カテゴリー「R006 信越本線の駅」の記事

2017年7月 2日 (日)

直江津駅(信越本線・えちごトキめき鉄道)

本日の駅紹介は信越本線/えちごトキめき鉄道・直江津駅。

国鉄型の直江津駅駅名標
えちごトキめき鉄道型の直江津駅駅名標

新潟県上越市に所在する有人駅で、開業は明治19年(1886年)8月15日。
ただし現在位置に移転したのは明治31年8月1日との事です。
開業時の所在は中頚城郡直江津町で、同町は周辺自治体を合併編入して昭和29年に市制を施行して直江津市になります。
国指定の重要港湾である直江津港を抱える直江津市は日本海沿岸海運の要衝のひとつでしたが、昭和46年に南隣の高田市と合併して人口約12万人の県内第三の都市・上越市に発展的解消を遂げて今日に至ります。
旧高田市はかつての越後高田藩の城下町で商業の中心地、対して旧直江津市は海運工業と鉄道道路の交通上の要路で、それぞれの力をひとつに纏めて地域の発展を図る大同団結であったのです。
上越市は平成の大合併によってその市域を拡大し、面積は村上市に次ぐ県内第二位、人口は20万人弱で新潟、長岡両市に次ぐ県内第3位の都市になっています。

さて直江津駅は信越本線と北陸本線の接続駅で、平成27年3月の北陸新幹線金沢延伸までは特急列車が多数行きかう活気ある大駅でした。
昔の時刻表を紐解くと、昭和55年10月改正ダイヤで直江津駅に発着する優等列車はかくのごとき。

寝台特急3往復半: 「つるぎ」、「日本海」2往復、上り「北陸」
電車特急11往復: 「白鳥」、「雷鳥」3往復、「はくたか」2往復、「白山」3往復、「あさま」1往復、「北越」
電車急行5往復:「とがくし」2往復、「妙高」2往復、「よねやま」
気動車急行3往復:「赤倉」「しらゆき」「ひめかわ」
客車急行3往復:「きたぐに」「能登」「越前」
合計25往復半で、定期優等列車発着本数は長岡駅、新潟駅に次ぐ県内第三位。

昭和60年3月改正ダイヤでは
寝台特急3往復半: 「つるぎ」、「日本海」2往復、上り「北陸」
電車特急14往復:「白鳥」、「雷鳥」3往復、「北越」5往復、「白山」2往復、「あさま」3往復
電車急行4往復:「きたぐに」、「南越後」、「とがくし」2往復
客車急行1往復:「能登」
合計22往復半で、在来線定期優等列車発着本数は新潟、長岡両駅を凌ぎ県内堂々の1位。
当駅はこの首位の座を昭和59年2月改正から平成27年3月改正までの約31年間守ってきたのです。

しかし北陸新幹線金沢延伸で、在来線特急の「はくたか」が永遠の旅路に走り去ってそれは激変。
長中距離の優等列車が賑やかに行き交う鉄路の要衝としての機能は既に昔日の光景となり、広大な構内に短編成のローカル列車が出入りする寂しい風景。
夏草や兵どもが夢のあと。

JR東日本によると、2015年度の直江津駅1日平均乗車人員は2,337人。
同社新潟県内有人65駅中15位で、燕三条駅(上越新幹線・弥彦線)よりもやや多く、
巻駅(越後線)よりやや少ないというレベルです。
ただ燕三条駅は上越新幹線駅としての数字なので、無人駅扱いの弥彦線の数字を入れれば当駅よりもかなり大きい数字になると思われます。
また北陸新幹線金沢延伸前年の2014年度と比べると265人減で、思っていたよりも減少幅はずっと小さいのです。

JR東日本管理下の直江津駅駅舎北口
北陸新幹線金沢延伸以前、JR東日本管理下の直江津駅駅舎北口の様子、2005年10月撮影。
2000年4月に供用を開始した駅舎は、前時代の風格たっぷりだった旧駅舎と正反対の現代建築。
とごとなく客船をイメージさせるデザインであります。
鉄路の要衝の新たな顔としてこれからも華やかに・・・といきたかったところですが、現駅舎供用開始の八ヶ月後には、北陸新幹線・長野-富山間のフル規格建設が決定したのです。
華々しく再デビューを飾ったこの立派な駅舎も、近い将来の斜陽化ローカル化を決定付けられてしまったわけです。

えちごトキめき鉄道管理に移った直江津駅駅舎
第三セクター鉄道のえちごトキめき鉄道管理に移った直江津駅駅舎、2015年10月撮影。
駅名から「JR」の二文字が消えています。
なお駅前のバス停には上越市各地及び周辺地域への路線が多数乗り入れていて、鉄道補完では上越大通り線(上越妙高高田犀潟土底浜潟町の各駅に移動可能、南高田黒井駅へは少々歩きます、土休日上下24本)、春日山・佐内線(春日山駅に移動可能、黒井、高田両駅へは少々歩きます、土休日上下15本)、桑取線(谷浜駅に移動可能、有間川駅へは少々歩きます、土休日上下8本)が出入りしています。

直江津駅北口駅前通りの様子
直江津駅北口駅前通りの様子、2010年5月撮影。
昔ながらの旅館や店舗が軒を連ねる通りです。

夜の直江津駅北口駅前通り
夜の直江津駅北口駅前通り、2009年6月撮影。
昼よりも夜の方が風情を感じさせますな。

直江津駅周辺で最大の集客力を持つ店舗「イトーヨーカドー直江津店」
画像左側は直江津駅周辺で最大の集客力を持つ店舗「イトーヨーカドー直江津店」、その手前にあるのはくびきバスの「イトーヨーカドー前」バス停の待合室です、2010年6月撮影。
このバス停には直江津駅発着の路線バスが概ね停まります。

直江津駅南口の様子
直江津駅南口の様子、2010年5月撮影。
道路を渡る自由通路の窓は船の舷窓のようです。

直江津駅南口出入り口の様子
直江津駅南口出入り口の様子、2010年5月撮影。
内陸側のこちらには、特段目を惹くようなものはありません。
南口からもバス停があって、鉄道補完では名立線(谷浜、有間川両駅に移動可能、名立駅へは少々歩きます、土休日上下6本)と能生線(谷浜、有間川両駅に移動可能、名立筒石能生の各駅には少々歩きます、土曜上下4本、休日は全便運休)が発着しています。

えちごトキめき鉄道管理になった今日の直江津駅駅舎改札口
えちごトキめき鉄道管理になった今日の直江津駅駅舎改札口、2015年10月撮影。
2005年末に導入された自動改札機こそ維持されているものの、看板を見ればわかる通り今ではJRは添え物的な扱い。

JR東日本時代の駅窓口
JR東日本時代の駅窓口、2009年6月撮影。

えちごトキめき鉄道に移管後の駅窓口
えちごトキめき鉄道に移管後の駅窓口、2016年9月撮影。

えちごトキめき鉄道窓口脇の自動券売機群
えちごトキめき鉄道窓口脇の自動券売機群、2016年9月撮影。
右側から順に、JRの指定券用、通常用、えちごトキめき鉄道用2台。
JR券売機上のモニターは空席案内板で、この時は上越新幹線の空席情報を表示していました。
直江津界隈からだと上越妙高駅から北陸新幹線を利用するのが対東京の主要路だと思うのですが、これを見るとほくほく線で越後湯沢駅まで出て上越新幹線に乗り換えというルートも、まだ需要があるということなのでしょうか。

駅の南北を横断する小奇麗な自由通路
駅の南北を横断する小奇麗な自由通路、2009年6月撮影。

構内通路から見た直江津駅構内の春日山・谷浜方
構内通路から見た直江津駅構内の春日山・谷浜方、2010年5月撮影。
おりしも3番線には快速「くびき野」が停車中。

自由通路から見た直江津駅構内の黒井方
自由通路から見た直江津駅構内の黒井方、2010年5月撮影。
錯綜する多数の線路は、鉄路の要衝たる証です。

自由通路から見た直江津駅構内の春日山方
自由通路から見た直江津駅構内の春日山方、2015年10月撮影。

自由通路から見たえちごトキめき鉄道の直江津運転センター
自由通路から見たえちごトキめき鉄道の直江津運転センター、2015年10月撮影。
同鉄道の二大主役であるET122形気動車とET127系電車を俯瞰で同時に見物できます。

構内各ホームへ連絡する構内通路
構内各ホームへ連絡する構内通路、2010年5月撮影。
構内のトイレはこの通路上(私が立っている側)にあります。
特急「はくたか」が飛び去った後も、駅弁売りの方が出ておられますが、正直なところ、直江津駅の現状では売り上げも相当に減ってしまったのではと心配になるところです。

直江津駅1-2番島式ホームの春日山、谷浜駅方から見た構内
直江津駅1-2番島式ホームの春日山、谷浜駅方から見た構内の様子、2010年5月撮影。
画像左側の1番線には食パン顔の419系電車が客待ち中。
ご覧のように当駅構内は実に広大で、在来線の駅としては新潟、長岡両駅を凌ぎ、新津駅と並ぶ新潟県下随一の規模です。

島式ホームの2番線端から春日山、谷浜駅方を見る
島式ホームの2番線端から春日山、谷浜駅方を見る、2010年5月撮影。
ホーム端の小屋が視界を遮るので、ここからの眺めはイマイチ。

直江津駅1番線で待機中の413系電車富山行
直江津駅1番線で待機中の413系電車富山行、2012年6月撮影。
2011年3月改正をもって引退した419系電車の後任として、北陸本線の糸魚川以東で運用を開始したこの電車。
しかしその姿を当駅で見られたのは僅か4年でした。

夜の直江津駅1番ホームと、停車中の475系電車
夜の直江津駅1番ホームと、停車中の475系電車、2009年6月撮影。
重厚な上屋の造りが夜目にくっきり。

直江津駅1番線に到着した単行のET122形気動車
直江津駅1番線に到着した単行のET122形気動車、2015年10月撮影。
JR時代の3両編成を単行にしたので当たり前の話なのですが、とにかく混んでいました。
日曜なので学生が集中しているわけではなく、一般の用務客が利用するのです。
あれだけ混んでいると、意気地のない私なぞは糸魚川との往来に北陸新幹線を使いたくなるというものです。
なお2016年9月時点で、1番線から出発する定期列車は1日7本。
全てえちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインのこの気動車です。

直江津駅2番線に到着する当駅止まりの475系電車
直江津駅2番線に到着する当駅止まりの475系電車、2011年6月撮影。
個人的には最後まで馴染めなかった青一色の車体です。

2番線に進入する特急「はくたか」越後湯沢行
2番線に進入する特急「はくたか」越後湯沢行、2013年5月撮影。
北陸新幹線金沢延伸まで当駅最大のスタァと言えたのが、金沢-越後湯沢間新幹線連絡輸送の重責を担っていたこの列車でした。
「北越」よりも長編成で見映えのする列車でしたなぁ。

直江津駅2番線に到着する485系電車国鉄特急色の特急「北越」新潟行
直江津駅2番線に到着する485系電車国鉄特急色の特急「北越」新潟行、2010年6月撮影。
当駅2番線には新潟行「北越」と越後湯沢行「はくたか」が発着していました。
2016年9月時点で2番線を出発する定期列車は、えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの3本と妙高はねうまライン1本、JR東日本が8本(うち特急「しらゆき」が3本)の合計12本です。

3-4番島式ホームの3番春日山、谷浜方から見た構内
3-4番島式ホームの3番春日山、谷浜方から見た構内、2011年6月撮影。

3-4番島式ホーム端から春日山、谷浜方を見通す
3-4番島式ホーム端から春日山、谷浜方を見通す、2011年6月撮影。

3-4番島式ホーム上屋下の待合室内部
3-4番島式ホーム上屋下の待合室内部、2013年5月撮影。
主要駅に相応しく広い室内です。
待合室の向こうの上屋下はガランとして何もなく、今日では完全に遊休化。
新津駅構内と通ずるものがあります。

3-4番島式ホーム上屋下の様子
3-4番島式ホーム上屋下の様子、2011年6月撮影。

南北連絡通路を見上げる3番線黒井駅方から見た構内
南北連絡通路を見上げる3番線黒井駅方から見た構内、2011年6月撮影。
駅周辺の交通事情改善に多大な効果があったと思われるこの連絡橋も、駅撮りの観点のみで言うのならばあまり見栄えは・・・
位置がもう少し構内中央寄りであればまた違っていたと思うのですが。

3番線端から黒井駅方を見通す
3番線端から黒井駅方を見通す、2011年6月撮影。

3番線に停車中の485系電車R編成の特急「北越」金沢行
3番線に停車中の485系電車R編成の特急「北越」金沢行、2013年5月撮影。
かつての3番線は金沢方面への「北越」「はくたか」が発着していていました。
2016年9月時点で3番線から出発する定期列車は、えちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインが9本、妙高はねうまラインが8本(内特急「しらゆき」5本)、JRが2本の合計19本です。

2番線に停車中のET122形気動車と、3番線に到着するE653系電車の特急「はくたか」上越妙高行
2番線に停車中のET122形気動車と、3番線に到着するE653系電車の特急「はくたか」上越妙高行、2016年9月撮影。
特急「はくたか」「北越」が飛び去ってしまった今、寂れた雰囲気が構内に漂う直江津駅に一時の華やぎをもたらすのがこの「しらゆき」でありましょう。

3番線を出発加速する「しらゆき」
上越妙高駅へ向けて、えちごトキめき鉄道に足を踏み入れるべく3番線を出発加速する「しらゆき」、2016年9月撮影。

2番線に停車中の特急「はくたか」と、3番線に停車中の快速「くびき野」
2番線に停車中の特急「はくたか」と、3番線に停車中の快速「くびき野」のツーショット、2013年5月撮影。

秋の夕陽の直江津駅3番線に停車中の115系電車
秋の夕陽の直江津駅3番線に停車中の115系電車、2015年10月撮影。

4番線に停車中の475系電車
4番線に停車中の475系電車、2011年6月撮影。
新潟県内では急行くずれの快速「立山」が糸魚川駅に出入りする以外、国鉄交直流急行色を目にする機会が無かったので、この電車のカラーといえば白地に青のラインです。
2016年9月時点で4番線から出発する定期列車は、えちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインが1本(2017年3月改正で廃止された所謂「糸魚川快速)、妙高はねうまラインが9本、JRが5本の合計15本です。

夕刻の直江津駅4番線に到着した485系電車T編成の快速「くびき野」新潟行
夕刻の直江津駅4番線に到着した485系電車T編成の快速「くびき野」新潟行、2011年6月撮影。
上越地方からの帰路、私がもっぱら愛用したのがこの「くびき野5号」でした。
直江津駅を六時前に出発する時間帯の良さで、指定席に腰を落ち着けてまったりと大名気分で帰宅の一時を過ごしたものです。
この時も撮影後すぐ車中の人へ。
日曜の夕方ですが、車内には新潟到着まで私ひとり。
「くびき野」の指定席は概ねそんな感じでした。
10月の三連休の中日に乗ったことがありますけど、その時でも指定は半分にも行ってない乗り具合でしたっけ。
自由席はぎゅう詰め満員なのにですよ。

南北連絡橋直下の5-6番島式ホームから見た直江津駅構内
南北連絡橋直下の5-6番島式ホームから見た直江津駅構内、2011年6月撮影。
画像左の6番線には指定席車連結の普通列車「妙高」が待機中。

5-6番島式ホーム端から黒井駅方を見る
5-6番島式ホーム端から黒井駅方を見る、2011年6月撮影。
中央には喫煙者憩いの場の喫煙所。
私はそもそも煙草を吸った事が一度も無いので、ホーム端のここまで来て吸いまくる喫煙者の気持ちは理解できませぬ。
中学生の時、「タバコは体にいい」とか言って私にも無理強いしてきたあのバカ、今頃は肺もまっくろけかなぁw

5番線から見た構内中央部
5番線から見た構内中央部、2011年6月撮影。
やはり当駅のような、上屋の長大な大駅の昼間の撮影はイマイチ。
しかも梅雨時の一面の曇り空だし。
これまでに何度か言及してますが、夜の方が映えます。

5番線から構内の春日山、谷浜方を見る
5番線から構内の春日山、谷浜方を見る、2011年6月撮影。
ご覧の通り、この辺りの上屋下には何もありません。

当駅最果ての地、6番線から見た構内の様子
当駅最果ての地、6番線から見た構内の様子、2011年6月撮影。


4番線に停車中のJR東日本E129系電車と5番線に到着したえちごトキめき鉄道のET127系電車
画像左側の4番線に停車中のJR東日本E129系電車と、右側の5番線に到着したえちごトキめき鉄道のET127系電車、2016年9月撮影。
私にとって長年慣れ親しんだE127系電車と、現在多用しているE129系電車の新旧顔合わせであります。
2016年9月時点で5番線から出発する定期列車は、えちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインが9本、北越急行ほくほく線直通が8本、JR東日本が4本の合計21本。

4番線と5番線で仲良く顔を合わせるET127系電車
4番線と5番線で仲良く顔を合わせるET127系電車、2015年10月撮影。

4番線の115系電車長野色と5番線の115系電車N編成
今ではもう見られない顔合わせ、4番線の115系電車長野色と5番線の115系電車N編成、2013年5月撮影。

4番線に停車中のJR西日本所属475系電車と5番線で待機中のJR東日本所属115系電車長野色
こちらも今では思い出のひとコマ、4番線に停車中のJR西日本所属475系電車と5番線で待機中のJR東日本所属115系電車長野色、2012年6月撮影。

5番線で待機中の北越急行所属HK100形電車
5番線で待機中の北越急行所属HK100形電車、2012年6月撮影。
ほくほく線直通列車はこの5-6番島式ホームのみに発着します。

5番線で待機中の189系電車国鉄特急色の「妙高」
5番線で待機中の189系電車国鉄特急色の「妙高」、2014年5月撮影。
「妙高」最後の皐月の姿であります。

朝の485系電車T編成の普通列車新井行
快速「くびき野」を新井駅に送り込む回送を兼ねて運転されていた、朝の485系電車T編成の普通列車新井行、2014年5月撮影。
半室グリーンと指定席車は締め切り扱いでの運転でした。

寝台特急「トワイライトエクスプレス」札幌行が直江津駅5番線に進入
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寝台特急「トワイライトエクスプレス」札幌行が直江津駅5番線に進入、上は2014年5月、下は2013年5月撮影。

停車中の「トワイライトエクスプレス」
5番ホームの有効長を目一杯使って停車中の「トワイライトエクスプレス」、2014年5月撮影。
こんな長編成の旅客列車が直江津駅に停車する事はおそらく二度とないのでしょうな。

出発する「トワイライトエクスプレス」
次の停車駅長岡に向けて出発する「トワイライトエクスプレス」、2014年5月撮影。
私が直接見た「トワイライトエクスプレス」最後の姿です。

6番線を出発したET127系電車妙高高原行
当駅最果ての6番線を出発したET127系電車妙高高原行、2015年10月撮影。
2016年9月現在、6番線から出発する定期列車はえちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインが7本、北越急行ほくほく線直通が8本、JRが3本(うち2本は特急「しらゆき」)の合計18本。
頭端式ホームで日本海ひすいライン専用の1番は別にして、他の2~6番には万遍なく列車を割り振っている今日の直江津駅ですが、利用者の目から見れば路線別にホームを集約使用してもらった方が便利なのは確かでしょう。

直江津駅6番線で折り返し待機中の189系電車「妙高」
直江津駅6番線で折り返し待機中の189系電車「妙高」、2011年6月撮影。
いつも適度に空いていて、実に利用しやすい列車でしたっけ。

6番線で待機中の419系電車富山行
6番線で待機中の419系電車富山行、2009年6月撮影。
タネ車の581/583系電車の風格を偲ばせる面構えでした。
このホームは一見すると信越本線長野方面とほくほく線直通列車専用のような印象でしたけれど、北陸本線の普通列車もこのように入ってきていました。

6番線で待機中の419系電車「食パン顔」
6番線で待機中の419系電車「食パン顔」、2005年10月撮影。

陸橋上から俯瞰で見た直江津駅構内
駅至近の陸橋上から俯瞰で見た直江津駅構内、2010年10月撮影。
うねりながら集散する線路は、鉄道のジャンクションの持つ黒鉄色のダイナミズムそのものであります。

同じ位置から春日山、谷浜方を俯瞰で見る
同じ位置から春日山、谷浜方を俯瞰で見る、2010年10月撮影。
右側が北陸本線、左側が信越本線です。

五智国分寺の三重塔
ここからは直江津駅周辺の見所をご紹介。
これは駅から谷浜方面に2km弱進むと行き着く、五智国分寺の三重塔、2011年6月撮影。
オリジナルは焼失してしまっていて、現存するこの塔は1856年に建て直したものだそうです。

親鸞聖人が1207年に上陸したと言われる居多ヶ浜
越後に流罪となった親鸞聖人が1207年に上陸したと言われる居多ヶ浜、2011年6月撮影。
五智国分寺のすぐ近くです。

海水浴場になっている居多ヶ浜の様子
海水浴場になっている居多ヶ浜の様子、2011年6月撮影。

安寿姫と厨子王丸の供養塔
直江津駅から黒井駅方に歩いて関川沿いに海岸近くまで行くと、そこには安寿姫と厨子王丸の供養塔があります、2010年5月撮影。
私は小学生の時に学校で観劇した「山椒大夫」がちょっとしたトラウマなのですよ。
「タローが森の、タローが家~」、まさに地獄の一丁目でした。

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2017年6月26日 (月)

塚山駅(信越本線)

本日の駅紹介は信越本線・塚山駅。

塚山駅の昔の駅名標

新潟県長岡市に所在する無人駅で、開業は明治31年(1898年)12月27日。
開業当時の所在は三島郡塚山村で、同村の玄関駅でした。
塚山村は昭和30年に周辺諸村と合併して町制を施行して越路町になりますが、越路町の玄関駅は来迎寺駅で、当駅は傍流の地位にありました。
越路町は平成の大合併の号令下で、中越地方の雄都・長岡市に編入されて柏崎市と境を接する長岡西端の地となり今日に至ります。

塚山駅は単に塚山村の玄関駅であっただけではなく、同村から南に約6kmの刈羽郡旧小国町地域(塚山駅開業時は四つの村に分かれていました)の玄関口としての機能も併せ持ち、道路の整備が進むまでは広域に渡る旅客貨物需要の結節点であったのです。
かつては現在の国道404号線沿いに流れる渋海川を使って、旧小国町地域から舟運で農産物が塚山停車場に持ち込まれ、鉄道で各地に出荷されていたそうです。

塚山駅は近年まで有人駅で、無人化されたのは平成27年6月1日。
JR東日本によると、当駅が通年で有人駅だった最後の年の2014年度の1日平均乗車人員は210人で、同社県内有人65駅中58位。
当駅より下位にあるのは、出雲崎駅(越後線)、越後川口駅(上越線)、潟町駅(信越本線)、津川駅(磐越西線)、石打駅(上越線)、越後下関駅(米坂線)、府屋駅(羽越本線)です。
2001年度の当駅1日平均乗車人員は318人で、13年間で三割以上減少してしまっています。
なお当駅周辺の高校は、かつて旧小国町に県立柏崎高校の小国分校が所在していましたけれど2008年に閉校。
当駅の2008年度と2009年度の乗車人員に差はほとんど無いので、分校閉校の影響は無いようですね。

高台から俯瞰で見た塚山駅駅舎の様子
駅前を走る国道404号線向かい側の高台から俯瞰で見た塚山駅駅舎の様子、2013年10月撮影。
篠付く秋雨で駅舎と後背の緑が映えます。
しかし後背の緑が当駅の構内撮影に際してクセ者なのも確か。
この小山が構内に入る朝日を遮るので、秋口だと午前八時なのにまだ夜明け直後のような暗さだったりするのですよ。

塚山駅駅舎正面の様子
塚山駅駅舎正面の様子、2016年9月撮影。
近年のやや硬質な感じの改築駅舎と比べて、和風で素朴な温かみの感じられるデザインの建物です。
建築財産票によると完成は平成18年2月28日。
駅舎改築から僅か9年で無人化の憂き目を見たのです。

塚山駅駅前広場の様子
塚山駅駅前広場の様子、2011年6月撮影。
駅前広場は広大で、かつての貨物用地を転用したように見えます。
当駅の貨物取扱が廃止されたのは昭和46年12月。

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国道404号線の塚山駅前の様子
信越本線と並走する国道404号線の塚山駅前の様子、2011年6月撮影。
旧塚山村の中心部は駅からやや離れています。
上の画の道路両側に建つ小屋は路線バスの「塚山駅前」バス停待合室で、鉄道補完では越後交通運行の長岡駅-小国車庫線がこのバス停に停まります。
2017年3月改正ダイヤでは平日上下17本、土休日上下12本が設定されていて、越後岩塚駅へは最寄バス停から1km弱、来迎寺駅へは最寄バス停から約1.5kmと離れているので、この路線は実質的に長岡駅への移動のみに限られる用途でしょう。
私は2008年5月に来迎寺駅で急行「きたぐに」を撮影した後、越後交通長岡線の廃線跡を見ながら国道404号に出て、バスで塚山駅まで来たことがあります。
土曜の朝、しかも人の流れとは逆コースでガラガラの車中でしたっけ。

改築前の塚山駅駅舎Tsukayama0070804
改築前の塚山駅駅舎、2004年8月撮影。
中越地震被災の約二ヶ月前の光景です。
建築財産票によると完成は戦後間もない昭和23年10月。
この頃はまだ当ブログを始める前で、現在のようにディープな展開なぞは全く考えていなかったので駅舎内部は未撮影、メモすらとっていない有様。
鉄オタどころか社会人失格ですなこれは。
今となっては我ながら遺憾の一言なのです。

有人時代の塚山駅駅舎内部の様子
有人時代の塚山駅駅舎内部の様子、2013年10月撮影。
画像左側が待合室の出入り口です。
内装も温かみのある小洒落た雰囲気でなかなか良いムード。

無人化後の駅舎内部
無人化後の駅舎内部、2016年9月撮影。
壁に埋め込み式の有人駅仕様の自動券売機は撤去されて、代わりにこのような無造作な形で無人駅用の簡易券売機を設置。
これを見ると、無人化の悲哀がひしひしと伝わってくるのです。
当駅の場合、駅舎はまだピカピカで綺麗なので尚更なのですよ。

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有人時代の待合室内部の様子
有人時代の待合室内部の様子、2011年6月撮影。
来訪者の心を和ませる色々な展示物です。

無人化後の待合室内部
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無人化後の待合室内部、2016年9月撮影。
管理上の問題からなのでしょうけれど、展示物は撤去されて殺風景になってしまいました。
座布団が健在なのが唯一の救い。

長岡方面乗り場の1番ホーム側の駅舎とその向こうの跨線橋の位置関係
長岡方面乗り場の1番ホーム側の駅舎とその向こうの跨線橋の位置関係、2011年6月撮影。
上屋下にもベンチが八人分も置かれているのは、有人時代の名残と申せましょうか。
純然たる田舎の無人駅ですとこういう例はあまり無いですからね。
なお駅舎は1番ホームの越後岩塚駅方に偏って置かれています。


1番ホーム端から越後岩塚駅方を見通す
1番ホーム端から越後岩塚駅方を見通す、2011年6月撮影。
古い時代の開業である当駅構内のホーム配置は顕著な千鳥形です。
保線用車両の留置されている線路はかつての貨物用だったのでしょう。

1番ホームの越後岩塚駅方から見た塚山駅構内
1番ホームの越後岩塚駅方から見た塚山駅構内の様子、2011年6月撮影。

1番ホームの長鳥駅方から見た塚山駅構内
1番ホームの長鳥駅方から見た塚山駅構内、2011年6月撮影。
前述したように構内は顕著な千鳥配置で且つ駅舎の位置が偏っているため、跨線橋からここまでの距離は相当なモノになっています。

塚山駅跨線橋内の様子
塚山駅跨線橋内の様子、2013年10月撮影。
まだ有人時代の姿で、ポスターが貼られています。

跨線橋上から越後岩塚駅方を俯瞰で見る
跨線橋上から越後岩塚駅方を俯瞰で見る、2011年6月撮影。
左の本線と右の旧中線の状態の差に注目。
また駅舎改築後の新しい上屋と以前からのそれとの間に歴然とした違いがある事にも更に注目。
どうせなら改築に合わせて1番の上屋だけでも茶色に塗り替えればいいのにと感じるのは、費用を考えない素人の浅はかな考えと断言できましょう。
列車の発着はもう無い2番に黄色い線が引かれているのは律儀というべきか

駅舎改築以前の構内を俯瞰で見る
同じ位置から駅舎改築以前の構内を俯瞰で見る、2004年8月撮影。
駅舎内部は華麗にスルーだったのに、俯瞰はしっかりと撮っているのです。
流石コテコテの俯瞰マニアと自身をホメ称えてあげたい。
旧駅舎の巨大さがよくわかりますな。

跨線橋上から俯瞰で見た長鳥駅方の様子
跨線橋上から俯瞰で見た長鳥駅方の様子、2011年6月撮影。
旧塚山村中心部は、画像右の国道を少し進んだ後、信越線の下をくぐった左手に広がっています。
信越線のこの先は、線内でもっとも鄙びた地域を進んで行きます。

旧島式ホーム上屋下の様子
旧島式ホーム上屋下の様子、2011年6月撮影。
上屋の重厚な造りはやはり大変に宜しい。
ホーム上に待合室は無くベンチのみ。

島式ホームの越後岩塚駅方から見た塚山駅構内
島式ホームの越後岩塚駅方から見た塚山駅構内、2011年6月撮影。
1番とは逆に、こちら側は越後岩塚駅方に大きく偏ったホーム配置です。
跨線橋ははるか彼方ですけれど、この位置までかかる定期旅客列車はもう存在しないので心配御無用。

島式ホーム端から越後岩塚駅方を見通す
島式ホーム端から越後岩塚駅方を見通す、2011年6月撮影。
この時点では旧中線が上下本線と繋がっているのを確認できます。
当駅の中線は相当以前から遊休化していたようで、日中に特急7往復と急行5往復が走っていた昭和55年10月改正ダイヤでも、塚山駅で優等列車を退避する普通列車は皆無でした。
使われていたとしても、貨物列車の退避が精々だったのでしょう。
ちなみに当時、当駅に停車する普通列車は上下合わせて24本、現在(2017年3月改正ダイヤ)は同じく31本です。
当時は普通列車も6~7両編成が当たり前でしたので、今日の短編成列車の多さを考えるに、トータルの輸送力は同程度かあるいは減っているやもしれません。

島式ホームから見た塚山駅構内中枢部
島式ホームから見た塚山駅構内中枢部、2008年5月撮影。
上下の上屋と跨線橋の三点セットであります。

島式ホームの3番線長鳥駅方から見た塚山駅構内
島式ホームの3番線(柏崎方面乗り場)の長鳥駅方から見た塚山駅構内、2011年6月撮影。
国鉄時代以来の白線が残っているのは、この辺りも遊休化している証です。

島式ホーム端から長鳥駅方を見通す
島式ホーム端から長鳥駅方を見通す、2011年6月撮影。
当駅構内のホーム千鳥配置を改めてよく認識できる一枚。
旧中線のこちら側はすっかり草生して廃線そのもの。
当駅の中線が生きていれば、宮内-柏崎間でアクシデントが発生しても臨機応変なダイヤを組めると思うのですけれど、そんな考えは当局にはもう無いのでしょうな。
何かあったらウヤでOKですものね。




旧駅舎時代の塚山駅構内を越後岩塚駅方から見る
旧駅舎時代の塚山駅構内を越後岩塚駅方から見る、2004年10月撮影。
中越地震発生二週間前の様子であります。

同じく長鳥駅方から見た旧駅舎時代の構内
同じく長鳥駅方から見た旧駅舎時代の構内、2004年10月撮影。
上屋を支える支柱の形状など、戦後第一世代らしからぬクラシックな形状でいい味出してました。

塚山駅1番線に到着した115系電車長岡行
秋雨そぼ降る塚山駅1番線に到着した115系電車長岡行、2013年10月撮影。

塚山駅3番線を出発して加速する115系電車直江津行
塚山駅3番線を出発して加速する115系電車直江津行、2013年10月撮影。

夕陽の塚山駅3番線を通過する485系電車国鉄特急色の快速「くびき野」新井行
夕陽の塚山駅3番線を通過する485系電車国鉄特急色の快速「くびき野」新井行、2014年6月撮影。
特急に準じた都市間輸送を担う「くびき野」が、当駅に停車する機会はありませんでした。
その後身である通称「新井快速」も当駅は通過。
宮内-柏崎間は過疎ダイヤなので、都市間輸送からはやや外れた現在の快速は少なくとも当駅に停車しても良いのではと部外者は強く思うところなのですけれど、当局が通過でOKと判断しているからには想定される乗降はほとんどいないのでしょうな。

塚山駅1番線に進入する485系電車R編成の特急「北越」新潟行
塚山駅1番線に進入する485系電車R編成の特急「北越」新潟行、2004年10月撮影。

夕闇迫る塚山駅を轟然と通過する寝台特急「トワイライトエクスプレス」札幌行
夕闇迫る塚山駅を轟然と通過する寝台特急「トワイライトエクスプレス」札幌行、2014年6月撮影。
日の長いこの時期だからこその画です。

塚山駅から「長谷川邸」見学の為に旧塚山村中心部へ向かって10分ほど歩いて一枚
塚山駅から「長谷川邸」見学の為に旧塚山村中心部へ向かって10分ほど歩いて一枚、2011年6月撮影。
長閑な風景が続きます。

「ほたるロード」
ここ塚山地域はホタルの生息地として有名らしく、この先の道は「ほたるロード」と命名されています、2011年6月撮影。
右側の看板には定点観測点におけるホタルの確認生息数が隔日で記録されていて、撮影時の最新の数字はヘイケホタル72匹。

三波春夫先生を記念する公園と銅像
ほたるロードの横には当地の生んだ最大の有名人、三波春夫先生を記念する公園と銅像があります、2011年6月撮影。
私的には三波先生といったらやはり「ルパン音頭」と「銭形マーチ」ですな。
特に後者は銭形のとっつあんのルパンに対する嫉妬と羨望のホンネを三波先生が高らかに歌い上げていて最高の一曲であります。

、「長谷川邸」の所在する旧塚山村中心部
塚山駅から徒歩15分で、「長谷川邸」の所在する旧塚山村中心部に到達、2011年6月撮影。
国道両側のバス停は前述の長岡-小国車庫線のものです。
駅からは歩いてこれる距離なので、バスは長岡駅から長谷川邸に直接行く場合の交通手段ですな。

長谷川邸の正門
長谷川邸の正門、2011年6月撮影。
戦国時代以来、代々世襲の庄屋としてこの地を収めてきた長谷川家の邸宅であります。

長谷川邸の主屋
長谷川邸の主屋、2011年6月撮影。
1716年にほぼ完成したと伝えられている家屋で、築300年になります。
新潟県内では最古の木造民家との事です。
端正な建物と邸内ですけれど、コレだ!というインパクトに欠けるのが正直なところです。

邸内の仏間と茶の間
邸内の仏間と茶の間、2011年6月。
訪ねたのは梅雨に入りたての土曜日の朝九時。
私以外の見学者はゼロでした。

邸内の土間とかまど
邸内の土間とかまど、2011年6月撮影。
このかまどは調理用ではなくお風呂用だそうです。

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塚山駅に戻って今度は越後岩塚駅方に7分ほど歩くと行き着くのが、信越線の廃トンネルです、2011年6月撮影。

塚山-越後岩塚間複線化で廃棄された塚山第三トンネル
これは昭和43年に塚山-越後岩塚間複線化で廃棄された塚山第三トンネルらしいです。
ネットで色々見てまわると、塚山-長鳥間にも単線時代の遺構が多数存在するようです。

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2017年6月24日 (土)

長岡駅(信越本線・上越新幹線)

本日の駅紹介は信越本線/上越新幹線・長岡駅。

長岡駅の在来線駅名標
長岡駅の上越新幹線駅名標

新潟県長岡市に所在する有人駅で、新潟県中越地方の中心にして県内第2の都市である長岡市の玄関駅です。
開業は明治31年(1898年)6月16日で、当時の所在は古志郡長岡町。
かつての越後長岡藩14万2,700石の城下町であった長岡町は、駅開業の5年後に県都新潟に次ぐ県内で二番目の市制施行を果たして長岡市となり、その後も周辺自治体の合併編入で市勢を拡大、現在の人口は約27万2千人を数える新潟県内第2の都市としての立場を確固たるものとしています。

JR東日本によると、長岡駅の2015年度1日平均乗車人員は11,623人で、同社県内有人67駅中新潟駅に次ぐ第2位の堂々たる数字です。
乗車人員に占める定期と定期外の比率は1対1に近く、通勤通学と用務観光の両方で利用が活発な駅であります。
県内では利用状況が突出した第2位で比較対象が無いので、他県の駅と比べてみると、秋田県の県庁所在地である秋田駅や、最近某女性タレントの「山奥」暴言で話題になったw埼玉県埼京線の指扇駅と同レベルです。

長岡駅大手口の様子
長岡駅大手口の様子、2012年6月撮影。
かつての長岡城跡、つまり町の中心部に造られたのが長岡駅です。
という事は、鉄道に対する忌避感がこの町には無かったということなのでしょう。
城跡にまとまった用地があったという理由以外にも、失った城に変わる町の象徴として、新時代、文明開化の象徴たる鉄道の停車場を選ぶ、そういう空気があったのかもしれません。
現在の駅舎は上越新幹線建設に伴い改築されたもので、昭和55年に供用開始。
店舗も建物内に多数展開していて、なかなか活気があります。

大手口の駅前の様子
大手口の駅前の様子、2016年9月撮影。
日曜の早朝とあって人影はまばら。
画像左側は路線バス乗り場です。

空中回廊の大手スカイデッキ上から見た長岡駅大手口駅前広場
駅と駅前通りを結ぶ空中回廊の大手スカイデッキ上から見た長岡駅大手口駅前広場、2016年9月撮影。
タクシーが多数待機しているあたりは流石県内第二の都市の玄関駅であります。
しかしこの辺は夜ともなればムクドリの大群が集結して、蜂の巣のつついたような大騒ぎになるのであります。

越後交通の長岡駅前バス乗り場
前掲の画の反対側に位置する、越後交通の長岡駅前バス乗り場、2016年9月撮影。
左側が長岡駅です。
ここには長岡市各地や近隣自治体へのバス路線多数が乗り入れています。
後付で手狭かつごちゃごちゃしている新潟駅前に比べると、駅舎改築に伴う駅前整備によるものだけあって、スッキリとして利用しやすい構造になっています。
鉄道補完では、上越線の越後滝谷小千谷各駅、信越線の宮内前川来迎寺塚山柏崎北長岡東三条、飯山線の越後岩沢下条魚沼中条十日町、越後線の分水
寺泊小島谷出雲崎礼拝西山刈羽西中通東柏崎の各駅にバスで直接もしくは最寄バス停から僅かの徒歩で移動可能です。
特に新潟駅から越後線南部の各駅に行く場合、上越新幹線で長岡下車、越後交通のパスに乗り換えて行く方が、時間帯によっては圧倒的に便利だったりするのはちょっとした豆知識。

大手スカイデッキ上から見た長岡駅大手口駅前通り
大手スカイデッキ上から見た長岡駅大手口駅前通りの様子、2016年9月撮影。
長岡駅周辺はダイエーの撤退など、一時は衰退の危機感が相当にあったのですけれど、近年はだいぶ持ち直してきている印象。
まぁたまにしかこない部外者の目にはそう映っても、地元の方にはまた別に見えるのかもしれませんが。

夜の長岡駅大手口と大手スカイデッキ
夜の長岡駅大手口と大手スカイデッキ、2016年9月撮影。
光量の多い大駅周辺は夜の方が画になります。

長岡駅東口の様子
長岡駅東口の様子、2016年9月撮影。
こちら側にはかつて越後交通電車線の駅が置かれていたのだとか。
うーむ、全然記憶にないわ・・・、越後交通電車線で記憶に残っているのは、急行「佐渡」車中から見た袋町駅の短くて雑然としたホームぐらいですな。
上屋の壁に琺瑯の広告板がいっぱい貼られていましたっけ。
まだ国鉄と私鉄の区別も付かない紅顔の美幼児だったので、なぜあの駅にオレンジと緑のでんしゃは停まらないのだろうと不思議に思っていましたなぁ。

長岡駅東口のバス乗り場の様子
長岡駅東口の旧ダイエー長岡店の建物とその直下のバス乗り場の様子、2016年9月撮影。
こちらに乗り入れて来る路線バスは大手口よりもずっと少な目。
駅舎通路から俯瞰でみた駅東口の様子
駅舎通路から俯瞰でみた駅東口の様子、2010年5月撮影。
賑やかな大手口と異なり、こちら側は行きかう人も車も少ない静かな佇まい。
通りの道幅が広いので、余計にその感を強くするのです。

長岡駅駅舎内の商業施設「CoCoLo」
長岡駅駅舎内の商業施設「CoCoLo」、2015年12月撮影。

在来線改札周りの様子
在来線改札周りの様子、2015年12月撮影。
ずらりと並ぶ自動改札機が駅利用者の多さを無言のうちに物語っているのです。

上越新幹線の改札周り
こちらは上越新幹線の改札周り、2015年12月撮影。
自動改札機はご覧のようにちょっと少なめ。

改札を通り、駅構内に足を踏み入れて一枚
改札を通り、駅構内に足を踏み入れて一枚、2015年12月撮影。
複数の改札口があってごちゃごちゃしている新潟駅と比べて、長岡駅は出入り口がひとつに集約されていて通路も広いのが印象的。

構内には広い待合室、待合室右横の通路奥手にトイレがあります
構内には広い待合室、待合室左横の通路奥手にトイレがあります、2016年9月撮影。

構内通路から見た長岡駅構内の北長岡駅方
構内通路から見た長岡駅構内の北長岡駅方、2012年5月撮影。
画像左側は言わずと知れた上越新幹線。

構内通路から見た長岡駅構内の宮内駅方
構内通路から見た長岡駅構内の宮内駅方、2016年9月撮影。
おりしもE129系電車が3番線に進入中。

長岡駅在来線構内の島式ホーム(2-3番線)の3番線宮内駅方から見た構内
長岡駅在来線構内の島式ホーム(2-3番線)の3番線宮内駅方から見た構内の様子、2012年5月撮影。
現在は定期列車の発着が無くホームが閉鎖されている1番線と新潟方面への列車が多く入る2番線の直上に、上越新幹線の高架が建てられています。

2番線宮内駅方から見た、新幹線高架下の構内
島式ホーム(2-3番線)の2番線宮内駅方から見た、新幹線高架下の構内の様子、2012年5月撮影。
ここは昼間だとコントラストがあり過ぎて画にならないので、夜間撮影の方が良かろうと強く感じるところであります。

2番線端から宮内駅方を見る
2番線端から宮内駅方を見る、2012年5月撮影。

3番線北長岡駅方から見た長岡駅構内
島式ホーム(2-3番線)の3番線北長岡駅方から見た長岡駅構内、2012年5月撮影。

2番線北長岡駅方から見た新幹線高架下の構内
島式ホーム(2-3番線)の2番線北長岡駅方から見た新幹線高架下の構内、2012年5月撮影。
画像右側が現在閉鎖されている1番線で、貨物列車の通過線になっているようです。
私も2011年5月の朝に1番線を通過する貨物列車を見たことがあります。
当駅で貨物列車を見たのは、後にも先にもその一度だけ。
そもそも長岡駅は、隣の宮内駅との中間地点に造られた貨物専用の南長岡駅が昭和41年10月に開業後、貨物取扱は翌年12月にそちらへ移されていて、随分前から貨物列車との縁は薄いのです。

2番線端から北長岡駅方を見る
島式ホーム(2-3番線)の2番線端から北長岡駅方を見る、2012年5月撮影。

3番線端から北長岡駅方を見る
島式ホーム(2-3番線)の3番線端から北長岡駅方を見る、2012年5月撮影。

4番線宮内駅方から見た長岡駅構内
島式ホーム(4-5番線)の4番線宮内駅方から見た長岡駅構内、2012年5月撮影。

4番線端から宮内駅方を見る
4番線端から宮内駅方を見る、2012年5月撮影。
右端の上越新幹線高架も開業から早35年になって、大分いい感じに古びてきました。
中越地震の災厄も乗り越えた、すっかり古強者の風格。

5番線の宮内駅方から見た構内
5番線の宮内駅方から見た構内、2012年5月撮影。

島式ホーム(4-5番線)上屋下の様子
島式ホーム(4-5番線)上屋下の様子、2012年5月撮影。
上屋の風情は昔のまま。

4番線の北長岡駅方から見た長岡駅構内
4番線の北長岡駅方から見た長岡駅構内、2012年5月撮影。
個人的には当駅構内はこの位置からの眺めがベストですな。
駅の新旧が一同に会しているのをじっくり見物できますから。


4番線端から北長岡駅方を見通す
4番線端から北長岡駅方を見通す、2012年5月撮影。

宮内駅方の踏切から見た、長岡駅構内の上越新幹線高架下の様子
宮内駅方の踏切から見た、長岡駅構内の上越新幹線高架下の様子、2010年5月撮影。
高架のせいでこの2本の線路だけ、他とは別線のような印象を持たされます。

在来線構内中央部辺りの様子
視点を変えて、在来線構内中央部辺りの様子、2010年5月撮影。
大きな駅の割には、貨物線が無く中線も1本だけなのでシンプルな構造と言えましょう。

快速「越乃Shu*Kura」の停車駅の証であるスペシャル駅名標
日本酒好きには辛抱タマラン、快速「越乃Shu*Kura」の停車駅の証であるスペシャル駅名標、2016年9月撮影。

2番線で客待ち中の115系電車湘南色新潟行
新幹線高架下の2番線で客待ち中の115系電車湘南色新潟行、2014年5月撮影。
直近の取材の2016年9月時点では、新潟方面への定期列車34本中、2番線発は19本。
新潟行の特急「しらゆき」は5本全て2番線発になっています。

かつては構内で115系電車の姿が常に見れました
かつては構内で115系電車の姿が常に見れました、2012年5月撮影。
長岡地区では新潟地区のような短区間頻発運転が実施されていないため、普通列車の本数は国鉄時代と比べて爆発的に増えている・・・とは言えない現状です。
昭和55年10月改正ダイヤにおける普通・快速列車の方面別本数は、対新潟が18本、対柏崎が12本、対上越線は12本で合計42本。
平成29年3月改正ダイヤでは対新潟27本(全席指定の「おはよう信越」を除く)、対柏崎18本(らくらくトレイン信越を除く)、対上越線18本で合計64本。
現在の1列車あたりの両数は国鉄時代と比べて確実に減っているので、輸送力全体としては37年前と比べて増減の判断がつきかねる微妙な数字なのです。
優等列車を含めた在来線トータルだと、昭和55年10月改正では対新潟54本、対柏崎27本、対上越線が41本で合計122本。
対して平成29年3月改正では対新潟33本、対柏崎24本、対上越線18本で合計75本。

115系電車長野色の越後湯沢行が3番線に停車中
新潟ではE129系電車の充足までのショートリリーフ的存在だった、115系電車長野色の越後湯沢行が3番線に停車中、2015年12月撮影。
2016年9月時点では3番線から出発する定期列車は18本で、上越線へ9本、信越線新潟方面に3本、信越線直江津方面に6本という構成。

5番線で待機中の115系電車湘南色の水上行
5番線で待機中の115系電車湘南色の水上行、2015年12月撮影。
2016年9月時点で5番線から出発する定期列車は15本で、信越線新潟方面に9本、上越線へ5本、信越線直江津方面に1本という構成。
こうして見ると長岡駅在来線の四つの乗り場はほぼ均等に使われていますが、ホームは方面別に明確な区分をしていないので、自分の乗車する列車について電光掲示や時刻表で確認を要します。

長岡駅には早朝のみ姿を見せる飯山線直通キハ110系気動車十日町行
長岡駅には早朝のみ姿を見せる飯山線直通キハ110系気動車十日町行、2008年5月撮影。
飯山線直通はもっと増やしても・・・と、無責任な部外者は思うところです。

長岡駅で見かける機会が激増した新鋭E129系電車
上越線長岡口の普通列車が2016年3月改正で全便更新されたことで、当駅で見かける機会が激増した新鋭E129系電車、2016年9月撮影。

2番線に停車中の485系電車R編成の特急「北越」新潟行
夜の2番線に停車中の485系電車R編成の特急「北越」新潟行、2010年5月撮影。
やはりここは夜間の方が映えます。
長岡駅は上越新幹線開業以前の在来線全盛時代では、日中の優等列車は全て停車していました。
当駅で旅客取扱をしない優等列車は寝台特急「日本海」2往復と「北陸」のみ。
昭和55年10月改正ダイヤでは、長岡駅で旅客取扱いをする定期優等列車の本数は僅かながら新潟駅を上回り、県内首位だったのです。

2番線に停車中の485系電車T編成快速「くびき野」新潟行
同じく2番線に停車中の485系電車T編成快速「くびき野」新潟行、2005年9月撮影。
「くびき野」が廃止されるなど、夢想さえしなかった頃の撮影です。
T編成はいずれ廃車されても、R編成で相当先まで運行を続けるのだろうと、当時は漠然と考えておったところですが、結果は実にあっけないものでした。
しかも後任は今更感の強い115系電車快速・・・。

朝の2番線に停車中の583系電車急行「きたぐに」新潟行
朝の2番線に停車中の583系電車急行「きたぐに」新潟行、2008年5月撮影。
来迎寺-新潟間の停車各駅で追っかけをした列車でしたが、乗車機会はついにありませんでしたなぁ。
583系電車自体、乗車したのは1987年冬に青函連絡船に乗りに行った際の帰路に乗った特急「はつかり」の一度きり。
早朝だったのですぐ寝入ってしまい、道中はほとんど覚えていないという痛恨でした。

E653系電車特急「しらゆき」が4番線に停車中
越後路の新たな顔、E653系電車特急「しらゆき」が4番線に停車中、2015年12月撮影。
「しらゆき」にはこれまで4回乗っていますけれど、いずれも乗車率はまずまずというところ。
かつての不人気特急「みのり」の再来というヨタ話も杞憂に終わったようです。
なお4番線からは2016年9月時点で定期列車18本が出発していて、上りの「しらゆき」は全便4番線発になっています。

偶然撮影した臨時蒸機列車に、EF81形電気機関車が連結
偶然撮影した臨時蒸機列車に、EF81形電気機関車が連結、2013年10月撮影。
このブログで度々述べていますが、私は蒸気機関車に興味が薄いのでこの列車の運転も全く知りませんでした。
日常生活、社会活動に密着した列車でないと、途端に興味が無くなるのですよ。
観光イベント型の列車は、あえて言うと遊園地の遊具みたいに感じるのですわ。

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全列車が停車する要衝駅にしては規模の小さい構内
さてここからは上越新幹線駅としての長岡駅をかいつまんでご案内。
全列車が停車する要衝駅にしては規模の小さい構内です。

対面ホームの間に通過線の置かれた新幹線長岡駅構内
対面ホームの間に通過線の置かれた新幹線長岡駅構内、2015年12月撮影。
2017年3月改正ダイヤで当駅を通過するのは1日1往復。
上越新幹線上野開業の昭和60年3月改正では1日2往復でした。

夢と消え散った形の羽越新幹線用ホーム予定地
夢と消え散った形の羽越新幹線用ホーム予定地、2008年5月撮影。
長岡-上越妙高間のミニ新幹線化が実行されるのならば、ここが新在アプローチの起点として整備されるのかもしれません。
しかし県は羽越線高速化を優先し、旗振り役であった柏崎市が事実上の白旗では実現はかなりキビしい・・・。
将来の対関西アクセスを考えれば再検討する価値はあると思うのですけれど、私のようなシロウトが考えている以上に新潟と関西の結びつきは弱くなっているのかも。
今は皆、東京マンセーな土地柄ですしね。
関西直結の特急「白鳥」「雷鳥」「つるぎ」、急行「きたぐに」が高い乗車率で走っていたのも、今では遠い昔の話のようです。

長岡駅に停車中のE4系電車「MAXとき」東京行
長岡駅に停車中のE4系電車「MAXとき」東京行、2016年9月撮影。
先日、この電車を2020年度末までにE7系電車に置き換える公式アナウンスがあったのは皆様ご存知の通りです。

長岡駅に到着したE2系電車「とき」
長岡駅に到着したE2系電車「とき」、2016年9月撮影。
上越新幹線の上野延伸開業時(昭和60年3月改正)では、当駅に停車する定期の「あさひ」「とき」は上下46本、当駅通過便は上下4本でした。
平成29年3月改正では、定期の「とき」停車は上下53本で当駅通過便は上下2本です。
かつては北陸方面との乗換駅だった上越新幹線長岡駅も、ほくほく線が開業して乗換駅の座を越後湯沢駅に譲ってからは、新潟-長岡間の速達輸送と長岡市周辺地域と首都圏の間の地に足が着いた輸送の二本立てになっています。
たとい短距離であっても新幹線の威力は絶大で、新潟-長岡間には往復割引きっぷが発売され続けていて、安価で頻発運転の高速バスと棲み分けが出来ています。
鉄オタの私も、新潟-長岡間を普通列車で移動はイヤだもんなぁ。
高速バスは便利で安いけどシモの心配と万が一の事故の懸念があるので、どうしても新幹線利用になりがちです。
駅巡りの際は4枚綴りの回数券をよく使います。
使用期限は購入後一ヶ月ですが、3枚使えば普通に自由席特急券を2回買うよりも断然おトクですもの。

山本五十六元帥生誕の実家が、長岡駅大手口近くの山本記念公園に保存されています
山本五十六元帥生誕の実家が、長岡駅大手口近くの山本記念公園に保存されています、2012年5月撮影。

山本五十六記念館
山本記念公園の至近には、山本五十六記念館があります、2012年5月撮影。
実はわたくし、恥ずかしながらここへ見学に行ったことがありません(恥)。
この時も他に予定があって素通りの已む無きに。
駅取材は一応終了しましたし、次に長岡界隈に行くのは栃尾見学とセットになると思うので、その時はここと河井継之助記念館をぜひとも見学せねばなりますまい。

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2017年6月17日 (土)

亀田駅(信越本線)

本日の駅紹介は信越本線・亀田駅。

亀田駅の駅名標

新潟県新潟市江南区に所在する有人駅で、江南区の玄関駅です。
開業は明治30年(1897年)11月20日で、当時の所在は中蒲原郡亀田町。
亀田町は新潟市に隣接する、面積はさほど大きくない街でしたけれど財政状況は新潟市よりも良好だったそうで、それ故か新潟市に併呑されることなく、新潟県下の「町」としては最強クラスの人口を擁して永らく存在感を発揮していました。
しかしそんな町も平成の大合併の大号令の逆風には耐えられずに、平成17年3月に新潟市と合併してその江南区となり、今日に至るのです。

さて亀田駅は旧来の亀田町中心街から約1km弱北方に位置しています。
これは明治の鉄道黎明期によくある鉄道忌避の産物で、火の粉を撒き散らす汽車は火事をもたらすとされて当時の町外れに設置されたとの事。
昔は今と違って消防の整備もまだまだ、一旦火事が起きると酷いことになります。
新潟の沿岸地域は特に冬の季節風が強いので、そんな時に火事が起きれば大変なことになります。
当時の人たちの懸念はごもっともでよく判るのですけれど、戦前戦後の町の発展の観点から見れば、駅と中心街がこれだけ離れているのはマイナス材料でしょう。
しかし今日の視点で見ると、道路も狭く路地が入り組んでいて、発展性に欠ける旧来の中心街よりは、現在位置の方が発展性はずっと上なのです。
駅の東側には高校が2校あり、西側は新々バイパスに通じる一本道で亀田界隈の新たな商業集積地帯になっています。
昔はマイナスでも今はプラス、駅の立地はその時々の各種要因によって正否が揺れ動くことを実感させられる、それがここ亀田駅なのであります。

JR東日本によると、2015年度の亀田駅1日平均乗車人員は5,402人。
同社県内有人67駅中、堂々の第4位で越後線の白山駅と第3位の座を争っています。
亀田町時代から経済や人の流動で新潟市と一体化していた為に、駅の利用は周辺人口以上に大きいのです。

亀田駅橋上駅舎西口の様子
亀田駅橋上駅舎西口の様子、2016年8月撮影。
こちら側が昔からの出入り口で、橋上駅舎に改築完成したのは平成17年(2005年)10月1日。
かつては大正期に立てられた古めかしい駅舎で、その時代を知っている者としてはこの豪勢さはまさに隔世の感。
しかしあの駅舎が建て替えられてこうなる事を予期していたのならば、撮影しておくべきだったと激しく後悔しているのであります。
私がデジカメを弄り始めたのは2002年の秋からで、その頃は亀田駅の旧駅舎はまだ健在だったのですよ。
亀田界隈は日常の延長で来れるところなので、遠方の直江津や糸魚川のように、スケジュールを立ててさぁ撮るぞ見るぞと構える必要もないのです。
しかしその辺が落とし穴、まさに灯台下暗しなのであります。
気軽に行けるところだと、そのうちそのうちと後回しになって、気が付いてみた時は既に手遅れ。
なにしろ、取材目的で亀田駅を訪れたのは2008年秋。
新潟県内の数ある駅の中で、一番最後に来たのがこの駅だったのです。

橋上駅舎の自由通路から俯瞰で見た亀田駅西口駅前
橋上駅舎の自由通路から俯瞰で見た亀田駅西口駅前、2016年8月撮影。
駅前広場もかつての旧駅舎時代はずっと小さかったのです。
今ではきっちり明確に整備されたロータリーです。
このロータリーには新潟交通運行の路線バスが乗り入れていて、鉄道補完では万代シティ-新津線、万代シティ-水原線があり、新潟駅の他に前者は荻川、さつき野、新津各駅(越後石山駅へは最寄バス停から少々距離アリ)、後者は水原駅への移動に活用できます。
特に後者は毎時1本と比較的運行本数が多いので、新津駅で過疎ダイヤの羽越本線に乗り換えて行くよりはずっと便利な存在なのです。

亀田駅西口の駅前通り
亀田駅西口の駅前通り、2016年8月撮影。
画像の左右は県道で、左手を1km弱進むと旧亀田町の中心街に行き着きます。
画像中央の道は、前述した新々バイパスへ向かう道です。

旧亀田町の中心商店街の様子
旧亀田町の中心商店街の様子、2008年10月撮影。
この頃、通りで集客力のある店舗はスーパー1軒のみ。
現在は更に廃れていて、廃業した個人商店も見かけるようになりました。
この時、今では絶版のハセガワ1/72スケールF-102デルタダガーを発見して小躍りしつつ購入したおもちゃ屋さんも、数年前に廃業してしまいました。

亀田駅橋上駅舎東口の様子
亀田駅橋上駅舎東口の様子、2016年8月撮影。
こちら側はこれから発展の余地があるフロンティアと言えます。

自由通路から見た亀田駅東口駅前通り
自由通路から見た亀田駅東口駅前通り、2016年8月撮影。
画像左側には漫画「ドカベン」の明訓高校のモデルの私立新潟明訓高校があります。
新潟明訓は新潟県内の私立高校でトップの学校で、且つ野球を始めスポーツの強豪高でもあります。

亀田駅自由通路内の様子
亀田駅自由通路内の様子、2016年8月撮影。

改札口付近の様子
改札口付近の様子、2016年8月撮影。
自動改札機4台が、駅の利用状況を物語っていますな。
両隣の荻川駅(一日平均乗車人員1,800人台)のそれは3台、越後石山駅(一日平均乗車人員2000人強)は実質2台です。
画像右側に見えるのはNew Days。
待合室は改札内にあります。

構内通路から見た亀田駅構内の荻川駅方
構内通路から見た亀田駅構内の荻川駅方、2016年8月撮影。


島式ホームの1番線(新潟方面乗り場)の越後石山駅方から見た亀田駅構内の様子
島式ホームの1番線(新潟方面乗り場)の越後石山駅方から見た亀田駅構内の様子、2016年8月撮影。
当駅は駅舎改築以前、2面3線で中線を持っていました。
昭和55年10月、昭和60年3月の改正ダイヤでは毎日1回、普通列車が特急列車に道を譲っていましたし、新潟-亀田間の区間列車も運行されていたのです。
しかし駅舎改築、橋上駅舎化に伴う構内改修で幅広の島式ホーム1本という実に味気ない姿に変わってしまいました。
率直に言って、私見では見所の無さという点で亀田駅が新潟県内数ある駅の中では一番と申せます。

島式ホームの上屋直前から越後石山駅方を見る
島式ホームの上屋直前から越後石山駅方を見る、2016年8月撮影。

島式ホーム上屋下の様子
島式ホーム上屋下の様子、2012年3月撮影。
ホーム上には待合室はありません。

島式ホームの荻川駅方から見た亀田駅構内
島式ホームの荻川駅方から見た亀田駅構内、2016年8月撮影。

島式ホーム端から荻川駅方を見る
島式ホーム端から荻川駅方を見る、2016年8月撮影。
少々見難いですが、画像中央にはかつての中線と思しき線路が1本。

駅南方の陸橋上から俯瞰で見た亀田駅構内の様子
駅南方の陸橋上から俯瞰で見た亀田駅構内の様子、2008年10月撮影。
前述の中線と思われる線路をはっきり確認出来ます。


越後石山駅方の踏切から見た亀田駅構内
越後石山駅方の踏切から見た亀田駅構内、2008年10月撮影。
こちら側には中線跡は残っていません。

荻川駅方の踏切から見た亀田駅構内
荻川駅方の踏切から見た亀田駅構内、2008年10月撮影。
こちら側から見るとかつての中線の様子を仔細に観察出来ます。

亀田駅1番線に停車中のE129系電車新潟行
亀田駅1番線に停車中のE129系電車新潟行、2016年8月撮影。

亀田駅1番線に到着した朝の内野行E127系電車
亀田駅1番線に到着した朝の内野行E127系電車、2012年3月撮影。
平日なら大混雑する時間帯ですが、日曜のこの朝はホームの人影もまばら。
亀田駅2番線を出発して加速するE127系電車新津行
亀田駅2番線を出発して加速するE127系電車新津行、2008年10月撮影。
信越本線の新潟近郊区間では、2015年3月ダイヤ改正をもって過去帳入りした電車です。

亀田駅2番線から出発する115系電車長岡行
亀田駅2番線から出発する115系電車長岡行、2012年3月撮影。
永らく越後路の主役として君臨してきたこの電車も現在では少数派に。
しかし日中でも見かける機会はまだよくあります。
でも車体は薄汚れて退色しているし、やはりそろそろ潮時なのですな。

亀田駅1番線を出発したキハ110系+キハE120の5両編成磐越西線直通新潟行
亀田駅1番線を出発したキハ110系+キハE120の5両編成磐越西線直通新潟行、2012年3月撮影。

真夏の夕刻の亀田駅1番線に停車中のキハ40系気動車の新潟行
真夏の夕刻の亀田駅1番線に停車中のキハ40系気動車の新潟行、2014年8月撮影。
この列車は磐越西線直通列車ではなく、新津発新潟行の区間列車です。
新津-新潟間の区間気動車列車は、平日上下合わせて6本が設定されています。

亀田駅2番線を通過する、485系電車国鉄特急色の快速「くびき野」新井行
亀田駅2番線を通過する、485系電車国鉄特急色の快速「くびき野」新井行、2014年8月撮影。
「くびき野」最後の夏のひとコマです。
特急に準ずる都市間輸送を主な使命とする「くびき野」の当駅停車は適わず。
駅東口にある養護学校から「くびき野」を亀田駅に停車させてほしいという要望があったという話を聞いたことがありますけれど、「くびき野」に先が見えてきた時期の話でもあり、実現には至りませんでした。
なお「くびき野」の後身である通称「新井快速」は当駅に停車します。

まだ残雪の残る亀田駅構内を駆け抜ける485系電車国鉄特急色の特急「北越」金沢行
まだ残雪の残る亀田駅構内を駆け抜ける485系電車国鉄特急色の特急「北越」金沢行、2012年3月撮影。

真夏の夕刻、終点新潟駅に向けラストスパートをかける485系電車R編成の特急「北越」
真夏の夕刻、終点新潟駅に向けラストスパートをかける485系電車R編成の特急「北越」、2014年8月撮影。

名残の雪と共に亀田駅を去り行く583系電車の急行(快速)きたぐに新潟行
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間も無く定期運行を終了という時期、名残の雪と共に亀田駅を去り行く583系電車の急行(快速)きたぐに新潟行、2012年3月撮影。
大阪発の下り列車の新津-新潟間が快速列車として朝ラッシュ対応の一翼を担っていたことは、皆様よくご存知の通り。

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2017年4月 9日 (日)

黒井駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・黒井駅。

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新潟県上越市に所在する無人駅で、開業はまず貨物駅として明治35年(1902年)7月1日。
その前年、当駅付近に米国のスタンダード石油傘下のインターナショナル石油によって直江津製油所が完成し、当時の北越鉄道が石油関連の貨物輸送拠点として黒井駅を開設しました。
この時点では客貨分離が図られており、旅客営業は当駅の直江津方約1km地点に設置された「春日新田」駅で行っています。
黒井駅はその4年後の明治39年9月1日に旅客営業を開始しています。
この直前に春日新田駅が廃止されているので、当駅が旅客営業を開始したのはその代替措置であったようです。
当駅誕生のきっかけとなった直江津製油所は、その後日本石油に売却された後、大正11年に閉鎖。
黒井駅はその最大の顧客を失って危機に陥る・・・かと思いきや、製油所廃止から間もなく、当駅付近に大手の各種工場が相次いで進出。
これによって当駅はそれら工場の物流拠点として活況を呈するようになったのです。

黒井駅の開業当時の所在については、私の調べでは何とも判断がつきかねるのが正直なところであります。
駅南方の地名から推察すると中頚城郡大瀁村ではないかとも思えるのですけれど、当駅周辺は複数の自治体の境界線上にあるので断言が出来ないのです。
ともあれ駅名票にある中頚城郡頸城村は、昭和32年(1957年)4月に大瀁村と明治村が合併して誕生し、平成17年1月に上越市に合併編入されて今日に至ります。

やや古い資料で恐縮ですが、上越市統計要覧によると平成19年度の黒井駅年間乗車人員は9万人。
単純計算すると一日平均約247人です。
この数字は有人駅の潟町駅を凌ぐもので、通学以外にも周辺工場への通勤需要があるのかもしれません。

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改築後の黒井駅北口の様子、2014年6月撮影。
こちら側が従来からの駅出入り口になります。
駅の南北を結ぶ自由通路は2011年6月に竣工しました。
これに伴い旧駅舎は解体撤去されています。

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自由通路の供用開始に伴って新設された黒井駅南口の様子、2012年6月撮影。
この時点ではこちら側は全くの未開発エリアです。

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自由通路上の駅構内出入り口付近の様子、2012年6月撮影。
自動券売機が一台置いてあるだけの、簡素極まりない出入り口です。

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犀潟駅方から見た黒井駅構内の様子、2012年6月撮影。
画像右側がJR貨物の黒井貨物駅。
旅客駅と生きた貨物駅が併設されているのは、新潟県内では当駅と白新線・東新潟駅ぐらいですな。
かつての黒井貨物駅は、約1km南にある直江津港の発展とリンクして盛況を呈していました。

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ホーム端から犀潟駅方を見る、2012年6月撮影。

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黒井駅の島式ホームの様子、2012年6月撮影。
ホーム右側の1番は下り長岡方面、左側の2番は上り直江津方面乗り場です。
当駅のホーム上屋は昭和41年3月の完成。
おそらく旧駅舎と同時期に建てられたのでしょう。
信越本線・北長岡駅のそれと類似した印象。
隣が貨物駅のせいか、実用本位の雰囲気が強まって旅情は感じられませんなぁ。

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ホーム中央部から見た黒井駅自由通路南口側、2012年6月撮影。

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ホーム上の待合室内の様子、2012年6月撮影。
ホーム上の待合室も、近年はこういう形態が増えました。
待合室も以前は犀潟方のホーム上屋端に設けられていましたが、自由通路化に合わせて出入り口近くの現在位置に移動しています。

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自由通路に通じる出入り口付近の様子、2012年6月撮影。

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黒井貨物駅構内で待機中のEF81形電気機関車455号機、2012年6月撮影。

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ホーム端から直江津駅方面を見る、2012年6月撮影。

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自由通路上から俯瞰で見た黒井駅構内の様子、2012年6月撮影。
前述したように当駅の元々の出自は貨物駅なのがよくわかります。
構内は犀潟駅方に向って広がっています。

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同じく直江津方を俯瞰で見る、2012年6月撮影。
こちら側は線路群が収束していくのを望見できます。

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黒井駅1番線から出発する115系電車長岡行、2012年6月撮影。

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黒井駅1番線を通過する北越急行ほくほく線HK100形電車の越後湯沢行、2012年6月撮影。
ホーム上の建物は閉鎖された旧待合室です。
北陸新幹線開業以前、ほくほく線列車は当駅を全列車通過していましたが、2015年3月改正でほくほく線列車の当駅停車が実現しました。
当時は下り(六日町方面)が朝の二本、上りが昼の一本の計3本。
2017年3月改正では上下各三本ずつ計6本に拡大しています。

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黒井駅2番線に進入する特急「はくたか」金沢行、2012年6月撮影。
ホーム端の貨物運行事務用と思われる建物が犀潟方面への視界を大きく遮っているので、ここからの画はあまり見栄えはしないのです。
しかし直江津方のホーム端は自由通路が視界を遮るので、これまたあまり宜しくない。
元々島式ホームというのは駅撮りに適しているとは言いかねるのですけれど、当駅の場合はそれら悪条件が重なるので駅撮りには向いていません。
目当てとするべきなのは旅客列車よりも貨物列車でしょうな。

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黒井駅2番線を通過する特急「北越」金沢駅、2012年6月撮影。
自由通路側を背景にする場合、直江津方面への列車はすれ違いざまの咄嗟撮影になるのでこれまたあまり宜しくないのです。

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黒井駅前通りの様子、2012年6月撮影。
駅付近に住宅、その周りは工場群という環境です。
この時点では駅周辺にこれといった店舗はありません。

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直江津方の踏切から見た黒井駅構内、2012年6月撮影。

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同じく直江津方を見る、2012年6月撮影。
20年程前の道路地図を見ると引込線(専用線?)がこれと同じような位置に健在なのですが、これがその跡なのでしょうか?

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まだまだこれからというところの、黒井駅南口の道路沿い、2012年6月撮影。
当駅南にはかつてナローゲージの頸城鉄道・新黒井駅が併設されていました。
昭和43年10月に新黒井駅乗り入れが廃止され、昭和46年5月に全線廃止されています。
駅跡には碑が立っていたことはよく知られており、私も探したことがあったのですが探し方が悪かったのか見つけられませんでした(涙)。
自由通路建設に伴う再開発前は、駅の南側は一面雑草で覆われて近づくことが出来ず、新黒井駅の遺構も全く窺い知ることが出来なかったのです。

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ここからは旧駅舎時代の黒井駅についてご紹介。
上は2006年11月、下は2004年9月撮影。
前述の自由通路建設に伴って撤去された建物です。
昭和41年に貨物駅の構内大改修が実施された際に改築されたとの事。
建築財産票は明らかに剥ぎ取られた跡がありました。
駅舎が存在していた当時の当駅は、独特の荒んだ雰囲気があり、そんなことをするDQNがいても全く不思議に思わない状況だったのですよ。

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黒井駅旧駅舎内部の様子、2006年11月撮影。
内部にベンチは無く、自動券売機が一台ポツンと置いてあるきりの素っ気無いところでした。
駅舎内外共に、工場地帯の立地に相応しい実用性のみを追求したような姿なのです。

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黒井駅旧駅舎のホーム出入り口付近の様子、2004年9月撮影。
ホームへは貨物線群を跨ぐ長大な跨線橋で連絡していました。
階段の右横にあるのがトイレで、男女兼用・水洗。

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旧黒井駅舎時代の長大な跨線橋、2006年11月撮影。
壁面の汚れのようなものは概ね靴跡です。
DQNたちが壁を蹴りまくっているのです。
こんなのは色々噂の加茂駅や中条駅でも、他の無人駅でもお目にかかれないものでした。

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そんな壁面にはこんな張り紙が、2006年11月撮影。
「蹴らないでください」
「喫煙禁止場所」
こんなのが張ってある駅も、そうそうお目にかかれるものではありません。
きょうびは防犯カメラが無いと実に危ない。

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旧駅舎から見た黒井駅の旧跨線橋、2004年9月撮影。
駅舎は素っ気無さ過ぎて、美的にはあまり宜しくありませんでしたけれど、この無骨かつ頑健な跨線橋は実に味わいがありました。
鉄骨が水色なのが清新なアクセントになっていて実に宜しい。
内部の荒れ方とは全てにおいて対照的です。

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旧駅舎・旧跨線橋時代の黒井駅構内を直江津方から見る、2004年9月撮影。
直江津港を臨む貨物拠点、そして周辺工場群の物流拠点。
そんな栄光の時代を濃厚に留めていたかつての姿です。
この頃はこの位置から列車を撮影しても、下り列車は充分に画になったのです。

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同じく犀潟駅方から見る、2004年9月撮影。

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直江津方の踏切から見た旧駅舎・旧跨線橋時代の黒井駅構内、2004年9月撮影。

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2017年3月19日 (日)

犀潟駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・犀潟駅。

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新潟県上越市に所在する有人駅で、開業は明治30年(1897年)5月13日。
開業当時の所在は中頚城郡犀潟村です。
犀潟村は明治34年(1901年)に東隣の潟町村と合併してその西部地域になり、潟町村は昭和32年(1957年)に町制を施行して大潟町になります。
大潟町は平成17年(2005年)に上越市に編入されて、現在に至ります。

かつては駅付近の工場やセメントターミナルの貨物輸送の拠点として、昭和61年まで貨物取扱が行われ、物流面で相応の地位を占めていたここ犀潟駅ですが、旅客駅としては大潟町の玄関駅ではなく(玄関駅は潟町駅)、優等列車が停車する事もなく、ほくほく線が開業してその分岐駅になるまではいたって地味な存在でした。
ほくほく線が開業すると、一日平均乗車人員が新潟県内トップクラスになって統計マニアの目を大きく惹きつけることになりましたが、これは統計上のマジック。
上越線・六日町駅と当駅は、ほくほく線の通過旅客をカウントしているので数字が駅の利用実態と大きく乖離しているのは皆様よくご存知の通りです。
JR東日本によると、2015年度の当駅一日平均乗車人員は704人で、同社新潟県内有人67駅中48位。
ほくほく線に特急「はくたか」が運行されていた最後の年である2014年度は4,497人なので、減少率は約85%という凄まじいものです。
現在の数字はそれだけ減っていても、近隣の特急停車駅の柿崎駅よりもまだ多いのですけれど、当駅の数字はほくほく線直通列車の通過旅客を含んだものですから、純粋な乗車人員はもっと少ないでしょうね。
一日500人を割っているのではと個人的には思うところです。

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犀潟駅駅舎の様子、2013年10月撮影。
建築財産票を見つけられなかったのですが、北越鉄道の停車場として開業当時からの建物だそうです。
出入り口の上屋の形状はそれを物語っておりますな。
新潟県内では当駅のような古い駅舎が上越地方に集中していて、えちごトキめき鉄道の二本木、谷浜、有間川、梶屋敷、親不知、市振の各駅がそうです。
ウィキペディアの犀潟駅の項の出展にある上越市議会での答弁書を見ると、当駅も南北を結ぶ自由通路を備え、さらにエレベーターの設置や南側広場の整備が計画されていたようで、私はこの件は初耳で驚いたところです。
答弁書でははっきり述べられてはいませんでしたが、「改築」「自由通路」「エレベーター」となれば想定される新しい駅舎は橋上駅舎だったのでしょう。
しかし当駅の利用実績で、橋上駅舎を大金掛けて建設するというのは、上越市としてはやはり考えてしまうところでしょうなぁ。
バリアフリー関係費以外は全て上越市の負担になるのでしょうし。
新潟県内の駅で近年に橋上駅舎化されたのは、越後線の関屋駅と内野駅、白新線の豊栄駅、信越本線の亀田駅と矢代田駅ですけれど、この中で最も利用が少ない矢代田駅でも一日平均乗車人員は四桁で、且つ駅東側の宅地開発と連動しているのです。
当駅の場合も、南口でそのような開発計画が具体化しない限り橋上駅舎化は難しいのではないかと思うところです。
しかし駅舎老朽化は待ったなしの話でもあり、近い将来の改築は必至。
現在と同じく北口だけの駅舎を作ってしまえば、向こう数十年は橋上化はナシということになるので、それを期待していた地元の反発もあるでしょう。
上越市としては、前述のえちごトキめき鉄道内の老朽駅舎の手当も考えなければならないでしょうから、それも含めて頭の痛いところです。

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犀潟駅前広場の様子、2011年6月撮影。
駐車スペースは広いのですが、大半は月極になっていました。
私の立ち位置からさらに直江津方に行くと、2011年10月に供用を開始した立派な作りの公衆トイレがあります。
それと引き換えに犀潟駅のトイレは廃止されたのでご注意を。
駅トイレ廃止も駅舎老朽化の影響なんですかねぇ。
近い将来駅舎が改築された場合はトイレ無しなんでしょうねぇ。

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犀潟駅駅舎内の様子、2012年6月撮影。
吹き抜けで三人掛けベンチを四脚設置。

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1番ホームの土底浜駅方から見た犀潟駅構内、2011年6月撮影。
この位置だと跨線橋の出入り口が向いておらず駅舎も見えないので、撮影ポイントとしては不適でしょう。

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同じく土底浜駅方を見る、2011年6月撮影。
画像左側がかつての貨物線で、このクラスの駅のそれとしては規模が大きいのが特徴。
国鉄末期まで貨物取扱が行われていたのも伊達ではないのです。

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1番ホーム駅舎前の上屋とその先の跨線橋出入り口の様子。
犀潟駅のホーム上屋は対面、島式両方とも跨線橋直前だけで、この辺は優等列車の停車しないローカル駅定番の配置なのです。

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1番ホームの黒井駅方から見た犀潟駅構内、2011年6月撮影。
1番ホームは長岡方面乗り場です。

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1番ホームの黒井駅方から見た犀潟駅。
古い時代に作られた駅の常として、当駅構内のホーム配置は千鳥型でそれも顕著なものです。
現在のホーム有効長を示す黄色の太線は遥か向こうで、画像手前の辺りはホームとして完全に遊休化しています。

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ホーム端から黒井駅方を見る。

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犀潟駅跨線橋内の様子、2011年6月撮影。
優等列車の停車しない駅のそれとしては幅広の通路です。

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跨線橋上から黒井駅方を見る。
2012年6月撮影。

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同じく土底浜駅・くびき駅方を見る。
2012年6月撮影。
画像左側の広い旧貨物用空間に改めて注目。

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犀潟駅島式ホームの跨線橋出入り口と上屋直下の様子、2012年6月撮影。
ベンチがほくほく線用の2番ホームに背を向けて設置されているのが、JRと北越急行の力関係を暗示しているような気がしますな。
画像左側の3番線は直江津方面乗り場です。

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2番・3番の島式ホーム端から黒井駅方を見る、2012年6月撮影。

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同じくくびき駅方を見る、2012年6月撮影。
2番線はほくほく線普通・快速列車発着用で、特急「はくたか」のみ1番、3番線を通過していました。

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2番ホームのくびき駅方から見た犀潟駅構内の様子、2012年6月撮影。
この時点ではワンマン運転用のミラーが設置されているのが、2番ホームがほくほく線用ホームたる証でした。
しかしE129系電車の投入で、信越本線直江津-長岡間でも2016年3月から一部列車のワンマン運転が始まったので、現在は当駅の1、3番ホームにもミラーが設置されているのでしょう。

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2番ホーム端からくびき駅方を見る、2012年6月撮影。

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犀潟駅2番線から出発した115系電車直江津行、2012年6月撮影。

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犀潟駅1番線から出発する115系電車長岡行、2013年10月撮影。

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犀潟駅2番線に到着するHK100形単行の電車越後湯沢行、2011年6月撮影。
この時は東日本大震災の余波で節電が強く叫ばれていた時期で、この列車も所定2両のところを節電対策で単行運行に変えていました。

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犀潟駅2番線に停車中のHK100形越後湯沢駅、2012年6月撮影。
上の画像の一年後の同じ列車の画ですが、既に所定の2両編成に戻っています。

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犀潟駅2番線から出発するHK100形「ゆめぞら」直江津行、2013年10月撮影。

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犀潟駅1番線を通過する越後湯沢行特急「はくたか」、2013年10月撮影。

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犀潟駅1番線を通過する485系電車R編成の新潟行特急「北越」、2013年10月撮影。
485系R編成は「北越」廃止後も新潟-糸魚川間の快速列車で運用されていましたが、2017年3月ダイヤ改正で列車廃止となりついに引退しました。
またこの快速列車は犀潟駅に停車していました。
かつての485系運用の快速「くびき野」の停車が叶わなかった当駅ですが、糸魚川快速の停車実現によって国鉄型特急電車の速達運用における停車駅の一つに加えられることになったのです。

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犀潟駅前広場にある犀潟駅前バス停から出発する、くびきバス運行の路線バス直江津行、2012年6月撮影。
この撮影時には当駅前に乗り入れるのが直江津-柿崎線で、他に駅付近の県道経由の直江津-鵜の浜温泉線がありました。
2016年秋のバス路線の再編が実施されて、新たに設定された上越妙高駅-鵜の浜線は県道にある「犀潟駅入口」バス停発着で、犀潟駅前には直接乗り入れしていないので利用の際はご注意ください。
なおこの路線は鉄道補完では上越妙高高田直江津、犀潟、土底浜、潟町各駅間の移動に便利です。
平日は上下30本、土休日は上下24本の運行になっています。

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犀潟駅前の国道8号線の様子、2012年6月撮影。
通行量はとにかく多く、日中はひっそりしている犀潟駅とは大違い。
2006年に当駅を訪問した時は、国道を挟んだ向かい側にあるヤマザキショップが、駅至近唯一の買い物処でした。
2012年段階では別の看板になっていて、現在はどうなっているのか確認してません。
国道を柏崎方に歩くと、信越線とほくほく線の分岐点近くにセブンイレブンがありますが、駅からは少々距離があります。
こちらは現在も盛業中のようです。

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直江津方の踏切から見た犀潟駅構内の様子、2013年10月撮影。

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2016年12月 4日 (日)

北長野駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・北長野駅。

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長野県長野市に所在する有人駅で、JR東日本在籍時は信越本線、現在はしなの鉄道・北しなの線に所属しています。
開業は1898年(明治31年)9月1日で、当初の駅名は「吉田」。
現駅名に改称したのは昭和32年4月1日です。
開業時の所在は上水内郡中越村で、信越線・長野-関山間開通から10年目でようやく村の玄関駅が誕生したのです。
北隣の三才駅は戦後しばらくしてからの誕生なので、開業当初の鉄道は長野-豊野間約11kmの間に停車場が一つも無かったことになるのが、現在の目で見ると奇異感が夥し。
まぁしかし、当時の貧弱な蒸気機関車の性能では、そう頻繁に加減速、停車発進を繰り返すわけにもいかなかったでしょうから、それを考えれば致し方のない事だったのでしょうか。
中越村は周辺諸町村と共に、大正12年(1923年)に長野市に編入されて今日に至ります。
当地域が村であった時に子供だった方の御歳は百歳近いわけであります。
もう一世紀も昔の話では、地元で生まれ育った方も「村」の意識は無いんでしょうなぁ。

三才駅で大都市近郊の雰囲気が濃厚になって来たところで、次の北長野駅は人口38万人弱を数える甲信越地方最大の大都市・長野市副都心の様相であります。
JR東日本によると、当駅が同社在籍時の2013年度一日平均乗車人員は2,170人で、同社長野県内有人67駅中12位。
新潟県内の駅との比較だと、越後線・寺尾駅と同格なのですけれど、駅周辺の賑わいは一日平均5,000人以上の乗車人員がある越後線・白山駅よりもずっとあります。
隣の芝生は青く見えるとよく申しますが、それを差し引いても勢いを感じる周辺の様子なのです。

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北長野駅駅舎の様子、2011年6月撮影。
なお画像は全て同日撮影であります。
当駅駅舎は北陸新幹線の高架下にあって、その辺がまた都会的なイメージを増幅させているのです。
建築財産票を見つけられなかったので完成年月は不明ですが、この新幹線高架線は元々長野駅-長野新幹線運転所間として建設されたものなので、1997年10月の長野新幹線開業以前の供用開始であろうことは推察できます。
駅前広場が駐車場になっていて、そこの車の出入りが激しいのが強く印象に残っています。

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北長野駅駅舎内の様子。
駅舎内は吹き抜けです。

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改札口と跨線橋周りの様子。

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一番線三才駅方から見た北長野駅構内の様子。
一番線は豊野方乗り場です。

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同じくホーム端から三才駅方を見る。

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一番線長野駅方から見た北長野駅構内の様子。
これまでの信越本線の諸駅と違って、上屋が長大で現在の列車の編成長なら完全にフォローできています。
従って悪天候の日でも特定の場所に乗客が固まらずに済むのです。
この辺も大都市圏の駅らしいのですよ。

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同じくホーム端から長野駅方を見る。

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北長野駅跨線橋内の様子。
当駅は優等列車の停車駅ではありませんが、大都市圏の駅の利用状況に相応しく通路の幅はそれに準じたレベルです。

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跨線橋上から長野駅方を見る。
上屋が長大なのは利用客にとっては実に喜ばしい話ですけれど、俯瞰マニアとしてはホームの様子が窺い知れないのが不満なところ。

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同じく三才駅方を見る。

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島式ホーム長野駅方から見た北長野駅構内。
右側に留置されているのは209系電車のようです。
当駅の長野駅方寄りにはJR貨物のターミナルがあり、当駅の側線の多くは同社の持ち物のようです。

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島式ホーム端から長野駅方を見る。

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島式ホーム三才駅方から見た北長野駅構内。
この時点(2011年6月)で、二番線への定期列車発着はありませんでした。
ウィキペディアによると現在も予備として残っているそうですが、一番、二番線間の中線共々この先使い道はあるのかどうか。
JR東日本の飯山線列車が乗り入れている関係上、必要とされているんでしょうかね?

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同じく三才駅方を見る。

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島式ホーム中央部の様子。
左側三番線は長野方面乗り場です。
ホーム上のベンチが全て三番線に向いているのは、当駅の二番線に対する当局の見解を無言のうちに物語っていますなぁ。

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北長野駅三番線に停車中の115系電車長野色の長野行。

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北長野駅三番線に停車中の飯山線直通キハ110系気動車の長野行。

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北長野駅三番線から出発する189系電車「妙高」長野行。

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北長野駅前の様子。
駅前道路は交通量が多い上に至近で三叉路になっている為、渋滞気味でした。
おそらく慢性的にこうなのでしょう。
右側の駐輪場は日曜日にも関わらず自転車が鈴なり。
左側の建物は、当駅周辺で最大の集客力を持つ「ながの東急ライフ」。
1990年11月の出店だそうで、バブルの最末期なんですな。

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駅と駅前をつらつらと眺めても、まだ時間があったので数分歩いて長野電鉄の信濃吉田駅まで足を伸ばしてみました。
当駅は北長野駅開業の28年後、大正15年6月に開業しました。

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1997年に完成した信濃吉田駅橋上駅舎自由通路の様子。

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信濃吉田駅改札口周りの様子。
我が新潟の私鉄といえば、古めかしい電車が信濃川の堤防下をゴトゴトと走る新潟交通電鉄線なので、新潟市よりも人口規模の小さい長野市で長野電鉄、富山市で富山地方鉄道が盛業なのは驚異的な話に感じられるのですよ。

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朝陽駅方の踏切から見た信濃吉田駅構内。
当駅から南隣の桐原駅は僅か0.7kmで、ここからでも桐原駅の跨線橋を容易に確認出来ます。

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桐原駅方の踏切から見た信濃吉田駅構内の様子。

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まったくの偶然だったのですけれど、信濃吉田駅の桐原方踏切で長野電鉄2000系電車に遭遇。
この時点で唯一健在だったD編成のようです。
「普通 須坂」とあるので代走運転だったのでしょう。
日曜日なので惜別ファンたちが多いのかと思いきや、車内はガラガラでした。
この電車には昭和55年の夏休みに、湯田中への旅行の際に乗りましたっけ。
気動車急行「赤倉」の冷房の無い自由席で長野駅まで揺られてきた後に、2000系特急に乗り換えて湯田中まで。
車中は程よい乗り具合で、座席確保に汲々とすることもありませんでした。
私が長野電鉄に乗ったのは、その時と学生の時に長野回りで帰省した際に善光寺参りに利用した二回きり。
その時は善光寺下駅で降りたのですが、道に迷って汗だくになり、パニくる寸前まで追い詰められたものです。
道に迷わなければ10分ぐらいで行けるそうですが、あの時は一時間以上さ迷っていました。
長野駅から素直に道なりに歩いた方がずっと速かったw
不案内な土地でフラフラしたがるのが私の昔からの悪癖なのでございます。

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2016年11月27日 (日)

三才駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・三才駅。

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長野県長野市に所在する有人駅で、かつてはJR東日本・信越本線、現在はしなの鉄道・北しなの線に所属しています。
開業は昭和33年(1958年)1月8日と、県庁所在地周辺の駅としては後発で、しかも当時の扱いは停車場(というか乗降場)扱いで飯山線の列車しか停車しなかったという極めてユニークな出自なのです。
昭和41年10月1日に晴れて駅に昇格して今日に至るのですけれど、この辺の事情や駅及び周辺の雰囲気は、どことなく我が県の信越本線・越後石山駅に似ています。
なお当駅は開業当時から長野市の所在でした。

そんな異色の、そして冴えない出自の三才駅ですけれど、今日ではその利用状況は鉄道開業当初からの古参駅である豊野駅牟礼駅を大きく凌いでいます。
訪問したのは日曜の夕方近くで、豊野駅とその周辺を見て回った後すぐ当駅に来たのですけれど、人気の多さに加えて雰囲気、空気が明らかに違いましたねぇ。
デカい街の近郊、そういう匂いを肌で感じるのですよ。
JR東日本によると、2013年度の当駅一日平均乗車人員は1,542人。
当時の同社長野県内有人67位中17位でした。
我が県でいうと越後線/弥彦線・吉田駅と同レベルで、あの賑わいが対面式ホーム二本に凝縮されていると考えると中々に凄いのですよ。

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三才駅駅舎の様子、2011年6月撮影。
なお撮影は全て同日であります。
建築財産票を確認できなかったので、完成年月は残念ながら不明。
青色の屋根の張り出しが大きい独特の趣きです。
昔の造りの駅らしく、駅舎構外にトイレがあります(画像上左側)。
当駅は駅名にちなんで子供連れが多く訪れていて、私が当駅に滞在した約一時間の間に五組の親子連れが来て駅名票前で写真を撮っていました。
全員クルマで来ています。
皆、小さな我が子をまるで愛玩動物のように扱っているのが印象的でしたな。
根無し草の私には理解に苦しむところです。
私が三歳の頃は、親の躾が厳しくてあんな扱いを受けた記憶は無いですがな。
ちょっと悪戯すると家から閉め出されて、夜まで入れてもらえなかった事も数々ありましたしね。
記憶にはないのですが、閉め出された後どこかにさ迷い出て、家からかなり離れたところで発見されたなんて事もあったそうです。

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三才駅駅舎内の様子。
内部は吹き抜けで壁に沿って三人掛けのベンチが配置されています。

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改札口を抜けてホームへ向かいながら振り返って一枚。
三才駅は駅舎とホームがやや離れていて、大手私鉄の小さな駅にありそうなレイアウト。

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一番ホーム改札口方(北長野方)から見た三才駅構内。

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一番線豊野駅方から見た三才駅構内。
相対式のホームは長大で、短編成の列車ばかりの現在ではあまりにも無駄なものに見えてしまいます。
飯山線の列車しか停まらなかった時代は、比較的短編成の飯山線列車に合わせたホーム長しか無かったでしょう。
正式に駅に昇格して、長編成の信越線列車も停めるのに合わせてホームを拡張したということなのでしょうか?

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上の画からホーム端に進んで一枚。
ホームの左カープがよくわかります。
往時はここから、特急「白山」や「あさま」が長編成をうねらせながら進入する画を存分に見れたことでしょう。

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一番ホーム端から豊野駅方を見る。
ホームが長大な三才駅ですが、駅の有効長はさらに長いのです。

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上下のホーム間は地下道で連絡。
至近に高台も無いので三才駅を俯瞰で見ることは出来ず、俯瞰マニアとしては残念なところ。

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二番ホーム端から北長野駅方を見る。
画像右側が駅舎です。
ホーム端には立ち入り禁止の構内通路があり、地下道完成前のホームの行き来はそこで行っていたのでしょう。

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二番ホーム中程から北長野駅方を見る。

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北長野駅方の踏切から見た三才駅構内。

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三才駅二番線を出発した115系電車長野色の長野行。
行く手のマンションが、この先いよいよ長野市都心部へ入ることを告げております。

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三才駅一番線を出発したキハ110系気動車越後川口駅行。

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三才駅二番線を出発した189系電車「妙高」直江津行。

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三才駅前の様子。
ロータリーになっています。
タクシーの待機はありませんでした。

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三才駅前に駐車中の長野電鉄路線バス。
エンジンが切られていて表示が消えていましたが、当駅始終着便の折り返し待機中と思われます。
三才駅前からは鉄道補完として長野電鉄の長野駅行が三系統設定されています。
長野市都心部を通るので、直接そちらに行きたい場合はしなの鉄道よりも利便性は高いようです。
なお、路線バスは当駅始終着便以外は駅前通りの県道にバス停があるのでご注意ください。

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三才駅前通りの県道の様子。
道路左側にローソンの看板がチラリと見えます。
前述したように、豊野駅までと違って周辺は人気もあります。

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2016年11月23日 (水)

豊野駅(信越本線・飯山線)

本日の駅紹介は、信越本線/飯山線・豊野駅。

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長野県長野市に所在する有人駅で、かつてはJR東日本所属、現在はJR東日本(飯山線)としなの鉄道(北しなの線)の共同管理駅です。
開業は明治21年(1888年)5月1日で、当時の所在は上水内郡豊野村。
近代の町村制が施行される直前の停車場開業で、信越本線長野-直江津間はこのような古い駅が多いのです。
豊野村は停車場開業翌年の町村制施行に伴って神郷村になり、昭和29年に隣接する鳥居村と合併して再び豊野村を名乗ることになりましたが、翌30年に町制を施行して豊野町になります。
平成の大合併の大号令の下、人口約一万人の豊野町は長野市に編入されて今日に至ります。

長野駅から豊野駅までは、その距離約11km。
我が街新潟のスケールだと、新潟駅から信越本線・荻川駅、越後線・新潟大学前駅、白新線・早通駅の距離感ですけれど、当駅の佇まいはこれらのどれにも当てはまっておらず、独特の風情があります。
新潟市の場合は三方共にだだっ広い平野部なのですが、長野市の場合は当駅方は新潟との県境の山々に分け入る出入り口に当たるので、当てはまらなくても当然ではあるのですけれど。

JR東日本によると、豊野駅がJR東日本単独の管轄であった2013年度の一日平均乗車人員は960人で、同社長野県内有人67駅中28位。
後述するように当駅は橋上駅舎なので、駅はとても立派に大規模に見えるのです。
しかし利用実態としては人口約1万人の旧豊野町に相応のレベル。
見た目と内実の差が大きいのは田舎の橋上駅舎に付き物の話で、我が県でも信越本線・矢代田駅あたりはその典型ですな。
一日平均乗車人員は千人強で立派な橋上駅舎なのです。

国鉄全盛時代は「町の玄関駅」であった豊野駅は、長野駅に近いこともあってか優等列車の停車は少なく、昭和55年10月改正ダイヤでは新潟-上田間の電車急行「とがくし」二往復と飯山線を走破する唯一の急行「野沢」が停車するきりでした。
豊野町の人口規模的には、優等列車が停車しなくても不思議ではない豊野駅への急行列車停車はやはり飯山線との接続駅であった事が多分に影響していると思われます。
かつての準急列車は駅の規模がそれほどでなくても国鉄他線との接続駅には大抵停車していましたから、その出自が準急である「とがくし」「野沢」が停車するのも頷けます。
JR移行後、「とがくし」の後身である「赤倉」の妙高高原-長野間が普通列車に格下げされた事により、豊野駅に停車する定期優等列車は一旦消滅しました。
しかし1997年10月の長野新幹線開業に伴い、「赤倉」二往復は特急「みのり」に格上げ。
これにより豊野駅に特急「みのり」一往復が停車するようになりました。
一度は消滅した優等列車停車の灯火が、赤々と燃え上がりながら復活を遂げたわけです。
しかしこれはさながら赤色巨星の最期の輝きのようなもので、2001年12月には長野「みのり」は廃止。
これで当駅への優等列車停車史はその幕を閉じたわけであります。

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豊野駅の橋上駅舎の様子、2011年6月撮影。
なお撮影は全て同日であります。
新潟県内の橋上駅舎といえば白色ですが、当駅はご覧のようなクリーム色。
撮影的にはこの方が光の反射が少なくて良いのです。
色合いも落ち着いていて中々良い。
建築財産票を確認出来なかったのですが、ウィキペディアによると2008年2月の供用開始との事です。

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豊野駅橋上駅舎改札口周りの様子。
待合室は画像左側です。
当駅の利用状況は前述したように千人弱で、新潟の場合ですと自動改札機導入対象の最下限レベルです。

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豊野駅橋上駅舎の自由通路の様子。

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豊野駅橋上駅舎構内の様子。

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一番線三才駅方から見た豊野駅構内の様子。
このホームは妙高高原、飯山方面乗り場です。
二本のホームの配置は昔の停車場らしいものです。


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一番ホーム端から三才駅方を見る。
豊野駅はまだ大都市近郊らしからぬ長閑な雰囲気ですけれど、この先三才駅に近づくと沿線は一気に都市近郊のそれに変わっていきます。

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一番ホームの橋上駅舎出入り口付近の様子。

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一番線牟礼駅方から見た豊野駅構内。

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一番ホーム端から牟礼駅方を望む。

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橋上駅舎自由通路上から三才駅方を望む。
一番、二番線の間に線路が一本あって両方向共に接続していました。

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同じく構内から牟礼駅方を望む。

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島式ホームの様子。
こちらは長野方面乗り場です。
車両二両分ほどの上屋の下に、三人掛けベンチが計4脚。

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二番ホーム端から三才駅方を見る。
ホームはエレベーターの先に続いていますが、幅が狭く安全上問題があるのか立ち入り禁止になっています。
豊野駅に停車する列車は最大で6両程度あれば充分なので、これでも差し支えないのでしょう。

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島式ホーム牟礼駅方から見た豊野駅構内の様子。
当駅構内撮影のベストポジションはこの位置かと思います。
時間帯は午前中が良いでしょう。
午後だと薄曇でもこんな感じ。

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島式ホーム端から牟礼駅方を見る。
こちら側は三番線の右側に線路が三本。
かつての貨物側線のようです。
ただし本線と繋がっているのは本線の右の線路のみです。

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牟礼駅方の踏切から見た豊野駅構内の様子。

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同じく牟礼駅・信濃浅野駅方を望む。
ここからしばらくは左側の信越本線(現・しなの鉄道北しなの線)と右の飯山線が並走しています。

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三才駅方の陸橋上から俯瞰で見た豊野駅構内。
周辺の建物を圧倒する威容の橋上駅舎であります。

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豊野駅二番線に進入する115系電車長野色の長野行。

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豊野駅一番線に停車中の115系電車長野色の直江津行。

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豊野駅二番線から出発する189系電車「妙高」長野行。
かつての特急「あさま」としては当駅に脇目も振らなかった189系電車ですが、長野新幹線開業後は快速(のち普通列車)妙高号として停車するようになりました。
3連の115系電車はいつも混んでいて、途中駅から乗車するとまず座れなかったのに、6連で自由席5両の「妙高」は対照的に空いていて快適でしたなぁ。

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豊野駅一番線に停車中のキハ110系気動車越後川口行。
2011年当時、飯山線・長野-越後川口間を完走する列車は上下合わせて四本。
2016年現在では七本に増えています。
運用合理化の為でしょうかねぇ?

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豊野駅北口の様子。
こちら側が橋上駅舎以前からの駅正面のようです。
画像左側の上屋は長野市営バスの豊野駅北口バス停です。
当時は鉄道補完として三才への路線がありましたが、現在は乗合タクシー化されているようです。
またタクシーが一台待機。
駅前に人影は極めて少なく、北隣の牟礼駅よりも人気がありませんでしたなぁ。

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豊野駅南口の様子。

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豊野駅北口駅前通りの様子。
駅前通りは道幅が狭く住宅と個人商店が混在していて、集客力のある店が無いのでひっそり。
道幅が狭いということは、周辺が古くから集落であったという事なのでしょう。

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2016年9月18日 (日)

牟礼駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・牟礼駅。

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長野県上水内郡飯綱町に所在する有人駅で、JR在籍時代は信越本線、現在はしなの鉄道・北しなの線に所属しています。
開業は明治21年(1888年)5月1日で、開業当時の所在は上水内郡牟礼村。
牟礼村は当駅開業直後の1890年に中郷村と改称し、昭和30年4月に隣接する高岡村と合併して再度牟礼村を名乗ります。
二代目の牟礼村は平成の大合併の中、隣接する三水村と合併して町制を施行し、新自治体・飯綱町になって今日に至ります。

牟礼村史によると、牟礼停車場が置かれたのは当時の村北東端だったとの事で、北国街道の牟礼宿からはやや離れています。
宿場に当時の常であった鉄道に対する忌避感があった故の事なのかもしれませんが、関川宿(妙高高原)や柏原宿(黒姫)のように、街道そのものと鉄道が大きく離れているわけではないのでその辺の忌避感もそれほどではなかったのではないかと推察さるところです。
ともあれ鉄道開通によって当地にも外部から色々と文物が入ってくるようになり、その代表例が「魚屋」です。
牟礼村史によると、鉄道開通によって村に初めて魚屋が出来たのです!
村でそれまで魚と言えば、川で獲った川魚を自分たちで食する程度だったのでしょう。
それが鉄道によって日本海側から海魚が入ってくるようになり、商売として成立するようになったのでしょうね。
まさに消費革命であり、起業の夜明けだったのであります。

そんな牟礼駅のJR東日本所属時代の2013年度一日平均乗車人員は767人。
同社長野県内有人67駅中32位でした。
自治体の人口規模が同レベルの黒姫駅の約二倍の数字で、牟礼駅付近に高校があるのが大きなアドバンテージになっているようです。
観光利用が廃れた現在では、やはり学生の集中無くして大きな数字は出せないのであります。
なお牟礼駅には優等列車停車の実績も僅かながらあって、国鉄末期には新潟-長野・松本間の急行「とがくし」「南越後」が上下一本ずつ停車していました。

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牟礼駅駅舎の様子、2011年6月撮影。
なお撮影は全て同日であります。
建築財産票を見つけられなかったので完成年月は残念ながら不明。
相当に年季の入った建物ですが、色々と手は入れられています。
古い駅舎の常として、駅構内外にそれぞれトイレがあるのは来訪者にとって嬉しい限り。

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牟礼駅駅舎内の様子。
当時は内部吹き抜けで、黒姫駅駅舎と比べるとずっとコンパクトです。
往時でもそれほどの観光需要が無かった為でしょうか。

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待合室の様子。
壁にそってベンチが配されているのは昔の駅舎の特徴と言えます。
時計の上にツバメの巣があるのは、微笑ましいというかはた迷惑というかビミョーな感じ。

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一番線豊野駅方から見た牟礼駅構内。
上下線間の中線跡が実に目立ちます。

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一番ホームに接した牟礼駅舎改札口周りの様子。

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跨線橋出入り口前には小さな上屋が置かれて風雨を凌げるのが、利用者にとって好印象なのです。

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一番線古間駅方から見た牟礼駅構内。

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ホーム端から古間駅方を見る。

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一番ホーム脇に立つ牟礼駅のシンボル・天狗像。
飯綱町内にある標高1,917mの火山・飯縄山の山岳信仰に基づくという飯縄権現が天狗の姿であることから、町では天狗がシンボルのようになっています。

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牟礼駅跨線橋内の様子。
昭和31年5月の完成ですが、内部の状態は良好です。
通路幅はこのクラスの駅標準サイズ。
手すりが付いているのは、エスカレーターの無い当駅にとってせめてものバリアフリー施策でしょうか。

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跨線橋上から豊野駅方を望む。

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同じく古間駅方を見る。

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二番線古間駅方から見た牟礼駅構内。

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二番ホーム端から古間駅方を望む。

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二番ホームの跨線橋出入り口と上屋、そして待合室。
構内は相応の広さですがホームの上屋は僅か。
この辺が、その出自が「村の玄関駅」であった牟礼駅の格を表していますなぁ。

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二番ホーム待合室内部の様子。
建築財産票を確認出来なかったのですが、室内のこのレイアウトから察して相当の経年と思われます。

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二番ホーム端から豊野駅方を見る。

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牟礼駅を出発する189系電車「妙高」長野行。

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牟礼駅に到着した189系電車「妙高」直江津行。

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牟礼駅前通りの様子。
画像右手が駅になります。
駅前にはバス停があり、現在(2016年)は長野駅前との間に平日11往復、土休日6往復の長野電鉄運行路線バスが走っています。
ただし所要時間は一時間近くかかるので、対長野の鉄道補完とは言えません。
しかし長野電鉄の本郷駅に立ち寄るので、当駅から長野駅に出ずに電鉄に乗り換えて須坂方面に行きたい場合は使えるルートではあります。

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駅前通りは豊野方に向かって高度を上げます。
そこからだと俯瞰で牟礼駅周辺をよく観察することが出来るのです。

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おりしも115系電車長野行が牟礼駅に到着。

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牟礼駅前通りは小規模ながら商店街を形成しています。
人通りは少ないもののクルマの往来は多いところです。

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古間駅方の踏切から見た牟礼駅構内。

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踏切を渡り国道18号線への道中にも、「ようこそ天狗の里へ」。

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牟礼駅から数分で国道18号線に出ます。

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