最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 2006年2月 | トップページ | 2006年6月 »

2006年3月の記事

2006年3月20日 (月)

越後線・越後赤塚駅

本日の駅紹介は越後線・越後赤塚駅

内野西が丘駅はこちらへ← →越後曽根駅はこちらへ

2016年3月5日記、大幅リニューアルを実施しました。

越後赤塚駅の駅名標

新潟県新潟市西区に所在する無人駅で、「平成の大合併」以前の旧新潟市の西端の駅でありました。
開業は1914年(大正3年)12月25日で、開業当時の所在は西蒲原郡赤塚村でした。
赤塚村は永らく村として存続していましたが、昭和36年に新潟市に合併編入されています。

越後赤塚駅の所在する越後線・白山吉田間は、大正元年8月に軽便鉄道の「越後鉄道」として開業しましたが、当駅が設置されたのはそれから2年強のちの事でした。
当時の赤塚村の中心集落は現在の駅から海岸方に2km強も離れており、その辺の不便さが開業当初の駅未設置の事情だったのでしょうか。
赤塚村中心集落には北国街道が通っていて、陸運事情はかなり恵まれていましたしね。
しかし鉄道開通以前の西蒲原の物流の柱であった西川(水運に利用)は、当駅よりも少し南に流れています。
人の移動はともかく物流は水運有利であった当時を考えると、赤塚村産の農産物も西川の水運で新潟に運ばれていたのではと思われます。
それを考えると西川より僅かながら中心集落に近い越後鉄道沿線のこの地に停車場を最初から設置していても、少しも不思議ではないように感じられるのです

かつては村外れの田圃の中に佇んでいたここ越後赤塚駅ですけれど、近年は駅北側で大規模な宅地開発が進行。
新潟国際情報大学と新潟看護専門学校が進出して、新興住宅街としてまた文教地区として今後もまだまだ伸び代のありそうな、新潟都市圏のフロンティアとも言うべき地域の玄関駅なのが当駅なのであります。

そんな越後赤塚駅の利用実態はというと、新潟市統計書によれば平成20年度の年間乗車人員は31万3千人。
単純計算すると一日平均860人弱になり、この数字は有人駅の羽越線・水原駅や白新線・佐々木駅と同レベルです。
無人駅の乗車人員の数字は実態と相違する場合有りとの但し書き付きですけれど、新潟県内の無人駅では信越線・古津駅と並びトップレベルであるのは間違いないように思われます。

越後赤塚駅駅舎
越後赤塚駅駅舎の様子、2012年6月撮影。
建築財産票によると完成は昭和57年11月24日。
実用一点張りの建物で、色合いもこんな感じなので一層の地味感を醸し出しますです。
駅舎右側がトイレで、当駅を初めて訪れた2005年当時は男女兼用の昔ながらのモノでした(後はお察しください・・・)。
この撮影時は遺憾ながらトイレを観察しなかったのですけれど、近年は「こんな駅にこんな立派なトイレが!」という例を散見しますので、あるいは当駅のトイレも改装されているのでしょうか。
でも男女別バリアフリー対応にするには、建物にかなり手を加える必要がありそうな気も。

越後赤塚駅駅舎内部
駅舎内部の様子、2012年6月撮影。
現在は無人の当駅ですが、画像右側に旧窓口らしきものがあるので、あるいは有人だった時期があるのかも。
もしそうだとすれば、利用増加に伴う今後の再有人化も比較的容易でしょう。
まぁしかし、建物もかなりの経年ですから街のフレッシュなイメージに合わせてモダンな建物に改築=有人化が妥当なところでしょうかね。

駅舎とホームを結ぶ跨線橋
駅舎とホームを結ぶ跨線橋、2012年6月撮影。

跨線橋と反対側の空間
跨線橋出入り口と反対方向の様子、2012年6月撮影。
当駅駅舎とホームの連絡は昭和60年まで構内通路で行っていたとのことですが、画像中央の柵が構内通路の出入り口だったのでしょうか?

越後赤塚駅の跨線橋
跨線橋内部の様子、2014年7月撮影。
昭和60年と比較的最近の完成なのに、既に末期的のような荒れ方です。

跨線橋上から見た構内その1
跨線橋上から見た構内の内野方の様子、2014年7月撮影。
駅南側はご覧のように昔ながらの田圃また田圃。
西蒲原の豊かな緑の海であります。

跨線橋上から見た構内その2
同じく構内の吉田方を見る、2014年7月撮影。

越後赤塚駅の島式ホームその1
吉田方から見た越後赤塚駅構内、2010年5月撮影。
遠く弧を描くホームが当駅の特徴です。

越後赤塚駅の島式ホームその2
島式ホーム端から吉田方を見通す、2010年5月撮影。

島式ホーム上の待合室その1
島式ホーム上の待合室、2010年5月撮影。
当駅周辺は特に冬の季節風が酷くて、越後線もたびだび抑止がかかります。
そんな気象条件下の駅としては、風雪を完全に凌げる頑健な待合室の存在は不可欠と言えましょう。

島式ホーム上の待合室その2
待合室内の様子、2010年5月撮影。
個人的には駅舎よりもこちらの方が過ごし易いですな。

越後赤塚駅の島式ホームその3
内野方から見た待合室とその向こうの跨線橋、2012年6月撮影。
当駅は列車交換設備を持ちますが、2015年3月改正ダイヤで交換が行われるのは朝の二回のみ。
交換無しの場合の列車は2番線(画像左側)に発着します。

構内の横取線
内野方に伸びる横取り線の様子、2010年5月撮影。

越後赤塚駅の島式ホームその4
ホームの待合室付近から内野方を見る、2010年5月撮影。
上屋が無いので、真冬のホームは激烈な季節風の吹き荒れる難儀な場所になるのです。

越後赤塚駅の島式ホームその5
島式ホームの内野方から見た構内、2010年5月撮影。
ホームの有効長は9両ですが、この有効長を目一杯使った列車の発着は今後無いでしょうね。

越後赤塚駅の島式ホームその6
ホーム端から内野方を見通す、2010年5月撮影。
当駅と内野西が丘駅間は田圃の真ん中を突っ切って走ります。

踏切から見た構内その1
内野方の踏切から見た構内の様子、
2012年6月撮影。
ここから見る駅は、左に弧を描くホームが良いアクセントになっていてなかなか見ごたえがあるのです。

路上から見た構内
線路と並行する道路から見た構内、2012年6月撮影。

踏切から見た構内その2
吉田方の踏切から見た構内、2012年6月撮影。
ここからだと角度の悪さもあって、駅構内の眺めはイマイチ。

越後赤塚駅に停車中の115系電車
間もなく姿を消す115系電車の普通列車吉田行が停車中、2012年6月撮影。

越後赤塚駅で列車交換するE127系電車と115系電車
朝しか見ることのできない越後赤塚駅での列車交換風景。
2014年7月撮影。
E127系電車吉田行と115系電車新潟行です。

越後赤塚駅を出発するE127系電車
交換を終え、越後曽根駅に向け出発したE127系電車六連の吉田行。
2014年7月撮影。

越後赤塚駅前広場
駅前の様子、2012年6月撮影。
せっかくのロータリーもなんかルーズな感じで、まだまだ発展途上の感強し。
2015年12月時点では、当駅前と青山間に平日五往復の区バスが運行されています。

越後赤塚駅前通り
駅前ロータリーから駅前通りを見る、2012年6月撮影。
右の建物が、当駅にとって大お得意様と言える新潟看護専門学校。
この時点では駅前から少々歩いてコンビニが一軒。
さらに歩いてもう一軒。

佐潟近くの北国街道
駅から遮るものの何もない田圃の真ん中を北に約30分歩いて、
旧赤塚村中心集落のある北国街道に到達、2012年6月撮影。
画像左側が、当駅周辺唯一の観光スポット「佐潟公園」であります。
駅からここを通って内野営業所まで行く区バスが一日五往復運行されています。
しかし土休日は全便運休。
田舎のコミュニティバスはこんな調子のところばかりですな。
太川&蛭子コンビが難渋するわけですよ。

佐潟その1
佐潟その2
佐潟の様子、2012年6月撮影。
今にも泣き出しそうな梅雨空が残念でした。
この佐潟は新潟県内でも最大級の砂丘湖だそうで、水深は約一m。
重要な湿地を保全するラムサール条約の登録湿地です。
向こうに見える山は標高481.7mの角田山。
比較的登り易く人気の山です。
私は弥彦山は登ったことがありますけれど生憎角田山は未踏の地。
この山と国上山、南魚沼の坂戸山はぜひ制覇しておきたいと念願しておるところです。

2006年3月17日 (金)

湘南電車から113系電車引退・青春も遠くになりにけり

明日18日のJRダイヤ改正に伴い、本日限りでその姿を消す列車・車両が様々・・・。
特に、東海道の「湘南電車」から113系近郊型電車が引退するというのは、青春も遠くになりにけりと、感慨ひとしおと申せましょうか・・・。
学生時代、帰省の行き帰りには、一種の「儀式」として、東京駅-最寄駅間で113系電車の自由席グリーン車を常用していました。
越後人と学生のスイッチの切り替えの場として、行きは家族や地元の悪友の顔を思い浮かべ、帰りは胃が痛くなる程嫌いな授業(外国語全般・・・)の事を
考えてしまい、闇を映す窓に浮かぶ自分の顔を見やりつつ、感傷に耽ったり嘆息ついて凹んだりw。

113系の後継車は普通車がオールロングシート車との事で、伊豆辺りに小旅行と洒落込む場合、普通車では興ざめで(飲食もマナー的に憚られるし)
使えませんね。
必然的にグリーン車の利用になるかと・・・。
まぁ、一般人が伊豆方面行きといったら特急「踊り子」を使うのでしょうが。
私と悪友たちは揃って変わり者ですので、湘南電車の自由席グリーン車に乗ってご満悦ですがね(笑)。
関西はその点、いいよな~。
新快速の座席は昔の特急普通車(リクライニングしないヤツ)のそれと同等な感じだし、117系や113系の体質改善車が普通列車に使われている豪華さ
だもんね~。
(草津から京都まで初めて221系に乗った時、そのグレードの高さにカルチャーショックを覚えた。関東や我が県じゃあ、数十キロの移動では狭苦しいクロスシートかオールロングがデフォ、それが嫌なら「速くて快適な新幹線を御利用ください♪」だもんなぁ・・・もし我が県にもし117系が普通用に入ったら「神」
電車として人気爆発でしょーな)

また、以前に当ブログの「寝台特急出雲と急行きたぐにの明日はどっちだ!」で存廃について触れていた伝統の山陰ブルートレイン「出雲」(東京-出雲市間)と、いまや両手で余る数にまで打ち減らされた昼行急行の生き残り「かすが」(名古屋-奈良間)
も廃止となります。
この結果、昭和三十年代~四十年代後半に一般大衆の身近な旅の足として隆盛を極めた昼行急行列車は、明日からは「つやま」(岡山-津山間)と
「みよし」(広島-三次間)のみに。
幼少のみぎり、「佐渡」「よねやま」「きたぐに」「しらゆき」といった昼行急行にお世話になった身としては、本当に寂しい限り・・・。
北海道では寝台・座席混結の夜行特急「利尻」(札幌-稚内間)が夏季のみ、「オホーツク9・10号」が冬季のみ運行の臨時列車に格下げされます。
定期列車から臨時列車に格下げされ、その運行体制が長期間続いた例は寡聞にして聞かないですし、また使用車両の経年劣化を考えると、そう遠くないうちに完全廃止という事になるのでしょうか?

「出雲」は・・・、東京から「出雲」に乗って、山陰ののどやかな夜明けの行き路を眺めつつ、浜田まで足を伸ばして、通販で売られていない神楽の姫面を現地ゲット、翌日は有名なローカル線である木次線~芸備線の昼行急行「みよし」(この列車が廃止される時が、JRの昼行急行が全廃される時でしょう)で広島入り、原爆資料館と原爆ドームを再訪した後、100系新幹線で新大阪から「きたぐに」で帰宅というのが理想の行路だったのですが、それも叶わぬ夢となりました。
木次線・「みよし」・「100系新幹線」・「きたぐに」・・・どれも十年後には消えていそうなものばかり。暇とお金を作って、数年内に実行に移したいところなんですけどねぇ。

2006年3月 5日 (日)

轟轟戦隊ボウケンジャー・転がり続けるガジャ様の生き様

本日の「轟轟戦隊ボウケンジャー」、2ちゃんのスーツアクタースレによると、ボウケンピンク役の中川素州さんが骨折の為、3月の放送分については大事を取って休養とのレスがあったので、ボウケンピンクの動きに注目して見てみました。
JAEのサイトで出演情報を見て見ると、今月のボウケンジャー出演者に中川さんの名前がないので、怪我をされたという話も全く根拠のない話ではないと思われますが・・・。
でもOPのクレジットには中川さんの名前があるんですよねぇ。
本日のボウケンピンクは戦闘シーンだけ、芝居の部分はなし。
止め画も名乗りシーンのみでしたので、なんとも判断がつきませんでした・・・。

身長は普段と変わらないっぽいし、OPクレジットに名前のあった大林勝さん(「カーレンジャー」のイエローレーサーでレギュラー女形経験有り)が代役だと、
中川さんよりも肩幅があるように思えるのですが、本日見る限り、言われてみればなんとなく上半身ががっちりしているよーな?と感じる程度。
「中川さん怪我で代役」の予備知識がなければ、恐らく気が付かない程度の事です。
私も「戦隊ヒロイン女形」の目利きがまだまだ足りませんなぁ、反省です・・・。
もし中川さんの怪我が事実であれば、どうぞご自愛くださいませ。
ファンは慌てず急いで正確な復帰を待っておりますから。

さて、ストーリーの方では・・・。
ゴードムの神官ガジャのおぢさんは、この先ずーっとああなんでしょうかね(笑)。
他の組織に話を持ちかけても、「ひょーろく玉はすっこんでろぃ!」みたいなトホホな扱われ方されて・・・。
演じる大高洋夫さんの、負け組なのにやたらエラそーな態度と、現実の八方塞りな立場のギャップが愉快。
虚勢の張り方と実のない脅迫の見本のような方です。
私的には、往年のベルクカッツエやゲルサドラ(こいつらほど凶悪でもなさそうですが)を彷彿とさせるキャラであるガジャおぢさん。蜂須賀さん&中川さんの
女形と共に、この番組の欠かせない見所となったおぢさまの、転がり続けるワシの生き様をしばらく生暖かい目で見守っていきたく存じます。

2006年3月 3日 (金)

越後線・青山駅

新潟県の駅紹介第2回は越後線・青山駅

関屋駅はこちらへ← →小針駅はこちらへ

2016年3月5日記、大幅リニューアルを実施しました。

青山駅の駅名標

新潟県新潟市西区に所在する有人駅で、開業はJR発足後の1988年3月13日で、開業当時の所在も同じく新潟市。
ちなみに新潟県のJR駅で国鉄民営化後に開業したのは、この青山駅と同じく越後線の内野西が丘駅、信越線・さつき野駅、上越線・上越国際スキー場前駅とガーラ湯沢駅になります。

新潟駅から越後線を西進して関屋分水を越え、中央区から西区に入って最初の駅が、単線上の棒駅であるこの青山駅。
西区内の駅はこの先、小針、寺尾新潟大学前内野、内野西が丘、越後赤塚まで続き、その距離は13km弱になります。

さて、ここ青山駅は関屋分水西側の人口集積地帯に位置していて、駅は住宅地の只中にあります。
かつては当駅から南に500mほど行くと、当時まだ県庁前(現・市役所前)始発であった新潟交通電車線の東青山駅があって(1999年3月に路線廃止)、青山地区の方が新潟市中心部へ行くにはこの電車線か新潟交通の路線バスを使っていたのです。
しかしどちらにしても乗り換えが必要であったり、運賃が割高で渋滞の為に時間が読み辛いという難点があり、関屋分水という人工の分水嶺の存在も合わせて、新潟市中心部との心理的距離はかなりのものではなかったかと推察されるところです。
そんな土地に、運賃も比較的低廉で運行本数も多い越後線の駅が設けられたのですから、当地域の居住性は特に心理面で大きく高まったと申せましょう。

新潟市中心部には、かつての青山地区同様に人口集積地帯でありながら駅の無い鉄道空白地区があり(越後線・新潟白山間の信濃川東側と信越本線及び白新線の新潟-越後石山東新潟間)、新駅設置が待望されているところです。
私は当駅開業当時、お役所仕事な国鉄とフットワークの軽いJRのことだから、潜在需要の大きいこれら空白地区にも駅設置が順次図られるのであろうと期待していたものです。
しかし現実には、駅開業から四半世紀以上経っても、これらの地区に新駅が設けられることはなく、新潟市が街造りの将来ビジョンで新駅設置を謳ってはいても、結局は地元負担の問題や赤字を渋るJR側の都合で一向に前進しないのです(困ったモンだ)。

青山駅の2014年度の一日平均乗車人員は1,122人で、JR東日本新潟支社新潟県内有人67駅中35位。
2004年度のそれが967人ですから、約十年間で二割近い増加になっています。
自動改札が導入された新潟都市圏の駅の中でも、信越線・さつき野、白新線・大形両駅と地味さNO1を競い合っている駅ではありますが、中身は中々に充実した実用本位のお手本のような駅なのであります。

青山駅駅舎
青山駅駅舎の様子、2015年12月撮影。
駅開業以来の建物です。
築四半世紀を過ぎて近い将来の改築も予想されますけど、何しろ住宅地の真っ只中というロケーションなので、駅舎の構造を一変するような改築は無理でしょうなぁ。

青山駅前その1
青山駅前その2
駅前はこんな感じ、2008年12月撮影。
7年以上前の様子ですが、現在もほぼ変化無しです。
道が狭いので、路線バスが駅前まで入ってくるのはまず無理かと。
ただし南に300mも行けば、昨年9月に鳴り物入りでスタートしたもののトラブル続発で問題になったBRT「萬代橋ライン」と郊外線バスの乗り継ぎ結節点である青山バス停があります。

青山駅駅舎内部その1
青山駅駅舎内部その2
駅舎内部の様子、2008年12月撮影。
駅前同様に駅舎内部も現在とさしたる変化はありません。

青山駅駅舎内部その3
当駅のホームは高台にあり、自動改札を抜けて階段を上がります。
2008年12月撮影。
昨今はバリアフリー化が盛んに推進されていますけど、当駅は未だ手つかず。
手を入れるとなればエスカレーター設置が順当なところでしょうか。

青山駅のホームその1
階段を上がってホームに出たあたりの様子、2005年8月撮影。
このあたりも駅名票とベンチが更新された以外、現在と変化無し。

青山駅のホームその2
内野方から見たホームの様子、2015年12月撮影。
右にカーブしているので、ここからホームの全景を見ることは出来ません。
またホーム上には駅舎との連絡階段部以外、上屋もベンチも無いので新潟大学前駅同様にホーム長が9両対応以上に長大に見えます。

青山駅のホームその3
ホーム端から内野方を見通す。
駅周辺がこのような状態なので、この駅に交換設備を設けることは、尋常な手段ではまず不可能でしょう。
当駅と新潟大学前駅に交換設備があれば、越後線ダイヤの過密化や冗長化も可能になるのですけれど。
駅前後を高架化島式ホーム化する手段も考えられなくもないですが、これだけ住宅が建て込んでいると日照権その他の問題も生じるでしょうし。
なにより新潟市にそんな面倒なことをやる気なぞさらさら無いでしょうな。

青山駅のホームその4
ホームの駅舎方周りの様子、2014年9月撮影。
ホーム出入り口は新潟方に偏ったところにあります。

青山駅のホームその5
同じく駅舎出入り口付近から内野方を見る。
ホームの幅は狭いのですけれど、今日では通過列車も基本的に無いのでさしたる問題は無いかと。

青山駅のホームその6
駅舎からの連絡階段付近から新潟方を見る、2005年8月撮影。

青山駅のホームその7
新潟方から見た棒ホームの様子、2015年12月撮影。
当駅は昭和の最末期に造られた駅なので、構内はドライそのもの、遺構の類は一切無く好事家の目を惹くものはありません。

青山駅のホームその8
ホーム端から新潟方を見通す。
ここから500mほど進むと、新潟市中央区と西区を分かつ関屋分水に出ます。
ちなみにここから海岸までは1kmも無いのです。
海の気配が希薄なので、ホームに立っても中々実感できないのですけれど。

青山駅に停車中の115系電車
いよいよ引退までのカウントダウンに入りつつある115系電車の湘南色が停車中、2014年9月撮影。

青山駅を出発するE129系電車
現在ではその姿を越後線に見せることはごく稀になったE127系電車新潟行が出発、2014年9月撮影。

青山駅を出発したE129系電車
出発した新鋭E129系電車内野行、2015年12月撮影。

前述したように、新潟交通電車線の東青山駅は当駅から南に500mの比較的至近にありました。
その一帯の現在の様子はこんな感じ。
2014年9月の撮影です。

新潟交通電車線東青山駅跡周辺その1
電車線は東青山駅を月潟方面に向け出発して、すぐに県道を陸橋で越しますが、その陸橋が綺麗に整備されて遊歩道になっていました。
残念ながら東青山駅跡は跡形も無くなっていましたが・・・。以前、「新潟交通電車線廃線跡探訪」シリーズで行った際には、荒れるにまかせていたのを見ていたので、あの頃と比べて何と様変わりしたことよと驚愕しましたよマジで。

新潟交通電車線東青山駅跡周辺その2
旧電車線跡の遊歩道は、平島駅跡に向けて整備されています。

新潟交通電車線東青山駅跡周辺その3
整備された陸橋上から俯瞰で見た青山界隈の様子。
画像左側のイオン新潟青山店至近に、前述の青山バス停があります。

« 2006年2月 | トップページ | 2006年6月 »

2020年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

カテゴリー

にほんブログ村 その他趣味ブログ

ブログランキング

  • 人気ブログランキングへ