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2017年4月 9日 (日)

黒井駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・黒井駅。

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新潟県上越市に所在する無人駅で、開業はまず貨物駅として明治35年(1902年)7月1日。
その前年、当駅付近に米国のスタンダード石油傘下のインターナショナル石油によって直江津製油所が完成し、当時の北越鉄道が石油関連の貨物輸送拠点として黒井駅を開設しました。
この時点では客貨分離が図られており、旅客営業は当駅の直江津方約1km地点に設置された「春日新田」駅で行っています。
黒井駅はその4年後の明治39年9月1日に旅客営業を開始しています。
この直前に春日新田駅が廃止されているので、当駅が旅客営業を開始したのはその代替措置であったようです。
当駅誕生のきっかけとなった直江津製油所は、その後日本石油に売却された後、大正11年に閉鎖。
黒井駅はその最大の顧客を失って危機に陥る・・・かと思いきや、製油所廃止から間もなく、当駅付近に大手の各種工場が相次いで進出。
これによって当駅はそれら工場の物流拠点として活況を呈するようになったのです。

黒井駅の開業当時の所在については、私の調べでは何とも判断がつきかねるのが正直なところであります。
駅南方の地名から推察すると中頚城郡大瀁村ではないかとも思えるのですけれど、当駅周辺は複数の自治体の境界線上にあるので断言が出来ないのです。
ともあれ駅名票にある中頚城郡頸城村は、昭和32年(1957年)4月に大瀁村と明治村が合併して誕生し、平成17年1月に上越市に合併編入されて今日に至ります。

やや古い資料で恐縮ですが、上越市統計要覧によると平成19年度の黒井駅年間乗車人員は9万人。
単純計算すると一日平均約247人です。
この数字は有人駅の潟町駅を凌ぐもので、通学以外にも周辺工場への通勤需要があるのかもしれません。

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改築後の黒井駅北口の様子、2014年6月撮影。
こちら側が従来からの駅出入り口になります。
駅の南北を結ぶ自由通路は2011年6月に竣工しました。
これに伴い旧駅舎は解体撤去されています。

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自由通路の供用開始に伴って新設された黒井駅南口の様子、2012年6月撮影。
この時点ではこちら側は全くの未開発エリアです。

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自由通路上の駅構内出入り口付近の様子、2012年6月撮影。
自動券売機が一台置いてあるだけの、簡素極まりない出入り口です。

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犀潟駅方から見た黒井駅構内の様子、2012年6月撮影。
画像右側がJR貨物の黒井貨物駅。
旅客駅と生きた貨物駅が併設されているのは、新潟県内では当駅と白新線・東新潟駅ぐらいですな。
かつての黒井貨物駅は、約1km南にある直江津港の発展とリンクして盛況を呈していました。

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ホーム端から犀潟駅方を見る、2012年6月撮影。

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黒井駅の島式ホームの様子、2012年6月撮影。
ホーム右側の1番は下り長岡方面、左側の2番は上り直江津方面乗り場です。
当駅のホーム上屋は昭和41年3月の完成。
おそらく旧駅舎と同時期に建てられたのでしょう。
信越本線・北長岡駅のそれと類似した印象。
隣が貨物駅のせいか、実用本位の雰囲気が強まって旅情は感じられませんなぁ。

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ホーム中央部から見た黒井駅自由通路南口側、2012年6月撮影。

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ホーム上の待合室内の様子、2012年6月撮影。
ホーム上の待合室も、近年はこういう形態が増えました。
待合室も以前は犀潟方のホーム上屋端に設けられていましたが、自由通路化に合わせて出入り口近くの現在位置に移動しています。

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自由通路に通じる出入り口付近の様子、2012年6月撮影。

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黒井貨物駅構内で待機中のEF81形電気機関車455号機、2012年6月撮影。

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ホーム端から直江津駅方面を見る、2012年6月撮影。

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自由通路上から俯瞰で見た黒井駅構内の様子、2012年6月撮影。
前述したように当駅の元々の出自は貨物駅なのがよくわかります。
構内は犀潟駅方に向って広がっています。

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同じく直江津方を俯瞰で見る、2012年6月撮影。
こちら側は線路群が収束していくのを望見できます。

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黒井駅1番線から出発する115系電車長岡行、2012年6月撮影。

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黒井駅1番線を通過する北越急行ほくほく線HK100形電車の越後湯沢行、2012年6月撮影。
ホーム上の建物は閉鎖された旧待合室です。
北陸新幹線開業以前、ほくほく線列車は当駅を全列車通過していましたが、2015年3月改正でほくほく線列車の当駅停車が実現しました。
当時は下り(六日町方面)が朝の二本、上りが昼の一本の計3本。
2017年3月改正では上下各三本ずつ計6本に拡大しています。

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黒井駅2番線に進入する特急「はくたか」金沢行、2012年6月撮影。
ホーム端の貨物運行事務用と思われる建物が犀潟方面への視界を大きく遮っているので、ここからの画はあまり見栄えはしないのです。
しかし直江津方のホーム端は自由通路が視界を遮るので、これまたあまり宜しくない。
元々島式ホームというのは駅撮りに適しているとは言いかねるのですけれど、当駅の場合はそれら悪条件が重なるので駅撮りには向いていません。
目当てとするべきなのは旅客列車よりも貨物列車でしょうな。

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黒井駅2番線を通過する特急「北越」金沢駅、2012年6月撮影。
自由通路側を背景にする場合、直江津方面への列車はすれ違いざまの咄嗟撮影になるのでこれまたあまり宜しくないのです。

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黒井駅前通りの様子、2012年6月撮影。
駅付近に住宅、その周りは工場群という環境です。
この時点では駅周辺にこれといった店舗はありません。

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直江津方の踏切から見た黒井駅構内、2012年6月撮影。

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同じく直江津方を見る、2012年6月撮影。
20年程前の道路地図を見ると引込線(専用線?)がこれと同じような位置に健在なのですが、これがその跡なのでしょうか?

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まだまだこれからというところの、黒井駅南口の道路沿い、2012年6月撮影。
当駅南にはかつてナローゲージの頸城鉄道・新黒井駅が併設されていました。
昭和43年10月に新黒井駅乗り入れが廃止され、昭和46年5月に全線廃止されています。
駅跡には碑が立っていたことはよく知られており、私も探したことがあったのですが探し方が悪かったのか見つけられませんでした(涙)。
自由通路建設に伴う再開発前は、駅の南側は一面雑草で覆われて近づくことが出来ず、新黒井駅の遺構も全く窺い知ることが出来なかったのです。

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ここからは旧駅舎時代の黒井駅についてご紹介。
上は2006年11月、下は2004年9月撮影。
前述の自由通路建設に伴って撤去された建物です。
昭和41年に貨物駅の構内大改修が実施された際に改築されたとの事。
建築財産票は明らかに剥ぎ取られた跡がありました。
駅舎が存在していた当時の当駅は、独特の荒んだ雰囲気があり、そんなことをするDQNがいても全く不思議に思わない状況だったのですよ。

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黒井駅旧駅舎内部の様子、2006年11月撮影。
内部にベンチは無く、自動券売機が一台ポツンと置いてあるきりの素っ気無いところでした。
駅舎内外共に、工場地帯の立地に相応しい実用性のみを追求したような姿なのです。

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黒井駅旧駅舎のホーム出入り口付近の様子、2004年9月撮影。
ホームへは貨物線群を跨ぐ長大な跨線橋で連絡していました。
階段の右横にあるのがトイレで、男女兼用・水洗。

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旧黒井駅舎時代の長大な跨線橋、2006年11月撮影。
壁面の汚れのようなものは概ね靴跡です。
DQNたちが壁を蹴りまくっているのです。
こんなのは色々噂の加茂駅や中条駅でも、他の無人駅でもお目にかかれないものでした。

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そんな壁面にはこんな張り紙が、2006年11月撮影。
「蹴らないでください」
「喫煙禁止場所」
こんなのが張ってある駅も、そうそうお目にかかれるものではありません。
きょうびは防犯カメラが無いと実に危ない。

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旧駅舎から見た黒井駅の旧跨線橋、2004年9月撮影。
駅舎は素っ気無さ過ぎて、美的にはあまり宜しくありませんでしたけれど、この無骨かつ頑健な跨線橋は実に味わいがありました。
鉄骨が水色なのが清新なアクセントになっていて実に宜しい。
内部の荒れ方とは全てにおいて対照的です。

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旧駅舎・旧跨線橋時代の黒井駅構内を直江津方から見る、2004年9月撮影。
直江津港を臨む貨物拠点、そして周辺工場群の物流拠点。
そんな栄光の時代を濃厚に留めていたかつての姿です。
この頃はこの位置から列車を撮影しても、下り列車は充分に画になったのです。

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同じく犀潟駅方から見る、2004年9月撮影。

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直江津方の踏切から見た旧駅舎・旧跨線橋時代の黒井駅構内、2004年9月撮影。

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2017年3月19日 (日)

犀潟駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・犀潟駅。

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新潟県上越市に所在する有人駅で、開業は明治30年(1897年)5月13日。
開業当時の所在は中頚城郡犀潟村です。
犀潟村は明治34年(1901年)に東隣の潟町村と合併してその西部地域になり、潟町村は昭和32年(1957年)に町制を施行して大潟町になります。
大潟町は平成17年(2005年)に上越市に編入されて、現在に至ります。

かつては駅付近の工場やセメントターミナルの貨物輸送の拠点として、昭和61年まで貨物取扱が行われ、物流面で相応の地位を占めていたここ犀潟駅ですが、旅客駅としては大潟町の玄関駅ではなく(玄関駅は潟町駅)、優等列車が停車する事もなく、ほくほく線が開業してその分岐駅になるまではいたって地味な存在でした。
ほくほく線が開業すると、一日平均乗車人員が新潟県内トップクラスになって統計マニアの目を大きく惹きつけることになりましたが、これは統計上のマジック。
上越線・六日町駅と当駅は、ほくほく線の通過旅客をカウントしているので数字が駅の利用実態と大きく乖離しているのは皆様よくご存知の通りです。
JR東日本によると、2015年度の当駅一日平均乗車人員は704人で、同社新潟県内有人67駅中48位。
ほくほく線に特急「はくたか」が運行されていた最後の年である2014年度は4,497人なので、減少率は約85%という凄まじいものです。
現在の数字はそれだけ減っていても、近隣の特急停車駅の柿崎駅よりもまだ多いのですけれど、当駅の数字はほくほく線直通列車の通過旅客を含んだものですから、純粋な乗車人員はもっと少ないでしょうね。
一日500人を割っているのではと個人的には思うところです。

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犀潟駅駅舎の様子、2013年10月撮影。
建築財産票を見つけられなかったのですが、北越鉄道の停車場として開業当時からの建物だそうです。
出入り口の上屋の形状はそれを物語っておりますな。
新潟県内では当駅のような古い駅舎が上越地方に集中していて、えちごトキめき鉄道の二本木、谷浜、有間川、梶屋敷、親不知、市振の各駅がそうです。
ウィキペディアの犀潟駅の項の出展にある上越市議会での答弁書を見ると、当駅も南北を結ぶ自由通路を備え、さらにエレベーターの設置や南側広場の整備が計画されていたようで、私はこの件は初耳で驚いたところです。
答弁書でははっきり述べられてはいませんでしたが、「改築」「自由通路」「エレベーター」となれば想定される新しい駅舎は橋上駅舎だったのでしょう。
しかし当駅の利用実績で、橋上駅舎を大金掛けて建設するというのは、上越市としてはやはり考えてしまうところでしょうなぁ。
バリアフリー関係費以外は全て上越市の負担になるのでしょうし。
新潟県内の駅で近年に橋上駅舎化されたのは、越後線の関屋駅と内野駅、白新線の豊栄駅、信越本線の亀田駅と矢代田駅ですけれど、この中で最も利用が少ない矢代田駅でも一日平均乗車人員は四桁で、且つ駅東側の宅地開発と連動しているのです。
当駅の場合も、南口でそのような開発計画が具体化しない限り橋上駅舎化は難しいのではないかと思うところです。
しかし駅舎老朽化は待ったなしの話でもあり、近い将来の改築は必至。
現在と同じく北口だけの駅舎を作ってしまえば、向こう数十年は橋上化はナシということになるので、それを期待していた地元の反発もあるでしょう。
上越市としては、前述のえちごトキめき鉄道内の老朽駅舎の手当も考えなければならないでしょうから、それも含めて頭の痛いところです。

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犀潟駅前広場の様子、2011年6月撮影。
駐車スペースは広いのですが、大半は月極になっていました。
私の立ち位置からさらに直江津方に行くと、2011年10月に供用を開始した立派な作りの公衆トイレがあります。
それと引き換えに犀潟駅のトイレは廃止されたのでご注意を。
駅トイレ廃止も駅舎老朽化の影響なんですかねぇ。
近い将来駅舎が改築された場合はトイレ無しなんでしょうねぇ。

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犀潟駅駅舎内の様子、2012年6月撮影。
吹き抜けで三人掛けベンチを四脚設置。

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1番ホームの土底浜駅方から見た犀潟駅構内、2011年6月撮影。
この位置だと跨線橋の出入り口が向いておらず駅舎も見えないので、撮影ポイントとしては不適でしょう。

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同じく土底浜駅方を見る、2011年6月撮影。
画像左側がかつての貨物線で、このクラスの駅のそれとしては規模が大きいのが特徴。
国鉄末期まで貨物取扱が行われていたのも伊達ではないのです。

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1番ホーム駅舎前の上屋とその先の跨線橋出入り口の様子。
犀潟駅のホーム上屋は対面、島式両方とも跨線橋直前だけで、この辺は優等列車の停車しないローカル駅定番の配置なのです。

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1番ホームの黒井駅方から見た犀潟駅構内、2011年6月撮影。
1番ホームは長岡方面乗り場です。

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1番ホームの黒井駅方から見た犀潟駅。
古い時代に作られた駅の常として、当駅構内のホーム配置は千鳥型でそれも顕著なものです。
現在のホーム有効長を示す黄色の太線は遥か向こうで、画像手前の辺りはホームとして完全に遊休化しています。

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ホーム端から黒井駅方を見る。

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犀潟駅跨線橋内の様子、2011年6月撮影。
優等列車の停車しない駅のそれとしては幅広の通路です。

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跨線橋上から黒井駅方を見る。
2012年6月撮影。

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同じく土底浜駅・くびき駅方を見る。
2012年6月撮影。
画像左側の広い旧貨物用空間に改めて注目。

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犀潟駅島式ホームの跨線橋出入り口と上屋直下の様子、2012年6月撮影。
ベンチがほくほく線用の2番ホームに背を向けて設置されているのが、JRと北越急行の力関係を暗示しているような気がしますな。
画像左側の3番線は直江津方面乗り場です。

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2番・3番の島式ホーム端から黒井駅方を見る、2012年6月撮影。

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同じくくびき駅方を見る、2012年6月撮影。
2番線はほくほく線普通・快速列車発着用で、特急「はくたか」のみ1番、3番線を通過していました。

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2番ホームのくびき駅方から見た犀潟駅構内の様子、2012年6月撮影。
この時点ではワンマン運転用のミラーが設置されているのが、2番ホームがほくほく線用ホームたる証でした。
しかしE129系電車の投入で、信越本線直江津-長岡間でも2016年3月から一部列車のワンマン運転が始まったので、現在は当駅の1、3番ホームにもミラーが設置されているのでしょう。

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2番ホーム端からくびき駅方を見る、2012年6月撮影。

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犀潟駅2番線から出発した115系電車直江津行、2012年6月撮影。

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犀潟駅1番線から出発する115系電車長岡行、2013年10月撮影。

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犀潟駅2番線に到着するHK100形単行の電車越後湯沢行、2011年6月撮影。
この時は東日本大震災の余波で節電が強く叫ばれていた時期で、この列車も所定2両のところを節電対策で単行運行に変えていました。

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犀潟駅2番線に停車中のHK100形越後湯沢駅、2012年6月撮影。
上の画像の一年後の同じ列車の画ですが、既に所定の2両編成に戻っています。

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犀潟駅2番線から出発するHK100形「ゆめぞら」直江津行、2013年10月撮影。

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犀潟駅1番線を通過する越後湯沢行特急「はくたか」、2013年10月撮影。

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犀潟駅1番線を通過する485系電車R編成の新潟行特急「北越」、2013年10月撮影。
485系R編成は「北越」廃止後も新潟-糸魚川間の快速列車で運用されていましたが、2017年3月ダイヤ改正で列車廃止となりついに引退しました。
またこの快速列車は犀潟駅に停車していました。
かつての485系運用の快速「くびき野」の停車が叶わなかった当駅ですが、糸魚川快速の停車実現によって国鉄型特急電車の速達運用における停車駅の一つに加えられることになったのです。

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犀潟駅前広場にある犀潟駅前バス停から出発する、くびきバス運行の路線バス直江津行、2012年6月撮影。
この撮影時には当駅前に乗り入れるのが直江津-柿崎線で、他に駅付近の県道経由の直江津-鵜の浜温泉線がありました。
2016年秋のバス路線の再編が実施されて、新たに設定された上越妙高駅-鵜の浜線は県道にある「犀潟駅入口」バス停発着で、犀潟駅前には直接乗り入れしていないので利用の際はご注意ください。
なおこの路線は鉄道補完では上越妙高高田、直江津、犀潟、土底浜、潟町各駅間の移動に便利です。
平日は上下30本、土休日は上下24本の運行になっています。

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犀潟駅前の国道8号線の様子、2012年6月撮影。
通行量はとにかく多く、日中はひっそりしている犀潟駅とは大違い。
2006年に当駅を訪問した時は、国道を挟んだ向かい側にあるヤマザキショップが、駅至近唯一の買い物処でした。
2012年段階では別の看板になっていて、現在はどうなっているのか確認してません。
国道を柏崎方に歩くと、信越線とほくほく線の分岐点近くにセブンイレブンがありますが、駅からは少々距離があります。
こちらは現在も盛業中のようです。

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直江津方の踏切から見た犀潟駅構内の様子、2013年10月撮影。

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2016年12月 4日 (日)

北長野駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・北長野駅。

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長野県長野市に所在する有人駅で、JR東日本在籍時は信越本線、現在はしなの鉄道・北しなの線に所属しています。
開業は1898年(明治31年)9月1日で、当初の駅名は「吉田」。
現駅名に改称したのは昭和32年4月1日です。
開業時の所在は上水内郡中越村で、信越線・長野-関山間開通から10年目でようやく村の玄関駅が誕生したのです。
北隣の三才駅は戦後しばらくしてからの誕生なので、開業当初の鉄道は長野-豊野間約11kmの間に停車場が一つも無かったことになるのが、現在の目で見ると奇異感が夥し。
まぁしかし、当時の貧弱な蒸気機関車の性能では、そう頻繁に加減速、停車発進を繰り返すわけにもいかなかったでしょうから、それを考えれば致し方のない事だったのでしょうか。
中越村は周辺諸町村と共に、大正12年(1923年)に長野市に編入されて今日に至ります。
当地域が村であった時に子供だった方の御歳は百歳近いわけであります。
もう一世紀も昔の話では、地元で生まれ育った方も「村」の意識は無いんでしょうなぁ。

三才駅で大都市近郊の雰囲気が濃厚になって来たところで、次の北長野駅は人口38万人弱を数える甲信越地方最大の大都市・長野市副都心の様相であります。
JR東日本によると、当駅が同社在籍時の2013年度一日平均乗車人員は2,170人で、同社長野県内有人67駅中12位。
新潟県内の駅との比較だと、越後線・寺尾駅と同格なのですけれど、駅周辺の賑わいは一日平均5,000人以上の乗車人員がある越後線・白山駅よりもずっとあります。
隣の芝生は青く見えるとよく申しますが、それを差し引いても勢いを感じる周辺の様子なのです。

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北長野駅駅舎の様子、2011年6月撮影。
なお画像は全て同日撮影であります。
当駅駅舎は北陸新幹線の高架下にあって、その辺がまた都会的なイメージを増幅させているのです。
建築財産票を見つけられなかったので完成年月は不明ですが、この新幹線高架線は元々長野駅-長野新幹線運転所間として建設されたものなので、1997年10月の長野新幹線開業以前の供用開始であろうことは推察できます。
駅前広場が駐車場になっていて、そこの車の出入りが激しいのが強く印象に残っています。

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北長野駅駅舎内の様子。
駅舎内は吹き抜けです。

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改札口と跨線橋周りの様子。

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一番線三才駅方から見た北長野駅構内の様子。
一番線は豊野方乗り場です。

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同じくホーム端から三才駅方を見る。

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一番線長野駅方から見た北長野駅構内の様子。
これまでの信越本線の諸駅と違って、上屋が長大で現在の列車の編成長なら完全にフォローできています。
従って悪天候の日でも特定の場所に乗客が固まらずに済むのです。
この辺も大都市圏の駅らしいのですよ。

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同じくホーム端から長野駅方を見る。

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北長野駅跨線橋内の様子。
当駅は優等列車の停車駅ではありませんが、大都市圏の駅の利用状況に相応しく通路の幅はそれに準じたレベルです。

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跨線橋上から長野駅方を見る。
上屋が長大なのは利用客にとっては実に喜ばしい話ですけれど、俯瞰マニアとしてはホームの様子が窺い知れないのが不満なところ。

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同じく三才駅方を見る。

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島式ホーム長野駅方から見た北長野駅構内。
右側に留置されているのは209系電車のようです。
当駅の長野駅方寄りにはJR貨物のターミナルがあり、当駅の側線の多くは同社の持ち物のようです。

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島式ホーム端から長野駅方を見る。

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島式ホーム三才駅方から見た北長野駅構内。
この時点(2011年6月)で、二番線への定期列車発着はありませんでした。
ウィキペディアによると現在も予備として残っているそうですが、一番、二番線間の中線共々この先使い道はあるのかどうか。
JR東日本の飯山線列車が乗り入れている関係上、必要とされているんでしょうかね?

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同じく三才駅方を見る。

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島式ホーム中央部の様子。
左側三番線は長野方面乗り場です。
ホーム上のベンチが全て三番線に向いているのは、当駅の二番線に対する当局の見解を無言のうちに物語っていますなぁ。

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北長野駅三番線に停車中の115系電車長野色の長野行。

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北長野駅三番線に停車中の飯山線直通キハ110系気動車の長野行。

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北長野駅三番線から出発する189系電車「妙高」長野行。

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北長野駅前の様子。
駅前道路は交通量が多い上に至近で三叉路になっている為、渋滞気味でした。
おそらく慢性的にこうなのでしょう。
右側の駐輪場は日曜日にも関わらず自転車が鈴なり。
左側の建物は、当駅周辺で最大の集客力を持つ「ながの東急ライフ」。
1990年11月の出店だそうで、バブルの最末期なんですな。

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駅と駅前をつらつらと眺めても、まだ時間があったので数分歩いて長野電鉄の信濃吉田駅まで足を伸ばしてみました。
当駅は北長野駅開業の28年後、大正15年6月に開業しました。

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1997年に完成した信濃吉田駅橋上駅舎自由通路の様子。

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信濃吉田駅改札口周りの様子。
我が新潟の私鉄といえば、古めかしい電車が信濃川の堤防下をゴトゴトと走る新潟交通電鉄線なので、新潟市よりも人口規模の小さい長野市で長野電鉄、富山市で富山地方鉄道が盛業なのは驚異的な話に感じられるのですよ。

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朝陽駅方の踏切から見た信濃吉田駅構内。
当駅から南隣の桐原駅は僅か0.7kmで、ここからでも桐原駅の跨線橋を容易に確認出来ます。

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桐原駅方の踏切から見た信濃吉田駅構内の様子。

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まったくの偶然だったのですけれど、信濃吉田駅の桐原方踏切で長野電鉄2000系電車に遭遇。
この時点で唯一健在だったD編成のようです。
「普通 須坂」とあるので代走運転だったのでしょう。
日曜日なので惜別ファンたちが多いのかと思いきや、車内はガラガラでした。
この電車には昭和55年の夏休みに、湯田中への旅行の際に乗りましたっけ。
気動車急行「赤倉」の冷房の無い自由席で長野駅まで揺られてきた後に、2000系特急に乗り換えて湯田中まで。
車中は程よい乗り具合で、座席確保に汲々とすることもありませんでした。
私が長野電鉄に乗ったのは、その時と学生の時に長野回りで帰省した際に善光寺参りに利用した二回きり。
その時は善光寺下駅で降りたのですが、道に迷って汗だくになり、パニくる寸前まで追い詰められたものです。
道に迷わなければ10分ぐらいで行けるそうですが、あの時は一時間以上さ迷っていました。
長野駅から素直に道なりに歩いた方がずっと速かったw
不案内な土地でフラフラしたがるのが私の昔からの悪癖なのでございます。

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2016年11月27日 (日)

三才駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・三才駅。

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長野県長野市に所在する有人駅で、かつてはJR東日本・信越本線、現在はしなの鉄道・北しなの線に所属しています。
開業は昭和33年(1958年)1月8日と、県庁所在地周辺の駅としては後発で、しかも当時の扱いは停車場(というか乗降場)扱いで飯山線の列車しか停車しなかったという極めてユニークな出自なのです。
昭和41年10月1日に晴れて駅に昇格して今日に至るのですけれど、この辺の事情や駅及び周辺の雰囲気は、どことなく我が県の信越本線・越後石山駅に似ています。
なお当駅は開業当時から長野市の所在でした。

そんな異色の、そして冴えない出自の三才駅ですけれど、今日ではその利用状況は鉄道開業当初からの古参駅である豊野駅牟礼駅を大きく凌いでいます。
訪問したのは日曜の夕方近くで、豊野駅とその周辺を見て回った後すぐ当駅に来たのですけれど、人気の多さに加えて雰囲気、空気が明らかに違いましたねぇ。
デカい街の近郊、そういう匂いを肌で感じるのですよ。
JR東日本によると、2013年度の当駅一日平均乗車人員は1,542人。
当時の同社長野県内有人67位中17位でした。
我が県でいうと越後線/弥彦線・吉田駅と同レベルで、あの賑わいが対面式ホーム二本に凝縮されていると考えると中々に凄いのですよ。

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三才駅駅舎の様子、2011年6月撮影。
なお撮影は全て同日であります。
建築財産票を確認できなかったので、完成年月は残念ながら不明。
青色の屋根の張り出しが大きい独特の趣きです。
昔の造りの駅らしく、駅舎構外にトイレがあります(画像上左側)。
当駅は駅名にちなんで子供連れが多く訪れていて、私が当駅に滞在した約一時間の間に五組の親子連れが来て駅名票前で写真を撮っていました。
全員クルマで来ています。
皆、小さな我が子をまるで愛玩動物のように扱っているのが印象的でしたな。
根無し草の私には理解に苦しむところです。
私が三歳の頃は、親の躾が厳しくてあんな扱いを受けた記憶は無いですがな。
ちょっと悪戯すると家から閉め出されて、夜まで入れてもらえなかった事も数々ありましたしね。
記憶にはないのですが、閉め出された後どこかにさ迷い出て、家からかなり離れたところで発見されたなんて事もあったそうです。

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三才駅駅舎内の様子。
内部は吹き抜けで壁に沿って三人掛けのベンチが配置されています。

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改札口を抜けてホームへ向かいながら振り返って一枚。
三才駅は駅舎とホームがやや離れていて、大手私鉄の小さな駅にありそうなレイアウト。

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一番ホーム改札口方(北長野方)から見た三才駅構内。

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一番線豊野駅方から見た三才駅構内。
相対式のホームは長大で、短編成の列車ばかりの現在ではあまりにも無駄なものに見えてしまいます。
飯山線の列車しか停まらなかった時代は、比較的短編成の飯山線列車に合わせたホーム長しか無かったでしょう。
正式に駅に昇格して、長編成の信越線列車も停めるのに合わせてホームを拡張したということなのでしょうか?

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上の画からホーム端に進んで一枚。
ホームの左カープがよくわかります。
往時はここから、特急「白山」や「あさま」が長編成をうねらせながら進入する画を存分に見れたことでしょう。

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一番ホーム端から豊野駅方を見る。
ホームが長大な三才駅ですが、駅の有効長はさらに長いのです。

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上下のホーム間は地下道で連絡。
至近に高台も無いので三才駅を俯瞰で見ることは出来ず、俯瞰マニアとしては残念なところ。

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二番ホーム端から北長野駅方を見る。
画像右側が駅舎です。
ホーム端には立ち入り禁止の構内通路があり、地下道完成前のホームの行き来はそこで行っていたのでしょう。

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二番ホーム中程から北長野駅方を見る。

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北長野駅方の踏切から見た三才駅構内。

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三才駅二番線を出発した115系電車長野色の長野行。
行く手のマンションが、この先いよいよ長野市都心部へ入ることを告げております。

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三才駅一番線を出発したキハ110系気動車越後川口駅行。

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三才駅二番線を出発した189系電車「妙高」直江津行。

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三才駅前の様子。
ロータリーになっています。
タクシーの待機はありませんでした。

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三才駅前に駐車中の長野電鉄路線バス。
エンジンが切られていて表示が消えていましたが、当駅始終着便の折り返し待機中と思われます。
三才駅前からは鉄道補完として長野電鉄の長野駅行が三系統設定されています。
長野市都心部を通るので、直接そちらに行きたい場合はしなの鉄道よりも利便性は高いようです。
なお、路線バスは当駅始終着便以外は駅前通りの県道にバス停があるのでご注意ください。

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三才駅前通りの県道の様子。
道路左側にローソンの看板がチラリと見えます。
前述したように、豊野駅までと違って周辺は人気もあります。

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2016年11月23日 (水)

豊野駅(信越本線・飯山線)

本日の駅紹介は、信越本線/飯山線・豊野駅。

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長野県長野市に所在する有人駅で、かつてはJR東日本所属、現在はJR東日本(飯山線)としなの鉄道(北しなの線)の共同管理駅です。
開業は明治21年(1888年)5月1日で、当時の所在は上水内郡豊野村。
近代の町村制が施行される直前の停車場開業で、信越本線長野-直江津間はこのような古い駅が多いのです。
豊野村は停車場開業翌年の町村制施行に伴って神郷村になり、昭和29年に隣接する鳥居村と合併して再び豊野村を名乗ることになりましたが、翌30年に町制を施行して豊野町になります。
平成の大合併の大号令の下、人口約一万人の豊野町は長野市に編入されて今日に至ります。

長野駅から豊野駅までは、その距離約11km。
我が街新潟のスケールだと、新潟駅から信越本線・荻川駅、越後線・新潟大学前駅、白新線・早通駅の距離感ですけれど、当駅の佇まいはこれらのどれにも当てはまっておらず、独特の風情があります。
新潟市の場合は三方共にだだっ広い平野部なのですが、長野市の場合は当駅方は新潟との県境の山々に分け入る出入り口に当たるので、当てはまらなくても当然ではあるのですけれど。

JR東日本によると、豊野駅がJR東日本単独の管轄であった2013年度の一日平均乗車人員は960人で、同社長野県内有人67駅中28位。
後述するように当駅は橋上駅舎なので、駅はとても立派に大規模に見えるのです。
しかし利用実態としては人口約1万人の旧豊野町に相応のレベル。
見た目と内実の差が大きいのは田舎の橋上駅舎に付き物の話で、我が県でも信越本線・矢代田駅あたりはその典型ですな。
一日平均乗車人員は千人強で立派な橋上駅舎なのです。

国鉄全盛時代は「町の玄関駅」であった豊野駅は、長野駅に近いこともあってか優等列車の停車は少なく、昭和55年10月改正ダイヤでは新潟-上田間の電車急行「とがくし」二往復と飯山線を走破する唯一の急行「野沢」が停車するきりでした。
豊野町の人口規模的には、優等列車が停車しなくても不思議ではない豊野駅への急行列車停車はやはり飯山線との接続駅であった事が多分に影響していると思われます。
かつての準急列車は駅の規模がそれほどでなくても国鉄他線との接続駅には大抵停車していましたから、その出自が準急である「とがくし」「野沢」が停車するのも頷けます。
JR移行後、「とがくし」の後身である「赤倉」の妙高高原-長野間が普通列車に格下げされた事により、豊野駅に停車する定期優等列車は一旦消滅しました。
しかし1997年10月の長野新幹線開業に伴い、「赤倉」二往復は特急「みのり」に格上げ。
これにより豊野駅に特急「みのり」一往復が停車するようになりました。
一度は消滅した優等列車停車の灯火が、赤々と燃え上がりながら復活を遂げたわけです。
しかしこれはさながら赤色巨星の最期の輝きのようなもので、2001年12月には長野「みのり」は廃止。
これで当駅への優等列車停車史はその幕を閉じたわけであります。

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豊野駅の橋上駅舎の様子、2011年6月撮影。
なお撮影は全て同日であります。
新潟県内の橋上駅舎といえば白色ですが、当駅はご覧のようなクリーム色。
撮影的にはこの方が光の反射が少なくて良いのです。
色合いも落ち着いていて中々良い。
建築財産票を確認出来なかったのですが、ウィキペディアによると2008年2月の供用開始との事です。

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豊野駅橋上駅舎改札口周りの様子。
待合室は画像左側です。
当駅の利用状況は前述したように千人弱で、新潟の場合ですと自動改札機導入対象の最下限レベルです。

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豊野駅橋上駅舎の自由通路の様子。

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豊野駅橋上駅舎構内の様子。

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一番線三才駅方から見た豊野駅構内の様子。
このホームは妙高高原、飯山方面乗り場です。
二本のホームの配置は昔の停車場らしいものです。


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一番ホーム端から三才駅方を見る。
豊野駅はまだ大都市近郊らしからぬ長閑な雰囲気ですけれど、この先三才駅に近づくと沿線は一気に都市近郊のそれに変わっていきます。

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一番ホームの橋上駅舎出入り口付近の様子。

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一番線牟礼駅方から見た豊野駅構内。

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一番ホーム端から牟礼駅方を望む。

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橋上駅舎自由通路上から三才駅方を望む。
一番、二番線の間に線路が一本あって両方向共に接続していました。

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同じく構内から牟礼駅方を望む。

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島式ホームの様子。
こちらは長野方面乗り場です。
車両二両分ほどの上屋の下に、三人掛けベンチが計4脚。

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二番ホーム端から三才駅方を見る。
ホームはエレベーターの先に続いていますが、幅が狭く安全上問題があるのか立ち入り禁止になっています。
豊野駅に停車する列車は最大で6両程度あれば充分なので、これでも差し支えないのでしょう。

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島式ホーム牟礼駅方から見た豊野駅構内の様子。
当駅構内撮影のベストポジションはこの位置かと思います。
時間帯は午前中が良いでしょう。
午後だと薄曇でもこんな感じ。

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島式ホーム端から牟礼駅方を見る。
こちら側は三番線の右側に線路が三本。
かつての貨物側線のようです。
ただし本線と繋がっているのは本線の右の線路のみです。

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牟礼駅方の踏切から見た豊野駅構内の様子。

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同じく牟礼駅・信濃浅野駅方を望む。
ここからしばらくは左側の信越本線(現・しなの鉄道北しなの線)と右の飯山線が並走しています。

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三才駅方の陸橋上から俯瞰で見た豊野駅構内。
周辺の建物を圧倒する威容の橋上駅舎であります。

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豊野駅二番線に進入する115系電車長野色の長野行。

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豊野駅一番線に停車中の115系電車長野色の直江津行。

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豊野駅二番線から出発する189系電車「妙高」長野行。
かつての特急「あさま」としては当駅に脇目も振らなかった189系電車ですが、長野新幹線開業後は快速(のち普通列車)妙高号として停車するようになりました。
3連の115系電車はいつも混んでいて、途中駅から乗車するとまず座れなかったのに、6連で自由席5両の「妙高」は対照的に空いていて快適でしたなぁ。

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豊野駅一番線に停車中のキハ110系気動車越後川口行。
2011年当時、飯山線・長野-越後川口間を完走する列車は上下合わせて四本。
2016年現在では七本に増えています。
運用合理化の為でしょうかねぇ?

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豊野駅北口の様子。
こちら側が橋上駅舎以前からの駅正面のようです。
画像左側の上屋は長野市営バスの豊野駅北口バス停です。
当時は鉄道補完として三才への路線がありましたが、現在は乗合タクシー化されているようです。
またタクシーが一台待機。
駅前に人影は極めて少なく、北隣の牟礼駅よりも人気がありませんでしたなぁ。

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豊野駅南口の様子。

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豊野駅北口駅前通りの様子。
駅前通りは道幅が狭く住宅と個人商店が混在していて、集客力のある店が無いのでひっそり。
道幅が狭いということは、周辺が古くから集落であったという事なのでしょう。

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2016年9月18日 (日)

牟礼駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・牟礼駅。

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長野県上水内郡飯綱町に所在する有人駅で、JR在籍時代は信越本線、現在はしなの鉄道・北しなの線に所属しています。
開業は明治21年(1888年)5月1日で、開業当時の所在は上水内郡牟礼村。
牟礼村は当駅開業直後の1890年に中郷村と改称し、昭和30年4月に隣接する高岡村と合併して再度牟礼村を名乗ります。
二代目の牟礼村は平成の大合併の中、隣接する三水村と合併して町制を施行し、新自治体・飯綱町になって今日に至ります。

牟礼村史によると、牟礼停車場が置かれたのは当時の村北東端だったとの事で、北国街道の牟礼宿からはやや離れています。
宿場に当時の常であった鉄道に対する忌避感があった故の事なのかもしれませんが、関川宿(妙高高原)や柏原宿(黒姫)のように、街道そのものと鉄道が大きく離れているわけではないのでその辺の忌避感もそれほどではなかったのではないかと推察さるところです。
ともあれ鉄道開通によって当地にも外部から色々と文物が入ってくるようになり、その代表例が「魚屋」です。
牟礼村史によると、鉄道開通によって村に初めて魚屋が出来たのです!
村でそれまで魚と言えば、川で獲った川魚を自分たちで食する程度だったのでしょう。
それが鉄道によって日本海側から海魚が入ってくるようになり、商売として成立するようになったのでしょうね。
まさに消費革命であり、起業の夜明けだったのであります。

そんな牟礼駅のJR東日本所属時代の2013年度一日平均乗車人員は767人。
同社長野県内有人67駅中32位でした。
自治体の人口規模が同レベルの黒姫駅の約二倍の数字で、牟礼駅付近に高校があるのが大きなアドバンテージになっているようです。
観光利用が廃れた現在では、やはり学生の集中無くして大きな数字は出せないのであります。
なお牟礼駅には優等列車停車の実績も僅かながらあって、国鉄末期には新潟-長野・松本間の急行「とがくし」「南越後」が上下一本ずつ停車していました。

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牟礼駅駅舎の様子、2011年6月撮影。
なお撮影は全て同日であります。
建築財産票を見つけられなかったので完成年月は残念ながら不明。
相当に年季の入った建物ですが、色々と手は入れられています。
古い駅舎の常として、駅構内外にそれぞれトイレがあるのは来訪者にとって嬉しい限り。

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牟礼駅駅舎内の様子。
当時は内部吹き抜けで、黒姫駅駅舎と比べるとずっとコンパクトです。
往時でもそれほどの観光需要が無かった為でしょうか。

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待合室の様子。
壁にそってベンチが配されているのは昔の駅舎の特徴と言えます。
時計の上にツバメの巣があるのは、微笑ましいというかはた迷惑というかビミョーな感じ。

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一番線豊野駅方から見た牟礼駅構内。
上下線間の中線跡が実に目立ちます。

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一番ホームに接した牟礼駅舎改札口周りの様子。

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跨線橋出入り口前には小さな上屋が置かれて風雨を凌げるのが、利用者にとって好印象なのです。

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一番線古間駅方から見た牟礼駅構内。

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ホーム端から古間駅方を見る。

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一番ホーム脇に立つ牟礼駅のシンボル・天狗像。
飯綱町内にある標高1,917mの火山・飯縄山の山岳信仰に基づくという飯縄権現が天狗の姿であることから、町では天狗がシンボルのようになっています。

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牟礼駅跨線橋内の様子。
昭和31年5月の完成ですが、内部の状態は良好です。
通路幅はこのクラスの駅標準サイズ。
手すりが付いているのは、エスカレーターの無い当駅にとってせめてものバリアフリー施策でしょうか。

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跨線橋上から豊野駅方を望む。

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同じく古間駅方を見る。

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二番線古間駅方から見た牟礼駅構内。

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二番ホーム端から古間駅方を望む。

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二番ホームの跨線橋出入り口と上屋、そして待合室。
構内は相応の広さですがホームの上屋は僅か。
この辺が、その出自が「村の玄関駅」であった牟礼駅の格を表していますなぁ。

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二番ホーム待合室内部の様子。
建築財産票を確認出来なかったのですが、室内のこのレイアウトから察して相当の経年と思われます。

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二番ホーム端から豊野駅方を見る。

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牟礼駅を出発する189系電車「妙高」長野行。

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牟礼駅に到着した189系電車「妙高」直江津行。

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牟礼駅前通りの様子。
画像右手が駅になります。
駅前にはバス停があり、現在(2016年)は長野駅前との間に平日11往復、土休日6往復の長野電鉄運行路線バスが走っています。
ただし所要時間は一時間近くかかるので、対長野の鉄道補完とは言えません。
しかし長野電鉄の本郷駅に立ち寄るので、当駅から長野駅に出ずに電鉄に乗り換えて須坂方面に行きたい場合は使えるルートではあります。

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駅前通りは豊野方に向かって高度を上げます。
そこからだと俯瞰で牟礼駅周辺をよく観察することが出来るのです。

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おりしも115系電車長野行が牟礼駅に到着。

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牟礼駅前通りは小規模ながら商店街を形成しています。
人通りは少ないもののクルマの往来は多いところです。

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古間駅方の踏切から見た牟礼駅構内。

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踏切を渡り国道18号線への道中にも、「ようこそ天狗の里へ」。

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牟礼駅から数分で国道18号線に出ます。

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2016年9月11日 (日)

古間駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・古間駅。

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長野県上水内郡信濃町に所在する無人駅で、JR東日本在籍時は信越本線、現在はしなの鉄道・北しなの線に所属しています。
駅としての開業は昭和3年(1928年)12月23日ですが、その前身である古間信号場は大正2年(1913年)10月1日に開設されています。
駅開業当時の所在は上水内郡古間村で、信濃町史によると古間信号場の駅昇格に当たっては、地元から必要な土地の提供と寄附金があったとの事。
黒姫駅のエントリーで触れましたが、当地域に鉄道を敷設するに当たって当局の当初案は北国街道の柏原宿でした。
そこなら古間の中心集落から1km強といったところで、古間村の利便性も高まったはずだったのです。
しかし鉄道によって宿場が廃れるとの反対意見が強く、結局停車場は現在地に。
こういう事情で鉄道を利用した発展からやや取り残された村としては、どうあっても信号場を駅に格上げさせたかったのでしょう。
そんな古間村は昭和31年に周辺諸村と合併して新自治体・信濃町の一地域となって、今日に至ります。

信濃町史によると、合併前年の昭和30年度の古間駅年間乗車人員は157,283人。
単純計算すると一日平均約431人。
貨物の発送も一日平均約3tもあって、今日の姿からは想像できない繁盛ぶりでした。
JR東日本によると、古間駅がJR所属時代の2013年度一日平均乗車人員は118人で、同社長野県内有人67駅中58位です。

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古間駅駅舎の様子、2011年6月撮影。
なお画像は全て同日のものであります。
建築財産票によると、平成13年(2001年)12月の完成。
新潟県内の近年の改築駅舎とは、デザインコンセプトが異なっていそうなのが中々興味深い。
出入り口の両側に立つ照明の形状は特に珍しいのです。
どことなく宗教がかっている気がすると感じるのは私だけでしょうか?

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古間駅舎内の様子。
私がこれまで実物を見た中では、有人駅として最狭の待合空間であります。
大人が四人も掛けれはもう満杯の木製ベンチがあるきり。
一日平均100人以上の乗車があるのに、この狭さはかなり異様であります。
この時の窓口営業時間は07:30~15:00。
自動券売機は設置されておらず、乗車証明発行機が置かれていました(画像右手の朱塗りのモノ)。
なお、当駅はしなの鉄道への移管に伴って、現在は無人化されています。
無人化後は自動券売機が設置されたとの事。

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牟礼駅方から見た古間駅構内。
かつては二面三線と立派な規模であった当駅も、現在は棒線化されています。
当然のことながら、廃ホームに立ち入ることは出来ません。

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ホーム端から牟礼駅方を見る。
この先には旧線時代の遺構トンネルがあります。

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古間駅ホーム中心部の様子。
ホームの上屋は駅舎から黒姫寄りに短いものが立っているきり。
ホーム上のベンチは上屋下に三人掛けが一脚あるきりなので、前述の待合室の異様な狭さも考えると、特にこのような天気の悪い日は列車を待つのに忍耐を必要としそうです。
なお、当時は駅舎ホーム側にトイレがありました。

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ホーム上の名所案内板。
野尻湖はここからじゃちと遠いっす・・・。

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黒姫駅方から見た古間駅構内。
線路は構内でカーブしており、この位置では構内を見渡すことは出来ません。

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ホーム端から黒姫駅方を見る。
右側の旧島式ホームはすっかり草生して、廃ホームとしては中々良い感じ。

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牟礼駅方の踏切から見た古間駅構内。

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古間駅を出発する115系電車長野行。
この電車も昨年限りで過去帳入り。
E129系電車投入までの穴埋めとして、この長野色115系電車が一昨年前から直江津以東でも見られるようになりましたっけ。

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古間駅に到着した189系電車「妙高」長野行。

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古間駅前の様子。
駅前広場は広く、駅舎の規模に比べて相当に広大であります。
またかなりよく整備もされていました。

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古間駅前通りの様子。
日曜の雨の午後、人影は無くクルマも思い出したように通るきり。
至近にコンビニやスーパーはありませんでした。
駅昇格は地元の悲願であったとはいえ、旧古間村の中心は北国街道(現・国道18号線)沿いで、古間駅からは1km強離れているので商店街が形成されていないのも止むを得ないでしょう。
この規模の駅前通りとしては、失礼ながら場違いな広さです。
あるいはこの道路も、古間信号場を駅に昇格させるに当たっての地元負担の環境整備の一環なのかもしれまんな。

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全く予期していなかったのですが、偶然にも古間駅前に発着する路線バスに遭遇。
乗客はゼロ。
当時は黒姫駅との間に平日一日四本、休日は二本の運行でした。
現在も黒姫駅前から古間、牟礼に国道18号線経由で平日のみ運行の路線バスが走っていますが、古間駅前には乗り入れていないようです。

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駅裏の路上から見た古間駅駅舎の様子。

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古間駅に到着した189系電車「妙高」直江津行。

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古間駅を出発してあちこちフラフラしながら約20分で旧戸草トンネルに到着。
昭和41年の電化によって廃棄され、その後町道のトンネルとして使われています。
完成は明治20年11月。

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旧戸草トンネル内の様子。
全長約145mの小さな隧道ですが、、距離以上に長く感じるのは往時そのままの内部ゆえですかね。
かつてはこのトンネルを気動車特急「白鳥」が疾走していたのですよ。

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旧戸草トンネルの牟礼側の様子。

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旧戸草トンネルを抜けた町道の様子。

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古間地域のシンボルと言えるのがこの山、薬師岳。
比較的気軽に登れる山だそうで標高819m。

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2016年9月 4日 (日)

黒姫駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・黒姫駅。

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当ブログのメインコンテンツは新潟県内の鉄道駅紹介ですが、信越本線時代の黒姫-北長野間は189系電車撮影も兼ねて各駅に下車しています。
新潟県内駅に比べると、得られる情報量が少ないのでほんのサワリ程度にしかご紹介出来ないのが遺憾ではありますけれど、ここに記していきたく存じます。

さて黒姫駅はかつての信越本線、現在はしなの鉄道・北しなの線に所属する有人駅で、長野県上水内郡信濃町に所在し、同町の玄関駅です。
開業は明治21年(1888年)5月1日で、開業当時の所在は上水内郡柏原村。
開業当時の駅名は「柏原」で、当時の所在村名にちなんだ命名です。
柏原村は昭和30年7月に富士見村と合併して新自治体・信濃村になり、翌年9月には周辺諸村と合併して町制を施行。
新自治体・信濃町にめまぐるしい変身を遂げて今日に至ります。
駅名は昭和43年10月に現駅名の「黒姫」に改称されましたが、自治体名は長野県の旧国名であるので地域の特色を打ち出せずNGといったところでしょうか。
当駅北西には黒姫高原、北東には野尻湖という観光地があり、また当地は俳人・小林一茶の出身地でもあります。
この中で観光客を呼び込めるキャッチーな駅名をとなると、やはり「黒姫」になるでしょうなぁ。
私が選考委員でも文句なくこちらを選ぶと思います。

さて信濃町史によると、当地の停車場は当初案では当時の柏原村と古間村の村境あたりの設置が計画されていたそうです。
現在の国道18号線(北国街道)と信越本線の交差する辺りのようです。
しかしここだと柏原村の宿場町にごく近い為に現地の反対に遭い、已む無く当時は無人の野であった現在地に落ち着いたとの事。
柏原停車場の開業は明治21年と比較的早い時期であり、陸上交通は江戸時代さながらというのが当時の地方の実態であり、無知無理解と既得権益維持の両面からこのような反対運動が起きるのも無理は無いのです。
しかし結果は惨憺たるもので、鉄道開通によって柏原の宿場町はみるみるうちに衰退してしまったのです。
これは新潟県側の妙高高原駅と関川の宿場町の関係と同一の話で、全国各地で鉄道駅を誘致しなかった宿場町に見られる衰退の詩集の一典型と申せましょう。

このようにして誕生した柏原停車場は宿場に代わる旅客・物流の主役になり、やがて沿線の観光開発の進展と共に観光駅として発展していくことになります。
昭和55年10月改正ダイヤでは、特急「あさま」(上野-直江津間)1往復、急行「妙高」3往復(上野-妙高高原・直江津)、急行「赤倉」1往復(新潟-名古屋間)、急行「とがくし」2往復(新潟-上田間)の計7往復が停車しています。
北隣の妙高高原駅はこの他に特急「白山」(上野-金沢間)3往復が停車しているので、当駅はそれに比べればやや格落ちの感はあるものの、新井市の玄関駅である新井駅と優等列車の停車に関しては同格です。
自治体の人口規模(新井市は信濃町の三倍近い人口)を考えれば、当地の観光需要の多さが窺い知れます。

かつては上野直通の特急列車が停車するなど繁盛した黒姫駅でしたけれど、その後の新幹線と高速道開通によってその立場は激変。
2001年末に黒姫駅に唯一停車する特急「みのり」(長野-新潟間)1往復が廃止され、当駅への定期優等列車停車は消滅してしまったのです。
JR東日本在籍時最後の統計である2013年度の当駅一日平均乗車人員は389人。
同社長野県内有人67駅中42位でした。
北隣の妙高高原駅も同レベルで、両者共に駅周辺に高校が無い為に学生の集中が無く、観光需要の衰退と地域の過疎化で正直なところ上がり目は・・・。
過去の栄光を考えると実に辛い話なのですが、これが地方ローカル鉄道化した旧信越本線の実態なのです。

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黒姫駅駅舎の様子、2011年6月撮影。
なお、画像は全て同年同月の撮影であります。
過去の栄光の日々の残照を濃厚に残す駅舎です。
建築財産票を見つけられなかったのですが、信濃町史によると昭和7年8月の完成との事。
駅前には黒塗りの高級そうなタクシーが二台待機中。
昔はもっと多かったんでしょうなぁ。
時間があれば野尻湖見学にタクシーを使って、運転手の方に昔の話を聞いておくべきでしょうな。
もう少し経つと、昔の事を知っている方も引退してしまうでしょうから。
下の画像中央の跨線橋は、駅の南北を結ぶ自由通路です。

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黒姫駅駅舎内改札周りの様子。

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黒姫駅駅舎待合室内の様子。
当日は日曜日でしたが、キオスクは閉まっていました。
左のソバ屋さんは盛業中。
信濃町史によると、当駅キオスクの前身の売店は昭和12年4月に開設され、戦時中に一時廃止された後、戦後は昭和29年12月から鉄道弘済会による通年営業になったそうです。
ソバ屋さんは昭和38年からやっているということで、両者共に「柏原」駅時代、そして当駅の最盛期を知る存在なのです。
残念ながらキオスクは、しなの鉄道移管直前に撤退。
ソバ屋さんは盛業との事で何よりです。

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一番線妙高高原駅方から見た黒姫駅構内。
この辺りまでかかる定期列車はこの時点で存在せず。
上に架かっているのは前述の自由通路です。

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ホーム端から妙高高原駅方を見る。
手前に189系電車「妙高」号の指定席車乗車口案内があります。

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一番線古間駅方から見た黒姫駅構内。

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一番線ホーム端から古間駅方を見る。

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黒姫駅跨線橋内の様子。
優等列車停車駅に相応しい通路の広さです。
信濃町史によると、この跨線橋は地元負担で建設され昭和25年2月に完成との事。
通路の広さなどは完成当時のままでしょうから、今後の観光需要を見据えた先見の明の賜物であったのかもしれません。
信濃町史は鉄道に関して記述が多く、町の鉄道に対する思いを強く感じる事が出来て実に好印象。
鉄道に関して一行も書かれていない新潟県内のアノ市やコノ町らとは大違いです。

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跨線橋上から古間駅方を望む。
画像左側を見るに、貨物用引込線は少なくとも二線あったのがわかります。

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同じく妙高高原駅方を望む。
中線は二線あったのでしょうか。

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島式ホームの跨線橋出入り口と上屋の様子。

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島式ホームと一番ホームに接する駅舎の様子。
取材時点では二番線は一日一回、夜の妙高高原行のみで使用されていました。

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島式ホーム端から妙高高原駅方を見る。
当駅から妙高高原駅までは複線になっています。
現在ではこれでも過剰な設備と言えます。

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黒姫駅三番線の様子。
三番線は妙高高原方面乗り場です。

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島式ホーム古間駅方から見た黒姫駅構内。

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島式ホーム端から古間駅方を見る。
この先は単線になっています。

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黒姫駅に到着した189電車使用の普通列車「妙高」。

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前掲の長野行「妙高」と同時発車の直江津行「妙高」。
当時は「妙高」の本数が多かったのでこのような光景も見れたのです。
取材翌年の2012年3月改正で「妙高」の運行本数はそれまでの5往復から2往復減の3往復になりました。
3往復だと、各駅での停車画を撮るには沿線に数回通わなければならなかったので、早い内に撮れて実にラッキーだったのです。
油断している向きが多かったのか、ご同業の方には一人も出会いませんでしたな。

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黒姫駅構内を横断する自由通路上から俯瞰で見た黒姫駅構内。

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同じく妙高高原駅方を俯瞰で望む。

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自由通路を渡って駅南側から見た黒姫駅駅舎。

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黒姫駅南口広場。
こちら側は昔日の村らしい風景です。

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妙高高原方の踏切から見た黒姫駅構内。

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黒姫駅北口広場の様子。
駅前広場はご覧のように広く、かつては観光バスも多数発着していたのでしょうなぁ。

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黒姫駅駅前通りの様子。
この通りは当地出身の俳人・小林一茶にちなんて「一茶通り」と呼ばれています。
道沿いには地元資本のスーパーが一軒ありました。

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駅の古間方に架かる県道の陸橋上から見た黒姫駅構内。
画像右側が町の中心部、そして小林一茶ゆかりのエリアになります。

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黒姫駅からフラフラ歩き、13分ほどで「一茶記念館」に到着。
小林一茶の人生と俳句の世界を知り、学ぶことが出来ます。

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「一茶記念館」の建物。
日曜の館内は多くの人が見学していました。
俳人ということもあって、ほぼ全員が年配の方。
見たところ、一番のワカゾーは他ならぬ私でしたなw
館内は小林一茶関連に加えて往時の「柏原宿」の再現ジオラマもありました。
北国街道沿いに多くの建物が密集して建てられていて、中々の壮観。
建物の裏手はすぐ田畑になっていて、昔の宿場ってこんなに縦深(横深?)が無かったのねと少々の驚きも。
なお記念館内には図書室もあって、参考文献の「信濃町史」はそこで読みました。

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「一茶記念館」名物が、ぬこ館長のうみニャンコ殿。
館内の巡回を終えて、私のすぐ後ろから表に出ていらっしゃいました。
しゃがんでウィンクしながら声をかけさせていただいたら、目の前でこのようにあられもないお姿を見せていただきました。
顔洗いを終えられると、「ハイ今日のサービスはここまでニャ」という風に、何事も無かったかのように向かいのみやげ物屋さんに悠然と歩き去っていかれました。
うみニャンコ館長殿は今もご壮健のようで何よりでございます。
ただこの当時より少々太ましくなられたようであります。

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「一茶記念館」構内にはこのような掲示があります。
ぬこ館長うみニャンコ殿が最優先なのは言うまでもないことです。

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「一茶記念館」に隣接してこのような建物も保存展示されています。
これは「俳諧寺」といって、小林一茶を慕う地元の方々によって明治43年に建てられたそうです。

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「一茶記念館」に隣接する、なかなか趣きのある小丸山公園。

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「一茶記念館」界隈から少し歩いて国道18号線に出ます。
この辺りが往年の宿場町「柏原」です。

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北国街道の南の外れにある「史跡小林一茶旧宅」。
小林一茶は柏原宿の大火で家を失い、焼け残ったこの土蔵で火事から約四ヶ月後にここで亡くなりました。

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平成12年に復元された、一茶の弟屋敷。

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黒姫駅と野尻湖を結んでいた長野電鉄運行の路線バス。
2011年当時は信越本線の列車に接続する形で毎時一本が運行されていました。
観光閑散期の梅雨時の日曜ではありましたがガラガラだったので、先行きを少々懸念しておったところです。
その翌年(2012年)に当地域の路線バスの再編があり、多くの路線から長野電鉄が撤退。
現在、野尻湖アクセスに関しては信濃町が季節運行の「観光シャトル便」を運行しています。
しかし本数は一日四便と僅少で、鉄道で当地に降り立ち野尻湖に行こうと思ったらタクシー利用か約4kmの歩き他無しなのです。
また鉄道補完では黒姫駅前から古間、牟礼にバス路線が設定されていますが、両駅前には立ち寄らないようです。
一日三往復で土休日運休になっています。

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2016年8月14日 (日)

矢代田駅(信越本線)

本日の駅紹介は信越本線・矢代田駅。

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新潟県新潟市秋葉区に所在する有人駅で、開業は明治30年(1897年)11月20日。
開業当時の所在は中蒲原郡矢代田村で、同村は当駅開業直後の明治34年(1901年)11月に西隣の小須戸町と合併し、平成までその状態を維持してきました。
平成の大合併の号令下で平成17年(2005年)3月に新潟市に合併編入されて、旧新津市と共に新潟市秋葉区に転身して今日に至ります。
旧小須戸町は新潟市中心部から20km以上離れていて、新津市と合併するならともかく、それを飛び越えていきなり新潟市と合併してしまう展開には驚いたものです。

矢代田駅開設に当たっては、信濃川水運の水駅が置かれて商業物流拠点として賑わいを見せていた小須戸町にではなく、その中心地区から東に約2kmも離れた矢代田村内に設置した経緯が非常に気になるところなのですが、色々調べてもコレといった結論が無いのです。
曰く、
この地に鉄道を敷設した北越鉄道は新発田までの免許を持っていて、新発田へは遠回りになる小須戸町経由は避けたのだとか、
曰く、
最初は小須戸町へ停車場設置を考えていたが、鉄道が通ると水運が衰退するので町が反対して止めさせただとか、
曰く、
信濃川の氾濫による悪影響を考慮して小須戸町への設置は避けたのだとか。
印象としては、小須戸町は鉄道駅誘致にあまり積極的ではなかったのだろうというのが最大公約数的な話になるのですけれど、矢代田村が小須戸町に合併された後、小須戸町が矢代田駅を「小須戸駅」に改称しろという声があったという話もあり、また話がこんがらがってくるわけなのであります。
ともあれ、駅名の改称が行われることはなく、矢代田駅は東に1.5kmに所在する、新潟県下トップクラスの石油産出地域である新津油田の石油輸送に重宝されることになりました。
新津市史によると、おりしも当駅開業から6年後には、金津地区を含む新津油田の産油量が西山油田を超えて県内トップになっているのです。
ちなみにこの新津油田、明治末期に産油量が落ちてしまいましたが掘削の新技術導入で盛り返し、大正5年にピークを迎えます。
しかしそれが新津油田の限界で、伸び代を使い切った油田の産油量は以後下降の一途を辿っていったとの事です。

JR東日本によると、2014年度の矢代田駅一日平均乗車人員は1,119人。
同社新潟県内有人67駅中36位で、越後線・青山駅や磐越西線・五泉駅と同レベルです。
人口約1万人の旧小須戸町中心地区から2kmも離れていてこの数字は中々に立派なもので、付近に高校が所在し学生の集積拠点となっているのが大きいと思われます。
駅西側には新たな宅地造成も行われていて、新潟市近郊のフロンティア的な立ち位置としてこれから周辺人口も漸増していきそうなところです。

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矢代田駅駅舎東口の様子、2012年6月撮影。
2008年6月に供用を開始した橋上駅舎です。
前述したように駅東口では宅地造成が行われていて、そちらへのアクセス向上と老朽化した駅舎の改築を兼ねた結果、このような立派な駅舎が建設されたのです。

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矢代田駅東口の上屋とロータリー、2010年7月撮影。
この時点ではタクシー一台が常駐。
手前にバス停があり、新潟交通観光バス運行の路線バス新津-小須戸線と秋葉区運営のコミニュテイバスが乗り入れていますが、便数は少なくあまり便利とは言えないのでタクシー常駐は必要でしょうねぇ。

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東口ロータリーから信越線に並行する県道方面を見る、2012年6月撮影。
旧駅舎時代はこちら側が唯一の駅出入り口でした。

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矢代田駅東側の県道の様子、2012年6月撮影。
旧矢代田村の中心地区ですが、人口集積はそれほどではありません。
駅前にはYショップがありますが、コンビニではないので深夜早朝は閉まっています。
なお、この県道では矢代田駅から新津駅方面には前述の路線バスが運行されていますが、田上駅方面へのバス路線設定はなく、信越本線新潟-長岡間におけるバス空白区間の一つになっています。
田上駅は南蒲原郡田上町の所在なので、自治体を跨いでコミニュティバスを走らせるわけにもいかないのでしょう。
なお、この県道は当駅前を過ぎて間もなく、国道403号線に昇格しています。

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矢代田駅西口の様子、2009年7月撮影。
西口とはまた意匠が異なったデザインです。
新潟市近郊のフロンティアとして売り出していこうという当局の意欲が伝わってくるようですな。
駅の東西でデザインを変えて画一化から脱却するのは実に良いことだと思うのですけれど、その分おカネは張りそうでもあります。

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矢代田駅西口駅前通りの様子、2009年7月撮影。
この時点ではまだまだこれから、まさにフロンティアでありました。

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駅の東西を結ぶ橋上駅舎内の自由通路の様子、2010年7月撮影。
画像奥のステンドグラス調の花の画、旧小須戸町の町花はツツジなんですが描かれているのはコスモス?
花には全く知識が無いのでよくわかりません・・・。
ちなみに旧小須戸町を含む新潟市秋葉区のウリの一つが「花のまち」なのです。

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矢代田駅橋上駅舎改札口周りの様子、2010年7月撮影。
当駅の一日平均乗車人員はJR東日本新潟支社の自動改札機導入対象の下限に位置していて、当駅と利用状況が同レベルの五泉駅には自動改札機が導入されています。
駅舎を改築する話を聞いた時は、これに合わせて自動改札機を導入するのではと思いましたけれど、実際は従来の有人改札のままでした。

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橋上駅舎構内の待合室の様子、2009年7月撮影。
総ガラス張りなので、うっかり鼻クソもほじれないのです。

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新潟方面乗り場の旧島式ホームの田上駅方から見た矢代田駅構内の様子、2010年7月撮影。
駅舎改築前に既に遊休化していた中線上には架線柱が建ち、完全に分断されてしまいました。
「二度と甦らないようにトドメ刺しておきましたっ」的なこういう図は、駅フェチにとっては残念!の一言なのであります。

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同じく田上駅方を見る、2010年7月撮影。
画面奥の跨線橋は、旧小須戸町中心部に行き着く国道403号線です。

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旧島式ホームの古津駅方から見た矢代田駅構内、2010年7月撮影。
手持ちの時刻表を紐解くと当駅での普通列車の優等列車退避は、上越線特急全盛の昭和55年10月改正ダイヤでは上下合わせて4本、上越特急廃止後の昭和60年3月改正ダイヤでは上り1本で実施されていました。

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長岡方面乗り場の対面式ホーム田上駅方から見た矢代田駅構内、2010年7月撮影。
ここから見ると橋上駅舎の構内部分の構えも中々立派なものです。
西口へ伸びるアーム状の自由通路が良いアクセントになっています。

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同じく古津駅方から見た矢代田駅構内、2010年7月撮影。

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対面式ホーム端から古津駅方を見る、2010年7月撮影。
ここから見ると人家も疎らな広大な平野にこれから投げ出されていくような感じですけど、実際は新潟県最大の人口集積地域にどんどん近づいていくわけです。

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旧島式ホーム上から見た矢代田駅西側の様子、2010年7月撮影。

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橋上駅舎上から古津駅方を見る、2012年6月撮影。
宅地として開発されたエリアから一歩出れば、越後平野の広大無辺な田圃の海なのです。
お子さんの情操教育には、こういうロケーションに住んでみるのがプラスかもしれませんな。

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同じく田上駅方を見る、2012年6月撮影。
ここから見るとこちら側の方が賑やかに見えるのでけれど、実際は逆なのです。

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田上駅方の国道跨線橋上から見た矢代田駅全景、2010年7月撮影。

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古津駅方の踏切から見た矢代田駅、2012年6月撮影。
こちら側は中線が完全に撤去されているので、上下線間に不自然な空間が生じてしまっています。

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矢代田駅に停車中の115系電車新潟行、2012年6月撮影。

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矢代田駅に到着した115系電車湘南色の長岡行、2012年6月撮影。
こういう光景も間もなく見納めです。

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矢代田駅を通過する485系電車R編成の特急「北越」金沢行、2012年6月撮影。
特急の定期停車実績は無く、急行列車も停まりそうで停まらないビミョーな立ち位置の当駅ですが、快速列車に関しては昔から停車駅でした。
特急に準じた使命の快速「くびき野」停車は叶わなかったのは残念でしたが、現在(2016年)時点では特急型車両が充当される快速列車として夜の「らくらくトレイン信越」と、新潟-糸魚川間に一日一往復が運行されている485系最後の定期運用列車である8621M・8622Mが停車しています。

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矢代田駅に進入する485系電車T編成の特急「北越」新潟行、2012年6月撮影。

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矢代田駅旧駅舎の様子、2004年10月撮影。
建築財産票を確認できなかったのですが、相当に年季の入った建物でした。
二重屋根?の造り、上屋を支える支柱の形状など実に興味深い。
旧駅舎時代の駅前広場は狭くて、路線バスも乗り入れていませんでした。
あのような立派な橋上駅舎が建つとは当時夢想だにしませんでしたなぁ。
下の画像の駅舎出入り口左手が待合室で、内部は吹き抜けではなく待合室は仕切られていました。
駅舎内部を撮影しておかなかったのが悔やんでも悔やみきれないのでありますが、当時はこのブログを始める前でこんな記事を書くとは全く考えておらず、現在のように人がいなくなるまで辛抱強く待って撮影するとか面倒な事はやっていなかったのですよ。

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対面式ホームに面した駅舎とその先の跨線橋、2004年10月撮影。

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島式ホームから見た駅舎の様子、2004年10月撮影。
この時点では中線はまだその姿を留めていました。

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島式ホームから見た矢代田駅旧構内の様子、2004年10月撮影。

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島式ホーム上には実用本位な作りの待合室がありました、2004年10月撮影。

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島式ホーム古津駅方から見た、矢代田駅旧構内の様子、2004年10月撮影。
現在の駅構内と比較して見ていただければ、単に駅舎の改築に留まらず構内も相当に手が入れられているのがお分かりいただけると存じます。

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対面式ホーム田上駅方から見た矢代田駅旧構内、2004年10月撮影。

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対面式ホーム古津駅方から見た旧構内中心部、2006年11月撮影。
この半年後、旧駅舎は撤去解体されてしまったのです。
この時点では既に当ブログを始めていましたけれど、最初の頃のエントリーを見ていたたければわかるように、現在のようにディープな様式では無く撮影も今日の視点では色々と不備があったのです。
今なら駅舎内、跨線橋内、待合室内は絶対に押さえておくポイントですのに、この時はそのいずれもスルーという有様。

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跨線橋上から見た矢代田駅旧構内古津駅方の様子、2004年10月撮影。
跨線橋内は撮影していないものの、俯瞰マニアなのは昔も今も変わらないので優先的に撮影しています。

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同じく田上駅方を見る、2004年10月撮影。
現在と比べると、ホームは長く見えます。

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田上駅方の国道跨線橋上から見た矢代田駅旧構内、2004年10月撮影。
この時点では駅西側はまだ未開発でした。

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ここからはかつて新津油田の一角を占めていた金津地区の様子を簡単にご紹介。
ここから先の画像は全て2010年7月撮影です。
矢代田駅から東に1.5kmの金津地区は「石油の里」として観光地になっています。
公共交通機関でのアクセスは、新潟交通観光バス運行の新津-金津線(2016年3月時点で一日四往復、この撮影時と変わっていません)と、秋葉区運行のコミニュティバス(新津駅から古津駅、矢代田駅を経由して新津駅へ戻るルートで一日七便)です。

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石油の里では、往時の石油関連施設が野外展示されていて、明治~大正期の石油産出最盛期を偲ぶことが出来ます。

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産出した原油の量を測る計量タンク。
同時に一日かけて油と水を分離するそうです。

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計量タンクからこの加熱炉に送られた原油は、70℃の加熱で油と水の分離をさらに行います。

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頭上に架かる送油管。

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画像中央右手の建物が「石油の世界館」。
新津油田の歴史を学ぶことが出来ます。

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2015年11月22日 (日)

東三条駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・東三条駅。

東三条駅の駅名標

新潟県第四の都市である三条市に所在する有人駅で、同市の玄関駅です。
開業は明治30年(1897年)11月20日。
開業当時の駅名は「一ノ木戸」で、当時所在していた南蒲原郡一ノ木戸村にちなんだものでした。
当時の北越鉄道が起点の沼垂(現在の新潟駅とは異なるので注意)からこの地域まで鉄路を建設するに当たって、長岡方面への延伸までの暫定的な終着駅をどこに設置するかについては、当時の三条町と一ノ木戸村の間で激しい誘致合戦が繰り広げられたとの
事です。
三条市史によると一ノ木戸村はとりわけ熱心で、駅用地を村で買い上げて北越鉄道に寄付するという条件を提示。
その結果、明治29年に北鉄と村の間で土地の寄付に加えて駅の設置費用の一部を村が負担する形で契約が成立。沼垂からの鉄路は三条町と一ノ木戸村を分かつ五十嵐川を渡河せずに、一ノ木戸駅止まりとすることになりました。
駅が出来てまずは目出度い...と言いたいところなのですけれど、一ノ木戸駅は田圃の真ん中にある小駅に過ぎず、鉄道が労働集約型産業の典型であった当時において、当駅の駅員はたったの二人だっとの事。
いかに需要が無いかの表れで、それゆえに駅設置に当たっては村があれだけの負担をしなければならなかったのですな。

一ノ木戸駅開業から約七ヶ月後の明治31年6月には、北越鉄道が当駅から長岡まで延伸開業して、一ノ木戸村と駅設置を激しく争った三条町にも玄関駅として三条駅が開業。
開業当時の三条駅も周辺は一ノ木戸駅と似たような状態なものの、県央地域随一の自治体である三条の求心力と、弥彦神社参拝客や町内の本成寺への参詣客の最寄下車駅であることが相まって、一ノ木戸駅とは駅勢に大差が付くようになります。
明治34年には一ノ木戸村が三条市に編入合併されると、一ノ木戸駅はまがりなりにも村の玄関駅であったのが三条町の外れの小駅という位置付けになってしまいます。
大正12年当時の両駅の比較では、
乗車人員
三条駅 273,847人  一ノ木戸駅 160,067人
貨物発送トン
三条駅 15,236t 一ノ木戸駅 8,255t
三条駅は旅客で一ノ木戸駅の1.7倍、貨物は1.8倍。
現在の両駅の関係を見るに、にわかには信じがたい数字なのです。

このような一ノ木戸駅のあまり冴えない状況に変化が見え始めるのが、大正14年(1925年)4月に現在の弥彦線の前身である越後鉄道・燕駅-一ノ木戸駅間の開通でした。
弥彦駅から南伸する越後鉄道の終着駅を三条、一ノ木戸のどちらに置くかについてはかなり議論されたようですけれど、後者の方が距離を少なくできる(建設資金の節約になりますし、資料では触れていませんけれど後者だと五十嵐川へ架橋せずに済むのも重要ではなかったかと思います)、一ノ木戸地域に置かれた裁判所や学校への往来通学に便利などの理由から、一ノ木戸駅乗り入れに軍配が上がります。
この翌年には駅名を現在の東三条に改称します。
この時点でも信越線急行列車の停車駅は三条駅で、駅の格としてはまだまだ三条駅優勢であったものの、三条町の町勢は次第に一ノ木戸駅周辺にシフトし始めて、戦後には両駅の立場は完全に逆転することとなりました。
三条界隈を歩くと古くからの旧市街地は道も狭く再開発の余地はあまり無いように思われ、町勢の拡大に伴って未開発の一ノ木戸地区がクローズアップされた結果であろうかと考えるところです。

JR東日本によると2014年度の東三条駅一日平均乗車人員は2,803人で同社新潟支社管内有人67駅中12位。
3位の六日町駅と6位の犀潟駅はほくほく線の通過旅客の数字も合算した水増しであることから、当駅は実質第10位であります。
かつては当駅よりも遥かに格上であった三条駅は1,686人で第27位。
新潟都市圏外で特急の停車しない駅としてはトップの数字なので、三条駅もけして侮れない存在なのではありますが、優等列車の停車や他線との接続による存在感は、乗車人員の差以上に懸隔してしまっています。

現在、特急「しらゆき」五往復全便が停車する東三条駅ですが、当駅に特急が最初に停車したのは昭和40年10月ダイヤ改正で、上野-新潟間の電車特急「とき」1往復です。
対秋田・青森の「いなほ」が停車することは叶わなかったものの、「とき」に加えて「北越」「雷鳥」「白鳥」、寝台特急「つるぎ」の停車駅となり、上越新幹線開業以前は実に華やかな駅であったのです。
昭和55年10月改正ダイヤでは、「とき」は14往復中10往復、「雷鳥」三往復、「北越」「白鳥」「つるぎ」で合計16往復が停車。
急行は全列車が停車し「佐渡」四往復と「とがくし」二往復、「しらゆき」「赤倉」「きたぐに」「うおの」「天の川」「鳥海」の12往復で、優等合計28往復です。
信越線の普通・快速は20本なので、当時の普通列車は低密度長編成のいわゆる「汽車型ダイヤ」であったとはいえ、優等停車の方が本数が多いのは当時の東三条駅の立ち位置が大きかった表れと言えましょうか。

東三条駅駅舎
東三条駅駅舎の様子、2012年5月撮影。
建築財産票を発見できなかったので詳細は不明ですが、昭和34年1月完成との事。
同時期に見附、加茂両駅の現駅舎が完成していて、これら三駅は当時の国鉄標準型として類似した平屋の建物になっています。

2008年4月時点の東三条駅駅舎内の様子
東三条駅の待合室
東三条駅駅舎内の様子、少々古い画で恐縮ですが上は2008年4月、下の待合室内が2009年7月撮影。
上の画は日曜夜の撮影ですけれど、このクラスの駅は光量が多いので日が落ちてからの方がかえって明るくて撮影によさげ。
内部は駅利用客の多さに比べて少々手狭な感じです。
駅舎内にはNEW DAYSが出店していて、周囲にこれといった店がない中で貴重な買い物どころです。

東三条駅一番ホーム中央部の様子
駅舎に接する1番ホーム中央部の様子、2011年6月撮影。

一番ホーム三条方から見た東三条駅構内
1番ホーム三条駅方から見た東三条駅構内、2011年6月撮影。
左隣の0番線が頭端式の弥彦線用ホームで、1997年に東三条-北三条間の高架化に伴い駅東側からここに移転しました。
ホームの上屋は実に長く、現在当駅での信越線乗降において雨に濡れる心配はありません。

一番ホーム三条方先端から先を見通す
同じ位置から三条駅、北三条駅方を見る、2011年6月撮影。
左側が信越線、右側が弥彦線です。

一番ホーム保内方から見た東三条駅構内
1番ホームの保内駅方から見た東三条駅構内、2012年5月撮影。
この位置からだと、何の変哲も無い至って地味な構内に見えます。

一番ホーム保内方先端から先を見通す
同じく保内駅方を見通す、2011年6月撮影。

東三条駅跨線橋内の様子
東三条駅跨線橋内の様子、2012年5月撮影。
天井の造作など、鉄道全盛の古き良き時代の産物です。
画像中央奥は高架化以前の弥彦線ホーム跡に作られた東口への出入り口です。

跨線橋上から見た三条方面
跨線橋上から見た三条方面、2011年6月撮影。

跨線橋上から見た保内方面
同じく保内方面を見る、2011年6月撮影。

一番ホームから見た島式ホーム上のエレベーター
1番ホームから見た島式ホーム上のエレベーター、2011年6月撮影。
これ以前に訪問した2009年7月時点では未設置だったので、設置されたのはその二年の間になりますな。

三番ホーム保内方から見た東三条駅構内
3番ホームの保内駅方から見た東三条駅構内、2012年5月撮影。
構内はこのように広いものの、この直前にトラック代行も無くなり当駅の貨物取扱が終了した為に、画像左側の線路はすっかり遊休化しています。

三番ホーム保内方先端から先を見通す
同じく保内駅方面を見る、2012年5月撮影。

二番ホーム保内方から見た駅構内
2番ホーム保内方から見た東三条駅構内、2012年5月撮影。
上越新幹線開業前は普通列車の優等退避が度々見られたこの2番線も、撮影当時は朝の下り快速「くびき野」退避が一度あるきり。
2015年3月改正ダイヤでは設定されていません。

東三条駅島式ホーム中央部の様子
東三条駅島式ホーム中央部の様子、2012年5月撮影。
画像中央が待合室です。

島式ホーム上の待合室内の様子
島式ホーム上の待合室内の様子、2011年6月撮影。
以前の画像を見返すと、2005年9月時点では島式ホーム上に待合室はありませんでした。

三番ホームから見た旧弥彦線ホーム跡の東口
3番ホームから見た、旧弥彦線ホーム跡の東口出入り口。
2011年6月撮影。

二番ホームから見た一番ホーム中央部の様子
2番ホームから見た1番ホーム中央部の様子、2011年6月撮影。
上屋のある構内撮影の場合、晴天曇天に関わらずコントラストがキツくてイマイチですな。
駅舎内同様に、このアングルだと夜間撮影の方が映えそうです。

二番ホームから三条方を見る
2番ホームから三条駅方を見る、2011年6月撮影。

東三条駅東口の様子
東三条駅東口の様子、2008年3月撮影。
駅前はロータリーになっています。
駅へ車で送迎する場合は、こちら側の方がやり易いでしょう。
ただし、ホームからはやや距離があります。

東口の自動改札
東三条駅東口の自動改札、2008年3月撮影。
こちら側は無人で、自動券売機が一台置いてあるだけの簡素なもの。

東三条駅二番線に停車中の湘南色115系電車
東三条駅2番線で快速「くびき野」退避の下り新潟行湘南色115系電車と、3番線から出発する上り長岡行115系電車、2012年5月撮影。

東三条駅を出発する115系電車L編成
3番線を出発する長岡行115系電車、2012年5月撮影。

東三条駅0番線で待機中の弥彦線115系電車Y編成
東三条駅の弥彦線専用0番線で待機中の弥彦線115系電車、2005年8月撮影。

東三条駅二番線に停車中の115系電車Y編成
東三条駅2番線に停車中の、弥彦線直通寺泊行115系電車、2009年7月撮影。

東三条駅を出発する485系電車国鉄特急色の特急「北越」
東三条駅3番線から出発する485系電車国鉄特急色の特急「北越」金沢行、2012年6月撮影。

東三条駅を出発する485系電車T編成の特急「北越」
東三条駅3番線から出発する485系電車T編成の特急「北越」金沢行、2012年6月撮影。

東三条駅を出発する485系国鉄特急色の快速「くびき野」
下り普通列車を2番線に退避させ先発する485系電車国鉄特急色の快速「くびき野」新潟行、2012年6月撮影。

東三条駅から遠ざかる快速「くびき野」
東三条駅から遠ざかる快速「くびき野」、2012年6月撮影。

東三条駅に停車中の485系電車R編成の特急「北越」
東三条駅3番線に停車中の金沢行485系R編成特急「北越」、2014年7月撮影。

東三条駅に停車中の583系電車急行「きたぐに」
東三条駅1番線に停車中の新潟行583系電車急行「きたぐに」、2009年7月撮影。

東三条駅を通過するEF81形電気機関車牽引の貨物列車
東三条駅1番線を轟然と通過するEF81形電気機関車牽引の下り貨物列車、2012年6月撮影。
「トワイライトエクスプレス」廃止後は、東三条駅を通過する営業列車も貨物だけになりました。

東三条駅西口ロータリーの様子
東三条駅西口ロータリーの様子、2012年6月撮影。
ロータリーには路線バスが発着し、タクシー待機も数台あります。
鉄道関連ではここから加茂、長岡、燕、分水方面にバス路線が設定されています。
見附市今町、北長岡、長岡へはこちらへ
燕へはこちらへ
燕三条、分水へはこちらへ
加茂へはこちらへ

東三条駅西口駅前通りの様子
東三条駅西口駅前通りの様子、2012年6月撮影。
新潟県内で実質ベスト10入りの賑わいを見せる駅とは対照的に、駅前にはホントに何もありません.....
昔は駅前に百貨店の長崎屋があったのですけれど、唯一集客力のあるあの店舗が撤退して以来、新規出店も無く寂れきってしまっています。
三条市も北隣の燕市も、商業集積は上越新幹線の燕三条駅界隈に集中してしまっているので、止むを得ない話なのですけれど。

陸橋から見た東三条駅構内
駅前通りを保内方に向かって歩いて、線路に架かる陸橋から東三条駅構内を見る、2008年3月撮影。
駅周辺はマンションが建ち並び、駅前商圏の壊滅的状況とは好対照。

陸橋上から保内方面を見る
陸橋上から保内駅方を見る、2008年3月撮影。
画像右側の線路の先に、JR貨物のコンテナ基地があります。

東三条駅東口駅前通りの様子
東三条駅東口駅前通りの様子、2008年3月撮影。
この時点ではこちら側にも商店の類はありませんでした。

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