2012年3月10日 (土)

越後寒川駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・越後寒川駅。

Echigokangawa01

新潟県村上市に所在する無人駅で、開業は大正13年(1924年)7月3
1日。
開業当時の所在は岩船郡下海府村で、同村は昭和30年3月に周辺諸村と合
併して新自治体・山北村になり、同村は昭和40年11月に町制を施行して
山北町に、そして平成20年4月に村上市と岩船郡他町村(関川村と粟島浦
村を除く)と広域合併して新たに市制を施行して現在に至ります(自治体名
は「村上」のまま)。
駅名の由来は、下海府村発足前の当地域「寒川」村より。
新潟県北のこの地域は内陸から日本海に多数の小さな川が流れておりますけ
れど、現在「寒川」という名前の川はありません。
当地の地名の言われについて、少し調べてみる必要がありそうです。

海岸景勝地として全国にその名を知られた「笹川流れ」。
しかしその海岸の絶景奇景の裏返しで、当駅周辺を含む笹川流れの諸地域は
厳しい地勢と波浪の為に道の整備も間々ならず、長い間極めて交通不便な陸
の孤島状態にありました。
従って羽越線の開通と海岸諸集落に停車場が設置された事は、この地域の住
民にとって大いなる福音だったのです。
道路事情の悪さは戦後になっても相変わらずで、当地域にとって頼れるのは
羽越線のみという状態が長く続きました。
蒸機末期の写真を見ると、線路に並走する道路の未整備状況がよくわかりま
す。
羽越線に並行する国道345線は、現在では2車線に整備されて信号も少な
く、車にとってはトバしやすく日本海と笹川流れを眺めつつの快適なドライ
ブを楽しめる道路になっていますけれど、こういう状態になったのはここ三
十年ほどの事なのです。

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越後寒川駅舎、2006年11月撮影。
建築財産票によると、竣工は平成10年12月25日。
建物上部左側の天窓が印象的な小洒落たデザインなのですが、内部の天井の
高さは普通なので、上からの採光を考えたのでは無い実用性の無いモノです。
駅前広場がとても広く感じられるのは、旧駅舎の規模がかなりのものだった
からと考えるところですが、旧駅舎の画像はまだ未見に付き断定は出来ませ
んな。

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駅舎内の様子、上が2006年11月、下が2010年5月撮影。
2006年11月訪問時には券売機は未設置で、代わりに乗車証明発行機が
置かれていました。
トイレは駅舎内にあって待合室の隣です。

当駅は上の画像撮影の約半年前まで委託の有人駅だったのですが、元有人駅
にも関わらず券売機が置かれないというのは、当駅の利用客が少なくて券売
機を早急に置く必要が無いと当局が判断しての事でしょうか。
JR東日本HPによると、当駅の有人駅としての最後の年度である2005
年度一日平均乗車人員は27人で、当時のJR東日本新潟県内有人82駅中
81位(最下位は只見線・大白川駅の10人)。
運転業務上、どれほど利用者が少なくても有人を維持する必要があった大白
川駅は例外的存在ですから、この年度に実質最下位だったのはこの越後寒川
駅だったのです。
東隣の勝木駅の有人最終年度(2002年度)の一日平均乗車人数は92人
。同年度の越後寒川駅のそれは30人。
周辺人口から考えても、旧山北町域内で府屋駅以外の有人駅は一つに絞ると
いうのであれば、勝木有人維持・越後寒川無人化が妥当な判断だと思うので
すが、実際はその反対の結論に。
合併前の旧諸村の発言力や力関係やらが働いてこのような結果になったのか

駅について色々と考察する向きには非常に興味深い結論だったわけでありま
す。
有人時代の当駅には2003年11月、2004年8月、2005年8月の
三回訪れておりますが、有人と言っても駅員氏は商売っ気ゼロで窓口に座っ
ている事は無く、大抵奥の控え室でテレビを見ているという風で、これでは
有人にしておく意味も無いのでは?と強く感じたものです。

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駅舎をホームから見る、2006年11月撮影。

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一番ホーム(村上方面乗り場)今川方から見た駅構内、2010年5月撮影。
画像右側には横取り線があります。

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おそらくかつての貨物用ホームと側線、2010年5月撮影。
内陸から当駅勝木方に流れる葡萄川の上流には鉱山があって、産出された鉛
や亜鉛が当駅から各地に出荷されていたとの事です。
また駅裏の砂山からは良質の砂が採取されて鋳物用に出荷されてもいたとの
事で、貨物とはまるで無縁のように見える当駅にも隆盛期はあったのです。
ウィキペディアによると、当駅の貨物取扱い廃止は昭和47年9月との事で
す。

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一番ホーム今川方を見る、2010年5月撮影。

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一番ホーム勝木方から見た駅構内、2010年5月撮影。

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同じく勝木方を見る、2010年5月撮影。

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跨線橋内の様子、2010年5月撮影。
通路は狭く味も素っ気も無く。

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跨線橋上から今川方面を望む、2010年5月撮影。
ご覧の通り、日本海はごく至近に。

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同じく勝木方を望む、2010年5月撮影。

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島式ホーム(酒田方面乗り場2・3番線)勝木方から見た駅構内、2010
年5月撮影。
島式ホームは跨線橋からホーム端まで距離が無いので、ここからの撮影は
画面が跨線橋に圧倒されてしまって駅撮り的には向いていません。

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島式ホーム勝木方を見る、2010年5月撮影。
こちら側は複線になっています。

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跨線橋階段から島式ホームを見通す、2010年5月撮影。

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島式ホーム上の待合室内部、2010年5月撮影。
建築財産票によると、待合室の竣工は大正14年6月。

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島式ホームから見た駅構内中央部の様子、2010年5月撮影。

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島式ホーム今川方から見た駅構内、2010年5月撮影。

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島式ホーム今川方を見る、2010年5月撮影。
こちら側は単線です。

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一番線を通過する特急「いなほ」、2010年5月撮影。
この日当駅を再訪した理由は「いなほ」の通過画像撮影の為。
この当時、次のダイヤ改正(2011年3月)で常磐線に新型特急電車が投
入されて、玉突きでE653系が「いなほ」に投入されて485系は少なく
とも未リニューアル車は運用から撤退!という噂が流れていて、それに踊ら
された私は、葬式鉄で騒ぎになる前に撮影しておこうと思い立った次第。
蓋を開けてみれば、実際にそうなるのは最短でも来年のダイヤ改正(201
3年3月)なので、今考えると異常に焦り過ぎだったなぁと反省しきりなの
であります。
閑話休題、駅勝木方の踏切の警報音が鳴り始めたらお目当ての上り列車撮影
スタンバイするのですが、踏切と駅構内が若干距離があるのと、勝木方はカ
ーブになっていてホーム上からの見通しが悪いのがクセモノです。
警報音と同時にフォーカスロックしていたら、予想以上に列車進入に時間が
かかって、ようやく現われた列車が一番ホームにかかる辺りでロックが時間
切れ解除という大失態orz。
慌てて即押ししたものの、ご覧の通り通過最中と遠ざかる画しか撮れず。
先頭車両が最接近した画を撮りたかったのにトホホ・・・。
この撮影の為に一時間前から待機していたっていうのに。

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一番線を通過する国鉄色485系団体列車、2010年5月撮影。
前述の「いなほ」撮影ミスで落ち込んでしまって、ため息をつきながら跨線
橋の階段を重い足取りで上って駅舎にふらふらと。
この後は今川駅に移動する列車到着まで約30分間やる事もないし、海岸に
出て茫洋たる大海を眺めて気分直しすっか・・・と駅前広場に出たところで
踏切の警報音が再び。
この時間に通過する定期旅客列車は無いはずなので、どうせ貨物か・・・と
とりあえずホームに出てみたら飛び込んで来たのがコレ!
485系リニューアル車の「いなほ」は撮影再挑戦もできますが、編成本数
最小の国鉄色485系を撮るのは車両運用詳細を把握していないと困難です。
世の中、何が幸いするかわかったモンじゃありませんな。
「いなほ」をミスらずに撮れていたら、るんるんっ♪と得意満面のドヤ顔で
足取りも軽く速攻海岸に向かっていたはずで、そうなるとこの画は撮れなか
ったのは確実ですからね。

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三番線を通過中の貨物列車、2004年8月撮影。
当駅は一番線(上り)と三番線(下り)が本線で、二番線が待避線です。
来る3月17日改正ダイヤでは、下り829D(下りいなほ退避)、上り832
D(上りいなほ退避)が二番ホームに停車するのでしょう。

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三番線に停車中の酒田行普通列車、2003年11月撮影。
当時も今も、羽越線村上-酒田間普通列車の主力はキハ40系。
エンジンの音も高らかに日本海沿岸を進む姿は、いぶし銀の味があって個人
的に大好きなのですが、一部で言われるように確かにノロいのは事実ですな。

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線路と並行する駅前通りの様子、2010年5月撮影。
通りは車一台分の路地という風で、通年民宿一軒と郵便局が目立つ程度の鄙
びた漁村の印象です。

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今川方の踏切から見た駅、2010年5月撮影。

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踏切を渡るとすぐに国道345号に出ます、2006年11月撮影。
羽越線勝木-桑川間には路線バスの設定がありません。
越後寒川駅と今川駅への公共交通機関でのアクセスは羽越線のみになります。
また、村上-勝木間の中間諸駅(間島、越後早川、桑川、今川、当駅)周辺
から峻厳な葡萄山地の内陸側を行く国道7号線に出る道は、葡萄川に沿って
寒川地区と国道7号を結ぶ県道以外にありません。
当駅から県道を進んで、村上市街-勝木方面を結ぶ路線バスが運行されてい
る国道7号までの距離は約8.5km。
当駅訪問の後、村上に直接行きたい方は国道7号まで歩いて、「中小屋」バ
ス停から乗車して向かうのが列車を待つよりも速い場合があるかもしれませ
ん(だって他に公共交通機関は無いんですもん)。
2011年10改正ダイヤによると、村上行きバスの中小屋発車時刻は07
:32、11:14、14:04、17:14。
村上駅前までの所要時間は41分、運賃は740円です。
→詳しくはこのPDFへ。
なお、新潟県北のスキー場「ぶどうスキー場」は中小屋・葡萄界隈にありま
す。
2011年度の営業は明日11日で終了との事で、今年は豪雪でしたのに
店終いが少々早すぎるのではとなんとなく思いますです。

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越後寒川駅から今川方面に約1.5km進むと脇川漁港に到着。
2004年8月撮影。
村上市内に所在する漁港6港のうちの一つです。
安土桃山時代末期には漁港として成立していたようで、漁業以外に生活の糧
の乏しかったこの地域にとっては至極当然の存在でしょう。
現在の漁獲高は175.7トン(平成19年度)で、勝木駅エントリーで紹
介した寝屋漁港は同年度1664.7トン。
寝屋漁港の一割強の漁獲高です。
→詳しくはこちらへ

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今川駅へと至る国道345号線を歩いての笹川流れ点描。
2004年8月撮影。
8月下旬の暑い日で、大汗掻きながらてくてくと歩いてみました。
一番下の画の水平線に見える島は粟島です。
新潟には離島が二島(佐渡と粟島)がありますが、私は佐渡には仕事で一度
行ったきり、粟島は未踏の地であります。
今年辺り、行く機会があったらいいなぁ。

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2011年7月16日 (土)

勝木駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・勝木駅。

Gatsugi01

新潟県村上市の東部に所在する無人駅で、有名な海岸景勝地の「笹川流れ」
の東端になります。
駅開業は1924年(大正13年)7月31日。
開業時の所在は岩船郡八幡村で、勝木駅は同村の玄関駅でした。
村はその後昭和30年3月末に周辺諸村と合併して山北村となり、昭和40年
11月に町制を施行、平成19年4月に岩船郡の荒川町や神林村、朝日村と
共に村上市と広域合併してその東部地域となり今日に至ります。
府屋駅から鼠ヶ関駅へのエントリーでも触れましたが、村上市周辺の平成の
大合併は地理的にスケールの大きいもので、村上駅から当駅までの距離実に
約33km。
市域は更にその先の、当駅から7km先の鼠ヶ関駅の手前まで広がっている
のです。

電化区間にもかかわらず、普通列車は全て気動車で運行本数も往年の特定
地方交通線に近い一日八往復。
電化幹線中全国でも指折りの普通列車過疎空白区間ともいうべき村上-
鼠ヶ関間は、特急停車駅の府屋駅を除くと(その府屋駅にしても2010年度
一日平均乗車人員は121人で、JR東日本新潟県内有人75駅中73位で
特急停車駅中最小なのですが)、その運行密度もさもありなんと思われる
ローカルな佇まいなのですけれど、当駅は笹川流れの観光拠点である桑川駅
と並んで駅周辺もそこそこに賑やか?です。
それを裏付けていると言えなくもないのが、当駅が2002年度まで有人駅
であった事実で、前述の過疎空白区間で当時有人駅だったのは、特急停車駅
の村上と府屋を除けば鼠ヶ関と越後寒川、そして当駅だけです。
JR東日本によれば、2002年度の当駅一日平均乗車人員は92人で、当時の
JR東日本新潟県内有人87駅中83位でした。


Gatsugi02
勝木駅舎、2010年6月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和63年3月11日、JR発足後に完成したまだ
まだ新しい駅舎です。
駅前には路線バスのバス停があり、当駅から府屋駅までバス移動が可能です。
→ダイヤはこちらを参照ください

勝木-府屋間は三路線に渡って掲載してあるので、抜粋すると勝木駅前発
府屋駅方面の発車時刻は下記の通りです。
所要時間は9分で運賃はJRと同額の180円。

07:57 08:46 09:29 10:20 12:09 14:28
15:03 16:08 17:25 17:43

羽越線普通列車よりも本数が多く、当駅周辺の撮影の行き帰りの使い勝手も
中々宜しいかと思います。
しかし去年6月に当駅前から府屋まで乗車した際は、客は終始私一人・・・
日曜日12:09発の便でした。
平日は病院通いのお年寄りでそこそこ乗っていると信じたいところでありますが
・・・。


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駅舎内の様子、上が2010年6月、下が2006年11月撮影。
内部は一見すると少々クラシカルな雰囲気を感じさせますけれど、前述のよう
に駅舎自体は比較的近年の竣工なので、この懐古調の内装はレトロな演出
を狙ってのものなのでしょうか?
下の画像撮影時点で無人化から3年半、旧窓口周りはまだまだ綺麗です。
待合室内は比較的狭いのですが、通路とは仕切られていて特に冬は過ごし
易そうなのは元有人駅の面目躍如。
待合室内には券売機一台と公衆電話、ゴミ箱といった按配。
2010年6月訪問時にはベンチが通路のものと同じ一人掛け用に変わって
いました。
トイレは駅前広場側にあり非水洗でトイレットペーパーはありません。


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ホーム側から見た駅舎の様子、2010年6月撮影。
定期優等列車の停車実績は恐らく無い当駅ですが、現在は土日中心に運行
される全席指定の快速「きらきらうえつ」が停車します。
笹川流れの東端という地理的条件からの停車なのでしょう。
しかし当駅から笹川流れ東端観光スポットの寝屋漁港界隈までは1kmほど
離れているので、鉄道利用で行くのはやや辛いところかも。
それを考えると、きらきらうえつの当駅停車に意義がどこまであるのか少々
考えたくなるところではあります。


Gatsugi06
一番ホーム越後寒川方から見た駅構内、2010年6月撮影。
一番ホームは村上方面乗り場になります。
当駅に停車する旅客列車は最大で4両であり、大正期の蒸機牽引長大客貨
停車前提のホームはその意味を失って久しいのが現実。


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同じく越後寒川方を見る、2010年6月撮影。
電化複線区間でも、後付け別線が目立って信越線や上越線と大きく雰囲気が
異なる
のが、当駅に限らず羽越線村上以北の特徴です。


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一番ホーム中央部の様子、2004年8月撮影。
当駅が村上市では無く岩船郡山北町であった頃の一枚。


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一番ホーム府屋方から見た駅構内、2010年6月撮影。


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同じく府屋方を見る。
概成していながら活用の目処無く放置中のトンネル(画像右側)が虚しい・・・。
あのトンネルと小岩川-あつみ温泉間の放置トンネルを活用できれば、越後
寒川-羽前大山間約46kmの複線スルー運行が可能になるのです。
以前書いた羽越線高速化に当たっての大きなポイントだと思うのですが、当局
はこれらトンネルに手を付けるつもりは全く無いようで。
お金をケチって、「なんちゃって高速化」なんてやっても、効果の程は知れ
てますよきっと。
本気で羽越線高速化=沿線活性化を考えるなら、概成設備の活用ぐらいは
やらないとねぇ。


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白塗りで無味乾燥な跨線橋内部、2010年6月撮影。


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跨線橋上から越後寒川方を見る、2010年6月撮影。
定期列車の停車範囲内外でホームの様子が全く異なるのがよくわかります。


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同じく府屋方を見る、2010年6月撮影。
手前の陸橋は国道345号線で、国道を左に進むと寝屋漁港へ行き着きます。


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二番ホーム越後寒川方から見た駅構内、2010年6月撮影。
二番ホームは酒田方面乗り場になります。
ホームのカーブ具合が実感出来る一枚。


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同じく越後寒川方を見る、2010年6月撮影。
ホーム末端は降り立つ乗客も無く廃ホームの気配も。


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二番ホーム中央部の様子、2010年6月撮影。
待合室は建築財産票によると大正14年6月の完成。


Gatsugi17
同じく府屋方から見た駅構内、2010年6月撮影。
二本のホームに発着する列車は上下別にきっちり使い分けされています。
なお2011年3月改正ダイヤで、定期旅客列車の当駅での列車交換や優等
待避はありません。


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同じく府屋方を見る、2010年6月撮影。


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二番ホーム横の旧引込線の様子、2010年6月撮影。
ウィキペディアによると、当駅の貨物及び荷物取扱いは昭和47年9月に廃止。
羽越本線全線電化直前の事で、この時期行なわれた電化と引き換えの合理化
ゆえなのでしょう。


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当駅一番線を通過する新潟行特急「いなほ」、2010年6月撮影。
この日は午前中に発生した人身事故(加治-金塚間、この辺りはよくあるん
です・・・農家の人の線路横断とか徘徊老人とか・・・)の影響でダイヤが
乱れ、各駅での特急通過撮影を目的の一つとしていた私は涙目。
これを撮った時も、本来の狙いは酒田行未リニューアル編成のいなほだった
のにorz。


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二番線停車中の酒田行キハ110系普通列車、2004年8月撮影。
加速鈍く乗り心地の良くない主力のキハ40系とは雲泥の差の快適さです。
しかしこの車両の当駅停車が見られるのは、当時も今も朝の酒田行と夕方の
新津行の一往復のみ。


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勝木駅前の様子、2010年6月撮影。
画像奥の国道7号へと行き着く数百mの駅前通りには旅館の看板が二つ。
民家はこの駅前通り沿いに集中しております。
前述したように当地域は比較的近年(約56年前)まで独立した村でしたけれど、
旧村の中心がこの駅前界隈だったのかそれとも後述する漁港界隈だったのかは
興味あるところです。


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国道7号駅入口周りの様子、2010年6月撮影。
周囲には0600~2400営業のヤマザキショップとホームセンターが各一軒。
なお国道7号は勝木駅前から内陸部に針路を転じて村上に向かいます。
海沿いの道は前述の国道345号線ですので、地理に疎い外来の方は要注意。


Gatsugi22
二番ホームの駅出入り口、2010年6月撮影。
寝屋漁港方面へはこちらが近道です。
正面の建物は山北徳洲会病院、山北地域最大規模の病院です。
平日、当駅利用の通院者はどれほどおられるのか興味の湧くところ。
羽越線のダイヤは必ずしも通院客に便利なものではないのですが・・・。
なお二番ホーム側には券売機も乗車証明発行機も未設置です。
府屋方面への需要がそれだけ少ない事の証でしょうか。


Gatsugi23
前述の陸橋上から見た駅全景、2010年6月撮影。
画像右側が日本海でしかも目と鼻の先なのですが、予備知識無しにそれを
指摘出来る人は少なかろうかと。
海岸からすぐ山間へ、この差の激しさが本州日本海沿岸、とりわけ羽越及び
北陸線海岸区間の特徴です。


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前述の陸橋を渡って漁港方面(村上方面)を見る、2010年6月撮影。
画像中央に雄渾に屹立するは当地最大のランドマーク「鉾立岩」。


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漁港手前の国道の様子、2010年6月撮影。
勝木駅周辺よりも賑やかで交通量多し。


Gatsugi26
寝屋漁港の様子、2010年6月撮影。
デジカメの撮影データを見ると、勝木駅二番ホーム出入り口からここまで
徒歩12分です。
勝木駅から漁港界隈へのバス路線設定はありません。
・・・というよりも、勝木-桑川間は鉄道以外の公共交通機関が存在しないの
ですが。

当駅調査に当たって見逃せないモノに、勝木-府屋間の旧線跡があるのです
が、これまで三回の訪問ではいずれも未踏。
駅とその周辺はあらかた舐め尽したので、残る獲物はそこだけですな。
旧線跡についてはネットでルポが幾つかあるので、いまさら私如きがあらた
まって書く事も無いのですが、個人的興味としてぜひ観察しておきたいとこ
ろなのであります。

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2011年6月25日 (土)

月岡駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・月岡駅。

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新潟県新発田市の東部に位置する無人駅で、開業は大正元年(1912年)9月
2日。
開業当時の所在は北蒲原郡本田村で、同村は昭和30年に西隣の中浦村と
合併して福島村となり、その二年後に豊浦村へ自治体名を変更し昭和48年
に町制を施行。
平成15年7月に新発田市へ合併編入されて今日に至ります。

さて羽越線建設が計画された当初、新津-新発田間に設置予定の中間駅は
水原駅のみでした。
豊浦町史によると、これに危機感を抱く当時の本田村と中浦村は、周辺町村や
当地の大地主である市島家の協力を得て当地への鉄道停車場誘致運動を
積極的に展開。
停車場の敷地を地元が寄付するという条件交渉で目出度く駅設置に成功しま
した。
月岡駅の開業当初の駅名は「天王新田」と言いましたが、これは敷地寄付に
大きく貢献した市島家の居住地にちなんでの事だそうです。

駅開業から六年後の大正七年に油田開発の為の試掘調査中に熱湯が噴出した
のをきっかけに、当駅の東南約3kmの月岡地域で月岡温泉が開かれると、
温泉の至近駅である天王新田駅もそれにあやかって駅名改称の動きが活発化
するようになります。
昔の駅名改称は色々と面倒で難しかったようですが、国鉄に対する数年間の
駅名変更請願と、何より当駅開業の立役者であった市島家の了承も取り付け
て、昭和25年9月に現在の駅名「月岡」に改称の運びとなりました。


Tsukioka02
月岡駅舎、2009年7月撮影。
建築財産票によると平成5年1月14日の竣工。
駅前広場は比較的広く、大正期開業の元有人駅の風格を今に残しています。
2006年11月に訪問した際にはタクシー乗り場の立て札がありましたが、この
時には撤去されておりました。
タクシーの待機も無く、月岡温泉の玄関駅というその名もこれでは泣くというもの。
まぁしかし、当駅経由で温泉に行く人はいない事の表れなんでしょうしねぇ。
私の叔母のように、駅名にこってり騙されて降り立つ人も中にはおられるのでしょ
うけれど、タクシーも無くバスは一日数本というトホホな有様にブチギレるのが
オチですな。


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駅舎内の様子、2009年7月撮影。
ウィキペディアによると新駅舎竣工後しばらくはキオスクがあったようですが、
現在の待合室内はベンチ一脚と券売機一台というごくありふれた無人駅の
様子。
ゴミ箱が無かったのは少々残念なところです。
トイレは待合室の奥にあって男女共用で水洗。内部は無人駅のそれとしては
かなり綺麗で、温泉玄関駅たる唯一の確かな証と言ってもよいかも。


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ホーム跨線橋と駅舎周りの様子、2009年7月撮影。
当駅は戦前生まれの幹線系線区の駅としては少数派の島式ホーム一本です。
(他には羽越線岩船町駅加治駅、磐越西線三川駅、津川駅、鹿瀬駅、
日出谷駅
豊実駅=現在は棒線化、信越線黒井駅、脇野田駅、二本木駅関山駅
北陸線親不知駅
市振駅


Tsukioka06
跨線橋付近から中浦方面を見る、2009年7月撮影。
ホームはご覧の通り幅広で長大です。


Tsukioka07
ホーム中浦方から見た構内、2009年7月撮影。
平野部に立地してしかも平板な島式ホームと、二次元的要素が多くて個人的
にはあまり好みではない見付けです。
羽越線新潟県内区間では加治駅と並んで最も退屈な印象。
なお、こちらのサイト様によると現在の本線の南側に待避線?が存在したよう
で、
かつての当駅は現在の岩船町駅と同様の構内配置だった事になります。


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ホーム中浦方から先を見通す、2005年5月撮影。
左の横取り線はこの時点では生きていました。
月岡温泉へは画像中央の踏切の道路を右に進みます。
またホーム上から温泉街を望見出来ます。
→月岡温泉公式はこちらへ


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昔懐かしい書式形式の名所案内標。


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跨線橋上から神山方面を見る、2009年7月撮影。
ご覧のように駅構内の有効長は広大です。


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同じく中浦方面を見る、2009年7月撮影。
羽越線新津-新発田間の中間駅で列車交換設備を持っているのは京ヶ瀬
水原、そして当駅で、京ヶ瀬は臨時や貨物に使われており定期の旅客列車は
水原と月岡で交換します。
しかし現在では水原にほとんど集約されていて、平成23年3月改正ダイヤで
当駅の列車交換設備が定期活用されているのは夜の新発田発新津行134D
のみのようです。
おそらく下りトワイライトエクスプレスの通過待避と思われます。


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中浦方踏切から見た駅構内、2005年5月撮影。
かつてはこの線路を特急「いなほ」、客車急行「鳥海」古くは気動車特急「白鳥」
が疾走していたのです。
今ではここを走る優等列車は寝台特急「日本海」と「トワイライトエクスプレス」
のみ。


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新津-新発田間区間列車の主役キハ110系気動車と一日朝夕2往復のみ顔を
見せる115系。


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月岡駅前から駅前通りを見通す、2009年7月撮影。
新発田と月岡温泉を結ぶ路線バスのバス停は駅前広場では無くこの駅前通りに
あります。→ダイヤはこちら、なお1ページ目の「新発田市観光イベントバス」は
月岡駅前に停車しないようです(市島邸から月岡駅まで1km弱)。
また、当駅から北東6kmの白新線豊栄駅-月岡温泉間にシャトルバスが運行
されておりますので、鉄道利用で温泉へ向かう方はこちらのバス利用が便利
でしょう。
→ダイヤはこちら
なお、このシャトルバスも月岡駅前には停まりません。


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駅前通りから駅方面を見通す、2009年7月撮影。
この通りには目を惹くものは特にありません。
昔ながらの小集落の風情です。


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駅から300m程歩いて、羽越線と並行する国道460号線に出ます、2009
年7月撮影。
訪問当時はコンビニ2軒と定食屋と寿司レストランがあって、食事に困る事
はまずありません。
駅至近のこの食の充実ぶりは羽越線新津-新発田間中間駅中髄一のもの
です。


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国道を越えた次の通りを右折すると市島邸に到着、2009年7月撮影。
市島邸は前述のように月岡駅誕生の立役者であった市島家の邸宅です。
近世豪農の威勢を今に伝える貴重な存在で、新潟県指定有形文化財に指定
されており、一般公開が行なわれております。
→公式サイトはこちらへ
邸の敷地は2万6千平方メートルと広大で、以前紹介した新潟市南区(旧味方村)の
笹川邸(小大名に準ずる経済力を持つ)の1万4千平方メートルを凌ぎます。
一部の建物(湖月閣)は平成7年4月に発生した新潟県北部地震で倒壊してしま
っており、その復元が今後望まれるところであります。


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市島邸内の様子、2009年7月撮影。
笹川邸見学時と異なり外はどぴーかんの真夏の日差し。
それゆえ撮影にも苦労しませんでした。
風通しの良い邸内は過ごし易く、先人の避暑の知恵に敬服する限りなので
ありました。

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個人的には邸内もさる事ながら、広い池を廻る庭園がなかなかツボでした。

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2010年6月19日 (土)

鼠ヶ関駅(羽越本線)

本日の駅紹介は、羽越本線・鼠ヶ関駅。

「新潟県の駅紹介」をメインテーマの一つとして掲げている当ブログと
しては、本来対象外の山形県の駅ですけれど、過去、そして現在においても
新津駅-当駅間の普通列車が設定されていて「キリがよい」事、県境の
すぐ外側に立地している駅でもある事から、扱う事にいたしました。

さて鼠ヶ関駅は山形県鶴岡市に所在する無人駅で、1923年(大正12年)11月
23日の開業です。
開業当時は西田川郡念珠関村の所在で、その後村は周辺村と共に東隣の
温海町と合併、その温海町も平成の大合併の中、2005年10月に鶴岡市と
合併して今日に至ります。

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2003年11月撮影、温海町時代の駅名票。

当駅は開業から約二年間、鶴岡方面からの鉄道終着駅で、羽越本線全通後も
運転上の要衝として、永らく存在感を示してきました。
2010年3月改正ダイヤでは、新津-当駅間に一往復、酒田-当駅間に
4往復の区間列車が設定されております。
過去においては陸羽西線経由山形・仙台方面への気動車急行「月山」2往復
が当駅折り返しで設定されていたのは、オールドファンには懐かしいところで
しょう。
また当駅の昔を語る上で興味深いのは、急行の折り返し駅であるにも関わら
ず、羽越本線を走破する急行群からの扱いが極めて冷たかった事。
上越新幹線開業直前の昭和57年10月、「月山」以外の羽越線直通急行は
昼行4往復(「羽越」2往復と「しらゆき」「きたぐに」)と夜行2往復
(「天の川」「鳥海」)が運行されておりましたけれど、この内鼠ヶ関駅に
停車するのは上り「羽越」1本と下り「鳥海」1本のみ。
早朝に下り「鳥海」が停車していたのは恐らく当駅への新聞輸送があった
からと推測され、上り「羽越」停車は「月山」が余目-当駅間で「羽越」と
併結運転を行っているからという運転上の理由からです。
つまり純粋な旅客営業の為の停車は皆無!
まぁ、西隣の府屋駅にしても、山北町の玄関駅でありながら急行停車は
「羽越」2往復のみという、優等列車停車基準のハードルがまだまだ高かった
時代の話なのですが、それにしても・・・。
「月山」の当駅折り返しも、旅客営業上の要請よりはやはり運転上都合が
よかったからかと邪推せずにはおれませんなぁ・・・。

現在の鼠ヶ関駅は二面三線で、中線も区間列車に使用しております。
また時刻表を見るに、現在当駅での普通列車の特急退避は無いようです。
特急「いなほ」は全便通過ですが、快速「きらきらうえつ」は停車します。

ホームは新潟方から見て右にゆるやかにカーブしているのが鑑賞上のポイント。
常磐線に来春から特急の新車導入が確定的で、その数によってはE653系
の一部が「いなほ」に転用されてリニューアル車以外の485系が早晩
定期運用離脱も大いにあり得る状況で、「いなほ」名残の撮影を行なう方も
これから増える事と思いますが、当駅において撮影の場合、二番ホームに
待機して一番線を緩やかにカーブしつつ駆ける下り「いなほ」を撮影するのが
ベストかと存じます。


Nezugaseki06
一番ホーム駅舎側。
2010年5月撮影(特記無しの画はすべて同日撮影です)
「きらきらうえつ」の停車駅の駅名票は皆こんな賑々しいものに。
こんなモノが置かれている以上、停車駅から外される事は無いんでしょうな。
なお「きらきらうえつ」は、普通列車の少ない村上-鼠ヶ関間において、
笹川流れの起点・桑川駅と終点・勝木駅、区間内最大の駅・府屋駅、
そしてレジャーや小観光の拠点・鼠ヶ関駅にバランス良く停車するのでなか
なか使い出があるのです。


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一番ホーム鶴岡方の旧貨物線と思しき線路。
ウィキペディアによれば、当駅の貨物取扱いは昭和47年9月に廃止との事。
羽越本線全線電化の代償としての合理化措置でしょうか?
なおこの線路は鶴岡方本線と繋がっております(2010年5月現在)。


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一番ホーム鶴岡方先端から見る。
本線と旧貨物線、中線の繋がりがよくわかります。


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一番ホーム村上方から駅構内を望む。
現在列車が停車するのはホームの上屋周りで、列車編成は最大でも4両程度。
三十年前はこのあたりまで長編成の旧型客車列車が止まっていたのを考える
と、この手の駅でいつも感じる事ながら、懐古と寂寥の念がないまぜになっ
て万感胸に迫りますです・・・。


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跨線橋から鶴岡方面を望む。


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同じく村上方面を望む。


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三番ホーム村上方から駅構内を望む。
駅裏手は未開発で、その先の小集落との緩衝地帯のような様相。
不自然に広い事から、かつては側線などが敷かれていたのでしょうか?


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島式ホーム鶴岡方から見た駅構内。
鶴岡方ホーム先端部の幅は狭いので、三番線を通過する列車をこのポジション
で撮るのはあまりお勧め出来ません。


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2005年3月撮影。
中線で折り返し待機中の酒田行普通列車、キハ110系二連でした。


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2005年3月撮影。
三番線に村上行普通列車到着で島式ホームにつかの間の賑わい。


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2003年11月撮影。
三番線に進入中の村上行普通列車。


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2005年3月撮影。
村上行普通列車が三番線に停車中。


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駅舎の外観。
建築財産票によれば竣工は昭和61年10月28日、許容積雪量は
100cm。
当駅周辺最大のレジャー施設「鼠ヶ関マリーナ」に浮かぶヨットをイメージ
したデザインとの事。
駅前の街灯も「弁天島」の灯台をイメージしているのでしょう。
駅出入り口に飲料自販機が一台設置、トイレは駅舎向かって左側にあります。
水洗なのは流石元有人駅といったところ。
なおタクシーの待機は、私が訪問した三回共ありませんでした。
路線バスについては、初回訪問の2003年11月(この時はまだ有人で
した)には鼠ヶ関-府屋間が設定されておりましたがその後程なくして廃止。
鼠ヶ関-あつみ温泉間は現在も健在ですが、日中の移動に使える
のは3~4便といったところ。
先月、当駅前14:09発のバスが走っているのをチラ見したのですが、
黄色いマイクロバス風で遠目には幼稚園の送迎バスかと思ってしまい
ましたw
目立つっちゃあ目立つけど、まっ黄色っていうのはなんだかなぁ。


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駅舎内の様子。
当駅は2004年春に無人化されております。

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2003年11月に窓口で買ったきっぷ。
有人時代は自動券売機が未設置で、このような短距離きっぷも窓口
購入でした。

前回(2005年3月)訪問時は待合室内に無人駅定番の朱色ベンチを深緑
にリペイントしたものが数脚置かれていましたが、現在はこのように有人
無人問わずベンチの定番となりつつある新しいものに交換されておりました。
自動券売機は一台設置。
室内にも飲料自販機一台設置、時流に乗ってゴミ箱の分別もしっかりされて
いております。
室内は有人時代そのままの小奇麗さですこぶる好印象です。


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駅前通りから駅方向を望む。
画像中央が鼠ヶ関駅です。
通りの左側は村上市で、集落は両県に跨って形成され一体化しているのが
特徴です。
民家の前に何気に県境の石標が置かれているのには驚きました・・・。
県境ってもっと「構えた」感じなのが常なので。
なお駅前通りには酒屋が一軒と昔ながらの食料品店が一軒といった按配。
地域の方々はまとまった買出しの場合、前回エントリーの府屋駅裏のスーパ
ーまで車でひとっ走りですかね矢張り。


Nezugaseki17
前回のエントリーで府屋駅からてくてく歩く事一時間強で辿りついた、鼠ヶ関駅から1
km弱の鼠ヶ関湾。
まさに天然の良港で、古代から当地に関所が置かれているのもこの湾の存在
を抜きには語れないでしょう。
この画の左手が前述の「鼠ヶ関マリーナ」になります。


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マリーナに隣接した公園。


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公園から弁天島を望む。
源義経奥羽東下の上陸の地であります。
義経一行は馬下(羽越線越後早川駅-桑川駅間の辺り)まで馬で来て
(だから「馬下」=「馬を下りる」という地名なのでしょうか? コレを書いて
いてふと思いました)、そこから船でここ鼠ヶ関まで逃げ延びたとの事です。


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弁天島遊歩道の入口。
遊歩道はルートが二つあり、これは行くのが少々難しいルート。
足場があまりよくない岩場をせっせと登っていくので、足腰の弱い方はお勧め
出来ません。
足を踏み外したりふらついたりするとそのまま下の岩へバーン海へドボーン
の可能性もアリ。
私はこういうところを登るのに血が騒ぐタチなので、「鉄也のテーマ」を口
ずさみつつうにゃにゃにゃにゃーんと登りますたw。
途中で休憩していたご老体方が驚いていましたなぁw。


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弁天島頂上の鳥居と鼠ヶ関灯台。


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弁天島から見た鼠ヶ関湾内。
五月の海は凪いで穏やか。


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2005年3月撮影、
史跡「近世念珠関址」。
古代、そして江戸時代に関所が置かれていました。
弁天島に上陸した義経一行はこの関を難なく通過した後、この先に宿をとり
しばし長旅の疲れを癒したそうです。

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2010年6月12日 (土)

府屋駅から県境越えて鼠ヶ関駅へ

今回の駅紹介は、2007年6月2日の府屋駅エントリー時では取材不足
だった部分を補足の形で。
当初は府屋駅の元記事に画像と文章を追加しようかと思っていたのですが、
それをするとココログ大先生がご機嫌を損ねておしまいになり、「HTML
が複雑過ぎて~」なんて表示が出て、HTMLを直接弄らなくては
ならなくなるケースがしばしば。
弄る事自体はHPでやっているのでそれほど難しい事ではないのですけれ
ど、ココログ大先生は構文を直しても、アップ前の確認をすると元に戻っ
ていたりして・・・。
文字のサイズは勝手に極小になってしまって、いくら直しても受け付けて
くれませんからね!
何度かそういう事があったので、それなりの量の画像や文章を追加する場合
は別途ページにしておいた方が無難なのです・・・と、愚痴はこれぐら
いにしまして本題へ。

前回記事時点では岩船郡山北町の所在だった府屋駅も、その後2008年
4月1日をもって村上市及び岩船郡の町村と合併して村上市の一部となりまし
た。
2005年には県境を挟んだ山形県温海町が鶴岡市と合併しておりますので
、村上市と鶴岡市はこれでお隣さん同士という事になります。
それぞれの玄関駅である村上駅と鶴岡駅は約80km離れている「お隣
さん」って凄い違和感があるのですが、地元の方はどう思って
おられるのでしょうね。
また現・村上市にしても、東端のここ府屋駅と西端の坂町駅は約48km
離れていてまた何とも・・・。

今回は勝木駅近くの「寝屋漁港」を見学した後に、勝木駅前から路線バス
で府屋駅へ。
定期旅客列車の途切れる空白時間帯に、人気の無いであろう駅舎内を撮影し、
前回駅周辺をぶらついた時に歩いたのとは違うルートで踏切を越え、
海岸側の国道に出てそのまま県境を越えて鼠ヶ関駅に至るコースです。


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五月の日曜の昼下がりの府屋駅。
一時間以上旅客列車がこないせいか、タクシーも待機していません。


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駅舎内の様子。
案の定人気は無し。
有人駅駅舎内の撮影は周囲に気を遣わなくてはならず、列車到着30分前
に余裕を見て駅舎へ行ったら既にオバサン団体がどっかり腰を据えて
おしゃべりに興じ、結局駅舎内撮影を断念して、その為だけに後日再訪しなけ
ればならないという泣きたくなる事もしばしば。
当駅も数度の訪問全てそんな感じだったので、今回は「どー考えても人な
どいない」時間帯を狙って撮影に成功した次第。


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前回までと変わっていたのは、待合室内のベンチが新しくなっていた事。
去年あたりから、有人無人を問わず、ベンチがこのタイプに急速に置き換え
られている気がしますが・・・。


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鼠ヶ関寄りの「造船所踏切」(昔はこの辺に漁船の造船所でもあったのでし
ょうか?)から見た府屋駅方面。
ご覧のように線路がカーブしているので、ここから見えるのは構内外れの
モーターカーの車庫のみです。


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国道に出て駅方面を望む。
画像中央のやや赤みがかって見えるのが府屋駅の跨線橋です。


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前回エントリーでは、目立つのはAコープ程度と書きましたが、前述の踏切
を渡って国道とT字路になっているところにスーパーがありました。
駐車場は車で埋まっていて、中々繁盛している様子。


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これからてくてく歩く方向を見定め。
時刻は午後1時ジャスト、駅を出て15分経過。
目標は画像左手にある、海に突き出た岩のようなところ、その名は
弁天島。
鼠ヶ関駅から海岸に向かって1km弱のところにあります。


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その13分後、歩いてきた道程を振り返ってみる。
ちなみに国道は左右どちらかに必ず歩道があるので、車を気にせずに済み
精神衛生上極めて良し。
同じ県境海岸沿いの国道でも、親不知あたりじゃこうはいきません・・・。


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次々とやってくる貨物列車。
一時間の間に上下併せて4本見ました。
そのうち画像のEF510形牽引は3本。
かつては羽越本線を特急・急行・普通・貨物と独占して走り回っていた交直
電機の雄EF81も今や稀少になりつつありますなぁ。
国道と羽越線は併走していて、列車が近づいてくるとトンネル周りから
警告音が聞こえてくるので、その都度慌ててカメポジを探します。
定期旅客列車は来ない時間帯なので、通るのは団体か貨物。
団体だと国鉄色の485系が充てられていたりするので、急いで構えてみれば
通過するのは皆貨物。


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午後1時31分、行程丁度半ばを過ぎ。
弁天島の荒々しい岩肌がはっきり視認できます。
気分はバラン星を越えてイスカンダルへ急ぐヤマトw


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午後1時41分、ついに県境へ到着。
この先は山形県鶴岡市です。

この後、弁天島の灯台に到着したのは午後1時56分。
この先は鼠ヶ関駅のエントリーにて。

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2010年3月19日 (金)

水原駅(羽越本線)

本日の駅紹介は、羽越本線・水原駅。


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新潟県阿賀野市に所在する有人駅で、同市の玄関駅であります。
大正元年(1912年)9月2日の開業で、当時の所在は北蒲原郡水原町。
水原町は平成16年(2004年)4月1日をもって周辺3町村と合併して
新自治体の阿賀野市となり現在に至ります。

水原駅は新潟都市圏のエアポケットとも言える羽越本線・新津-新発田間
の中間駅で唯一の有人駅であり、また単線の当該区間において月岡駅と並び
定期列車の行き違いも行われる、営業及び運転上の中心として存在感を大いに
示しております。
JR東日本によると2008年度の当駅一日平均乗車人員は937人で、同社
新潟県内有人77駅中43位。
同じ新潟都市圏にあり新潟駅からの距離もほぼ同じ信越本線・矢代田駅より
やや少ない程度で、上越線・小出駅とほぼ同じレベルです。
一日の普通列車は上下23本(平日は新津-当駅間の区間列車2本追加)で
その大半は短編成の気動車列車である事を考えると、なかなかの健闘ぶり
と言えます。

ここ水原の地は江戸時代には代官所が置かれ、明治初期には極僅かな期間
ではありますが「水原県」の県都であった輝かしい歴史を誇り、阿賀野市を
共に形成する旧町村(安田町・笹神村・京ヶ瀬村)とは街の造りも明らかに
異なっていて「格の違い」を感じさせます。
しかしながら水原駅はそのかつての威光にあやかる事もなく、その歩みはいた
って地味と申せましょうか・・・。
前述の新津-新発田間にはかつて特急「白鳥」(大阪-青森間)が、更に特急
「いなほ」(上野-秋田・青森間)が、また上越新幹線大宮暫定開業後暫く
の間特急「鳥海」(上野-青森間)が昼行列車として走っておりましたけれど、
水原駅への停車はゼロ。
寝台特急の定期停車実績もありません。
急行列車も、少なくとも70年代後半以降は夏の臨時夜行以外の停車は無か
ったと記憶しております。
かつての特急(現在の寝台特急「日本海」「あけぼの」も)は白新線経由
で新潟に立ち寄るのはスイッチバックを余儀なくされ時間のロス(「いなほ
」は特に)が大きいので、単純に羽越線と信越線のショートカットとして当該
区間を通っていたに過ぎなかった為に仕方の無いところではあるのですが・・・
、仮に同じ歴史、同じ人口規模の街と駅が信越線や上越線に存在していたら、
少なくとも急行は停車していたでしょう。
その意味では不遇な駅と言えます。

さて、そんな水原駅の駅舎は平屋で、建築財産票によると昭和40年10
月の竣工。
駅舎内には仕切られた待合室があります。

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駅舎内の様子
2009年7月撮影

かつてはキオスクがあったようですけれど、現在はオレンジ色の一人掛け
ベンチが20脚以上並ぶ純粋な待ちスペースです。
コンコース共々、このクラスの駅としては広々としていて、旧水原町の輝け
る歴史の駅で見られる唯一の残光のようであります。
待合室の開放時間は窓口営業時間と同じく0700-1740。
ベンチは窓口前にもまとまった数がありますから、待合室閉鎖後も座って
待つのには困りませんけれど、冬は寒そうですな・・・。

水原駅の跨線橋は駅の南北を結ぶ自由通路も兼ねております。
元々の跨線橋内を半分に仕切っただけの構造で、通路の狭苦しさは否めま
せん。
自由通路を抜けた駅北側は道路に面して上屋付きの駐輪場があるだけの
素っ気無い風景。


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駅北側の様子
2006年10月撮影

近くに工場などがあるせいか、宅地化もまだまだの様子です。

さて駅構内に話を進めると、二面二線で対向式ホームが左右対称に並ぶという
、駅マニアにとっては面白味の無いところです。
ウィキペディアによるとかつては二面三線だったとの事で、成る程二番ホームの
幅広さにその面影も見出せます。

一番ホーム(駅舎側)の新津寄りには旧貨物線が残存して新津方本線と繋がっ
ていましたけれど、保線等で使用される事はあるのでしょうか?
なお、列車行き違い以外の普通列車発着は一番ホームのみであり、最新の20
10年3月改正ダイヤを見ると、当駅での列車行き違いは二回。
つまり二番ホームが乗降で賑わうのは一日二回だけです。
また当駅の改札は国鉄時代を彷彿とさせるややクラシカルなもので、列車到着
直前に改札を始める事も珍しくないようです。
ゆえに二番ホームを撮影するのはなかなかに困難かと・・・、私のように
「骨までしゃぶる」が如く構内撮影をするのでしたら、駅窓口営業時間外
(早朝若しくは夕方遅く)に実施するのが賢明かと存じます。


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新発田方踏切から見た駅構内
2009年7月撮影


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新津方踏切から見た駅構内
2005年5月撮影


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跨線橋から新発田方を望む
2009年7月撮影

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跨線橋自由通路側から新津方を望む
2006年10月撮影


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一番ホーム新発田方から駅構内を望む
2005年5月撮影


Suibara15
二番ホーム新津方から駅構内を望む
2005年5月撮影


Suibara16
跨線橋と自由通路の様子
銀色の仕切りの向うが自由通路
2003年11月撮影


Suibara18
旧引込線の様子
2006年10月撮影


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新津行キハ52+キハ47
2003年11月撮影


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Suibara21_2 
早朝の酒田行と新津行の行き違い
2005年5月撮影

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土曜日中、かなりの賑わいの新津行
2009年7月撮影


水原駅前広場は相応の大きさで、大抵はタクシーが待機しております。
駅前には阿賀野市営バスの停留所があります。
しかし村杉温泉行き以外の便は土休日運休の為、近隣の京ヶ瀬神山両駅への
アクセスには使い辛いものがあります。
駅前通りを少し進むと新潟交通のバス停があって、そこからは京ヶ瀬本村や
亀田経由新潟市中心部への便が多数設定されており、京ヶ瀬駅のエントリー
で触れたように、多少歩く気があるのなら京ヶ瀬駅へのアクセスに利用出来ま
す。→水原周辺の路線バス案内はこちらを参照ください

一方、神山駅へは新潟交通の路線も設定されていないので、必然的に「歩く」
事になりますね・・・、その距離およそ4km、普通の人なら40分程度で着く
でしょう。
羽越線の日中は過疎ダイヤですから、次の列車を待つより歩いた方が駅巡り
の効率はずっと良い場合があるのです。

駅前通りは二本あって、一本は駅前から真っ直ぐ進む事約1kmで通行量の
極めて多い国道49号線に出ます。

Suibara05
駅前から見た駅前通り
真っ直ぐ行くと国道へ、左折すると商店街へ
2009年7月撮影

国道手前の水原高校近くにコンビニのセーブオンがあり、また国道には
スーパーやローソン、その他飲食店があって食事や食料調達には困りません。
二本目の駅前通りは駅前を左折して羽越線と並行して新発田方面に少し進み、
踏切のある道になります。
この通りが昔からの水原町の商店街で、個人商店が軒を連ねる懐かしい道のり
です。

Suibara23
Suibara06
水原商店街の様子
2009年7月撮影
上の画像の左側の石碑は「明治天皇水原行在所」
詳細はこちらのブログ様を参照願います


水原駅周辺で二大観光地と言えるのが平成七年から復元公開されている「水原
代官所」と、白鳥の越冬地として有名な「瓢湖」。
両方共、同じ通りに面していて距離も極近いので、両方セットで見学が可能です。
駅から瓢湖までは前述の「二本目の駅前通り」を進み国道49号を横断して
進む事約1.5km、その手前が代官所になります。
駅から往復徒歩で両方見ても二時間もあれば大丈夫ですので、駅巡り等で次
の列車まで待つ方は一見も宜しいかと存じます。
なお瓢湖は白鳥の越冬地であると同時に、近隣の福島潟(白新線・豊栄駅
と羽越線・
月岡駅の中間にあります)と共に、オニバスの日本海側自生北限の地でもあり
ます。


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復元された水原代官所
2009年7月撮影


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初夏の瓢湖
2009年7月撮影


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白鳥が飛来し始めた晩秋の瓢湖
2003年11月撮影

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2009年11月22日 (日)

岩船町駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・岩船町駅。

Iwafunemachi01

新潟県村上市に所在する無人駅で、大正3年(1914年)11月1日の開業
です。
当駅が属する羽越線・中条-村上間開通時に置かれた駅の一つでもあり
ます。

当駅の開業当時の所在は岩船郡西神納村。
それなのに隣の当時・岩船郡岩船町(現在は村上市の一部)の名を名乗ってい
るのには、それなりの理由があります・・・。

この地域に駅を置く事は、鉄道敷設計画当初から決まっていた事でした。
海運で賑わう岩船港の最寄で、貨物輸送では相応の需要が見込めたからと
推察されます。
当初計画では、駅設置は現在位置より1km強北方の岩船町八日市地区
でした。
ここなら岩船港から1km強、専用線を引く事で海運との連絡もうまくいった
事でしょう。
旅客についても人口集積地の岩船町中心部の至近で、地域の中心・城下町
村上と直接結ばれる事のメリットも大きかったと思われます。
(この案が通っていたならば、平林駅-岩船町駅-村上駅間は現在の直線
ではなく、岩船町駅を頂点とした二等辺三角形状になっていた事でしょうね)

しかし、いざ実地測量にかかってみると、駅設置予定地区周辺は海抜ゼロメ
ートルの沼地で地盤の状態は最悪・・・。
港(つまり海岸)まで1km強しかない町の縦深性の無さでは他に代替地が無
く、町は止む無く南隣の西神納村に駅用地斡旋を依頼したそうです。
当時の各地での鉄道誘致熱を考えると、話を持ってこられた村はコレ幸いと自
分たちに都合のいい場所に置くように色々と画策しても不思議ではありません。
しかし西神納村はそんなえげつない事はしませんでした、村は岩船町に少し
でも近い小口川地区の土地(現在の駅)を駅設置用に準備。
鉄道側はそれを受け、恐らくは駅名を巡って岩船と西神納が揉める事が無
いように、土地の名前「小口川」をそのまま駅名にしようと考えます。
ところが岩船町、西神納村双方が駅名を「岩船町」にするように、当時の鉄道
院総裁に直訴するまでして嘆願、結果駅名は現在の「岩船町」に落ち着いたと
の由。
西神納側とすれば、この地域で村上に次ぐ力を持つ岩船と争うよりも、岩船
の名前を利用した村造りが得策と考えたのかもしれません。
海運で既に潤っている岩船が、鉄道駅の名前による新たな効果をプラスして
ますます発展すれば、その余禄を村が頂戴する事も有り得ます。
岩船は駅用地と駅名の件で村に借りがありますから、村への様々な配慮が欠か
せないのも容易に想像のつく事です。
己の力量を知り、あえて名を捨てて実を取る・・・それが西神納村の生き方。
村の決算書は果たしてどのようになっていた事でしょう?
なお西神納村は昭和30年に近隣二村と合併して新村の岩船郡神林村の、岩船
町は昭和29年に村上町他三町村と合併して、新市の村上市のそれぞれ一
部になり、平成20年4月に村上市と神林村他三町村が合併して現在の
「新」村上市へ至ります。

さて、こうして開業した駅は、岩船の海運とうまく連携して、昭和初期までは
貨物取り扱いで村上駅を凌ぎ、その後次第に衰退しつつも海運との連携
は太平洋戦争直前まで続いたとの事です。
戦後は海運の衰退とモータリセーションの波を受け、駅の機能は順次削減。
ウィキによれば貨物取り扱いは昭和47年(1972年)9月に廃止。
当時の国鉄新潟鉄道管理局の営業近代化施策の一環で、この時期に需要
の小さい貨物取り扱いが一気に廃止されておりますけれど、当駅のそれもバッ
サリ斬っても構わないレベルにまで落ち込んでしまっていたのでしょうね。
一時の繁栄とその後の凋落の早さ・・・以前紹介した北陸本線・親不知駅
のケースと重なります。

岩船町駅は単線上にあり、構内は一面三線。
ホームは島式で幅広なのが特徴です。
駅舎とホームは線路を隔てていて、跨線橋で連絡しております。
跨線橋のホーム側出入り口は平林方に偏って置かれており、ゆえに学生の登
下校時には乗降の偏りが起こりそう。
ホーム上は跨線橋出入り口から村上方にわずかな上屋がかかっている以外、
待合室もベンチも無い素っ気無い風情。
こののっぺり感は北陸本線・市振駅と相似かな~。

Iwafunemachi05
駅舎と跨線橋・ホームの位置関係


Iwafunemachi09
跨線橋とホーム

Iwafunemachi06
ホーム村上方より駅舎方を望む

Iwafunemachi07
ホーム新発田方より村上方を望む

Iwafunemachi08
新発田方踏切から見た駅全景


Iwafunemachi18
村上方へ向かって左側にある側線、旧貨物線跡と思われます。
当駅を取材目的で初めて訪問した2003年11月には保線車両が止ま
っていて、この時点まだ「生きている」のがわかります。
(本線村上方と繋がっています)
その後はこの側線に車両が止まっているのを見ていないので、現在も生きて
いるのかどうかは不明・・・。

直線区間上にある駅なので、特に村上方への展望は開けているはずなのです
が、そこは長編成の蒸機全盛時代に作られたホームゆえ、現在では遊休化が
歴然。
遊休化した部分には雑草が生い茂り、近年村上方に出来た白い自動車跨線橋と
相まって、本来なら直線区間をカッ飛ばす列車を眺められるはずのロケーション
も残念色一色。
構内南側の線路は待避用で、ここにはホームはありません。
この区間は昔から何度と無く通っておりますけれど、この待避線に停車する列
車を見た事が一度も無く、待避線剥がしに御執心の当局がよく手を付けない
ものだと呆れつつ関心しておった次第でした。
しかし長年のこの生温かい思いも昨年(2008年4月)氷解!
旧岩船町中心部を見て回った帰り、電車待ちをしていたら貨物列車が待避線に
進入停車、村上行き普通列車を待避していました。
成る程実見は愚考に勝るってね! 偶然とはいえいいもの見ちゃった!

Iwafunemachi10
通過待ち合わせ中の115系普通列車と通過する485系1000番
台使用の特急「いなほ」、2006年10月撮影

Iwafunemachi11
通過中の485系3000番代使用「いなほ」、2004年8月撮影


Iwafunemachi12
当駅には朝夜に姿を見せるキハ110系普通列車、2003年11月撮影

Iwafunemachi13
当駅待避線に停車中の貨物列車、2008年8月撮影

窓口跡が今も残る、元有人にしてはこじんまりとした駅舎は、建築財産票によ
れば昭和55年12月竣工で、許容積雪量は120cm。
海岸地域ゆえ、駅舎竣工当時でも積雪1m越えは滅多に無かったと考えら
れます。
かなり余裕を見ての設計では。

Iwafunemachi02
駅舎内は自動券売機一台とベンチが一脚。
ベンチは2006年10月時点では無人駅定番の色落ちがかったいつもの冴え
ない朱色のモノ。
それが2008年4月訪問時には一人掛けX5人一列の垢抜けた新しいモノに
交換されておりました。
こういうのはどこの判断で決められるのでしょう。
当該部署の計画に従って順次実施されているのか、それとも駅周辺の自治会や
自治体がお布施をして代えてもらうのか?
これも部外者の興味を大いに惹くところなのであります。
トイレもありますけれど、内部は生憎未確認。
駅舎出入り口横に清涼飲料水自販機が一台あります。
駅前広場は広いものの、駐輪場に上屋が無く、駐車スペースは未舗装。
後者はともかく、前者の状態はあまり誉められる事ではありませんね。

駅前通りは古びた大きな農協倉庫が目立ちます。

Iwafunemachi04

前述の貨物栄光の時代にはさぞフル回転だった事でしょうね、兵どもが夢の跡。
村上と当地域を結ぶバス路線が設定されており、駅前至近にバス停があります。
しかし運行は一日二往復で、ダイヤパターンは通学流動と逆の特異なモノ。
部外者にはあまり意味の無い路線設定ではと疑問が残るところです・・・。
なお旧岩船町中心部と村上市中心部を結ぶ路線バスは相応の本数が確保され
ており、病院の前も通る事からお年寄りの使い勝手は良さそうです。
→旧村上市及び岩船地区のバス時刻表はこちらへ。

閑話休題、農協倉庫群の他は大半が民家で、駅前通りを左に進むと駅裏(南側
)の国道7号線へ至る踏切があります。

Iwafunemachi03
駅前通りの様子

その周辺は旧神林村の行政・レクリエーション中心地区になっていて、旧村役
場、野球場を含む総合運動公園と体育館があります。
駅前周辺には旅館兼結婚式場以外にこれといった店が無い岩船町駅ですけれ
ど、この国道に出れば道沿いにラーメン店とコンビニがあって、一応の腹ご
しらえや食料補充が行えます。
ただし踏切経由で距離はそれなりにあり、往復で1km強というところでしょうか。
駅ホームのすぐ南側に国道が通っているのに、そこへは直接出る事が出来ない
のです。
前述の待避線にホームがあれば、そこに南口を作って国道にすぐ出れるのに
・・・と部外者は思う事しきりなのでありますが、実際にはそんなもの作っ
ても費用対効果が悪過ぎて無駄でしょうね、通学生は自転車かクルマ送迎
で現状でもさして不都合は無いのでしょうし。

前述のように、岩船町駅から北に2km強で旧岩船町中心部。
海岸に沿って伸びる国道345号線沿いに市街地が形成され、昔ながらの個
人商店に加えてスーパーや銀行もあります。
生活必需品や用務はとりあえずこの界隈で済ませられるのが、かつての「町」
の名残と言えましょう、駅から少々離れているとはいえ、凡百の幹線無人
駅周辺の風景とは格が違います。
旧市街地の見所としては、石船神社と岩船港。
石船神社についてはこちらを、岩船港についてはこちらをご参照ください。

Iwafunemachi14
石船神社入り口

Iwafunemachi15
小高い丘状の地勢にある神社の参道途中から見た町並み。

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岩船港の様子、大きな建物は粟島汽船の乗り場
→粟島汽船HPはこちらへ。

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Iwafunemachi19 
魚を食べに行くのならともかく、港ウォッチとしては地味・・・
春なので海の色がまだくすんでいるので余計に地味さが目立
つような。盛夏に行けばまた違う表情を見せてくれるのでしょう
けれど。

最後に動画を。

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2009年11月21日 (土)

京ヶ瀬駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・京ヶ瀬駅。

Kyogase01
新潟県阿賀野市に所在する無人駅で、昭和37年(1962年)4月1日に開
業しました。
ウィキによると開業十年半後の昭和47年9月に無人化されております。
当時の国鉄新潟鉄道管理局が進めていた営業近代化施策の一環と思われます。
羽越本線全線電化を一ヶ月後に控えた時期で、北陸本線の電化時同様、近代
化とのバーターで行われた合理化なのでしょう。

開業当時の所在は北蒲原郡京ヶ瀬村で、村内唯一の鉄道駅でした。
なお京ヶ瀬村は平成16年4月1日に近隣町村と合併して新たに誕生した
阿賀野市の一部になっております。

駅としての開業は比較的最近の当駅ですが、信号場としての開業は昭和18年
です。
時は戦時下、決戦輸送の叫ばれる緊迫した情勢。
とりあえず敵の空襲や艦砲射撃の心配の無い日本海側における輸送力増強の
為の信号場だったのでしょう。
同時期には以前紹介した中浦駅神山駅もまず信号場として開業しており、輸
送の逼迫ぶりが察せられるところです。
なにしろ新発田-新津間で戦前設置されていた駅は水原月岡のたった2駅
(いずれも列車交換可能)。
それでも輸送力に大きな不足は無かったのでしょう。
そこに一機に3駅(信号場)が置かれたのですから。
なお信号場として開業した同期の桜のうち、中浦、神山両駅は交換設備を撤去
され棒駅と化して久しく、この京ヶ瀬駅のみが信号場として生を受けた証であ
る列車交換機能を今も維持しているのです。

信号場から駅に昇格するのに二十年近くかかっているのは少々奇異に思えると
ころですけれど、その原因は当駅の位置関係にあるのでしょうか?
旧京ヶ瀬村の中心は当駅から北方に約2.5km前後にあり、「村の玄関駅」
とは言い難い点があるのは確かです。
しかし当駅と同期の桜の神山駅は、所在する旧笹神村の中心から3km前後離
れているにもかかわらず、昭和30年に駅として開業しております。
となると、地理的問題が信号場から駅昇格遅れの原因とは言い切れませんし
・・・。
村の人口も、駅周辺の人口も大して違わなく見えますし、考えられる他の要因
は神山駅至近の農協の大きな倉庫。
あそこから笹神村一体で採れた米その他農産物を鉄道で出荷していたとすれば
、旅客ではなく貨物輸送の要請で神山駅先行開業、それが無さそうな京ヶ瀬駅
は後回しと・・・。
実際のところはどうなのか、非常に興味をそそられる話なのであります。

さて現在(2009年7月現在)の京ヶ瀬駅は、前述のように列車交換機能
を備えた単線上の二面二線。

Kyogase03
一番ホーム新津方から水原方を望む

Kyogase04
二番ホーム水原方から新津方を望む

Kyogase05
跨線橋上から水原方を望む

Kyogase06
同じく新津方を望む

Kyogase07
同じく新津方、画像奥の橋は阿賀野川を渡る国道橋

Kyogase08
新津方踏切から駅を見る

ホーム間は跨線橋で連絡しており、二番ホーム側にも出入り口があります
(上屋無し)。
普通列車の行き違いは通常、水原駅と月岡駅で行われる為、当駅での列車交
換は現在貨物や臨時列車絡みのものに限定されており、普通列車は一番ホー
ムのみに発着しております。
それをよく表わしているのが、一番ホーム上の黄色いライン。
普通列車の停車範囲を示しているのでしょう。
二番ホームにはそれがありません。

かつては駅員が詰めていた駅舎(北口)はコンクリート製のあっさりした造り
で、建築財産票によると竣工は昭和37年3月、許容積雪量は1.5m。
今ではどう頑張ってもその1/3程度の積雪量ですからね・・・、駅舎改築の
話も近い将来議題に上るでしょうけれど、その時許容積雪量はどの程度と見
込んで設計するのでしょうか? その辺も大いに興味をそそられるところです。

Kyogase02
駅舎内は券売機一台と無人駅定番の色褪せた朱色のベンチが一脚。
文字通りとって付けたような、にょっきり屹立した簡易suica改札機は
駅内外のローカルな風情といかにもミスマッチ。

また画像のベンチの反対側に一人用のトイレが設置されています。
非水洗でペーパー無し、お小水はともかく大きい用足しは色々な意味で多少の
勇気を必要とするかもしれませんw。

駅前はロータリーになっております。
整備されたのは最近の話で、当駅を二回目に訪問した2006年10月に丁度
完成仕立てのようでした。
車数台分の駐車スペースがあります。
駅を出てすぐ国道460号線に行き当たります。

Kyogase09

駅周辺には理髪店が一軒あるきりで、国道に沿って小集落を形成しております。
国道の交通量はそれなりというところ、路線バスは2006年10月当時、阿
賀野市営と新潟交通の2路線が走っており、駅前にバス停がありました。
いずれも京ヶ瀬地区と阿賀野市中心部の水原地区を結んでおります。
しかし前者は3便全て平日のみ運行で、後者も平日2便土休日3便の過疎ダイ
ヤ・・・。無人駅ウォッチには残念ながら使えません。
京ヶ瀬の名誉の為に申し添えると、前述した京ヶ瀬地区の中心(国道49号
線)には新潟市中心部-水原間のバス路線があり(急行便も有り、合計
片道30便弱)、京ヶ瀬駅から2.5kmほど歩く気があれば、水原、亀田、
新潟の各駅に直行出来るのは来訪者向けの豆知識。
→新潟交通HPはこちら

一方駅南口を出ると、そこは一面北蒲原の田圃の海!

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遠くに見える島影のような集落に向かって、アスファルトの線が真っ直ぐ伸びて
いる様子もまた絶景かな。
近くにあるこんもりとした林が、なんともノスタルジーを掻き立てて良い雰囲気。
幼少の頃、ああいう林はあちこちにありましたなぁ、今じゃこの辺まで来ない
とお目にかかれない・・・。

京ヶ瀬駅といえばぜひ触れて置きたいのが、新津-京ヶ瀬間に架かる阿賀野
川橋梁。
全長1240mと一時は日本一の長さを誇った鉄道橋です。
当駅から国道沿いに新津方面に1.5kmほど進むと橋に行き当たり、道路橋
と並行して伸びております。
Aganogawa04
画像左側が鉄道橋、右側が国道橋

Aganogawa01
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ただ現在、川を直接跨いでいるのはトラス構造の部分のみで、推測で
200m程度。
他は阿賀野川の河川敷を見下ろして走ります。

Aganogawa02
画像を見れば解るように、河川敷の部分が実に広大で耕作地となっていて、個
人的にはその上を往く鉄路が鉄道橋とは頭で理解できても実感としてなかなか
掴み辛い面がありますね~。
同じ阿賀野川橋梁でも、下流の白新線のそれはトラス部分の大半が川の上で
その距離も6~700mありますから、全長はこちらが長いとはいえ、白新線
鉄橋との比較で貧相に感じられるのも確かです。

Kyogase12
当駅には主に朝夕その姿を見せる115系電車
2005年5月撮影

Kyogase13
日中はキハ110系気動車・二連ワンマンがメイン
2009年7月撮影

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Kyogase17 
2006年10月、偶然撮影した大阪行き「トワイライトエクスプレス」
運転停車中。
所定より三時間遅れです

Kyogase18
今春定期運用から離脱したキハ52
2003年8月撮影

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Kyogase20
二番線に運転停車中の貨物列車を新発田行車中から
2003年11月撮影

Kyogase22
京ヶ瀬駅を通過する下り貨物列車
2005年5月撮影


Kyogase21
DD53形ディーゼル機関車牽引臨時急行「鳥海」
2007年4月撮影

最後に動画を。

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2009年7月19日 (日)

羽越本線・中浦駅

本日の駅紹介は羽越本線・中浦駅。

Nakaura01
この春営業運転を終了した新潟地区キハ52、2005年5月撮影。

新潟県新発田市に所在する無人駅で、2003年(平成15年)7月7日以前は
北蒲原郡豊浦町の所在でした。
当駅から新発田方向へ500m程進むとに豊浦町役場があり、また駅裏手には
新発田南高校分校と豊浦中学があり、豊浦町の行政文教の中心が当駅周辺
です。
ただ一般には隣の月岡駅の方が著名な月岡温泉の存在ゆえに有名で、下越
地方の重要駅新発田と月岡駅の間に挟まれた当駅は非常に地味な存在と言え
ます。

さて当駅は神山駅同様、まず太平洋戦争下の決戦輸送に備えた信号場として
昭和19年4月1日に開業し、戦後の昭和28年(1953年)7月1日に正式に
駅として再出発しました。
現在の駅舎は建築財産票によると平成10年(1998年)10月25日の竣工。
純粋に待合室のみの機能で、室内は窓側に作り付けの木製ベンチと自動券売
機が一台。
私が当駅を最後に訪れた2007年3月時点ではゴミ箱は無く、その点御注意
ください。
券売機の稼動時間は05:50~23:20。
当駅の初発06:13新津行~終発23:17新発田行に対応しております。
トイレはホーム側に出入り口があり水洗。
室内の美観は可もなく不可もなくという感じ。

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駅前広場は車が数台駐車できるスペースを有しており、駐輪場も設置。


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駅前広場から国道方向を望む。

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駅前通りを進むと国道460号線に出、私が最後に訪問した時点では国道を
新発田方面に少し行くとセブンイレブンがありました。

旧町役場は新発田市役所の分所として引き続き機能しており、その辺での
一定の需要はありますから現存しているものと推察しますけれど、最近はあち
こちでコンビニの撤退が多くて油断できません・・・。
私の住まいの近所の某駅最寄のコンビニも、そこそこ客が入っていたにもかかわ
らず突然閉店、数ヶ月経った今でも空き店舗のままですからねぇ。
また国道には新発田-月岡温泉間の路線バスが運行されておりますが、本数は
少なく駅歩きの使い勝手は宜しくありません。

新発田方面には家並みが続きますが、水原方面に少し進めば一面北蒲原の
田圃の海!

Nakaura05
駅水原寄り陸橋から新発田方向を望む。

Nakaura06
同じく水原方面を望む。

駅水原側の陸橋から望めば、遮るもののない田圃の海の中を真っ直ぐ推し進
む単編成の列車を捉える事が出来るでしょう。
羽越本線新津-新発田間においてこの展望は私的にベストなもので、これに
匹敵するのは京ヶ瀬駅跨線橋からの見渡しぐらいです。


駅構内は現在一面一線のみの使用ですが、駅出自である信号場以来の二面
二線時代の面影は未だ色濃く残っております。

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ホーム水原方から新発田方面を望む。

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旧二番ホームから水原方面を望む。

Nakaura09
駅跨線橋から新発田方面を望む。

Nakaura10
同じく水原方面を望む。

旧二番線は線路こそ撤去されておりますが、ホームは完全な形で残存しており
ます。
旧二番線にも駅への出入り口があり、古びた跨線橋を通って一番線にまた国道
方面に抜けられるという自由通路としてうまく再利用されております。

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Nakaura12
中浦駅を通過する蒸機D51牽引臨時新津行、2007年3月撮影。
客車はオリジナル塗装の12系。

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2009年7月 2日 (木)

羽越本線・神山駅

本日の駅紹介は羽越本線・神山駅。

Kamiyama01

新潟県阿賀野市に所在する無人駅で、2004年3月末日までは北蒲原郡
笹神村の玄関駅でした。
・・・とは言え、村役場のある旧笹神村の中心集落は当駅から3.5km南に
あり、旧村内唯一の鉄道駅という位置付けながら、玄関駅としての役割は
希薄です。

神山駅は昭和19年9月に戦時下輸送増強施策としてまず信号場として開業。
戦後の1955年(昭和30年)1月20日に正式な駅として装いを新たにしました。

戦時下、白新線は未だ開通しておらず、日本海沿岸の陸運は単線の羽越本線
がその重要な一翼を一手に担っており、当駅の属する新津-新発田間におい
ても決戦輸送体制の中激増する輸送量に対応する為に既存の水原月岡
両駅に加えて、列車交換の為の信号場が必要とされたのです。
近隣の京ヶ瀬中浦両駅もやはり信号場としてこの時期に開業し、戦後正式
な駅として再出発して今日に至っております。

さて現在の当駅は一日上下合わせて23本の普通列車が発着する、北蒲原の
穀倉地帯の緑の大海にポツンと浮かぶ、駅裏手に小集落がある長閑な小島と
いう風情です。

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駅前の昼と夜


民家や事業所が点在する駅前通りを数百m真っ直ぐ進むと国道460号線に
行き当たりますが、スーパーもコンビニも無く理髪店とGSがあるきり。

Kamiyama05
国道の風景


飲料の自販機は、私が当駅を最後に訪問した2006年11月時点ではこの
理髪店に置いてあるだけ、駅前には置かれておりませんので訪問の際はご
注意ください。

神山駅の駅舎は建築財産票によると平成8年2月25日の竣工。

Kamiyama02

待合室のみの機能で、室内には自動券売機が一台。
ホーム側にはトイレがあります。

Kamiyama06

トイレは一応水洗ですが、いわゆる「簡易水洗」というモノ。内部はまぁ、ご想像に
お任せします・・・。
待合室は平成に入って改築された無人駅に散見される、採光重視?の天井の
やたら高いタイプ。
この手の建物に付き物なのが、高すぎる天井故清掃が行き届かないという事。
当駅もご多聞に漏れず、蜘蛛の巣と虫の死骸が目立ってうーむ・・・。
またデカいハエが数匹ブンブンと飛び回っていて鬱陶しい事この上無し。
出入り口が開放されっぱなしなので、虫は入り放題。
利用者は閉口し、喜ぶのは獲物に事欠かない天井の蜘蛛という寸法です。

さてホームに立てば目立つのが思いのほか長大なホーム。

Kamiyama08
水原方面を望む

Kamiyama09
新発田方面を望む


現在では日中二両の気動車列車がメインで、ホーム両端は完全に遊休化して
草生しておりますが、昭和50年代半ばまでの羽越本線は長大編成の普通客車
列車が全盛を極めており、当駅のホーム長はそれを偲ばせるものになっており
ます。
ホーム両端に立てばレールはわずかに曲がっており、信号場として生を受けて
以来、平成の世に至るまで敷かれていた副本線の存在を如実に表しております。
(ウィキによれば1990年代半ばに撤去されたとの事)

Kamiyama11
新発田方面にわずかに曲がったレール

Kamiyama10
夜の神山駅ホーム

Kamiyama12
偶然撮影した団体専用車両

Kamiyama13
新潟地区からこの春姿を消したキハ52型気動車

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