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2017年9月 9日 (土)

五泉駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・五泉駅。

五泉駅の昔の跨線橋

新潟県五泉市に所在する有人駅で、同市の玄関駅です。
開業は明治43年(1910年)10月25日。
開業当時の所在は中蒲原郡五泉町で、明治時代には既に中蒲原郡域有数の街になっていました。
五泉町の隣の村松町には帝国陸軍の歩兵連隊が駐屯していましたけれど、磐越西線開通以前は信越本線の羽生田駅が部隊輸送や軍人の往来の玄関駅。
村松から羽生田へは約10kmで道中は山道多し。
一方村松から五泉へは約5kmで平野部です。
部隊の迅速なる移動にどちらが優れているかは言うまでもありません。
当駅の開業は軍事上大きな意義があったのです。

五泉停車場開業の13年後には、江戸時代はこの地域の中心だった村松藩三万石の城下町村松に向かう蒲原鉄道が開業して、五泉駅は官鉄とローカル私鉄の乗り入れるジャンクションの機能を持つようになります。
五泉町はその後、周辺自治体を合併編入して町勢を拡大、昭和29年には市制を施行して五泉市になり、平成の大合併の号令下で隣の村松町と合併し新たな五泉市として再スタートをきり、現在に至ります。
五泉市は特急の走らぬローカル亜幹線・磐越西線沿線で周辺に著名な観光地が少ないことから他県の方から見るとかなり地味に映るかもしれません。
しかし当地は昔から「ニットの街」として有名で、その生産高は日本一。
生産高のみならず技術の点でも高く評価されているところなのです。
また市勢についてもその人口は北陸新幹線の停車する糸魚川市よりも多く、当市より面積が七割近く多い十日町市に匹敵するレベルで、新潟県下においては見附市と共に、地味に見えるが実は侮りがたい街なのであります。

さてJR東日本によると、2016年度の五泉駅の一日平均乗車人員は1,070人。
同社新潟県内有人67駅中38位で、弥彦線・燕駅や越後線青山駅、白新線・早通駅、信越本線・矢代田駅と同レベルにあります。
また当駅は自動改札設置駅で、設置の一応の目安と言われる一日平均乗車人員千人をギリギリ満たしている駅であります。
なお新潟県内の自動改札設置駅で乗車人員が当駅よりも少ないのは、信越本線・さつき野駅のみになります。
市の人口、そして新潟都市圏の一員としての立ち位置も考えればもう少し利用が多くてもよさそうなところなのですが、五泉市中心部に所在する五泉高校へは、当駅よりも隣の北五泉駅の方が近いのです。
北五泉駅の2015年度一日平均乗車人員が737人もいるのは、それが大きく貢献していると思われます。
北五泉駅に学生利用の集中が見られる、その割を食っているのが五泉駅の現状なのです。

五泉駅駅舎の様子
五泉駅駅舎の様子、2017年6月撮影。
建築財産票を見つけられなかったので竣工年月は不明。
横長の建物で建てられたのは昭和30年代半ばから後半という印象です。
昔の造りの駅の常として、構外側にもトイレがあるのは来訪者にとって実に心強い限りですな。
昨今の改築駅舎だと間違いなく、構外のトイレは無くなっちゃってますもんねぇ。

駅前広場の中央連絡橋方を見る
駅前広場の中央連絡橋方を見る、2017年6月撮影。
画像奥中央に見えるのが、駅の南北を繋ぐ中央連絡橋です。
駅舎に合わせて横長で、奥行きの小さい駅前広場はどことなく物寂しい風情。

中央連絡橋側から見た五泉駅の駅前広場
中央連絡橋側から見た五泉駅の駅前広場、2017年6月撮影。
画像手前右側の辺りに、かつて蒲原鉄道五泉駅の駅舎が建っていたそうです。
画像には何も映っていませんが、これはタクシーが客を乗せて走り去った直後の、誰もいない駅前広場を狙って撮った苦心の一枚です。
通常、タクシーは数台待機していて五泉市コミニュティバスも乗り入れてきます。
路線バスの鉄道補完としては、新潟交通観光バス運行の五泉-新津線が磐越西線の補完として利用できます(新関東新津両駅)。
運行頻度は2時間に1本というところですが、土休日も大半の便が走っているので使い勝手が良いのです。
ただし乗り場は五泉駅前ではなく、駅前通りを少し歩いて右折したところにあるので土地勘の無い来訪者には少々わかりにくいのが難点。
一方、駅前に乗り入れる五泉市コミニュティバスは北五泉駅やかつての蒲原鉄道の終点・村松への足として使えます。
磐越西線の津川方面については、十年ほど前まで運行されていた路線バス五泉-馬下線が廃止されデマンドタクシー化されてしまった為、来訪者の移動手段としては磐越西線のみになっています。

駅前通りから見た五泉駅駅舎
駅前通りから見た五泉駅駅舎、2017年6月撮影。
通りからでは全体像をはっきり把握できない横長の建物なのであります。

駅舎出入り口から見た五泉駅駅前通り
駅舎出入り口から見た五泉駅駅前通り、2017年6月撮影。
背の高い建物は周囲にありません。
五泉市の旧中心街はこの通りではなく、画像左側に入って少し進んだ先の、磐越西線の踏切がある通りになります。
駅至近にはコンビニ等はございませんのでご注意の程を。

中央連絡橋の階段上から俯瞰で見た五泉駅前通りの様子
中央連絡橋の階段上から俯瞰で見た五泉駅前通りの様子、2017年6月撮影。

五泉駅駅舎内部の自動改札機群
五泉駅駅舎内部の自動改札機群、2017年6月撮影。
前述のように、当駅は新潟県内の在来線自動改札設置駅では下から二番目の一日乗車人員ですが、磐越西線の新潟県内区間では断トツの賑わいを見せる駅でもあるのです。

磐越西線新潟県内区間最大の駅である当駅には、当然みどりの窓口を設置
磐越西線新潟県内区間最大の駅である当駅には、当然みどりの窓口を設置、2017年6月撮影。

窓口隣には、自動券売機が一台きり
窓口隣には、自動券売機が一台きり、2017年6月撮影。
当駅乗車人員に占める定期外の割合は約22%で、実数は一日平均で200人台前半。
上越新幹線利用など遠出のきっぷは窓口で買いますから、近距離の定期外客対応は一台で充分という当局の判断なのでしょう。

かつての五泉駅待合室内にはキオスクがありました
かつての五泉駅待合室内にはキオスクがありました、2010年6月撮影。
当時の営業時間は途中休憩を挟んで朝七時から夜七時四十分で、休日定休。
私がこの後に当駅を訪れたのは2012年7月でしたが、その時は既に撤退していました。

キオスク撤退後の待合室内部
キオスク撤退後の待合室内部、2017年6月撮影。
キオスクの代わりに自販機を二台設置しています。
当駅のように至近に適当な買い物処がない環境では、キオスクが無いのはやはり不便。

1番線の猿和田駅方から見た五泉駅構内の様子
1番線の猿和田駅方から見た五泉駅構内の様子、2017年6月撮影。
1番線は津川方面乗り場です。
対面式ホームと島式ホームの組み合わせによる2面3線の、ごく標準的な仕様になっています。

1番線端から猿和田駅方を見る
1番線端から猿和田駅方を見る、2017年6月撮影。
「SLばんえつ物語」の機関車停止位置が表示されています。
私はあの列車にさして興味が無く、積極的に撮りに行くことはないので当駅での停車も見たことが無いのですが、機関車の停止位置がホーム外れのここということは、機関車+客車七両の列車がホーム長いっぱいに余すことなく停車するということなのでしょう。
上越新幹線大宮暫定開業前の気動車急行「あがの」「いいで」も最大6両ですから、停車する列車の威勢はそれを上回って過去最大なのですよ。

1番線上屋下の様子
1番線上屋下の様子、2017年6月撮影。
「ようこそ五泉へ!」・・・、しかし「SLばんえつ物語」で五泉下車というお客はあまりいないのでは。

1番線の跨線橋出入り口側から見た上屋下の様子
1番線の跨線橋出入り口側から見た上屋下の様子、2017年6月撮影。
こちらには「SLばんえつ物語」の吊り看板を設置。
磐越西線の新潟県内区間を統括する「阿賀野ライン営業所」は当駅に置かれています。
こういった看板の類も、「ウチはSLで推して推して推しまくる!」という営業所の決意の表明と言えましょうか。

1番線の北五泉駅方から見た五泉駅構内
1番線の北五泉駅方から見た五泉駅構内、2017年6月撮影。
当駅の跨線橋は北五泉駅方に偏って設置されているので、ここからの見通しは良くありません。
何事も偏向はいけませんな。

1番線端から北五泉駅方を見る
1番線端から北五泉駅方を見る、2017年6月撮影。
構内通路が健在なのは、亜幹線の駅らしい雰囲気濃厚です。

五泉駅跨線橋内部の様子
五泉駅跨線橋内部の様子、2017年6月撮影。
小都市や大きな町の玄関駅として標準サイズの通路幅です。

跨線橋上から五泉駅構内の猿和田駅方を望む
跨線橋上から五泉駅構内の猿和田駅方を望む、2017年6月撮影。
跨線橋の位置が偏っていて上屋の終端にある為に、ここから見る構内は上屋が長く見えて残念ながら見通しは利かず。
反対側至近には前述の中央連絡橋があるので視界が遮られています。

2-3番島式ホームの2番線側上屋下の様子
2-3番島式ホームの2番線側上屋下の様子、2017年6月撮影。
当駅構内には待合室はありません。

2-3番島式ホームの2番線猿和田駅方から見た五泉駅構内
2-3番島式ホームの2番線猿和田駅方から見た五泉駅構内、2017年6月撮影。
2番線は新津方面乗り場です。

島式ホームの3番線側端から猿和田駅方を見る
島式ホームの3番線側端から猿和田駅方を見る、2017年6月撮影。
横取線は1本残存していますが、使用頻度はどの程度なのか

島式ホーム3番線の上屋直前から北五泉駅方を見る
島式ホーム3番線の上屋直前から北五泉駅方を見る、2017年6月撮影。
3番線は現在新津方からの短編成当駅折り返し列車用になっていて、この辺りに列車が停車することは通常ありません。
3番側のホームもそのような仕様になっていて、前述のベンチが配置されているところは遮風板が設置されています。

島式ホーム3番の中ほどから猿和田駅方を見る
島式ホーム3番の中ほどから猿和田駅方を見る、2017年6月撮影。
横取線はこちら側とは繋がっていません。

五泉駅島式ホーム端から北五泉駅方を見る
五泉駅島式ホーム端から北五泉駅方を見る、2017年6月撮影。

3番線北五泉駅方から猿和田駅方を見る
3番線北五泉駅方から猿和田駅方を見る、2017年6月撮影。

猿和田駅方の踏切から見た五泉駅構内の様子
猿和田駅方の踏切から見た五泉駅構内の様子、2017年6月撮影。


北五泉駅方の踏切から見た五泉駅構内
北五泉駅方の踏切から見た五泉駅構内、2017年6月撮影。

平成4年12月に竣工した中央連絡橋内部
平成4年12月に竣工した中央連絡橋内部、2017年6月撮影。
比較的新しい構造物ですが、バリアフリー化されていないのが五泉市で問題視されているようで、平成24年からの五泉駅周辺の整備事業ではこの橋の再整備が謳われています。

中央連絡橋上から見た五泉駅構内外れの北五泉駅方
中央連絡橋上から見た五泉駅構内外れの北五泉駅方、2017年6月撮影。

駅南側が再整備される以前の五泉駅構内外れの様子
駅南側が再整備される以前の五泉駅構内外れの様子、2004年12月撮影。
画像左側には、1999年10月に廃止された蒲原鉄道五泉駅の用地が空き地になっていました。
→蒲原鉄道・五泉-村松間の廃線跡と旧村松町界隈の様子についてはこちらを。

中央連絡橋上から五泉駅構内の猿和田駅方を見る
中央連絡橋上から五泉駅構内の猿和田駅方を見る、2017年6月撮影。
画像右の駅南側には、五泉地域の公共福祉の中核として「五泉地域包括支援センター」が近年建てられました。

蒲原鉄道関係の空き地の再活用が手付かずだった時期の駅南側の様子
蒲原鉄道関係の空き地の再活用が手付かずだった時期の駅南側の様子、2004年12月撮影。

2010年6月時点の五泉駅南側
駅南側は、2010年6月時点でも未だこのような姿でした。
ここから見ると、3番ホームの仕様を簡単に把握できます。
列車が停車するのは、遮風板の手前からです。

>「五泉地域包括支援センター」が建設される以前の、中央連絡橋南側出入り口付近の様子
「五泉地域包括支援センター」が建設される以前の、中央連絡橋南側出入り口付近の様子、2010年6月撮影。
周辺は宅地になっています。
上屋付きの駐輪場が置かれていて、こちら側から五泉駅への需要が少なからず存在する事がわかります。
駅舎の経年もかなりのものになっていますし、中央連絡橋の再整備という話もあるからには、いっそ全て包括して橋上駅舎化してしまえばと、無責任な部外者は思ってしまうところ。
しかし前述の駅周辺整備事業では、その辺については全く触れられていません。

五泉駅2番線に停車中のキハ40系気動車新津行
五泉駅2番線に停車中のキハ40系気動車新津行、2017年6月撮影。
キハ40系が国鉄急行色で定期運用された事は無いので、115系電車の新潟色といいコレといい私的にはやはり当局の悪ノリに見えてしまいます。
まぁしかし、こうして見るとキハ40系のこの塗装はなかなか良い感じなのです。
115系の新潟色よりはずっとマシかな。

五泉駅1番線に到着したキハ40系気動車会津若松行
五泉駅1番線に到着したキハ40系気動車会津若松行、2012年7月撮影。
夕方で平日ならば帰宅部学生の帰宅時間帯です。
しかし列車は二連。
磐越西線の厳しい現実を垣間見るようです。
ちなみに昔の時刻表を紐解くと、昭和55年10月改正ダイヤでの五泉駅発着列車は上下合わせて33本。
内訳は急行列車6本、普通列車27本(五泉折り返しは2本)で、15本はDD51形ディーゼル機関車牽引の客車列車でした。
それから37年後の2017年3月改正では上下合わせて41本(「SLばんえつ物語」は除く)。
五泉-新津間の普通列車に限って言えば、約五割増えていますけれど、日中はまだまだ過疎ダイヤなのが実情。
一方馬下駅の先、津川方面に向かう場合は昭和55年10月では上下合わせて24本(急行列車6本を含む)に対して、2017年3月では22本と、乗車機会は微減なのです。

五泉駅で行き違う、キハ110系気動車馬下行とキハE120気動車快速「あがの」新潟行
五泉駅で行き違う、キハ110系気動車馬下行とキハE120気動車快速「あがの」新潟行、2012年7月撮影。
この馬下行は、この後運転区間が短縮されて、五泉駅3番線折り返し列車になっています。
日中の短編成列車なら当駅3番線の短い収容空間でもOKですから、列車留置の為に利用の少ない五泉-馬下間を回送同然の姿でわざわざ走らせることもないのです。
快速「あがの」はかつての気動車急行「あがの」の末裔で一日1往復。
本数が半減して久しいのですが、米坂線の「べにばな」と異なり上りは全区間、下りは新津まで快速運転を維持しているのは元急行の矜持を感じさせます。
なお当駅の2017年3月改正ダイヤにおける列車交換は一日2回(朝と夜の各1回)で、馬下駅が交換の大半を担っています。

五泉駅3番線で客待ち顔のキハE120
五泉駅3番線で客待ち顔のキハE120、2014年8月撮影。
2017年3月改正ダイヤで日中にこの光景を見れるのは一日2回です。
磐越西線新津口の区間列車は、五泉と馬下折り返しがそれぞれ一日四往復ずつ設定されていますけれど、編成の長い朝夕の列車はホーム収容力の大きい馬下、短編成の早朝と日中、深夜は当駅と両者の棲み分けが出来ています。
当駅の3番線をもっと長く使えるようにホームの改修を行わない限り、五泉折り返しがこれ以上増えることはなさそう。

3番線に停車中の当駅折り返しキハ110を北五泉駅方から見る
3番線に停車中の当駅折り返しキハ110を北五泉駅方から見る、2014年8月撮影。

五泉駅3番線に到着したキハE120
五泉駅3番線に到着したキハE120、2017年6月撮影。

五泉市の旧中心商店街
五泉市の旧中心商店街、2017年6月撮影。
昔ながらの商店街で懐かしさに溢れていますが、集客力の大きい店舗は現在出店していません。


廃墟化したジャスコ2003年11月
五泉駅前通りと上述の旧中心商店街の通りの中間に出店していたジャスコの成れの果ての廃墟、2003年11月撮影。
この時点で閉店から四年ほど経っているようです。
ここが流行っていれば五泉駅付近ももっと賑わいがあったでしょうに。

廃墟化したジャスコ2010年6月
2010年6月時点の旧ジャスコとその周辺の様子。
ジャスコの大きな看板が撤去された以外、何も変わらず

廃墟化したジャスコ2017年6月その一
廃墟化したジャスコ2017年6月その二
そして2017年6月時点の旧ジャスコ。
建物の壁面が緑に覆われつつあります。
権利関係がメンドくさくてこんな放置状態なんでしょうけど、いつまでこんな状態が続くのでしょうか。

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2017年6月10日 (土)

馬下駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・馬下駅。

馬下駅の昔の駅名標

新潟県五泉市に所在する無人駅で、開業は明治43年(1910年)10月25日。
開業当時の所在は中蒲原郡川東村で、戦後の昭和26年に猿和田駅が開業するまでは村の唯一の駅でした。
しかし人口集積は小中学校を有する猿和田駅周辺の方が多いように思われ、馬下駅の設置は多分に駅用地取得の容易さや五泉駅からの距離などの要素が大きく絡んでいたのではないかと推測しておるところです。
猿和田駅の開業で村内に鉄道駅が二つという恵まれた交通事情の川東村でしたが、昭和29年に周辺町村と合併し、新自治体の五泉市の東部地域になって今日に至ります。

さて、ここ馬下の地は、かつては事実上越後と会津の国境といえるところで、広大な越後平野と阿賀の山々の境界でもあります。
馬下という地名の由来も、ここから会津へは馬を下りて進む他なしという道中の過酷さから来たのだとか。
鉄道の駅としても新潟近郊区間の終端であり、昔から当駅止まりの列車が常に設定されている分水嶺でもあるのです。

2015年12月時点の馬下駅駅舎の様子
2011年6月時点の馬下駅駅舎
馬下駅駅舎の様子、上は2015年12月、下は2011年6月撮影。
建築財産票によると、昭和58年(1983年)12月9日の竣工。
同年2月に磐越西線の新津-喜多方間がCTC化されて、駅に運転要員の配置の必要が無くなった後の完成ゆえか駅舎はこじんまりとしています。
トイレは駅舎向かって左側のドアが出入り口で男女兼用。
2011年6月訪問時までは非水洗型で、内部はお察しください・・・なレベルでした。
しかし2015年12月に再訪した時にはその変わりように仰天。
男女兼用は変わらずながら、トイレットペーパー装備の水洗洋式にリニューアルされていました。
田舎のローカル駅のトイレのバリアフリー化は着々と進んでおるようでまずは目出度し。
しかしこういう事案はどこがおカネを出しているのか?
バリアフリー関連ですからJR東日本が出しているのですかね?

駅前広場の様子
駅前広場の様子、2011年6月撮影。
舗装された生活道路と未舗装の空間が混じる、どこかとりとめのない混沌とした印象。
駐車空間は広いので、「SLばんえつ物語」をクルマで駅撮りに来る場合は具合の良さそうなところです。

駅舎から見た駅前通りの様子
駅舎から見た駅前通りの様子、2015年12月撮影。
短い駅前通りの向こうは、かつて路線バスが運行されていた県道です。

路線バスが運行されていた県道の様子
かつて路線バスが運行されていた県道の様子、2011年6月撮影。
道沿いに目立つ建物は郵便局ぐらいです。
五泉駅と馬下保養センターの間には以前路線バスが運行されていて、本数は少ないとはいえ五泉-猿和田-馬下間相互の移動に利用出来、駅巡り者には貴重な存在でした。
馬下-猿和田間を乗車したことがありますが、見事なまでにガラガラで乗客は私を含め三人ほどでしたっけ。
現在ではコミニュティバス化を通り越してデマンドタクシー化されており、部外者の利用は事実上出来ません。
コミニュティバスでも路線維持が困難な程の需要の少なさということなのでしょうね。
また周辺で食料調達は出来ないので、当駅訪問の際は軽食ぐらいは持参していった方が良いでしょう。
時間帯によっては列車の運行頻度も過疎化しますしね。

馬下駅駅舎内部の様子
馬下駅駅舎内部の様子、2015年12月撮影。
室内は自動券売機一台と三人掛けのベンチで、駅構内の規模と比較すると相当に狭いのです。
昭和58年時点でも、運転上の要衝ではあっても営業上はこれで足りる利用状況であったということなのでしよう。

1番ホームの猿和田駅方から見た馬下駅構内
1番ホームの猿和田駅方から見た馬下駅構内の様子、2015年12月撮影。
1番ホームは新津方面乗り場です。

1番ホーム端から猿和田駅方を見る
1番ホーム端から猿和田駅方を見る、2011年6月撮影。
ホームの左隣にはモーターカーの車庫があります。
現在のホームの有効長表示は6両ですが、日中は2両で充分なのが実際のところ。

1番ホーム横のモーターカー車庫の先の廃線路
1番ホーム横のモーターカー車庫の先の廃線路、2015年12月撮影。
画像右側にかつての貨物ホームらしきものが見えます。

馬下駅構内の中枢部の様子
馬下駅構内の中枢部の様子、2015年12月撮影。
列車運転上の重要駅である当駅ですが、旅客営業上はまぎれもなくローカル。
その証にホームの上屋はほぼ無い状態です。

1番ホームの咲花駅方から見た馬下駅構内
1番ホームの咲花駅方から見た馬下駅構内、2011年6月撮影。

馬下駅のレンガ積みのランプ小屋
馬下駅名物と言えばコレ、明治の停車場開業以来のレンガ積みのランプ小屋です、2011年6月撮影。
文明開化の香り漂う洋風の小品です。

1番ホーム端から咲花駅方を見る
1番ホーム端から咲花駅方を見る、2015年12月撮影。
後背にはかつての会津領であった阿賀の山々。

馬下駅跨線橋内部の様子
馬下駅跨線橋内部の様子、2015年12月撮影。
国鉄時代後期のローカル駅跨線橋の典型的スタイルです。
窓は開閉可能で高さも程よく、俯瞰フェチには大変有難いとこめです。

跨線橋上から咲花駅方面を俯瞰で見る
跨線橋上から咲花駅方面を俯瞰で見る、2015年12月撮影。
当駅は古い時代の停車場ですが、ホームの配置は千鳥型ではありません。
平地で用地取得も容易であった故なのかどうか。

跨線橋上から猿和田駅方面を見る
同じく猿和田駅方面を見る、2011年6月撮影。
前述したように当駅は平野と山地の境界に立地していて、上下方向で見せる顔が全く違うのが魅力です。

馬下駅島式ホームの3番線の様子
馬下駅島式ホームの3番線の様子、2015年12月撮影。
こちらには当駅折り返し列車が入ります。
2017年3月改正ダイヤでは馬下始発6本(内1本は休日運休)、終着が5本。

島式ホーム端から猿和田駅方を見る
島式ホーム端から猿和田駅方を見る、2011年6月撮影。

島式ホーム上から見た駅舎構内側
島式ホーム上から見た駅舎構内側の様子、2015年12月撮影。
駅舎の通路右側の窓部が待合室なので、旅客用の空間は駅舎全体の1/3程です。


島式ホームの2番線側から見た馬下駅構内中枢部
島式ホームの2番線側から見た馬下駅構内中枢部、2015年12月撮影。
2番は津川方面乗り場です。

島式ホーム上の待合室内部
島式ホーム上の待合室内部、2015年12月撮影。
建築財産票によると昭和55年10月2月の完成。
駅舎よりもこの待合室の方が五割ほど面積が広く、待合空間のそれは倍以上の差があります。
ベンチも駅舎の倍の三人掛け二脚を設置ですが、倉庫を兼ねているからなのかその配置は千鳥式。
画像右側のブルーシートに包まれているのは除雪機械です。

跨線橋出入り口から見た島式ホームと待合室
跨線橋出入り口から見た島式ホームと待合室、2011年6月撮影。

島式ホーム端から咲花駅方を見る
島式ホーム端から咲花駅方を見る、2015年12月撮影。

当駅止まりの列車が発着する3番線の咲花駅方はすっかり草生して廃線の様相
当駅止まりの列車が発着する3番線の咲花駅方はすっかり草生して廃線の様相、2015年12月撮影。

島式ホームの咲花駅方端には、駅舎反対側を通る国道290号線への出入り口があります
島式ホームの咲花駅方端には、駅舎の反対側を通る国道290号線への出入り口があります、2011年6月撮影。

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こちら側には上屋付きの駐輪場が置かれていて、一定の需要があるようです、2015年12月撮影。

馬下駅裏手の国道290号線の様子
馬下駅裏手の国道290号線の様子、2015年12月撮影。
こちら側にも目を引くような建物や店はありません。
当駅の北方約5kmには周辺唯一の遊園地「サントピアワールド」(旧安田アイランド)があって、物理的な距離としては当駅が最も近く、最寄り駅と言えなくもないのです。
そう言えば新津を出発し五泉を過ぎた磐越西線の車中で同席した母子連れに、安田アイランドへはどこで降りたら良いかと尋ねられて驚愕したことがありましたっけ。
鉄道利用なら五泉で降りてタクシー利用がデフォなのです。
距離的には馬下が一番近そうですけど・・・と答えたら、ホントに当駅で降りちゃいました。
子供連れで5km歩くのは流石に無理でしょうにねぇ。
ケータイの普及するずっと前の話ですから、公衆電話でタクシーを呼ぶより他に道無しでしょうけれど。

咲花駅方の踏切から見た馬下駅構内
咲花駅方の踏切から見た馬下駅構内の様子、2011年6月撮影。

猿和田駅方の踏切から見た馬下駅構内
猿和田駅方の踏切から見た馬下駅構内の様子、2011年6月撮影。

馬下駅1番線に停車中のキハ110系+キハE120の気動車快速「あがの」新潟行
馬下駅1番線に停車中のキハ110系+キハE120の気動車快速「あがの」新潟行、2015年12月撮影。
かつての急行「あがの」「いいで」は停車せず、快速も永らく通過だった当駅ですが、現在は上下共停車しています。
この日、当駅に下車したのは私ひとり、乗車はナシ。

列車交換中のキハ40系気動車新津行とキハ110系快速「あがの」会津若松行
列車交換中のキハ40系気動車新津行とキハ110系快速「あがの」会津若松行、2011年6月撮影。
磐越西線の五泉-津川間で列車交換可能駅は当駅と五十島駅ですが、交換のメインは当駅になっていて、運転上の要衝の地位を今も保っています。
2017年3月改正ダイヤでは1日4回の交換を実施。
対して五十島駅は1日2回で内1回は「SLばんえつ物語」絡みです。

馬下駅に到着したキハ40系気動車新津行
馬下駅に到着したキハ40系気動車新津行、2011年6月撮影。
新潟都市圏の末端に位置する当駅は、国鉄時代よりも列車本数が増えています。
昭和55年(1980年)10月改正ダイヤでは当駅停車の定期列車は上下合わせて25本。
対して2017年3月改正ダイヤでは上下合わせて33本です。
数年前まではもう少し多かったのですけれど、新津-馬下間の区間列車が五泉発着に変更されて減少していてなおもこの数字なのです。
しかしこの利便性の高さも、需要の喚起に必ずしも直結していなさそうなのも事実でしょう。

馬下駅を出発するキハ40系気動車新津行
馬下駅を出発するキハ40系気動車新津行、2011年6月撮影。
あと数年で国鉄時代からのベテラン気動車ともお別れです。

3番線で折り返し待機中のキハ58系気動車
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真夏の夕暮れ、3番線で折り返し待機中のキハ58系気動車、2007年8月撮影。
新潟地区での定期運用も残り一年半の頃の画です。
キハ110系の代車で臨時に運用に入っていたのかどうかは定かではありません。

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秋の馬下駅を通過する、DD53形ディーゼル機関車牽引の「DD53ばんえつ物語号」
機関の轟音と共に秋の馬下駅を通過する、DD53形ディーゼル機関車牽引の「DD53ばんえつ物語号」、2006年11月撮影。
普段のSL牽引は積極的に撮りに行く気が全く起きないこの列車、しかしDL、しかもレアなDD53形が引くとなれば話は別。
私はSLよりもDLの方が断然好きなのです。
現役時代のSLってほぼ記憶に無いのですが、DLは磐越西線直通の客車列車や貨物列車、操車場の構内入れ替えで日常的に見てましたから、子供時代の記憶の琴線にビンビンと触れるのですよ。
どの駅で撮るか色々と思案した結果、当駅で実行することにしたのですけれど、本当は午後が構内撮影のベストなのです。
しかし11月ともなれば、午後は日暮れでまともに撮れませんからこれで致し方なし。

阿賀野川対岸の国道49号線へ向かう国道290号線の馬下橋
阿賀野川対岸の国道49号線へ向かう国道290号線の馬下橋、2007年8月撮影。

馬下橋上から見た真夏夕暮れの阿賀野川の穏やかな流れ
馬下橋上から見た真夏夕暮れの阿賀野川の穏やかな流れ、2007年8月撮影。

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2017年6月 6日 (火)

鹿瀬駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・鹿瀬駅。

鹿瀬駅の昔の駅名標

新潟県東蒲原郡阿賀町に所在する無人駅で、開業は大正3年(1914年)11月1日。
開業当時の所在は東蒲原郡両鹿瀬村で、同村の玄関駅でした。
両鹿瀬村は戦後の昭和30年4月に近隣の日出谷村、豊美村と合併して鹿実谷村になります。
合併した旧村の名前から一字ずつ取った、三方丸く収めたようなネーミングでしたけれどこれは長続きせず、翌年1月の町制施行を機に鹿瀬町と名を改めます。
結局は合併3村の力関係をそのまま表したような形になったのでしょうね。
鹿瀬町は平成の大合併の号令下で近隣町村と合併し、新自治体の阿賀町の一地域として再出発して今日に至ります。

鹿瀬駅は新潟水俣病でその名が全国に知られた昭和電工鹿瀬工場の最寄駅で、工場は昭和初期に建設されて当駅との間に専用線も引かれて、戦前から戦後にかけては旅客貨物共に賑わいを見せていたのです。
かつての気動車急行「あがの」「いいで」も当駅に停車していました。
また当駅における戦前の貨物収入は新潟県内屈指のものであったそうで、現在の駅の寂寥とした姿からは想像のつかない話なのです。

鹿瀬駅の駅舎
鹿瀬駅駅舎の様子、2015年12月撮影。
建築財産票を確認できなかったので竣工年月は不明ですが、屋根や上屋の造りからして戦前の建物ではと思います。
昭和30年代末までの当駅全盛時代には、この駅舎もさぞや活気があったことでしょう。
現在は内部に布団屋さんが入っていて、その脇を間借りしているような風で待合空間があります。
なおトイレは画像には映っていませんが、向かって右側に駅舎とは別棟であります。
私が取材目的で初めて当駅を訪れた2003年11月時は、非水洗の昔の形態のトイレでしたけれど、2010年5月に行った時には改築されて水洗化・一部バリアフリー化されていました。

鹿瀬駅前通りの様子
鹿瀬駅前通りの様子、2015年12月撮影。
画像右手が鹿瀬駅駅舎です。
この通りが旧鹿瀬町のメインストリートでもありました。
この時には周囲に集客力の高い店舗はありませんでした。
列車の本数も少ないので、駅巡りで立ち寄る場合は相応の時間をここで過ごすことになるかと思います。
軽食程度は持参していった方が良いでしょう。

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駅前通りを反対側から一枚、2015年12月撮影。
画像左手が鹿瀬駅駅舎、奥の陸橋は国道459号線です。
なお当地のバス事情ですが、駅前には乗り入れないものの国道経由の津川-日出谷線が新潟交通観光バスによって運行されています。
本数は少ないですが、土休日にも運行されているのが私のような人種には実に有難いところ。
しかも昼過ぎという使い勝手のいい便が通年運行で走っているのですよ。

鹿瀬駅駅舎内部の様子
鹿瀬駅駅舎内部の待合空間、2010年5月撮影。
ベンチにクッションが置かれているのは温かみがあって良いですな。
画像左側の壁には鹿瀬地域の大きな観光案内板があります。

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鹿瀬駅の構内と駅舎の位置関係、2015年12月撮影。
画像右側の空間はかつての線路跡です。

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構内通路から見た鹿瀬駅ホームの様子、2015年12月撮影。

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鹿瀬駅の旧島式ホームから見た構内通路とその先の駅舎、2015年12月撮影。

日出谷駅方から見た鹿瀬駅構内
日出谷駅方(駅舎方)から見た鹿瀬駅旧島式ホーム、2015年12月撮影。
かつては気動車急行「いいで」「あがの」やDD51形ディーゼル機関車牽引の旧型客車列車が、このホームに発着していたのです。
磐越西線の現在の花形「SLばんえつ物語」は当駅を通過。
かつての急行列車停車駅で「ばん物」が通過するのは、当駅と荻野駅のみです。
急行の通過駅だった咲花駅三川駅、日出谷駅には停車していますから、当駅の凋落ぶりが否が応でも目立ってしまうのです。
ホーム上の上屋の存在は、流石元有人駅にして急行停車駅の貫禄ですけれど、平板な島式ホームということもあり、正直見栄えはしない構内です。

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津川駅方から見た鹿瀬駅ホームの様子、2015年12月撮影。

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ホームの津川駅方を見る、2015年12月撮影。

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島式ホーム上の待合室内部の様子、2015年12月撮影。
建築財産票によると昭和58年5月23日の完成。
日出谷駅や三川駅のホーム待合室と同じスタイルの造りになっています。
内部には自動券売機を一台設置。

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画像右側の空間がかつての線路跡です、2015年12月撮影。
昔の時刻表を紐解いて見ると、当駅では昭和55年10月改正ダイヤで1日2回、昭和60年3月改正ダイヤでは1日1回の定期旅客列車の交換が行われていました。

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交換設備の撤去跡を日出谷方から見る、2010年5月撮影。
跡地の一部は宅地に転用されていて、当駅の列車交換設備復旧は事実上不可能になっています。
ちなみに鉄道ジャーナル別冊「急行列車ジグザグ日本全周大追跡」には、昭和59年当時の当駅での列車交換(急行「あがの」とDD51形ディーゼル機関車牽引の50系客車列車)の写真が載っています。
機関車と客車6両がホーム一杯に停まっている、その種のマニアにはもう辛抱タマラン画なのであります(私がその種のマニアw)。

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日出谷方の陸橋上から俯瞰で見た鹿瀬駅構内の様子、2010年5月撮影。
かつての貨物最盛期には、本線の右側の空間に貨物側線が数本並んでいたのでしょう。

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同じく、より俯瞰で鹿瀬駅周辺を観察、2010年5月撮影。
周辺の人口密度は高そうですな。

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同じく陸橋上から日出谷駅方を見る、2010年5月撮影。
画像右側を流れているのは阿賀野川です。
鹿瀬駅から日出谷駅へは鉄道の営業キロで5.2kmと比較的近いのですけれど、国道459号線経由ですと距離は鉄道の倍以上です。
これは磐越西線が平瀬トンネルで山をぶち抜き直進するのに対して、国道は山を大きく迂回して三角形の二辺を往くような形になっているからです。
鉄道と国道の間にはもう一本道がありますが、何しろ野趣に富むロケーション故に、徒歩の場合は野生動物さんとの不意遭遇の危険性があります。
現に津川-鹿瀬間では車中からニホンザルの群れを目撃できるのです。

鹿瀬駅に停車中の快速「あがの」会津若松行
鹿瀬駅に停車中のキハ110+キハE120の快速「あがの」会津若松行、2015年12月撮影。
かつての気動車急行「あがの」の後身で、昭和60年3月改正から運行されている今年(2017年)で運行開始33年目の老舗の快速です。
急行時代は前身の準急を含めても約26年の生涯でしたので、快速としての歴史が長い列車になりました。
運行本数はかつての2往復から1往復に減ってしまったものの、上りは全区間、下りも会津若松-新津間は快速運転をしていて、新潟と会津地方を結ぶ速達便としての機能を今なお果たしているのです。
土休日に乗っても乗車率は上々で、18きっぷ期間以外は閑散としている米坂線の「べにばな」とは格が違う印象を受けます。

鹿瀬駅に到着するキハ40系気動車新津行
鹿瀬駅に到着するキハ40系気動車の新津行、2004年11月撮影。
キハ110やキハE120と比べると、乗り心地も車内設備も旧式の謗りを免れない車両です。
この時期は非冷房車も入っていて、真夏はガーラガラでしたな。
暑い車内で座っているよりも、立ってもいいから冷房の効いた車両がいいのでしょう。

磐越西線の津川-野沢間は過疎ダイヤのローカル線化していて、鹿瀬駅に発着する定期列車は2017年3月改正ダイヤでは上下16本(快速2本、普通14本)。
上越新幹線開通前の昭和55年10月改正ダイヤでは24本(急行6本、普通18本)。
新津方の区間列車の折り返しが、国鉄時代の日出谷駅から津川駅に移ってしまったのは、その間にある当駅にとって大きなマイナスだったのです。

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鹿瀬駅の所在する向鹿瀬地区と、阿賀野川対岸の旧町役場がある鹿瀬地区を連絡する歩行者用の橋、2015年12月撮影。
高所恐怖症の私にとっては中々にスリリングなところです。
しかし橋から見た阿賀野川の眺めは格別。
紅葉シーズンは実に良い景色です。
橋脚部分の古さから見て、国道の立派な橋が架かるまではこの橋に車も通していたのかも。

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放水中の鹿瀬ダム(角神ダム)
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鹿瀬駅からちょっと足を伸ばして、国道459号線を日出谷方に向かって往くこと約3kmで
鹿瀬ダムに到達、2010年5月撮影。
1928年(昭和3年)に完成した、阿賀野川流域電源開発の主役であります。

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満々と水を湛えた角神ダム湖、2010年5月撮影。

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鹿瀬ダムを見物しながら国道をなおも進むと、奥阿賀地域の観光拠点であるレークサイド角神に到着、2010年5月撮影。

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レークサイド角神から徒歩数分で奥阿賀遊覧船の発着場に行けます、2010年5月撮影。

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皐月の快晴の日曜日だというのに、奥阿賀遊覧船二隻が揃って係留中、2010年5月撮影。
この日は鹿瀬ダムの放流日で、遊覧船は終日運休だったのです。

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鹿瀬地区から角神を経て、日出谷方面に伸び往く国道459号線、2010年5月撮影。
ここから先、しばらくは人跡稀な道行です。

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2016年8月 7日 (日)

北五泉駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・北五泉駅。

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新潟県五泉市に所在する有人駅で、開業は昭和27年(1952年)2月20日。
磐越西線新津口の区間運転用気動車(所謂「ガスカー」)用の停留所として、東新津駅と同時に開業しました。
磐越西線・新津-馬下間は明治43年(1910年)に開業しておりますけれど、この区間内に設けられた停車場は五泉駅のみ。
その状態が40年以上も続いたのは、今日の目から見ると極めて奇異に映るところです。
現在では新津-五泉間においては沿線も宅地化が進展していますが、戦前は駅を開設する程の需要を貨物を含めて見込めなかったのでしょうね。
そんな状況を最初に破ったのが東新津駅とこの北五泉駅であり、これを契機に新関駅猿和田駅が続けざまに開業して現在に至ったのです。
当駅の場合は、付近に五泉高校が所在しているのが駅設置に当たっての大きなポイントではなかったかと思います。

JR東日本によると、北五泉駅の2014年度一日平均乗車人員は680人。
同社新潟県内有人67駅中48位です。
数字としては旧塩沢町の玄関駅である塩沢駅と、旧柿崎駅の玄関駅で特急停車駅でもある柿崎駅の間にあって中々立派なのですけれど、土休日はひっそりとしてとてもそんなに利用されているとは思えないのです。
それもそのはずで、北五泉駅の一日平均乗車人員の約87%は定期客。
この比率が当駅よりも高いJR新潟県内有人駅は弥彦線・燕駅と越後線・寺泊駅、出雲崎駅の三駅だけです。
ちなみに当駅の場合、私は駅員の姿を見たことがありません。
五泉市がJRから委託されているそうなので、役所と同じく土休日は休みなのでしょうか?

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北五泉駅駅舎の様子、上は2006年11月、下は2010年6月撮影。
建築財産票によると平成6年(1994年)11月24日の竣工です。
「五泉市総合案内センター」が併設されています。
2010年6月時点では駅前にタクシーが一台待機中。
上の画像の左側は有料駐車場になっていて、フリーの駐車スペースは六台程度でした。

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北五泉駅舎内待合室の様子、2010年6月撮影。
・・・というよりも、ここは「五泉市総合案内センター」の空間なのでしょう。
ベンチもJR定番のモノではないですしね。

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同じく駅舎内の様子、2010年6月撮影。
簡易suikaの改札機と券売機が一台設置されています。

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ホームに面した待合室内の様子、2010年6月撮影。
こちらはJR正規のベンチです。

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ホームの待合室出入り口付近の様子、2010年6月撮影。

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線路沿いの道路から見上げた北五泉駅駅舎、2010年6月撮影。
白い壁の部分が駅舎部分と考えればよいのでしょう。

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五泉駅方から見た北五泉駅構内の様子、2010年6月撮影。

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ホーム端から五泉駅方を見る、2010年6月撮影。
画像右手の建物は、連絡地下道の出入り口です。

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新関駅方から見た北五泉駅構内の様子、2010年6月撮影。
前述の通り、当駅は気動車に総括制御が取り入れられる以前の短編成「ガスカー」用の停留所として開業しているので、元々のホーム長は東新津駅同様に旅客車2両程度であったと思われます。
昭和60年3月改正ダイヤでは、東新津駅は全て通過だった客車列車の大半は当駅に停車しており、当時の客車列車が四~六両程度であったことを考えると当駅のホーム延長は国鉄時代に既に実施されていたのかもしれませんね。
なお現在の有効長は六~七両です。

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ホーム端から新関駅方を見る、2010年6月撮影。
駅の表口は五泉市郊外の宅地になっていますが、裏手はこのように田圃の中に民家が点在する昔ながらの風景が健在です。
昔は表口もこんな感じだったのでしょうな。

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新関駅方の踏切から見た北五泉駅、2010年6月撮影。
福島県境の阿賀の山々が迫ります。

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北五泉駅を出発するキハ40系気動車二連の会津若松行、2010年6月撮影。

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北五泉駅に停車中のキハ40系四連の馬下行、2004年12月撮影。
冬晴れの午後三時半ですが、陽はもうこんなに傾いています。


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北五泉駅を出発するキハ110+キハE120気動車の五泉行、2014年8月撮影。

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北五泉駅前の様子、2006年11月撮影。
駅前には定食喫茶が一軒。
駅前通りを数百m進むと、新津-五泉間の路線バスが走る県道に出ます。
当駅前には五泉市のコミュニティバスが乗り入れていて、当駅と五泉市中心部、そして蒲原鉄道がかつて走っていた旧村松町に移動できます。
コミュニティバスというと、土休日は運休というのがありがちなパターンですが、五泉市の場合は土休日も平日とほとんど変わらない本数が確保されているので、来訪者にとって実に有難いのです。

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2016年2月21日 (日)

津川駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・津川駅。

津川駅の駅名票

新潟県東蒲原郡阿賀町に所在する有人駅で、開業は大正2年(1913年)6月1日。
開業時の所在は東蒲原郡津川町で、同町は平成の大合併で2005年4月に周辺諸町村と広域合併して新自治体の阿賀町となり今日に至ります。

よく知られているように、旧津川町をはじめ東蒲原郡一帯は古来より越後ではなく会津に属し、ここ津川の地は会津藩の領国支配の重要拠点として、また会津と越後の中継地として重要な位置を占めていて、鉄道開通以前に越後と会津の物流交易の主柱であった阿賀
野川舟運の河港が置かれていました。
東蒲原郡域は明治19年(1889年)に福島県から新潟県に編入されましたが、その後も暫くは津川の威勢は大きく、明治22年に町村制が施行されると津川は東蒲原郡域内唯一の「町」となっています。

舟運で古くから栄えた街ゆえに、それを衰退させかねない鉄道に対する忌避はかなりあったようで、「図説東蒲原郡史」によると舟運衰退への危惧から津川までの鉄道開通に対して好意的ではなかったとの事です。
鉄道の開通式典も当面の終着駅である津川ではなく五十島で行われました。
津川駅も津川の中心街ではなく、阿賀野川対岸の街外れに置かれています。
街の中心街に駅を置き、そこから鹿瀬へ至るとなると阿賀野川を二回渡河しなければならないので、その辺の技術的予算的問題もあったのかもしれません。
しかしやはり最大の理由は、舟運衰退に対する抵抗感が相当に根強かったからではと邪推してしまうところなのですが、実際は果たして?

JR東日本によると、2014年度の津川駅一日平均乗車人員は161人。
同社新潟支社新潟県内有人67駅中63駅で、当駅より下位にあるのは上越線・石打駅、飯山線・津南駅、米坂線・越後下関駅、羽越線・府屋駅の四駅のみ。
当駅が属する磐越西線・五泉-喜多方間の一日平均通過人員は2014年度で一日平均465人。
JRが発足した1987年度比で74%もの大幅減で過疎路線化は相当に深刻、それがここ津川駅の置かれた環境なのであります。

改築後の津川駅駅舎
津川駅駅舎の様子、2010年5月撮影。
2009年9月に改築された新駅舎で、津川の昔の商家を思わせる風情は個人的になかなか良し。
阿賀町の玄関駅に対する地元の力の入れ方が伝わってくるような建物であります。

改築前の津川駅駅舎遠景
改築前の津川駅近景
かつての津川駅駅舎、上は2007年7月、下は2005年3月撮影。
昭和10年改築の建物で、戦前の亜幹線の主要駅の典型のような実に堂々として味のある建物でありました。
鉄道が労働集約型産業であった頃の証である駅務空間の広さ、吹き抜けで広々とした舎内。
個人的には柿崎駅の旧駅舎の次に好きな建物だったのであります。

津川駅駅舎内の様子
待合室内の様子
現在の津川駅駅舎内部の様子、2010年5月撮影。
外観の風情とは対照的に内部は実用本位のドライな造り。
上の画像左側が待合室です。
待合室の開放時間は明記されていませんでした。
トイレは駅舎改札内にあります。
近年の改築駅舎はこれが常態になっていますな。
旧駅舎時代は駅舎とは別棟のトイレがあって、急にもよおしても安心できる環境でしたけれど、駅舎改築に伴い解体されてしまいました。

跨線橋出入り口から見た駅舎
跨線橋出入り口から見た駅舎、2010年5月撮影。
磐越西線の当駅前後の区間は駅舎とホームが離れている駅が連続していて、津川駅の他に五十島三川鹿瀬日出谷豊実の各駅がそうした構造です。

跨線橋内の様子
津川駅跨線橋内の様子、2015年12月撮影。
通路は狭く、主要駅といえども亜幹線のそれなのだなぁと強く感じさせられるところです。
季節柄、冬の観光やイベントポスターがところ狭しと貼られており、「なんか必死やな・・・」

跨線橋上から三川方面を望む
跨線橋上から三川方面を望む、2005年3月撮影。
ここ津川の地は新潟県下越地方で最も雪深い土地のひとつで、三月中旬のこの時期、私の住まいの新潟市では積雪ゼロなのに約50km離れた当地ではこのような情景。

跨線橋上から鹿瀬方面を望む
同じく鹿瀬方面を望む、2010年5月撮影。

三川方から見た津川駅構内の様子
ホームの三川駅方から見た津川駅構内の様子、2010年5月撮影。
アクセントの少ない島式ホームは駅フェチとしては魅力に乏しいのが正直な感想。
ロケーションは良い駅なんですけどね。

ホーム先端部から三川方を見る
同じく三川駅方を見る、2007年7月撮影。
線路は三川方面に向かって左に急カーブしており見通しは悪いものの、キィキィと車輪を軋ませながら進入してくる列車はなかなかの見物なのであります。

ホーム鹿瀬方から見た津川駅構内
ホームの鹿瀬駅方から見た津川駅構内、2007年7月撮影。
左手には当駅折り返しの新潟行キハ40系普通列車が待機中。
左手前の旧字体の駅名標こそは、「SLばんえつ物語」停車駅の栄えある証なのです。
画像右手には明らかに側線跡とおぼしき空間が広がっています。
かつてはそこに貨物用のホームがあったのか否か。

ホーム先端部から鹿瀬方を見る
同じく鹿瀬駅方を見る、2007年7月撮影。
画像中央が待合室です。

ホーム上の待合室内の様子
ホーム上の待合室内の様子、2010年5月撮影。
ベンチは「ばん物」停車駅用のモノです。

現在の待合室の様子
現在の待合室の様子、2015年12月撮影。
津川駅を訪れたのは2010年5月以来、話には聞いていましたが、実物を見て「ありゃ~」と苦笑してしまいましたがな。
この待合室、「オコジロウの家」と呼称するのだそうで、2013年11月完成との事。
オコジロウというのは「ばん物」のいわゆる「ゆるキャラ」で、「オコミ」という奥さんががいるのだとか。
ドックンとキャサリンから一言ご意見を頂戴したいところであります。

オコジロウの家の内部
オコジロウの家の内部、2015年12月撮影。
つがいは常駐しているわけではないようです。
「ばん物」オフシーズンは冬眠中なのでしょうか。
しかしうーむ、ここまで幼児に媚びなくても・・・

構内通路の鹿瀬方から先を望む
ホームというより構内通路の鹿瀬駅方から先を望む、2010年5月撮影。

秋の朝の車中から見た旧駅舎時代の津川駅
鹿瀬駅に向け出発した秋の朝の車中から見た旧駅舎時代の津川駅、2004年10月撮影。

停車中のキハ40系
停車中のキハ40系気動車新潟行、2010年5月撮影。

列車交換中のキハ110系とキハ40
津川駅で列車交換中の会津若松行キハ110系気動車とキハ40系気動車新潟行普通列車、2015年12月撮影。
磐越西線の馬下駅以南では、キハ110系は少数派で撮影する為のスケジュール立ては少々面倒。

停車中のキハ47首都圏色
津川駅に停車中のキハ47気動車首都圏色を先頭にした新潟行、2007年7月撮影。

列車交換待機中のキハ110系快速「あがの」
津川駅で列車交換待機中のキハ110系気動車先頭の新潟行快速「あがの」、2015年12月撮影。
昭和57年11月までは、「いいで」と「あがの」二往復の計三往復の急行列車が停車していたここ津川駅。
かつての急行「あがの」の後身であるこの快速列車も、一往復になって十年以上経ちました。
「あがの」と前後して急行から快速に格下げされた「うおの」「ひめかわ」は程なく廃止され、「べにばな」は米坂線内各駅停車で急行時代の面影無し。
唯一亜幹線優等列車の余韻を感じられるのがこの「あがの」なのです。
新潟-津川間の速達手段としては、磐越自動車道経由の高速バスも運行されていますけれど、本数は極めて少なく一日二往復。
なお同自動車道には津川便の他に新潟-会津若松便に一日四往復、新潟-郡山間に一日二往復が運行されているものの、前者は津川-会津若松方面間の利用しか認められておらず、後者は津川を通過しています。

停車中のキハ58系を先頭にした臨時列車
駅巡りを本格的に始めて津川駅に初めて降り立ったときに偶然遭遇した、キハ58系を先頭にした臨時列車、2003年11月撮影。
磐西・只見ぐるり一周号でしょうか?

津川駅前の様子
津川駅前の様子、2010年5月撮影。
駅舎がコンパクト化され、別棟のトイレは撤去されたので元々広い駅前が一層大きくなりました。
この日はタクシーが三台待機中。
阿賀町は町域が極めて広く、津川市街地以外の路線バスも便利とは言えない本数なので、クルマの送迎が無ければタクシー利用が多いのではと推察されます。

津川駅前バス停に進入する路線バス
津川駅前バス停に進入する新潟交通観光バスの路線バス津川営業所行、2010年5月撮影。
駅から約2km離れた川向こうの市街地へは、一定の本数が確保されています。→くわしくはこちらを
駅から市街地までは150円ナリ。

日出谷方の踏切から見た旧駅舎時代の津川駅構内
日出谷方の踏切から見た旧駅舎時代の津川駅構内、2007年7月撮影。
こうしてみると前方の山深さが際立ちます。

駅裏手の高台から俯瞰で見た津川駅
駅裏手の高台から俯瞰で見た津川駅の様子、2010年5月撮影。
跨線橋の形状や駅前広場の広大さが把握実感できます。

旧駅舎時代の駅前通りの様子
旧駅舎時代の駅前通りの様子、2007年7月撮影。
この道は県道で、画像奥に向かって鹿瀬駅に続いていますけれど、津川駅を過ぎると俄かにローカル色を増した細道になり、列車から観察するとサルの群れを見ることも間々あります。
特に秋口は群れとの不意遭遇の恐れがあるので、歩きはお勧めできませんです。
この道は鹿瀬駅への近道なんですけどね・・・。
なお駅周辺には何もありません。
津川駅は単なる公共交通の結節点に過ぎません。

「きりん橋」上から津川駅方面を見る
阿賀野川に架かる「きりん橋」上から津川駅方面を見る、2007年7月撮影。
市街地へはこの橋を通って行きます。

きりん橋上から見た阿賀野川初冬の風情
きりん橋上から見た阿賀野川初冬の風情、2015年12月撮影。
鹿瀬方面の眺めです。
昨年(2015年)12月は記録的な温かさで、雪は降る気配すらありませんでした。

橋上から見た三川方面の様子
同じく三川方面を見る、2005年3月撮影。
このぐらいの雪景色が一番良いなぁと個人的に思うところです。

阿賀野川対岸から見たきりん橋
きりん橋を渡り対岸から一枚、2015年12月撮影。

津川河港跡の様子
津川河港跡の様子、2007年7月撮影。
古来より鉄道開通までの永きに渡って、会津からの陸路と越後からの舟運の中継地として大いに栄えたこの河港も、今はこのようにひっそり。

旧津川町中心街の様子
人口五千人強の旧津川町中心街の様子、2015年12月撮影。
昔ながらの街並みが続きます。
目立つのは銀行の看板ぐらい。
しかし荒廃した雰囲気を感じさせず、まったりと街歩きを楽しめます。

国道459号線の城山トンネル入り口
鹿瀬方面へ進む国道459号線の城山トンネル、2010年5月撮影。
画像左側の駐車場が麒麟山への登り口です。
標高は200m弱。

麒麟山から見たきりん橋周辺
麒麟山から見たきりん橋周辺の眺望、2010年5月撮影。

麒麟山から見たSLばんえつ物語号
津川駅を出発したSLばんえつ物語号を山から俯瞰で見る、2010年5月撮影。

麒麟山展望台の城址記念碑
麒麟山展望台の城址記念碑、2010年5月撮影。
麒麟山には鎌倉中期から江戸初期まで津川城があり、ここはその本丸跡です。
登山口からここまで、あちこちフラフラ寄り道しながら私の足で10分でした。
コースタイムは20分とのことなので、トシの割には相当の健脚であろうと自画自賛するところです。

金上稲荷神社の様子
展望台と記念碑に隣接する金上稲荷神社、2010年5月撮影。
ここから先が短くも険しい山頂への道のりです。

麒麟山山頂への入り口
山頂への入り口、2010年5月撮影。
足元危険!登山注意!の警告が。
ちょっと大げさじゃないの?と甘く見るとヤバいですマジで。

山頂に向け上る岩場
これから登る岩場、2010年5月撮影。

岩場の途中から下を見下ろす
筋金入りの高所恐怖症な私はかなりビビりましたが、俯瞰フェチの沸き立つ血潮が恐怖に打ち勝ちながら歩みを続けて振り返り一枚、2010年5月撮影。

麒麟山山頂から見た阿賀野川
麒麟山山頂から見た津川市街地
何とか頂上まで上がり、津川の素晴らしい俯瞰を思うさま撮りまくった次第であります、神社から所要6分。
2010年5月撮影。
しかしここはホントに怖い。
人ひとり通るのがやっとの岩場を足踏み外したら一貫の終わりですがな。

麒麟山温泉の様子
下山して城山トンネルを通り、麒麟山温泉界隈に達して一枚。
2010年5月撮影。
鹿瀬へはこの道をなおも進みます。

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2015年8月30日 (日)

東新津駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・東新津駅。

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新潟県新潟市秋葉区に所在する無人駅で、開業は昭和27年(1952年)2月20日。
当時の所在は新潟県新津市で、新津市は平成の大合併により2005年(平成17年)3月に新潟市に編入されて、旧新津市は小須戸町と共に秋葉区を形成し今日に至ります。
磐越西線・新津-五泉間には開業以来永らく中間駅が存在しておりませんでしたが、「新津市史」によると戦後の昭和25年に至って、新潟地区で産出される天然ガスを燃料にした「ガスカー」導入(翌26年4月から新潟-新津-馬下-新発田間で運行開始)に伴い、その停留所として設置の請願が成されたのが東新津駅のルーツであるそうです。
短編成のガスカー専用の停留所としての開業なので、ホーム長はすこぶる短くてたったの一両分!
ガスカーは機械式気動車なので単行が原則、ゆえにこれで一向に構わなかったのでしょうけれど、「鉄道ピクトリアル」2008年3月号掲載の1970年当時の当駅の写真を見ると、比較的大きな木造の待合室と短すぎるホームの組み合わせが異様で、軍艦に例えますとかつての低喫水の河用砲艦を連想させるのであります。
その出自とホームの短さゆえか、往年の磐越西線の主役であった機関車牽引の客車列車は当駅を通過していて、国鉄時代は区間運転の気動車列車がひっそりと停車していくだけの極めて地味な存在だったのであります。
平成21年度の新潟市統計書によると、平成20年度の東新津駅年間乗車人員は八万人。
一日当たりでは200人強ということになります。
利用状況は概ね微増と言えるようです。

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東新津駅舎の様子。2006年11月撮影。
建築財産票によると、竣工は2001年1月24日。

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東新津駅待合室の様子。2008年12月撮影。
小奇麗な室内には自動券売機が一台設置。

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ホーム側の駅舎の様子。2008年12月撮影。
トイレは向かって右側(新津方)にあって、新しい建物の常として水洗です。

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新津駅方から見た東新津駅構内の様子。2004年7月撮影。
ホームを大幅延長した様子がはっきりわかります。

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ホーム延長部分の中ほどにある出入り口、2008年12月撮影。
この時点で簡易Suika改札機が設置済み。

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ホーム延長部分から新津駅方を見る。
2004年7月撮影。
線路の両側共に宅地になっていて、家並みを縫うように進む気動車は大都市の下町を走っているような風情です。

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新津市所在時代の駅名票と駅舎、2004年7月撮影。
東新津駅前には日帰り温泉の「秋葉温泉 花水」があるので、沿線で蒸機など撮影の折には、こちらで一汗流していくのも良いでしょう。

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東新津駅に接近する新津行キハ110系気動車、2006年7月撮影。

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東新津駅に到着する新津行キハ110系気動車、2006年7月撮影。

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東新津駅に停車中のキハ40系、2005年7月撮影。
会津若松直通便はキハ40系、五泉・馬下区間便はキハ110系がメインになります。

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東新津駅を通過する、キハ52を先頭とした「磐越・只見ぐるり一周号」、2006年11月撮影。
レアなこの列車をこんな地味な駅で朝から待ち構えておったのは、何を隠そう私だけでしたw
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東新津駅正面から温泉を横目に見ながら進むとこの道に出ます。
この道には路線バス五泉発新津行が通っています。
なおバスは当駅周辺では上下それぞれ別の道を通るので、利用の際はご注意ください。
2006年11月撮影。

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こちらは駅の裏手に当たる道、2006年11月撮影。
この道には路線バス新津発五泉行が通ります。
東新津駅の最寄バス停は「滝谷」になります。
→バスダイヤについてはこちらへ。

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東新津駅周辺唯一?の観光地「秋葉公園」、2008年12月撮影。
地図で見ると駅からすぐのように見えたので行ってみたのですけれど、道に案内表示板が無く且つ道が入り組んでいて、辿り着くのに一時間以上かかってしまいました。

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公園には展望台があります、2008年12月撮影。
展望台自体は大した高さではないのですけれど、公園自体が高台にあるために、眺望はなかなかのものです。
窓が開閉式でないのが残念ですが。
画像は羽越本線の阿賀野川鉄橋と国道460号線の阿賀浦橋(手前の薄緑の橋)。

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公園内でひときわ目を惹くのが、この「新津秋葉山平和塔」、2008年12月撮影。
平和塔を含む公園の案内はこちらへ。

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2012年1月28日 (土)

豊実駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・豊実駅。

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新潟県東蒲原郡阿賀町に所在する無人駅で、新潟県と福島県の県境に位置します。
開業は大正3年(1914年)11月1日。
開業当時の所在は東蒲原郡豊実村で、当駅は同村の玄関駅でした。
ちなみに「豊実」という村名は、「豊田」村と「実川」村から一文字ずつ取ったもので、両村は明治36年に合併して豊実村となり、昭和30年に北隣の日出谷村と共に鹿瀬村と合併して鹿実谷村となり、翌年に町制を施行して鹿実谷町へ、それから間もなく鹿瀬町に自治体名を改名し、同町は2005年4月1日をもって周辺町村と広域合併して新自治体・阿賀町の一部となり今日に至ります。

磐越西線の計画当初は、豊実村域に停車場を設置する予定が無かったそうで、当時は村内を流れる阿賀野川に妨げられて交通不便の地であった村は、村の振興にとって停車場設置は死活問題だと当局に陳情を重ねて停車場設置に漕ぎ着けたとの事です。
それに当たっては当地域選出の代議士を頼っての、村総出での政治的行動があったようで、やっている事は昔も今も変わらぬ人の世だと言えましょう。

開業後の豊実駅は、阿賀野川流域の電源開発に伴う水力発電所建設の為の資材搬入基地として機能し、それは当駅から北に3km弱の豊実ダムが完成する昭和4年頃まで続いたようです。→豊実ダム詳細についてはこちらのサイト様を参照ください。

当地域は近年まで道路交通が極めて不便な状態が続いておりましたが、昭和49年にまず福島県側に抜ける徳石大橋が完成、次いで昭和54年に津川方面に抜ける船渡大橋が完成して道路事情は飛躍的な改善をみます。
この二つの橋の完成により、それまで当地域の最重要交通路であった磐越西線と豊実駅はその地位の地盤沈下が始まって、昭和56年に委託駅化、次いで昭和58年に完全無人化及び棒線化と斜陽の一途を辿ります。
現在は県境の山間にひっそりと佇む小駅になっておりますけれど、周辺は小集落があって人気もあり、鄙びそして枯れた実に味のある立地なのであります。


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豊実駅舎の様子、2010年5月撮影。
便宜的に駅舎と書きましたが、実際は築堤上に設けられたホームへ通じる地下道の出入り口のみです。
建築財産票によると竣工は昭和58年11月25日。
下の画像の駅舎右側の建物はトイレで、男女別で水洗ですが小用時に見たところでは水の出はイマイチ。
簡易水道だとしたら仕方の無いところなのでしょうか。
しかし駅舎(出入り口)より遥かに大きく目立つトイレというのも実に珍しい。
県内見た限りでは他に白新線・黒山駅ぐらいですかね。
また駅前広場は実に広大です。

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豊実駅を出発する朝のキハ40系気動車会津若松行、2010年5月撮影。


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ホームの日出谷駅方から見た豊実駅構内、2010年5月撮影。
画像右手にあるホームの遺構は貨物用ホーム跡でしょうか?

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ホーム端から日出谷駅方を見る、2010年5月撮影。

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豊実駅ホーム上の待合室周りの様子、2010年5月撮影。
待合室の後方に地下道出入り口があります。

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徳沢駅方から見た豊実駅構内、2010年5月撮影。
地下道出入り口はホーム徳沢方端にあります。
画像左側の整地されている辺りはかつての引込み線跡なのか、はたまた旧駅舎跡なのでしょうか?
いずれにしても、当駅は山間の小駅の割りに構内は広く感じられて、かつて阿賀野川電源開発の資材搬入基地として機能していた当駅の活況期を偲ばせます。

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ホーム端から徳沢駅方を見る、2010年5月撮影。
画像右側に空き地が無い事から、かつての引込み線は津川側へのみ延びていたものと推察されますが?

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豊実駅が島式ホームだった頃の線路跡、2010年5月撮影。
線路跡は完全に埋まってしまっていて、ホーム上の消えかかった白線がかつて島式ホームだった事の唯一の証と言えましょうか。

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徳沢駅側から見た待合室周り、2010年5月撮影。
待合室の右側にあるドアはトイレのものです。待合室はホーム右側に完全に接して建てられており、これではかつての島式ホーム時代にはホーム上通行の妨げになるのでは?と早合点しそうですけれど、待合室の竣工は建築財産票によれば昭和58年11月25日。
豊実駅の棒線化と同時期の竣工なので何ら問題は無かったのです。

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かつての線路跡の徳沢駅方を見る、2010年5月撮影。
画像右側が地下道出入り口ですが、こちらの竣工は昭和56年11月。それまで旧駅舎とホームの連絡はどのようになっていたのか興味の湧くところです。
前述の整地箇所が旧駅舎跡であるならば、ホームとはフラットな位置関係ですから構内通路だったのでしょうけれど。
→豊実駅旧駅舎画像はこちらを参照ください。

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豊実駅ホーム上の待合室内の様子、2010年5月撮影。
室内には建物に作り付けのベンチが二つ。
この時点では自動券売機・乗車証明発行機共にありません。
磐越西線新潟県側各駅で券売機が未設置なのは豊実駅のみでした。

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前述の整地箇所から見た豊実駅全景、2010年5月撮影。
やはりここに旧駅舎が置かれていたと見るのが妥当でしょうか?

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整地箇所と駅前広場の位置関係、2010年5月撮影。
うーむ、やはりここが旧駅舎跡ではという想像を逞しくさせます。

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豊実駅前を通る国道459号線福島県方を見る、2010年5月撮影。
この先を800m程進むと、前述の徳石大橋へ行き着きます。
この日は時間的制約で見てこれなかったのが残念なところ。

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同じく津川方を見る、2010年5月撮影。
なお、当地域に路線バスの設定は無く、磐越西線が唯一の公共交通機関になっております。

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国道沿いに広がる豊実集落の様子、2010年5月撮影。
駅至近には軽食事処「和彩館」があり、スーパーもコンビニも無い当地域で唯一飲食が出来るお店です。
小粋な印象のところで、キャッチは「阿賀野川を見ながらコーヒーを」。
すぐ裏手を阿賀野川が流れているので、時間があればこちらでコーヒーを飲みながら川を眺めてぼーっと過ごすのもよいかもしれませんな。

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豊実集落を抜け振り返って一枚、2010年5月撮影。

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俯瞰で見た国道459号線の船渡大橋、2010年5月撮影。
当地域交通の最大のネックだったのが、この地点に架かる橋が長い間無かった事でした。

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船渡大橋上から阿賀野川福島方を見る、2010年5月撮影。
この橋が完成するほんの30年と少し前までは、ここを渡し舟が通っていたのです。

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日出谷方踏切から見た豊実駅、2010年5月撮影。

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船渡大橋の全景、2007年7月撮影。

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2011年5月22日 (日)

猿和田駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・猿和田駅。

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新潟県五泉市に所在する無人駅で、開業は昭和30年(1955年)8月15日。
磐越西線新潟県内区間では最も新しい駅ですけれど、周辺のロケーションが適度に鄙びている為か、駅舎改築以前は当駅より先行して開業した磐越西線内の、元々は「ガスカー」(天然ガス気動車)用の停留所だった東新津駅や北五泉駅よりもずっと古典的な駅の雰囲気を今に留めていました。
なお猿和田駅は開業当時から五泉市の所在ですが、周辺地域は開業の前年まで中蒲原郡川東村の所在だったようです。
駅設置自体は当時の五泉町と合併する前に(合併協議会が設立される以前に)決まっていたのでしょうね。
明治43年に新津-馬下間が開通して以来、悲願であっただろう村の玄関駅の設置。
それから45年経ってようやく念願かなった時は村が無くなっていたのです・・・。

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旧・猿和田駅駅舎、2006年11月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和30年8月。
有人仕様のしっかりした作りの小品でした、屋根は瓦葺です。
トイレは駅舎右側にありましたが、非水洗で手洗い水は出ませんでした。
お世辞にもキレイとは言えないトイレのすぐ脇に、飲料自販機を設置していたのは少々いただけない点でしたなぁ・・・。

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新・猿和田駅駅舎、2011年4月撮影。
建築財産票によると竣工は平成21年10月16日。
右側が待合室になります。
最初から無人仕様なので、随分と小さくなりました・・・。
その姿は機能的かつモダンで中々宜しいのですが、周囲の風景に溶け込んでいるかと言えば微妙かもしれません。
周囲との唐突間という点では米坂線の越後大島駅と似てます。
しかし外から内部がよく見える待合室と通路の明るさが、防犯上大いにプラスなのは間違いないでしょう。

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猿和田駅旧駅舎内の様子、2006年11月撮影。
ウィキペディアによると昭和60年無人化とされていますが、2003~4年頃に当駅を通ると駅員氏の姿と窓口が開いているのを何度か確認しました。
もしかすると国鉄駅としての無人化以降も、同じ五泉市内所在の北五泉駅同様に自治体委託で有人だったのかもしれません。
室内には券売機が一台。

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猿和田駅の現駅舎の待合室の様子、2011年4月撮影。
内部は素透しで悪童たちも容易に悪さを出来ませんな。
画像で死角になってる左側隅に券売機が一台。

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ホーム側から見た猿和田駅旧駅舎の古典的な佇まい、2003年8月撮影。

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線路向かい側の道路から見た猿和田駅旧駅舎、2003年8月撮影。
上屋を支える柱の形状など実に古典的で、昭和30年生まれとは思えない味わい深さでありました。
なお猿和田駅は開業時には荷物のみ取扱いで、貨物営業は行なっておりませんでした。

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ホーム側から見た猿和田駅現駅舎の様子、2011年4月撮影。
トイレは通路の反対側(画像右側)にあり、男女別水洗です。
ホーム側にはベンチか一つ。

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ホームの馬下駅方から見た猿和田駅構内、2004年12月撮影。
ホームは緩やかにカーブを描いていて、このあたりからの見通しは良くありません。

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同じく馬下駅方を見る、2004年12月撮影。
画像右手に見えるのは、当駅周辺唯一のランドマークである小中学校。
左手に見える小さな白い建物は地下道出入り口です。
踏切にやや距離がある為、歩行者はこの地下道で反対側へ。

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ホームの五泉駅方から見た猿和田駅構内、2004年12月撮影。
この位置からだと山々を背に進入する列車の画が撮れそうです。

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同じく五泉駅方を見る、2004年12月撮影。
画像左手は一面田畑が広がる昔ながらの風景。

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猿和田駅に停車中のキハ40系気動車、上は2003年8月、下は2011年4月撮影。

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猿和田駅前から駅前通りを見る、2006年11月撮影。
通り沿いは宅地が大半で、商店は菓子店と割烹食堂が各一軒ある程度です。

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駅前通りを進む事数分で行き着く県道、2006年11月撮影。
通りの左側にバス停がありますが、これは当時馬下-五泉間に設定されていたバス路線のものです。
昨年9月末をもってこのバス路線は廃止され、代わりに地域住民用の乗合タクシーが運行を開始しましたが、これは事前登録&予約制なので旅の一見さんが利用するのはまず無理かと。
このバス路線の廃止で、磐越西線三川-五泉間は事実上鉄路以外に公共交通機関の選択肢は無くなりました。

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2011年3月27日 (日)

日出谷駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・日出谷駅。

2016年7月31日記、駅舎解体後の画像追加及び加筆修正を実施しました。

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新潟県東蒲原郡阿賀町に所在する無人駅で、開業は大正3年11月11日。
開業当時は東蒲原郡日出谷村の所在で、同村はその後南隣の豊実村と共に昭和30年に北隣の鹿瀬村と合併して新自治体・鹿瀬町の一部となり、その鹿瀬町も2005年4月1日に近隣町村と合併して阿賀町の一部となり今日に至ります。

日出谷駅は磐越西線新津-会津若松間のちょうど中間に位置するのと、駅周辺が平地であったのが幸いして、蒸機の給水炭場という運転上の要衝として永らく重きを成してきました。
また区間列車の起終点としても使われて、さらに駅弁「とりめし」が販売されていた事もあり、急行「いいで」「あがの」が停車しないにも関わらずその知名度は高いものがありました。
区間列車の件で言えば上越・東北新幹線大宮暫定開業前の昭和55年10月改正ダイヤでは当駅から新津へ2往復、郡山に1往復が設定されております(いずれもDL牽引の客車列車)。
昭和60年3月ダイヤ改正でもなお新津、会津若松に各1往復の客車区間列車が設定されていて、蒸機時代の運転上の要衝であったのを慣例化しているが如きダイヤ設定が生き残っていたわけですが、その後は区間列車の気動車化に伴いまた利用実態に合わせてか区間列車の起終点は津川駅と野沢駅に移り、当駅を含む津川-野沢間はすっかり過疎区間と化してしまい・・・。
まさに栄枯盛衰、諸行無常の歴史です。

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日出谷駅旧駅舎の様子、2007年7月撮影。
建物はJA東蒲原日出谷支所との合築でした。
建築財産票が見当たらなかったので竣工年は残念ながら不明。
支所も閉鎖されて久しい様子で、建物の存在意義も見出せない状況ですが、それとは対象的に駅舎の隣には「当麻公民館」が新築されておりました。
私が当駅を最初に訪れた2003年11月には汲み取り式の便所などがあったスペースに、2007年7月に再訪した時にはこのような立派な建物があって驚愕!
トイレを貸していただいたのですが、ピカピカに綺麗で勿論水洗、バリアフリーです。
公民館内は新築の木造家屋の清々しい匂いがそれは心地良いものでした。
後述する日出谷駅待合室と比べるとその差は甚だし。

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日出谷駅舎内部の様子、2007年7月撮影。
それなりに大きな建物でありながら、今日有効活用されているのはこの待合室兼通路のみ。
室内にはJR定番のものでは無い、どこかの公園から持ってきたようなベンチ一脚。
室内は薄汚さが否めず、前述の公民館内とのギャップが強烈で色々考えさせられます。
それに輪をかけたのがベンチ下に置かれた蚊取線香の缶。
ここでタバコを吸う人がいるようで、灰皿代わりになっていました。
成人喫煙者はわざわざ駅まで来て吸わないでしょうし、やはり高校生の仕業でしょうかねぇ・・・、ここなら人目に付きにくいですし。
何しろ過疎ダイヤなので人の出入りも少なく、白昼の死角のような建物ですから。


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構内通路ホーム側から見た日出谷駅駅舎と公民館の位置関係、2007年7月撮影。


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車中から見た構内通路周り、2003年11月撮影。

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五年ぶりに日出谷駅に降り立った時には、遊休化著しかった駅舎は解体されて、代わりに最早駅舎でも待合室でもない上屋付きの出入り口が建ちました、2012年7月撮影。
建築財産票によると平成22年(2010年)10月4日の竣工。
シャッターの向こうは除雪器具などの倉庫になっているのかもしれません。
何しろ建物の許容積雪量は200cmで、地味ながら雪深い土地なのです。

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ホームの豊実駅方から見た日出谷駅構内、2003年11月撮影。

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同じく鹿瀬駅方から見た日出谷駅構内、2007年7月撮影。
側線はこの時点では駅構内中程から豊実方に伸びる一本のみが残置。
当駅はSLばんえつ物語号の停車駅で、長時間停車のせいなのかホーム上には石炭と煙の残り香が。

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駅舎解体後の駅構内を鹿瀬駅方から見る、2012年7月撮影。
五年経ってもホームや周辺には変化がありません。
駅舎の有無だけが画像撮影時期の判断材料になりましょうか。

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撤去された線路跡、2007年7月撮影。
現在は棒線化されている日出谷駅も、往時は蒸機運転上の要衝であると同時に列車交換駅でもありました。


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ホーム端から鹿瀬駅方を見る、2007年7月撮影。
SLの停車位置標がホーム先端に。

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ホーム端から豊実駅方を見る、2007年7月撮影。
くだんの側線が本線と繋がっているのがわかります。

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日出谷駅ホーム上の待合室内部、2007年7月撮影。
待合室は建築財産標によると昭和58年5月竣工。
待合室内には無人駅定番ベンチ二脚と券売機一台とゴミ箱。
駅舎は解体されてしまいましたが、元々向こうよりもこちらの方が居心地はずっと良いので、駅舎解体も利用者に大した影響は無いと思います。

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駅舎解体後の待合室内、2012年7月撮影。
ベンチがJR定番型に換わった以外、変化無しです。

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日出谷駅旧駅舎時代の待合室手前の様子、2003年11月撮影。
大正浪漫風のベンチと独特の駅名標こそは、当駅がばんえつ物語号停車駅であることの証であります。

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現在のホーム待合室とその先の駅舎跡、2012年7月撮影。
JAと合築の駅舎は大きな建物だったので、そっくり撤去されてしまうと駅前はこのようにガラガラの空間と化してしまいました。
4年前の画ですけれど、私はこの後磐越西線には鹿瀬までしか行っていないので、現在この更地がどのようになっているのかはわかりません。
駐車場にする・・・といっても、周辺人口は少ないし観光地も近くに無いし、あえて作る意味はないよなぁ。
でも更地のまま放置では、地区の印象が宜しくないでしょうしねぇ。

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線路撤去跡を豊実駅方から観察、2003年11月撮影。
対向式ホーム跡らしきものが見えます。
なお日出谷駅は、開業後昭和初期まで阿賀野川流域のダムや発電所建設拠点の一つとして機能し、また薪炭や木材の出荷拠点としても相応の賑わいを見せていたそうですが、貨物取扱いは昭和48年12月に廃止されております。

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駅舎反対側の道路から見た日出谷駅全景、2003年11月撮影。
晩秋朝の光景で、おりからそぼ降る秋雨に煙った背景の山々が印象的であります。

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旧駅舎時代の日出谷駅を出発する朝のキハ40系気動車会津若松行、2003年11月撮影。

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駅舎解体後の日出谷駅を出発したキハ40系気動車会津若松行、2012年7月撮影。
当駅に停車するキハ110系気動車列車はごく少数で、大半は昔ながらのキハ40系です。
当ブログの趣旨から言えば、定期運用されている車両の駅停車画像はフォローしておきたいところなのですけれど、当駅の場合はキハ110系を撮るのがなかなか難しいのが悩みどころ。
ただ当駅の場合、本数はごく僅かながら日中に路線バスが津川まで走っているのでまだ良いのです。
これが隣の豊実駅になると、バスは走っていないのでキハ110系の停車画像撮影はクルマで追っかけるしか現実的な方法がありません。
列車で行くと待ち時間が五時間もあるので、せっかちな私は身を持て余してしまうこと確実。



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旧駅舎から見た駅前の様子、2007年7月撮影。
画像右手にある建物は「朝陽館」で、日出谷名物「とりめし」はこちらで調製販売。
しかしウィキペディアによると2006年に「とりめし」の調製販売はやめてしまわれたそうです・・・。
当駅隆盛の生き証人もこれで消えてしまって、実に寂しい話ですな。

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駅舎解体後の日出谷駅前の様子、2012年7月撮影。

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駅前通り側から見た旧駅舎周りの様子、2007年7月撮影。
かつての日出谷村の中心地らしく、当時は駅前通りとその左右に伸びる小道では郵便局の他に雑貨店、食料品店、理容店が営業しており、電器店と酒屋の看板もありました(この時にはシャッターを降ろしていましたが)。
駅前から鹿瀬方に少し歩き磐越西線をくぐると半ば廃墟化した元GS有り。
駅前は明確に集落を形成していて相応の規模でもあるのですが、この日は路上に人影もクルマも少なくひっそりとしていました。

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駅舎解体後の駅前広場から見た日出谷駅、2012年7月撮影。
右側がホーム出入り口、左側がホーム上の待合室です。

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前述の公民館前で発車待ちの津川行きバス、2007年7月撮影。
日出谷駅前-津川駅間には、新潟交通観光バス運行の路線バス日出谷-津川線が走っています。
この時はここから鹿瀬駅最寄の電工前バス停まで乗車してみました。
所要時間は日出谷駅から電工前まで20分強。
磐越西線では日出谷-鹿瀬駅間は途中の山をトンネルで真っ直ぐ抜けて5.2km。
それに対してバスの走る国道459号線は、山を大きく迂回する為に倍以上の距離がある為、それだけの時間がかかるのです。
私は13:20発の便に乗車しましたが、出発時の乗客は私を含めて5人。
角神温泉までに私以外の4人は下車し、乗車は電工前までゼロという乗り具合。
最近は過疎地域のバス路線整理が深化しており、この路線あたりも鉄道と競合している事もあって安泰とは言えない感じですね・・・。
しかしこの路線の車窓はなかなかに味わい深いものがあります。
発車後しばらくは鄙びた農村近郊を走り、やがて山を大きく迂回する隘路へ。
道幅は狭く生活道路に毛の生えたか如きものですが、行き交う車が少ないのでこれでも良しなのか。
小さなトンネルやシェルターが連続し、その壁面は素堀りそのままのような荒々しさ。
途中には行き違い用の信号が設置。
そんな山間の細道を抜けると角神温泉、そして巨大な角神ダムの偉容を望見出来ます。

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夕刻の日出谷駅前で出発待ちの路線バス津川行、2012年7月撮影。
2007年7月乗車の感想としては、なかなか将来は厳しいと思われた路線バス津川日出谷線ですが、2016年3月改正ダイヤでは一日三往復が運行されています。
ただし平日と土休日ではダイヤが異なるので、ご利用の際は新潟交通観光バスのHPでダイヤをご確認ください。

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2011年2月13日 (日)

三川駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・三川駅。

2016年2月28日記、画像を追加しました。

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新潟県東蒲原郡阿賀町に所在する無人駅で、開業は大正2年(1913年)6月1日。
開業当時の駅名は白崎で、北隣の五十島駅同様、磐越西線馬下-津川間延伸開業時からの歴史ある駅です(現駅名への改称は昭和60年)。
なお駅開業当時既に三川村の所在で、同村は昭和35年10月に下条村を合併編入して村域を拡大。
しかし平成の大合併により平成17年4月1日をもって東蒲原郡内諸町村と合併して新自治体・阿賀町の一部となり今日に至ります。

白崎駅時代は急行「いいで」「あがの」共に停車せず、東蒲原郡内の津川町の玄関・津川駅や鹿瀬町の玄関・鹿瀬駅に急行が停車する事もあって、自治体の玄関駅として格落ち感が否めなかった当駅ですが、現駅名に改称後の国鉄末期には急行格下げの快速「あがの」の不定期停車駅に加えられ、やがて定期の停車駅に格上げされます。
さらに近隣の三川温泉の威力からか「ばんえつ物語号」の停車駅にも加えられて、「ばん物」の停車しない鹿瀬駅とは線内における知名度や立場を見事に逆転した感がありました。
また当駅は近年まで簡易委託の有人駅でもありましたが、平成18年度末(平成19年3月末日)をもって無人化されております。
有人最後の年度の一日平均乗車人員は93人でJR東日本新潟県内有人82駅中78位。
平成12年度が125人ですから、6年間で1/4の大幅な減少率になってしまっております。
なお平成18年度における一日平均乗車人員で、当駅より下位の越後須原(只見線)、入広瀬(只見線)、越後寒川(羽越本線)、大白川(只見線)の各駅はいずれも現在無人化されており、新潟県内における委託有人維持に最低限必要な一日平均乗車人員は100人であろうかと強く感じられるところです。
(2009年度における最下位は脇野田駅(信越本線)の116人)
この減少率に加えて、合併によって自治体の玄関駅では無くなってしまったのも無人化に当たっての判断材料になったのではと推測しますが・・・。
元々財政的にけして豊かでない自治体同士が合併するのですから、コストカットは仕方の無い事ではありますけれど。

このように現在は無人化され通学時間帯以外は人気もなく、「ばん物」運行シーズンの土休日の一時華やぎを見せる以外は地味な毎日を送る三川駅ですが、それほど遠くない昔には活況を呈した栄光の日々もありました。
近隣の三川鉱山からの送鉱拠点として当駅が利用され、またベントナイト(鉱物粘土)を扱う企業の進出もあって、戦後の三川駅は貨物出荷で賑わいを見せたそうです。
(最盛期の一日取扱い量は60トン近くだったとか)
三川鉱山は昭和36年に閉山してしまいましたが、入れ替わりに三川駅から直線距離で南方1km強の阿賀野川・揚川発電所の建設工事が始まった事で当駅は建設資材搬入拠点として機能し、発着貨物は一日平均200トンと更なる賑わいを見せたそうです。
しかしそれはまさに超新星爆発寸前の恒星の輝きにも似たもので、発電所は昭和38年に完成して当駅の資材搬入拠点としての役割は終わり、ベントナイト企業も昭和42年8月の水害で大打撃を受けてしまい事業縮小のやむなきに至り、当駅の貨物取扱いは昭和48年12月をもって終了。
以後当駅が脚光を浴びる事はありませんでした・・・。

また三川駅に関する実に興味深い話として「新白線」構想があります。
これは羽越本線・新発田駅から赤谷線を延長する形で、白崎(三川)駅まで新線を建設しよう!というもので、戦前にも当局に陳情したものの反応はさっぱり・・・。
戦後、昭和30年代後半から40年代半ばにかけて再び陳情がなされ、当時自民党の有力者になって総裁総理への階段を駆け上る日の出の勢いの田中角栄氏の元にも行ったそうですが、流石の角サンも難色を示して動かなかったのだとか(笑)。
・・・そりゃそうですよねぇ、沿線は山中の人口希薄地域で、羽越線と磐越西線のバイパスルートといっても・・・
関東から南東北日本海側への予備ルートにでもしますか?
・・・予備ルートは他に幾つもあるし、わざわざこんなところに新線を引っ張る合理性はどこにもないですがな。
しかし架空路線マニアにとっては実際に走っていたらどうなっていただろうかと妄想してみるのもまた一興。
新線を県道新発田津川線沿いに建設して赤谷駅で赤谷線に接続するとして、その距離およそ14.5km。
白崎駅を新津方に発車して国道陸橋手前で分岐して最初の駅は「三川温泉」、白崎駅から約2km地点です。
次は「三川温泉」駅から約4.5kmで「古岐新谷」駅。
さらに約3km進んで「綱木」駅、そこから山中を5km進んで赤谷線・赤谷駅へ。
列車交換は赤谷駅の未使用ホーム及び線路を活用し、線内には「古岐新谷」駅を二面二線の列車交換駅(運転要員のみ配置)とし、「三川温泉」駅と「綱木」駅は一面一線で村委託の有人駅に。
ちなみに三駅共に三川村内の所在になるでしょう。
当然非電化でキハ52と58のコンビが、山間に分け入る単線ながら立派な線路上をのんびり走って、全列車が赤谷線に乗り入れ新発田まで直通して朝2・昼1・夕2・夜1の6往復ほどの過疎ダイヤで、大半の列車は赤谷駅で東赤谷行と分割併合になるでしょう。
ひょっとしたら並行道路の冬期通行の件やらなにやらで特定地方交通線廃止の荒波を乗り越えて、現在も只見線や岩泉線と並ぶJR東日本屈指の秘境路線として運行され有名になっていたりしてw
そうなったらキハ110系とキハ40系が走り、合理化で「古岐新谷」駅は棒線化されて「三川温泉」「綱木」両駅も無人化されているでしょうね。
三川-新発田間約33.4kmで有人駅ゼロ、列車交換駅は赤谷駅のみで赤谷駅-東赤谷駅間は部分廃止となっているでしょう。

・・・とまぁ、こんな愚にもつかない事を妄想して独りニヤニヤするのもまた楽しからずやなのです。
ちなみに現在の「新白線」並行バス路線は平成22年現在で、新発田-赤谷経由-新谷間が平日のみ運行で一日3往復、三川-古岐間に7往復(通年運行)、三川-三川温泉の区間便が一日一往復(通年運行)。
三川口の本数が多いのに驚かされます、やはり三川温泉の威力は大きいようですね。

さて閑話休題、話を現実に戻しまして・・・

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三川駅駅舎の様子、2010年5月撮影。
駅舎は「三川地域産業振興センター」との合築ですが、センターが
現在も機能しているのかは不明。
建築財産票によると竣工は昭和60年12月25日。

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三川駅駅舎内部の様子、2010年5月撮影。
上の画像左側の白いボードで塞がれているところが旧窓口です。
有人駅時代にあった公民館図書室は閉鎖され、阿賀町教育文化センターに移転されていました。
室内には券売機が一台と茶色一人掛けベンチ。
比較的新しい建物だけあって採光もまずまず、無人駅としては内部も綺麗で過ごし易いところです。
その辺は腐っても鯛流石は近年まで有人駅だった気品の高さとでも申せましょうか。
なおトイレは駅舎とは別棟にあり男女共用で水洗です。
また撮影時にはゴミ箱は駅舎内、ホーム待合室共にありませんでした。
撤去理由は「家庭ゴミの持ち込みがあった」為と「火災防止」の観点からとの事、どこぞの不心得者がゴミ箱に火を着けてボヤ騒ぎでも起こしたのでしょうか?
これは新津管理駅長通達で、県内の磐越西線無人駅に共通していました。

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駅舎とホームの連絡通路、2010年5月撮影。
三川駅はかつては列車交換可能な一面二線でしたが、現在はこのように棒線化

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ホームの津川駅方から見た三川駅構内、2010年5月撮影。
ホーム上に書かれた数字を見るに、当駅ホームの有効長は7両か。

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ホームの五十島駅方から見た三川駅構内、2010年5月撮影。

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ホームの五十島駅方端から先を見通す、2010年5月撮影。
画像奥の陸橋は国道49号線です。
右側の建物は三川中学校。

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かつての副本線と引込線跡地、2010年5月撮影。
駅舎側の茶色い柵までがかつての構内でしょうか。
側線を4~5本引けそうな広さです。
俯瞰で観察できればその広大さをより実感できるだけに、跨線橋が無いのは残念。

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三川駅ホーム上の待合室内部、2010年5月撮影。
建築財産票によると竣工は平成3年11月11日。

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三川駅を出発するキハ40系気動車新潟行、2007年7月撮影。

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三川駅に到着した新潟行快速「あがの」、2012年7月撮影。
キハE120一両とキハ110二両の三両編成です。
キハ40系とはまるで違う素晴らしい乗り心地ですけれど、磐越西線・馬下-会津若松間では少数派なのが残念。

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三川駅駅舎から駅前通りを見る、2010年5月撮影。
駅前広場はバスが余裕で入れるほど広々としたものです。



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国道49号線を渡り振り返って三川駅を撮影、2010年5月撮影。
ご覧の通り交差点脇にはヤマザキショップがあり食料調達が可能で、品揃えもまずまず。
磐越西線新潟県内駅至近で食料調達が可能なのは当駅と新関駅(コンビニ有り)、あとはスーパーの小さなフランチャイズ店があり少し歩くとコンビニのあるのある東新津駅ぐらいで、このお店は実に貴重な存在なのです

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国道陸橋上から三川駅方面を望む、2007年7月撮影


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同じく五十島方面を望む、2007年7月撮影。
小さなトンネルをくぐるとすぐに鉄橋をゴトゴトと渡る画はNゲージのレイアウトのようであります。


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国道と並行する県道、2007年7月撮影。
旧三川村本来のメインストリートはこの通りです・・・
しかし沿道で目立つのは郵便局ぐらい。
なお三川温泉・古岐方面路線バスはここを通ります。
丁度バスがやってきたので撮れてラッキー。


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阿賀野川ライン舟下りのりば、2007年7月撮影。
国道を津川方面に500mほど進むと到着。
未踏の揚川ダム見物とセットで食指が大いにそそられるところです。

その後、2012年7月に揚川ダムまで行ってみました。

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道中にある揚川発電所。
前述したように昭和38年の完成。
この発電所完成が三川駅衰退の第一歩でした。

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途中、道を間違えて4kmほどの道のりに50分もかかってようやく揚川ダムに到着。

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揚川ダム側面の様子。

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ダム上の橋から歩いてきた道のりを振り返る。
大きな橋は磐越自動車道。
左手に見える小道をてくてく歩いてきたのです。
阿賀野川を渡って対岸から回りこんで来たので、三川駅からは遠回りになったのですよ。

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ダム上の橋を渡って振り返り一枚。
ここから三川駅までは2km強。
ただし道中の大半を占める国道49号線は大型車が頻繁に行き来する路肩を歩かねばならないので要注意です。

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