カテゴリー「R005 上越線の駅」の記事

2017年5月21日 (日)

大沢駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・大沢駅。

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新潟県南魚沼市に所在する無人駅で、開業は昭和24年(1949年)5月28日。
開業当時の所在は南魚沼郡塩沢町で、同町は平成の大合併の号令によって近隣町村と合併して市制を施行し、新自治体の南魚沼市の一部となり今日に至ります。

さて大沢駅の前身は、戦時下の昭和18年秋に開業した大沢信号場です。
上越線の塩沢-石打間の距離は7km強あって、単線時代の決戦輸送力強化に必要な施設として、両駅のちょうど中間にあるこの地に信号場が作られたのです。
戦後は日本各地で戦時中に作られた信号場の駅昇格が盛んに行われて、大沢信号場も早期の駅昇格を果たしています。
石打郷土史によると、早期の駅昇格に当たっては駅周辺の集落によって大正15年に設立された大沢駅設置期成同盟会の運動の成果が大きかったとの事で、普段からの地道な活動が大きな大輪の花を咲かせたのです。
同史によると、昭和31年の当駅一日平均乗車人員は349人。
駅に配置された国鉄職員は保線区、通信区の派出所要員も含めて24名。
現在の駅の佇まいからは信じがたい人数です。
かつての鉄道が、いかに労働集約型産業であったかを物語る数字なのであります。

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大沢駅駅舎の様子、上は2013年6月、下は2004年9月撮影。
建築財産表によると昭和54年12月8日の完成。
許容積雪量は3mで、流石は豪雪地帯の駅舎です。
色合いこそ違いますが、同時期に改築された信越本線の上下浜駅などと共通したデザイン性で、当時の流行り(と言ってよいのかどうか)はこんな形だったのでしょうかね。

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大沢駅前通りの様子、2013年6月撮影。
画像右側の道を下っていくと上越国際スキー場前駅に行き着きます。
周辺は半農半住な地域で、コンビニ等はありません。

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大沢駅駅舎内部の様子、2014年5月撮影。
内部は吹き抜けで、ベンチが6脚設置。
画像右奥はかつての窓口で、駅舎改築当時は当駅のような小駅でも有人体制を維持することを前提とした設計だったのです。

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駅舎の構内側の様子、2013年6月撮影。
トイレは画像からは切れていますが、建物の向かって左側にあります。
当時は男女共用でした。

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上りホーム(水上方面乗り場)の石打駅方から見た大沢駅構内の様子、2013年6月撮影。
当駅は複線上の2面2線です。

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上りホームの石打駅方から先を見通す、2013年6月撮影。

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大沢駅跨線橋内部の様子、2009年7月撮影。
小駅のそれとして、標準的なタイプです。

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跨線橋上から塩沢方を見る、2013年6月撮影。
駅舎の位置関係と画像左側の下りホームの張り出し具合がよくわかります。
駅舎横の木々は巨大で大沢駅の小さな建物を圧倒。

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同じく石打方を見る、2013年6月撮影。

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下りホーム(長岡方面乗り場)の上越国際スキー場駅方から見た大沢駅構内、2013年6月撮影。
構内が対面式ホームで、ホームと駅舎がこれだけ離れている構造の駅は、新潟県内では当駅とえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの浦本駅ぐらいです。

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下りホームの上越国際スキー場前駅方から先を見通す、2009年7月撮影。
ホームのこの辺りは完全に遊休化してしまっていて、それ故に国鉄時代からの白線が今も残っています。

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大沢駅下りホーム上の待合室の様子、2013年6月撮影。

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下りホーム待合室内部の様子、2013年6月撮影。
内部はベンチが4脚で、JR東日本の現在の標準型ではない古いタイプでした。
駅舎のそれは標準仕様になっているのにここは以前のまま。
小さな駅の待合室までは流石に目が行き届いていないということなのか。

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下りホームの石打駅方から見た大沢駅構内、2013年6月撮影。

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大沢駅下りホームに停車中の115系電車長岡行、2014年5月撮影。
上越線水上-長岡間の普通列車は、2016年3月改正で全列車がE129系電車に更新されました。

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大沢駅上りホームに停車中の115系電車湘南色越後湯沢行、2014年5月撮影。

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大沢駅を通過する北越急行HK100形電車の直江津行、2014年5月撮影。
当時も今も、ほくほく線直通列車は大沢駅を全便通過しています。
この電車がこの駅に停まってくれたらなぁと、当駅を訪れる度に思うところです。
何しろ上越線JR列車の日中は毎時一時間半~二時間なのですから。

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大沢駅を通過する特急「はくたか」越後湯沢行、2013年6月撮影。
六日町越後湯沢間で「はくたか」を撮影するに当たって、一番画になったのが当駅です。
しかも無人駅なので好きな時に撮れたのです。
隣の上越国際スキー場前駅はホームが短く作りもドライでイマイチ、塩沢、石打両駅は有人駅で撮影できる列車がごく限られてしまいました。

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大沢駅に進入する特急「はくたか」金沢行、2014年5月撮影。
上越線の六日町-越後湯沢間は、この列車が飛び去ってしまったことで一気に華が無くなりましたなぁ。
トドメが115系電車の撤退。
かつて特急「とき」、急行「佐渡」が駆け抜けた幹線としての時代は過去のものとなってしまいました。

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大沢駅を通過する、EH200形電気機関車牽引の下り貨物列車、2014年5月撮影。
旅客列車が完全にローカル化してしまった上越線の新潟県内区間において、唯一幹線の雰囲気を放っているのが貨物列車の存在です。
かつては地味過ぎて撮影の触手が伸びなかった貨物列車も、現在の上越線では花も実もある鉄路のスタァです。
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大沢駅と上越国際スキー場前駅間の距離は僅か1km強。
道中はこのような長閑な風景です。
画像左側に見える石碑は、「樺沢城跡」。
上杉家の本拠地・春日山城の番城で、上杉勢が関東に遠征する際の宿城として使われていたとの事です。

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2017年5月14日 (日)

水上駅(上越線)

本日の駅紹介は、上越線・水上駅。

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当ブログのメインコンテンツは新潟県の駅紹介ですが、上越線の新潟口は主に水上駅発着でありますので、当ブログでの上越線守備範囲は当駅までと致します。

さて水上駅は群馬県利根郡みなかみ町に所在する有人駅で、開業は昭和3年(1928年)10月30日。
険しい上越国境を目の前にした上越南線の当面の終着駅としての開業でした。
開業当時の所在は利根郡水上村です。
駅開業から三年後の昭和6年には、清水トンネルが開通して上越線が全通。
水上駅は中間駅になりましたけれど、上越国境越えの峠のシェルパたる電気機関車の拠点として、また一帯の温泉玄関駅として、上越線の旅客・運転両方の一大拠点として大変に大きな位置を占めてきたのです。
なお水上村は戦後の昭和22年10月に町制を施行して水上町となり、平成の大合併の大号令下で平成17年10月に周辺諸町村と合併して新自治体のみなかみ町となり今日に至ります。

2017年現在では定期優等列車の発着も無く、すっかり廃れた印象の水上駅ですけれども、上越新幹線開業前は実に華やかな全盛時代を謳歌していたのです。
昭和40年3月ダイヤ改正で電車特急「とき」が一往復増発されて二往復体制になったのと同時に、「とき」の水上及び越後湯沢駅停車が実現。
当時は水上、湯沢共に「町」で、特急列車の格が今日とは比較にならぬほど高かった当時としては異例の扱いでした。
当時の特急停車駅の基準と言えば、長岡、高崎のような相当の人口を擁する「市」の玄関駅や、新津や直江津のような幹線接続駅に限られていたのです。
「とき」で言えば、新潟県県央の代表駅である東三条駅(三条市所在)よりも水上、越後湯沢両駅停車の方が先んじたのですから、それだけ両駅の観光需要が高かったことの表れ、本来は急行、準急の領分であった観光輸送を取り込んだ後の特急大衆化の先駆けと言えそうです。

水上駅の最盛期であった上越新幹線開業前の最後のダイヤ改正(昭和55年10月改正)優等列車ダイヤにつきましては、当ブログの下記のエントリーを参照ください。
上越新幹線開通以前の上越線優等列車ダイヤ(上り)
上越新幹線開通以前の上越線優等列車ダイヤ(下り)」

当駅発着定期昼行列車の概略をかいつまんでおきますと、特急は「とき」が14往復中6往復停車、「いなほ」が3往復全て停車、「はくたか」も2往復全て停車で、計11往復停車。
急行は「佐渡」3往復、「よねやま」1往復に加えて当駅始終着の「ゆけむり」が6往復で計10往復停車。
昼行定期優等列車停車合計は実に21往復です。
私の子供の頃は、時刻表を眺めて「いなほ」や「はくたか」が小出も六日町も越後湯沢も見向きもしないのに水上駅だけには必ず停車しているのを見て、水上ってすげえなー、どんな立派な駅なんだろうと妄想を逞しくしておったものです。
上越新幹線上野開業の昭和60年3月改正では、急行「佐渡」「よねやま」が全廃されましたけれど、当駅始終着の優等列車は新特急「谷川」5往復が設定されて、全盛期の残照もまだ煌々としていたのです。
しかしその間に国境越えの電気機関車が新性能型のEF64型1000番台に更新され、また特に貨物の輸送体系が大きく変化したことで、上越線運転上の一大拠点であった当駅隣接の水上機関区は昭和61年11月の国鉄最後のダイヤ改正で廃止されてしまいます。
これで当駅の拠点駅たる両輪の一方が完全に失われた事になり、以降は上越新幹線と関越自動車道に客を奪われ、水上温泉の斜陽化もあって昔日の観光輸送の栄光も失われていったのです。
新特急「谷川」は2002年に特急「水上」に改称されますが、需要の低迷に伴い2010年に定期運行を終了して、以後は季節運転として細々と設定される状況。
このエントリーを書く直近の2017年春ダイヤでは運行されていません。

観光需要が無くなってしまうと、上越国境沿いの「町」の駅、しかも合併後は人口の多い旧月夜野町の玄関駅であった後閑駅がみなかみ町の玄関駅になったので、水上駅の斜陽化には歯止めが掛けられない状況と思われます。
当駅周辺地域には高校が無いので、学生が集まらないのも痛いところです。
かくして2015年度の当駅一日平均乗車人員は、JR東日本によると405人。
新潟県内の駅と比較すると、同じく上越線の越後堀之内駅よりもやや少ないレベル。
前述の後閑駅の約半分です。
上越新幹線開業前の後閑駅は特急が一切停車しない比較的地味な印象の駅でしたけれど、今日では水上駅とは立場を完全に逆転しています。
向こうは上越新幹線・上毛高原駅も比較的近いですしねぇ。
うーむ、まさに諸行無常の世界でありますなぁ。

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水上駅駅舎の様子、上は2011年5月、下二枚は2016年9月撮影。
建築財産票を見つけられなかった為、完成年月は不明で実に遺憾です。
一見すると新しく立派な建物に見えますが、実は従来の駅舎の入り口部分を増築したもの。
でもこうするだけで見栄えは全然違います。
駅舎は2013年秋に改装されて、出入り口の色合いはよりシックで落ち着いた雰囲気になりました。
しかしせっかくの改装も、駅の利用実態を底上げできていないのは辛いところです。

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駅舎正面と駅舎本体の間の空間、2016年9月撮影。
ドアをきちんと閉めておけば、冬場の駅舎内の保温性は完璧でしょう。

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水上駅改札口周辺の様子、上は改装前の2011年5月、下二枚は改装後の2016年9月撮影。
改装後は改札正面上の時刻表が撤去されてしまいました。
あの時刻表が無くなったのは、感覚的に当駅凋落の象徴のような気がします。
上の画像の構内の湘南色115系電車は折り返し待機中の高崎行。
当駅の自動改札は2006年3月に供用開始との事です。
私が当駅を取材目的で最初に訪れた2004年3月はまだ有人改札で、構内撮影も駆け足でしたっけ。
私のような構内撮影に異様な執着を持つ者にとっては、自動改札化は大いなる福音なのであります。

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駅舎改装前の改札横のキオスク、2011年5月撮影。

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画像中央のドアが待合室出入り口です、2016年9月撮影。
上の画と比べると、改装後のキオスクの店舗面積は拡大されているようです。

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水上駅の広い待合室、2011年5月撮影。
かつての全盛時代の名残です。
この時、待合室には人影ゼロ。

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ホーム側から見た改札周りの様子、2011年5月撮影。

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1番ホームの上屋に掲示されている水上駅発車時刻表、2011年5月撮影。
長岡方面はたったの5本。
2004年3月に訪れた際には、高崎行は3番線から発着していて2番線発着の長岡発着との連絡を取っていましたけれど、この時点では乗り換えに跨線橋移動が必須に。
長岡発着便と接続する便に限っては3番線発着にすればいいのにと、傍若無人な18きっぱーが嫌いな私でさえ思うところですが、それよりも1番線発着に統一して跨線橋移動を無くす方が日常のニーズに合っているのでしょうな。
旅客流動は圧倒的に対高崎側でしょうしね。

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1番ホーム改札付近から見た水上駅構内上牧駅方面、2011年5月撮影。

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上牧駅方から見た水上駅構内の様子、2004年3月撮影。
2番線には折り返し長岡行が待機中。
後背の山々に雪はもうありません。

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1番ホーム端から上牧駅方を望む、2004年3月撮影。
3番線の向こうに、当時まだ健在だった特急「水上」の185系電車が留置中。

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1番ホーム中央部から湯檜曽駅方を見る、2011年5月撮影。
かつての機回し線跡には、「二度と復活しないようにトドメ刺しときましたっ!」とばかりの架線柱が。
棺おけに釘の感これあり。

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1番ホームの湯檜曽駅方から見た水上駅構内、2004年3月撮影。
ゆるやかな右カーブを描く長大なホーム。
12両編成の電車特急が、このホームを目一杯使って停車していた昔日の栄光の日々に想いを馳せるのであります。

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水上駅跨線橋内の様子、2011年5月撮影。
かつての特急停車駅の名残りで通路は広く、天井や窓のレトロな造作がいい味出してます。

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跨線橋上から上牧駅方を望む、2011年5月撮影。
おりしもEH200形電気機関車牽引の貨物列車が1番線に進入し運転停車しました。
2番線には115系電車長岡行が待機中。

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同じく湯檜曽駅方を望む、2011年5月撮影。
前掲の画像より約二時間前で、1番線には湘南色115系電車高崎行が折り返し待機中。

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2番線で待機中の115系電車長岡駅と、1番ホームに面した駅舎の様子、2011年5月撮影。

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2番ホーム湯檜曽駅方から見た水上駅構内、2004年3月撮影。
3番線には湘南色115系電車高崎行が停車中。
この日は青春18きっぷの期間に入っていましたが、阿鼻叫喚の乗り換えラッシュには見舞われませんでした。
この後新潟県側にトンボ帰りしましたけれど、車内は比較的空いていましたっけ。
午後三時台なので、混んでいて五月蝿いのだろうと覚悟していたのでいささか拍子抜け。

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島式ホームの上牧駅方から見た水上駅構内、2004年3月撮影。

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構内に留置中の特急「水上」用185系電車、2004年3月撮影。
185系電車にはリニューアル前に「踊り子」と「草津」に一回ずつ乗車した経験がありますが、普通車の座席がリクライニングでないのはまだしもシートピッチが狭くて足のやり場に困りましたなぁ。

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3番線から出発直前の湘南色115系高崎行、2004年3月撮影。
新潟方から乗り入れる115系電車はE129系電車に更新されて姿を消しましたが、高崎口はしばらく活躍が見れそうです。
高崎口の115系が更新されてしまった時が、水上駅の過去の栄光との完全なる決別の日のような気がしますね。

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水上駅2番線で待機中の115系電車長岡行、2011年5月撮影。
上越線長岡口の115系電車は2016年3月改正で運用から全面撤退しています。

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秋の夕刻の水上駅2番線で待機中のE129系電車長岡行、2016年9月撮影。
青春18きっぷの有効期限から外れた時期の日曜でしたが、4両編成で乗車率は3割といったところ。
越後湯沢駅で大量下車してガラガラになっていました。
私もドン行を乗り継いで帰る程の根性は無くなっているので、越後湯沢駅から上越新幹線で帰宅という仕儀。

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1番線の新潟方面に向かって左側に線路がもう一本あって、1番ホームの長岡方は島式のようになっているのですが、そこにE129系電車が留置されていました、2016年9月撮影。
水上駅には取材目的で3回訪れていますけれど、ここに電車が留置されているのを見たのはこれが初めて。

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水上駅駅前通りの様子、上二枚は2011年5月、一番下は2016年9月撮影。
昔ながらのみやげ物店が並んでいて、個人的にはこういう風景が大好きです。
2011年5月訪問時には駅前にタクシーが数台待機していて、このあたりは流石温泉場の玄関駅と思ったところでした。
2016年9月訪問時にはタクシーの姿が無くひっそり。

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水上駅横の路線バス乗り場、2016年9月撮影。
この日は土合駅前から関越交通運行の路線バスで水上駅に再訪。
鉄道補完としては、バスで当駅から湯檜曽、土合、上牧、上毛高原の各駅に移動できます。
運賃は鉄道よりも割高ですが運行本数は通年で多く、特に湯檜曽、土合両駅へは過疎ダイヤの上越線とは比較にならない利便性の高さです。

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旧水上機関区跡の様子、2011年5月撮影。
「SL転車台広場」に整備されていて、顔の部分がくり抜いてある記念撮影用の看板が二つ置いてありました。
「SLみなかみ号」の運転日でないこの日は人っ子一人いません。

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水上駅からSL転車台広場へ行く道中で、上越国境越えに勇躍出発したEH200形電気機関車牽引の貨物列車、2011年5月撮影。
この約二時間後に前掲の貨物列車があるので、旅客列車よりも運転密度が高いのです。

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湯檜曽駅方の踏切から湯檜曽方を望む、2011年5月撮影。
上越線はここからJR在来線屈指の峠道になります。
水上駅方は線路が大きく右カーブしていて、構内の全容を見ることは残念ながら出来ません。

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SL転車台広場とは反対方向の上牧駅方へ歩みを進めて、陸橋上から水上駅構内を見る、2011年5月撮影。
逆光気味なのでうまく映りこんでいないのが残念ですが、水上駅構内の広大さは実感できます。
この構図でバッチシ撮るのは午前中ですな。

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同じく陸橋上から上牧駅方を見る、2011年5月撮影。

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利根川沿いの遊歩道を進み、出会った吊り橋、上は2011年5月、下は2016年9月撮影。
破損していて通行禁止だったのが残念。
2016年9月の再訪時には崩壊が進んで板が川に落ちスカスカになっています。
五年間放置しっ放しなのは、実に頂けない話です。

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なかなかに急な利根川の流れ、2011年5月撮影。

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利根川の対岸には水上温泉街、上は2011年5月、下は2016年9月撮影。
廃墟と化したホテルが目につきます。
こういうのを放置しておくと視覚的にも雰囲気的にも実に宜しくなく、客離れにますます拍車がかかってしまうのですな。

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水上温泉街の様子、2011年5月撮影。
とにかく人がいなかった!
浴衣姿の初老の方数人とすれ違っただけでした。
あまりの人気の無さにうーむと絶句。
まぁ、婦女子や子供が憩うようなファニーな雰囲気皆無なので仕方ないか・・・。
しかしそこここにある呑み屋にはココロ惹かれるものがありました。
フラリと入って年増のママとgdgd世間話をする。
そんなところに惹きつけられる自分をふと省みる瞬間があって、オレは自分が思ってるほど若くはないんだもう立派なおっさんなんだと愕然としたりするわけです。
しかしまぁ、某六角精児さんの呑み鉄番組でぜひ訪れて泊まってほしいところですなここは。

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水上駅を出発してSL転車台広場と利根川沿いの遊歩道、水上温泉街を回って「みなかみ清流公園」に到着。
私の脚でここまで約一時間。
ここにはかつて上越国境のヌシであった電気機関車EF16形28号機が展示されています。
製造は昭和22年で、廃車されたのは昭和56年12月との事。

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みなかみ清流公園近くの橋上から利根川下流を見る、2011年5月です。
画像右側が公園になります。

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みなかみ清流公園から国道291号線を水上駅に戻りながら一枚、2011年5月撮影。
この国道を道なりに進むと、谷川岳麓に到着します。
温泉街と反対側のこちら側は、観光とはあまり関係がない旧水上町の地に足の着いた日常の風情です。

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2017年3月11日 (土)

小出駅(上越線)

本日の駅紹介は、上越線/只見線・小出駅。

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新潟県魚沼市に所在する有人駅で、同市の玄関駅であります。
開業は大正12年(1923年)9月1日で、当時の所在は北魚沼郡小出町。
小出町は六日町と並ぶ魚沼地方の主要な町で、駅の風格もそれに相応しいものになっています。
戦時下の昭和17年11月1日に只見線・小出-大白川間が開業して、当駅は上越線と只見線が乗り入れる現在の形が確立されました。
人口約一万三千人の小出町は平成の大合併の号令下、2004年11月1日に北魚沼郡の諸町村と合併して新自治体の魚沼市の中心部となり、小出駅は人口約三万七千人の新たな市の玄関駅となって今日に至ります。

さて小出駅は魚沼市(旧小出町)中心部とは魚野川を挟んで対岸にあり、街の中心部とは1km近く離れています。
越後堀之内駅から街の中心部に至るには魚野川を鉄橋で渡らねばなりませんから、その辺の事情もあるのだろうとずっと思っていましたけれど、小出町史によると駅があのようなやや不便な場所に設けられたのは、鉄道に対して町にそれほどの熱意が無かったからのようです。
町の意識として、鉄道の駅を町発展のツールとする意識が大きくなく、駅が町の中心から離れていても許容範囲内なら無問題というわけです。
大正時代ともなれば、客貨両面に渡る鉄道の威力は広く知られるところだったでしょうに、何とも淡白な話なのです。
新潟県の駅紹介にあたっては、新潟県内の市町村史を調べて駅設置の謂れを勉強しているのですけれど、このようにユルい話は小出駅に関するこの話がほとんど唯一なのですよ。
こういう町の意識の下、小出停車場は町内を流れる魚野川西岸の現在地に置かれることになったのです。
川岸の縦深の無い地形に駅を設置した事は、後世になって大きなツケとなって返ってきました。
それが上越新幹線の駅設置の問題です。
小出は長岡-越後湯沢間のちょうど中間に位置していて、駅設置に程よいところであります。
只見線と接続していて、その辺のアドバンテージもあります。
しかし新幹線駅は、人口規模で小出町とほぼ同格の南魚沼郡大和町内の浦佐駅に決定。
時に昭和46年10月であります。
この結果に憤懣やる方ないのが小出町で、町史によるとこの翌月に「町民総決起大会」を挙行して浦佐駅へ異議アリと高らかに宣言します。
昭和47年2月には、総勢225人もの大陳情団が上京して時の通産大臣・田中角栄氏に直談判するまでにエスカレート。
しかし角栄氏の回答は、「新幹線の駅は技術的問題があるので簡単には動かせない」でありまして、眦を決して談判に及んだ陳情団にとって無情なモノなのでした。
まぁ小出駅に新幹線の駅を作るとなると、直線で入るとルートの根本的変更が必要ですし、現在そのままのルートから駅に入るとなると急カープは避けられません。
加えて前述した駅周辺の地形の余裕の無さ。
あの場所に浦佐駅と同規模の立派な駅を作るのはかなり無理があります。
計画段階で大陳情団を繰り出してアピールしておけば、小出町内の別位置に新駅を設置するのも可能だったかもしれませんが、ルートが確定してしまってから騒いでも遅すぎますなぁ。
かくて昭和48年秋には上越新幹線・浦佐駅の建設が始まり、全ては終わってしまったのです。
新幹線開業前は浦佐駅に対して断然優位であった小出駅も、開業によって在来線特急「とき」が全廃されると一気に斜陽化。
昭和60年3月改正で急行「佐渡」「よねやま」が廃止されると、当駅に停車する幹線筋の優等列車は消滅。
JR移行後まもなく只見線の急行「奥只見」が廃止されて、小出駅はついに優等列車の停車しない実質電化ローカル線の小さな拠点駅になって今日に至るのです。

そんな小出駅の2015年度一日平均乗車人員は、JR東日本によると940人。
同社の新潟県内有人67駅中42位です。
高校が付近にある為に学生の集中があり、市の規模を考えれば健闘しているように思えます。

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現在の小出駅駅舎、2012年5月撮影。
建築財産票を見つけられなかったのですが、ウィキペディアによると2011年8月26日の供用開始です。
下の画像の駅舎右側のガラス張りのところが待合室です。

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駅舎横の路線バス乗り場、2012年5月撮影。
小出駅前からは鉄道補完として、南越後観光バス運行の穴沢(入広瀬)・大白川線と上越線沿いの六日町線及び小千谷線が発着しています。
特に穴沢大白川線は、超過疎ダイヤの只見線各駅廻りの大きな助けになります。

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小出町出身の俳優・渡辺謙氏の手による駅名板、2012年5月撮影。
当地域出身の有名人と言えば、私的には渡辺氏と戦隊シリーズ初期の名女形で現在はアクションコーディネーターの竹田道弘さんですな。
戦隊スーツを着ると、体型も挙動もどー見ても女子にしか見えない名人芸でした。

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小出駅駅舎内の様子、2012年5月撮影。
下の画像の左側が待合室入り口です。
改築で駅舎はすっかり小奇麗になりましたけれど、旧駅舎の持つ幹線の主要駅としての風格は随分薄れてしまいました。
なおトイレは駅構内にしかなく、駅周辺に気軽にトイレを借りられる店は無いのでその点ご注意の程を。

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小出駅駅舎待合室内の様子、2012年5月撮影。
鼻クソをほじっているのも外から丸見えですが、防犯上はこの方が良いですな。

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1番ホームに接する駅舎と上屋の様子、2012年5月撮影。
1番ホームは長岡方面乗り場になります。
トイレは改札口の向こう側で、新しい駅舎では当然の事ながらバリアフリー対応。

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1番ホームの八色駅方から見た小出駅構内の様子、2012年5月撮影。
上越新幹線開業前はこのホームを目一杯使って、電車特急「とき」が一日5往復停車していたのです。
この時期には他に電車急行「佐渡」四往復と「よねやま」一往復、客車夜行急行「能登」の下りが停車していました。
当駅に「とき」が停車するようになったのは確か昭和47年3月改正からで、新潟-越後湯沢間の電車急行「ゆざわ」が同改正で廃止された代替措置がその始まりではなかったかと記憶しております。
ちなみに昭和55年10月改正ダイヤにおける、小出駅の優等列車停車は下記の如し。
下り                      上り
01:51急行「能登」金沢行        01:08急行「佐渡8号」上野行
03:38急行「佐渡7号」新潟行     08:01特急「とき4号」上野行
09:49特急「とき1号」新潟行      08:24急行「佐渡2号」上野行
11:05急行「佐渡1号」新潟行      11:02特急「とき10号」 上野行
11:48特急「とき5号」新潟行      11:08急行「よねやま」上野行
12:15急行「よねやま」直江津行   15:00特急「とき18号」上野行
16:20特急「とき15号」新潟行    15:06急行「佐渡4号」上野行
17:06急行「佐渡3号」新潟行     17:00特急「とき22号」上野行
18:47特急「とき21号」新潟行    17:42急行「佐渡6号」上野行
21:17特急「とき25号」新潟行    18:00特急「とき24号」上野行
21:49急行「佐渡5号」新潟行

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1番ホームの越後堀之内駅方から見た小出駅構内、2012年5月撮影。
只見線ホームへ至る跨線橋が長いこともあって、地方幹線の主要駅らしい風格満々なのです。
ただホームの上屋は信越本線の特急停車駅に比べると短めで、この辺りはローカル輸送の実態を反映してのものではないかと推察できるところ。

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1番ホーム端から越後堀之内駅方を望む、2012年5月撮影。

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1番ホーム上の跨線橋出入り口の様子、2012年5月撮影。
地方幹線主要駅としては標準的な幅です。

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小出駅跨線橋内部の様子、2012年5月撮影。
只見線ホーム乗り場へ向って、途中から幅が狭くなっているのがポイントです。
電化幹線上越線さまとは格が違うんだぞぅと逆アピールしているようです。

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跨線橋上から八色駅方を見る、2012年5月撮影。
上越、只見両線間の空所が目に付きます。

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同じく越後堀之内駅方を見る、2012年5月撮影。
駅裏は道路一本向こうがすぐ魚野川です。

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小出駅島式ホーム中央部の様子、2012年5月撮影。
越後湯沢方面乗り場は画像左側の三番線で、右側の二番線に発着する定期列車は現在ありません。
ちなみに昭和55年10月改正ダイヤでは、小出駅での普通列車の特急列車退避が1日3回ありました。

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島式ホームの越後堀之内駅方から見た小出駅構内、2012年5月撮影。
島式ホーム右側の2番線に今後定期列車が発着することはもう無いのでしょう。
豪雪地域ゆえに冬季にダイヤが乱れた際の保険で維持しているのかもしれませんが、ダイヤが乱れそうなら先手を打って運休させるのが常態ならば、その必要も無さそうです。
ローカル旅客はそれで良くても貨物列車はそうもいかないでしょうから、その辺の考慮もあるのかもしれませんけれど。

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島式ホーム端から越後堀之内駅方を見る、2012年5月撮影。

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3番ホームから見た只見線ホーム、2012年5月撮影。
跨線橋がひどく大きく見える、低くて小さなホームです。

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島式ホームの端から八色駅方を見る、2012年5月撮影。

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島式ホームの八色駅方から見た小出駅構内、2012年5月撮影。
只見線ホームはJR線のホームというより、軽便鉄道上がりのローカル私鉄線のそれのよう。
出自はまじりっけ無しの国有路線なんですけどね。

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只見線用ホームの先にある転車台、2012年5月撮影。

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小出駅構内中央部の様子、2012年5月撮影。
2番線の使用頻度はレールの色から察することが出来ます。

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跨線橋出入り口付近から見た小出駅只見線用ホームの様子、2012年5月撮影。

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只見線用ホームから見た小出駅構内、2012年5月撮影。
構内の離れ小島のような場所に只見線乗り場はあります。

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上越線用ホームのそれに比べて、幅のずっと小さい只見線用跨線橋出入り口、2012年5月撮影。

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小出駅1番線から出発する115系電車長岡行、2012年5月撮影。
当駅のかつての全盛時代を知る唯一の生き証人だったこの電車も、2016年3月ダイヤ改正で新鋭E129系電車に置き換えられて姿を消しました。

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小出駅3番線に到着した115系電車水上行、2013年5月撮影。
左側で待機中の只見線気動車は新潟色のキハ47+仙台色キハ40です。

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小出駅3番ホームから見た只見線のキハ40新潟色+仙台色、2013年5月撮影。

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小出駅で出発待機中の大白川行、2012年5月撮影。
前年7月の新潟福島豪雨で不通の大白川-只見間が復旧したのはこの約五ヶ月後でした。
大白川止まりの昼過ぎのこの列車、土曜でしたが学生も少なくガラガラでしたっけ。
何だかんだいっても、やはり最低でも只見まで行かないと意味が無い路線かも。

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只見線が全線健在だった頃、小さなホームに並び立つキハ40の両雄。
上は2003年8月撮影、取材目的で只見線に入った記念すべき最初の日でした。
下は2004年10月撮影で、昼過ぎの会津若松行の出発直前です。

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駅舎前から見た小出駅前の様子、2012年5月撮影。
駅前には旅館とビジネスホテルがありますが、旧小出町中心街から離れた駅界隈は公共交通の結節点で、商店街は形成されていません。

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小出駅前で客待ち中の、南越後観光バス運行の大白川行路線バス、2012年5月撮影。

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小出駅から旧小出町中心街に向かって歩きながら振り返って一枚、2012年5月撮影。
駅は右手になります。

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町を分ける魚野川に架かる小出橋、2012年5月撮影。
両側に歩道の付いた立派な橋です。
画像奥が旧小出町中心街入り口になります。

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小出橋の陸橋部分から見た小出駅構内、2012年5月撮影。
ここからの眺めは素晴らしく、俯瞰フェチの私は色んな角度から撮りまくりましたなぁ。

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同じく越後堀之内駅方を見る、2012年5月撮影。

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小出橋から見た魚野川下流方の様子、2012年5月撮影。
画像左端が小出駅、真ん中の鉄橋は只見線のそれです。
魚野川は鉄橋の向こう側で只見線沿いに流れる破間川と合流するのです。

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小出橋上から見た小出駅裏手の様子、2008年4月撮影。

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同じく魚野川上流方の様子、2012年5月撮影。

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小出橋を渡り、振り返って一枚、2008年4月撮影。

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旧小出町中心街の様子、2008年4月撮影。
豪雪地帯特有の頑健なアーケイド街です。
この辺りには集客力のある店舗はなく、昔ながらの個人商店が立ち並んでいます。
シャッターを閉めている店も目立つのですけれど、アーケイドの視覚的効果もあってそれほど寂れた印象は持ちません。
ただし横道に入ると、あぁ~・・・と口を突いて出てしまいそうな光景も。
前述の大白川行バスに乗るとそこを通ります。
ちなみにこれは小出駅から只見線の薮神駅に歩きながらの一枚。
昼過ぎの列車に薮神駅から乗るには、歩いて行くより他に道無しだったのです。

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小出駅から徒歩10分の、魚沼市営小出スキー場のシーズンオフの様子、2008年5月撮影。
魚沼市域には合併前の旧町村運営のスキー場が点在していますが、いずれも状況は思わしくなく、最も集客性の高い只見線・越後須原駅最寄りの須原スキー場以外からは撤退の方針が打ち出された事があります。
幸い、この小出スキー場は2016年度時点で健在です。

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小出スキー場から見た旧小出駅中心街、2008年5月撮影。
ここからの眺めも実に素晴らしいのですよ。

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小出駅旧駅舎の様子、2008年4月撮影。
建築財産票を見つけられなかったので、完成年月は残念ながら不明。
現駅舎と比べると、運転関係のスペースがある分横長でした。

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小出駅旧駅舎内の窓口と改札口、2008年5月撮影。
改札口の柵などは上越線全盛時代の遺構的な味わいをかもし出していたものです。
コンコースは実に広々としていて、上越新幹線開業以前は荷物を抱えた優等列車乗客がここで改札が開くのを待ち構えていたのでしょうね。
また旧駅舎時代はトイレも駅構内外にそれぞれあって、客はシモの心配をせずに済んだのです。

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改札口から見た小出駅旧駅舎内部の様子、2008年5月撮影。
昔はこのクラスの駅には大抵コインロッカーがありましたっけ。
画像左側が待合室出入り口です。

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改札口から見た待合室の様子、2008年5月撮影。

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待合室内にはキオスクがあって、至近に買い物処の無い小出駅では貴重な存在でした。
2008年5月撮影。
この時の待合室開放時間は06:50~20:00で窓口営業時間と同一。
キオスク営業時間は07:40~13:20、14:20~18:00でした。

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島式ホームから見た、小出駅旧駅舎の1番ホーム側と上屋廻り、2004年10月撮影。

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2017年3月 4日 (土)

越後堀之内駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・越後堀之内駅。

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新潟県魚沼市に所在する有人駅で、開業は大正11年(1922年)8月1日。
開業時の所在はかつて三国街道の宿場町であった北魚沼郡堀之内村で、同村の玄関駅でした。
堀之内村は駅開業の四年後に町制を施行して堀之内町になり、平成の大合併の号令下で平成17年(2005年)に近隣諸町村と大合併して、新自治体の魚沼市になって今日に至ります。
駅名に「越後」を冠するのは、当時東海道本線の静岡県下に明治22年開業の「堀之内」駅が存在したからですが、静岡県の「堀之内」駅は昭和31年に現駅名の「菊川」に改称されています。
JR東日本によると、2015年度の当駅一日平均乗車人員は433人で、同社県内有人67駅中55位。
当駅裏には県立堀之内高校が所在していますが、同校は2004年度から定時制高校に移行しています。
堀之内高校が全日制だった2001年度の当駅一日平均乗車人員は770人。
最寄高校が定時制に移行して学生の集中が無くなってしまってから、当駅の利用も急速に減少してしまったのです、それは14年間で44%減。
いかに地方の鉄道利用が学生に依存しているかを、この数字が物語っているのです。

さて自治体史を見ると、鉄道に関して全く触れてないところがある一方で、私のような好事家が瞠目するような濃い話が書かれているところもまたあるのですけれど、旧堀之内町の場合はまさしく後者です。
すなわち現在の飯山線(当時は十日町線と呼称)の計画時に、堀之内村を始め魚沼地方から堀之内-十日町間にすべきという申し入れがあったという話です。
皆様ご存知の通り、現実の飯山線は当駅から西に約8kmの上越線・越後川口駅から分岐しているわけですが、飯山線の当初計画時には上越線との分岐を川口にするのか堀之内にするのかその優劣が検討されたというのです。
それも越後堀之内停車場が開業する3年も前の大正8年にです。

堀之内町史によると、堀之内停車場分岐のメリットとして
1.堀之内村は川口村と比較して人口は二倍以上、主要物産品の生産量はそれ以上であること
2.対東京の利便性は川口よりも距離が短い堀之内が有利。
3.堀之内分岐は川口分岐よりもトンネルや鉄橋が少なくて済むこと(ただし川口-十日町間と堀之内-十日町間の距離自体はほぼ同じ)。
4.川口村より堀之内村の方が隣接する村が多く、周辺からの客貨を期待できること。

想定されるトンネルや鉄橋(それぞれ一箇所ずつ)の数を見ると、この堀之内-十日町線は現在の国道252号線に沿ったルートのようです。
そしてこの検討時に存在していた沿線自治体は、堀之内村と十日町を除くと田川入村(大正15年に堀之内村に編入)と中条村(昭和29年に十日町と合併)。
一方、川口分岐の場合は岩沢村、下条村、中条村。
国道252号線は通ったことがありませんが、現在の飯山線沿線の越後岩沢駅(岩沢村、昭和30年に小千谷市に編入)、下条駅(下条村、昭和30年に十日町市に編入)の周辺を見るに、往時は相応の実力を持った村のように見えます。
ゆえに路線内での需要は川口分岐の方に軍配が上がりそう。
また東京対十日町では堀之内ルートが有利とは言っても、十日町にとっては県都新潟や中越地方の中心である長岡との結びつきも重要で、その場合は対東京とは逆に川口ルートの方が近いことになります。

結局、堀之内分岐案が陽の目を見ることはなく、十日町線は現在の越後川口駅分岐で落着しましたけれど、もし越後堀之内駅分岐になっていたら駅はどこに設置されたのか、風景はどんな感じだろうかと色々想像してみるのもなかなか楽しい事なのですよ。

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越後堀之内駅駅舎の様子、2012年5月撮影。
建築財産票によると昭和43年10月の竣工。
許容積雪量は250cmで、この屋根の剛健さを見るにああ成る程と納得する次第。
昭和40年前後に完成した駅舎の特徴である窓の大きさがこの駅舎にも見られます。
駅前広場はかなり広いのですが、ご覧のように駐車はナシ。
2008年に訪問した際はタクシーが待機していましたが、この時はナシ。
常駐は止めてしまったのかどうか。

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駅舎から見た越後堀之内駅前通り、2012年5月撮影。
国道17号線は画像中央の十字路の横の道路です。

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越後堀之内駅駅舎内の様子、2012年5月撮影。
2008年4月訪問時には吹き抜けでしたが、2011年5月に立ち寄った際にはこの形になっていました。
吹き抜け時代には無かった空調もしっかり設置。
間もなく築半世紀のこの建物、このように手を入れたからにはまだまだ使うつもりなのでしょう。

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構内から見た、吹き抜け時代の越後堀之内駅駅舎内の様子、2008年4月撮影。
この時は列車到着30分前からオバチャン集団が待合室で大はしゃぎ。
ゆえに駅舎内の画をまともに撮れずに私は涙目。
オバチャンたちが列車に乗車するために到着キリギリに構内に入り、列車がいまホームに進入しているその時に撮ったのがコレでした。
駅巡りをやっていると、こういう事は間々あるのです。
近所の人らしきおぢさんがベンチで昼寝してたり、いたいけなオバァサンたちの井戸端会議場と化していたり、明らかに未成年のDQ・・・もとい少年たちの喫煙場になっていたり。
凄いケースでは、ほくほく線のうらがわら駅で待合室に寝袋やら自炊用具やら酒瓶やらを並べて、完全にマイルーム化していた登山家風のおぢさんに遭遇したことがあります。

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上りホーム(水上方面乗り場)の小出駅方から見た越後堀之内駅構内の様子、2012年5月撮影。

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上りホーム脇の旧貨物ホームと二本の側線、2012年5月撮影。
ハイモの留置線として活用されています。

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上りホーム端から小出駅方を見る、2012年5月撮影。
左横の二本の側線は一条になって上り本線と繋がっているのがわかります。

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越後堀之内駅駅舎の上りホーム側の様子、上は2004年7月、下は2011年5月撮影。
国鉄時代の地方の有人駅の標準的スタイルを今なお留めています。
上の画の右側の、ひらがなの駅名表記は私の幼少の目にはひどく印象的でしたっけ。
上越線の急行「佐渡」の車中から目が釘付けでした。
なんであんなに惹かれたんだろうかと、自身の事とはいえ子供の感性はわからんものです。

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越後堀之内駅跨線橋内部の様子、2012年5月撮影。
内部は優等列車停車駅並みの広さです。
窓を開けられなかったので構内の俯瞰撮影が出来ず残念無念。
当駅は堀之内町の玄関駅でありながら、魚沼地域の主要駅の一つである小出駅から僅か2.5kmという近さゆえか、特急列車は勿論、定期急行列車の停車はありませんでした。
やはり主要駅の六日町駅の隣ということなのか、急行停車が叶わなかった塩沢駅と同じ境遇で、駅の規模の割に報われなかったなぁという印象が強いのです。
当駅や塩沢駅よりも利用が少ないのに、飯山線の接続駅ということで昼行急行列車の「佐渡」と「よねやま」が停車していた越後川口駅の贔屓されっぷりと差が有り過ぎです。
ただし「堀之内町史」には「越後堀之内駅に準急列車が停車」という記述があったので、かつての電車準急「ゆきぐに」や「ゆざわ」の停車実績があったのかどうか。

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旧島式ホームの2番線側から見た越後堀之内駅の中心部、2012年5月撮影。
上越新幹線開業前の昭和55年10月改正ダイヤでは、当駅で優等列車を退避する普通列車は一日1本のみ。
新幹線開通後の国鉄末期には、塩沢駅や越後滝谷駅と同様に撤去されていたようです。
仕方が無いこととはいえ、中線廃止による変則対面式の構内は、見映えがよく無いなぁと見るたびに思うところです。

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旧島式ホームの小出駅方から見た越後堀之内駅構内、2012年5月撮影。
古い時代の駅の常として、当駅のホーム配置もやはり千鳥型。

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旧島式ホームの北堀之内駅方から見た越後堀之内駅構内、2012年5月撮影。
ホームの古めかしく頑丈そうな基礎が目を惹きます。

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旧島式ホーム端から北堀之内駅方を見通す、2012年5月撮影。

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小出駅方の陸橋上から遠望した越後堀之内駅構内、2013年9月撮影。
中線跡の、今日では無意味な空間はやはり寂しいのです。

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越後堀之内駅に停車中の115系電車長岡行、2012年5月撮影。
優等列車が思い出の彼方に消え去った後の当駅に日中出入りするのは、115系電車と貨物列車のみ。
そしてこの115系電車も2016年3月改正で全列車がE129系電車に更新されて、過去帳の仲間入りになったのです。

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越後堀之内駅に到着した115系電車水上行、2012年5月撮影。

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越後堀之内駅至近の国道17号線の様子、2012年5月撮影。
とにかくクルマの通行量が多く、こうしてクルマが映りこんでいない画を撮るのに随分と待たされるのです。
駅近くには画像右側のセブンイレブンがあります。
人口一万人弱の旧堀之内町ですが、商業エリアは駅周辺に集中しているので旧町の人口規模以上に賑やかな感じ。
なお国道には南越後観光バス運行の小千谷-小出線が走っていて、小出-越後堀之内-北堀之内-越後川口-小千谷の各駅間の鉄道補完として使えます。

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駅から見て、国道の一本向こうにある道が昔の三国街道でもある旧国道の様子、2012年5月撮影。
国道とは違い、こちらはクルマも少なく寂れた印象を拭えません。
第四銀行の支店が立地しているのは、かつての堀之内中心部であったことの証と言えましょう。

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旧町内を流れる魚野川の様子、上は2012年5月、下は2013年9月撮影。

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2016年8月28日 (日)

八色駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・八色駅。

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新潟県南魚沼市に所在する無人駅で、開業は昭和40年(1965年)1月15日。
開業時の所在は南魚沼郡大和町で、同町は平成16年(2004年)11月に南隣の六日町と合併して新自治体の南魚沼市の北部地域となって現在に至っており、八色駅は北隣の魚沼市との境界に位置しています。

八色駅周辺には小集落がある程度で観光名所もなく、鉄道に興味の無い人が八色と聞いて頭に浮かぶのは当地域名産の八色スイカでしょう。
駅開業時には上越線・浦佐-小出間は複線化していたので、列車交換の信号場的役割を持っていたわけでもありません。
国鉄時代には普通列車も数本は当駅を通過していたほどです。
旧大和町の玄関駅である浦佐駅からも比較的近く(約3km)、駅前至近には国道17号線も通っているのです。
何故この地に駅が置かれたのか?
大和町史にもその辺の事情は記述されていません。
新駅設置なら他にいくらでも需要の見込めるところはあるのに。
やっぱりアノ方の何らかの働きかけがあったのか?
そんな疑問ばかりが頭をよぎる、そんな駅がここ八色駅なのです。

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越後湯沢方面乗り場の小出駅方から見た八色駅構内の様子、2013年5月撮影。
電化複線の直線上に当駅は所在しています。
前後は緩やかなカープなので、ホームを作りやすいこの位置に駅を置いたのかもしれません。
しかしそのせいで駅構内の印象は地味色一色。
少しでも曲線を描けていれば、印象はかなり変わるはず。

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同じくホーム端から小出駅方を見る、2013年5月撮影。
八色駅の直線を抜けた列車は上下別線のトンネルに突入して魚沼市内に入ります。

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ホーム上の小さな待合室、2004年10月撮影。
建築財産票によると昭和43年7月の完成。
許容積雪量が250cmなのは豪雪地帯ならでは。
屋根の剛健な作りが目を惹きます。

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待合室内の様子、2004年5月撮影。
この時点では八色駅には自動券売機も乗車証明書発行機も未設置で、需要は周辺集落の学生に限られているのを窺わせます。
上越線の新潟県内区間で券売機・発行機共に未設置なのは土樽駅と当駅のみです。
ワンマン運行区間以外でここまでナイナイづくしの幹線系の駅も珍しい。

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越後湯沢方面乗り場の浦佐駅方から見た八色駅構内、2013年5月撮影。
上屋もホーム上のベンチも無いので、ホームは極めて長大に映ります。
アクセント皆無なのでその佇まいは実に退屈なのですよ。
勿論異論は認める。

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上下のホーム間の連絡は浦佐方の構外の踏切で行います、2013年5月撮影。

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踏切に続く通路から見たホーム出入り口付近、2013年5月撮影。

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浦佐方の踏切から見た八色駅構内、2013年5月撮影。
シンメントリーもここまでやると美観的にちと考え物ですな。

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長岡方面乗り場の端から見た浦佐駅方の様子、2004年5月撮影。

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長岡方面乗り場の浦佐駅方から見た八色駅構内、2013年5月撮影。
左側は旧大和町五箇地区の小集落、右側は民家が点在する田圃で至近を魚野川が流れています。

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同じく小出駅方から見た八色駅の様子、2004年5月撮影。

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八色駅を出発する115系電車水上行、2013年5月撮影。
当駅の地味さをより増しているのが、停車・通過する車両のバラエティの乏しさでしょう。
定期列車は115系電車と電気機関車牽引の貨物列車だけなのです。

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八色駅周辺の様子、2008年4月撮影。
画像中央に見える小さな茶色の建物は公衆トイレです。

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八色駅前至近を通る国道17号線の様子、2013年5月撮影。
この時点では付近にレストランが一軒ありました。
国道には南越後観光バス運行の路線バス小出-六日町線が運行されていて、本数的にも上越線の補完として使えます。
八色駅最寄は「堺川」バス停になります。

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魚野川に架かる国道17号線の八色大橋、2013年5月撮影。
八色駅から徒歩数分のこの橋が南魚沼市と魚沼市の境界です。

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八色大橋上から見た、清き流れの魚野川、2013年5月撮影。

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2016年6月12日 (日)

上越国際スキー場前駅(上越線)

本日の駅紹介は上越国際スキー場前駅。

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新潟県南魚沼市に所在する無人駅で、正式な駅としての開業は2003年(平成15年)4月1日。
新潟県内のJR駅としては越後線・内野西が丘駅(平成17年3月開業)に次ぐ新駅です。
当駅はその駅名の通り、駅前が全国でもトップクラスの広大さを誇る上越国際スキー場であり、この駅のそもそもの出自は1997-98スキーシーズンに開設された臨時駅なのです。
スキー場のロケーションは昭和40~平成初期のスキー全盛期と変わっていないので、国鉄時代にこの駅を開業していれば、季節特急「新雪」やシュプール号が停車してさぞ賑やかであったことでしょう。
国鉄時代は色々あって実現できず、平成になってようやく・・・だったのかもしれませんけれど、レジャースキーが斜陽になってからの駅開業はやや遅きに逸した感も。
スキー場前と誇らしく謳いつつ、実はスキー場まで歩いていける距離ではない岩原スキー場前駅と比べて、こちらは看板に偽り無しなんですけどね。
まぁあちらは高校が至近にあって(現在は廃校)、通年の需要を見込めたのと越後湯沢越後中里間6.8kmの中間に位置していたのが立地条件として大きかったのでしょうけれど。
こちらは隣の大沢駅まで僅か1km強、国鉄のやり方からすればあまりに駅間が近すぎますわな。

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上越国際スキー場前駅の待合室、上は2009年7月、下は2006年11月撮影。
待合室は簡素なプレハブの建物で、長岡方面乗り場の直下にあります。
待合室前は駅前の「日帰りセンターアネックス」の駐車場に面しています。

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この駅の性格を最も端的に表しているのが、待合室内のシーズンオン/オフの変化の大きさ。
上は2009年7月、下は2006年11月下旬の撮影。
夏はこのようにガランとして何の変哲もないローカル無人駅の待合室そのものですが、カキーシーズンを間近に控えて整備されるとコインロッカーと飲料自販機が据え付けられていました。
無人駅にコインロッカーなんて、新潟県内では前代未聞空前絶後な話なのであります。

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待合室から線路下の道路をくぐって、越後湯沢方面乗り場の入り口を見る。
2009年7月撮影。

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越後湯沢方面乗り場の運賃表、2004年9月撮影。
上越国際スキー場前駅には自動券売機は設置されていませんが、乗車証明書発行機は上下の乗り場に置かれています。

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越後湯沢方面乗り場の大沢駅方から見た上越国際スキー場前駅構内、2009年7月撮影。
築堤上の複線に短い対面式ホームが置かれているだけの簡素な造りです。
ホームの有効長は4両と短めで、上越線長岡口の輸送実態を反映したものです。
当駅のホームを見ると、上越線の他駅のホーム長が輸送実態に見合っておらず遊休化が激しいのを痛感してしまうのですよ。

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越後湯沢方面乗り場の塩沢駅方から見た構内、2009年7月撮影。
当駅での撮影は、この位置から下り列車を狙うのが個人的にベストかなと思う次第。

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上越国際スキー場前駅は築堤上にある駅なので、ホームからの眺めは上々です。
2009年7月撮影。
スキー客用の広大な駐車場には一台のクルマも留まっていません。

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長岡方面乗り場の大沢駅方から見た駅構内、2009年7月撮影。

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同じく塩沢駅方から見た駅構内、2009年7月撮影。

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長岡方面乗り場から見た上越国際スキー場入り口界隈の様子、2009年7月撮影。
画像中央に見える茶色の建造物は、ゲレンデに向かうリフトのものです。
こちら側も梅雨の真っ只中とあって人影なし。

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上越国際スキー場前駅に停車中の115系電車長岡行、2013年6月撮影。
当駅は一般旅客の利用が望めない故か、通過列車が多いのが特徴です。
2016年3月改正ダイヤでは、毎日運転の普通列車15往復30本(ほくほく線直通列車は除く)中、上下合わせて9本は当駅を通過しています。
これでは駅訪問もちと不便・・・というわけでもなく、隣の大沢駅は1km強の近さなので特段不便は無いのです。


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上越国際スキー場前駅を通過するHK100形電車「ゆめぞら」越後湯沢行、2013年6月撮影。
ほくほく線直通列車は全便当駅通過です。
ただしスキーシーズンには僅かながら臨時停車する便もあります。

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上越国際スキー場前駅を通過する金沢行特急「はくたか」、2014年5月撮影。

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上越国際スキー場前駅を通過する越後湯沢行特急「はくたか」、2014年5月撮影。

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上越国際スキー場側から見た駅前の様子、2009年7月撮影。
画像中央に映っている茶色の小さな建物が駅の待合室です。
左側の洋風な建物は「日帰りセンターアネックス」。
日帰り客向けの施設だそうです。

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スキー場のゲレンデに向かうリフト乗り場、2009年7月撮影。

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スキー場側から上越線の築堤をくぐったあたりの様子、2009年7月撮影。
冬眠ならぬ夏眠中の界隈であります。
季節限定のレジャー客用の施設のオフシーズンの侘しさといったらもう・・・。
このまま約1km直進すると国道17号線に出ます。

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大沢駅方面への道はこんな感じ、2006年11月撮影。
この道を道なりに1km強進むと大沢駅に着きます。
裏手のスキー場界隈のオサレな雰囲気と異なり、こちら側は民宿やロッジが建ち並んでいて昔のスキーレジャー全盛期の面影を色濃く留めています。
個人的にはこういう風景の方が良いなぁ。

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2012年2月11日 (土)

昭和55年10月改正ダイヤの石打駅時刻表

本日、石打駅エントリーに加筆と画像大幅更新を行いました。
そのついでといっては何ですが、かつての石打駅華やかかりし頃の時刻表を
作成しました。
石打駅の場合、華といえば往年のスキー列車群が咲き乱れる冬季ダイヤなの
ですけれど、残念ながら手元にある時刻表は春のもので冬の華の競演を載せ
られないのが残念です・・・。

この当時の普通列車停車本数は上下21本。
早朝の下り長岡行は特殊ですから実質20本。
平成23年3月改正ダイヤでは上下30本で、土休日には2本プラスの32
本です。
本数的には五割増しですけれど、昭和55年当時は六連は当たり前。
現在は二~四連というところ。
115系電車の定員換算だと、本数五割増ほどには増えていないのではと
思われます。

石打駅時刻表
昭和55年10月改正ダイヤより作成
赤字は急行列車
下り
列車名 始発 発車時刻 終着 備考
733M 上野 03:29 長岡
461M 越後湯沢 06:18 新潟
433M 水上 07:23 新潟 長岡-新潟間快速
721M 高崎 09:11 新潟
723M 上野 10:14 長岡
佐渡1号 上野 10:38 新潟
よねやま 上野 11:50 直江津
725M 高崎 13:38 新潟
727M 高崎 16:14 長岡
469M 越後湯沢 17:08 長岡
729M 上野 18:07 長岡
731M 高崎 21:04 長岡
上り
列車名 始発 発車時刻 終着
722M 石打 06:17 高崎 当駅始発
724M 長岡 08:25 上野
422M 新潟 10:52 高崎
よねやま 直江津 11:32 上野
424M 新潟 12:03 越後湯沢
728M 長岡 14:33 高崎
730M 長岡 16:33 高崎
732M 長岡 17:58 上野
佐渡6号 新潟 18:06 上野
440M 新潟 19:13 越後湯沢  新潟-長岡間快速 
734M 長岡 20:26 高崎
468M 長岡 21:49 水上
470M 長岡 23:52 石打 当駅終着

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2011年6月11日 (土)

湯檜曽駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・湯檜曽駅。

2017年4月15日記、旧記事を新記事に統合しました。

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群馬県利根郡みなかみ町に所在する無人駅で、昭和6年(1931年)9月1日の開業です。

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湯檜曽駅旧駅舎の威容、2005年6月撮影。
山荘のような趣は実に味がありました。
2009年秋に築42年で解体されてしまいましたが、それ以上に古い駅舎はたいして珍しくありません。
やはり乗降客数と駅舎の大きさが著しくアンバランスなのが要因だったのでしょうか?
建物もこれだけ大きいと、特に冬期の保守の手間が馬鹿にならないのは想像できるところではありますし・・・。
対して収入の方は推して知るべし。

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湯檜曽駅駅舎内の様子、2004年3月撮影。
天井が高く、広々とした空間でした。
この駅舎は新清水トンネル開通に伴う駅の移設に際して建てられた建物でしたが、移設開業した昭和42年当時の湯檜曽駅は、この内部に相応しい利用状況だったのでしょう。
しかしこの虚無的な様子はしかし・・・。
この時は自動券売機も乗車証明書発行機も未設置です。
撮影したのは当駅無人化の三ヶ月後でしたが、人っ子一人いない日中のこの光景・・・
無人化も已む無しという他言葉がありません。
JR東日本が公開している駅の1日平均乗車人員表によると、2002年度のそれは27人でした。

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湯檜曽駅旧駅舎の改札口とその向こうのホームへ至る通路、2004年3月撮影。
この頃は今のようにディープではなかったので、旧駅舎内部の画はこの三枚だけというのが、我ながら痛恨の極みなのです。
あぁ、もっとムチャクチャに撮っておけばよかった・・・。


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現在の湯檜曽駅正面の様子、2011年5月撮影。
旧駅舎があった場所は基礎のみ残して跡地はフェンスで囲まれ、その横に新駅舎・・・というより待合室が無くトイレがあるだけの単なる出入り口が出来ました。

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湯檜曽駅の新しい出入り口を正面から見る、2011年5月撮影。
冬期降雪対策に手間がかからないように、また必要な強度確保の為に、一見すると無意味に高く屋根の傾斜した建物になったと推察されますが・・・。

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更地になった旧駅舎跡の様子、2011年5月撮影。
この土地は今後どうするんでしょうかね?
JRが抱えていても固定資産税が余計にかかるだけですし、地元に売却?
(もう売却済み?)。
でも買っても使い道は無さそうだなぁ・・・。

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新しい湯檜曽駅舎出入り口の様子、2011年5月撮影。
画像左側がトイレです。
男女別で水洗、身障者対応済みで綺麗です。
・・・しかしドアに男女の明記は無く、ドアの水色とピンクで男女を推察する他無し。
水色の方に入って用足しを致しましたが洋式でした。
ピンクの方もきっとそうなのでしょう、ピンクが男性用でなければ。
男女共同じ仕様のトイレ、時代は変わった・・・!

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下りホームへの階段から湯檜曽駅出入り口を見る、2011年5月撮影。
乗車証明発行機が設置されていますが、電車に乗車しても車掌氏の来訪は無し。
私は長岡-水上間フリーの「雪国観光パス」を使用したので直接関係無いのですけれど、あれが常態だと運賃の取りはぐれも多いのではないかと。
そのクセ、水上駅からの下り列車だと出発早々きっぷ拝見に回ってきましたからねぇ、有人駅始発なんですから乗客は皆きっぷをちゃんと持ってるでしょうに。
傍目から見ると何かやってる事がチグハグ・・・。
土樽駅から上り列車に乗車した時も車掌氏の来訪はありませんでしたし・・・。
客の方から車掌のところへ出向け!って事?

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湯檜曽駅下りホームへの通路を見る、2011年5月撮影。

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土合駅方から見た湯檜曽駅上りホームの様子、2011年5月撮影。

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ホーム端から土合駅方のループ線を見る、2004年3月撮影。
上の画のループ線上に、湯檜曽駅に向かって下ってくる115系電車が見えます。

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地上ホーム出入り口と駅名標、2011年5月撮影。
湯檜曽駅に再訪を果たした2005年6月時点では昔ながらの駅名標でしたが、この時点では現在のJR東日本定番風に書き換えられています。
しかし駅名標自体は昔の形のままなのは隣の土合駅と同じ。

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湯檜曽駅上りホーム中央部に残る渡り線?の痕跡、2005年6月撮影。

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湯檜曽駅上りホームの待合室、2011年5月撮影。
駅舎の解体後、当駅で列車を座って待てるのはこの待合室だけになりました。

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水上駅方から見た湯檜曽駅上りホームの様子、2005年6月撮影。
古い形の駅名標のペンキの剥がれ具合がまた絶妙で、幹線閑散区間の世間から忘れ去られた独特の雰囲気の演出の一助に。

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ホーム端から水上駅方を見る、2004年3月撮影。

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湯檜曽駅の上りホームから見た新清水トンネル入口、2004年3月撮影。

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ループ線を越えて湯檜曽駅上りホームに進入する115系電車水上行、2004年3月撮影。
走行音が聞こえ出してから実際に電車が入線するまでのタイムラグは必見必聴。

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早春とはまた趣の異なる、春から初夏への端境期の湯檜曽駅と115系電車、2005年6月撮影。

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水上駅方から見た、新清水トンネル内の湯檜曽駅下りホームの様子、2011年5月撮影。
このホームにはベンチは置かれていません。

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土合駅方から見た湯檜曽駅下りホーム、2005年6月撮影。
現在の輸送実態から見て過剰に過ぎるホーム長。
しかしかつてはこのホームには、長編成の電車急行「佐渡」新潟行が毎日一本停車していたのです。

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上りホーム上から駅舎解体後の湯檜曽駅前を見下ろす、2011年5月撮影。

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湯檜曽駅前を通る国道291号線の様子、2011年5月撮影。
画像左側の建物は郵便局です。
この時点では周辺にコンビニ等はありません。

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運賃こそ割高なものの、頻発運行で上越線より遥かに利便性の高い路線バス谷川ロープウェイ-水上駅-上毛高原駅線の「ゆびそ駅前」バス停、2011年5月撮影。

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上越線のループ線に至る橋脚、2011年5月撮影。
昔の造りはつくづく味がありますなぁ・・・。
その隅々にまで血が通っているようで見るたびに発見があって見飽きません。
今度行く機会があったら電車が通過する様子を見上げてみたいものです。

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湯檜曽温泉街の様子、2011年5月撮影。
土合駅前から乗車したバスの車中から眺めた事はありましたけれど、歩いてつくづくと見て回るのは初めて。
・・・人気がありません、とにかく・・・
隣の水上温泉街は浴衣姿で散歩するオジさんたちをポツポツ見かけましたが・・・。
廃墟然としたホテルや旅館の様子も噂通り。
上越線は不便、新幹線の上毛高原駅からは遠くバス乗り換えは面倒、関越道の月夜野インターからも遠い・・・交通インフラからことごとく離れているので、相当に強烈なインパクトが無いと客足が遠のくのは自明の理。

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温泉街の外れから土合方面を見る、2011年5月撮影。

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話によると画像左側の道を進むと、旧湯檜曽駅跡への入口に行き着くそうなのですが、「工事車両出入口」の注意喚起が、2011年5月撮影。
何か近づき難い雰囲気でもあったので、旧駅跡見物は断念。

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旧駅跡見物断念の代わりに、駅までの道すがらにミョーなものを発見、2011年5月撮影。
コンクリ製?の長い階段と打ち捨てられて久しい様子の街灯。
待合室のようにも見える建物とホーム跡に見えなくも無い構造物。
これ以上は藪コギにならざるを得ず、水上行の時間が切迫している中でイケドン調査は少々無謀に付きこれ以上の探索は断念。

かつての急行「佐渡」停車駅も、駅舎解体でかつての栄華の残光も一気にその光量を減じて、残るは長大編成を収容可能なホームのみ。
次に来るのは実態に対してあまりに長いホームの前後を立ち入り禁止にして有効使用長の大幅縮小、そして将来は清水トンネル廃止による単線化、ループ線廃止すなわち現在の上りホームの廃止まで行き着くのでしょうか・・・?

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2011年5月29日 (日)

土合駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・土合駅。

2017年4月15日記、旧記事を新記事に統合し画像追加と加筆修正を実施しました。

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群馬県利根郡みなかみ町に所在する無人駅で、1936年(昭和11年)12月19日の開業です。
土合駅は私が説明するまでもない、JRの無人駅中屈指の知名度を誇っています。
上越国境を越える清水トンネルの開通による上越線全通と同時の開業で、昭和42年(1967年)9月28日に新清水トンネル開通に伴う上越線全線複線化までは、深い山間の列車交換駅として運転上の要衝の一つでした。

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長い冬を脱してようやく春を迎えつつある土合駅駅舎とその周辺、2004年3月撮影。
私が取材目的で最初に当駅を訪れた時の画です。
広い駅前広場には一台のクルマの姿も無く、ひっそりと静まり返っていましたっけ。

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赤い三角屋根が天空に高々と屹立するが如き土合駅舎の威容、2005年6月撮影。
ドライブインか大きな山荘か山小屋か。
いずれにせよ、人里離れた山中だからこそ映えるこのデザインです。

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土合駅に三度目の訪問をした時は、駅舎はこんな有様に・・・、2011年5月撮影。
駅舎は工事中で、この時はトイレも使用中止。
駅前広場の傍らに仮トイレが設置されていました。
隣の湯檜曽駅のように、ひょっとして駅舎解体かコレは!?
工事は6月下旬までのようで、工期を見ても駅舎自体が無くなるわけではないのでしょう・・・と信じたい!と、訪問当時は強く願ったものでした。

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そして2016年9月、駅舎は健在で何より。
しかし駅前広場はとにかくクルマが多い!
駅を見物する人多数ですが、青春18きっぷの期限外になった九月の土曜日、列車で土合駅に降り立ったのは私一人きり。
ギャラリーは私以外全員クルマ利用。
この日は警察のパトカーも巡回に来ていました。

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土合駅駅舎内の様子、2004年3月撮影。
この頃は今のようなディープさに全く欠けていたので、画像奥の待合室内の画を撮っておかなかったのは痛恨の極みなのであります。
なお当駅は自動券売機も乗車証明発行機も未設置です。
待合室は広く、谷川岳一帯に挑む山男たちの仮眠の場として重宝されたのでしょう。

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2011年5月に三回目の訪問を果たした際の土合駅駅舎内部。
ベンチが新しくなった他、待合室内部でもなにやら工事中。
なお、この時点では乗車証明所発行機が設置されていました。

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四度目の訪問を果たした時の土合駅駅舎内部の様子、2016年9月撮影。
みなかみ町も当駅の知名度にあやかろうと思ったのか、商売っ気が出てきたような。

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駅舎内の待合室は閉鎖されて立ち入ることが出来ません、2016年9月撮影。
なんでもここで火を使う人がかなりいるようで、当局も看過できなくなったようです。
こんなところで火など使うなよと、常識で考えればわかりそうなものですけれど。
駅のような公共財と私有財の狭間にあるようなところだと、その辺の感覚が麻痺しちゃうんですかね。

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土合駅前を通る国道291号線、2004年3月撮影。
画像右側が土合駅入口、道路の上を往く陸橋のようなものは、新清水トンネル内の土合駅地下ホームへの通路です。
画像左手前の小さな建物は路線バスの「土合駅前」停留所の待合室です。

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土合駅前のバス停を通過する、谷川ローブウェイ発上毛高原駅行の路線バス、2011年5月撮影。
鉄道に比べて運賃はかなり割高ですが、運行本数が多いので鉄道補完として実に便利な存在です。
このバスには3回乗車していますけれど、いずれも混んでいました。
2004年3月に乗車した際には、乗車を躊躇するほどの立錐の余地無しな大混雑。
土合駅の先にある谷川岳の通年人気を物語っているようです。
谷川岳は一度ぜひ見聞したいところなんですが、ロープウェイ乗車に二時間待ちとかいう話を聞くと、ちょっとキツいなぁ・・・。

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土合駅前から国道を湯檜曽方に少し進むと行き着くドライブイン、2011年5月撮影。
このドライブインの存在と路線バスの頻発運転(上越線に比べて)が、私的に土合駅の「秘境駅」的印象を相当に薄めています。
秘境駅というからには、矢張り鉄道の運行本数僅少で路線バスも無しで周辺人口も希薄で周りには何も無いようなところでないとねぇ。
新潟県内で言えば米坂線の越後片貝駅や越後金丸駅はまさにそんな感じなのですよ。

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土合駅構内通路の様子、2005年6月撮影。
頑強な天井の梁や窓の覆いは流石豪雪地帯の建築物の面目躍如か。

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土合駅上りホームへの出入り口の様子、2005年6月撮影。

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2005年6月当時の土合駅上りホームの様子。
画像右側にはまだ白線がくっきり残っていて、新清水トンネル開通以前の雰囲気が残っているよう。

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ホーム端から清水トンネル方を見通す、2005年6月撮影。
本線の右側の線路は画像中央に見えるモーターカーの車庫に繋がっています。


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2016年9月時点の土合駅上りホームの様子。
現在のホーム有効長を示す黄色い太線が引かれ、ホームの右側には策が設けられています。
当駅の列車交換駅時代の記憶も薄れていってしまっていますなぁ。

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駅名標がまだ昔の国鉄型だった頃の土合駅上りホームの清水トンネル方を見通す、2005年6月撮影。
駅名標は2011年5月に再訪した時にはJR東日本の定番風に書き換えられていて、2016年9月の再訪時でも変化無し。
きょうびはローカル線の小さな駅の駅名標もJR東日本の定番型に置き換えられているのに、この扱いは実に珍しい。
まぁあのオサレな駅名標だと、当駅の風情には激しく合わないこと確実なのです。

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ホーム端から湯檜曽駅方を見通す、2005年6月撮影。

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上りホームの中程にある待合室、2005年6月撮影。
建築財産票によると昭和44年3月の完成。
鉄道ピクトリアル・アーカイブセレクションNo35に載っていた、昭和36年当時の土合駅の俯瞰写真を見ると、当時ホーム上に待合室は無かったようです。

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土合駅上りホーム待合室内部の様子、2011年5月撮影。
ここには幽霊が出るとかナントカ、そんなヨタ話を聞いたことがありますけれど、鈍感な私はそんな噂にはお構いなしで、ここでもそもそと昼ご飯を食しました。

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ホームのお色直しに合わせて、待合室もこのようにお化粧直し、2016年9月撮影。

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早春の土合駅上りホームに停車中の115系電車水上行、2004年3月撮影。

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土合駅上りホームに停車中のE129系電車水上行、2016年9月撮影。
上越線の長岡-水上間の定期普通列車は、2016年3月ダイヤ改正でE129系電車に全面更新されました。
115系電車のような激しい動揺も無く、乗って座る分には非常に良い電車です。
しかし編成は総じて短くなってしまった為、土日に乗った限りではどの列車も常に混んでいました。
東京から来たという御婦人が、この電車を「(地下鉄の)銀座線みたい!」と評しておられましたが、デザインや内装的には都会の方の目で見ても垢抜けている電車なのでしょうな。

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土樽駅方の踏切から清水トンネル出入り口を望む、2005年6月撮影。
一時は清水トンネル廃止と上越線県境区間の単線化が話題に上りましたが、そう遠くない将来にはトンネルの大規模改修か、トンネル廃止による単線化の二者択一を迫られるのは必至かと。

では駅舎に戻って地下トンネルの見学へ向かいます。

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地上から地下ホームへの連絡階段へ至る連絡通路、2011年5月撮影。

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いよいよ地下ホームへ向かいます、2011年5月撮影。
私のような高所恐怖症の人間にとっては多少の畏怖を感じるところです。

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少々きつい行程の階段を下りて、下まで到達、2011年5月撮影。
地上の旧改札からここまでコースタイムちょうどの10分。
途中、撮影で立ち止まりながらですので、無停止なら8分というところですかね。

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画像奥が土合駅の地下ホームです、2011年5月撮影。

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湯檜曽駅方から土合駅下り地下ホームを見る、2005年6月撮影。
時は6月の晴天、地上との気温差からくるものなのか、構内は霧でけむっています。

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土合駅地下ホーム出入り口付近から湯檜曽駅方を望む、2004年3月撮影。
霧はなく綺麗な構内です。

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構内改修前の土合駅地下ホームに到着した115系電車長岡行、2005年6月撮影。
ハイカーのおじさんおばさんが十人ほど乗り込み賑やかです。

ここからは構内改修後の土合駅地下ホームの様子です。
画像は特記以外は2011年5月撮影です。

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湯檜曽駅方から見た土合駅下り構内。
構内改修で副本線を廃して、通過線にホームを張り出したのは皆様ご存知の通り。

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湯檜曽方を振り返って見る。
こちら側は旧ホームの照明のアシストもあって光量が比較的多く、ISO400なら三脚無しでもさほどブレずに撮影できました。

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同じく湯檜曽方に延びる旧ホーム跡。
この時は東北大震災後の節電が叫ばれていた時期でしたけれど、旧ホーム跡の照明は消しても構わないよーな・・・?
配電の問題で個別の消灯は出来ない仕様なんでしょうか。

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土樽駅方から見た土合駅下り構内。
ホーム長は”4”の表示以上に余裕かありましたから、6両程度は収まるのでは?
近日ご紹介予定の新装土樽駅ホームに比べると、ホーム長は明らかに余裕があります。
臨時列車の停車も考慮しての事でしょうか。
・・・それでも以前に比べれば、矢張り随分短くなりました・・・。

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ホーム上の旧詰所(待合室及びトイレ)から土樽方に延びる旧ホームを観察。

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その旧詰所。トイレは一番奥になります。
建築財産票によると昭和42年7月の竣工。

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土合駅地下ホーム待合室内部の様子。
ベンチは相変わらず昔のまま。
テーブルが置いてありますけど、登山客の荷物置き場用?

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土合駅の下り新ホームと出口の位置関係。

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構内改修後の土合駅地下ホームに到着した115系電車長岡行。
前述のように当駅に停車する普通列車は2016年3月改正でE129系電車に置き換えられていますから、この光景も既に過去帳入りです。

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駅前の国道を谷川岳方面に歩き登って、俯瞰で見た土合駅の地上ホームとその周辺の様子。
土合駅からここまで10分強です。
2016年9月に再訪して同じ位置から見てみたのですが、茂る木々と葉に邪魔されてこういう画は撮れませんでした。
撮るのは春先が良いようです。
前述の鉄道ピクトリアルの俯瞰画を見ると、現在の駅舎のあたりは国鉄職員や関係者の官舎らしき建物が建っています。

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2011年5月 8日 (日)

北堀之内駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・北堀之内駅。

2016年7月17日記、加筆修正及び画像追加しました。

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新潟県魚沼市の北端に位置する無人駅で、開業は昭和25年(1950年)2月15日。
開業当時の所在は北魚沼郡堀之内町で、同町は平成16年11月に周辺町村と広域合併して新自治体・魚沼市の一部となって今日に至ります。

北堀之内駅の前身は昭和19年9月に開設された「越後下島信号場」で、この時期日本各地で設置された「決戦輸送」用でした。
堀之内町史によると、昭和21年4月に信号場の駅格上げ嘆願書が運輸大臣に提出されます。
信号場の設置された下島地区は明治期まで村だったところで、当時の地区人口は七千人弱と、北隣の川口町と比べても遜色ないものでした。
嘆願書は駅格上げの必要性としてまずこの駅勢人口の多さと冬期の交通不便、そして信号場付近に大量の亜炭が埋蔵されていて、これが貨物輸送にプラスに
働くとの客貨両方でアピールする念の入れ様。
古津駅のエントリーでも述べましたが、当時は戦時中に開設された信号場が合理化の為に整理廃止されてしまうのを恐れた自治体が、おらが信号場の駅昇格を求めて盛んに請願嘆願をおこなっていたのです。

新潟県内では、信越線古津田上両駅がその必要性を認められて国鉄発足直前に駅昇格を果たしましたが、下島信号場は周辺に前述したかなり大きな人口を抱えながらすんなりと昇格とはいかず、国鉄発足後八ヶ月後の昇格となりました。
請願駅扱いなので駅昇格工事費は全額地元負担となりその金額約54万5千円。
同時期に当駅同様信号場からの昇格を果たした信越線・長鳥駅の工事費の1/4以下で、平地の駅は山間の勾配区間の駅と比べていかに安価か良くわかる話なのであります。

・・・しかし駅名はねぇ・・・。
「北堀之内」って実にパッとしないネーミングですなぁ。
「越後下島」の方が語呂も語感もずっと良いんですけど。
駅昇格工費の半分を堀之内町費で賄ったそうなので(残りは下島地域一帯からの寄付金)、仕方ないって言えばそうなんですが。
駅昇格を言い出したのは下島地域で堀之内町じゃなかったわけですし。
それをお金半分出してもらったんですからねぇ・・・。

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北堀之内駅駅舎、2008年4月撮影。
建築財産票によると、竣工は平成10年12月14日。

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ホーム側のホーム出入り口、2008年4月撮影。
画像左側が待合室、画像中央の通路上に立っているのは乗車証明発行機です。
これを見るに、利用客のほとんどは通学生なのでしょう。
この時点で自動券売機は未設置でしたが、2013年5月に再訪した時には狭い待合室内に押し込むようにして設置してありました。
なおトイレは駅舎内にあって男女共用、水洗ですがトイレットペーパーはありませんでした。

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ホームから見た北堀之内駅舎、2005年5月撮影。
駅舎右側は倉庫になっていて、除雪用具が置かれているのでしょうね。

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一番ホーム(小出方面)越後堀之内駅方から見た北堀之内駅構内、2004年7月撮影。
ご覧のように上下のホームは非対称です。
前述したように名前はパッとしない当駅ですが、この古びた佇まいと後背すぐに山というロケーションはなかなか良い味を出しています。
個人的には好きな駅の一つ。

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同じく越後川口駅方から見た駅構内、2004年7月撮影。
私事で恐縮ですが、これを撮っている時は生まれて始めて熱中症になって、酷い頭痛を我慢していましたなぁ・・・。
非常に蒸し暑く不快な初夏の一日でした。

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ホーム中央部と跨線橋の様子、2004年7月撮影。

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2013年5月時点の北堀之内駅構内中央部。
長岡方面乗り場の待合室は撤去されて、JR東日本定番の駅名標が設置されています。
待合室の撤去はかなりの経年でもありましょうし、仕方のない事なのかもしれません。
しかしやはり近年ホーム上の待合室を撤去した信越本線・北条駅のように跨線橋の出入り口に上屋とベンチを設置する方法も・・・しかし当駅の場合、架線柱が邪魔をして出来ないのでしょうね。

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北堀之内駅跨線橋内部の様子、2013年5月撮影。

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跨線橋上から駅構内越後堀之内駅方を見る、2013年5月撮影。

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同じく駅構内越後川口駅方を見る、2005年5月撮影。
長岡方面乗り場の待合室が健在だった頃です。

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長岡方面乗り場の待合室撤去後の構内、2013年5月撮影。
架線柱も更新されているのがよくわかります。

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二番ホーム(長岡方面)越後川口駅方から見た北堀之内駅構内、2004年7月撮影。
ホーム後ろの雪崩対策用?鉄柵がいかにも雪深い土地柄を象徴。

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同じく越後堀之内駅方から見た駅構内、2004年7月撮影。

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現在は撤去されている長岡方面乗り場の待合室、2004年7月撮影。
建築財産票未確認に付き竣工年月は不明ですが、屋根の形状などからかなり古いものと推察されます。
これも郷愁の小品でなかなかに通好みでした。

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北堀之内駅に停車中の115系電車越後中里行、2013年5月撮影。

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北堀之内駅に進入する115系電車越後湯沢行、2013年5月撮影。
先日、運用を離脱したS編成です。

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北堀之内駅に到着した115系電車長岡行、2013年5月撮影。


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北堀之内駅とその周辺、2008年4月撮影。
越後川口駅同様、後背の山々に圧せられた駅舎が印象的です。
駅前通りには数戸の民家、いずれも冬期の豪雪に備えた背の高さです。

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駅前広場から見た駅前通り、2008年4月撮影。
少し歩くと国道17号に行き着きます。

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国道17号川口方面を見る、2008年4月撮影。
国道には小千谷本町-小出間のバス路線が設定されています。

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同じく堀之内方面を見る、2008年4月撮影。
この辺りは両方向共に至近に信号機がありません(堀之内方面に数百m進むとようやく一基、川口方面には見通せる限り無し)。
しかも行き交う車は切れ目無く多くて、横断するには相当の時間を必要とします。
私はこの時、横断に五分かかりました。
前述の路線バス小出方面をご利用の際は、時間に余裕を見るのをお勧めします。
ギリギリに行くと道路横断が出来ず、目の前をバスが通過するのを呆然と見送るという実にイヤな目に容易く遭いそうですのでw。
画像中央左側の薄茶色の建物はたこ焼き屋で、たこ焼きの他にたいやきも有り。
当駅至近で食べ物にありつけるのはそこだけでした。
ちょうど小腹が空いた夕方の事で、あの店でたいやきを買いはむはむと食しながら車中の人となった次第。

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