カテゴリー「R015 弥彦線の駅」の記事

2017年5月 7日 (日)

燕三条駅(上越新幹線・弥彦線)

本日の駅紹介は上越新幹線/弥彦線・燕三条駅。

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燕三条駅の在来線駅名標
燕三条駅の新幹線駅名標

新潟県三条市に所在する駅で、弥彦線の駅としては無人駅です。
開業は上越新幹線の大宮暫定開業日の昭和57年(1982年)11月15日。
当時の所在も三条市でした。
当駅の設置に関して、三条市と燕市がどちらも一歩も退かない誘致合戦を繰り広げた果てに、玉虫色の結論として両市の境界線上に置くという結論に達したことは皆様よくご存知の通りです。
この二つの街は昔から折り合いが悪く、平成の大合併の大号令の最中に話し合われた合併話も頓挫して、両市は引き続き別々の道を歩んでいくこととなりました。
まぁ仲が悪いといっても、現代ではエラいさんたちの利権利害絡みが主要因で、一般市民の感覚としてはそんな事は無いと思いますけどね。
三条市と燕市が合併すれば、その人口は約17万八千人。
新潟県第三の都市である上越市(人口約19万六千人)に次ぐ規模になるのです。
さらに近隣の加茂市とも合併できれば、人口は20万人を越えて上越市を抜き、新潟市、長岡市に次ぐ県内第三の都市になれるのです。
しかしこの3市は方向性がバラバラで纏まる気配はなし。
大合併は必ずしも良いことばかりでないことは、生活実感としてよく承知しておりますけれど、部外者の野次馬的視点で見ると、三条・燕・加茂がうまく纏まれないのは実に惜しい話であると常々思っておるところなのですよ。

さて、そんな色々と面倒な経緯の末に生まれた燕三条駅。
JR東日本によると2015年度の1日平均乗車人員は2,200人で、同社新潟県内有人67駅中16位。
直江津駅にやや劣り、寺尾駅とほぼ同じレベルです。
ただし前述したように、燕三条駅は弥彦線の駅としては無人駅扱い。
乗車人員としてカウントされているのは上越新幹線のそれだけと思われるので、新幹線・在来線込みの数字はもっと多く、隣の燕駅の数字が約千人であることを考えると当駅の実際の数字は三千人に達するのは確実と思われます。
三千人台となれば三条市の玄関駅である東三条駅を抜き、新発田駅に次ぐJR東日本県内有人8位になるのです。

燕三条駅駅舎
第一級の大駅のような威容を誇る燕三条駅高架駅舎の様子、2012年5月撮影。
駅前には大きな駐車場を有しています。
この反対側の駅前広場に駅前バス停があって、鉄道補完としては越後交通運行の寺泊車庫線(東三条、北三条分水各駅及びその至近へ)、燕線(東三条、北三条、燕各駅及びその至近へ)、地場産センター-加茂駅線(加茂駅へ)、燕市コミニュティバス「スワロー号」(燕、西燕吉田南吉田粟生津、分水各駅及びその至近へ)が主な路線ですけれど、残念ながら本数そのものが少ない上に土休日運休が多いので駅巡りの補完手段としては多くを望めないのが残念なところです。

燕三条駅前通り
駅前通りの様子、2012年5月撮影。
交通量が多いので、このように車が映り込まない画を撮るのは少々の忍耐を必要とします。
当駅と北陸自動車道のICを併せ持つこの地域は、周辺人口20万人の県央地域最大の商業集積地になっています。

燕三条駅駅舎内部その1
上越新幹線高架下の自由通路の様子、2012年5月撮影。

燕三条駅駅舎内部その2
駅コンコース内の様子、2008年4月撮影。

燕三条駅駅舎内部その3
弥彦線乗り場前に立つ、弥彦神社をイメージした小さな鳥居、2012年5月撮影。
これから弥彦に向かう気分を盛り上げていますけれど、残念ながら上越新幹線と弥彦線の接続はあまり良くありません。

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画像奥が弥彦線乗り場になります、2012年5月撮影。
弥彦線の駅としては無人駅扱いなのを象徴するように、設置されている自動券売機は無人駅仕様。
地道な増収策として、有人改札を置くか自動改札化すれば・・・とシロウトの私は考えるところですけれど、それに必要な経費はキセルで失う収入を大きく上回ったりするのかも。

燕三条駅駅舎内部その4
コンコースから弥彦線乗り場へやって来て、階段上からホームの吉田方を見る、2012年5月撮影。

燕三条駅の弥彦線ホームその1
弥彦線ホームの吉田方から見た構内の様子、2012年5月撮影。

燕三条駅の弥彦線ホームその2
ホーム端から吉田方を見る、2012年5月撮影。
線路を跨ぐ陸橋は北陸自動車道です。
当駅至近には三条燕ICがありますが、あちらは「三条」を前に置いて、「燕」を前に置く当駅とのバランスを保たせているのは皆様ご存知の通り。
三条市と燕市のメンツを立てる為の措置ですが、それなら「新潟県央」とか中立的な名称にしてしまえばいいのにと部外の野次馬は感じるところ。

燕三条駅の弥彦線ホームその3
上越新幹線高架下のホーム中央部の様子、2012年5月撮影。
設置されているベンチは、駅の利用状況の割にはかなり少なめ。

燕三条駅の弥彦線ホームその4
弥彦線ホームの東三条方から見た構内、2012年5月撮影。

燕三条駅の弥彦線ホームその5
ホーム端から東三条方を見る、2012年5月撮影。
画像中央にチラリと見えるのは信濃川鉄橋です。
あの橋を越えると間もなく、線路は三条市の旧市街地に入っていきます。

燕三条駅の弥彦線ホームその6
弥彦線を跨ぐ歩道橋上から見た、燕三条駅の弥彦線ホーム、2012年5月撮影。
ホームの右側の空間は、当駅の列車交換駅化に備えたものです。
上越新幹線建設当初は、弥彦観光を当て込んだ弥彦線増発の思惑があった故の事だったのかもしれません。
しかし現状はそれを全く必要としない状況で、隣の燕駅での交換で十分なのです。
当駅の弥彦線定期列車発着本数も、1985年3月改正時では上下合わせて32本だったのが、2017年3月改正では上下合わせて27本と減ってしまっています。

燕三条駅に停車中の115系電車Y編成
停車中の115系電車Y編成弥彦行、2012年5月撮影。
このY編成は2015年3月改正で全車運用を離脱し廃車されています。

燕三条駅に到着するE129系電車
師走の夕刻、到着するE129系電車東三条行、2015年12月撮影。
弥彦線では2015年3月改正で前掲の115系電車Y編成の後任として、E127系電車2編成が定期運用に入りました。
しかしそれから間もなく、矢作駅付近の踏切で立ち往生したフォークリフトと電車が衝突して修理の為に1編成が一時運用離脱。
そのピンチヒッターとして、当時最新鋭のE129系電車が弥彦線で運用されていた頃の一枚です。

燕三条駅の新幹線構内その1
燕三条駅の上越新幹線乗り場前の様子、2015年12月撮影。

燕三条駅の新幹線構内その2
燕三条駅の新幹線構内その3
上越新幹線構内の様子、2015年12月撮影。
規格化されていて面白みのない新幹線駅構内ですけれど、ホームドアの設置が標準化されている昨今の新幹線駅と比べれば、昔ながらの鉄道駅としての雰囲気を残していると言えましょうか。

燕三条駅を出発するE1系新幹線電車「MAXとき」
12番線を出発するE1系新幹線電車「MAXとき」東京行、2008年4月撮影。
E1系電車は2012年9月に運用離脱引退しています。

燕三条駅に停車中のE4系新幹線電車「MAXとき」
11番線に停車中のE4系新幹線電車「MAXとき」新潟行、2015年12月撮影。
先日、JR東日本からE4系電車を2020年度末までに引退させて、北陸新幹線で運用しているE7系電車に更新する公式アナウンスがあったのは皆様よくご存知の通り。
MAX編成が無くなると、混雑が酷くなりそうでちょっとイヤなんですけど。

燕三条駅に停車中のE2系新幹線電車「とき」
12番線に停車中のE2系新幹線電車「とき」東京行、2015年12月撮影。
2017年3月改正ダイヤにおける、当駅の上越新幹線定期列車の停車本数は上下合わせて50本。
新幹線開通直前の東三条駅発着の特急「とき」と昼行の急行「佐渡」の停車本数が上下合わせて28本ですから、県央地域と東京の鉄道アクセス利便性は新幹線開業によって大きく高まったのです。

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2016年12月11日 (日)

弥彦駅(弥彦線)

本日の駅紹介は、越後線・弥彦駅。

矢作駅はこちらへ

弥彦駅の駅名標

新潟県西蒲原郡弥彦村に所在する有人駅で、開業は大正5年(1916年)10月16日。
開業当時の所在は既に弥彦村になっていて、以後今日まで村の玄関駅として、また万葉集にも歌われ越後随一の神社である「彌彦神社」、そしてその後背の弥彦山の玄関駅であります。
この村は平成の大合併の大号令下、西蒲原郡内の分水町、吉田町と共に燕市との合併が模索されましたけれど結局破談。
分水、吉田両町が燕市と合併した後は、西蒲原郡唯一の自治体として歩んでおります。
吉田町史(現・燕市の一部)によると、弥彦村は昭和29年にも周辺町村(吉田町と粟生津村及び米納津村)との合併話が持ち上がりましたが、合併後の新自治体の町名を「吉田」か「弥彦」のどちらにするかで吉田町と弥彦村が対立し、合併協議会による採決では「吉田」の圧勝。
そもそも投票による新町名決定に反対だった村側は、投票前に全員退場してしまったんだとか。
かくして合併は吉田町と粟生津村、米納津村の三者で行われたのです。
まぁこの村は彌彦神社に弥彦競輪場に弥彦山、集客力は周辺地域でも突出している感が強く、独自でやっていける目算もあったのでしょうね。
それなら大幅に譲歩してまで合併に加わるメリットはありません。
周辺自治体と合併してしまったら、村の独自性はどうしても薄れてやがて消えてしまうでしょうし。

JR東日本によると、弥彦駅の2014年度一日平均乗車人員は259人で、同社新潟県内有人67駅中57位。
特筆すべきはその内訳で、定期客と定期外客がほぼ同数です。
人口集積地域の玄関駅である新潟駅や長岡駅を除くと、新潟県内有人駅は定期客が乗車人員の6~9割を占めているのです。
その中にあって当駅の数字は極めて例外的なもので、駅付近に高校が無く学生の集中が無いとは言え、観光目的で当駅を利用する客がまだまだ無視できない顧客であることの証明でもあります。
ただ弥彦村史によると、今から50年前の昭和41年の当駅年間乗車人員は825,899人で、単純計算すると一日平均2,263人。
利用の絶対数は半世紀で約9割減であり、ここにもローカル線の厳しい現実があるのです。

弥彦駅駅舎
弥彦駅駅舎の様子、2011年6月撮影。
当駅舎は2013年秋にリニューアルされており、この画はそれ以前の姿です。
まぁリニューアルといっても、駅舎の外観が一変するようなものではありませんが。
建築財産票によると、大正5年10月の完成で許容積雪量は70cm。
当時の寺社建築をモチーフとした建物としては、長野駅の旧駅舎と並ぶ代表例なんだとか。
しかし大正5年といったら、海の向こうの西ヨーロッパでは一度の会戦で数万人が死傷する規模の戦いが飽きること無く続いていた頃ですよ。
日本だと帝国海軍二隻目の超ド級戦艦「山城」が完成した頃です。
そんな事を考えながらこの駅舎を眺めて、色々と物思いに耽るのであります。
なお駅前には燕・弥彦広域循環バス「やひこ号」が発着しています。
一日五往復で矢作、吉田両駅との行き来に利用できますが、運行は平日のみなのが来訪者には残念なところです。

弥彦駅駅舎内部その1
弥彦駅駅舎内部その2
駅舎内部の様子、2011年6月撮影。
内部空間は極めて広く、彌彦神社参拝客で賑わった往時を今に留めています。
2015年秋には駅舎内が一部リニューアルされて、弥彦山へのハイキング客用の設備が整えられているとの事です。

弥彦駅駅舎内部その3
駅待合室内部の様子、2011年6月撮影。
この時点では待合室開放時間は駅窓口営業時間と同一で、午前7時10分から午後17時30分まで。
待合室内にはキオスクがあり、現在も盛業中との事。
駅周辺にコンビニは見当たらなかったので、ちょっとした買い物に便利です。
弥彦山登山となれば、エネルギー補給の為にこちらで色々買っておくのが吉。

弥彦駅駅舎内部その4
改札口から見た駅舎内の様子、2011年6月撮影。
改札の柵も寺社っぽい感じ。
全てが彌彦神社にお参りする雰囲気を高めるような演出の建物なのです。

ホームから見た駅舎
ホームに面した駅舎の様子、2011年6月撮影。
上屋を支える支柱の造作がレトロでまた良いのですよ。

弥彦駅で折り返し待機中の115系電車Y編成
ホームで折り返し待機中の、115系電車Y編成、2011年6月撮影。
かつての弥彦線の日中の列車の大半はこの編成でした。
2015年3月改正で全編成運用から離脱して廃車されています。
私は取材目的で当駅に三回降り立っていますが、電車は常にコレでしたなぁ。

弥彦駅のホームその1
ホームの吉田方から見た構内の様子、2011年6月撮影。
ご覧の通りの棒線ですが、ホームは幅広です。

弥彦駅のホームその2
ホーム端から吉田方を見る、2011年6月撮影。
一見すると山間部へ分け入るようにも見えますが、右カーブした線路は越後平野の北端に躍り出るのです。

弥彦駅のホームその3
行き止まりの車止め方から見た構内の様子、2011年6月撮影。
現在、新潟県内で行き止まりの唯一の旅客駅が当駅です。

弥彦駅のホームその4
ホーム終端部の様子、2011年6月撮影。
ホームから外れた線路はすぐに車止めに突き当たるのです。
ここから先に延ばす計画が全く無かった証のように見える情景なのです。

車止め後方の路上から見た構内その1
車止め後方の路上から見た構内その2
車止め後方の路上から見た構内、2011年6月撮影。
ここから見ると、行き止まり駅特有の寂寥感と観光地の玄関駅という華やかさが絶妙にハーモナイズされて、見ても見飽きない独特の佇まいなのです。

弥彦駅に入線する115系電車Y編成
おりしも入線してきた吉田発の115系Y編成、2011年6月撮影。
到着17分後に折り返し吉田行として出発です。
2016年3月改正ダイヤでは、弥彦-東三条間直通便は下り1本(最終列車)、上り4本(始発列車と10時~13時台に3本)です。
需要喚起の為には燕三条駅で上越新幹線と弥彦線の接続を改善すると共に、直通列車について配慮する必要があると思いますけれど、現状はこの通りです。
大半の列車は吉田乗換えですが、彌彦神社や弥彦山を訪れるメインと思われる中高年層は乗り換えを嫌いますからねぇ。

踏切から見た弥彦駅構内
吉田方の踏切から見た構内、2011年6月撮影。

弥彦駅前広場
実に広大な駅前広場と駐車場、2011年6月撮影。
駅前にはタクシーが四台待機中。

弥彦観光ホテルの廃墟
駅前にある廃業して久しい「弥彦観光ホテル」、2011年6月撮影。
心霊スポットとして有名な廃墟だそうですけれど、私はそういうものには興味が無いのでフーンここかってな具合でスルー。
債権問題が色々と面倒で放置せざるを得なかったようですけれど、駅前の一等地にこんなのがあるのは、村にとって実に宜しくない話であります。
諸問題をクリアした上で今月から解体工事を本格化し、2017年3月末に完了予定との事です。

弥彦駅前通り
駅前通りを彌彦神社に向って少し進み、振り返って駅方向を一枚、2011年6月撮影。
駅周辺には前述の矢作駅方踏切の近くにコンビニがありましたけれど、駅から彌彦神社に向う村のメインストリートにはスーパー、コンビニ共にありませんでした。

弥彦村の中心部
この辺りは人口8千人余りの村の、足に地の着いた日常の光景と言えましょう。
2011年6月撮影。

彌彦神社付近の路上
彌彦神社に近づくと、そろそろ旅館の看板が目立つようになります。

彌彦神社その1
かくしてあちこちフラフラしながら、彌彦神社に到着。
私の足で駅から10分でした。
入り口はご覧のように改修中で残念。

彌彦神社その2
拝殿に向けて参道を行く。
周りの緑が実に清清しいのです。

彌彦神社その3
鳥居を越えてその先が拝殿。
世の中には、この鳥居を蛇蝎のごとく嫌う宗教や民族がいらっしゃいますな。

彌彦神社その4
かくして彌彦神社拝殿に到着。
普段信心の無い俗物の私でも、思わず背筋を正す威厳なのであります。

彌彦神社その5
拝殿を辞して参道を後にします。

彌彦神社前通り
彌彦神社付近の駐車場とみやげもの店の並ぶ通り。

弥彦ロープウェイの山麓駅へ向う無料バス
彌彦神社付近から弥彦ロープウェイの山麓駅へ向う無料バス。
ここから山麓駅まで歩いて数分なんですけど。
歩きバカ一代の私は当然のことながらスルーです。

弥彦山登山道入り口
いよいよ本日のメインイベント、弥彦山登山に出発なのです。

登山道の休憩所
登山道に入って6分後、休憩所を通過。
時代劇に出てきそうな茶屋にココロを大きく動かされましたけど、とりあえず登山に集中。

登山道の二合目付近
登山道に入って12分後の、二合目付近。
実を言うと、この先三合目でバテてしまって進撃を停止してしまったのです。
勾配が緩やかに見えたので、平地をガンガン歩くペースで進んだらあっという間に体力を消耗しちゃったのですよ。
「戻ってロープウェーで頂上に行っちゃおうか」なぞと弱気の虫に頭を支配されかけていたそんな時、天皇陛下によく似た上品な御老人が上がってきました。
歩みはゆっくりですけれどにこやかで実に楽しげに、時折立ち止まって周囲の木々を観察しながらです。
そんな御老体を見て、「オレ、このおじいさんより三周りは余裕で若いのに、こんな程度でくじけちゃいけないなぁ」と、己の弱さに恥じ入りながら前進を再開したのですわ。

登山道の五合目
登山道に入って26分後、五合目を通過。
幸い、三合目以降は身体が順応してきたのと勾配にメリハリがあって歩き易くなったので、ペースも回復したのです。

登山道の八合目
登山道に入って45分後、八合目を通過。

弥彦山山頂
かくして標高634mの弥彦山山頂に到着。
登山道に入って一時間ジャストでした。
初登山としてはごくごく平凡なタイムだそうです、まだまだ鍛錬が足りんなぁ・・・。
また登る機会があれば、ペースをうまく調整できると思うのでもう少し時間短縮できるかな。
日本百名山完全人力踏破を達成したあの人なら、30分ぐらいで登っちゃうんでしょうなぁ。

山頂から見た西蒲原
山頂から見た下界の西蒲原。

山頂から見た日本海と佐渡島
同じく日本海の大海原とその先の佐渡島を見る。

弥彦ロープウエイの山頂駅その1
ここが弥彦ロープウェイの「山頂駅」です。

弥彦パノラマタワー
山頂駅とその右側の弥彦パノラマタワー。
回転昇降式の展望台ですが、万代シティのレインボータワーですら恐ろしくて乗れなかった、筋金入りの高所恐怖症患者の私にはとても無理です・・・。

弥彦ロープウエーの山頂駅その2
弥彦ロープウェイ山頂駅の様子。

弥彦ロープウエイの山頂駅その3
帰路はロープウェイを利用するのが当初からの計画です。
登山でヘコたれたわけではないことを、誓って申し上げておきます。

ロープウェイに乗車その1
かくして山頂駅を出発して下界へ。
細いケーブル、揺れる車体、怖い、実に怖かった・・・
こんなモノの屋根の上でアクションする、スタントマンの方々や藤岡さんや宮内さんやドゥカヴニーさんは凄いです。

ロープウェーに乗車その2
怖いとはいいながらも、頑健な鉄塔の造作には思わず見入ってしまうのです。

ロープウェイに乗車その3
山頂駅から5分で山麓駅に到着です。
2011年6月時点では片道700円、2016年時点では片道750円、往復1,400円です。

弥彦ロープウェイ山麓駅
弥彦ロープウェイ山麓駅の様子。
ロープウェイは15分間隔の運行で、2016年5月時点では08:45~17:00です。

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2015年11月23日 (月)

北三条駅(弥彦線)

本日の駅紹介は弥彦線・北三条駅。

東三条駅はこちらへ← →燕三条駅はこちらへ

北三条駅の駅名標

新潟県三条市に所在する有人駅で、開業は大正14年(1925年)4月10日。
開業当時の所在については南蒲原郡三条町で、同町は昭和9年に新潟市、長岡市、高田市に次ぐ新潟県四番目の市制施行で三条市となり、その後も周辺町村を適宜合併編入して、今日では県央の中心都市として、県下でも新発田市と人口第4位を争う市として存在感を発揮しています。
北三条駅は近隣の東三条駅や三条駅と異なり市街地の只中にあり、三条市役所の最寄り駅でもあって、市役所へは北東に700m程です。
また駅が開業した当時は近くに南蒲原郡役所が置かれていて、北三条駅はやはりその最寄駅として計画設置されました。
駅計画当時の郡は今日我々が認識しているそれとは異なり、府県の次に位置する地方公共団体としての位置付けで、独自の議会(郡会)を持ち今日の市に近いイメージのものだったのです。
JR東日本によると、北三条駅の2014年度一日平均乗車人員は393人で、同社新潟支社管内有人67駅中55位。
三条市の人口集積地区に立地し行政機関の最寄であるにも関わらず振るわないと言っても過言ではない利用状況で、1.2kmほど南にある信越本線三条駅と比べても、乗車人員は約1/4。
県立三条高校の最寄駅である三条駅と異なり、当駅周辺には高校が無い事、東三条へ市街地を歩くこと約1.5kmの近さが災いしているのが不振の原因として考えられますが果たして?

北三条駅駅舎
北三条駅駅舎の様子、2012年5月撮影。
東三条-当駅間の高架化が完成した平成8年(1996年)9月に供用を開始。
傍から見るととても大きな駅だと錯覚するのです。
高架駅ならではのマジックなのですけれど。

北三条駅駅舎内部その1
北三条駅駅舎内部その2
駅舎内部の様子、2012年5月撮影。
小さいながらも待合室を有し、広めのコンコースを持つ開放感と清潔感を併せ持っています。
私的には、近年の改築駅舎の内部ではこの駅が最も好印象と言えます。

北三条駅の高架ホームその1
高架ホームの東三条方から見た構内、2012年5月撮影。
高架化前は二面三線の駅だったそうですが、私が弥彦線に初めて乗ったのは恥ずかしながら駅のリサーチを意識的に始めた2004年なので、旧駅時代は残念ながら全くの未見。
他の線区は乗り鉄時代に一度は乗っているんですけどね。

北三条駅の高架ホームその2
ホーム端からから東三条方を見る、2012年5月撮影。
背の低い建物が密集する市街地の高架なので、見るべきモノはなし。

北三条駅の高架ホームその3
高架ホーム中央部の様子、2012年5月撮影。

北三条駅の高架ホームその4
ホームの吉田方から見た構内、2012年5月撮影。

北三条駅の高架ホームその5
ホーム端から吉田方を見る、2012年5月撮影。
当駅の有効長は6両で、115系のL編成+S編成の六連が最長編成になります。

北三条駅を出発する115系電車Y編成
出発する115系電車Y編成吉田行、2012年5月撮影。

北三条駅を出発した115系電車のL編成+S編成
出発し燕三条駅に向けて加速する115系電車のL編成+S編成の六連吉田行、2012年5月撮影。

北三条駅前
駅前の様子、2012年5月撮影。
高架下には市街地を南北に通る道路が通っています。
前述したように、当駅から三条駅までは1.2km程しか離れていないので駅撮り短絡ルートとして使えるのです。
しかし駅至近は似た風景なので自分の進む方向を見失う恐れも。
私が最初にこの駅に降り立ち三条駅まで徒歩移動を試みた際は、見事に道に迷って初夏の日差しを浴びて汗だくになりながら周辺をぐるぐる回った挙句に、いつの間にか信濃川を渡る国道289号線まで出てしまいましたw
三条駅とは真逆の方向で、橋を渡ればすぐ燕三条駅です。
それ以来、歩きの場合はルートをしっかり確認するようになりましたな。

三条の本町地区の様子
本町を走る高速バスと路線バス越後交通の路線バス
北三条駅から三条駅に向かって北に500mばかり進むと、そこは三条の本町地区。
2012年5月撮影。
タイミング良く新潟-三条間の高速バスに越後交通の路線バスが続行していたので一枚。
鉄道関連での当駅周辺のバス事情は、帯織駅と行き来出来る東三条-栄庁舎線と燕駅と行き来できる東三条-燕線、燕三条、分水と行き来できる東三条-寺泊線、燕三条、東三条、保内加茂と行き来できる地場産センター-加茂線、東三条、長岡と行き来できる
東三条-長岡線が、この画の県道を通ります。
北三条駅の最寄バス停は「本町4丁目」。
栄庁舎線はこちらへ、燕線はこちらへ、分水寺泊線はこちらへ
加茂線はこちらへ、長岡線はこちらへ
三条市の循環バスは北三条駅前から乗れますが、一日たったの一便なので地元の方以外は使いどころがありません。

あるお寺の参道入り口
あるお寺の参道入り口にて、2008年3月撮影。
道すがらのビルにはクラブやら何やらが。
こんなんでええんの?と、ちょっと物申したくもなりますなw
まぁ日本らしいと言えばそれまでですが。

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2011年7月10日 (日)

燕駅(弥彦線)

本日の駅紹介は弥彦線・燕駅。

燕三条駅はこちらへ← →西燕駅はこちらへ

燕駅の駅名標
新潟県燕市に所在する有人駅で、同市の玄関駅になります・・・しかし実際は南隣の燕三条駅にその座を奪われて久しい上に、商圏まであちらに移ってしまい地盤沈下の著しい、新幹線マンセーとロードサイドショップ全盛というダブルパンチに見舞われる地方小都市駅の典型と言える状況下にあります。

駅開業は大正11年(1922年)4月20日で、当時の所在は西蒲原郡燕町。
その後、昭和8年(1933年)8月には新潟電鉄(後の新潟交通電車線)が白根駅から当駅まで延伸して乗り入れます。
そして町は昭和29年3月に市制を施行して燕市となり、平成18年3月には周辺の吉田町や分水町と広域合併してその市域を大幅に拡大して、新潟県30自治体中第7位(平成23年4月現在)、人口8万1千人強の市として今日に至ります。
なお前述の燕三条駅は南隣の三条市との境界線上にあり、商圏も重なっている事から三条市と合併すれば県央地域に人口約18万4千人の新潟県第四の都市誕生となるのです。
・・・しかしこの両都市は実に仲が悪いのでまぁ・・・。
平成の大合併の嵐の中で両市の合併も模索されましたが、結局破談になりました。
私はこの界隈にその辺の話を突っ込んで聞ける知り合いがいないので、市民の素の声がどうなのかはわからないのですが、仲の悪さは今に始まった事では無く相当に根の深いもののようです。

JR東日本によれば、燕駅の2009年度一日平均乗車人員は1,099人で同社新潟県内有人75駅中38位。
三条、燕、吉田と比較的狭いエリアに高校が多いその真っ只中に位置するので、学生の利用はかなりのものと思われます。
新潟県内の自動改札設置駅の一日平均乗車人員下限は、「周りの駅が設置するからついでに」の信越線さつき野駅を除けば磐越西線五泉駅で(1,181人)です。
当駅はJR東日本新潟支社で次に自動改札化事業が行なわれるとすれば、越後線・越後曽根駅や上越線・小千谷駅と共に、その候補となるかもしれません。

燕駅駅舎
燕駅駅舎の様子、2006年11月撮影。
建築財産票によると完成は昭和43年3月26日。
国鉄地方小都市駅の典型的スタイルです。
改築の話題が上るのもそれほど遠い話ではないでしょうけれど、駅裏が宅地化されている事を考えれば橋上駅舎化が妥当なところでしょうか。

燕駅駅舎内部その1
燕駅駅舎内部その2
駅舎内部の様子、2010年5月撮影。
駅舎内はゆったりとした造りで、コンコース・待合室共にこのクラスの駅としては極めて広大です。
駅舎改築時は新潟交通電車線が当駅に乗り入れ、燕市の代表的産業である洋食器製造をはじめとする金属加工業が元気で、その従業員の通勤用に駅にも相応のキャパシティが必要とされたのだろうと推測しますが果たして?
この時点での待合室開放時間は07:30~17:50で、日曜定休のキオスクも営業していて(営業時間は待合室開放時間と同一)、至近にコンビニの無い当駅利用客にとって貴重な存在だったかと思われますが、残念ながら2010年10月に撤退したとの事です。
最近は羽越本線坂町・中条両駅や信越本線見附駅から撤退するなどキオスクの勢力が急速に衰えていて、昭和の余韻が県内駅からまた一つ消え去ってしまいそうです・・・。

1番ホームから見た駅舎その1
1番ホームから見た駅舎その2
1番ホームから見た上屋下と改札周りの様子、2010年5月撮影。
今ではもう使われる事のない改札の柵がかつての駅隆盛の生き証人です。
上屋の造りが豪壮なのが目を惹くところ。
跨線橋の出入り口も幅広でこれもまた通勤客のかつての多さの生き証人。

燕駅の1番ホームその1
1番ホームの東三条方から見た燕駅構内、2010年5月撮影。
トミックスの跨線橋を彷彿とさせる色と造りの良い味出してる跨線橋です。
夕方でこの位置からは逆光なのは遺憾です。

燕駅の1番ホームその2
1番ホーム端から東三条方を見通す、2010年5月撮影。

燕駅の1番ホームその3
1番ホームの吉田方から見た構内、2010年5月撮影。
ホーム配置の顕著な千鳥配置、それゆえに実際以上に広く見えるのが当駅構内の一大特徴です。
画像右側は旧貨物線。

燕駅の1番ホームその4
1番ホーム端から吉田方を見通す、2010年5月撮影。

旧引込線
旧引込線の様子、2010年5月撮影。

燕駅の跨線橋
跨線橋内部の様子、2010年5月撮影。
当駅がかつて隆盛を極めた証がこの跨線橋です。
通路は幹線の優等列車停車駅並みに広く、古典的な天井の造作が実に良いのです。
しかし壁にポスターが全く貼られていないのは無人駅並みで、栄光の過去と現在の衰退が同居しているところなのです。

跨線橋上から見た構内その1
跨線橋上から構内の吉田方を見る、2010年5月撮影。
本線と副本線の間にはかつて中線が2本ほどあったのでしょうか。

跨線橋上から見た構内その2
同じく構内の東三条方を見る、2010年5月撮影。


燕駅の2番ホームその1
2番ホームの東三条方から見た構内、2010年5月撮影。
何度か訪問して観察した限り、当駅の改札開始は列車到着のせいぜい七~八分前といったところで、日中一度の訪問で二番ホームまでくまなく撮影するのは非常に厳しいかと思います。
同好の士が一度の訪問で全て済まそうとお考えなのならば、駅窓口営業時間外の早朝もしくは夕方を強くお勧めします。
5~8月の特に薄曇の日を狙えば、夕方でも西日をあまり気にする事無く且つ光量充分な中で撮影できるでしょう。

燕駅の2番ホームその2
2番ホームの吉田方から見た構内、2010年5月撮影。
越後線東三条-吉田間で唯一列車交換が行なわれるのが当駅ですが、朝夕以外は過疎ダイヤゆえに活用の機会は少ないのが現状です。
平成23年改正ダイヤにおいて当駅で列車交換が行なわれるのは三回。
つまり二番ホームが乗客で賑わうのは一日三回のみ。

燕駅に到着した115系電車Y編成
1番線に到着した吉田行115系Y編成電車、2013年9月撮影。

燕駅に停車中の115系電車Y編成
2番線に停車中の東三条行115系Y編成電車、2013年9月撮影。

燕駅を出発した115系電車
1番線を出発する吉田行115系電車L編成+S編成六連、2013年9月撮影。
弥彦線ではおそらくこれが最長編成でしょう。
日曜の朝とあって見事なまでのガラガラでした。


踏切から見た燕駅構内
東三条方の踏切から見た構内、2010年5月撮影。

歩道橋上から見た燕駅構内その1
歩道橋上から見た燕駅構内その2
吉田方の歩道橋から見た構内、2010年5月撮影。
かつて当駅から新潟市内の県庁前まで運行されていた新潟交通電車線は、当時島式になっていた2番ホームの隣(3番ホーム)から発着していました。
現在は再開発により跡地は生活道路と宅地に変わってしまい、当時の面影はほぼ皆無なのが非常に残念!・・・
なお、新潟交通電車線の駅舎は現在の駅前交番の場所に建っていたとの事です。

燕駅前
駅前の様子、2006年11月撮影。
駅前広場はロータリーになっていて、路線バスが乗り入れタクシー数台が常駐しています。
駅舎改築に併せてそれまでの約5.5倍に拡張されたそうです。
しかし植樹などで視界が遮られている感覚的印象もあって、さほど広大なものには見えません。

駅前に乗り入れるバスは高速バス新潟燕線と越後交通東三条燕線、市営バス燕駅-分水間が主なところで、新潟交通電車線の代替バス燕-月潟線は、私が当駅前から月潟駅前まで利用した2008年3月現在で日中はわずか1便だけでした。
現在も運行されているか否か、またダイヤは残念ながら確認出来ませんでしたが、2008年秋には廃止話が持ち上がった路線でもあり、その存続については予断を許さないのは確かです。

燕市の中心商店街その1
燕市の中心商店街その2
燕市旧来の中心商店街の様子、2006年11月撮影。
「サンロード宮町」という立派なアーケード商店街で、大半の店は営業していたもののやはり人影は少なくその大半は交通弱者の高齢者。
クルマで2~3Kmも走れば燕三条駅周辺の一大商業集積地ですから仕方の無い事なのですが、この地の金属加工業全盛時はさぞ賑わっていたであろうと思うと、燕駅の現在の姿同様に時代の流れもののあわれを強く感ぜずにはおれません・・・。

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2010年9月23日 (木)

矢作駅(弥彦線)

本日の駅紹介は弥彦線・矢作駅。

弥彦駅はこちらへ← →吉田駅はこちらへ

矢作駅の駅名標

新潟県西蒲原郡弥彦村に所在する無人駅で、開業は当時の越後鉄道吉田-弥彦間開通と同時の大正五年(1916年)10月16日。
駅名は周辺の旧村名「矢作」から。
時刻表を見て受ける印象は前回紹介の西燕駅と同じように非常に地味に感じられるのでしょうけれど、戦後生まれのドライな西燕駅とは異なり、今年で開業94年という歴とした古豪なのであります。

矢作駅は新潟平野から弥彦の山々に分け入るその端境に位置しており、南及び西には遠浅の田圃の海を、北へは山峡へ分け入る風情を感じさせる好対照な独特の雰囲気を漂わせます。
弥彦線内6駅(東三条及び吉田駅は除く)の中では良い意味での田舎の情緒を最も感じさせてくれる、個人的にはかなりツボの駅ですよ!

矢作駅駅舎その1
矢作駅駅舎その2
矢作駅駅舎の昼と夜、昼は2005年8月、夜は2006年11月撮影。
恐らくは近所にある大鳥居をイメージしていると思われる朱色の色使いが印象的な駅舎は、建築財産票によれば昭和59年3月31日竣工で許容積雪量は120cm。


矢作駅前
県道から見た駅前、2006年11月撮影。
路地をちょっと入ったらすぐ駅という立地です。
駅前広場は車数台分のスペースと駐輪場を備えた相応の広さです。

矢作駅至近の県道
弥彦線と並走する県道の駅入口付近から吉田方面を見る、2006年11月撮影。
画像奥に前述の大鳥居が見えます。
なお当時は県道を弥彦方に少し進むとボウリング場、吉田方に少し歩いた弥彦村役場界隈にセブンイレブンとツタヤがあって、電車の待ち時間の暇つぶしにうってつけ。

矢作駅駅舎内部その1
矢作駅駅舎内部その2
駅舎内部の様子、2006年11月撮影。
旧窓口らしきものが残っています。
このクラスの駅としては内部は広めでゆったりした造りです。
駅舎改築が地元負担によるものだとすると、この造りは弥彦村の財力の証でしょうか?
なにしろ平成の大合併の中にあって今なお孤高を貫ける余裕のある村です。
弥彦村は戦後二度、周辺町村との合併話がありましたけれど、その二度とも新自治体の主導権を巡り交渉決裂で交渉の席を立つという誇りある村柄なのです。

閑話休題、駅舎内には自動券売機一台と無人駅定番朱色ベンチが二脚、ゴミ箱二つ。
現在はsuica用簡易改札機が設置されているとの事で、朱色ベンチも恐らく茶色の荷物置きスペース付き一人掛けのものに変わっていることと思われます。
トイレはホーム側に男女兼用非水洗があります。
内部は大体予想される通り(お察しください・・・)。

矢作駅のホームその1
弥彦方から見た構内、2005年8月撮影。
画像右手は一面の田圃、ヘビがうねり動いているのも目にできる野趣に富んだ良い意味での田舎の風情です。

矢作駅のホームその2
吉田方から見た構内、2005年8月撮影。
当駅を発車して右にカーブしつつ山峡に分け入る雰囲気が良い感じ。
とはいえ実際には電車は淡々と進みトンネルをくぐるでもなくあっさりと弥彦駅に至ります。
ウィキによれば、昭和二年の越後鉄道国有化から昭和35年まで貨物取扱いがあったとの事で、画像右側の木が生えている空間が貨物線跡なのでしょうか?

矢作駅のホームその3
晩秋夜の無人のホーム、2006年11月撮影。

矢作駅を出発する115系電車Y編成
矢作駅を出発する115系Y編成吉田行、2005年8月撮影。


県道の日本一の大鳥居その1
県道の日本一の大鳥居その2
当駅至近の見所がこの「日本一の大鳥居」、2005年8月及び
2006年11月撮影。
霊峰弥彦と俗世を分かつ分水嶺といった趣。
案内板によれば弥彦神社による奉建で、昭和57年11月吉日の落成。
特殊鋼製で高さ30m、柱径2.2m、柱間20mです。

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2010年9月18日 (土)

西燕駅(弥彦線)

本日の駅紹介は弥彦線・西燕駅。

吉田駅はこちらへ← →燕駅はこちらへ

西燕駅の駅名標

当ブログで新潟県の駅紹介を始めて四年七ヶ月経ちますが、弥彦線の駅を扱うのは今回が初めてになります。

さて西燕駅は新潟県燕市に所在する無人駅で、開業は昭和29年12月25日。
単線上の棒駅です。
当駅に関しては正直特記すべきエピソードが無く、なんとも書き手泣かせの駅(汗)。
弥彦線内6駅(東三条と吉田を除く)の中でも最も地味で目立たない駅・・・。
高架駅の北三条、新幹線接続駅の燕三条、かつては新潟交通電車線も乗り入れていた燕、田園にあって弥彦山を望むローカル度満点の矢作、知名度抜群の弥彦・・・。
そんな個性派達の中にあっては埋没感大も致し方なしか。
実際に降り立ち見聞してもその印象は非常に地味です・・・。
しかし弥彦線という線区が通学メインのはなはだ地味なカラーでありますから、この駅の地味さは弥彦線のある意味象徴であるとも言えるのです。

西燕駅駅舎
西燕駅駅舎の様子、2004年9月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和30年3月。
駅開業後三ヶ月間は駅舎未完だったのか、はたまた書類上の数字に過ぎないのか?

西燕駅前通りその1
駅前通りを吉田方から見る、2006年11月撮影。
上屋付きの駐輪場と酒屋が目を惹く程度です。

西燕駅前通りその2
駅前通りを吉田方に進み、踏切の手前で振り返る、2006年11月撮影。
当駅周辺は住宅の間に田圃や畑が点在する、地方小都市の郊外の典型です。

西燕駅駅舎内部
駅舎内部の様子、2006年11月撮影。
自動券売機一台と無人駅定番の朱色ベンチが二脚。
トイレは画像の右側(掲示板の右側)に男女兼用で設置されていました。
内部の様子は未検分に付き不明(汗)。
券売機右手の掲示スペース周りは何となくかつての窓口跡に見えなくも無い・・・と思っているのですが、当駅が有人だった時期は果たしてあったのでしょうか?
なお現在は簡易suica改札機が設置されているとの事。
朱色ベンチも恐らく茶色の一人掛けのものに変えられているでしょう。


西燕駅のホームその1
東三条方から見た構内、2006年11月撮影。
ホームが中程から吉田方に緩やかな左カーブを描いているのがわかります。

西燕駅のホームその2
吉田方から見た構内、2006年11月撮影。
ホームの上屋は電車2~3両分といったところで、弥彦線データイムの列車編成はその程度です。
朝夕ラッシュ時には比較的長編成の列車があり、ホーム上の黄色いラインはそれに対応しているようです。

踏切から見た西燕駅構内
吉田方の踏切から見た構内、2006年11月撮影。
この踏切を越えると食堂があり、当駅至近でお腹を満たせるのはこの店のみでした。
2006年11月訪問時点では、この先約300mに進んで行き当たる
国道289号線を視認出来る範囲ではコンビニ・スーパー共にありません。
ちなみにこの時点では当駅至近経由の路線バスは燕市のコミニュテイバスのみで、本数も僅少でした。
公共交通機関で当駅に降り立つのは、実質的に弥彦線利用以外ありません。
ただ燕駅までは40分も歩けば楽勝の至近距離で道もわかりやすいので、天気が良ければてくてく歩くのもまた一興かと。

西燕駅に進入する115系電車
左カーブするホームに進入する東三条行115系電車、2004年9月撮影。


西燕駅に停車中の115系電車
停車中の115系電車吉田行、2004年9月撮影。

西燕駅を出発する115系電車
出発する115系電車Y編成吉田行、2013年10月撮影。

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