カテゴリー「R003 羽越本線の駅」の記事

2017年9月 3日 (日)

新発田駅(羽越本線・白新線)

本日の駅紹介は羽越本線/白新線・新発田駅。

2003年当時の新発田駅駅名標

新潟県新発田市に所在する有人駅で、開業は大正元年(1912年)9月2日。
開業当時の所在は北蒲原郡新発田町で、越後新発田藩10万石の城下町であった新発田町は、同じく村上藩の城下町であった村上町と共に新潟県北地域の代表的な街でした。
新発田町は昭和22年に市制を施行、新発田市となって以後周辺自治体を合併編入してその市勢を高めて今日に至っています。
現在の人口は10万人弱で、新潟県内では新潟、長岡、上越、三条に次ぐ第五の人口を誇ります。
三条市との差は僅少ですが、あと少しの差を中々埋められずにいます。
人口は近年微減傾向で、また新たに合併に応じそうな自治体も無いので、人口十万人を安定して維持する事と県内第四の街になる可能性は、ちょっと望み薄という感じ。

開業当時は羽越本線の中間駅という位置付けであった新発田駅ですが、大正14年に赤谷線が開業してジャンクションとしての機能が加わり、昭和27年に白新線が葛塚駅(現・豊栄駅)まで部分開業。
その四年後に沼垂駅まで一応の全通を見て、鉄路での新潟市との往来の利便性は大きく向上しました。

JR東日本によると、2016年度の新発田駅1日平均乗車人員は3,691人で、同社新潟県内有人67駅中7駅。
人口規模が新発田市と同じ三条市の場合は、東三条駅三条駅燕三条駅の三駅に需要が分散していますが、新発田市の場合は市内駅で新発田駅が圧倒的な存在であり、それが東三条駅と当駅の乗車人員の差になって表れています。
隣接する白新線の豊栄駅よりもやや少ないレベルで、8位の新潟大学前駅とは600人弱の差を付けており、豊栄駅と第6位の座を競う現在の駅の立ち位置は不動のものになっているのです。

平成26年11月にリニューアルが完成した新発田駅駅舎
平成26年11月にリニューアルが完成した新発田駅駅舎、2016年10月撮影。
駅前広場の拡張整備は、駅舎のリニューアルに先立つこと8年前に実施されていました。

新発田駅駅舎出入り口付近の様子
新発田駅駅舎出入り口付近の様子、2016年10月撮影。
新発田城で使われていた、耐水、防火性に優れる海鼠壁をイメージしたデザインだそうですが、そういうジャンルにほぼ無知な私は、ほーそうですか・・・としか返せないのが実に遺憾で勉強不足を思い知らされる瞬間なのです。

画像奥が駅舎、手前の上屋あたりが路線バスの乗り場です
画像奥が駅舎、手前の上屋あたりが路線バスの乗り場です、2016年10月撮影。
鉄道補完では、新発田駅駅前から新潟交通運行の万代シティ-新発田線(日中は概ね1~2時間に1本の運行頻度で新潟駅の他、多少の徒歩で佐々木新崎駅に移動可能、他の白新線各駅へはかなり歩くことになります)、新潟交通観光バス運行の新発田-中条線(中条駅に移動可能、ただし本数は平日4往復、土休日全休)と新発田-月岡温泉線
中浦月岡両駅に移動可能、本数は平日8往復、土休日全休)、そして新発田市運行のコミニュテイバスが二系統(新発田中心部循環の「あやめバス」と加治方面への便)あって、前者は西新発田駅への移動に使え、運行態勢は外回り(西新発田駅先回りで所要14分)平日13本、土休日6本、内回り(西新発田駅後回りで所要48分)平日12本、土休日7本。
後者は加治駅から1キロ弱の地点まで移動可能で、平日12本、土休日4本です。

駅の東西を連絡する地下道
駅の東西を連絡する地下道、2017年7月撮影。

東西連絡地下道内部の様子
東西連絡地下道内部の様子、2017年7月撮影。
私はここを通ったのはこの時が初めてだったのですが、後述の駅東側交通広場整備に合わせてリニューアルされているそうです。

機能的な構造の新発田駅前ロータリー
機能的な構造の新発田駅前ロータリーの様子、2016年10月撮影。
駅前からロータリーとその向こうの駅前通りを見る
駅前からロータリーとその向こうの駅前通りを見る、2016年10月撮影。
おりしも新潟交通観光バス運行の路線バスが駅前バス停に停車中です。

新発田駅前通りの様子
新発田駅前通りの様子、2016年10月撮影。
画像奥が新発田駅になります。
駅前広場の再整備と同時に県立新発田病院が至近に移転してきましたけれど、駅前通り商店街の活性化には直接結びついていない感じです。


新発田市中心街の様子
駅から少し歩いて、新発田市中心街の様子を一枚、2016年10月撮影。
この辺に集客力のある店舗は無く、昔ながらの商店が軒を連ねています。
新発田市界隈の商業集積の軸心は隣の西新発田駅界隈に完全に移ってしまっていて、道行く人はお年寄りが目立ちます。
車の通行量は多いのですが、大半は素通りしていってしまいます。

新発田駅駅舎内の自動改札機群
新発田駅駅舎内の自動改札機群、2016年10月撮影。
駅の利用状況の良さを無言のうちに物語っています。

駅舎内向かって右側の待合室出入り口とその右隣のヤマザキデイリー
駅舎内向かって右側の待合室出入り口とその右隣のヤマザキデイリー、2016年10月撮影。
待合室は常に人が多い印象で、室内撮影は遠慮せざるを得ないレベル。
夜遅くでも結構な人数がいるのです。
ヤマザキデイリーは、周辺にコンビニが無い当駅において貴重な買い物処で、営業時間は午前五時から深夜一時まで。

駅舎向かって左側の窓口と自動券売機三台
駅舎向かって左側の窓口と自動券売機三台、2016年10月撮影。
指定券券売機が一台設置されていて、その頭上には上越新幹線の空席情報盤。
しばらく観察してみましたが、指定券券売機を使う人はゼロでした。
皆窓口で時間をかけて切符を購入。
特にお年寄りやオバチャンはこの手の機械が苦手なのですな。

構内側から見た自動改札機群
構内側から見た自動改札機群、2016年10月撮影。

1番ホームの上屋下の様子
1番ホームの上屋下の様子、2016年10月撮影。

快速「きらきらうえつ」停車駅の証たるスペシャル駅名標
全車指定席の快速「きらきらうえつ」停車駅の証たるスペシャル駅名標、2017年7月撮影。

白新線専用の切り欠き型頭端式ホーム・0番線を西新発田駅方から見る
白新線専用の切り欠き型頭端式ホーム・0番線を西新発田駅方から見る、2016年10月撮影。

0番線端から西新発田駅方を見る
0番線端から西新発田駅方を見る、2016年10月撮影。

0-1番ホーム上屋下の様子
0-1番ホーム上屋下の様子、2016年10月撮影。
ここは単に通路としての機能で、ベンチは設置されていません。

1番線の西新発田駅方から見た新発田駅構内の様子
1番線の西新発田駅方から見た新発田駅構内の様子、2016年10月撮影。
1番線は村上方面乗り場です。
国鉄仕様の白線がまだ健在なのは、この辺りが遊休化している証です。
上越新幹線開業前、12連の特急「いなほ」がこのホーム目一杯を使って停車していたのも、もう35年前の遠い昔話になってしまいました。


1番線の加治駅方から見た新発田駅構内
1番線の加治駅方から見た新発田駅構内、2016年10月撮影。
こちら側は白線も消失してしまっています。
現在の1番ホーム有効長は上屋の架かるところだけ。


1番ホーム端から加治駅方を見通す
1番ホーム端から加治駅方を見通す、2016年10月撮影。

2面3線の構内を連絡する地下道の様子
2面3線の構内を連絡する地下道の様子、2016年10月撮影。
羽越本線の新潟県内区間の主要駅である村上駅と当駅の構内連絡手段は、地下道のみという時代が長く続いていました。
跨線橋は元々存在したのか否か、気になるところであります。
あの0番線が無ければ、空間的に跨線橋の設置は問題が無かったと思うのですけれど。

新発田駅構内地下道のエレベーター
近年のバリアフリー化の時流に乗って、当駅にもエレベーターが近年設置されました、2016年10月撮影。
地下構造に手を加えるので、設置は跨線橋に後付するよりもおカネがかかりそうではあります。
当駅と同じ構造だった村上駅は、エレベーター装備の跨線橋を新しく造って対応していますけれど、当駅の場合は一時橋上駅舎化内定→市長交代で白紙撤回という混乱があったので、それも適わなかったという事なのかも。

2-3番島式ホームの中浦駅方から見た、地下道出入り口とその左側のエレベーター
2-3番島式ホームの中浦駅方から見た、地下道出入り口とその左側のエレベーター、そして三角屋根の上屋の様子、2016年10月撮影。

島式ホーム2番の中浦駅方から見た新発田駅構内
島式ホーム2番の中浦駅方から見た新発田駅構内、2016年10月撮影。
2番線は新潟、新津方面乗り場です。

島式ホームの3番線の中浦駅方から見た新発田駅東側
島式ホームの3番線の中浦駅方から見た新発田駅東側、2016年10月撮影。


2番線端から中浦駅方を見通す
2番線端から中浦駅方を見通す、2016年10月撮影。
画像奥の陸橋は、跨線橋の存在しない当駅にあって、俯瞰で駅の全景を把握できる得難いビューポイントになっています。

2-3番島式ホーム上屋下の様子
2-3番島式ホーム上屋下の様子、2016年10月撮影。
画像奥が待合室です。
上屋の重厚かつ無骨な造りはやはり良いのです。
これぞ鉄道の停車場。

島式ホーム上屋下の待合室内部
島式ホーム上屋下の待合室内部、2016年10月撮影。
近年の構内待合室の標準形です。
昔の待合室に比べて画一的で、建物に面白味は無いですが防犯上は良さそうなデザイン。
しかし駅で列車を待つのは、天候や寒さの許す限り外で風に吹かれながらの方が個人的には良いなぁ。

島式ホーム2番線の加治駅方から見た新発田駅構内
島式ホーム2番線の加治駅方から見た新発田駅構内、2017年5月撮影。
ホーム基礎部分の形状が、時代を感じさせますな。

有料駐車場が併設された新発田駅東側の交通広場
有料駐車場が併設された新発田駅東側の交通広場、2016年10月撮影。
2012年に策定された新発田市の駅周辺整備基本計画で作られた空間です。
新発田駅の橋上駅舎化を見送った市の次善策なのでしょう。
2015年10月に当駅を訪れた時には、工事に着手して間もない様子でしたが、一年後にはこのように上屋付きの立派なロータリーになっています。

東側出入り口から見た交通広場
東側出入り口から見た交通広場、2017年7月撮影。

島式ホーム3番線の加治駅方から見た駅構内と駅東側の側線群
島式ホーム3番線の加治駅方から見た駅構内と駅東側の側線群、2011年4月撮影。

交通広場整備後の島式ホーム3番線の加治駅方から見た駅構内
交通広場整備後の島式ホーム3番線の加治駅方から見た駅構内、2017年7月撮影。
架線柱も新しくなっているのがわかります。

3番線端から加治駅方を見る
交通広場整備前の3番線端から加治駅方を見る、2011年4月撮影。

交通広場整備後の3番線端部
交通広場整備後の3番線端部、2017年7月撮影。
旧架線柱が画像右側に残っています。
この空き地を今後どう活用するかが今後の課題でしょうか。

陸橋上から俯瞰で見た新発田駅全景
前述した陸橋上から俯瞰で見た新発田駅全景、2011年4月撮影。

新発田駅東側を俯瞰で見る
新発田駅東側を俯瞰で見る、2011年4月撮影。
駅東側の交通広場整備が決定される前の様子で、多数の側線が活用のアテもなく眠っていました。

交通広場整備後の新発田駅東側
交通広場整備後の新発田駅東側、2017年7月撮影。

交通広場整備後の新発田駅構内
交通広場整備後の新発田駅構内、2017年7月撮影。

陸橋上から見た駅反対側のモーターカーの車庫
陸橋上から見た駅反対側のモーターカーの車庫、2017年7月撮影。

陸橋上から西新発田、中浦駅方を見る
陸橋上から西新発田、中浦駅方を見る、2017年7月撮影。
集約された線路はこの先2本に別れて、右側は白新線西新発田駅、左側は羽越本線中浦駅へと向かいます。

白新線に足を踏み入れるE129系電車
新発田駅2番線を出発して、白新線に足を踏み入れるE129系電車、2017年7月撮影。

リニューアル以前の新発田駅駅舎
リニューアル以前の新発田駅駅舎、2011年4月撮影。
営業のみならず運転上の要衝でもあるからか、駅舎は二階建て。
個人的には「菊水」の看板、これこそが新発田駅の象徴でした。
現在の二階部分はリニューアルデザインに取り込まれた形になっています。
あくまでリニューアルなので、建物の構造そのものに手を加えられない故の事なのでしよう。

夜の新発田駅前の様子
夜の新発田駅前の様子、2010年6月撮影。
集客力のある店が近くに無い駅前の日曜の夜八時半、深閑として人通りはありません。

リニューアル以前の新発田駅駅舎内の窓口辺りの様子
リニューアル以前の新発田駅駅舎内の窓口辺りの様子、2010年6月撮影。
この当時は「みどりの窓口」の案内板が健在。
リニューアル後は窓口の上部に緑の帯でその旨を表示するだけの味気ないものに。

リニューアル以前の新発田駅駅舎内自動改札機群
リニューアル以前の新発田駅駅舎内自動改札機群、2010年6月撮影。

駅舎リニューアル以前の待合室出入り口(画像中央)とその右隣のヤマザキデイリー
駅舎リニューアル以前の待合室出入り口(画像中央)とその右隣のヤマザキデイリー、2010年6月撮影。
この配置は現在も変わっていません。

駅舎リニューアル以前の新発田駅1番ホーム上屋下の様子
駅舎リニューアル以前の新発田駅1番ホーム上屋下の様子、2010年6月撮影。

島式ホーム2番線中央部から構内の西新発田駅方を見る
島式ホーム2番線中央部から構内の西新発田駅方を見る、2010年6月撮影。
やはりこのクラスの駅は夜景の方が映えますな。

島式ホーム2番線の西新発田駅方から見た夜の新発田駅構内
島式ホーム2番線の西新発田駅方から見た夜の新発田駅構内、2010年6月撮影。
まだエレベーターが設置されていない、昔ながらの駅の様子です。

新発田駅2番線に停車中のE653系電車特急「いなほ」新潟行
新発田駅2番線に停車中のE653系電車特急「いなほ」新潟行、2015年10月撮影。
2017年3月改正ダイヤで、新発田駅に停車する優等列車は定期の特急「いなほ」七往復です。
昔の時刻表を紐解くと、昭和55年10月改正ダイヤでは特急は4往復(「白鳥」と「いなほ」3往復)、急行は昼行上下10本(「きたぐに」、「しらゆき」、下り「羽越・あさひ」、上り「羽越」、上り「あさひ」各2本)と夜行2往復(「鳥海」と「天の川」)でした。
昼行の新潟-酒田・秋田間で言えば、現状は上越新幹線大宮暫定開業直前と比べて1往復減という形に。
不定期の快速「きらきらうえつ」を入れてやっと互角という数字です。
新幹線が開業すれば接続する在来線も共存共栄に・・・という展開には、残念ながら至っていないのが羽越本線の現在の姿なのです。

新発田駅1番線に到着したE653系電車特急「いなほ」秋田行
新発田駅1番線に到着したE653系電車特急「いなほ」秋田行、2016年10月撮影。

新発田駅1番線から出発する485系電車T編成の特急「いなほ」秋田行
新発田駅1番線から出発する485系電車T編成の特急「いなほ」秋田行、2011年4月撮影。

新発田駅2番線に停車中の485系電車T編成の特急「いなほ」新潟行
新発田駅2番線に停車中の485系電車T編成の特急「いなほ」新潟行、2013年9月撮影。

夜の新発田駅1番線に停車中の485系電車R編成快速「らくらくトレイン村上」村上行
夜の新発田駅1番線に停車中の485系電車R編成快速「らくらくトレイン村上」村上行、2010年6月撮影。
有名なコピペ「こないださ、ちょうどらくらくなんとかとかいう汽車があったっけ」の舞台になったのがこの列車。
オチが秀逸なんですよあのコピペは。
「豊栄ぐらいタダで乗せればいいこてね」
「だっけ殿様商売らって言われるんだこて」

新発田駅2番線を出発する全車指定の快速「きらきらうえつ」新潟行
新発田駅2番線を出発する全車指定の快速「きらきらうえつ」新潟行、2012年5月撮影。
夕方の白新線新潟行は、土日でも部活帰りの学生たちで煩いので、520円投資しても乗る価値のある列車と申せましょう。

秋の早朝、新発田駅2番線に運転停車していた寝台特急「トワイライトエクスプレス」大阪行
秋の早朝、新発田駅2番線に運転停車していた寝台特急「トワイライトエクスプレス」大阪行、2006年10月撮影。
所定より約二時間の遅れです。
京ヶ瀬駅の記事に載せていますが、この後京ヶ瀬駅でも運転停車しています。

新発田駅1番線から出発するE129系電車村上行
新発田駅1番線から出発するE129系電車村上行、2016年10月撮影。

新発田駅0番線で折り返し待機中のE129系電車
新発田駅0番線で折り返し待機中のE129系電車、2017年5月撮影。
2016年10月時点では、0番線から出発する白新線新潟方面は1日11本です。
新発田始発の白新線列車は1日13本なので、その大半はこのホームに出入りしているのです。

新発田駅3番線で待機中のE129系電車新津行
新発田駅3番線で待機中のE129系電車新津行、2017年5月撮影。
羽越本線の新津-新発田間はキハ110系気動車が多数派ですが、朝夕のみ電車列車が運行されています。
以前は115系電車でしたが、現在はE129系に更新されています。
なお、2016年10月時点で3番線から出発する定期列車は11本で、新津行が9本と白新線新潟方面が2本。
いずれも当駅始発で、朝の新津発当駅止まりのE129系電車は3番線に到着後、そのまま白新線経由吉田行になっていました。
夕方の新津発当駅止まりE129系電車も、おそらく同じ運用になっていると思われます。

新発田駅1番線を出発するキハ110+キハE120気動車の快速「べにばな」米沢行
新発田駅1番線を出発するキハ110+キハE120気動車の快速「べにばな」米沢行、2011年4月撮影。

新発田駅1番線に到着した、当駅止まりの新津駅発キハ110形気動車
新発田駅1番線に到着した、当駅止まりの新津発キハ110形気動車、2016年10月撮影。

新発田駅到着後、5分後に村上方面へ出発したキハ110
新発田駅到着後、5分後に村上方面へ出発したキハ110、2017年7月撮影。
時間的に見て、坂町駅4番線に到着後米沢行になるのでしょうか。
あの列車もキハ110の単行列車ですからね。
そうだとしたら、新発田-坂町間を回送ではなく客扱いすればいいのにと思うところなのです。
二十数分前に村上行普通列車が先行していますけれど、それはそれとして客扱いしてもバチは当たるまいに。
まぁ新津-米沢間の長距離営業運行扱いがイヤな事情があるのでしょうな。

新発田駅1番線に停車中の115系電車村上行
新発田駅1番線に停車中の115系電車村上行、2013年9月撮影。

新発田駅2番線から出発する115系電車新潟行
新発田駅2番線から出発する115系電車新潟行、2016年10月撮影。

朝の皐月の新発田駅1番線に停車中の115系電車村上行と、3番線で待機中のE129系電車新津行
朝の皐月の新発田駅1番線に停車中の115系電車村上行と、3番線で待機中のE129系電車新津行、2017年5月撮影。

新発田駅3番線で待機中の115系電車新津行
秋の早朝、新発田駅3番線で待機中の115系電車新津行、2006年10月撮影。
まだホームに電光案内板が設置される前で、ホームの案内表示も昔の形。
この頃まではまだ、国鉄時代の匂いを構内随所で感じることが出来たのです。

E127系電車新潟行が2番線を出発
羽越本線の村上-新発田間では見る機会の少なかったE127系電車新潟行が2番線を出発、2003年11月撮影。

2番線から出発するキハ40系気動車新津行
エレベーター設置前の島式ホーム2番線から出発するキハ40系気動車新津行、2012年5月撮影。
古強者のキハ40系気動車も、この界隈で見かけることは少なくなりました。
先日、この車両を置き換える為の新型気動車「GV-E400系」がJR東日本からプレスリリースされました。
キハ110やキハE120と比べると加速感も乗り心地も居住性も難点ばかりで、いささか閉口するこの系列も、いざ無くなってしまうのが確定するとやはり寂しさも。

駅近くの公園で静態保存されていた蒸気機関車「D51 512」
駅近くの公園で静態保存されていた蒸気機関車「D51 512」、2011年4月撮影。

城下町・新発田の誇る新発田城の三階櫓
城下町・新発田の誇る新発田城の三階櫓、2011年4月撮影。
ただしこの城はオリジナルのものではなく、平成16年に復元されたものです。
オリジナルは明治初期の廃城令で破却されてしまったとの事。

新発田城の石垣と堀と満開の桜
新発田城の石垣と堀と満開の桜、2011年4月撮影。

新発田駅東側の、廃止された赤谷線跡を転用したサイクリングロードの起点
新発田駅東側の、廃止された赤谷線跡を転用したサイクリングロードの起点、2011年4月撮影。

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2017年8月26日 (土)

村上駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・村上駅。

村上駅の駅名標

新潟県村上市に所在する有人駅で、開業は大正3年(1914年)11月1日。
開業当時の所在は岩船郡村上町で、村上町は越後国で高田、長岡、新発田に次ぐ越後村上五万石の城下町の後身であり、県北の岩船郡内の中核でした。
村上町は昭和29年に周辺自治体を合併編入して市制を施行し村上市に、平成20年には平成の大合併の号令下で岩船郡の大半の町村と合併して、新たな村上市に進化を遂げて今日に至ります。
村上市は人口規模こそ六万人強ですけれど、その面積は大合併の結果極めて広大になって県下第1位です。
なにしろ村上駅から羽越本線で東に37kmの、山形県境の府屋駅が村上市なのですから。
現在の村上市の鉄道駅の範囲は羽越線の坂町駅から府屋駅までで、その距離実に約48km。
市内の東西を移動するのに特急列車で40分近くかかるのです。

JR東日本によると、村上駅の2016年度一日平均乗車人員は1,684人。
同社新潟県内有人67駅中26位で、信越本線・柏崎駅と同レベル、三条駅よりやや下というところです。
2001年度の一日平均乗車人員は2,084人なので、15年間で約二割減。
村上駅付近には県立村上高校と県立村上桜ヶ丘高校が所在しています。
その間、新潟県の公立高校が一学区制になっていますが、その恩恵も当駅には無いと言う事なのか。
しかし土曜朝に新津発酒田行の初便に乗ると、新発田から乗車した学生たちはほとんどが村上まで乗車してるんですよね。
アレを見ると広域通学が定着しているように思えるのですが。
羽越線沿線の高校普通科のレベルだと、新発田高校は少々敷居が高い学生が村上高校に集中しそうなんですよね。
村上高校の合格偏差値は52なので、平均的な成績の学生の選択肢は必然的にここになると思うのですよ。
中条高校は正直言ってうーむ・・・なレベルなので、偏差値50の子はまず選ばないでしょうし。
一方、村上桜ヶ丘高校は元々商業・農業高で現在は総合科。
色々な資格の取得が出来るカリキュラムなんだとか。
ここは新発田商業高校は少し敷居が高い学生が集中しそうなレベルなのです。
ゆえに村上駅は少子化が進んでも学生の集中が末永く続きそうな環境にあるのですが、前述のように実際の数字を見るとそれほどでもないのがまた頭を悩ませるところ。
近年の鉄道旅客流動については、錯綜する学生の移動パターンを解析推理してみるのが新たな楽しみと言えましょうか。

村上駅駅舎と駅前広場の様子
村上駅駅舎と駅前広場の様子、2017年5月撮影。
建築財産票によると昭和39年6月の完成。
横長の長大な建物で、駅からこれだけ離れないと全景を収められないのです。
平成17年6月に、駅舎のリニューアルが完成しています。
画像中央に建つやぐらのようなモノは、新潟県三大祭りの一つとされる毎年七月の村上大祭で市内を練り歩くおしゃぎりの屋台と、海岸沿いの瀬波温泉の温泉井戸を合わせているように見えます。

斜め方向から見た村上駅駅舎
斜め方向から見た村上駅駅舎、2017年5月撮影。
画像では切れてしまっていますが、駅舎向かって右側にはNew Daysが出店しています。
後述のキオスクが撤退し、駅至近にコンビニの無い当駅において貴重な買い物処になっています。

村上駅駅舎出入り口付近の様子
村上駅駅舎出入り口付近の様子、2017年5月撮影。
レトロ調のリニューアルが行われて、駅名板も戦前の右横書き。

村上駅駅前広場の様子
村上駅駅前広場の様子、2017年5月撮影。
バス停が四つ、ずらずらっと並んで戦隊モノの名乗りのようであります。
しかし運行頻度は過疎なのが現実。
鉄道補完では新潟交通観光バス運行の寒川線(間島越後早川桑川今川越後寒川各駅に移動可能)と下関線(坂町を経由せずに山間を関川村へ直行するルートで、
越後下関駅に移動可能)がありますが、双方共に本数は少なく、前者は平日上下4本、土休日全休、後者は平日上下8本、土休日5本です。
土休日の駅巡りには残念ながら有効活用が難しいのが実情です。
羽越本線の村上以北と米坂線は過疎ダイヤなので、バスが使えれば駅巡りの効率もずっと良くなるのですけれど、路線バスの主たる利用層は学生と病院通いのお年寄りなのでこうしたダイヤ構成なのもやむを得ないところです。
ちなみに米坂線の建設に当たっては、当初坂町始発と村上始発の二案を当時の二大政党である憲政会と政友会がそれぞれ主張して激しく誘致を争った経緯があります。
憲政会の推す村上始発案は、路線バス下関線(国道290号線経由)に沿ったルートだったようです。
もしこのルートで越後下関駅まで鉄路が作られたら、村上駅を出発した列車は羽越本線を新潟方に1.5kmほど進んで南方の丘陵を抜けて平地に出たあたりで分岐し、桃川駅、そして桃川峠を越えて旧女川村の中心地区・女川駅を経て荒川を渡り、架橋の位置関係的に現在位置よりもやや越後下関駅寄りになったであろう越後大島駅に行き着くという山間の細道を辿る路線になっていたのではと、妄想を滾らせる次第であります。
しかしこの案だと、峠越えを含む勾配のきつい山間部を走るのと、長い鉄橋が必要になる二点が難点。
平地を走り架橋の必要もない坂町案の方が、費用的には明らかに少なくて済みます。
素人目から見ても経費的に村上案に不利が否めないところへ、坂町始発案側が誘致の切り札として用地の無償提供を申し出た為、県北を代表する町・村上始発案もこれに対抗は難しく、結局米坂線は坂町分岐に決まってしまったのです。

村上駅前通りの様子
村上駅前通りの様子、2017年5月撮影。
駅前には数軒のホテルと旅館がありますが、コンビニもスーパーも至近にはありません。
村上市の商業集積は、駅から2km以上南方の国道七号線沿いになっています。
駅付近には以前ジャスコが出店していましたけれど、改築で一度閉店した際に土壌から有害物質が検出されて改築計画はキャンセルされてしまいました。
元々は製錬工場だった土地だそうで、最初に建てた時の検査はどうなっていたのかなのですよ。

村上駅駅舎内部自動改札廻りの様子
村上駅駅舎内部自動改札廻りの様子、2017年5月撮影。
当駅に自動改札機が導入されたのは、駅舎リニューアルの約半年後、平成17年末の事でした。
当駅規模の駅で昔ながらの改札方式だと、私のような人種は駅構内撮りに多大の時間をかけなければならないのです。
自動改札だと旅の趣や情緒が無くなってしまうのは残念な一方、趣味の実利的には実に喜ばしい話なのであります。

駅舎内向かって左側のみどりの窓口と自動券売機
駅舎内向かって左側のみどりの窓口と自動券売機、2017年5月撮影。
券売機が二台設置されているのは、流石観光拠点の駅と言えましょうか。
しかし当駅一日平均乗車人員の約八割は定期客という現実も。

駅舎内向かって右側の待合室出入り口
駅舎内向かって右側の待合室出入り口、2017年5月撮影。
昔からいつ行っても人の多いところであります。

リニューアル以前の村上駅駅舎
リニューアル以前の村上駅駅舎、2003年11月撮影。
屋根の上の「うまい酒大洋盛」に目を奪われます。
リニューアルされるとこういう看板は概ね無くなってしまいますな。
「大洋盛」を造っているのは、その源流を遡れば江戸時代まで行き当たる村上市の酒蔵・大洋酒造ですけれど、そういう郷土色の強い会社の看板は地域性が濃く出て来訪者に強くアピールできそうなんですけどね。
まぁ広告看板代とか色々あるのでしょうけれど。

駅舎内部のリニューアル以前の様子
駅舎内部のリニューアル以前の様子、2008年4月撮影。
村上駅駅舎はまず外側が先行してリニューアルされ、内部はそれから暫く後という二段階の改装でした。
この時点では自動改札機と電光掲示板以外はまだ国鉄時代の匂いを濃厚に残しています。
待合室内ではキオスクが営業していて、当時の営業時間は07:10~18:50。

構内改良前の村上駅駅舎構内側上屋下の様子
構内改良前の村上駅駅舎構内側上屋下の様子、2005年8月撮影。
当駅は駅舎のみならず、駅構内でも待合室の改築やエレベーター付きの跨線橋設置と改良が順次実施されています。
この画はそれらに着手する以前のものです。
画像中央奥が2-3番島式ホームとの連絡地下道です。

構内改良後の駅舎構内側上屋下
構内改良後の駅舎構内側上屋下、2015年5月撮影。

上の画と反対側の駅舎構内側上屋下
上の画と反対側の駅舎構内側上屋下、2015年5月撮影。
画像中央奥に見えるのは前述の新設跨線橋とエレベーターの出入り口です。

1番線の岩船町駅方から見た村上駅構内の様子
1番線の岩船町駅方から見た村上駅構内の様子、2017年5月撮影。
1番線は新潟方面乗り場です。
画像奥のクリームイエローの跨線橋は、2011年3月に供用を開始しました。

跨線橋新設以前の村上駅構内を1番線岩船町駅方から見る
跨線橋新設以前の村上駅構内を1番線岩船町駅方から見る、2005年8月撮影。
ホーム間の移動は前述の地下道のみによって賄われていました。
当駅の構内は広く、跨線橋が無いと視覚上の目標物が無くなるのでさらに広大に錯覚してしまうのです。

1番線端から岩船町駅方を見る
1番線端から岩船町駅方を見る、2017年5月撮影。

1番線の間島駅方から見た村上駅構内
1番線の間島駅方から見た村上駅構内、2017年5月撮影。
当駅ホームの上屋は、特急停車駅としてはかなり短いのが特徴。
現在は特急も短編成化されていますが、かつて12両のフル編成が停まっていた頃は、悪天候の日など待つのは辛かったでしょうなぁ。
その頃は自由席利用だと、乗車案内板の前で待たなければ座れない時代でしたしね。
ちなみに昔の時刻表を紐解くと、昭和55年10月改正ダイヤにおける村上駅優等列車発車時刻は下記の如し。

下り
急行「鳥海」秋田行     03:55 旧型客車+10系寝台車十両編成+荷物車三両
特急「日本海3号」青森行 05:19 24系客車11両編成+電源車
急行「天の川」秋田行    06:32 20系客車十両編成+郵便車
急行「羽越1号」秋田行  08:23 キハ58系気動車4両編成
急行「きたぐに」青森行  10:13 12系客車6両編成+郵便車+荷物車
特急「いなほ1号」秋田行 12:05 485系電車12両編成
急行「しらゆき」青森行  15:35 キハ58系気動車9両編成
特急「いなほ3号」青森行 16:02 485系電車12両編成
急行「羽越3号」秋田行  16:40 キハ58系気動車5両編成
特急「白鳥」青森行    18:19  485系電車12両編成
特急「いなほ5号」秋田行 20:03 485系電車12両編成

上り
特急「いなほ2号」上野行 09:20 485系電車12両編成
特急「白鳥」大阪行    10:22  485系電車12両編成
急行「羽越2号」新潟行  10:58 キハ58系気動車5両編成
急行「しらゆき」金沢行  13:17 キハ58系気動車9両編成
特急「いなほ4号」上野行 13:42 485系電車12両編成
急行「羽越4号」新潟行  16:04 キハ58系気動車4両編成
特急「いなほ6号」上野行 16:50 485系電車12両
急行「きたぐに」大阪行   19:38 12系客車6両編成+郵便車
急行「天の川」上野行    21:38 20系客車十両編成+郵便車
急行「鳥海」上野行     23:23 旧型客車+10系寝台車十両編成+荷物車三両
特急「日本海2号」大阪行 22:47 24系客車11両編成+電源車

跨線橋新設以前の村上駅構内を1番線間島駅方から見る
跨線橋新設以前の村上駅構内を1番線間島駅方から見る、2005年8月撮影。
ここから見るとどこか北海道の駅のような印象。
画像右側の緑の空間がどこか牧歌的な感じを受けるのがその理由ですけれど、そこはかつての側線跡なのです。

1番線端から間島駅方を見る
1番線端から間島駅方を見る、2017年5月撮影。
羽越本線の村上-間島間がデットセクションになっているのは皆様ご存知の通り。
ここから先は旅客の日常利用の観点で見る限り、完全に過疎ローカル線そのものです。

跨線橋完成後は省みられなくなった地下道内の様子
跨線橋完成後は省みられなくなった地下道内の様子、2017年5月撮影。
階段は急で、お年寄りが難渋している場面にしばしば出会います。
見かねて何度か買い物袋を持ってあげた事がありましたっけ。
こういう田舎で自動車免許を持っていないお年寄りは、日々の買い物も大変なのですよ。
以前は駅付近のジャスコで買い物が出来ましたけれど、今は駅西側のスーパーを使うしかありません。
しかし西側から駅舎へは線路を跨ぐ陸橋を渡ってこなければならず、お年寄りにはこれまた酷な話なのです。
しかし村上以北は府屋までスーパーなどありませんから、他に選択肢が無いんですよねぇ。

構内移動の利便性を著しく向上させた、エレベーター付き跨線橋内部の様子
構内移動の利便性を著しく向上させた、エレベーター付き跨線橋内部の様子、2017年5月撮影。
連絡地下道に比べて幅広の通路、天井の高さ、明朗さ、何もかもが違うのは否定できないところです。

跨線橋上から見た村上駅構内の間島駅方の様子
跨線橋上から見た村上駅構内の間島駅方の様子、2017年5月撮影。
画像中央の2番線には常になにがしらの列車が停まっています。

跨線橋上から見た村上駅構内の岩船町駅方
跨線橋上から見た村上駅構内の岩船町駅方、2017年5月撮影。
画像右側にはまだ生きている側線が2本確認できます。
その向こうには車庫が見えます。

2番線の岩船町駅方から見た村上駅構内
2番線の岩船町駅方から見た村上駅構内、2017年5月撮影。
2番線は当駅折り返し列車用で、新潟都市圏の電車と過疎ローカル区間の気動車が対面停車しているのが日常の光景になっています。

3番線の岩船町駅方から見た村上駅構内
3番線の岩船町駅方から見た村上駅構内、2017年5月撮影。
3番線は酒田方面行乗り場で、酒田・秋田行の特急「いなほ」と快速「きらきらうえつ」、新津-酒田間直通の気動車列車、当駅止まりの普通電車の一部が入ってきます。
本線の列車用なので、ホームの有効長は2番よりも長くなっています。

跨線橋設置以前の村上駅構内を3番線の岩船町駅方から見る
跨線橋設置以前の村上駅構内を3番線の岩船町駅方から見る、2005年8月撮影。
昔はこの側線で、午後三時に当駅発の秋田行旧型客車が昼寝をしていました。
ぶどう色のオハ35系客車と「秋田行」のサボに、紅顔の美幼児の旅情は激しく掻き立てられたものです。

3番線端から岩船町駅方を見る
3番線端から岩船町駅方を見る、2017年5月撮影。
この端部は現在のホーム有効長から外れているので、ご覧のように国鉄時代そのままの白線が残っています。

村上駅2-3番島式ホーム上の跨線橋エレベーター廻り
村上駅2-3番島式ホーム上の跨線橋エレベーター廻り、2017年5月撮影。

2-3番島式ホーム上屋下の待合室
2-3番島式ホーム上屋下の待合室、2017年5月撮影。
建築財産票によると平成20年3月竣工。
近年のJR東日本標準型です。

2-3番島式ホームの跨線橋出入り口廻りの様子
2-3番島式ホームの跨線橋出入り口廻りの様子、2017年5月撮影。
待合室以外にもベンチは多く、ホームで列車を待つのに特段の不便は感じません。

跨線橋が建つ以前の2-3番島式ホーム上屋下
跨線橋が建つ以前の2-3番島式ホーム上屋下、2005年8月撮影。
画像中央奥が地下道出入り口。
長大な上屋下に三脚1セットのベンチが間隔を置いて並ぶ、やや散漫な感じのホームでした。

2-3番島式ホームの地下道出入り口の現在の姿
2-3番島式ホームの地下道出入り口の現在の姿、2017年5月撮影。
こうして案内板も新調されていますけれど、日中観察したところ地下道を利用する人は皆無でした。
平日朝の学生が集中する時間帯なら、まだ使われているのかもしれませんが。

夕闇迫る霜月の村上駅2-3番島式ホーム
1番線に停車中のキハ40の車中から見た、夕闇迫る霜月の村上駅2-3番島式ホーム、2003年11月撮影。
島式ホーム上屋の終端に待合室が置かれているのがわかります。
周辺の無人駅ホーム上の待合室と同じような造りの建物です。
現在はあの辺りに跨線橋のエレベーターが設置されています。

3番線から間島駅方を見る
3番線から間島駅方を見る、2017年5月撮影。
村上駅の次の課題は、この空間を利用して西口を設置することです。
駅西側には村上総合病院の移転が決まっており、宅地化、商業集積地化されている駅西側住民の利便性を向上させるのも合わせて、近い将来避けて通れない話になるかと思います。
村上市が策定した「村上駅周辺町づくりプラン」では、「橋上駅化も視野に入れて」という文言が明記されてもいます。
しかしその財政負担はそう簡単な話ではないでしょう。
また近年駅舎をリニューアルしてエレベーター付き跨線橋を設置しているので、さらにその上で橋上駅舎化と言っても二重投資のそしりは免れないのではと。
跨線橋を西側に延長して、自動改札機のみの無人出入り口を設置し、合わせて西口駅前ロータリーの整備と自由通路を架けるのが、おカネをそれほど掛けずに所要の効果を発揮させるやり方ではないかと、村上市に一応の縁がある者としては考えるところです。
ベストな方法は、駅舎リニューアルや跨線橋設置の話が出た時に橋上駅舎化その他の事業を一気に全てやってしまうことだったのですが、今更死んだ子の齢を数えても詮無いことですわな。

島式ホーム上から見た駅西口のスーパー
島式ホーム上から見た駅西口のスーパー、2017年5月撮影。
駐車場も広く、広域集客力を完備。
回りも宅地化されていて、駅前通りよりも活気があります。
ここと駅が直接行き来できないというのは、やはりいただけない話。

2-3番島式ホームの間島駅方から見た村上駅構内
2-3番島式ホームの間島駅方から見た村上駅構内、2017年5月撮影。
昔から上屋の遮風板が宜しくないなぁと思っています。
このような形で見通しが利かないのは精神的に不安感を惹起させられるのですよ。

2-3番島式ホーム端から間島駅方を見る
2-3番島式ホーム端から間島駅方を見る、2005年8月撮影。
画像右側の架線柱に取り付けられた琺瑯?の駅名板「むらかみ」が実にノスタルジックで良いのです。
昔はみんなこんな感じでした。
駅舎駅名板のわざとらしい右横書きよりも、こういう天然モノの方がレトロ感抜群なのは指摘するまでもないことです。
でもこういうのは次々と外されちゃうんですよね・・・。
私が取材目的で駅巡りを本格的に始めたのは2003年秋からですけれど、この手の柱に取り付けられた駅名板を見たのは、他に保内駅、羽生田駅、六日町駅ぐらいです。

2番線端から間島駅方面を見る
2番線端から間島駅方面を見る、2017年5月撮影。
古い駅の例に漏れなく、当駅のホーム配置も千鳥形です。

夜の帳の下りた村上駅構内の様子
夜の帳の下りた村上駅構内の様子、2010年6月撮影。
跨線橋設置工事が始まる直前の頃です。
1番線に停車しているのは新津行キハ110系気動車、その右隣にチラリと見えるのは当駅折り返し待機中の115系電車、3番線に停車しているのは485系電車の特急「いなほ」。
三つの乗り場全てに列車が停まっている壮観な画と言えましょう。

「きらきらうえつ」の停車駅の証であるスペシャル駅名標
土休日運転の全席指定快速「きらきらうえつ」の停車駅の証であるスペシャル駅名標、2017年5月撮影。
坂町や中条に停めるようになったら、シールなぞで誤魔化さずに新品に取り替えるのでしょうな。
なにしろおカネには不自由しない会社ですし。

村上駅1番線から発車するE653系電車特急「いなほ」新潟行
村上駅1番線から発車するE653系電車特急「いなほ」新潟行、2017年5月撮影。
左隣には当駅で折り返し待機中のE129系電車。
これからの村上駅の主役はこの電車たちです。

村上駅3番線に停車中のE653系電車特急「いなほ」酒田行
村上駅3番線に停車中のE653系電車特急「いなほ」酒田行、2015年10月撮影。
「いなほ」の新潟-村上間の需要は高く、上越新幹線乗り換え客以外にも県北の移動手段として欠かせぬ存在。
新潟-村上間の普通列車は毎時1本、午後は2時間空く過疎ダイヤでしかも混むのです。
そんな時の逃避手段が930円を投資して「いなほ」に乗る事。
願わくば午後の上りに1本増発してくれないでしょうか。
普通列車が2時間空く最悪の時間帯ですから、定期運転しても用務客はそこそこ乗るんじゃないかと。
昔は定期列車として走っていた気がするのですが、最繁忙期のみの運転に格下げされてしまったのはやはり平時の需要が無いということなのでしょうか。

お盆の村上駅1番線に停車中の485系電車T編成の特急「いなほ」新潟行
お盆の村上駅1番線に停車中の485系電車T編成の特急「いなほ」新潟行、2005年8月撮影。
自由席の乗車案内板下には荷物を抱えた大勢の客が鈴なり。
新潟駅で上越新幹線に乗り換え東京に戻る人たちでしょう。
羽越本線に設定された気動車特急「白鳥」運転開始時(昭和36年10月)は、当駅へは停車しておらず、村上駅に確実に定期特急列車が停車したのは気動車特急「いなほ」運転開始(昭和44年10月)からだと思われます。
「白鳥」は日本海縦貫線電化改正による電車化(昭和47年10月)時では停車していますけれど、それ以前は果たしてどうだったのかですな。

村上駅1番線に停車中の485系電車R編成の特急「いなほ」新潟行
村上駅1番線に停車中の485系電車R編成の特急「いなほ」新潟行、2010年6月撮影。
この時は加治-金塚間で人が線路に立ち入ったとかで、「いなほ」は坂町駅で暫く抑止。
後発の普通列車は折り返しの都合上運転の見込みが立たないので、普通列車の客を坂町駅まで特急券無しで「いなほ」に乗せていました。
おかげで「いなほ」のダイヤはメチャクチャになり、この日は村上以北の各駅で「いなほ」の通過画撮影予定だった私のスケジュールもメチャクチャに。
上り列車は時間通り来るだろうかと類推しながら、沿線を彷徨う一日でしたなぁ。

村上駅3番線に進入する485系電車R編成の特急「いなほ」秋田行
村上駅3番線に進入する485系電車R編成の特急「いなほ」秋田行、2013年9月撮影。
かつて1990年代には新潟-村上間の区間便も設定されていた「いなほ」。
165系電車で運行されていた快速「せなみ」が好評だったので、当局が欲を掻いて安易な増収を目論んだような列車でした。
しかし乗車券定期券だけで乗れる快速から特急への転移なぞ起こりようもなく、最繁忙期以外は閑古鳥のまま数年で廃止。
会社は余程頭にきたのか、信越線の特急「みのり」から快速「くびき野」への格下げのような事はせず、今日に至っています。
485系電車R編成がもっと長持ちするのなら、「くびき野」スタイルでグリーン車と指定席車を連結した新潟-村上・酒田間の快速列車を・・・という妄想をよくしたものですけれど。

村上駅3番線を出発する485系電車R編成の特急「いなほ」秋田行
村上駅3番線を出発する485系電車R編成の特急「いなほ」秋田行、2013年9月撮影。
留置線では115系電車が待機中。
村上駅のかつての主役たちであります。

村上駅2番線で折り返し待機中のE129系電車
村上駅2番線で折り返し待機中のE129系電車、2017年5月撮影。
2017年3月改正ダイヤでは、当駅始発の新潟方面普通電車15本中10本が2番線発になっています。

留置線から転線して1番線に入るE129系電車
留置線から転線して1番線に入るE129系電車、2017年5月撮影。

1番線に進入する当駅始発のE129系電車新潟行
1番線に進入する当駅始発のE129系電車新潟行、2017年5月撮影。
2017年3月改正ダイヤでは、1番線から出発する当駅始発普通電車は一日5本です。

1番線で客待ち中のE129系電車新潟行と、2番線間島方で待機中のキハ40系気動車
1番線で客待ち中のE129系電車新潟行と、2番線間島方で待機中のキハ40系気動車、2017年5月撮影。
両者の歳の差は実に37歳。
親子ほど歳の離れた僚友ですが、キハ40系は新型のGV-E400系電気式気動車に早晩置き換えられる運命です。

終着の村上駅3番線に到着したE129電車
終着の村上駅3番線に到着したE129電車、2017年5月撮影。
1番線では新潟行E129電車が待機中です。

跨線橋設置前の村上駅1番線から出発する115系電車新潟行
跨線橋設置前の村上駅1番線から出発する115系電車新潟行、2005年8月撮影。

1番線から発車する長野色の115系電車新潟行と、2番線で折り返し待機中のE129系電車
1番線から発車する長野色の115系電車新潟行と、2番線で折り返し待機中のE129系電車、2015年10月撮影。

秋もゆる村上駅3番線に到着した当駅止まりの長野色115系電車
秋もゆる村上駅3番線に到着した当駅止まりの長野色115系電車、2015年10月撮影。
この色の電車が走っていたのも僅かな期間でした。
鉄道ピクトリアルによると塗装を新潟色に変えた編成が健在だそうですけれど、引退寸前の電車にそんな手間を掛けずとも、別にこのままでも良かったんじゃないのと。

留置線から転線して1番線に進入する、当駅始発の115系電車新潟行
留置線から転線して1番線に進入する、当駅始発の115系電車新潟行、2012年5月撮影。

E127系電車新潟行が1番線で客待ち顔
羽越本線では影の薄い存在に終始したE127系電車新潟行が1番線で客待ち顔、2013年9月撮影。
2番線には国鉄首都圏色のキハ40系気動車が待機中。

3番線に到着後、留置線でお昼寝中のE127系電車
3番線に到着後、留置線でお昼寝中のE127系電車、2014年4月撮影。

村上駅2番線で折り返し待機中のE127系電車
村上駅2番線で折り返し待機中のE127系電車、2005年8月撮影。

2番線で待機中のキハ40系気動車二連
1番ホームから見た、2番線で待機中のキハ40系気動車二連、2017年5月撮影。
この姿を見られるのもあと数年になりました。

国鉄急行色のキハ40系気動車が村上駅2番線で待機中
国鉄急行色のキハ40系気動車が村上駅2番線で待機中、2015年10月撮影。
70系電車カラーの115系電車といいこれといい、定期運用の実績がない、それでいて懐かしの色合いに塗り替えるのはやはり悪ノリに見えて仕方ないのです。

キハ40系気動車四連が村上駅2番線で待機中
キハ40系気動車四連が村上駅2番線で待機中、2010年6月撮影。
通常運用カラー三色の揃い踏みであります。
キハ40系の村上以北は最大で三連と認識していたので、この光景には少々驚いたところです。

夜の村上駅1番線に佇むキハ110系気動車新津行
前掲した夜の村上駅、3番線の「いなほ」が出発した後1番線に佇むキハ110系気動車新津行、2010年6月撮影。
キハ110系はかつてのE127系電車以上に、村上界隈で見かける機会の少ない車両です。

村上駅3番線を出発する全席指定の快速「きらきらうえつ」酒田行
村上駅3番線を出発する全席指定の快速「きらきらうえつ」酒田行、2015年10月撮影。
タネ車の485系電車は2017年3月改正で最後の(事実上の)定期運用列車だった通称「糸魚川快速」が廃止されて車両も廃車回送され越後の地から姿を消しました。
今となってはMT54形電動機のサウンドを堪能できる希少な存在になっています。
タネ車の車齢からみても、余命はそれほど残っていないと思われますが、後継車両はどうするつもりなのか。
キハ110系あたりを魔改造して転用しそうな気がしますが・・・。


村上駅構内を徘徊中に偶然捉えたオリジナル色の583系電車
2004年の夏、村上駅構内を徘徊中に偶然捉えたオリジナル色の583系電車、2004年8月撮影。
当時の南秋田運転所所属編成でしょうか。
こんな美味しいモノが入ってきているのに、構内でマニアとおぼしき人は私の他に一名のみ。

村上駅3番線で5分程停車していた583系電車
村上駅3番線で5分程停車していた583系電車、2004年8月撮影。
車内のブラインドは全て下ろされていて、回送列車のような雰囲気でした。
かつての特急「白鳥」「いなほ」「日本海」に583系電車が入ることは無く、当駅に583系電車が出入りするのは最繁忙期の臨時列車と団体列車のみ。
「白鳥」-「日本海」のパターンは距離が長過ぎて昼夜兼行が難しいのが、583系が投入されなかった理由のようです。
「いなほ」はカウンターパートの夜行が無いので投入の仕様が無かったのが残念。
寝台急行「天の川」が20系客車ではなく583系ならと、つまらぬ妄想を抱いた鉄オタ少年時代でしたけれど、当時まだバリバリの特急車両だった583系電車の急行転用なぞ無理な話だったのでありましょう。

村上市役所にほど近いかつての中心街、小町界隈の様子
さてここからは村上市内の点描をば。
村上市役所にほど近いかつての中心街、小町界隈の様子、2012年5月撮影。
村上駅から1km半の通りです。
なんかもうね、この光景はいたたまれないんですよマジで。
私が子供の頃は、スーパー有りおもちゃ屋有り本屋有りパチンコ屋有り怪しい映画館有りで、なかなか賑やかな通りだったのですよ。
それが今では、行き交う車も無いシャッター通りの極みみたいになっちゃってます・・・。

国史跡「村上城跡」、通称「お城山」の登り口
国史跡「村上城跡」、通称「お城山」の登り口、2008年4月撮影。
越後村上五万石の村上城がこの上にそびえ立っていたのです。
戊辰戦争時に藩内が幕府派と新政府派で内ゲバの挙句、幕府派に火を放たれて燃え尽きた悲運の城だったのです。

天守閣跡への道中では残存した石垣を見る事が出来ます
天守閣跡への道中では残存した石垣を見る事が出来ます、2008年4月撮影。

頂上の天守閣跡に到着
登り口から私の足で約15分で頂上の天守閣跡に到着、2008年4月撮影。
GWの初日でしたが、熊蜂がブンブン飛び回るのに恐怖を感じながらの撮影でしたなぁ。
私は紅顔の美幼児のみぎり、アシナガバチに耳と目の上を刺されて以来極度のハチ恐怖症なのです。

お城山頂上から見た村上城下の眺め
お城山頂上から見た村上城下の眺め、2008年4月撮影。
遠くに見えるのは日本海。
順光なのは良いのですけれど、この日は春の霞がかかっていて見通しはイマイチ。

村上駅から西方に3km弱の瀬波温泉街
村上駅から西方に3km弱の瀬波温泉街、2012年5月撮影。
下越の代表的な温泉街であります。
日本海の大海原を眺めながら温泉に入れます。
村上駅前から瀬波温泉へは、タクシー以外にも岩船方面行の路線バスで訪れることが出来ます。
岩船線は村上界隈のバス路線では最も運行頻度の高い路線で、新潟交通観光バス運行便は平日上下26本、土休日18本。
村上市の「せなみ巡回バス」は月~土曜の運行で四便。

温泉街らしく、こうしておみやげ屋さんもあります
温泉街らしく、こうしておみやげ屋さんもあります、2012年5月撮影。
幼少期に泊まった時、おみやげ屋で親戚のおばさんに栄光の七人ライダー(除くライダーマン)の小さなソフビ人形セットを買ってもらったのが良い思い出です。
それで有頂天になって、肝心の温泉の事は何も覚えていません。

環境省指定の「快水浴場百選」に選定されている、瀬波温泉海水浴場
環境省指定の「快水浴場百選」に選定されている、瀬波温泉海水浴場、2012年5月撮影。

瀬波海水浴場前の広場から笹川流れ方面を見る
瀬波海水浴場前の広場から笹川流れ方面を見る、2012年5月撮影。

瀬波温泉街の高台にある、現在稼働中の温泉井戸
瀬波温泉街の高台にある、現在稼働中の温泉井戸、2012年5月撮影。
もうもうと蒸気を吹き上げていて、眺望の効きそうな直上の神社への行く手を遮り少々慌てました。

放棄された温泉井戸
廃墟マニア諸氏の一部が見たら辛抱タマランのかもしれない、放棄された温泉井戸、2012年5月撮影。

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2017年8月20日 (日)

坂町駅(羽越本線・米坂線)

本日の駅紹介は羽越本線/米坂線・坂町駅。

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新潟県村上市に所在する有人駅で、開業は大正3年(1914年)11月1日。
開業当時の所在は岩船郡保内村で、周囲には萱の茂る寂しい停車場だったそうです。
開業後暫くは、地方幹線である羽越本線の平凡な駅に過ぎなかった坂町駅でしたけれど、昭和6年(1931年)8月10日に米坂線が当駅に乗り入れると、次第に発展し駅勢を拡大していくことになります。
そもそも米坂線の新潟側起点については、当時の二大政党・憲政会と政友会を巻き込んだ熾烈な誘致合戦が村上と坂町の間で行われ、結局は坂町起点を押す政友会の勝利となって現在の米坂線のルートが確定された経緯がありました。
それでも米坂線開通当初は機関庫が村上駅に置かれて、村上起点案を推した憲政会の面子も立てる形になっていたのですけれど、昭和13年に機関庫は坂町駅に移転。
憲政会や村上町の有力者たちの顔を思い切り潰す形で、坂町駅は名実共に米坂線の起点として機能するようになったのです。
移転した機関庫は坂町機関区に格上げされて、構内の貨物取扱機能も拡充。
これによって現在の駅構内の原型が概ね完成しました。
戦後は駅構内の拡充が更に行われて、幹線の羽越本線と亜幹線の米坂線の結節点として客貨共に賑わいを見せます。
当駅の所在する保内村が隣の金屋村と合併して町制を施行し、岩船郡荒川町になったのは昭和29年で、当駅の隆盛と機を一にしていました。
しかし羽越本線の電化や米坂線から蒸気機関車が撤退するなどで、坂町機関区の地位は下落し、国鉄末期の昭和60年に廃止されて派出所として再出発。
オイルショック後の貨物需要減退、さらに合理化施策で坂町駅の貨物取扱機能は東新潟駅至近の新潟操車場に移されてしまい、当駅の地盤沈下に拍車がかかることになります。
かつては新潟と山形・仙台を結ぶ重要な使命を担っていた米坂線も、平成3年(1991年)夏に奥羽本線の改軌工事に伴い奥羽本線との直通運転が不可能になって事実上その使命を終えます。
駅勢の没落に止めを刺すかのように、荒川町は平成20年(2008年)4月に周辺町村と共に村上市と合併。
坂町駅は自治体の玄関駅という大看板も失う事になりました。

JR東日本によると、2016年度の坂町駅一日平均乗車人員は728人。
同社新潟県内有人67駅中47位で、磐越西線・北五泉駅にやや劣り、信越本線・犀潟駅よりやや上というレベル。
かつてのライバル村上駅とは倍以上の差がついてしまっています。

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坂町駅駅舎正面、2017年5月撮影。
建築財産票によると、昭和38年9月の完成。
冷房の無い時代の産物ゆえか、窓が多く大きいのが特徴。
羽越本線と米坂線の分岐駅であり、機関区を有し日本海縦貫線の貨物拠点の一つでもあった当駅の絶頂期に建てられた二階建ての大きな建物です。
しかし前述したように今日では機関区も無く貨物は拠点どころか取扱もなく、米坂線は斜陽の一途。
現在の駅勢ではあまりに過大な駅舎と言えましょう。

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斜め視点で見た坂町駅駅舎と駅前広場、2017年5月撮影。
駅前にタクシーが数台常駐しているのは、かつての繁栄の最後の残影と言えるかも。

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駅舎の画像奥手にはトイレがあります、2017年5月撮影。

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駅舎から見た駅前通りの様子、2013年6月撮影。
この通りを500mほど直進すると国道七号線に行き当たります。
駅前通りの道幅は広く開放感がありますけれど、銀行以外は個人商店が点在するだけ。

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国道方から見た坂町駅前通り、2017年5月撮影。
画像中央奥が坂町駅です。

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歩道橋上から見た国道七号線の新潟方、2017年5月撮影。
地方の御他聞に漏れず、旧荒川町の商業集積はこの国道沿線になっています。

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坂町駅の向かって右側にある、新潟交通観光バスの「坂町駅前」バス停、2017年5月撮影。
この界隈のバス事情は宜しくなく、鉄道補完に関しても羽越本線に対しては存在しません。
米坂線に対しては越後下関駅の所在する関川村への路線がありますが、土休日は全休です。
「路線バスの旅」では青森から新潟を目指す一行が、村上から関川、そしてここ坂町に出て隣の平木田駅まで歩いていましたっけ。
あの時は平木田駅から中条への一日1本のコミニュテイバスを捕まえていましたが、現在はあの路線は廃止されています。
従ってルート再現には当駅から中条まで、道路で約10km歩く以外に選択肢が無いのです。

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坂町駅駅舎内部の様子、2017年5月撮影。
窓口の「みどりの窓口」の昔ながらのシンボルマークが郷愁を誘います。
suicaの簡易改札機は新潟都市圏から飛び出して当駅にも波及しています。

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坂町駅駅舎内待合室の様子、2017年5月撮影。

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待合室内にはかつてキオスクがありました、2008年4月撮影。
当時は午前七時~午後五時の営業。

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現在のキオスク跡には自動販売機を二台設置、2017年5月撮影。

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坂町駅駅舎の構内側の様子、2017年5月撮影。
当駅は駅舎とホームが直接繋がっておらず、構内通路と跨線橋を介して行き来します。
構内側にもトイレがあって、画像奥手になります。
構外側のトイレは昔ながらのモノで正直うーむ・・・ですけれど、構内側のトイレはバリアフリー対応で綺麗なものです。

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構内通路の跨線橋出入り口廻りの様子、2017年5月撮影。
上屋の頑健そうな造りと広々とした通路、国鉄全盛期に絶頂期を迎えた駅の威容であります。

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坂町駅跨線橋内部の様子、2017年5月撮影。
二つの島式ホームと駅舎構内通路を結ぶ長大なものです。

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跨線橋上から見た坂町駅構内の平木田駅方その一、2017年5月撮影。
1番線やその左隣の側線やモーターカーの横取線は草生して、使用頻度の少なさを無言の内に示しているよう。

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跨線橋上から見た坂町駅構内の平木田駅方その二、2017年5月撮影。
画像中央の向かって左から2番線と3番線、これが本線です。

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跨線橋上から見た坂町駅構内の越後大島駅方、2017年5月撮影。
ここから米坂線に足を踏み出す1番線は、平木田駅方と違って生き生きとした鉄路。
また画像右側の駅舎の構内側はお色直しをしていないようで、相当に古びてしまっていますな。

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跨線橋上から見た坂町駅構内の平林駅方、2017年5月撮影。
画像左側の空き地がかつての機関庫や貨物関係施設の跡です。

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1番線の平木田駅方から見た坂町駅構内、2017年5月撮影。
1番線は米坂線乗り場ですが、米坂線の列車は最長二連なのでホーム中央に停まります。
羽越本線と米坂線の直通列車は、平成29年3月改正ダイヤでは上下合わせて3本が設定されていますけれど、いずれも1番線には入ってきません。
つまり草生しているこの辺りに定期列車は入ってきていないということです。

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1番線端から平木田駅方を見る、2017年5月撮影。

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島式ホーム2番線の平木田駅方から見た坂町駅構内、2017年5月撮影。
2番線は新潟方面乗り場です。
当駅構内で目を惹くのはまずこの跨線橋でしょう。
この島式ホーム中央の上屋下に見えるのは待合室で、JR東日本構内待合室の小型標準型です。

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2番線端から平木田駅方を見通す、2017年5月撮影。
古い時代の駅の常として、当駅のホーム配置もやはり千鳥式。

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1番線の越後大島駅方から見た坂町駅構内、2017年5月撮影。
米坂線は過疎ダイヤで、当駅発は一日6本。
そのうち3本がこの1番線からです。
列車は上屋に完全に架かるので、雨に濡れる心配はなし。

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1番線端から越後大島駅方を見る、2017年5月撮影。
こちら側の横取線も1番線と繋がっています。
モーターカーの車庫がこちら側にもありますけれど、雰囲気的にあまり使用されていないような。

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島式ホーム2番線の平林駅方から見た坂町駅構内、2017年5月撮影。
ホーム配置がこれだけ顕著な千鳥配置だと、画にメリハリが付いて個人的には大変宜しい。
対面平行式配置だと味気ないことこの上ないですからね。

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1-2番島式ホーム東方の上屋下の様子、2017年5月撮影。
西方には前述のように待合室がありますが、こちら側は跨線橋出入り口近くにベンチがあるのみ。
ベンチの数は少ないので、新潟方面列車を待つ場合は立ちんぼが多いのです。

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3-4番島式ホームの3番線平木田駅方から見た坂町駅構内、2017年5月撮影。
3番線は村上方面乗り場です。
3番は本線なので、左隣の待避線4番に比べてホームが張り出して有効長が長くなっています。
定期旅客列車で当駅に定期停車した最長編成は、かつての客車急行「鳥海」(荷物車込みで13両)だと思いますが、このホームに完全に入れていたのかどうか。

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3番線端から平木田駅方を見通す、2017年5月撮影。

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現在は使用頻度のごく少ない4番線と、その左隣の元貨物取扱空間、2017年5月撮影。
2017年3月改正ダイヤでは、4番から出発する定期列車は米坂線の2本のみ。
うち夕方の1本は新津駅発の米坂線直通列車です。

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3-4番島式ホーム上の短い上屋、2017年5月撮影。
個人的には当駅構内で跨線橋の次に目を惹くモノです。
作りからして大分古いモノのようですが、何故こんな中途半端な大きさなのか、昔は跨線橋方の上屋と繋がっていたのだろうか、電化で架線柱をホーム上に建てる際に邪魔だからバッサリ短くしたのか、そんなことを訪れる度に考えるわけです。
画像奥の第二の上屋下に見えるのは、1-2番ホームと同様に近年建てられた小型標準型の待合室です。

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1-2番島式ホーム上から見た3-4番島式ホーム上の上屋、2017年5月撮影。
上屋下には一昔前までの定番ベンチが並んでいます。
冬や悪天候時以外は、ここに座って広大であっけらかんとした構内をつくづく眺めつつ、風に吹かれながら缶コーヒーをすすりつつ、ぼーっと過ごすのが脱日常で精神衛生上実に宜しい。

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3-4番島式ホーム上の上屋を跨線橋方から見る、2017年5月撮影。

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3-4番島式ホームの跨線橋出入り口、2017年5月撮影。
出入り口直上の「のりば案内」は国鉄そのままの感じでノスタルジーの世界です。

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3-4番島式ホームの3番平林駅方から見た坂町駅構内、2017年5月撮影。
1-2番ホーム同様に、こちら側の上屋下にベンチはありません。

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4番線の越後大島駅方を見る、2017年5月撮影。
4番のホーム端部は画像の「9」から向こうはロープと柵で封じてあり、ホームの有効長は短くなっています。

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3番端から平林駅方を見る、2017年5月撮影。
画像左側に見えるのは、当駅に機関区が置かれ蒸気機関車の基地だった時代の名残の給水塔です。

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2017年3月改正ダイヤでは、米坂線の列車一日2本が出発するのみの4番線発の米沢行単行に乗って、ホーム上からでは見られない視点で坂町駅構内を見てみる、2017年5月撮影。
狙って撮ったわけではなく、ぎっしり満員で身の置き所がここしかなかった故の副産物と言えましょうか。
新潟県内では只見線に次ぐ閑散線区の米坂線ですけれど、個人的な印象では磐越西線の五泉以南よりも乗客が多い印象。
土休日限定ですが、ガラガラの米坂線列車には乗ったことがないのです。


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同じく米坂線の列車最後部から見た坂町駅構内、2017年5月撮影。
当駅付近の踏切や陸橋は駅とやや距離があるので、この視点で駅構内を観察するのはなかなか新鮮な眺めです。

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駅付近の陸橋上から見た坂町駅構内遠景、2012年5月撮影。
画像左端の線路が米坂線です。

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坂町駅北側で静かに佇む坂町機関区跡、2012年5月撮影。
画像奥に見えるのはターンテーブル。
その左側には機関庫。
昭和35年3月時点では、蒸気機関車のD51形と9600形が計14両配置されていました。
画像左端には字のかすれた「坂町派出所」の立て札が残っています。
悲壮感や寂寥感はあまりなく、ただただあっけらかんとしているのがこの坂町駅と付近の不思議なところなのですよ。

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3番線に停車中の、485系電車T編成の特急「いなほ」秋田行、2012年5月撮影。
上越新幹線大宮暫定開業(昭和57年11月ダイヤ改正)以前は当駅に特急列車の定期停車は無く、上野直通時代の「いなほ」は当駅を通過して9km西方の中条駅に停車していました。
当時の中条町は荒川町の三倍ほどの人口を抱え、大企業の工場も立地しているので出張用務の需要もあったでしょうから、「いなほ」が中条駅に停車するメリットは坂町駅に停車するより多かったのでしょうね。
ちなみに昭和55年10月改正ダイヤでの、坂町駅優等列車発車時刻表はかくの如し。
全て急行列車です。

下り
鳥海      秋田行 03:55 旧型客車+10系寝台車
天の川     秋田行 06:32 20系客車
羽越1号    秋田行  08:12 キハ58系気動車、新潟-坂町間べにばな2号と併結
べにばな2号  仙台行  08:14 キハ58系気動車、新潟-坂町間羽越1号と併結
きたぐに    青森行  10:00 12系客車
しらゆき     青森行  15:24 キハ58系気動車
べにばな4号 仙台行   16:25 キハ58系気動車、新潟-坂町間羽越3号と併結
羽越3号    秋田行  16:28 キハ58系気動車、新潟-坂町間べにばな4号と併結

上り
羽越2号    新潟行 11:11  キハ58系気動車
べにばな1号 新潟行  11:46  キハ58系気動車
しらゆき    金沢行  13:30  キハ58系気動車
羽越4号   新潟行   16:17   キハ58系気動車
きたぐに    大阪行  20:00  12系客車
べにばな3号 新潟行  21:09 キハ58系気動車
天の川    上野行   21:51 20系客車
鳥海      上野行   23:41 旧型客車+10系寝台車

当駅に特急が停車するようになったのは、前述のダイヤ改正で昼行急行が特急に格上げされてからのことです。
昭和60年3月改正時点では、「いなほ」「白鳥」全便が当駅に停車するようになっています。

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坂町駅2番線から発車する、485系電車R編成の特急「いなほ」新潟行、2012年5月撮影。

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越後の地でもようやく春を迎えた晴天の卯月、坂町駅に停車中のE653系電車特急「いなほ」秋田行、2014年4月撮影。

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坂町駅3番線に停車中の新鋭E129系電車村上行、2017年5月撮影。

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坂町駅3番線に停車中の115系電車村上行、2014年4月撮影。
E129系電車導入前、羽越本線村上口の主役がこの電車でした。

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坂町駅2番線から出発する115系電車新潟行、2017年5月撮影。
現在(2017年)ではすっかり少数派になった、かつての越後路の主役であります。
昭和55年10月改正ダイヤでは、当駅に停車する羽越本線普通・快速列車は上下合わせて25本。
うち115系電車は僅か4本に過ぎず、EF81形電気機関車牽引の客車列車は6本、気動車列車は15本でした。
羽越本線の村上以西の電化区間に115系電車が積極投入されるのは、昭和57年11月改正以降で、坂町駅構内で115系電車が顔役になったのは比較的近年の事だったのです。
昭和60年3月改正ダイヤでは、当駅に停車する羽越本線の普通列車は上下合わせて24本。
うち115系電車は16本、EF81形電気機関車牽引の50系客車は2本、気動車が6本です。

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坂町駅2番線に進入するE127系電車新潟行、2014年4月撮影。
2015年3月改正で羽越・白新線から撤退して過去帳入りの電車です。
羽越本線内でその姿を見る機会は少なく、ゆえに各駅で停車中の画を撮るために沿線を何度と無く行き来したものです。

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夕刻の坂町駅4番線で、特急「いなほ」を退避待機中のキハ40系気動車新津行、2012年5月撮影。
当時は当駅での普通列車の特急退避が朝に1回、夕方に2回実施されていました。
2017年3月改正ダイヤでは特急退避は無くなっています。

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坂町駅3番線に停車中のキハ110系気動車快速「べにばな」米沢行、2012年5月撮影。
昭和40年代までは白新・羽越線内を併結運転する秋田行の「羽越」よりも、編成が長く指定席車を連結するなど格上の存在だった仙台行の急行「あさひ」。
その後「べにばな」への改称を経て山形止まりと短編成化、米沢止まりと快速格下げ、1往復廃止と変転を重ねた今の姿がこの列車です。
やはりかつての急行列車の末裔である磐越西線の快速「あがの」が今なお快速運転で気を吐いているのに比べて、こちらの速達運転は新潟-坂町間のみで「快速」の名も泣こうというものです。

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3番線に進入する快速「べにばな」、2013年6月撮影。

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坂町駅1番線で待機中のキハ52形気動車、2005年5月撮影。

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卯月の夕刻、同じく1番線で客待ち中のキハ52形一般色の米沢行、2008年4月撮影。

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坂町駅に到着後、回送待機中のキハ58系気動車、2003年11月撮影。
私が取材目的で当駅に最初に降り立った時の画です。
あれから14年も経って、ようやく坂町駅の記事を書くまで辿り着こうとは。

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坂町駅3番線を通過するEF81形電気機関車牽引の貨物列車、2003年11月撮影。
かつては日本海縦貫線の電機といったらこれでしたけれど、今ではもう引退寸前です。

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老雄EF81形に代わる日本海縦貫線物流の新たな主役、EF510形電気機関車牽引の貨物列車が坂町駅2番線を颯爽通過、2013年6月撮影。
新型電車や気動車の持つある種の軽薄さと異なり、電気機関車は新型であっても迫力たっぷり。
今では貨物列車の通過におおっと目を見張りますからねぇ。
あの重厚感は、今日の旅客列車では絶えてしまったものなのです。

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2017年8月 6日 (日)

改築中の中条駅

本日の駅紹介は改築中の羽越本線・中条駅。

中条駅の駅名標

中条駅は現在(2017年8月時点)、JR東日本と胎内市の共同事業で「中条駅西口周辺整備事業」を実施しており、駅の東西自由通路と橋上駅舎の建設、西口駅前広場の新設工事を行っています。
橋上駅舎は来年(2018年)7月に供用開始予定、事業全ての完了は再来年(2019年)3月の予定で鋭意工事中です。
当ブログでは駅舎改築前の中条駅について既にご紹介していますが、今回は新たな姿に脱皮途上にある駅の姿について点描してまいりたく存じます。

従来からの東口ロータリーと中条駅の仮駅舎
従来からの東口ロータリーと中条駅の仮駅舎、2017年5月撮影。
なお画像撮影は全て同日であります。

上の画と反対側から仮駅舎を見る
上の画と反対側から仮駅舎を見る。
旧駅舎は仮駅舎の向かって左側にありましたけれど、昨年(2016年)12月に入って間もなく営業を終了し、その後解体されています。
出来れば正月に訪れて、解体直前の旧駅舎と仮駅舎をセットで撮影したかったのですが、天候不良その他で断念の已む無きに至ったのが残念至極。
雪ならまだいいのですけれど、雨で風も強いとなると最早打つ手無しなのがここ越後の冬なのでございます。

中条駅仮駅舎のサイドビュー
中条駅仮駅舎のサイドビュー。
仮駅舎の向こう側のかつて旧駅舎が置かれていたあたりの上屋は、そのまま東西自由通路の東側上屋になるのでしょうか。

中条駅仮駅舎正面の様子
中条駅仮駅舎正面の様子。
ドア回りはやはり仮設の安価な仕様ですけれど、それ以外はなかなかの建物であります。
橋上駅舎化という至上命題が無ければ、耐震性にとりあえずの問題が無ければこの仮駅舎でも問題無い感じです。
えちごトキめき鉄道の春日山駅みたいに。

中条駅仮駅舎内部の窓口と自動改札機群
中条駅仮駅舎内部の窓口と自動改札機群。
窓口上部の表示板は旧駅舎のモノを流用したのかも。
新駅舎の窓口は緑のラインの簡素な表示になってしまうのでしょうから、国鉄時代の匂いを今に伝えるこれを見られるのも、橋上駅舎完成予定の来年(2018年)7月までなのでしょう。

仮駅舎の壁面には二台の有人駅仕様自動券売機を設置
仮駅舎の壁面には二台の有人駅仕様自動券売機を設置。
仮だからといって、余剰の無人駅用券売機を置くなぞというセコい事をJR東日本はしません。

仮駅舎待合室の出入り口
仮駅舎待合室の出入り口。
上部にはテレビを設置。

仮駅舎待合室内部の様子
仮駅舎待合室内部の様子。
五人掛けのベンチが四脚設置されていて、着席定員は20名。
旧駅舎の年季の入った待合室よりも、こちらの方が快適度はずっと上です。
建物が仮とはいえまだ新しいからなのは大きな要素ですけれど、それ以上に国鉄仕様の建物は休息を最優先に考えて見た時に、気疲れがするのですよね。
趣味的に見れば勿論全然違う見方になるのですけれど、一般人はそんな見方はしないのです。

構内側から見た中条駅仮駅舎の改札口廻り
構内側から見た中条駅仮駅舎の改札口廻り。

1番線の金塚駅方から見た、改築工事中の中条駅構内の様子
1番線の金塚駅方から見た、改築工事中の中条駅構内の様子。
1番線は新潟方面乗り場です。

1番線の平木田駅方から見た、改築工事中の中条駅構内
1番線の平木田駅方から見た、改築工事中の中条駅構内。
こちらは橋上駅舎と自由通路建設空間から外れているので、大きな変化はありません。

1番線の上屋手前から見た構内
1番線の上屋手前から見た構内。
改築に先立って上屋が新調されました。

1番線上屋下の様子
1番線上屋下の様子。
トイレは男女別でこの先にあります。
改築空間上のホームの幅が危険なまでに狭くなっているので、列車の発着はかつての金塚駅方ではなくこちらの平木田駅方に変わっています。
それゆえにこの上屋下にはベンチが設置されています。

跨線橋上から見た中条駅構内の平木田駅方
跨線橋上から見た中条駅構内の平木田駅方。
前述したようにこちら側は駅改築の無風地帯なので、上屋が新しくなった以外の変化は無し。
なお跨線橋内部は以前と全く変わっていないので、画像は割愛しました。

跨線橋上から見た改築中の中条駅構内金塚駅方
跨線橋上から見た改築中の中条駅構内金塚駅方。
こちら側が改築の本丸で、カオスな状況を呈しつつあります。

島式ホーム2番線の金塚駅方から見た、改築中の中条駅構内
島式ホーム2番線の金塚駅方から見た、改築中の中条駅構内。
2番線は現在も中線として機能していて、2017年3月改正ダイヤでは夕方五時台に上下の普通列車が1本ずつ、特急「いなほ」をここで退避しています。

島式ホーム上の、最初の土台らしき空間
島式ホーム上の、最初の土台らしき空間。
駅前に貼ってあった工事完了後の駅概念図によると、ここに東西自由通路の柱が立ち上がりそうなのですが。

島式ホーム上の橋上駅舎の出入り口が置かれると思われる辺り
島式ホーム上の橋上駅舎の出入り口が置かれると思われる辺り。
近年設置されたJR東日本標準仕様のホーム待合室は解体されてしまい、少々勿体ないですな。
まぁどこかの駅に流用再使用するのかもしれませんが。

跨線橋側から見た橋上駅舎直下になると思われる空間
跨線橋側から見た橋上駅舎直下になると思われる空間。
島式ホームのこのあたりの幅は、1番以上に狭くて危険です。

構内工事中の跨線橋廻りの様子
構内工事中の跨線橋廻りの様子。
橋上駅舎供用開始までの間、当駅ホームは跨線橋の向こう側(平木田駅方)が実質的なホーム有効長になっています。

島式ホーム2番線側中央から金塚駅方を見通す
島式ホーム2番線側中央から金塚駅方を見通す。
現在の駅はこのように画にならない状態なので、改築中の記録を取りたい方以外の駅巡りはあまりお勧めできませんです。

島式ホーム2番線の平木田駅方から見た、改築中の中条駅構内
島式ホーム2番線の平木田駅方から見た、改築中の中条駅構内。
列車を待つのは基本的にこちら側でどうぞ。

3番線の平木田駅方から西口広場造成空間を見る
3番線の平木田駅方から西口広場造成空間を見る。
ここはロータリーを擁し、路線バスの乗り入れが可能な中条駅第二の玄関口になる予定です。
かつての側線群が寸断されてしまったのには寂しさを感じますけれど、これも利便性向上バリアフリー化の時流ゆえ已む無きこと。
もって冥福を祈りましょう。

島式ホーム上の新たな上屋下
島式ホーム上の新たな上屋下。
こちら側にもベンチが設置されています。
ベンチの向きが、今後の2番線の運命を暗示しているような不吉な予感。

改築中の中条駅1番線に到着したE129系電車新潟行
改築中の中条駅1番線に到着したE129系電車新潟行。
この電車は四連ですが、先頭車両は跨線橋の先のホーム幅が狭くなる手前あたりに停まるようです。

改築中の中条駅3番線を発車する115系電車村上行。
改築中の中条駅3番線を発車する115系電車村上行。
三両編成の停車位置はここです。

改築中の中条駅3番線に停車中のE653系電車特急「いなほ」酒田行
改築中の中条駅3番線に停車中のE653系電車特急「いなほ」酒田行。
「いなほ」は七両編成なので、停車位置ももっと手前に来ると思って身構えていたのですけれど、実際はこの位置。
これだと後部はあのホーム幅狭の危険ゾーンにかかってしまうでしょうに。

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2017年5月27日 (土)

間島駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・間島駅。

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新潟県村上市に所在する無人駅で、開業は大正13年(1924年)7月31日。
開業当時の所在は岩船郡上海府村でした。
上海府村は昭和29年3月末をもって、周辺諸町村と合併して市制を施行、新自治体の村上市の一部となって今日に至ります。

当時の鉄道の駅は特に地方線区であれば、概ね自治体一つに付き1駅というのが常態。
戦後まで駅が設けられなかった例も珍しくなかったのですが、ここ上海府村の場合は越後早川駅と間島駅の二駅が鉄道開通当初から設置されていました。
これは越後早川駅の記事で述べたように、岩船郡一体に強い影響力を持っていた大地主の市井家の影響力によるものとの事です。
当局の元々の計画では、上海府村に置かれる駅は越後早川駅-間島駅間の中間地点に当たる現在の上海府小学校付近。
しかしそれでは越後早川駅至近で炭を生産して出荷していた市井家にとっては、停車場までの距離が遠くて不便だと言うのです。
その後政治的な根回しが行われて、当初計画は修正されて従来の駅構想は破棄。
越後早川駅を設置し、そのままでは村上駅との間に12kmもの距離があるために、おそらくは信号場としての役割も期待されて、越後早川駅から約5km、村上駅から約7kmのここ間島の地に停車場が作られることになったのです。

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間島駅駅舎の様子、上は2006年11月、下は2013年6月撮影。
建築財産票によると、完成は昭和63年3月18日。
隣の越後早川駅同様、日本海を意識したような青い屋根が特徴の小品です。
駅前広場は広いものの舗装はされておらず、どこか茫洋とした印象です。
越後早川駅同様に駅舎出入り口に飲料の自販機がありますが、当駅周辺には他に自販機の類が無いので貴重な水分補給所になっています。

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1番ホームから見た間島駅駅前広場の様子、2010年6月撮影。
画像左奥にチラリと見えるのは日本海。

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羽越本線と並走する国道345号線の間島駅付近の様子、2013年6月撮影。
鉄道補完として、この国道には新潟交通観光バス運行の路線バス村上-寒川線が走っています。
当駅の他、越後早川、桑川今川越後寒川各駅への移動に使えますが、運行本数は一日2往復でしかも土休日運休・・・、駅巡り者にとっては実に残念です。

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国道345号線上の「間島」バス停、後方の建物はバスの待合室です、2010年6月撮影。
当時の路線バスは村上-馬下(越後早川駅から約4km、桑川駅から約2km地点で平成の大合併前の村上市と山北町の境)間と村上-桑川漁港間に設定されていました。
現在の土休日全便運休とは違って、通年運行が1往復、土休日運行が1往復と駅巡りに使える可能性があったダイヤ設定だったのです。

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国道345号線を村上方面に2km程歩いて、羽越線を跨ぐ陸橋上から海辺の下り線を見る、2004年9月撮影。
潮風吹きすさぶ海岸の手前にまで田圃があるのです。
日本の農家は逞しい。

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間島駅駅舎内部の様子、2010年6月撮影。
かつての窓口らしき辺りはシャッターで閉鎖されています。
内部には自動券売機が一台設置。

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ホーム側から見た駅舎出入り口の様子、2013年6月撮影。
ホームと駅舎に高低差があるのが間島駅構内の特徴のひとつです。

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跨線橋手前から見た間島駅駅舎とホームの位置関係、2010年6月撮影。
トイレは駅舎構内側の向かって右端にあり、当時は男女兼用でした。

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1番線(酒田方面乗り場)の越後早川駅方から見た間島駅構内の様子、2013年6月撮影。
線路が右にカーブしている上に、手前の物々しい架線柱がある為に眺めは個人的にはイマイチ。

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1番ホーム端から越後早川駅方を見る、2013年6月撮影。
古い時代の駅の常として、間島駅構内のホーム配置も千鳥型です。
ここから先は単線区間になっています。

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1番線横の旧貨物線跡、2013年6月撮影。

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1番ホームの村上駅方から見た間島駅構内、2013年6月撮影。

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間島駅跨線橋内部の様子、2013年6月撮影。
国鉄時代のローカル駅跨線橋の定番型です。
上部にある窓は固定式で、私の身長(170cm)では両手を一杯に伸ばしても撮影は困難。
残念ながら構内の俯瞰は断念です。
窓が固定なのは潮風が入ってくるのを防ぐ為か?と一瞬思いましたが、隣の越後早川駅の跨線橋は窓の位置がもっと低くて開閉式なのですよ。
と言う事は、海に近い事がこの構造の理由では無いわけで・・・。
何を基準にこういう構造にしているのか謎ですな。

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跨線橋出入り口から見た、間島駅島式ホーム(2-3番線)越後早川駅方の様子、2013年6月撮影。
ホーム上には待合室があるきりで、上屋はありません。
当駅の場合、旅客流動は圧倒的に村上指向でしょうから、乗客が列車を待つのはこのホームということになります。
しかし上屋は無く待合室も少し離れているので、雨の日などは跨線橋内に立ちんぼで待っているんでしょうかね。

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島式ホーム2番線の越後早川駅方から見た間島駅構内、2013年6月撮影。
千鳥配置の1番ホーム、その後背の駅舎と跨線橋、右側の旧貨物線跡が一同に写りこむこの辺りが、当駅構内で最も見栄えがする場所だと個人的に思います。
越後早川駅と異なって当駅の中線は健在でしたけれど、2017年3月改正ダイヤにおいて当駅での列車交換や普通列車の特急退避は無いので、少なくとも定期旅客列車については中線に入る事は無いようです。

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島式ホーム端から越後早川駅方を見る、2013年6月撮影。
間島駅構内の線路配置がよくわかります。

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間島駅島式ホーム上の待合室とその内部の様子、2013年6月撮影。
建築財産票によると完成は大正2年11月・・・って駅開業の11年前ですぜ!?
訪問するたびに控えているので間違ってはいないと思うのですが。
それはさておき、待合室は内外共に手を入れられているので、古めかしさはあまり感じさせません。
この時点でベンチはJR東日本定番型に更新済み。
けして忘れ去られた存在ではないのだなぁと安心しました。

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島式ホームの村上駅方から見た間島駅構内、2013年6月撮影。
列車が入線する機会があまり無いからなのか、2番線の枕木の色の薄さが目立ちます。

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島式ホーム端から村上駅方を望む、2013年6月撮影。
間島駅から村上駅までは複線で、線路は並列ではなく別線の形。
景色の良い日本海側を走るのは下り線です。

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間島駅1番線を出発するキハ40系気動車酒田行、2013年6月撮影。
羽越本線・村上-酒田間の主力車両として今なお君臨しているこの気動車も、来年度から後継の電気式気動車投入開始でいよいよ姿を消していくことになります。

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間島駅2番線に停車中のキハ40系気動車村上行、2004年9月撮影。

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間島駅3番線に停車中のキハ40系気動車村上行と、1番線を颯爽と駆け抜ける485系電車R編成の特急「いなほ」秋田行、2010年6月撮影。
海辺の小駅が華やぐ一瞬の光景です。

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間島駅1番線を通過し遠ざかる、485系電車R編成の特急「いなほ」酒田行、2013年6月撮影。

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間島駅3番線を通過する485系電車T編成の特急「いなほ」新潟行、2013年6月撮影。

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間島駅3番線に停車中の485系電車T編成の団体列車、2006年11月撮影。
1番ホームで酒田行普通列車を待っていたら、これが入ってきてこちらはビックリ。
跨線橋を駆け抜けて撮りまくったものです。
5分程停車していましたっけ。
2番線に停車していたら、もっと貴重な画だったのになぁ。

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間島駅1番線を通過するEF81形電気機関車牽引の下り貨物列車、2010年6月撮影。
かつての日本海縦貫線のヌシであったEF81もその命は今や風前の灯。
羽越本線の村上以北と言えば、かつてはこの機関車が牽引する旧型客車列車が主力だったのも遠い思い出の彼方。

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煙と共に間島駅1番線を通過中の、C57形蒸気機関車牽引の「SL出羽街道号」、2004年9月撮影。
当駅でのギャラリーは少なく、まったりとした雰囲気の中を通過していきました。
2番線に単機のEF81が停車しているのに注目。

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2017年2月19日 (日)

金塚駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・金塚駅。

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新潟県新発田市に所在する無人駅で、開業は大正3年(1914年)6月1日。
開業当時の所在は北蒲原郡金塚村で、同村内唯一の玄関駅でした。
金塚村は昭和30年に隣接する加治村と合併して新自治体の加治川村になります。
どちらかに編入されるのではなく、新たな村名を冠して再出発するあたりは、金塚村と加治村の力関係が拮抗していたことを窺わせます。
実際、村役場は両者のバランスを取るがごとく、金塚駅と加治駅の中間地点に置かれていたのです。
実際に行ってみても、加治川村は玄関駅が旧加治村の加治駅とはいっても、中核となる地域は無いようで、同じような規模の集落が村内に分散している印象を強く持つのです。
そんな加治川村も平成の大合併の号令下、平成17年5月に下越地方有数の都市である新発田市に編入されて、同市の東部地域となり現在に至ります。

かつての加治川村が、旧金塚村と旧加治村の両雄並び立っているような姿であったのを証明するかのように、旧金塚村の玄関駅である金塚駅と旧加治村の玄関駅である加治駅は駅の利用状況もほぼ同じです。
両駅が通年で委託駅であった平成15年度の一日平均乗車人員を見ると、加治駅は318人で同年度のJR東日本新潟県内有人86駅中62位、金塚駅は284人で86駅中67位です。
利用状況も完全無人化された時期もほぼ同じで、双子の兄弟のような両駅なのですけれど、駅の佇まいは全く異なるのがなかなか面白いところです。
双子なのに顔も体型も全く似ていないツインズのようであります。

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金塚駅駅舎の様子、2011年4月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和40年3月で、築半世紀の建物です。
この時期の駅舎の特徴として、やたら窓が大きく採光性が高いのがポイント。
しかし現在、常時活用されている空間は駅舎の半分弱といったところ。
かつての有人駅の御他聞に漏れず、遊休化が著しい駅舎なのです。
この時点では未舗装部分が大半の駅前広場は、ご覧のように車十台は停められる広さです。

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金塚駅前の様子、2014年4月撮影。
こちら側は旧金塚村以来の古い集落という趣。

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金塚駅駅舎内の様子、2011年4月撮影。
内部は昭和40年代の空気を濃厚に残しています。
画像上から二番目の左側に、旧窓口が板で塞がれもせず残っているのがポイント。
室内は流石かつての有人駅という広さですが、置かれたベンチはご覧の通りの少なさ。

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駅舎を出て構内に入りつつ振り返って一枚、2011年4月撮影。
西隣の加治駅同様に、駅舎とホームが離れた形態です。
羽越本線の新潟県内区間では、この形態の駅は他に月岡駅平木田駅、坂町駅、岩船町駅が該当します。

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金塚駅跨線橋内の様子、2011年4月撮影。
近隣の平木田駅同様、優等列車停車駅並みの広い通路を持つ堂々たる跨線橋です。
画像左側のホーム番号表示板が国鉄時代そのままで懐かしい。
しかし残念なことに、窓を開ける事が出来なかったので俯瞰マニアの私は残念無念。

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島式ホームの中条駅方から見た金塚駅構内の様子、2013年6月撮影。
画像右側が村上方面乗り場、真ん中が中線、左側が新潟方面乗り場です。

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島式ホームの先から中条駅方を見通す、2013年6月撮影。
この先、画像左手(日本海側)はしばらく田圃が続きます。
ちなみにここから海岸までは約6km。

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島式ホームの跨線橋及び上屋あたりの様子、2013年6月撮影。
このホームにはベンチがありませんので要注意。
ホームで駅撮りする場合、座るところが無くて待つのに少々難儀。
駅舎や隣のホームに、座るために行き来するのも面倒臭い微妙な距離感なのですよ。

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跨線橋直下の島式ホーム端から加治駅方面を見る、2013年6月撮影。
古い時代に作られた駅の常として、金塚駅のホーム配置も千鳥式です。

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島式ホームの左横の旧貨物引込線らしき線路、2011年4月撮影。

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島式ホームと駅舎の位置関係はこんな感じ、2011年4月撮影。

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ホームから見た金塚駅駅舎の様子、2011年4月撮影。
上屋の作りもしっかりしていて流石は国鉄全盛期の産物と言えましょうか。
築半世紀を経過した当駅駅舎は近い将来改築の話が出るのでしょうが、そうなったら駅舎(待合室)はこの上屋の面積程度で収まってしまうかも。
いやひょっとしてら待合室は造らずに、自動券売機を一台置いたきりの、跨線橋に繋がる上屋だけになってしまうかも。
そして島式ホームにベンチを設置すればそれで事足りてしまうかもしれませんな。
今の駅舎の建っている土地は更地にしてしまうでしょうから、駅前広場は際立って広大化するでしょう。

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新潟方面乗り場の加治駅方から見た金塚駅構内の様子、2011年4月撮影。
優等列車停車駅に引けを取らない、堂々たる構内が当駅の魅力であります。

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新潟方面乗り場の中条駅方から見た金塚駅構内、2013年6月撮影。
構内は広いものの上屋がごく小さい辺りは、当駅が営業上はローカル駅に過ぎない証と言えましょう。
国鉄時代に設定されていた快速列車も、加治駅には停車し当駅は通過していましたっけ。

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新潟方面乗り場の端から中条駅方を見る、2013年6月撮影。
中線と上下本線の分岐がよくわかります。
近年はダイヤの整理で金塚駅のせっかくの中線も活用はあまりされておらず、2016年3月改正ダイヤでは定期列車は夜の945M村上行が快速「らくらくトレイン」村上行に道を譲るのみになっています。

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新潟方面乗り場の上屋と跨線橋出入り口周りの様子、2011年4月撮影。
島式ホームとは違ってこちらにはベンチが置かれており、自動券売機も設置されています。
実はこちら側にも駅出入り口があって、外へ出ればそこは行き交う車の切れ目の無い国道八号線。
観察した限りでは、本来の駅舎よりもこちら側からホームに入る利用者が多い印象です。
周辺人口的には、駅の南北は拮抗しているようにも見えるのですけれど。
駅が無人化された現在では、跨線橋は駅の南北を連絡する自由通路としての機能が高いようにも見受けられます。
踏切は少々距離があり、歩行者には負担を強いているのでなおの事なのです。

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国道八号線に面した金塚駅南口の様子、2011年4月撮影。
上屋付きの駐輪場が道路に沿って並んでおり、この辺もこの南口の人気の理由かも。

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国道八号線金塚駅付近の様子、2011年4月撮影。
駅南口から信号を渡るとセブンイレブンがあります。
この店は20年前の道路地図にも載っていて、おそらく優良店なのでしょう。
この辺りでは唯一のコンビニですし、交通量の多い国道に面していてしかも駅前という立地の良さです。
なお、この国道にはバス路線は設定されておらず、金塚駅の公共交通アクセスは羽越線のみになっています。

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新発田方の踏切から見た金塚駅構内の様子、2011年4月撮影。

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金塚駅に到着した115系電車新潟行、2013年6月撮影。

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今では羽越本線からはその姿を消した、E127系電車村上行が金塚駅に停車中、2014年4月撮影。
羽越線では運行本数の少ない電車だったので、撮影のスケジュールを組むのが中々面倒でしたっけ。

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金塚駅に到着したキハ40系気動車新津行、2013年6月撮影。
昔なじみのこの気動車とも、新潟地区ではあと数年でお別れ。

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金塚駅を出発するキハ110系気動車米沢行、2013年6月撮影。
撮影可能な時間帯にこの気動車が金塚駅を通るのは、快速「べにばな」と昼過ぎの回送列車を除けば朝の酒田行と夕方のこの列車のみです。

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金塚駅構内に進入する485系電車R編成の特急「いなほ」新潟行、2013年6月撮影。

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夕刻の金塚駅で運転停車中の485系電車国鉄特急色の特急「いなほ」酒田行、2013年6月撮影。
この先村上方面は単線区間の為、快速「きらきらうえつ」の通過待ちです。
「いなほ」がE653系電車に更新されてからは、「いなほ」のスピードアップで金塚-加治間の複線区間でのすれ違いになった為、当駅での運転停車は解消されています。

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「きらきらうえつ」との行き違いを終えて、中条駅に向かって出発した特急「いなほ」、2013年6月撮影。

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春の穏やかな陽を浴びながら金塚駅を通過するE653系電車の特急「いなほ」新潟行、2014年4月撮影。

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金塚駅を通過するEF510形電気機関車牽引の貨物列車、2014年4月撮影。

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2017年2月11日 (土)

越後早川駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・越後早川駅。

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新潟県村上市に所在する無人駅で、開業は大正13年(1924年)7月31日。
開業当時の所在は岩船郡上海府村でしたが、、同村内の駅は羽越本線・村上-鼠ヶ関間開通時に当駅と西隣の間島駅の二つが置かれています。
当時は、特に国有鉄道の場合は一村に一駅あれば上出来で、鉄道が通っているのに後年になるまで停車場や停留所は未設置という例も珍しくはありません。
にも関わらず当時の上海府村内に二駅設置という好待遇を受けたのは、岩船地域一帯に強い影響力を持っていた関川村の市井家の意向があったという話です。
羽越線の当初計画では、上海府村内には越後早川駅と間島駅の中程に駅を置く計画だったそうですが、そうなると早川地区の山林で炭を作って重要な商売にしていた市井家にとっては、炭を鉄道で出荷する場合、予定停車場にはやや距離があるのです。
市井家がどの程度当局に働きかけを行ったのかは定かではありませんけれど、結局早川地区に停車場を置くことになり、それが現在の越後早川駅になります。
しかしそうなると隣の村上駅との距離は12kmになってしまい、少々距離が空いてしまいます。
当時の列車の平均速度が30km/hとすると、12kmを走るのに要する時間は24分。
となると列車の運行頻度は毎時一本という計算になります。
それでは輸送力不足と判断されたのか、村上駅に近い位置にもう一駅置かなければならないという事で、追加設置されたのが間島駅なんだとか。
そのお陰で割を食ったのが当初の駅設置予定地区で、おらが村のおらが地区の駅と喜んでいたら、鉄道が開通してみたら越後早川、間島両駅に2km以上ある不便な地になってしまったのです。
あちらを立てればこちらが立たず、なんとも気の毒というか難儀な話なのであります。
私鉄なら敷地を提供すれば停留所ぐらいは作ってくれそうですけれど、当時の国有鉄道ではそういう融通無碍な事はしませんしねぇ。
なお上海府村は戦後の昭和25年に岩船郡瀬波町に編入され、昭和29年には周辺諸村と共に村上市に合併編入されて今日に至ります。

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越後早川駅駅舎の様子、2004年8月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和63年3月。
時期的に日本がバブルで踊り出し始めた頃の建物ですが、そういう浮ついた感じが無い端正な小品という佇まいです。
駅前広場は広大ですが、ご覧のように舗装はされていません。
周囲に何も無い当駅訪問者にとって、駅出入り口横の飲料自販機の存在は貴重です。

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越後早川駅駅舎内の様子、2010年6月撮影。
待合室内は壁に沿って造られた木のベンチと置き型のベンチと自動券売機。
上の画のドアの向こうは保線の休憩所なのか倉庫なのか、はたまた掲示板になっているところが旧窓口で駅舎改築後に有人だった時期があったのか。
想像を逞しくさせられるところです。
なおトイレは駅舎のホーム側にありますが、この時点では男女共用ながら水洗型になっていました。
現在のところ、私が当駅を訪れたのは2013年が最後なのですが、昨今のトイレバリアフリー化の波に乗って当駅のトイレ事情はその後果たしてどうなっているのやら。
駅巡りをしているとトイレの問題は実に切実な話なのですよ。

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酒田方面乗り場の桑川駅方から見た越後早川駅構内の様子、2010年6月撮影。
昔の駅らしく、このようなローカルなロケーションでもホームも構内も広大。

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同じく桑川駅方を見通す、2010年6月撮影。

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旧貨物引き込み線とホーム跡の様子、2010年6月撮影。
当駅の開業当時は前述の炭の出荷で賑わったのでしょうね。

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酒田方面乗り場の駅舎と跨線橋の位置関係、2010年6月撮影。

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跨線橋出入り口から振り返って一枚、2010年6月撮影。
トイレの出入り口は画像左の通路の左側です。

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酒田方面乗り場の間島駅方から見た越後早川駅構内、2010年6月撮影。
当駅も昔の駅の常としてホーム配置は千鳥式ですが、越後曽根駅のような極端なものではありません。
その辺が国有鉄道と地方私鉄の違いと言うべきなのかどうか。

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越後早川駅跨線橋内の様子、2010年6月撮影。
通路は狭く国鉄後期の無人駅標準仕様ですが、利用が少ないからなのか内部は比較的綺麗です。
白色に深緑のラインというのが清潔感を演出しているように見えます。

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跨線橋内から間島駅方面を見る、2013年5月撮影。
画像中央にかつての中線の未撤去の線路が見えます。

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同じく桑川駅方面を見る、2013年5月撮影。
こちら側の中線は撤去済みです。

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島式ホームの桑川方から見た越後早川駅構内、2010年6月撮影。

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跨線橋出入り口から見た越後早川駅島式ホームの様子、2010年6月撮影。
旧中線側のホームの白線は既に風化したように消えていたので、線路が撤去されて使われなくなってからかなり経っているように思われます。

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Echigohayakawa0160610
越後早川駅島式ホーム上の待合室と内部の様子、2010年6月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和43年10月。
面積は駅舎の約半分で、跨線橋内と同様、ゴミも散らかっておらず清潔ですが使用感はあまり感じられません。

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島式ホームの村上方面乗り場の間島駅方から見た越後早川駅構内、2010年6月撮影。

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島式ホームの間島駅方から先を見通す、2010年6月撮影。
中線以外に機関車の待機線も敷かれていそうな感じ。

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越後早川駅を出発するキハ40系気動車二連の酒田行、2013年6月撮影。
新潟地区向けの電気式気動車導入も近く始まり、この昔懐かしい情景が見れるのも後数年となりました。

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越後早川駅に停車中のキハ110系気動車二連の酒田行、2010年6月撮影。
この当時も現在も、キハ110系を当駅で撮影出来るのは朝の新津発酒田行のこの列車のみです。
上り列車は日が最も高い時期でも、桑川駅の夜七時が限界なのですよ。
くだんの新型気動車は新潟、秋田、八戸の各地区に配置するようですが、そうなると郡山にキハ110系を集中配置するのかもしれません。
そうなると羽越線や米坂線のキハ110系も新型気動車に置き換えられる事になるわけで、駅に停車中の画をまだ撮影していない間島、今川越後寒川府屋各駅で早急に実行しなければなりますまい。
しかしキハ40系に対するような思い入れはこの形式には無いので、あまり気合が乗らないのが困ったところ。
E127系電車もそんな感じで、新津-長岡間ではほとんど撮りませんでしたっけ。

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越後早川駅を通過する485系電車R編成の特急「いなほ」新潟行、2010年6月撮影。
来る2017年3月改正でこの電車の定期運行も終了です。
大いなる一つの時代がいよいよ終わってしまい、実に寂しい。

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越後早川駅を通過する485系電車T編成の特急「いなほ」酒田行、2013年6月撮影。

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越後早川駅至近の羽越本線と並走する国道345号線、2013年5月撮影。
付近に信号機が無いので、車は高速で走る手合いが多いのです。
撮影横断には注意が必要です。

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国道にある路線バスのバス停「早川駅前」、2013年5月撮影。
このバス停には2017年2月現在、新潟交通観光バス運行の村上-寒川線が停車していますが、一日二往復で土休日は全便運休です。
私が当駅を初めて訪れた2004年秋の時点では、ここから桑川方面に4kmほどの馬下止まりだったので、桑川やその先の今川、寒川までバスで直接行けるようになったのは駅巡りの身にとっては実にありがたい話なのです。
しかし土休日運休というのはねぇ・・・まぁ病院通いのお年寄りが主要な顧客なんでしょうし、それは仕方が無い事ではあるのですが。

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道路から見た春の日本海、画像中央に見える島は粟島です、2013年5月撮影。
この時はここで海を眺めながらコンビニ弁当を食したのですが、後方にカモメたちが多数集まってきましたなぁ。
試しにご飯をあげても食べようとはせず逃げようともせず、ただ並んでこちらを凝視するのみ。
鳥たちの視線を背中に感じつつ、潮風に吹かれながらメシを食べる皐月の長閑な昼下がりです。

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越後早川駅を出発して隣の間島駅まで約5kmの歩きです、2010年6月撮影。
道路の右側が墓地になっています。
海岸手前まで山地が迫り、平地が狭いこの地域では、墓地の土地確保に難渋した為なのか平地の人目に付くところでこういう風景が間々見られます。

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越後早川駅と間島駅の中間地点にある上海府小学校付近の様子、2010年6月撮影。
鉄道敷設の当初計画では、この辺りに停車場を置く予定だったとの事です。

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国道をぷらぷらと一時間ほど歩いて、間島界隈に到達、2010年6月撮影。
所謂「笹川流れ」からは外れている海辺の道ですが、こちらの風情もなかなかどうして。
青い空と海と遠い島影を眺めながら歩くのは実に楽しい事なのですよ。

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2016年1月23日 (土)

桑川駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・桑川駅。

桑川駅の駅名票


新潟県村上市に所在する無人駅で、開業は大正13年(1924年)7月31日。
開業当時の所在は岩船郡下海府村で、同村は昭和30年に周辺諸村と合併して山北村となり、桑川地区はその東部地域になります。
同村はその十年後に町制を施行して新潟県最北の町・山北町になりましたが、平成の大合併により平成20年に周辺町村と共に村上市と合併して今日に至ります。

日本海と海岸近くまで迫る山地の狭間にある桑川地区は、かつては交通不便の地ゆえに海産物の出荷もままならず、当地で作られる良質な木炭が生活の糧だったと聞きます。
そうした生活に陽が差したのが羽越本線の延伸により当地に駅が設置されたことで、鉄道を使う事で海産物の出荷がようやく可能になり、駅近くの桑川漁港が作られたのも鉄道開業なんだとか。
鉄道の威力とその波及効果を表す小典型と言えましょう。

桑川駅舎と道の駅遠景
桑川駅舎と道の駅近景
桑川駅舎の様子、上が2010年6月、下は2003年11月撮影。
駅舎と言っても実際の駅スペースはごく僅かで、大半は「道の駅笹川流れ」です。
地域活性化の為に県の補助を受けて平成5年2月に道の駅に登録されたそうで、レストランと物産販売コーナー、観光案内コーナーを併設しており、国道345号線の重要な休憩施設になっています。

桑川駅待合室内の様子
桑川駅待合室内の様子、2010年6月撮影。
これはホーム側を見た画で、反対側の国道側出入り口前に自動券売機が一台設置されています。
これだけ大きな道の駅の建物でありながら、桑川駅としての空間はこの待合室のみなのです。
この地に多大な恩恵をもたらした鉄道の時代は去り、人もモノもクルマクルマで鉄道はほんの付録という地方過疎地域の現実を体現しているかのようですな。

下りホーム今川方から見た桑川駅構内
1番ホーム(酒田方面乗り場)の今川駅方から見た桑川駅構内、2013年5月撮影。
大正生まれの長大なホームに停車する旅客列車の最長編成は、快速「きらきらうえつ」四連で、他は気動車2~3両に過ぎません。
ホーム右側は道の駅の駐車場で、休憩しながら興味深そうに短編成の気動車列車や通過する特急「いなほ」を見物する人たちをよく見ます。
あくまでも見てるだけーで、鉄道と言えば遠出や出張で新幹線を使うだけ、トロくて不便な気動車なんて乗りませんことよといった感じのギャラリーさんたちです。

下りホーム今川方先端部から先を見通す
1番ホームの今川駅方から先を見通す、2013年5月撮影。
この先は単線区間になっています。

桑川駅一番ホーム中央部の様子
1番ホーム中央部の様子、2004年9月撮影。

桑川駅跨線橋内の様子
桑川駅の開放感ある跨線橋の様子、2010年6月撮影。
今川方面へは遮るものもなく俯瞰で存分に撮影できます。
眺望を良くしているのは、ここから先が笹川流れであることが多少は関係しているのかも。

跨線橋上から見た今川方面
跨線橋上から今川方面を望む、2013年5月撮影。
線路の手前まで迫る山地、大正生まれの構内、駅の利用実態に対してあまりに巨大な建物、本線と比べて使用頻度が少ないのがよくわかる中線の様子。
俯瞰マニアとしては中々に興味深いのがこのポイント。
海がチラ見してくれれば最高なんですけど。

跨線橋上から見た越後早川方面
同じく越後早川方面を望む、2013年5月撮影。
こちら側はは固定窓になっていて、汚れた窓越しにしか撮影出来ないのが俯瞰好きとしては不満なところ。
こっちは海が見えるんですけどね。

二番ホームの越後早川方から見た桑川駅構内
中線の2番ホーム越後早川駅方から見た桑川駅構内、2013年5月撮影。
表側に比べてなんとも色気の無い跨線橋裏手。

島式ホーム越後早川方先端部から先を見通す
島式ホームの村上方から越後早川駅方を見通す、2013年5月撮影。
こちら側は複線区間になっています。

島式ホーム中央から見た道の駅と跨線橋の位置関係
島式ホーム中央から見た道の駅の建物と跨線橋の位置関係、2010年6月撮影。
道の駅の建物の巨大さを実感できる一枚。

中線側の今川方から見た桑川駅構内
中線側の今川駅方から見た桑川駅構内、2004年9月撮影。
こちら側から午前中の下り列車を狙うのが構内撮影のベストかと思います。

島式ホーム上の待合室の様子
桑川駅島式ホーム上の待合室内部の様子、2010年6月撮影。
建築財産票によると昭和26年6月撮影。
利用者が少ないからなのか清掃が行き届いているからなのか、室内は綺麗。
近年は駅の待合室のベンチも、無人駅といえども茶色い一人がけのモノに換わってきていますが、この当時は数世代前のモノでした。
今はどうなっているのやら。

三番線の越後早川方を見る
島式ホーム3番線側から越後早川駅方を見る、2013年5月撮影。
待合室から手前の遊休化部分は雑草が生えていい具合に枯れた雰囲気。

島式ホームの今川方先端部から先を見通す
島式ホーム今川駅方から先を見通す、2013年5月撮影。
中線はまず3番線と合流ののち1番線と合流して一本になっています。

桑川駅で行き違う上下のキハ40系
桑川駅で行き違う上下のキハ40系気動車列車、2013年6月撮影。
日が長い時期とはいえ夕方四時過ぎなので逆光気味なのが辛いところ。
新津行普通列車が中線で待機して上り貨物列車を先行させ、貨物列車通過直後に下り酒田行が桑川駅に到着というシチュエーションです。

桑川駅三番線に進入するEF510型電気機関車牽引の貨物列車
新津行普通列車が2番線に待機中の桑川駅の3番線に進入する、EF510型電気機関車牽引の貨物列車、2013年6月撮影。

桑川駅に到着したキハ110系
桑川駅に到着したキハ110系気動車新津行普通列車、2010年6月撮影。
キハ110系はこの界隈では少数派で、当駅で日のあるうちに撮影出来るのは、日の長い季節でも朝の酒田行とこの列車だけです。

桑川駅に停車中の快速「きらきらうえつ」
桑川駅3番線に停車中の快速「きらきらうえつ」、2013年6月撮影。
桑川駅には優等列車の定期停車実績は無く、金土休日運転の全車指定快速「きらきらうえつ」が優等に準ずる列車停車の唯一の例かと思います。
この日はこれを撮影したのち車上の人になって帰宅。
梅雨時の観光閑散時期でもあり、当駅で乗車したのは私一人。
指定が取れれば特急「いなほ」よりも安上がりで良いですなこの列車は。
まぁ繁忙期は子供が煩いので敬遠しますけど。

桑川駅を通過する485系国鉄特急色の特急「いなほ」
桑川駅1番線を通過する485系電車国鉄特急色の特急「いなほ」秋田行、2013年6月撮影。

桑川駅を通過する485系R編成の特急「いなほ」
3番線を通過する485系電車R編成の新潟行特急「いなほ」、2013年6月撮影。

道の駅のサンセットブリッジ上から見た国道345号線の今川方面
「道の駅笹川流れ夕日会館」から海岸に伸びる「サンセットブリッジ」上から国道345号の今川方面を望む、2013年5月撮影。

道の駅のサンセットブリッジ上から見た国道345号線の越後早川方面
同じく越後早川方面を望む、2013年5月撮影。
かつては公共交通機関で桑川まで来るには羽越線のみでしたが、現在は新潟交通観光バスの路線バス村上-寒川線が運行されています。
ただし一日二便で土休日運休なので駅巡りには使い難いのが残念。

夕日階段から見た海岸の今川方面
「サンセットブリッジ」を渡って「夕日階段」から海岸沿いの今川方面を見る、2013年5月撮影。
ここから先が笹川流れです。
画像中央に見えるのが桑川漁港。

桑川港の様子
桑川駅から今川方面に1km弱の桑川漁港の様子、2006年11月撮影。

桑川漁港に係留中の笹川流れ遊覧船「ゆうなぎ」
桑川漁港に係留中の笹川流れ遊覧船「ゆうなぎ」、2013年6月撮影。
フネの揺れに弱いというか海に畏怖の念を持つ私は未だ乗船経験無し。
佐渡汽船のフェリーでさえ怖いのです。
この遊覧船と粟島汽船のフェリーは乗ってみたいものの海に乗り出す怖さが上回っていて毎年決心が付かず先送りの有様です。
遊覧船はこのフネと「おばこ丸」の二隻体制で、運行期間は3月末から11月中旬まで。

桑川漁港手前の砂浜から桑川駅方面を望む
桑川漁港手前の砂浜から桑川駅方面を望む、2013年6月撮影。
漂着かはたまたポイ捨てか、ゴミが多いのに閉口しましたなぁ。

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2016年1月17日 (日)

中条駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・中条駅。

2017年8月記、
中条駅は2016年12月をもって旧駅舎の営業を終了し、橋上駅舎完成までの間は仮駅舎で営業しています。
仮駅舎と工事中の駅構内の様子については「改装中の中条駅」をご覧下さい。

中条駅の駅名票

新潟県胎内市に所在する有人駅で、開業は大正3年(1914年)6月1日。
開業当時の所在は北蒲原郡中条町で、同町は周辺諸村を逐次合併編入して町勢を拡大。
新潟県内の町としては亀田町や六日町と共に、小さな市よりも存在感の大きい屈指の存在でした。
平成の大合併では隣接する黒川村と合併して新自治体「胎内市」が誕生し、中条駅は人口三万人の新たな市の玄関駅になりました。

古くから県北地域の人口集積地域の一つであった中条町でしたが、産業構造は昔ながらの農業中心でした。
しかし昭和31年に日本海に面する村松浜で天然ガスの試掘に成功し、大手のガス化学工業会社が当地に進出。
さらに昭和37年に新潟県では初の「低開発地域工業開発促進法」に指定されて、県北
地域最大の工業地帯に変貌していったのです。
当駅構内西側の側線群はそれに伴って整備されたもので、当駅から北に2km弱にある(株)クラレ中条事業所へは専用線が引かれていました。

さてJR東日本によれば、2014年度の中条駅一日平均乗車人員は1,193人で、同新潟支社新潟県内有人67駅中33位。
新潟支社では駅への自動改札機導入の下限は基本的に一日平均1,000人程度で、中条駅は新潟都市圏の駅を除けば五泉駅と共にその最下限に属しています。

中条駅駅舎遠景
中条駅駅舎近景
中条駅舎の様子、上は2012年5月、下は2003年11月撮影。
平屋の典型的国鉄様式というべき建物で、建築財産票によると昭和41年11月の完成。
この建物の驚異的なのは、許容積雪量が360cm!であることです。
財産票の表記の間違いじゃないの?と疑ってしまう数字。
駅の改築に中条町が費用負担をしたのかどうかは残念ながら定かではありませんが、もししたのであればそれほど剛健な建物に出来るほど町の財政に余裕があったという事でしょうか?
駅前広場はロータリーになっていて、タクシーが数台待機しております。
ロータリーに発着する路線バスは中条-新発田線で、平日のみの運行で一日四往復→ダイヤはこちらへ
なおこの路線は海岸側の県道経由なので、金塚加治両駅へのアクセスには使えません。
ちなみに「路線バスの旅」青森-新潟編で一行が乗り継ぐ予定だったのがこの路線。
最終便に乗れれば、新発田で新潟行き最終便に余裕で乗り継げるはずだったのですよ。
また当時は平木田-中条間にコミュニティバスが走っていて、一行はギリギリそれに乗れたのですが、現在は廃止されています。
現在あのルートを進むとなったら、坂町-中条間は歩く以外の選択無しですな。

2013年6月時点のu中条駅駅舎内の様子
2008年4月時点の中条駅駅舎内野様子
駅舎内の様子、上は2013年6月、下は2008年4月撮影。
下の画像撮影時点では待合室内でキオスクが営業中でした。
営業時間は07:00~17:30。
当駅至近にコンビニは無く、スーパーウオロクへは少々歩くのでちょっとした買い物に重宝する存在でしたけれど、時流には抗えずにこの半年後に撤退。
この時期は県内の駅でキオスク撤退が相次いでいました。
キオスク跡は観光案内所になりましたが、担当のおねいさんが一人いるだけの正直力を入れているとは言い難い印象で、上の画像撮影時には売店を併設していましたけれど、品揃えはキオスクより明らかに見劣りするものでしたね...。

一番ホーム中央部の様子
1番ホーム中央部の様子、2011年4月撮影。
国鉄時代ほぼそのままのスタイル。

一番ホーム新発田方から見た中条駅構内
1番ホーム(新潟方面乗り場)金塚駅方から見た中条駅構内、2011年4月撮影。
画像右手のコンテナ群はJR貨物に所属するオフレールステーションのモノ。
貨物列車による輸送は過去帳入りになって久しい当駅ですが、物流拠点としての機能は未だ健在。

一番ホーム新発田方から金塚方面を見通す
1番ホーム金塚駅方から先を見通す、2011年4月撮影。

一番ホーム村上方から見た中条駅構内
1番ホーム平木田駅方から見た中条駅構内、2011年4月撮影。
中線(二番線)のホーム有効長が本線のそれよりもずっと短いのがよくわかります。

中条駅跨線橋内の様子
中条駅跨線橋内の様子、2012年5月撮影。
国鉄時代の急行列車停車駅として標準的な広さですな。
画面奥の窓の上に防犯カメラが見えます。
私は遭遇したことがないのですけれど、噂では当駅利用の学生諸君のお行儀はよろしくないのだとか。
一説では下越地方のヨコヅナという声も。

跨線橋上から金塚方面を望む
跨線橋上から金塚駅方を望む、2012年5月撮影。

跨線橋上から平木田方面を望む
同じく平木田駅方を望む、2012年5月撮影。

二番ホーム新発田方から見た中条駅構内
2番ホーム金塚駅方から見た中条駅構内、2012年5月撮影。
中条駅では、2015年3月改正現在で普通列車の特急退避が一日二回行われております。

三番ホーム新発田方から見た貨物側線群
3番ホーム金塚駅方から貨物側線群を見る、2012年5月撮影。
胎内市による中条駅西口整備事業では、この広大な空間を活用して西口を整備し、同時に駅舎を橋上化するとの事です。
事業計画は平成29年度までになっているので、話が順調に進めば再来年には新たな中条駅の姿を見られるのでしょうか。
→計画についてはこちらを。

中条駅島式ホーム上から金塚方面を望む
島式ホーム上から金塚駅方を望む、2011年4月撮影。

島式ホーム上から見た駅舎の様子
島式ホーム上から見た駅舎の様子、2011年4月撮影。
こうした典型的国鉄風を見れるのも、あと僅かなのでしょうね。

二番ホーム村上方から平木田方を見る
二番ホーム村上方から平木田駅方を見る、2011年4月撮影。

三番ホーム村上方から金塚方と側線群を見る
三番ホーム村上方から金塚駅方と側線群を見る、2011年4月撮影。

2008年4月時点の中条駅前の様子
2012年5月時点の中条駅前の様子
中条駅前の様子、上は2008年4月、下は2012年5月撮影。
下の画像中央の道を進むと旧中条町の中心地区へ至ります。
中心地区は核となる店舗が無く、道も狭いので大規模な再開発無しでは活性化は難しいなあという印象で、商業集積は当駅から平木田方に数百mのスーパーウオロクから市役所にかけて集中しているよ
うです。
クラレを始めとした事業所群からは近いので、商売上はその方が良いのでしょうね。

中条駅から出発する115系電車
中条駅1番線から出発する115系電車の新潟行普通列車、2013年6月撮影。
中線では下り貨物列車が待機中。

中条駅から出発するE127系電車
1番線から出発するE127系電車の新潟行普通列車、2013年6月撮影。

中条駅から出発するキハE120+110気動車の快速「べにばな」
中条駅3番線から出発するキハE120+110気動車の快速「べにばな」米沢行、2011年4月撮影。

中条駅二番線で特急退避待機中のキハ40系
中条駅2番線で特急退避待機中のキハ40系酒田行普通列車、2014年4月撮影。

中条駅に停車中のキハ52形
今では完全に過去帳入りとなったキハ52を後部とした夕刻の米沢行普通列車と貨物側線のタンク車、2004年9月撮影。

中条駅に停車中の485系R編成特急「いなほ」
3番線に停車中の485系R編成秋田行特急「いなほ」、2012年5月撮影。
新潟-中条間は約40kmで自由席特急券が¥510と安上がりなのと、時間帯によっては普通列車が過疎ダイヤなせいか中条駅でのいなほ利用はかなり多い印象を受けます。
当駅に特急列車が停車するようになったのは、うろ覚えでいささか恐縮ですが昭和53年10月改正ではなかったかと思います。
ちなみに昭和55年10月改正ダイヤにおける中条駅の優等列車停車は下記の如しです。

下り
803  寝台急行天の川    06:19発 秋田行
811D 急行羽越1号             秋田行
612D   べにばな2号    07:58発 仙台行
501  急行きたぐに      09:48発 青森行
2041M特急いなほ1号    11:48発 秋田行
501D 急行しらゆき      15:13発 青森行
2043M特急いなほ3号    15:46発 青森行
813D 急行羽越3号      16:11発 秋田行
614D   べにばな2号           仙台行
2045M特急いなほ5号    19:46発 秋田行

上り
2042M特急いなほ2号   09:57発 上野行
812D 急行羽越2号     11:19発 新潟行
611D 急行べにばな1号  11:55発 新潟行
502D 急行しらゆき     13:38発 金沢行
2044M特急いなほ4号   13:58発 上野行
814D 急行羽越4号     16:26発 新潟行
2046M特急いなほ6号   17:06発 上野行
502  急行きたぐに     20:11発 大阪行
613D 急行べにばな3号  21:18発 新潟行
802  寝台急行天の川   22:00発 上野行

中条駅を通過する優等列車は、寝台特急「日本海」二往復と夜行急行「鳥海」でしたが、前者はわかりますけれど後者が停車しないのは少々腑に落ちないところです。
坂町駅には停車するのに、当駅はスルー...。
「鳥海」は新聞輸送も使命の一つで、中条駅は新聞輸送の拠点駅ではなかったとすれば通過もわからないではないですが。
でも羽越線内の他の急行停車駅の大半には停車してるんですよね。
吹浦駅には上下共、鼠ヶ関駅には下りが停車していますし。
特急停車駅で通過なのは中条駅のみ。

中条駅を出発するE653系電車特急「いなほ10号」新潟行
中条駅を出発するE653系電車特急「いなほ7号」秋田行
中条駅が最も華やぐ一時、2014年4月撮影。
酒田行831Dを2番線で待機させ、1番線からE653系電車特急「いなほ10号」新潟行が、3番線からは同じく特急「いなほ7号」秋田行が同時発車です。

中条駅二番線で待機中のEF81形電気機関車牽引の下り貨物列車
中条駅2番線で待機中のEF81形電気機関車牽引の下り貨物列車、2013年6月撮影。

中条駅を通過するEF81形電気機関車牽引の上り貨物列車
酒田行普通列車を待機させて1番線を通過するEF81形電気機関車牽引の上り貨物列車、2004年9月撮影。

平木田方の踏切から見た中条駅構内
平木田駅方の踏切から見た中条駅構内、2008年4月撮影。
金塚方駅至近に踏切は無く、駅至近で東西を結ぶ道はこれしかなく、道幅も狭いことから駅西に宅地が広がっている現状では朝晩の渋滞が相当のモノであろうことは容易に想像できるところ。

踏切から平木田方を見る
踏切から平木田駅方を見る、2008年4月撮影。
画像左側の線路が撮影の前月に廃止されたクラレ専用線です。
羽越線の線路に比べて規格が明らかに違うのがよくわかります。

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2016年1月10日 (日)

平林駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・平林駅。

平林駅の駅名票

新潟県村上市に所在する無人駅で、開業は昭和27年(1952年)5月15日。
当駅の前身は仮乗降場で、ウィキペディアには昭和25年に開設とありますが、私が当たった資料や他サイト様では昭和19年開設とあります。
羽越線では戦時中に輸送力増強の為に神山駅中浦駅がまず信号場として開設されていますけれど、当駅の仮乗降場としての開設が昭和19年であるのならば、やはり信号場としてまず開設が計画されて、仮乗降場としての機能も追加されることになった為に開設
当初から「仮乗降場」としてアナウンスされたと考える事が出来て、当駅の出自としてはこちらが自然な流れかなぁと考えるところなのですが、確定的な資料が無い以上推測の域を出ません。

ともあれ当時日本各地であった信号場や仮乗降場の駅昇格請願の流れに乗って、平林信号場は昭和27年に駅昇格を果たし現在に至ります。
なお駅昇格時の所在は岩船郡平林村で、同村は昭和30年に隣接諸村と合併して神林村となりますが、同村の玄関駅は村役場が隣接する東隣の岩船町駅でした。
神林村は平成の大合併で平成20年(2008年)4月1日に周辺市町村と合併して新たな村上市の一部となり今日に至ります。

2013年9月時点の平林駅駅舎の様子
2003年11月時点の平林駅駅舎の様子
平林駅舎の様子、上は2013年9月、下は2003年11月撮影。
建築財産票によると竣工は平成10年(1998年)1月27日。
許容積雪量は130cmですが、近年この地域でそこまで積もるのは極めて稀でしょうね。
駅舎は待合室とトイレのみの建物で、待合室は窓が広く大きくて見映え良し防犯上も良しの良デザイン。
下の画像は当駅初訪問時の一枚で、この時点で既に自動券売機が一台設置されていました。
当駅が無人化されたのは昭和47年9月との事ですが、これは羽越本線・白新線全線電化と引き換えの合理化施策のようです。
この時期は線内の多くの駅が無人化や貨物・荷物の取り扱い廃止の憂き目を見ています。

平林駅西口駅前の様子
平林駅西口駅前の様子、2013年9月撮影。
こちら側は半農半住の地域で、旧平林村の中心集落もこちら側だったのでしょう。
自転車の駐輪スペースはご覧の通りで、簡易なモノでいいから村の予算で上屋を付けてやればいいのにと部外者は思うところです。

西口側ホームの坂町方から見た平林駅構内
西口側ホーム(村上方面乗り場)の坂町駅方から見た平林駅構内、2013年9月撮影。
ホーム上の雑草の有無で、列車停車の境界が判別できます。

西口側ホーム中央部の様子
西口側ホーム中央部の様子、2011年4月撮影。
駅舎と跨線橋、東側ホームの待合室の位置関係がわかります。

西口側ホーム村上方から岩船町駅方を見通す
西口側ホーム村上方から岩船町駅方を見通す、2011年4月撮影。
黄色い線が無いことから、この辺りは列車の停止位置から外れて完全に遊休化しているのがわかります。
昔は長編成の客車列車がホーム有効長一杯に停車していたのでしょうに、今では最大七両、E129系に統一後は最大六両になるのは確実です。

平林駅跨線橋内の様子
平林駅跨線橋内の様子、2011年4月撮影。
国鉄時代のローカル駅定番のスタイル。
上の窓は固定されていますが、下の窓は開閉可能なのが俯瞰好きな私にとっては大いなる福音。
まぁ窓を開ける酔狂な御仁は他にいませんから、窓とその下は汚くておっそろしい事に。

平林駅跨線橋から見た岩船町方面
その開く窓から岩船町駅方を望む、2011年4月撮影。
平林駅から村上駅までは単線区間になりますが、当駅の有効長は往年の長編成貨物列車も十分収まりそうな長大なものになっております。

平林駅跨線橋から見た坂町方面
同じく坂町駅方を望む、2011年4月撮影。

東口側ホームの岩船町方から見た平林駅構内
東口側ホーム(新潟方面乗り場)の岩船町方から見た平林駅構内、2011年4月撮影。
こちら方では東口側ホームが張り出した形になっています。

東口側ホームの坂町方から先を見通す
同じく坂町駅方から先を見通す、2011年4月撮影。

平林駅東口側ホーム待合室内部の様子
平林駅東口側ホーム待合室内部の様子、2013年9月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和33年2月の竣工。
この年に平林駅は岩船町方に300m移設されているそうで、この待合室は駅移設時に建てたものなのでしょう。
撮影時点では自動券売機は未設置で、代わりに乗車証明書発行機が置いてありました。
この小型の郵便ポストみたいな機械も、近年見なくなりましたなぁ。

平林駅東口の様子
平林駅東口の様子、2011年4月撮影。
国道7号線に面した、2000年秋に整備されたというこの東口、広い駐車スペースと上屋付きの駐輪場と、部外者から見ればこちら側がメインのエントランスだと信じて疑わないことでしょう。
この時点では駅至近に、やる気満々でいい感じの八百屋さんとローソンがありました。
八百屋さんで果物を買いローソンでお弁当を買って、田園の長閑な風景の中を走り抜ける列車を眺めながら食すのもまた一興。

「平林城跡」の案内板
東口の観光案内と言うべき「平林城跡」の案内板、2011年4月撮影。

羽越本線と並走する国道7号線
羽越本線と並走する国道7号線、2011年4月撮影。
ここ平林はバス過疎地域で、小岩井-村上間に土休日運休の便が一日一往復のみです。→ダイヤはこちらに
村上駅前から平林駅へは所要40分で運賃560円ナリ。
なおこの路線は海岸沿いの岩船本町経由で、国道7号経由で村上や坂町に直行する路線はありません。
もしあったならば、「路線バスの旅」でたとえ府屋で蛭子さんのパチンガス炸裂があっても万代橋まで辿り着けたかもしれないのにw。
20年ほど前の地図を見てもバス路線の設定はなかったようで、羽越線の普通列車が基本的に毎時一本確保されているとあっては、所要時間の点で競合は困難なのでしょうね。
ちなみに「小岩井」は米坂線旧花立駅から荒川を渡った辺りで、当駅から南西に約4km。

坂町方の踏切から見た平林駅構内
坂町駅方の踏切から見た平林駅構内、2011年4月撮影。
岩船町に向かってすっきりと直線が続きます。

「平林城跡」の様子その一
「平林城跡」の様子その二
「平林城跡」の様子その三
駅東口の案内板通り、約20分で「平林城跡」に到着。
2011年4月撮影。
中世の城について予備知識が無いと、見学しても何が何やらという感じで、私はその辺は完全に素人なので正直余り惹かれるモノもなく....。
山城へ行けば印象もまた違うのは、これまでの経験上わかっておるつもりですけれど、行くにはちょっとした登山の覚悟が必要で断念。

平林駅に停車中の115系電車
平林駅に停車中の村上行115系電車の普通列車、2013年9月撮影。

平林駅に停車中のキハ40系気動車
朝の新津行キハ40系気動車普通列車が停車中、2004年8月撮影。

平林駅を出発するキハ110系気動車
平林駅を出発する朝のキハ110系気動車酒田行普通列車、2004年8月撮影。
この時も現在も、陽のあるうちに坂町-桑川間でキハ110系を撮影出来るのは実質この列車だけになります。
夕方~夜のキハ110系新津行は、最も日の長い時期でも桑川駅が日没ギリギリというところです。

平林駅に停車中のE127系電車
昨年(2015年)3月ダイヤ改正で羽越線から姿を消したE127系電車新潟行普通列車、2006年10月撮影。

平林駅を通過する485系R編成の特急「いなほ」
平林駅を通過する485系電車R編成の新潟行特急「いなほ」、2011年4月撮影。

平林駅を通過する485系T編成の特急「いなほ」
完全に過去帳入りとなった485系電車T編成の新潟行特急「いなほ」、2013年9月撮影。

平林駅を通過するEF81形電気機関車'牽引の下り貨物列車
平林駅を通過するEF81形電気機関車'牽引の下り貨物列車、2011年4月撮影。

平林駅を通過するEF510形電気機関車牽引の上り貨物列車
2013年度にJR東日本からJR貨物に売却されたという経歴の、EF510形電気機関車504号機牽引の上り貨物列車、2014年4月撮影。

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