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2017年3月11日 (土)

小出駅(上越線)

本日の駅紹介は、上越線/只見線・小出駅。

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新潟県魚沼市に所在する有人駅で、同市の玄関駅であります。
開業は大正12年(1923年)9月1日で、当時の所在は北魚沼郡小出町。
小出町は六日町と並ぶ魚沼地方の主要な町で、駅の風格もそれに相応しいものになっています。
戦時下の昭和17年11月1日に只見線・小出-大白川間が開業して、当駅は上越線と只見線が乗り入れる現在の形が確立されました。
人口約一万三千人の小出町は平成の大合併の号令下、2004年11月1日に北魚沼郡の諸町村と合併して新自治体の魚沼市の中心部となり、小出駅は人口約三万七千人の新たな市の玄関駅となって今日に至ります。

さて小出駅は魚沼市(旧小出町)中心部とは魚野川を挟んで対岸にあり、街の中心部とは1km近く離れています。
越後堀之内駅から街の中心部に至るには魚野川を鉄橋で渡らねばなりませんから、その辺の事情もあるのだろうとずっと思っていましたけれど、小出町史によると駅があのようなやや不便な場所に設けられたのは、鉄道に対して町にそれほどの熱意が無かったからのようです。
町の意識として、鉄道の駅を町発展のツールとする意識が大きくなく、駅が町の中心から離れていても許容範囲内なら無問題というわけです。
大正時代ともなれば、客貨両面に渡る鉄道の威力は広く知られるところだったでしょうに、何とも淡白な話なのです。
新潟県の駅紹介にあたっては、新潟県内の市町村史を調べて駅設置の謂れを勉強しているのですけれど、このようにユルい話は小出駅に関するこの話がほとんど唯一なのですよ。
こういう町の意識の下、小出停車場は町内を流れる魚野川西岸の現在地に置かれることになったのです。
川岸の縦深の無い地形に駅を設置した事は、後世になって大きなツケとなって返ってきました。
それが上越新幹線の駅設置の問題です。
小出は長岡-越後湯沢間のちょうど中間に位置していて、駅設置に程よいところであります。
只見線と接続していて、その辺のアドバンテージもあります。
しかし新幹線駅は、人口規模で小出町とほぼ同格の南魚沼郡大和町内の浦佐駅に決定。
時に昭和46年10月であります。
この結果に憤懣やる方ないのが小出町で、町史によるとこの翌月に「町民総決起大会」を挙行して浦佐駅へ異議アリと高らかに宣言します。
昭和47年2月には、総勢225人もの大陳情団が上京して時の通産大臣・田中角栄氏に直談判するまでにエスカレート。
しかし角栄氏の回答は、「新幹線の駅は技術的問題があるので簡単には動かせない」でありまして、眦を決して談判に及んだ陳情団にとって無情なモノなのでした。
まぁ小出駅に新幹線の駅を作るとなると、直線で入るとルートの根本的変更が必要ですし、現在そのままのルートから駅に入るとなると急カープは避けられません。
加えて前述した駅周辺の地形の余裕の無さ。
あの場所に浦佐駅と同規模の立派な駅を作るのはかなり無理があります。
計画段階で大陳情団を繰り出してアピールしておけば、小出町内の別位置に新駅を設置するのも可能だったかもしれませんが、ルートが確定してしまってから騒いでも遅すぎますなぁ。
かくて昭和48年秋には上越新幹線・浦佐駅の建設が始まり、全ては終わってしまったのです。
新幹線開業前は浦佐駅に対して断然優位であった小出駅も、開業によって在来線特急「とき」が全廃されると一気に斜陽化。
昭和60年3月改正で急行「佐渡」「よねやま」が廃止されると、当駅に停車する幹線筋の優等列車は消滅。
JR移行後まもなく只見線の急行「奥只見」が廃止されて、小出駅はついに優等列車の停車しない実質電化ローカル線の小さな拠点駅になって今日に至るのです。

そんな小出駅の2015年度一日平均乗車人員は、JR東日本によると940人。
同社の新潟県内有人67駅中42位です。
高校が付近にある為に学生の集中があり、市の規模を考えれば健闘しているように思えます。

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現在の小出駅駅舎、2012年5月撮影。
建築財産票を見つけられなかったのですが、ウィキペディアによると2011年8月26日の供用開始です。
下の画像の駅舎右側のガラス張りのところが待合室です。

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駅舎横の路線バス乗り場、2012年5月撮影。
小出駅前からは鉄道補完として、南越後観光バス運行の穴沢(入広瀬)・大白川線と上越線沿いの六日町線及び小千谷線が発着しています。
特に穴沢大白川線は、超過疎ダイヤの只見線各駅廻りの大きな助けになります。

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小出町出身の俳優・渡辺謙氏の手による駅名板、2012年5月撮影。
当地域出身の有名人と言えば、私的には渡辺氏と戦隊シリーズ初期の名女形で現在はアクションコーディネーターの竹田道弘さんですな。
戦隊スーツを着ると、体型も挙動もどー見ても女子にしか見えない名人芸でした。

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小出駅駅舎内の様子、2012年5月撮影。
下の画像の左側が待合室入り口です。
改築で駅舎はすっかり小奇麗になりましたけれど、旧駅舎の持つ幹線の主要駅としての風格は随分薄れてしまいました。
なおトイレは駅構内にしかなく、駅周辺に気軽にトイレを借りられる店は無いのでその点ご注意の程を。

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小出駅駅舎待合室内の様子、2012年5月撮影。
鼻クソをほじっているのも外から丸見えですが、防犯上はこの方が良いですな。

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1番ホームに接する駅舎と上屋の様子、2012年5月撮影。
1番ホームは長岡方面乗り場になります。
トイレは改札口の向こう側で、新しい駅舎では当然の事ながらバリアフリー対応。

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1番ホームの八色駅方から見た小出駅構内の様子、2012年5月撮影。
上越新幹線開業前はこのホームを目一杯使って、電車特急「とき」が一日5往復停車していたのです。
この時期には他に電車急行「佐渡」四往復と「よねやま」一往復、客車夜行急行「能登」の下りが停車していました。
当駅に「とき」が停車するようになったのは確か昭和47年3月改正からで、新潟-越後湯沢間の電車急行「ゆざわ」が同改正で廃止された代替措置がその始まりではなかったかと記憶しております。
ちなみに昭和55年10月改正ダイヤにおける、小出駅の優等列車停車は下記の如し。
下り                      上り
01:51急行「能登」金沢行        01:08急行「佐渡8号」上野行
03:38急行「佐渡7号」新潟行     08:01特急「とき4号」上野行
09:49特急「とき1号」新潟行      08:24急行「佐渡2号」上野行
11:05急行「佐渡1号」新潟行      11:02特急「とき10号」 上野行
11:48特急「とき5号」新潟行      11:08急行「よねやま」上野行
12:15急行「よねやま」直江津行   15:00特急「とき18号」上野行
16:20特急「とき15号」新潟行    15:06急行「佐渡4号」上野行
17:06急行「佐渡3号」新潟行     17:00特急「とき22号」上野行
18:47特急「とき21号」新潟行    17:42急行「佐渡6号」上野行
21:17特急「とき25号」新潟行    18:00特急「とき24号」上野行
21:49急行「佐渡5号」新潟行

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1番ホームの越後堀之内駅方から見た小出駅構内、2012年5月撮影。
只見線ホームへ至る跨線橋が長いこともあって、地方幹線の主要駅らしい風格満々なのです。
ただホームの上屋は信越本線の特急停車駅に比べると短めで、この辺りはローカル輸送の実態を反映してのものではないかと推察できるところ。

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1番ホーム端から越後堀之内駅方を望む、2012年5月撮影。

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1番ホーム上の跨線橋出入り口の様子、2012年5月撮影。
地方幹線主要駅としては標準的な幅です。

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小出駅跨線橋内部の様子、2012年5月撮影。
只見線ホーム乗り場へ向って、途中から幅が狭くなっているのがポイントです。
電化幹線上越線さまとは格が違うんだぞぅと逆アピールしているようです。

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跨線橋上から八色駅方を見る、2012年5月撮影。
上越、只見両線間の空所が目に付きます。

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同じく越後堀之内駅方を見る、2012年5月撮影。
駅裏は道路一本向こうがすぐ魚野川です。

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小出駅島式ホーム中央部の様子、2012年5月撮影。
越後湯沢方面乗り場は画像左側の三番線で、右側の二番線に発着する定期列車は現在ありません。
ちなみに昭和55年10月改正ダイヤでは、小出駅での普通列車の特急列車退避が1日3回ありました。

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島式ホームの越後堀之内駅方から見た小出駅構内、2012年5月撮影。
島式ホーム右側の2番線に今後定期列車が発着することはもう無いのでしょう。
豪雪地域ゆえに冬季にダイヤが乱れた際の保険で維持しているのかもしれませんが、ダイヤが乱れそうなら先手を打って運休させるのが常態ならば、その必要も無さそうです。
ローカル旅客はそれで良くても貨物列車はそうもいかないでしょうから、その辺の考慮もあるのかもしれませんけれど。

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島式ホーム端から越後堀之内駅方を見る、2012年5月撮影。

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3番ホームから見た只見線ホーム、2012年5月撮影。
跨線橋がひどく大きく見える、低くて小さなホームです。

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島式ホームの端から八色駅方を見る、2012年5月撮影。

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島式ホームの八色駅方から見た小出駅構内、2012年5月撮影。
只見線ホームはJR線のホームというより、軽便鉄道上がりのローカル私鉄線のそれのよう。
出自はまじりっけ無しの国有路線なんですけどね。

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只見線用ホームの先にある転車台、2012年5月撮影。

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小出駅構内中央部の様子、2012年5月撮影。
2番線の使用頻度はレールの色から察することが出来ます。

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跨線橋出入り口付近から見た小出駅只見線用ホームの様子、2012年5月撮影。

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只見線用ホームから見た小出駅構内、2012年5月撮影。
構内の離れ小島のような場所に只見線乗り場はあります。

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上越線用ホームのそれに比べて、幅のずっと小さい只見線用跨線橋出入り口、2012年5月撮影。

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小出駅1番線から出発する115系電車長岡行、2012年5月撮影。
当駅のかつての全盛時代を知る唯一の生き証人だったこの電車も、2016年3月ダイヤ改正で新鋭E129系電車に置き換えられて姿を消しました。

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小出駅3番線に到着した115系電車水上行、2013年5月撮影。
左側で待機中の只見線気動車は新潟色のキハ47+仙台色キハ40です。

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小出駅3番ホームから見た只見線のキハ40新潟色+仙台色、2013年5月撮影。

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小出駅で出発待機中の大白川行、2012年5月撮影。
前年7月の新潟福島豪雨で不通の大白川-只見間が復旧したのはこの約五ヶ月後でした。
大白川止まりの昼過ぎのこの列車、土曜でしたが学生も少なくガラガラでしたっけ。
何だかんだいっても、やはり最低でも只見まで行かないと意味が無い路線かも。

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只見線が全線健在だった頃、小さなホームに並び立つキハ40の両雄。
上は2003年8月撮影、取材目的で只見線に入った記念すべき最初の日でした。
下は2004年10月撮影で、昼過ぎの会津若松行の出発直前です。

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駅舎前から見た小出駅前の様子、2012年5月撮影。
駅前には旅館とビジネスホテルがありますが、旧小出町中心街から離れた駅界隈は公共交通の結節点で、商店街は形成されていません。

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小出駅前で客待ち中の、南越後観光バス運行の大白川行路線バス、2012年5月撮影。

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小出駅から旧小出町中心街に向かって歩きながら振り返って一枚、2012年5月撮影。
駅は右手になります。

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町を分ける魚野川に架かる小出橋、2012年5月撮影。
両側に歩道の付いた立派な橋です。
画像奥が旧小出町中心街入り口になります。

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小出橋の陸橋部分から見た小出駅構内、2012年5月撮影。
ここからの眺めは素晴らしく、俯瞰フェチの私は色んな角度から撮りまくりましたなぁ。

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同じく越後堀之内駅方を見る、2012年5月撮影。

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小出橋から見た魚野川下流方の様子、2012年5月撮影。
画像左端が小出駅、真ん中の鉄橋は只見線のそれです。
魚野川は鉄橋の向こう側で只見線沿いに流れる破間川と合流するのです。

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小出橋上から見た小出駅裏手の様子、2008年4月撮影。

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同じく魚野川上流方の様子、2012年5月撮影。

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小出橋を渡り、振り返って一枚、2008年4月撮影。

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旧小出町中心街の様子、2008年4月撮影。
豪雪地帯特有の頑健なアーケイド街です。
この辺りには集客力のある店舗はなく、昔ながらの個人商店が立ち並んでいます。
シャッターを閉めている店も目立つのですけれど、アーケイドの視覚的効果もあってそれほど寂れた印象は持ちません。
ただし横道に入ると、あぁ~・・・と口を突いて出てしまいそうな光景も。
前述の大白川行バスに乗るとそこを通ります。
ちなみにこれは小出駅から只見線の薮神駅に歩きながらの一枚。
昼過ぎの列車に薮神駅から乗るには、歩いて行くより他に道無しだったのです。

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小出駅から徒歩10分の、魚沼市営小出スキー場のシーズンオフの様子、2008年5月撮影。
魚沼市域には合併前の旧町村運営のスキー場が点在していますが、いずれも状況は思わしくなく、最も集客性の高い只見線・越後須原駅最寄りの須原スキー場以外からは撤退の方針が打ち出された事があります。
幸い、この小出スキー場は2016年度時点で健在です。

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小出スキー場から見た旧小出駅中心街、2008年5月撮影。
ここからの眺めも実に素晴らしいのですよ。

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小出駅旧駅舎の様子、2008年4月撮影。
建築財産票を見つけられなかったので、完成年月は残念ながら不明。
現駅舎と比べると、運転関係のスペースがある分横長でした。

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小出駅旧駅舎内の窓口と改札口、2008年5月撮影。
改札口の柵などは上越線全盛時代の遺構的な味わいをかもし出していたものです。
コンコースは実に広々としていて、上越新幹線開業以前は荷物を抱えた優等列車乗客がここで改札が開くのを待ち構えていたのでしょうね。
また旧駅舎時代はトイレも駅構内外にそれぞれあって、客はシモの心配をせずに済んだのです。

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改札口から見た小出駅旧駅舎内部の様子、2008年5月撮影。
昔はこのクラスの駅には大抵コインロッカーがありましたっけ。
画像左側が待合室出入り口です。

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改札口から見た待合室の様子、2008年5月撮影。

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待合室内にはキオスクがあって、至近に買い物処の無い小出駅では貴重な存在でした。
2008年5月撮影。
この時の待合室開放時間は06:50~20:00で窓口営業時間と同一。
キオスク営業時間は07:40~13:20、14:20~18:00でした。

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島式ホームから見た、小出駅旧駅舎の1番ホーム側と上屋廻り、2004年10月撮影。

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2017年3月 4日 (土)

越後堀之内駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・越後堀之内駅。

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新潟県魚沼市に所在する有人駅で、開業は大正11年(1922年)8月1日。
開業時の所在はかつて三国街道の宿場町であった北魚沼郡堀之内村で、同村の玄関駅でした。
堀之内村は駅開業の四年後に町制を施行して堀之内町になり、平成の大合併の号令下で平成17年(2005年)に近隣諸町村と大合併して、新自治体の魚沼市になって今日に至ります。
駅名に「越後」を冠するのは、当時東海道本線の静岡県下に明治22年開業の「堀之内」駅が存在したからですが、静岡県の「堀之内」駅は昭和31年に現駅名の「菊川」に改称されています。
JR東日本によると、2015年度の当駅一日平均乗車人員は433人で、同社県内有人67駅中55位。
当駅裏には県立堀之内高校が所在していますが、同校は2004年度から定時制高校に移行しています。
堀之内高校が全日制だった2001年度の当駅一日平均乗車人員は770人。
最寄高校が定時制に移行して学生の集中が無くなってしまってから、当駅の利用も急速に減少してしまったのです、それは14年間で44%減。
いかに地方の鉄道利用が学生に依存しているかを、この数字が物語っているのです。

さて自治体史を見ると、鉄道に関して全く触れてないところがある一方で、私のような好事家が瞠目するような濃い話が書かれているところもまたあるのですけれど、旧堀之内町の場合はまさしく後者です。
すなわち現在の飯山線(当時は十日町線と呼称)の計画時に、堀之内村を始め魚沼地方から堀之内-十日町間にすべきという申し入れがあったという話です。
皆様ご存知の通り、現実の飯山線は当駅から西に約8kmの上越線・越後川口駅から分岐しているわけですが、飯山線の当初計画時には上越線との分岐を川口にするのか堀之内にするのかその優劣が検討されたというのです。
それも越後堀之内停車場が開業する3年も前の大正8年にです。

堀之内町史によると、堀之内停車場分岐のメリットとして
1.堀之内村は川口村と比較して人口は二倍以上、主要物産品の生産量はそれ以上であること
2.対東京の利便性は川口よりも距離が短い堀之内が有利。
3.堀之内分岐は川口分岐よりもトンネルや鉄橋が少なくて済むこと(ただし川口-十日町間と堀之内-十日町間の距離自体はほぼ同じ)。
4.川口村より堀之内村の方が隣接する村が多く、周辺からの客貨を期待できること。

想定されるトンネルや鉄橋(それぞれ一箇所ずつ)の数を見ると、この堀之内-十日町線は現在の国道252号線に沿ったルートのようです。
そしてこの検討時に存在していた沿線自治体は、堀之内村と十日町を除くと田川入村(大正15年に堀之内村に編入)と中条村(昭和29年に十日町と合併)。
一方、川口分岐の場合は岩沢村、下条村、中条村。
国道252号線は通ったことがありませんが、現在の飯山線沿線の越後岩沢駅(岩沢村、昭和30年に小千谷市に編入)、下条駅(下条村、昭和30年に十日町市に編入)の周辺を見るに、往時は相応の実力を持った村のように見えます。
ゆえに路線内での需要は川口分岐の方に軍配が上がりそう。
また東京対十日町では堀之内ルートが有利とは言っても、十日町にとっては県都新潟や中越地方の中心である長岡との結びつきも重要で、その場合は対東京とは逆に川口ルートの方が近いことになります。

結局、堀之内分岐案が陽の目を見ることはなく、十日町線は現在の越後川口駅分岐で落着しましたけれど、もし越後堀之内駅分岐になっていたら駅はどこに設置されたのか、風景はどんな感じだろうかと色々想像してみるのもなかなか楽しい事なのですよ。

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越後堀之内駅駅舎の様子、2012年5月撮影。
建築財産票によると昭和43年10月の竣工。
許容積雪量は250cmで、この屋根の剛健さを見るにああ成る程と納得する次第。
昭和40年前後に完成した駅舎の特徴である窓の大きさがこの駅舎にも見られます。
駅前広場はかなり広いのですが、ご覧のように駐車はナシ。
2008年に訪問した際はタクシーが待機していましたが、この時はナシ。
常駐は止めてしまったのかどうか。

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駅舎から見た越後堀之内駅前通り、2012年5月撮影。
国道17号線は画像中央の十字路の横の道路です。

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越後堀之内駅駅舎内の様子、2012年5月撮影。
2008年4月訪問時には吹き抜けでしたが、2011年5月に立ち寄った際にはこの形になっていました。
吹き抜け時代には無かった空調もしっかり設置。
間もなく築半世紀のこの建物、このように手を入れたからにはまだまだ使うつもりなのでしょう。

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構内から見た、吹き抜け時代の越後堀之内駅駅舎内の様子、2008年4月撮影。
この時は列車到着30分前からオバチャン集団が待合室で大はしゃぎ。
ゆえに駅舎内の画をまともに撮れずに私は涙目。
オバチャンたちが列車に乗車するために到着キリギリに構内に入り、列車がいまホームに進入しているその時に撮ったのがコレでした。
駅巡りをやっていると、こういう事は間々あるのです。
近所の人らしきおぢさんがベンチで昼寝してたり、いたいけなオバァサンたちの井戸端会議場と化していたり、明らかに未成年のDQ・・・もとい少年たちの喫煙場になっていたり。
凄いケースでは、ほくほく線のうらがわら駅で待合室に寝袋やら自炊用具やら酒瓶やらを並べて、完全にマイルーム化していた登山家風のおぢさんに遭遇したことがあります。

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上りホーム(水上方面乗り場)の小出駅方から見た越後堀之内駅構内の様子、2012年5月撮影。

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上りホーム脇の旧貨物ホームと二本の側線、2012年5月撮影。
ハイモの留置線として活用されています。

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上りホーム端から小出駅方を見る、2012年5月撮影。
左横の二本の側線は一条になって上り本線と繋がっているのがわかります。

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越後堀之内駅駅舎の上りホーム側の様子、上は2004年7月、下は2011年5月撮影。
国鉄時代の地方の有人駅の標準的スタイルを今なお留めています。
上の画の右側の、ひらがなの駅名表記は私の幼少の目にはひどく印象的でしたっけ。
上越線の急行「佐渡」の車中から目が釘付けでした。
なんであんなに惹かれたんだろうかと、自身の事とはいえ子供の感性はわからんものです。

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越後堀之内駅跨線橋内部の様子、2012年5月撮影。
内部は優等列車停車駅並みの広さです。
窓を開けられなかったので構内の俯瞰撮影が出来ず残念無念。
当駅は堀之内町の玄関駅でありながら、魚沼地域の主要駅の一つである小出駅から僅か2.5kmという近さゆえか、特急列車は勿論、定期急行列車の停車はありませんでした。
やはり主要駅の六日町駅の隣ということなのか、急行停車が叶わなかった塩沢駅と同じ境遇で、駅の規模の割に報われなかったなぁという印象が強いのです。
当駅や塩沢駅よりも利用が少ないのに、飯山線の接続駅ということで昼行急行列車の「佐渡」と「よねやま」が停車していた越後川口駅の贔屓されっぷりと差が有り過ぎです。
ただし「堀之内町史」には「越後堀之内駅に準急列車が停車」という記述があったので、かつての電車準急「ゆきぐに」や「ゆざわ」の停車実績があったのかどうか。

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旧島式ホームの2番線側から見た越後堀之内駅の中心部、2012年5月撮影。
上越新幹線開業前の昭和55年10月改正ダイヤでは、当駅で優等列車を退避する普通列車は一日1本のみ。
新幹線開通後の国鉄末期には、塩沢駅や越後滝谷駅と同様に撤去されていたようです。
仕方が無いこととはいえ、中線廃止による変則対面式の構内は、見映えがよく無いなぁと見るたびに思うところです。

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旧島式ホームの小出駅方から見た越後堀之内駅構内、2012年5月撮影。
古い時代の駅の常として、当駅のホーム配置もやはり千鳥型。

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旧島式ホームの北堀之内駅方から見た越後堀之内駅構内、2012年5月撮影。
ホームの古めかしく頑丈そうな基礎が目を惹きます。

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旧島式ホーム端から北堀之内駅方を見通す、2012年5月撮影。

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小出駅方の陸橋上から遠望した越後堀之内駅構内、2013年9月撮影。
中線跡の、今日では無意味な空間はやはり寂しいのです。

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越後堀之内駅に停車中の115系電車長岡行、2012年5月撮影。
優等列車が思い出の彼方に消え去った後の当駅に日中出入りするのは、115系電車と貨物列車のみ。
そしてこの115系電車も2016年3月改正で全列車がE129系電車に更新されて、過去帳の仲間入りになったのです。

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越後堀之内駅に到着した115系電車水上行、2012年5月撮影。

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越後堀之内駅至近の国道17号線の様子、2012年5月撮影。
とにかくクルマの通行量が多く、こうしてクルマが映りこんでいない画を撮るのに随分と待たされるのです。
駅近くには画像右側のセブンイレブンがあります。
人口一万人弱の旧堀之内町ですが、商業エリアは駅周辺に集中しているので旧町の人口規模以上に賑やかな感じ。
なお国道には南越後観光バス運行の小千谷-小出線が走っていて、小出-越後堀之内-北堀之内-越後川口-小千谷の各駅間の鉄道補完として使えます。

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駅から見て、国道の一本向こうにある道が昔の三国街道でもある旧国道の様子、2012年5月撮影。
国道とは違い、こちらはクルマも少なく寂れた印象を拭えません。
第四銀行の支店が立地しているのは、かつての堀之内中心部であったことの証と言えましょう。

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旧町内を流れる魚野川の様子、上は2012年5月、下は2013年9月撮影。

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2016年8月28日 (日)

八色駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・八色駅。

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新潟県南魚沼市に所在する無人駅で、開業は昭和40年(1965年)1月15日。
開業時の所在は南魚沼郡大和町で、同町は平成16年(2004年)11月に南隣の六日町と合併して新自治体の南魚沼市の北部地域となって現在に至っており、八色駅は北隣の魚沼市との境界に位置しています。

八色駅周辺には小集落がある程度で観光名所もなく、鉄道に興味の無い人が八色と聞いて頭に浮かぶのは当地域名産の八色スイカでしょう。
駅開業時には上越線・浦佐-小出間は複線化していたので、列車交換の信号場的役割を持っていたわけでもありません。
国鉄時代には普通列車も数本は当駅を通過していたほどです。
旧大和町の玄関駅である浦佐駅からも比較的近く(約3km)、駅前至近には国道17号線も通っているのです。
何故この地に駅が置かれたのか?
大和町史にもその辺の事情は記述されていません。
新駅設置なら他にいくらでも需要の見込めるところはあるのに。
やっぱりアノ方の何らかの働きかけがあったのか?
そんな疑問ばかりが頭をよぎる、そんな駅がここ八色駅なのです。

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越後湯沢方面乗り場の小出駅方から見た八色駅構内の様子、2013年5月撮影。
電化複線の直線上に当駅は所在しています。
前後は緩やかなカープなので、ホームを作りやすいこの位置に駅を置いたのかもしれません。
しかしそのせいで駅構内の印象は地味色一色。
少しでも曲線を描けていれば、印象はかなり変わるはず。

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同じくホーム端から小出駅方を見る、2013年5月撮影。
八色駅の直線を抜けた列車は上下別線のトンネルに突入して魚沼市内に入ります。

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ホーム上の小さな待合室、2004年10月撮影。
建築財産票によると昭和43年7月の完成。
許容積雪量が250cmなのは豪雪地帯ならでは。
屋根の剛健な作りが目を惹きます。

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待合室内の様子、2004年5月撮影。
この時点では八色駅には自動券売機も乗車証明書発行機も未設置で、需要は周辺集落の学生に限られているのを窺わせます。
上越線の新潟県内区間で券売機・発行機共に未設置なのは土樽駅と当駅のみです。
ワンマン運行区間以外でここまでナイナイづくしの幹線系の駅も珍しい。

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越後湯沢方面乗り場の浦佐駅方から見た八色駅構内、2013年5月撮影。
上屋もホーム上のベンチも無いので、ホームは極めて長大に映ります。
アクセント皆無なのでその佇まいは実に退屈なのですよ。
勿論異論は認める。

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上下のホーム間の連絡は浦佐方の構外の踏切で行います、2013年5月撮影。

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踏切に続く通路から見たホーム出入り口付近、2013年5月撮影。

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浦佐方の踏切から見た八色駅構内、2013年5月撮影。
シンメントリーもここまでやると美観的にちと考え物ですな。

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長岡方面乗り場の端から見た浦佐駅方の様子、2004年5月撮影。

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長岡方面乗り場の浦佐駅方から見た八色駅構内、2013年5月撮影。
左側は旧大和町五箇地区の小集落、右側は民家が点在する田圃で至近を魚野川が流れています。

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同じく小出駅方から見た八色駅の様子、2004年5月撮影。

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八色駅を出発する115系電車水上行、2013年5月撮影。
当駅の地味さをより増しているのが、停車・通過する車両のバラエティの乏しさでしょう。
定期列車は115系電車と電気機関車牽引の貨物列車だけなのです。

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八色駅周辺の様子、2008年4月撮影。
画像中央に見える小さな茶色の建物は公衆トイレです。

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八色駅前至近を通る国道17号線の様子、2013年5月撮影。
この時点では付近にレストランが一軒ありました。
国道には南越後観光バス運行の路線バス小出-六日町線が運行されていて、本数的にも上越線の補完として使えます。
八色駅最寄は「堺川」バス停になります。

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魚野川に架かる国道17号線の八色大橋、2013年5月撮影。
八色駅から徒歩数分のこの橋が南魚沼市と魚沼市の境界です。

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八色大橋上から見た、清き流れの魚野川、2013年5月撮影。

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2016年6月12日 (日)

上越国際スキー場前駅(上越線)

本日の駅紹介は上越国際スキー場前駅。

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新潟県南魚沼市に所在する無人駅で、正式な駅としての開業は2003年(平成15年)4月1日。
新潟県内のJR駅としては越後線・内野西が丘駅(平成17年3月開業)に次ぐ新駅です。
当駅はその駅名の通り、駅前が全国でもトップクラスの広大さを誇る上越国際スキー場であり、この駅のそもそもの出自は1997-98スキーシーズンに開設された臨時駅なのです。
スキー場のロケーションは昭和40~平成初期のスキー全盛期と変わっていないので、国鉄時代にこの駅を開業していれば、季節特急「新雪」やシュプール号が停車してさぞ賑やかであったことでしょう。
国鉄時代は色々あって実現できず、平成になってようやく・・・だったのかもしれませんけれど、レジャースキーが斜陽になってからの駅開業はやや遅きに逸した感も。
スキー場前と誇らしく謳いつつ、実はスキー場まで歩いていける距離ではない岩原スキー場前駅と比べて、こちらは看板に偽り無しなんですけどね。
まぁあちらは高校が至近にあって(現在は廃校)、通年の需要を見込めたのと越後湯沢越後中里間6.8kmの中間に位置していたのが立地条件として大きかったのでしょうけれど。
こちらは隣の大沢駅まで僅か1km強、国鉄のやり方からすればあまりに駅間が近すぎますわな。

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上越国際スキー場前駅の待合室、上は2009年7月、下は2006年11月撮影。
待合室は簡素なプレハブの建物で、長岡方面乗り場の直下にあります。
待合室前は駅前の「日帰りセンターアネックス」の駐車場に面しています。

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この駅の性格を最も端的に表しているのが、待合室内のシーズンオン/オフの変化の大きさ。
上は2009年7月、下は2006年11月下旬の撮影。
夏はこのようにガランとして何の変哲もないローカル無人駅の待合室そのものですが、カキーシーズンを間近に控えて整備されるとコインロッカーと飲料自販機が据え付けられていました。
無人駅にコインロッカーなんて、新潟県内では前代未聞空前絶後な話なのであります。

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待合室から線路下の道路をくぐって、越後湯沢方面乗り場の入り口を見る。
2009年7月撮影。

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越後湯沢方面乗り場の運賃表、2004年9月撮影。
上越国際スキー場前駅には自動券売機は設置されていませんが、乗車証明書発行機は上下の乗り場に置かれています。

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越後湯沢方面乗り場の大沢駅方から見た上越国際スキー場前駅構内、2009年7月撮影。
築堤上の複線に短い対面式ホームが置かれているだけの簡素な造りです。
ホームの有効長は4両と短めで、上越線長岡口の輸送実態を反映したものです。
当駅のホームを見ると、上越線の他駅のホーム長が輸送実態に見合っておらず遊休化が激しいのを痛感してしまうのですよ。

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越後湯沢方面乗り場の塩沢駅方から見た構内、2009年7月撮影。
当駅での撮影は、この位置から下り列車を狙うのが個人的にベストかなと思う次第。

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上越国際スキー場前駅は築堤上にある駅なので、ホームからの眺めは上々です。
2009年7月撮影。
スキー客用の広大な駐車場には一台のクルマも留まっていません。

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長岡方面乗り場の大沢駅方から見た駅構内、2009年7月撮影。

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同じく塩沢駅方から見た駅構内、2009年7月撮影。

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長岡方面乗り場から見た上越国際スキー場入り口界隈の様子、2009年7月撮影。
画像中央に見える茶色の建造物は、ゲレンデに向かうリフトのものです。
こちら側も梅雨の真っ只中とあって人影なし。

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上越国際スキー場前駅に停車中の115系電車長岡行、2013年6月撮影。
当駅は一般旅客の利用が望めない故か、通過列車が多いのが特徴です。
2016年3月改正ダイヤでは、毎日運転の普通列車15往復30本(ほくほく線直通列車は除く)中、上下合わせて9本は当駅を通過しています。
これでは駅訪問もちと不便・・・というわけでもなく、隣の大沢駅は1km強の近さなので特段不便は無いのです。


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上越国際スキー場前駅を通過するHK100形電車「ゆめぞら」越後湯沢行、2013年6月撮影。
ほくほく線直通列車は全便当駅通過です。
ただしスキーシーズンには僅かながら臨時停車する便もあります。

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上越国際スキー場前駅を通過する金沢行特急「はくたか」、2014年5月撮影。

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上越国際スキー場前駅を通過する越後湯沢行特急「はくたか」、2014年5月撮影。

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上越国際スキー場側から見た駅前の様子、2009年7月撮影。
画像中央に映っている茶色の小さな建物が駅の待合室です。
左側の洋風な建物は「日帰りセンターアネックス」。
日帰り客向けの施設だそうです。

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スキー場のゲレンデに向かうリフト乗り場、2009年7月撮影。

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スキー場側から上越線の築堤をくぐったあたりの様子、2009年7月撮影。
冬眠ならぬ夏眠中の界隈であります。
季節限定のレジャー客用の施設のオフシーズンの侘しさといったらもう・・・。
このまま約1km直進すると国道17号線に出ます。

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大沢駅方面への道はこんな感じ、2006年11月撮影。
この道を道なりに1km強進むと大沢駅に着きます。
裏手のスキー場界隈のオサレな雰囲気と異なり、こちら側は民宿やロッジが建ち並んでいて昔のスキーレジャー全盛期の面影を色濃く留めています。
個人的にはこういう風景の方が良いなぁ。

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2012年2月11日 (土)

昭和55年10月改正ダイヤの石打駅時刻表

本日、石打駅エントリーに加筆と画像大幅更新を行いました。
そのついでといっては何ですが、かつての石打駅華やかかりし頃の時刻表を
作成しました。
石打駅の場合、華といえば往年のスキー列車群が咲き乱れる冬季ダイヤなの
ですけれど、残念ながら手元にある時刻表は春のもので冬の華の競演を載せ
られないのが残念です・・・。

この当時の普通列車停車本数は上下21本。
早朝の下り長岡行は特殊ですから実質20本。
平成23年3月改正ダイヤでは上下30本で、土休日には2本プラスの32
本です。
本数的には五割増しですけれど、昭和55年当時は六連は当たり前。
現在は二~四連というところ。
115系電車の定員換算だと、本数五割増ほどには増えていないのではと
思われます。

石打駅時刻表
昭和55年10月改正ダイヤより作成
赤字は急行列車
下り
列車名 始発 発車時刻 終着 備考
733M 上野 03:29 長岡
461M 越後湯沢 06:18 新潟
433M 水上 07:23 新潟 長岡-新潟間快速
721M 高崎 09:11 新潟
723M 上野 10:14 長岡
佐渡1号 上野 10:38 新潟
よねやま 上野 11:50 直江津
725M 高崎 13:38 新潟
727M 高崎 16:14 長岡
469M 越後湯沢 17:08 長岡
729M 上野 18:07 長岡
731M 高崎 21:04 長岡
上り
列車名 始発 発車時刻 終着
722M 石打 06:17 高崎 当駅始発
724M 長岡 08:25 上野
422M 新潟 10:52 高崎
よねやま 直江津 11:32 上野
424M 新潟 12:03 越後湯沢
728M 長岡 14:33 高崎
730M 長岡 16:33 高崎
732M 長岡 17:58 上野
佐渡6号 新潟 18:06 上野
440M 新潟 19:13 越後湯沢  新潟-長岡間快速 
734M 長岡 20:26 高崎
468M 長岡 21:49 水上
470M 長岡 23:52 石打 当駅終着

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2011年6月11日 (土)

湯檜曽駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・湯檜曽駅。

2017年4月15日記、旧記事を新記事に統合しました。

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群馬県利根郡みなかみ町に所在する無人駅で、昭和6年(1931年)9月1日の開業です。

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湯檜曽駅旧駅舎の威容、2005年6月撮影。
山荘のような趣は実に味がありました。
2009年秋に築42年で解体されてしまいましたが、それ以上に古い駅舎はたいして珍しくありません。
やはり乗降客数と駅舎の大きさが著しくアンバランスなのが要因だったのでしょうか?
建物もこれだけ大きいと、特に冬期の保守の手間が馬鹿にならないのは想像できるところではありますし・・・。
対して収入の方は推して知るべし。

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湯檜曽駅駅舎内の様子、2004年3月撮影。
天井が高く、広々とした空間でした。
この駅舎は新清水トンネル開通に伴う駅の移設に際して建てられた建物でしたが、移設開業した昭和42年当時の湯檜曽駅は、この内部に相応しい利用状況だったのでしょう。
しかしこの虚無的な様子はしかし・・・。
この時は自動券売機も乗車証明書発行機も未設置です。
撮影したのは当駅無人化の三ヶ月後でしたが、人っ子一人いない日中のこの光景・・・
無人化も已む無しという他言葉がありません。
JR東日本が公開している駅の1日平均乗車人員表によると、2002年度のそれは27人でした。

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湯檜曽駅旧駅舎の改札口とその向こうのホームへ至る通路、2004年3月撮影。
この頃は今のようにディープではなかったので、旧駅舎内部の画はこの三枚だけというのが、我ながら痛恨の極みなのです。
あぁ、もっとムチャクチャに撮っておけばよかった・・・。


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現在の湯檜曽駅正面の様子、2011年5月撮影。
旧駅舎があった場所は基礎のみ残して跡地はフェンスで囲まれ、その横に新駅舎・・・というより待合室が無くトイレがあるだけの単なる出入り口が出来ました。

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湯檜曽駅の新しい出入り口を正面から見る、2011年5月撮影。
冬期降雪対策に手間がかからないように、また必要な強度確保の為に、一見すると無意味に高く屋根の傾斜した建物になったと推察されますが・・・。

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更地になった旧駅舎跡の様子、2011年5月撮影。
この土地は今後どうするんでしょうかね?
JRが抱えていても固定資産税が余計にかかるだけですし、地元に売却?
(もう売却済み?)。
でも買っても使い道は無さそうだなぁ・・・。

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新しい湯檜曽駅舎出入り口の様子、2011年5月撮影。
画像左側がトイレです。
男女別で水洗、身障者対応済みで綺麗です。
・・・しかしドアに男女の明記は無く、ドアの水色とピンクで男女を推察する他無し。
水色の方に入って用足しを致しましたが洋式でした。
ピンクの方もきっとそうなのでしょう、ピンクが男性用でなければ。
男女共同じ仕様のトイレ、時代は変わった・・・!

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下りホームへの階段から湯檜曽駅出入り口を見る、2011年5月撮影。
乗車証明発行機が設置されていますが、電車に乗車しても車掌氏の来訪は無し。
私は長岡-水上間フリーの「雪国観光パス」を使用したので直接関係無いのですけれど、あれが常態だと運賃の取りはぐれも多いのではないかと。
そのクセ、水上駅からの下り列車だと出発早々きっぷ拝見に回ってきましたからねぇ、有人駅始発なんですから乗客は皆きっぷをちゃんと持ってるでしょうに。
傍目から見ると何かやってる事がチグハグ・・・。
土樽駅から上り列車に乗車した時も車掌氏の来訪はありませんでしたし・・・。
客の方から車掌のところへ出向け!って事?

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湯檜曽駅下りホームへの通路を見る、2011年5月撮影。

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土合駅方から見た湯檜曽駅上りホームの様子、2011年5月撮影。

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ホーム端から土合駅方のループ線を見る、2004年3月撮影。
上の画のループ線上に、湯檜曽駅に向かって下ってくる115系電車が見えます。

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地上ホーム出入り口と駅名標、2011年5月撮影。
湯檜曽駅に再訪を果たした2005年6月時点では昔ながらの駅名標でしたが、この時点では現在のJR東日本定番風に書き換えられています。
しかし駅名標自体は昔の形のままなのは隣の土合駅と同じ。

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湯檜曽駅上りホーム中央部に残る渡り線?の痕跡、2005年6月撮影。

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湯檜曽駅上りホームの待合室、2011年5月撮影。
駅舎の解体後、当駅で列車を座って待てるのはこの待合室だけになりました。

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水上駅方から見た湯檜曽駅上りホームの様子、2005年6月撮影。
古い形の駅名標のペンキの剥がれ具合がまた絶妙で、幹線閑散区間の世間から忘れ去られた独特の雰囲気の演出の一助に。

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ホーム端から水上駅方を見る、2004年3月撮影。

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湯檜曽駅の上りホームから見た新清水トンネル入口、2004年3月撮影。

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ループ線を越えて湯檜曽駅上りホームに進入する115系電車水上行、2004年3月撮影。
走行音が聞こえ出してから実際に電車が入線するまでのタイムラグは必見必聴。

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早春とはまた趣の異なる、春から初夏への端境期の湯檜曽駅と115系電車、2005年6月撮影。

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水上駅方から見た、新清水トンネル内の湯檜曽駅下りホームの様子、2011年5月撮影。
このホームにはベンチは置かれていません。

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土合駅方から見た湯檜曽駅下りホーム、2005年6月撮影。
現在の輸送実態から見て過剰に過ぎるホーム長。
しかしかつてはこのホームには、長編成の電車急行「佐渡」新潟行が毎日一本停車していたのです。

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上りホーム上から駅舎解体後の湯檜曽駅前を見下ろす、2011年5月撮影。

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湯檜曽駅前を通る国道291号線の様子、2011年5月撮影。
画像左側の建物は郵便局です。
この時点では周辺にコンビニ等はありません。

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運賃こそ割高なものの、頻発運行で上越線より遥かに利便性の高い路線バス谷川ロープウェイ-水上駅-上毛高原駅線の「ゆびそ駅前」バス停、2011年5月撮影。

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上越線のループ線に至る橋脚、2011年5月撮影。
昔の造りはつくづく味がありますなぁ・・・。
その隅々にまで血が通っているようで見るたびに発見があって見飽きません。
今度行く機会があったら電車が通過する様子を見上げてみたいものです。

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湯檜曽温泉街の様子、2011年5月撮影。
土合駅前から乗車したバスの車中から眺めた事はありましたけれど、歩いてつくづくと見て回るのは初めて。
・・・人気がありません、とにかく・・・
隣の水上温泉街は浴衣姿で散歩するオジさんたちをポツポツ見かけましたが・・・。
廃墟然としたホテルや旅館の様子も噂通り。
上越線は不便、新幹線の上毛高原駅からは遠くバス乗り換えは面倒、関越道の月夜野インターからも遠い・・・交通インフラからことごとく離れているので、相当に強烈なインパクトが無いと客足が遠のくのは自明の理。

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温泉街の外れから土合方面を見る、2011年5月撮影。

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話によると画像左側の道を進むと、旧湯檜曽駅跡への入口に行き着くそうなのですが、「工事車両出入口」の注意喚起が、2011年5月撮影。
何か近づき難い雰囲気でもあったので、旧駅跡見物は断念。

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旧駅跡見物断念の代わりに、駅までの道すがらにミョーなものを発見、2011年5月撮影。
コンクリ製?の長い階段と打ち捨てられて久しい様子の街灯。
待合室のようにも見える建物とホーム跡に見えなくも無い構造物。
これ以上は藪コギにならざるを得ず、水上行の時間が切迫している中でイケドン調査は少々無謀に付きこれ以上の探索は断念。

かつての急行「佐渡」停車駅も、駅舎解体でかつての栄華の残光も一気にその光量を減じて、残るは長大編成を収容可能なホームのみ。
次に来るのは実態に対してあまりに長いホームの前後を立ち入り禁止にして有効使用長の大幅縮小、そして将来は清水トンネル廃止による単線化、ループ線廃止すなわち現在の上りホームの廃止まで行き着くのでしょうか・・・?

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2011年5月29日 (日)

土合駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・土合駅。

2017年4月15日記、旧記事を新記事に統合し画像追加と加筆修正を実施しました。

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群馬県利根郡みなかみ町に所在する無人駅で、1936年(昭和11年)12月19日の開業です。
土合駅は私が説明するまでもない、JRの無人駅中屈指の知名度を誇っています。
上越国境を越える清水トンネルの開通による上越線全通と同時の開業で、昭和42年(1967年)9月28日に新清水トンネル開通に伴う上越線全線複線化までは、深い山間の列車交換駅として運転上の要衝の一つでした。

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長い冬を脱してようやく春を迎えつつある土合駅駅舎とその周辺、2004年3月撮影。
私が取材目的で最初に当駅を訪れた時の画です。
広い駅前広場には一台のクルマの姿も無く、ひっそりと静まり返っていましたっけ。

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赤い三角屋根が天空に高々と屹立するが如き土合駅舎の威容、2005年6月撮影。
ドライブインか大きな山荘か山小屋か。
いずれにせよ、人里離れた山中だからこそ映えるこのデザインです。

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土合駅に三度目の訪問をした時は、駅舎はこんな有様に・・・、2011年5月撮影。
駅舎は工事中で、この時はトイレも使用中止。
駅前広場の傍らに仮トイレが設置されていました。
隣の湯檜曽駅のように、ひょっとして駅舎解体かコレは!?
工事は6月下旬までのようで、工期を見ても駅舎自体が無くなるわけではないのでしょう・・・と信じたい!と、訪問当時は強く願ったものでした。

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そして2016年9月、駅舎は健在で何より。
しかし駅前広場はとにかくクルマが多い!
駅を見物する人多数ですが、青春18きっぷの期限外になった九月の土曜日、列車で土合駅に降り立ったのは私一人きり。
ギャラリーは私以外全員クルマ利用。
この日は警察のパトカーも巡回に来ていました。

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土合駅駅舎内の様子、2004年3月撮影。
この頃は今のようなディープさに全く欠けていたので、画像奥の待合室内の画を撮っておかなかったのは痛恨の極みなのであります。
なお当駅は自動券売機も乗車証明発行機も未設置です。
待合室は広く、谷川岳一帯に挑む山男たちの仮眠の場として重宝されたのでしょう。

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2011年5月に三回目の訪問を果たした際の土合駅駅舎内部。
ベンチが新しくなった他、待合室内部でもなにやら工事中。
なお、この時点では乗車証明所発行機が設置されていました。

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四度目の訪問を果たした時の土合駅駅舎内部の様子、2016年9月撮影。
みなかみ町も当駅の知名度にあやかろうと思ったのか、商売っ気が出てきたような。

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駅舎内の待合室は閉鎖されて立ち入ることが出来ません、2016年9月撮影。
なんでもここで火を使う人がかなりいるようで、当局も看過できなくなったようです。
こんなところで火など使うなよと、常識で考えればわかりそうなものですけれど。
駅のような公共財と私有財の狭間にあるようなところだと、その辺の感覚が麻痺しちゃうんですかね。

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土合駅前を通る国道291号線、2004年3月撮影。
画像右側が土合駅入口、道路の上を往く陸橋のようなものは、新清水トンネル内の土合駅地下ホームへの通路です。
画像左手前の小さな建物は路線バスの「土合駅前」停留所の待合室です。

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土合駅前のバス停を通過する、谷川ローブウェイ発上毛高原駅行の路線バス、2011年5月撮影。
鉄道に比べて運賃はかなり割高ですが、運行本数が多いので鉄道補完として実に便利な存在です。
このバスには3回乗車していますけれど、いずれも混んでいました。
2004年3月に乗車した際には、乗車を躊躇するほどの立錐の余地無しな大混雑。
土合駅の先にある谷川岳の通年人気を物語っているようです。
谷川岳は一度ぜひ見聞したいところなんですが、ロープウェイ乗車に二時間待ちとかいう話を聞くと、ちょっとキツいなぁ・・・。

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土合駅前から国道を湯檜曽方に少し進むと行き着くドライブイン、2011年5月撮影。
このドライブインの存在と路線バスの頻発運転(上越線に比べて)が、私的に土合駅の「秘境駅」的印象を相当に薄めています。
秘境駅というからには、矢張り鉄道の運行本数僅少で路線バスも無しで周辺人口も希薄で周りには何も無いようなところでないとねぇ。
新潟県内で言えば米坂線の越後片貝駅や越後金丸駅はまさにそんな感じなのですよ。

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土合駅構内通路の様子、2005年6月撮影。
頑強な天井の梁や窓の覆いは流石豪雪地帯の建築物の面目躍如か。

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土合駅上りホームへの出入り口の様子、2005年6月撮影。

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2005年6月当時の土合駅上りホームの様子。
画像右側にはまだ白線がくっきり残っていて、新清水トンネル開通以前の雰囲気が残っているよう。

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ホーム端から清水トンネル方を見通す、2005年6月撮影。
本線の右側の線路は画像中央に見えるモーターカーの車庫に繋がっています。


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2016年9月時点の土合駅上りホームの様子。
現在のホーム有効長を示す黄色い太線が引かれ、ホームの右側には策が設けられています。
当駅の列車交換駅時代の記憶も薄れていってしまっていますなぁ。

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駅名標がまだ昔の国鉄型だった頃の土合駅上りホームの清水トンネル方を見通す、2005年6月撮影。
駅名標は2011年5月に再訪した時にはJR東日本の定番風に書き換えられていて、2016年9月の再訪時でも変化無し。
きょうびはローカル線の小さな駅の駅名標もJR東日本の定番型に置き換えられているのに、この扱いは実に珍しい。
まぁあのオサレな駅名標だと、当駅の風情には激しく合わないこと確実なのです。

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ホーム端から湯檜曽駅方を見通す、2005年6月撮影。

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上りホームの中程にある待合室、2005年6月撮影。
建築財産票によると昭和44年3月の完成。
鉄道ピクトリアル・アーカイブセレクションNo35に載っていた、昭和36年当時の土合駅の俯瞰写真を見ると、当時ホーム上に待合室は無かったようです。

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土合駅上りホーム待合室内部の様子、2011年5月撮影。
ここには幽霊が出るとかナントカ、そんなヨタ話を聞いたことがありますけれど、鈍感な私はそんな噂にはお構いなしで、ここでもそもそと昼ご飯を食しました。

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ホームのお色直しに合わせて、待合室もこのようにお化粧直し、2016年9月撮影。

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早春の土合駅上りホームに停車中の115系電車水上行、2004年3月撮影。

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土合駅上りホームに停車中のE129系電車水上行、2016年9月撮影。
上越線の長岡-水上間の定期普通列車は、2016年3月ダイヤ改正でE129系電車に全面更新されました。
115系電車のような激しい動揺も無く、乗って座る分には非常に良い電車です。
しかし編成は総じて短くなってしまった為、土日に乗った限りではどの列車も常に混んでいました。
東京から来たという御婦人が、この電車を「(地下鉄の)銀座線みたい!」と評しておられましたが、デザインや内装的には都会の方の目で見ても垢抜けている電車なのでしょうな。

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土樽駅方の踏切から清水トンネル出入り口を望む、2005年6月撮影。
一時は清水トンネル廃止と上越線県境区間の単線化が話題に上りましたが、そう遠くない将来にはトンネルの大規模改修か、トンネル廃止による単線化の二者択一を迫られるのは必至かと。

では駅舎に戻って地下トンネルの見学へ向かいます。

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地上から地下ホームへの連絡階段へ至る連絡通路、2011年5月撮影。

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いよいよ地下ホームへ向かいます、2011年5月撮影。
私のような高所恐怖症の人間にとっては多少の畏怖を感じるところです。

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少々きつい行程の階段を下りて、下まで到達、2011年5月撮影。
地上の旧改札からここまでコースタイムちょうどの10分。
途中、撮影で立ち止まりながらですので、無停止なら8分というところですかね。

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画像奥が土合駅の地下ホームです、2011年5月撮影。

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湯檜曽駅方から土合駅下り地下ホームを見る、2005年6月撮影。
時は6月の晴天、地上との気温差からくるものなのか、構内は霧でけむっています。

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土合駅地下ホーム出入り口付近から湯檜曽駅方を望む、2004年3月撮影。
霧はなく綺麗な構内です。

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構内改修前の土合駅地下ホームに到着した115系電車長岡行、2005年6月撮影。
ハイカーのおじさんおばさんが十人ほど乗り込み賑やかです。

ここからは構内改修後の土合駅地下ホームの様子です。
画像は特記以外は2011年5月撮影です。

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湯檜曽駅方から見た土合駅下り構内。
構内改修で副本線を廃して、通過線にホームを張り出したのは皆様ご存知の通り。

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湯檜曽方を振り返って見る。
こちら側は旧ホームの照明のアシストもあって光量が比較的多く、ISO400なら三脚無しでもさほどブレずに撮影できました。

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同じく湯檜曽方に延びる旧ホーム跡。
この時は東北大震災後の節電が叫ばれていた時期でしたけれど、旧ホーム跡の照明は消しても構わないよーな・・・?
配電の問題で個別の消灯は出来ない仕様なんでしょうか。

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土樽駅方から見た土合駅下り構内。
ホーム長は”4”の表示以上に余裕かありましたから、6両程度は収まるのでは?
近日ご紹介予定の新装土樽駅ホームに比べると、ホーム長は明らかに余裕があります。
臨時列車の停車も考慮しての事でしょうか。
・・・それでも以前に比べれば、矢張り随分短くなりました・・・。

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ホーム上の旧詰所(待合室及びトイレ)から土樽方に延びる旧ホームを観察。

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その旧詰所。トイレは一番奥になります。
建築財産票によると昭和42年7月の竣工。

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土合駅地下ホーム待合室内部の様子。
ベンチは相変わらず昔のまま。
テーブルが置いてありますけど、登山客の荷物置き場用?

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土合駅の下り新ホームと出口の位置関係。

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構内改修後の土合駅地下ホームに到着した115系電車長岡行。
前述のように当駅に停車する普通列車は2016年3月改正でE129系電車に置き換えられていますから、この光景も既に過去帳入りです。

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駅前の国道を谷川岳方面に歩き登って、俯瞰で見た土合駅の地上ホームとその周辺の様子。
土合駅からここまで10分強です。
2016年9月に再訪して同じ位置から見てみたのですが、茂る木々と葉に邪魔されてこういう画は撮れませんでした。
撮るのは春先が良いようです。
前述の鉄道ピクトリアルの俯瞰画を見ると、現在の駅舎のあたりは国鉄職員や関係者の官舎らしき建物が建っています。

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2011年5月 8日 (日)

北堀之内駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・北堀之内駅。

2016年7月17日記、加筆修正及び画像追加しました。

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新潟県魚沼市の北端に位置する無人駅で、開業は昭和25年(1950年)2月15日。
開業当時の所在は北魚沼郡堀之内町で、同町は平成16年11月に周辺町村と広域合併して新自治体・魚沼市の一部となって今日に至ります。

北堀之内駅の前身は昭和19年9月に開設された「越後下島信号場」で、この時期日本各地で設置された「決戦輸送」用でした。
堀之内町史によると、昭和21年4月に信号場の駅格上げ嘆願書が運輸大臣に提出されます。
信号場の設置された下島地区は明治期まで村だったところで、当時の地区人口は七千人弱と、北隣の川口町と比べても遜色ないものでした。
嘆願書は駅格上げの必要性としてまずこの駅勢人口の多さと冬期の交通不便、そして信号場付近に大量の亜炭が埋蔵されていて、これが貨物輸送にプラスに
働くとの客貨両方でアピールする念の入れ様。
古津駅のエントリーでも述べましたが、当時は戦時中に開設された信号場が合理化の為に整理廃止されてしまうのを恐れた自治体が、おらが信号場の駅昇格を求めて盛んに請願嘆願をおこなっていたのです。

新潟県内では、信越線古津田上両駅がその必要性を認められて国鉄発足直前に駅昇格を果たしましたが、下島信号場は周辺に前述したかなり大きな人口を抱えながらすんなりと昇格とはいかず、国鉄発足後八ヶ月後の昇格となりました。
請願駅扱いなので駅昇格工事費は全額地元負担となりその金額約54万5千円。
同時期に当駅同様信号場からの昇格を果たした信越線・長鳥駅の工事費の1/4以下で、平地の駅は山間の勾配区間の駅と比べていかに安価か良くわかる話なのであります。

・・・しかし駅名はねぇ・・・。
「北堀之内」って実にパッとしないネーミングですなぁ。
「越後下島」の方が語呂も語感もずっと良いんですけど。
駅昇格工費の半分を堀之内町費で賄ったそうなので(残りは下島地域一帯からの寄付金)、仕方ないって言えばそうなんですが。
駅昇格を言い出したのは下島地域で堀之内町じゃなかったわけですし。
それをお金半分出してもらったんですからねぇ・・・。

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北堀之内駅駅舎、2008年4月撮影。
建築財産票によると、竣工は平成10年12月14日。

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ホーム側のホーム出入り口、2008年4月撮影。
画像左側が待合室、画像中央の通路上に立っているのは乗車証明発行機です。
これを見るに、利用客のほとんどは通学生なのでしょう。
この時点で自動券売機は未設置でしたが、2013年5月に再訪した時には狭い待合室内に押し込むようにして設置してありました。
なおトイレは駅舎内にあって男女共用、水洗ですがトイレットペーパーはありませんでした。

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ホームから見た北堀之内駅舎、2005年5月撮影。
駅舎右側は倉庫になっていて、除雪用具が置かれているのでしょうね。

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一番ホーム(小出方面)越後堀之内駅方から見た北堀之内駅構内、2004年7月撮影。
ご覧のように上下のホームは非対称です。
前述したように名前はパッとしない当駅ですが、この古びた佇まいと後背すぐに山というロケーションはなかなか良い味を出しています。
個人的には好きな駅の一つ。

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同じく越後川口駅方から見た駅構内、2004年7月撮影。
私事で恐縮ですが、これを撮っている時は生まれて始めて熱中症になって、酷い頭痛を我慢していましたなぁ・・・。
非常に蒸し暑く不快な初夏の一日でした。

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ホーム中央部と跨線橋の様子、2004年7月撮影。

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2013年5月時点の北堀之内駅構内中央部。
長岡方面乗り場の待合室は撤去されて、JR東日本定番の駅名標が設置されています。
待合室の撤去はかなりの経年でもありましょうし、仕方のない事なのかもしれません。
しかしやはり近年ホーム上の待合室を撤去した信越本線・北条駅のように跨線橋の出入り口に上屋とベンチを設置する方法も・・・しかし当駅の場合、架線柱が邪魔をして出来ないのでしょうね。

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北堀之内駅跨線橋内部の様子、2013年5月撮影。

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跨線橋上から駅構内越後堀之内駅方を見る、2013年5月撮影。

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同じく駅構内越後川口駅方を見る、2005年5月撮影。
長岡方面乗り場の待合室が健在だった頃です。

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長岡方面乗り場の待合室撤去後の構内、2013年5月撮影。
架線柱も更新されているのがよくわかります。

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二番ホーム(長岡方面)越後川口駅方から見た北堀之内駅構内、2004年7月撮影。
ホーム後ろの雪崩対策用?鉄柵がいかにも雪深い土地柄を象徴。

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同じく越後堀之内駅方から見た駅構内、2004年7月撮影。

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現在は撤去されている長岡方面乗り場の待合室、2004年7月撮影。
建築財産票未確認に付き竣工年月は不明ですが、屋根の形状などからかなり古いものと推察されます。
これも郷愁の小品でなかなかに通好みでした。

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北堀之内駅に停車中の115系電車越後中里行、2013年5月撮影。

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北堀之内駅に進入する115系電車越後湯沢行、2013年5月撮影。
先日、運用を離脱したS編成です。

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北堀之内駅に到着した115系電車長岡行、2013年5月撮影。


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北堀之内駅とその周辺、2008年4月撮影。
越後川口駅同様、後背の山々に圧せられた駅舎が印象的です。
駅前通りには数戸の民家、いずれも冬期の豪雪に備えた背の高さです。

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駅前広場から見た駅前通り、2008年4月撮影。
少し歩くと国道17号に行き着きます。

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国道17号川口方面を見る、2008年4月撮影。
国道には小千谷本町-小出間のバス路線が設定されています。

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同じく堀之内方面を見る、2008年4月撮影。
この辺りは両方向共に至近に信号機がありません(堀之内方面に数百m進むとようやく一基、川口方面には見通せる限り無し)。
しかも行き交う車は切れ目無く多くて、横断するには相当の時間を必要とします。
私はこの時、横断に五分かかりました。
前述の路線バス小出方面をご利用の際は、時間に余裕を見るのをお勧めします。
ギリギリに行くと道路横断が出来ず、目の前をバスが通過するのを呆然と見送るという実にイヤな目に容易く遭いそうですのでw。
画像中央左側の薄茶色の建物はたこ焼き屋で、たこ焼きの他にたいやきも有り。
当駅至近で食べ物にありつけるのはそこだけでした。
ちょうど小腹が空いた夕方の事で、あの店でたいやきを買いはむはむと食しながら車中の人となった次第。

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2011年5月 4日 (水)

越後川口駅(上越線/飯山線)

本日の駅紹介は、上越線/飯山線・越後川口駅。

2017年2月18日記、駅舎リニューアル関連の記事を加筆しました。

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新潟県長岡市の南端に所在する有人駅で、開業は大正10年8月5日。
開業当時の所在は北魚沼郡川口村で、当時既に東北本線・川口駅が存在した為に村名に「越後」を冠して現駅名となりました。
同村は昭和32年8月に町制を施行して川口町となり、さらに平成22年3月末日をもって長岡市に合併編入され今日に至ります。
その間、平成16年10月23日に発生した新潟県中越地震は川口町内が震源で震度7を記録し大きな被害を出したのは、新潟県民にとって未だ記憶に生々しいところです。
また北隣の小千谷市が長岡市と合併していない為、長岡市の飛び地になっているのが異色の地域でもあります。

越後川口駅開業前年の大正9年時点での村の人口は4千人弱で、近隣の小千谷や堀之内と比べて半分以下、村内には金融機関も電話もゼロと近代化の時流から取り残された感の強かった川口村でしたが、上越線延伸に伴う駅開業、そして昭和2年6月には当駅を起点とする飯山線が越後岩沢駅まで、11月に十日町駅まで開通し、その十日町駅に飯山鉄道が乗り入れるようになると客貨の中継地として賑わいを見せるようになって、当駅にもついには急行列車の停車が実現。
人口も農商工業の生産出荷数もずっと格上の堀之内町への急行停車が見送られたのを尻目に、村の規模からすれば破格の待遇を受けたのです。

戦後も急行停車駅及び飯山線接続駅として上越線内でも重きを成しておりましたが、特急「とき」の停車が実現しないまま上越新幹線が開業。
更に昭和60年春の新幹線上野延伸で昼行電車急行「佐渡」「よねやま」が廃止されて東京直通ルートを失い、国鉄最後のダイヤ改正となった昭和61年11月改正で当駅停車の唯一の優等列車・急行「野沢」が廃止。
かくして当駅から優等列車停車の華やいだ空気は消え完全に過去のものになって現在に至っています。
JR東日本によると2015年度の越後川口駅一日平均乗車人員は208人で、同社新潟県内有人67駅中60位、上越線の新潟県内区間有人9駅(宮内駅を除く)中8位。
自治体の玄関駅としての役割も長岡市への合併でその意義は大きく失われ、飯山線の接続駅でなければ無人化も絵空事では無い数字です。
旧町の人口が五千人弱とけして多いとは言えない事に加えて旧町内に高校が無い為に、通学生のまとまった流入が無いのが不振の要因でしょう。


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越後川口駅駅舎の様子、上は2008年4月、下は2016年9月撮影。
この駅舎は2016年3月にリニューアルが完成しています。
建築財産票によれば昭和44年11月の竣工。
上越線と飯山線の分岐点という運転上の要衝である事を象徴する二階建て。

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リニューアル後の越後川口駅駅舎出入り口の様子、2016年9月撮影。
出入り口上屋下の装飾は、駅近くを流れる魚野川のアユをデザインしたものなんだとか。

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越後川口駅駅舎内部の様子、上は2008年4月、下はリニューアル後の2016年9月撮影。
最近の改装駅舎(宮内駅、来迎寺駅など)と同様、内装がシックな色使いに変わって落ち着いた雰囲気になりました。

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駅舎待合室の様子、上二枚は2008年4月、一番下はリニューアル後の2016年9月撮影。
なお、待合室開放時間は明記されていませんでした。
二枚目の画像の右側、ベンチの後ろの辺りがキオスク跡のようです。
2008年4月の時点で空調はありましたが冷房専用なのか、まだまだ肌寒い4月中旬のこの日はストーブを使用中。
ベンチの配列を変更して、ストーブが置かれていたあたりもベンチが占有していますが、
これはストーブを置くのをやめたということなのでしょうか?

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駅舎からホームへの地下道の様子、上は改札口方から見た2008年4月撮影。
下は上越線乗り場方から見た2016年9月撮影。
中越地震で大きなダメージを受けていたこの通路も、震災後三年半後の上の画像の段階ではこのように完全に修復済み。
トイレは下の画像で見ると左奥(改札を入ってすぐ横)に男女別であります。

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越後川口駅の飯山線専用の1番ホーム、2005年6月撮影。
震災八ヶ月後の撮影ですが、ホームも完全に修復済み。
「のりかえ」の、特に「上野」の二文字が郷愁を誘いますなぁ・・・。
当駅に上野直通の電車急行「佐渡」「よねやま」が停車していたのも、もう30年以上も昔の話になってしまいました・・・。

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1番ホーム内ヶ巻駅方から見た越後川口駅構内、2005年6月撮影。
上越線との間に線路が一本存置。
この線路は2016年9月訪問現在でも残っていましたが、雑草に半ば覆われて相当長期に渡り使われていない感じでした。

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1番ホーム小千谷駅方から見た越後川口駅構内、2005年6月撮影。
飯山線列車はせいぜい二連が今日の姿なので、このホームも大半は遊休化しています。
上越線から飯山線への優等乗り入れはかつて「うおの」「野沢」がありましたけれど、それももはや歴史上の話に。
現在は一日二往復の上越飯山直通列車が設定されております。

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1番ホーム中ほどから小千谷駅方面を見る、2005年9月撮影。
左側の旧貨物引込線?は保線用として活用。なお当駅の貨物取扱いは昭和45年12月に廃止されていて、この時点で飯山線への貨物中継点としての役目は終了したのでしょう。

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1番ホームのかつての駅名標、2004年11月撮影。
盲腸線の終着駅の趣きです。
この当時は朝の上越線直通列車があったかどうか、うーむ思い出せない・・・。
直通列車が無いのなら、この表示でも構わないんですけどね。
現在の駅名標は内ヶ巻-小千谷と表記されていて、朝に設定されている上越線直通列車に対応したものになっています。

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上越線用島式ホーム(2-3番線)の小千谷駅方から見た越後川口駅構内、上は中越地震発生一週間前の2004年10月、下は2016年9月撮影。
緩やかな右曲線の長大なホームはかつての上越線全盛時代を今に伝えています。
この12年の間の構内の変化は、駅名標がJR東日本定番型に変わったことと島式ホームに待合室が新設された事、ホームの国鉄式の白線が黄色いラインに変わったこと、上越線と飯山線の線路の間の中線?がすっすり草に埋もれてしまったことです。

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島式ホーム端から小千谷駅方を見る、上は2004年10月、下は2016年7月撮影。
下の画では上越線上り線の右側の側線?も草に埋もれてしまっています。

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島式ホームの北堀之内駅方から見た越後川口駅構内、上は2004年10月、下は2016年9月撮影。
かつての急行列車停車駅らしく、上屋は長大で今日の短編成列車には有り余るモノです。
上下どちらの方向から見ても、ゆるやかに弧を描く当駅のホームと広い構内の佇まいは実に見映えがして良いのです。

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島式ホーム端から北堀之内駅方を見る、上は2004年10月、下は2016年9月撮影。
この先、上越線はすぐトンネルに入り、右側の飯山線は信濃川から分流直後の魚野川を渡河する好対照ぶり。

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飯山線ホームと折り返し待機中のキハ110系気動車を上越線ホームから見る、2010年5月撮影。
休日の夜七時半ともなると、山峡のこの駅構内は早や深閑として人影はありません・・・。

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上越線用島式ホーム上屋辺りの様子、2016年9月撮影。
前述のようにホームに待合室が新設されていました(下の画像中央)。
今までは上屋があるとはいえ、風雨風雪の強い日にホームで列車を待つのは難儀な事でしたけれど、待合室が出来たことでそれも解消されたのは利用者にとって大いなる福音でしょう。

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快速「越乃Shu*Kura」停車駅の証である駅名標。
当駅周辺にはこれといった酒蔵はないようなので、停車駅に選ばれたのは「川口ヤナ場」の存在ゆえでしょうか。

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越後川口駅2番線を出発するE129系電車長岡行、2016年9月撮影。
上越線の長岡-水上間普通列車は、2016年3月ダイヤ改正で全列車が115系からE129系に更新されました。
ワンマン運転も常態化して、かつての重要幹線も完全にローカル化した感強し。
また115系時代の三連がE129系化で二連に編成短縮しています。
この日(日曜日)は長岡から越後湯沢-越後中里-五日町-越後川口-浦佐と回りましたけれど、どの列車も混んでいました。
18きっぷの使用期限は過ぎている時期にも関わらずあの混みよう、期限内の混み方は相当なものではないかと思われますな。

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越後川口駅3番線に進入するE129系電車水上行、2016年9月撮影。

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越後川口駅3番線に停車する115系電車越後中里行、2005年6月撮影。
中越地震の復旧工事で修復されたホームの床面や線路のバラストがまだ真新しい頃です。

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夕刻の秋雨の中、越後川口3番線を出発する115系電車越後中里行、2013年10月撮影。
上の画と同じ列車ですが、梅雨入り直後の晴天の6月中旬と紅葉の10月下旬ではやはり空気感の違いが歴然です。

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越後川口駅1番線に進入するキハ110系気動車、2016年9月撮影。

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越後川口駅1番線で折り返し待機中のキハ110系気動車、2016年9月撮影。
幼少の頃、上越線の急行「佐渡」車中から見た、夕闇迫る1番線に停まっているキハ55系(だったよーな・・・)とサボの「森宮野原」。
それが私のこの駅の最も強烈な記憶でした。

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まだ宵の口だというのに深閑とした越後川口駅と折り返し待機中のキハ110系気動車、2010年5月撮影。

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駅前から見た越後川口駅駅前通り、2016年9月撮影。
駅周辺をフラフラするのは2008年4月以来でしたが、以前とほとんど変わっていない街の風情でした。
画像中央に見える、中越地震後の営業再開が町復興の第一歩として大きく報道された、旧川口町内唯一のスーパー「安田屋」も盛業のようでまずは何より。

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駅前通りを少し進み、振り返って越後川口駅を一枚、2016年9月撮影。
駅舎を圧する後背の山々がダイナミックです。
駅構内からではこの山の大きさを中々実感できないのです。
ちなみに駅裏の杉林には、昭和22年から32年まで国鉄の雪害研究所が置かれていたそうです。

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越後川口駅から徒歩五分で国道17号線に到達、2016年9月撮影。
国道には2008年4月当時には無かったセブンイレブンが出店しています。
この国道には南越後観光バス運行の路線バス小出-小千谷線が設定されていて、北堀之内、越後堀之内駅前を経由しており、上越線の補完路として使えます。
この路線は某ローカル路線バスふれあい旅東京-新潟の回でも、一行が乗車していましたっけ。
また飯山線内ヶ巻駅方面には、北越後観光バス運行の小千谷本町西-南小中学校線が内ヶ巻駅近くを経由しており、飯山線補完機能を持っています。
ただし一日四本、しかし土休日もその本数が確保されているのは訪問者にとって有り難いところ。

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国道17号線側から見た、越後川口駅の駅前通り、2008年4月撮影。
2016年9月時点でも特段の変化は無い街並みです。

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かつて魚野川に架かっていた県道の「川口橋」、2008年4月撮影。
右側に見えるのが飯山線の鉄橋です。
この県道を道なりに進むと内ヶ巻駅に到着。
なお、昭和29年に完成して震災も乗り越えた古強者のこの橋も、新しい橋の完成によって、2009年6月にその役目を終えています。

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こちらは上の画の橋に代わって架けられた新たな川口橋、2016年9月撮影。

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新たな橋から見た飯山線の魚野川鉄橋、2016年9月撮影。
その向こうには関越自動車道の橋が見えます。

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2011年5月 1日 (日)

六日町駅(上越線・北越急行ほくほく線)

本日の駅紹介は上越線/北越急行ほくほく線・六日町駅。

2016年7月17日記、加筆修正及び画像追加しました。

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新潟県南魚沼市に所在し、同市の玄関駅です。
上越線の駅としての開業は1923年(大正12年)11月18日、ほくほく線の駅としてのそれは平成9年(1997年)3月22日。
開業当時の所在は南魚沼郡六日町で、戦国時代には上杉氏の大規模な山城として有名な坂戸城があり、三国街道の宿場でありまた魚野川舟運の起点でもあって、鉄道開業以前から同郡の中心地区でした。

なお舟運の場合、六日町の船着場を出発すると途中浦佐、小出、小千谷を経由して9時間もあれば長岡に到着したそうで、鉄道開業が遅れた川筋の町々では大正になってもなお重要な存在でした。
しかし上越線が長岡駅から順次延伸してくると、所要時間で圧倒的な劣勢に立たされた舟運は大打撃を受け、鉄道よりも安価な運賃をもってしても如何ともし難く大正末期、すなわち当駅が開業したすぐ後には姿を消してしまいました・・・。

さてかつての六日町は、平成の大合併以前は中蒲原郡・亀田町(現・新潟市南区)、西蒲原郡・巻町(現・新潟市西蒲区)に次ぐ県内町村第三位の人口を誇っておりましたが(平成16年4月の人口は2万8千人強)、平成16年11月に北隣の大和町と合併して新自治体の南魚沼市になりました。
しかし六日町地区が周辺地域の中心なのは今なお不変です。
なお、その後南隣の塩沢町も合併して今日に至る南魚沼市の人口は6万一千人強で、新潟県内30市町村中第10位です。

上越新幹線開業前の六日町駅は、電車特急「とき」の停車駅で14往復中4往復が停車していました。
他には電車急行「佐渡」4往復(内1往復は夜行)と「よねやま」1往復、夜行客車急行「鳥海」が上りのみ停車していて、昼行優等列車7往復が朱色とクリーム色と緑と橙で構内を華やかに彩っていたのです。
私は幼い頃、一時期この町に住んでいたことがあり、夏休みは新潟までよく「とき」や「佐渡」に乗ったものです。
「とき」はいつも混んでいて長岡まで立ちんぼが常、「佐渡」は六日町から座っていけるか半々といったところでしたっけ。

JR東日本によると2015年度の六日町駅一日平均乗車人員は1,924人で、同社新潟支社県内有人67駅中22位。
特急「はくたか」の通過客がカウントされていた2014年度は5,647人で、新潟駅、長岡駅に次ぐ県内第三位でした。
つまり「はくたか」の通過旅客は一日4,000人近くもいたわけです。
このエントリーを最初に書いた時、「はくたか」通過旅客以外の数字は最大1,800人と推定しておったのですけれど、それよりも高い数字で多少この駅を見くびっていましたなぁ、目利きが悪くて実に遺憾です。
ほくほく線の乗り換え、通過旅客はカウントされているでしようから、純粋な実数はもう少し下がるのでしょうけれど、それでも新幹線を擁する浦佐駅の約三割増しですから、南魚沼市の中心駅としての面目は立っていると申せましょう。

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六日町駅舎、2006年9月撮影。
建築財産票は見当たりませんでしたが、ウィキペディアによれば現駅舎の完成は平成8年12月。
周辺の諸駅と比較しても際立ってモダンなデザインで、上越新幹線駅を誘致出来なかった地元の無念と執念の結晶のようであります。
駅舎としての機能は二階部分で、一階は観光協会と小さな美術館になっています。
昔の駅舎は木造だった事ぐらいしか覚えていないのが実に遺憾。
何しろ当時から鉄オタだった幼児にとって、電車に乗るのは「ハレの日」で舞い上がっていたのですよ。
夏休みは祖父母の家に遊びに行くのに前述のように「とき」や「佐渡」。
日常生活では、地元で手に入りにくいモノを買うために長岡のデパートへ115系でよく行きましたけれど、当時は115系に乗る事でさえ心躍る事だったのです。
そんな状態の幼児に、駅舎の様子を観察する余力なぞあるわけもなし。

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駅舎二階部分より駅前を見下ろす、2008年4月撮影。

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同じく右側にあるバス乗り場とショッピングセンター「RARA」を見る。
この乗り場からは南越後観光バスの湯沢、小出方面への路線バスが発着しており、上越線の補完機能を有しております。
当駅を最後に訪問した2008年4月時点において、スーパーはこのショッピングセンター内、コンビニは後述西口のセブンイレブンのみ。

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六日町駅舎内の様子、2008年4月撮影。
当駅舎は橋上型で、駅の東西は自由通路で連絡。(他に地下道も有り)
取材目的で当駅を最初に訪れた2004年3月時点では、待合室内にキオスクが出店していました。
最後の訪問時にはキオスク跡はデッドスペース化していて、室内には飲料自販機が三台。

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六日町駅西口、2008年4月撮影。
コンビニはこちら側にあります。
こちら側は市街地化されておらず未だ発展途上の趣。

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自由通路から五日町・魚沼丘陵駅方面を見る、2008年4月撮影。
窓越しなので画質はいつにも増して汚く恐縮ですが(汗)。

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同じく塩沢方面を見る、2008年4月撮影。
後背の山々はいまだ雪深し。

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1番ホーム(越後湯沢方面)の塩沢駅方から六日町駅構内を見る、2004年10月撮影。
この撮影日のちょうど一週間後、新潟県中越地震が発生しました。


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1番ホーム端から塩沢駅方を見通す、2004年10月撮影。

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1番ホーム五日町駅方から構内を見る、2004年10月撮影。
新幹線駅と見まごう威容の橋上駅舎を仰ぎ見ます。
上越新幹線の開業で在来線の「とき」が廃止されてから約14年半ぶりに、ほくほく線開業で運転を開始した「はくたか」が停車するようになって優等列車停車が復活した当駅でしたが、その18年後には北陸新幹線開業で「はくたか」が廃止。
構内から優等列車の姿は絶えて、恐らく復活することはないでしょう。
上越線・ほくほく線の純然たるローカル輸送がメインになる今後の駅に、この豪華な駅舎のアンバランスさ・・・。
駅舎改築時には北陸新幹線のフル規格での延伸は不透明な状態でしたから、東京と北陸を結ぶ主要ルートとしてのほくほく線の存続発展に期待もあったのでしょう。
しかし今となっては・・・。

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同じく五日町駅方を見る、2004年10月撮影。
当駅の待避線は未だ健在でしたが、2014年春以降は遊休化が心配されます。
ちなみに上越新幹線開業前の昭和55年10月改正ダイヤでは、当駅での普通列車の特急待避が一日一回設定されていました。
なおこの当時、上越線新潟県内区間では当駅の他に越後滝谷小千谷、越後堀之内、小出、浦佐五日町石打、土樽の各駅で優等待避が行なわれています。

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1番ホーム塩沢駅方に残る旧貨物線?跡、現在は保線車両の待機に使用。
2004年10月撮影。

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島式ホームk塩沢駅方から六日町駅構内を見る、2004年10月撮影。
近代的な橋上駅舎と昔ながらの古びたホームが極めて対照的です。

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島式ホームの3番線を塩沢駅方から見る、2004年10月撮影。
画像左側の線路がほくほく線です。

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島式ホーム中央部の様子、2005年5月撮影。
屋根の形状や”2”の素っ気無い番線表示が郷愁を誘うところ。

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島式ホームの五日町駅方から構内を見る、2005年5月撮影。
2番ホームの有効長は3番ホーム(長岡方面)より短いのですが、普通列車が単編成化された今日ではこれでも問題無いのでしょう。
なお現在、2番線に定期列車発着は設定されておりません。

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六日町駅ほくほく線ホームの様子、2008年4月撮影。
ホーム中央部に待合室有り。
何度か乗り降りした経験では、上越線ホームよりもこのホームの方が常に人がいる印象です。

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六日町駅1番線を出発する115系電車越後湯沢行、2012年5月撮影。

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六日町駅2番線に停車中の115系電車、2004年3月撮影。
定期列車ではなく、スキー客向けの臨時列車だったように記憶しています。

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六日町3番線に停車中の115系電車長岡行、2012年5月撮影。

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六日町駅五番線から出発するHK100形電車「ゆめぞら号」の直江津行、2014年5月撮影。

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ほくほく線ホームから見た特急「はくたか」通過三態。
いずれも2003年3月撮影。
2011年3月改正ダイヤでは、「はくたか」13往復中1往復のみ当駅に停車。

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六日町駅前通り、2008年4月撮影。
画像中央が駅になります。
豪雪に耐えるアーケードが印象的。
昔はもっと人通りが多かったのに、今ではシャッター街に近い感じに。

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駅前通りを抜けて出る国道17号線、2008年4月撮影。
通行量は極めて多し。
幼少のみぎりに住んでいたのはこの道を塩沢方に少し歩いたあたりで、そこにも行ってみたのですが昔とは何もかも違っていて、国道に架かる歩道橋だけが昔のままでした。
そりゃまぁ、当時の幼児がいい歳をしたおっさんになる程、時は流れていますしねぇ。

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駅前通りと国道の交差点から町の旧中心部方面を見る。
六日町旧来の中心部は国道17号とこの先の国道291号線に挟まれた一帯周辺です。
この道を直進すると坂戸橋で魚野川を渡り、後背の坂戸山へ向かえます。
坂戸山登山は私の念願とするものなのですが、日々一応の足腰鍛錬を行なって同年代諸兄よりは脚力にいささかの自信がある私にとっても、この山はヘビーで骨が折れそう。
取材の片手間に行けるところじゃないですからね、行くからには一日がかりで腰を据えてかからねばなりますまい。

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