カテゴリー「R004 越後線の駅」の記事

2017年7月29日 (土)

小針駅(越後線)

本日の駅紹介は越後線・小針駅。

小針駅の駅名標

新潟県新潟市西区に所在する有人駅で、開業は昭和35年6月1日。
開業当時の所在は既に新潟市でした。
戦前の当地周辺は旧新潟市近郊の田圃で宅地化がされておらず、それゆえに駅設置が見送られていたようです。
昭和30年代に入るとようやく当地でも宅地開発が行われるようになって、地元と新潟市が協力して国鉄に駅設置を要望。
当局は当初、まだまだ人口が少ないことを挙げて駅設置に難色を示したそうですが、その後の宅地化の急速な進展と地元及び新潟市の粘り強い活動で、ようやく小針駅開業にこぎつけたのです。
戦後間もなく、戦時下に作られた信号場の多くが続々と駅に昇格した後は、国鉄の新駅設置のハードルが非常に高くなったなぁと強く感じさせる小典型なのが小針駅設置のいきさつなのです。
山間の小駅ならまだ理解も出来ますが、旧新潟市内でも越後石山駅と東新潟駅は永らく駅昇格させてもらえないという不遇の時期を経験していますしね。
信号場上がりの山間の小駅が出来る一方で、地方大都市近郊の新駅には渋い顔をする国鉄当局。
これに不条理を感じてしまうのですよ。
やはり国会議員の政治力の差があったりするのかなと勘ぐってしまいます。
新潟市からは有力な政治家が出てないからなぁ。

さてそんな経緯で誕生した小針駅の2016年度一日平均乗車人員は、JR東日本によると2,651人。
同社新潟県内有人67駅中13位で、同じ越後線内の巻駅よりやや多く、内野駅よりやや少ないレベルです。
かつて当局が設置に難色を示した駅とは思えない利用状況で、戦後生まれの駅としてはこれもやはり越後線内の新潟大学前駅に次ぐものです。
ちなみに今から約半世紀前の昭和40年度年間乗車人員は、新潟市史によると36万三千人。
単純計算すると一日平均約994人で、当局に設置を渋られた駅としては破格と言ってよい利用状況でした。
当時は越後線の運行頻度が現在の半分以下だったことを考えると、朝夕の混雑は相当なものだったのでしょう。
しかしこの数字をもってしても、現在は乗車人員で当駅より下位にある寺尾駅関屋駅の後塵を拝していたのです。
昔からこれだけの数字を残す諸駅がありながら、現在もなお「地方交通線」なのが越後線なのであります。

小針駅駅舎の様子
小針駅駅舎の様子、2015年12月撮影。
建築財産票によると昭和35年6月の完成。
つまり駅開業当時からの建物です。
同時期に建てられた諸駅の駅舎と比較すると、何となく安っぽさを感じさせるのは気のせいでしょうか?

改装工事に入っている小針駅駅舎
改装工事に入っている小針駅駅舎、2017年7月撮影。
当駅は新潟市が策定した「にいがた交通戦略プラン」では、当駅のバリアフリー化が謳われているものの駅舎改築の予定はないようです。
また鉄道運輸機構のPDFを見ると、当駅にエレベーター付きの跨線橋を平成29年度中の完成予定で整備すると明記されているので、この工事はその関連のものかもしれません。
バリアフリー施策として、駅舎前にスロープの設置も並行して行うつもりなのかも。
答えは近いうちに出るでしょう。

斜め視線で見た改装着手前の小針駅駅舎
斜め視線で見た改装着手前の小針駅駅舎、2012年3月撮影。
向かって左側に男女別のトイレがあります。
水飲み場があるなど、昭和30~40年代の匂い漂う駅舎です。

駅舎から見た駅前広場の様子
駅舎から見た駅前広場の様子、2012年3月撮影。
画像右側は上屋付き二階建ての駐輪場で、通勤通学需要の多さを伺わせます。
当時の新興住宅地の只中に設置されたこともあってか、駅前広場はやや控えめ。
ロータリー等の整備は行われていません。
タクシーは常駐しているようで、駅の南方まで大きく広がった駅勢圏を反映してのことなのか。

小針駅の南方を越後線と並走する県道
小針駅の南方を越後線と並走する県道、2012年3月撮影。
この道路には新潟交通運行の路線バス寺尾線、越後線の北側を並行する西大通りには路線バス西小針線がそれぞれ運行されていて、越後線・新潟-内野間の諸駅の移動に使えます。
まぁ越後線の当該区間の運行頻度を考えれば、駅巡りにバスを使う必要もないのですけれど。

小針駅駅舎内の自動改札機群
小針駅駅舎内の自動改札機群、2015年12月撮影。

みどりの窓口と一台のみ設置の自動券売機
みどりの窓口と一台のみ設置の自動券売機、2015年12月撮影。
駅の利用状況から見て、券売機が一台きりなのは心もとないところなのです。
まぁ利用客の多くが定期やsuicaならこれでよしという当局の割り切りなのか。

以前の駅舎内待合室
以前の駅舎内待合室、2015年12月撮影。

現在の駅舎内待合室
現在の駅舎内待合室、2017年7月撮影。
上の画像撮影の後、駅舎構内側にバリアフリー対応のトイレを作った関係からか、待合室の空間が大きく縮小されています。

小針駅北口の様子
小針駅北口の様子、2012年3月撮影。
建築財産票によると平成17年(2005年)2月撮影。
跨線橋直下の空間をうまく利用して組み込まれています。

小針駅北口内部の様子
小針駅北口内部の様子、2012年3月撮影。
こちら側は終日無人です。

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小針駅北口廻りの様子、2012年3月撮影。
出入り口前はご覧のように狭隘な生活道路です。
当駅は南北両側共に住宅地になっています。
こちら側から従来からの駅出入り口の南口へ行くには、構外連絡地下道を通るか駅前後の踏切を渡っていました。
前者は特に夜間、防犯上の問題があり得ない話ではないですし、後者は相当に歩くことになります。
したがって北口が新設されたのは、当駅北側の利用者にとって実に歓迎すべきことであったでしょう。


1番線の青山駅方から見た小針駅構内
1番線の青山駅方から見た小針駅構内、2017年5月撮影。
1番線は吉田方面乗り場です。
当駅構内は直線上の対面式ホーム二本というシンプルな構造。
昭和三十年代半ばと比較的近年の設置なので遺構の類もなく、構内に目を見張るモノはあまりありません。

1番線端から青山駅方を見る
1番線端から青山駅方を見る、2017年5月撮影。
手前の踏切はとにかく通行量が多く、日中でも遮断機が上がっている間はクルマの途切れることがありません。

1番ホームに面した駅舎の構内側の様子
1番ホームに面した駅舎の構内側の様子、2012年3月撮影。

跨線橋出入り口から見た1番ホームの駅舎方
跨線橋出入り口から見た1番ホームの駅舎方、2012年3月撮影。

跨線橋出入り口方からみた1番ホームの駅舎方
跨線橋出入り口方からみた1番ホームの駅舎方、2017年5月撮影。
画像右の衝立の向こうで改装工事が行われています。
また上の画像を見ていただければわかるように、以前は幅が狭かった上屋の右側に新たな上屋が増築されています。
私は2015年12月以来、当駅にはご無沙汰だったので、細かく手が加えられている当駅の構内外にいちいち驚く始末でした。

1番ホームの跨線橋出入り口廻りの様子
1番ホームの跨線橋出入り口廻りの様子、2017年5月撮影。
画像左側の柱が増築された上屋のものです。

特徴のない小針駅構内にあって、唯一私の目を惹くのが跨線橋下のこの空間
特徴のない小針駅構内にあって、唯一私の目を惹くのが跨線橋下のこの空間、2012年3月撮影。
待合室を建てるには丁度良さそうな大きさなのですが。

1番線の寺尾駅方から見た小針駅構内
1番線の寺尾駅方から見た小針駅構内、2012年3月撮影。

1番線端から寺尾駅方を見る
1番線端から寺尾駅方を見る、2017年5月撮影。

2012年3月当時の小針駅跨線橋内部
2012年3月当時の小針駅跨線橋内部。
なんとはなしに、荒んだ印象を抱かせます。
開口部は多いものの、波板状の日よけ?が付いていてあまり意味がないような。
この構造では、私の大好きな跨線橋上俯瞰撮影は事実上不可能です。

現在の小針駅跨線橋内部の様子
現在の小針駅跨線橋内部の様子、2017年5月撮影。
2015年12月に訪れた時には既にこのようになっていました。
無意味と思われる開口部が塞がれて、壁面が綺麗に整備されたことで印象はグッと良くなりますな、
上部の窓の位置も低くなったので、構内俯瞰撮影が三脚無しでもなんとか可能になったのは、私のようなスキモノにとって実に喜ばしい話なのであります。

跨線橋上から見た小針駅構内の青山駅方
再整備された跨線橋上から見た小針駅構内の青山駅方、2015年12月撮影。

同じく寺尾駅方を見る
同じく寺尾駅方を見る、2017年5月撮影。
画像右側の路上の小屋は、前述の構外連絡地下道の出入り口です。

2番線の青山駅方から見た小針駅構内
2番線の青山駅方から見た小針駅構内、2017年5月撮影。
2番線は新潟方面乗り場です。
このホームは右隣の生活道路と同一レベルにあるので、道路の延長のような趣も。

跨線橋出入り口から見た2番ホームの青山駅方
跨線橋出入り口から見た2番ホームの青山駅方、2017年5月撮影。
2番ホーム上に待合室はありません。

2番ホーム上から見た小針駅駅舎
2番ホーム上から見た小針駅駅舎、2017年5月撮影。

2番線の寺尾駅方から見た小針駅構内
2番線の寺尾駅方から見た小針駅構内、2015年12月撮影。

青山駅方の踏切から見た小針駅構内
青山駅方の踏切から見た小針駅構内、2017年5月撮影。

寺尾駅方の踏切から見た小針駅構内
寺尾駅方の踏切から見た小針駅構内、2017年5月撮影。
駅と踏切との距離は多少あった方が間合いが程好く取れて良いですな。
当駅の場合、青山駅方の踏切はホームに近過ぎて画が単調になり過ぎです。

小針駅1番線から発車するE129系電車内野行
小針駅1番線から発車するE129系電車内野行、2017年5月撮影。

小針駅2番線に進入するE129系電車新潟行
小針駅2番線に進入するE129系電車新潟行、2017年5月撮影。
2017年3月改正ダイヤでは、当駅での列車交換は一日十回。
越後線・新潟-内野間の交換可能駅(当駅の他に白山、関屋、寺尾の各駅)の中では最小回数です。

真夏の小針駅を出発加速する115系電車吉田行
真夏の小針駅を出発加速する115系電車吉田行、2005年8月撮影。

弥生春未だの小針駅を出発するE127系電車内野行
弥生春未だの小針駅を出発するE127系電車内野行、2012年3月撮影。

小針駅2番線に停車中の115系電車新潟行
越後の地にとって実に貴重な冬晴れの朝、小針駅2番線に停車中の115系電車新潟行、2015年12月撮影。

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2017年7月23日 (日)

関屋駅(越後線)

本日の駅紹介は越後線・関屋駅。

関屋駅の駅名標

新潟県新潟市中央区に所在する有人駅で、開業は大正2年(1913年)11月15日。
当時の越後鉄道・白山-西吉田(現・吉田)間開業(1912年8月)後、一年余りを経ての駅開業で、開業時の所在も市街地拡大以前の新潟市でした。
越後鉄道は開業当初、駅が少ないと沿線から不満の声が上がっていて、当駅の設置はその声に答えた第一号になります。
ただ当駅の場合は、当時周辺に製油所が集中して所在しており、それに続いて各種工場も次々と建てられて新潟市西部の工業地帯化していたので、潜在的貨物需要を考えれば設置するのが当然の停車場と言えます。
需要が無いからと当局が設置するのを渋った他の駅(寺尾駅越後赤塚駅)とは、やや性格が異なる駅だったのです。
しかし当駅が開業してから間もない大正半ばには製油所も移転や廃止(県内の産油量減少)でその数を大きく減らし、工業地帯の色合いは次第に薄れていき、後述する関屋分水の工事の影響もあってかつての面影も無くなったのが今日の駅周辺の姿です。

JR東日本によると、2015年度の関屋駅1日平均乗車人員は1,938人で同社県内有人67駅中21位。
信越本線・越後石山駅よりやや少なく、上越線・六日町駅とほぼ同レベルです。
白山-内野間の旧越後鉄道以来の駅(白山、関屋、寺尾、内野)の中では最小で、国鉄時代に設置された青山小針新潟大学前の各駅を入れた現在の7駅中6位という、所在地周辺の人口密度の高さから見ると少々物足りなく映る数字であります。
ちなみに約半世紀前の昭和40年度乗車人員は、新潟市史によると約44万三千人。
単純計算すると1日平均1,214人になります。
新参の小針駅(昭和35年開業)よりは多いものの、宅地造成で乗客数が急増した寺尾駅の約半分、旧内野町の玄関駅である内野駅の四割弱、新潟市都心の白山駅の二割強という、やはりあまり振るわない数字を残しています。

関屋駅の橋上駅舎南口
関屋駅の橋上駅舎南口の様子、2015年12月撮影。
平成18年(2006年)12月に、越後線新潟市内駅近代化の先陣を切って供用を開始しました。


橋上駅舎南口出入り口の様子
橋上駅舎南口出入り口の様子、2017年5月撮影。
この南口は駅舎改築以前からの出入り口です.

関屋駅南口駅前通りの様子
関屋駅南口駅前通りの様子、2017年5月撮影。
この辺りは昔ながらの街並で道路も狭く、その奥に押し込まれるように駅が立地しています。
そもそもの出自が資金力に乏しいローカル私鉄なので、街の只中において官営鉄道の駅のように用地を広く取れなかったのは止むを得ないところです。
これは寺尾、内野の両駅にも共通した話ですな。

関屋駅南口近くの県道の様子
駅から通りを数百m進むと、そこは車が切れ目無く行き交う通り。
画像右手の建物群のすぐ裏手が信濃川です。
至近には関屋駅のお得意様である私立新潟第一高校、その向こうには家電量販店やスーパーが立地しています。
なおこちらの通りには、鉄道補完の新潟交通運行バス路線としてBRT萬代橋ライン(対白山、新潟駅)、寺尾線(対青山、小針、寺尾、新潟大学前、内野各駅至近に移動可能、また一部の便は多少歩きますが内野西が丘駅へも移動可能)です。
当駅の最寄バス停は「第一高校前」になります。


関屋駅橋上駅舎北口
関屋駅橋上駅舎北口の様子、2017年5月撮影。
こちら側は橋上駅舎化に伴って新設されました。
駅前広場はロータリーになっていて、狭隘な南口に比べて車でのアクセスは断然上です。

橋上駅舎北口出入り口
橋上駅舎北口出入り口、2017年5月撮影。
出入り口の右奥がエレベーターです。


関屋駅北口至近の国道402号線
関屋駅北口至近の国道402号線、2017年5月撮影。
この国道には鉄道補完の路線バスとして、浜浦線と信濃町線(対新潟)、西小針線(対新潟、青山、小針、寺尾、新潟大学前、内野各駅に移動可能)が運行されています。
最寄バス停は「信濃町」です。

関屋駅橋上駅舎南北自由通路の様子
関屋駅橋上駅舎南北自由通路の様子、2017年5月撮影。
画像右側が内野方、左側が窓口と改札口のある新潟方です。

自由通路側から見た窓口と自動改札周り
自由通路側から見た窓口と自動改札周り、2017年5月撮影。

構内側から見た改札口の様子
構内側から見た改札口の様子、2015年12月撮影。
画像右奥がホームと連絡するエレベーター、右側のベンチの向こう側がホームへの階段、画像左側が待合室です。

改札方から見た構内待合室とトイレの位置関係
改札方から見た構内待合室とトイレの位置関係、2015年12月撮影。

構内待合室内部の様子
構内待合室内部の様子、2010年5月撮影。
ベンチの定員は僅か9人と実にこじんまりしたもの。
しかし利用客は高校生主体で且つ日中毎時3本の頻発運転区間。
これで充分と割り切れる利用動向なのでしような。

橋上駅舎構内側の窓から俯瞰で見た駅構内新潟方の様子
橋上駅舎構内側の窓から俯瞰で見た駅構内新潟方の様子、2017年5月撮影。
ここは窓が開かないので、俯瞰マニア的には少々不満なところです。

自由通路上から見た駅構内の内野方
自由通路上から見た駅構内の内野方、2017年5月撮影。
先端に向けて絞り込まれていく三角形の島式ホームが当駅の特徴であります。

島式ホームの青山駅方から見た関屋駅構内
島式ホームの青山駅方から見た関屋駅構内、2015年12月撮影。
幅狭のホームを圧するツインタワーな橋上駅舎の威容であります。
ローカル私鉄由来の狭い構内と巨大な駅舎のミスマッチぶりも当駅の特徴。

島式ホーム端から青山駅方を見通す
島式ホーム端から青山駅方を見通す、2017年5月撮影。
画像左横の横取り線はまだ生きていて、上の画像の右側のように保線車両が留置されているのを時折見かけます。

島式ホームと橋上駅舎を連絡するエレベーター
島式ホームと橋上駅舎を連絡するエレベーター、2015年12月撮影。

橋上駅舎出入り口とホームの上屋下の様子
橋上駅舎出入り口とホームの上屋下の様子、2017年5月撮影。
ホーム上のベンチはこの画に映っているものが全てです。


島式ホームの白山駅方から見た関屋駅構内
島式ホームの白山駅方から見た関屋駅構内、2017年5月撮影。
2台設置されている監視カメラが物々しい。
まぁ最近は色々と物騒ですし、安全上からも防犯上からもカメラの設置、増強は仕方ないですな。

島式ホーム端から白山駅方を見通す
島式ホーム端から白山駅方を見通す、2017年5月撮影。
遊休化した部分は立ち入り禁止になっています。
画像左側は関屋自動車学校。
県民にはTVCMの「せっきっや!じどうしゃっガッコー!」のフレーズでよく知られたところ。
ここの教習生も当駅を利用しているのでしょう。
目出度く免許を取ったら、きしゃなんてカッタルくて使わないのでしょうけれど。

青山駅方の踏切から見た関屋駅構内
青山駅方の踏切から見た関屋駅構内、2017年5月撮影。
当駅駅舎は耐震性強化の為の「連結耐震構造」を採用していて、駅舎と自由通路の間に揺れを吸収するオイルダンパーを設置しており、その働きによって建物が損壊しにくくなっているそうです。
駅舎改築開始の一年前に中越地震が起きているので、それが駅舎の設計に影響を与えたのでしょうか。
あの時は新潟市で震度4。
しかし我が家の地域を含む地盤軟弱地帯では4なんてもんじゃなかった。
5弱はいってましたな。
しかも揺れている時間が長かった。

白山駅方の踏切から見た関屋駅構内
白山駅方の踏切から見た関屋駅構内、2017年5月撮影。

関屋駅2番線に停車中のE129系電車新潟行
関屋駅2番線に停車中のE129系電車新潟行、2017年5月撮影。
非電化時代、昭和50年代半ばまで磐越西線馬下駅から当駅終着の旧型客車列車が運転されていたのも遠い遠い昔の話になりました。

関屋駅で顔を合わせた越後の電車新旧の主役
関屋駅で顔を合わせた越後の電車新旧の主役、2015年12月撮影。

関屋駅での115系電車同士の列車交換
今ではすっかり少数派になった115系電車同士の列車交換、2015年12月撮影。

関屋駅でのE129系電車同士の列車交換
越後路のこれからの主役、E129系電車同士の列車交換、2017年5月撮影。
全区間単線で日中毎時3本の頻発運行区間である越後線・新潟-内野間において、最も頻繁に列車交換が行われるのがここ関屋駅。
平成29年3月改正ダイヤでは1日28回が実施されています。

関屋駅1番線に停車中の115系電車新潟行
関屋駅2番線に停車中の115系電車新潟行、2017年5月撮影。
昭和59年の越後線電化で颯爽デビューし、気動車が騒々しく走る元ローカル私鉄の鉄路に新風を吹き込んで、今日の都市型路線への脱皮に大きく貢献したのがこの115系電車です。

E127系電車内野行が1番線から出発
E129系電車に新世代の主役の座を譲ったE127系電車内野行が1番線から出発、2012年6月撮影。

関屋駅の旧駅舎
ここからは改築以前の関屋駅の様子をご紹介。
かつての関屋駅駅舎は昭和7年(1932年)の完成で、このように実にこじんまりとした建物でした、2003年11月撮影。
しかしその佇まいは周りの風景とうまく溶け込んでいました。

駅舎と跨線橋間の上屋の様子
駅舎と跨線橋間の上屋の様子、2003年11月撮影。
自動券売機の設置の仕方といい、雰囲気といい、関西の大手私鉄の各駅停車しか停まらない小駅のような印象でした。

関屋駅旧駅舎とホーム、跨線橋の位置関係
関屋駅旧駅舎とホーム、跨線橋の位置関係、2005年8月撮影。
この三ヶ月後に駅舎改築工事が始まっています。
旧駅舎時代最後の夏の午後の一時であります。

青山駅方から見たホーム上の待合室
青山駅方から見たホーム上の待合室、2005年8月撮影。
室内には今から10年程前まで無人駅でよく見られた朱色のベンチを設置。

旧駅舎時代の島式ホーム上屋下の様子
旧駅舎時代の島式ホーム上屋下の様子、2005年8月撮影。
乗り場案内もなんとなく私鉄っぽかったのですよ。

旧駅舎時代の関屋駅構内を青山駅方から見る
旧駅舎時代の関屋駅構内を青山駅方から見る、2005年8月撮影。
この頃の方が、駅の美観上はずっと良いなぁ。
小さい中にも土着の地に足が付いたしたたかさを感じるのですわ。

旧駅舎時代のホーム端から青山駅方を見る
旧駅舎時代のホーム端から青山駅方を見る、2005年8月撮影。
画像左端の旧貨物側線とおぼしきレールはまだその姿をはっきり確認できます。
現在はすっかり草生してしまっていますな。

旧駅舎時代の関屋駅構内を白山駅方から見る
旧駅舎時代の関屋駅構内を白山駅方から見る、2005年8月撮影。
真夏の午後とあって完全に逆光です。
この撮影当時はこのブログを始めたばかりの頃で、ヘンテコな趣味にうつつを抜かしていて現在のような展開は全く意図していなかったのです。
今思い返すに、もっとちゃんと撮っておけばよかったと後悔ばかりなのです。
駅舎内部の画像も、人が居たので遠慮したとはいえ、現在のように撮れるまで待つとか後日また来るとかせずに諦める淡白さだったのです。

旧駅舎時代のホーム端から白山駅方を見る
旧駅舎時代のホーム端から白山駅方を見る、2005年8月撮影。
周りの様子は12年経った今も変わっていません。

跨線橋上から見た旧駅舎時代の関屋駅構内の青山駅方
跨線橋上から見た旧駅舎時代の関屋駅構内の青山駅方、2005年8月撮影。
完全に逆光で背景はまっしろけ。

跨線橋上から島式ホームを見る
跨線橋上から島式ホームを見る、2005年8月撮影。

構外から見た旧駅舎時代の関屋駅構内
構外から見た旧駅舎時代の関屋駅構内、2005年8月撮影。
このスリムさ、狭さが関屋駅本来の姿です。

青山駅方の踏切から見た旧駅舎時代の関屋駅構内
青山駅方の踏切から見た旧駅舎時代の関屋駅構内、2005年8月撮影。

旧駅舎時代の関屋駅で交換するE127系電車
旧駅舎時代の関屋駅で交換するE127系電車、2005年8月撮影。

初夏の関屋浜海水浴場
昔ながらの街並の只中にある関屋駅ですが、歩くこと1km弱で日本海に到達します、2017年6月撮影。
ここは関屋浜海水浴場で、海開きに備えて海の家の準備が進んでいました。

関屋浜と初夏の美しい日本海
関屋浜と初夏の美しい日本海、2017年6月撮影。
この日は海沿いをじっくりとトレッキング。

関分記念公園
北から約5km続いた海沿いロードの終着が関分記念公園です、2017年6月撮影。
新潟市を信濃川の氾濫による水害から救った救世主、それが昭和47年に完成した関屋分水です。
画像中央は展望台で、高所恐怖症の私としてはお尻がムズムズして衝動的に飛び降りてしまいそうな恐怖を感じる高さの塔であります。

展望台から関屋分水の上流方を見る
くだんの展望台から関屋分水の上流方を見る、2017年6月撮影。
手前は新潟大堰で、下部のゲートを上げ下げすることで信濃川の水量を調整し、海から川への逆流も防いでいるんだとか。
ここから南に約1.8kmの信濃川との合流地点までに、鉄道橋と合わせて六つの橋が架かっています。
越後線の鉄橋はここから五つ目で、画像奥に辛うじて確認できます。

関屋分水の日本海口
関屋分水の日本海口、2017年6月撮影。
汽水域と海とでは色が違いますな。

展望台から見下ろして一枚
展望台から見下ろして一枚、2017年6月撮影。

ここまで歩いてきた日本海沿いの道のりを振り返って一枚
ここまで歩いてきた日本海沿いの道のりを振り返って一枚、2017年6月撮影。
この道沿いでは波や風による侵食から砂浜を守る為の工事が間断無く行われていて、画像中央に見えるクレーン車が停まっているあたりもその一つ。

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2017年7月16日 (日)

白山駅(越後線)

本日の駅紹介は越後線・白山駅。

白山駅の駅名標

新潟県新潟市中央区に所在する有人駅で、開業は大正元年(1912年)8月25日。
開業時の所在は既に新潟市ですけれど、当時の市域は現在よりもずっと小さいものでした。
白山駅はその時代の新潟市内最初の鉄道駅なのです。
また当時は越後線の前身である私鉄越後鉄道の起点として、同社の本社や現業機関が置かれていて会社の中枢を成していたのです。
昭和2年に同鉄道が国有化された後も、当駅の越後線の起点としての位置は不動で、その状態は戦後の昭和26年まで続いていました。
昭和26年12月に、戦時下の昭和18年に造られた新潟-関屋間の信越本線貨物支線が越後線に統合され、それに伴い白山駅は新たな越後線上に移転して、線区の起点から中間駅に格下げされた形になりました。
それが現在の駅の所在地になります。
旧駅の敷地は市立鏡淵小学校の用地になったとの事ですけれど、駅移転から既に63年を経過していて当時の面影を見出すことは至難です。
白山駅は新潟市役所を始め主な官公庁に近く、また周辺には新潟最高のエリート校である県立新潟高校(五教科250点満点で230点は取らないと合格できません)や新潟商業高校も所在していて、新潟市の文教地区の玄関駅にもなっています。
しかしその割には駅も駅周辺も地味で、その辺は出自である越後鉄道を引きずっているかのようです。

JR東日本によると、2015年度の白山駅1日平均乗車人員は5,437人で、同社新潟県内有人67駅中、新潟、長岡両駅に次ぐ第3位。
その座を信越本線・亀田駅と争っています。
現在急ピッチで工事が行われている新潟駅の高架化工事は来年度(平成30年度)に第一期として越後線高架化が完成予定で、平成33年度には高架化が完成予定です。
高架化完成時には信越線と白新線の列車の白山駅乗り入れが行われる予定で、当駅は後述するようにその受け入れ準備を整えています。
そうなれば当駅は名実共に新潟市のサブターミナルとなって、駅の利便性は更に向上するのでしょう。
上越新幹線接続の特急「いなほ」はともかく、「しらゆき」は白山駅始発という日もいずれ訪れるのではと夢想するところであります。

白山駅北口出入り口
白山駅北口出入り口、2017年5月撮影。
白山駅は2010年から駅改修が始まり、旧駅舎の解体と南北自由通路の設置、駅構内のホーム増設が実施されて2014年3月に一応の完成を見ています。
私が駅改修後の当駅を訪れたのは2014年9月でしたが、その時は駅前ロータリーがまだ工事中でした。

白山駅の駅前ロータリー
白山駅の駅前ロータリー、2017年5月撮影。
画像右手の上屋奥が駅出入り口です。
かつての白山駅は駅前広場が狭く、路線バスは乗り入れていませんでした。
現在はこのように立派なロータリー化されていて、新潟交通のBRT萬代橋ライン(対新潟、関屋青山各駅の相互移動に使えます)が発着しています。

白山駅前を出発する新潟交通運行のBRT
白山駅前を出発する新潟交通運行のBRT、2017年7月撮影。
懐かしの「かぼちゃ電車」カラーであります。

白山駅前通りの様子
白山駅前通りの様子、2017年5月撮影。
新潟県第三の繁忙駅の駅前とは思えない昭和的な通りです。
かつてはこの道路に新潟交通電車線の軌道線が敷設されていたのです。
軌道線が廃止されて早や四半世紀、その面影はもう残っていません。
新潟市役所やその至近の電鉄線白山前駅跡へは、画像奥に向かって1km弱。

新潟交通電車線白山前駅跡周辺の様子
白山駅から東に1km弱のこの界隈が、かつて新潟交通電車線の起点・白山前(県庁前)駅の所在したところです、2017年6月撮影。

白山前駅跡
ここが白山前駅跡です、2017年6月撮影。
後背の建物は新潟市役所で、かつてはここに新潟県庁が建っていました。

白山公園
白山前駅跡至近の白山公園、2017年6月撮影。
明治6年に開設された、近代日本最初の公園のひとつに数えられるところです。
平成元年に日本の都市公園百選にも選ばれてもいますけれど、初詣の習慣が全然無い無宗教無信心の私にとってはあまり縁が無いところであります。

白山駅南口
駅改修に伴い新設された白山駅南口、2017年5月撮影。
以前はこちら側に出るのに、越後線のガード下をくぐって大回りしなければならなかったのです。
付近には県立がんセンターがあって、通院やお見舞いで訪れる方にとっては利便性が飛躍的に向上しました。

白山駅地下の南北自由通路
白山駅地下の南北自由通路、2017年5月撮影。
画像左側が窓口と改札です。

自由通路からみた改札口周り
自由通路からみた改札口周り、2017年5月撮影。

構内側から見た改札口周り
構内側から見た改札口周り、2017年5月撮影。
自動改札機は六機設置されていて、流石は県内第三の繁忙駅。
右側のベンチは旧駅舎の流用品の気配。

構内待合室の様子
構内待合室の様子、2017年5月撮影。
駅の利用状況の割には小さな待合室ですが、通勤通学がメインの駅なのでこれで事足りるということなのでしょう。
日中は毎時3本が確保されていますしね。

白山駅3-4番島式ホームの4番線側から関屋駅方を見る
駅改修で新設された3-4番島式ホームの4番線側から関屋駅方を見る、2017年5月撮影。
4番線は吉田方面乗り場です。

3-4番島式ホーム端から新潟駅方を見る
3-4番島式ホーム端から新潟駅方を見る、2017年5月撮影。

白山駅と新潟駅の間に架かる信濃川鉄橋
白山駅と新潟駅の間に架かる信濃川鉄橋、2017年6月撮影。
越後線の新潟-関屋間現ルートの前身である信越本線貨物支線の鉄橋として昭和18年に供用を開始してから今年(2017年)で74年。
新潟駅高架化に伴って越後線は新潟駅からこの鉄橋の手前まで部分複線化されますが、この鉄橋は手付かずのまま。
JR東日本に架け替える予定は無いようです。
白山駅のホームを増設して信越線や白新線の列車を乗り入れさせても、鉄橋が単線では冬季の強風時にはダイヤ混乱の心配があります。
新潟駅のホームは高架化の代わりに減らされるので、収容力不足でますますもって心配。
地震津波対策などを絡めて、鉄橋の架け替えに国からおカネを引っ張ってきてなんとか出来ないのだろうかと思うところです。
でもなぁ、この街の議員先生といえば、自民の若手と野党第一党のコテコテの左派だしなぁ。
国と掛け合ってカネを取ってくる豪腕はとても期待できないのであります。

信濃川鉄橋を渡るE129系電車
信濃川鉄橋を白山駅に向けて渡り終えるE129系電車、2017年6月撮影。
この鉄橋は私のような高所恐怖症にはもう辛抱タマランところなのであります。
ここを渡る時はいつも目を瞑ってます。
今、突然震度7に直撃されたら川に転落して逝くな・・・と震えながら。

3-4番島式ホームの3番線側から見た白山駅構内中央部の様子
3-4番島式ホームの3番線側から見た白山駅構内中央部の様子、2017年5月撮影。
地下からホームへのアプローチは、階段、エスカレーター、エレベーターという三段構えの至れり尽くせり。

3-4番島式ホーム上屋下の様子
3-4番島式ホーム上屋下の様子、2017年5月撮影。

3-4番島式ホーム端から関屋駅方を見る
3-4番島式ホーム端から関屋駅方を見る、2017年5月撮影。
右横の古めかしいホームは以前から存在する1-2番ホームで、端部は立ち入り出来なくなっています。
平成25年に供用を開始した新ホームと昭和26年以来のホーム、その歳の差は62。

3-4番島式ホームの関屋駅方から見た白山駅構内
3-4番島式ホームの関屋駅方から見た白山駅構内、2017年5月撮影。

1-2番島式ホームの上屋下
駅が現在位置に移転した昭和26年以来の1-2番島式ホームの上屋下、2017年5月撮影。
当駅ホームは新旧いずれも待合室はありません。
この辺は通勤通学駅としての性格ゆえなのでしょう。

1-2番島式ホームの関屋駅方から見た構内
1-2番島式ホームの関屋駅方から見た構内、2017年5月撮影。

1-2番島式ホーム端から関屋駅方を見る
1-2番島式ホーム端から関屋駅方を見る、2017年5月撮影。
遊休化した部分を柵で封じてあります。

1-2番島式ホームの1番線新潟駅方から見た白山駅構内
1-2番島式ホームの1番線新潟駅方から見た白山駅構内、2017年5月撮影。
1番線は新潟方面乗り場です。

1-2番島式ホーム端から新潟駅方面を見る
1-2番島式ホーム端から新潟駅方面を見る、2017年5月撮影。

4番線を出発したE129系電車内野行
4番線を出発したE129系電車内野行、2017年5月撮影。

白山駅で列車交換を終えて出発する115系電車長岡行
白山駅で列車交換を終えて新潟駅に向け出発する115系電車長岡行、2017年5月撮影。
2017年3月改正ダイヤでは、当駅で1日20回の列車交換が行われています。
しかしこの115系電車の後部編成のこの色はちょっとやり過ぎでしょうと苦言をば。
115系が70系電車由来の所謂新潟色で走っていたことなんてないでしょ。
なんか悪ノリし過ぎですわよ。

4番線に到着したE129系電車吉田行
4番線に到着したE129系電車吉田行、2017年5月撮影。

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白山駅3番線に停車中の115系電車吉田行
白山駅3番線に停車中の115系電車吉田行、二枚共2014年9月撮影。
2017年3月改正ダイヤでは上下合わせて五本の定期列車が発着する中線ですが、新潟駅高架化完成後は信越線や白新線からの乗り入れ列車の発着ホームになる予定です。
しかし折り返し列車の専用にするのなら、従来からの島式ホームはそのまま越後線用として、新ホームは頭端式にすれば工費も節約できたのでは?と思うのは、多分シロウトの浅はかさなのでしょうな。

1番線から出発するE127系電車新潟行
1番線から出発するE127系電車新潟行、2014年9月撮影。

新潟県高校会館
ホーム上から見た駅の南側にある「新潟県高校会館」、2015年12月撮影。
進歩的教職員さまの集うアジ・・・もといっヘイワ護憲反戦の殿堂であります。
窓にぴちっと張られた色とりどりの「アベ政治を許さない」。
このフレーズに全てが集約されております。

白山駅の旧駅舎
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さてここからは、改築以前の白山駅の昔日の様子をかいつまんでご紹介。
白山駅の旧駅舎は建築財産票によると昭和26年12月の完成、2011年6月撮影。
つまり駅の移転以来の建物でした。
昭和20年代から30年代に建てられた他の駅舎との類似が無い、極めて独特のデザインです。
駅前広場はロータリーになっていますが、ロータリーとしての明確な整備は行われていないので雑多な印象でした。

白山駅旧駅舎内の窓口と自動改札周りの様子
白山駅旧駅舎内の窓口と自動改札周りの様子、2011年6月撮影。

改札口は出入り口がはっきり区分されていました
改札口は出入り口がはっきり区分されていました、2012年3月撮影。

待合室とキオスクの出入り口
待合室とキオスクの出入り口、2012年3月撮影。
キオスクは休憩を挟んで07:45~19:00の営業で、休日定休。
待合室は現在の構内待合室に比べると広く、駅に来て列車が来るまで相応の時間を待つことの多い、駅舎完成当時の汽車型ダイヤに見合ったものと言えましょうか。
なにしろ越後線は昭和59年の電化以降に都市型ダイヤが導入されるまで、今日の目で見ると驚くべき運行頻度だったのですから。
昭和55年10月改正ダイヤでは、下り新潟方面が20本(うち4本は休日運休、1本は急行「ひめかわ」)、上り吉田方面が22本(うち3本は休日運休、1本は当駅止まり、1本は急行「ひめかわ」)。
ちなみに平成29年3月改正ダイヤでは、上下合わせて106本(うち2本は休日運休)です。

改札口とその向こうにホームへ向かう通路
白山駅旧駅舎の改札口とその向こうにホームへ向かう通路、2008年5月撮影。
改札前の広い空間とホームへの地下道、大都市圏の駅のような雰囲気であります。

白山駅の仮設跨線橋
白山駅の改装はまず構内から始まり、従来の地下道が閉鎖されて代わりに跨線橋が設置されていました、2011年6月撮影。

仮設跨線橋内部の様子
仮設跨線橋内部の様子、2011年6月撮影。
窓はサッシではなく、しかも半透明だったので俯瞰撮影が出来ず残念。

島式ホーム上の仮設跨線橋出入り口
島式ホーム上の仮設跨線橋出入り口、2011年6月撮影。

改修工事中の白山駅構内
改修工事中の白山駅構内、2011年6月撮影。
この時期、島式ホームの1番線新潟方は仮設跨線橋下から先が立ち入り禁止になっていて、この2番線新潟方が張り出している形になっています。

旧2番線から関屋駅方を見る
旧2番線から関屋駅方を見る、2011年6月撮影。

旧2番線の関屋駅方から見た構内
旧2番線の関屋駅方から見た構内、2011年6月撮影。
この時点では、こちら側の工事はまだ未着手。

改修がまだ及んでいない島式ホーム端から関屋駅方を見る
改修がまだ及んでいない島式ホーム端から関屋駅方を見る、2011年6月撮影。

新潟方ホーム切断で短くなった有効長を補うために仮設された1番線のホーム端
前述の新潟方ホーム切断で短くなった有効長を補うために仮設された1番線のホーム端、
2011年6月撮影。

1番線の仮設ホーム端から見た白山駅構内
1番線の仮設ホーム端から見た白山駅構内、2011年6月撮影。
メリハリの付いたホームと遠方の跨線橋。
この姿の方が、改修以前よりも駅らしくて個人的には好みだったのですよ。

構内改修工事中の1番線から出発するE127系電車新潟行
構内改修工事中の1番線から出発するE127系電車新潟行、2011年6月撮影。

改修着手以前の2番線新潟駅方から見た白山駅構内
改修着手以前の2番線新潟駅方から見た白山駅構内、2005年8月撮影。
時代を感じさせる上屋の形状であります。
国鉄時代に移転した駅構内ですが、やはりどことなく私鉄的な匂いのする構内でしたっけ。

改修着手以前の島式ホーム端から新潟駅方を見る
改修着手以前の島式ホーム端から新潟駅方を見る、2005年8月撮影。

改修着手以前の島式ホーム関屋駅方から見た構内
改修着手以前の島式ホーム関屋駅方から見た構内、2005年8月撮影。
新潟県内第三の利用実績を誇る駅とは思えないローカルな雰囲気です。

改修着手以前の島式ホーム端から関屋駅方を見る
改修着手以前の島式ホーム端から関屋駅方を見る、2005年8月撮影。

白山駅から北に十数分歩けばそこは日本海
新潟市の実質都心の駅、あまり潤いの無い実用本位の硬質な駅という印象の強い白山駅ですが、北に十数分歩けばそこは日本海なのです、2017年6月撮影。

水族館のマリンピアや護国神社にほど近い、海岸沿いの道路
水族館のマリンピアや護国神社にほど近い、海岸沿いの道路、2017年6月撮影。
この日の天気は実に素晴らしく風もほどよく冷たくて体の熱冷ましには丁度良し。
白山駅-日和山海岸-関屋浜-関屋分水-新潟駅の約11kmを一気にトレッキング。

初夏の日本海の蒼さ
初夏の日本海の蒼さは素晴らしいのです、2017年6月撮影。

日和山海岸の突堤
日和山海岸の突堤、2017年6月撮影。
砂が風で移動しない為の防御用で、新潟海岸の砂浜を維持する為の施策の一つ。
立ち入りは制限されていないので、当然のことながら海釣り趣味の人がいます。

日本海に向かって伸びる突堤
日本海に向かって伸びる突堤、2017年6月撮影。

初夏の日和山海水浴場
初夏の日和山海水浴場、2017年6月撮影。

船上から海を見ているような感じ
船上から海を見ているような感じですな、2017年6月撮影。

突堤の先端には日本海の波しぶき
突堤の先端には日本海の波しぶきが、2017年6月撮影。
こんな穏やかな日でもこうなのですから、厳冬期のそれはさぞ凄いでしょうな。
新潟市の冬の季節風の強さといったら、上空で風の逆巻く音が聞こえ毎日台風が接近してきているようなものなのですから。

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2017年4月29日 (土)

寺尾駅(越後線)

本日の駅紹介は、越後線・寺尾駅。

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新潟県新潟市西区に所在する有人駅で、人口約16万3000人を擁する西区の区役所の最寄り駅はここ寺尾駅。
故に西区の代表駅は越後線頻発運行区間の終点である内野駅ではなく、当駅と申せましょうか。
駅開業は1914年(大正3年)10月20日で、当時のローカル私鉄である越後鉄道の停車場としての出発でした。
開業当時の所在は西蒲原郡坂井輪村で、同村の玄関駅でした。
坂井輪村は戦後の昭和29年に新潟市に編入されて今日に至ります。

寺尾駅周辺は今でこそ新潟市旧市街地西部の人口集積地域になっていまけれど、駅開業からしばらくの間は人家もまばらな寒村だったそうで、駅設置が越後鉄道開業から約2年後というのもその辺の事情によるもののようです。
周辺地域に人口が集積し始め、駅に活気が出てくるのは坂井輪村が新潟市に編入される頃からだったのです。

JR東日本によると、寺尾駅の2015年度1日平均乗車人員は2,187人。
同社新潟県内有人67駅中17位で、見附駅と同レベル、直江津駅よりも少し下という利用実績です。
当駅の狭さ小ささを考えると、驚嘆に値する高水準の乗車人員ですけれど、越後線の新潟-吉田間では有人10駅(新潟駅を除く)中6位に過ぎず、越後北線と称されるこの区間の利用の多さの裏付けにもなっているのです。
それなのに線区の格付けは国鉄末期に貼られた「地方交通線」のまま。
信越、白新両線に比べて運賃も割高で、利用客にとっては不条理この上無い状況がずっと続いているのですよ。

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寺尾駅橋上駅舎南口の様子、上は2006年11月、下は2015年12月撮影。
上の画の時点ではまだエレベーターが未設置でバリアフリー化されていませんでした。
その前身がローカル私鉄の小駅であったからか、駅前広場はご覧のように狭隘。
その為に路線バスも駅前には乗り入れていません。
代わりにタクシーが最低一台常駐しています。

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寺尾駅南口駅前の様子、2012年3月撮影。
ご覧のように道路の道幅も狭く、車には優しくないところです。

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寺尾駅北口の様子、2012年3月撮影。
橋上駅舎化に伴って開設された出入り口で、歩道なのか駐輪場なのか判然としないカオスさがあります。

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寺尾駅橋上駅舎の自由通路内部の様子、2012年3月撮影。
建築財産票を確認できなかったので駅舎の竣工年月は不明ですが、ウィキペディアによると1986年完成という記述があります。
新潟県内在来線のみの橋上駅舎としては、青海駅、荻川駅に続く三番目になります。
ただ形状から見てこの通路はかつての跨線橋なのでしょう。
その竣工は建築財産票によると昭和48年3月。
跨線橋出入り口の構内側に橋上駅舎を増築したように思われます。

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橋上駅舎への出入り口付近の様子、2012年3月撮影。
窓口及び自動改札機は画像左側になります。

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構内側から見た寺尾駅橋上駅舎内部の様子、2015年12月撮影。
駅舎内の待合空間は下の画のところ(自動改札機とホーム出入り口の間の通路)しかありません。
なおトイレはホーム上にしか無いのでご注意ください。

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自由通路上から見た寺尾駅構内新潟方の様子、2015年12月撮影。

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自由通路上から見た寺尾駅構内内野方の様子、2005年9月撮影。
画像左側の駅前の狭隘さがよくわかります。

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島式ホームの新潟大学前駅方から見た寺尾駅構内の様子、2012年3月撮影。
駅構内は一面2線のごくシンプルなもの。
この形態のホームは平板な印象が強くて、個人的にはあまり好みではないのです。
しかも中途半端な植え込みで見通しも悪し。
正直、訪問や撮影の触手が伸びない駅なのであります。

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島式ホーム端から新潟大学前駅方を見る、2012年3月撮影。

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島式ホーム上屋下の様子、2015年12月撮影。
ホーム上に待合室はありません。
橋上駅舎内の待合空間の小ささといい、ホームの上屋下にベンチが並ぶ様子といい、実用本位に徹した「乗り降りするだけの駅」な印象の強い寺尾駅です。
よく言えば都会的と言えなくもない?

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島式ホームの小針駅方から見た寺尾駅構内、2012年3月撮影。
画像左側の国鉄様式の跨線橋部分と、右側の新たに設けられた北口への連絡通路の違いがよくわかります。
なおトイレとエレベーターは連絡通路の柱の後方にあります。

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島式ホーム端から小針駅方を見る、2012年3月撮影。

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新潟大学前駅方の踏切から見た寺尾駅構内の様子、2012年3月撮影。


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寺尾駅に停車中の115系電車新潟行、2012年3月撮影。

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寺尾駅で列車交換する新潟行115系電車と内野行E127系電車、2012年3月撮影。
データイム毎時3本の単線頻発運行区間である越後線の新潟-内野間の列車交換駅
白山、関屋、小針、寺尾の各駅)では、列車交換が頻繁に行われています。

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列車交換を終えて寺尾駅を出発するE127系電車内野行、2012年3月撮影。

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E127系に代わる線区の新たな顔のE129系電車新潟行と115系電車吉田行が寺尾駅で列車交換中、2015年12月撮影。

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2017年2月 5日 (日)

越後曽根駅(越後線)

本日の駅紹介は越後線・越後曽根駅。

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新潟県新潟市西蒲区に所在する有人駅で、開業は大正元年(1912年)8月25日。
開業当時の駅名は「曽根」で、開業翌年の4月に現駅名に改称しています。
当駅の開業時点では既に「曽根駅」は二つも存在しているので、それゆえの「越後」なのでしょうね。
ちなみにその二つとは、明治21年開業の山陽本線兵庫県下の曽根駅と明治45年開業の箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄宝塚線)大阪府下の曽根駅であります。
箕面有馬電気軌道の曽根駅が構い無しで越後鉄道の当駅が改名というのは、当局に田舎者の分際で都会さまの駅名とダブらせるなとバカにされているようで、実に遺憾に思うところなのです。

さて越後曽根駅の開業時の所在は西蒲原郡鎧郷村で、当駅の現在の所在地名から推測するに、鎧郷村に隣接する曽根村との境に近い位置のようです。
曽根村は後の西川町の中心地区であり、こちらの方が駅開業当時でも人口が多そうではあるのですけれど、それにも関わらず鎧郷村内に駅が設けられたのは、鉄道開通前は当地域の交通運輸の要であった西川の存在が大きかったのではと推察されるところです。
曽根村は鎧郷村の西川対岸にあって、曽根村中心部に駅を設けるには、西川を鉄橋で二回越えなければなりません。
西川自体は大きな川ではないのですが、零細地方私鉄である当時の越後鉄道にとって、おカネのかかる架橋は出来るだけ避けたいところでしょう。
なお鎧郷村は昭和五年に町制を施行した曽根町と昭和30年三月に合併して新自治体の西川町になり、越後曽根駅は平成17年三月時点で人口一万二千人余りを擁する町の玄関駅でした。
約半世紀に渡って、日本海側最大の都市新潟市の西端と境を接する自治体として歩んできた西川町でしたが、平成の大合併の大号令下で平成17年三月に周辺市町村と共に新潟市へ合併編入され、同市西蒲区の一部となって今日に至ります。

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越後曽根駅駅舎全景、上から順に2012年6月、2008年5月、2006年11月撮影。
よく見ると2006年11月から2008年5月までの間に、屋根や上屋が塗り替えられています。
建築財産票によると昭和41年12月の完成で、築半世紀の駅舎です。
横長平屋の国鉄標準型の建物で、画像左側の、今日では大半が遊休化していると思われる事務運転空間の採光が極めて良好そうであります。
駅舎は近い将来、改築の話も出てくるでしょうが、そうなれば駅舎の規模は今の半分ほどになってしまいそうです。
駅前広場は流石に人口一万二千人の旧町の玄関駅らしく、相応に広大であります。
画像右側にタクシーが一台駐車していますが、何度か訪問して観察したところでは常駐しているわけではないようです。
毎時一本の列車到着に合わせて来ているようでした。
駅前広場には新潟交通観光バス運行の路線バス白根-曽根線が乗り入れていますが、2016年12月時点で平日四往復、土休日は二往復と過疎ダイヤです。
西蒲区のコミュニティバスは旧西川町に設定されておらず、越後線と並行するバス路線はありません。

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駅前広場の端にある二階建ての駐輪場、2008年5月撮影。
当駅の一日乗車人員の約八割は学生です。

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越後曽根駅駅舎内の様子、2012年6月撮影。
一番上の画像の右側が待合室です。
自動券売機が二台設置されていますけれど、JR東日本新潟支社の券売機複数設置の基準がイマイチよくわからないところです。
当駅よりも乗車人員が多い駅が一台きりだったりしますし。
なおJR東日本によると、2015年度の越後曽根駅の一日平均乗車人員は1,007人で同社新潟県内有人67駅中40位です。
新潟市西蒲区の中心駅である西隣の巻駅は2,471人なので、当駅はその四割に過ぎませんが、旧巻町と旧西川町の人口差もこれとほぼ同等なので、純粋に人口に見合った利用状況と申せましょう。
一日平均乗車人員が千人というのは、新潟支社の自動改札駅の下限レベルであるのですけれど、越後線・新潟-吉田間の有人駅で自動改札未設置駅は当駅のみでもあります。
それなら思い切って自動改札を導入してしまえば区間の有人全駅自動改札化でスッキリ収まるのにと考えてしまうのは素人の浅はかさなんでしょう。

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待合室内の様子、上は2008年5月、下は2012年6月撮影。
2008年5月時点では壁に沿ってベンチが置かれており、遊休空間が大きいガランした室内でした。
ウィキペディアによると2002年9月まではキオスクが出店していたようです。
私が当駅に取材目的で初めて降り立ったのは2004年6月の事でした。
もうちょっとこのプロジェクトを始めるのが早ければそれを見ることも出来たであろうにと、少々残念なのであります。
ちなみに私がこういう事を思いついて始めたのは2003年7月で、最初に行ったのは羽越本線・中浦駅でしたっけ。
おっと閑話休題、2012年6月訪問時では待合室内のベンチのレイアウトが全面的に変更されていて、遊休化していた中央部にベンチを集中して設置していました。

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越後曽根駅一番ホーム改札付近の様子、2012年6月撮影。

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一番ホームの越後赤塚駅方から見た越後曽根駅構内の様子、2012年6月撮影。
ホーム配置は典型的な千鳥式と言えましょうか。
なお列車交換の無い場合、列車発着は基本的にこの一番ホームになります。

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一番ホームの巻駅方から先を見通す、2012年6月撮影。
当駅構内はご覧のような際立った千鳥配置のホームになっています。
画像左側の線路は旧貨物引き込み線でしょうか。

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一番ホーム巻駅方の跨線橋出入り口、2012年6月撮影。
跨線橋出入り口の前方はすぐホームの端になっています。
かつて越後線唯一の優等列車であった急行「ひめかわ」は当駅には停車しておらず、跨線橋出入り口の狭さは当駅のその立ち位置を表しているかのようです。

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越後曽根駅跨線橋内部の様子、2012年6月撮影。
ウィキペディアによると当駅跨線橋は昭和56年の竣工。
この時点で築31年ですが、それ以上の経年を感じさせます。
板張りで安普請感が否めない空間なのであります。

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跨線橋通路から駅構内越後赤塚駅方を望む、2012年6月撮影。

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同じく巻駅方を望む、2012年6月撮影。
画像右側の駅裏手はこの時点では線路沿いに民家が立ち並んでいるものの、奥行きはあまりありません。
と言うことは、新潟市の新たな新興住宅地としての潜在的発展性を持っていると申せましょうか。

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基本的に列車交換時のみ列車が入る二番ホームの巻駅方から見た越後曽根駅構内、2012年6月撮影。
2016年3月改正ダイヤでこのホームに出入りする定期列車は一日六本です。

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二番ホーム中央の上屋あたりの様子、2005年3月撮影。
ベンチはご覧のように四人掛けが二脚のみです。
自動改札未設置の越後曽根駅の改札は開くのが概して遅く、列車到着数分前だったりします。
その為、列車の発着が限られる二番ホームを存分に撮影するには、窓口が開く前の早朝六時台を狙うしかないと思い詰めて行きましたっけ。

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二番ホームの越後赤塚駅方から先を見通す、2005年3月撮影。
三月中旬でしたが、霜の降りた寒い土曜の朝でした。

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二番ホームの越後赤塚駅方から見た早朝の越後曽根駅構内、2005年3月撮影。
画像右側の線路の出自に興味が湧くのです。
元々は島式ホームだったりしたのだろうか?
しかしホームの巻駅方に線路を敷く空間は無いような気も・・・。

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越後曽根駅一番ホームで列車交換待機中の115系電車吉田行、2012年6月撮影。
画像右側の二番ホームに、新潟行き列車を待つ人たちが見えます。
2012年3月から2015年3月までの三年間、越後線では新潟市の社会実験として内野-吉田間のデータイム増発が施行されていて、それまでのデータイム一時間ヘッドが40分ヘッドになり、その列車交換の多くは越後曽根駅で行われていました。
しかし結果は惨憺たるもので、乗車人員は実験前を下回ったほどで目標値を大きく割り込んでしまい、増発定期化の要無しとして現在は社会実験以前の一時間ヘッドに戻ってしまっています。
この社会実験失敗で、越後線の内野駅以西の今後の増発の目はほぼ無くなってしまったと申せましょう。
敗因は定期客の減少だそうで、沿線高校のクラス数は三年間で四クラス160人も減ってしまったとの事。
そもそも定期客頼みの増発なんて、この少子化のご時勢では失敗が目に見えていたのですけれどねぇ。
学生以外の需要開拓を余程行わなければあきませんわなぁ。

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越後曽根駅で並ぶ越後線のかつての両雄、吉田行の115系電車と新潟行のE127系電車、2012年6月撮影。

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越後曽根駅二番線を出発するE127系電車新潟行、2012年6月撮影。

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巻駅方の踏切から見た越後曽根駅構内の様子、2012年6月撮影。

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同じ位置から巻駅方を見る、2012年6月撮影。
越後曽根駅の駅構内は踏切を越えています。

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駅舎から見た越後曽根駅駅前通りの様子、2012年6月撮影。
駅前通りと言っても、前述のように当駅と旧西川町の中心地区とはやや距離があり、この時点ではコンビニ等はありません。

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越後線と並行する駅前の道路、2012年6月撮影。
駅周辺で目立つのは画像右側の郵便局ぐらいです。

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越後曽根駅から歩いて十分弱の、旧西川町中心部の様子、2012年6月撮影。
人口一万人強の町の中心部ですが、正直なところ、寂れているなぁ・・・という印象しかもてませんでした。
道幅の狭い古い形の商店街で、スーパーは無し。
銀行と画像左手のヤマザキショップが目立つ程度の、車の往来も少ない通りでした。

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2016年12月31日 (土)

吉田駅(越後線/弥彦線)

本日の駅紹介は越後線/弥彦線・吉田駅。

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新潟県燕市に所在する有人駅で、開業は当時の越後鉄道の停車場として大正元年(1912年)8月25日。
開業当時の所在は西蒲原郡吉田村で、大正13年に町制を施行します。
その後は周辺諸村を合併編入して町勢を拡大し、人口2万五千弱と市に準じた規模の状態で近隣の燕市、分水町と合併し、人口八万人弱の新たな燕市の南部地域となり今日に至ります。

吉田駅は当初、越後鉄道白山-吉田間の終端としての開業でしたが、その後鉄路は順次当駅から南北西の各方面に伸びていき、大正11年(1922年)4月20日に現在の弥彦線の当駅-燕駅間の開通で、吉田駅の現在の形が確立されたのです。
なお、開業翌年4月には駅名を「西吉田」に改称していますけれど、これは官営鉄道の信越本線に「吉田」駅(現在のしなの鉄道・北長野駅)が開業した為です。
後出しジャンケンでも親方日の丸が圧倒的に強く、ナニ既得権?田舎モンの分際でナニいっとんぢゃあぁん?という具合なのが当時のデフォルトな展開だったのですよ。
その「吉田」駅が近隣の長野電鉄・信濃吉田駅と紛らわしいとの理由で「北長野」に改称したことで、西吉田駅もようやく町名を冠した元の駅名に戻れることとなり、昭和34年10月に46年ぶりの「吉田」駅復活を果たしました。

吉田町史によると、鉄道の開通と吉田駅の開業は当地に多大な利益をもたらしたそうで、代表例として挙げられているのが冬季における新米出荷の話。
鉄道開通前、米の大消費地であり遠隔地への出荷拠点の新潟港を有する県都新潟への物流は全面的に西川の水運に依存していたのですが、冬季は天候不良(雪はあまり降らないのですが、季節風が凄いのです)の為に出荷が予定通りにいかず、不安定なものだったそうです。
その為、吉田界隈の米商人たちは立場的にどうしても弱くなってしまい、米相場の主導権を握るのは新潟の商人に。
それが鉄道開通によって、冬季でもそれまでよりずっと計画的な輸送が可能になり、相場の主導権も新潟の商人にやられっぱなしでは無くなったのです。
また県央地域の工業集積地帯である燕と鉄路で結ばれたことによって、工業の燕、商業の吉田という相互連携が図られることになり、吉田の商業集積地としての役割が高まりました。
吉田が大正後期という早い時期に町制を施行できたのは、鉄道開通による村勢拡大が多分に影響していると思われ、また燕市と吉田町が合併したのも、こういう実利上の背景が昔からあったが故の事なのでしょうね。

さて優等列車が設定されていない非幹線系区間の新潟県内の駅にあって、最大規模を誇るのがここ吉田駅です。
JR東日本によると、2015年度の吉田駅一日平均乗車人員は1,580人。
同社新潟県内有人67駅中28位で、特急が停車し県北の代表的な観光地であり市の玄関駅でもある羽越本線・村上駅と比較しても100人強少ないだけで、周辺人口の規模も考えると相当に高いレベルにあると言えます。
付近に高校が所在し、四方から学生が集中するようになっている当駅の立地が物を言っている気がしますけれど、昨今は県内一学区で県内どの高校でも行けるようになっていますから、昔に比べると立地の優位性も薄れているかもしれません。
・・・実際、吉田駅付近の高校の偏差値は40で県内高校でも下位なのです。
昔の学区制なら、ずっと高い学力があってもそれに見合う学校が学区内に存在せず、やむを得ずその学校に進学というケースも珍しくなかったでしょうが、今は違いますからねぇ。
余談になりますが、新潟県内の高校は偏差値格差が私の受験の頃と比べると大幅に開いていて、その種のサイトを見ると我が母校の凋落ぶりに唖然としてしまいます。
まぁ国立大に行くには数学が規格外に不出来で、浪人必至レベルだった私が大学模試学内一位だったので、そもそもが推して知るべしなレベルだったのですけれどね。
もし当時の学力でこれから受験となったら、どの学校を受験すればいいのか相当に迷うことは必定です。
私みたいな中の上レベルの学力に見合う学校がホントに少ない。
上はどんどんレベルが上がり、下はどんどん下がっていっているのですから。

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吉田駅駅舎の様子、2011年4月撮影。
建築財産票によると昭和37年3月の完成。
駅舎改築時には当駅に新潟鉄道管理局の越後線・弥彦線管理所が置かれていたからなのか、二階建ての立派な建物になっています。
駅前にはタクシーが四台待機中。
路線バスは当駅前から分水、燕三条、弥彦の各方面に燕市循環バスが出ています。
ただし土休日は全便運休なのが残念なところ。
燕三条-吉田-粟生津分水の「スワロー」号は、鉄道で当駅乗り換えよりもずっと便利なんですけどね。

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吉田駅の北吉田駅側に設置されている東西連絡跨線橋上から俯瞰で見た吉田駅前の様子、2011年4月撮影。
駅舎や駅構内の規模の割に駅前広場が狭いのは、当駅の出自がローカル私鉄の停車場であった事の名残でしょうか。

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吉田駅駅舎内の様子、2011年4月撮影。
当時は東日本大震災発災から一ヶ月強で、節電が強く叫ばれている時期でした。
下の画像左側がキオスク及び待合室入り口です。
当時の待合室開放時間帯は午前4時50分から午後22時50分まで。

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待合室内とシャッターの下ろされたキオスク、2008年4月撮影。
当時のキオスクの営業時間は午前6時55分から午後6時35分までで、昼休みが一時間入っていました。
駅付近のコンビニには少々歩かねばならない為、当駅のキオスクには手近な買い物処として便利な存在だったのですけれど、2016年3月で閉鎖されてしまったとの事です。

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一番ホームに面した駅舎とその先の幅広な跨線橋出入り口、2011年4月撮影。

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一番線南吉田駅方から見た吉田駅構内の様子、2011年4月撮影。
越後線と弥彦線のジャンクションである当駅構内の日中は、常に電車がどこかに停まっています。
この時は一、二番線間の側線と五番線に115系電車を留置中。

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一番ホーム端から南吉田駅方を見る、2011年4月撮影。

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一番ホーム北吉田駅方から見た吉田駅構内、2011年4月撮影。
越後線用の一、二番ホームは有効長が大きく、弥彦線用の三~五番ホームの有効長が小さいのが当駅構内の一大特徴と言えます。
越後線が官鉄、弥彦線が私鉄ならこういうホーム配置もわかるのですけれど、両方共私鉄でしかも同じ会社だったのです。
しかも弥彦線開通の頃は、吉田町史によると弥彦線の一日運転本数が11往復に対して越後線は6往復。
両線の需要は現在とは逆だったのですよ。

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一番ホーム端から北吉田駅方を見る、2011年4月撮影。
この辺りは既に遊休化していて、ホームの白線も昔のままです。

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吉田駅跨線橋内の様子、2008年4月撮影。
幅広で方向別に指定された通路です。
朝ラッシュ時には行ったことがありませんが、四方からやって来る学生たちの乗下車乗り換えで混雑するのが目に浮かびますな。

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跨線橋上から南吉田、矢作駅方を見る、2004年6月撮影。
電車が三本停車中で見通し悪し。
画像のデータを見ると撮影は午後一時過ぎで、一番線の115系電車Y編成は一日一往復のみ新潟駅に乗り入れる便かもしれません。

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二、三番島式ホームの北吉田・西燕駅方から見た吉田駅構内、2011年4月撮影。
三番線のホームを伸ばせなかったのは分岐器の障害になるからでしょうね。

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三番ホーム端から西燕駅方を見る、2011年4月撮影。

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二、三番島式ホーム上屋部分の様子、2011年4月撮影。
上屋に造り付けの形で待合室があります。

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二、三番島式ホーム上の待合室内部、2011年4月撮影。
建築財産票が無い為、完成年月は残念ながら不明。
ホーム幅一杯に近い幅広の室内です。
おかげでユトリ有る過ごし易い空間になっていますけれど、そのしわ寄せで待合室横のホームは非常に狭く混雑時には通行の隘路にも。

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四、五番島式ホームの跨線橋出入り口、2011年4月撮影。
一~三番のそれに比べて半分ほどの幅です。

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四、五番島式ホーム端から西燕駅方を見る、2011年4月撮影。

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四番線矢作駅方から見た吉田駅構内、2011年4月撮影。
四番は弥彦方面乗り場です。

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四、五番島式ホーム上の待合室内部の様子、2011年4月撮影。
二、三番のそれと違って、こちらは純正ローカル線仕様。

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四、五番島式ホーム端から矢作駅方を見る、2011年4月撮影。

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北吉田、西燕駅方の踏切から見た吉田駅構内、2011年4月撮影。
三つの乗り場、横長の跨線橋、うねり集散する線路、常に停車留置されている電車。
ここから見る駅構内の眺めは中々に壮観なのであります。

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駅の東西を連絡する構外跨線橋上から見た吉田駅構内北側、2011年4月撮影。

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同じく吉田駅構内東側を見る、2011年4月撮影。

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構外跨線橋を渡って吉田駅東側に出ました、2011年4月撮影。
こちら側に駅出入り口は無く、燕市営駐車場になっています。
国道116号線や旧町役場はこちら側にあるのですけれど。
駅舎も築50年を超えてそろそろ改築を考える時期に差しかかっていると思いますが、その場合はこの駐車場の土地を活用して橋上駅舎化するのが理想的な形でしょうね。
しかし当駅の場合は構内が広い為に自由通路も長くせざるを得ません。
委託駅や無人駅の場合は建物は燕市、バリアフリー関連はJRが出資という形を取るのでしょうけれど、当駅は現在JRの直営駅なので負担率は変わるのが否か。
また建物地元負担の場合、色々見聞するに鉄道に対する意識が後ろ向きの感がある市が、そこまでおカネを出すのかどうか。

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一番線で待機中のE127系電車新潟行、2014年7月撮影。
越後線北部区間でその姿を見るのは稀なE127系電車ですが、2015年3月改正からは弥彦線で主力の座に就いています。

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一番線で待機中の115系電車新潟行と側線に留置中の115系電車、2011年4月撮影。

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全てのホームに115系電車が停車中という壮観な光景、2005年8月撮影。
こんな画は現在もう見れないでしょうな。

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四番線に進入する弥彦発の115系電車Y編成、2005年8月撮影。

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四番線で待機中の115系電車Y編成、2004年5月撮影。
この時点では五番のホーム案内板は無く、乗り場扱いされていませんでした。
正式に五番が付与されて僅かながら定期列車が発着するようになったのは翌年です。

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五番線に留置中の115系電車S編成、2011年4月撮影。

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吉田駅西側の旧町中心部の様子、2011年4月撮影。
かつては一帯の商業地域として活況を呈した街並みも、現在は燕三条界隈が県央地域の一大商業集積地になった事で寂れています・・・。
ご覧のようなどの店もシャッターを閉めています、もうお昼近くなんですけど。

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吉田駅から徒歩十分ほどの踏切至近の弥彦線・西川橋りょう、2011年4月撮影。
弥彦線の鉄路は前方の弥彦山に向かって延びていきます。

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2016年6月 5日 (日)

寺泊駅(越後線)

本日の駅紹介は、越後線・寺泊駅。

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新潟県長岡市に所在する有人駅で、JRの電化路線の中でも屈指の過疎区間と思われる越後線南部区間の中間駅に三駅ある有人駅のうちの一つが当駅です。
列車交換設備を有し、当線区の運転上の要衝の一つでもあります。
開業は大正2年(1913年)4月20日で、越後鉄道の停車場としてでした。
寺泊駅の当時の所在は三島郡大河津村でしたけれど、当地から3km程離れた海岸沿いの寺泊は古くからの港町、宿場町として栄え、鉄道開通当時はすでに「町」であり、大河津村とは自治体の格にかなりの差があったのです。
大河津村が「寺泊」のネームバリューにあやかりたかったのか、はたまた寺泊町が停車場名を自身の町名にしろと圧力をかけてきたのかは判然としませんけれど、結果的に大河津村に設けられた停車場の駅名は「寺泊」になったのです。
なお越後鉄道で駅の所在地と所在自治体が全く違う例は、他に荒浜駅や石地駅があります。
そんな自治体名と駅名の捩れた関係も、停車場開設の二年後には目出度く?解消します。
大正4年10月に当時の長岡鉄道が与板駅から当駅を経由して海岸沿いの寺泊町中心部まで到達すると、その終着駅には「寺泊」の名が冠されて、当駅は村名と同様の「大河津」に改称されたのです。
当時は両者共に私鉄でしたので、こういう対応も出来たのでしょうね。
越後鉄道が国有化された後にこういう事が起きると、両者の力関係の圧倒的な差から、長岡鉄道の駅は「寺泊」を名乗れなかったでしょう。
さてこうした経緯で改称を果たした大河津駅は、昭和32年に当駅周辺地域が寺泊町に編入されます。
昭和48年4月に越後交通長岡線(旧・長岡鉄道)の大河津-寺泊間が、二年後の昭和50年4月に残りの区間が廃止されると、大河津駅は寺泊駅の玄関駅の座に就きます。
こうなると駅名も大河津分水しか連想できないものよりも、自治体の玄関駅に相応しいものに変えた方が良いのは当然の流れでありまして、JR移行直前の昭和61年11月に駅名を71年ぶりに「寺泊」と再改称して、現在に至るのです。
なお、寺泊町は平成の大合併の大号令の下、平成18年(2006年)1月1日に長岡市に編入され、それまで海岸に接していなかった新潟県第二の都市である長岡市はその威勢をついに約24km北方の日本海沿岸にまで轟かすことになったのです。

JR東日本によると、2014年度の寺泊駅一日平均乗車人員は221人。
同社新潟県内有人67駅中58位です。
東隣の分水駅の半分以下で、直営駅の出雲崎駅よりやや多いレベル。
近年は当駅と同レベルの利用実態であった上越線・五日町駅と信越本線・塚山駅が相次いで無人化されており、これら諸駅と同様にみどりの窓口が無い当駅も、近いうちに無人化されてしまうのではなかろうかと、少々心配になる状況なのであります。

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寺泊駅駅舎の様子、2011年4月撮影。
建築財産票によると昭和37年12月の完成で、許容積雪量は150cm。
昭和30年代の国鉄標準形式の駅舎の横幅を大きく縮めたような建物です。
トイレは建物の左端で、当時は男女共用で朝顔三個と個室二つ。
私は当駅にはこの時の取材以来行っていませんが、近年の駅トイレのバリアフリー化リニューアルの流れで大きく様変わりしているかもしれまんな。
こんな田舎の駅にこんな立派なトイレが!と驚愕すること度々なのです。
駅前にはタクシーが二台待機中。
駅前バス停は寺泊-長岡線のモノで、海岸沿いの寺泊中心部と長岡駅間を一時間ほどで結んでいます。

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寺泊駅駅舎内の様子、2011年4月撮影。
この時点では仕切りの無い吹き抜けです。
開放感があり採光も良好で、居心地の良い空間です。

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一番ホーム桐原駅方から見た寺泊駅構内の様子、2011年4月撮影。
列車交換の無い場合、定期列車はこの一番線に出入りします。
その出自がローカル私鉄である証の千鳥形配置の構内は、現在の駅の利用実態に似つかわしくなく広大です。

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跨線橋周りの様子、2011年4月撮影。

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1番ホームと接する駅舎の様子、2011年4月撮影。

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ホーム端から分水駅方を望む、2011年4月撮影。

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寺泊駅跨線橋内の様子、2011年4月撮影。
越後交通長岡線の駅が存在していた頃は、国鉄駅の島式ホームの向こうにある長岡線のホームまで結ぶ長大な跨線橋があったそうです。
この跨線橋は見たところ国鉄時代後半のローカル駅仕様なので、長岡線廃止後に新設されたものなのかもしれません。

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跨線橋上から桐原駅方面を見る、2011年4月撮影。

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同じく分水駅方面を望む、2011年4月撮影。

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2番ホーム分水駅方から見た寺泊駅構内の様子、2011年4月撮影。
この二番線が定期運用される機会は、この時点では朝に集中して三回。
全て下り列車(吉田方面)です。

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ホーム端から分水駅方を見る、2011年4月撮影。
こういうローカルなシチュエーションの列車交換駅は、マニアとしてはたまらんモノがあります。

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寺泊駅の3番線と、線路一本を挟んでチラ見えしている越後交通長岡線の廃ホーム。
2011年4月撮影。
この3番線も定期列車の使用機会は少なく、この時点で一日三回。
朝と夕方と夜に各一回で、全て上り列車(柏崎方面)です。
当時と現在でダイヤに違いは無いので、現在もそれは同一と思われます。

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越後鉄道長岡線の大河津駅廃ホーム、2011年4月撮影。
冬枯れがまだ残るこの時期だからこその光景であります。
盛緑の季節になると緑に覆われて確認は困難になってしまうのです。

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ホーム端から桐原駅方面を見る、2011年4月撮影。

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寺泊駅島式ホーム上の待合室の様子、2011年4月撮影。
建築財産票によると昭和37年1月の完成です。
島式ホームに定期列車が入るのが一日六回と僅少であるからなのか、内部は綺麗です。

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寺泊駅1番線に停車中の、夕刻の吉田行。2005年5月撮影。
3番線に入る柏崎行との交換待ちです。

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寺泊駅1番線で折り返し待機中の115系電車、2004年6月撮影。
平日は通学用に出雲崎駅まで運行されていますが、土休日は当駅止まりになって、こうして約一時間半待機しているのです。
一番線のみが両方向にスルー運転できる当駅ならではの光景です。

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寺泊駅2番線に停車中の朝の吉田行115系電車、2004年6月撮影。

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寺泊駅3番線に到着した夕刻の柏崎行115系電車、2012年6月撮影。

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寺泊駅前通りの様子、2011年4月撮影。
何の変哲もない小集落の中に駅はあります。

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国道116号線と寺泊中心部を結ぶ寺泊駅至近の県道、2011年4月撮影。
画像左手が駅になります。
画像奥手が寺泊中心部方面。
当駅周辺で唯一の買い物処であるセーブオンの看板が見えます。

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分水駅方の踏切から見た寺泊駅構内の様子、2011年4月撮影。

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県道の分水方陸橋上から俯瞰で見た寺泊駅周辺の様子、2011年4月撮影。

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寺泊駅前バス停に進入する越後交通運行の長岡発寺泊行路線バス、2011年4月撮影。

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せっかくなので、バスに乗って海岸沿いの寺泊中心街に寄り道しました。
寺泊郵便局のあるここが「寺泊大町」バス停です。

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バスの車中から見た寺泊港、2011年4月撮影。
バスは高台から中心部へ下っていくので、俯瞰で海に面した町並みを見れるのです。

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寺泊港内の佐渡汽船フェリーターミナル、2011年4月撮影。
寺泊と佐渡の赤泊を結ぶフェリーはゴールデンウィークから運行を開始するので、その直前の4月下旬はこのようにひっそり。
フェリーが運行される季節ならば、間もなく赤泊からの便が到着する時間帯なのです。

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一時間ほど寺泊中心街をブラブラして、路線バスで寺泊駅まで戻ります。
2011年4月撮影。
中心街は観光客向けの施設は色々ありましたけれど、町の生活に密着するスーパーやコンビニは目にしませんでしたなぁ。

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2016年5月29日 (日)

分水駅(越後線)

本日の駅紹介は、越後線・分水駅。

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新潟県燕市に所在する有人駅で、過疎電化ローカル線である越後線南部区間の中間駅としては出雲崎駅と共に希少な、みどりの窓口設置駅でもあります。
越後線唯一の優等列車であった気動車急行「ひめかわ」の停車駅でもありました。
正式な開業は大正2年(1913年)4月20日で、開業当時の駅名は「地蔵堂」。
当時の所在は西蒲原郡地蔵堂町で、駅名は町名から取ったものです。
分水町史によると、当駅は当初、大河津分水工事の資材搬入拠点として使用する観点から、大河津分水に近い地点への設置が考えられていたそうです。
当駅から大河津分水路までは500m程、分水可動堰までは1.8kmですけれど、当初の停車場想定位置が単純に分水路の河畔だったのか、それとも大河津駅(現・寺泊駅)から南東方向に急カーブして現在の国道116号沿いに出て分水を渡った辺りだったのか、残念ながら定かではありません。
後者なら可動堰や洗堰にも近くて、資材搬入の利便性は高かったと思いますけれど。
ともあれ停車場の位置は、町の中心部への設置を望む町の働きかけで現在位置に決定しました。
しかし民家の立ち退きや駅周辺の道路整備(大河津分水の資材搬入基地として使用するのでこれは必須だったのでしょうね)に手間取った為に、やむなく駅から吉田方に約200mの、現在の良寛資料館付近に仮駅を設置したのです。
仮駅としての開業は、大正元年12月18日です。

さて地蔵堂町は戦後の昭和29年に周辺諸村と合併して、新自治体「分水町」として新たなスタートを切ります。
地蔵堂駅は分水町の玄関駅となりましたが、自治体名と駅名が違うのは少々考え物です。
越後線電化完成を翌年に控えた昭和58年4月に、駅名を現在の「分水」に改称して、ようやく町名と駅名の一致をみたのです。
本来ならもっと早い時期に改称すべきだったでしょうに、町に鉄道に対する熱意があまり無かったのか、国鉄のお役所体質で陳情を中々受理しなかったのか?
この辺の裏事情も興味を惹くところであります。
分水町はその後、平成の大合併で平成18年に近隣の吉田町と共に燕市と合併して、その西部地区となり現在に至ります。
JR東日本によると、分水駅の2014年度一日平均乗車人員は546人。
同社新潟県内有人67駅中51位で、飯山線・十日町駅よりもやや多いレベルにあり、越後線南部区間の過疎ダイヤを考えれば中々健闘していると言えそうです。
駅からはやや遠いのですが、高校があって通学客が相当数存在するのもその理由でしょう。

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分水駅駅舎の様子、上は2005年8月、下は2011年4月撮影。
建築財産票によると、2000年3月10日の完成で、許容積雪量は1.3m。
駅の利用実態に合った程よい大きさの、堅実な建物と申せましょうか。
この時点ではタクシーが一台待機中でした。
画像左側に停まっているバスは、折り返し待機中の越後交通運行長岡行です。
駅舎の壁面のレンガ状のデザインは、何を表現しているのだろうと疑問に思っていたところですが、コレは大河津分水をイメージしているのだそうです。
なるほど、我がイマジネーションの不足が恥ずかしい限りでございます(恥)。

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分水駅前広場の様子、2011年4月撮影。
当駅前のバス停からは、越後交通運行の長岡-分水線、東三条-寺泊車庫線が発着しています。
前者は長岡駅まで約一時間で、過疎ダイヤの越後線南部区間における駅巡りでは貴重な路線です。
長岡周辺と分水界隈の取材が比較的短時間で行えるのですから。
後者も東三条や燕三条と分水界隈、そして海岸沿いの寺泊中心街の取材に使えます。
また分水駅前からは燕市のコミニュテイバス「スワロー号」が平日に限り運行していて、分水-粟生津南吉田吉田燕三条の移動に使えます。

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分水駅駅舎内の様子、2011年4月撮影。
画像右側が待合室で、新しい建物として当然の空調付きです。
室内はJR東日本定番の三人掛けベンチが三脚。
この時点での待合室開放時間は、駅窓口営業時間と同一の朝7時から夕方5時半まで。
5年後の現在も同じようですね。

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寺泊駅方から見た分水駅ホーム全景、2005年8月撮影。
定期列車の発着は右側の駅舎に面したホームのみです。
越後線電化完成後の昭和60年3月改正ダイヤでは、当駅での列車交換は既に無くなっていました。

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寺泊駅方を望む、2011年4月撮影。
4月下旬の撮影で、桜の時期ももう終わりですね。

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粟生津駅方から見た分水駅ホーム全景、2005年8月撮影。
右側のホームへは地下道で連絡していますが、通常は通行禁止になっていて残念ながら見学することは出来ません。

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ホーム端から粟生津駅方を望む、2005年8月撮影。

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分水駅駅舎ホーム側の様子、2005年8月撮影。
トイレはこの改札内の他に、駅前広場横の公園に公衆トイレがあります。
至近にトイレを借りられる店が無いので、来訪者にとっては大いなる福音。

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分水駅を出発する115系電車の柏崎行、2011年4月撮影。
この電車ももうじき見納めですな。

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粟生津方の踏切から見た分水駅構内、2011年4月撮影。
画像中央に大河津分水に架かる鉄橋が見えます。

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分水駅から国道116号線に至る旧地蔵堂町中心街の様子、2011年4月撮影。
郷愁を誘うレトロな町並みですけれど、当地域も御他聞に漏れず商業集積は国道沿いに集中してしまっています。
再開発が行われず廃れる一方だからこそのレトロな町並みなわけで、ここでもうーむと考えてしまうのですな。

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分水駅から1kmほどで、国道116号線の大河津橋に到達、2011年4月撮影。
旧市街地と異なり、こちらはクルマがひっきりなし。

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大河津橋上から分水可動堰を望む、2011年4月撮影。
画像奥の緑色の建造物が当時現役だった旧可動堰、右手前で工事中なのが新可動堰です。
新可動堰はこの撮影から約七ヶ月後の2011年11月に供用開始しました。

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大河津橋上から見た越後線の鉄橋、2011年5月撮影。
強風でしばしば抑止がかかる為、その際のダイヤ調整の為に分水駅の列車交換設備を残しているそうです。
しかし強風が予測されれば運休のご時勢ですから、あの設備も使う機会はどれだけあるのやら。

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花も散った大河津分水沿いの桜並木、2011年4月撮影。

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旧可動堰に近づいてまいりました、2011年4月撮影。

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旧可動堰の先にある、信濃川大河津資料館に到着、2011年4月撮影。
入館無料で、この地域の洪水との戦い、治水の重要性を見学勉強できる場です。

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大河津分水の上流側を望む、2011年4月撮影。

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俯瞰で見た旧可動堰、2011年4月撮影。

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2016年5月 1日 (日)

小木ノ城駅(越後線)

本日の駅紹介は、越後線・小木ノ城駅。

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新潟県三島郡出雲崎町に所在する無人駅で、開業は昭和33年(1958年)6月25日。
開業当時の所在も出雲崎町で、同町の南端に位置しています。
ウィキペディアには地元の請願駅と記載されていましたが、出雲崎町史にはその辺の事に一切触れられていなかったのが残念。
それほどの人口集積地帯でもなく、出雲崎駅へ約2kmと近いこの小木地区にどういう経緯で駅設置の請願となったのか、非常に興味をそそられる話なのでありますけれど。

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小木ノ城駅前の様子、2011年6月撮影。
駅前道路の道幅は狭く、クルマでの送迎は少々厳しそう。
駐輪場は二ヶ所設置されています。

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駅前道路沿いの小木ノ城駅竣工記念碑、2011年6月撮影。
こういう立派な碑があるという事は、やはり地元主導の請願による駅設置だったのでしょうね。

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小木ノ城駅の待合室の様子、2004年5月撮影。
この駅には二回訪問していますが、これが初回訪問時の画です。
二回共、気が滅入るようなどんより曇天でしたっけ。

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小木ノ城駅待合室内部の様子、2011年6月撮影。
この待合室は駅開業当時からの建物です。
室内にはベンチも無く、待合室というよりは物置という風情です。
それなのに時計とゴミ箱はしっかりあるのがヘンなところ。
また、この時点では自動券売機、乗車証明発行機共に未設置でした。

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小木ノ城駅ホームの上屋部分の様子、2011年6月撮影。
画像右側がベンチの無い待合室の入り口です。
上屋下には真新しいベンチがしっかり設置されています。

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出雲崎駅方から見た小木ノ城駅ホームの様子、2011年6月撮影。
ホームをまたぐ陸橋は国道116号線です。
ホームの有効長は6両ですが、ホームは上屋部分以外は何も無いので、数字以上に長大な印象。
まぁこれは棒ホームの駅でしはしば感じられるところなのですが。

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国道下から出雲崎駅方を望む、2011年6月撮影。
2004年5月訪問時は昔のままだった駅名標も、七年後にはJR東日本定番のモノに。

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ホーム出雲崎方から見た小木ノ城駅の上屋部分とトイレの様子、2011年6月撮影。
手前の小屋がトイレです。
朝顔無しで壁に直接するタイプの小便用と、個室が一つ。
内部については、お察しください・・・。
近年は駅トイレの改築が進んで、磐越西線・新関駅のように劇的に改善されたトイレ事情にビックリ!な事もしはしばあるのですけれど、小木ノ城駅のトイレは現在どうなっていることやら。
この取材の後、越後線南部区間の礼拝-出雲崎間にはかれこれ5年も足を踏み入れていないので、車中からの観察もしていないのです。

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石地駅方から見た小木ノ城駅ホームの様子、2011年6月撮影。
越後線南部区間の駅としては南吉田駅と共に新参者の当駅は、他の諸駅に見られる国有化以前の私鉄時代の痕跡は当然の事ながら存在せず、純粋に国鉄の停留所の風情を今に留めているのが異色なところです。
ホーム直上の高規格の国道の陸橋は威圧感たっぷり。
越後線の細道とは対照的です。

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石地駅方を望む、2011年6月撮影。
越後線はここから線区で最も鄙びた地域に分け入ってまいります。

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小木ノ城駅を出発する115系電車の柏崎行、2011年6月撮影。
越後線南部区間にも新鋭E129系が入っているそうで、115系電車ももう見納めですな。
しかしこの鄙びた昔懐かしい風景にあのオサレな電車は似合わない、つか走っている様子を想像することが出来ないw

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石地駅方の踏切から見た小木ノ城駅全景、2011年6月撮影。

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国道116号線に出るには、踏切を渡りこの階段を上ります、2011年6月撮影。

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階段を上がって国道116号線に出ます、2011年6月撮影。
ここにはご覧のようにセブンイレブンがあって、鉄道、クルマを問わず来訪者にとって実に心強い限り。
越後線南部区間の諸駅近くに24時間営業のコンビニがあるのは、小木ノ城駅の他には粟生津駅と出雲崎駅、西山駅ぐらいです。
ここは大型車の駐車も多く、客単価は高そう。
街場のコンビニ飽和気味なところよりは、こういう場所の方が長続きしそうですな。
なお、当駅の駅名の由来でもある「小木ノ城址」はここから左手に約4kmです。
他サイト、ブログ様の訪問記を見ると、戦国時代の山城跡もそこそこの整備も行われていて、その種の趣味の方は一見の価値があろうかと思います。
私も戦国時代の山城跡は信越本線・北条駅最寄の北条城址や安田駅最寄の安田城址、えちごトキめき鉄道・春日山駅最寄の春日山城址などに行きましたけれど、山城に関する知識が無いので、実見してもなかなかピンとこないのが困ったところなのです。

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国道116号の陸橋から俯瞰で見た小木ノ城駅とその周辺の様子、2011年6月撮影。
俯瞰マニアにとってはなかなかに魅惑的なところです。

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同じく陸橋上から出雲崎駅方面を望む、2011年6月撮影。
国道の築堤もこの先徐々に高度を下げて、線路とフラットになります。

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国道116号線を出雲崎駅に向って歩きながら一枚、2011年6月撮影。
行きかうクルマは多く、越後線の本数は少なく、歩道を行くのは私一人。
なお、この区間には路線バスの設定はありません。
1997年の道路地図を見ても、出雲崎駅-礼拝駅間にバス路線はありません。
相当以前よりバス空白地帯なのがこの一帯なのです。
この日は出雲崎駅からバスで海岸沿いの出雲崎中心街へ行くスケジュールでした。

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2016年2月14日 (日)

南吉田駅(越後線)

今回の駅紹介は越後線・南吉田駅。

南吉田駅の駅名票

新潟県燕市に所在する無人駅で、開業は昭和40年(1965年)6月10日。
開業当時の所在は西蒲原郡吉田町で、同町は平成の大合併により平成18年(2006年)3月に近隣の燕市や分水町と合併して新たな燕市となり今日に至ります。

吉田町史によると南吉田駅の開業には周辺の宅地開発が深く関わっていて、現在当駅周辺に立ち並ぶ街並みは駅開業と前後して造成されたもののようです。
また当初は駅名として当地の地名「西太田」を予定していて、「南吉田」は仮称とされていたのですけれど、結局仮称がそのまま実際の駅名になりました。

当駅周辺はまだまだ開発の余地が残っていて、南吉田駅から南に約1kmのところに新たな燕市の新庁舎が2013年に竣工しております。
人口約8万人を擁し、三条市と並ぶ県央地域の雄たる燕市の役所最寄駅という称号を得た?南吉田駅ですが、実際に当駅を利用して役所に用足しに行く人はまずいないのではないかと思います。
「燕市総合計画平成20年度~27年度」によると、鉄道に対する燕市民の満足度は非常に低い(アンケートで満足しているという回答は僅か3%強に過ぎず、ほぼ満足を加えても二割に満たない)ので、越後線で役所にアクセスという発想は無いかもしれません。
市民の鉄道に対する満足度が低い最大の要因として考えられるのは、運行本数が少ないことのようですけれど、特に越後線南部区間(吉田-柏崎間)は利用が少ないから本数が少ないのかはたまた本数が少ないから利用が少ないのか、部外者には判断しかねるとこ
ろなのです。
閑話休題、事実として役所の窓口業務時間内の南吉田駅には、下り3本、上り2本しか発着せず不便過ぎます。
車以外の選択肢には燕市循環バス「スワロー号」があり、こちらは平日のみの運行で一日五往復。→スワロー号ダイヤはこちらへ
バスも本数は少ないものの、日中約二時間毎に運行していて且つ燕市内の主要地区である分水、吉田、燕三条を直結しているので、鉄道とバスのどちらが選択されるかは自明の理なのであります。

南吉田駅駅舎
南吉田駅駅舎の様子、2011年4月撮影。
建築財産票によると完成は駅開業と同じ昭和40年6月で、許容積雪量は100cm。
画像左の小さな建物はトイレです。
男女別で一応水洗ですが、内部の様子はご察しください...
取材から五年経つ現在、トイレはどうなっているのやら。
近年は無人駅のトイレが見違えるようなモノに改装されてビックリ!という例がちらほら有りますが...。
越後線ですと私が確認した限りでは妙法寺駅がそうでした。

駅舎内部の様子その一
駅舎内部の様子その二
南吉田駅駅舎内部の様子、2011年4月撮影。
純粋に待合室としての機能のみです。

ホーム吉田方から見た南吉田駅全景
ホームの吉田駅方から見た南吉田駅全景、2011年4月撮影。
住宅街を線路が貫通しているが如き様相ですが、宅地化が本格化したのは駅開業前後の話なのは前述した通り。
最初に駅ありきの形で宅地開発が進められたのでしょうに、現在は学生以外省みることのなさそうな立ち位置になってしまっています。

ホーム先端部から吉田方面を望む
ホーム端から吉田方面を望む、2011年4月撮影。
ここから吉田駅までは越後線で2km。
この日、私は吉田駅からここまで歩いてきましたが、デジカメのデータによれば所要時間は25分。

ホーム中央部と待合室周り
南吉田駅ホーム中央部と待合室周りの様子、2011年4月撮影。

ホーム粟生津方から見た南吉田駅全景
粟生津駅方から見た南吉田駅全景、2011年4月撮影。
ホームの有効長は6両です。

ホーム先端部から粟生津方を望む
ホーム端から粟生津駅方を望む、2011年4月撮影。

南吉田駅に停車中の115系電車
南吉田駅に停車中の115系電車、2004年9月撮影。

駅前ロータリーと盛りを過ぎた桜の木
南吉田駅前ロータリーと盛りを過ぎた桜の木、2011年4月撮影。
小さいながらロータリーを昔から有する駅は僅少で、地味過ぎるほど地味で顧みられることのない南吉田駅の最大の特徴と言えましょうか。

吉田方の踏切から見た南吉田駅
吉田方の踏切から見た南吉田駅、2011年4月撮影。
周辺の住宅密度の高さがよくわかります。
ここから見た駅の風情は大都市圏の大手私鉄のローカル線の駅のようです。
利用実態もそれに見合っていれば良いのですけれど、残念ながら実態はJR東日本電化路線中、最閑散区間の小駅なのです。

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