カテゴリー「R007 只見線の駅」の記事

2017年4月23日 (日)

上条駅(只見線)

本日の駅紹介は只見線・上条駅。

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新潟県魚沼市に所在する無人駅で、開業は昭和26年10月1日。
その約半年前の3月1日から仮乗降場として旅客扱いを開始していました。
仮乗降場としての先行営業、駅への昇格時期は只見線内の薮神魚沼田中両駅と同じで、これら三駅は駅の規模も造りも似通っています。
当駅の開業当時の所在は上条村で、上条駅は同村の玄関駅になりました。
しかし上条村は駅開業の五年後、昭和31年9月に隣接する須原村と合併して守門村に装いを改め、平成の大合併の号令によって平成16年11月に近隣諸町村と合併して新自治体の魚沼市の東部地域になり、現在に至ります。

小出駅を出発して越後須原駅までは半農半住の長閑な道のりを辿る只見線も、越後須原駅を出ると俄かにローカル色が濃くなってきます。
そんなロケーションの只中に寂然と佇むのが上条駅です。

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上条駅待合室の様子、2013年5月撮影。
建築財産票を確認出来なかったので竣工年月は不明ですが、駅開業時の建物かもしれません。
名うての豪雪地帯の建物にしては、屋根に厚みがなく華奢な感じです。
これだと雪下ろしも頻繁にやらないと危険なのではと心配になるのです。

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上条駅前通りの様子、2008年4月撮影。
画像真ん中の建物は公衆トイレで、その右側に駅待合室があります。
只見線の新潟県内区間諸駅で駅トイレもしくは公衆トイレがあるのは、近年まで有人駅だった越後須原、入広瀬大白川の各駅と当駅です。
生粋の無人駅としては上条駅が唯一の存在なのです。

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上条駅待合室内部の様子、2008年4月撮影。
仮乗降場上がりで同じ境遇の薮神、魚沼田中両駅の待合室と比べて相当に広い室内です。
ベンチの着席定員は八名で、只見線の新潟県内区間の諸駅の例に漏れず自動券売機も乗車証明書自動発行機も未設置。
2013年5月に再訪した時は、ベンチがJR東日本定番型に変わっていました。
そう言えば、私は只見線に乗って車内検札を受けたことが一度もありません。
途中駅から乗車しても車掌氏は回って来ないのですよ。
私は取材では「えちごツーデーパス」を使うので、別に回ってこなくてもいいのですけれど、普通にきっぷを買って乗ろうとするとアレでは困ります。
客の方から車掌氏のところへ行けってことなんですかね?
まぁかつての北陸線では度々そういうことがありましたけど。
自動券売機の無い有間川駅から乗車しても車掌氏が回って来ないので、仕方なくこちらから出向くという、ユーザーフレンドリー何それ美味しいの?な状態。
あまりにも赤字が多いと、現場のやる気も無くなるんですかね?

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越後須原駅方から見た上条駅構内の様子、2013年5月撮影。

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ホーム端から越後須原駅方を見通す、2013年5月撮影。

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入広瀬駅方から見た上条駅構内、上は2008年4月中旬、下は2013年5月下旬撮影。
一ヶ月強の間に風景はこんなに違うのです。
また上の画の時点では、駅名標は魚沼地方の駅独特の物が未だ健在でした。
下の画の時点ではJR東日本定番型に替わり、設置場所も移動しています。
何もこんな線区にまで、おカネをかけて標準化させなくてもいいのにと外野は思うところです

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ホーム端から入広瀬駅方を見通す、2013年5月撮影。

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ホーム上の名所案内板、2003年8月撮影。

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上条駅に停車中のキハ40系気動車只見行、2013年5月撮影。
ホーム有効長は2両で、只見線全通前の客車列車時代は常にはみ出していたのでしょうね。

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只見線と並走する国道252号線の上条駅付近の様子、2013年5月撮影。
下の画に写っているバスは、南越後観光バス運行の小出行路線バスです。
小出発着の只見線並行路線バスは穴沢大白川線と貫木線があって、ここ上条で分岐しています。
前者は国道252号線をそのまま直進して穴沢(入広瀬)や大白川に、後者はここから国道290号線に入って守門温泉方面に向かいます。

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前述の路線バス小出-貫木線が走る国道290号線、2013年5月撮影。

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国道290号線の渋川橋から見た春の破間川の清き流れ、2013年5月撮影。

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2016年5月15日 (日)

只見駅(只見線)

本日の駅紹介は、只見線・只見駅。

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当ブログは新潟県の駅紹介がメインコンテンツなのでありますが、只見線の列車運用上は小出-只見間で一区間になっている関係もあり、区切りも良いと思うので新潟福島県境の只見駅も番外編的な形で紹介致したく存じます。

さて只見駅は福島県南会津郡只見町に所在する有人駅で、開業は昭和38年(1963年)8月20日。
当時の所在も既に只見町でした。
只見駅は会津方から延伸された当時の会津線の終着駅としてまず開業しましたけれど、この延伸区間の元々の出自は只見川の電源開発用に敷設された専用鉄道でした。
それを国鉄が買収して、会津線の延長区間として開業させたのですが、その際には大赤字必至のこの区間の買収に当局が難色を示してすんなりとはいかなかったようです。
(その辺の事情は、鉄道ピクトリアル2010年11月号に詳細が載っています)。
沿線の道路もまだ未整備の状況下でさえ赤字が懸念されるレベルであったわけで、昭和46年8月に只見-大白川間が開通して小出-会津若松間が全通し、線名を「只見線」と改めた後もその状況に変化は無く、JR東日本によると2014年の当駅一日平均乗車人員は22名。
運転業務の為にJR直営の有人駅として維持しているようなもので、旅客営業は片手間といったら失礼かもしれませんけれど、この利用の少なさではそれしか適切な表現が思い浮かびません・・・。

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只見駅駅舎の様子、2009年7月撮影。
建築財産票を発見できなかったのですが、間違いなく駅開業当時からの建物です。
昭和30年代に建てられた地方中堅級駅舎の典型的な姿で、平屋と横長の実用一点張り。
駐車場はきわめて広く、道の駅の代わりのような使われ方をされているのが特徴。
トイレは駅構外にあるので、クルマの人には都合が良いのです。
なお当日は日曜の午後でしたが、駅前にタクシーの待機はありませんでした。

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只見駅を取材目的で訪れたのは2004年7月と2009年7月の二回で、この画は2004年7月のもの。
おそらくもう只見駅には入ってこないであろう、「SL会津只見号」の運行を祝う看板が目を惹きます。
画像右側に路線バスの停留所が見えますが、この時点では当駅から町内を南東に縦貫する国道289号線経由のバスが運行されていました。
20年程前の道路地図を見ると、只見線に並行する国道252号線経由のバス路線も確認できます。
しかし現在、それらは全て廃止されています。

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只見駅駅舎内部の様子、2009年7月撮影。
ベンチはJR東日本定番型ではなく、病院の待合室に置いてあるようなモノです。
直営駅だというのに何故?
まぁ人がいない時はこの方がくつろげていいのか。
上の画像左上の横に只見町の観光案内所がありました。
地元の名産品を販売していて、この時点では18時までの営業でした。
下の画像左上の発車時刻表に注目。
上下併せて一日八本。
知識としてはわかっていても、実際に現地でこういうのを見ると軽い衝撃を受けるのです。

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ホームへは構内通路で行き来します。
2004年7月撮影。

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構内通路から只見駅の島式ホームを見る、2009年7月撮影。
駅舎とホームは結構な距離があるのです。

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構内通路出入り口付近(田子倉方)から見た只見駅ホーム全景、2009年7月撮影。

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只見駅ホーム上の名所案内板、2004年7月撮影。
いずれの名所も遠方で、バスが全路線廃止された現在では、只見線に乗ってはるばるやって来てもタクシーかレンタカーで行くしか無いのです。

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ホーム端から田子倉方を望む、2009年7月撮影。
線路は合計三本で構内も広く、只見線の要衝駅に相応しい風格と言えましょうか。

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会津蒲生駅方から見た只見駅ホーム全景、2009年7月撮影。
左上に見えるのは旧貨物ホーム跡でしょうか。
往時には会津若松方から貨物列車が当駅まで乗り入れていて、近くの山々から切り出されてくる材木を送り出していましたけれど、昭和57年7月に廃止されました。
大白川-只見間は貨物列車の設定はありませんでした。
当地域と新潟県側の物流面での交流がいかに無かったかの表れのようです。

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ホーム端から会津蒲生駅方を望む、2009年7月撮影。
この撮影の頃は、ホームの駅名標が急速にJR東日本定番型に置き換えられていたのですけれど、只見駅の駅名標はご覧のように定番風に書き換えただけです。
この先の区間は2011年7月に発災した新潟福島豪雨による路線寸断で、現在も只見-会津川口間が不通なのは皆様よくご存知の通り。
復旧はまぁ、残念ながら無理でしょうなぁ。

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只見駅に停車中の会津若松行キハ40系気動車、2009年7月撮影。
当駅に会津若松からの列車が到着することは、恐らくもう無いのでしょうなぁ。

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只見駅に到着したキハ40系気動車小出行、2009年7月撮影。
ウィキペディアによると、当駅発着列車は全て駅舎反対側のホームを出入りしているそうなので、小出行キハ40が停まっているこちら側では列車の姿は見れないのでしょう。
只見-会津川口間の復旧が断念されて部分廃止になったら、こちらの線路は撤去されてしまうかもしれませんね。
只見駅は山間の盲腸線の棒線駅になって、その場合は直営駅ではなくなって只見町の委託駅になるのでしょう。

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田子倉駅方の踏切から見た只見駅構内、2009年7月撮影。
駅を離れて距離を置き再見すれば、やはり小さな駅なのだなぁと実感できるのです。
この小さな駅から、短期間の臨時列車とはいえ上野直通の気動車急行「奥只見」が発着していたのですよ。

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只見駅前通りの様子、2009年7月撮影。
付近には旅館の看板が三軒と食事喫茶処が一軒。
しかし日曜の午後のこの時はひっそり閑で、営業しているのか否かも定かではなく。

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駅前通りを数分歩いて、只見線と並行する国道252号線に出ます。
この道沿い周辺が只見町の中心地です。
只見町は人口五千人弱と、このような山間の町としてはそこそこのボリュームがあるように見えるのですけれど、町域が広く人口密度が小さいのです。
その為か中心部は町の人口規模に比べると、寂しさはぬぐえません。
人影だけではなく行きかうクルマも少ない。
撮影当時は道沿いにはヤマザキショップと雑貨店が各一軒といったところ。

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町内を流れる只見川の様子、2009年7月撮影。

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只見駅から徒歩約10分の「只見保養センター ひとっぷろまち湯」。
食堂も併設されているので、時間潰しも兼ねてアイスコーヒーでも飲んで涼んでいこうかと入りかけたら、休憩中ということでダメでした・・・。
当時は食堂の開いている時間帯が食事時のみだったようです。
現在はそんなことはないようですけれど。

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只見川の水位上昇注意喚起の看板、2009年7月撮影。
水力発電の盛んな当地域ならではですな。

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只見保養センター ひとっぷろまち湯で涼めなかったので、前回来た時から気になっていた駅裏のスキー場を見物に行きます。
行きがてらに撮った只見駅裏とその周辺の様子、2009年7月撮影。
後背に高くそびえ立つのは標高871mの紫倉山です。

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町営の只見スキー場の様子、2009年7月撮影。
リフトは一本だけでこじんまりとしています。
しかし頂上の傾斜は33度あるそうで、なかなか侮れないかも!?

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2015年9月 6日 (日)

大白川駅(只見線)

本日の駅紹介は只見線・大白川駅。

入広瀬村時代の大白川駅名票

新潟県魚沼市に所在する無人駅で、開業は戦時下の昭和17年(1942年)11月1日。
只見線の終着駅としての開業で、当時の所在は北魚沼郡入広瀬村です。
入広瀬村はその後2004年11月に周辺町村と広域合併して新自治体「魚沼市」となり今日に至ります。

只見線が当駅まで開業したのは、既に前年夏に「金属類回収令」が公布されてローカル線を「不要不急線」として整理する施策が実行に移されようとしている時期でありました。
実際、新潟県内でも魚沼線と弥彦線の一部はこれにより休止に追い込まれています。
それにも関わらず、この行き止まりのローカル線が開業できた背景には、鉄道ピクトリアル2010年10月号によると、製鉄炉の耐火煉瓦用の原料である珪石の採掘場が大白川地域に存在する為、軍需上の要請として大白川までの開業が必要であったとの事です。
大白川駅の貨物取り扱いは戦後もパルプ原料のチップや道床用砕石の輸送で賑わい、当駅での貨物輸送が最終的に終了したのは昭和55年9月であったとの事です。
現在の当駅の深閑なる佇まいを見るに、まさに「兵どもが夢のあと」なのであります。
なお、大白川駅は列車交換にタブレットを使用する古典的な業務形態で、それゆえの有人配置が永らく続いていましたが、2009年3月にCTC化によるタブレット交換廃止で無人化されました。
旅客駅としてはJR東日本新潟県内区間の有人駅中、一日平均乗車人員は常にダントツの最下位で、二桁がやっとという驚愕の数字なのでありました。
まぁ、周辺のロケーションを考えるに、無理もない話ではあるのですけれど...。

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国道252号線の小出方から見た大白川駅舎。
2009年7月撮影。
魚沼市入広瀬自然活用センターとの合築で、手打ちそば屋が入っているのはご承知の通り。
私が訪問したこの日は土曜日でそば屋は休業日でした。

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大白川駅駅舎内の様子、2009年7月撮影。
無人化後約四ヶ月後の訪問でした。
まさしく「通路」だけで圧迫感があり、ベンチもありません。
窓口脇には券売機が一台置いてありましたけれど、只見線小出-只見間において、起点の小出を別にすれば券売機が設置されていたのはこの時点では大白川駅だけでした。
この後当駅には行っておりませんので、現在も置いてあるかどうかはわかりませんけれど、ここに置くのなら元有人駅の越後須原か入広瀬にすればいいのにと素人は疑問に感じるところであります。

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駅舎構内方から見た大白川駅構内の様子、2009年7月撮影。
駅舎とホームは構内通路で連絡。

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同じアングルから見た停車中の小出行キハ40系気動車、2004年7月撮影。
ホームは気動車三両がはみ出してしまいそうな短さです。

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柿ノ木駅方から見た大白川駅構内全景、2009年7月撮影。
線路右側に流れているのが破間川です。

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田子倉駅方から見た大白川駅構内、2009年7月撮影。

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ホーム端から柿ノ木駅方を見通す、2009年7月撮影。
右側奥にちょこっと映っているバスは、小出駅前-大白川本村間の路線バス。
この日の帰路は本村から折り返してくるこのバスで小出駅まで。

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ホーム只見方の構内通路から先を見通す、2009年7月撮影。
ここから先が昭和46年開通の新線区間になります。
線路の左側には、かつての貨物駅としての当駅繁栄の生き証人である蒸機の茶色い給水塔が現存。
しかし正直蒸機にあまり興味の無い私にとって、只見線全通直前の冬季以外はDD13型ディーゼル機関車牽引の客車列車がここまで運行されていたという話の方に激しく惹かれるわけです。

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大白川駅に停車中の小出行キハ40系気動車、2009年7月撮影。

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大白川駅で交換するキハ40系気動車の小出行と会津若松行、2009年7月撮影。
水害で只見線が不通になる約二年前の風景です。
当駅に会津若松行列車が停車することは、多分もう二度と無いのでしょう...

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国道上から見た大白川駅全景、2009年7月撮影。
鉄骨を組んだそのままの下回りが、「貨物が本業で旅客は片手間」的な駅のかつての姿を今にとどめているようです。

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国道をもう少し進んで一枚、2009年7月撮影。
こうして見ると、迫る山並みと破間川に挟まれた当駅の立地条件はかなり厳しいものがあったように感じます。

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国道上から見た給水塔とその周辺、2009年7月撮影。

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この日はせっかくだからと、物見遊山で小出駅から大白川本村行の南越後観光バス運行の路線バスに乗って終点まで行き、折り返して越後須原-只見-大白川というコースでした、2009年7月撮影。

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大白川駅方面から見たバスとその先の様子、2009年7月撮影。
二十年ほど前の地図には、この先約6kmの「大自然館」まで路線バスの表記がありましたけれど、私が駅周りを始めた2003年時点では穴沢(入広瀬)-大白川本村間の入広瀬村営通学福祉バスになっていて、その後2005年か6年頃に路線バスが復活して今日に至ります。
おかげでこの日のように帰路はパスという行程を組むことが可能になりました。
何しろ通学福祉バスのままでは、学休日は最悪全便運休もあり得るので、駅歩きをする身としては甚だ不便なのです。

この先辺りが大昔の「大白川村」の中心地区だと思いますが、実に鄙びていましたな...
民家はそこここにあるのですが、人もクルマも全く見当たらず静まりかえっていました。
このバスに終点まで乗り通したのは私一人。
運転手氏に「折り返して乗ります」と一言かけておかないと、こんな何もないところに置き去りにされるのではと少々怖くありましたw



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バスで来た道を振り返って一枚、2009年7月撮影。

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大白川駅取材の帰路、やって来た小出行バス、2009年7月撮影。
バスは無人で私が最初のお客さま。
バスダイヤはこちらを。

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2015年8月29日 (土)

薮神駅(只見線)

本日の駅紹介は只見線・薮神駅。

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新潟県魚沼市に所在する無人駅で、開業は昭和26年(1951年)10月1日で仮乗降場からの昇格です。
昭和17年11月の只見線・小出-大白川間開業時には存在しなかった駅で、魚沼田中駅上条駅と共に仮乗降場から駅に昇格したという経歴があります。
薮神駅の場合、駅昇格時の所在は北魚沼郡藪神村でありましたから、ぜひ村の玄関駅をという村の要求と、過疎路線の収益を少しでも改善したいという国鉄の思惑が一致した結果のようにも思えるのですが、実際は如何に?
なお藪神村は昭和30年(1955年)3月に隣接する広瀬村と合併して広神村になります。
広瀬村は只見線開業時から玄関駅として越後広瀬駅が置かれており、薮神村との格の違いを見せておりますけれど、合併前年の両村に関する統計を見ますとその力にそれほどの違いは無いのです。
人口は広瀬村の七千人強に対して薮神村は五千人。
面積は広瀬村の約41km3に対して薮神村は約63km3。
農業生産額は広瀬村の約1億2千万円に対して薮神村は約1億円という具合。
平成12年3月までは「JA薮神」が「JA広瀬」と並立していたのも、旧薮神村の勢力の大きさゆえだったのかもしれません。
拮抗する旧両村のバランスを考慮してのことなのか、広神村役場は広瀬村役場ではなく新規に作られることになり、それが薮神駅裏手の立地になったのです。
なお広神村は周辺町村と平成16年11月1日に広域合併して、旧小出町を中核とする新自治体「魚沼市」の一部となり現在に至ります。

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薮神駅待合室遠景。平成20年4月撮影。
雪解け直後のまだ荒涼とした風景の中、ちっぽけな待合室がポツンと。

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薮神駅待合室の様子。平成16年7月撮影。
建築財産票を確認できなかったので、竣工年は不明。
古いような新しいような...ちょっと判断に迷う不思議な感じの建物です。

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薮神駅待合室内の様子。平成20年4月撮影。
窓が大きくて採光は上々のようです。
この時はゴミも無く、非常に綺麗でした。
ほうきが二つ置いてあるので、地域の方々がこまめに清掃しているのかもしれません。
そういう例は他にも多々ありますし。
なお只見線の駅の常として、券売機・乗車証明書発行機共にありません。

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小出駅方から見た薮神駅構内の様子。平成16年7月撮影。
ホームは非常に短く、気動車二両分といったところ。
かつて大白川までの区間運転時代はSLもしくはDL牽引の客車列車や混合列車が運行されておりましたけれど、混合列車はホームを大きくはみ出していたでしょうね。

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越後広瀬駅方から見た薮神駅構内の様子、平成20年4月撮影。
ここから小出方への見通しは大変良くて、駅に刻々と接近するキハ40の逞しい姿を思うさま望見できるのであります。

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只見線の主役、キハ40系気動車が盛夏の薮神駅を出発。平成15年8月撮影。

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薮神駅を出発した小出行キハ40系気動車。平成16年7月撮影。

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薮神駅に停車中の小出行キハ40系気動車。平成16年7月撮影。
過疎路線の秘境駅でもない、何の変哲もない地味な小駅にわざわざ降り立つ酔狂なヲタも、そうそうおりますまい。

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越後広瀬駅方踏切から見た薮神駅全景。平成20年4月撮影。

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ホームの端から見た越後広瀬駅方の様子。平成20年4月撮影。

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只見線と並走する国道252号線の薮神駅付近の様子、平成20年4月撮影。
国道には小出-穴沢(入広瀬)・大白川間に路線バスが運行されています。
薮神駅最寄は「島」バス停です。
至近にはセブンイレブンがあります。

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薮神駅への入り口は少々わかりにくいのです。
とりあえずこの建物を目印にしていただきたい。
「広神商工会館」の右の小道が薮神駅へ至るルートです。
平成20年4月撮影。

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2010年5月23日 (日)

越後須原駅(只見線)

本日の駅紹介は只見線・越後須原駅。

2016年2月27日記、画像追加しました。

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新潟県魚沼市に所在する無人駅で、昭和17年(1942年)11月1日の開業です。
開業当時の所在は北魚沼郡須原村で、駅名はここから取られました。
その後須原村は昭和31年に隣の上条村と合併して守門村となり、平成16年11月1日をもって周辺町村と広域合併して新自治体「魚沼市」の一部となって今日に至ります。
駅周辺には旧守門村役場と郵便局、小中学校、さらに後述の「目黒邸」と須原スキー場が所在し、旧村の行政・文教・観光が集中したエリアです。

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越後須原駅駅舎は昭和51年11月の竣工で、平屋の壁はブラウンで白のラインが入っているという、どことなくヨーロッパ風にも見えるシックなもの、2008年4月撮影。
昭和40年代までの鉄筋コンクリ丸出しの「国鉄標準型」とも、昨今の改築駅舎に見られる土地柄に似合わない派手さとも一線を画するシンプルながら良デザインでしょう。
屋根の厚みは当地が名にしおう豪雪地帯である証です。

JR東日本によれば、当駅の2008年度一日平均乗車人員は61人で、同社新潟県内有人77駅76位。
最下位は入広瀬駅なので、只見線内で一駅(上条駅)挟んで逆1位と2位。
2007年度まではダントツの最下位で大白川駅があったので、只見線内で逆金・銀・銅だったのです・・・。
当駅発着の列車は上下合わせて一日10本なので、単純計算では一列車当たり約6人。
資料によれば昭和50年代半ばの当駅一日旅客は約300人で、半分が乗車と考えると150人。
(昭和55年10月改正ダイヤでは上下併せて14本、うち2本は急行「奥只見」)
約30年で6割減ってしまっているのです・・・。
只見線の置かれた状況の厳しさがここにも表れています。
利用客だけを見ていればとうの昔に無人化されるレベルの当駅ですが、利用客の絶対数だけを見て単純に割り切ることが出来ないのがローカル線の有人駅。
人口4千人台と相応の人口規模の旧村の玄関駅でもありますし、学生の定期需要もそれなりに存在します(実際、土曜午後の列車は結構な数の学生が当駅で降りていたりもするのです)。
魚沼市は広域合併後も当駅や入広瀬駅を有人のまま維持したり、入広瀬地区の福祉バスの運行継続も行っていたりと、過疎地域の公共交通維持について相応の理解があるように見えます。
従って自治体が委託を維持出来ないほど財政に行き詰らない限り、旧守門村の玄関駅・越後須原駅の有人体制も暫く継続されるのではと思う次第です。
→2010年6月20日追記、越後須原駅は平成21年度限りで委託を終了し、無人駅になりました。
己の不明を恥じるばかりで、面目次第もございません・・・(汗)。

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有人時代の越後須原駅駅舎内部の様子、2009年7月撮影。
この時点では、駅窓口は平日06:30~17:30、土休日09:00~17:00の営業。
トイレは駅舎の駅前広場側にあり、水洗です。
待合室は仕切られておらず、無人駅定番のベンチが2脚置かれています。
見たところ空調設備は無いようで、冬はストーブを置くのでしょうか?
周りの壁には当駅や只見線に関する写真が展示してあり、その中には当駅が列車交換設備を有していた時代のものも。

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無人化後の越後須原駅駅舎内部の様子2013年5月撮影。
窓口が閉鎖されているのとベンチがJR東日本定番品に変わっている以外は、有人時代と変化無し。

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写真によれば、平成6年10月時点では越後須原駅での列車交換が行われていたのは確実で、駅舎側に側線も一本有していて、
後述する現在の駅構内の様子とはまるで違う賑々しさが、部外者の感傷を誘うのでありました・・・。
故人の在りし日の姿を見ているような感じなんてすよね、
今の構内はさしずめお墓か仏壇か。

そんな寂しい越後須原駅構内は一面一線の信号もない「停留所」。
駅舎からホームまではかつて「構内通路」と呼ばれていたであろう小道で連絡します。

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越後須原駅舎からホームへの構内通路の様子、2004年7月撮影。
駅舎から通路に置かれたプランターの花々の彩りが、構内を一色に覆いつつある雑草にせめてもの抵抗を試みるようで、何ともいじらしく。

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越後須原駅舎ホーム側全景、2005年7月撮影、。
待合室に空調なさそうなのに事務室には付いてるのねんw


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自然に帰りつつある構内の線路撤去跡、2009年7月撮影。
十数年前にはこの空間に線路が2本あったのです。


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駅舎側(魚沼田中駅方)から見た越後須原駅構内の様子、2009年7月撮影。

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上条駅方から見た越後須原駅構内の様子、2009年7月撮影。

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越後須原駅に進入する午前中の小出行キハ40系気動車、2005年7月撮影。
当駅の駅名票はこの時点では上越線・只見線特有の独特なスタイルでしたが、2009年7月に再訪した時にはJR東日本定番の何の変哲もないものに変わってしまっていました。

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越後須原駅前の様子、2009年7月撮影。
駅前広場は狭く、駐車スペースは僅少です。
タクシー待機はしていないようでした(一日五往復の列車待ちは流石に意味なしか・・・、歩いて数分で観光拠点の目黒邸だしね)。
駅から僅かに歩くと、南越後観光バス運行の小出-入広瀬・大白川間の路線バスが走っている国道252号線に出ます。
駅前にはAコープがあり、付近に食堂もあります。


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越後須原駅至近の国道252号線の様子、2009年7月撮影。

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画像左のバス停が小出行きの「須原駅角」バス停です、2009年7月撮影。

越後須原駅前から国道を横断し真っ直ぐ進むと行き着くのが国指定の重要文化財「目黒邸」。→HPはこちらへ
入口の左手にある「守門民俗文化財館」で入場券(¥500)を購入し、いざ見学!
越後下関駅エントリーで紹介した「渡辺邸」に比べると、屋敷そのものはやや小振りなのですが、昔の雪国の家屋の特徴を、見る者にヴィヴットに伝えるこの佇まい!
後背の山々という素朴なロケーションも相まって、個人的にツボですなここは。

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「目黒邸」正面の様子、2008年4月撮影。
この時は本格公開(GWから)に向け一部補修工事中でした。
邸の裏手にある目黒邸資料館とその先の「佐藤邸」は冬期休館中だったのが残念。

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土間では杉の木をくべて煙を天井へ。
見学者向けの実演の一種なのかなぁ~と、木をくべている女性にうかがってみましたら、煙を出しているのは藁葺屋根の維持の為に必要不可欠な事との由。
煙には防虫効果があり、年末年始の休館日以外は毎日やっているそうです。
文化財の維持には一見地味ながら絶え間無い努力が必要なのですね・・・。
一見の部外者が実に僭越ではございますが、こうしたものの維持に費用対効果などという俗な物差しを当てはめる事のないよう、関係各位にお願いするところであります・・・。
なお、防虫効果としては本当は桜の木が良いそうですが、杉は近くの山で沢山採れるのでそうしているとの事。

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囲炉裏のある21畳敷きの茶の間。

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大正2年からのものである配電盤。

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目黒邸の裏手は小さなダムが。
周辺は遊歩道、・・・しかしこの時期は残雪があって散策どころではありません。

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やはり目黒邸の裏手にある「須原スキー場」。
ご覧のように、既に営業は終えていました。
魚沼市は新市誕生から今日まで、旧町村運営のスキー場を引き継いで維持してきましたが、どのスキー場も経営状態は芳しくなく、また市の財政が逼迫している事から市営スキー場の再編を実施します。
5つあるスキー場のうち4つまでを廃止、引き続き経営を続けるのはこの須原スキー場だけとの事。
他のスキー場と比べて至近に観光資源が豊富なのが存続の決め手になったようです。
とはいえ、このスキー場は市内スキー場で利用客最大でかつ赤字額も最大なんだとか。
頭の痛い話です・・・。

無人化後の越後須原駅を2013年5月に再訪した際、春の須原スキー場をちょっと登ってみました。

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須原スキー場のリフトの乗降口周りの様子。

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高度が少しずつ上がってまいります。

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デジカメのデータによると、登り始めてここまで8分。
たった8分かと言うなかれ、結構キツかったですマジで。

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ここからの眺めはなかなかのものであります。

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2009年12月13日 (日)

入広瀬駅(只見線)

本日の駅紹介は只見線・入広瀬駅。

2016年2月28日記、画像追加と一部加筆修正しました。

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新潟県魚沼市に所在する有人駅で、昭和17年(1942年)11月1日の開業です。
開業当時は北蒲原郡北魚沼郡入広瀬村の所在で、その後平成16年11月1日に周辺町村と合併して魚沼市の一部となり現在に至ります。

かつて只見線唯一の急行として異彩を放っていた「奥只見」も停車していた入広瀬駅ですが、その「奥只見」が昭和62年11月末に実質廃止になってしまうと、特段な華やぎもない一ローカル駅に変わってしまいました。

入広瀬駅を行き来する定期列車も当時の急行を含め一日7往復から現在は5往復の寂しさです。
資料によると、貨物取り扱い廃止は昭和51年9月(近隣の有人駅・越後広瀬越後須原両駅も同時期)、国鉄職員の配置が無くなり委託駅化されたのは昭和56年4月の事でした。
2008年度の一日平均乗車人員は31人!で、JR東日本新潟県内有人76駅中最下位。
前年度限りでそれまで最下位独走だった、同じく只見線の大白川駅が無人化された為に繰上げ?で当駅が最下位の座に着く事となってしまいました・・・。
ブービーは越後須原駅ですがその乗車人員は61人で当駅の約二倍。
周辺人口の差を考えると、当駅の最下位は残念ながら揺るがないものと思われます。
なお資料によると昭和50年代半ばの一日平均旅客は310人。
おそらく乗降の総数でしょうから、乗車人員は150~160人程でしょう。
単純計算で一列車当たり当時10人強(上下14本)、現在は3人強(上下10本)。

入広瀬村時代は村の玄関口として、確かに有人駅の意味もあったでしょう。
しかし広域合併された現在、有人駅であり続ける意義も正直・・・。
入広瀬駅最大のお得意様であろう小出以遠の高校に通学する学生の定期券は、越後須原駅で購入出来ればいいわけで。
駅と合築の「雪国観光会館」の管理の問題があるでしょうから、利用実態のみを取り上げて無人化云々は中々言えないのかもしれませんけれど。

追記
入広瀬駅はその後2010年4月1日付で、越後須原駅と共に委託解除されて無人化されました。
この2駅の無人化で、只見線・小出-只見間は両端の小出只見両駅以外全て無人駅となりました。

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入広瀬駅駅舎の様子、2006年9月撮影。
駅舎は大きく立派な構えですが、それは前述した「雪国観光会館」との合築ゆえの事。
無人化された現在、会館の管理はどうなっているのでしょうか。

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入広瀬駅駅舎内部の様子、2008年4月撮影。
向かって右側が窓口です。
左側は只見線の写真や旧駅名票、特産物の展示空間です。
ここの当駅及び只見線関連展示を見ると、旧駅舎の取り壊しは昭和63年11月14日。
現駅舎竣工はその直前と思われます。

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撮影した2008年4月時点で、雪国観光会館内で入広瀬駅としての設備は窓口と赤いベンチ2脚。
待合スペースは吹き抜けで、冬季はストーブが置かれていますが長時間の滞在は少々厳しいかもしれません。
雪国観光会館としての設備は一階奥にある「作業体験ルーム」とその手前のトイレ(男女別、水洗で綺麗です)の向かいにある「土人形展示ルーム」、二階に入広瀬村の歴史展示館。
「作業体験ルーム」は昔の当地区の家屋内が再現されていて、様々な民具や農器具も展示。
「土人形展示ルーム」は昔、当地域でひな祭りに飾ったという土人形の展示。
歴史展示館はその名の通りの展示、鉄ヲタ的には旧駅舎時代の駅名板が要チェックかと。
率直に言えば、ただ並べているだけで面白味はあまり・・・。
二階の展示館などは、村や北魚沼郡に関する資料や本を復刻コピーでもして閲覧できるようにすればいいのではと。
展示されている文書をガラスケース越しに見せられてもねぇ・・・。
村について観光客により良く知ってもらおうと思ったら、そのぐらいの手間はかけてしかるべきじゃないかなぁと。

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駅舎側から見た入広瀬駅構内の様子、2004年7月撮影。
入広瀬駅構内は一面一線で、かつては列車交換設備を持つ島式ホームでした。
昭和55年改正ダイヤ時点で、只見線・小出-只見間の定期旅客列車交換駅は越後須原駅と大白川駅に集約されており、その改正で貨物列車が全廃されていることから、当駅の交換設備は当時健在であったとしても除雪待機やダイヤ調整のみだったのでしょう。

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柿ノ木駅方の踏切から見た入広瀬駅構内、2008年4月撮影。

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上条駅方の踏切から見た入広瀬駅構内、2004年7月撮影。

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上条駅方から見た入広瀬駅構内、2004年7月撮影。
除雪用具置き場を兼ねたホーム上の待合室は、建築財産票によると昭和17年10月の竣工。
駅の誕生から今日まで見守り続けた古強者、豪雪に耐え抜く為の屋根の補強柱が重々しく存在感を見せています。

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ホーム端から上条駅方を見る、2004年7月撮影。
右側の線路がモーターカー車庫と繋がっています。

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線路と並行する道路から見た入広瀬駅、2004年7月撮影。
只見線のこの界隈定番の、旅客車三両分ほどの小さなホームに比べて駅舎がいかに巨大かがよくわかります。

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入広瀬駅を出発する夕刻のキハ40系気動車会津若松行、2004年7月撮影。
只見線が事実上分断された今日では最早見られない、「会津若松」の表記が。

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駅舎の反対側にある青い屋根の「小出保線区入広瀬休けい所」、2006年9月撮影。
冬ともなれば、車庫から出動するハイモの要員の一時の憩いの場となるのでしょうか。

さて入広瀬駅を出て左に少し進むと、バス路線が設定されている県道に出ます。

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入広瀬駅駅舎から駅前通りを見る、2008年4月撮影。

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駅前から望む入広瀬村の風景、2008年4月中旬の風景。
四月中旬の様子ですが、田んぼにはこのように残雪が。

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県道を左に進み破間川を渡った前後が当地区のメインストリート。
2008年4月中旬の風景。

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橋から見た破間川の流れ、2008年4月撮影。

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5kmほど上流の黒又ダム放流による増水注意喚起の看板。
2008年4月撮影。

県道沿いにはAコープと小さな旅館が目立つ程度です。
県道を右に300mも行くと国道252号線に出ますけれど、見通せる範囲では何もありません。

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国道只見方面の様子、2008年4月撮影。

県道を小出方向に少し進むと右手にあるのが「鏡ヶ池」、
入広瀬駅からの距離約1km。
私が行った2008年4月中旬はまだ残雪もあり冬から春の端境期といった趣で、その風景も地味そのものに静まりかえっておりましたが・・・。

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ただ湖上レストランがあるぐらいですから、新緑の頃には風景も生き生きと様変わりして憩う人も多いのかもしれません。

入広瀬駅へのアクセスは只見線と南越後観光バス運行の路線バス小出-穴沢・大白川線です。
穴沢というのは前述したメインストリートの旧入広瀬村役場の辺りで、駅への最寄バス停は一つ手前の「入広瀬駅前」になります。
バスは只見線より本数が多く、列車の走らない時間帯もフォローしていて使い勝手は中々良し。
入広瀬地区と大白川駅前経由大白川本村を結ぶ「入広瀬地域市営通学福祉バス」は、当駅を最後に訪問した2008年4月時点では2008年度ダイヤが貼られていましたけれど、大白川駅を訪問した今年(2009年)7月時点では、大白川駅前バス停の時刻表には南越後観光バスのダイヤのみでした。
バス停にダイヤが載っていない点、バス停の行き先表記が南越後観光バスのもののみという点を考え合わせると、少なくとも一般利用可能な形態での通学福祉バス運行は現在行われてはいないのではないかと。
ネットで調べても確たる情報は見当たりませんし・・・。
只見線入広瀬-柿ノ木-大白川間を公共交通機関を利用してウォッチする際は、通学福祉バスは当てにせずに計画を立てた方が吉でしょう。

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2008年7月27日 (日)

只見線・魚沼田中駅

本日の駅紹介は只見線・魚沼田中駅。

2016年2月24日記、画像を入れ替えました。

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新潟県魚沼市(2004年10月末日までは北魚沼郡広神村)に所在する無人駅で、1951年(昭和26年)10月1日の開業ですが、ウィキペディアによるとその七ヶ月前に仮乗降場として開設されていたとの事です。
出自が仮乗降場で列車交換設備も無い事から、開業当時よりずっと無人駅なのでしょう。

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魚沼田中駅駅舎(待合室)の様子、2004年7月撮影。
建築財産票が見当たらなかったので完成日時は不明ですが、開業時の建物だと思われます。

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魚沼田中駅待合室内部の様子、2013年5月撮影。
簡素な造りで文字通り座って待つだけの機能しかありません。
券売機、乗車証明発行機共になく、トイレもありません。
くず入れが置いてあるのは外来の人間にとって有難いところです。
管理されている方に感謝しなくてはなりますまい。

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ホーム側から見た待合室の様子、2013年5月撮影。

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越後須原駅方至近の踏切から見た魚沼田中駅、2013年5月撮影。
気持ちよくスッと伸びた直線上にあるのが当駅。
軌道の規格が高ければ高速運転できそうな区間であります。

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ホーム端から越後須原駅方を見通す、2013年5月撮影。
小出駅からここまで比較的平坦な道のりの只見線も、この先から勾配区間が増えていきます。

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ホームの越後広瀬駅方から見た魚沼田中駅、2013年5月撮影。
ホームの有効長は2~3両分というところで、少なくとも只見線南部区間の旅客需要は当駅の開業当時からその程度の両数で充分なレベルでしかなかった事を窺わせます。

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ホーム端から越後広瀬駅方を見通す、2013年5月撮影。

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魚沼田中駅に停車中の只見行キハ40系気動車、2013年5月撮影。


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魚沼田中駅駅舎とその周辺の様子、2013年5月撮影。

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俯瞰で見た魚沼田中駅の様子、2004年7月撮影。
このようなローカル線の棒線駅の場合、俯瞰で取れることはほとんど無いのですけれど、例外なのが当駅。
駅正面の宅地が高台にあるので、その生活道路上からこのような画が撮れるのです。

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只見線と並走する国道252号線の、魚沼田中駅入り口付近の様子、2013年5月撮影。
郵便局とスタンドと小さなスーパー、蕎麦屋(南蛮漬けが自慢の一品のようです)、理容店が固まって営業しておりました。
旧広神村の北端に位置し、隣の旧守門村との分水嶺という過疎地的なロケーションですが、実際は想像よりずっと賑やかであると言えます。
家並も越後広瀬駅周辺に比べれば明らかにまばらにはなっているものの、過疎のイメージはあまり抱かせない古き良き田舎の風情なのであります。

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当駅周辺で最も目に付く存在が、駅裏手の山腹にあるスキー場らしきもの、2006年9月撮影。

少し古い地図には「越後アクシオムスキー場」と記されておりましたが、2001年に倒産してしまったとの事。
私は雪国新潟に住んでいながらスキーはまともにやった事のない門外漢なのですが、駅前から眺めてみた限りではリフトの配置などからしてそれなりの高低差もあり、面白そうにも思えますけどねぇ・・・。
前述のブログ様によれば、利用のピークは1996年。それからたった5年で倒産とは小雪の影響があったとはいえ、バブルを経てスキー需要がいかに減少したかを示す、かつての冬レジャーの王様の末路の小典型を見る思いです。
今も残るリフトの支柱はそれを無言のうちに物語る永遠の標というところでしょうか。

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2008年7月21日 (月)

只見線・越後広瀬駅

今回の駅紹介は只見線・越後広瀬駅。
2016年2月27日記、画像入れ替えと加筆修正しました

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新潟県魚沼市に所在する無人駅で、只見線小出-大白川間が開通した1942年(昭和17年)11月1日に開業しました。
開業当時の所在は北魚沼郡広瀬村で、同村の玄関駅でした。
同村は昭和30年(1955年)3月に隣接する藪神村と合併して広神村となり、平成16年11月1日に周辺町村との広域合併で魚沼市の一部になり今日に至ります。
旧広神村の村役場は小出寄り隣駅の薮神駅裏にありますが、人口集積は当駅周辺が最も多く感じられ、実際駅から国道252号線に出る小道はかつて駅前商店街であったような雰囲気を多分に漂わせております(薮神駅前にそのような雰囲気はありません)。

さて越後広瀬駅は、只見線全線開通(1971年8月)からJR化後の昭和63年(1988年)3月まで設定されていた(冬季・12月~3月は全区間運休)気動車急行「奥只見」の停車駅でした。
広神村の実質的玄関駅である事と、当時列車交換設備を備えていた(「奥只見」は列車交換設備を備える駅には全て停車します)からなのでしょう。

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越後広瀬駅駅舎の様子、2012年5月撮影。
建築財産票が見当たらなかったので完成年は不明ですが、おそらく開業当時からの建物と思われます。
出入り口の上屋の形状など、実に昔の昭和風。

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越後広瀬駅駅舎内部の様子、2006年9月撮影。
「広瀬村史」によると、当駅が委託化されたのは昭和52年7月。
無人化時期は不明ですが、急行「奥只見」の停車駅だった間は有人だったのやら。
駅舎内は旧窓口も完全に塞がれて単なる待合室そのものへ姿を変えています。
なお券売機も乗車証明発行機も設置されておらず、トイレもありません。

只見線新潟県区間で列車交換設備を撤去された駅は越後須原駅(旧守門村中心)と入広瀬駅(旧入広瀬村中心)がありますが、両駅とも現在も有人駅で待合室内も綺麗に保たれ、駅や只見線の昔の写真や地元の物産品その他展示コーナーがあって地元の駅を
守る姿勢が強く打ち出されて好感を持てます。
それに引き換え当駅のこの現状はなんとも・・・。
私が当駅を訪問した2004年7月と2006年10月には、いずれも駅舎前後の出入り口の引き戸は開放されていて、虫が入り放題! 
窓には大きなクモが巣を張って獲物を待ち構え、私の住まいの街ではまずお目にかからない虫がそこかしこに。
特に最初の訪問時、待合室内はクロスズメバチがたむろする剣呑な空間と化しておりまして、ここで昼食を摂る予定だった私が助六寿司の蓋を開けるやいなや黒いハチどもが匂いを嗅ぎつけて突進してくる始末・・・。
前年に体験した田子倉駅での恐怖体験がフラッシュバックして肌に粟立つ戦慄!w。
ほうほうの体で待合室を逃げ出し、駅前の路上でもそもそと食する他ない仕儀に至りました。
地元の通行人にはジロジロ見られるし、まぁ情けないやら頭にくるやらで寿司もまるで砂を噛むようでしたね。

旧村の只見線に対する温度差もあるのでしょうし、越後須原、入広瀬両駅が村の中心集落にあり且つ村役場も近くにあって行政の中心でもあったのに比べ、当駅は村の中心村落ではあっても前述のように行政の中心ではないという事情もあります。
この地域の中心であり只見線始発駅でもある旧小出町との距離の遠近も多分に関係があると思いますけれど・・・、
豪雪による国道途絶時のライフラインとしての只見線の恩恵を考えれば。小出から当駅まで5.7km、越後須原まで12.1km、入広瀬まで19.6km。
当駅なら小出まで無理して歩けない距離ではないですが、越後須原、入広瀬になるとそれはまず無理。
国道が通行止めになった場合、頼れるのは只見線だけですからね。
今では国道より只見線が豪雪に対して脆弱になってしまっていますが、駅の無人化云々が議論された二十年以上前は親方日の丸の国鉄の除雪体制は万全でした。
また只見線各駅の乗降を当駅以外にも何度も行い、土曜の夕方、学生の帰宅列車に数回乗車した印象では当駅(及び薮神駅も)での降車客は極めて少なく、村民の税金で有人駅を維持するにはそれによる間接的な効果を考えに入れても割り
が合わないでしょう(越後須原や入広瀬なら距離的に見て通年列車通学の学生がほぼ全てでしょうから、それなりの定期券収入が期待できます)。
従って当駅の無人化は仕方の無い事です。
ただ駅舎内の現状は考え物ですね。
薮神駅の待合室はずっとこじんまりとしていますが、地域の方々の意識が高いのか、あるいは旧村役場至近というメンツで職員が清掃をしているのか小奇麗で、当駅のそれよりずっと快適に列車を待つ事ができます。
以前書いた飯山線・越後岩沢駅のケース同様、行政が然るべき手を打つ事を期待しておりますが、恐らく今後も存続するであろう飯山線に対し、只見線は名うての閑散路線。
JR西日本のように外国人投資家が発言力を持って、

「過疎地域での公共交通の維持? 私企業がそんな事を考える必要はない! 会社は株主投資家の利益追求に働け~! 我々への増益の妨げとなる赤字路線は皆廃止してしまえ!!」

なんて方向にJR東日本が傾いてしまえば、いの一番に廃止対象になる路線ですからね。
将来を見据えての投資となるだけに難しいものがあります・・・。

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駅構内側から見た越後広瀬駅駅舎の様子、2013年10月撮影。
軒先にはツバメの巣があったりするのです。

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駅舎からホームに至る構内通路、2012年5月撮影。

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駅舎側から見た越後広瀬駅構内、2012年5月撮影。
列車交換設備も撤去されて久しいようで、雑草が根を張り半ば自然に還ってしまっています。
昭和55年のダイヤではすでに定期旅客列車の当駅交換は無く、設備が健在だったとしても冬季の除雪待機場ぐらいの位置付けだったのでしょう。

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薮神駅方から見た越後広瀬駅ホームの様子、2012年5月撮影。

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ホーム端から薮神駅方を望む、2012年5月撮影。

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魚沼田中駅方から見た越後広瀬駅ホームの様子、2012年5月撮影。
只見線新潟県内区間のホーム長は皆この程度です。

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ホーム端から魚沼田中駅方を望む、2012年5月撮影。

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薮神方の踏切から見た越後広瀬駅、2012年5月撮影。
駅舎が映り込んでいないので、停留所のように見えます。
この駅にかつて急行列車が停車していたとは信じがたいものがあります。

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越後広瀬駅を出発する只見行キハ40系気動車、2012年5月撮影。

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雨に煙る停車中のキハ40系気動車、2013年10月撮影。。
駅舎が映り込んでいるこのアングルで順光でとなると、午後イチの只見行に乗って下車撮影しか方法が無いのです。
この日は大雨だったので、順光かどうかは大して関係無かったのですけれど。

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越後広瀬駅を通過するキハ58系気動車の「懐かしの急行奥只見号」、2006年9月撮影。

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秋雨に濡れつつ佇む越後広瀬駅の風情、2013年10月撮影。

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越後広瀬駅から国道へのメインルートの様子、2012年5月撮影。

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前述した、かつて駅前通りを形成していたと思われる、駅から国道への二つ目のルート、2012年5月撮影。

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只見線と並行する国道252号線越後広瀬駅付近の様子、2012年5月撮影。
こちら側にはコンビニのセーブオンがあります。
只見線新潟県内区間の諸駅で駅付近にコンビニがあるのは、
ここと薮神駅のみです。

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越後広瀬駅最寄の「広瀬駅前」バス停に接近する、南越後観光バス運行の小出駅前行路線バス、2013年10月撮影。

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2006年12月 9日 (土)

只見線・柿ノ木駅

本日の駅紹介は只見線・柿ノ木駅。

2016年2月28日記、リニューアルを実施しました。

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新潟県魚沼市(旧・北魚沼郡入広瀬村)に所在した無人駅です。
手元の資料には駅開業は1987年3月31日となっておりますが、それ以前から時刻表には(臨)柿ノ木として表示されており、Wikipediaによれば1951年3月1日に仮乗降場として開設されたとの事です。
仮乗降場としての開業時点の所在もやはり入広瀬村でした。

柿ノ木駅は気動車2両が収まる程度の短いホームと、簡素な待合室があるきりのシンプルなもの。
当駅と同様にその出自が仮乗降場であった薮神魚沼田中上条の各駅よりもその姿は一段と素朴。
只見線の他の無人駅同様に券売機も乗車証明発行機もありませんし、トイレもありません。
駅前には国道252号線が通りますが、小出から入広瀬本村まではクルマの通りが絶えないこの道路も、この辺りまでくると閑散としております。
駅前の道路沿いの狭い範囲にに小集落があるきりで、その周辺は山間地域に田圃が点在する鄙びた情景が右にも左にも・・・。

周囲を山に囲まれて、只見線に沿って流れる信濃川系の支流・破間川沿いにわずかに開けた地に静かに佇むこの情景・・・。
私的には「山間の駅」の美的観点としてベターな一典型と断言できる贔屓な駅です。
遠からず近からずで程良い距離を保つ周囲の山々、地域の農家の御年寄が大切に守っておられる田圃、駅前の僅かながらも確かな地付きの方々の生活の息遣い・・・
これらの要素が渾然一体となって独特の味わいを醸し出しますです・・・。
駅から大白川方面を見た、山懐に抱かれたこの姿、夕方、二条の光を放ちつつ近づく気動車の轍の響き・・・。
どれも皆味わい深い。

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柿ノ木駅待合室の様子、2004年7月撮影。
出入り口右上の建築財産票を確認し忘れたのが一生の不覚orz。
建物を補強する支柱が、この地が名にし負う豪雪地帯である証であります。

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柿ノ木駅待合室内部の様子、2008年4月撮影。
壁に沿って造られた旧家の縁側のようなベンチ(と表現していいものやら)は古き良き昭和の生活の地続きの郷愁を誘う風情。
除雪用具とストーブはこの地らしいアイテム。

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入広瀬駅方から見た柿ノ木駅の様子、2004年7月撮影。

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ホーム端から入広瀬駅方を望む、2004年7月撮影。

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大白川駅方から見た柿ノ木駅全景、2004年7月撮影。

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柿ノ木駅に進入する夕刻のキハ40系気動車小出行、2004年7月撮影。

柿ノ木駅は2013年3月ダイヤ改正で、定期列車が全て通過する臨時駅に格下げ、二年後の2015年3月ダイヤ改正で廃止されました。
新潟県内の鉄道駅で、ここ二十年内で廃止されたのは米坂線・花立駅に続く二例目になりました。
下記の画像は臨時駅格下げ直後の2013年5月に再訪した時のものです。
訪問は南越後観光バス運行の小出-大白川間路線バスを利用しました。

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チェーンで閉鎖された柿ノ木駅出入り口の様子。
看板には、
「只見線「柿ノ木駅」は平成25年3月16日のダイヤ改正以降、定期列車は停車いたしませんのでご注意ください。最寄の大白川駅または入広瀬駅をご利用くださいますように
お願いいたします」
との表記。

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柿ノ木臨時駅とその周辺の風景。
画像左の道路が国道252号線です。
駅前には小集落があるので只見線・田子倉駅や上越線・土樽駅のような無人地帯ではないのですけれど、それでも臨時駅化そして廃止の憂き目。
鉄道で通学する高校生がいなくなったから廃止という噂も聞きますけれど。
小中学生の通学については、スクールバスや路線バスで問題無いという判断なのかもしれません。
ちなみにこの時点で駅近くの「柿ノ木」バス停ダイヤは下記の通り。
バスダイヤはその後変化がないので、基本的にこのままだと思われます。

小出行
07:34 12:42 17:27

大白川行
07:09 12:17 17:02

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入広瀬駅方の踏切から見た柿ノ木臨時駅の様子。
当駅の待合室はけして大きくないのに、ホームが小さく短いので、立派な建物に映ります。

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線路と並行する道路から見た柿ノ木臨時駅。
画像右手近くを破間川が流れているのですけれど、それをあまり感じさせないのが当駅の特徴。
周囲の緑と素朴な停留所の佇まいに目が奪われてしまっているからかもしれません。

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臨時駅化してもなお健在だった、JR東日本定番型の駅名票。

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線路に並行する道路の大白川方から見た柿ノ木臨時駅。
このアングルから列車を見たかったですなぁ。

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2006年11月13日 (月)

只見線・田子倉駅

本日の駅紹介は只見線・田子倉駅。

2016年2月28日記、画像貼り変えと一部加筆修正しました。

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田子倉駅は新潟県に属してはおりませんが、只見線は小出-只見間を一区切りとして取材しましたので、行きがかり上当駅も取り上げる事にします・・・
と言うより、秘境駅マニアや無人駅ヲタにとってはヨダレが出そうな程美味しいご馳走が、県境のすぐ向こう側にあるとあっては見逃す事など出来ません(笑)。
さて田子倉駅は昭和46年8月29日に、只見線只見-大白川間開通(只見線全通)と同時に開業しました。
駅至近にダム湖の田子倉湖があります。
福島県南会津郡只見町に所在する無人駅・・・文字通りの「無人駅」でございまして、周囲は半径数キロ以上に渡り、人家が一切ありません。
1972~88年まで運行されていた会津若松-小出・浦佐間の急行「奥只見」の停車駅でしたが、なんだってこんな駅に・・・。
冬季は駅は営業休止、国道252号線は通行止めと、人界とは完全に隔離された地になります。

なお田子倉駅は2011年7月の新潟・福島集中豪雨で運転休止になった大白川-只見間が2012年10月に復旧したのちも列車停車が再開されることがないまま、翌13年3月ダイヤ改正で廃止されました。
この改正では只見線内の柿ノ木駅も定期列車が通過する臨時駅に格下げされており、只見線小出口の大きなターニングポイントとして後世に語り継がれるかもしれません。

私がこの名にし負う全国有数の秘境駅である田子倉駅に降り立ったのは、2003年夏が最初にして最後です。
お盆時期の臨時列車が小出-只見間に運転され、それを使うと当駅での滞在時間が約一時間で済む事から勇躍出動した次第ですが・・・
この判断は結果的に大正解でした、降り立って遭遇したこの駅の構内外のエグさを思うに・・・。

田子倉駅のうす暗いホームに降り立つと、独特のカビ臭さが鼻を突きます。
田舎の無人駅の待合室内に大抵立ち込めていて、すっかり鼻に馴染んだかほりですが、スノーシェッドに覆われて半ば地下駅と化している当駅のソレはぐっと濃縮された感じで、長居をすると肺にカビの胞子が侵入してきそうなちょいヤバめ・・・。
まず嗅覚が、この駅が尋常でない事を私の足りない脳ミソにも理解できるように警告しております・・・。

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田子倉駅ホームの名所案内板。
急行「奥只見」が列車交換設備の無い当駅に停車していたのは、登山客を当て込んだものだったのかもしれませんな。

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田子倉駅ホーム上の時刻表。
利用客に乗り遅れのないよう、注意喚起も兼ねてこんな大きさにしていたのかも。
何しろこの本数で路線バスも走っていないのですから。

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地上へ至る階段の様子。
2ちゃんねるで田子倉駅に関する色々と怖い話を仕入れた後だったので、コンクリの壁面のシミが人の顔に見えたりしましたっけ。
踊り場は真夜中に白い服のコワいおねいさんがボワ~ンと突っ立っていても不思議じゃない不気味さ。
おりしも時はお盆もたけなわです。

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田子倉駅ホームの様子。
後述の通り、ここではロクな目に遭いませんでした。
駅巡りで最悪の出来事でしたorz

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田子倉駅に到着した臨時列車のキハ40系気動車小出行。

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国道に面した田子倉駅の出入り口。

地上に出ると、そこは駅構内とは別世界。
真夏の日差しが照りつける、見事なまでにどぴーかんな青空。
周りは一面の山・山・山!

作業小屋のような、「田子倉駅」の表示があるだけの味も素っ気もない駅入り口をカメラに収め、いざビューポイントの田子倉湖へ!
と足を踏み出した時、長閑で平和なしじまを破って悪魔が・・・。
悪夢の始まりでございます・・・。

猛スピードでこちらに接近してくる二つの小さな物体、耳を打つ重低音の羽音・・・。
オオスズメバチさんたちの手荒いお出迎えであります。
私の1メートルほど前で、テレビでよく紹介される威嚇行動・・・、どうやら駅入り口のごく至近に巣があるようです。
冷や汗を流しつつ、それでもビューポイントでの撮影の誘惑に抗しがたい私は、彼らを刺激しないように細心の注意を払いつつ、ゆっくりと歩いて数枚をパチリ。
しかしスズメバチさんたちもしっかりついて来て、周りをぶんぶん飛び回っております・・・次第に間合いを詰めてきました。
殺気をびんびんに感じます。
とうとう私の顔のすぐ前に飛んできて威嚇を始めました。
・・・カチカチカチと顎を鳴らすあの音・・・。
生まれて初めて直面したオオスズメバチの脅威に、足が恐怖ですくみます・・・。

これ以上の前進は自殺行為、へっぴり腰で駅入り口に退却しますが、スズメバチさんはよほど虫の居所が悪かったのか、威嚇を止めようとしません・・・。
今にも顔面を刺しに来そうな非常に危険な雰囲気です。
スズメバチに威嚇されてその場を離れる際に、走ったりして相手を刺激するのは絶対の禁じ手なのですが、駅入り口を目の前にした私は、理性より恐怖が立ち勝ってしまい思わず走って駆け込んでしまいました・・・。

駅入り口までもう少し距離があったなら、逃げ切れずに刺されていたかもしれませんが、幸い駅構内まで彼らが追ってくる事はなく、まずは急死に一生を得た形になりました・・・、
しかしこれで外の風景を撮影する事は不可能です。

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スズメバチさんの襲撃のせいで、撮れた外のマトモな写真はこの二枚きりでした・・・
本当は滞在一時間をフルに使って撮りまくるつもりだったのに。

帰りの列車が来るまであと40分以上・・・、外の画を撮れない以上やる事もなし。
ちょうど時間はお昼どき、事前に購入しておいた寿司を取り出してカビくさく薄暗いホーム上のプラスチックのベンチで昼食・・・。
しかしこの時から悪魔はふたたび・・・!

寿司の匂いを嗅ぎつけたのか、外で頑張っていらっしゃるオオスズメバチさんとは別の真っ黒い中型のハチさんたちがお出ましに。
私の周りを大きく旋回しております・・・。
田子倉駅構内はクロスズメバチさんか何かのテリトリーのようです。
オオスズメバチさんたちほど露骨な敵対行動はとりませんが、やや距離を置いての旋回を止めようとしません、時折匂いの元を確認するかのように接近してきます・・・。
この状態で寿司をつまむ事などとても出来ず、止む無く寿司をしまって飲み物だけを口にしますが、一度火が点いた狩猟本能を抑えられないのか、クロいハチさんたちはその後も私を徹底マーク・・・。
ベンチに座っていると数匹でたかってきそうな気配に、常にホーム上を移動して連中と常に距離をとりますが、クロいハチさんたちも一緒に動いてぴったりマーク・・・。

結局、列車が来るまでの間中、ホーム上を絶え間なく歩き続けてクロいハチさんたちの追求から逃れ続けるというトホホな状態。
帰りの列車がホームに滑り込んできた時にはキリスト教で言うところの天使降臨、空中携挙のこころもちにございました・・・、
もしくは乗機を撃墜されて脱出し、敵兵の追撃を逃れて味方の救難ヘリに命からがら転がり込んだパイロットの心境とでも申せましょうか。

果たせなかった田子倉湖の撮影を含め、出来ればもう一度訪問したいこの駅でございますが、この恐怖の一時間を過ごした身としましては、少しでもハチの危険が生じそうな季節は・・・(涙)。
少なくとも7月~10月末までのスズメバチの活発な活動時期は絶対に無理。
11月はハチの恐怖は無くても冬眠前の食い溜めにウロウロしているクマさんと鉢合わせする可能性があります。
11月下旬となれば雪が積もり始め、列車も3月末まで全便通過。
名うての豪雪地帯ゆえ、完全に雪が消えるのは5月に入ってからでしょうから、再訪のチャンスは実質6月だけでしょうね・・・。
その中で好天の土日となると・・・
なかなか難しい話なのでございます。

・・・とか何とか思案している間に、田子倉駅は休止そして廃止へ。
田子倉ダムはぜひ行きたいのですけれど、何で行くにせよ交通事情が悪すぎますな・・・。
景色はとびきりなんですけどね。

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