カテゴリー「R003 羽越本線の駅」の記事

2017年5月27日 (土)

間島駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・間島駅。

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新潟県村上市に所在する無人駅で、開業は大正13年(1924年)7月31日。
開業当時の所在は岩船郡上海府村でした。
上海府村は昭和29年3月末をもって、周辺諸町村と合併して市制を施行、新自治体の村上市の一部となって今日に至ります。

当時の鉄道の駅は特に地方線区であれば、概ね自治体一つに付き1駅というのが常態。
戦後まで駅が設けられなかった例も珍しくなかったのですが、ここ上海府村の場合は越後早川駅と間島駅の二駅が鉄道開通当初から設置されていました。
これは越後早川駅の記事で述べたように、岩船郡一体に強い影響力を持っていた大地主の市井家の影響力によるものとの事です。
当局の元々の計画では、上海府村に置かれる駅は越後早川駅-間島駅間の中間地点に当たる現在の上海府小学校付近。
しかしそれでは越後早川駅至近で炭を生産して出荷していた市井家にとっては、停車場までの距離が遠くて不便だと言うのです。
その後政治的な根回しが行われて、当初計画は修正されて従来の駅構想は破棄。
越後早川駅を設置し、そのままでは村上駅との間に12kmもの距離があるために、おそらくは信号場としての役割も期待されて、越後早川駅から約5km、村上駅から約7kmのここ間島の地に停車場が作られることになったのです。

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間島駅駅舎の様子、上は2006年11月、下は2013年6月撮影。
建築財産票によると、完成は昭和63年3月18日。
隣の越後早川駅同様、日本海を意識したような青い屋根が特徴の小品です。
駅前広場は広いものの舗装はされておらず、どこか茫洋とした印象です。
越後早川駅同様に駅舎出入り口に飲料の自販機がありますが、当駅周辺には他に自販機の類が無いので貴重な水分補給所になっています。

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1番ホームから見た間島駅駅前広場の様子、2010年6月撮影。
画像左奥にチラリと見えるのは日本海。

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羽越本線と並走する国道345号線の間島駅付近の様子、2013年6月撮影。
鉄道補完として、この国道には新潟交通観光バス運行の路線バス村上-寒川線が走っています。
当駅の他、越後早川、桑川今川越後寒川各駅への移動に使えますが、運行本数は一日2往復でしかも土休日運休・・・、駅巡り者にとっては実に残念です。

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国道345号線上の「間島」バス停、後方の建物はバスの待合室です、2010年6月撮影。
当時の路線バスは村上-馬下(越後早川駅から約4km、桑川駅から約2km地点で平成の大合併前の村上市と山北町の境)間と村上-桑川漁港間に設定されていました。
現在の土休日全便運休とは違って、通年運行が1往復、土休日運行が1往復と駅巡りに使える可能性があったダイヤ設定だったのです。

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国道345号線を村上方面に2km程歩いて、羽越線を跨ぐ陸橋上から海辺の下り線を見る、2004年9月撮影。
潮風吹きすさぶ海岸の手前にまで田圃があるのです。
日本の農家は逞しい。

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間島駅駅舎内部の様子、2010年6月撮影。
かつての窓口らしき辺りはシャッターで閉鎖されています。
内部には自動券売機が一台設置。

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ホーム側から見た駅舎出入り口の様子、2013年6月撮影。
ホームと駅舎に高低差があるのが間島駅構内の特徴のひとつです。

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跨線橋手前から見た間島駅駅舎とホームの位置関係、2010年6月撮影。
トイレは駅舎構内側の向かって右端にあり、当時は男女兼用でした。

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1番線(酒田方面乗り場)の越後早川駅方から見た間島駅構内の様子、2013年6月撮影。
線路が右にカーブしている上に、手前の物々しい架線柱がある為に眺めは個人的にはイマイチ。

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1番ホーム端から越後早川駅方を見る、2013年6月撮影。
古い時代の駅の常として、間島駅構内のホーム配置も千鳥型です。
ここから先は単線区間になっています。

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1番線横の旧貨物線跡、2013年6月撮影。

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1番ホームの村上駅方から見た間島駅構内、2013年6月撮影。

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間島駅跨線橋内部の様子、2013年6月撮影。
国鉄時代のローカル駅跨線橋の定番型です。
上部にある窓は固定式で、私の身長(170cm)では両手を一杯に伸ばしても撮影は困難。
残念ながら構内の俯瞰は断念です。
窓が固定なのは潮風が入ってくるのを防ぐ為か?と一瞬思いましたが、隣の越後早川駅の跨線橋は窓の位置がもっと低くて開閉式なのですよ。
と言う事は、海に近い事がこの構造の理由では無いわけで・・・。
何を基準にこういう構造にしているのか謎ですな。

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跨線橋出入り口から見た、間島駅島式ホーム(2-3番線)越後早川駅方の様子、2013年6月撮影。
ホーム上には待合室があるきりで、上屋はありません。
当駅の場合、旅客流動は圧倒的に村上指向でしょうから、乗客が列車を待つのはこのホームということになります。
しかし上屋は無く待合室も少し離れているので、雨の日などは跨線橋内に立ちんぼで待っているんでしょうかね。

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島式ホーム2番線の越後早川駅方から見た間島駅構内、2013年6月撮影。
千鳥配置の1番ホーム、その後背の駅舎と跨線橋、右側の旧貨物線跡が一同に写りこむこの辺りが、当駅構内で最も見栄えがする場所だと個人的に思います。
越後早川駅と異なって当駅の中線は健在でしたけれど、2017年3月改正ダイヤにおいて当駅での列車交換や普通列車の特急退避は無いので、少なくとも定期旅客列車については中線に入る事は無いようです。

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島式ホーム端から越後早川駅方を見る、2013年6月撮影。
間島駅構内の線路配置がよくわかります。

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間島駅島式ホーム上の待合室とその内部の様子、2013年6月撮影。
建築財産票によると完成は大正2年11月・・・って駅開業の11年前ですぜ!?
訪問するたびに控えているので間違ってはいないと思うのですが。
それはさておき、待合室は内外共に手を入れられているので、古めかしさはあまり感じさせません。
この時点でベンチはJR東日本定番型に更新済み。
けして忘れ去られた存在ではないのだなぁと安心しました。

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島式ホームの村上駅方から見た間島駅構内、2013年6月撮影。
列車が入線する機会があまり無いからなのか、2番線の枕木の色の薄さが目立ちます。

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島式ホーム端から村上駅方を望む、2013年6月撮影。
間島駅から村上駅までは複線で、線路は並列ではなく別線の形。
景色の良い日本海側を走るのは下り線です。

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間島駅1番線を出発するキハ40系気動車酒田行、2013年6月撮影。
羽越本線・村上-酒田間の主力車両として今なお君臨しているこの気動車も、来年度から後継の電気式気動車投入開始でいよいよ姿を消していくことになります。

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間島駅2番線に停車中のキハ40系気動車村上行、2004年9月撮影。

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間島駅3番線に停車中のキハ40系気動車村上行と、1番線を颯爽と駆け抜ける485系電車R編成の特急「いなほ」秋田行、2010年6月撮影。
海辺の小駅が華やぐ一瞬の光景です。

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間島駅1番線を通過し遠ざかる、485系電車R編成の特急「いなほ」酒田行、2013年6月撮影。

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間島駅3番線を通過する485系電車T編成の特急「いなほ」新潟行、2013年6月撮影。

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間島駅3番線に停車中の485系電車T編成の団体列車、2006年11月撮影。
1番ホームで酒田行普通列車を待っていたら、これが入ってきてこちらはビックリ。
跨線橋を駆け抜けて撮りまくったものです。
5分程停車していましたっけ。
2番線に停車していたら、もっと貴重な画だったのになぁ。

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間島駅1番線を通過するEF81形電気機関車牽引の下り貨物列車、2010年6月撮影。
かつての日本海縦貫線のヌシであったEF81もその命は今や風前の灯。
羽越本線の村上以北と言えば、かつてはこの機関車が牽引する旧型客車列車が主力だったのも遠い思い出の彼方。

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煙と共に間島駅1番線を通過中の、C57形蒸気機関車牽引の「SL出羽街道号」、2004年9月撮影。
当駅でのギャラリーは少なく、まったりとした雰囲気の中を通過していきました。
2番線に単機のEF81が停車しているのに注目。

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2017年2月19日 (日)

金塚駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・金塚駅。

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新潟県新発田市に所在する無人駅で、開業は大正3年(1914年)6月1日。
開業当時の所在は北蒲原郡金塚村で、同村内唯一の玄関駅でした。
金塚村は昭和30年に隣接する加治村と合併して新自治体の加治川村になります。
どちらかに編入されるのではなく、新たな村名を冠して再出発するあたりは、金塚村と加治村の力関係が拮抗していたことを窺わせます。
実際、村役場は両者のバランスを取るがごとく、金塚駅と加治駅の中間地点に置かれていたのです。
実際に行ってみても、加治川村は玄関駅が旧加治村の加治駅とはいっても、中核となる地域は無いようで、同じような規模の集落が村内に分散している印象を強く持つのです。
そんな加治川村も平成の大合併の号令下、平成17年5月に下越地方有数の都市である新発田市に編入されて、同市の東部地域となり現在に至ります。

かつての加治川村が、旧金塚村と旧加治村の両雄並び立っているような姿であったのを証明するかのように、旧金塚村の玄関駅である金塚駅と旧加治村の玄関駅である加治駅は駅の利用状況もほぼ同じです。
両駅が通年で委託駅であった平成15年度の一日平均乗車人員を見ると、加治駅は318人で同年度のJR東日本新潟県内有人86駅中62位、金塚駅は284人で86駅中67位です。
利用状況も完全無人化された時期もほぼ同じで、双子の兄弟のような両駅なのですけれど、駅の佇まいは全く異なるのがなかなか面白いところです。
双子なのに顔も体型も全く似ていないツインズのようであります。

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金塚駅駅舎の様子、2011年4月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和40年3月で、築半世紀の建物です。
この時期の駅舎の特徴として、やたら窓が大きく採光性が高いのがポイント。
しかし現在、常時活用されている空間は駅舎の半分弱といったところ。
かつての有人駅の御他聞に漏れず、遊休化が著しい駅舎なのです。
この時点では未舗装部分が大半の駅前広場は、ご覧のように車十台は停められる広さです。

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金塚駅前の様子、2014年4月撮影。
こちら側は旧金塚村以来の古い集落という趣。

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金塚駅駅舎内の様子、2011年4月撮影。
内部は昭和40年代の空気を濃厚に残しています。
画像上から二番目の左側に、旧窓口が板で塞がれもせず残っているのがポイント。
室内は流石かつての有人駅という広さですが、置かれたベンチはご覧の通りの少なさ。

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駅舎を出て構内に入りつつ振り返って一枚、2011年4月撮影。
西隣の加治駅同様に、駅舎とホームが離れた形態です。
羽越本線の新潟県内区間では、この形態の駅は他に月岡駅平木田駅、坂町駅、岩船町駅が該当します。

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金塚駅跨線橋内の様子、2011年4月撮影。
近隣の平木田駅同様、優等列車停車駅並みの広い通路を持つ堂々たる跨線橋です。
画像左側のホーム番号表示板が国鉄時代そのままで懐かしい。
しかし残念なことに、窓を開ける事が出来なかったので俯瞰マニアの私は残念無念。

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島式ホームの中条駅方から見た金塚駅構内の様子、2013年6月撮影。
画像右側が村上方面乗り場、真ん中が中線、左側が新潟方面乗り場です。

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島式ホームの先から中条駅方を見通す、2013年6月撮影。
この先、画像左手(日本海側)はしばらく田圃が続きます。
ちなみにここから海岸までは約6km。

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島式ホームの跨線橋及び上屋あたりの様子、2013年6月撮影。
このホームにはベンチがありませんので要注意。
ホームで駅撮りする場合、座るところが無くて待つのに少々難儀。
駅舎や隣のホームに、座るために行き来するのも面倒臭い微妙な距離感なのですよ。

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跨線橋直下の島式ホーム端から加治駅方面を見る、2013年6月撮影。
古い時代に作られた駅の常として、金塚駅のホーム配置も千鳥式です。

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島式ホームの左横の旧貨物引込線らしき線路、2011年4月撮影。

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島式ホームと駅舎の位置関係はこんな感じ、2011年4月撮影。

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ホームから見た金塚駅駅舎の様子、2011年4月撮影。
上屋の作りもしっかりしていて流石は国鉄全盛期の産物と言えましょうか。
築半世紀を経過した当駅駅舎は近い将来改築の話が出るのでしょうが、そうなったら駅舎(待合室)はこの上屋の面積程度で収まってしまうかも。
いやひょっとしてら待合室は造らずに、自動券売機を一台置いたきりの、跨線橋に繋がる上屋だけになってしまうかも。
そして島式ホームにベンチを設置すればそれで事足りてしまうかもしれませんな。
今の駅舎の建っている土地は更地にしてしまうでしょうから、駅前広場は際立って広大化するでしょう。

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新潟方面乗り場の加治駅方から見た金塚駅構内の様子、2011年4月撮影。
優等列車停車駅に引けを取らない、堂々たる構内が当駅の魅力であります。

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新潟方面乗り場の中条駅方から見た金塚駅構内、2013年6月撮影。
構内は広いものの上屋がごく小さい辺りは、当駅が営業上はローカル駅に過ぎない証と言えましょう。
国鉄時代に設定されていた快速列車も、加治駅には停車し当駅は通過していましたっけ。

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新潟方面乗り場の端から中条駅方を見る、2013年6月撮影。
中線と上下本線の分岐がよくわかります。
近年はダイヤの整理で金塚駅のせっかくの中線も活用はあまりされておらず、2016年3月改正ダイヤでは定期列車は夜の945M村上行が快速「らくらくトレイン」村上行に道を譲るのみになっています。

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新潟方面乗り場の上屋と跨線橋出入り口周りの様子、2011年4月撮影。
島式ホームとは違ってこちらにはベンチが置かれており、自動券売機も設置されています。
実はこちら側にも駅出入り口があって、外へ出ればそこは行き交う車の切れ目の無い国道八号線。
観察した限りでは、本来の駅舎よりもこちら側からホームに入る利用者が多い印象です。
周辺人口的には、駅の南北は拮抗しているようにも見えるのですけれど。
駅が無人化された現在では、跨線橋は駅の南北を連絡する自由通路としての機能が高いようにも見受けられます。
踏切は少々距離があり、歩行者には負担を強いているのでなおの事なのです。

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国道八号線に面した金塚駅南口の様子、2011年4月撮影。
上屋付きの駐輪場が道路に沿って並んでおり、この辺もこの南口の人気の理由かも。

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国道八号線金塚駅付近の様子、2011年4月撮影。
駅南口から信号を渡るとセブンイレブンがあります。
この店は20年前の道路地図にも載っていて、おそらく優良店なのでしょう。
この辺りでは唯一のコンビニですし、交通量の多い国道に面していてしかも駅前という立地の良さです。
なお、この国道にはバス路線は設定されておらず、金塚駅の公共交通アクセスは羽越線のみになっています。

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新発田方の踏切から見た金塚駅構内の様子、2011年4月撮影。

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金塚駅に到着した115系電車新潟行、2013年6月撮影。

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今では羽越本線からはその姿を消した、E127系電車村上行が金塚駅に停車中、2014年4月撮影。
羽越線では運行本数の少ない電車だったので、撮影のスケジュールを組むのが中々面倒でしたっけ。

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金塚駅に到着したキハ40系気動車新津行、2013年6月撮影。
昔なじみのこの気動車とも、新潟地区ではあと数年でお別れ。

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金塚駅を出発するキハ110系気動車米沢行、2013年6月撮影。
撮影可能な時間帯にこの気動車が金塚駅を通るのは、快速「べにばな」と昼過ぎの回送列車を除けば朝の酒田行と夕方のこの列車のみです。

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金塚駅構内に進入する485系電車R編成の特急「いなほ」新潟行、2013年6月撮影。

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夕刻の金塚駅で運転停車中の485系電車国鉄特急色の特急「いなほ」酒田行、2013年6月撮影。
この先村上方面は単線区間の為、快速「きらきらうえつ」の通過待ちです。
「いなほ」がE653系電車に更新されてからは、「いなほ」のスピードアップで金塚-加治間の複線区間でのすれ違いになった為、当駅での運転停車は解消されています。

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「きらきらうえつ」との行き違いを終えて、中条駅に向かって出発した特急「いなほ」、2013年6月撮影。

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春の穏やかな陽を浴びながら金塚駅を通過するE653系電車の特急「いなほ」新潟行、2014年4月撮影。

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金塚駅を通過するEF510形電気機関車牽引の貨物列車、2014年4月撮影。

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2017年2月11日 (土)

越後早川駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・越後早川駅。

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新潟県村上市に所在する無人駅で、開業は大正13年(1924年)7月31日。
開業当時の所在は岩船郡上海府村でしたが、、同村内の駅は羽越本線・村上-鼠ヶ関間開通時に当駅と西隣の間島駅の二つが置かれています。
当時は、特に国有鉄道の場合は一村に一駅あれば上出来で、鉄道が通っているのに後年になるまで停車場や停留所は未設置という例も珍しくはありません。
にも関わらず当時の上海府村内に二駅設置という好待遇を受けたのは、岩船地域一帯に強い影響力を持っていた関川村の市井家の意向があったという話です。
羽越線の当初計画では、上海府村内には越後早川駅と間島駅の中程に駅を置く計画だったそうですが、そうなると早川地区の山林で炭を作って重要な商売にしていた市井家にとっては、炭を鉄道で出荷する場合、予定停車場にはやや距離があるのです。
市井家がどの程度当局に働きかけを行ったのかは定かではありませんけれど、結局早川地区に停車場を置くことになり、それが現在の越後早川駅になります。
しかしそうなると隣の村上駅との距離は12kmになってしまい、少々距離が空いてしまいます。
当時の列車の平均速度が30km/hとすると、12kmを走るのに要する時間は24分。
となると列車の運行頻度は毎時一本という計算になります。
それでは輸送力不足と判断されたのか、村上駅に近い位置にもう一駅置かなければならないという事で、追加設置されたのが間島駅なんだとか。
そのお陰で割を食ったのが当初の駅設置予定地区で、おらが村のおらが地区の駅と喜んでいたら、鉄道が開通してみたら越後早川、間島両駅に2km以上ある不便な地になってしまったのです。
あちらを立てればこちらが立たず、なんとも気の毒というか難儀な話なのであります。
私鉄なら敷地を提供すれば停留所ぐらいは作ってくれそうですけれど、当時の国有鉄道ではそういう融通無碍な事はしませんしねぇ。
なお上海府村は戦後の昭和25年に岩船郡瀬波町に編入され、昭和29年には周辺諸村と共に村上市に合併編入されて今日に至ります。

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越後早川駅駅舎の様子、2004年8月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和63年3月。
時期的に日本がバブルで踊り出し始めた頃の建物ですが、そういう浮ついた感じが無い端正な小品という佇まいです。
駅前広場は広大ですが、ご覧のように舗装はされていません。
周囲に何も無い当駅訪問者にとって、駅出入り口横の飲料自販機の存在は貴重です。

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越後早川駅駅舎内の様子、2010年6月撮影。
待合室内は壁に沿って造られた木のベンチと置き型のベンチと自動券売機。
上の画のドアの向こうは保線の休憩所なのか倉庫なのか、はたまた掲示板になっているところが旧窓口で駅舎改築後に有人だった時期があったのか。
想像を逞しくさせられるところです。
なおトイレは駅舎のホーム側にありますが、この時点では男女共用ながら水洗型になっていました。
現在のところ、私が当駅を訪れたのは2013年が最後なのですが、昨今のトイレバリアフリー化の波に乗って当駅のトイレ事情はその後果たしてどうなっているのやら。
駅巡りをしているとトイレの問題は実に切実な話なのですよ。

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酒田方面乗り場の桑川駅方から見た越後早川駅構内の様子、2010年6月撮影。
昔の駅らしく、このようなローカルなロケーションでもホームも構内も広大。

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同じく桑川駅方を見通す、2010年6月撮影。

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旧貨物引き込み線とホーム跡の様子、2010年6月撮影。
当駅の開業当時は前述の炭の出荷で賑わったのでしょうね。

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酒田方面乗り場の駅舎と跨線橋の位置関係、2010年6月撮影。

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跨線橋出入り口から振り返って一枚、2010年6月撮影。
トイレの出入り口は画像左の通路の左側です。

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酒田方面乗り場の間島駅方から見た越後早川駅構内、2010年6月撮影。
当駅も昔の駅の常としてホーム配置は千鳥式ですが、越後曽根駅のような極端なものではありません。
その辺が国有鉄道と地方私鉄の違いと言うべきなのかどうか。

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越後早川駅跨線橋内の様子、2010年6月撮影。
通路は狭く国鉄後期の無人駅標準仕様ですが、利用が少ないからなのか内部は比較的綺麗です。
白色に深緑のラインというのが清潔感を演出しているように見えます。

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跨線橋内から間島駅方面を見る、2013年5月撮影。
画像中央にかつての中線の未撤去の線路が見えます。

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同じく桑川駅方面を見る、2013年5月撮影。
こちら側の中線は撤去済みです。

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島式ホームの桑川方から見た越後早川駅構内、2010年6月撮影。

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跨線橋出入り口から見た越後早川駅島式ホームの様子、2010年6月撮影。
旧中線側のホームの白線は既に風化したように消えていたので、線路が撤去されて使われなくなってからかなり経っているように思われます。

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越後早川駅島式ホーム上の待合室と内部の様子、2010年6月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和43年10月。
面積は駅舎の約半分で、跨線橋内と同様、ゴミも散らかっておらず清潔ですが使用感はあまり感じられません。

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島式ホームの村上方面乗り場の間島駅方から見た越後早川駅構内、2010年6月撮影。

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島式ホームの間島駅方から先を見通す、2010年6月撮影。
中線以外に機関車の待機線も敷かれていそうな感じ。

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越後早川駅を出発するキハ40系気動車二連の酒田行、2013年6月撮影。
新潟地区向けの電気式気動車導入も近く始まり、この昔懐かしい情景が見れるのも後数年となりました。

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越後早川駅に停車中のキハ110系気動車二連の酒田行、2010年6月撮影。
この当時も現在も、キハ110系を当駅で撮影出来るのは朝の新津発酒田行のこの列車のみです。
上り列車は日が最も高い時期でも、桑川駅の夜七時が限界なのですよ。
くだんの新型気動車は新潟、秋田、八戸の各地区に配置するようですが、そうなると郡山にキハ110系を集中配置するのかもしれません。
そうなると羽越線や米坂線のキハ110系も新型気動車に置き換えられる事になるわけで、駅に停車中の画をまだ撮影していない間島、今川越後寒川府屋各駅で早急に実行しなければなりますまい。
しかしキハ40系に対するような思い入れはこの形式には無いので、あまり気合が乗らないのが困ったところ。
E127系電車もそんな感じで、新津-長岡間ではほとんど撮りませんでしたっけ。

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越後早川駅を通過する485系電車R編成の特急「いなほ」新潟行、2010年6月撮影。
来る2017年3月改正でこの電車の定期運行も終了です。
大いなる一つの時代がいよいよ終わってしまい、実に寂しい。

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越後早川駅を通過する485系電車T編成の特急「いなほ」酒田行、2013年6月撮影。

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越後早川駅至近の羽越本線と並走する国道345号線、2013年5月撮影。
付近に信号機が無いので、車は高速で走る手合いが多いのです。
撮影横断には注意が必要です。

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国道にある路線バスのバス停「早川駅前」、2013年5月撮影。
このバス停には2017年2月現在、新潟交通観光バス運行の村上-寒川線が停車していますが、一日二往復で土休日は全便運休です。
私が当駅を初めて訪れた2004年秋の時点では、ここから桑川方面に4kmほどの馬下止まりだったので、桑川やその先の今川、寒川までバスで直接行けるようになったのは駅巡りの身にとっては実にありがたい話なのです。
しかし土休日運休というのはねぇ・・・まぁ病院通いのお年寄りが主要な顧客なんでしょうし、それは仕方が無い事ではあるのですが。

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道路から見た春の日本海、画像中央に見える島は粟島です、2013年5月撮影。
この時はここで海を眺めながらコンビニ弁当を食したのですが、後方にカモメたちが多数集まってきましたなぁ。
試しにご飯をあげても食べようとはせず逃げようともせず、ただ並んでこちらを凝視するのみ。
鳥たちの視線を背中に感じつつ、潮風に吹かれながらメシを食べる皐月の長閑な昼下がりです。

Echigohayakawa0260610
越後早川駅を出発して隣の間島駅まで約5kmの歩きです、2010年6月撮影。
道路の右側が墓地になっています。
海岸手前まで山地が迫り、平地が狭いこの地域では、墓地の土地確保に難渋した為なのか平地の人目に付くところでこういう風景が間々見られます。

Echigohayakawa0270610
越後早川駅と間島駅の中間地点にある上海府小学校付近の様子、2010年6月撮影。
鉄道敷設の当初計画では、この辺りに停車場を置く予定だったとの事です。

Echigohayakawa0280610
国道をぷらぷらと一時間ほど歩いて、間島界隈に到達、2010年6月撮影。
所謂「笹川流れ」からは外れている海辺の道ですが、こちらの風情もなかなかどうして。
青い空と海と遠い島影を眺めながら歩くのは実に楽しい事なのですよ。

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2016年1月23日 (土)

桑川駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・桑川駅。

桑川駅の駅名票


新潟県村上市に所在する無人駅で、開業は大正13年(1924年)7月31日。
開業当時の所在は岩船郡下海府村で、同村は昭和30年に周辺諸村と合併して山北村となり、桑川地区はその東部地域になります。
同村はその十年後に町制を施行して新潟県最北の町・山北町になりましたが、平成の大合併により平成20年に周辺町村と共に村上市と合併して今日に至ります。

日本海と海岸近くまで迫る山地の狭間にある桑川地区は、かつては交通不便の地ゆえに海産物の出荷もままならず、当地で作られる良質な木炭が生活の糧だったと聞きます。
そうした生活に陽が差したのが羽越本線の延伸により当地に駅が設置されたことで、鉄道を使う事で海産物の出荷がようやく可能になり、駅近くの桑川漁港が作られたのも鉄道開業なんだとか。
鉄道の威力とその波及効果を表す小典型と言えましょう。

桑川駅舎と道の駅遠景
桑川駅舎と道の駅近景
桑川駅舎の様子、上が2010年6月、下は2003年11月撮影。
駅舎と言っても実際の駅スペースはごく僅かで、大半は「道の駅笹川流れ」です。
地域活性化の為に県の補助を受けて平成5年2月に道の駅に登録されたそうで、レストランと物産販売コーナー、観光案内コーナーを併設しており、国道345号線の重要な休憩施設になっています。

桑川駅待合室内の様子
桑川駅待合室内の様子、2010年6月撮影。
これはホーム側を見た画で、反対側の国道側出入り口前に自動券売機が一台設置されています。
これだけ大きな道の駅の建物でありながら、桑川駅としての空間はこの待合室のみなのです。
この地に多大な恩恵をもたらした鉄道の時代は去り、人もモノもクルマクルマで鉄道はほんの付録という地方過疎地域の現実を体現しているかのようですな。

下りホーム今川方から見た桑川駅構内
1番ホーム(酒田方面乗り場)の今川駅方から見た桑川駅構内、2013年5月撮影。
大正生まれの長大なホームに停車する旅客列車の最長編成は、快速「きらきらうえつ」四連で、他は気動車2~3両に過ぎません。
ホーム右側は道の駅の駐車場で、休憩しながら興味深そうに短編成の気動車列車や通過する特急「いなほ」を見物する人たちをよく見ます。
あくまでも見てるだけーで、鉄道と言えば遠出や出張で新幹線を使うだけ、トロくて不便な気動車なんて乗りませんことよといった感じのギャラリーさんたちです。

下りホーム今川方先端部から先を見通す
1番ホームの今川駅方から先を見通す、2013年5月撮影。
この先は単線区間になっています。

桑川駅一番ホーム中央部の様子
1番ホーム中央部の様子、2004年9月撮影。

桑川駅跨線橋内の様子
桑川駅の開放感ある跨線橋の様子、2010年6月撮影。
今川方面へは遮るものもなく俯瞰で存分に撮影できます。
眺望を良くしているのは、ここから先が笹川流れであることが多少は関係しているのかも。

跨線橋上から見た今川方面
跨線橋上から今川方面を望む、2013年5月撮影。
線路の手前まで迫る山地、大正生まれの構内、駅の利用実態に対してあまりに巨大な建物、本線と比べて使用頻度が少ないのがよくわかる中線の様子。
俯瞰マニアとしては中々に興味深いのがこのポイント。
海がチラ見してくれれば最高なんですけど。

跨線橋上から見た越後早川方面
同じく越後早川方面を望む、2013年5月撮影。
こちら側はは固定窓になっていて、汚れた窓越しにしか撮影出来ないのが俯瞰好きとしては不満なところ。
こっちは海が見えるんですけどね。

二番ホームの越後早川方から見た桑川駅構内
中線の2番ホーム越後早川駅方から見た桑川駅構内、2013年5月撮影。
表側に比べてなんとも色気の無い跨線橋裏手。

島式ホーム越後早川方先端部から先を見通す
島式ホームの村上方から越後早川駅方を見通す、2013年5月撮影。
こちら側は複線区間になっています。

島式ホーム中央から見た道の駅と跨線橋の位置関係
島式ホーム中央から見た道の駅の建物と跨線橋の位置関係、2010年6月撮影。
道の駅の建物の巨大さを実感できる一枚。

中線側の今川方から見た桑川駅構内
中線側の今川駅方から見た桑川駅構内、2004年9月撮影。
こちら側から午前中の下り列車を狙うのが構内撮影のベストかと思います。

島式ホーム上の待合室の様子
桑川駅島式ホーム上の待合室内部の様子、2010年6月撮影。
建築財産票によると昭和26年6月撮影。
利用者が少ないからなのか清掃が行き届いているからなのか、室内は綺麗。
近年は駅の待合室のベンチも、無人駅といえども茶色い一人がけのモノに換わってきていますが、この当時は数世代前のモノでした。
今はどうなっているのやら。

三番線の越後早川方を見る
島式ホーム3番線側から越後早川駅方を見る、2013年5月撮影。
待合室から手前の遊休化部分は雑草が生えていい具合に枯れた雰囲気。

島式ホームの今川方先端部から先を見通す
島式ホーム今川駅方から先を見通す、2013年5月撮影。
中線はまず3番線と合流ののち1番線と合流して一本になっています。

桑川駅で行き違う上下のキハ40系
桑川駅で行き違う上下のキハ40系気動車列車、2013年6月撮影。
日が長い時期とはいえ夕方四時過ぎなので逆光気味なのが辛いところ。
新津行普通列車が中線で待機して上り貨物列車を先行させ、貨物列車通過直後に下り酒田行が桑川駅に到着というシチュエーションです。

桑川駅三番線に進入するEF510型電気機関車牽引の貨物列車
新津行普通列車が2番線に待機中の桑川駅の3番線に進入する、EF510型電気機関車牽引の貨物列車、2013年6月撮影。

桑川駅に到着したキハ110系
桑川駅に到着したキハ110系気動車新津行普通列車、2010年6月撮影。
キハ110系はこの界隈では少数派で、当駅で日のあるうちに撮影出来るのは、日の長い季節でも朝の酒田行とこの列車だけです。

桑川駅に停車中の快速「きらきらうえつ」
桑川駅3番線に停車中の快速「きらきらうえつ」、2013年6月撮影。
桑川駅には優等列車の定期停車実績は無く、金土休日運転の全車指定快速「きらきらうえつ」が優等に準ずる列車停車の唯一の例かと思います。
この日はこれを撮影したのち車上の人になって帰宅。
梅雨時の観光閑散時期でもあり、当駅で乗車したのは私一人。
指定が取れれば特急「いなほ」よりも安上がりで良いですなこの列車は。
まぁ繁忙期は子供が煩いので敬遠しますけど。

桑川駅を通過する485系国鉄特急色の特急「いなほ」
桑川駅1番線を通過する485系電車国鉄特急色の特急「いなほ」秋田行、2013年6月撮影。

桑川駅を通過する485系R編成の特急「いなほ」
3番線を通過する485系電車R編成の新潟行特急「いなほ」、2013年6月撮影。

道の駅のサンセットブリッジ上から見た国道345号線の今川方面
「道の駅笹川流れ夕日会館」から海岸に伸びる「サンセットブリッジ」上から国道345号の今川方面を望む、2013年5月撮影。

道の駅のサンセットブリッジ上から見た国道345号線の越後早川方面
同じく越後早川方面を望む、2013年5月撮影。
かつては公共交通機関で桑川まで来るには羽越線のみでしたが、現在は新潟交通観光バスの路線バス村上-寒川線が運行されています。
ただし一日二便で土休日運休なので駅巡りには使い難いのが残念。

夕日階段から見た海岸の今川方面
「サンセットブリッジ」を渡って「夕日階段」から海岸沿いの今川方面を見る、2013年5月撮影。
ここから先が笹川流れです。
画像中央に見えるのが桑川漁港。

桑川港の様子
桑川駅から今川方面に1km弱の桑川漁港の様子、2006年11月撮影。

桑川漁港に係留中の笹川流れ遊覧船「ゆうなぎ」
桑川漁港に係留中の笹川流れ遊覧船「ゆうなぎ」、2013年6月撮影。
フネの揺れに弱いというか海に畏怖の念を持つ私は未だ乗船経験無し。
佐渡汽船のフェリーでさえ怖いのです。
この遊覧船と粟島汽船のフェリーは乗ってみたいものの海に乗り出す怖さが上回っていて毎年決心が付かず先送りの有様です。
遊覧船はこのフネと「おばこ丸」の二隻体制で、運行期間は3月末から11月中旬まで。

桑川漁港手前の砂浜から桑川駅方面を望む
桑川漁港手前の砂浜から桑川駅方面を望む、2013年6月撮影。
漂着かはたまたポイ捨てか、ゴミが多いのに閉口しましたなぁ。

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2016年1月17日 (日)

中条駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・中条駅。

中条駅の駅名票

新潟県胎内市に所在する有人駅で、開業は大正3年(1914年)6月1日。
開業当時の所在は北蒲原郡中条町で、同町は周辺諸村を逐次合併編入して町勢を拡大。
新潟県内の町としては亀田町や六日町と共に、小さな市よりも存在感の大きい屈指の存在でした。
平成の大合併では隣接する黒川村と合併して新自治体「胎内市」が誕生し、中条駅は人口三万人の新たな市の玄関駅になりました。

古くから県北地域の人口集積地域の一つであった中条町でしたが、産業構造は昔ながらの農業中心でした。
しかし昭和31年に日本海に面する村松浜で天然ガスの試掘に成功し、大手のガス化学工業会社が当地に進出。
さらに昭和37年に新潟県では初の「低開発地域工業開発促進法」に指定されて、県北
地域最大の工業地帯に変貌していったのです。
当駅構内西側の側線群はそれに伴って整備されたもので、当駅から北に2km弱にある(株)クラレ中条事業所へは専用線が引かれていました。

さてJR東日本によれば、2014年度の中条駅一日平均乗車人員は1,193人で、同新潟支社新潟県内有人67駅中33位。
新潟支社では駅への自動改札機導入の下限は基本的に一日平均1,000人程度で、中条駅は新潟都市圏の駅を除けば五泉駅と共にその最下限に属しています。

中条駅駅舎遠景
中条駅駅舎近景
中条駅舎の様子、上は2012年5月、下は2003年11月撮影。
平屋の典型的国鉄様式というべき建物で、建築財産票によると昭和41年11月の完成。
この建物の驚異的なのは、許容積雪量が360cm!であることです。
財産票の表記の間違いじゃないの?と疑ってしまう数字。
駅の改築に中条町が費用負担をしたのかどうかは残念ながら定かではありませんが、もししたのであればそれほど剛健な建物に出来るほど町の財政に余裕があったという事でしょうか?
駅前広場はロータリーになっていて、タクシーが数台待機しております。
ロータリーに発着する路線バスは中条-新発田線で、平日のみの運行で一日四往復→ダイヤはこちらへ
なおこの路線は海岸側の県道経由なので、金塚加治両駅へのアクセスには使えません。
ちなみに「路線バスの旅」青森-新潟編で一行が乗り継ぐ予定だったのがこの路線。
最終便に乗れれば、新発田で新潟行き最終便に余裕で乗り継げるはずだったのですよ。
また当時は平木田-中条間にコミュニティバスが走っていて、一行はギリギリそれに乗れたのですが、現在は廃止されています。
現在あのルートを進むとなったら、坂町-中条間は歩く以外の選択無しですな。

2013年6月時点のu中条駅駅舎内の様子
2008年4月時点の中条駅駅舎内野様子
駅舎内の様子、上は2013年6月、下は2008年4月撮影。
下の画像撮影時点では待合室内でキオスクが営業中でした。
営業時間は07:00~17:30。
当駅至近にコンビニは無く、スーパーウオロクへは少々歩くのでちょっとした買い物に重宝する存在でしたけれど、時流には抗えずにこの半年後に撤退。
この時期は県内の駅でキオスク撤退が相次いでいました。
キオスク跡は観光案内所になりましたが、担当のおねいさんが一人いるだけの正直力を入れているとは言い難い印象で、上の画像撮影時には売店を併設していましたけれど、品揃えはキオスクより明らかに見劣りするものでしたね...。

一番ホーム中央部の様子
1番ホーム中央部の様子、2011年4月撮影。
国鉄時代ほぼそのままのスタイル。

一番ホーム新発田方から見た中条駅構内
1番ホーム(新潟方面乗り場)金塚駅方から見た中条駅構内、2011年4月撮影。
画像右手のコンテナ群はJR貨物に所属するオフレールステーションのモノ。
貨物列車による輸送は過去帳入りになって久しい当駅ですが、物流拠点としての機能は未だ健在。

一番ホーム新発田方から金塚方面を見通す
1番ホーム金塚駅方から先を見通す、2011年4月撮影。

一番ホーム村上方から見た中条駅構内
1番ホーム平木田駅方から見た中条駅構内、2011年4月撮影。
中線(二番線)のホーム有効長が本線のそれよりもずっと短いのがよくわかります。

中条駅跨線橋内の様子
中条駅跨線橋内の様子、2012年5月撮影。
国鉄時代の急行列車停車駅として標準的な広さですな。
画面奥の窓の上に防犯カメラが見えます。
私は遭遇したことがないのですけれど、噂では当駅利用の学生諸君のお行儀はよろしくないのだとか。
一説では下越地方のヨコヅナという声も。

跨線橋上から金塚方面を望む
跨線橋上から金塚駅方を望む、2012年5月撮影。

跨線橋上から平木田方面を望む
同じく平木田駅方を望む、2012年5月撮影。

二番ホーム新発田方から見た中条駅構内
2番ホーム金塚駅方から見た中条駅構内、2012年5月撮影。
中条駅では、2015年3月改正現在で普通列車の特急退避が一日二回行われております。

三番ホーム新発田方から見た貨物側線群
3番ホーム金塚駅方から貨物側線群を見る、2012年5月撮影。
胎内市による中条駅西口整備事業では、この広大な空間を活用して西口を整備し、同時に駅舎を橋上化するとの事です。
事業計画は平成29年度までになっているので、話が順調に進めば再来年には新たな中条駅の姿を見られるのでしょうか。
→計画についてはこちらを。

中条駅島式ホーム上から金塚方面を望む
島式ホーム上から金塚駅方を望む、2011年4月撮影。

島式ホーム上から見た駅舎の様子
島式ホーム上から見た駅舎の様子、2011年4月撮影。
こうした典型的国鉄風を見れるのも、あと僅かなのでしょうね。

二番ホーム村上方から平木田方を見る
二番ホーム村上方から平木田駅方を見る、2011年4月撮影。

三番ホーム村上方から金塚方と側線群を見る
三番ホーム村上方から金塚駅方と側線群を見る、2011年4月撮影。

2008年4月時点の中条駅前の様子
2012年5月時点の中条駅前の様子
中条駅前の様子、上は2008年4月、下は2012年5月撮影。
下の画像中央の道を進むと旧中条町の中心地区へ至ります。
中心地区は核となる店舗が無く、道も狭いので大規模な再開発無しでは活性化は難しいなあという印象で、商業集積は当駅から平木田方に数百mのスーパーウオロクから市役所にかけて集中しているよ
うです。
クラレを始めとした事業所群からは近いので、商売上はその方が良いのでしょうね。

中条駅から出発する115系電車
中条駅1番線から出発する115系電車の新潟行普通列車、2013年6月撮影。
中線では下り貨物列車が待機中。

中条駅から出発するE127系電車
1番線から出発するE127系電車の新潟行普通列車、2013年6月撮影。

中条駅から出発するキハE120+110気動車の快速「べにばな」
中条駅3番線から出発するキハE120+110気動車の快速「べにばな」米沢行、2011年4月撮影。

中条駅二番線で特急退避待機中のキハ40系
中条駅2番線で特急退避待機中のキハ40系酒田行普通列車、2014年4月撮影。

中条駅に停車中のキハ52形
今では完全に過去帳入りとなったキハ52を後部とした夕刻の米沢行普通列車と貨物側線のタンク車、2004年9月撮影。

中条駅に停車中の485系R編成特急「いなほ」
3番線に停車中の485系R編成秋田行特急「いなほ」、2012年5月撮影。
新潟-中条間は約40kmで自由席特急券が¥510と安上がりなのと、時間帯によっては普通列車が過疎ダイヤなせいか中条駅でのいなほ利用はかなり多い印象を受けます。
当駅に特急列車が停車するようになったのは、うろ覚えでいささか恐縮ですが昭和53年10月改正ではなかったかと思います。
ちなみに昭和55年10月改正ダイヤにおける中条駅の優等列車停車は下記の如しです。

下り
803  寝台急行天の川    06:19発 秋田行
811D 急行羽越1号             秋田行
612D   べにばな2号    07:58発 仙台行
501  急行きたぐに      09:48発 青森行
2041M特急いなほ1号    11:48発 秋田行
501D 急行しらゆき      15:13発 青森行
2043M特急いなほ3号    15:46発 青森行
813D 急行羽越3号      16:11発 秋田行
614D   べにばな2号           仙台行
2045M特急いなほ5号    19:46発 秋田行

上り
2042M特急いなほ2号   09:57発 上野行
812D 急行羽越2号     11:19発 新潟行
611D 急行べにばな1号  11:55発 新潟行
502D 急行しらゆき     13:38発 金沢行
2044M特急いなほ4号   13:58発 上野行
814D 急行羽越4号     16:26発 新潟行
2046M特急いなほ6号   17:06発 上野行
502  急行きたぐに     20:11発 大阪行
613D 急行べにばな3号  21:18発 新潟行
802  寝台急行天の川   22:00発 上野行

中条駅を通過する優等列車は、寝台特急「日本海」二往復と夜行急行「鳥海」でしたが、前者はわかりますけれど後者が停車しないのは少々腑に落ちないところです。
坂町駅には停車するのに、当駅はスルー...。
「鳥海」は新聞輸送も使命の一つで、中条駅は新聞輸送の拠点駅ではなかったとすれば通過もわからないではないですが。
でも羽越線内の他の急行停車駅の大半には停車してるんですよね。
吹浦駅には上下共、鼠ヶ関駅には下りが停車していますし。
特急停車駅で通過なのは中条駅のみ。

中条駅を出発するE653系電車特急「いなほ10号」新潟行
中条駅を出発するE653系電車特急「いなほ7号」秋田行
中条駅が最も華やぐ一時、2014年4月撮影。
酒田行831Dを2番線で待機させ、1番線からE653系電車特急「いなほ10号」新潟行が、3番線からは同じく特急「いなほ7号」秋田行が同時発車です。

中条駅二番線で待機中のEF81形電気機関車牽引の下り貨物列車
中条駅2番線で待機中のEF81形電気機関車牽引の下り貨物列車、2013年6月撮影。

中条駅を通過するEF81形電気機関車牽引の上り貨物列車
酒田行普通列車を待機させて1番線を通過するEF81形電気機関車牽引の上り貨物列車、2004年9月撮影。

平木田方の踏切から見た中条駅構内
平木田駅方の踏切から見た中条駅構内、2008年4月撮影。
金塚方駅至近に踏切は無く、駅至近で東西を結ぶ道はこれしかなく、道幅も狭いことから駅西に宅地が広がっている現状では朝晩の渋滞が相当のモノであろうことは容易に想像できるところ。

踏切から平木田方を見る
踏切から平木田駅方を見る、2008年4月撮影。
画像左側の線路が撮影の前月に廃止されたクラレ専用線です。
羽越線の線路に比べて規格が明らかに違うのがよくわかります。

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2016年1月10日 (日)

平林駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・平林駅。

平林駅の駅名票

新潟県村上市に所在する無人駅で、開業は昭和27年(1952年)5月15日。
当駅の前身は仮乗降場で、ウィキペディアには昭和25年に開設とありますが、私が当たった資料や他サイト様では昭和19年開設とあります。
羽越線では戦時中に輸送力増強の為に神山駅中浦駅がまず信号場として開設されていますけれど、当駅の仮乗降場としての開設が昭和19年であるのならば、やはり信号場としてまず開設が計画されて、仮乗降場としての機能も追加されることになった為に開設
当初から「仮乗降場」としてアナウンスされたと考える事が出来て、当駅の出自としてはこちらが自然な流れかなぁと考えるところなのですが、確定的な資料が無い以上推測の域を出ません。

ともあれ当時日本各地であった信号場や仮乗降場の駅昇格請願の流れに乗って、平林信号場は昭和27年に駅昇格を果たし現在に至ります。
なお駅昇格時の所在は岩船郡平林村で、同村は昭和30年に隣接諸村と合併して神林村となりますが、同村の玄関駅は村役場が隣接する東隣の岩船町駅でした。
神林村は平成の大合併で平成20年(2008年)4月1日に周辺市町村と合併して新たな村上市の一部となり今日に至ります。

2013年9月時点の平林駅駅舎の様子
2003年11月時点の平林駅駅舎の様子
平林駅舎の様子、上は2013年9月、下は2003年11月撮影。
建築財産票によると竣工は平成10年(1998年)1月27日。
許容積雪量は130cmですが、近年この地域でそこまで積もるのは極めて稀でしょうね。
駅舎は待合室とトイレのみの建物で、待合室は窓が広く大きくて見映え良し防犯上も良しの良デザイン。
下の画像は当駅初訪問時の一枚で、この時点で既に自動券売機が一台設置されていました。
当駅が無人化されたのは昭和47年9月との事ですが、これは羽越本線・白新線全線電化と引き換えの合理化施策のようです。
この時期は線内の多くの駅が無人化や貨物・荷物の取り扱い廃止の憂き目を見ています。

平林駅西口駅前の様子
平林駅西口駅前の様子、2013年9月撮影。
こちら側は半農半住の地域で、旧平林村の中心集落もこちら側だったのでしょう。
自転車の駐輪スペースはご覧の通りで、簡易なモノでいいから村の予算で上屋を付けてやればいいのにと部外者は思うところです。

西口側ホームの坂町方から見た平林駅構内
西口側ホーム(村上方面乗り場)の坂町方から見た平林駅構内、2013年9月撮影。
ホーム上の雑草の有無で、列車停車の境界が判別できます。

西口側ホーム中央部の様子
西口側ホーム中央部の様子、2011年4月撮影。
駅舎と跨線橋、東側ホームの待合室の位置関係がわかります。

西口側ホーム村上方から岩船町駅方を見通す
西口側ホーム村上方から岩船町駅方を見通す、2011年4月撮影。
黄色い線が無いことから、この辺りは列車の停止位置から外れて完全に遊休化しているのがわかります。
昔は長編成の客車列車がホーム有効長一杯に停車していたのでしょうに、今では最大七両、E129系に統一後は最大六両になるのは確実です。

平林駅跨線橋内の様子
平林駅跨線橋内の様子、2011年4月撮影。
国鉄時代のローカル駅定番のスタイル。
上の窓は固定されていますが、下の窓は開閉可能なのが俯瞰好きな私にとっては大いなる福音。
まぁ窓を開ける酔狂な御仁は他にいませんから、窓とその下は汚くておっそろしい事に。

平林駅跨線橋から見た岩船町方面
その開く窓から岩船町駅方を望む、2011年4月撮影。
平林駅から村上駅までは単線区間になりますが、当駅の有効長は往年の長編成貨物列車も十分収まりそうな長大なものになっております。

平林駅跨線橋から見た坂町方面
同じく坂町駅方を望む、2011年4月撮影。

東口側ホームの岩船町方から見た平林駅構内
東口側ホーム(新潟方面乗り場)の岩船町方から見た平林駅構内、2011年4月撮影。
こちら方では東口側ホームが張り出した形になっています。

東口側ホームの坂町方から先を見通す
同じく坂町駅方から先を見通す、2011年4月撮影。

平林駅東口側ホーム待合室内部の様子
平林駅東口側ホーム待合室内部の様子、2013年9月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和33年2月の竣工。
この年に平林駅は岩船町方に300m移設されているそうで、この待合室は駅移設時に建てたものなのでしょう。
撮影時点では自動券売機は未設置で、代わりに乗車証明書発行機が置いてありました。
この小型の郵便ポストみたいな機械も、近年見なくなりましたなぁ。

平林駅東口の様子
平林駅東口の様子、2011年4月撮影。
国道7号線に面した、2000年秋に整備されたというこの東口、広い駐車スペースと上屋付きの駐輪場と、部外者から見ればこちら側がメインのエントランスだと信じて疑わないことでしょう。
この時点では駅至近に、やる気満々でいい感じの八百屋さんとローソンがありました。
八百屋さんで果物を買いローソンでお弁当を買って、田園の長閑な風景の中を走り抜ける列車を眺めながら食すのもまた一興。

「平林城跡」の案内板
東口の観光案内と言うべき「平林城跡」の案内板、2011年4月撮影。

羽越本線と並走する国道7号線
羽越本線と並走する国道7号線、2011年4月撮影。
ここ平林はバス過疎地域で、小岩井-村上間に土休日運休の便が一日一往復のみです。→ダイヤはこちらに
村上駅前から平林駅へは所要40分で運賃560円ナリ。
なおこの路線は海岸沿いの岩船本町経由で、国道7号経由で村上や坂町に直行する路線はありません。
もしあったならば、「路線バスの旅」でたとえ府屋で蛭子さんのパチンガス炸裂があっても万代橋まで辿り着けたかもしれないのにw。
20年ほど前の地図を見てもバス路線の設定はなかったようで、羽越線の普通列車が基本的に毎時一本確保されているとあっては、所要時間の点で競合は困難なのでしょうね。
ちなみに「小岩井」は米坂線旧花立駅から荒川を渡った辺りで、当駅から南西に約4km。

坂町方の踏切から見た平林駅構内
坂町駅方の踏切から見た平林駅構内、2011年4月撮影。
岩船町に向かってすっきりと直線が続きます。

「平林城跡」の様子その一
「平林城跡」の様子その二
「平林城跡」の様子その三
駅東口の案内板通り、約20分で「平林城跡」に到着。
2011年4月撮影。
中世の城について予備知識が無いと、見学しても何が何やらという感じで、私はその辺は完全に素人なので正直余り惹かれるモノもなく....。
山城へ行けば印象もまた違うのは、これまでの経験上わかっておるつもりですけれど、行くにはちょっとした登山の覚悟が必要で断念。

平林駅に停車中の115系電車
平林駅に停車中の村上行115系電車の普通列車、2013年9月撮影。

平林駅に停車中のキハ40系気動車
朝の新津行キハ40系気動車普通列車が停車中、2004年8月撮影。

平林駅を出発するキハ110系気動車
平林駅を出発する朝のキハ110系気動車酒田行普通列車、2004年8月撮影。
この時も現在も、陽のあるうちに坂町-桑川間でキハ110系を撮影出来るのは実質この列車だけになります。
夕方~夜のキハ110系新津行は、最も日の長い時期でも桑川駅が日没ギリギリというところです。

平林駅に停車中のE127系電車
昨年(2015年)3月ダイヤ改正で羽越線から姿を消したE127系電車新潟行普通列車、2006年10月撮影。

平林駅を通過する485系R編成の特急「いなほ」
平林駅を通過する485系電車R編成の新潟行特急「いなほ」、2011年4月撮影。

平林駅を通過する485系T編成の特急「いなほ」
完全に過去帳入りとなった485系電車T編成の新潟行特急「いなほ」、2013年9月撮影。

平林駅を通過するEF81形電気機関車'牽引の下り貨物列車
平林駅を通過するEF81形電気機関車'牽引の下り貨物列車、2011年4月撮影。

平林駅を通過するEF510形電気機関車牽引の上り貨物列車
2013年度にJR東日本からJR貨物に売却されたという経歴の、EF510形電気機関車504号機牽引の上り貨物列車、2014年4月撮影。

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2015年8月22日 (土)

今川駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・今川駅。

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新潟県村上市に所在する無人駅で、駅としての開業はJR発足と同日の昭和62年(1987年)4月1日。
この時点では岩船郡山北町の所在で、その後山北町は平成20年(2008年)4月に周辺町村と共に村上市と広域合併してその北部地域となり現在に至ります。

今川駅のそもそもの出自は信号場で、大東亜戦争の戦況が日に日に不利に急傾斜していた昭和19年(1944年)7月に、日本海縦貫ルートの輸送力増強の目的で、羽越本線の新潟県内区間では京ヶ瀬神山中浦と共に設置されました。
これらの信号場は戦後、地元の請願という形で駅に昇格していきましたけれど、今川信号場だけは昭和20年代半ばの周辺世帯数が約60戸に過ぎない為に需要僅少と判断されて、長年に渡り駅昇格が見送られてきた経緯があるそうです。
しかしながら、当時の道路事情の極めて貧弱なことから陸の孤島であった周辺集落の学童の通学に鉄道利用は必要不可欠であり、昭和24年(1949年)4月に仮乗降場として、旅客利用が認可されたのです。
なお、仮乗降場化された時点の所在は岩船郡下海府村で、同村は翌25年3月末日をもって山北村と合併。
山北村は昭和40年(1960年)11月に町制を施行し、新潟県最北の町として長らく独特な存在感を保っていたのであります。

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今川駅入り口の様子。2010年6月撮影
今川海水浴場の旧民宿が並ぶ小道にあります。

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酒田方面乗り場の1番ホームから見た越後寒川方の様子。
2010年6月撮影。
一番ホームの待合室は建築財産票によると、昭和25年12月の竣工。
仮乗降場、臨時駅、そして現在までの今川駅の歴史の生き証人であります。
村上方面乗り場の二番ホームの待合室は平成8年2月の竣工。
実用性のみに徹した一番ホームのそれとは歳の差実に46。
また取材時点では両待合室共に、券売機も乗車証明証発行機も未設置でした。
羽越線の新潟県内区間では唯一の駅で、通学定期以外の利用がそれだけ少ないということなのでしょう。

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今川駅1番ホームの待合室内部。2010年6月撮影。
ベンチも少なく、仮乗降場のそれとしては広めに感じる室内は初夏の夕陽を浴びてガランとして。
なおトイレはこの建物の越後寒川側に出入り口があります(待合室とは独立しています)が、取材時点では非水洗で内部はお察しください。
海沿いの国道に出ると海水浴客向けの水洗トイレがありますので、よほど切迫していなければそちらを使った方が不愉快な思いをせずに済みそうです。

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構内踏切から見た今川駅構内の様子。2010年6月撮影。
当駅前後の区間は依然として単線なので、そもそもの出自である信号場の機能も今日も果たしており、普通列車と貨物列車の離合が見られます。

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1番ホームのそれとは対照的に、デザインありきで内部スペースが犠牲になっている今川駅2番ホームの待合室、2004年8月撮影。

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2番ホーム上の高台から見た越後寒川駅方の様子。
2004年8月撮影。

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同じく高台から見た今川駅構内桑川駅方の様子、2004年8月撮影。
ホームはご覧のように桑川方に向かってカープしており、当駅の良きアクセントになっています。

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2番ホーム待合室前から見た今川駅構内の様子、2004年8月撮影。
2番ホームの高台と建物は、信号場関連のものなのでしょうか?

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1番ホームの桑川駅方から見た今川駅構内の様子、2004年8月撮影。
両ホーム共、途中から桑川方は後付で延長しているように見えるのですが、施行されたのは臨時駅化の時点でしょうか?

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2番ホームの桑川方端から見た村上方面の様子、2004年8月撮影。
長編成の貨物に対応した為か、有効長はかなり広いのです。
手前の「いまがわ」のホーロー製柱用駅名票が郷愁を誘います。

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キハ40系気動車二連の普通列車とEF510電気機関車牽引の貨物列車が今川駅で交換、2010年6月撮影。
平成14年デビューの同電機も、今や完全に羽越路の主に。
かつての主役EF81形を見る機会もめっきり減りました。

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今川駅を出発するキハ40系気動車の普通列車三連村上行、2004年8月撮影。
これが普通列車の最大長であります。

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二番線を通過するEF81形(500番台)電気機関車牽引の貨物列車、2010年6月撮影。
この形式は僅か3両しか製造されなかった為か、私の各駅取材行脚でも見る機会は僅少でした。

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今川駅一番線を通過する485系電車R編成の特急「いなほ」秋田行、2010年6月撮影。
ほんの三年前までは羽越白新・信越北陸で当たり前のように走っていたこの車両も、昨年七月に「いなほ」定期運用から撤退。
2016年夏現在の新潟県内での定期運用は、名無しの通称「糸魚川快速」一往復のみとなりました。

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二番線を通過する485系電車T編成の特急「いなほ」新潟行、平成22年6月撮影。
この車両もかつては「ゲップが出るほど」、「いなほ」「北越」「くびき野」として走り回っていましたけれど、今やその姿を見ることは出来ません...

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二番線を通過する快速「きらきらうえつ」と一番ホームの板張り部分、2010年6月撮影。
この位置では見通しが悪く撮影には不適です。

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今川駅前集落の様子、2010年6月撮影。
平成16年訪問時点では民宿の看板を五軒確認出来ましたけれど、今川海水浴場紹介ページによると平成27年夏時点で営業しているのは一軒きりのようです。
しかしこの小道、道路は全くの門外漢で知識も無い私にはよくわからないのですが、コレがひょっとして国道345号の旧道?

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羽越線と並走する海岸沿いの国道345号線、2006年11月撮影。
こちらはバイパスで旧道とは別の存在のようです。
かつての陸の孤島とは隔世の感な立派な道路であります。
取材当時はこの地域に路線バスは走っていなかったのですが、現在は一日二便で土休日運休ながら、寒川-村上間に運行されています。

ここから隣の桑川駅まで、笹川流れを眺めながら歩いてみました。
撮影はいずれも2006年11月。

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左側の廃トンネルは旧道跡なんだとか。

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右側のトンネルが羽越線です。

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2012年3月10日 (土)

越後寒川駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・越後寒川駅。

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新潟県村上市に所在する無人駅で、開業は大正13年(1924年)7月31日。
開業当時の所在は岩船郡下海府村で、同村は昭和30年3月に周辺諸村と合併して新自治体・山北村になり、同村は昭和40年11月に町制を施行して山北町に、そして平成20年4月に村上市と岩船郡他町村(関川村と粟島浦村を除く)と広域合併して新たに市制を施行して現在に至ります。(自治体名は「村上」のまま)。
駅名の由来は、下海府村発足前の当地域「寒川」村より。
新潟県北のこの地域は内陸から日本海に多数の小さな川が流れていますけれど、現在「寒川」という名前の川はありません。
当地の地名の言われについて、少し調べてみる必要がありそうです。

海岸景勝地として全国にその名を知られた「笹川流れ」。
しかしその海岸の絶景奇景の裏返しで、当駅周辺を含む笹川流れの諸地域は厳しい地勢と波浪の為に道の整備も間々ならず、長い間極めて交通不便な陸の孤島状態にありました。
従って羽越線の開通と海岸諸集落に停車場が設置された事は、この地域の住民にとって大いなる福音だったのです。
道路事情の悪さは戦後になっても相変わらずで、当地域にとって頼れるのは羽越線のみという状態が長く続きました。
蒸機末期の写真を見ると、線路に並走する道路の未整備状況がよくわかります。
羽越線に並行する国道345線は、現在では2車線に整備されて信号も少なく、車にとってはトバしやすく日本海と笹川流れを眺めつつの快適なドライブを楽しめる道路になっていますけれど、こういう状態になったのはここ三十年ほどの事なのです

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越後寒川駅舎の様子、2006年11月撮影。
建築財産票によると、竣工は平成10年12月25日。
建物上部左側の天窓が印象的な小洒落たデザインなのですが、内部の天井の高さは普通なので、上からの採光を考えたのでは無い実用性の無いモノです。
駅前広場がとても広く感じられるのは、旧駅舎の規模がかなりのものだったからと考えるところですが、旧駅舎の画像はまだ未見に付き断定は出来ません。

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駅舎内の様子、上が2006年11月、下が2010年5月撮影。
2006年11月訪問時点では券売機は未設置で、代わりに乗車証明発行機が置かれていました。
トイレは駅舎内にあって待合室の隣です。

越後寒川駅は上の画像撮影の約半年前まで委託の有人駅だったのですが、元有人駅にも関わらず券売機が置かれないというのは、当駅の利用客が少なくて券売機を早急に置く必要が無いと当局が判断しての事でしょうか。
JR東日本によると、当駅の有人駅としての最後の年度である2005年度一日平均乗車人員は27人で、当時のJR東日本新潟県内有人82駅中81位(最下位は只見線・大白川駅の10人)。
運転業務上、どれほど利用者が少なくても有人を維持する必要があった大白川駅は例外的存在ですから、この年度に実質最下位だったのはこの越後寒川駅だったのです。
東隣の勝木駅の有人最終年度(2002年度)の一日平均乗車人数は92人。
同年度の越後寒川駅のそれは30人。
周辺人口から考えても、旧山北町域内で府屋駅以外の有人駅は一つに絞るというのであれば、勝木駅有人維持・越後寒川駅無人化が妥当な判断だと思うのですが、実際はその反対の結論に。
合併前の旧諸村の発言力や力関係やらが働いてこのような結果になったのか?
駅について色々と考察する向きには非常に興味深い結論だったわけであります。
有人時代の当駅には2003年11月、2004年8月、2005年8月の三回訪れておりますが、有人と言っても駅員氏は商売っ気ゼロで窓口に座っている事は無く、大抵奥の控え室でテレビを見ているという風で、これでは有人にしておく意味も無いのでは?と強く感じたものです。

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ホームから見た越後寒川駅駅舎、2006年11月撮影。

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1番ホーム(村上方面乗り場)今川駅方から見た越後寒川駅構内、2010年5月撮影。
画像右側には横取り線があります。

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おそらくかつての貨物用ホームと側線、2010年5月撮影。
内陸から当駅勝木方に流れる葡萄川の上流には鉱山があって、産出された鉛や亜鉛が当駅から各地に出荷されていたとの事です。
また駅裏の砂山からは良質の砂が採取されて鋳物用に出荷されてもいたとの事で、貨物とはまるで無縁のように見える当駅にも隆盛期はあったのです。
ウィキペディアによると、当駅の貨物取扱い廃止は昭和47年9月との事です。

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一番ホームの端から今川駅方を見通す、2010年5月撮影。

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1番線の勝木駅方から見た越後寒川駅構内、2010年5月撮影。

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1番ホーム端から勝木駅方を見る、2010年5月撮影。

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跨線橋内の様子、2010年5月撮影。
通路は狭く味も素っ気も無く。

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跨線橋上から今川駅方面を望む、2010年5月撮影。
ご覧の通り、日本海はごく至近に。

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同じく勝木駅方を望む、2010年5月撮影。

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島式ホーム(酒田方面乗り場2・3番線)勝木方から見た越後寒川駅構内、2010年5月撮影。
島式ホームは跨線橋からホーム端まで距離が無いので、ここからの撮影は画面が跨線橋に圧倒されてしまって駅撮り的には向いていません。

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島式ホーム端から勝木駅方を見る、2010年5月撮影。
こちら側は複線になっています。

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跨線橋階段から島式ホームを見通す、2010年5月撮影。

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越後寒川駅島式ホーム上の待合室内部、2010年5月撮影。
建築財産票によると、待合室の竣工は大正14年6月。

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島式ホームから見た越後寒川駅構内中央部の様子、2010年5月撮影。

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島式ホーム今川駅方から見た駅構内、2010年5月撮影。

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島式ホーム端から今川駅方を見る、2010年5月撮影。
こちら側は単線です。

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一番線を通過する485系電車R編成の特急「いなほ」、2010年5月撮影。
この日当駅を再訪した理由は「いなほ」の通過画像撮影の為。この当時、次のダイヤ改正(2011年3月)で常磐線に新型特急電車が投入されて、玉突きでE653系が「いなほ」投入されて485系は少なくとも未リニューアル車は運用から撤退!という噂が流れていて、それに踊らされた私は、葬式鉄で騒ぎになる前に撮影しておこうと思い立った次第。
蓋を開けてみれば、実際にそうなるのは最短でも来年のダイヤ改正(2013年3月)なので、今考えると異常に焦り過ぎだったなぁと反省しきりなのであります。

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越後寒川駅1番線を通過する485系国鉄特急色の特急「いなほ」新潟行、2013年5月撮影。

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越後寒川駅1番線を通過した485系電車T編成の特急「いなほ」新潟行、2013年9月撮影。

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1番線を通過する485系電車国鉄特急色の団体列車、2010年5月撮影。

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3番線を通過中の貨物列車、2004年8月撮影。
当駅は一番線(上り)と三番線(下り)が本線で、二番線が待避線です。

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3番線に停車中のキハ40系気動車酒田行普通列車、2003年11月撮影。
当時も今も、羽越線村上-酒田間普通列車の主力はキハ40系。
エンジンの音も高らかに日本海沿岸を進む姿は、いぶし銀の味があって個人的に大好きなのですが、一部で言われるように確かにノロいのは事実ですな。

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越後寒川駅1番線を出発するキハ40系気動車の普通列車村上行、2010年6月撮影。

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線路と並行する駅前通りの様子、2010年5月撮影。
通りは車一台分の路地という風で、通年民宿一軒と郵便局が目立つ程度の鄙びた漁村の印象です。

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今川方の踏切から見た越後寒川駅構内、2010年5月撮影。

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踏切を渡るとすぐに国道345号に出ます、2006年11月撮影。
羽越線勝木-桑川間には路線バスの設定がありません。
越後寒川駅と今川駅への公共交通機関でのアクセスは羽越線のみ
になります。
2015年現在、村上-寒川間に土休日運休の路線バスが運行されております。
→詳しくは「新潟交通観光バス(株)」を検索ください。

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越後寒川駅から今川方面に約1.5km進むと脇川漁港に到着。
2004年8月撮影。
村上市内に所在する漁港6港のうちの一つです。
安土桃山時代末期には漁港として成立していたようで、漁業以外に生活の糧の乏しかったこの地域にとっては至極当然の存在でしょう。
現在の漁獲高は175.7トン(平成19年度)で、勝木駅エントリーで紹介した寝屋漁港は同年度1664.7トン。寝屋漁港の一割強の漁獲高です。

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今川駅へと至る国道345号線を歩いての笹川流れ点描、2004年8月撮影。
8月下旬の暑い日で、大汗掻きながらてくてくと歩いてみました。
一番下の画の水平線に見える島は粟島です。
新潟には離島が二島(佐渡と粟島)がありますが、私は佐渡には仕事で一度行ったきり、粟島は未踏の地であります。
今年辺り、行く機会があったらいいなぁ。

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2011年7月16日 (土)

勝木駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・勝木駅。

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新潟県村上市の東部に所在する無人駅で、有名な海岸景勝地の「笹川流れ」の東端になります。
駅開業は1924年(大正13年)7月31日。
開業時の所在は岩船郡八幡村で、勝木駅は同村の玄関駅でした。
八幡村はその後昭和30年3月末に周辺諸村と合併して山北村となり、昭和40年11月に町制を施行、平成19年4月に岩船郡の荒川町や神林村、朝日村と共に村上市と広域合併してその東部地域となり今日に至ります。
府屋駅から鼠ヶ関駅へのエントリーでも触れましたが、村上市周辺の平成の大合併は地理的にスケールの大きいもので、村上駅から当駅までの距離実に約33km。
市域は更にその先の、当駅から7km先の鼠ヶ関駅の手前まで広がっているのです。

電化区間にもかかわらず、普通列車は全て気動車で運行本数も往年の特定地方交通線に近い一日八往復。
電化幹線中全国でも指折りの普通列車過疎空白区間ともいうべき村上-鼠ヶ関間は、特急停車駅の府屋駅を除くと(その府屋駅にしても2010年度一日平均乗車人員は121人で、JR東日本新潟県内有人75駅中73位で特急停車駅中最小なのですが)、その運行密度もさもありなんと思われるローカルな佇まいなのです
けれど、勝木駅は笹川流れの観光拠点である桑川駅と並んで駅周辺もそこそこに賑やか?です。
それを裏付けていると言えなくもないのが、当駅が2002年度まで有人駅であった事実で、前述の過疎空白区間で当時有人駅だったのは、特急停車駅の村上と府屋を除けば鼠ヶ関駅と越後寒川駅、そして当駅だけです。
JR東日本によれば、2002年度の勝木駅一日平均乗車人員は92人で、当時のJR東日本新潟県内有人87駅中83位でした。

勝木駅駅舎の様子
勝木駅駅舎の様子、2010年6月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和63年3月11日、JR発足後に完成したまだまだ新しい駅舎です。
駅前には新潟交通観光バス運行のバス停があり、当駅から府屋駅までバス移動が可能です。
羽越線の普通列車よりも本数が多く、当駅周辺の撮影の行き帰りの使い勝手も中々宜しいかと思います。
しかし去年6月に当駅前から府屋まで乗車した際は、客は終始私一人・・・
日曜日12:09発の便でした。
平日は病院通いのお年寄りでそこそこ乗っていると信じたいところでありますが・・・。

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勝木駅舎内部の様子、上が2010年6月、下が2006年11月撮影。
内部は一見すると少々クラシカルな雰囲気を感じさせますけれど、
前述のように駅舎自体は比較的近年の竣工なので、この懐古調の内装はレトロな演出を狙ってのものなのでしょうか?
下の画像撮影時点で無人化から3年半、旧窓口周りはまだまだ綺麗です。
待合室内は比較的狭いのですが、通路とは仕切られていて特に冬は過ごし易そうなのは元有人駅の面目躍如。
待合室内には券売機一台と公衆電話、ゴミ箱といった按配。
2010年6月訪問時にはベンチが通路のものと同じ一人掛け用に変わっていました。
トイレは駅前広場側にあり非水洗でトイレットペーパーはありません。

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ホーム側から見た勝木駅駅舎の様子、2010年6月撮影。
定期優等列車の停車実績は恐らく無い当駅ですが、現在は土日中心に運行される全席指定の快速「きらきらうえつ」が停車します。
笹川流れの東端という地理的条件からの停車なのでしょう。
しかし当駅から笹川流れ東端観光スポットの寝屋漁港界隈までは1kmほど離れているので、鉄道利用で行くのはやや辛いところかも。
それを考えると、きらきらうえつの当駅停車に意義がどこまであるのか少々考えたくなるところではあります。

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1番線越後寒川駅方から見た勝木駅構内、2010年6月撮影。
1番ホームは村上方面乗り場になります。
当駅に停車する旅客列車は最大で4両であり、大正期の蒸機牽引長大客貨停車前提のホームはその意味を失って久しいのが現実。

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同じく越後寒川駅方を見る、2010年6月撮影。
電化複線区間でも、後付け別線が目立って信越線や上越線と大きく雰囲気が異なるのが、当駅に限らず羽越線村上以北の特徴です。


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1番ホーム中央部の様子、2004年8月撮影。
当駅が村上市では無く岩船郡山北町であった頃の一枚。

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1番線府屋駅方から見た勝木駅構内、2010年6月撮影。

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同じく府屋駅方を見る。
概成していながら活用の目処無く放置中のトンネル(画像右側)が虚しい・・・。
あのトンネルと小岩川-あつみ温泉間の放置トンネルを活用できれば、越後寒川-羽前大山間約46kmの複線運行が可能になるのです。
以前書いた羽越線高速化に当たっての大きなポイントだと思うのですが、当局はこれらトンネルに手を付けるつもりは全く無いようで。
お金をケチって、「なんちゃって高速化」なんてやっても、効果の程は知れてますよきっと。
本気で羽越線高速化=沿線活性化を考えるなら、概成設備の活用ぐらいはやらないとねぇ。

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白塗りで無味乾燥な勝木駅跨線橋内部、2010年6月撮影。

Gatsugi12
跨線橋上から越後寒川駅方を見る、2010年6月撮影。
定期列車の停車範囲内外でホームの様子が全く異なるのがよくわかります。

Gatsugi13
同じく府屋駅方を見る、2010年6月撮影。
手前の陸橋は国道345号線で、国道を左に進むと寝屋漁港へ行き着きます。

Gatsugi14
2番線越後寒川駅方から見た勝木駅構内、2010年6月撮影。
2番ホームは酒田方面乗り場になります。
ホームのカーブ具合が実感出来る一枚。

Gatsugi15
同じく越後寒川駅方を見る、2010年6月撮影。
ホーム末端は降り立つ乗客も無く廃ホームの気配も。

Gatsugi16
2番ホーム中央部の様子、2010年6月撮影。
待合室は建築財産票によると大正14年6月の完成。

Gatsugi17
同じく府屋方から見た勝木駅構内、2010年6月撮影。
二本のホームに発着する列車は上下別にきっちり使い分けされています。
なお2011年3月改正ダイヤで、定期旅客列車の当駅での列車交換や優等待避はありません。

Gatsugi18
同じく府屋駅方を見る、2010年6月撮影。

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2番ホーム横の旧引込線の様子、2010年6月撮影。
ウィキペディアによると、勝木駅の貨物及び荷物取扱いは昭和47年9月に廃止。
羽越本線全線電化直前の事で、この時期行なわれた電化と引き換えの合理化ゆえなのでしょう。

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勝木駅1番線を通過する485系電車R編成の新潟行特急「いなほ」、2010年6月撮影。
この日は午前中に発生した人身事故(加治-金塚間、この辺りはよくあるんです・・・農家の人の線路横断とか徘徊老人とか・・・)の影響でダイヤが乱れ、各駅での特急通過撮影を目的の一つとしていた私は涙目。
これを撮った時も、本来の狙いは酒田行未リニューアル編成のいなほだったのにorz。

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勝木駅を通過する485系電車T編成の秋田行特急「いなほ」、2013年9月撮影。

Gatsugi103
勝木駅1番線に到着した全席指定の快速「きらきらうえつ」新潟行、2013年5月撮影。

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勝木駅2番線を出発するキハ40系気動車酒田行普通列車、2010年6月撮影。


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2番線停車中の酒田行キハ110系気動車、2004年8月撮影。
加速鈍く乗り心地の良くない主力のキハ40系とは雲泥の差の快適さです。
しかしこの車両の当駅停車が見られるのは、当時も今も朝の酒田行と夕方の新津行の一往復のみ。

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勝木駅前の様子、2010年6月撮影。
画像奥の国道7号へと行き着く数百mの駅前通りには旅館の看板が二つ。
民家はこの駅前通り沿いに集中しております。
前述したように当地域は比較的近年(約56年前)まで独立した村でしたけれど、旧村の中心がこの駅前界隈だったのかそれとも後述する漁港界隈だったのかは興味あるところです。

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国道7号駅入口周りの様子、2010年6月撮影。
周囲には0600~2400営業のヤマザキショップとホームセンターが各一軒。
なお国道7号は勝木駅前から内陸部に針路を転じて村上に向かいます。
海沿いの道は前述の国道345号線ですので、地理に疎い外来の方は要注意。

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二番ホームの駅出入り口、2010年6月撮影。
寝屋漁港方面へはこちらが近道です。
正面の建物は山北徳洲会病院、山北地域最大規模の病院です。
平日、当駅利用の通院者はどれほどおられるのか興味の湧くところ。
羽越本線のダイヤは必ずしも通院客に便利なものではないのですが・・・。
なお二番ホーム側には券売機も乗車証明発行機も未設置です。
府屋方面への需要がそれだけ少ない事の証でしょうか。

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前述の陸橋上から見た勝木駅全景、2010年6月撮影。
画像右側が日本海でしかも目と鼻の先なのですが、予備知識無しにそれを指摘出来る人は少なかろうかと。
海岸からすぐ山間へ、この差の激しさが本州日本海沿岸、とりわけ羽越及び北陸線海岸区間の特徴です。

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前述の陸橋を渡って漁港方面(村上方面)を見る、2010年6月撮影。
画像中央に雄渾に屹立するは当地最大のランドマーク「鉾立岩」。

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寝屋漁港手前の国道345号線の様子、2010年6月撮影。
勝木駅周辺よりも賑やかで交通量多し。

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寝屋漁港の様子、2010年6月撮影。
デジカメの撮影データを見ると、勝木駅2番ホーム出入り口からここまで徒歩12分です。
勝木駅から漁港界隈へのバス路線設定はありません。
・・・というよりも、勝木-桑川間は鉄道以外の公共交通機関が存在しないのですが。

当駅調査に当たって見逃せないモノに、勝木-府屋間の旧線跡があるのですが、これまで三回の訪問ではいずれも未踏。
駅とその周辺はあらかた舐め尽したので、残る獲物はそこだけですな。
旧線跡についてはネットでルポが幾つかあるので、いまさら私如きがあらたまって書く事も無いのですが、個人的興味としてぜひ観察しておきたいところなのであります。

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2011年6月25日 (土)

月岡駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・月岡駅。

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新潟県新発田市の東部に位置する無人駅で、開業は大正元年(1912年)9月2日。
開業当時の所在は北蒲原郡本田村で、同村は昭和30年に西隣の中浦村と合併して福島村となり、その二年後に豊浦村へ自治体名を変更し昭和48年に町制を施行。
平成15年7月に新発田市へ合併編入されて今日に至ります。

さて羽越線建設が計画された当初、新津-新発田間に設置予定の中間駅は水原駅のみでした。
豊浦町史によると、これに危機感を抱く当時の本田村と中浦村は、周辺町村や当地の大地主である市島家の協力を得て当地への鉄道停車場誘致運動を積極的に展開。
停車場の敷地を地元が寄付するという条件交渉で目出度く駅設置に成功しました。
月岡駅の開業当初の駅名は「天王新田」と言いましたが、これは敷地寄付に大きく貢献した市島家の居住地にちなんでの事だそうです。

天王新田駅開業から六年後の大正七年、油田開発の為の試掘調査中に熱湯が噴出したのをきっかけに、当駅の東南約3kmの月岡地域で月岡温泉が開かれると、温泉の至近駅である当駅もそれにあやかって駅名改称の動きが活発化するようになります。
昔の駅名改称は色々と面倒で難しかったようですが、国鉄に対する数年間の駅名変更請願と、何より当駅開業の立役者であった市島家の了承も取り付けて、昭和25年9月に現在の駅名「月岡」に改称の運びとなりました。

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月岡駅駅舎の様子、2009年7月撮影。
建築財産票によると平成5年1月14日の竣工。
駅前広場は比較的広く、大正期開業の元有人駅の風格を今に残しています。
2006年11月に訪問した際にはタクシー乗り場の立て札がありましたが、この時には撤去されておりました。
タクシーの待機も無く、月岡温泉の玄関駅というその名もこれでは泣くというもの。
まぁしかし、当駅経由で温泉に行く人はいない事の表れなんでしょうしねぇ。
私の叔母のように、駅名にこってり騙されて降り立つ人も中にはおられるのでしょうけれど、タクシーも無くバスは一日数本というトホホな有様にブチギレるのがオチですな。

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月岡駅舎内の様子、2009年7月撮影。
ウィキペディアによると新駅舎竣工後しばらくはキオスクがあったようですが、現在の待合室内はベンチ一脚と券売機一台というごくありふれた無人駅の様子。
ゴミ箱が無かったのは少々残念なところです。
トイレは待合室の奥にあって男女共用で水洗。内部は無人駅のそれとしてはかなり綺麗で、温泉玄関駅たる唯一の確かな証と言ってもよいかも。

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ホーム跨線橋と駅舎周りの様子、2009年7月撮影。
月岡駅は戦前生まれの幹線系線区の駅としては少数派の島式ホーム一本です。
(他には羽越線岩船町駅加治駅、磐越西線三川駅津川駅、鹿瀬駅、日出谷駅
豊実駅=現在は棒線化、信越線黒井駅、脇野田駅二本木駅関山駅、北陸線親不知駅市振駅

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跨線橋付近から中浦駅方面を見る、2009年7月撮影。
ホームはご覧の通り幅広で長大です。

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ホーム中浦駅方から見た月岡駅構内、2009年7月撮影。
平野部に立地してしかも平板な島式ホームと、二次元的要素が多くて個人的にはあまり好みではない見付けです。
羽越線新潟県内区間では加治駅と並んで最も退屈な印象。
なお、こちらのサイト様によると現在の本線の南側に待避線?が存在したようで、かつての当駅は現在の岩船町駅と同様の構内配置だった事になります。

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ホーム中浦駅方から先を見通す、2005年5月撮影。
左の横取り線はこの時点では生きていました。
月岡温泉へは画像中央の踏切の道路を右に進みます。
またホーム上から温泉街を望見出来ます。
→月岡温泉公式はこちらへ

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昔懐かしい書式形式の名所案内標。

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跨線橋上から神山駅方面を見る、2009年7月撮影。
ご覧のように駅構内の有効長は広大です。

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同じく中浦駅方面を見る、2009年7月撮影。
羽越線新津-新発田間の中間駅で列車交換設備を持っているのは京ヶ瀬、水原、そして当駅です。
京ヶ瀬駅の設備は臨時や貨物に使われており、定期の旅客列車は水原駅と当駅で交換します。
しかし現在では水原駅にほとんど集約されていて、平成23年3月改正ダイヤで月岡駅の列車交換設備が定期活用されているのは夜の新発田発新津行134Dのみのようです。
おそらく下りトワイライトエクスプレスの通過待避と思われます。

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中浦駅方踏切から見た月岡駅構内、2005年5月撮影。
かつてはこの線路を特急「いなほ」、客車急行「鳥海」古くは気動車特急「白鳥」が疾走していたのです。
今ではここを走る優等列車は寝台特急「日本海」と「トワイライトエクスプレス」のみ。

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月岡駅に進入するキハ40系気動車の新津行、2005年5月撮影。

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月岡駅に停車中のキハ110系気動車の新発田行、2009年7月撮影。

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月岡駅には一日朝夕2往復のみ顔を見せた115系電車新津行、2005年5月撮影。

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月岡駅前から駅前通りを見通す、2009年7月撮影。
新発田と月岡温泉を結ぶ路線バスのバス停は駅前広場では無くこの駅前通りにあります。
また、当駅から北東6kmの白新線豊栄駅-月岡温泉間にシャトルバスが運行されておりますので、鉄道利用で温泉へ向かう方はこちらのバス利用が便利でしょう。
なお、このシャトルバスも月岡駅前には停まりません。

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駅前通りから駅方面を見通す、2009年7月撮影。
この通りには目を惹くものは特にありません。
昔ながらの小集落の風情です。

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月岡駅から300m程歩いて、羽越本線と並行する国道460号線に出ます、2009年7月撮影。
訪問当時はコンビニ2軒と定食屋と寿司レストランがあって、食事に困る事はまずありません。
駅至近のこの食の充実ぶりは羽越本線新津-新発田間の中間駅中髄一のものです。

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国道を越えた次の通りを右折すると市島邸に到着、2009年7月撮影。
市島邸は前述のように月岡駅誕生の立役者であった市島家の邸宅です。
近世豪農の威勢を今に伝える貴重な存在で、新潟県指定有形文化財に指定されており、一般公開が行なわれております。→公式サイトはこちらへ
邸の敷地は2万6千平方メートルと広大で、以前紹介した新潟市南区(旧味方村)の笹川邸(小大名に準ずる経済力を持つ)の1万4千平方メートルを凌ぎます。
一部の建物(湖月閣)は平成7年4月に発生した新潟県北部地震で倒壊してしまっており、その復元が今後望まれるところであります。

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市島邸内の様子、2009年7月撮影。
笹川邸見学時と異なり外はどぴーかんの真夏の日差し。
それゆえ撮影にも苦労しませんでした。
風通しの良い邸内は過ごし易く、先人の避暑の知恵に敬服する限りなのでありました。

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個人的には邸内もさる事ながら、広い池を廻る庭園がなかなかツボでした。

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