カテゴリー「R013 米坂線の駅」の記事

2017年6月 3日 (土)

小国駅(米坂線)

本日の駅紹介は米坂線・小国駅。

小国駅の昔の駅名標

山形県西置賜郡小国町に所在する有人駅で、人口八千人強のこの山間の町の玄関駅です。
開業は昭和10年(1935年)7月31日。
開業当時の所在は西置賜郡小国本村で、同村は戦時下の昭和17年秋に町制を施行して小国町になり、今日に至ります。
当ブログは「新潟県の駅紹介」がメインコンテンツで、厳密に言えば小国駅はそれから外れるのですけれど、当駅はJR東日本新潟支社の管轄で「えちごワンデーきっぷ」のフリー乗降区間に入っている唯一の新潟県外駅であります。
ですので駅とその概要を簡潔にご紹介致したく、筆を進めてまいります。

JR東日本によると、小国駅の1日平均乗車人員は106人で、新潟県内の駅との比較では同じ米坂線内の越後下関駅より少し多く、飯山線の津南駅とほぼ同じレベル。
乗車人員中の定期客が占める割合は70%で、地方ローカル線の駅としてはこの数字はかなり低めと言えます。
越後下関駅のそれが90%に達していて、利用客のほとんどが学生なのとはだいぶ趣が異なるのです。
実際、土日に何度か乗り降りしてみても、近隣の駅では見られない明らかにハイカーとおぼしき乗客が見られて、観光要素の大きな駅であることを実感できます。

小国駅駅舎
小国駅駅舎の様子、2013年9月撮影。
建築財産票を見つけられなかったので竣工年月は不明ですが、おそらく駅開業当時からの建物と思われます。
小高い三角屋根が象徴的な、どこかメルヘンチックな香りもする良い建物。
東北の駅百選に選ばれるのも当然ですなこれは。
そう言えばあのシリーズ、新潟県の駅はほぼスルーなんですよね。
どの地方に入れたらいいのかわからないからと聞いたことがありますが、そんな理由でスルーとは県民として実にけしからん話なのであります。
閑話休題、駅前ロータリーにはタクシーが複数常駐していて、この辺も観光要素の大きい駅であることを表しています。

小国駅前広場のロータリー
小国駅前ロータリーの様子、2013年9月撮影。

米坂線と並走する小国駅前通り
米坂線と並走する小国駅前通りの様子、2013年9月撮影。

小国町営バスターミナル
小国駅から坂町方へ徒歩4分の道沿いにある小国町営バスターミナル、2013年9月撮影。
広大な小国町内各地に運行されていますが、米坂線補完に関しては、羽前松岡、伊佐領、羽前沼沢の各駅へ向かう路線はデマンド化されているので、地域外の人間が利用するのは難しいでしょう。
越後金丸駅方へはバスが運行されていて、廃止された玉川口駅の先、新潟県境の落合まで行けます。
そこから越後金丸駅までは約3km。
ただしこのバス路線(南部線)も通年運行便は僅少です。

小国駅と国道113号線を結ぶ駅前通り
小国駅と国道113号線を結ぶ駅前通りの様子、2013年9月撮影。
画像奥が小国駅です。
道はすっきりとして視界が開けていますが、集客力を持つ店はありません。
なおスーパーが駅から前述のバスターミナルを越えて少し進むとありますので、当駅訪問時の買い物はそこでするのが吉でしょう。

小国駅駅舎内部の様子その1
小国駅駅舎内改札口周りの様子、2013年9月撮影。
米坂線内でみどりの窓口が置かれている駅は、当駅と今泉駅のみ。

小国駅駅舎内部の様子その2
駅舎内のトイレは男女別です、2013年9月撮影。
画像では見切れてしまっていますが、右側にチラリと映っているのはツキノワグマの剥製の前足です。
小柄な体躯の剥製ですが、あんなのに山の中でバッタリ出会ったら恐怖の一言ですな。

小国駅駅舎内部の様子その3
駅舎内の出入り口周りの様子、2013年9月撮影。
当駅の待合空間はコンコース内のベンチ群の他に、画像左側にある待合室もあります。
ベンチの着席定員は双方合計で19人というところ。

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1番ホームの上屋下とその先の跨線橋出入り口の様子、2013年9月撮影。

1番線の米沢方から見た小国駅構内
坂町方面乗り場の1番線の羽前松岡駅方から見た小国駅構内の様子、2013年9月撮影。
駅構内は顕著な千鳥型配置。
当駅は列車交換駅で、2017年3月改正ダイヤでは1日2回の列車交換が行われています。

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1番線中程から羽前松岡駅方を見る、2013年9月撮影。

小国駅跨線橋内部の様子
跨線橋内部の様子、2013年9月撮影。
幅広で急行列車停車駅に相応しい貫禄。
この辺も利用実態の数字が似ている越後下関駅とは根本的に異なるところです。
あちらの跨線橋は小駅のそれそのもので、準急停車駅のレベルにも達していませんからなぁ。
まぁ町と村の玄関駅という差もあるのでしょうけれど。

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跨線橋上から羽前松岡駅方を俯瞰で見る、2013年9月撮影。

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同じく越後金丸駅方を見る、2013年9月撮影。

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島式ホームの2番線越後金丸駅方から見た小国駅構内、2013年9月撮影。
2番線は米沢方面乗り場です。

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島式ホーム3番線上屋近くの様子、2013年9月撮影。
3番線は当駅始発着列車の乗り場です。
上屋の3番線側は仕切られていて壁になっており、開放されていません。

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島式ホーム2番線端から羽前松岡駅方を見る、2013年9月撮影。
ホームの千鳥配置ぶりがよくわかります。

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島式ホーム2番線側の上屋下とその先の跨線橋出入り口の位置関係、2013年9月撮影。
上屋下にはJR東日本定番型のベンチを5脚設置。

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島式ホーム3番線側から構内を見渡す、2005年5月撮影。

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島式ホーム中程から越後金丸駅方を見る、2005年5月撮影。

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島式ホームから見た小国駅駅舎の構内側、2005年5月撮影。

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越後金丸駅方の踏切から見た小国駅構内の様子、2013年9月撮影。
構内で見ると相応に広い空間だと感じるのですが、少し離れて見ると駅の規模が小さいのを実感できます。

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羽前松岡駅方の踏切から見た小国駅構内、2013年9月撮影。
山懐に抱かれた駅であります。

小国駅2番線に停車中の快速べにばな米沢行
2番線に停車中のキハ110系気動車快速「べにばな」米沢行、2013年9月撮影。
かつての気動車急行「あさひ」「べにばな」の末裔ですけれど、米坂線内は各駅停車で快速表示が泣くというものです。

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キハ40系気動車時代の快速「べにばな」が小国駅に停車中、2004年8月撮影。
取材目的で当駅に初めて降り立った時のファーストショットです。

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1番線に停車中のキハE120形気動車坂町行、2013年9月撮影。

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1番線に進入するキハ52+キハ47の坂町行、2005年5月撮影。

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キハ52+キハ47の坂町行が列車交換待機中、2005年5月撮影。

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2016年3月17日 (木)

越後金丸駅(米坂線)

本日の駅紹介は、米坂線・越後金丸駅。

越後金丸駅の駅名標

新潟県岩船郡関川村に所在する無人駅で、開業は昭和8年(1933年)11月30日。
開業当時の所在は岩船郡関谷村で、同村は昭和29年に隣接する女川村と合併して現在の関川村が発足しました。
越後金丸駅周辺の金丸地区は山形県と境を接する関川村南部地域として、今日に至ります。
なお、現在の岩船郡を構成するのは関川村と離島の粟島浦村で、郡としては有名無実化同然の感があります。
21世紀を迎えた時点では他に二町(山北町と荒川町)・二村(朝日村と神林村)が属してしましたが、これら町村は2008年に県北地域の中心である村上市と合併してしまったのです。
さて、越後金丸駅は二面二線の列車交換可能な構造で、かつては貨物取り扱いもありました。
当駅は荒川と山地に挟まれた地形にあり、また最寄の金丸集落からは北に500mも離れています。
ゆえに何故このような狭隘なところにこの規模の駅を、まるで押し込むかのように作ったのかと昔は疑問に思っていました。
関川村史にはその辺の話が全く触れられていなかったのですけれど、ネットで色々調べてみると、越後金丸駅の現在位置から5km山に入ったところに「金丸鉱山」があるそうです。
陶器の材料の長石やガラスの材料の石英を含む「ペグマタイト」を産出するそうで、当駅が開業した戦前は重要な鉱山だったようです。
越後金丸駅が現在の位置に定められたのも、金丸鉱山の産出物を貨物輸送する為の利便性が重要な要素だったのかもしれませんね。

越後金丸駅駅舎の様子
越後金丸駅駅舎の様子、2013年6月撮影。
建築財産票によると、完成は昭和43年10月。
列車交換駅らしく、運転関係とおぼしきスペースが目につきます。
この規模の駅で二階建てというのも珍しい。
ここ関川村は、新潟県下越地方では阿賀町と並んで雪の多い地域なのですが、この建物の許容積雪量は90cm。
屋根の厚みを見ると剛健そうに見えるのですけれど、見た目よりも華奢な建物なのね。
この駅舎が完成した当時は、米坂線は蒸気機関車9600形の一人舞台。
当時は貨物も含めれば、当駅に停車する列車も現在よりずっと多かったことでしょう。
それを考えると、現在の寂れ具合はもののあわれを深く感じるところなのです。
建物の経年から考えて、改築もそう遠くないのでしょう。
その時は、改築後の咲花駅駅舎を平屋にして半分にしたような建物になりそうな予感。

越後金丸駅駅舎出入り口付近
越後金丸駅駅舎出入り口付近の様子、2013年6月撮影。
当駅には水洗トイレが設置されていますけれど、訪問した当時は小便器が撤去されていて事実上の男女兼用な状態。
洗面所の水は飲めませんという注意書きがありましたっけ。

越後金丸駅駅舎内の様子
越後金丸駅駅舎内の様子、2013年6月撮影。
私が当駅を取材目的で最初に降り立ったのは2004年11月、二回目が2008年4月でしたが、その当時と比較しても変わったのはベンチが朱色の長物から近年のJR東日本定番形に変わっていた程度。
独特のカビ臭は相変わらずで、その濃厚さは純然たる地上駅としては私の訪れた駅の中でもトップです。
なお、当駅には米坂線ワンマン化以前から自動券売機も乗車証明書発行機も未設置でした。

上りホームに接する駅舎部分と跨線橋出入り口の様子
上りホーム(米沢方面乗り場)に接する駅舎部分と跨線橋出入り口の様子、2013年6月撮影。
この辺は元有人駅の貫禄が見て取れます。

上りホーム越後片貝方から見た越後金丸駅構内
上りホーム越後片貝駅方から見た越後金丸駅構内、2013年6月撮影。
ホーム配置は千鳥形です。
ホームの有効長は四両といったところで、蒸気機関車全盛時代もこの長さで足りていたということなのでしょう。
当駅の旅客列車停車のトピックスとしては、新潟-山形間の気動車急行「べにばな」が一時期停車していたことが挙げられます。
私の手持ちの古い時刻表を見ると、昭和55年10月改正では通過だったのが、昭和60年3月改正では二往復中一往復が停車しています。
何故当駅のような、旅客需要は最初からあまり当てにしていなさそうなところに急行列車が停車したのか?
こういうケースだと真っ先に思いつくのが、「列車交換のついでに旅客扱い」ですけれど、「べにばな」の越後金丸駅停車は旅客列車との交換は一切関係していないので、それが当てはまらないのです。
当時は米坂線の貨物営業はまだ廃止になっていないので、ひょっとしたら貨物列車との交換ついでに旅客扱いだったのか?
うーむ、実に疑問だ、謎が深まる。

上りホーム米沢方から小国方面を望む
上りホーム米沢方から小国駅方を望む、2013年6月撮影。

上りホーム横の旧貨物線?
上りホーム横の旧貨物線? 2008年4月撮影。
越後金丸駅の貨物取り扱いは昭和53年に廃止されています。

越後金丸駅の跨線橋内部
越後金丸駅の跨線橋内部、2013年6月撮影。
完成は比較的新しく、昭和59年1月。
この当時の標準形と言えます。
撮影した時点で、既に虫は多かったです、特に蜂が・・・。
夏から初秋にかけては近づきたくない雰囲気がビンビンに伝わってきます。

跨線橋上から越後金丸駅構内坂町方を見る
跨線橋上から越後金丸駅構内坂町方を見る、2008年4月撮影。

跨線橋上から越後金丸駅構内米沢方を見る
同じく駅構内小国方を見る、2008年4月撮影。
GW初日だというのに、一ヶ月季節が逆戻りしたような寒さと暗さでした。

下りホーム小国方から見た越後金丸駅構内
下りホーム(坂町方面乗り場)小国駅方から見た越後金丸駅構内、2013年6月撮影。
元は島式だったのではないかと思わせる造りです。
ホーム上の待合室は大変こじんまりとしていて、特記する事項は無し。

下りホーム横の線路跡と思われる空間
下りホーム横の線路跡と思われる空間、2013年6月撮影。
山側に金丸鉱山があるのならば、そことのアクセスで産物を貨車に積み込むには、こちら側の方が都合が良いように感じられるのですけれど。

下りホーム坂町方から越後片貝方面を見る
下りホーム端から越後片貝駅方を見る、2013年6月撮影。
画像左側の線路跡らしきものが実に気になる。
またホームの先端部に構内通路の出入り口らしきものが見えます。

小国方の踏切から見た越後金丸駅構内の様子
小国駅方の踏切から見た越後金丸駅構内の様子、2013年6月撮影。
こうして見ると実に山深い土地なのかよくわかります。
越後片貝方には踏切が無いので、駅構内全景を地上から観察できるのはこの地点だけです。


駅舎向って左側にある荷物取り扱い用?の出入り口
駅舎向って左側にある荷物取り扱い用?の出入り口、2013年6月撮影。
越後金丸駅の荷物取り扱いは昭和58年に廃止されています。
米坂線の今泉 - 坂町間CTC化と時を同じくしていて、あるいは当駅の無人化もその時だったのかもしれません。

越後金丸駅を出発するキハ110系気動車快速「べにばな」
越後金丸駅を出発するキハ110系気動車快速「べにばな」米沢行、2013年6月撮影。
快速といっても米坂線内は各駅停車です。
坂町-今泉間の日中は有人駅以外の乗降が皆無に近いので、越後下関、小国、羽前椿以外は通過でも差し支え無さそうに思われます。
しかしそこまでして速達化する積極的な理由も無いのでしょうね。
ちなみに、当駅に停車する旅客列車の本数は昭和55年10月改正で上下13本、平成27年3月改正で12本と、ほぼ変わっておりません。

越後金丸駅での列車交換中に撮影したキハ52
越後金丸駅での列車交換中に撮影した坂町行キハ52、2005年5月撮影。
平成27年3月改正ダイヤでは当駅での列車交換は無く、小国駅と越後下関駅に集約されました。
過疎ダイヤな上に何かといえば運休というご時勢ですから、予備の交換設備など必要とされないでしょう。
当駅の交換設備について、今後会社がどういう判断を下すのでしょうか。

越後金丸駅下りホームに到着したキハ110系気動車坂町行
越後金丸駅下りホームに到着したキハ110系気動車坂町行、2013年6月撮影。
駅構内がきちんと映り込む順光の午前から昼にかけて、この下りホームに入る列車はこの便のみ。
当駅での滞在時間は約二時間です。

国道113号線小国方から見た越後金丸駅前の様子
米坂線と並走する国道113号線の小国方から見た越後金丸駅前の様子、2013年6月撮影。
当駅周辺には文字通り何もありません。
飲料の自販機すら無いのです。
国道を小国方面に進むと、かつては小学校を有した金丸集落に行き着きます。
しかし関川村立金丸小学校は越後片貝駅近くの沼小学校と共に、平成13年度をもって閉校し、旧校舎は「金丸ふれあい自然の家」として活用されているそうです。
という事は、この地域の学童は10km以上離れた関川村中心地区にある関川小学校に通わなければならないのでしょう。
真冬は実に大変な話だと思うところです。

国道113号線を坂町方面に少し進み、振り返って一枚
国道113号線を坂町方面に少し進み、振り返って一枚、2013年6月撮影。
車の通行量は多く、このように車が全く映らない画を撮るのには時間がかかるのです。
なお、この金丸地域には路線バスは走っていません。
20年程前の道路地図を見ても、バス路線は設定されておりませんでした。
随分前から、米坂線以外の公共交通機関は存在していないようです。

荒川の対岸と結ぶ橋から撮影
さらに歩いて荒川の対岸と結ぶ橋から撮影、2013年6月撮影。
画面奥が越後金丸駅です。

山肌のすぐ下に越後金丸駅の跨線橋が見えます
採掘か何かで切り立った山肌のすぐ下に越後金丸駅の跨線橋が見えます、2013年6月撮影。

米坂線の鉄橋とその奥の八ツ口橋
青と赤のコントラストが良い感じの米坂線の鉄橋とその奥の八ツ口橋、2013年6月撮影。

八ツ口橋から見た荒川下流
八ツ口橋から見た荒川下流、奥に見えるのは国道113号線の八ツ口大橋、2013年6月撮影。
こうして見ると遠くにあるように見えますが、実際は直線距離で1km程の距離しかないのです。

八ツ口大橋上から見た米坂線の鉄橋
国道113号線の八ツ口大橋上から見た米坂線の鉄橋、2013年6月撮影。
越後金丸駅からここまで約2.5km。
越後片貝駅までの距離の中間地点です。

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2015年11月29日 (日)

越後片貝駅(米坂線)

本日の駅紹介は、米坂線・越後片貝駅。

越後片貝駅の駅名標


新潟県岩船郡関川村に所在する無人駅で、開業は昭和8年(1933年)11月30日。
開業当時の所在は岩船郡関谷村で、同村は昭和29年に隣接する女川村と合併して関川村となり、現在に至ります。

坂町駅を出発した米坂線の列車は、前方に控える山地に向かってまずは広大な越後平野の端の田園風景を駆け、越後大島、越後下関を経て、にわかに険しくなった鉄の細道で二つのトンネルを抜けて到着するのがこの越後片貝駅。
米坂線と並走し、駅前を通る国道113号線こそ交通量は多いのですけれど、歩く人影は見えず行き交うクルマの音だけが響く、そんなローカル線駅の典型のようなところです。
かつては駅の北側に小学校がありましたが、平成13年に統廃合によって廃校になってしまっています。
遡って見れば明治22年(1889年)に町村制が発足した時点で、既に独立した村ではなかった地域でしたからそれも当然と言われてしまえばそれまでなのですけれど。
...こう書くと悪口ばかりじゃないかとお叱りを受けそうなので、当駅の名誉の為に書いておきますと、ここ越後片貝駅は凡百の単なる棒駅では無く、越後大島駅同様に色々と曰くがありそうな雰囲気遺構があって中々に興味深く、周辺の山峡と河に挟まれた地形の鄙びたロケーションともマッチして、実にいい感じの駅なのであります。

越後片貝駅駅舎の様子
越後片貝駅駅舎の様子、2005年8月撮影。
国道をクルマで通り過ぎる一見さんは、「こんな田舎になんて大きな駅なんだろう」と感慨を持たれる向きもあろうかと思いますが、建物の空間の大半は地元の「九ヶ谷地区ふるさと会館」になっています。
建設費の一部は簡易保険積立金還元融資を受けててものだそうで、その趣旨性格からすると最初にふるさと会館ありきで、次いでに老朽駅舎も取り込んだという形なのかもしれません。
建築財産票によると、完成は平成3年2月16日。
建設が決まったのは前年で、バブル末期の産物になりますな。

越後片貝駅駅舎内部の様子
越後片貝駅駅舎内部の様子、2013年6月撮影。
比較的広い空間ですけれど、ベンチの数はご覧の通り。
地域の通学生専用のような駅で、ベンチに座って待つなんて事も無いのでしょうしコレで十分なのでしょう。
越後片貝駅を最初に訪れたのは2003年11月でしたが、その当時から自動券売機、乗車証明書発行機共にありませんでした。
現在では米坂線の列車はワンマン運行なので、両方共設置の必要はこれからも無いでしょう。
なおこの時点ではトイレはくだんの会館の水洗トイレを使えました。
綺麗なトイレですけれどトイレットペーパーは無し。
今でもそうなのかはわかりませんが、大きな用足しの場合は水に流せるポケットティッシュ持参が無難でしょう。

ホーム越後下関側から見た越後片貝駅構内
ホーム越後下関駅側から見た越後片貝駅構内、2013年6月撮影。
当駅に停車する列車は二連が常態なのが、ホーム上の後方確認ミラーの位置からわかります。
ホームの有効長は四両といったところで、かつて9600形蒸機が旅客列車を牽引して活躍していた時代だと、これっぽっちの長さでは足りんのでは?と疑問に感じるところ。

ホームの駅舎側から越後下関方を見通す
ホームの駅舎側から越後下関駅方を見通す、2008年4月撮影。
ホームの先に小さく見えるのは歩行者専用の跨線橋です。
ちなみに当駅前後に踏切はありません。

ホームから越後金丸方を見る
駅舎出入り口付近から越後金丸駅方を見る、2003年11月撮影。
前述した遺構というのは、今(2015年)から12年前の時点でも、使われているのかどうか定かではない横取り線の存在。
駅前後の線形から見て、この横取り線はかつての副本線か貨物用側線の名残りだと思うのですが果たして?
またこれを見ると、越後片貝駅構内の有効長はホーム長よりもかなり長いのがわかります。

越後片貝駅に到着したキハ52とキハ47気動車
越後片貝駅に到着した今は亡きキハ52とキハ47気動車の二連坂町行、2005年8月撮影。

キハ47とキハ52気動車の米沢行
越後片貝駅に到着したキハ47とキハ52気動車の二連米沢行、2005年8月撮影。

キハ58系とキハ52の快速「べにばな」
越後片貝駅に進入する今は亡きキハ58系気動者と二両と多分キハ52の三連からなる快速「べにばな」坂町行、2003年11月撮影。

越後片貝駅を出発したキハ110気動車
越後片貝駅を出発したキハ110気動車単行の米沢行、2013年6月撮影。

越後片貝駅に到着するキハE120気動車とキハ110
越後片貝駅に到着するキハE120気動車とキハ110二連の坂町行、2013年6月撮影。

ホームから見た越後片貝駅前
ホームから見た越後片貝駅前の様子、2008年4月撮影。
この時点で、当駅周辺で飲料やお菓子を買えるのは駅前の雑貨屋さんのみ。
手前の広大な空き地が目を惹きます。
かつては鉄道関係の敷地だったのかどうか。
後背の小山がまたなんともいい形。

駅前を通る国道113号線
駅前を通る国道113号線の様子、2003年11月撮影。
画像中央が越後片貝駅舎。
当駅周辺で唯一集客力を持つのが、画像に案内板が見える「わかふな高原スキー場」です。
サイトはシーズン中のみなので、基本情報はこちらへ
越後片貝駅から歩いて行ける距離なのに、アクセスは越後下関駅からバスとはうーむ。
ちなみに当駅関連の路線バスについてですが、当駅最寄バス停は「鷹ノ巣」で、国道を越後下関方面に歩くこと約2.5km。
しかし一日一便で平日のみの運行なので、駅巡りには実質使えない路線です。
ダイヤはこちらへ

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2010年5月 5日 (水)

越後下関駅(米坂線)

本日の駅紹介は、米坂線・越後下関駅。

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新潟県岩船郡関川村に所在する有人駅で、昭和6年(1931年)8月10日の開業です。
かつて新潟-仙台(後に山形)間に二往復運行されていた急行「あさひ」(のち「べにばな」と改称)の停車駅でした。
開業当時は同郡関谷村の所在で、その後関谷村は昭和29年8月に荒川を越えた先の女川村と合併して関川村となって今日に至ります。
「下関」は駅の所在する地名で、合併を機に駅名も「関川」に変えてしまえば良かったのに・・・と、無責任な部外者は思うところでありますが。

関川村は粟島浦村と共に、平成の大合併において岩船郡内で村上市との合併に応じず独立独歩を貫く土地柄でありますけれど(岩船郡の他の町村・・・荒川町、神林村、朝日村、山北町は2008年4月1日をもって村上市と合併)、粟島浦村が合併によって島が埋没してしまうのを怖れた為などと言われているのと異なり、村上市との間に昔からの感情的なモノがあるやに、知人から聞いた事があります・・・。
また関川村は「平成の村八分」訴訟という、いささか不名誉な問題で全国にその名を知らしめたのは記憶に新しいところ。

越後下関駅は単線上の二面二線で列車交換可能駅です。
2008年あたりは交換設備撤去の噂がネット上で見られましたけれど、幸い2010年現在でも最終列車同士の列車交換が見られました。
ただ、米坂線・坂町-小国間32.4kmは一日六往復という新潟県内では只見線に次ぐ過疎ダイヤでありながら、中間の列車交換可能駅は当駅と越後金丸駅があります。
一日五往復運行の只見線・小出-大白川間26.0kmは列車交換可能な中間駅無し。
それを考えるといずれは当駅と越後金丸のどちらか、最悪の場合は両駅とも棒線化されても不思議ではありません。
実際、2016年3月改正では越後金丸駅での定期列車の交換は無くなり、小国-坂町間の交換は当駅に集約されました。
雪害時のダイヤ調整時の必要性についても、昨今ではダイヤを調整しなければならない程の降雪時は運休ですからね(困ったモンだまったく)。

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一番ホームの駅舎周り、2005年8月撮影。

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同じく、越後大島駅方から越後下関駅構内を見る。

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同じく、越後片貝駅方の旧貨物ホームから駅構内を見る。

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二番ホームの越後片貝駅方から越後下関構内を見る、2008年4月撮影
ホーム上には小さな待合室があります。

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二番ホーム上の待合室内部、2013年6月撮影。
建築財産票によると、完成は昭和12年5月。

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2005年8月撮影、二番ホーム越後大島駅方を望む。
二本のホームはご覧のように千鳥配置です。

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跨線橋内部の様子、2013年6月撮影。
米坂線では主要駅の一つに数えられる越後下関駅ですけれど、跨線橋内は凡百の無人駅と変わらない狭さです。

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2008年4月撮影、跨線橋から越後片貝方を望む。
坂町-越後下関間は平野部を進む米坂線は、当駅発車後すぐに勾配区間に入ります。

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同じく跨線橋から越後大島駅方を望む。
駅裏手は一面の田圃です。

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同じく越後片貝駅方の踏切から越後下関駅を望む。

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同じく踏切の先の陸橋から俯瞰で見た越後下関駅全景。

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2005年8月撮影、2009年春に引退したキハ52形気動車を先頭にした坂町行普通列車が二番線に進入。

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今では思い出の彼方のキハ58系気動車主体の坂町行快速「べにばな」、2003年11月撮影。

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越後下関駅一番線に到着したキハ110単行の米沢行、2013年6月撮影。

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越後下関駅二番線から出発するキハ110+キハE120二連の坂町行、2013年6月撮影。
このような単線上の交換駅では、列車交換時以外は乗降の便を図る為に上下共に駅舎に面したホームに入るケースがよくありますが、当駅の場合は上下の発着ホームが厳格に守られていました。


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越後下関駅駅舎の様子、2003年11月撮影。
建築財産票によれば昭和49年11月8日の竣工で、横長の長方形平屋です。
横長で駅前広場が狭く駅前通りも道幅狭の為、駅舎全体を画像一枚に収めるのは至難です。
なお駅前にはタクシーが待機しておりました。

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越後下関駅駅舎内部の様子、2008年4月撮影。
駅舎内は吹き抜けで、無人駅定番タイプのベンチが広い室内に3脚肩を寄せ合うように置かれております。
窓口営業時間は2008年4月現在で06:45~18:15。
券売機は設置されておりませんでした
また最終列車発着後の夜21時以降は駅舎内立ち入り禁止になるので駅寝は出来ません。
トイレは駅舎駅前広場側に男女共用の水洗式があります。

駅窓口は関川村の簡易委託という形で営業しているそうですが、一日六往復ではうーむ・・・、しかし村の玄関駅としての面子もあるでしょうし、
米坂線新潟県内区間で有人駅は当駅のみなので、周辺無人駅利用者の定期購入の需要もあるでしょうし・・・。
JR東日本によると当駅の2015年度一日平均乗車人員は98人で、同社新潟県内有人67駅中66位と振るいません。
しかし単に運行本数や利用客数で斬って捨てるわけにもいかない面があるのは確かでしょう。

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越後下関駅前通り、2008年4月撮影。
画像中央が駅舎です。

駅前通りには旅館の看板が一軒。
路線バスの通る村のメインストリートには郵便局と銀行、昔ながらの医薬品店がある程度で、2008年4月時点では坂町方面に少し歩いた新潟交通観光バス下関営業所の先にスーパーが一軒ありました。

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2008年4月撮影、駅前広場から見た駅前通り。

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同じく、バス営業所側から駅方面を望む。

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同じく、後述する「渡辺邸」に面するメインストリートの米沢方。

この営業所から国道290号線経由村上線、米坂線に並行する坂町線、米沢方面に4km程進む鷹ノ巣温泉線の新潟交通観光バスの路線バスが運行しています。

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新潟交通観光バスの下関営業所、2008年4月撮影。

村上線は三角形の二辺を往く鉄道の坂町経由と異なり、一辺をダイレクトに結ぶので利用価値が高いのですが(私は二回乗車しましたが、旧女川村域を進む山間路線でなかなか味があります)、残念な事に運行本数は少なく、2008年当時は平日4往復、土休日2往復。
坂町線もこの当時、土休日は2往復で2016年現在では全便土休日運休。
営業所構内も手持ち無沙汰の感強しです。

人口6千人強の村の中心街としては少々寂しくも感じられますが、駅から米沢方面に500mも歩けば国道113号線上の「道の駅関川」があり、食堂やみやげ物店、温泉が併設されて賑やかです。
国道は交通量が多く、過疎ダイヤの米坂線とは明暗くっきり・・・。

越後下関駅至近の観光スポットとして有名なのが「渡辺邸」(入場料¥500ナリ)。
岩船・村上に広く覇を唱えた豪農の館であります。→渡辺邸HPはこちら
映画「蔵」のロケ地なのがキャッチコピーですけれど、「蔵」といってももう随分昔の話・・・。
私がここを訪れたのは2008年4月末ののGW初日でしたが、朝イチ(AM0900)とはいえ、見学者は私の他に二名。

・・・ぶっちゃけて書いてしまうと、県内の他の豪農の館・笹川邸」や「目黒邸」に比べて見せ場がないというか何というか情緒に訴えるトコロが無いというか・・・。
笹川邸のような華やかさ(何しろ小大名に匹敵する経済力ですから)も、目黒邸の山間の素朴さも無いんですよねぇ・・・。
国道至近で道の駅も近く、温泉も車であればごく近いという立地条件には恵まれているので、邸公開に当たってのコンセプトを明確にすれば・・・とシロウトは感じるところ大なのです。

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上が渡辺邸の母屋、下が座敷。

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「荒川峡温泉郷」に至る橋から見た荒川の流れ。
この先蛇行しながら小国へ至ります。

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2008年12月 3日 (水)

米坂線・越後大島駅

本日の駅紹介は米坂線・越後大島駅。

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岩船郡関川村に所在する無人駅で、1931年(昭和6年)8月10日に米坂線・坂町-越後下関間が開通したのと同時に開業しました。
開業当時の所在は岩船郡関谷村で、同村は昭和29年に隣の女川村と合併して現在の関川村になり、今日に至ります。

私は越後大島駅には都合3回訪問しましたが、二度目の訪問時(2004年8月)には開業以来の木造で風格ある駅舎が健在でした。
二度目の訪問でとりあえずの取材は果たせたので、この駅に降り立つ事はもうないだろうなぁと感慨を抱きながら、車上の人となったものですが・・・。
それから二年強経った2006年10月、村上から路線バスで越後下関へ行ったその帰路、当駅の風景にびっくり仰天! 
その日のそれ以降の予定は全てキャンセルして再びホーム上の人となった次第。
何故びっくり仰天して脊髄反射的に降り立ったかと言うと・・・、
それは当駅のあのクラシカルな渋い駅舎が完全に撤去され、真新しいモノに変わっていたから・・・。

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越後大島駅旧駅舎の様子、2003年11月撮影。

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越後大島駅の新駅舎全景、2006年10月撮影。

新駅舎はかつては有人だった旧駅舎と異なり、待合室の機能のみの完全なる無人駅スタイル。
建築財産票によれば、竣工は平成18年9月。
私が降り立った時点でまだ一ヶ月程度の出来立てホヤホヤです。
許容積雪量は100cm、当地の降雪状況からみてまずは妥当な線でしょう。

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越後大島駅新駅舎内部の様子、2006年8月撮影。
室内は流石に目立った汚れもなく綺麗でしたが、ベンチは廃物利用とおぼしき無人駅定番の見慣れたモノ。
旧駅舎時代同様、自動券売機も乗車証明発行機も未設置でした。
新しい皮袋に古い酒といった趣、定期客しか望めない立地とあっては止むを得ませんが・・・。

当駅駅舎の改築にあたり、利用者にとって最大の福音はトイレが画期的に綺麗になったという事です、これは本当に素晴らしい!
駅舎構造物内に造り付けのトイレは男女別で水洗、またお年寄りや身体の不自由な方にとって心強い捉まり棒まで付いたバリアフリー仕様です。
タイミング良くもよおしてきましたので、早速バリアフリートイレにて用足し。
綺麗な水洗式ですと、やっぱり気分は良いですなぁ~。
汚くて非水洗のトイレで用足しをした時の、「はやく済ませてここを出ねば!」という切迫感を感じなくて済むのが精神的に非常に宜しい。
旧駅舎時代は駅前広場の坂町側端に、これまた開業当時からのものでありそうな掘っ立て小屋然のトイレが、昔の字体で「便所」の看板もいかめしく屹立していたものです。
切迫感以上のナニかを感じさせずにはおかない禍々しい空気を発散していましたっけ。
内部を見学するには少々勇気のいる風体でしたので未確認に付き歴史の忘却の彼方ですけれど、まず間違いなく「重力自由落下式」であったことでしょう。
余程もよおして切羽詰まった時以外は、断じて利用したくない雰囲気プンプンでしたもんねぇ(笑)。

かつては有人だったその名残からなのか、越後大島駅の駅前広場は広大。
米沢寄りには屋根付きの自転車置き場があります。
駅前正面から自転車置き場横に抜けている道路はこれでも国道で、関川村中心部への路線バスが平日一日三往復走っております
(注:2006年10月現在)。
この国道290号線はこの先線路を越えて、下越地方では著名な観光スポットの胎内(スキー場やキャンプ場を有する)へ向かっています。
なおこの道路(駅前を底としたL字状になっており、場所によっては見通しが悪く突然車が現れたりします)は車がかなりトバしてきたり大型車が入ってきたりしますので、駅舎全景の撮影時はくれぐれもご注意ください。

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国道290号線を胎内方面へ。これでも国道です。

駅前から真っ直ぐ伸びる国道沿いは集落を形成していて民家も多く寂れた印象はあまり抱きませんが、御多分に漏れずスーパーは無し。

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駅前から国道119号方面を望む、2006年10月撮影。

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駅前通りから越後大島駅方向を見る、2006年10月撮影。

駅前通りには第二、第四日曜は休業というヤマザキショップ(コンビニに非ず)と、旅館の看板が一軒(営業しているかどうかは定かではない)があるきりです。
駅から3~400mほど進むと国道113号線(新潟と山形内陸部を結ぶ主要国道で交通量非常に多し!)と合流し、信号を渡るとヤマザキデイリー(こちらはコンビニ)兼酒屋に到着、食料確保を確実に行えます。

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またこちらは駐車場も広く、トラックの休憩所としてだいぶ繁盛しているようです。

駅に戻って構内を見ると、短いホーム一本の典型的ローカル駅の趣。

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旧駅舎時代のホームを坂町駅方から見る、2003年11月撮影。

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同じく越後下関駅方から見る、2003年11月撮影。

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駅舎も駅名標も変わった近年の越後大島駅、2013年6月撮影。

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越後下関方の踏切から見た越後大島駅、2013年6月撮影。

旧駅舎時代はそれでも重厚な造りの駅舎が歴史の重みを加えて、その存在感を大いにアピールしていたものですけれど、改築後はそうしたモノも完全に消え去ってしまい、真新しくも大変こじんまりとした待合室と昔ながらのホームがなんともミスマッチで違和感を拭いきれません。
トイレが綺麗になった事は大変素晴らしい事なので苦言を呈するのも心苦しいのですが、もうちょっとデザインに注意を払って欲しかったなァと感じる次第です。
当駅の御得意である通学生諸君にはそんな事知るか!なんでしょうけどね。

本線の横にはもう一本の線路と短いホーム状の構造物。
今も残る貨物用ホームではさばききれない重量級の貨物(出荷米とか)はここで出し入れしていたのかもしれません。
線路は本線とは完全に切り離されており、かつての鉄路隆盛時代を今に留めるモニュメントのようになっております。

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越後大島駅を出発する坂町行快速「べにばな」、2005年8月撮影。

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越後大島駅を通過するキハ58系「なつかしの急行あさひ」、2005年8月撮影。

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出発するキハ110系気動車を先頭とした坂町行、2013年6月撮影。

さて2006年10月、駅舎改築を目撃して脊髄反射的降車を敢行した私・・・。
列車の本数は少なく、国道119号経由で坂町と越後下関を結ぶバスも当時は土休日はたった2往復の運行で使い物にならず・・・(2016年時点では土休日全便運休)。
このままこの待合室で、次の列車(1805発坂町行)が来るまでよるべなく二時間半もじーっと待っているのもゲイがない。
ならばと思い立ったのが、坂町駅までの道程七キロ半を歩いてみよー!
私の歩行速度だと一時間二十分ってとこですかね。

幸いというかなんというか、当駅と坂町駅の間には、1995年12月まで無人駅の花立駅があったのです。
かねてからその跡地を訪れたいと思いながらも、場所が中途半端でなかなか旅程に組み込めず、後回しにしていたところです。
こんな機会ももうないだろうし、ここはこのヒマヒマな待ち時間を天祐と受け止めて、花立駅跡を見物しつつ坂町駅へ勇躍発進!と相成ったわけです。

道中、国道は荒川を右に見ながら進みます。

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道中にあった警報機付き踏切、2006年10月撮影。
この先民家とか無いようですけど、何故警報機付き?

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史跡「せばの渡し」、2006年10月撮影。
荒川を往く舟の発着場がこの辺りにあったようです。
明治十九年廃止。

約3kmを歩いて念願の花立駅跡に到着。
「花立駅跡」の駅名票が設置されていますが、道路から高台のホームへ上がる階段は埋められたそうで私にはその跡を確認出来ませんでした。

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いずれも2006年10月撮影。

従って廃ホームは確認出来ず・・・米坂線列車乗車の際にはこのあたりに差しかかると目を皿のようにして廃ホームを探すのですが、その手かがりすら発見出来ません。
駅廃止十年以上を経て雑草が生い茂りすっかり朽ち果てて原型を留めていないのか、それとも撤去されてしまったのか・・・。

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俯瞰で花立駅跡と思われる辺りを撮る。うーむやはりワカラン・・・、2006年10月撮影。

花立駅廃止の理由は利用者減少との事で、確かに駅周辺には土地改良区の建物以外何もありませんが、橋向こうを見れば民家も見え国道を坂町方面へ進めば矢張り民家もありますから、全くの無人地帯というわけではありません。
この程度の立地条件なら、ローカル線ではたいして珍しくもないと思いますけれど、それでも廃止に踏み切ったのは何故なんだろうと少々疑問です・・・。

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荒川の越後下関方面を望む。

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同じく坂町方面を望む、いずれもこ2006年10月撮影。
この辺りを境にして川の表情がガラリと変わります。

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