カテゴリー「R012 北陸本線の駅」の記事

2015年11月 3日 (火)

能生駅(北陸本線)

本日の駅紹介は、北陸本線・能生駅。

能生駅の駅名標


新潟県糸魚川市に所在する有人駅で、現在はえちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインの所属です。
開業は大正元年(1912年)12月16日で、開業当時の所在は西頸城郡能生町で、平成17年3月に糸魚川市と合併してその東部地域になって今日に至ります。

現在の能生駅は名立筒石両駅と同じく、昭和44年10月1日の北陸本線糸魚川-直江津間の複線電化に伴い、それまでの海岸近くから山側に移転して今日に至っているわけですが、トンネル間の僅かな明かり区間に移転した名立、頸城トンネル内に移転せざるを得なかった筒石両駅と比べると谷あいの地形も緩やかで立地条件は悪くないように感じられます。
駅構内は二面四線という立派な造りで、本線たる通過線にホーの無い名立駅と比べても、移転当時の能生駅の地位を窺い知れる
のです。
駅移転計画時点の日本経済は右肩上がりの高度成長下にあり、貨物輸送はまだまだ重要でしたから、当駅のこの豪勢な造りは普通列車の優等退避以外にも、急行貨物・荷物の退避も考えての事ではなかったかと推測している次第ですけれど、貨物の重要路線であり続けてはいるものの往時に比べてその輸送量は大幅に減り、優等列車は僅かな快速列車だけの今日にあっては、全てが過剰な設備になってしまっています。
当線区の斜陽化を最も象徴しているのがこの能生駅と申せましょうか。

糸魚川市統計要覧によると、平成19年度の能生駅年間乗車人員は159,428人で、単純計算では一日平均約437人。
上越線・越後堀之内駅と同水準で、合併前の能生町の人口一万人強、広域合併して魚沼市になる前の堀之内町の人口が一万人弱ですから、人口一万人前後の自治体の玄関駅で期待できる利用はこのレベルに落ち着いてしまっているということなのでしょう。
能生町史によると、昭和55年度の能生駅一日平均乗車人員は約1,160人で、それから27年間で六割強も減ってしまっているのです。

前述したように駅構内の造りは豪勢な能生駅ですけれど、定期優等列車の停車実績は少なくて、手元の古い時刻表を紐解くと昭和55年10月改正ダイヤでは上野発金沢行の上り急行「能登」と新潟-青海間の気動車急行「ひめかわ」1往復。
「能登」の当駅発車時刻は早朝04:20なので、この停車は東京からの新聞輸送と思われます。
昭和57年11月改正では「ひめかわ」が廃止された救済措置として、青海駅と共に新潟-金沢間特急「北越」1往復が停車。
朝新潟に行き、夜帰ってくるパターンです。
昭和60年3月ダイヤ改正では長野経由になっていた「能登」が上下とも停車しており、特急、急行各1往復が停車していたこの時期が、能生駅の優等列車停車史におけるピークと言えます。
しかし、明確な時期は遺憾ながら資料が無いものの、「能登」も「北越」も当駅停車を取り止めます。
夜行の「能登」はともかく、「北越」が通過になったのは青海駅共々余程利用が少なかったのでしょう。
一度特急の停車駅になったらそれが既得権化して、利用が少なくても慣例的に続いていくのが常なのにです。
かくてJR所属時代の晩年は、特急「はくたか」「北越」が高速で走り抜けていく一陣の疾風だけが広い構内を吹き荒れるだけの駅となってしまいました.....

2013年9月時点の能生駅駅舎の様子
2004年4月時点の能生駅駅舎の様子
能生駅駅舎の様子、上は2013年9月、下は2004年4月撮影。
二階建ての大きな建物、広大な駅前広場。
駅舎は一見すると無駄に大きいと思えますけれど、名立駅では駅舎とは別に構内にあった運転保守関係とおぼしき建物と駅舎の合築と考えれば、妥当な大きさなのかもしれません。

能生駅駅舎内の待合室
能生駅駅舎内の様子その二
能生駅駅舎内の様子、2008年5月撮影。
名立駅のような吹き抜けではなく、出入り口のあるテレビ付き待合室があります。
この辺も移転当時の当駅の立ち居地を感じさせます。
撮影当時の窓口営業時間は07:00~17:30で待合室の開放時間は07:00~18:00まででした。
自動券売機も一台設置されておりました。
昨年(2014年)の消費増税では、「増税に対応できないから」(要するに一年後には切り捨てる線区の特急も停まらないローカル駅には余計なコストをかけたくないってこと?w)という理由で券売機を撤去(これは糸魚川以外の近隣他駅も同様)してしまいましたが、えちごトキめき鉄道移管後は改めて設置されたそうでまずは目出度し。

二番ホーム筒石方から見た能生駅構内
2番線の筒石駅方から見た能生駅構内、2005年10月撮影。

二番ホーム筒石方から見た頸城トンネル
同じ位置から直江津方の頸城トンネルを見る、2005年10月撮影。

二番ホーム浦本方から見た能生駅構内
2番線の浦本駅方から見た能生駅構内、2005年10月撮影。
当駅構内の眺めはこの位置がベストだと個人的には思っています。

二番ホーム浦本方先端から先を見る
同じ位置から糸魚川方を見る、2005年10月撮影。
能生駅の乗り場は1、2番線が直江津方面、3、4番線が糸魚川方面になります。

一番ホーム浦本方から見た様子
1番線の浦本駅方から見た能生駅構内、2014年5月撮影。

三番ホーム筒石方から見た能生駅構内
3番線の筒石駅方から見た能生駅構内、2014年5月撮影。

三番ホーム筒石方先端から見た頸城トンネル
同じ位置から直江津方頸城トンネルを見る、2014年5月撮影。
上下線共に横取り線が分岐しているのがわかります。

三・四番ホームの駅舎との連絡地下道出入り口付近
3・4番ホームの駅舎との連絡地下道出入り口付近の様子、2014年5月撮影。

三番ホーム浦本方から見た能生駅構内
3番線の浦本駅方から見た能生駅構内、2013年9月撮影。

四番ホーム浦本方先端から先を見る
4番線の浦本駅方から先を見る、2014年5月撮影。
横長の架線柱から見るに、かつては四番線の横に側線があったのかもしれません。

能生駅構内地下道の様子
能生駅構内地下道の様子、2008年5月撮影。

能生駅四番線から出発する北陸地域色の475系電車
秋雨降りしきる能生駅4番線から出発する北陸地域色の475系電車富山行、2013年10月撮影。
くもりのち晴れの天気予報が大外れの雨の日でしたなぁ。

能生駅四番線から出発する青一色の475系電車
同じく四番線から出発する青一色の475系電車富山行、2013年9月撮影。
青一色の電車には最後まで馴染めなかったですな。

能生駅に停車中の国鉄急行交直流色475系電車
夕刻の下り特急「北越」退避の為に、能生駅1番線に停車中の国鉄急行交直流色の475系電車直江津行、2012年6月撮影。
幸運にも国鉄交直型急行色編成に乗り合わせて、「北越」通過撮影までの間くまなく撮影しようとホルホルしておりましたところ、予測より早く「北越」が来てしまって最適撮影位置に行けず、頸城トンネルに突入する後姿しか撮れなかったのは一生の不覚にございました.....
なおこの特急退避、確か翌年の改正で名立駅に変更になり、当駅での優等退避は無くなってしまいました。

能生駅を出発する北陸地域色の413系電車
能生駅3番線から出発する北陸地域色の413系電車富山行、2013年9月撮影。
当駅の場合、当時は3番4番に特急退避の有無を問わず、適宜停車していました。

能生駅に停車中の419系電車
上り特急「北越」退避の為に四番線に停車中の、上り419系電車富山行、2005年10月撮影。

能生駅を通過する485系電車R編成の特急「北越」
能生駅3番線を通過する485系電車R編成の金沢行特急「北越」、2014年5月撮影。

能生駅を通過する特急「はくたか」
能生駅2番線を通過する下り越後湯沢行特急「はくたか」、2014年5月撮影。

雨の中、能生駅を通過する特急「はくたか」
土砂降りの雨の中、能生駅2番線を通過する下り越後湯沢行特急「はくたか」、先頭車両は貫通型です、2013年10月撮影。

能生駅前通りの様子
能生駅から海岸沿いの国道8号線へ至る能生駅前通りの様子。
国道まではおよそ1km。
山側に少し進むと北陸自動車道のICに行き着きます。
この駅前通り沿いにはスーパー一軒、コンビニ二軒、ホームセンター一軒があって、日常の利便性は極めて高し。
なお、路線バスは糸魚川便と筒石便はこの道を通って駅前バス停に停車しますけれど(ダイヤはこちらへ)、直江津便は国道沿いの能生案内所止まりです(ダイヤはこちらへ)。
いずれの便も日祝は全休なので要注意。

旧能生町役場の様子
旧能生駅跡の記念碑
海岸近くの旧能生町役場、2013年9月撮影。
かつてはここに旧能生駅が所在していたのです。

旧能生町のメインストリート
旧能生町のメインストリート、2008年5月撮影。
国道8号線に並行して、筒石方に沿って昔からの個人商店街になっております。
しかし御他聞に漏れず、開いている店は僅かでひっそり。
近くのスーパーやホームセンターは駐車場に車が並び賑わっているというのに。

旧能生町の白山神社
メインストリートを抜けて白山神社へ到着、2008年5月撮影。
能生駅からここまで私の足でおよそ20分。
この白山神社、重要文化財として神社本殿と聖観音立像、重要無形民俗文化財として舞楽、重要有形民俗文化財として海上信仰資料97点、新潟県文化財として十一面観音立像と汐路の鐘と泰澄大師坐像と舞楽面五面などなど、周辺随一と言ってよい古来文化の集積地と言えます。
隣接して旧能生町の歴史民俗資料館もあって見学にかなり心が動いたのですけれど、この日はマリンドーム能生まで歩きそこから路線バスで筒石集落に移動というスケジュールでゆっくりしてもいられず、後ろ髪を引かれながら先を急いだ次第。

旧北陸本線跡サイクリングロードの白山トンネル
白山神社近くにある旧北陸本線跡サイクリングロードの白山トンネル、2008年5月撮影。

旧能生町海岸の弁天岩その一
旧能生町海岸の弁天岩その二
神社から海岸に出てすぐの弁天岩、2008年5月撮影。
話によるとここが「竜宮」への入り口なんだとか。
すぐ向こうにはロケットに跨ったツインテールの乙姫ちゃんが手を叩き風船ガムをぷーっと膨らませてゲヘヘと笑いながら待っておられるのでしょうかね?
それはさておき、大昔の海底火山の噴火による噴出物で構成されているというこの大岩は実に眼福です。
岩へ渡る橋とその下の浅海のコントラストも良し。

弁天岩の頂上から歩いてきた方向を望む
弁天岩の頂上から歩いてきた方向を望む、2008年5月撮影。

能生マリンパーク
能生マリンパーク内の海の資料館「越山丸」
能生駅から白山神社と弁天岩に立ち寄りつつ、プラプラ歩いておよそ50分で能生マリンパークに到着、2008年5月撮影。
距離にして3km弱、寄り道せずに直行していれば35分程で歩けたのに。
そのツケがこのフネ、「海の資料館越山丸」見学の時間を取れなかったこと。
能生にある海洋高校の実習船が、退役後の余生を浮かぶ資料館として送っているのです。
こういうフネを見学できる機会は他に無いので、こちらもかなり心が動きましたなぁ.....
しかし筒石行のバスの時間も極めて切迫しているし、前述の歴史民俗資料館同様に見学断念。

マリンパーク近くの国道上のバス停から見える旧北陸本線のトンネル
マリンパーク近くの国道上のバス停から一枚、2008年5月撮影。
少々わかりにくいですが、信号の左上に旧北陸本線のトンネルが見えます。
この地を再訪することがあったら、それは有間川-浦本間の旧線跡徒歩踏破の道草でということになるでしょう。

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2015年11月 1日 (日)

筒石駅(北陸本線)

本日の駅紹介は北陸本線・筒石駅。

筒石駅の駅名標


新潟県糸魚川市に所在する有人駅で、名立-能生間を結ぶ全長11,353mの頸城トンネル内にあります。
現在はえちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインの所属です。
開業は大正元年(1912年)12月16日で、名立-糸魚川間開通と共に開業しました。
当時の所在は西頸城郡磯部村で、当初は村の玄関駅であることから村名そのままの「磯部」としたかったそうです。
しかし「磯部」駅は群馬県下の信越本線に既に存在していたので已む無く断念、駅が所在する地名を取って「筒石」と命名したとの事です。
磯部村は昭和29年に周辺諸村と合併して新自治体・能生町となり、能生町は2005年に糸魚川市と合併してここ筒石の地は上越市と境を接する東端部になり、今日に至ります。

北陸本線・糸魚川-直江津間複線電化による新線建設に当たっては筒石駅も廃止の危機に見舞われて、筒石地区でも近隣駅地区と共に反対運動を展開、これにより国鉄当局も当初の長大トンネル案を撤回して現在のルートに落ち着いたのですけれど、当駅の
場合は頸城トンネルの必要上から明かり部分に駅を移転するのは不可能で、次善の策として全国的に極めて珍しいトンネル駅になったのは皆様ご存知の通り。

筒石駅駅舎
筒石駅駅舎の様子、2014年6月撮影。
駅移転時からの建物ですが、無骨な造りの名立駅舎に比べてあまり古さを感じさせません。
トイレは駅舎右側にあって男女別。

筒石駅駅舎内の様子その一
筒石駅駅舎内の様子その二
筒石駅駅舎内の様子、2014年6月撮影。
有人駅でかつこじんまりとしているだけに、清掃も行き届いています。
自動券売機はJR時代も設置されておらず、乗車券入場券は常に窓口で購入。

いささか古い数字で恐縮ですが、糸魚川市統計年鑑によると筒石駅の平成19年度年間乗車人員は20,739人で、単純計算すると一日平均約57人。
JR東日本の新潟県内区間と西日本区間の通算では、有人駅中最下位になってしまっていますけれど、当駅の場合有人なのは旅客営業上の必要性からではないので致し方ありません。
旧北陸線新潟県内区間の他駅との比較では、市振駅とほぼ同じで梶屋敷駅の約半分というところです。
能生町史によると、昭和55年度の当駅一日平均乗車人員は約171人で、27年間で2/3も減少してしてしまっています。

ちなみに上越、糸魚川両市の統計年鑑から算出した、旧北陸線新潟県内区間諸駅の平成19年度一日平均乗車ランキングは下記の通りです(直江津駅は除く)。

1位 糸魚川駅 1,123人(定期56% 非定期44%)
2位 能生駅     437人(定期77% 非定期23%)
3位 青海駅     221人(定期77% 非定期23%)
4位 名立駅     148人
5位 梶屋敷駅   107人(定期74% 非定期26%)
6位 筒石駅     57人(定期84% 非定期16%)
7位 市振駅     56人(定期80% 非定期20%)
8位 有間川駅    43人
9位 親不知駅    41人(定期63% 非定期37%)
10位 谷浜駅     32人
11位 浦本駅     19人(定期84% 非定期16%)

青春18きっぷで乗降する客をどのようにカウントしているのかはわかりませんが、この数字を見る限りにおいては、有名なトンネル駅というネームバリューも乗降の実数にはあまり反映されていないようです。
ただ当駅の場合、入場券やJR時代の赤い青春18きっぷの販売等があって、実収入は乗降の実数以上であったのは確実でしょう。

筒石駅の駅舎と地下のホームを結ぶ階段
筒石駅地下ホームへの通路
地上の駅舎と地下のホームを結ぶ階段と、ホームへの通路、2014年6月撮影。
旅番組では筒石駅に降り立ったタレントが、地上までの道中がキツいとしきりにこぼしていましたけれど、土合駅に比べればモノの数ではないと申せましょう。
ホーム出入り口から改札まで撮影しながら上がってきて所要4分というところです。
土合駅の場合はやはり撮影しながら登って10分はかかりますからね。

筒石駅下りホームへの出入り口
筒石駅下り(直江津方面)ホームへの出入り口、2014年6月撮影。
風圧対策で引き戸は少々重いです。
ここで待っていると、列車が頸城トンネルに突入した轟音が早期に聞こえてきますから、撮影待ちのいい合図になったものです。

筒石駅構内の様子その一
筒石駅構内の様子その二
筒石駅構内の様子その三
筒石駅構内の様子その四
筒石駅構内の様子その五
頸城トンネル内の筒石駅構内の様子、2014年6月撮影。
駅構内は典型的な千鳥配置ですが、撮影した画を見ると、駅名票無しではどっちがどっちやらさっぱりわからない始末(大汗)。
現在(2015年10月末)のところ、筒石駅に降り立った直近のこの日は通過する特急「はくたか」「北越」の動画撮影が目的で、入場券で構内に入り二時間ほど上下のホームを行ったり来たりしておりましたが、18きっぷオフシーズンの土曜日だからなのか、ご同業は皆無でしたなぁ。
この日に限らず私が当駅に降り立ったのは2004年から2014年の11年間で計6回のいずれも、18きっぷのオフシーズンの土日でご同業とは未遭遇。
新幹線や特急に揺られてはるばるここまで来る人は実は少数ってこと?

筒石駅に停車中の国鉄交直流急行色475系電車
筒石駅に停車中の青一色の413系電車
筒石駅に停車中の北陸地域色413系電車
いずれも過去帳入りの、筒石駅に停車する普通電車の面々。
上の国鉄交直流急行色475系電車は2012年6月、中の青一色の413系電車と下の北陸地域色413系電車は2014年6月撮影。
419系のマトモな画像を撮れず終いだったのが心残りです。

筒石駅を通過する特急「北越」
筒石駅を通過する特急「はくたか」
筒石駅を通過する特急「北越」と「はくたか」、2014年6月撮影。
私の機材と腕では闇の中を高速で通過する列車をマトモに捉えられるはずがなく、動画からのキャプチャ画像になります。

高台から見た筒石駅全景
高台から見た筒石駅全景、2014年6月撮影。
ご覧のように、車数台の駐車スペースと駐輪場を有していますが、この日は車二台、自転車は無し。

筒石駅前の様子
海岸沿いの筒石集落へ至る道に足を踏み出しつつ、振り返って駅舎を撮影、2014年6月撮影。

筒石駅から海岸への道の様子
筒石駅から海岸への道中、2008年5月撮影。
当駅訪問の場合、何がキツいかと言ったらこの道の行き来です。
いい歳をしたオッサンの割にはそれなりの脚力を誇る私でも、この坂道は少々難敵。
距離は1km弱とさほどのものではないのですが、私の足では国道に下りるまでたっぷり10分はかかります。
日常的にジョギングや高速ウォーキングをして体脂肪率5%台の健常者のオッサンでもこんな調子ですから、年配の方は歩いて駅までなどかなり無理がありますな。

筒石駅近くの北陸自動車道
海岸への道中で上に架かる北陸自動車道と切り立った山の壁面。
2008年5月撮影。
この地域の地形の峻険さがよくわかります。

海岸沿いの国道8号線と筒石漁港その一
海岸沿いの国道8号線と筒石漁港その二
海岸沿いの国道8号線と筒石漁港、2008年5月撮影。
集落の特に年配の方にとっては、鉄道よりも路線バスの方が遥かにバリアフリーで便利なのは確実で、事実、日祝運休の能生-直江津間の路線バスは労災病院発着で、年配者の通院の行き来に適したダイヤになっております。
→ダイヤはこちら
能生-筒石間に限っては仙納線も使えますけれど、こちらも日祝は運休なので駅巡りに使えるのは実質土曜日のみ。
→ダイヤはこちら

筒石地区の北陸本線旧線跡のサイクリングロード
北陸本線旧線跡のサイクリングロード、2008年5月撮影。
私が次に筒石駅を訪れるとしたら、このサイクリングロードを歩き通すついでにトキ鉄の気動車を撮影する時ぐらいでしょう。
私はウォーキングが趣味なので列車の待ち時間が長く他にする事も無い場合は駅間を積極的に歩くことにしているのですけれど、この旧線跡は谷浜-有間川間と能生界隈の一部しか歩いた事が無いのです。
機会を見て有間川-浦本間をぜひ歩き通してみたいところなのです。

筒石川橋梁跡その一
筒石川橋梁跡その二
旧線の遺構である、筒石川橋梁跡、2008年5月撮影。
この橋梁跡については予備知識無しで遭遇したので、まだこんなデカブツが残っていたのかと驚きましたなぁ。
周辺は整備されて遺構など残っていないので、古びた橋脚だけが鎮座ましましている光景は異様の一言。

筒石地区の日本海に沈む夕陽
初夏の夕暮れ、日本海に沈む夕日、2012年6月撮影。
昔の金曜ロードショーで流れていた、物寂しいトランペットの演奏が聞こえてくるようです。
これから盛夏を迎えるというのに、何故か晩秋のように感傷的になって夕映えの海をしばらく見てましたっけ。

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2015年10月31日 (土)

名立駅(北陸本線)

本日の駅紹介は北陸本線・名立駅。

名立駅の駅名標


新潟県上越市に所在する無人駅で、現在はえちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインの所属です。
開業は明治44年(1911年)7月1日で、当時の所在は西頸城郡名立町でした。
名立町はその後2005年に上越市に編入されて、上越市名立区となって現在に至ります。
開業当時は北陸本線が全通に至っておらず、名立駅は暫定的に直江津方からの終着駅になり、翌大正元年に本来の中間駅の姿に落ち着きました。

名立駅は名立町の玄関としての旅客機能に加えて、名立漁港から長野・富山方面への鮮魚の発送拠点として大きな役割を果たしていました。
名立町史によると、昭和40年度の当駅一日平均貨物発着トン数は約44トン。
発着といっても出荷超過で、その大半は鮮魚です。
それが僅か五年後の昭和45年度には、貨物は実に75%減の約11トンに激減。
漁獲量の減少もあったのかもしれませんが、これに大いに関係していると思われるのが、昭和44年10月1日に北陸本線複線電化に伴う内陸への駅移転です。
当初、国鉄は輸送力増強と合理化を兼ねて、浦本-直江津間を長大トンネルで直接結ぶことを計画していたそうで、そうなれば能生筒石、名立、有間川谷浜、郷津の各駅は廃止されることになります。
当然のことながら、こんなラジカルな計画を沿線住民が受け入れるはずもなく、名立町を含め各自治体で激しい反対運動を展開。
国鉄当局はこれに折れて、昭和39年に折衷案として海岸沿いの旧線から1km弱内陸の現ルートを提示。
反対派がこの案で妥協したことで、駅廃止は郷津駅のみにとどまり、駅の存続と移転が決定して今日の名立駅となったのです。
しかしこれまでは漁港至近に駅があって利便性が高かったのに、漁港からだと新駅まで1km以上ありますから相当な不便さを感じたことでしょう。
国道8号線は漁港の前を通っておりますので、国道の整備が進めばモータリゼーションが進展しつつあった当時にあっては、手間のかかる鉄道発送よりもトラック発送に切り替えるのは当然の成り行きと言えます。
かくて名立駅の一日平均貨物発着トン数は、オイルショック下の昭和49年にはたった6トン弱にまで減少。
翌年にはとうとう貨物取り扱いが廃止されてしまいました。

一方旅客はと言えば、貨物ほどの劇的な減少はないものの、昭和40年度の一日平均乗車人員700人弱から駅移転後の同45年には500人弱に減少。
その後もジリジリと減少を続け、当駅に停車する唯一の優等列車であった急行「ひめかわ」が廃止された昭和57年には300人台半ば。
上越市統計要覧からの推定では平成19年度のそれは150人弱。翌年には無人化されてしまいました。
特急電車が華やかに頻発運転される地方幹線のもうひとつの裏の顔の小典型と言えるのが、この名立駅の凋落ぶりなのです...。

名立駅駅舎
名立駅駅舎の様子、2005年6月撮影。
この時点ではまだ有人駅でした。
新駅移転時からの建物で、今年(2015年)現在で築46年。
トキ鉄の駅舎は年季が入ったモノが多いのですけれど、当駅を含めて改築をどのように行うかが自治体にとって頭の痛い問題になりそう。
トイレは駅舎の奥(画像右側)にあって水洗。
駅前広場は車5~6台が優に駐車できるスペースが確保されていて、往時はタクシーの常駐もあったのではと想像を逞しくするところ。
駅前の県道にはバス停があって、直江津駅南口と行き来できますが、残念ながら本数は少ないです→ダイヤはこちらへ
なお路線バスで筒石、能生へ行きたい場合は、海岸沿いの国道8号線まで歩く必要があります。

名立駅駅舎内の様子
名立駅駅舎内の様子、2008年5月撮影。
無人化直後の様子です。
有人時代の窓口営業は07:00~18:00で、窓口営業中は自動券売機の稼動を停止していました。
有人時代は駅員氏の物腰がソフトかつ丁寧で、好感が持てましたっけ。
直江津までのきっぷを求めたら、こちらが恐縮してしまうぐらいの接客態度で、某羽越線の現在は無人化された某駅の、客に最初からケンカ腰なオイコラ駅員とはエラい違いですw

名立駅無人化のお知らせの掲示
上の画像撮影時に張ってあった、名立駅無人化のお知らせ。

改札内から見た名立駅駅舎内の様子
こちらは駅舎内を改札側から見た様子、2012年6月撮影。
駅舎内は吹き抜けで、広い空間を確保しておりますけれどベンチの数は少なめ。
今となっては無意味な大きさになってしまっていますな.....

ホームへの地下通路から見た改札口周り
ホームへの地下通路から見た名立駅駅舎の改札口周り、2012年6月撮影。

下りホーム有間川方から見た名立駅構内
下り(直江津方面)ホーム有間川駅方から見た名立駅構内、2005年6月撮影。
名立駅構内は上下両方向ともトンネルで似た風景なので、駅名票が映り込んでいない画像だと方向がわからなくなってしまうのです。

下りホーム有間川方先端から先を見る
下りホーム有間川駅方先端から先を見る、2005年6月撮影。
画像右側に上りホームが映っていますが、筒石方はこれとは反対に下りホームがトンネル直前まであります。

下りホーム中央部から直江津方面を見る
名立駅の下りホーム中央部から直江津方面を見る、2012年6月撮影。

下りホーム筒石方から見た名立駅構内
下りホーム筒石駅方から見た名立駅構内全景、2005年6月撮影。
トンネルに挟まれた立地で長大な旅客ホームと通過線を有している様子は、どことなく山陽新幹線のローカル駅を想起させます。
優等列車が廃止されて今後設定される事もおそらく無く、完全に遊休化した当駅の通過線ですけれど、将来的にはポイントを撤去して使用不可にするのかはたまた上越線の土樽駅のように、ホームを通過線まで張り出して使用するようにするのか?

下りホーム筒石方から見た頸城トンネルと接近する電車
名立駅の下りホーム筒石駅方から全長11,353mの頸城トンネルと、接近する電車を見通す、2012年6月撮影。

上りホーム有間川方から見た名立駅構内
上り(糸魚川方面)ホーム有間川駅方から見た名立駅構内全景、2005年6月撮影。
ホームのこの辺りは遊休化されて久しいのでしょう。
かつてはEF81型電気機関車牽引の長編成旧型客車列車がこのホームに停車していたのです。
「新・ドキュメント列車追跡No5」(鉄道ジャーナル社)を見ると、昭和57年2月時点の米原発長岡行523レは客車10両と荷物車1両でした。
通過線を有する名立駅ですが、当時の時刻表から推測するにこの時点での普通列車の優等退避は無く、せっかくの設備も宝の持ち腐れ気味。
まぁダイヤが乱れた際には活用されたのでしょうけれど。
近年ではJR時代の最末期に、それまで能生駅で新潟行「北越」を退避していた夕方の下り普通列車が当駅で退避するように変更されていました。

それにしても、長大編成の客車列車が幅を利かせていた当時、日中ワンマン単行の気動車が行き来している現在の姿を、当時一体誰が想像できたでしょうか.....

上りホーム直江津方から先を見る
名立駅上りホーム直江津方から先を見る、2010年5月撮影。

上りホーム糸魚川方から見た名立駅構内
上りホーム糸魚川方から見た名立駅構内、2012年6月撮影。

上りホーム糸魚川方から頸城トンネルを見る
名立駅上りホーム糸魚川方から頸城トンネルを見る、2012年6月撮影。

名立駅を通過する特急「はくたか」その一
名立駅を通過する北越急行所属車の越後湯沢行特急「はくたか」、2012年6月撮影。
私は鉄道車両、特にJR化後のソレについては疎いので、恥ずかしながら681系と683系の区別がつきません(大汗)。

名立駅を通過する特急「はくたか」その二
名立駅を通過するJR西日本所属車の金沢行特急「はくたか」、2012年6月撮影。

名立駅を通過する485系電車T編成の特急「北越」
名立駅を通過する485系電車T編成の金沢行特急「北越」、2012年6月撮影。
R編成も撮影したかったのですけれど、この日の二度の撮影機会はいずれもT編成で残念無念。
来年(2016年)3月ダイヤ改正で廃止されるのではと噂の、名無しの快速(新潟-糸魚川間)はR編成でしかも当駅に停車するので、マニアとしてはかなりグラリと来るのですけれど、私の住まいからでは現地で一泊しないと無理。
その為だけに泊まりでここまで来るのもアレですし、これまた残念無念かなぁ。
先日、名立駅が所属する「えちごトキめき鉄道」ひすいラインに初めて乗車する機会があったのですけれど、国鉄仕様の長大なホームに単行の新ピカ気動車が停まる画は触手が全然伸びませんでしたし。
駅とその周辺はくまなく歩き回っているので、列車が行ってしまった後は何もする事なく暇過ぎる時間を持て余すのも確実。

名立駅に停車中の475系上り普通電車
名立駅に停車中の475系上り普通電車、2012年6月撮影。
455・475系電車の引退で、急行型車両も完全に過去帳入り。

名立駅に停車中の413系上り普通電車
名立駅に停車中の上り413系普通電車、2010年5月撮影。
私が駅巡りを本格的に始めて名立駅に降り立った2004年当時は、413系は朝晩の糸魚川止まりで当駅にはまだ顔を出していませんでしたっけ。
引退した419系電車の後任として直江津口でもその姿を見れるようになってたったの五年程で、これまた過去帳入りです。

名立駅に停車中の上り419系普通電車その一"
名立駅に停車中の上り419系普通電車直江津行、2005年6月撮影。

名立停車中の上り419系普通電車その二
雨の名立駅に停車中の下り419系普通電車、2004年4月撮影。
私が名立駅に初めて降り立った時の画です。
特急車時代そのままのシートピッチで快適だった419系でしたが、車内にゴミがやたら多いのには閉口しましたなぁ。
車内にあんなにゴミが散らかっているのは、JR東日本区間では三条・加茂界隈で高校生が乗降した後ぐらいです。

下りホーム上から見た名立川と北陸自動車道
名立駅の下りホームから日本海へ注ぐ名立川と北陸自動車道の高架を見る、2010年5月撮影。
駅から海岸沿いの国道8号線までは1km弱といったところ。

上りホーム上かに見た名立川上流
名立駅上りホームから名立川上流を見る、2010年5月撮影。
こちら側はすっかり山間の風情。

海岸沿いの国道8号の様子
海岸沿いの国道8号の様子、2008年5月撮影。
名立町の中心街はこれといった店もなく、来訪者にとっては「うみてらす名立」を除けば画像左手のセプンイレブンが貴重な存在です。

うみてらす名立に立つ風車
名立地区の一大集客拠点「うみてらす名立」にニョッキリと屹立する風車、2008年5月撮影。
上越市は風力発電用の風車が多いのですけれど、落雷で頻繁に故障するのであまりうまくないという話を聞きます。
欧州でうまくいっている事例を取り上げて安易に「我が国も風力を盛んにしよう!」という論調は、その辺の気象条件もよくよく考えなければいけませんな。

名立崩れの痕跡
国道8号線を直江津方面に進むと、目的地の鳥ヶ首岬灯台が右手に見えてきます、2012年6月撮影。
灯台周辺の切り立った地形はは江戸時代寛延年間に起きた宝暦高田地震によって引き起こされた大規模な崩落「名立崩れ」の痕跡であります。
今から260年程昔の話です。

鳥ヶ首岬灯台の様子
鳥ヶ首岬灯台の様子、2012年6月撮影。

鳥ヶ首灯台直下から見た旧名立町の様子
鳥ヶ首灯台直下から見た旧名立町の様子、2012年6月撮影。
当地域が日本海と山地に挟まれた極めて狭隘な地勢なのが実感できます。

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2011年3月 6日 (日)

有間川駅(北陸本線)

本日の駅紹介は北陸本線・有間川駅。

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有間川駅の開業は戦後間もない昭和22年7月1日。
開業当時の所在は中頚城郡谷浜村で、東隣の谷浜駅に次ぐ同村二つ目の駅でした。
谷浜村はその後昭和30年に直江津市に編入されて、有間川地区は同市の西端となり、次いで昭和46年に高田市と合併して上越市に、更に平成17年元日をもって周辺町村を編入してその市域を大幅に拡大して今日に至ります。
なお平成17年の大合併では西隣の名立町も上越市に編入された為、上越市西端の駅は当駅から名立駅に移っています。

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有間川駅駅舎の様子、2006年10月撮影。
建築財産票が見当たらなかったのですが、駅舎は恐らくその当時からのものでしょう。
谷浜駅に比べると、駅舎正面はあっさりとした造りですが、ホーム側のそれは上屋を支える支柱の造作など、昭和30年代以降の駅には見られないクラシカルな実に良い味があります。
・・・しかし谷浜駅(更には浦本梶屋敷親不知市振各駅も)同様に、建物の経年を考えれば北陸線の第三セクター移行前後に改築されるのは避けられない事かと。
改築となれば、ロケーションに全く似合わない「オシャレ」なものになるか、実用本位の無味乾燥なものになってしまうかのいずれか。
どちらにしろ古びたままのホームとはあまりにミスマッチで、これら諸駅が現在有する海辺の鄙びた情緒も無くなってしまうのでしょうなぁ。
これからは最後の活躍を見せる475系や、三セク後は廃止が決定的な「はくたか」、同じく廃止濃厚な「北越」を撮りに有間川駅周辺を訪れる人が増えていくのでしょう。
その際は電車だけではなく、この駅(並びに前述の鄙びた諸駅)の風情もぜひ記録に留めておいていただきたいところです。

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有間川駅駅舎内部の様子、2010年5月撮影。
相変わらずベンチも無く券売機も乗車証明発行機も無いガランとした室内。
上越市統計年鑑によると、平成19年度の有間川駅年間乗車人員は15,630人(一日平均約43人)。
北陸本線県内駅で券売機未設置なのは浦本駅と当駅のみです。
一般利用客がいかに少ないかの表れと言えそうです。
しかし谷浜駅エントリーでも触れたように、現在ではかつての村の玄関駅であった谷浜駅(一日平均乗車人員約32人で券売機も設置)よりも当駅の方が利用状況は良いのです。
しかし当駅も平成15年度比では約17%減。北陸本線県内駅はいずれも同様の利用状況で、第三セクター移行後はこの実態に合わせるべく、場合によっては気動車化、単行化も考慮しているとの事です。

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1番ホームの名立駅方から見た有間川駅構内、2010年5月撮影。
下の国道に抜ける場合、画像中央左側の通路を降りていった方が、駅舎から行くより遥かに近道です。

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同じく谷浜駅方から見た有間川駅構内、2010年6月撮影。
ホームはこの位置から見ると名立方に緩やかな左カーブを描いております。

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2番ホームの中央から名立駅方を見る、2010年5月撮影。

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同じく名立方から見た有間川駅構内、2005年10月撮影。

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直江津方にある構内通路、2005年10月撮影。
列車接近時の警報音が個人的に好きですなぁ。
昨今の電子音ではなくこれぞアナログっ!という音色が郷愁を誘い、古びた普通列車にぴったりハマるのです。

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2番ホームから見た有間川駅駅舎、2005年10月撮影。

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駅の山側にある小道脇の展望?スペースから有間川駅構内直江津方を見る、2005年10月撮影。

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同じく名立駅方を見る、2005年10月撮影。

有間川駅を行き来する車両・列車群。

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475系電車四態。上二枚は2010年5月、下二枚は同年6月撮影。
駅取材自体は2005年10月で一応終えていた当駅でしたが、昨年5月と6月に再訪。
その目的は前回、前々回で撮れなかった475系と全廃される419系(クハ419)を撮影する為でした。
車両運用表を調べて出来るだけ撮りはぐれのないように、また稀少なクハ419が運用に入っていますよーにと、無神論者のクセに神頼みでございました。

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419系電車三態。
一番上が2005年5月撮影、下二枚は2010年6月撮影。
ワンチャンスでクハ419を撮れたのはラッキーという他無し。

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JR時代末期になって、直江津-糸魚川間で運用を開始した413系電車の直江津行が有間川駅に到着、2013年10月撮影。

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有間川駅を通過する485系電車R編成の特急「北越」金沢行、2010年6月撮影。

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同じく485系電車T編成の特急「北越」新潟行、2010年6月撮影。
「北越」撮影は国鉄色を狙っていたのですがこの日は空振り。
「北越」の車両運用が少々難しくて、私レベルでは特定が不可能です。
よって極めてアバウトにアタリをつけて後は天に運を任せるのみ。

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有間川駅を通過する特急「はくたか」
上二枚が金沢行(2010年6月撮影)、下二枚が越後湯沢行(2005年10月撮影)。

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有間川駅から国道8号線に出る正規の小道、2010年5月撮影。
ご覧のような道幅で、車で駅前に進入するのは無理です。

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有間川駅前国道8号線の様子、2010年5月撮影。
上は谷浜方、下は名立方です。
駅周辺にコンビニやスーパーはありません。
上の画像の道路の左右にバス停が確認出来ます(待合所有り)が、このバス停は頸城バス名立線/能生線のもので、直江津駅南口と谷浜、有間川、名立駅をダイレクトに結んでいて、北陸線の補完として使えます。
なお、当駅付近には桑取線も設定されていて、当駅へは「新有間川」もしくは「有間川橋」バス停から西へ約1km。

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有間川駅の谷浜方至近にある「有間川フィッシャリーナ」(有間川
漁港)、2010年6月撮影。
私は釣りに全く興味が無いのですが、釣りスポットとして知名度は高いようです。

2010年6月上旬、一応撮るべきものを撮り、漁港も見物して
この日の目的は一応終了。
しかし次の直江津行まで一時間以上あります。
天気がかなり怪しくなってはまいりましたが、せっかくの機会でもあり谷浜駅まで旧北陸線の廃線跡を活用したサイクリングロードを歩いてみる事に。

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有間川橋とその先の旧線橋脚跡?

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国道8号線と現北陸線の狭間の細道を淡々と進みます。

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旧長浜トンネル有間川方入口。
鉄道トンネルをそのまま活用しています。
長さ467m、通過時間2分との由・・・という事は時速14km!
この辺の人はそんなに歩くのが速いのか!? 
私なぞは時速8kmで4kmも歩くとかなりキツいゆーとるのに!!
・・・などとこんなところで何故か憤ってふと考えてみれば、ここはサイクリングロードでしたな、成る程納得。

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トンネル内の様子、緩やかにカーブしているのが少々怖いw
向こう側から怖い人が急に飛び出してきたら目も当てられませんな。

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旧長浜トンネル谷浜方出口。

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トンネルを抜けた頃から空が明るくなり、心配していた雨に降ら
れる事無く無事に谷浜地区に到着です。

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2010年1月16日 (土)

谷浜駅(北陸本線)

本日の駅紹介は北陸本線・谷浜駅。

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新潟県上越市に所在する無人駅で、明治44年(1911年)7月1日の開業です。
開業当時の所在は中頸城郡谷浜村で、同村の玄関駅でした(他に谷浜村内の駅として有間川駅があります)。
当村はその後、昭和30年(1955年)に直江津市に編入され、更に高田市と合併して昭和46年(1971年)に上越市となり今日に至っております。

谷浜駅は南側の山地と北側の日本海に囲まれた狭隘な地形にありますが、山並みがまだ低い事と駅から少し距離がある事、駅と海岸の地面がフラットである事から、同様に狭隘な立地の浦本駅に見られるような圧迫感はありません。
駅無人化の時期については資料が無く残念ながら解らなかったのですが、ウィキペディアによると当駅の荷物取扱い廃止が昭和59年(1984年)2月の事で、その時点までは確実に有人駅だった事になります。
北陸線新潟県内区間のローカル駅の幾つか有間川、浦本、梶屋敷)は複線電化の代償による合理化で早々に無人化されてしまっていますけれど、当駅の場合は後述の海水浴場という県下では有名な観光資源のごく至近にある事がかなり大きなアドバンテージになっているものと推察できます。
何しろ当駅の跨線橋は海水浴客の利用を見込んで駅の規模に似つかわしく無いほど間口も通路も広く(昭和43年7月竣工)、駅前には海水浴客を明確に意識した形で「駅前通り」が形成されているのですから。

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谷浜駅駅舎の様子、上は2013年5月、下は2004年4月撮影。
建築財産票を確認出来なかった為、残念ながら竣工年月は不明。
相当に古い造りの建物で、親不知駅市振駅、梶屋敷駅と同様に開業時からの建物ではないかと強く思わせます。
ホーム側の梁の多い上屋や旧改札口の鉄柵など、いぶし銀の風格で見れば見るほど味があり、個人的にはこういう駅舎が最も好みです。

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谷浜駅前広場の様子、2010年5月撮影。
明治期開通の小駅の駅前広場としては普通の大きさと言えましょう。

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北陸本線と並走する山側の県道の谷浜駅付近の様子、2010年5月撮影。
通りには民宿数軒と酒屋、それに昔ながらのみやげもの店が一軒。
かつては海水浴客でそれなりに繁盛していたと思われる風情ですが、昨今はどうなのでしょうか・・・?
凡百の無人駅駅前と比べ、オフシーズンの人影はまばらながら清潔感があり、寂れてはいても「廃れた」という負の印象をあまり抱かせないのは流石「観光駅」の城下です。
この時点ではこの通りにも海側の国道8号線にもコンビニ等はありませんので、当駅に下車滞在する際はそれなりの用意が必要かもしれません。

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谷浜駅駅舎内部の様子、上は2013年5月、下は2006年10月撮影。
駅舎内は吹き抜けで、撮影当時は自動券売機が一台と旧窓口の反対側にJR西日本定番の茶色い一人掛けベンチが八脚。
自動券売機は消費税の8%化の時に「増税分に対応できないから」という理由で撤去されています。
要するに、「翌年には自社から切り離す、それもローカルな駅にカネをかけて券売機なぞ置けない」ということです。
言い分は分からないでもないですけれど、JR東日本は同じ境遇の諸駅にもきちんと対応していましたからねぇ。
まぁ北陸本線と信越本線とでは、同じ切り離す対象路線であっても需要は倍以上違うのですが。
しかしそれを踏まえても、JR西日本に対する印象があまり良くないのは確かです。
おっと閑話休題、トイレもありますが非水洗でそれはそれは・・・(涙)。
後述する海水浴場のトイレは水洗でとても綺麗ですので、大きい用足しの場合は我慢出来るのであればそこまで歩くのをお勧めします。

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かつての荷物出入り口か、2010年5月撮影。
古い時代に作られた駅のこういう小さな遺構も実に良いのです。

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谷浜駅駅舎の構内側と隣接する跨線橋出入り口、2010年5月撮影。

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1番線の有間川駅方から見た谷浜駅構内の様子、2010年5月撮影。
右横の旧貨物線の横取り線には保線車両が留置中。
当駅は2面3線の立派な構内ですが、中線は定期運用を止めて久しい模様。

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ホーム端から有間川駅方を見通す、2010年6月撮影。

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1番線の直江津駅方から見た谷浜駅構内、2010年5月撮影。
画像中央の薄緑色の跨線橋は構外の自由通路です。
谷浜駅と海側の連絡は不便で、踏切は有間川駅方のみで、しかも駅からは少々距離があります。
ゆえにこの自由通路は歩行者にとって極めて重要なインフラなのです。

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谷浜駅跨線橋内部の様子、2010年5月撮影。
かつて、盛夏は海水浴客がこの幅広の通路を賑やかに行き来していたのでしょう。

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跨線橋上から見た谷浜駅構内の有間川駅方の様子、2010年5月撮影。

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同じく直江津駅方を望む、2010年5月撮影。

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谷浜駅構内の幅広の跨線橋、2010年5月撮影。
聞き及んだところでは無人化後も夏季には駅員が臨時配置されていたという事で、北陸線新潟県内区間のローカル駅にあって唯一レジャー観光で客を呼べる駅がこの谷浜駅だったのです。
しかし最近では、海水浴というレジャー自体の地盤沈下に加えて言うまでも無いクルマ社会化・・・。
上越市統計年鑑によると谷浜駅の年間乗車人員は平成19年度で11,681人(一日平均約32人)、同15年度は年間13,358人(一日平均約37人)。
かつてはずっと格下であったはずの有間川駅の19年度は年間15,630人(一日平均約43人)。
周辺人口は今でも谷浜地区の方が多いようにも思えますけれど、この乗車人員逆転の理由はうーむ・・・?
いずれにせよ有間川駅より少ないこの利用実態、今日では海水浴客の利用もほとんど無いのでは(せいぜい定期利用出来る高校生グループぐらいでしょうね)?

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島式ホームの有間川駅方から見た谷浜駅構内、2010年5月撮影。
ホームの左側が直江津方面乗り場です。

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駅舎、跨線橋、待合室と三点セットの揃った谷浜駅構内の中心部、2010年5月撮影。
画像中央の中線はこの時点で本線と繋がっているものの、少なくとも旅客列車の定期運用は無し。
ダイヤが乱れた時の為に維持しているのかもしれませんが、北陸新幹線が開業して特急「はくたか」「北越」が廃止されてしまえばその必要も無くなるでしょう。
第三セクター転換後は撤去されるかもしれません。

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島式ホーム上から見た谷浜駅駅舎の構内部分、2004年4月撮影。

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島式ホーム上の小さな待合室と、下り線左横の横取り線、2010年5月撮影。

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島式ホーム上の待合室内部の様子、2010年5月撮影。
ベンチは昔のままで少々汚く、居心地はあまりよくありません。
お金持ちのJR東日本ならベンチの交換ぐらいはしているところですが、そこはやはりフトコロ具合との相談なのですな。

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島式ホーム端から直江津駅方を見通す、2010年5月撮影。
画像左の横取り線の本線直江津駅方との接続は切れています。

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有間川方の踏切から見た谷浜駅構内、2010年6月撮影。

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北陸本線と国道8号線上にかかる構外跨線橋の様子、2013年5月撮影。
秋に行くとここにはアシナガバチが群れていて、紅顔の美幼児の頃にまぶたと耳を刺されたことがトラウマになっている私にとっては、渡る数秒間がとてつもない恐怖。

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構外跨線橋上から見た谷浜駅構内の直江津駅方、2010年5月撮影。
跨線橋は前述のように線路と国道8号線を跨いでいるので、当地の交通インフラ双方の様子をよく観察できるのです。

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同じく有間川駅方を見る、2013年5月撮影。

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構外跨線橋上から見た、谷浜駅を通過する485系電車R編成の金沢行特急「北越」、2004年4月撮影。


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谷浜駅3番線を出発する直江津行419系電車、2004年4月撮影。


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谷浜駅3番線に停車中の、所謂「食パン顔」の419系電車直江津行、2010年5月撮影。

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谷浜駅1番線に停車中の419系電車富山行、2010年6月撮影。


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谷浜駅3番線を出発する475系電車直江津行、2010年5月撮影。

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谷浜駅1番線に停車中の475系電車富山行、2010年5月撮影。

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谷浜駅1番線に停車中の415系電車富山行、2013年5月撮影。
2011年3月改正で運用離脱した419系電車に代わって、直江津-糸魚川間の運用に入るようになった電車です。

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谷浜駅3番線を通過する485系電車T編成の特急「北越」新潟行、2013年5月撮影。

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谷浜駅1番線を通過する485系電車T編成の特急「北越」金沢行、2013年5月撮影。


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谷浜駅3番線を通過する特急「はくたか」越後湯沢行、2013年5月撮影。

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金沢行特急「はくたか」が谷浜駅1番線を通過、2010年6月撮影。

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谷浜駅から構外跨線橋を渡ればそこは谷浜海水浴場です、2010年5月撮影。
「北陸随一遠浅な海水浴場」がキャッチフレーズ。

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春の谷浜海水浴場と日本海、2010年5月撮影。
砂浜にゴミは少なく流石は名にしおう名海水浴場です。

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2009年8月29日 (土)

青海駅(北陸本線)

本日の駅紹介は、北陸本線・青海駅。

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新潟県糸魚川市に所在する有人駅で、駅開業は1912年(大正元年)10月15日。
開業当時は西頸城郡青海村の玄関駅で、その後青海村は1927年に町制を施行、2005年(平成17年)3月に糸魚川市と合併して今日に至ります。

駅紹介前回エントリーにして当駅の隣駅・親不知駅周辺同様、当地も日本有数の石灰石の産地で、天保年間から早くも農業に石灰を利用していたそうです。
1892年(明治15年)には青海石灰組合が設立。この頃から産業としての石灰利用が行われ始めたのでしょう。
青海駅設置に当たっても、石灰石を鉄道輸送する利便性の見地から、その位置は石灰石業者の山元に近いところとする意見が強く反映され、結果青海村の中心部を南北に分断する形で駅が造られました。
町の市街地分断というデメリットは生じたものの、1921年(大正10年)に電気化学工業(株)(通称デンカ)が当地に進出すると、青海村は急速に発展してついには町制への移行も成し遂げます。
当駅の貨物輸送も石灰石の恩恵を大きく受けて、国鉄金沢鉄道管理局のドル箱となり、一時当駅に並び隆盛を誇ったものの短期間で沈んでしまった親不知駅に対し、青海駅の石灰石輸送はその後も堅調で1979年度(昭和59年)の当駅貨物輸送量は220万トンで全国第8位の規模。
金額ベースで39億円強、その大半は石灰石と、それを原料としたセメントです。
この頃、当駅の一日当たり乗客は900人台でその収入は30万円台との事。
それに対し貨物収入の一日平均は一千万円以上、いかに貨物(石灰関連)に特化した駅であったかがよくご理解いただけるかと思います。
その後、1984年(昭和59年)ダイヤ改正ではデンカ専用線発着以外の貨物取り扱いを廃止(これは他の大多数のローカル有人駅と同様)。
その後はトラック輸送に押され、ついに2008年(平成20年)3月15日、定期貨物列車の設定を廃止して「青海オフレールステーション」を開設し、貨物輸送を全面的にトラックへ切り換えました。
デンカ青海工場と当駅を結ぶ専用線も、この2日前に運行を終了しています。


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EF510形電気機関車牽引の貨物列車が青海駅に到着、2006年10月撮影

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JR貨物青海駅構内で入れ替え作業中のEF510形電気機関車、2006年10月撮影。

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さて青海駅は新潟県内初の橋上駅で、その竣工は1968年8月です。
2005年6月撮影。

前述のように駅設置により町中心部が南北に分断されてしまい、永らく不便をかこっていた為、駅舎改築に当たっては地域住民の意見を反映して自由通路付きの橋上駅舎としました。
駅舎内は0720~1820営業の窓口と自動券売機が一台。
2006年当時、窓口営業時間内は券売機は使用停止で、窓口できっぷを買うようになっていました。

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青海駅橋上駅舎内の様子、上二枚は2009年6月、下は2004年3月撮影。

通路は広く数台ある改札口が印象的。
その分、土日日中の人気の無さが一層強調されています・・・。
この改札群、駅改築当時の朝夕にデンカ関連への通勤客で賑わった証なのでしょうか。
窓口の反対側にある待合室は横長で、JR西日本定番のこげ茶の一人掛けベンチが壁際にズラリと並んでおります。
こちらも現在の青海駅推定利用客に対して明らかに過大です。
また飲料自販機とトイレは駅正面(北口)にあります。

駅北口から駅前通りを五分も歩けばそこは日本海の大海原。
しかし海岸からの見通しはいたって地味です・・・。
海岸手前には国道8号が通っておりますが、信号がそこここにあるせいか、浦本駅梶屋敷駅、親不知駅周辺のように信号が無い為に切れ目無く車が行き交う光景はありません。
駅前周辺は官公庁と銀行以外目立つものはなく、旅館の看板を二軒確認、また営業中の菓子店が一軒という程度。
街中をぐるりと歩いた2006年10月時点では、少なくとも駅北口至近にスーパーやコンビニは無く、土曜の夕方なのに人気が全くありませんでした・・・。
南口は線路に沿ってさらりと歩いただけなので、デンカ工場のある南方へは行きませんでしたがそちらには何かしらあるのでしょうか。

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青海駅北口通りの様子、2006年10月撮影。

駅南口は民家が密集しており、細い路地が多いことからかなり昔からのものと思われます。
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青海駅南口の様子、2009年6月撮影。

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駅南側の町並み、2006年10月撮影。
デンカのうすら高い煙突がランドマークと言えましょうか。

線路沿いを糸魚川方面に歩けば旧貨物線を至近に見、親不知方面に歩けばデンカ専用線の踏切を通れます。
青海駅構内から左カーブしてデンカ工場へ通じる、今や物言わぬ二条のレールを望見するのもまた一興かと。

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南口至近の専用線踏切から青海駅側を望む、2009年6月撮影。

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同じくデンカ工場側を望む。

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糸魚川方の陸橋上から青海駅方向を望む。

青海駅構内は旅客用の島式ホームと、その隣(南側)にある貨物用ホーム。
貨物用ホームは現在は使用されておらず、またホームへの出入りも禁止されているので仔細に検分する事は出来ません。

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島式ホームの糸魚川駅方から見た青海駅構内、2005年6月撮影。

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島式ホームの親不知駅方から糸魚川側を望む、2005年6月撮影。

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橋上駅舎自由通路から青海駅構内の糸魚川駅方を望む、2008年5月撮影。

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同じく親不知駅側を望む。
手前の貨物列車はデンカ専用線のものです、2004年3月撮影。

青海駅の駅舎とホームは親不知駅側終端で連絡されており、当駅利用客は必然的に富山方面行きの場合は電車先頭車両に、直江津行の場合は電車最後部に固まる事になります。
なお他の北陸本線の諸駅同様に、ホーム上に接近警告機が置かれております。

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419系電車富山行が青海駅を出発、2004年3月撮影。


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青海駅に停車中の475系電車富山行、2005年6月撮影。


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475系電車国鉄交直流急行色の富山行が青海駅を出発、2009年6月撮影。

かつて、昭和57年11月ダイヤ改正までは当駅と新潟駅を越後線経由で結ぶ気動車急行「ひめかわ」が運行され(早朝当駅を立ち、夜戻ってくるパターン)、「ひめかわ」廃止後は県都新潟との出張往来を考えて、特急「北越」に能生駅共々、朝の新潟行と夜の金沢行を停車させていました。
しかし余程需要が無かったのか、あまり時を経ずして通過となってしまい、その後特急列車の停車は一切無いまま今日に至ります。
北陸線の第三セクター化まであと六年、青海駅はこのまま特急停車の勲章を得ないまま、その日を迎えてしまうのでしょうか?

2015年11月3日追加

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デンカ専用線運行終了から約五年半後の様子、2013年5月撮影。
ご覧のように、レールは完全に撤去されていました。

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青海駅を通過する金沢行特急「はくたか」、上は2013年10月、下は2014年5月撮影。

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青海駅糸魚川方の跨線橋上から撮影した、金沢行特急「北越」、2014年5月撮影。
交流区間は架線柱が物々しくて、こういう画はあまり見栄えがしませんな。

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JR時代末期になって、青海駅界隈でもそれまでの朝晩のみから日中でも目にするようになった413系電車。
上は2013年10月、下は2014年5月撮影。

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やはり違和感バリバリの、青一色413系電車、2014年5月撮影。

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重量感たっぷりで青海駅を通過するEF510形電気機関車牽引の貨物列車、2013年10月撮影。

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2009年8月14日 (金)

市振駅(北陸本線)

本日の駅紹介は、北陸本線・市振駅。

2017年4月15日記、旧記事を新記事に統合し、画像を一部貼り替え加筆修正しました。

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新潟県糸魚川市の西端・・・というよりは、我が県最西端の駅であります。
開業は大正元年(1912年)10月15日で、開業時の所在は西頚城郡市振村。
市振村はその後、昭和29年(1954年)10月1日に隣接する青海町に編入、さらに平成17年(2005年)3月19日に糸魚川市と合併して今日に至っています。

富山県泊駅から青海駅まで北陸本線を東へ延伸するに当たって、泊駅-親不知駅間に設置する駅については沿線の富山県宮崎、境両村と新潟県市振村が名乗りを上げたそうです。
しかし折り悪く当時コレラが流行していた事から、病気の伝染を助長する糞便を撒き散らす汽車はノー!という事で境村が誘致合戦から撤退。
残る宮崎村と市振村の争いの末、極めて弁のたったという市振村長の活躍で、立地条件にさしたる利点があるわけでもない市振村が勝ち残り、目出度く市振駅誕生の運びとなりました。
(敗北した隣の宮崎村には、昭和32年10月15日に越中宮崎駅が新設されています)
ただ、村にとってちょっと痛かったのは、村名を駅名とする事にこだわったばかりに、全国的な知名度のある「親不知」の名前を使わなかった事です。
日本海と山地に挟まれた急峻な難所である親不知は、市振駅と親不知駅(駅間8.6km)の中間にあります。
現在の親不知駅の駅名(当時の所在は西頚城郡歌外波村)ははっきりと決まっていなかったので、その気があれば市振駅を親不知駅と命名する事も可能でした。
当時は所在自治体名や地名を駅名とするのが常識でしたので、親不知という名前の持つネームバリュー(当時は「難所」というネガティブイメージが先行していて、新駅の名前にはふさわしくないと考えられたのかもしれませんが)を村の振興に活用するという発想はなかったのでしょうけれど・・・。
市振村が新駅の村名命名にこだわったおかげで、隣の歌外波村は村の駅に村名を使わずに知名度の高い「親不知」と命名、これが現在の親不知駅であります。

古い資料で恐縮ですが、糸魚川市統計要覧によると市振駅の平成19年度(2007年度)の年間乗車人員は20,435人で、定期利用者率は約80%。
単純計算すると1日平均約56人になります。
この数字はトンネル駅として知名度の高い筒石駅とほぼ同等で、旧糸魚川市近郊の梶屋敷駅の約半分になります。
駅周辺の鄙びた風情を考えると、中々に健闘しているように思われる数字ですけれど、
この数字は2005年度比で約22%の減。
一年で二桁の減少率ですから、10年後の現在(2017年)は単純計算すると20人前後まで落ち込んでいる可能性も無いとは言えないのです。

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市振駅駅舎の様子、2013年10月撮影。
建築財産票によれば、竣工は明治41年(1908年)10月。
明治大正の駅舎特有の上屋とその支柱の造作がこの建物にもしっかりあります。
当駅開業は北陸本線・泊-青海間開通の大正元年(1912年)10月なので、建築財産票の表記が正しいのであれば、駅開業の4年も前に完成していた事になります。
泊-青海間の開通が遅れた為にこのような差が生じたのでしょうか?
建物の経年から考えて改築を考えるべきでしょうけれど、もしそうなったら待合室のみの小さな建物になってしまうのでしょう。
いやもしかするとホームに待合室を建ててそれで終了かも。
駅の敷地は国道を往くドライバー向けの休憩所に転用するのもあり得ますな。

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市振駅前広場の様子、2009年6月撮影。
駅前を通る国道8号線出入り口に派出所があります。
私が最初に当駅を訪れた2004年3月には市振-泊間の路線バスが乗り入れていましたが、その直後に廃止されてしまいました。
2017年3月時点では、富山県朝日町運営のあさひまちバスと糸魚川市の青海地域コミニュティバスが乗り入れています。
あさひまちバスは平日のみの運行で市振-泊間に上下9本が設定されていて、市振駅から国道を約1km西に進んで富山県に入ってすぐの「境東」バス停からは市振便に加えて泊との間に上下17本が走っています。
平日限定とはいえ、本数は比較的多く利便性は中々のものです。
このバスだと越中宮崎駅、泊駅への移動に使えます。
一方、青海地域コミニュティバスは市振-親不知-青海間に運行されていますけれど、金曜日のみの運行でしかも要予約です。
来訪者が簡単に旅程に組み込めるものではなく、事実上当地域の方専用になっています。
市振地域は、行政上は糸魚川市になっていますが地域の方の移動実態としては富山県側ということなのでしょうね。
まぁここから青海までは約14km、糸魚川市中心部までは約21km。
対して泊までは約9kmですからそれも已む無しでしょう。

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市振駅前の国道8号線の様子、上は2009年6月、下は2013年10月撮影。
駅前のお菓子屋さんが、当駅付近唯一のお店です。
上の画像右側の建物は駐輪場です。
親不知駅付近では大型車がびゅんびゅん走っている国道も、この辺りでは交通量も落ち着いて見えるのが不思議なところ。
親不知ICから北陸自動車道に入るクルマがそれだけ多いということなのでしょうか。

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市振駅から国道を東に進み、市振集落へ向かう県道の分岐付近から振り返って一枚、2009年6月撮影。
空も一面曇って、ひどく蒸し暑い梅雨只中の日でしっけ。
当駅を訪れたのは2004年、2005年、2009年、2013年の四回ですけれど、どの訪問もこんな曇りか小雨模様で青空が見えたことはほとんど無かったですなぁそう言えば。

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国道から分かれて市振集落に向かう県道の陸橋上から市振駅構内を俯瞰で見る、2013年10月撮影。
電圧の高い交流電化区間だけあって、素人にもよくわかる物々しい重装備の架線柱です。
直流区間なら架線柱ももっとスッキリしていて、駅構内の様子もよくわかるのですけれど。

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市振駅駅舎内部の様子、2013年10月撮影。
有人時代の面影の残る吹き抜けの室内です。
隣の親不知駅駅舎と異なって構内出入り口に遮風板が設置されていません。
戸を閉めておかないと、特に冬は大変ですなこれは。

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島式ホームから見た市振駅駅舎と構内通路、2013年10月撮影。
構内踏切は新潟県内の駅では旧信越本線の脇野田駅と直江津以西の有間川、親不知、そして当駅のみ。
とりわけ直江津以西のモノの雰囲気はバリバリの下越人である私にとっては独特というより異質感満載で、越後というよりは最早越中の気配。
それもそのはず、ここ市振駅は新潟駅から約200kmの彼方なのです。
東京からだと郡山や掛川の手前まで、大阪からだと倉敷あたりというスケールなのですよ。

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市振駅島式ホームと駅舎の位置関係、2013年10月撮影。
上屋は一両分ほどで、その下にベンチが左右4脚ずつ設置されています。
上屋とベンチは親不知駅方に大きく偏った配置なので、列車撮影で待機している時は身の置き所に少々迷うのです。
構図的には列車と上屋と駅舎がセットになっているのが望ましいと個人的に思っているので、撮影の際は富山県側に立たなければなりませんが、列車が近づく毎にここからホーム端まで移動するのは面倒くさいのですよ。

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構内通路から親不知駅方を見る、2013年10月撮影。

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島式ホームの越中宮崎駅方から見た市振駅構内、2013年10月撮影。
はるか彼方の上屋と架線柱以外に遮るものがない幅広のホームは、のっぺりと平板な印象が強くて個人的にはあまり意欲が湧かないのです、
画像左側の遮風板も少々無骨に過ぎるかなぁ。
後背の親不知子不知の天険の風情は良いのですけれど。

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上の画の立ち位置から振り返って越中宮崎駅方を見る、2013年10月撮影。
画像左の横取り線は、ご覧のように富山県側の本線とは繋がっていません。

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少々退屈な構内でアクセントになっているのが、明治期以来の煉瓦積みの小屋です、2012年10月撮影。

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市振駅を出発する475系電車富山行、2013年10月撮影。

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市振駅で行き違う上下の475系電車、2009年6月撮影。

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市振駅を出発して加速する413系電車、2013年10月撮影。


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市振駅に停車中の419系電車直江津行、上は2005年6月、下は2009年6月撮影。

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市振駅を通過する下り485系電車T編成の特急「北越」新潟行、2013年10月撮影。

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市振駅を通過する485系電車R編成の特急「北越」金沢行、2013年10月撮影。

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金沢行特急「はくたか」が市振駅を通過、2013年10月撮影。

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市振駅を通過する越後湯沢行特急「はくたか」、2013年6月撮影。

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市振漁港の様子、2009年6月撮影。
市振駅から東に500m程進むと市振集落に入ります。
市振集落はかの松尾芭蕉が宿泊した旧宿場町であります。

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市振小学校校庭前に立つ「市振関所跡」、2009年6月撮影。
江戸時代の全国五十三関所中重要二十三関所の一つで、陸路と海上両方の監視拠点でした。
駅から集落への入り口に小学校があり、土曜の午後とあって子供達がそこかしこで歓声奇声を上げて遊んでおり、賑々しい印象。

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市振集落を通る県道の様子、2009年6月撮影。
集落内には美容院と、営業しているのか定かでない雑貨店。
この辺は、駅のイメージとリンクした鄙びたものです。

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市振集落の終端にあるのが、画面右側にある糸魚川市文化財の「海道の松」、2009年6月撮影。
その樹齢は200年以上だとか。
昔の北陸道は、この松から海岸に下りて、悪天候時や冬場はまさに命がけで天下の険・親不知子不知を越えて東へと向かったのです。

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2009年8月 8日 (土)

親不知駅(北陸本線)

本日の駅紹介は北陸本線・親不知駅。

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新潟県糸魚川市に所在する無人駅で、1912年(大正元年)10月15日の開業です。
開業当時は西頚城郡歌外波村の所在で、同村の玄関駅でした。
隣の市振村が著名な「親不知子不知」を有しているにも関わらず、村名をそのまま駅名としてしまった為、歌外波村がネーミングをゲットして村の駅に「親不知」の名を冠しました。
当時は観光よりも難所のイメージが強かったでしょうし、そこから生じるネガティブなイメージが市振村をして「親不知」の名を駅に命名するのを躊躇した向きもあるのでしょう。
それとは逆に自村のこれといった明確なイメージの湧かない名前よりも、「親不知」というインパクトの高い名前を取った歌外波村。
対照的な行き方を見せた両村の損得勘定はどうだったのでしょうか・・・。

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駅前の「親不知子不知」観光案内板、2006年10月撮影。

なお、歌外波村も市振村も戦後の昭和29年10月1日をもって青海町と合併、その青海町も平成17年3月19日に糸魚川市と合併し、現在に至ります。

さて親不知駅は南側から迫り出す山地と北側の日本海に囲まれた狭隅な立地条件にあります。
当地から旧青海町にかけての山地一帯は日本有数の石灰石の産地で、明治になると地元による石灰石採掘が始まり、1917年(大正6年)には「帝国石灰」(東海電極製造)が農業用石灰採取を開始、1927年(昭和2年)に「信越化学」が鉱業所を設置、1936年(昭和11年)には「大日本セルロイド」が進出し、「信越化学」と「大日本セルロイド」が石灰石を新井・直江津・富山・武生の各社関係工場に貨車輸送する事から、親不知駅は石灰石の集積出荷拠点として大いに賑わったそうです。
資料によると、1964年(昭和39年)には年間667万トンを取り扱い、当時の国鉄金沢鉄道管理局管内の貨物営業では、隣の青海駅と並ぶ稼ぎ頭で駅員も三十人を越えていたとの事!
しかし青海駅がその後も石灰石輸送で重きを成したのとは対照的に、当駅の貨物取り扱い量はその後急減・・・。
資料には触れられておりませんでしたが、従来の採掘場からの石灰石の枯渇と更なる採掘場の開発には、青海周辺と比べて峻険な地形が災いして採算ベースに乗らずに順次当地から撤退・・・というところなのでしょうか?
かくして石油ショック後の昭和52年(1977年)には貨物取り扱い量はたったの9000トン!(驚!)
この年の5月に貨物取り扱いを廃止しています。
ウイキペディアによるとこの時石灰採掘専用線も廃止されたとの事ですが、今日ではその痕跡を見出す事は出来ません。
(専用線の詳細をご存知の方、ぜひともご教授お願い致します)
その後は周辺人口に見合うローカル駅らしく、荷物廃止を経て無人化(ウィキペディアによれば1994年)され今日に至ります。

旧歌外波村の集落は山地にわずかに開けた谷間に沿っていて、周辺は新潟県下有数の地すべり警戒地域。
注意喚起の立て札も駅周辺に見られ、地元の方々の気苦労が察せられます。
駅前通りには糸魚川寄りに郵便局、市振寄りに旅館が一軒といったところで、スーパー・コンビニは勿論雑貨屋も無く、駅周辺での食料調達は出来ません。

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駅前通りの糸魚川方から親不知駅方を望む、2006年10月撮影。

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駅前通りの駅側から糸魚川方を望む、2006年10月撮影。

駅前通りを一旦糸魚川方向に進み、北陸線のトンネル手前を陸橋で乗り越えて国道8号線へ出て1kmほど富山方向に進むと道の駅「親不知ピアパーク」があります。

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国道から望む弥生三月の日本海、2004年3月撮影。

「親不知ピアパーク」にはレストランや休憩所がありますので、鉄道でこの地に降り立ち、撮影などで長時間滞在する場合はこちらで日本海を眺めながら休憩するのも良いでしょう。
また道の駅への道中左手には、北陸自動車道橋脚建設が影響したとされる消失したかつての砂浜とその向こうの親不知駅全景を望めます。

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国道から見た親不知駅全景、2009年6月撮影。

国道の歩道の幅は非常に狭い上に、高速で行き来するトラックやダンプの煽り風、そして日本海から吹きつける海風が複合して、風の強い日や悪天候の日の国道歩行は危険でお奨めできません。
そんな日は、体重の軽い人は大型車が通過する際、立ち止まって踏ん張らないと冗談抜きで車と接触しかねません・・・。

さて駅に戻りまして、親不知駅駅舎は建築財産票によれば大正元年6月の竣工。

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親不知駅駅舎の様子、2009年6月撮影。

駅開業の四ヶ月前には完成していた事になります。
駅舎に増築したような形で恐らくは当駅華やかかりし頃の駅員宿舎?が現在も残っております。
見たところテレビアンテナはなさそうですが、現在でも保線の休憩所として使用されているのでしょうか?
駅事務室同様に現在では不要なスペースに見え、建物自体の経年を考えれば六年後の北陸線第三セクター化前後には、待合室機能のみの簡素な建物に改築されてしまうのでしょうね・・・。

駅舎内は現在待合室の機能のみで、室内には自動券売機一台と分別ゴミ箱、木製のベンチが二脚に異常時連絡用?の黒電話が一台。
日中は照明が点灯しておらず、駅手前まで迫る山地の陰になっている事も相まって、室内は薄暗いです。
まぁ、そのおかげで光に集まる小虫の類は日中待合室内に不必要に入ってきませんので、虫が鬱陶しい向きには比較的過ごし易いのが利点と言えましょうか。

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2009年6月撮影、流石に夕暮れともなれば点灯します。

駅出入り口には飲料自販機とTELBOXが置かれております。
トイレは駅舎とは別棟にあり非水洗です。内部はこのクラスの駅のそれにしてはなかなか綺麗でした。

親不知駅構内は幅の狭い島式ホームが一本です。

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島式ホームの市振駅方から親不知駅構内を見る、2004年3月撮影。

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島式ホームの構内通路から市振駅方を見る、2009年6月撮影。

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ホーム上屋の様子、2009年6月撮影。
上屋は2両分程で、歴史の古い駅のそれとしては短めです。

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市振駅方に向かってゆるやかな曲線を描くホーム、2009年6月撮影。

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駅前通りから見た親不知駅全景、2014年5月撮影。

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駅前通りの青海駅方から見た親不知駅、2014年5月撮影。

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駅舎とホームを結ぶ構内踏切の様子、2009年6月撮影。

海岸側には北陸自動車道と国道8号線の高架群が絡み合いながら雄渾に屹立していて視界を遮り、ホームから日本海の大海原を望見する事は残念ながら出来ません。
予備知識のない方は「親不知」という名前に惹かれて下車なんて事もあるのかもしれませんが、この光景にはさぞやがっかりと心中お察し申し上げる次第であります。

海岸側にはかつての貨物用側線跡とおぼしきスペースがありますが、現在は保線用と思しき側線が一つ。
下り本線(糸魚川方面)とは繋がっておりますけれど、途中から俄かに草生していており、ホーム中ほどの位置で車止めです。

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弥生三月の朝、親不知駅に停車中の糸魚川行413系電車、2004年3月撮影。
ちらりと見える海の蒼さが印象的。

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親不知駅に停車中の419系電車直江津行、2004年3月撮影。
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親不知駅を出発する所謂「食パン顔」の419系電車富山行、2009年6月撮影。

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親不知駅に停車中の475系電車直江津行、2009年6月撮影。

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475系電車停車中に親不知駅を高速通過する485電車T編成の金沢行特急「北越」、2006年10月撮影。

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親不知駅を通過する金沢行特急「はくたか」を駅前通り富山方から見る、2006年10月撮影。

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同じく485系電車T編成の新潟行特急「北越」。

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親不知駅を通過する485系R編成金沢行特急「北越」、2004年3月撮影。





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日没直前の親不知駅を出発する475系電車国鉄交直流急行色の富山行、2009年6月撮影。

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親不知駅を出発した青一色の413系電車富山行2014年5月撮影。

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2009年6月28日 (日)

梶屋敷駅(北陸本線)

本日の駅紹介は北陸本線・梶屋敷駅。

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新潟県糸魚川市に所在する無人駅で、1912年(大正元年)12月16日の開業です。

開業後長きに渡って有人でしたが、1970年(昭和45年)春に隣の浦本駅他同様に、北陸本線糸魚川-直江津間の複線電化の代償的合理化施策で無人化されて今日に至ります。
なお開業当時は西頚城郡大和川村の所在で、大和川村は戦後の昭和29年6月に糸魚川市に編入されて今日に至っています。

隣の浦本駅は浦本村の玄関駅として機能出来るのにもかかわらず、戦後までその設置が認められずに苦労したのに比べ、梶屋敷駅は北陸本線・名立-糸魚川間延伸開通時に設置されていて、その待遇の差は歴然でありなんとも妙です。

梶屋敷駅は平野部、浦本駅は山と海に挟まれた地形という駅設置の立地条件の差も少なからず関わっているとは思いますけれど・・・。
開業から暫くの間、当駅は近隣の浜で採れる海産物の輸送で賑わったそうですが、梶屋敷地区には漁港は無し、一方浦本地区には浦本漁港があるのです。
やはりこの手の話によくある自治体(村)の当局に対する政治力の差だったのでしょうか?

さて当駅の駅舎は古き良き日本家屋の雰囲気を今に残す、真に味のあるいぶし銀。
まさに「古豪」と呼ぶにふさわしい佇まいです。

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梶屋敷駅駅舎全景、2006年10月撮影。

建築財産票が見当たらなかったので竣工年月は確認出来なかったのですが、受ける印象から察して開業当時からのものと推察されます。
駅舎内部は広々として、鉄道隆盛時代の幹線有人駅の賑わいぶりを今に伝えておりますけれど、土日は人っ子ひとりいないガランとした寂しさ。

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梶屋敷駅駅舎内の様子、2009年6月撮影。
一台置かれている自動券売機も所在なさ気です。
ホームに出て、発着する上下の普通列車を見ても乗車は双方合わせてたったの3人。
後述する国道の賑わいぶりを見るとその差は歴然です。

駅前広場も広く、月極駐車場を置くだけの余裕があります。
でもこの辺りじゃあ、自動車通勤当たり前でしょうけれどね・・・。

駅と国道8号線の間には、一応駅前商店街を形成する通りがあります。

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土曜の昼下がりの梶屋敷駅前通り、営業しているのは理容店と酒屋が一軒きり。
2006年10月撮影。

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国道8号線はご覧のような通行量。これがなかなか途切れません、2006年10月撮影。
沿線の信号機の絶対数が少ない上に、歩行者横断は概ねボタン式なのがその原因かと。
それだけ歩行者が少ない事の表れでもあります。
なお国道には糸魚川バス運行のバス路線が設定されています。

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かつては漁で賑わったという梶屋敷の浜、2006年10月撮影。
この画は浦本(上越)方面を望んだものです。
糸魚川方面はテトラの群れとゴミで画になりません。

さて駅に戻って構内を見分。
梶屋敷駅構内は二面三線で二面のホームは糸魚川側に向けて緩やかなカーブを描きつつ伸びています。

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1番線の糸魚川駅方から見た梶屋敷駅構内、2004年3月撮影。

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北陸本線を横断する陸橋から見た梶屋敷駅構内の直江津方、2006年10月撮影。


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1番線の浦本駅方から見た梶屋敷駅構内、2006年10月撮影。

ホームはなかなか長大で、蒸機牽引の長大編成列車が発着していた鉄道隆盛時代の面影はここにもよく残されております。
現在使用されているホームは駅舎側1番(直江津方面乗り場)と旧島式の3番(糸魚川側)で、北陸本線の駅定番の列車接近警告アナウンス付き。
旧中線の2番は線路がホーム中ほどから糸魚川方面は撤去済み、直江津方面には車止め付きで残存していて、上下本線とも繋がっており生きていました。

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旧島式ホーム端から浦本駅方を見通す、2004年3月撮影。
この旧中線、保線作業の際に工事車両が出入りする事があるのかもしれません。

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旧中線の終端と島式ホーム上の待合室、2012年6月撮影。

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跨線橋上から梶屋敷駅構内直江津方を見る、2012年6月撮影。

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梶屋敷駅跨線橋内の様子、2012年6月撮影。
この時はきれいでしたが・・・

二面のホームは跨線橋で連絡・・・しかしこの跨線橋がなかなかパンチ効いてます。
私が当駅を二度目に訪れたのは2006年の秋。
その時、跨線橋の内部は小型のスズメバチさんたちの巣窟・・・。
息を止めタイミングを計って一気に抜けるより手は無し。
行かなきゃ糸魚川方面への電車には乗れない・・・。
無事成功は致しましたが、もう生きた心地がしませんでしたよ・・・(半泣)。
ホーム上にもやたら虫が多くて、カメラを構えたところを見計らったように顔面に飛び付いてきやがるし!(怒)
ローカル無人駅廻りに秋口は鬼門です、ホントに。

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梶屋敷駅に進入した下り特急「はくたか」越後湯沢行、2004年3月撮影。

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梶屋敷駅を通過する越後湯沢行特急「はくたか」、2013年10月撮影。

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秋雨のそぼ降る舵屋敷駅を通過する485系電車R編成の特急「北越」新潟行、2013年10月撮影。


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梶屋敷駅3番線を通過する485系電車R編成の特急「北越」金沢行、2013年10月撮影。



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梶屋敷駅1番線に停車中の475系電車直江津行、2009年6月撮影。

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夕刻の梶屋敷駅1番線に停車中の国鉄交直型急行色の475系電車直江津行、2012年6月撮影。

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秋雨に煙る梶屋敷駅に停車中の青一色475系電車富山行、2013年10月撮影。

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梶屋敷駅を出発する413系電車富山行、2012年6月撮影。


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梶屋敷駅を出発する419系電車富山行、2009年6月撮影。

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2008年11月30日 (日)

浦本駅(北陸本線)

本日の駅紹介は、北陸本線・浦本駅。

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1950年(昭和25年)1月28日開業の新潟県糸魚川市に所在する無人駅です。
駅開業当時の所在は西頚城郡浦本村で、浦本村は昭和29年6月1日に糸魚川市へ編入され、今日に至ります。

浦本駅が所在する北陸本線・名立-糸魚川間は1912年12月の開通で、両隣の梶屋敷能生両駅もその時同時に開業しています。
しかし当駅は浦本村唯一の玄関駅にも関わらず、戦後まで駅設置は見送られてきました。
能生駅は所在する能生町の人口規模からして駅設置は当然なのですが、梶屋敷駅に対して大きく遅れをとった理由が今ひとつわかりません・・・。
当該区間の開通当時は梶屋敷駅近くの浜で海産物がよく採れ、その積み出しに駅が重宝されたとの話はあったようですが、浦本村にも漁港はありますしね・・・。
当時の村の政治力が弱かったとか、その類の生臭い話なんでしょうか?
この辺はもっとディープに調べる必要がありそうです。

さて浦本駅は戦後、地元の請願駅としてようやく設置の運びになります。
駅設置に当たっては村が当時の金額で500万円!を借金して駅舎を建設し、国鉄に寄贈するという形をとったそうです。
村の総意として是が非でも駅が欲しかったのでしょう。
その借金の返済には漁師の方々が月二回の休漁日を返上して出漁し、その二日分の収入をそっくり当てたとか、会社員は毎月給与一日分相当の金額を出すなど、涙ぐましい話があります・・・。

そんな地元の方々の熱意によって無事船出した浦本駅、しかし国鉄合理化の荒波に直撃されて、1970年(昭和45年)4月に無人化の憂き目にあってしまいます。
前年の10月には糸魚川-直江津間が当駅-有間川駅を含む線路の付け替えを伴う複線電化により、新潟と北陸を結ぶ大動脈として装いも新たに再出発したのですが、そうした華やかさの代償として、不採算駅の合理化(無人化)も断行されたのです。
その犠牲になったのが当駅と梶屋敷駅、有間川駅でした。
当地の方々は前述のように「痛み」を伴ってようやく開業にこぎつけた浦本駅がたった20年で無人化される事に猛反対(特に農協が「米の出荷に支障が出る!」と反対の急先鋒だったそうです)。
地元の代表が当時、自民党幹事長だった田中角栄氏の元にも陳情に行ったものの、駅無人化の方針が覆る事はありませんでした。
無人化対象が当駅だけならば、角栄氏の力で撤回も可能だったかもしれませんけれど、近隣の小駅全て無人化の対象とあっては流石に・・・。
近隣の駅でも合理化反対が叫ばれている中、当駅だけを救済するとなると特定の地域に対する便宜供与と取られかねませんから、豪腕の角栄氏といえどもも如何ともし難かったのでしょうね。

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浦本駅駅舎の様子、2012年6月撮影。
駅舎は出入り口に手が入れられている以外、開業以来の姿を保っています。
トイレは小さな駅前広場の左隅にありましたが、その様子はお察しください・・・。
特に大きい方、私はあそこで用足しする勇気はございませぬ。

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浦本駅駅舎内部の様子、2012年6月撮影。
自動券売機は未設置で、当時の北陸本線新潟県内区間で券売機が無いのは当駅と有間川駅のみ。
従ってこの両駅から乗車した場合は車内精算が必要なのですけれど、車掌氏が回って来ないのです。
結局揺れる車内を移動して車掌氏のもとにこちらから出向かなければならないという、ユーザーフレンドリー?なにソレ美味しいの?というノリでしたな。
おっと閑話休題、駅舎の規模に対して待合空間は小さいのが特徴。
建物の半分以上は事務室その他に取られています。
駅舎の経年から見て近い将来の改築も考えられるところですけれど、その際は小さな待合室に姿を変えてしまいそう。
ちなみに浦本駅の利用実態は、やや古い資料で恐縮ですが糸魚川統計年鑑によると平成19年度の1日平均乗車人員は約19人。
北陸本線の直江津-市振間で、直江津駅を除いた11駅中最下位です。

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浦本駅前の国道8号線、2012年6月撮影。
この辺りの信号は総じて押ボタン式で歩行者は僅少なので、クルマは途切れずに行き交います。
横断歩道以外のところで道路を渡るのはかなりの時間を費やすことになります。
またこの時点ではコンビニや食堂の類は付近に無く、駅を訪問滞在する場合はそれなりの用意が必要です。
国道には糸魚川バス運行の路線バス・能生-糸魚川・青海線が走っていますけれど、本数は少なくて残念ながら鉄道補完として使う機会は限られています。

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梶屋敷駅付近から旧郷津駅付近までは「久比岐自転車道」でウォーキングできます、2012年6月撮影。

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浦本駅から梶屋敷方に自転車道を歩くこと13分で浦本漁港に到達、2012年6月撮影。
前述したように、ここから出漁する漁師の方々の水揚げが、浦本駅開業に大きく貢献したのです。

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さて駅舎から構内へ出ると、乗り場の案内板があります、2012年6月撮影。
階段を上がった先が直江津方面乗り場、地下道をくぐった反対側が糸魚川方面乗り場です。
有間川駅のような構内踏切ではなく地下道連絡なのは撮影に寄与する事大で、列車の接近による身の危険もなく、上下の列車間隔のごくわずかな時間帯(特急「はくたか」通過ではそういう事があるのです)でも己の脚力のみを頼りにして地下道を駆け抜け撮影に臨めました。

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階段を登った先の下りホームから見た浦本駅駅舎、2006年10月撮影。

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一応のバリアフリーというべきなのか、ホームへ至る道は急勾配の階段以外にこのルートもあります、2012年6月撮影。

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下りホームの梶屋敷駅方から見た浦本駅構内、2012年6月撮影。
構内は対面式ホーム2面2線のシンプルなもの。

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ホーム端から梶屋敷駅方を見る、2012年6月撮影。
電車特急が高速で走り回った電化複線の立派な線路も、2015年3月改正以降は長編成の貨物列車と最大2連の気動車が走るだけの過剰設備化です。

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下りホームの能生駅方から見た浦本駅構内、2012年6月撮影。

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下りホーム端から見た能生駅方の浦本トンネル、2012年6月撮影。
浦本トンネルは北陸本線の複線電化用に作られました。

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冬枯れでその跡がはっきりわかる北陸本線の旧線跡、2004年4月撮影。

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上下のホームを連絡する地下道、2012年6月撮影。
コンクリートの劣化具合が程良くて味がありますな。

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上りホームの連絡地下道出入り口周り、2013年10月撮影。

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上りホームの能生駅方から見た雨の浦本駅構内、2013年10月撮影。

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上りホームの待合室内部、2013年10月撮影。
ベンチの数は駅舎よりも多く、広い空間が確保されています。

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上りホームの梶屋敷駅方から見た浦本駅構内、2012年6月撮影。

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浦本駅上りホームに停車中の419系電車富山行、2004年4月撮影。
所謂「食パン」顔は当時あまり好みではなかったのですけれど、今思うともっと気を入れて撮っておけばよかったなぁと少々の後悔があるのですよ。

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浦本駅下りホームに停車中の419系電車直江津行、2009年6月撮影。
当時はとにかくこの面構えに執着して撮っていました。

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浦本駅上りホームに到着した419系電車富山行、2009年6月撮影。
419系電車は2011年3月ダイヤ改正で全車引退しましたが、その当日にあの大震災が起きて東日本の人間はそれどころではありませんでした・・・。

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浦本駅上り線を出発する475系電車富山行、2009年6月撮影。

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浦本駅下り線を出発する475系電車直江津行、2009年6月撮影。

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浦本駅を出発して浦本トンネルに突入する青一色の475系電車直江津行。
この色合いには最後までなじめなかったものです。

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JR時代末期になってようやく直江津口に投入された413系電車直江津行、2013年10月撮影。

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浦本駅を通過する485系電車T編成の金沢行特急「北越」、2012年6月撮影。

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浦本駅を通過する485系電車R編成の新潟行特急「北越」、2012年6月撮影。

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浦本駅を高速通過する越後湯沢行特急「はくたか」、2012年6月撮影。

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