カテゴリー「R002 飯山線の駅」の記事

2016年8月21日 (日)

森宮野原駅(飯山線)

本日の駅紹介は、飯山線・森宮野原駅。

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当ブログは新潟県の駅をメインコンテンツにしており、長野県の駅である当駅は本来守備範囲外です。
しかし飯山線の列車運行上の要衝である当駅は新潟長野県境のすぐ向こうにあって、列車交換駅であることから区切りも良い為、当ブログでの飯山線の守備範囲はこの森宮野原駅までとします。

さて森宮野原駅は長野県下水内郡栄村に所在する有人駅で、開業は大正15年(1925年)11月19日。
飯山方面から延伸された飯山鉄道の終着駅として開業し、昭和2年8月に当駅-越後外丸駅(現・津南駅)に延伸されて中間駅となりましたが、飯山鉄道の旅客貨物の要衝駅の一つとしてその後も存在感を発揮してきたのです。
開業当時の所在については、当時の水内村だったのか堺村だったのか他県の人間である私にはよくわからないのが正直なところです。
両村の境界は森宮野原駅の南至近にある信濃川なのであろうことは推測できますけれど、当駅の立地は実に微妙なところにあるのです。
信濃川の北側が水内村なので、単純に考えれば当駅もギリギリ水内村に入りますが果たして・・・?
また「森宮野原」と言う駅名は、当駅周辺の「森」地区と新潟県側の「宮野原」地区を合わせたものなんだとか。
開業当時、県境の新潟側に足滝駅は置かれませんでしたので、新潟県側の中魚沼郡上郷村内の宮野原集落にとっても当地への鉄道停車場設置は大きなメリットがあったのが窺える話です。
なおこの宮野原地区はかつて村だった集落です。
飯山鉄道のやり方としては他駅のエントリーで述べているように、「停車場設置自治体への寄附金要求」がありますけれど、この場合は長野県側の自治体に加えて駅名にその名を連ねる宮野原地区(上郷村)も寄附金を負担したのか?
その辺の県を越えて錯綜した裏事情は実に興味深い話なのであります
閑話休題、水内村と堺村は昭和31年9月に合併して現在の栄村になり、今日に至ります。

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森宮野原駅駅舎の様子、2011年5月撮影。
実に立派な駅舎!・・・と思いきや、実は栄村の「森宮野原駅交流館」との合築です。
合築というよりは駅が交流館に間借りしていると言った方が適当ですな。
建築財産票を見つけられなかったのですが、ウィキペディアによると2004年4月に完成との事です。
新潟県内でもこういう合築例は散見されます。
単純にJRとの共同で駅舎を建てるよりは、こちらの方が県や国からの補助率が高いとか、そういう事情もあるのでしょうか。

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「森宮野原駅交流館」の大きな看板の右に小さな「森宮野原駅」の看板。
間借りのような状況を端的に表していると申せましょうか。
2011年5月撮影。

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森宮野原駅駅舎待合室内の様子、2011年5月撮影。
駅名に相応しい木をイメージさせる内装です。
JR東日本によると、森宮野原駅の2014年度一日平均乗車人員は45人。
JR東日本とJR東海の長野県内有人駅は私が数えたところ84駅ありましたが、当駅は80位。
当駅より下位にいるのは、大糸線・神城駅、飯山線・横倉、平滝、信濃白鳥の各駅です。
飯山線の三駅はいずれも栄村内の駅です。
栄村の人口は約1,900人で、県境で接する新潟県の津南町の約1/5。
一方で森宮野原駅は津南駅の半分弱の利用実態です。
津南駅が津南町の中心部から距離があって不便であり、潜在需要を掘り起こせないでいる点を考慮しても、人口規模の差を考えれば当駅は健闘しているように思えます。

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待合室からホームへは、飯山鉄道定番の構内通路で連絡です。
2011年5月撮影。
飯山線の新潟県内区間各駅では見られない物々しい遮断機に注目。

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足滝駅方から見た森宮野原駅構内の様子、2011年5月撮影。
画像右手に旧貨物ホームらしきものが見えます。

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ホーム端から足滝駅方と駅舎を見る、2011年5月撮影。

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横倉駅方から見た森宮野原駅ホームの様子、2011年5月撮影。
画像右側に見えるバスは、当駅前で折り返し待機中の南越後観光バス運行の越後湯沢駅行です。

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ホーム端から横倉駅方を見る、2011年5月撮影。
飯山線のこの先、長野県側には久しく乗っていませんなぁそういえば。
四半世紀も足を踏み入れていませんよ。

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森宮野原駅で行き違うキハ110系気動車、2011年5月撮影。
右の単行戸狩野沢温泉行と左の二連越後川口行です。

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森宮野原駅一番線で列車交換待機中のキハ110系気動車の戸狩野沢温泉行、2005年5月撮影。

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ホーム上の名所案内板、2005年5月撮影。
新潟県側麓のスキー場でも有名な苗場山まで、地図上の直線距離で約20km。
村域はさらにその南方まであります。
当駅から南方に、実に奥行き広いのが栄村の特徴です。

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駅構内に建つ、日本最高積雪地点の記念柱、2011年5月撮影。
積雪実に7.8m・・・!
二階から出入りするの冬を何度か経験したのが上限の私には、想像を絶する世界です。

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構内通路から見た森宮野原駅構内、2011年5月撮影。
栄村は東日本大震災の発災翌日未明に起きた「長野北部地震」の震源地で、最大震度6強。
大々的に報道されるべき内陸型の大地震だったのですが、世界の地震史史上有数の大地震であった東日本大震災の影に隠れてしまって、報道がされず被害の実態がなかなか伝わってこなかったのは、栄村村民の皆様にとって実にお気の毒な事であったのは記憶に新しいところです。
当駅も被害が大きく、新しく舗装した部分は復旧箇所でその範囲は実に広いのです。
この撮影時は当駅の営業再開からまだ半月程で、線路のバラストもまだ真新しい。

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構内通路から足滝駅方を望む、2011年5月撮影。

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国道森宮野原駅前通りの様子、2011年5月撮影。
通りには旅館と食堂の看板が各一軒というところ。
左側の書店の「小学館の学習雑誌」の看板が実に懐かしい。
この当時はまだあちこちで地震被害の復旧工事中でした。

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森宮野原駅前広場横の駐車場で折り返し待機中の、南越後観光バス運行の越後湯沢駅行バス、2011年5月撮影。
「急行」バスと銘打ってはおりますけれど、私が乗車した石打郵便局前までは通過扱いのバス停は無かったように思います。
まぁ乗降が少なく通過するバス停が圧倒的に多いので、実態は急行と言えましょうか。
この時ガッカリしたのは、バスがフツーの古い路線バスタイプだったこと。
このバス路線について予備知識無しで行ったので、観光用のお古の冷房バッチリなタイプと信じて疑わなかったのですよ。
ですので駅のホーム上からこのバスを見た時は、なんかため息出ちゃいましたね。
昔と違って、観光用の中古バスを格下げ転用なんてしないのでしょうね。
格下げする前に廃車しちゃうんでしょう。
そのように心の中で愚痴りながら車中の人へ。
古いバスの固い座席に座り、一時間近く揺られて石打に到着です。
バスはいただけませんが、車窓は素晴らしかった!
清津峡は実に風光明媚で、降りてあちこちウロつきたい衝動に駆られましたが、次のバスは三時間後でしかも最終便。
車中でかなり悩んだ末に、下車は断念して当初予定の石打駅へという道行でございました。
なおここからは津南への便も出ていて、飯山線との相互補完で駅巡りに使えます。
ただし足滝、越後田中津南各駅共最寄バス停からは離れているので要注意。

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2016年5月 8日 (日)

越後田中駅(飯山線)

本日の駅紹介は、飯山線・越後田中駅。

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新潟県中魚沼郡津南町に所在する無人駅で、開業は飯山鉄道の停車場として昭和2年(1927年)8月1日。
開業当時の所在は中魚沼郡上郷村で、同村の玄関駅でした。
上郷村は昭和30年に周辺諸村と合併して新自治体の津南町となり、今日に至ります。

津南町史によると、越後田中駅は当初貨物取扱を行わず交換設備も設けない「停留所」として設置が計画されましたが、土地の有力者が全面協力(明記はされていませんが駅用地の自発的な寄付があったのでしょう)によって、飯山鉄道の他駅と同様の貨物取扱及び交換設備を備えた「停車場」に格上げ開業されたとの事です。
鹿渡、外丸両村が絞り取られた「寄附金」も、この自発的協力が功を奏して小額で済んだそうで、やはり生身の人間のやる事ですから「心証」は大事ですよという事なのでしょう。
地元の自発的な協力で一人前の駅扱いになった越後田中駅ですけれど、やはり周辺人口の元々の少なさには抗えず、昭和45年末に越後水沢魚沼中条の両駅と共に無人化されて今日に至ります。
十日町市史によると昭和40年の当駅一日平均乗車人数は98人で、同時期に無人化された越後水沢駅の188人、魚沼中条駅の290人に比べても格段に少なかったのです。
貨物に関しても、昭和40年時点で既に記載されていないので、相当以前に取扱は廃止されていたと思われます。
利用状況はその後10年で大激減して、昭和50年時点で一日平均17人。
平成4年時点で20人です。
現在はおそらく一桁であろうと思います。
JR北海道であれば、隣の足滝駅と共にリストラの対象になっているレベルと言えるでしょう。

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越後田中駅駅舎の様子、2011年5月撮影。
建築財産票によると、平成10年9月の完成です。
飯山線新潟県内区間無人諸駅と同様の建物で、トイレはありません。
駅前左手の申し訳程度の駐輪場が、当駅の利用実態を無言のうちに来訪者に語りかけてきます。

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越後田中駅待合室内部の様子、2011年5月撮影。
室内にはベンチが三脚あるだけ。
ゴミ箱も「善意の傘」もありません。

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津南駅方から見た越後田中駅ホームの様子、2011年5月撮影。
津南町史では交換設備を備えた駅として開業と述べられていましたけれど、ウィキペディアにある当駅の旧駅舎を見ると、その位置は現駅舎と同じ位置なのです。
ということは、旧駅舎が作られた時点で少なくとも島式ホームによる交換方式ではなかったと考えられるのです。
では相対式であったのか?・・・私の目で見た限り、何とも判断がつきませんなぁ。

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ホーム端から津南方を見る、2011年5月撮影。
ホームの有効長は飯山線の他駅同様の4両です。

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足滝駅方から見た越後田中駅構内、2011年5月撮影。

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ホーム端から足滝駅方を望む、2011年5月撮影。
画像左側に伸びているホーム跡とも見えなくも無い構造物がまた謎なのです。

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越後田中駅を出発するキハ110系気動車単行の十日町行、2011年5月撮影。

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越後田中駅前の小道から振り返って一枚、2011年5月撮影。
豪雪地帯特有の、背の高い昔風の民家が見られる昔懐かしい風景です。

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踏切を渡って高台の県道から見た越後田中駅とその周辺、2011年5月撮影。

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俯瞰で見た越後田中駅の全容、2011年5月撮影。
あんなこじんまりとした建物でも、駅の規模が小さいので相対的に大きく感じられます。

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県道を路線バスが通る国道117号線に向って進みます。
東日本大震災発生の翌日未明に起きた長野北部地震で、震度6弱に襲われた津南町ですが、より震源に近いこの辺りの揺れはさらに大きかったのではと思われます。
発災後約二ヶ月の時点でもまだ復旧に未着手のところもあって、画像左側の歩道もその一つでした。

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県道を進み国道手前の信濃川に架かる橋から振り向いて一枚、2011年5月撮影。

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橋から見た信濃川の様子、2011年5月撮影。

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越後田中駅から寄り道をしつつ約15分で、国道117号線に出ます、2011年5月撮影。
周辺には観光物産館があります。
十日町方面から津南までは通行量の多い国道117号線も、この辺まで来るとご覧のような長閑さ。

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越後田中駅最寄の「小下里」バス停に近づく、南越後観光バス運行の路線バス森宮野原発津南行、2011年5月撮影。
利用状況ゆえか、中型バスです。
津南-森宮野原間にはこの路線と急行バス森宮野原-越後湯沢線が運行されていて、駅巡りに適当な日中の運行は合わせて5往復です。

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2016年5月 4日 (水)

津南駅(飯山線)

本日の駅紹介は、飯山線・津南駅。

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新潟県中魚沼郡津南町に所在する有人駅で、開業は昭和2年(1927年)8月1日。
開業当時は飯山鉄道・越後外丸駅で、中魚沼郡外丸村の所在でした。
外丸村は昭和30年に周辺諸村と合併して新自治体の津南町となり、当駅は後述するように町の中心地域からはかなり離れてはいますが、新たな町の玄関駅になります。
町の玄関駅に相応しいように、昭和43年に現在の駅名「津南」に改称して今日に至ります。
中魚沼郡の諸町村は平成の大合併の号令の下、十日町市と合併してしまいましたけれど、津南町は住民投票の結果、合併には加わらずに孤高を保つことを選択したのです。
合併するとどうしても旧町村の独自性や魅力は薄れてしまいますから、財政的に単独でもなんとかやっていける判断なのであれば、これからは特に外から人を呼び込む魅力化施策を行う為にも独立独歩の立場を維持した方が賢明ではないのかなぁと個人的には思うところで、それゆえ津南町の姿勢には応援したくなるのです。

越後鹿渡駅のエントリーでも触れたように、当時の飯山鉄道が駅設置地域に執拗に求めたのが「寄附金」です。
津南町史によると、越後外丸駅設置に当たっては飯山鉄道から外丸村に6,500円の「寄附金」要求があったとのことで、金額は隣の越後鹿渡駅よりも3,000円も多かったのです。
結局、村は「任意ではございますが絶対にお支払いくださいませ」の6,500円ナリを、大正14年から昭和14年まで15年がかりで完納したとの事。
支払い中に昭和恐慌が起きて、支払いもさぞ苦しかっただろうと思われますが、鉄道側は執拗に完納を要求したとの事・・・、自分だって越後外丸駅のおかげで多少は儲けているでしょうにねぇ。
なお、延滞した際の利子までは求めなかったそうで、893な商売にあって一服の清涼剤と言えなくもございません。
しかしそもそも、地元自治体にこれほどの負担がのしかかる根本原因は、当時の新潟県も中魚沼郡も飯山鉄道に対して補助金を一切出さなかったことにあるのですよ。
私鉄に対する自治体の補助金制度は当時どうなっていたのか、いや単に県や群がケチだったのか、その辺の経緯も知りたいところであります。

なお、旧外丸村内には越後外丸駅以外にもう一つ停車場が存在していた時期があります。
当駅から北側(越後鹿渡方面)に、昭和12年5月に足滝仮停車場と共に設置された「北外丸」仮停車場がそれです。
両者共に信濃川流域の電源開発の資材搬入用として設置された停車場で、旅客はそのついでという位置付けでした。
戦時下の昭和19年6月に飯山鉄道が国有化されると同時に、足滝と北外丸の両仮停車場は廃止。
戦後に足滝、北外丸両停車場の復活について地元から請願が国鉄当局にあり、検討の結果足滝については自治体が設置の費用負担をする請願駅として復活の運びとなった一方で、北外丸については却下されてしまいます。
津南町史によると、北外丸停車場は外丸村の中心部に位置していたとの事で、路線バス津南-鹿渡新田線の「外丸本村」バス停付近がそうなのかもしれません。
付近には郵便局があり、近年まで小学校もあったのです。
村の事だけを考えれば、最初から北外丸地区に駅を設置しておけばよかったのではとも思いますが、そうなると立地条件(適度に平坦な土地が必要)に加えて、信濃川対岸の現在の津南町中心地区との距離がさらに開いてアクセスがますます悪くなってしまうので、周辺諸村との関係上やりたくても出来なかったのかもしれませんね。
津南駅から十日町駅方面に出発して、二つ目のトンネルを過ぎたあたりが北外丸仮停車場だと思われますが、津南駅からの距離は約2km、越後鹿渡駅からの距離は約2.5km。
この距離の短さとバス路線の存在がネックになって復活は見送られたとの事で、隣駅との駅間距離が短いのにも関わらず復活した足滝駅との差は、直接競合するライバルの存在の有無だったようです。

十日町市史によると、昭和40年の越後外丸駅の一日平均乗車人数は423人で、当駅同様に準急「野沢」停車駅の越後田沢駅よりやや少ないレベルでした。
一日平均貨物取扱量については越後田沢駅の29トンに対して当駅は74トンと優勢です。
この辺りは、中里村と津南町の人口規模の差から来る物流量の違いが明確に現れていると申せましょう。
越後田沢駅は昭和45年末に貨物取扱を廃止しますが、越後外丸から改称した津南駅のそれはその後も健在で、昭和55年の一日平均貨物取扱量は30トン。
昭和53年に戸狩-津南間の貨物営業は廃止されているので、この時点では津南駅が十日町方面への貨物列車の始発着駅になっていたものと思われます。
津南駅の貨物取扱が廃止されたのは、昭和57年10月でした。
旅客に関しては、ライバルと言える越後田沢駅と拮抗する状態が長く続いていましたけれど、現在では越後田沢駅が無人化されて急行停車駅としての隆盛時代をなかなか見出せない状態なのに対して、ここ津南駅は温泉施設併設の威力もあってか、平成初期と比べてもやや上向きで、堅調という利用状況にあります。
ただ堅調とはいっても、2014年度の当駅一日平均乗車人員は106人で、新潟県内JR東日本所在有人67駅中65位。
津南駅より下位なのは、米坂線・越後下関駅と羽越本線・府屋駅のみです。

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津南駅駅舎の様子、2011年5月撮影。
駅舎といっても建物の大半は温泉施設「リバーサイド津南」。
ウィキペディアによると、駅との併設で完成したのは1995年。
駅周辺に人気があるのはこの施設のおかげでしょう。
温泉の威力は実に大きい。

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施設一階の津南駅関連空間の様子、2011年5月撮影。
この日は平日の月曜日で、温泉は残念ながら定休日で委託の津南駅窓口業務も休みのようでした。
東日本大震災の影響による節電で、温泉休業の建物内は照明も切られています。
津南町は3.11の翌日未明に発生した長野北部地震で震度6弱に見舞われているので、節電に関しても新潟の他地域よりも敏感だったのかもしれません。

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ホームへの出入り口の様子、2011年5月撮影。

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越後田中駅方から見た津南駅ホームの様子、2011年5月撮影。
十日町駅を除く飯山線新潟県内区間各駅に比べて上屋の長さは突き抜けていて、十日町駅以外の飯山線の新潟県内他駅とは別格て゜す。
建築財産票によると、上屋の完成は平成9年12月。
しかしホームに停車中の単行列車を撮る場合、この立派な上屋で空が遮られてあまり見栄えのよくないものに。

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ホーム端から越後田中駅方を望む、2011年5月撮影。
画像右側の空き地が、かつての貨物側線跡なのでしょうか。

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越後鹿渡駅方から見た津南駅構内、2011年5月撮影。
かつては島式ホームだったそうですけれど、温泉施設や駐車場の整備でその面影はあまり見られません。
昭和60年3月ダイヤ改正では津南-十日町間で7回の定期旅客列車の交換機会(十日町駅は除く)がありましたけれど、うち6回は越後田沢駅で行われていて、津南駅では夜の一回きり。
当時は他に下りの津南始発が一本ありました。

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ホーム端から越後鹿渡駅方を望む。
津南駅のホーム有効長は4両で他駅と同じです。

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津南駅に到着したキハ110系気動車戸狩野沢行、2011年5月撮影。

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晩秋の津南駅を出発するキハ110系気動車戸狩野沢行、2003年11月撮影。
取材目的で津南駅に降り立って最初の一枚がこれ。

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津南駅ホームの名所案内板、2004年10月撮影。

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越後鹿渡駅方の踏切を渡って一枚、2004年5月撮影。

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駅裏にある津南町営の「マウンテンパーク津南スキー場」への道すがらに一枚、2011年5月撮影。

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かつては津南駅から連絡リフトで直上のスキー場に行けたそうですけれど、このリフトはこの時点で使用停止されて久しいそうです、2011年5月撮影。
日本最大規模を誇る津南の河岸段丘を望めるというマウンテンパーク津南スキー場ですが、2015-16シーズンは一般客向け営業を行いませんでした。
大資本の入っていない公営の中小スキー場の苦境の小典型と言えますなぁ。

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津南駅前広場から見た、国道405号線の津南市街地方面。
2011年5月撮影。
この時点では、温泉施設の他に駅前に食堂が一軒ありました。
生憎この日は定休日で、リバーサイド津南の定休日に合わせているようでした。
おかげでこの日、昼ごはんを食いはぐれるハメに。

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さて、津南駅を後にして、国道405号線で信濃川対岸の津南町中心地区まで歩いてみます。
2011年5月撮影。

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国道405号線の信濃川大橋から見た信濃川、2011年5月撮影。
この辺はまだ荒々しくて、最下流の新潟市に住む私が万代橋から見る穏やかな流れとは全く違う野性味溢れる姿なのです。

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津南駅から国道405線を南下して、津南中心街の国道117号線までは約1.5km。
道中は勾配があって、距離以上に遠く感じます。
お年寄りにとってはかなり酷な道のりでしょう。
津南駅-津南間は南越後観光バス運行の津南-鹿渡新田線と津南駅-中子線を利用できますが、本数は多いとは言えません。
詳細は当ブログ右サイドバーからリンクしている「南越後観光バス」の津南・十日町地区を参照願います。

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終点へラストスパートの、南越後観光バス運行の路線バス十日町発津南行。
この路線が毎時一本以上の運行頻度を確保出来ているのは、十日町以外で沿線最大の人口集積地域である国道沿線の津南界隈の鉄道事情が悪すぎるのが要因の一つかと思われますな。
なお津南中心街と長野県の森宮野原駅間には、南越後観光バス運行の急行バス越後湯沢-森宮野原線と路線バス津南-森宮野原線が国道117号線経由で運行されています。
前者は越後田沢界隈から国道353号線に入って、清津峡を通り石打、越後湯沢へと抜けていきます。
駅巡りに使える日中の時間帯の運行は両者合わせて5往復で、飯山線と相互補完で使うのが吉です。
ただし、途中の越後田中、足滝両駅と国道はやや距離があるので要注意。
特に足滝は、道を確認しながら行かないと方向感覚を失って迷う可能性があります(12年前に迷ってバスに乗り遅れ、足滝から津南まで歩くハメになった経験者は語るw)。

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2016年5月 3日 (火)

越後田沢駅(飯山線)

本日の駅紹介は、飯山線・越後田沢駅。

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新潟県十日町市に所在する無人駅で、開業は昭和2年(1927年)10月6日。
飯山鉄道の駅としての開業でした。
開業時の所在は中魚沼郡田沢村で、同村唯一の鉄道駅にして玄関駅です。
田沢村は昭和30年3月末に隣接する倉俣村と合併して新自治体の中里村になりましたが、中里村の中心地区は旧田沢村のそれであり、越後田沢駅の村唯一の鉄道駅であり玄関駅という立ち位置も不動でした。
中里村は2005年4月に周辺町村と共に十日町市と合併し、装いも新たになった十日町市の南西地域となって今日に至ります。

中里村史によると飯山鉄道の当初の計画では、越後鹿渡駅から現在の国道353号線沿いを進み、宮中ダムの手前で信濃川を渡って河畔を進んで越後水沢駅近くで現在線に合流する予定だったようです。
これだと越後田沢駅は、現在の位置より500m程北の信濃川の手前に作られることになります。
しかしそれだと駅は田沢村の中心集落から1kmも離れてしまうことになる為、田沢村は村内のルート変更の請願書を会社に提出します。
村の主張は、会社の当初計画よりも村提出の計画(現在線)の方が工事が容易で工費も安く、村の中心に近い位置に停車場を設けられて理想的な形になるとの事でした。
この主張は飯山鉄道も納得するところで、この請願を受け入れる形で鉄道の田沢村村内のルート変更が実現したのです。
現在線も信濃川と清津川の合流地点付近を鉄橋で越えた後、すぐトンネルに入りますから工費はそれなりにかかったと思われますが、それでもこのルートに変えたということは、信濃川対岸から急カーブで信濃川を渡る当初計画の厳しさを窺い知れます。

十日町市史によると、越後田沢駅の昭和40年一日平均乗車人数は471人。
同年の十日町駅の約二割で、当駅と同じく当時の準急「野沢」停車駅の津南駅よりもやや多かったのです。
471人というと、現在の十日町駅の飯山線乗車人員に匹敵する数字。
土日の日中はホームに人影を見ることもない現在の姿からは想像できないところです。
一方、貨物の取り扱いトン数では津南駅の約四割で、この辺は中魚沼郡内の中心地区であった津南町と中里村の自治体としての勢力、人口規模の差がはっきり出ています。

十日町市史には平成四年までの乗車人員が載っていますが、平成四年の時点でも津南駅と越後田沢駅の数字はほぼ互角で、十日町駅を除けば下条、津南、そして当駅が飯山線下条-足滝間で常に突出した数字でした。
しかし現在、津南駅は温泉施設と併設になり委託による有人維持で、かつての急行列車停車駅のメンツも保たれている形ですけれど、当駅は90年代前半に無人化されて久しく、かつての急行停車駅としての面影は構内の列車交換設備跡としっかりした造りの上屋に僅かに見出すのみなのです。
2014年度の津南駅一日平均乗車人員は106人で、平成四年当時よりやや上向いているのですけれど、越後田沢駅の場合はおそらく半分以下になってしまっていると思われます。
やはり列車で来ようかと思わせる集客施設や景勝地が当駅の至近に存在しないのが、津南駅と当駅に駅勢地域の人口規模以上の差が付いてしまっている最大の要因なのでしょう。

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越後田沢駅駅舎の様子、2011年5月撮影。
建築財産票は確認出来なかったのですが、ウィキペディアによると2001年に改築されたようです。
豪雪地帯の建物の常として、屋根の傾斜は極めて急です。

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越後田沢駅駅舎内部の様子、2011年5月撮影。
飯山線の新潟県内区間の他の無人駅と全く異なる造りです。
待合室内は小奇麗で居住性も良好。
来訪者にとって何より有り難いのは、水洗トイレが設置されていることです。
飯山線の新潟県内無人駅でトイレがあるのは当駅のみ。
トイレの心配をせずに済むのは、駅巡り者にとっては大いなる福音です。

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待合室内に飾られている、越後田沢駅旧駅舎の写真。
2011年5月撮影。
この駅舎が現役だった時代、この駅には急行「野沢」が停車していたのですな。

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駅舎からホームへは構内通路で連絡しています、2011年5月撮影。
短い島式ホームと構内通路はかつての飯山鉄道が作った駅の証です。
飯山線内の新潟県内区間の無人駅で、現在「生きている」?線路を横断していくのは越後田沢駅のみ。


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ホームから見た越後田沢駅駅舎、2011年5月撮影。

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越後水沢駅方から見た越後田沢駅ホームの様子、2011年5月撮影。
上屋はしっかりした造りで、他の無人駅とは格が違います。

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ホーム端から越後水沢駅方を望む、2011年5月撮影。
ホームの有効長は4両ですが、飯山線の旅客列車は国鉄時代でも最長でこの程度。
現在は基本的に単行です。

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越後鹿渡駅方から見た越後田沢駅ホームの様子、2011年5月撮影。
少々見辛いですが、上屋の下(ホーム右側)にベンチがあります。
ベンチの数は6脚で他の無人駅より多いのも、当駅の格の違いからか。

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ホーム端から越後鹿渡駅方を望む、2011年5月撮影。
画像左下が駅舎との連絡通路です。

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構内通路から越後水沢駅方を見る、2011年5月撮影。
かつては列車交換可能な島式ホームであった越後田沢駅も、現在は棒線化されて不要になった側には無常にも白い柵が設置されています。
横取線が残っているのがかつての隆盛の僅かな残照と言えましょうか。
昭和60年3月改正ダイヤを見ると、当駅では一日6回の定期旅客列車の交換が行われていました。
当時の津南-十日町間の定期旅客列車本数は急行2本、普通列車は下り8本、上り6本で、同区間の列車交換機会(十日町駅を除く)7回のほとんどはここ越後田沢駅で行われていたのです(残り1回は津南駅)。
かつては良好な利用状況に加えて運転面でも飯山線内で枢要な位置にあったからこそ、現在の閑散過ぎる状態はローカル線の衰退をそのまま具現化しているようで、只見線の越後須原駅と並んで非常に考えさせられるものがあります。

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線路脇の小道から越後鹿渡駅方を見る、2011年5月撮影。

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越後田沢駅ホームの名所案内板、2004年9月撮影。
どこも駅から相当に離れているのです。

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越後田沢駅を出発するキハ110単行の戸狩野沢温泉行、2011年5月撮影。
飯山線の全ての定期旅客列車はキハ110なので、車両的には全く面白味がないのです。
単行が常のこの区間ではなおの事。

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越後田沢駅を通過するキハ58系2連の「なつかしの急行野沢」号、2004年9月撮影。
昭和61年11月ダイヤ改正で廃止された急行「野沢」は三連で、この駅に停車してたのです。

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越後鹿渡方の踏切から見た越後田沢駅構内の様子、2011年5月撮影。
横取線はこちら側とのみ繋がっています。

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駅裏から見た越後田沢駅の風情、2011年5月撮影。

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越後水沢方の踏切から見た越後田沢駅構内の様子、2011年5月撮影。
線路が不自然に曲がっているのが、当駅がかつて列車交換設備を持っていた事の証です。

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越後田沢駅前の様子、2011年5月撮影。
駅舎の左手に見えるのはヤマザキショップで、この時点では0700~2000の営業でした。
駅至近の買い物処として、周辺の方々にも私のような来訪者にも貴重な存在です。

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越後田沢駅から500m弱で国道117号線に出ます、2011年5月撮影。
かつての田沢村~中里村の中心街で、日常生活に必要な店舗がぎゅっとまとまって立地しています。
駅からは少し距離がありますが、セブンイレプンも国道の十日町寄りにあります。

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国道を走る南越後観光バス運行の津南発十日町行路線バス、2011年5月撮影。
30分~一時間に一本の高い運行頻度で、運賃こそ鉄道よりも高いものの利便性は過疎ダイヤの飯山線の比ではありません。
実際、土日に乗車してみても乗客はそこそこいるのです。
病院にダイレクトに行けるのが高齢化過疎地域のバスの最大の強みで、飯山線が逆立ちしても勝てないのはこの辺りの事情でしょう。

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この日の主たる目的は、JR東日本の信濃川不正取水事件で有名な宮中ダムの見物です、2011年5月撮影。
越後田沢駅から国道353号線を進み、飯山線を渡って行きます。
田植えを終えたばかりの田圃には水が満々。

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宮中ダムの様子、2011年5月撮影。
宮中ダムは昭和13年の完成で、ここで取水された水は下流の水力発電所群で発電に利用され、JR東日本の首都圏の電車運行に多大の貢献をしているのです。
東京を初め他県では大きな話題にならなかったでしょうけれど、JR東日本によるこのダムの不正取水事件は新潟県内では大きく取り上げられたのです。
田舎を軽く見られているようで、県民としては極めて不愉快な話でしたなぁ。

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信濃川に架かる国道353号線の宮中橋、2011年5月撮影。
宮中ダムの画はこの橋上から撮ったものです。
越後田沢駅からここまで約2km半です。

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宮中橋上から下流(十日町方)を望む、2011年5月撮影。
画像左手の建物は日帰り温泉の宮中島温泉こと「ミオンなかさと」。
サイトを見ると、鉄道でのアクセスは十日町駅下車でおクルマとなっています。
物理的な距離での最寄は越後田沢駅なのですけれど、アクセス手段としては飯山線は全く眼中に無しの様子。
歩いて3km程度ですけれど、まぁ温泉に行くのにそんなに歩く人は私ぐらいかw
なお、宮中地区には十日町駅前-中里-田代間の南越後観光運行の路線バスが走っていて、十日町-宮中間は2016年4月ダイヤ改正では通年一日3往復です。

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2016年1月11日 (月)

越後鹿渡駅(飯山線)

本日の駅紹介は飯山線・越後鹿渡駅。

越後鹿渡駅の駅名票

新潟県中魚沼郡津南町に所在する無人駅で、開業は昭和2年(1927年)11月6日。
飯山線の前身である飯山鉄道の越後外丸駅(現・津南駅)-
越後田沢駅間延長開業時にその中間駅として設置されました。
開業当時の所在は中魚沼郡外丸村で、同村は昭和30年に周辺諸村と合併して町制を施行して津南町となり、平成の大合併の嵐の中にあっても十日町市と合併する事なく独立独歩の道を選んでいます。

私鉄の駅として誕生したこの越後鹿渡駅、津南町史を見ると中々に面倒な経緯で設置されております。
飯山鉄道は当時新潟県からも中魚沼郡からも補助金等の支援を得られなかった為、駅設置地域へ「寄付金」を要求したそうで、
当駅周辺地域からは3,500円の「寄付金」を徴収。
大正15年から昭和11年まで約12年をかけて完納させたそうです。
昭和初期の新聞の月極購読料は1円だったそうですから、極めて大雑把に1円=現在の約三千円と考えるとこの「寄付金」は、現在の一千万円ほどになりますね。
この「寄付金」は駅の規模や地元からの駅用地寄付の程度によってかなり変わるようで、いずれエントリーする津南駅(当時は越後外丸駅)は相当の高額に、越後田沢駅は少額で済んだそうです。
しかしたとえ「寄付金」を強要されようと、おらが村おらが地域に鉄道の駅を置かせたかったのが当時の社会状況で、ここ越後鹿渡駅設置に当たっては鹿渡地区と隣の辰ノ口地区の間で熾烈な駅誘致合戦が繰り広げられたとの事で、しかも駅設置後は「寄付金」の分担をめぐってまたモメたそうです。
辰ノ口地区からすれば、自分のとこから約1km離れた隣地区の駅の為にけして少なくないおカネを支払わされるなんて、到底納得いかないところでしょうしねぇ、あぁメンドくさい話...。

さて誕生にこのような経緯を経た飯山鉄道・越後鹿渡駅は、昭和19年6月に同鉄道が国有化されたことにより、戦後は国鉄の駅として歩んできたわけです。
十日町市史によると、当駅の半世紀前の1965年一日平均乗車人員は218人。
現在の駅とその周辺を考えると、俄かには信じられない凄い数字です。
それが1970年12月の貨物取り扱い廃止を経て、1980年の一日平均乗車人員は96人で、15年間で56%の大幅減。
1992年は38人にまでさらに減っていて、現在は10人台でも驚かない、そんな駅の佇まいです。

越後鹿渡駅駅舎の様子
越後鹿渡駅舎の様子、2010年5月撮影。
飯山線新潟県内区間の他の改築駅と同一のデザインです。
最初からそうだったのかはわかりませんが、出入り口がスロープになっているのは時流に沿ったものでしょう。
建築財産票によると2002年12月の完成です。
1997年から2002年にかけて、当駅の他に十日町市、中里村、津南町に所在する
内ヶ巻下条魚沼中条土市越後水沢越後田中の各駅がこのようなデザインで改築されています。
これら改築駅にはトイレが無いので要注意。
当駅周辺にはトイレを借りられる店はありません。

越後鹿渡駅前の様子
越後鹿渡駅前の様子、2010年5月撮影。
かつての隆盛ぶりを偲ばせる広い駅前です。

ホーム十日町方から見た越後鹿渡駅構内の様子
ホームの越後田沢駅方から見た越後鹿渡駅構内の様子、2010年5月撮影。
ホームの有効長は四両です。
当駅の列車交換設備がいつ頃撤去されたのかは残念ながら資料に行き当たりませんでした。
ただ昔の時刻表を紐解くと、昭和55年10月改正ダイヤでは十日町-森宮野原間の定期旅客列車の交換の大半は越後田沢駅で行われており、この時点で当駅の交換設備は不要であったと推測できます。

ホーム十日町方から越後田沢方面を見通す
ホーム端から越後田沢駅方面を見通す、2010年5月撮影。
当駅が列車交換駅であった事が線形からもよくわかります。

津南方から見た越後鹿渡駅構内の様子
ホームの津南駅方から見た越後鹿渡駅構内の様子、2010年5月撮影。

ホーム先端部から津南方面を見通す
ホーム端から津南駅方を見通す、2010年5月撮影。

ホーム上の古びた上屋
越後鹿渡駅の昔日の栄光を知っているであろう、ホーム上の古びた上屋、2010年5月撮影。

越後鹿渡駅の交換設備や側線の撤去跡の様子
当駅の交換施設や貨物側線の撤去跡は再利用されていないようです。
2010年5月撮影。

実に味のある駅の佇まい
この角度から見ると程好く静かに自然に朽ちた、実に味がある駅の佇まいだと個人的に思うところであります、2010年5月撮影。

待合室内の様子
越後鹿渡駅待合室内の様子、2010年5月撮影。
飯山線はワンマン運行区間なので、自動券売機も乗車証明書発行機もありません。
右奥の「善意の傘」は、この界隈で時折見かけるものです。

越後鹿渡駅を出発するキハ110系気動車
越後鹿渡駅を出発するキハ110系気動車長野行普通列車、2010年5月撮影。
画像右側端に、駅裏を流れる信濃川の水面がチラリと映っています。

駅周辺の鹿渡地区の様子
駅周辺の鹿渡地区の様子、2010年5月撮影。
この道路は国道353号線です。
この撮影の二ヶ月前までは、付近に津南町立三箇小学校がありました。
過疎化少子化の為、信濃川の対岸の国道117号線沿いの津南小学校に統合されてしまいました。
当地域から直線距離で3kmほどありますけれど、橋が少ないので実際にはその倍はあります。
画像右手前の民家の前にバス停がありますが、これは鹿渡新田-津南駅前-津南小学校間に運行されている路線バスのものです。
→ダイヤはこちらへ

鹿渡集落の山側に見えるおそらくは砂防ダム
鹿渡集落の山側に見えるおそらくは砂防ダム、2010年5月撮影。
信濃川と山地に挟まれた狭隘な立地なのです。

鹿渡地区から国道117号線へ通じる橋の様子
鹿渡地区から信濃川対岸の地域の大動脈国道117号線へはこの橋を渡っていきます、2010年5月撮影。
中越地震の一週間前(2004年10月)に当駅を初めて訪れた時には、十日町から津南行きの路線バスに乗車し、この道への入り口にあるバス停で降りて約2km歩いてみました。
季節的にも野生動物さんとの不意遭遇の気配濃厚で、かなりビビりながら進んだのが記憶にまざまざと甦る、そんなロケーションでしたね。

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2012年2月12日 (日)

足滝駅(飯山線)

本日の駅紹介は飯山線・足滝駅。

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足滝駅は新潟県中魚沼郡津南町に所在する新潟長野県境の無人駅で、開業は昭和35年7月15日。
開業時点で津南町に所在していました。

足滝駅の国鉄駅としての開業は前述の通りですけれど、飯山線の前身である飯山鉄道時代に、信濃川流域電源開発工事に関連して昭和11年12月に足滝仮停車場が設けられていたのが、当駅の意外な歴史です。
あくまで電源開発工事に伴う資材搬入等が主目的でしたけれど、便宜的に旅客扱いも行っていたとの事で、山深く交通不便この地にとっては、この仮停車場は大いなる福音であっただろうと思われます。
昭和14年11月に工事が終了した後も、引き続き仮停車場として使用されておりましたが、昭和19年6月に飯山鉄道が国有化されると、足滝停車場は廃止。
戦後の昭和26年に駅復活の陳情書が地元から当局に提出されて、昭和35年春に復活が決定。但し請願駅として諸費用合計155万円を負担するという条件付きでした。
地元負担と言えば、昭和25年に開業した上越線・北堀之内駅は54万5千円、昭和28年に開業した信越線・長鳥駅は約230万円。
両駅共に幹線の駅であり、特に長鳥駅は相当の設備圧縮・簡素化を図ったとはいえ、簡易線規格の足滝駅とはそもそもグレードが違います。
しかし駅設置地元負担は平地の北堀之内駅の三倍近い金額、勾配区間に設けられて駅設置に相当の苦心をした長鳥駅の約7割というかなりの金額です。
当駅は画像をも見ればお分かりのように山深く極めて狭隘な立地ではありますけれど、この金額が果たして妥当であったのかどうかは非常に興味深いところです。

十日町市史によると、足滝駅の昭和40年度の一日平均乗車人数は49人、平成4年度は7人で、27年間で約86%の減少。
現在は更に少なくなっているでしょうね。
駅復活を切望しての大金負担も既に忘却の彼方という感じの利用実態です。
周辺人口を考えれば仕方のないのではありますが・・・。
また、昭和50年度から55年度にかけて36人から11人へ大幅に減少しておりますが、これは飯山線に並行する国道117号線の整備進捗と関連しているのかもしれません。
なお当駅は復活開業当初より「停留所」で恐らくは無人駅、貨物・手荷物取り扱いはありませんでした。

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越後田中駅方から見た足滝駅構内、2011年5月撮影。
なお画像は全て同日の撮影です。
駅は山地と信濃川に挟まれた狭隘な立地です。

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ホーム端から越後田中駅駅方を見る。
山深くレールも細く・・・森林鉄道のような趣であります。

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足滝駅ホーム上の待合室周りの様子。
豪雪地帯ゆえに、待合室の側窓はしっかりとガードしていますな。

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足滝駅待合室内部の様子。
建築財産票によると、昭和35年12月の竣工。
駅開業の五ヶ月後に完成した事になります。
室内には壁に作り付けのベンチとゴミ箱。
スコップ等が置かれていて、冬季の除雪待機所としても使われているようです。

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森宮野原駅方から見た足滝駅構内。

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ホーム端から森宮野原駅方を見る。
画像右が下へ降りる通路です。

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足滝駅に停車中のキハ110系気動車戸狩野沢温泉行。
降車は私ひとり、乗車はゼロ。

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森宮野原駅方のトンネル。

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線路を横断する通路。
200近い新潟県の鉄道駅でも、ここまでローカルなモノは足滝駅だけですな。

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線路上の通路から見た足滝駅。

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下へ降りる通路。
ほとんど登山道のようなノリであります。
以前のエントリーでも書きましたが、バリアフリーもへったくれも無いアクセシビリティへの無配慮ぶりは凄すぎますな・・・。
階段にするだけでもかなりの改善を見ると思いますけれどね。
飯山鉄道由来であろう通路壁面の仰々しい造りは中々に興味深い。

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下ってきて県道に出て振り返って一枚。
真ん中の道がホームに至る通路へ通じています。
画像真ん中右寄りの人家の屋根の少し上に足滝駅のホームがチラリと見えます。

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県道津南方の様子。
道沿いに人家がポツポツ。
行き交うクルマも無く、信濃川の流れる音に支配された閑寂なところです。
この道を進み、信濃川に架かる上郷橋を渡ると国道117号線に出ます。
その距離は約1km。
国道には越後湯沢・津南-森宮野原間の路線バスが走っています。
私は今回の取材時に、当駅東隣の越後田中駅から国道に出て津南まで路線バスを利用しましたが、津南-森宮野原便は小型のバスでした。
津南を見て回った後に飯山線で森宮野原に行き、津南まで引き返して行く形になる越後湯沢行に乗車して石打まで行きましたけれど、その便は古びた普通の路線バスです。
どちらにしてもガラガラでしたけどね・・・。

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足滝駅への通路は途中で二股になっていて、先ほどの道とは違って人があまり通っていなさそうな方を進むと、先ほどの駅入り口から森宮野原方に進んだ地点に出ます。
画像真ん中はそこから森宮野原方面を見た画。左側の川が信濃川です。
森宮野原まで歩いて行くのであれば、距離的には前述の上郷橋~国道経由よりもこの道を進む方が近いです、距離は約3km。
ただロケーション的には野生動物さんとの不意遭遇に注意したいところではあります。
下の画像は津南方の様子。

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2012年1月22日 (日)

越後水沢駅(飯山線)

本日の駅紹介は飯山線・越後水沢駅。

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新潟県十日町市に所在する無人駅で、昭和4年(1929年)9月1日に飯山鉄道の駅として開業しました。
その後、飯山鉄道は昭和19年6月に国有化されて、当駅は国鉄飯山線の駅となって今日に至ります。
開業当時の所在は中魚沼郡水沢村で、同村は昭和37年4月に十日町市に編入されて今日に至ります。

土市駅のエントリーで述べたように、当駅は飯山鉄道の当初の予定では設置せず、当時の水沢村内には土市駅のみを設ける事になっていました。
それに対して村側は土市駅設置は止めてその予定地の両側に駅を一箇所ずつ設置する事を要求します。
結局、会社側が譲歩した形になって水沢村内には土市駅と越後水沢駅が設けられましたけれど、昔日の利用実態を見るに会社側の当初予定が妥当であったのではないかと思うところです。

十日町市史によると、越後水沢駅の昭和40年度の一日平均乗車人員は188人で、隣の土市駅の6割弱の旅客利用実態でした。
同年度の一日平均手小荷物扱い個数は土市駅31個に対して越後水沢駅10個、貨物扱いは土市駅のみとなっていて、両駅の格の違いは歴然としています。
このような利用状況を反映してか、当駅は飯山線内の越後田中魚沼中条両駅と共に昭和45年12月に無人化されております。
ちなみに土市駅の貨物取り扱いもこの時期に廃止されています。

しかしその後、両駅の乗車人員は右肩下がりを続けてその差を縮め続け、平成4年度の一日平均乗車人員は土市駅32人に対して越後水沢駅25人と、かつての格の違いなど最早忘却の彼方と言うべき、両駅共に地方ローカル線の何の変哲も無い一停留所と成り果ててしまいました・・・。
十日町駅の一日平均乗車人数の推移から察するに、現在はこの数字から更に下がっているでしょう。
45年間で乗車人員1/10に激落なのは、ほぼ間違いないところでは。

当地域は確かに過疎地域には違いありませんが、それでも周囲に人家は多数あって集落を維持し続けており、人気もあります。
しかし鉄道の利用状況はこれです。
当駅のような地味な無人駅を見聞するにつけ、地方において如何に鉄道離れが深刻かを考えさせられます・・・。

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越後水沢駅駅舎の様子、2011年5月撮影。
飯山線内改築駅舎お馴染みのスタイル。
建築財産票によると竣工は平成10年9月。

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越後水沢駅駅舎内部の様子、2011年5月撮影。
こちらもお馴染みのスタイルで、一人掛けx3人分のベンチ一脚と「善意の傘」。
勿論トイレはありません。
当駅界隈はトイレを借りられる店もありませんから、駅めぐりで当駅に立ち寄る場合は特に「大」への事前の対処が不可欠です。

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ホーム側から見た越後水沢駅駅舎、2011年5月撮影。
このデザインの改築駅舎は正面の窓のアレンジで個性の主張を試みているようです。

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駅舎側から見たホームの様子、2011年5月撮影。
越後水沢駅も土市駅同様にかつては列車交換可能な島式ホームでした。
しかし土市駅と違って貨物取り扱いが無かった為に、駅構内は実にこじんまりとしております。

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駅舎方(越後田沢方)から見た越後水沢駅のホームの様子、2011年5月撮影。
2005年6月に訪れた時には上屋の手前に駅名票が置かれていましたが、今回訪問時には撤去されていて鉄道の駅としては少々残念なところ。

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2005年6月当時のホームの様子。
駅名票が置かれ、ベンチは古びて枯れ果てた風情。

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土市駅方から見た越後水沢駅の上屋付き待合所の様子、2011年5月撮影。
土市駅のそれと比べて古びた錆びの浮いた上屋が、当駅と土市駅のそもそもの「格の違い」を表す唯一のものと言えそうです。
しかし何故かベンチはこちらの方が多い・・・どういう基準で置いているんだろう?

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土市駅方から見た越後水沢駅構内、2011年5月撮影。

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ホーム端から土市駅方を見る、2011年5月撮影。
線路が緩やかに曲がっているのが、かつて当駅が島式ホームであった事の名残です。

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駅舎ホーム側出入り口から越後田沢駅方を見る、2011年5月撮影。

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撤去された線路跡の様子、2011年5月撮影。
撤去跡が綺麗に整地整備されているのは、非常に好印象です。

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越後水沢駅に停車中のキハ110系気動車戸狩野沢温泉行、2005年6月撮影。

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越後水沢駅前の様子、2011年5月撮影。
路線バスも走る国道117号線から当駅へ行き着くのは、土地勘の無いストレンジャーには少々難しいものがあります。
国道上には「水沢駅前」バス停がありますが、駅へのルートを示す案内は路上には無く、また国道から飯山線の線路へ向かう小道は入組んでいて実に厄介。
私は当駅を2005年と昨年の二度訪れましたが、その二回共に国道から駅まで一発で辿り着く事が出来ませんでした・・・。
駅に向かって進んでいるつもりが、いつの間にか踏切に出てしまったりして。
国道から駅までは直線距離でせいぜい300mぐらいしかないのに、10分以上かかってしまいましたがなorz。

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越後田沢方の踏切から見た越後水沢駅構内の様子、2011年5月撮影。

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土市方の踏切から見た越後水沢駅構内の様子、2011年5月撮影。

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飯山線と並行する国道117号線「水沢駅前」バス停の様子。
周辺にはコンビニ・スーパー共にありません。

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2011年7月23日 (土)

土市駅(飯山線)

本日の駅紹介は飯山線・土市駅。

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新潟県十日町市に所在する無人駅で、開業は昭和4年(1929年)9月1日。
開業当時の所在は中魚沼郡水沢村で、同村は昭和37年4月に十日町市に合併編入されて今日に至ります。

当駅は飯山鉄道の駅として、越後田沢-十日町間延伸と同時開業です。
しかし駅設置に当たっては、水沢村内で様々な動きがありました。
中里村史(現在は十日町市の一部)によると、飯山鉄道延伸計画時に会社側が中間駅として設置を考えていたのは当駅のみ。
しかし村側は当駅の両隣の地域にそれぞれ駅を設けて土市停車場設置は取り止めを主張。
当地域においては土市駅から十日町方に約1kmの伊達地区に駅を作るべしという要求でした。
この辺の詳しい経緯は生憎触れられておりませんでしたが、想像するに村内集落の発言力の差や有力者の介入など、お決まりのお家騒動だったのでしょう。
前述の資料によると、会社側はあくまで水沢村内1駅という方針だったようで、土市停車場を現在位置から伊達地区側に移動するという妥協案を示したそう
ですが、村側はこれに納得せず問題の解決には至らなかったとの事。
その後の土市、水沢両停車場設置最終決定までの顛末は残念ながら記述が無かったので、現在の土市駅が会社当初案の位置なのかそれとも妥協案を反映したもの(結局水沢停車場即ち越後水沢駅も設置したので、最早妥協では無く村側に押し切られた形なのですけれど)なのか、その辺は実に興味の湧くところであります。

現在の土市駅の利用状況については残念ながら資料が無かったのですが、十日町市史によると1992年の一日平均乗車人員は32人。
同年の十日町駅のそれが616人で、2010年度のそれは591人。
減少率約5%をそのまま当てはめると土市駅の現状推定は30人という事になります。
一日八往復が停車する駅としてこの数字が多いのか少ないのか、中々判断に迷うところではありますが・・・。

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土市駅舎の様子、2011年5月撮影。
建築財産票によると、竣工は平成12年12月。
これまでも度々述べたように、飯山線新潟県内区間の改築駅舎(内ヶ巻下条
魚沼中条、越後水沢、越後田中、そして当駅)は皆同じ基本デザイン。

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ホーム側から見た土市駅駅舎、2011年5月撮影。
トイレは設置されておりません。
周囲にトイレを借りられる店もないので、運悪く特に大きい方をもよおした時はかなりキツいのです・・・。

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土市駅待合室内部の様子、2011年5月撮影。
飯山線改築駅舎定番の一人掛けベンチが三脚。
券売機、乗車証明発行機共にありません。

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土市駅ホーム端から十日町駅方を見る、2011年5月撮影。
元々は島式ホームだったので、駅舎とホームは通路で連絡。

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ホームの十日町駅方から見た土市駅構内、2011年5月撮影。
ホーム中央部に比較的新しい上屋がかかり、その下にベンチが三脚。

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ホームの越後水沢駅方から見た土市駅構内、2011年5月撮影。
駅裏手は田畑になっています。


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ホーム端から越後水沢駅方を見通す、2011年5月撮影。
島式ホーム時代そのままの線路配置がよくわかる一枚。

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旧貨物ホーム跡?の様子、2011年5月撮影。
駅舎の向こう側(十日町方)にも不自然な空間が広がっているので、かつては十日町、長野両方向にスルーの形で引込線が引かれていたのでは?と想像させられるのですが、実際は果たして!?
なお土市駅の貨物取扱いは昭和45年12月に廃止、手小荷物取扱いについては昭和55年に一日平均7個の記録がありますので、その時点では当駅が有人駅であったと判断できそうです。

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土市駅ホーム中央部の上屋周り、2011年5月撮影。

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前述の十日町駅方に広がる空間、2011年5月撮影。
これを見ると、元地方私鉄のローカル線のローカル駅のそれとしては結構な規模かと。

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十日町方踏切から見た土市駅構内、2011年5月撮影。

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土市駅に到着したキハ110系気動車戸狩野沢温泉行、2011年5月撮影。

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土市駅前から国道へと至る短い駅前通りを見る、2011年5月撮影。
駅前広場は場違いな程広大で、隣の越後水沢駅とは好対照。
駅前広場の隅には派出所があって防犯上中々良い立地です。

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同じく国道側から駅を振り返る、2011年5月撮影。
画面中央の道路の左側に見える建物が土市駅駅舎です。

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土市駅付近の国道の様子、2011年5月撮影。
上が津南方、下が十日町方です。
すっきりとした直線道路で交通量は多いのですが、周辺には寿司屋が一軒ある程度でスーパー・コンビニ等無し。
開けている印象が強いのに関わらず、生活の便はあまり良さそうには見えません・・・。
まぁクルマで少々トバして十日町のジャスコ界隈に行けば買い物はあらかた済んでしまうわけで、不便と感じるのは一見のヨソ者だけなのかもしれませんが。
なお土市駅付近には南越後観光のバス路線が二系統設定されております。
十日町津南線は飯山線と相互補完の関係で、且つ飯山線より遥かに本数が多く駅巡りには便利です(越後鹿渡駅のみ最寄バス停から2km程ありますけれど)。
もう一系統の十日町田代線は、JRの不正取水で有名な宮中ダム経由で越後田沢駅前を通ります。
しかし土市駅前を経由する便は、特に土休日は僅少なので要注意。

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2011年2月20日 (日)

十日町駅(飯山線・北越急行ほくほく線)

本日の駅紹介は飯山線/北越急行ほくほく線・十日町駅。

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新潟県十日町市に所在する有人駅で、飯山線の駅としては昭和2年(1927年)11月15日、ほくほく線の駅としては平成9年(1997年)3月22日の開業です。
飯山線の駅としての開業時は中魚沼郡十日町の所在で、同町はその後昭和29年に近隣諸村と合併して市制を施行し、平成17年に中魚沼郡及び東頸城郡の近隣町村と合併して市域を大幅に拡大し現在に至ります。

十日町駅はまず越後川口駅からの国鉄線の行き止まりの駅として開業した後、昭和4年に当時の飯山鉄道が全通して当駅に乗り入れ、更に昭和19年に飯山鉄道が国有化されるという経緯があり、駅構内は国鉄ローカル線と地方私鉄の折衷型とも言うべき独特の佇まいです。
そんなどこか懐かしさを覚える、小さく纏まった地上駅西側には新幹線のそれと見まごうようなほくほく線の立派な高架駅が置かれていて、双方の駅のギャップが大きいのも当駅の特徴であり異様なところであります。
また現在こそ特急「はくたか」が頻発運転されているほくほく線も、2014年3月以降はローカル輸送用の普通列車しか走らなくなる定め・・・。
鉄道駅としては新人同然でありながらこれから「長い余生」を送らねばならない若隠居の寂しさを強く感じさせるのです。
なお、新潟県内20市の内、新潟市と鉄道の無い佐渡市以外の18市中、市内駅と新潟駅との間に直通列車が無いのは魚沼市と十日町市のみ。
魚沼市は上越新幹線浦佐駅がごく至近にありますから、対新潟駅直通列車が事実上皆無なのは十日町駅のみなのであります。
飯山線が非電化の為に車両面で直通列車運行が難しい事、直通列車を設定するよりは新幹線長岡乗り継ぎの方が会社に美味しいであろう事、またそもそも県都-十日町地域の公共交通直通需要がさほど大きくはない事(高速バスは一日五往復)、そして当然の事ながら鉄道やバスよりはクルマの方が便利などなど、色々な事情が絡んでの事だと推測しますけれど、直通は無理でも新幹線接続で長岡-十日町間に快速を走らせてもいいんじゃない?(数時間に一本でもいいから)と外野席から見ていて思うところ大なのですが・・・。

JR東日本によると、2009年度の十日町駅一日平均乗車人員は624人で同社新潟県内有人75駅中51位。
信越線・羽生田駅より幾らか少ないレベルで、人口6万人弱の都市の中心駅のそれとしては少々寂しく・・・。
しかしよくよく考えてみれば現在の飯山線の過疎に過ぎるダイヤ(越後川口-当駅間一日10往復、当駅-長野方間同8往復)の割には・・・と思えなくも無し、がしかし・・・。
十日町市史によると昭和40年の当駅一日平均乗車人員は2,346人で、貨物取扱い量は一日平均194トン。今日とは隔世の感!
気動車準急「野沢」(長野-長岡間)と「うおの」(当駅-新潟間)が好評を博していた頃の話です。
あのこじんまりとした駅構内がそれだけの人とモノ、そして優等列車で賑わっていたと思うと、今の駅の平日朝夕以外の人気の無さはやはり寂しい・・・。
なお、ほくほく線駅の乗車人員は資料に行き当たる事が出来なかったので不明ですが、JRと合わせれば一日平均乗車人員は四桁に届いているのでは?と期待しつつ推測する次第。

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十日町駅舎(東口)の様子、2010年5月撮影。
建築財産票は見当たらなかったのですが、資料によれば昭和40年12月改築との事。
昭和30~40年代改築の地方中堅駅の標準的スタイルですが、線内有数の都市玄関駅にして飯山駅と並び旅客・運転共に拠点駅である為か一部二階建てです。
撮影は日曜の朝でしたが、タクシーは7台待機中で飯山線とほくほく線沿線以外は公共交通機関が不便な当地域の事情を反映しているよう。
なお十日町駅前バス停は画像右側にあり、越後交通の飯山線並行(津南行)路線は毎時ほぼ1本が運行されていて飯山線より遥かに利便性大。
飯山線駅巡りはこのバス路線と絡めたスケジュール作りが何より肝要です。
また本数は少ないもののほくほく線まつだい方面行もあります。
小千谷本町経由長岡行きは後述の国道側に発着ですので利用の際は要注意。
駅から国道までは徒歩5分程です。

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十日町駅駅舎内の様子、2010年5月撮影。
日曜の朝9時前はこんなガランとした様子、私以外に人影は無し。
それもその筈で飯山線の次発戸狩野沢行きは11:19発、越後川口行きは12:24発なのです。
あと二時間以上も定期列車の出発が無い・・・。
下の画は待合室内。以前訪問した時はキオスクがあり、人も多くて撮影を断念したものでしたが今はこんな感じに・・・。
時間帯は明記されていませんでしたが夜間は締め切りとの表示。
画像右奥にあるのは「ペレットストープ」で、十日町市の施策としてこのストーブの普及を市の助成金付きで図っているとの事。
不用木を原料とした木質ペレットを燃料として使い、灯油型よりCO2排出が少なく地球に優しいのだとか。
なおトイレは駅構内外にあり、両方共に水洗です。

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十日町駅駅舎ホーム側の様子、2010年5月撮影。
画像右側の旧精算所が目を惹きます。今は精算も改札でやれますからね、利用客が少ないから・・・。

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1番ホームの魚沼中条駅方から見た十日町駅構内、2005年5月撮影。
このホームは多分国鉄線として開業当時からのものなのではないかと推測しますが果たして?
駅掲示の時刻表をよく見てこなかったのが今となっては慙愧の極みなのですが、うろ覚えではこの1番ホーム発着の列車はかなり少なかったような?
留置線を兼用している印象です。

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同じくホーム端から魚沼中条駅方を見通す、2005年5月撮影。
画像左側に保線車両の車庫が見えます。

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1番ホームk跨線橋手前から土市駅方を見る、2010年5月撮影。
隣の島式ホームにはキハ110系気動車の戸狩野沢行と越後川口行が発車待ち。
時刻は8:12。
平日ならば構内は学生多数で、飯山線十日町駅が最も賑やかな時間帯でしょう。

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十日町駅跨線橋内の様子、2011年5月撮影。
線区の中心駅、市の玄関駅のそれとしては手狭な印象。

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跨線橋上から土市駅方を見る、2005年5月撮影。

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同じく魚沼中条駅方を見る、2005年5月撮影。
2本のホームは千鳥配置。

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島式ホームの土市駅方から見た十日町駅構内、2005年5月撮影。
どことなく歪さを感じさせる島式ホームの形状は、当駅構内の地方私鉄と国鉄ローカル型の折衷型の証と申せましょうか。

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島式ホーム端から土市駅方を見通す、2005年5月撮影。
ここから見ると島式ホームの歪さがよくわかります。

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飯山線・十日町駅島式ホームに立つ名所案内板、2004年9月撮影。

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島式ホーム端から魚沼中条駅方を見通す、2005年5月撮影。

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島式ホームから1番ホームを見る、2005年5月撮影。
十日町駅地上ホームの有効長は長い一、三番線でも気動車がせいぜい4~5両という短さですが、大半の列車は単行/二連なのでこれでも充分。

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飯山線・十日町駅島式ホーム上の待合室内の様子、2011年5月撮影。

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土市駅方の踏切から見た十日町駅構内、2011年5月撮影。
一番、三番、留置線にキハ110系気動車が集結中。

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魚沼中条駅方の踏切から見た十日町駅構内、2011年5月撮影。

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十日町駅東口駅前通りを国道側から見る、2010年5月撮影。
画像奥が駅です。豪雪地帯らしく雁木造りの通りは地方都市の常でシャッター通りの感。
駅至近は駅から向かって左側にスーパーが有り(営業時間09:00~22:00)。
この時点では付近にコンビニはありませんでした。

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駅前通りを進むと行き着く国道117号線。
十日町市のメインストリートですが、こちらも正直活気はありません。
地元の方は駅西口から約1.5kmの信濃川手前のジャスコや家電量販店を中核とした商業ゾーンに車でGO!なんでしょうなぁ。
十数年前に車で行った事がありますが、品揃えの良い書店もあってその当時から既に充実していたもんなぁ・・・。

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十日町駅西口(ほくほく線駅舎)の様子、2010年5月撮影。
こちら側は新幹線駅のミニチュア版の趣。
東口からこちらへは地下道で連絡。
駅前はロータリーになっていて、タクシーが数台待機しておりました。
また駅前には公衆トイレも有り。

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十日町駅西口駅前通りの様子、2010年5月撮影。
こちら側はまだまだ発展途上のようです。

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十日町駅西口駅舎内部の様子、2010年5月撮影。
上の画像奥に青いベンチが並ぶ待合室が見えますが、少々狭苦しく手前のベンチでまったり待つのが吉かも。
こちらには立ち食いそば店が出店していますが、日曜朝は生憎開店前。

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十日町駅西口改札口、2010年5月撮影。

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しんざ駅方から見たほくほく線十日町駅構内、2010年5月撮影。
ホームは最長9連の特急「はくたか」をギリギリ収容出来る長さです。
現在、当駅には定期「はくたか」が一日7往復停車しておりますけれど、2014年春の北陸新幹線金沢延伸開業以後は遊休化必至。
なにしろローカル輸送は二連で充分なのですからね。

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十日町駅ほくほく線用高架ホームのしんざ駅方から先を見る、2010年5月撮影。

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十日町駅ほくほく線用高架ホーム中央部からしんざ駅方を見る、2010年5月撮影。
こちら側の見通しはすこぶる悪し。

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十日町駅ほくほく線用高架ホームのまつだい駅方を見る、2010年5月撮影。

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十日町駅高架ホームに停車中のほくほく線HK100型電車、2010年5月撮影。
普段、乗り心地が悪く狭苦しい旧式の115系やオールロングのE127系に乗り慣れた身にとって、この電車はトイレが無い事を除けば「神電車」認定ですな。
シートはゆったりしていて、高規格線路の威力もあって乗り心地も上々。
これの転換クロス車にトイレが付いていれば、普通列車用電車として完璧でしょう。

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ほくほく線・十日町駅を出発した特急「はくたか」金沢行、2012年5月撮影。
十日町駅はほくほく線内唯一の「はくたか」停車駅でした。

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ほくほく線・十日町駅に到着した特急「はくたか」越後湯沢行、2012年5月撮影。

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2007年2月 4日 (日)

飯山線・魚沼中条駅

本日の駅紹介は、飯山線・魚沼中条駅。

2016年6月26日、リニューアルを実施しました。

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新潟県十日町市に所在する無人駅で、開業は昭和2年(1927年)11月15日。
開業当時の所在は中魚沼郡中条村で、魚沼中条駅は同村の玄関駅でした。
同村は昭和29年に周辺諸町村と合併して市制を施行し、十日町市が誕生して現在に至ります。
駅名は本来ならば村名をそのまま付けたかったのでしょうけれど、生憎当駅開業の13年前に新潟県内の羽越本線・中条駅が開業しているので、魚沼を冠した駅名とするのは止むを得ないところです。

魚沼中条駅は十日町駅から約3kmに位置していますけれど、駅周辺は隣の賑やかな下条駅と比べて地味です。
駅至近を国道117号線が通っているというロケーションは全く一緒なのですが、数回乗り降りした印象では道行く人もあまりおらず、クルマだけがせわしなく行き交うところです。
この地味な周辺の様子は昔からのようで、十日町市史によると当駅の昭和40年度一日平均乗車人員は290人。
同年度の下条駅の約70%です。
市史に掲載されている最後の年の平成4年度では47人にまで減っていて、下条駅の半分以下になってしまっています。
長野県境に近い越後田中駅の約二倍、越後鹿渡駅土市駅より多少多い程度の利用実態で、周辺人口はこれら諸駅周辺よりも明らかに多いので、その低迷ぶりが目立つのです。
十日町市市街地まで約3kmとなれば、冬季以外は自転車で通学する学生も多いでしょう。
まぁその辺も関係してのこの数字だとは思いますが果たして?

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魚沼中条駅駅舎の様子、2013年10月撮影。
建築財産票によると、平成9年12月の完成。
飯山線新潟県内区間改築無人駅定番形です。

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魚沼中条駅待合室内の様子、2013年10月撮影。
室内は他の改築諸駅と同様の造りですが、ベンチはこの時点では現在のJR東日本定番型ではなく昔ながらのもの。
この日は生憎の雨でしたが、画像中央左の「善意の傘」は中々に賑やか。
なお当駅にはトイレ及び自動券売機はありません。

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駅舎ホーム側の様子、2013年10月撮影。

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下条駅方から見た魚沼中条駅構内の様子、2013年10月撮影。
当駅も下条駅同様にかつては列車交換設備を備えていましたけれど、下条駅と異なり廃ホームを確認することは出来ませんでした。

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ホーム端から下条駅方を見る、2013年10月撮影。

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十日町駅方から見た魚沼中条駅構内、2013年10月撮影。
当駅もかつては貨物取扱を行っていましたが、十日町市史には昭和40年度の一日3トンを最後に記載が途絶えています。
昭和45年12月には越後田中、越後水沢両駅と共に無人化されました。

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ホーム端から十日町駅方を見る、2013年10月撮影。
画像左の木が生えている辺りは、よく見るとホームの延長部のような形をしています。
かつての貨物ホームがその辺りだったのか? 何とも判断し難いところなのです。

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魚沼中条駅の名所案内板、2003年11月撮影。
越後岩沢駅周辺にはあまり見所が無く、内ヶ巻、下条駅に至っては名所案内板自体が無いほど周辺に見るべきものが無いのですけれど、当駅の場合は近場に見所が満載で隠れた観光駅とも言えなくもない・・・!?
しかし「十一面千手観音」かぁ・・・私なぞは千手観音というと、楳図かずお先生作「猫目小僧」に登場した、口が耳まで裂けて千手を使いゴキブリみたいにサササッと這い回る吸血千手観音を連想してしまいますが。

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魚沼中条駅を出発するキハ110系気動車二連の十日町行、2013年10月撮影。

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魚沼中条駅の駅前通り、2013年10月撮影。
画像中央が駅舎です。

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飯山線に並行する国道117号線の魚沼中条駅付近の様子、2013年10月撮影。
前述したように同じロケーションの下条駅付近と比べて、明らかに地味な印象。
付近にスーパーは無く、少々歩くとコンビニがある程度です。
当駅は昭和初期の開業で、しかも周辺地域は村として独立していました。
ゆえにこの辺りにはそれなりの商業集積があってもおかしくないのですが、昔からこうだったのかそれとも近年になって廃れたのか?
その辺が少々気になるところなのです。

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