カテゴリー「R016 北陸新幹線・えちごトキめき鉄道の駅」の記事

2016年2月 6日 (土)

糸魚川駅(北陸新幹線・えちごトキめき鉄道)

本日の駅紹介は北陸新幹線/えちごトキめき鉄道・糸魚川駅。

2017年4月15日記、糸魚川駅の旧記事二つを新記事と統合し加筆修正しました。

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北陸新幹線糸魚川駅の駅名票
えちごトキめき鉄道糸魚川駅の駅名票

大正元年(1912年)12月16日の開業で、新潟県西端の自治体である糸魚川市の玄関駅です。
2015年3月ダイヤ改正でJR西日本・北陸本線から第三セクター鉄道の「えちごトキめき鉄道」日本海ひすいラインに所属が変わっています。
一方、同日に開業した北陸新幹線の駅として新たなスタートをきっています。

糸魚川駅の開業当時の所在は西頸城郡糸魚川町で、同町は昭和29年(1954年)6月に周辺諸村と合併して市制を施行、平成の大合併の号令下の平成17年(2005年)3月に周辺町村と合併して新たな糸魚川市として再出発して今日に至ります。

糸魚川駅はかつてセメント輸送の拠点として活況を呈し、昭和50年代半ばの貨物収入は14億円前後を数え、当時の国鉄金沢鉄道管理局管内の貨物収入は隣の青海駅に次ぐ第2位、当駅と青海駅で同局管内の貨物収入の1/3を占める程だったといいます。
旅客面においても北陸路を往く優等列車多数が停車していて、新潟県西端の客貨の要衝として重きを成していた栄光の過去があるのです。

そんな糸魚川駅の利用状況は、古い資料で恐縮ですが糸魚川市統計要覧によると平成19年度(2007年)の糸魚川駅年間乗車人員は409,911人。
単純計算すると1日平均約1,123人です。
この数字は市内の他の12駅の合計よりも多く、この地域における糸魚川駅の求心力の高さは相当のものなのです。
しかしJR東日本管内の新潟県内駅と比較すると中条駅や五泉駅と同レベル。
市の人口に対して駅の乗車人員は少ないように見えますが、大合併前の旧糸魚川市の人口は3万人強なので、前述の2駅と比べて特別悪いわけではありません。
もしJR東日本所属なら、自動改札導入の下限に位置する利用状況なのです。
ちなみに昭和54年(1979年)の1日平均乗車人員は約2,900人。
30年弱で約6割減っています。

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糸魚川駅旧駅舎の様子、2009年6月撮影。
建築財産票を見つけられなかったので竣工年月を確認できませんでした。
色々資料を見ると昭和32年の竣工という話を見つけたましたが、建物の造りを見るにそのように思えます。
旅客のみならず前述のように貨物の拠点駅でもあったその証が、二階建ての駅舎ということなのでしょう。

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改築以前の糸魚川駅前の様子、2006年9月撮影。
駅前ロータリーにはタクシーがぱっと見で十台ほど常駐の様子。
路線バスは降車が駅ロータリー内、乗車が駅前停留所と乗降場所が区別されていました

なお2017年4月時点での糸魚川駅前発着の糸魚川バス運行の路線バスの鉄道補完路線としては、青海能生線(青海、梶屋敷、浦本、能生)、根知線(姫川、頸城大野、根知)、早川線(梶屋敷)、おうみ巡回線(青海)があります。
→pdfのバス時刻表はこちらへ
土休日運休便が多いので、利用の際はダイヤをよくご確認くださいませ。

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幹線の主要駅らしく、改札口が多い糸魚川駅旧駅舎、2009年6月撮影。
この改札口を使用していた頃、例えば昭和55年10月改正当時の糸魚川駅に日中停車する優等列車は12往復(特急10往復、急行2往復)、富山-糸魚川間は快速列車として運転される急行1往復でした。
優等列車の停車本数で言うと、2011年3月改正では特急14往復、2017年3月改正の北陸新幹線「はくたか」の停車本数は15往復。
停車本数そのものは国鉄時代よりむしろ増えているのですが、受ける印象はそれとは逆なのが不思議なところ。

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乗り越しなどの運賃精算は画像中央のみどりの窓口で行うようにと言われたのです、2009年6月撮影。
しかしこの窓口がまたアレで・・・。
地方の駅にありがちな事なのですけれど、おぢいさんおばぁさんが旅行相談所としてみどりの窓口であーでもないこーでもないと粘っておられる(後ろの行列は眼中に無しで話に夢中)ので、待たされる事といったらもう!(怒)
駅も駅で、小駅のような一人勤務ではないのですから、もう少し融通を利かせてもらってもと思うところですけれどね。
利用する側も、きちんと旅程を決めて切符を買うように心がけていただきたいものです。
こういう光景は新潟駅でも他の駅でも頻繁に目にしますからね・・・。

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糸魚川駅舎の出入り口の様子、2009年6月撮影。
駅コンコース内はタバコ自販機一台と自動券売機が二台設置されていました。

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コンコースの向かって左手には待合室がありました。
待合室内は中央に机状の四角ベンチと壁沿いの一人掛けベンチが二列。
コインロッカーも設置されており、2列X4段構成。
テレビが出入り口上方に置かれて暇つぶしにぼんやり見るのも良し。
また室内にはキヨスク「STATION-PIT」があり、営業時間は0650~2000で品揃えもそこそこ。
なおトイレは改札内外にそれぞれあり、清掃も行き届き綺麗でした。

新駅舎に移行期の糸魚川駅駅舎内改札口付近
窓口と待合室の様子
糸魚川駅旧駅舎から新駅舎への移行期の改札口と窓口及び待合室の様子、2013年9月撮影。
これを見た時も、国鉄時代の特急停車駅に相応しかった舎内がこんなに小さくなっちゃって...と衝撃を受けたものでしたが、後述のようにえちごトキめき鉄道に転換後はこれどころではなかったのであります。

糸魚川駅日本海口の様子
北陸新幹線が開業して、装いも新たになった糸魚川駅日本海口(北口)の様子、2015年10月撮影。
こちら側は北陸本線から転換されたえちごトキめき鉄道の駅としての顔です。
昭和30年代前半に改築された国鉄型の旧駅舎と比べて、当然の事とはいえ何とも垢抜けたものだと感慨もひとしお。
駅前ロータリーも拡幅されてスッキリしましたが、人影もクルマも少ないのは旧駅舎時代と変わらず。

糸魚川駅アルプス口の様子
糸魚川駅アルプス口(南口)の様子、2015年10月撮影。
こちらは北陸新幹線駅としての顔です。
日本海口にも増して立派な佇まいですけれど、これもまた高架駅特有の作用に基づく印象。

糸魚川駅アルプス口駅前通り
アルプス口駅前通りの様子、2015年10月撮影。
かつてはこちら側から駅へ行くには、駅前後の踏切を渡り大きく迂回していかねばならなかったので、住民の方々にとっては大いなる福音と申せましょう。
まだまだ発展途上ながら、市役所もこちら側にあるので今後の発展の伸び代は日本海口よりも大きいかもしれません。

糸魚川駅の赤煉瓦車庫のモニュメント
アルプス口駅前に設置された、かつての駅構内赤煉瓦車庫の出入り口、2015年10月撮影。
移築保存の動きがあったものの、結局叶う事なく新幹線工事に伴って解体されてしまった赤煉瓦車庫。
こうして一部だけでも残されて往時を偲ぶことが出来るのは幸いです。

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糸魚川ジオステーション ジオパルで展示されているキハ52
アルプス口一階の「糸魚川ジオステーション ジオパル」内で保存一般展示されているキハ52、2015年10月撮影。
私が最後に大糸線キハ52に乗ったのは、2009年6月。
私的なさよなら乗車は、雨の夕刻の平岩発糸魚川行でしたっけ。

糸魚川橋上駅舎の自由通路
新装成った糸魚川駅の日本海口とアルプス口を連絡する自由通路の様子、2015年10月撮影。
天井も高く立派な構えの建物ですけれど、道行く人は残念ながらまばら。

糸魚川駅のえちごトキめき鉄道改札口付近
糸魚川駅のえちごトキめき鉄道改札口付近の様子、2015年10月撮影。
旧駅舎時代と比べて、なんとスペースの小さくなったことか。今回、最初に衝撃を受けたのがここでした。
日本海口の立派な様子は言わばショーウィンドー、前途多難な第三セクター鉄道としての実際の顔がこれなのです。

北陸新幹線糸魚川駅の改札口付近
改札を抜けた構内の様子
糸魚川駅北陸新幹線乗り場の様子、2015年10月撮影。
上が改札口付近、下が改札を抜けた構内です。
利用予測を十二分に検討した産物のような、こじんまりとした様子です。
上越新幹線の諸駅を見慣れた目には小さすぎるように思えるのですけれど、上越新幹線の方が少々異常なんでしょうな多分。
浦佐とか浦佐とか浦佐とか。

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駅舎改築前の糸魚川駅前通りの様子、画像中央奥にチラリと見えるのが旧駅舎時代の糸魚川駅です、2009年6月撮影。
通りはアーケードになっていて風雨を凌げます。
しかしこれといった店も無く、非常に地味です・・・。
当時の駅前通りにはこれといった食料調達先も無かったのですが、そこは灯台下暗し。
駅ロータリー右手を歩く事数分にあるのがスーパー「ナルス」。
午前9時からの営業で、品揃えも充分です。
大糸北線を鉄道&バスで見て回る方は、ここでの食料確保を強くお奨めします。
一度北線に入ってしまうと、本当~に!唖然とするぐらい何も無いですから。
姫川駅近くにセブンイレブンがある程度で、他の駅周辺には正しく「何もありません」。
コンビニ・スーパーは勿論食堂もありませんし雑貨店もありません。
飲料以外は現地調達不可。
(何かあるだろうと甘く見て行ったらドツボに嵌った経験者は語るw)

アーケードが撤去された頃の糸魚川駅前
商店街のアーケードが一時完全撤去された頃の糸魚川駅前、2013年9月撮影。
斜陽化する駅前商店街の姿が白日の下に晒された感じで、ちょっと感傷的になりながらこれを撮ってましたっけ。

日本海口方の糸魚川駅前通り
駅舎改築後の糸魚川駅前通りの様子、2015年10月撮影。
こうして見ると駅はとても大きく立派に見えるのですけれど、橋上駅舎化と新幹線の高架のもたらす錯覚的作用が大きいのが実態。
駅とロータリーの工事に伴って撤去されてしまった商店街のアーケードも復活。
しかし見たところ新規出店は無いようで、新しい皮袋に古い酒といった印象です。

さて2009年6月訪問当時、駅前通りの横道は道幅の狭い、昭和三十~四十年代の地方都市の懐かしい雰囲気。
「小学館の学習雑誌」という黄色い看板など見てしまうと、幼稚園や小学校低学年の頃を思い出して、もう懐かしくって切なくって、その場にしばし佇んで・・・。
2016年12月に起きた糸魚川大火では、あの辺りも相当の被害を受けているでしょう。
被災された方に遅まきながらお見舞い申し上げます。
あの長閑な通りがまた再建されることを願っております。

そのように寄り道しながら、駅前通りを真っ直ぐ400mほど進むと突き当たるのが国道8号線。

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国道を地下道でくぐった先にあるのが、日本海の大海原を望む展望台、2009年6月撮影。

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国道8号線の富山方を望む、上は2004年3月、下は2009年6月撮影。
上の画の沈む太陽を見るたびに、昔の金曜ロードショーの物悲しいトランペットの音色が脳内再生されるのですよ。
下の画の背景にうっすら見えるのは姫川港。

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同じく直江津方を望む、上は2004年3月、下は2009年6月撮影。
やはり夕景のほうが画になるかなぁ、ここは・・・。

さて駅に戻って構内を見てみます。

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北陸新幹線駅舎建設が本格化する前の糸魚川駅1番線青海駅方から見た構内、2005年6月撮影。
切り欠き型の4番ホームでは大糸線のキハ52形気動車が待機中。

一番ホーム青海方から見た橋上駅舎化以前の糸魚川駅構内
北陸新幹線駅舎建設工事たけなわの糸魚川駅1番線青海駅方から見た構内、2012年6月撮影。

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北陸新幹線建設本格化以前の糸魚川駅1番線端から青海駅方を見る、2005年6月撮影。

一番ホーム青海方先端部から先を見る
北陸新幹線の高架が完成した糸魚川駅1番線端から青海駅方を見る、2012年6月撮影。
高架建設以前の構内に感じた幹線鉄道の停車場のダイナミズムは随分と薄れてしまった印象です。

一番線梶屋敷方から見た橋上駅舎化以前の糸魚川駅構内
橋上駅舎建設以前の糸魚川駅構内を1番線梶屋敷駅方から見る、2012年6月撮影。

一番ホーム梶屋敷方先端部から先を見る
同じく梶屋敷駅方を見通す、2012年6月撮影。

糸魚川駅の昔の跨線橋内の様子
糸魚川駅跨線橋内部の様子、2013年10月撮影。
幹線の主要駅に相応しい広さです。
この味のある跨線橋も今はもうありません。
画像中央の案内板は、特急「はくたか」「北越」編成案内です。

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跨線橋上から構内青海駅方を見る、上は2009年6月、下は2012年6月撮影。
新幹線の駅舎や高架の圧迫感はやはり強烈。

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同じく構内梶屋敷駅方を見る、上は2009年6月、下は2012年6月撮影。
上の画の2番線に停車している415系電車は当時糸魚川以東の運用には入っておらず、
富山方からの列車が朝晩に入るのみの希少な存在でした。

自由通路から見た糸魚川駅構内
駅舎改築後の橋上駅舎の通路から見た糸魚川駅構内の梶屋敷駅方を見る、2015年10月撮影。

二番線梶屋敷方から見た駅構内
2番線の梶屋敷駅方から見た糸魚川駅構内、2012年6月撮影。

二番線梶屋敷方先端部から先を見る
同じく3番線端から梶屋敷駅方を見通す、2012年6月撮影。

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北陸新幹線建設本格化以前の糸魚川駅島式ホームを梶屋敷駅方から見る、2005年6月撮影。

橋上駅舎化以前の糸魚川駅島式ホーム上屋下の様子
糸魚川駅島式ホーム上屋下の様子、2012年6月撮影。
上屋は長大で、流石は北陸本線の主要駅の貫禄。
しかし列車撮影の場合はコントラストがきつすぎてあまり宜しくなかったりします。
ホーム上には待合室はありません。
3番線は北陸本線上り富山方面乗り場、2番線は待避線です。

三番線中程から青海方を見る
3番線の中程から青海駅方を見る、2012年6月撮影。
かつてのレンガ車庫はその雰囲気も完全に消え去っています。

二番線中程から青海方を見る
同じく2番線中程から青海駅方を見る、2012年6月撮影。
糸魚川駅2番線で普通列車が特急の通過待ちをする光景も、北陸新幹線開業で完全に過去帳入りになりました。

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糸魚川駅3番ホーム上から見たレンガ車庫、2004年3月撮影。
かつての糸魚川駅の見所といったらこの車庫につきました。
その色艶・風格も見事であります。
車庫にはDE10形ディーゼル機関車2両が入庫中。

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レンガ車庫周りの往年の淑女たち、2005年6月撮影。
この日は大糸線にキハ58系気動車2両連結のイベント列車が走っていて、私も頸城大野駅で撮影したものです。

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青海方の踏切から見た糸魚川駅構内
青海駅方の踏切から見た糸魚川駅構内の様子、上は2009年6月、下は2013年10月撮影。

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踏切を渡ったすぐ先がレンガ車庫でした、2009年6月撮影。
地元ボランティアの方々が保存を求めて運動していましたけれど、その甲斐も無く移築は無理という結論になりました。
残しておけば後々街のイメージアップに貢献したと思いますが、費用を考えると当局が二の足を踏んだのも已む無しでしょうなぁ。
双方の言い分共に理解できるので複雑な思いだったものです。

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朝の419系電車富山行が糸魚川駅を発車直前、2009年6月撮影。

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糸魚川駅2番線に停車中の475系急行型電車、2009年6月撮影。

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当時、糸魚川駅には朝夕しか姿を見せなかった413系電車、2009年6月撮影。

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旧塗装のキハ52と「食パン顔」の419系電車の揃い踏み、2005年6月撮影。

糸魚川駅を出発する富山行413系電車
糸魚川駅3番線から出発する413系電車富山行、2013年10月撮影。
当駅のような上屋の長大な駅構内での列車撮影は夜間の方が当たり外れが無くてよいなぁとつくづく思うところ。
昼間だと上屋のせいでこの駅はホント、撮りにくいのですよ。

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懐かしの大糸線気動車キハ52 125 2009年6月撮影。

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キハ52 115 2009年6月撮影。

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キハ52 115と旧塗装の恐らくキハ52 125 2005年6月撮影。

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国鉄首都圏色のキハ52 156 2009年6月撮影。

糸魚川駅に停車中のキハ120
糸魚川駅4番線に停車中の大糸線用キハ120形、2012年6月撮影。
この時は隣の姫川駅までこの気動車に初乗車してみたのですけれど、乗るのはともかく、撮る対象ではないなぁと再認識しました。
当ブログの趣旨から言うと、定期運用される旅客車両は可能な限り撮るのが本筋なので、大糸線も少なくとも新潟県内の平岩駅までの各駅停車のキハ120形を撮らなければならないのです。
しかし車両に魅力を全然感じないし、駅とその周辺はつくづく見て回ったしで、全然その気にならないのですよ、困ったモンだ。
我が街界隈で俄然目にする機会の増えた新鋭E129系電車にも同じ事が言えて、乗れば最高撮るにはサッパリなあの電車を各駅で追っかけするのはなんだかなぁと、全然やる気が起きないのです。

糸魚川駅を出発する485系特急「北越」金沢行
糸魚川駅3番線から出発する485系電車T編成の金沢行特急「北越」、2013年9月撮影。

一番線に到着した485系R編成の新潟行特急「北越」
糸魚川駅1番線に到着した485系電車R編成の新潟行特急「北越」、2013年10月撮影。
北陸新幹線開業以前に撮った糸魚川駅のラストショットがこれ。
これで北陸本線糸魚川駅とはサヨナラかと、ある種の感慨を抱きながら車上の人となりましたっけ。

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糸魚川駅1番線に進入する特急「はくたか」越後湯沢行 2005年6月撮影。

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「はくたか」と旧塗装キハ52のツーショット、2005年6月撮影。

糸魚川駅から出発する金沢行特急「はくたか」
糸魚川駅3番線から出発する金沢行特急「はくたか」、2013年9月撮影。

糸魚川駅を出発した越後湯沢行特急「はくたか」
糸魚川駅1番線を出発した下り越後湯沢行特急「はくたか」、2013年9月撮影。
「はくたか」は、乗ろう乗ろう特にほくほく線区間は乗ろうと思い続けつつ、他のスケジュールとの兼ね合いで結局果たせず、糸魚川から直江津まで一度乗ったきりで打ち止め...
他の取材なんぞ後回しにして乗っとけばよかったと、今頃になって当時の自分の判断を悔いる日々にございます。

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糸魚川駅1番線に進入する越後湯沢行特急「はくたか」と、4番線で待機中の大糸線キハ120形、2013年10月撮影。

北陸新幹線開業とそれに伴う在来線の第三セクター化で、多種多様な列車が行き交っていた糸魚川駅に日中乗り入れる列車はこのET122系気動車と大糸線のキハ120形のみになりました。
かつての電車特急「北越」の最後の残影として走っていた、485系電車R編成使用の通称「糸魚川快速」も2017年3月ダイヤ改正で廃止されています。

糸魚川駅に入線する泊行ET122系気動車
糸魚川駅に停車中の泊行ET122系気動車
3番線に到着したET122系気動車単行の泊行、2015年10月撮影。
特急列車の乗車口案内板が無くなり、ガランとした長大なホームに単行の気動車...。
この訪問で最大の衝撃を受けたのがこの光景です。

糸魚川駅に入線する直江津行ET122系気動車
糸魚川駅に停車中のET122系気動車
糸魚川駅1番線に到着したえちこトキめき鉄道ET122系気動車単行の直江津行、2015年10月撮影。
JR時代は3連だったのを単行にしたのですから当然と言えばそうなのですけれど、混んでました。
糸魚川から直江津までこの列車で移動しましたが、能生まで座れません。
日曜で学生がいないにも関わらず。
JR西日本時代の土日は、座れないなどまず考えられなかったことです。
糸魚川出発時の単行気動車の乗客の七割は直江津まで乗り通した感じで、運賃がJR時代と同じ事もあって対上越市往来エコノミー派の利用が多いものと推察されます。
なお、待避線の2番線は特急廃止に伴い遊休化したわけではなく、糸魚川発着列車も設定されているために列車が入っています。
2015年3月ダイヤでの2番線発ダイヤは下記の通りです。
直江津方面
07:59発 快速新潟行
以下は直江津行
08:58発 11:01発 13:08発 15:48発 16:18発 17:41発 22:44発

泊方面
05:37発泊行 06:41発金沢行 07:31発高岡行

北陸新幹線糸魚川駅構内の様子その一
北陸新幹線糸魚川駅構内の様子その二
北陸新幹線糸魚川駅構内の様子その三
北陸新幹線糸魚川駅構内の様子、2015年10月撮影。
上越妙高駅同様、ホームドアが完備されているので面白味は全く無し。

糸魚川駅に入線するE7/W7系新幹線電車
駅構内は面白くなくとも、やはりテンション上がるのがE7/W7系電車です。
2015年10月撮影。
ホームドアも柵も、車両撮影には支障の無いレベルなのが救いですな。
このカッコいい電車、来年度からはE4系電車の後継として上越新幹線にも投入開始するとのアナウンスが2007年4月にありました。

さて、糸魚川といえば私がぜひ行ってみたかったのは美山公園の展望台と「フォッサマグナミュージアム」。

姫川駅から国道148号線を歩く
国道148号線を大糸線・姫川駅から糸魚川市街に向けて歩きながら一枚、2012年6月撮影。
前述の大糸線キハ120形に乗車して姫川駅で下車、そこから歩いて向かうことに。
姫川駅から見上げた小山の頂上に美山公園の展望台が見えるので、歩きでもそんなにかからんのではと誤断したのです。

大糸線糸魚川-姫川間の踏切
展望台に向かうには大糸線を横断せねばならないのですが、肝心の踏切がなかなか無くて、かなり歩いてしまってようやくここを横断。
これなら糸魚川駅から素直に行った方が速くね?と後悔し始めた頃でした。

北陸自動車道の側道
セメント工場を見下ろしつつ、北陸自動車道の側道を進んで...

北陸自動車道の上を渡る
北陸自動車道の上を渡って...

美山公園の様子
ようやく目的地の美山公園に到着。
姫川駅を出発してここまで30分。
道は間違えなかったので、掛け値無しにこれだけ掛かるということです。
高低差を甘く見てはいけないと良い教訓になりました。

美山公園内の展望台
公園内のこのデカいタンクがくだんの展望台。

美山公園展望台からの眺め
長野側へはこのような眺望。
山々に雲がかかって冴えないのが残念。
冬の晴れた日に順光で撮れれば最高でしょうね。

展望台から見下ろした大糸線姫川駅
展望台から見下ろした大糸線・姫川駅。
俯瞰で見ると駅の小ささがより実感できます。

フォッサマグナミュージアム
かくして次の目的地「フォッサマグナミュージアム」に到着。
糸魚川静岡構造線の北端に位置する糸魚川市の特質を生かした地質・鉱物博物館であります。→くわしくはこちらを

軽便用蒸気機関車「くろひめ号」
野外展示されている軽便鉄道用の蒸気機関車「くろひめ号」。
産業用としては国産最後の蒸機だそうで、昭和25年ごろ製造されて昭和31年から57年まで糸魚川の運搬用軽便鉄道で使われたとの事です。
重量は5.1tで、日本初の蒸機一号機関車や国鉄の国産蒸機最小のB20形の約1/4に過ぎない小兵てすけれど、実見するとなかなかどうして堂々たるものです。

フォッサマグナミュージアムに展示されている岩石その一
フォッサマグナミュージアムに展示されている岩石その二
館内に展示されている岩石。
鉱物にそれなりの知識が無いと理解するのはちょっと難しいかも。
ブラタモリでタモリさんがここを訪れて知識を披露するのを期待したいところです。

長者ヶ原遺跡その一
長者ヶ原遺跡その二
フォッサマグナミュージアムに隣接する「長者ヶ原遺跡」。
3,500~5,000年前の縄文中期の集落跡で、当時の竪穴式住居が再現展示されています。
個人的にはイマイチつかみどころのない岩石鉱物よりも、こちらの方に強い印象を受けました。

高台から見た糸魚川市街
高台にあるミュージアムから糸魚川駅へ戻りながら一枚。
糸魚川市中心部の街並みと概成した北陸新幹線の高架を望見できました。

糸魚川小学校校庭に展示されている蒸気機関車C12
糸魚川駅アルプス口至近の糸魚川小学校校庭に展示されている蒸気機関車
「C12形88号機」。
重量は50tで前述の「くろひめ号」の約十倍です。
この機関車もアルプス口で展示保存すればいいのになぁ。

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2015年10月25日 (日)

上越妙高駅(北陸新幹線・えちこトキめき鉄道)

本日の駅紹介は、北陸新幹線及びえちごトキめき鉄道・上越妙高駅。

上越妙高駅の駅名標

北陸新幹線の駅としては2015年3月14日に開業、在来線駅としては2014年10月19日に旧脇野田駅から移転して、北陸新幹線開業と同時にえちごトキめき鉄道に移管されて、同社妙高はねうまラインの「上越妙高」駅と改称して今日に至ります。

上越妙高駅東側駅舎の様子
上越妙高駅東側駅舎の様子、2015年10月撮影。
なお以後の画像の撮影日は全て同日であります。
あのクラシカルで郷愁を誘った脇野田駅舎に比べて、何と豪勢な造りでしょうか。
事実上の新駅ではありますが、日本広しといえど旧駅からここまでヴァージョンアップした駅もそうは無いのでは?

上越妙高駅前通りの様子
上越妙高駅前通りの様子。
旧駅時代同様、こちら側がメインストリートと呼べます。

上越妙高駅前の県道の様子
線路と平行する県道の様子。
旧駅時代からあった昔ながらのくすり屋さんが健在でした。
他は変わりすぎて浦島太郎の気分。
去年の訪問から一年と四ヶ月しか経ってないのに。

上杉謙信公の像
東口の外れのイベント広場に置かれていた、上杉謙信公の像。
うっかりしてると見落としてしまいそうな場所にあります。
謙信公といえば、ここ上越の地が生んだ最高最強の偉人。
もっと目立つ場所に置けばいいのにと、部外者の一見さんは感じるところであります。

上越妙高駅西口の様子
上越妙高駅西口の様子。
駅名は東西とも「JR」表示でした。
旧来の駅前であった東口と異なり、こちらは駅建設までは一面の田圃だったところです。
こちら側にもタクシー待機はあるものの、メインはバスも乗り入れる東口で、西口は新幹線駅とは思えないほど閑散としておりま
した。
なおバスのダイヤはこちらへ
トキ鉄よりも便数はかなり少ないものの、高田公園へ行くにはバスの方が便利です。

上越妙高駅西口全景
上越妙高駅西口全景。
未だ各種工事をやっていて雑然とした東口界隈よりも、まだ未開発でスッキリしたこちら側からの方が、新駅の威容を把握できます。

上越妙高駅西口駅前通り
上越妙高駅西口駅前通り。
ご覧のようにまだまだこれから。

踏切から見たえちごトキめき鉄道上越妙高駅構内
駅の東西を渡る踏切から見たえちごトキめき鉄道上越妙高駅構内。
当駅止まりのE653系特急「しらゆき」とET127系が揃い踏み。
「しらゆき」はかつての「北越」から二両減車の四両になったので、かなり混むのではないかと思い念のため指定席で来ましたが、乗車率は50%ほどで快適な車内でした。
糸魚川を挟みつつ、直江津-妙高高原間を行き来したこの日は210円を払って自由席にも乗りましたけれど、余裕で窓側に座れたのでちょっと拍子抜け。
繁忙期で無い限り乗り具合はこんなものなのかな?
新潟-上越地区間には2015年3月ダイヤ改正まで、「北越」自由席往復プラス新潟-長岡間は上越新幹線自由席利用も可という「えちご往復きっぷ」が発売されておりましたけれど、ダイヤ改正後は新幹線利用不可で値段四割増しの「しらゆきWきっぷ」に、あえて言うと改悪。
「くびき野」も廃止されてしまったので、新幹線に関係ない層は本数が少なく運行時間帯が偏っている「しらゆき」よりも、毎時一本運行の高速バスの利用なんですかね?

旧脇野田駅付近の旧線跡?
踏切を渡って少し歩いたこの辺りが、脇野田駅移転に伴い撤去された、高田方面に伸びる信越本線の旧線跡ではないかと思うのですが?
近くには商業施設建設予定地の看板が立っておりましたけれど、確か上越市の方針で当駅周辺には大規模な商業施設は出店させないはずではなかったかと。
上越妙高駅周辺が、上越新幹線の燕三条駅界隈のような商業集積地になってしまったら、直江津や高田は完全に沈んでしまいますものね。
ひょっとして方針が変わったのでしょうか?

上越妙高駅の東西自由通路
駅周辺を一回りして、再び駅に戻ってきて自由通路へ。
新幹線が発着しない時間帯はこんな感じですが、ひとたび列車の出入りがあれば相応の人の行き来があります。

「光のテラス」から見た周囲の風景
西口にある「光のテラス」から見た周囲の風景。
ウィキペディアには冬に撮影した画がありますけれど、冬の方が画になりますなやはり。

えちごトキめき鉄道・上越妙高駅改札口
自由通路から見た、えちごトキめき鉄道・上越妙高駅改札口。
閑散としていた旧駅と異なり、特に新幹線到着前後は賑わっておりました。

改札内から見た様子
改札内から見た様子。

ホームへの階段と待合室
ホームへの階段と待合室。

新井方から見た上越妙高駅構内の様子
新井方から見た上越妙高駅構内の様子。
島式ホームでこれといった特徴は無し。

ホーム新井方先端から先を見る
同じ位置から新井方を見る。

ホーム直江津方から見た上越妙高駅構内
ホーム直江津方から見た上越妙高駅構内。
駅舎直下なのでこちら側からの見通しはすこぶる悪し。

ホーム直江津方先端から先を見る
同じ位置から直江津方を見る。
一番線の一線スルーがよくわかります。

夕刻のホーム中央部
夕刻のホーム中央部。

上越妙高駅から出発する特急「しらゆき」
上越妙高駅一番線から出発する、JR東日本から乗り入れの新井行E653系特急「しらゆき」と、二番線で客待ち顔の臨時快速「越乃Shu*Kura」。

上越妙高駅で待機中の快速「越乃Shu*Kura」
北陸新幹線からの乗り継ぎ客はあまりおらず、首都圏や北陸での知名度はイマイチなのかもしれない「越乃Shu*Kura」でした。

上越妙高駅に入線した特急「しらゆき」
直江津方から入線した、上越妙高駅始発の特急「しらゆき」。
当駅終着の「しらゆき」は、到着後折り返すまでホームに据えつけておくのか?でもダイヤを見るとその間に普通列車の交換もあるし...と疑問に思っていたわけですが、何のことはない清掃要員が乗り込んだ後、直江津方面に回送されておりました。

上越妙高駅に到着したET127系電車
上越妙高駅に到着したえちごトキめき鉄道・はねうまラインの直江津行ET127系電車普通列車。
新幹線からの乗り継ぎ客で相応の混み具合です。
ラインカラーが青なのに少々驚き。
トキ鉄のET127系って、トキ鉄カラーとJR時代の緑ラインの二種類じゃなかったっけか?

上越妙高駅で交換する上下のET127系電車
JRカラーのえちごトキめき鉄道所属ET127系電車二連同士の交換。
当駅の乗り場については、新井方面は全便一番からになります。
直江津方面も基本的に一番ですが、列車交換時は二番になります。

上越妙高駅で交換する特急「しらゆき」と115系電車
上越妙高駅に停車中の115系電車快速
上越妙高駅二番線で出発を待つ新潟行特急「しらゆき」と、JRから乗り入れてくる新潟発新井行の115系快速。
この快速は2015年3月まで走っていた485系快速「くびき野」の後身ですけれど、快適だった「くびき野」とは何もかもが違いすぎます...
JR東日本の115系運用もいよいよ終末段階に入ろうかというこの時期になって、150kmを越える長距離快速運用で一部のコアな方々を喜ばせたこの快速、二番線の「しらゆき」のすぐ後に新井折り返しで新潟行が来ますけれど、私はとてもソレに乗って新潟まで帰る根性はありませぬ。

上越妙高駅の自由通路から見た新幹線改札口の様子
ここからは北陸新幹線の上越妙高駅としてのご紹介。
自由通路から見た新幹線改札口の様子。
画像左側には「NEW DAYS」があります。
旧駅時代はコンビニ空白地帯だったこの地にも、ようやくコンビニが進出したのです。

改札内から見た改札口の様子
改札内から見た改札口の様子。
こういう事を書くと、シャベツニダ謝罪汁とか粘着されそうですけど、このハングル表記はどーにかならんのかと。
何故そこまで彼らに阿る必要があるのかと、ホントに違和感バリバリ。
ハングルよりもフランス語やスペイン語の方が余程良いんじゃないの?

改札側からホームへの入り口を見る
改札側からホームへの入り口を見る。

北陸新幹線・上越妙高駅構内の様子その一
北陸新幹線・上越妙高駅構内の様子その二
北陸新幹線・上越妙高駅の二面四線のホームの様子。
新幹線の駅は規格化されていて面白味に欠けますが、ホームドアがあるとますますその感強し。
特に新幹線は安全対策上ホームドアの設置は必要不可欠だと思うものの、駅マニアとしてはうーむと思ってしまいますなぁ。

上越妙高駅に到着したE7系・W7系新幹線電車
面白味の無い駅構内に比べて、やはりE7系・W7系はカッコいいの一言!
上越妙高駅から隣の糸魚川駅まで一駅乗車してみましたが、「しらゆき」同様予想よりもずっと空いていていささか拍子抜けでした。
乗車したのは「しらゆき」から接続していない便だからなのか、それなりの乗車がある東京行と違って金沢行は当駅からの乗車数名。

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2015年10月19日 (月)

南高田駅(えちごトキめき鉄道)

本日の駅紹介は、信越本線・南高田駅。

JR時代の南高田駅駅名標
Minamitakada1010916

新潟県上越市に所在する無人駅で、現在はえちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインの所属です。
開業は昭和36年(1961年)12月10日で、えちごトキめき鉄道の駅としては、上越妙高駅を脇野田駅の改称として捉えれば、最も新しい駅になります。
開業当時の所在は高田市で、高田市は昭和46年4月に直江津市と合併して県内第三の都市・上越市となって今日に至ります。

南高田駅に関しては北新井駅同様に、駅設置の経緯についての資料が皆無でしたので推測の域を出ませんが、北新井駅同様に区間運転の気動車列車用としてではないかと思います。
当駅は高田駅との距離は僅か2km、脇野田駅へは1.7km。
客車列車を牽引する蒸機の加減速性能では、当駅に停車していては運転時分が伸びてしまって、かつ単線区間とあっては優等列車のダイヤにも影響を及ぼしかねませんしね。
高田-新井間の平坦直線区間に気動車が走るのであれば、その点も相当に緩和されるでしょう。

上越市統計要覧によると、平成19年度の南高田駅年間乗車人員は26万9900人。
単純計算すると一日平均約740人です。
上越市内所在19駅中、直江津、高田両駅に次ぐ第三位で上越市の官庁最寄りの春日山駅や、旧柿崎町の玄関口で特急停車駅の柿崎駅よりも多いのです。
無人駅の場合は発券データが正確に計上されない為に実態と相違する場合アリとの但し書き付きですけれど、あの駅の佇まいを見るに信じられない利用状況なのです。
この利用の多さは、至近にある高田商業高校の学生利用が効いているのは明らかで、土曜の午後に学生たちがホームにずらりと座り込んでいるのを見た時は驚きましたw。
あんな(行儀の悪い)列車待ちはそうそうお目にかかれるものではありません。
いわゆるDQ・・・もといヤンチャ系の学生が多いと壷の某スレでその名を轟かす加茂駅や中条駅でもあそこまで酷くないですな。

南高田駅駅舎の様子その二

南高田駅駅舎の様子その一

Minamitakada1020916
南高田駅駅舎の様子、上は2013年5月、上は2004年9月、中は2013年5月、下は2016年9月撮影。
駅名板の昔の型からJR東日本定番型、そして現在のえちごトキめき鉄道型に移り変わっている以外は変わっていません。
開業以来の実用本位な建物です。
駅前の駐輪スペースには自転車が鈴なりで、当駅の利用状況を物語っています。

南高田駅駅舎内の様子
JR時代の南高田駅駅舎内の様子、2012年6月撮影。
画像奥には窓口跡らしきものがあるので、有人だった時期があったのではないかと推測するところです。
えちごトキめき鉄道移管後も、自動券売機が変わった以外は変化ありません。

駅舎ホーム側の様子
南高田駅駅舎ホーム側の様子、2004年9月撮影。
建物右端には男女兼用のトイレがあります。
内部は未確認なのですが、この時は故障に付き使用不可でした。

ホーム直江津方から見た南高田駅全景
棒ホームの高田駅方から見た南高田駅全景、2013年5月撮影。
えちごトキめき鉄道移管後も駅名標が変わった以外は変わっていません。
駅舎は道路に近い直江津方に偏った位置にあります。

ホーム直江津方先端から先を見る
同じ位置から高田駅方を望む、2013年5月撮影。
JRというよりは私鉄のような雰囲気です。

ホーム新井方から見た南高田駅全景
ホームの上越妙高駅方から見た南高田駅全景、2013年5月撮影。
ホームの有効長は6両です。
2006年11月時点ではホーム上に駅名標が設置されていましたが、2010年5月に再訪した時には撤去されていて、えちごトキめき鉄道移管後もそのままです。

ホーム新井方先端から先を見る
同じ位置から上越妙高駅方を望む、2013年6月撮影。
駅の両側は宅地です。

Minamitakada1030916
南高田駅に停車中のET127系電車直江津行、2016年9月撮影。
直江津-妙高高原間において、JR時代の115系電車や189系電車に変わる鉄路の新たな主役です。

Minamitakada1040916
南高田駅を出発して、上越妙高駅に向けて加速するET127系電車妙高高原行、2016年9月撮影。

南高田駅を出発する485系電車T編成の快速「くびき野」
南高田駅を出発する485系電車T編成の新潟行快速「くびき野」、2012年6月撮影。
「くびき野」や「妙高」は当駅のホーム有効長一杯に停車するので、撮影のチャンスは停車直前もしくは発車直後。
しかし485系にしろ189系にしろ、快速や普通列車としてこの小駅に停車するなど、国鉄時代は考えられない話ですな。

南高田駅を発車する189系電車「妙高」
南高田駅を発車する189系電車長野行「妙高」、2013年5月撮影。
この時は日曜の午前中なのでホームに人気はありませんでしたが、最初に撮影を試みた土曜の午後は学生が鈴なりでとても撮影出来る状態ではありませんでしたな...

南高田駅に停車中の115系電車
南高田駅に停車中の115系電車直江津行、2013年5月撮影。
このカラーの電車が当駅に停車する光景も、「くびき野」「妙高」共々過去帳入りになりました。

南高田駅を出発する115系電車
南高田駅を出発する新潟色の115系電車、2006年11月撮影。

南高田駅至近の道路の様子
南高田駅至近の道路の様子、2013年5月撮影。
この道を1km弱真っ直ぐ進むと、高田市街地へ至る県道に出ま
す。

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2015年10月18日 (日)

高田駅(えちごトキめき鉄道)

本日の駅紹介は、信越本線・高田駅。

高田駅の駅名標
Takada0401015

新潟県上越市に所在する有人駅で、現在はえちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインに所属しています。
開業は明治19年(1886年)8月15日。
新潟県内初の鉄道が関山-直江津間開通と同時の開業で、関山、新井、直江津の各駅と共に新潟県内最初の鉄道駅であります。

高田駅の開業は明治憲法下での町村制が施行される以前の話なので、高田藩15万石の城下町であった高田地域は多数の自治体に細分化されていて、高田駅の当時の所在は地元民ではない私には判断しかねるのですけれど、ともかく高田地域は明治22年の
町村制施行により中頚城郡高田町になります。
市制を施行したのは明治44年で、新潟県では新潟市、長岡市に続く三番目という流石は譜代藩の後身というべきでしょう。
高田市は戦後に至るまで県内第三の都市として、上越地方の中心的存在でしたが昭和46年に隣接する直江津市と合併して新自治体「上越市」となり今日に至ります。
ウィキペディアを見ると合併当時の両市の人口は直江津約四万五千に対して高田は約七万五千。
直江津駅と高田駅周辺を歩くと、元々の人口規模の差は現在でも明らかで、駅前商店街の規模は後者が圧倒しています。

JR東日本によると、高田駅がJR所属時代の2013年度一日平均乗車人員は2,410人でJR東日本新潟支社管内有人75駅中18位。
越後線・巻駅と同レベルになります。
3位の六日町駅と6位の犀潟駅は北越急行ほくほく線の通過旅客もカウントした大幅水増しなので、実質的に高田駅は16位ということになります。
この利用状況ゆえか、えちごトキめき鉄道に移管される駅の中では起点の直江津駅を除けば唯一自動改札機が設置されていたのが当駅でしたけれど、移管に伴って撤去されてしまい、有人改札に逆戻りしてしまったのです。

高田城をモチーフにした高田駅駅舎
高田城をモチーフにした高田駅駅舎、2010年5月撮影。
建築財産票を見つけられなかったので、完成年月日は不明なのが実に遺憾でした...。
資料を色々当たると、高田駅舎は昭和27年に県内初の鉄筋コンクリート製駅舎として完成とあったので、その駅舎をリニューアルしたのが今日の姿ということなのでしょうか?

雁木通りをモチーフにした高田駅前の様子
雁木通りをモチーフにした高田駅前の様子、2010年5月撮影。
実際の駅の規模は地方中規模都市のそれで特段大きいわけではないのですが、ここを見た限りでは大駅と錯覚しそうな威容です。

一番ホームから見たJR時代の駅舎内の様子
1番ホームから見たJR時代の高田駅駅舎内の様子、2010年5月撮影。
向かって左手に待合室とNEWDAYSがあります。
訪問時には駅至近にコンビニやスーパーはありませんでしたから、駅ナカのNEWDAYSが唯一の買い物スポットでした。
待合室内のベンチは16脚で、訪問したいずれの日もお年寄りで満席といった具合。

えちごトキめき鉄道移管後の高田駅駅舎内の様子
現在の高田駅駅舎内の様子、2015年10月撮影。
えちごトキめき鉄道移管に伴い撤去された自動改札撤去跡には、昔の改札風の木製の柵が設置されています。
それ以外は大きな変化無し。

一番ホームの駅舎と跨線橋周り
高田駅1番ホーム(妙高高原方面乗り場)の駅舎と跨線橋周り、2012年6月撮影。
以前の跨線橋はホーム直江津方の端に設置されていましたが、駅設備のバリアフリー化事業に伴って改札口近くにエレベーター併設の新跨線橋が2010年に作られました。
それに伴い古びて味のある旧跨線橋は解体されています。

一番ホーム春日山方から見た高田駅構内
1番ホームの春日山駅方から見た高田駅構内、2012年6月竣工。
189系「妙高」の指定席車乗車案内板に注目。

一番ホーム春日山方先端から先を見る
同じく春日山駅方を望む、2012年6月。

一番ホーム南高田方から見た高田駅構内
1番ホームの南高田駅方から見た高田駅構内、2012年6月撮影。
画像右手に貨物ホーム跡が見えます。
当駅の貨物取り扱いは国鉄末期の昭和59年に廃止されました。

一番ホーム南高田方から先を見る
同じ位置から南高田駅方を望む、2012年6月撮影。

高田駅の新跨線橋上から長野方を望む
新跨線橋上から長野方を望む、2014年6月撮影。

高田駅の新跨線橋上から直江津方を望む
同じく直江津方を望む、2014年6月撮影。

高田駅の旧跨線橋上から直江津方を望む
旧跨線橋上から直江津方を望む、2010年5月撮影。
駅構内の広さを把握するのには、こちらの方が良かったですな。

二番ホーム長野方から見た高田駅構内
2番ホーム(直江津方面乗り場)の長野方から見た高田駅構内、2010年5月撮影。
画面奥に旧跨線橋がチラリと映っています。

高田駅三番ホームの様子その一
高田駅三番ホームの様子その二
高田駅3番ホームの様子、2010年5月撮影。
高田駅では定期列車は1、2番線を使用していて、三番線は当駅折り返し用になっておりますけれど使用されるのは稀です。
かつて当駅発着だった特急「みのり」はこのホームで折り返していたのでしょう。

高田駅島式ホームの新跨線橋近くの様子
高田駅島式ホームの新跨線橋近くの様子、2012年6月撮影。
ベンチは三番線に背を向けているあたり、三番ホームの使用頻度を当局がどのように考えているのか推察できそうです。

高田駅島式ホーム直江津方の様子
高田駅島式ホーム直江津方の様子、2012年6月撮影。
今は更地になっているホーム先端に旧跨線橋は置かれてありました。

特急「しらゆき」の乗車口案内板
特急「しらゆき」の乗車口案内板、2015年10月撮影。
皮肉にも、えちごトキめき鉄道移管に伴って高田駅発着の特急列車が12年と三ヶ月ぶりに復活することになりました。

春日山方踏切から見た旧跨線橋時代の高田駅構内
春日山駅方踏切から見た旧跨線橋時代の高田駅構内、2010年5月撮影。
ホームと旧跨線橋の位置関係がよくわかります。

春日山方踏切から見た新跨線橋完成後の高田駅構内
同じ位置から新跨線橋完成後の高田駅構内を見る、2013年5月撮影。

長野方踏切から見た高田駅構内の様子
南高田駅方の踏切から見た高田駅構内の様子、2010年5月撮影。

高田駅を出発する485系電車T編成の快速「くびき野」
高田駅2番線から出発する485系電車T編成の新潟行快速「くびき野」、2014年6月撮影。
上越地区から帰宅する際は、繁忙期以外はガラガラの「くびき野」指定席でマッタリと殿様気分が私のささやかな楽しみでしたけれど、これも思い出の彼方。
現在の特急「しらゆき」は特に帰路、時間帯が偏っていて不便なのよね。
その点高速バスだと新潟まで2000円で特急料金よりも安いし本数も多いから、「くびき野」が走っていた時には全くノーマークだったのが俄かに帰宅の有力選択肢になっているのです。

高田駅に到着した国鉄特急色の189系電車「妙高」
高田駅に到着した国鉄特急色の189系電車直江津行「妙高」、2014年6月撮影。
最後に「妙高」を撮ったのがこの日で、この後赴いた関山二本木新井脇野田各駅でもやはり国鉄特急色の「妙高」でした。

高田駅で交換する189系電車「妙高」と115系電車
高田駅で交換する直江津行189系電車「妙高」と115系電車長野行、2013年5月撮影。

高田駅で交換する115系電車
高田駅で交換する115系電車の長野行と直江津行、2012年6月撮影。
この光景も過去帳入りになりました。

高田駅を出発する「くびき野」送り込みの485系電車
高田駅を出発する「くびき野」送り込みの485系電車T編成普通列車新井行、2014年6月撮影。
指定席とグリーンは締め切り扱いでした。

高田駅に入線する快速「越乃Shu*Kura」
使用頻度の少ない高田駅三番線に発着する、快速「越乃Shu*Kura」の入線の様子。
2014年6月撮影
酒には強いものの日本酒は苦手な私は悪酔いしそうですが、車中で地酒を振舞われるという金土休日運転の気動車列車です。
しかし私はこの手の列車には全く興味ナシ。
磐越西線の「ばんえつ物語号」や羽越線の「きらきらうえつ」もそうなのですけれど、列車に乗る事そのものがコンセプトのような、日常活動に立脚していない列車には魅力を感じないのです。
北陸新幹線開業のダイヤ改正で、この列車は上越妙高駅発着に変更になったので、当駅3番線が運用されることもまた稀になったのでしょうね。

ほくほく線からの直通列車と交換するE653系電車特急「しらゆき」
ほくほく線からの直通列車と交換するE653系電車新潟行特急「しらゆき」、2015年10月撮影。
秋の快晴の逆光気味がツライです...

高田駅を出発するE653系電車特急「しらゆき」
高田駅を出発するE653系電車特急新潟行「しらゆき」、2015年10月撮影。
午前中の撮影は、ホーム新井方にポジションを取る方が良いです。

高田駅に到着したE653系電車特急「しらゆき」
高田駅1番線に到着した午後の上越妙高行E653系電車特急「しらゆき」、2015年10月撮影。

高田駅で交換するET127系電車
高田駅で交換する、えちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインの主力車両ET127系電車の普通列車、2015年10月撮影。
この三月まで私の住まいの駅では当たり前の存在だったこの電車。
走っていた頃は空気みたいな存在でしたけれど、半月強経ってこの上越の地で再会すると懐かしさがこみ上げてまいりました。
ちなみに二連の場合は乗り降りに便利なように跨線橋近くに停車するので、撮影の際はホーム直江津方先端部に位置するのがベストかと思います。
そうなると順光で撮影出来る時間は限られてしまうのですが。

高田駅前通りの様子
高田駅前通りの様子、2010年5月撮影。
前述したように当時駅至近にはスーパーもコンビニも無く、唯一集客力のあったデパート「大和」もこの撮影日の前月に閉店してしまいました。

高田城三重櫓
高田駅から2kmほど東にある観光スポット「高田公園」。
かつての高田城跡に作られた公園で、日本三大夜桜に数えられる桜の名所でもあります。
花見の時期には新潟-高田間に特急車両使用の臨時快速列車が運行されております。
画像は復元された高田城三重櫓、2010年5月撮影。

高田城三重櫓上から見た風景
高田城三重櫓上から見た風景、2010年5月撮影。
実はもっと雄大な景観を期待していたので、この見通しの悪さは少々残念。

高田公園内の堀とその先の山々
高田公園内の堀とその先の山々、2010年5月撮影
三重櫓上よりはこちらの風景の方が、私的には良いですな。

旧帝国陸軍第13師団師団長官舎その一
旧帝国陸軍第13師団師団長官舎その二
旧帝国陸軍第13師団師団長官舎その三
高田公園から少々遠回りして駅に戻る道すがらにある、
旧帝国陸軍第13師団師団長官舎、2010年5月撮影。
見学は無料で、訪問時の開館時間は午前9時から午後4時半。
明治時代のモダンな建築を仔細に観察できます。
師団関連の資料を充実させて有料にすればいいのにと、部外者は思うところであります。

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2015年10月12日 (月)

妙高高原駅(えちごトキめき鉄道)

本日の駅紹介は信越本線・妙高高原駅。

Myokokogen001
Myokokogen0281015

新潟県妙高市に所在する有人駅で、現在は第三セクター「えちごトキめき鉄道」の管轄で「しなの鉄道」が乗り入れています。
開業は明治21年(1888年)5月1日で、当時の駅名は「田口」。
現駅名に改称したのは昭和44年(1969年)10月1日。
当駅は新潟県内の鉄道駅では上越線・土樽駅に次ぐ標高の高さ(510m)を誇り、高原の名に相応しい立地であります。 開業時の田口という駅名は、当時の駅所在地が中頚城郡妙高村田口であったことに由来しています。
なお、こちらの妙高村は、隣の関山駅が所在していた妙高村とは異なり、明治34年に周辺諸村と合併して「名香山村」となり、戦後の昭和30年に「妙高々原」村に改称。
さらに隣接村と合併して町制を施行、昭和44年に「妙高高原町」に改称という経緯を辿ります。
妙高高原町は温泉と冬季レジャーでその名を広く知られる存在でしたけれど、平成の大合併では新井市に編入される形で新自治体「妙高市」の南部地域となって今日に至ります。 さてこの地に鉄道を敷設するにあたって、当局は駅予定地として北国街道の宿場がある関川地区を考えていたのですが、鉄道が敷設されては街道の機能が低下し宿場が廃れるという極めて保守的な理由から地元の反対に遭い、已む無く現在地で開業という成り行きに。
しかし鉄道が開業すると、客貨共に輸送は全面的にシフト。
宿場が廃れるからと反対して駅設置を阻止したというのに、逆に駅が置かれなかったせいで一気に廃れてしまったそうです。
鉄道の有用性がまだまだ認知されていない山間地域であったとはいえ、時流に乗らない代償は極めて高くついたわけです。 こうした経緯で開業した田口駅でしたが、周辺人口が少ないのと観光も赤倉温泉以外はまだまだ未開発だったこともあり、戦前は温泉に加えて陸軍の演習場が近くにある隣の関山駅の方が賑わっていたそうです。
しかし戦後の周辺リゾート・レジャー開発でそれも逆転。
上野からの優等列車が続々停車する信越本線の主要駅へと変貌していったのです。
手元にある昭和55年10月改正ダイヤの時刻表を見ると、妙高高原駅発着対上野の優等列車の時刻は下記の通り。

下り
急行越前     福井行  01:58
2321レ    直江津行 06:19
(長野まで急行妙高6号)
急行妙高1号   直江津行 10:55
急行妙高3号   当駅終着 12:43
特急白山1号   金沢行  13:13
特急白山3号   金沢行  15:11
特急白山5号   金沢行  18:42
急行妙高5号   直江津行 19:54
特急あさま15号 直江津行 20:40

上り(全列車上野行)
急行越前    福井発  01:35
特急あさま6号 直江津発 08:02
特急白山2号  金沢発  09:55
急行妙高2号  直江津発 11:31
特急白山4号  金沢発  12:55
急行妙高4号  当駅始発 13:25
特急白山6号  金沢発  16:54
急行妙高6号  直江津発 17:14
2322レ   直江津発 22:38
(長野から急行妙高10号)

優等列車はその他に、新潟-名古屋間の急行赤倉1往復、新潟-上田間に急行とがくし2往復が停車していて、実質21往復。
信越本線長野-直江津間の優等列車全てが停車する駅は、高田駅とここ妙高高原駅。
特急白山は通過する新井駅よりも、当駅の方がランクは高かったのです。
なお当駅発着の普通列車は上下18本で、普通よりも優等の方が運転本数の多い地方幹線の小典型でもありました。

JR東日本によると、妙高高原駅がJR所属時の2013年度一日平均乗車人員は373人。
JR東日本新潟支社管内有人75駅中59位で、信越本線・安田駅と同レベル。
至近の高校の通学生メインで観光要素皆無の安田駅と同等の数字は、周辺人口が少ない事に加えて観光需要の大幅減退ぶりを冷徹に物語っているようです。
ウィキペディアによれば、2000年度は644人。
長野新幹線開業後でもこの数字ですから、開業以前に上野から特急「白山」「あさま」で直接来れた頃はさらに多かったのは確実なのです。

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妙高高原駅駅舎全景、2009年7月撮影。
平屋の横長な駅舎は昭和38年12月の完成。
現在の利用実態では無意味に大き過ぎます。
築半世紀を越えてもおり、近い将来に改築になるのでしょうけれど、その時はずっとこじんまりした建物になるのは必至かと。

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妙高高原駅駅舎出入り口の様子 2004年4月撮影。
名にしおう豪雪地帯の駅ゆえに、屋根の厚さが目を引きます。
出入り口の佇まいは正調国鉄型。
タクシー数台が常に待機しているのは、かつて栄えた観光拠点駅の確かな余韻であります。

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妙高高原駅駅舎内部の様子、2009年7月撮影。
昔懐かしい「みどりの窓口」の案内板も、えちごトキめき鉄道に移管と同時に無くなってしまったようです。
下の画像撮影の時点ではキオスクが健在でしたけれど、一昨年(2013年10月)に訪れた際には撤退してしまっていました。

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1番線の黒姫駅方から見た妙高高原駅構内、2013年10月撮影。
かつてはこのホーム長一杯に、食堂車付きの12連「白山」が停車していたのです。
上越線の越後湯沢駅と並ぶ、実に寂寥感溢れる眺めなのであります、兵どもが夢の後...。

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同じ位置から黒姫駅方を見る、2013年10月撮影。
この先の急勾配が一見してわかります。

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妙高高原駅1番ホームの駅舎部分、2013年10月撮影。
日曜の昼下がり、間もなく列車が到着するというのに客の影もありません。

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1番ホームの関山駅方から見た妙高高原駅構内、2013年10月撮影。
右側に貨物ホームと側線が見えますが、当駅の貨物取り扱いは昭和53年6月に廃止。
観光拠点駅として賑わってはいても、地元の物流量は町の規模(人口一万人未満)に相応しいレベルでしかなかった証なのでしょう。

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同じ位置から関山駅方を見る、2013年10月撮影。

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妙高高原駅跨線橋内部の様子、2013年10月撮影。
当駅のかつての賑わいの生き証人が、この通路の広さと言えましょうか。
中央に見える案内板は、かつての優等列車の残照であった189系電車使用の普通列車「妙高」の乗車案内です。

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跨線橋上から長野方を見る、2013年10月撮影。
駅舎の屋根同様に、ホーム上屋も頑丈な造りなのが観察できます。

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同じく直江津方を見る、2013年10月撮影。

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2番ホームの直江津方から先を見る、2013年10月撮影。
随分前に廃止された「シュプール号」の名残が未だ残存。
三セク化された今でも残っているでしょうか?...
なお2番ホームはJR所属当時は当駅折り返し用で、2013年10月時点では長野行が三本、直江津行が一本発着しておりました。
三セク移管後はしなの鉄道・北しなの線用になっているとの事。

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3番ホームの関山駅方から見た妙高高原駅構内、2013年10月撮影。
JR時代は長野方面行だった3番線は、三セク移管後えちごトキめき鉄道・妙高はねうまライン用になっているとの事。

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3番ホームの黒姫駅方から見た妙高高原駅構内、2013年10月撮影。

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島式ホーム跨線橋出入り口付近の様子、2013年10月撮影。
妙高高原駅では、現在は2番に長野方面、3番に直江津方面の列車が発着して乗り換えの手間を極力廃して、、しなの鉄道とえちごトキめき鉄道が相互乗り入れを実施していない現状を出来る範囲でカバーしています。

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妙高高原駅3番ホームの「妙高」指定席車乗車表示板、2004年4月撮影。
私は「妙高」の指定席乗車体験が無いのですが、いつ覗いても見事なまでにガーラガラでしたな...
繁忙期のピーク時以外はそれが常態だったようです。
長野駅で新幹線から乗り継ぐ人も、指定料金は乗り継ぎ割引の適用外ですから有り難味も無いでしょうし。
自由席からして、私の乗車経験では概ね乗車率五割切ってる感じでしたしね。
三連115系が常に混んでいて、途中駅からの乗車ではまず座れなかったのとは好対照でしたっけ。
2013年10月に直江津駅から当駅まで乗車した際は、新幹線開業以前にここまで来る事は無いだろうからと、最後に一度指定に乗ってみたかったのですけれど、直江津駅の指定券自動券売機では「妙高」の指定券が買えない!
窓口はジジババが旅行センター代わりにベチャクチャしていていつ買えるか判らないし、まぁええわと断念してそれっきりでしたなぁ。

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かつては観光客で賑わった妙高高原駅のかつての賑やかさの余韻の一つか? 臨時改札口?の跡。2013年10月撮影。
団体さんはここから外に出て送迎バスに乗り込んでいたのでしょうか?
上部の白紙の案内板っぽいのは、旅館やホテルの案内掲示跡?

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妙高高原駅1番線に到着した189系電車の直江津行「妙高」、2009年7月撮影。

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3番ホームを出発した189系電車の長野行「妙高」、2013年10月撮影。

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3番線に到着した115系電車長野行、2004年4月撮影。

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妙高高原駅1番線に到着した115系電車直江津行 2013年10月撮影。

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妙高高原駅前の様子、2009年7月撮影。
撮影時点では駅前にみやげ物店が三軒と食堂二軒と喫茶店一軒という具合。
付近にはさらにヤマザキショップと食堂が各一軒。
駅は周辺観光地へ向かうバスやタクシーと鉄道の結節点としての役割です。
当駅から赤倉、池の平方面へのバスダイヤはこちらへ→ 頸南バス(株)

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妙高高原駅前通りの様子、2009年7月撮影。
画像中央に小さく映っているのが妙高高原駅です。
駅から6分ほど歩いた先がこんな感じです。
民家と小さな個人商店が混在していて、集客力のある店舗は皆無でした。

えちごトキめき鉄道移管後は直江津-長野間直通運転も無くなり、観光客は恐らく新幹線長野駅からバスで現地へ直行。
長野県側のしなの鉄道との乗り換え・運行拠点としての機能しか見出せなくなってしまいそうなこの妙高高原駅。
新幹線金沢延伸の陰で寂れる並行在来線の象徴のような駅ですが、時間があればぜひ一度降り立って、過去の栄光の日々に思いを馳せていただきたく存じます。
どう頑張っても後ろ向きの事しか言えないのが遺憾なのですが、他にどうしようもないじゃないの...

2015年10月18日追記
先日、えちごトキめき鉄道移管後の妙高高原駅を実見してきました。

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第三セクター「えちごトキめき鉄道」移管後の妙高高原駅駅舎正面の様子。
駅名板は当然のことながら、えちごトキめき鉄道のそれに変更。

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えちごトキめき鉄道移管後の妙高高原駅駅舎内の様子。
みどりの窓口表示が無くなった以外は、JR時代とさしたる変化は無し。
土曜夕刻ですが、人気無くガランとしてました。

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妙高高原駅3番線に折り返し待機中の、えちごトキめき鉄道所属ET127系電車。
前述したように当駅の乗り場はJR時代と異なっていて、2番がしなの鉄道専用、1番と3番がえちごトキめき鉄道専用です。
ただし、1番が使用されるのは一日四回のみ。
2015年12月訪問時点では、発車時刻は07:11、09:33、18:34、20:33です。

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妙高高原駅2番線に到着したしなの鉄道北しなの線所属の115系電車。
こちらは三連ですが、ガラガラなのはえちごトキめき鉄道ET127系と同様。

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跨線橋上から見た、折り返し待機中のしなの鉄道所属115系電車。

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2012年3月17日 (土)

二本木駅(えちごトキめき鉄道)

本日の駅紹介はえちごトキめき鉄道・二本木駅。

2017年3月12日記、画像貼り替え及び加筆修正を実施しました。

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新潟県上越市に所在する有人駅で、開業は明治44年(1911年)5月1日。
今や日本で僅少となったスイッチバック式の停車場であります。
永らく国鉄/JR東日本の信越本線の駅として歩んでまいりましたが、2015年3月14日に第三セクター鉄道の「えちごトキめき鉄道」に移管されて、同鉄道の「妙高はねうまライン」の駅に転じて今日に至ります。
駅開業当時は東頸城郡中郷村の所在で、同村唯一の停車場にして玄関駅でありました。
中郷村は明治22年に発足以来、116年間もの長期に渡って他自治体との合併も無く単独で存在し続けていましたが、平成の大合併の荒波には抗えずに2005年に上越市に編入されて、その南端地域となり今日に至ります。
なお、旧中郷村の北隣の旧新井市は旧中郷村の南隣の旧妙高村・旧妙高高原町と合併して新自治体・妙高市になった為に、中郷地域は上越市の飛び地のような状態になって、妙高はねうまラインでは直江津駅から上越妙高駅まで上越市内、次の北新井新井両駅は妙高市、そして二本木駅はまた上越市内と部外の訪問者が戸惑うような形になっています。

さて二本木駅周辺はスイッチバックが物語るように、千分の二十五という急勾配区間にあったのが災いして、明治19年(1886年)に官鉄・直江津-関山間が開業した当初は停車場設置が見送られて、その後の中郷村他周辺諸村連名の停車場開設請願も色良い
返答は得られなかったそうです。
その後、日露戦争中の明治38年(1905年)に、東頸城地域の中心地である高田町(現・上越市)が、新編された帝国陸軍第13師団所属の歩兵連隊の駐屯地に選ばれると、中郷村側は当地の農産物を鉄道で駐屯地に輸送納入する利便性を主張。
ついにそれが当局に受け入れられて、二本木停車場開業となった次第です。
二本木停車場開設のきっかけになった第13師団は、大正14年(1925年)に軍縮で一旦廃止されてしまったので、二本木停車場もその存在価値の大半を失って凡百のローカル駅同様の衰退の道を・・・という訳にはいかなかったのが当駅の実に幸運なところでありました。
電力が豊富な事(恐らく当地域東側に流れる関川流域の水力発電の事だと思われます)や賃金の安さ、勾配を利用した製品工法採用により、大正8年(1919年)にまず日本
電炉(後に日本曹達と合併)、翌年に日本曹達が現在も操業している日本の電解ソーダ製造の草分けである二本木工場を建てた事で、原材料や製品の輸送が当駅から分岐する専用線から盛んに行われるようになりました。
「勾配を利用した製品工法」というのを少し説明すると、貨物線の脇が崖で谷のようになっていて、材料の原石を貨車から流し落としてその途中で砕石・溶解して、下に滑り落ちてきた時には製品になっているという仕組みだそうです。
すべり台の上から材料を落としたら下に落ちてきた時には製品になっているというイメージでしょうか、その辺は全くの門外漢なので資料を読んで理屈ではわかっても実感としてはイメージが今一つ湧いてきませんです・・・。
貨物線の脇が崖というのは、後述の駅前通りを貨物線の行き止まりの方へ進んでいくと、やがて線路が道路より随分高台になって生い茂る草木も相まって、路上から貨物線の様子を見る事が出来ないのを実地で確認済みですのでよくわかるのですけれど。 現在は専用線からの貨物列車運行も廃止されて(2007年3月)、スイッチバックの駅として好事家の注目を集めている以外は、通学の足生活の足としての地味なローカル有人駅になっています。
JR東日本によると、二本木駅が同社サイトに載っていた最後の年の2013年度の一日平均乗車人員は150人で、同社新潟県内有人75駅中70位。
当駅よりも下位にいるのは上越線・石打駅、信越線・脇野田駅、飯山線・津南駅、羽越線・府屋駅、そして米坂線・越後下関駅。
「スイッチバックの駅」としての知名度が無かったら、貨物営業終了と同時に無人化されてしまいそうな危ない位置にあったのですよ。
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二本木駅駅舎の様子、上2枚はえちごトキめき鉄道に移管後の2016年9月、一番下の画はJR東日本時代の2009年7月撮影。
えちごトキめき鉄道に移管後も、駅名板が変わり上屋を支える柱が補強?されている以外はJR時代と変わっていませんでした。
建築財産票によると、明治43年(1912年)9月の竣工。
新潟県内の鉄道駅舎として最古なのがこの駅舎。
わかりやすく言うと、帝国海軍初の超ド級巡洋戦艦「金剛」が竣工する前年にこの建物は完成しているのです。
駅舎は駅開業の約八ヶ月前に完成していた事になりますが、冬場の工事が無理なのを勘案しての前倒しだったのでしょうな。

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二本木駅駅前広場の様子、2016年9月撮影。
広場というよりは幅の広い生活道路がそのまま駅前広場という風情です。
JR時代と同様にタクシーの待機は無いようでした。

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駅前広場から駅前通り方を見る、2009年7月撮影。
広場と通りの間合いは僅かです。

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二本木駅前広場横の駅前駐車場、2009年7月撮影。
立て札には「通勤者の利用お断り」。
駅前周辺の買い物客と来訪者用との事でした。
パーク&ライドの真逆を行くものですな。
しかし買い物客って言っても、買い物する店自体がほとんど無いのに・・・。
・・・とは言っても、立て札は草に覆われて私のような好事家が近くに行って見なけりゃ何が書いてあるかわからない有様なのです。
あれでは皆、何も知らずに停めるだろうなぁ。

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二本木駅前通りの様子、2016年9月撮影。
上の画は旧新井市中心部方面、下の画は踏切及びその先の旧北国街道方面です。
通りには、かつては日本曹達御用達だったと感じられる旅館一軒と信金、雑貨店、酒屋という具合で、元商店らしき造りの空き家が目立ちます。
この通りを初めて歩いた2004年4月と、その様子はほとんど変わっていません。
唯一と言って良いほどの変化があったのは、かつてこの通りを走っていた路線バスが、現在では廃止されてデマンドの乗合タクシーになってしまった事です。
中郷村界隈と旧新井市中心部を結んでいた路線バスの廃止により、来訪者が気軽に利用できる公共交通機関は妙高はねうまラインのみとなりました。

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JR所属時代の二本木駅駅舎内部の様子、2009年7月撮影。
この時点での窓口営業時間は7時20分~17時50分。
室内には自動券売機とタバコの自販機が設置されていました。
高い天井と上部の明かり窓が古い時代の建物である事を雄弁に表しているような。
汽車の停車場の雰囲気満点でありました。

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JR所属末期の二本木駅駅舎内部の様子、2014年6月撮影。
室内空間は壁で仕切られ半分になってしまっていました。
それまでが広々としていただけに、随分窮屈になってしまった感強し。
しかし利用状況を考えれば、これでもまだ恵まれている方でしょう。
この古い駅舎に今更手を入れるとは、ひょっとして壁の向こう側にこじんまりとした新駅舎を建てるつもりなのでは!?と思ったものです。

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えちごトキめき鉄道に移管後の二本木駅駅舎内部の様子、2016年9月撮影。
心配した壁の向こう側は喫茶店の「なかごうさとまる~む」になっていました。
ただし営業日は第二、第四日曜日のみ。
この日は土曜日で、中には入れましたが誰もおらず単なる休憩所扱いでした。

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「なかごうさとまる~む」内に展示されているNゲージのレイアウト、2016年9月撮影。
二本木駅を模したと思われます。

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二本木駅駅舎から島式ホームへ続く地下道への通路の様子、2009年7月撮影。
JR時代の画ですが、上屋も柱は明治の造り、案内板は国鉄様式で実に味があります。
子供の頃に見た母の実家の倉がこんな感じで、個人的には実にノスタルジックなのであります。
ちなみに下の画の右側のドアがトイレです。

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島式ホームとの連絡地下道出入り口の様子、上はJR時代の2009年7月、下はえちごトキめき鉄道移管後の2016年9月撮影。
下の画ではそれまでの少々安っぽい感じの内壁(というよりも風除け板)に手が入れられて、アンティーク感を出しています。
古い駅舎にイメージを合わせた演出のように見えますな。

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二本木駅駅舎と島式ホームとの連絡地下道の内部の様子、2009年7月撮影。
えちごトキめき鉄道に移管後はJR関連の広告が無くなって寂しくなった他駅の跨線橋内部と違って、当駅連絡地下道の場合は逆に宣伝チラシの張り出しが増えていました。
まぁこの画を見ればわかるように、JR時代は近隣諸駅と比べて殺風景過ぎたのですけれど。

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駅舎との連絡地下道出入り口から見た、二本木駅島式ホームの様子、2016年9月撮影。
優等列車の停車しない駅のそれとしては、際立って長大な上屋です。
ホームの先では子供たちの人だかりが出来ていて、ホーム上では物産品の出店が。
一体何事か?といぶかしんでいたら、えちごトキめき鉄道のリゾート列車「雪月花」向けのイベントでした。
しかしここで営業をかけても、「雪月花」の乗客にどれほどの注目を集めさせることができるかどうか。
「雪月花」は私が乗車する普通列車との列車交換で入線してきたので、残念ながら撮影は出来ず。
普通列車の乗客の視線は、一斉に「雪月花」に注がれていました。
列車と言えばET127系電車ばかりで地味色一色のこの界隈では、一般人にも相当のインパクトを与える列車のようです。

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島式ホーム上の記念撮影用立て看板、2016年9月撮影。

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JR時代の二本木駅島式ホーム側の地下連絡道出入り口の様子、2009年7月撮影。
「出口」の案内板の風情が実に良いのです。

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JR時代の二本木駅構内を本線側から見る、2009年7月撮影。
画像中央がホーム上の待合室です。

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ホーム端からスイッチバックの本線方を見る、上は2005年10月、下は2016年9月撮影。
上の画の時点では、二本木駅の貨物営業はまだ健在でした。
画像右側には日本通運所属入換用ディーゼル機関車とその車庫が見えます。
当駅の貨物取扱は2007年3月に廃止され、入換用機関車の車庫は2009年7月時点で既に撤去されていて、現在(下の画)は側線にかつての盛況ぶりを見出すのみに。

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スイッチバックの線路配置は見ても見飽きたらない魅力であります、2005年10月撮影。

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二本木駅の島式ホーム中程からスイッチバックの行き止まり方を見る、2016年9月撮影。
画像右側の建物が駅舎ですが、以前と異なり上屋を支える柱の間に風除けが付けられています。
これで風雪雨の厳しい日でも、安心して駅舎から地下道出入り口まで移動できるようになりました。

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二本木駅の島式ホーム中程から本線方を見る、2005年10月撮影。

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駅構内に残る明治期から?のレンガ小屋、2009年7月撮影。

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島式ホーム上の待合室内部の様子、2009年7月撮影。
駅舎内部の待合空間が小さくなった今日では、こちらの方が広々としています。

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二本木駅の島式ホームの行き止まり方の様子、上は2004年4月、下は2016年9月撮影。
画像左側の木々の向こうが、現在も盛業の日本曹達二本木工場です。
上の画では画像奥に黄色いタンク車が多数留置中。
下の画の段階では二本木駅の貨物営業終了から9年半で、かつては貨車で賑わった側線群もすっかり廃線の様相。
貨物営業時代にホーム端にあった小屋は、2009年7月訪問時点で既に撤去されていました。
えちごトキめき鉄道の規模ではここに車両基地を移すのも無駄な事でありましょうし、今後はこの旧貨物駅の空間をどう活用していくのかですな。

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二本木駅に停車中のET127系電車妙高高原行、2016年9月撮影。

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二本木駅を出発したET127系電車、2016年9月撮影。

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二本木駅に停車して、リゾート列車「雪月花」の到着待ちのET127系電車直江津行、2016年9月撮影。
2017年3月改正ダイヤでは、夜間に直江津-二本木間の区間列車が1往復設定されています。

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二本木駅に到着した115系電車直江津行、2014年6月撮影。

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二本木駅で189系電車長野行の「妙高」と列車交換する115系電車直江津行、2009年7月撮影。

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二本木駅に停車中の189系電車直江津行「妙高」、2009年7月撮影。

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二本木駅を出発した189系電車国鉄特急色の「妙高」長野行、2014年6月撮影。
私が当駅で189系電車を見たのはこれが最後でした。

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二本木駅構内に進入する189系電車直江津行「妙高」と、貨物線で待機中のEF64形電気機関車牽引の貨物列車、2005年10月撮影。

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二本木駅構外から見た、貨物線に留置中のEF64形電気機関車重連牽引の貨物列車、2005年10月撮影。
今日では貨物列車といえばほとんどがコンテナ列車なので、黒光りするタンク車は新鮮に映りますな。

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二本木駅構内で待機中の、日本通運所属入換用ディーゼル機関車、2005年10月撮影。
2004年4月に取材目的で初めて当駅に降り立った時には、同型の青色の機関車が待機していましたけれど、アレを塗り替えたのがこの機関車なのかはたまた同型の機関車が2両配置だったのかわかりません。
しかしNゲージの小レイアウトには、国鉄型レールバス共々ぜひ欲しい一品であります。

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旧中郷村、そして二本木駅のかつての隆盛の立役者であった日本曹達の二本木工場、2009年7月撮影。
旧中郷村が116年間も単独で存続出来たのは、この工場の存在によるところがきっと大きかったのでしょう。
この工場が健在な限り、合併して上越市の飛び地的な地域になって埋没してしまうよりは、村でい続ける選択肢もあったのでは?と外部の野次馬は思うところなのですけれど。
税収はどれほどだったのか。

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二本木駅から日本曹達の工場前を経て約1km強で国道18号線に出ます、2014年6月撮影。
建物が密集している二本木駅周辺とは全く印象の異なる、スッキリとし過ぎな通りであります。

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2012年2月25日 (土)

新井駅(えちごトキめき鉄道)

本日の駅紹介はえちごトキめき鉄道・新井駅。

2017年3月12日記、旧記事と統合してリニューアルを実施しました。

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新潟県妙高市に所在する有人駅で、同市の玄関駅です。
開業は明治19年(1886年)8月15日で、直江津、高田関山の各駅と共に新潟県内最古の駅という、新潟の鉄道史において特筆すべき歴史的存在です。
開業以来、永らく信越本線の中堅駅として歩んできましたけれど、2015年3月の北陸新幹線金沢開業に伴って、信越本線の直江津-妙高高原間は第三セクター鉄道の「えちごトキめき鉄道」の妙高はねうまラインに移管されました。
新井駅は開業当時、中頸城郡大崎村の所在だったようですが、程なくして同村から分離した新井村の所在となり、明治25年に町制を施行して新井町となった後も周辺諸村を合併編入して逐次町勢を拡大。
昭和29年に更なる合併編入によって、市制を施行して新井市へ成長します。
町勢拡大においては、特に当駅北方至近のダイセル新井工場の誘致成功(昭和10年)が大きく貢献したようで、新井駅から工場へは専用線が敷かれて近年まで貨物輸送が行われていました。
その後、新井市は周辺町村を合併編入して新自治体・妙高市の中心地域となり今日に至ります。
なお妙高市の人口は、2016年10月現在で約3万3千人。
新潟県内30自治体中18位の人口規模です。 JR東日本によると、新井駅がJR所属時代に最後に記載されていた2013年度の一日平均乗車人員は1,196人で、同社新潟県内有人75駅中38位。
3位の六日町駅と6位の犀潟駅はほくほく線直通旅客を含む数字なので、新井駅の順位は実質36位ということになります。
同年度で在来線の自動改札化が成されていない駅としては、越後線・越後曽根駅に次ぐ第二位の堂々たるものなのです。
当駅と一日平均乗車人員がほぼ同じ羽越線・中条駅(胎内市の玄関駅)や、やや少ない磐越西線・五泉駅(五泉市の玄関駅)が自動改札化されていますから、利用状況から言えば当駅が自動改札化されても全く不思議ではありませんでした。
しかし、近い将来にJRから切り離されることが確定している駅に新規投資はなかなか出来かねるのは、民間企業としては当たり前の話。
ただ新井駅同様にJRから切り離される運命の高田駅の場合は、一日平均乗車人員が2,000人を優に超えて当駅の倍の数字ですので、駅業務の省力化を考えると自動改札化しても差し支えなかったのでしょうね。

さて自動改札無しで利用客が多いここ新井駅、駅構内を余すところ無く撮りたい私のような人種にとっては最大の鬼門なのでございまして・・・。
有人駅でも利用客が少ない委託駅の場合は、駅員氏に声を掛けて少し早く入れてもらえたりもしますが、当駅は国鉄時代さながらの厳格な「改札」を行いますから、声を掛けて早めに入れてもらう手は通用しそうにありません。
改札開始から列車到着まで10分を切った僅かな間に、二面の長大なホームを端から端まで撮り切るのはまず不可能でありますから、何度か再訪する必要があるのです。

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新井駅駅舎の様子、2016年9月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和37年10月。
当時の国鉄地方中堅駅の標準的な横長平屋の建物です。
建物はJR時代と変化は無く、駅出入り口の看板がえちごトキめき鉄道型に変わっただけです。
ただJR時代には賑々しく色々と貼られていた企画きっぷやキャンペーンの宣伝類が無くなってしまったので、受ける印象は無味乾燥になってしまいました。
また、これは新潟発当駅止まりの特急「しらゆき」が到着して間もない時間の撮影なのですが、駅前広場で待機するタクシーはこんな感じ。
JR時代に比べて少なくなった印象です。

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JR東日本所属時代の新井駅駅舎内部の様子、2009年7月撮影。
改札時以外はチェーンでしっかり閉鎖されたホーム出入り口、昔ながらの「みどりの窓口」の表示、キオスク・・・全て国鉄時代のままで、私が子供の頃の駅は皆こんな感じだったなぁと、ノスタルジーにしばし浸った次第。
この時点でのキオスク営業時間は0730~1800、待合室開放時間は0510~2330。
当駅の待合室は私が当駅を訪れたいずれも賑やかで、列車到着30分前からベンチに座れないほどの人の数。
部活帰りの学生だけでなく一般客も多数です。
なお、このキオスクはウィキペディアによると、えちごトキめき鉄道に移管直前の2015年1月に撤退したそうです。
新井駅周辺にはコンビニが無いので、このキオスクは貴重な買い物空間でしたのに。
止むを得ないこととは言え残念です。

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えちごトキめき鉄道に移管後の新井駅駅舎内部の様子、2016年9月撮影。
内部も窓口や自動券売機がトキ鉄仕様になったのとキオスク撤退以外はJR時代と変わりません。
改札が厳格なのもJR時代と同様です。
下の画は待合室内のキオスク撤去跡です。
ベンチが増設されることもなく、完全に遊休空間になってしまっています。

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1番ホーム(直江津方面乗り場)の二本木駅方から見た新井駅構内、2011年6月撮影。
駅構内は駅名標がJR東日本型からえちごトキめき鉄道型に変わった以外、変化はありません。

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1番ホーム端から二本木駅方を見る、2011年6月撮影。
直江津駅から人口の集積した平野部を南下してきた鉄路も、新井駅から先は俄かにローカル色が濃くなってまいります。

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1番ホームの北新井駅方から見た新井駅構内、2011年6月撮影。

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1番ホーム端から北新井駅方面を見る、2011年6月撮影。
画像中央やや左にちらりと見えるプラントが、前述のダイセル新井工場です。

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新井駅跨線橋内部の様子、2016年9月撮影。
こちらも基本的に国鉄時代そのままで、天井の造りが何ともクラシカルで懐かしい。
駅舎内外と同様に、JR時代はびっしりと貼られていた宣伝類が無くなったので活気が無くなった印象を拭えないのですよ。



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跨線橋上から北新井駅方面を見る、2011年6月撮影。
貨物用とおぼしき中線が残っていました。

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同じく二本木駅方を見る、2011年6月撮影。
北新井方とは対照的に、行く手には山々が広がります。

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2番ホーム(妙高高原方面乗り場)の二本木駅方から見た新井駅構内、2011年6月撮影。
当駅の本線は一、二番線なので、待避・折り返し用の三番ホームよりも二番ホームの方が有効長が大です。
長野新幹線開業までは、このホームに長編成の上野行電車特急「あさま」「白山」が停車していたのです。→新井駅全盛期の時刻表はこちらのエントリーへ

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2番ホーム端から二本木駅方を見る、2016年9月撮影。

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2番ホームから見た新井駅構内中央部の様子、2016年9月撮影。

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2番ホーム上から見た新井駅駅舎ホーム側の様子、2004年9月撮影。

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2番ホーム端から北新井駅方を見る、2011年6月撮影。

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島式ホーム上屋部の様子、2011年6月撮影。
2016年9月現在でも、島式ホーム上に待合室はありません。
改札開始から列車到着まで僅かな時間しかありませんから、待合室の有無どころかベンチで座って待つ余裕すらあまり無いかもしれません。
ちなみに2004年4月訪問時点では、島式ホームの北新井方端手前に相当の経年と思われるもう一つの上屋がありました。

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JR時代の新井駅2番線から出発する長野色115系電車の長野行、2009年7月撮影。

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JR時代の新井駅の夕刻、3番線で折り返し待機中の115系電車直江津行、2004年4月撮影。

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JR時代末期の新井駅2番線に停車中の湘南色115系電車長野行、2014年5月撮影。
JR東日本の115系電車はえちごトキめき鉄道に乗り入れを行っていて、現在は新潟-新井間の快速列車として運行されています。

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新井駅1番線から出発する189電車使用の普通列車「妙高」直江津行、2004年9月撮影。

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新井駅2番線に停車中の189系電車「妙高」を跨線橋上から一枚、2011年6月撮影。

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新井駅2番線に停車中の189系電車「妙高」長野行、2013年10月撮影。
「妙高」は料金不要の列車としては、快速「くびき野」と共に破格の列車でした。
しかし115系電車三連はいつも混んでいて大抵は座れなかったのに、六連の「妙高」は概ねガラガラでしたなぁ。

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新井駅1番線に到着した189系電車国鉄特急色の「妙高」直江津行、2014年5月撮影。
塗装もちょっとハゲかかってきていました。

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夕刻の新井駅3番線で折り返し待機中の485系電車快速「くびき野」新潟行。
上は2009年7月、下は2004年9月撮影。
上越界隈からの帰宅の足として、新井駅を夕方に出発する「くびき野5号」は私の愛用する列車でありました。
指定席車が連結されるようになってからはそっちによく乗りました。
18きっぷとは関係ない普通の土日の指定席はいつもガラガラ。
直江津から新潟まで客は私ひとりなんてこともありましたっけ。
自由席は満員で立ち客もいるのに、誰もガラ空きの指定に移ってこないのです。
500円ちょっとの投資で大名気分を味わえるというのに。

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えちごトキめき鉄道移管後の新井駅2番線に進入するET127系電車妙高高原行、2016年9月撮影。
かつての115系電車と189系電車に変わる、新井駅に出入りする新たな顔です。

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新井駅で列車交換するET127系電車の妙高高原行と直江津行、2016年9月撮影。
上越都市圏の直江津-新井間にはJR時代同様に、区間列車が設定されています。


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新井駅1番線に停車中のET127系電車直江津行、2016年9月撮影。

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新井駅を出発したET127系電車直江津行、2016年9月撮影。
片側三扉の電車と背景のプラント、大都市圏の工場地帯を走る電車の趣です。

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新井駅1番線に停車中のET127系電車直江津行と、3番線で折り返し待機中の北越急行ほくほく線直通のHK100形電車、2016年9月撮影。

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新井駅3番線で待機中のHK100形電車越後湯沢行、2016年9月撮影。
えちごトキめき鉄道への移管後は、ほくほく線電車が新井駅まで乗り入れるようになりました。

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新井駅3番線で折り返し待機中のE653系電車特急「しらゆき」、2016年9月撮影。
新潟-長野間の「みのり」が2001年12月改正で廃止されてから、定期特急列車の発着が無かったここ新井駅。
しかしJRから切り離されると同時に運行を開始した「しらゆき」5往復のうち2往復が当駅発着になって、13年ぶりに特急停車駅の座に返り咲いたのです。
考えようによってはひどく皮肉な話なんでありますが。
さて、新井駅構内でこのアングルから撮影する場合、順光は本来午後なのです。
しかし新井発着の「しらゆき」は朝イチと午前中と夜遅くなのです。
現地で一泊しない限り、撮影のチャンスは午前中の折り返ししかありません。
しかし午前中はこのアングルだと逆光に・・・。
これを撮るためには天気が曇りであることが必須条件で、土日でそういう日をずっと待っておったのですけれど、9月下旬のこの日まで中々好機が廻ってこなかったのですよ。

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新井駅の「駅前通り」と言える道は二つあって、こちらが駅舎から見て左側の道です。
2016年9月撮影。

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新井駅から向かって左側の通りを少し進むと頸南バスの営業所があります、2009年7月撮影。
この地域の路線バスは、新井駅前広場ではなくこちらに発着しますので利用の際はご注意ください。
鉄道補完としては、新井-中央病院間の「上越大通り線」が運行されていて、北新井、上越妙高、南高田、高田各駅への足として使えます。
2017年3月現在は平日12往復、土休日9往復の運転です。
二本木駅へのバス路線は廃止されてしまい、現在は代わりに乗合タクシーが運行されています。
予約制なので来訪者はちょっと使えませんな。


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新井駅から向かって右側の通りの様子、2016年9月撮影。
駅前通り周辺の各所には北国街道「新井宿」の説明板が設置されていて、かつての宿場街の賑わいを今に伝えています。
通りには新井駅周辺唯一のスーパーが営業中です。
2011年6月にぶらぶら歩いた時には、通りにポール・モーリア風の音楽が流れていて、時折「ジェットストリーム」の英語版といった感じの小洒落たナレーションが人気の少ないアーケードに響いておったものです。
しかしこの日は音無しの構え。
あの音楽とナレーションは止めてしまったのか否か。

さて新井駅に関する歴史的資料を探して行き当たった興味深い話が、新井-飯山間の鉄道敷設提案の件。
飯山鉄道(現・JR飯山線)豊野-飯山間が開通する大正10年(1921年)10月までは、飯山地方の人は日本海側に出るのに、新潟長野県境の富倉峠を越えて新井に出ていたそうです(現在の国道292号線経由)。
当地域の地理に詳しくない方は今ひとつピンと来ない話だと思いますが、この富倉峠経由の場合、飯山から新井までは30kmに満たない近さなのです。
(飯山線豊野乗り換えの場合は約67km)
戦後、富倉峠経由で飯山-新井間に鉄道路線建設の話が新潟、長野両県の国会議員から提起された事もあったそうですが、資金の問題から具体化には至らなかったとの事です。
国鉄線として建設させるつもりだったのか、それとも私鉄線としてだったのかは資料に明記されておらず不明ですけれど、もし開通していたらどんな歴史を辿っていただろうかと妄想してみるのもまた楽しいもの。
国鉄線であれば、小編成の気動車列車が山間の小道をガタゴトと走り、直江津まで直通運転していたかもしれません。
特定地方交通線としてJRに継承される事なく廃止になっていたでしょうけれど。
なにしろ現在、新井から国道292号線を走るバス路線は富倉峠から6km以上手前までしか運行されておらず、運行本数も非常に少ないのですから。
自家用車が広く普及してからは、バスですらその程度の需要しか無いという事なのです。

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