14日、雑誌「世界の艦船」増刊「アメリカ揚陸艦史」が発売されました。
第二次世界大戦中、実に1,052隻が完成した有名な「LST-1」型から現在鋭意建造中のドック型輸送揚陸艦「サン・アントニオ」級に至るまで、戦時標準型貨物船改造の輸送艦や旧式駆逐艦や護衛駆逐艦改造の高速輸送艦、輸送潜水艦を含めた米海軍の揚陸/輸送艦の歴史を理解できる優れものな一冊であります。
以前に「世界の艦船」本誌の特集でも米海軍揚陸艦についての特集がありましたが、アレと併せれば軍ヲタ一般常識としての米海軍揚陸艦史はおおむね頭に入る事と存じます。

私的に収穫だったのは、長年の疑問だったスペイン海軍の攻撃輸送艦の前身が戦時標準型貨物船改造の「ポール・リヴィア」級だったという事。
昔「ミリタリー・バランス」のスペイン海軍の項目で、”旧米攻撃輸送艦”という記述を目にしまして、それ以来ずーっと気になっていた次第。
攻撃輸送艦という艦種についてはその後世界の艦船を購読するうちに理解できたのですが、スペインに引き渡された2隻についてはクラス名がわからない・・・。
十年ちょっと前の世界の艦船に、「戦後各国に引き渡された米海軍艦艇」が第二特集の形で扱われた事がありましたが、その時にも触れられていませんでしたから・・・。
・・・コレ読んでる人は「なんでそんなツマンネー事気にしてんの」とお思い、でしょうが、マニアックな偏執狂の私としましては、軍ヲタ諸氏が軽く読み流す記事の中に疑問を抱きそれを解決したくてもう辛抱たまらん事が少なからずあるので・・・これなんかその一典型ですね。

本について少し欲を言わせてもらえれば、LST-1級やLSMの退役/除籍年について分かる範囲で記していただきたかったのと、「アメリカ海軍」と限定しなかった事から米陸軍籍の各種輸送艦について、概要(米海軍の特集の時に沿岸警備隊のフネについて簡単に紹介している時がありますが、ああいう扱いで結構ですので)だけでも紹介していただきたかった事でしょうか。
そう言えば90年代に入る頃にも依然横須賀で健在だったという、LST-1級改造の宿泊船(工作船だったかもしれない)はどーなったんでしょうか?
上構は原型を留めない改造っぷりのフネでしたけど。

この本に載っていたフネの中で、もっとも異色と思われるのが上陸火力支援艦「キャロネード」。
1955年に竣工した同型艦のないフネで、その任務は装備する5インチ砲とロケット弾で上陸部隊の火力支援を行う事。
往年の「モニター」のミニチュア版と言える存在ですが、この艦の後継とも言えるトンデモ艦の建造が一時米海軍内で検討されていたというのが今回の本題
(いつもながら前置きが長い・・・汗)。

時はレーガン政権第一期、当時米海軍ではソ連海軍をいかなる局面においても圧倒し得る「600隻艦隊」構想の具現化に邁進しておりました。
その一環として再就役を果たしたのが、第二次大戦後半に4隻就役した世界最強の高速戦艦「アイオワ」級。
アイオワ級はとりあえず艦のレーダーや通信システムなどの近代化、トマホーク巡航ミサイルとハープーン艦対艦ミサイルを装備して再就役しましたが、当時は更なる改造計画として、主砲第三砲塔を撤去し、代わりにVLSとハリアー運用の為の飛行甲板新設を検討しておりました。
(この案は現実のものにはなりませんでしたが、もしソ連の指導者がゴルパチョフ氏でなく頑迷な保守強硬派の人物であったら冷戦はソ連の経済的困窮から生じる軍事的暴発の危機をはらみつつ続いていたかもしれません、ゴルビーの当時のライバル・ロマノフ政治局員・書記は軍産複合体の管理を担当し、その思考パターンも軍制服組に近かったと言う話ですし、そういう状況下であればこの計画も実行されていたかも)

このアイオワ級改造計画が首尾良く実現すると計4基が陸揚げされる事になる16インチ三連装砲塔。
これを有効活用して「軽戦艦」(BBL)を4隻建造する事が部内で検討されておりました。

Bbl01

上のイラストは昭和58年夏に発行されたメカニックマガジン(KKワールドフォトプレス刊)臨時増刊「アメリカ海軍」に載っていたもので、その主要目は

全長 122m以上  全幅 25.6m 喫水 6.7m 排水量 9,000トン(基準か満載かは不明) 
乗員 280名
主機ディーゼル、2~3軸 速力20ノット(巡航速力)
兵装 16インチ三連装砲x1基、Mk45五インチ砲x3基、Mk26連装ミサイルランチャーx2基(スタンダードSAM用)、20ミリCIWSx2基。
搭載機 LAMPSx2機。
イラスト中の「15in砲塔」は16inの間違い、4in砲塔は5in砲塔の間違いです。
この本、誤植が多いなぁ・・・軍事専門雑誌じゃないからチェックが効かないのかもしれないけど。

この艦の第一の任務は主砲による火力支援、続いてスタンダードSAMや対潜ヘリによる揚陸艦部隊の護衛。
第一の任務による敵の反撃に対抗する為、強力な装甲を有します。

主砲塔の真ん前にMk26ランチャーなんぞ置いたら、射撃時の爆風で潰れちゃいそうとか、スタンダードSAM用のイルミネーターが一基しか見あたらねーじゃんとか(三次元レーダーも装備してないっぽいからO.H.ペリー級と同じローカル・ディフェンス用か?)、ヘリ2機を収容できる格納庫を上構に置くスペースなんてないじゃんとか。
そもそも一万tに満たない排水量で、主砲射撃時の反動を吸収できるのかとか、私の如きド素人でも???なレイアウト、排水量のフネなんですが・・・。
こんな「ぼくのかんがえたさいきょうもにたー」みたいなフネでも、お値段は格安(ミサイルフリゲートと同程度という試算)なんだそうです。
16インチ三連装砲を活用するのであれば、任務は火力支援一本に絞って他の兵装は自衛装備に留めるべきでしょう。
限られた排水量でアレもコレもと欲張るから、こんな冗談のようなフネになってしまいます。
合目的かつシンプルな達成目標を設定し、それに対する合理的な資源配分、これぞこのような事業の成功要件であろうと思う次第です。

ここでちょっと思考実験・・・。
米海兵隊には戦艦の大口径砲による火力支援が好きで好きでもう辛抱たまらず、アイオワ級の除籍以降も「戦艦を再役させろ!」と主張する方々がおられたとの事ですが、その方々の要求を受け入れて大口径弾による火力支援体制の整備、すなわち「軽戦艦」の焼き直しを妄想したら・・・。

アイオワ級の主砲塔は計12基。
うち1基は退役直前に事故を起こしていて恐らく使用不能、また部品取り用として数基が必要ですから、軽戦艦に積める主砲塔は6~8基、つまり建造数も6~8隻という事になります。
米海軍の強襲揚陸艦を中核とした遠征打撃群は12個整備されますが、軽戦艦は1.5~2個遠征打撃群に1隻の割合で配備される勘定になります。
主砲弾は五インチ砲用の誘導噴進弾の技術を応用して射程(40km弱)の大幅な延伸と精密誘導兵器化を図りますが、16インチ砲弾と五インチ砲弾では発砲時の衝撃等相違点が多いと思われるので、場合によっては既存の技術を応用できるレベルへの減口径弾化が必要かもしれません。
主機はガスタービン1基で1軸推進、最大速力は揚陸艦グループに追随できればいいので22ノットを発揮できればOK。
センサーは機雷回避用の高周波ソナーとXバンド三次元レーダー。
主砲以外の兵装はMk41VLSx1基4セル(ESSMx16発・・・但し「トマホークを積まずんば水上戦闘艦にあらず」な現在の米海軍ですのでトマホークの搭載を求められるかもしれません、その際は最大32セルもアリ?)とRAMまたはファランクスx2基。
他に対水上用の自衛火器少々。
搭載機は観測・哨戒用にUAVx2機、但し飛行甲板は少なくともMH-60R/Sの発着艦が可能な強度と給油設備を設ける。
装甲は主要区画の弾片防御に留める。
少しでも陸上からの敵対艦ミサイルの脅威がある間は誘導噴進弾による遠距離射撃に徹し、不用意に沿岸に近づかない

この内容で満載排水量一万五千トン、お値段は1000億円未満で・・・。
でも新主砲弾の開発に相当カネかかりそうだしなぁ、それならDDX用の新6インチ砲を一基搭載するほうがまだ現実的だよなぁ。
統合電気推進でSPY-3レーダー搭載、ESSMとトマホークを搭載する32セルのVLS、LCS並みの航空機運用能力ってあたりの・・・。
結局、妄想の上塗りに過ぎないって事ですね、軽戦艦構想というヤツは・・・。

2006年12月15日 (金)

帯織駅(信越本線)

2015年11月15日記
大幅加筆修正及び画像入れ替えを実施しました。


本日の駅紹介は、信越本線・帯織駅

東光寺駅はこちらへ← →見附駅はこちらへ

帯織駅の駅名標

新潟県三条市に所在する無人駅で、開業は明治31年(1898年)6月16日。
開業当時の所在は南蒲原郡帯織村で、同村の玄関駅でした。
当時の北越鉄道による見附-三条間の駅設置にあたって、村長は自ら率先して駅用地を提供、村の有力者の協力も取り付けて駅の誘致に成功したそうです。
「帯織」という地名はなかなかファンタジックに聞こえ、何かふさわしい言われ(鶴の恩返しみたいな民話とか)でもあるのかなぁと子供の頃から思い続けていたのですが、調べてみると「帯を織って税を納める他に手段なし」という当地住民の方々の苦悩をモチーフにしたもののようで・・・。
昔は湿地やら何やらで耕作にあまり期待できない土地だったのでしょう。
そうした報われない土地柄ゆえ、村発展の起爆剤として鉄道に期待していたのかもしれません。

帯織村は帯織駅開業から間もない明治34年(1901年)11月に隣接諸村と合併して大面村になりますが、当駅が村内唯一の玄関駅であることに変わりはありません。
大正6年に駅裏の大面地区に油田が出来ると、駅から専用線が引かれるなど石油ブームに湧いたそうです。
しかし昭和の半ばには産油量も減少してしまったとか。
ガスタンクが目立つ駅裏のガス会社は大面油田と関連あるのかなぁ?
そんな大面村も戦後の昭和31年には隣村と合併して栄村に、昭和56年には町制を施行して栄町になります。
部外者から見ると、実に失礼ながら甚だ地味に見えた栄町も、平成の大合併の合唱の下、平成17年(2005年)5月に三条市と合併してその南西部となって今日に至ります。

帯織駅駅舎その1
帯織駅駅舎の様子、2004年6月撮影。
建築財産票によると平成4年12月の完成です。
奇をてらったところのない、堅実なデザインです。

帯織駅駅舎内部
駅舎内部の様子、2012年5月撮影。
画像左側の掲示スペースは窓口跡で、2006年9月訪問時にはシャッターが降りているだけでした。
昭和61年3月に無人化という話ですけれど、「無人化」が単に国鉄直営では無くなったというだけの事であったりするので、その後完全に人がいなくなったのか委託で有人を維持していたのかは、残念ながらはっきりしません。
しかしこの改築駅舎を見ると、窓口込みで建てられている事から考えて、改築後しばらくは委託有人であったのではないかと。
JR東日本のサイトで年度別の一日平均乗車人員表を遡って調べると、2002年時点で無人だったのは確定のようですが。
かように色々と想像を逞しくさせる窓口跡も、今では完全に塞がれてしまって、今後人員配置の見込みは完全に無しということなのでしょうね。
一方、固い座り心地のベンチにはさりげなくお揃いのクッションが置かれていて、部外の訪問者には小粋で心温まる好印象なのです。

帯織駅駅舎その2
駅舎ホーム側の様子、2006年9月撮影。

帯織駅の下りホームその1
下りホーム(新潟方面乗り場)の長岡方から見た帯織駅構内、2012年5月撮影。
開業から百年以上の歴史を刻んだ駅に相応しい構内の広さです。

帯織駅の下りホームその2
下りホーム端から長岡方を見通す、2012年5月撮影。
撤去された中線跡は寒々しいのです。

帯織駅の下りホームその3
下りホームの新潟方から見た構内、2006年9月撮影。
かつては列車交換や退避が可能だった2面3線の古典的形態です。

帯織駅の下りホームその4
下りホーム端から新潟方を見通す、2006年9月撮影。
この辺りで9両編成の先端ですけれど、列車の先頭車両がここまで来ることはありません。
2015年現在、新潟地区に逐次投入されて115系電車を淘汰する新鋭E129系電車は、ピーク時でも六両でしょうし。

貨物用側線跡
かつての貨物用側線跡、2006年9月撮影。
当駅の貨物取り扱いは昭和45年10月に廃止されました。
昔は近くの農協から出荷される農産物で賑わったのでしょうね。

帯織駅跨線橋
跨線橋内部の様子、2012年5月撮影。
優等列車停車駅並みの広さです。
信号場上がりの小駅ごときと一緒にするなとアピールしているようです。

跨線橋上から見た構内その1
跨線橋上から構内の新潟方を見る、2006年9月撮影。
画像左側の下りホーム脇には上屋付きの駐輪場を設置しています。

跨線橋上から見た構内その2
同じく構内の長岡方面を見る、2006年9月撮影。
画像左側の薄緑色のガスタンクが当駅周辺のランドマークと言えましょうか。

構内の中線跡
線路が完全に撤去された中線跡、2012年5月撮影。
昭和55年10月改正ダイヤを見ると、この中線はまだ機能していました。
一日上下3本の普通列車が当駅で優等退避していて、下り1339Mが特急とき17号と急行赤倉を、同じく1323レが特急雷鳥21号を、上り1322レが特急とき4号を当駅で先行させていたのです。
当時、信越本線新潟-長岡間の中間駅でこうした光景が見られたのは、亀田新津矢代田羽生田東三条、三条、見附、押切、そして当駅の実に9駅。
しかし昭和60年3月改正ダイヤでは見附、押切、そして当駅での優等退避は無くなっています。

帯織駅の上りホームその1
上りホーム(長岡方面乗り場)の長岡方から見た構内、2012年5月撮影。
本線の隣が即敷地外の当駅のようなレイアウトは、画的に面白味がありません。

帯織駅の上りホームその2
旧島式ホーム中央部の様子、2004年6月撮影。
上屋はおよそ一両分の長さで、ベンチが数脚という具合。
日中毎時1本の列車をここで待つ事に対する配慮はあまり無いのです。

帯織駅の上りホームその3
旧島式ホームの旧中線の新潟方から見た構内、2012年5月撮影。
現在の利用状況に即せば、複線上に最大7両程度を収容するホーム2本だけで事足りるので、この風景はあまりに無駄に過ぎるものに映ってしまいます。

帯織駅の上りホームその4
旧島式ホーム中程から新潟方を見通す、2012年5月撮影。
起終点の新潟と長岡の他にも中小の旧市町が並ぶこの界隈で、帯織-三条間は最も人口密度が小さい区間と言えます。

帯織駅を出発する115系電車その1

帯織駅を出発する115系電車その2
下りホームを出発する新潟行115系電車、2014年5月撮影。
土曜の朝に観察したところでは、当駅から長岡行に乗り込む学生は少なめで少々驚き。
隣の見附駅では大量乗車で大混雑になるのに。
それだけ当駅周辺の人口が少ないということなのか。
しかし前述の駅前駐輪場の規模を考えると、学生の利用はかなり多そうにも思えるのですが。

帯織駅に到着する115系電車
上りホームに到着する115系電車長岡行、2014年5月撮影。

帯織駅を通過する485系電車特急「北越」
下り線を通過する485系電車T編成の特急「北越」新潟行、2014年5月撮影。
かつての村、町の玄関口であった当駅ですけれど、同じ立ち位置の近隣の押切駅同様に急行準急はもとより快速の停車もなかったようです。

帯織駅に進入する485系電車特急「北越」
上りホームに進入する485系R編成の特急「北越」金沢行、2014年5月撮影。

帯織駅を通過する583系電車急行「きたぐに」
下りホームを通過する新潟行583系電車急行「きたぐに」、2006年9月撮影。

帯織駅前
駅前の様子、2006年9月撮影。
この時点ではJA以外に目立つ建物は無し。
当駅へは東三条駅から越後交通運行の路線バスでも来訪出来ます。
しかし撮影当時の毎日四往復から、現在は三往復で土休日は運休に。
特に病院が休みの土休日は全便運休というのが、過疎バス路線
の一般的な運行パターンになってしまっています。
しかしバス路線が維持されているだけ、この地域は恵まれているとも言えます。
バス路線を維持しきれなくなって、予約制のデマンドに移行という事例がそこかしこにありますからね。

2006年12月11日 (月)

怖くて作れない宇宙戦艦ヤマトのプラモデル

バンダイが1/350スケールのプラモデル・宇宙戦艦ヤマトを発売するとの事です

波動砲エネルギー充填音や主砲・パルスレーザー射撃音などの効果音付きだって・・・うぎぎぎぎっ!! 
ヤマトフリークな私的にはぜひとも欲しい一品!
しかし艦のサイズは全長:766mm×全高:220mm×全幅:102mm・・・在来のプラモ艦艇用ドックを一個潰さないと収納不能なデカブツですな・・・。
なにしろ私は艦船プラモも置場に難渋して、買い込んだアイオワ級戦艦やキーロフ級原子力ミサイル巡洋艦などの大艦をずーっと組み立てられない状態だしなぁ・・・。
またお値段が47,250円(税込)・・・、一万円台の軍艦のレジンキットでさえ、組み立て失敗あぼーん廃艦が怖くて手が出せないヘタレな私的にはかなりヤバめな一品ではあります。
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ヤマトのプラモデルと言えば、去年年明けの再販時に買い込んだメカコレクション(¥200)が未だほぼ手付かずです。
全30種類が再販されましたが、店頭で影さえ見なかった「アンドロメダ」(一番欲しかったのはコレなのに、トホホ)と「惑星破壊ミサイル」、興味のない「超巨大戦艦」以外は各種最低一個を確保したんですが・・・今回を逃すと次の再販がいつになるかわからない(個数限定の再販なので、売り切れたらそれでオシマイ)危機感から野放図に買いまくった次第ですが、数個のスジ彫りに着手したところで放置プレイ続行中。

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買った当初はテキトーに組み立てて塗装して、また「オレ流艦」にも改造して悦に入ろうとお気楽なモンでしたけど、ちょっと欲をかいて参考までにと模型サイトを覗いてみたのが運のツキでした・・・。
それまで模型サイトなんて閲覧皆無で免疫がなかった事もあり、、載っている作例、サイト管理人さんたちの卓越した技術力やセンスに驚倒するやら我が身を返り見て嘆息したりやらと・・・。
よくもまぁ、あのちっこいプラモをここまでディープに改造できるものだと・・・

昔は買っても組み立てないモデラーを「プラモなんて作ってナンボだろう」と蔑んでいた私でしたが、今ではそういう人の気持ちも理解できますね~。
多少でも向上心があり、作品として「他人の鑑賞に耐え得る」レベルを志向し始めると、高レベルの作品と自己の技術を比較するようになり、結果己の未熟さを思い知らされて筆を折ってしまうんですよね・・・。
欲しいアイテムが発売されればとりあえず確保するんだけど、いざ組み立て開始となると、失敗したらどうしようという懸念が先走って結局中断して
しまうという悪循環。
それが昂じると、買っただけでずーっと寝かせたままというモデラーとしては引き篭もった状態へと成り果てますです・・・。
私がヤマトのプラモデルや、前述のアイオワ級戦艦やキーロフ級原子力ミサイル巡洋艦の建造に着手できずにいるのは、保管スペースの問題もさること
ながら、こういう悪循環に陥ってしまっているのも原因。

納得のいくように作ろうと考えて事前に考証し始めると、通信アンテナの位置から手摺の造作までもう何が何やらわからなくなってきて、そういった事を解明
解消するにはバカ高い洋書を取り寄せて・・・とか、主砲砲身からレーダー、手摺に至るまでメタルパーツ・エッチングパーツをフルに使うとなると、それだけで軽く一万円は飛びそう・・・とか塗装の色合いの問題とか・・・、作る前から会議が踊るっていったらもうw。
結局「手持ちの資料不足、技術不足」で建造中止、部屋の隅で埃を被ったままの箱が鎮座ましますという、お気軽な自己満足の娯楽のつもりがいつしか
本末転倒な難行苦行の道に。

・・・まぁ、こんな事を続けていてもラチがあかないし、とりあえずタミヤの特型駆逐艦やピットロードの海防艦でも買ってきて、習作のつもりで作り込んでネガティブ発想の突破口にしてみようかなぁ(安いから失敗しても問題ないし)などと考える年の瀬近い今日この頃でした。

2006年12月 9日 (土)

只見線・柿ノ木駅

本日の駅紹介は只見線・柿ノ木駅。

入広瀬駅はこちらへ← →大白川駅はこちらへ

2016年2月28日記、リニューアルを実施しました。

柿ノ木駅の駅名標

新潟県魚沼市(旧・北魚沼郡入広瀬村)に所在した無人駅です。
手元の資料には駅開業は1987年3月31日となっておりますが、それ以前から時刻表には(臨)柿ノ木として表示されており、Wikipediaによれば1951年3月1日に仮乗降場として開設されたとの事です。
仮乗降場としての開業時点の所在もやはり入広瀬村でした。

柿ノ木駅は気動車2両が収まる程度の短いホームと、簡素な待合室があるきりのシンプルなもの。
当駅と同様にその出自が仮乗降場であった薮神魚沼田中上条の各駅よりもその姿は一段と素朴。
只見線の他の無人駅同様に券売機も乗車証明発行機もありませんし、トイレもありません。
駅前には国道252号線が通りますが、小出から入広瀬本村まではクルマの通りが絶えないこの道路も、この辺りまでくると閑散としております。
駅前の道路沿いの狭い範囲にに小集落があるきりで、その周辺は山間地域に田圃が点在する鄙びた情景が右にも左にも・・・。

周囲を山に囲まれて、只見線に沿って流れる信濃川系の支流・破間川沿いにわずかに開けた地に静かに佇むこの情景・・・。
私的には「山間の駅」の美的観点としてベターな一典型と断言できる贔屓な駅です。
遠からず近からずで程良い距離を保つ周囲の山々、地域の農家の御年寄が大切に守っておられる田圃、駅前の僅かながらも確かな地付きの方々の生活の息遣い・・・
これらの要素が渾然一体となって独特の味わいを醸し出しますです・・・。
駅から大白川方面を見た、山懐に抱かれたこの姿、夕方、二条の光を放ちつつ近づく気動車の轍の響き・・・。
どれも皆味わい深い。

柿ノ木駅待合室その1
柿ノ木駅待合室の様子、2004年7月撮影。
出入り口右上の建築財産票を確認し忘れたのが一生の不覚orz。
建物を補強する支柱が、この地が名にし負う豪雪地帯である証であります。

柿ノ木駅待合室その2
待合室内部の様子、2008年4月撮影。
壁に沿って造られた旧家の縁側のようなベンチ(と表現していいものやら)は古き良き昭和の生活の地続きの郷愁を誘う風情。
除雪用具とストーブはこの地らしいアイテム。

柿ノ木駅のホームその1
小出方から見た柿ノ木駅の様子、2004年7月撮影。

柿ノ木駅のホームその2
ホーム端から小出方を望む、2004年7月撮影。

柿ノ木駅のホームその3
只見方から見た簡素なホームとその先の小さな待合室、2004年7月撮影。

柿ノ木駅に進入するキハ40系気動車
柿ノ木駅に進入する夕刻のキハ40系気動車小出行、2004年7月撮影。

当駅は2013年3月ダイヤ改正で、定期列車が全て通過する臨時駅に格下げ、二年後の2015年3月ダイヤ改正で廃止されました。
新潟県内の鉄道駅で、ここ二十年内で廃止されたのは米坂線・花立駅に続く二例目になりました。
下記の画像は臨時駅格下げ直後の2013年5月に再訪した時のものです。
訪問は南越後観光バス運行の小出-大白川間路線バスを利用しました。

チェーンで閉鎖された駅出入り口
チェーンで閉鎖された駅出入り口の様子。
看板には、
「只見線「柿ノ木駅」は平成25年3月16日のダイヤ改正以降、定期列車は停車いたしませんのでご注意ください。最寄の大白川駅または入広瀬駅をご利用くださいますように
お願いいたします」
との表記。

柿ノ木臨時駅その1
柿ノ木臨時駅とその周辺の風景。
画像左の道路が国道252号線です。
駅前には小集落があるので只見線・田子倉駅や上越線・土樽駅のような無人地帯ではないのですけれど、それでも臨時駅化そして廃止の憂き目。
鉄道で通学する高校生がいなくなったから廃止という噂も聞きますけれど。
小中学生の通学については、スクールバスや路線バスで問題無いという判断なのかもしれません。
ちなみにこの時点で駅近くの「柿ノ木」バス停ダイヤは下記の通り。
バスダイヤはその後変化がないので、基本的にこのままだと思われます。

小出行
07:34 12:42 17:27

大白川行
07:09 12:17 17:02

柿ノ木臨時駅その2
入広瀬駅方の踏切から見た臨時駅の様子。
当駅の待合室はけして大きくないのに、ホームが小さく短いので、立派な建物に映ります。

柿ノ木臨時駅その3
線路と並行する道路から見た駅。
画像右手近くを破間川が流れているのですけれど、それをあまり感じさせないのが当駅の特徴。
周囲の緑と素朴な停留所の佇まいに目が奪われてしまっているからかもしれません。

柿ノ木臨時駅その4
臨時駅化してもなお健在だった、JR東日本定番型の駅名票。

柿ノ木臨時駅その5
線路に並行する道路の大白川方から見た柿ノ木臨時駅。
このアングルから列車を見たかったですなぁ。

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