カテゴリー「R004 越後線の駅」の記事

2017年4月29日 (土)

寺尾駅(越後線)

本日の駅紹介は、越後線・寺尾駅。

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新潟県新潟市西区に所在する有人駅で、人口約16万3000人を擁する西区の区役所の最寄り駅はここ寺尾駅。
故に西区の代表駅は越後線頻発運行区間の終点である内野駅ではなく、当駅と申せましょうか。
駅開業は1914年(大正3年)10月20日で、当時のローカル私鉄である越後鉄道の停車場としての出発でした。
開業当時の所在は西蒲原郡坂井輪村で、同村の玄関駅でした。
坂井輪村は戦後の昭和29年に新潟市に編入されて今日に至ります。

寺尾駅周辺は今でこそ新潟市旧市街地西部の人口集積地域になっていまけれど、駅開業からしばらくの間は人家もまばらな寒村だったそうで、駅設置が越後鉄道開業から約2年後というのもその辺の事情によるもののようです。
周辺地域に人口が集積し始め、駅に活気が出てくるのは坂井輪村が新潟市に編入される頃からだったのです。

JR東日本によると、寺尾駅の2015年度1日平均乗車人員は2,187人。
同社新潟県内有人67駅中17位で、見附駅と同レベル、直江津駅よりも少し下という利用実績です。
当駅の狭さ小ささを考えると、驚嘆に値する高水準の乗車人員ですけれど、越後線の新潟-吉田間では有人10駅(新潟駅を除く)中6位に過ぎず、越後北線と称されるこの区間の利用の多さの裏付けにもなっているのです。
それなのに線区の格付けは国鉄末期に貼られた「地方交通線」のまま。
信越、白新両線に比べて運賃も割高で、利用客にとっては不条理この上無い状況がずっと続いているのですよ。

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寺尾駅橋上駅舎南口の様子、上は2006年11月、下は2015年12月撮影。
上の画の時点ではまだエレベーターが未設置でバリアフリー化されていませんでした。
その前身がローカル私鉄の小駅であったからか、駅前広場はご覧のように狭隘。
その為に路線バスも駅前には乗り入れていません。
代わりにタクシーが最低一台常駐しています。

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寺尾駅南口駅前の様子、2012年3月撮影。
ご覧のように道路の道幅も狭く、車には優しくないところです。

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寺尾駅北口の様子、2012年3月撮影。
橋上駅舎化に伴って開設された出入り口で、歩道なのか駐輪場なのか判然としないカオスさがあります。

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寺尾駅橋上駅舎の自由通路内部の様子、2012年3月撮影。
建築財産票を確認できなかったので駅舎の竣工年月は不明ですが、ウィキペディアによると1986年完成という記述があります。
新潟県内在来線のみの橋上駅舎としては、青海駅、荻川駅に続く三番目になります。
ただ形状から見てこの通路はかつての跨線橋なのでしょう。
その竣工は建築財産票によると昭和48年3月。
跨線橋出入り口の構内側に橋上駅舎を増築したように思われます。

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橋上駅舎への出入り口付近の様子、2012年3月撮影。
窓口及び自動改札機は画像左側になります。

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構内側から見た寺尾駅橋上駅舎内部の様子、2015年12月撮影。
駅舎内の待合空間は下の画のところ(自動改札機とホーム出入り口の間の通路)しかありません。
なおトイレはホーム上にしか無いのでご注意ください。

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自由通路上から見た寺尾駅構内新潟方の様子、2015年12月撮影。

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自由通路上から見た寺尾駅構内内野方の様子、2005年9月撮影。
画像左側の駅前の狭隘さがよくわかります。

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島式ホームの新潟大学前駅方から見た寺尾駅構内の様子、2012年3月撮影。
駅構内は一面2線のごくシンプルなもの。
この形態のホームは平板な印象が強くて、個人的にはあまり好みではないのです。
しかも中途半端な植え込みで見通しも悪し。
正直、訪問や撮影の触手が伸びない駅なのであります。

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島式ホーム端から新潟大学前駅方を見る、2012年3月撮影。

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島式ホーム上屋下の様子、2015年12月撮影。
ホーム上に待合室はありません。
橋上駅舎内の待合空間の小ささといい、ホームの上屋下にベンチが並ぶ様子といい、実用本位に徹した「乗り降りするだけの駅」な印象の強い寺尾駅です。
よく言えば都会的と言えなくもない?

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島式ホームの小針駅方から見た寺尾駅構内、2012年3月撮影。
画像左側の国鉄様式の跨線橋部分と、右側の新たに設けられた北口への連絡通路の違いがよくわかります。
なおトイレとエレベーターは連絡通路の柱の後方にあります。

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島式ホーム端から小針駅方を見る、2012年3月撮影。

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新潟大学前駅方の踏切から見た寺尾駅構内の様子、2012年3月撮影。


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寺尾駅に停車中の115系電車新潟行、2012年3月撮影。

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寺尾駅で列車交換する新潟行115系電車と内野行E127系電車、2012年3月撮影。
データイム毎時3本の単線頻発運行区間である越後線の新潟-内野間の列車交換駅(白山、関屋、小針、寺尾の各駅)では、列車交換が頻繁に行われています。

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列車交換を終えて寺尾駅を出発するE127系電車内野行、2012年3月撮影。

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E127系に代わる線区の新たな顔のE129系電車新潟行と115系電車吉田行が寺尾駅で列車交換中、2015年12月撮影。

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2017年2月 5日 (日)

越後曽根駅(越後線)

本日の駅紹介は越後線・越後曽根駅。

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新潟県新潟市西蒲区に所在する有人駅で、開業は大正元年(1912年)8月25日。
開業当時の駅名は「曽根」で、開業翌年の4月に現駅名に改称しています。
当駅の開業時点では既に「曽根駅」は二つも存在しているので、それゆえの「越後」なのでしょうね。
ちなみにその二つとは、明治21年開業の山陽本線兵庫県下の曽根駅と明治45年開業の箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄宝塚線)大阪府下の曽根駅であります。
箕面有馬電気軌道の曽根駅が構い無しで越後鉄道の当駅が改名というのは、当局に田舎者の分際で都会さまの駅名とダブらせるなとバカにされているようで、実に遺憾に思うところなのです。

さて越後曽根駅の開業時の所在は西蒲原郡鎧郷村で、当駅の現在の所在地名から推測するに、鎧郷村に隣接する曽根村との境に近い位置のようです。
曽根村は後の西川町の中心地区であり、こちらの方が駅開業当時でも人口が多そうではあるのですけれど、それにも関わらず鎧郷村内に駅が設けられたのは、鉄道開通前は当地域の交通運輸の要であった西川の存在が大きかったのではと推察されるところです。
曽根村は鎧郷村の西川対岸にあって、曽根村中心部に駅を設けるには、西川を鉄橋で二回越えなければなりません。
西川自体は大きな川ではないのですが、零細地方私鉄である当時の越後鉄道にとって、おカネのかかる架橋は出来るだけ避けたいところでしょう。
なお鎧郷村は昭和五年に町制を施行した曽根町と昭和30年三月に合併して新自治体の西川町になり、越後曽根駅は平成17年三月時点で人口一万二千人余りを擁する町の玄関駅でした。
約半世紀に渡って、日本海側最大の都市新潟市の西端と境を接する自治体として歩んできた西川町でしたが、平成の大合併の大号令下で平成17年三月に周辺市町村と共に新潟市へ合併編入され、同市西蒲区の一部となって今日に至ります。

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越後曽根駅駅舎全景、上から順に2012年6月、2008年5月、2006年11月撮影。
よく見ると2006年11月から2008年5月までの間に、屋根や上屋が塗り替えられています。
建築財産票によると昭和41年12月の完成で、築半世紀の駅舎です。
横長平屋の国鉄標準型の建物で、画像左側の、今日では大半が遊休化していると思われる事務運転空間の採光が極めて良好そうであります。
駅舎は近い将来、改築の話も出てくるでしょうが、そうなれば駅舎の規模は今の半分ほどになってしまいそうです。
駅前広場は流石に人口一万二千人の旧町の玄関駅らしく、相応に広大であります。
画像右側にタクシーが一台駐車していますが、何度か訪問して観察したところでは常駐しているわけではないようです。
毎時一本の列車到着に合わせて来ているようでした。
駅前広場には新潟交通観光バス運行の路線バス白根-曽根線が乗り入れていますが、2016年12月時点で平日四往復、土休日は二往復と過疎ダイヤです。
西蒲区のコミュニティバスは旧西川町に設定されておらず、越後線と並行するバス路線はありません。

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駅前広場の端にある二階建ての駐輪場、2008年5月撮影。
当駅の一日乗車人員の約八割は学生です。

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越後曽根駅駅舎内の様子、2012年6月撮影。
一番上の画像の右側が待合室です。
自動券売機が二台設置されていますけれど、JR東日本新潟支社の券売機複数設置の基準がイマイチよくわからないところです。
当駅よりも乗車人員が多い駅が一台きりだったりしますし。
なおJR東日本によると、2015年度の越後曽根駅の一日平均乗車人員は1,007人で同社新潟県内有人67駅中40位です。
新潟市西蒲区の中心駅である西隣の巻駅は2,471人なので、当駅はその四割に過ぎませんが、旧巻町と旧西川町の人口差もこれとほぼ同等なので、純粋に人口に見合った利用状況と申せましょう。
一日平均乗車人員が千人というのは、新潟支社の自動改札駅の下限レベルであるのですけれど、越後線・新潟-吉田間の有人駅で自動改札未設置駅は当駅のみでもあります。
それなら思い切って自動改札を導入してしまえば区間の有人全駅自動改札化でスッキリ収まるのにと考えてしまうのは素人の浅はかさなんでしょう。

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待合室内の様子、上は2008年5月、下は2012年6月撮影。
2008年5月時点では壁に沿ってベンチが置かれており、遊休空間が大きいガランした室内でした。
ウィキペディアによると2002年9月まではキオスクが出店していたようです。
私が当駅に取材目的で初めて降り立ったのは2004年6月の事でした。
もうちょっとこのプロジェクトを始めるのが早ければそれを見ることも出来たであろうにと、少々残念なのであります。
ちなみに私がこういう事を思いついて始めたのは2003年7月で、最初に行ったのは羽越本線・中浦駅でしたっけ。
おっと閑話休題、2012年6月訪問時では待合室内のベンチのレイアウトが全面的に変更されていて、遊休化していた中央部にベンチを集中して設置していました。

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越後曽根駅一番ホーム改札付近の様子、2012年6月撮影。

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一番ホームの越後赤塚駅方から見た越後曽根駅構内の様子、2012年6月撮影。
ホーム配置は典型的な千鳥式と言えましょうか。
なお列車交換の無い場合、列車発着は基本的にこの一番ホームになります。

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一番ホームの巻駅方から先を見通す、2012年6月撮影。
当駅構内はご覧のような際立った千鳥配置のホームになっています。
画像左側の線路は旧貨物引き込み線でしょうか。

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一番ホーム巻駅方の跨線橋出入り口、2012年6月撮影。
跨線橋出入り口の前方はすぐホームの端になっています。
かつて越後線唯一の優等列車であった急行「ひめかわ」は当駅には停車しておらず、跨線橋出入り口の狭さは当駅のその立ち位置を表しているかのようです。

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越後曽根駅跨線橋内部の様子、2012年6月撮影。
ウィキペディアによると当駅跨線橋は昭和56年の竣工。
この時点で築31年ですが、それ以上の経年を感じさせます。
板張りで安普請感が否めない空間なのであります。

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跨線橋通路から駅構内越後赤塚駅方を望む、2012年6月撮影。

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同じく巻駅方を望む、2012年6月撮影。
画像右側の駅裏手はこの時点では線路沿いに民家が立ち並んでいるものの、奥行きはあまりありません。
と言うことは、新潟市の新たな新興住宅地としての潜在的発展性を持っていると申せましょうか。

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基本的に列車交換時のみ列車が入る二番ホームの巻駅方から見た越後曽根駅構内、2012年6月撮影。
2016年3月改正ダイヤでこのホームに出入りする定期列車は一日六本です。

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二番ホーム中央の上屋あたりの様子、2005年3月撮影。
ベンチはご覧のように四人掛けが二脚のみです。
自動改札未設置の越後曽根駅の改札は開くのが概して遅く、列車到着数分前だったりします。
その為、列車の発着が限られる二番ホームを存分に撮影するには、窓口が開く前の早朝六時台を狙うしかないと思い詰めて行きましたっけ。

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二番ホームの越後赤塚駅方から先を見通す、2005年3月撮影。
三月中旬でしたが、霜の降りた寒い土曜の朝でした。

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二番ホームの越後赤塚駅方から見た早朝の越後曽根駅構内、2005年3月撮影。
画像右側の線路の出自に興味が湧くのです。
元々は島式ホームだったりしたのだろうか?
しかしホームの巻駅方に線路を敷く空間は無いような気も・・・。

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越後曽根駅一番ホームで列車交換待機中の115系電車吉田行、2012年6月撮影。
画像右側の二番ホームに、新潟行き列車を待つ人たちが見えます。
2012年3月から2015年3月までの三年間、越後線では新潟市の社会実験として内野-吉田間のデータイム増発が施行されていて、それまでのデータイム一時間ヘッドが40分ヘッドになり、その列車交換の多くは越後曽根駅で行われていました。
しかし結果は惨憺たるもので、乗車人員は実験前を下回ったほどで目標値を大きく割り込んでしまい、増発定期化の要無しとして現在は社会実験以前の一時間ヘッドに戻ってしまっています。
この社会実験失敗で、越後線の内野駅以西の今後の増発の目はほぼ無くなってしまったと申せましょう。
敗因は定期客の減少だそうで、沿線高校のクラス数は三年間で四クラス160人も減ってしまったとの事。
そもそも定期客頼みの増発なんて、この少子化のご時勢では失敗が目に見えていたのですけれどねぇ。
学生以外の需要開拓を余程行わなければあきませんわなぁ。

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越後曽根駅で並ぶ越後線のかつての両雄、吉田行の115系電車と新潟行のE127系電車、2012年6月撮影。

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越後曽根駅二番線を出発するE127系電車新潟行、2012年6月撮影。

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巻駅方の踏切から見た越後曽根駅構内の様子、2012年6月撮影。

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同じ位置から巻駅方を見る、2012年6月撮影。
越後曽根駅の駅構内は踏切を越えています。

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駅舎から見た越後曽根駅駅前通りの様子、2012年6月撮影。
駅前通りと言っても、前述のように当駅と旧西川町の中心地区とはやや距離があり、この時点ではコンビニ等はありません。

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越後線と並行する駅前の道路、2012年6月撮影。
駅周辺で目立つのは画像右側の郵便局ぐらいです。

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越後曽根駅から歩いて十分弱の、旧西川町中心部の様子、2012年6月撮影。
人口一万人強の町の中心部ですが、正直なところ、寂れているなぁ・・・という印象しかもてませんでした。
道幅の狭い古い形の商店街で、スーパーは無し。
銀行と画像左手のヤマザキショップが目立つ程度の、車の往来も少ない通りでした。

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2016年12月31日 (土)

吉田駅(越後線/弥彦線)

本日の駅紹介は越後線/弥彦線・吉田駅。

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新潟県燕市に所在する有人駅で、開業は当時の越後鉄道の停車場として大正元年(1912年)8月25日。
開業当時の所在は西蒲原郡吉田村で、大正13年に町制を施行します。
その後は周辺諸村を合併編入して町勢を拡大し、人口2万五千弱と市に準じた規模の状態で近隣の燕市、分水町と合併し、人口八万人弱の新たな燕市の南部地域となり今日に至ります。

吉田駅は当初、越後鉄道白山-吉田間の終端としての開業でしたが、その後鉄路は順次当駅から南北西の各方面に伸びていき、大正11年(1922年)4月20日に現在の弥彦線の当駅-燕駅間の開通で、吉田駅の現在の形が確立されたのです。
なお、開業翌年4月には駅名を「西吉田」に改称していますけれど、これは官営鉄道の信越本線に「吉田」駅(現在のしなの鉄道・北長野駅)が開業した為です。
後出しジャンケンでも親方日の丸が圧倒的に強く、ナニ既得権?田舎モンの分際でナニいっとんぢゃあぁん?という具合なのが当時のデフォルトな展開だったのですよ。
その「吉田」駅が近隣の長野電鉄・信濃吉田駅と紛らわしいとの理由で「北長野」に改称したことで、西吉田駅もようやく町名を冠した元の駅名に戻れることとなり、昭和34年10月に46年ぶりの「吉田」駅復活を果たしました。

吉田町史によると、鉄道の開通と吉田駅の開業は当地に多大な利益をもたらしたそうで、代表例として挙げられているのが冬季における新米出荷の話。
鉄道開通前、米の大消費地であり遠隔地への出荷拠点の新潟港を有する県都新潟への物流は全面的に西川の水運に依存していたのですが、冬季は天候不良(雪はあまり降らないのですが、季節風が凄いのです)の為に出荷が予定通りにいかず、不安定なものだったそうです。
その為、吉田界隈の米商人たちは立場的にどうしても弱くなってしまい、米相場の主導権を握るのは新潟の商人に。
それが鉄道開通によって、冬季でもそれまでよりずっと計画的な輸送が可能になり、相場の主導権も新潟の商人にやられっぱなしでは無くなったのです。
また県央地域の工業集積地帯である燕と鉄路で結ばれたことによって、工業の燕、商業の吉田という相互連携が図られることになり、吉田の商業集積地としての役割が高まりました。
吉田が大正後期という早い時期に町制を施行できたのは、鉄道開通による村勢拡大が多分に影響していると思われ、また燕市と吉田町が合併したのも、こういう実利上の背景が昔からあったが故の事なのでしょうね。

さて優等列車が設定されていない非幹線系区間の新潟県内の駅にあって、最大規模を誇るのがここ吉田駅です。
JR東日本によると、2015年度の吉田駅一日平均乗車人員は1,580人。
同社新潟県内有人67駅中28位で、特急が停車し県北の代表的な観光地であり市の玄関駅でもある羽越本線・村上駅と比較しても100人強少ないだけで、周辺人口の規模も考えると相当に高いレベルにあると言えます。
付近に高校が所在し、四方から学生が集中するようになっている当駅の立地が物を言っている気がしますけれど、昨今は県内一学区で県内どの高校でも行けるようになっていますから、昔に比べると立地の優位性も薄れているかもしれません。
・・・実際、吉田駅付近の高校の偏差値は40で県内高校でも下位なのです。
昔の学区制なら、ずっと高い学力があってもそれに見合う学校が学区内に存在せず、やむを得ずその学校に進学というケースも珍しくなかったでしょうが、今は違いますからねぇ。
余談になりますが、新潟県内の高校は偏差値格差が私の受験の頃と比べると大幅に開いていて、その種のサイトを見ると我が母校の凋落ぶりに唖然としてしまいます。
まぁ国立大に行くには数学が規格外に不出来で、浪人必至レベルだった私が大学模試学内一位だったので、そもそもが推して知るべしなレベルだったのですけれどね。
もし当時の学力でこれから受験となったら、どの学校を受験すればいいのか相当に迷うことは必定です。
私みたいな中の上レベルの学力に見合う学校がホントに少ない。
上はどんどんレベルが上がり、下はどんどん下がっていっているのですから。

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吉田駅駅舎の様子、2011年4月撮影。
建築財産票によると昭和37年3月の完成。
駅舎改築時には当駅に新潟鉄道管理局の越後線・弥彦線管理所が置かれていたからなのか、二階建ての立派な建物になっています。
駅前にはタクシーが四台待機中。
路線バスは当駅前から分水、燕三条、弥彦の各方面に燕市循環バスが出ています。
ただし土休日は全便運休なのが残念なところ。
燕三条-吉田-粟生津分水の「スワロー」号は、鉄道で当駅乗り換えよりもずっと便利なんですけどね。

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吉田駅の北吉田駅側に設置されている東西連絡跨線橋上から俯瞰で見た吉田駅前の様子、2011年4月撮影。
駅舎や駅構内の規模の割に駅前広場が狭いのは、当駅の出自がローカル私鉄の停車場であった事の名残でしょうか。

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吉田駅駅舎内の様子、2011年4月撮影。
当時は東日本大震災発災から一ヶ月強で、節電が強く叫ばれている時期でした。
下の画像左側がキオスク及び待合室入り口です。
当時の待合室開放時間帯は午前4時50分から午後22時50分まで。

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待合室内とシャッターの下ろされたキオスク、2008年4月撮影。
当時のキオスクの営業時間は午前6時55分から午後6時35分までで、昼休みが一時間入っていました。
駅付近のコンビニには少々歩かねばならない為、当駅のキオスクには手近な買い物処として便利な存在だったのですけれど、2016年3月で閉鎖されてしまったとの事です。

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一番ホームに面した駅舎とその先の幅広な跨線橋出入り口、2011年4月撮影。

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一番線南吉田駅方から見た吉田駅構内の様子、2011年4月撮影。
越後線と弥彦線のジャンクションである当駅構内の日中は、常に電車がどこかに停まっています。
この時は一、二番線間の側線と五番線に115系電車を留置中。

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一番ホーム端から南吉田駅方を見る、2011年4月撮影。

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一番ホーム北吉田駅方から見た吉田駅構内、2011年4月撮影。
越後線用の一、二番ホームは有効長が大きく、弥彦線用の三~五番ホームの有効長が小さいのが当駅構内の一大特徴と言えます。
越後線が官鉄、弥彦線が私鉄ならこういうホーム配置もわかるのですけれど、両方共私鉄でしかも同じ会社だったのです。
しかも弥彦線開通の頃は、吉田町史によると弥彦線の一日運転本数が11往復に対して越後線は6往復。
両線の需要は現在とは逆だったのですよ。

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一番ホーム端から北吉田駅方を見る、2011年4月撮影。
この辺りは既に遊休化していて、ホームの白線も昔のままです。

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吉田駅跨線橋内の様子、2008年4月撮影。
幅広で方向別に指定された通路です。
朝ラッシュ時には行ったことがありませんが、四方からやって来る学生たちの乗下車乗り換えで混雑するのが目に浮かびますな。

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跨線橋上から南吉田、矢作駅方を見る、2004年6月撮影。
電車が三本停車中で見通し悪し。
画像のデータを見ると撮影は午後一時過ぎで、一番線の115系電車Y編成は一日一往復のみ新潟駅に乗り入れる便かもしれません。

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二、三番島式ホームの北吉田・西燕駅方から見た吉田駅構内、2011年4月撮影。
三番線のホームを伸ばせなかったのは分岐器の障害になるからでしょうね。

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三番ホーム端から西燕駅方を見る、2011年4月撮影。

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二、三番島式ホーム上屋部分の様子、2011年4月撮影。
上屋に造り付けの形で待合室があります。

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二、三番島式ホーム上の待合室内部、2011年4月撮影。
建築財産票が無い為、完成年月は残念ながら不明。
ホーム幅一杯に近い幅広の室内です。
おかげでユトリ有る過ごし易い空間になっていますけれど、そのしわ寄せで待合室横のホームは非常に狭く混雑時には通行の隘路にも。

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四、五番島式ホームの跨線橋出入り口、2011年4月撮影。
一~三番のそれに比べて半分ほどの幅です。

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四、五番島式ホーム端から西燕駅方を見る、2011年4月撮影。

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四番線矢作駅方から見た吉田駅構内、2011年4月撮影。
四番は弥彦方面乗り場です。

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四、五番島式ホーム上の待合室内部の様子、2011年4月撮影。
二、三番のそれと違って、こちらは純正ローカル線仕様。

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四、五番島式ホーム端から矢作駅方を見る、2011年4月撮影。

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北吉田、西燕駅方の踏切から見た吉田駅構内、2011年4月撮影。
三つの乗り場、横長の跨線橋、うねり集散する線路、常に停車留置されている電車。
ここから見る駅構内の眺めは中々に壮観なのであります。

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駅の東西を連絡する構外跨線橋上から見た吉田駅構内北側、2011年4月撮影。

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同じく吉田駅構内東側を見る、2011年4月撮影。

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構外跨線橋を渡って吉田駅東側に出ました、2011年4月撮影。
こちら側に駅出入り口は無く、燕市営駐車場になっています。
国道116号線や旧町役場はこちら側にあるのですけれど。
駅舎も築50年を超えてそろそろ改築を考える時期に差しかかっていると思いますが、その場合はこの駐車場の土地を活用して橋上駅舎化するのが理想的な形でしょうね。
しかし当駅の場合は構内が広い為に自由通路も長くせざるを得ません。
委託駅や無人駅の場合は建物は燕市、バリアフリー関連はJRが出資という形を取るのでしょうけれど、当駅は現在JRの直営駅なので負担率は変わるのが否か。
また建物地元負担の場合、色々見聞するに鉄道に対する意識が後ろ向きの感がある市が、そこまでおカネを出すのかどうか。

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一番線で待機中のE127系電車新潟行、2014年7月撮影。
越後線北部区間でその姿を見るのは稀なE127系電車ですが、2015年3月改正からは弥彦線で主力の座に就いています。

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一番線で待機中の115系電車新潟行と側線に留置中の115系電車、2011年4月撮影。

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全てのホームに115系電車が停車中という壮観な光景、2005年8月撮影。
こんな画は現在もう見れないでしょうな。

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四番線に進入する弥彦発の115系電車Y編成、2005年8月撮影。

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四番線で待機中の115系電車Y編成、2004年5月撮影。
この時点では五番のホーム案内板は無く、乗り場扱いされていませんでした。
正式に五番が付与されて僅かながら定期列車が発着するようになったのは翌年です。

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五番線に留置中の115系電車S編成、2011年4月撮影。

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吉田駅西側の旧町中心部の様子、2011年4月撮影。
かつては一帯の商業地域として活況を呈した街並みも、現在は燕三条界隈が県央地域の一大商業集積地になった事で寂れています・・・。
ご覧のようなどの店もシャッターを閉めています、もうお昼近くなんですけど。

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吉田駅から徒歩十分ほどの踏切至近の弥彦線・西川橋りょう、2011年4月撮影。
弥彦線の鉄路は前方の弥彦山に向かって延びていきます。

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2016年6月 5日 (日)

寺泊駅(越後線)

本日の駅紹介は、越後線・寺泊駅。

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新潟県長岡市に所在する有人駅で、JRの電化路線の中でも屈指の過疎区間と思われる越後線南部区間の中間駅に三駅ある有人駅のうちの一つが当駅です。
列車交換設備を有し、当線区の運転上の要衝の一つでもあります。
開業は大正2年(1913年)4月20日で、越後鉄道の停車場としてでした。
寺泊駅の当時の所在は三島郡大河津村でしたけれど、当地から3km程離れた海岸沿いの寺泊は古くからの港町、宿場町として栄え、鉄道開通当時はすでに「町」であり、大河津村とは自治体の格にかなりの差があったのです。
大河津村が「寺泊」のネームバリューにあやかりたかったのか、はたまた寺泊町が停車場名を自身の町名にしろと圧力をかけてきたのかは判然としませんけれど、結果的に大河津村に設けられた停車場の駅名は「寺泊」になったのです。
なお越後鉄道で駅の所在地と所在自治体が全く違う例は、他に荒浜駅や石地駅があります。
そんな自治体名と駅名の捩れた関係も、停車場開設の二年後には目出度く?解消します。
大正4年10月に当時の長岡鉄道が与板駅から当駅を経由して海岸沿いの寺泊町中心部まで到達すると、その終着駅には「寺泊」の名が冠されて、当駅は村名と同様の「大河津」に改称されたのです。
当時は両者共に私鉄でしたので、こういう対応も出来たのでしょうね。
越後鉄道が国有化された後にこういう事が起きると、両者の力関係の圧倒的な差から、長岡鉄道の駅は「寺泊」を名乗れなかったでしょう。
さてこうした経緯で改称を果たした大河津駅は、昭和32年に当駅周辺地域が寺泊町に編入されます。
昭和48年4月に越後交通長岡線(旧・長岡鉄道)の大河津-寺泊間が、二年後の昭和50年4月に残りの区間が廃止されると、大河津駅は寺泊駅の玄関駅の座に就きます。
こうなると駅名も大河津分水しか連想できないものよりも、自治体の玄関駅に相応しいものに変えた方が良いのは当然の流れでありまして、JR移行直前の昭和61年11月に駅名を71年ぶりに「寺泊」と再改称して、現在に至るのです。
なお、寺泊町は平成の大合併の大号令の下、平成18年(2006年)1月1日に長岡市に編入され、それまで海岸に接していなかった新潟県第二の都市である長岡市はその威勢をついに約24km北方の日本海沿岸にまで轟かすことになったのです。

JR東日本によると、2014年度の寺泊駅一日平均乗車人員は221人。
同社新潟県内有人67駅中58位です。
東隣の分水駅の半分以下で、直営駅の出雲崎駅よりやや多いレベル。
近年は当駅と同レベルの利用実態であった上越線・五日町駅と信越本線・塚山駅が相次いで無人化されており、これら諸駅と同様にみどりの窓口が無い当駅も、近いうちに無人化されてしまうのではなかろうかと、少々心配になる状況なのであります。

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寺泊駅駅舎の様子、2011年4月撮影。
建築財産票によると昭和37年12月の完成で、許容積雪量は150cm。
昭和30年代の国鉄標準形式の駅舎の横幅を大きく縮めたような建物です。
トイレは建物の左端で、当時は男女共用で朝顔三個と個室二つ。
私は当駅にはこの時の取材以来行っていませんが、近年の駅トイレのバリアフリー化リニューアルの流れで大きく様変わりしているかもしれまんな。
こんな田舎の駅にこんな立派なトイレが!と驚愕すること度々なのです。
駅前にはタクシーが二台待機中。
駅前バス停は寺泊-長岡線のモノで、海岸沿いの寺泊中心部と長岡駅間を一時間ほどで結んでいます。

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寺泊駅駅舎内の様子、2011年4月撮影。
この時点では仕切りの無い吹き抜けです。
開放感があり採光も良好で、居心地の良い空間です。

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一番ホーム桐原駅方から見た寺泊駅構内の様子、2011年4月撮影。
列車交換の無い場合、定期列車はこの一番線に出入りします。
その出自がローカル私鉄である証の千鳥形配置の構内は、現在の駅の利用実態に似つかわしくなく広大です。

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跨線橋周りの様子、2011年4月撮影。

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1番ホームと接する駅舎の様子、2011年4月撮影。

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ホーム端から分水駅方を望む、2011年4月撮影。

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寺泊駅跨線橋内の様子、2011年4月撮影。
越後交通長岡線の駅が存在していた頃は、国鉄駅の島式ホームの向こうにある長岡線のホームまで結ぶ長大な跨線橋があったそうです。
この跨線橋は見たところ国鉄時代後半のローカル駅仕様なので、長岡線廃止後に新設されたものなのかもしれません。

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跨線橋上から桐原駅方面を見る、2011年4月撮影。

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同じく分水駅方面を望む、2011年4月撮影。

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2番ホーム分水駅方から見た寺泊駅構内の様子、2011年4月撮影。
この二番線が定期運用される機会は、この時点では朝に集中して三回。
全て下り列車(吉田方面)です。

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ホーム端から分水駅方を見る、2011年4月撮影。
こういうローカルなシチュエーションの列車交換駅は、マニアとしてはたまらんモノがあります。

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寺泊駅の3番線と、線路一本を挟んでチラ見えしている越後交通長岡線の廃ホーム。
2011年4月撮影。
この3番線も定期列車の使用機会は少なく、この時点で一日三回。
朝と夕方と夜に各一回で、全て上り列車(柏崎方面)です。
当時と現在でダイヤに違いは無いので、現在もそれは同一と思われます。

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越後鉄道長岡線の大河津駅廃ホーム、2011年4月撮影。
冬枯れがまだ残るこの時期だからこその光景であります。
盛緑の季節になると緑に覆われて確認は困難になってしまうのです。

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ホーム端から桐原駅方面を見る、2011年4月撮影。

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寺泊駅島式ホーム上の待合室の様子、2011年4月撮影。
建築財産票によると昭和37年1月の完成です。
島式ホームに定期列車が入るのが一日六回と僅少であるからなのか、内部は綺麗です。

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寺泊駅1番線に停車中の、夕刻の吉田行。2005年5月撮影。
3番線に入る柏崎行との交換待ちです。

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寺泊駅1番線で折り返し待機中の115系電車、2004年6月撮影。
平日は通学用に出雲崎駅まで運行されていますが、土休日は当駅止まりになって、こうして約一時間半待機しているのです。
一番線のみが両方向にスルー運転できる当駅ならではの光景です。

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寺泊駅2番線に停車中の朝の吉田行115系電車、2004年6月撮影。

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寺泊駅3番線に到着した夕刻の柏崎行115系電車、2012年6月撮影。

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寺泊駅前通りの様子、2011年4月撮影。
何の変哲もない小集落の中に駅はあります。

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国道116号線と寺泊中心部を結ぶ寺泊駅至近の県道、2011年4月撮影。
画像左手が駅になります。
画像奥手が寺泊中心部方面。
当駅周辺で唯一の買い物処であるセーブオンの看板が見えます。

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分水駅方の踏切から見た寺泊駅構内の様子、2011年4月撮影。

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県道の分水方陸橋上から俯瞰で見た寺泊駅周辺の様子、2011年4月撮影。

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寺泊駅前バス停に進入する越後交通運行の長岡発寺泊行路線バス、2011年4月撮影。

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せっかくなので、バスに乗って海岸沿いの寺泊中心街に寄り道しました。
寺泊郵便局のあるここが「寺泊大町」バス停です。

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バスの車中から見た寺泊港、2011年4月撮影。
バスは高台から中心部へ下っていくので、俯瞰で海に面した町並みを見れるのです。

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寺泊港内の佐渡汽船フェリーターミナル、2011年4月撮影。
寺泊と佐渡の赤泊を結ぶフェリーはゴールデンウィークから運行を開始するので、その直前の4月下旬はこのようにひっそり。
フェリーが運行される季節ならば、間もなく赤泊からの便が到着する時間帯なのです。

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一時間ほど寺泊中心街をブラブラして、路線バスで寺泊駅まで戻ります。
2011年4月撮影。
中心街は観光客向けの施設は色々ありましたけれど、町の生活に密着するスーパーやコンビニは目にしませんでしたなぁ。

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2016年5月29日 (日)

分水駅(越後線)

本日の駅紹介は、越後線・分水駅。

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新潟県燕市に所在する有人駅で、過疎電化ローカル線である越後線南部区間の中間駅としては出雲崎駅と共に希少な、みどりの窓口設置駅でもあります。
越後線唯一の優等列車であった気動車急行「ひめかわ」の停車駅でもありました。
正式な開業は大正2年(1913年)4月20日で、開業当時の駅名は「地蔵堂」。
当時の所在は西蒲原郡地蔵堂町で、駅名は町名から取ったものです。
分水町史によると、当駅は当初、大河津分水工事の資材搬入拠点として使用する観点から、大河津分水に近い地点への設置が考えられていたそうです。
当駅から大河津分水路までは500m程、分水可動堰までは1.8kmですけれど、当初の停車場想定位置が単純に分水路の河畔だったのか、それとも大河津駅(現・寺泊駅)から南東方向に急カーブして現在の国道116号沿いに出て分水を渡った辺りだったのか、残念ながら定かではありません。
後者なら可動堰や洗堰にも近くて、資材搬入の利便性は高かったと思いますけれど。
ともあれ停車場の位置は、町の中心部への設置を望む町の働きかけで現在位置に決定しました。
しかし民家の立ち退きや駅周辺の道路整備(大河津分水の資材搬入基地として使用するのでこれは必須だったのでしょうね)に手間取った為に、やむなく駅から吉田方に約200mの、現在の良寛資料館付近に仮駅を設置したのです。
仮駅としての開業は、大正元年12月18日です。

さて地蔵堂町は戦後の昭和29年に周辺諸村と合併して、新自治体「分水町」として新たなスタートを切ります。
地蔵堂駅は分水町の玄関駅となりましたが、自治体名と駅名が違うのは少々考え物です。
越後線電化完成を翌年に控えた昭和58年4月に、駅名を現在の「分水」に改称して、ようやく町名と駅名の一致をみたのです。
本来ならもっと早い時期に改称すべきだったでしょうに、町に鉄道に対する熱意があまり無かったのか、国鉄のお役所体質で陳情を中々受理しなかったのか?
この辺の裏事情も興味を惹くところであります。
分水町はその後、平成の大合併で平成18年に近隣の吉田町と共に燕市と合併して、その西部地区となり現在に至ります。
JR東日本によると、分水駅の2014年度一日平均乗車人員は546人。
同社新潟県内有人67駅中51位で、飯山線・十日町駅よりもやや多いレベルにあり、越後線南部区間の過疎ダイヤを考えれば中々健闘していると言えそうです。
駅からはやや遠いのですが、高校があって通学客が相当数存在するのもその理由でしょう。

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分水駅駅舎の様子、上は2005年8月、下は2011年4月撮影。
建築財産票によると、2000年3月10日の完成で、許容積雪量は1.3m。
駅の利用実態に合った程よい大きさの、堅実な建物と申せましょうか。
この時点ではタクシーが一台待機中でした。
画像左側に停まっているバスは、折り返し待機中の越後交通運行長岡行です。
駅舎の壁面のレンガ状のデザインは、何を表現しているのだろうと疑問に思っていたところですが、コレは大河津分水をイメージしているのだそうです。
なるほど、我がイマジネーションの不足が恥ずかしい限りでございます(恥)。

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分水駅前広場の様子、2011年4月撮影。
当駅前のバス停からは、越後交通運行の長岡-分水線、東三条-寺泊車庫線が発着しています。
前者は長岡駅まで約一時間で、過疎ダイヤの越後線南部区間における駅巡りでは貴重な路線です。
長岡周辺と分水界隈の取材が比較的短時間で行えるのですから。
後者も東三条や燕三条と分水界隈、そして海岸沿いの寺泊中心街の取材に使えます。
また分水駅前からは燕市のコミニュテイバス「スワロー号」が平日に限り運行していて、分水-粟生津南吉田吉田燕三条の移動に使えます。

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分水駅駅舎内の様子、2011年4月撮影。
画像右側が待合室で、新しい建物として当然の空調付きです。
室内はJR東日本定番の三人掛けベンチが三脚。
この時点での待合室開放時間は、駅窓口営業時間と同一の朝7時から夕方5時半まで。
5年後の現在も同じようですね。

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寺泊駅方から見た分水駅ホーム全景、2005年8月撮影。
定期列車の発着は右側の駅舎に面したホームのみです。
越後線電化完成後の昭和60年3月改正ダイヤでは、当駅での列車交換は既に無くなっていました。

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寺泊駅方を望む、2011年4月撮影。
4月下旬の撮影で、桜の時期ももう終わりですね。

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粟生津駅方から見た分水駅ホーム全景、2005年8月撮影。
右側のホームへは地下道で連絡していますが、通常は通行禁止になっていて残念ながら見学することは出来ません。

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ホーム端から粟生津駅方を望む、2005年8月撮影。

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分水駅駅舎ホーム側の様子、2005年8月撮影。
トイレはこの改札内の他に、駅前広場横の公園に公衆トイレがあります。
至近にトイレを借りられる店が無いので、来訪者にとっては大いなる福音。

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分水駅を出発する115系電車の柏崎行、2011年4月撮影。
この電車ももうじき見納めですな。

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粟生津方の踏切から見た分水駅構内、2011年4月撮影。
画像中央に大河津分水に架かる鉄橋が見えます。

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分水駅から国道116号線に至る旧地蔵堂町中心街の様子、2011年4月撮影。
郷愁を誘うレトロな町並みですけれど、当地域も御他聞に漏れず商業集積は国道沿いに集中してしまっています。
再開発が行われず廃れる一方だからこそのレトロな町並みなわけで、ここでもうーむと考えてしまうのですな。

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分水駅から1kmほどで、国道116号線の大河津橋に到達、2011年4月撮影。
旧市街地と異なり、こちらはクルマがひっきりなし。

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大河津橋上から分水可動堰を望む、2011年4月撮影。
画像奥の緑色の建造物が当時現役だった旧可動堰、右手前で工事中なのが新可動堰です。
新可動堰はこの撮影から約七ヶ月後の2011年11月に供用開始しました。

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大河津橋上から見た越後線の鉄橋、2011年5月撮影。
強風でしばしば抑止がかかる為、その際のダイヤ調整の為に分水駅の列車交換設備を残しているそうです。
しかし強風が予測されれば運休のご時勢ですから、あの設備も使う機会はどれだけあるのやら。

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花も散った大河津分水沿いの桜並木、2011年4月撮影。

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旧可動堰に近づいてまいりました、2011年4月撮影。

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旧可動堰の先にある、信濃川大河津資料館に到着、2011年4月撮影。
入館無料で、この地域の洪水との戦い、治水の重要性を見学勉強できる場です。

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大河津分水の上流側を望む、2011年4月撮影。

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俯瞰で見た旧可動堰、2011年4月撮影。

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2016年5月 1日 (日)

小木ノ城駅(越後線)

本日の駅紹介は、越後線・小木ノ城駅。

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新潟県三島郡出雲崎町に所在する無人駅で、開業は昭和33年(1958年)6月25日。
開業当時の所在も出雲崎町で、同町の南端に位置しています。
ウィキペディアには地元の請願駅と記載されていましたが、出雲崎町史にはその辺の事に一切触れられていなかったのが残念。
それほどの人口集積地帯でもなく、出雲崎駅へ約2kmと近いこの小木地区にどういう経緯で駅設置の請願となったのか、非常に興味をそそられる話なのでありますけれど。

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小木ノ城駅前の様子、2011年6月撮影。
駅前道路の道幅は狭く、クルマでの送迎は少々厳しそう。
駐輪場は二ヶ所設置されています。

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駅前道路沿いの小木ノ城駅竣工記念碑、2011年6月撮影。
こういう立派な碑があるという事は、やはり地元主導の請願による駅設置だったのでしょうね。

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小木ノ城駅の待合室の様子、2004年5月撮影。
この駅には二回訪問していますが、これが初回訪問時の画です。
二回共、気が滅入るようなどんより曇天でしたっけ。

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小木ノ城駅待合室内部の様子、2011年6月撮影。
この待合室は駅開業当時からの建物です。
室内にはベンチも無く、待合室というよりは物置という風情です。
それなのに時計とゴミ箱はしっかりあるのがヘンなところ。
また、この時点では自動券売機、乗車証明発行機共に未設置でした。

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小木ノ城駅ホームの上屋部分の様子、2011年6月撮影。
画像右側がベンチの無い待合室の入り口です。
上屋下には真新しいベンチがしっかり設置されています。

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出雲崎駅方から見た小木ノ城駅ホームの様子、2011年6月撮影。
ホームをまたぐ陸橋は国道116号線です。
ホームの有効長は6両ですが、ホームは上屋部分以外は何も無いので、数字以上に長大な印象。
まぁこれは棒ホームの駅でしはしば感じられるところなのですが。

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国道下から出雲崎駅方を望む、2011年6月撮影。
2004年5月訪問時は昔のままだった駅名標も、七年後にはJR東日本定番のモノに。

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ホーム出雲崎方から見た小木ノ城駅の上屋部分とトイレの様子、2011年6月撮影。
手前の小屋がトイレです。
朝顔無しで壁に直接するタイプの小便用と、個室が一つ。
内部については、お察しください・・・。
近年は駅トイレの改築が進んで、磐越西線・新関駅のように劇的に改善されたトイレ事情にビックリ!な事もしはしばあるのですけれど、小木ノ城駅のトイレは現在どうなっていることやら。
この取材の後、越後線南部区間の礼拝-出雲崎間にはかれこれ5年も足を踏み入れていないので、車中からの観察もしていないのです。

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石地駅方から見た小木ノ城駅ホームの様子、2011年6月撮影。
越後線南部区間の駅としては南吉田駅と共に新参者の当駅は、他の諸駅に見られる国有化以前の私鉄時代の痕跡は当然の事ながら存在せず、純粋に国鉄の停留所の風情を今に留めているのが異色なところです。
ホーム直上の高規格の国道の陸橋は威圧感たっぷり。
越後線の細道とは対照的です。

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石地駅方を望む、2011年6月撮影。
越後線はここから線区で最も鄙びた地域に分け入ってまいります。

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小木ノ城駅を出発する115系電車の柏崎行、2011年6月撮影。
越後線南部区間にも新鋭E129系が入っているそうで、115系電車ももう見納めですな。
しかしこの鄙びた昔懐かしい風景にあのオサレな電車は似合わない、つか走っている様子を想像することが出来ないw

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石地駅方の踏切から見た小木ノ城駅全景、2011年6月撮影。

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国道116号線に出るには、踏切を渡りこの階段を上ります、2011年6月撮影。

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階段を上がって国道116号線に出ます、2011年6月撮影。
ここにはご覧のようにセブンイレブンがあって、鉄道、クルマを問わず来訪者にとって実に心強い限り。
越後線南部区間の諸駅近くに24時間営業のコンビニがあるのは、小木ノ城駅の他には粟生津駅と出雲崎駅、西山駅ぐらいです。
ここは大型車の駐車も多く、客単価は高そう。
街場のコンビニ飽和気味なところよりは、こういう場所の方が長続きしそうですな。
なお、当駅の駅名の由来でもある「小木ノ城址」はここから左手に約4kmです。
他サイト、ブログ様の訪問記を見ると、戦国時代の山城跡もそこそこの整備も行われていて、その種の趣味の方は一見の価値があろうかと思います。
私も戦国時代の山城跡は信越本線・北条駅最寄の北条城址や安田駅最寄の安田城址、えちごトキめき鉄道・春日山駅最寄の春日山城址などに行きましたけれど、山城に関する知識が無いので、実見してもなかなかピンとこないのが困ったところなのです。

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国道116号の陸橋から俯瞰で見た小木ノ城駅とその周辺の様子、2011年6月撮影。
俯瞰マニアにとってはなかなかに魅惑的なところです。

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同じく陸橋上から出雲崎駅方面を望む、2011年6月撮影。
国道の築堤もこの先徐々に高度を下げて、線路とフラットになります。

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国道116号線を出雲崎駅に向って歩きながら一枚、2011年6月撮影。
行きかうクルマは多く、越後線の本数は少なく、歩道を行くのは私一人。
なお、この区間には路線バスの設定はありません。
1997年の道路地図を見ても、出雲崎駅-礼拝駅間にバス路線はありません。
相当以前よりバス空白地帯なのがこの一帯なのです。
この日は出雲崎駅からバスで海岸沿いの出雲崎中心街へ行くスケジュールでした。

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2016年2月14日 (日)

南吉田駅(越後線)

今回の駅紹介は越後線・南吉田駅。

南吉田駅の駅名票

新潟県燕市に所在する無人駅で、開業は昭和40年(1965年)6月10日。
開業当時の所在は西蒲原郡吉田町で、同町は平成の大合併により平成18年(2006年)3月に近隣の燕市や分水町と合併して新たな燕市となり今日に至ります。

吉田町史によると南吉田駅の開業には周辺の宅地開発が深く関わっていて、現在当駅周辺に立ち並ぶ街並みは駅開業と前後して造成されたもののようです。
また当初は駅名として当地の地名「西太田」を予定していて、「南吉田」は仮称とされていたのですけれど、結局仮称がそのまま実際の駅名になりました。

当駅周辺はまだまだ開発の余地が残っていて、南吉田駅から南に約1kmのところに新たな燕市の新庁舎が2013年に竣工しております。
人口約8万人を擁し、三条市と並ぶ県央地域の雄たる燕市の役所最寄駅という称号を得た?南吉田駅ですが、実際に当駅を利用して役所に用足しに行く人はまずいないのではないかと思います。
「燕市総合計画平成20年度~27年度」によると、鉄道に対する燕市民の満足度は非常に低い(アンケートで満足しているという回答は僅か3%強に過ぎず、ほぼ満足を加えても二割に満たない)ので、越後線で役所にアクセスという発想は無いかもしれません。
市民の鉄道に対する満足度が低い最大の要因として考えられるのは、運行本数が少ないことのようですけれど、特に越後線南部区間(吉田-柏崎間)は利用が少ないから本数が少ないのかはたまた本数が少ないから利用が少ないのか、部外者には判断しかねるとこ
ろなのです。
閑話休題、事実として役所の窓口業務時間内の南吉田駅には、下り3本、上り2本しか発着せず不便過ぎます。
車以外の選択肢には燕市循環バス「スワロー号」があり、こちらは平日のみの運行で一日五往復。→スワロー号ダイヤはこちらへ
バスも本数は少ないものの、日中約二時間毎に運行していて且つ燕市内の主要地区である分水、吉田、燕三条を直結しているので、鉄道とバスのどちらが選択されるかは自明の理なのであります。

南吉田駅駅舎
南吉田駅駅舎の様子、2011年4月撮影。
建築財産票によると完成は駅開業と同じ昭和40年6月で、許容積雪量は100cm。
画像左の小さな建物はトイレです。
男女別で一応水洗ですが、内部の様子はご察しください...
取材から五年経つ現在、トイレはどうなっているのやら。
近年は無人駅のトイレが見違えるようなモノに改装されてビックリ!という例がちらほら有りますが...。
越後線ですと私が確認した限りでは妙法寺駅がそうでした。

駅舎内部の様子その一
駅舎内部の様子その二
南吉田駅駅舎内部の様子、2011年4月撮影。
純粋に待合室としての機能のみです。

ホーム吉田方から見た南吉田駅全景
ホームの吉田駅方から見た南吉田駅全景、2011年4月撮影。
住宅街を線路が貫通しているが如き様相ですが、宅地化が本格化したのは駅開業前後の話なのは前述した通り。
最初に駅ありきの形で宅地開発が進められたのでしょうに、現在は学生以外省みることのなさそうな立ち位置になってしまっています。

ホーム先端部から吉田方面を望む
ホーム端から吉田方面を望む、2011年4月撮影。
ここから吉田駅までは越後線で2km。
この日、私は吉田駅からここまで歩いてきましたが、デジカメのデータによれば所要時間は25分。

ホーム中央部と待合室周り
南吉田駅ホーム中央部と待合室周りの様子、2011年4月撮影。

ホーム粟生津方から見た南吉田駅全景
粟生津駅方から見た南吉田駅全景、2011年4月撮影。
ホームの有効長は6両です。

ホーム先端部から粟生津方を望む
ホーム端から粟生津駅方を望む、2011年4月撮影。

南吉田駅に停車中の115系電車
南吉田駅に停車中の115系電車、2004年9月撮影。

駅前ロータリーと盛りを過ぎた桜の木
南吉田駅前ロータリーと盛りを過ぎた桜の木、2011年4月撮影。
小さいながらロータリーを昔から有する駅は僅少で、地味過ぎるほど地味で顧みられることのない南吉田駅の最大の特徴と言えましょうか。

吉田方の踏切から見た南吉田駅
吉田方の踏切から見た南吉田駅、2011年4月撮影。
周辺の住宅密度の高さがよくわかります。
ここから見た駅の風情は大都市圏の大手私鉄のローカル線の駅のようです。
利用実態もそれに見合っていれば良いのですけれど、残念ながら実態はJR東日本電化路線中、最閑散区間の小駅なのです。

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2016年1月 3日 (日)

新潟大学前駅(越後線)

本日の駅紹介は越後線・新潟大学前駅。

新潟大学前駅の駅名票


新潟県新潟市西区に所在する有人駅で、開業は越後線電化と同日の昭和59年(1984年)4月8日。
開業時の所在も新潟市でした。
駅名の由来は、当駅から東に約700mで正門に行き着く国立新潟大学そのものズバリなのですが、新潟大学(新大)のキャンパスは広いので、学部によっては内野駅の方が近かったりするそうです。
...実は私は新大に足を踏み入れたことがないのです、なにしろ数学が壊滅的にデキないので、国立大受験は最初から諦めて私立文系一本だったものですから。
だから国立大卒の人には今もってコンプレックスがあるのですよ。
何でもオールマイティに点を取れる人って凄いなぁと。
なにしろ私は歴史や政経は偏差値70当たり前な一方、数学は校内の定期試験でさえ50点台しか取れない(大恥)。
それもね、試験の二週間前から勉強始めてそれですからね。
公式なんて三歩歩けば最早忘却の海に沈んでいる始末。
「どうしてそうなったのか」という経緯を理解出来ないと覚えられないんですわ。
何事も連続性、物語性を見出さないと覚えられない。
歴史や政経はそれを満たしているので、教科書や参考書を数回読めば知識として理解蓄積できるのですが。
即興の暗記が苦手なのは、流石IQ60の成せる業なのでございます。

閑話休題
JR東日本によれば新潟大学前駅の2014年度一日平均乗車人員は2,932人で同社新潟県内有人67駅中11位。
3位の上越線・六日町駅と6位の信越本線・犀潟駅はほくほく線通過旅客込みの水増し数字なので、当駅は実質第9位になります。
単線かつ列車交換設備の無い棒線上の駅としては、新潟県内でトップの利用状況なのであります。

新潟大学前駅舎の様子
新潟大学前駅舎の様子、2012年3月撮影。
高台のホーム/改札に至る階段が駅舎構造物と一体化しているので、橋上駅舎と同様に駅舎を大きく見せています。

ホーム上から駅前を見下ろす
ホーム上から新潟大学前駅前を見下ろす、2012年3月撮影。
ホームとの高低差を実感出来ます。
駅至近は住宅街で道も生活道路そのものという感じで、路線バスの乗り入れもこれでは難しいでしょう。
新大関係者向けにタクシーの常駐があっても良さそうなものですが、私はタクシー待機を目撃したことはありません。

2012年3月時点の改札口周辺の様子
2015年12月時点の改札口周辺の様子
新潟大学前駅改札口周辺の様子、上は2012年3月、下は2015年12月撮影。
当駅は2010年2月に指定券自動券売機を設置した代わりにみどりの窓口を廃止。
これは新潟県内では最初のケースになります。
当駅に続いて信越本線・越後石山駅と白新線・東新潟駅も同様の形態に変更されて、当時は今後この業態が増えるのだろうと思っておりましたけれど、結局この三駅で打ち止めのようで予想は外れましたなぁ。
新潟駅や長岡駅では指定券券売機で新幹線のきっぷが買えるのに、年配層以外でもわざわざ窓口に並んで求めている人が目立ちますが、融通の利かない機械相手は面倒に感じる向きがそれだけ多いということでしょう。
なお、指定券券売機導入以前は窓口横の有人駅用自動券売機の他に、無人駅用の券売機が通路に一台設置されていました。

ホーム内野方から見た新潟大学前駅構内
ホームの内野駅方から見た新潟大学前駅構内、2012年3月撮影。
棒線で駅舎に面した上屋の一角以外、ホーム上には何もないので視界が遮らず且つ直線である事から、実際以上にホームが長く見えるのが当駅の特徴です。

ホーム先端部から見た内野方
同じく内野駅方を見る、2015年12月撮影。

ホーム寺尾方から見た新潟大学前駅構内
ホームの寺尾駅方から見た新潟大学前駅構内、2012年3月撮影。

ホーム先端部から見た寺尾方
同じく寺尾駅方を見る、2015年12月撮影。

駅海側の高台から見た構内
新潟大学前駅の海側はさらに高台になっており、そこから駅を見下ろして一枚、2012年3月撮影。
ホーム上の上屋は二両分といったところです。

新潟大学駅前の連絡地下道の様子
駅反対側(海側、新大方面)へは地下道で連絡しています、2008年12月撮影。
駅至近は前述の通りですが、越後線を挟んで南北に幹線道路が通っており、少し歩けば買い物や食事に困る事はありません。

新潟大学前駅に停車中の115系電車
新潟大学前駅に停車中の115系電車、2015年12月撮影。

新潟大学前駅に停車中のE127系電車
越後線・新潟-内野間のの主力車両だった当時のE127系電車が新潟大学前駅に停車中、2005年9月撮影。

新潟大学前駅に停車中のE129系電車
これからの主力となる新鋭E129系電車が新潟大学前駅に停車中、2015年12月撮影。

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2016年1月 2日 (土)

内野駅(越後線)

本日の駅紹介は越後線・内野駅。

2017年3月12日記、旧駅舎時代の記事と統合し、加筆修正を実施しました。

内野駅の駅名票

新潟県新潟市西区に所在する有人駅で、大正元年(1912年)8月25日の開業です。
開業当時は西蒲原郡内野村の所在で、同村は昭和に入って間もなく町制を施行し、昭和35年11月に新潟市に編入合併して今日に至ります。
平成の大合併以前の旧新潟市時代、市西部の市街地西端がこの地域で、内野駅もまた新潟駅との越後線頻発運転区間(データイム毎時3本)の終端であります。
JR東日本によれば当駅の2015年度一日平均乗車人員は2,714人で、同社新潟県内有人67駅中12位です。
越後線内の有人駅(新潟駅と柏崎駅を除く)では13駅中第3位と、頻発運転区間の終端という列車運行上のみならず、営業的にも重要な駅なのですが、新潟大学前駅、そして内野西が丘駅が相次いで開業して、当駅駅勢の地盤沈下が続いています。
特に2008年度で新潟大学前駅に乗車人員で抜かれて、その差が拡大し続けている状況なのです。

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内野駅旧駅舎の様子、上は2006年10月、下は2010年5月撮影。
建築財産票によると昭和46年11月の竣工。
国鉄の地方中堅クラスの駅舎特有の横長平屋建てです。
駅前広場は比較的狭く(奥行きが無い)、この狭隘さは開業当時の旧内野村の中心近くという立地に由来しているのかなと思う次第。
既に市街化されているところに駅を設置したわけですから、今日の視点に立てば色々としわ寄せがきているのは確か。

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内野駅旧駅舎内部の様子、2010年5月撮影。
国鉄の地方主要駅の標準形でした。
当駅には2006年1月に自動改札が導入されております。
改札正面上の白い掲示板は、昔は時刻表が掲示されていたと思うのですけれど。
近年はどこも外されてしまっていますなぁ。

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内野駅旧駅舎内部の待合室周りの様子、2008年5月撮影。
駅出入り口から向かって右側が待合室で、新潟県内ではその数を減じているキオスクが健在でした。
当時、内野駅至近にコンビニは存在していなかったので、このキオスクはちょっとした買い物に便利だったのです。
(当時のキオスク営業時間は06:55~12:05、14:00~18:30で日曜定休)
2010年5月に再訪した際もまだ健在でしたが、ウィキペディアによると2011年3月に撤退してしまったとの事です。
橋上駅舎への改築計画が定まった時点で撤退は決まっていたのでしょうね。
待合室内は空調付きで、開放時間は05:15~23:55とほぼ初電/終電に対応したものでした。
この辺は当時、内野駅がJRの直営駅であればこそのサービスぶりで、業務委託が大半になっている他の中堅有人駅では夕方6時ともなれば、窓口営業終了と同様に待合室は閉鎖されてしまうのです。
この撮影からしばらくして当駅も業務委託駅になり、それに伴って待合室の開放時間にも影響があったのではと思われます。

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内野駅1番ホーム側の駅舎の様子、2005年9月撮影。
この辺の見付けはまさに国鉄地方中堅駅のスタンダードと言えましょうか。
なお構内のトイレは画像の飲料自販機の先に男女別でありました。

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駅舎改築前の内野駅北口の様子、2010年5月撮影。
画像の右側は小学校の校庭で、桜の木の列が道と校庭の狭間に。
春を迎えると桜の花が咲き誇り彩り鮮やかに。

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駅舎改築直前の内野駅北口は、自動券売機1台と自動改札機2台という簡素なものでした、2010年5月撮影。

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改築前の駅前広場から内野駅前通りを見通す、2010年5月撮影。
当駅至近は頻発運転区間終端で賑やかという想像とは異なり、前述のようにコンビニはありませんし、スーパーも大手は出店していません。
いずれも駅から500m以上進まないと行き当たらないのです。
駅前通りやそれと十字路で交差する県道周りを含め、寿司屋等の料理店や個人商店が軒を連ねます。

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県道の十字路側から駅前通りを見通す、2010年5月撮影。
画像中央の青い屋根の建物が旧内野駅駅舎です。

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駅前通りと十字路で交差する県道の様子、2010年5月撮影。
新潟市西区の人口集積及び行政文教は当駅から新潟方へ2駅進んだ寺尾駅周辺が中心で、この県道もそちらに向かうにつれてコンビニやスーパー、レストランなどが増えていきます。
なおこの県道には新潟市中心部と内野地区を結ぶ路線バスが設定されています。
2010年時点だと新潟駅-内野駅間は越後線で所要20分強で運賃は¥230、バスは40分程度で運賃は¥550。
これだけ見ると勝負にならんと思われるでしょうが、バスは越後線が通らない市中心街や市役所直通のうえに、特に真冬は越後線よりも「動いてくれる」可能性が高いので信頼性が高かったりします・・・。
越後線は特に羽越線での特急「いなほ」脱線事故以来、昔なら運行していたレベルの風でも運休や大幅遅延が当たり前。
新潟-白山間の信濃川鉄橋と関屋-青山間の関屋分水鉄橋、内野以南の遮蔽物が一切無い田圃の強風吹きさらし区間で運転規制がかかる事夥しで、ホントにアテにならんのですわ・・・(困ったモンだまったく)。

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1番ホームの新潟大学前駅方から駅舎改築前の内野駅構内を望む、2005年9月撮影。
1番線には当駅折り返し待機中のE127系電車が客待ち中です。

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1番ホームの内野西が丘駅方から、駅舎改築前の内野駅構内を望む、2005年9月撮影。
ホーム上の上屋は小さくて、車両2両分といったところです。
利用状況は悪くないのに、この小駅然の扱い。
越後線が電化のはるか以前、C56形蒸気機関車牽引り客車列車が主力な簡易規格のローカル線だった頃を平成の世になってもまだ引きずっているかのようでした。
話によると構内有効長は昔より小さくなっていて、現在は最大7両ほど。
そういえば昔は急行列車の間合い運用で、朝ラッシュ時に長大編成が走っていましたからねぇ・・・。
構内有効長を小さくしたという事は、越後線頻発運転区間でも需要はその程度と支社が見切っているという事ですな。

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内野駅跨線橋上から新潟大学前駅方を望む、2005年9月撮影、。
内野駅構内は対面式ホームの2面2線で、当駅が前述のように頻発運転区間の終端である事から折り返しの電車が常にどちらかのホームに停車している印象が強く、途中駅でありながら大都市私鉄の支線の終端駅のような趣があります。

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同じく内野西が丘駅方を望む、2005年9月撮影。

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2番ホームの内野西が丘駅方から、改築前の内野駅構内を望む、2005年9月撮影。

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内野西が丘駅方踏切から、改築前の内野駅構内を望む、2010年5月撮影。

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新潟方の陸橋上から改築前の内野駅構内とその周辺を見る、2010年5月撮影。
線路の左右とも市街地化されている様子がよくわかります。

内野駅の新駅舎の様子その一
内野駅の新駅舎の様子その二
内野駅の新駅舎、2015年12月撮影。
2014年9月に供用を開始した橋上駅舎です。
階段がアーチ状になっていて、二本の虹が頂点で結合しているような趣。
単に傾斜直線状でデザインするよりも、建物の有機的存在感が増すと言うかまろやかさに富むというか。
ボキャブラリーが貧困なので中々美味く表現出来ないのが遺憾なところですが。

内野駅前ロータリーの様子
駅舎改築後の内野駅前ロータリーの様子、2015年12月撮影。
改築前と比べると少し広くなって、白線がきちんと引かれて秩序立っています。
以前はその点、ちょっとルーズな感じでした。
タクシーが常駐しているのは以前と変わらずです。
路線バスは内野駅と海岸沿いの角田地区を結ぶ社会実験の住民バス「シーサイドエクスプレス」のみ乗り入れています。→詳細はこちら
2016年度も社会実験として引き続き運行されていましたが、2017年度の運行については3月5日の時点でまだアナウンスされていません。
定期路線バスについては、2017年3月25日の新潟交通ダイヤ改正で、「内野駅南口」バス停が新設されて、駅前にバスが乗り入れることになりました。
発表されたダイヤでは、青山から内野駅南口間へは平日2本・土休日8本、内野駅南口から青山へは平日9本・土休日6本になっています。

内野駅前通りの様子
駅舎改築後の内野駅前通りの様子、2015年12月撮影。
画像中央の建物が内野駅の新駅舎。
通りの様子は以前と変化無し。
駅至近にコンビニは無いので、駅改築に先立ってキオスクが撤退してしまった現在、ちょっとした買い物に困るのです。

内野西が丘方の踏切から見た内野駅構内
内野西が丘駅方の踏切から見た改築後の内野駅構内、2015年12月撮影。
画像右手のアーチ状階段部分は、側面から見ると巨大な事がよくわかります。

駅舎改築後の内野駅北口
駅舎改築後の内野駅北口の様子、2015年12月撮影。
前述のように、駅舎改築以前はこちら側に自動改札機と券売機のみ設置の簡易な出入り口がありましたが、橋上駅舎化に伴い撤去されました。

内野駅舎内自由通路の様子その一
内野駅舎内自由通路の様子その二
内野駅橋上駅舎内自由通路の様子、2015年12月撮影。
外から見ると実態以上に巨大な駅に見えるのは橋上駅舎の常で、内部はいたってシンプルです。
改札周りも簡素で、かつての「国鉄の駅」らしさムンムンだった旧駅舎に比べるとマニア的にはやはり寂しい...

自由通路側から見た内野駅の改札内の様子
内野駅橋上駅舎の自由通路側から改札内を見る、2015年12月撮影。
画像奥が待合室です。
内部の造りは近年の新潟県内の橋上駅舎(亀田、豊栄、関屋の各駅)と比べると、やや簡素な印象。
今後の駅の需要予測と市の財政事情が絡み合ってのモノなのでしょうか。

一番ホーム新潟大学前方から見た内野駅構内
1番ホームの新潟大学前駅方から見た駅舎改築後の内野駅構内、2015年12月撮影。
旧駅舎時代同様、駅構内の撮影はホームと駅舎の間合いが大きく開放感のある吉田方からの方がベターでしょう。

内野駅二番線で折り返し待機中のE129系四連
1番ホームの内野西が丘駅方から見た改築後の内野駅構内、2015年12月撮影。
2番線には当駅折り返しのE129系電車4連が待機中です。

二番ホーム内野西が丘方から見た内野駅構内
2番ホームの内野西が丘駅方から見た駅舎改築後の内野駅構内、2015年12月撮影。

二番ホーム出入り口付近の様子
駅舎改築後の内野駅2番ホームの出入り口付近の様子。
ホーム上のベンチは一、二番共に階段手前と橋上駅舎直下に集中して設置されています。
飲料の自販機も両ホーム共に同じ位置に設置。

内野駅で交換する115系電車とE129系電車
越後線の新旧交代を象徴する、新鋭E129系電車と去り行く115系電車の内野駅での交換風景、2015年12月撮影。
あと二年もすれば、この光景も完全に過去帳入りでしょうか。

折り返し待機中のE129系二連
同じく待機中のE129系電車2連。
走り始めた当初は、「乗る分にはとても良いけれど、撮る対象にはならない」というのが私の主観的評価だったのですけれど、見慣れるとこのデザインもこれはこれで良いのかなぁと思い始めたここ最近です。
慣れって不思議なものですな。

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旧駅舎時代の内野駅で交換するE129系電車と115系電車、2005年9月撮影。

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改築前の内野駅1番線で折り返し待機中のE127系電車、2005年9月撮影。
2015年3月改正以降は、この電車が越後線内に姿を見せるのもごく僅少になりました。

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内野駅至近の吉田方踏切から新川橋りょうを望む、2010年5月撮影。
この鉄橋を越えると、沿線はこれまでの昔から完成された市街地から田園と新興住宅街の入り混じった風景に変わり、内野西が丘駅へと至ります。

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新川に架かる橋から見た上流方面、2010年5月撮影。
手前から二つめのトラス橋が越後線の新川橋りょうです。

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同じく橋から見た下流方面、2010年5月撮影。
画像奥に見える橋は日本海沿岸を走る国道402号線。
日本海沿岸に沿って走る印象の強い越後線ですが、海岸までの距離は相当にあって、この橋から日本海までは約1.5kmもの距離があります。

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2012年3月 3日 (土)

石地駅(越後線)

本日の駅紹介は越後線・石地駅。

2017年3月12日記、「石地駅」の旧記事を新記事に統合しました。

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新潟県柏崎市の東端に所在する無人駅で、大正元年(1912年)11月11日の開業。
開業当時の所在は刈羽郡内郷村で、同村は昭和31年に石地町と合併して朝日町となり、その三年後には西隣の二田村と合併して西山町が発足。
しかし町の中心は旧二田村地域で、自治体としては格上だった旧石地町地域ではないところが外部から見ると非常に興味深いところ。
交通の利便性は、海岸沿いに広がる旧石地町域よりも、越後線と国道の二本柱を擁する旧二田村域の方が遥かに上なのではありますけれど・・・。
その西山町も平成17年5月に柏崎市に編入されて今日に至ります。 前述のように、そもそもの当駅周辺地域は「石地」ではなく内郷村の「別山」地区で、当地域から海岸沿いの石地地域までは5km近い距離があります。
それだけ距離があるにも関わらず、当駅が「石地」を名乗っているのは、同じく越後線の西中通駅の例同様に、石地地域にある「石地漁港」の存在が大きく影響しているのではと推察しているのですが・・・。
漁港に揚がった海産物を当駅まで運んで出荷、駅にとっては貨物の大得意様ゆえに、その自治体名を駅名に採用して顔を立てる・・・というカラクリだと思うのですが、町誌にそんな事は一行たりとも書かれていないので、全て私個人の妄想ですw。
続西山町誌によると、昭和40年度の石地駅旅客乗車人員は246,462人で、一日平均675人。
昭和53年のそれは120,564人・330人。
同年度の西山駅のそれが148,868人・408人で、平成18年度のそれが18,800人・52人(柏崎市統計年鑑より)で、28年で約87%ダウンですから、石地駅にその数字を当てはめれば平成18年度のそれは43人というところでしょうか。 また貨物についても、昭和35年の当駅出荷は5,445トンと、西山駅の4,426トン、礼拝駅の1,460トンを凌いでいるのが意外です。
続西山町誌によると、昭和48年8月に帝石KK専用線撤去という記述があるので、石地駅のかつての貨物出荷量の多さは、この専用線と関連しての事だと思われます。
当地域は西山駅エントリーで紹介した「長嶺鎌田油帯」に隣接した「別山油帯」を有しており、この油帯の本格的開発は昭和8年からで西山油田の諸油帯中後発であり、昭和30年代には鉄道貨物での石油輸送がまだ成立するだけの産油量があったのでは?と思えるのです。
しかしその貨物輸送も、昭和48年末に廃止されてしまったとの事です。

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石地駅駅舎の様子、2011年4月撮影。
建築財産票によれば、平成4年1月21日竣工。
駅前広場は広大で駐車スペースも充分です。
この広さはかつての石油輸送と関係しているのでしょうか?

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石地駅駅舎内部の様子、2011年4月撮影。
ウィキペディアによると、当駅が委託解除されて無人化されたのは平成4年との事。
現在の駅舎竣工が同年1月ですから、無人化は現駅舎竣工と同時だったのか、それとも僅かな期間ながらこの駅舎に人が詰めていた事があったのか?
駅舎の造りを見るに、一応は有人前提で設計されているのでは?とも思えるのですが・・・。

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ホームの礼拝駅方から見た石地駅構内、2011年4月撮影。
1991年に棒線化されて20年経ちますが、旧ホームは未だ原型を留めています。
なお昭和60年3月改正ダイヤを見ると、当駅での列車交換は一日二回あったようで、早期に遊休化していた訳ではないようです。
この当時は石地駅に上下合わせて24本の列車が停車していました。
現在(2017年3月改正ダイヤ)は18本で、本数が減った分列車交換設備の撤去(当駅)と遊休化(分水駅)が実施されたのでしょう。

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石地駅の廃ホームに残っていた駅名標、2004年5月撮影。
棒線化されて13年も経つのに、この駅名標は真新しいままなのが不思議。
2011年4月に再訪した時には撤去済みでした。

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ホーム端から礼拝駅方を見る、2011年4月撮影。
この先に踏切があるのですが、線路のカーブの為に踏切から駅への見通しが出来ないのは残念なところ。

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石地駅駅舎ホーム側の様子、2011年4月撮影。
建物右側のドアがトイレで、男女兼用水洗です。

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小木ノ城駅方から見た石地駅構内、2011年4月撮影。
画像右下に見えるのは貨物用ホーム跡でしょうか?

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ホーム端から小木ノ城駅方を見る、2011年4月撮影。
2本のホームは千鳥配置です。

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石地駅を出発する夕刻の115系電車柏崎行、2011年4月撮影。

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石地駅を通過するキハ58系気動車「なつかしの急行ひめかわ号」、2004年10月撮影。
当時は只見線や米坂線でも「なつかしの急行」が運転されていました。
この日は台風が接近する荒れ模様の天気で、撮影後、出雲崎駅まで約7km歩く間に雨に降られて散々なことに。
こんなこともあろうかと替えのズボンを持っていって大正解でしたな。

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石地駅前広場の様子、2011年4月撮影。
駅前広場には石地郵便局があります。

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石地駅駅舎から駅前通りを見る、2011年4月撮影。
当駅周辺にはスーパー・コンビニともありません。
また路線バスの設定は無く公共交通は不便、山がちな周辺のロケーションも相まって、越後線の駅の中で最も鄙びた雰囲気です。

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石地駅から歩いてすぐの、越後線に並行する県道の様子、2011年4月撮影。
路線バスの廃止整理が現在ほど深化していなかった十数年前の道路地図を見ても、この県道に路線バス設定は無く、相当以前よりバス空白地帯であった事が窺えます。

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