カテゴリー「鉄道」の記事

2018年7月 1日 (日)

昭和55年10月改正ダイヤにおける加茂駅時刻表

先週、加茂駅の記事のリニューアルを行ったので、それに関連して昭和55年10月改正ダイヤの加茂駅時刻表を掲載しておきます。
後には昼行特急列車が全て停車するようになった加茂駅ですが、当時は特急の大半は通過、昼行急行も気動車の「赤倉」と「しらゆき」、客車の「きたぐに」は通過しています。
気動車や電気機関車牽引列車の加減速性能では、当駅と見附駅(「きたぐに」は停車します)を通過しないと新潟-長岡間のダイヤを電車急行と同レベルに出来ないからと思われます。
新潟-長岡間の気動車急行で唯一当駅に停車する「うおの」は、特急に準ずる中長距離旅客用の「赤倉」「しらゆき」と異なって、純然たる新潟ローカル便であるからなのでしょう。
新潟-長岡間における「赤倉」「しらゆき」と「うおの」の所要時間差は3分ほどでしかないのですが、中長距離運転において距離約60kmで3分の差は結構大きいのです。
電車急行と停車駅が同一だと、240kmなら12分差ということになりますから。

また当駅の場合は大半の特急と全ての急行が停車する大駅の東三条まで僅か7.6kmしか離れておらず、「赤倉」「しらゆき」の停車駅選定ではその辺も大きな問題とされたのではと考えられます。
しかし当駅に急行列車に対する大きな需要があれば速度的に不利であっても停車するはずで、当時のこの駅にはあえて中長距離旅客用の気動車急行や昼行客車急行を停めるメリットも無かったのでしょう。
ただ「きたぐに」に関しては、寝台特急「つるぎ」停車のバーターのようにも思え、当駅停車の「つるぎ」は見附駅通過、当駅通過の「きたぐに」は見附駅停車になっています。

なお、当時の旅客列車は現在よりはるかに長編成だったのは皆様よくご存知の通りでありまして、加茂駅に停車する優等列車の編成長は下記の通りです。

電車特急「とき」「雷鳥」「北越」、電車急行「佐渡」・・・12両編成
客車寝台特急「つるぎ」・・・11両編成+電源車
寝台急行「天の川」・・・10両編成+電源車+郵便車
客車急行「鳥海」・・・10両編成+荷物車2両+郵便車
電車急行「とがくし」・・・7両編成
気動車急行・・・下り3両編成、上り5両編成

2018年現在、当駅に停車する電車特急「しらゆき」は僅か4両編成で普通列車の最大編成長(6両)よりも短く、昔とはまさに隔世の感なのです。

加茂駅時刻表 昭和55年10月改正ダイヤより作成
      赤は特急列車、緑は急行列車
下り
列車名 始発 発車時刻 終着
急行 鳥海 上野 02:24 秋田
急行 天の川 上野 04:33 秋田 寝台専用列車
急行 佐渡7号 上野 04:42 新潟
421M 長岡 05:53 新潟
特急 つるぎ 大阪 06:17 新潟 寝台専用列車
423M 長岡 06:54 新潟
425M 長岡 07:39 新潟
429M 越後湯沢 08:32 新潟
431M 六日町 08:54 新潟 六日町-長岡間休日運休
433M 水上 09:11 新潟 長岡-新潟間快速列車
急行 とがくし1号 上田 10:01 新潟 上田-長野間普通列車
467M 小出 10:17 新潟 小出-長岡間休日運休
急行 うおの 十日町 10:43 新潟 十日町-越後川口間普通列車
特急 北越 金沢 11:21 新潟
437M 高崎 11:29 新潟
急行 佐渡1号 上野 12:05 新潟
特急 とき7号 上野 13:32 新潟
439M 長岡 13:51 新潟
441M 直江津 14:45 新潟
443M 高崎 15:49 新潟
445M 長岡 16:51 新潟
447M 長岡 17:26 新潟
急行 佐渡3号 上野 18:02 新潟
1339M 直江津 18:22 新潟
特急 雷鳥13号 大阪 18:27 新潟
急行 とがくし3号 上田 19:19 新潟 上田-長野間普通列車
特急 とき21号 上野 19:35 新潟
451M 直江津 19:41 新潟
453M 二本木 20:29 新潟
1323 直江津 21:45 新潟
急行 佐渡5号 上野 22:53 新潟
455M 長岡 23:50 新潟
上り
列車名 始発 発車時刻 終着 備考
急行 天の川 秋田 00:07 上野 寝台専用列車
1328M 新潟 06:22 直江津
1322 新潟 06:50 直江津
急行 佐渡2号 新潟 07:25 上野
420M 新潟 07:38 長岡
422M 新潟 08:32 高崎
特急 とき8号 新潟 09:14 上野
424M 新潟 09:32 越後湯沢
特急 雷鳥16号 新潟 09:57 大阪
426M 新潟 10:59 長岡
急行 とがくし2号 新潟 11:23 上田
428M 新潟 11:58 直江津
8430M 新潟 12:32 高崎 新潟-長岡間は土休日運転
432M 新潟 13:37 長岡
急行 佐渡4号 新潟 13:49 上野
434M 新発田 14:33 長岡
特急 とき20号 新潟 15:13 上野
436M 新潟 15:50 新井
438M 新潟 16:22 長岡
急行 佐渡6号 新潟 16:45 上野
特急 北越 新潟 16:57 金沢
440M 新潟 17:18 越後湯沢 新潟-長岡間快速列車
442M 新潟 17:42 柏崎
444M 村上 18:06 長岡
446M 新潟 18:40 長岡
448M 新潟 19:22 柏崎
急行 うおの 新潟 19:37 十日町 越後川口-十日町間普通列車
急行 とがくし4号 新潟 19:58 上田 長野-上田間普通列車
450M 新潟 20:39 長岡
452M 新潟 21:40 長岡
456M 新発田 22:48 長岡
特急 つるぎ 新潟 22:58 大阪 寝台専用列車
急行 佐渡8号 新潟 23:31 上野

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2018年6月24日 (日)

駅記事更新についてのお知らせ(岩船町、中浦、月岡、越後下関、加茂各駅)

駅記事更新についてのお知らせです。

本日、羽越本線の岩船町駅中浦駅月岡駅、米坂線の越後下関駅、信越本線の加茂駅について画像入れ替えと加筆修正を実施しました。

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2018年6月 9日 (土)

越後金丸駅と改築中の中条駅に追加記述しました

駅記事更新についてのお知らせです。

列車交換設備と跨線橋撤去後の越後金丸駅構内その2
列車交換設備と跨線橋撤去後の越後金丸駅構内その4
列車交換設備と跨線橋撤去後の越後金丸駅構内その6
棒線化された越後金丸駅に停車中のキハ110系気動車米沢行
越後金丸駅について、列車交換設備と跨線橋撤去後の駅の様子を追加しました。

ほぼ完成した中条駅の新たな橋上駅舎とその手前の仮駅舎
改築工事のほほ終了した中条駅構内その1
中条駅に停車中のE653系電車特急「いなほ」その2
改築中の中条駅について、橋上駅舎改築工事が概ね終了した駅の様子を追加しました。

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2017年12月 5日 (火)

昭和55年10月改正ダイヤの東三条駅時刻表

東三条駅の記事の改訂版をアップしたのを機会に、昭和55年10月改正ダイヤ時の東三条駅時刻表を紹介します。

平成29年3月改正ダイヤと比較すると、信越本線の普通・快速列車は昭和55年が上下38本に対して平成29年は55本(有料快速2本を含む)。
現在の方が本数は四割強多いのですが、列車編成は現在4~6両なのに対して昔は6~8両なので、所要の車両数はヘタをすると現在の方が少ないかもしれません。
優等列車については、昭和55年当時は上下58本に対して現在は上下8本。
これについては昔と今では輸送形態が全く異なる(上越新幹線の開業等)ので、単純な比較は出来ません。
まぁしかし、昼行の優等列車が普通列車よりも多かった昭和55年当時、東三条-新潟、長岡間の短距離移動にも已む無く優等列車を使う客は多かったのだろうと推察されるところ。
なお当時の新潟界隈の普通列車には基本的に冷房が入っていなかったので、優等列車を特に夏季利用の際は、その点も考慮されたかもしれません。
特に急行列車の場合は、急行料金を冷房料と割り切ってしまうとか。
ただし昼行の急行列車でも自由席に冷房が入っているのは、165系電車の「佐渡」「とがくし」で、気動車急行の「しらゆき」「赤倉」はグリーン車と指定席車しか冷房が入っていません(「うおの」は全席自由席)ので要注意。

新潟-長岡間の場合は、昭和53年9月に北陸道の高速バスが運行を開始した後はそちらに相当転移してしまって、国鉄当局が慌てて往復割引きっぷの「Sきっぷ」を売り出して対抗していましたけれど、三条界隈の場合は三条燕BSと旧市街地にやや距離があるので、高速バスが走り始めたからすぐそちらを利用というわけにもいかなかったでしょうね。
現在は上越新幹線と高速バスの新潟-長岡線に加えて東三条-新潟線も運行されているので、本数の少ない特急「しらゆき」をわざわざ選んで新潟と行き来する人はごく少数なのではないかと。
実際、新潟発の「しらゆき」に乗車して観察したところでは、加茂や見附で降りる人はいても東三条でという人はあまり見ませんしね。

さて弥彦線に目を移しますと、昭和55年10月改正時はまだ非電化で後に廃止される東三条-越後長沢間も健在。
この時点での東三条-吉田間の運転本数は上下30本。
平成29年3月改正では上下28本で、37年前よりもむしろ少なくなっています。
JR東日本によると、弥彦線・東三条-吉田間の一日平均通過人員(輸送密度)は民営化当時(1987年)の6,556人から2014年の3,233人と27年で半減してしまっています。
かつての特定地方交通線の選定基準が輸送密度一日平均4,000人以下ですから、平日の朝夕は学生で、土休日は燕三条界隈に遊びに行く若者たちで賑わう弥彦線の実態は、昔なら廃止対象にされかねないレベルにまで落ちてしまっているのです。

東三条駅時刻表
      昭和55年10月改正ダイヤより作成
信越本線下り 赤字は特急、緑字は急行
列車名 始発 発車時刻 終着 備考
急行 鳥海 上野  02:12 秋田
急行 天の川 上野  04:24 秋田 寝台専用列車
急行 佐渡7号 上野  04:34 新潟
421M 長岡  05:44 新潟
特急 つるぎ 大阪  06:09 新潟 寝台専用列車
423M 長岡  06:44 新潟
425M 長岡  07:30 新潟
急行 きたぐに 大阪  08:06 青森
429M 越後湯沢  08:23 新潟
431M 六日町  08:45 新潟 六日町-長岡間休日運休
433M 水上  09:03 新潟 長岡-新潟間快速列車
急行 とがくし1号 上田  09:54 新潟 上田-長野間普通列車
467M 小出  10:09 新潟 小出-長岡間休日運休
特急 とき1号 上野  10:30 新潟
急行 うおの 十日町  10:34 新潟 十日町-越後川口間普通列車
特急 北越 金沢  11:14 新潟
437M 高崎  11:20 新潟
特急 とき3号 上野  11:29 新潟
急行 佐渡1号 上野  11:57 新潟
特急 とき5号 上野  12:28 新潟
439M 長岡  13:43 新潟
急行 しらゆき 金沢  13:51 青森
特急 雷鳥3号 大阪  14:20 新潟
特急 とき9号 上野  14:29 新潟
441M 直江津  14:33 新潟
特急 とき11号 上野  15:28 新潟
特急 とき13号 上野  16:28 新潟
445M 長岡  16:42 新潟
特急 白鳥 大阪  16:54 青森
447M 長岡  17:17 新潟
特急 とき17号 上野  17:28 新潟
急行 赤倉 名古屋  17:40 新潟
急行 佐渡3号 上野  17:55 新潟
1339M 直江津  18:02 新潟
449M 長岡  18:14 新潟
特急 雷鳥13号 大阪  18:19 新潟
特急 とき19号 上野  18:28 新潟
急行 とがくし3号 長野  19:12 新潟
451M 直江津  19:31 新潟
453M 二本木  20:21 新潟
特急 とき23号 上野  20:28 新潟
特急 雷鳥21号 大阪  21:21 新潟
1323 直江津  21:34 新潟
特急 とき25号 上野  21:57 新潟
急行 佐渡5号 上野  22:45 新潟
特急 とき27号 上野  22;59 新潟
455M 長岡  23:21 新潟
信越本線上り 赤字は特急、緑字は急行
列車名 始発 発車時刻 終着 備考
急行 天の川 秋田  00:07 上野 寝台専用列車
急行 鳥海 秋田  01:07 上野
1328M 新潟  06:30 直江津
特急 とき2号 新潟  06:48 上野
1322 新潟  07:07 直江津
急行 佐渡2号 新潟  07:33 上野
420M 新潟  07:48 長岡
特急 雷鳥12号 新潟  08:02 大阪
特急 とき6号 新潟  08:19 上野
422M 新潟  08:41 高崎
特急 とき8号 新潟  09:20 上野
424M 新潟  09:41 越後湯沢
急行 赤倉 新潟  09:51 名古屋
特急 雷鳥16号 新潟  10:04 大阪
特急 とき10号 新潟  10:19 上野
426M 新潟  11:07 長岡
特急 とき12号 新潟  11:19 上野
急行 とがくし2号 新潟  11:30 上田
特急 白鳥 青森  11:46 大阪
428M 新潟  12:06 直江津
特急 とき14号 新潟  12:20 上野
6430M 新潟  12:40 高崎 新潟-長岡間土休日運転
432M 新潟  13:47 長岡
急行 佐渡4号 新潟  13:56 上野
特急 雷鳥28号 新潟  14:03 大阪
特急 とき18号 新潟  14:18 上野
434M 新発田  14:41 長岡
急行 しらゆき 青森  15:05 金沢
特急 とき20号 新潟  15:19 上野
436M 新潟  15:59 新井
特急 とき22号 新潟  16:19 上野
438M 新潟  16:36 長岡
急行 佐渡6号 新潟  16:52 上野
特急 北越 新潟  17:04 金沢
440M 新潟  17:25 越後湯沢 新潟-長岡間快速列車
442M 新潟  17:59 柏崎
444M 村上  18:14 長岡
特急 とき26号 新潟  18:18 上野
446M 新潟  18:50 長岡
特急 とき28号 新潟  19:19 上野
448M 新潟  19:31 柏崎
急行 うおの 新潟  19:45 十日町 越後川口-十日町間普通列車
急行 とがくし4号 新潟  20:05 上田 長野-上田間普通列車
450M 新潟  20:48 直江津
452M 新潟  21:56 長岡
急行 きたぐに 青森  22:06 大阪
456M 新発田  22:57 長岡
特急 つるぎ 新潟  23:07 大阪 寝台専用列車
急行 佐渡8号 新潟  23:39 上野
弥彦線下り ()内は到着時刻
列車名 始発 発車時刻 終着 備考
221D 吉田  06:01 越後長沢
223D 弥彦  07:12 越後長沢
225D 新潟 (07:24) 当駅止
227D 弥彦 (08:16) 当駅止
231D 吉田 (09:16) 当駅止
235D 弥彦 (11:16) 当駅止
237D 吉田 (12:11) 当駅止
239D 弥彦 (13:40) 当駅止
6239D 当駅始発  13:46 越後長沢 土曜運転
241D 吉田 (15:47) 当駅止
243D 弥彦 (16:32) 当駅止
247D 当駅始発  17:11 越後長沢
249D 吉田 (17:50) 当駅止
253D 当駅始発  18:06 越後長沢
255D 吉田 (18:57) 当駅止
257D 弥彦  19:55 越後長沢
259D 弥彦 (20:32) 当駅止
263D 吉田 (21:52) 当駅止
弥彦線上り ()内は到着時刻
列車名 始発 発車時刻 終着 備考
224D 当駅始発  06:11 弥彦 吉田-弥彦間休日運休
226D 越後長沢  06:47 弥彦
228D 当駅始発  07:12 吉田
230D 越後長沢  07:52 吉田
232D 当駅始発  08:30 弥彦
234D 当駅始発  09:58 吉田
238D 当駅始発  11:23 吉田
242D 当駅始発  12:55 吉田
6244D 越後長沢 (14:16) 当駅止 土曜運転
244D 当駅始発  15:02 弥彦
248D 当駅始発  17:02 吉田
252D 越後長沢 (17:43) 当駅止
254D 当駅始発  18:05 吉田
256D 越後長沢 (18:36) 当駅止
260D 当駅始発  19:05 弥彦
262D 越後長沢  20:35 弥彦
264D 当駅始発  21:05 吉田
266D 当駅始発  22:01 弥彦

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2017年11月 5日 (日)

本日で全駅紹介を終了しました

今回の更新「新潟駅その二」を持ちまして、新潟県内の鉄道駅196駅(季節営業のガーラ湯沢駅は除く)の紹介を一応終了しました。
この試みを始めたのは2006年2月で、11年と九ヶ月かかっての到達です。
途中で続けることに飽きてしまって放置していた数年間があったりして、ここまで時間がかかってしまいました(反省)。
まぁそれでも一応の完走を見て、万事堪え性が無い私にしてはよくやったものよと感慨に耐えないところなのであります。
これも飽きずに見に来てくれた方々の存在あればこそで、改めて感謝申し上げます、真にありがとうございました。

今後の駅記事については、過去エントリーの書き直しや改築駅舎の随時公開中心になるかと存じます。
更新頻度は今までより低下するかと思いますが、今後ともご贔屓の程、宜しくお願い致します。

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2017年9月18日 (月)

昭和55年10月改正ダイヤにおける新津駅優等列車時刻表

新津駅記事に関連して、新潟県内において在来線優等列車絶頂期であった昭和55年10月改正ダイヤにおける、新津駅発着優等列車時刻表を作成してみました。

新津駅優等列車時刻表 
昭和55年10月改正ダイヤから作成、列車編成は鉄道ジャーナル社刊「国鉄の花形列車1981」から抜粋
赤字は特急列車、緑字は急行列車、青字は寝台専用列車です
下り
列車名 始発 発車時刻 終着
特急 日本海
1号
大阪 01:15 青森 24系25形客車11両編成(ハネのみ)+電源車
急行 鳥海 上野 02:50 秋田 旧型客車及び10系寝台車10両編成( ロネ1、ハネ2、ロザ1、ハザ自6)+荷物車3両
特急 日本海
3号
大阪 04:26 青森 24系客車11両編成(ハネのみ)+電源車
急行 天の川 上野 04:53 秋田 20系客車10両編成(ロネ2、ハネ8)+電源車+郵便車
急行 佐渡7号 上野 05:00 新潟 165系電車12両編成(ロザ2、ハザ指3、ハザ自7)
特急 つるぎ 大阪 06:33 新潟 24系25形客車11両編成(ハネのみ)+電源車
急行 きたぐに 大阪 08:38 青森 12系客車及び10系寝台車11両編成(ロネ1、ハネ4、ハザ自7)+郵便車+荷物車
急行 とがくし
1号
上田 10:16 新潟 165系電車7両編成(ハザ指1、ハザ自6)、上田-長野間普通列車
特急 とき1号 上野 10:50 新潟 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 うおの 十日町 11:00 新潟 キハ58系気動車3両編成(ハザ自のみ) 十日町-越後川口間普通列車
特急 いなほ
1号
上野 11:14 秋田 485系電車12両編成(ロザ1、ハザ指7、ハザ自3、シ1)
特急 北越 金沢 11:35 新潟 485系電車12両編成(ロザ2、ハザ指6、ハザ自3、シ1)
急行 佐渡1号 上野 12:21 新潟 165系電車12両編成(ロザ2、ハザ指3、ハザ自7)
急行 あがの
2号
仙台 12:53 新潟 キハ58系気動車6両編成(ハザ指1、ハザ自5) 新津-新潟間普通列車
特急 とき7号 上野 13:47 新潟 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 しらゆき 金沢 14:13 青森 キハ58系気動車9両編成(ロザ1、ハザ指1、ハザ自7)
特急 雷鳥3号 大阪 14:41 新潟 485系電車12両編成(ロザ2、ハザ指6、ハザ自3、シ1)
特急 いなほ
3号
上野 15:13 青森 485系電車12両編成(ロザ1、ハザ指7、ハザ自3、シ1)
特急 とき11号 上野 15:48 新潟 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 いいで 上野 16:11 新潟 キハ58系気動車4両編成(ロザ1、ハザ自3)、磐越西線経由
特急 とき15号 上野 17:22 新潟 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 赤倉 名古屋 18:03 新潟 キハ58系気動車10両編成(ロザ2、ハザ指2、ハザ自6)
急行 佐渡3号 上野 18:18 新潟 165系電車12両編成(ロザ2、ハザ指3、ハザ自7)
特急 雷鳥13号 大阪 18:41 新潟 485系電車12両編成(ロザ2、ハザ指6、ハザ自3、シ1)
特急 とき19号 上野 18:49 新潟 181系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 あがの4号 仙台 18:52 新潟 キハ58系気動車8両編成(ロザ1、ハザ自7)
特急 いなほ
5号
上野 19:14 秋田 485系電車12両編成(ロザ1、ハザ指7、ハザ自3、シ1)
急行 とがくし
3号
上田 19:35 新潟 165系電車7両編成(ハザ指1、ハザ自6)
特急 とき23号 上野 20:48 新潟 181系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
特急 雷鳥21号 大阪 21:41 新潟 485系電車12両編成(ロザ2、ハザ指6、ハザ自3、シ1)
特急 とき25号 上野 22:18 新潟 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 佐渡5号 上野 23:09 新潟 165系電車12両編成(ロザ2、ハザ指3、ハザ自7)
特急 とき27号 上野 23:18 新潟 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
上り
列車名 始発 発車時刻 終着
急行 鳥海 秋田 00:40 上野 旧型客車及び10系寝台車10両編成( ロネ1、ハネ2、ロザ1、ハザ6)+荷物車3両
特急 日本海4号 青森 02:45 大阪 24系25形客車11両編成(ハネのみ)+電源車
特急 とき4号 新潟 07:00 上野 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 佐渡2号 新潟 07:10 上野 165系電車12両編成(ロザ2、ハザ指3、ハザ自7)
特急 雷鳥12号 新潟 07:43 大阪 485系電車12両編成(ロザ2、ハザ指6、ハザ自3、シ1)
特急 とき6号 新潟 08:00 上野 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 あがの1号 新潟 08:36 仙台 キハ58系気動車8両編成(ロザ1、ハザ自7)、福島-仙台間普通列車
特急 とき8号 新潟 09:00 上野 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 赤倉 新潟 09:29 名古屋 キハ58系気動車10両編成(ロザ2、ハザ指2、ハザ自6)
特急 雷鳥16号 新潟 09:43 大阪 485系電車12両編成(ロザ2、ハザ指6、ハザ自3、シ1)
特急 いなほ2号 秋田 10:32 上野 485系電車12両編成(ロザ1、ハザ指7、ハザ自3、シ1)
特急 とき12号 新潟 11:00 上野 181系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 とがくし2号 新潟 11:08 上田 165系電車7両編成(ハザ指1、ハザ自6)
急行 いいで 新潟 12:15 上野 キハ58系気動車4両編成(ロザ1、ハザ自3)、磐越西線経由
特急 とき16号 新潟 13:00 上野 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
特急 佐渡4号 新潟 13:34 上野 165系電車12両編成(ロザ2、ハザ指3、ハザ自7)
特急 雷鳥28号 新潟 13:43 大阪 485系電車12両編成(ロザ2、ハザ指6、ハザ自3、シ1)
特急 いなほ4号 青森 14:33 上野 485系電車12両編成(ロザ1、ハザ指7、ハザ自3、シ1)
急行 しらゆき 青森 14:43 金沢 キハ58系気動車9両編成(ロザ1、ハザ指1、ハザ自7)
急行 あがの3号 新潟 16:26 仙台 キハ58系気動車6両編成(ハザ指1、ハザ自5)、福島-仙台間普通列車
急行 佐渡6号 新潟 16:31 上野 165系電車12両編成(ロザ2、ハザ指3、ハザ自7)
特急 北越 新潟 16:42 金沢 485系電車12両編成(ロザ2、ハザ指6、ハザ自3、シ1)
特急 とき24号 新潟 17:00 上野 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
特急 いなほ6号 秋田 17:40 上野 485系電車12両編成(ロザ1、ハザ指7、ハザ自3、シ1)
特急 とき28号 新潟 19:00 上野 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 うおの 新潟 19:22 十日町 キハ58系気動車5両編成(ハザ自のみ) 越後川口-十日町間普通列車
急行 とがくし4号 新潟 19:44 上田 165系電車7両編成(ハザ指1、ハザ自6)、長野-上田間普通列車
急行 きたぐに 青森 21:40 大阪 12系客車及び10系寝台車11両編成(ロネ1、ハネ4、ハザ指1、ハザ自6)+郵便車
特急 つるぎ 新潟 22:41 大阪 24系25形客車11両編成(ハネのみ)+電源車
急行 佐渡8号 新潟 23:16 上野 165系電車12両編成(ロザ2、ハザ指3、ハザ自7)
特急 日本海2号 青森 23:46 大阪 24系客車11両編成(ハネのみ)+電源車
急行 天の川 秋田 23:50 上野 20系客車10両編成(ロネ2、ハネ8)+電源車+郵便車

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2017年9月10日 (日)

蒲原鉄道廃線跡と村松

磐越西線・五泉駅を紹介しておいて見逃してはおられないのが、かつて五泉駅から村松そして加茂駅まで延びていた蒲原鉄道の廃線跡です。
そこで今回は、五泉駅記事の補完という形で、蒲原鉄道の村松駅、そしてその界隈を点描してみます。

今泉駅跡近くの「今泉」バス停
五泉と村松を結ぶ県道新津村松線上の「今泉」バス停、2003年11月撮影。
この至近に蒲原鉄道・五泉-村松間唯一の中間駅である今泉駅がありました。

今泉駅付近の蒲原鉄道廃線跡
今泉からさらに村松に歩みを進める、2003年11月撮影。
この時点で蒲原鉄道廃止から約4年経過しています。
線路は外されて、路盤はこのように雑草に覆い尽くされています。
半年先行して廃止された新潟交通電車線では線路も架線柱も駅舎さえも残存して、現役時代さながらの姿を保っていたのとは対照的。

静態保存されていた蒲原鉄道の電車その1
村松の中心街に入る手前で静態保存されていた蒲原鉄道の電車、2003年11月撮影。
町や蒲原鉄道ではなく、有志の方が私費を投じて保管していたのです。
頭が下がります。
自分の器の小ささを恥じ入るばかり。

静態保存されていた蒲原鉄道の電車その2
斜めから見た蒲原鉄道の静態保存電車、2003年11月撮影。

静態保存されていた蒲原鉄道の電車その3
正面から見た蒲原鉄道の静態保存電車、2003年11月撮影。

蒲原鉄道の電車モハ71
電車の連結部、2003年11月撮影。
左側の電車は「モハ71」。
鉄道ジャーナル1983年8月号の蒲原鉄道の小特集によると、モハ71は昭和2年に製造された元西武鉄道の制御車で三扉車、昭和40年に電装化し蒲原鉄道に入ってきたようです。
画像左側には「蒲原鉄道 村松変電所」の看板が。
蒲原鉄道が最終的に鉄道線廃止を決めたのは、赤字の他に老朽化した電車や変電所の更新費用の問題でした。
鉄道線廃止の数年前に出版された川島令三氏の著作では、いっそのこと気動車化したら?という提言がなされていましたっけ。
鉄道線を存続させるにはその手しか無いよなぁと、当時私も同感したものです。
キハ110が磐越西線新津方から蒲原鉄道に直接乗り入れできれば、それなりのインパクトもあるはず。
しかし耳にした範囲では、そうした話が真面目に検討されたことはなかったよう。
外の人間がどうこう言っても、もうどうしようもない状態だったのでしょう。
まぁここで妄想を述べさせていただければ、JR東日本が買収して村松駅を棒線化の上で磐越西線馬下折り返しの列車を村松発着に変更するとか。
五泉-馬下間よりは五泉-村松間の方が利用が多いのは、周辺人口規模から言ってもまず間違いないところですし。
もちろんこのようなマニアの机上の空論が省みられることなぞ絶対にあり得ない事なのは、よくよくわかっておりますですよハイ。

蒲原鉄道の廃線跡
電車の見学を終えて、村松の街中に足を踏み出しつつ振り返って一枚、2003年11月撮影。

静態保存されている電車と凸形電気機関車
旧村松駅付近まで来ると、またまた車両を発見、2003年11月撮影。
今度は電車と凸形電気機関車のセットであります。

蒲原鉄道の電車モハ31その1
この電車は「モハ31」、2003年11月撮影。
大正12年製の非貫通型で、他社からの購入ではなく蒲原鉄道発注の純血種のようです。
ガソリン気動車に似た感じの正面二枚窓であります。

蒲原鉄道の電車モハ31その2
蒲原鉄道モハ31を斜めから見る、2003年11月撮影。

蒲原鉄道の電気機関車ED1形
蒲原鉄道唯一の電気機関車、ED1形、2003年11月撮影。
アメリカのウェスチングハウス社製電気機関車に範をとった無骨な凸形機で、昭和5年製。
往時は貨物列車の牽引や除雪、イレギュラーで故障した電車の牽引と、たった一両で縦横無尽な活躍を見せていた蒲原鉄道の陰の主役的存在でありました。
前述の鉄道ジャーナル1983年8月号には、七谷駅で故障電車を牽引するED1形のカラー写真が載っていますが、回りの雨に濡れた鄙びた情景、無骨な機関車、古典的電車の3本セットでもう辛抱たまらんモノがあります。
この号の特集は当時、飯田線で廃止目前となった戦前製の旧型国電の特集で、それに関連して地方電化ローカル私鉄の例として蒲原鉄道と栗原電鉄が取り上げられています。
古書店で見かける機会があったら、ぜひ入手していただきたいお薦めの一冊であります。

旧村松駅のバスターミナル
旧村松駅はバスターミナルに姿を変えています、2012年7月撮影。
村松を訪れるのは2003年11月以来でしたが、このバスターミナルは発着本数もすっかり減って、その機能もあまり果たされていない様子。
五泉-村松間はともかく、村松から加茂へは鉄道代替バスとは思えない過疎ダイヤ。
元々この区間の需要が少なかった証なのであります。
前述の鉄道ジャーナル誌の小特集は村松-加茂間廃止が具体化する以前の記事でしたが、鉄道線全体の約8割を占めるのに利用は約3割に過ぎないという、同区間の苦境が問題になっていたのです。
昭和50年代半ばの村松-加茂間の一日平均輸送人員は約850人だったそうです。

現在(2017年)の、村松-加茂間のバス事情をかいつまんでおくと、加茂-村松直通便は一日3往復で朝夕晩の運行。
この区間のバスは加茂市が運行していますが、加茂駅から旧七谷駅あたりまでは上下46本と充分な本数が確保されている一方、現在蒲原鉄道の電車が保存されていて先日公共放送BSのとうちゃこで火野正平氏が訪れていた冬鳥越へは上下18本と本数が激減。
その先、旧高松駅あたりになると上下8本になります。
加茂市と五泉市に跨る路線を加茂市が運行しているので、旧村松町内に入るバスが少なくなるのは仕方のないことなのですが、遠方からの来訪者が廃線跡を探訪するにはひどく不便なダイヤになってしまっているのです。

旧村松町中心街
人口二万人弱を擁した旧村松町中心街の様子、2012年7月撮影。
車の往来は多いものの、シャッターを閉めた店舗が目立ち、歩行者も少なくて正直活気はありません。
村松中心街の道は十字路が無いのですが、これは村松藩の防御策由来なんだとか。
十字路にすべきところでも道をわざとずらして、味方の兵を進撃する敵の死角に潜ませて迎え撃つつもりだったのでしょうね。

村松城跡公園入り口
村松城跡公園入り口、2012年7月撮影。
かつての越後村松藩三万石の城跡に作られた公園です。
村松藩は当初、旧安田町域(現在の阿賀野市)に拠点を持ち、藩の格は最下位の「無城」でした。
それが村松に移転して、城を持てる「城主格」になりました。

蒲原鉄道の電車モハ11その1
城跡公園内に保存されている蒲原鉄道の電車「モハ11」、2012年7月撮影。
昭和5年製の蒲原鉄道純血種の電車で、蒲鉄の他の電車の出自がバラバラの単品なのに対して、このモハ11は同型のモハ12が存在しているので形式として「形」と呼称して差し支えない存在なのです。

蒲原鉄道の電車モハ11その2
モハ11は全長12.432mで、相棒のモハ12と共に蒲原鉄道最小の電車でもありました、2012年7月撮影。

郷土資料館に展示されているタブレット閉塞機
城跡公園内には旧村松町の郷土資料館があり、館内には蒲原鉄道の展示コーナーが常設されています、2012年7月撮影。
これはタブレット閉塞機。
ジリリとベルが鳴ってタマが出てくるヤツですな。
先月の鉄道ピクトリアルの特集はまさにこれでした。

郷土資料館に展示されている電車のサボや駅名板
電車のサボや駅名板などもこうして見学できます、2012年7月撮影。

郷土資料館に展示されている蒲原鉄道の鉄道模型
蒲原鉄道の村松-五泉間を模した鉄道模型のレイアウト、2012年7月撮影。
手前が村松駅です。

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2017年8月27日 (日)

昭和55年10月改正ダイヤにおける村上駅時刻表

村上駅記事に関連して、昭和55年10月改正ダイヤにおける村上駅時刻表を作成してみました。
当時の普通列車は過疎ダイヤで、また利便性も悪いものでした。
例えば夜に村上から新潟へ行きたい場合、事実上の最終列車は19:38発の急行「きたぐに」です。
次の21:38発急行「天の川」は寝台専用列車なので、短距離利用はできません。
まぁタクシーに乗ったと考えれば、当時のB寝台料金¥4,500ナリを投資した人もいるかもしれませんが、それも空席があればの話。
その次の21:48発新津行634Dは新発田で白新線の接続がなく(白新線新発田発の普通列車最終は21:10発)、新津で新潟行に乗り換えると新潟到着は日付の変わった0:09という具合だったのです。
現在は19:21発の特急「いなほ」最終が出た後も、新潟直行便は快速1本、普通2本が確保されていて、終電は22:29発。
まったく便利になったものよと、なんやかやと言われてもやはりJR東日本は偉大だの感を強くするのであります。

村上駅時刻表
昭和55年改正ダイヤから作成
赤字は特急、緑字は急行、青字は寝台専用列車
下り
列車名 始発 発車時刻 終着
急行 鳥海 上野 04:11 秋田 旧型客車10両編成+荷物車3両
特急 日本海3号 大阪 05:19 青森 24系客車11両編成+電源車
急行 天の川 上野 06:43 秋田 20系客車10両編成+電源車+郵便車
833 新津 07:16 青森
621 新津 (08:11) 当駅止
急行 羽越1号 新潟 08:23 秋田 キハ58系気動車4両編成
835D 新潟 09:32 あつみ温泉
急行 きたぐに 大阪 10:13 青森 12系客車6両編成+郵便車+荷物車
923D 柏崎 (11:09) 当駅止
特急 いなほ1号 上野 12:05 秋田 485系電車12両編成
837 新津 13:04 秋田
927M 新潟 (14:46) 当駅止
839 当駅始発 15:00 秋田
急行 しらゆき 金沢 15:35 青森 キハ58系9両編成
特急 いなほ3号 上野 16:02 青森 485系電車12両編成
629D 新津 16:15 鼠ヶ関
急行 羽越3号 新潟 16:40 秋田 キハ58系気動車5両編成
931D 新潟 (17:51) 当駅止 快速列車
841D 新潟 17:55 吹浦
特急 白鳥 大阪 18:19 青森 485系電車12両編成
933M 新潟 (18:59) 当駅止
特急 いなほ5号 上野 20:03 秋田 485系電車12両編成
843D 新潟 20:33 鼠ヶ関
637D 新津 (21:37) 当駅止
639D 新津 (23:46) 当駅止
上り
列車名 始発 発車時刻 終着
620D 当駅始発 05:20 新津
924M 当駅始発 06:31 新潟
826D 鼠ヶ関 07:34 新潟
928D 当駅始発 08:34 新潟 快速列車
828D 吹浦 09:27 新潟
特急 いなほ2号 秋田 09:40 上野 485系電車12両編成
特急 白鳥 青森 10:22 大阪 485系電車12両編成
急行 羽越2号 秋田 10:58 新潟 キハ58系気動車5両編成
832 秋田 12:16 新津
急行 しらゆき 青森 13:17 金沢 キハ58系9両編成
特急 いなほ4号 青森 13:42 上野 485系電車12両編成
834 秋田 14:08 新津
936M 当駅始発 15:37 長岡
急行 羽越4号 秋田 16:04 新潟 キハ58系気動車4両編成
830D 酒田 16:26 新潟
特急 いなほ6号 秋田 16:50 上野 485系電車12両編成
632D 鼠ヶ関 18:07 新津
838 秋田 19:19 新津
急行 きたぐに 青森 19:38 大阪 12系客車6両編成+郵便車
急行 天の川 秋田 21:38 上野 20系客車10両編成+電源車+郵便車
634D 当駅始発 21:48 新津
特急 日本海2号 青森 23:23 大阪 24系客車11両編成+電源車
急行 鳥海 秋田 23:23 上野 旧型客車10両編成+荷物車3両

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2016年3月24日 (木)

戦後の新潟県内急行列車興亡史を備忘録的に・その五

前回「戦後の新潟県内急行列車興亡史を備忘録的に・その四」の続きです。
今回は国鉄最末期からJR発足、そして終焉までの最後の話です。

昭和60年3月ダイヤ改正では、これまで乗り換えの不便さに対応して暫定措置で存置されていた上越急行「佐渡」「よねやま」が全廃。
寝台急行「天の川」は輸送体系の変化を理由に廃止されてしまいます。
大宮止まりとはいえ新幹線が開業していた当時、新潟-上野間の寝台需要がどれほどあったかはやや疑問ではあるものの、昭和20年代半ばから設定されていた対東京の定期夜行列車が全廃されたのは、衝撃的な話でした。
その結果、夜行需要は高速バスにシフトして、その需要の多さに慌てた当局が夜行快速「ムーンライト」を走らせるという展開になるのですが、それはもう少し後の話です。
「べにばな」は山形で分断され、新潟-山形間の気動車急行として存続。
「赤倉」は長野で分断されて、新潟-長野間の「南越後」として再出発。
「南越後」はグリーン車を連結しません。
これによって、新潟県内から165系電車のグリーン車が、いや急行型車両のグリーン車が姿を消したのです。
伝統ある幹線昼行急行の、事実上の終焉と言える出来事です。
後に残された昼行急行は、全席自由席のかつての準急的存在に過ぎないのです。
・・・しかし「南越後」って、センスのかけらもないネーミングだなぁ。
当時から呆れてました。
素直に「とがくし」に統一すればいいのにと。
一応、「とがくし」は長野から上田まで、「南越後」は長野から松本まで普通列車として運転するゆえの差別化らしいのです。
でも新潟県内から普通列車区間まで乗り通す人がそんなに多いとも思えないですから、失笑モノの愛称をあえて付けることも無かったのにと思うのですよ。
前身の急行「日本海」以来、客車で運行されてきた「きたぐに」は、14系客車から583系電車に衣替え。
まさか新潟駅で、毎日583系を見れる時代がこようとは。
特急「白鳥」や上野発着時代の「青森いなほ」が583系化されなかったことで、新潟の地でこの電車が定期運行されるなんて諦めていたのですよ。
この話を聞いた時は、「きたぐに」と特急「雷鳥」で昼夜兼行運用、もしくは「きたぐに」の間合いで「いなほ」の一部を583系化するんじゃないかとか、妄想を逞しくしたものです。
結果は全てハズレだったわけですけど。

「佐渡」「よねやま」「天の川」廃止による新潟県内急行列車と一日当たり延べ県内走行営業キロは下記の通りです。
「きたぐに」(新潟-大阪間夜行、583系電車)。
「能登」(上野-金沢間夜行長野経由、14系客車)。
「とがくし」二往復(新潟-長野間、長野-上田間普通列車、165系電車)。
「南越後」(新潟-長野間、長野-松本間普通列車、165系電車)。
「べにばな」二往復(新潟-山形間、キハ58系)。
「野沢」(長野-長岡間、キハ58系)。
「奥只見」(小出-会津若松間、小出-浦佐間普通列車、キハ58系)。
計9往復、約2,100km。
ちなみに特急は25往復、約7,600km。

昭和61年11月の、国鉄最後のダイヤ改正は約半年後のJR移行を踏まえたもので、急行史的には過疎路線のローカル急行群に最後の一撃が加えられたものでした。
新潟県内では、飯山線の「野沢」と只見線の「奥只見」が廃止。
「野沢」にはこの時期、長野-長岡間と十日町-長岡間に乗車した事があります。
前者は長野出発時で五割ほどの乗り具合で、十日町で大量下車。
後者はガラ空きの車中の人になりましたっけ。
共に夏休み中でしたけど、繁忙期にこれではなぁと、急行愛好の私でも廃止は致し方無しの印象を強く持ったものです。

昭和62年4月1日のJR発足にはこの陣容で望み、JR最初のダイヤ改正(昭和63年3月)wでは、「とがくし」と「南越後」が統合されて、「赤倉」三往復として再出発。
愛称的にはこれですっきりして、車両にも夜行快速「ムーンライト」用のグレードアップ車が間合いで入るようになります。

それから平成に入って三年間は、新潟県内急行列車は不動のまま過ごします。
そして平成3年3月ダイヤ改正では、「赤倉」三往復中一往復が、車両はそのままで越後線経由の快速「やひこ」に格下げ。
この「やひこ」には平成4年5月に全区間乗車したことがあります。
京都へ一人傷心旅行をした後、帰路は大阪から客車急行「ちくま」のB寝台で長野まで。
この時は、列車寝台で一晩過ごすこと、そして急行列車に乗るのがこれで最後だとは思いませんでしたねぇ・・・。
早朝に長野に到着して、「やひこ」に乗り継いで新潟まで。
「やひこ」はグレードアップ車で快適、直江津から乗客が増えて越後線に入る頃は満席でした。
越後線内は停車駅が少なく、柏崎-吉田間は確か無停車。
規格の良くない越後線内でトバしてみたところで、速達化はたかが知れてます。
揺れも激しかったし。
「やひこ」は短命で、平成5年12月に廃止されてしまうのですが、越後線内の停車駅を増やしたら、もう少しは潜在需要を掘り起こすきっかけになったんじゃないのかなぁと。
出雲崎や寺泊、分水と県都新潟の間は高速バスも無く、越後線も過疎ダイヤでクルマ以外では行き来に不便なのです。
閑話休題、
同輩の「あがの」が上越新幹線上野開業に伴って、あっさり快速に格下げされてしまったのに対し、山形止まりになりながらも急行として健在ぶりを示していた「べにばな」。
この列車は山形新幹線運行に伴う奥羽本線の改軌工事の影響で、平成3年8月に米沢止まりの上で快速に格下げされてしまいます。
「べにばな」の愛称は現在も残っているものの、一往復に減便されて肝心の快速運転も新潟-坂町間のみ。
「べにばな」には羽越、米坂界隈への駅取材で何度も乗っていますが、朝の新潟発は坂町までに多くが下車してしまい、米坂線内まで行く乗客は半分ぐらいの印象。
夜の新潟行はガラガラでした。
曜日や時期によって乗り具合は異なるのてしょうけれど、「あがの」の乗りが堅調な感じなのに比べて「べにばな」は、坂町で切ってしまっても構わないのではと思うのです。
朝の新潟発の場合は直前に「いなほ」が先発していますから、「べにばな」を米坂線内の普通列車に格下げしても、ダイヤは弄らなくて済むのです。

平成5年3月改正では、14系客車で運転されていた「能登」が489系電車に更新されて、寝台車の連結を終了。
これで新潟県内から毎日運転の客車列車が姿を消すことになりました。

平成9年10月の長野新幹線開業に伴うダイヤ改正では、昭和30年代後半の都市間準急をルーツに持つ新潟県内最後の昼行急行「赤倉」が特急「みのり」に格上げ。
県内昼行急行史の終了であり、また国鉄~JRの急行型電車優等列車史の終焉でもありました。
グリーン車の座席を装備したグレードアップ車に、「やひこ」廃止後は車両運用に余裕が出来たことで当たる率が高かった「赤倉」を、座席のレベルは落ちて料金は倍近く値上がりして、スピードアップも微々たるものの「みのり」へ格上げしたのは、単なる値上げと嫌われて低迷。
年を追うごとに削減が行われ、平成14年12月には快速「くびき野」に格下げされてしまいました。
「くびき野」は、特急型車両に料金無しで乗れてスピードも特急「北越」と大差は無く、運行時間帯の良さもあって盛況でした。
当初は四連だったのを、数年で「北越」と同じ六連に増強。
半室グリーン席や指定席車を連結して、自由席の座席カバーが無いのを除けば「北越」と大差無い、掛け値無しに乗り得な列車になったのです。
「くひき野」、特に夕方に新井を出発する5号は、上越方面の駅取材の帰りの足として私の愛用列車でした。
自由席のみの時代は直江津からだと座れるかどうかわからず、新井までわざわざ出て座席を確保したものです。
指定席車が付いてからはもっぱらこちらを愛用。
平成27年3月ダイヤ改正まで発売されていた新潟対上越地区の特急自由席往復割引きっぷ「えちご往復きっぷ」では「くびき野」の指定席には乗れないこともあってか、「くびき野」の指定席はいつも空いていました。
三連休の最終日に乗っても、自由席がすし詰めなのに対して指定席は50%程度のほど良い乗り具合。
500円ちょっと払えば余裕で座れるのにと、不思議でしたなぁ。
一般の人は「指定席」と聞くと、ちょっと構えてしまって小額でも心理的抵抗があるにしても、勿体ない話です。
18きっぷ期間外の通常の土日はガラガラで、乗客は新潟に着くまで私ひとりきりという事も何度かありましたっけ。
そんな「くびき野」も平成27年3月改正で廃止。
どうやら当局は、高速バスと張り合うのを止めて薄利多売も止めることにしたようです。
特急自由席割引きっぷも一気に五割アップで、それまでは乗れた上越新幹線・新潟-長岡間も乗車禁止、では「北越」の仕切り直しの「しらゆき」の本数を増やすのかと言えば、「北越」時代の五往復はそのまま維持。
いなかもんはこげんぐらいでちょうどよか、お上の言うこと黙って聞いとりゃエエンじゃとナメられているようで、実に不愉快な展開なのです。

またまた閑話休題、
「赤倉」廃止で、新潟県内に残る急行列車は「きたぐに」と、碓氷越え廃止に伴って長岡経由に変更された「能登」の二往復のみ。
とは言っても、この頃には全国で急行列車の廃止がいよいよ深度化していたので、夜行二往復が通るというのは最も恵まれていた方なのです。
以後、12年半に渡ってこの体制が続くことになります。
しかしこの間も急行列車の退潮は大きく進んで、平成20年3月には寝台急行「銀河」廃止で寝台急行史の終了、21年3月には気動車急行「つやま」廃止で国鉄~JRの定期昼行急行史の最後のページが閉じられました。

平成22年3月ダイヤ改正では「能登」が臨時列車に格下げ。
繁忙期を中心に暫く運行を続けましたが、平成24年2月をもって事実上の廃止。
そして平成24年3月、ついに「きたぐに」が臨時列車化。
新潟県内定期急行史はついに完結の日を迎えました。
臨時「きたぐに」は翌年1月の年始運行を最後に廃止されて、急行列車という種別そのものが新潟県内からは消滅しました。
「きたぐに」廃止後もしばらくは停車各駅では乗車位置表示板が残っていて、駅取材でそれらを見ては、感傷に浸ったものです。
JR東日本新潟支社では発券が面倒だからなのか臨時急行を設定する気が全く無いようで、特急型車両を使用する臨時列車は快速扱いです。
今後も県内で急行列車が走る事はおそらく無いでしょう。

幼い頃に目を輝かせて乗った懐かしい日々・・・、「佐渡」の冷房のよく効いた車中に驚いたあの日、「しらゆき」の混雑に閉口したあの日、お盆の真っ最中に「佐渡」に乗って、スシ詰めの大人たちの間に滑り込んで泣きたくなるほど辛かったあの日、「きたぐに」の快適な車内にご満悦だった亡き母の笑顔、冷房の無い真夏の「赤倉」で窓を全開にして日本海に目を見張ったあの日、「羽越」の車内の汚さに呆れたあの日。
さらばみなさらば。

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2016年3月23日 (水)

戦後の新潟県内急行列車興亡史を備忘録的に・その四

前回「戦後の新潟県内急行列車興亡史を備忘録的に・その三」の続きです。
今回は衰亡の一途を辿る、国鉄末期の新潟県内急行列車についての話です。

昭和51年9月ダイヤ改正では、それまで10系寝台車で運転されていた寝台急行「天の川」が待望の20系客車化を実施します。
20系客車の急行転用は、同年2月の「銀河」(東京-大阪間)に次ぐもので、「天の川」と同時に「新星」(上野-仙台間)も20系寝台急行に生まれ変わっています。
この改正後でも特急「あさかぜ」二往復、「瀬戸」、「安芸」、「北陸」、「北星」、「あけぼの」二往復が20系で運用されているので、「天の川」が急行のまま20系化されたのは画期的な事だったのです。
これまで運用されていた、コイルバネでよく揺れる、戦前の三等寝台車スハネ30以来の詰め込み式設計の10系寝台車に対して、一部の寝台特急でまだ運用されている、静粛で乗り心地もよく、天井も高くて心理的圧迫感の小さい20系とでは、それこそ月とスッポン。
同じ区間を並走する10系寝台車の「鳥海」とは大差があったでしょう。
鉄道ジャーナルの「鳥海」列車追跡記事には、揺れる、うるさいと最低な状態のA寝台車オロネ10の状態が書かれていましたっけ。
私は20系B寝台車には一度だけ乗車の機会があって、JRに移行後、20系もそろそろ引退という話が出てきた頃の臨時「ざおう」で上野から山形まで体験乗車しました。
既に24系25形の二段式B寝台には何度か乗っていたので、52cm幅の三段ベッドを見た時は、乗り合わせた私よりやや年上の青年氏と「狭いねぇ」と苦笑し合ったものです。
しかし相当の経年であるにも関わらず、揺れは思いの他小さくて驚いた記憶がありまなぁ。
その少し前に「銀河」に乗った時は、静岡浜松あたりで大揺れになって、すわ東海地震かと恐怖心を覚えたのが強烈な印象として残っていたので、臨時「ざおう」の乗り心地のよさは一層良く思えたのです。
狭いベッドも、横になれば特に問題無し。
私には閉所恐怖症の気は全然無いので、ああいうのは平気なのです。
閑話休題、
急行寝台車のテコ入れとしては当時最高のカードが20系への置き換えだったわけですけど、固定編成で寝台車オンリーの20系は、そのままでは「天の川」のような寝台専用列車に限定されてしまいます。
座席車が少なくてもよいのなら、「十和田」や「だいせん」のように余剰A寝台車を座席車化すれば良いのですけれど、座席車と混結で且つ座席車の比率が高い列車にはこの手も使えません。
そこで次善の策として期待されたのが、余剰20系を12系座席車と混結出来るように電気系統を改造する事でした。
ただこれはコストパフォーマンス的にあまり芳しくない結果だったようで、西日本地区の夜行急行に限定されています。
座席車を12系に更新していて、且つ東北・上越新幹線開業に直接の影響を受けない「きたぐに」「津軽」あたりは、この方式に変えてもよかった気もしますけど。
その後の特に関西対九州の寝台特急の低迷で近い将来の整理が必要になって、14系客車に余剰が出る見込みになったのも、20系の12系混結改造に影響しているのかもしれませんね。

昭和53年10月のダイヤ改正では、新潟-大阪間の昼行気動車急行「越後」が特急「雷鳥」に格上げされます。
新潟県内を走る長距離気動車急行には他に「しらゆき」「赤倉」がありますが、これらは列車の使命が二区間に大きく分かれています。
「しらゆき」なら金沢・富山-新潟、新潟-秋田・青森、「赤倉」なら新潟-長野、長野・松本-名古屋です。
一方「越後」は、新潟-大阪間に特急「北越」が設定されていることから見て、その需要のメインは新潟-関西間の直通旅客であったと思われます。
つまり「しらゆき」「赤倉」よりも長距離旅客の割合は高かったと推察され、時代遅れになりつつあった気動車急行はいかに安価な料金とはいえ、その任には最早耐えられないスピードと居住性だったと申せましょう。
特急に格上げされたのも、単に国鉄の増収策だけではない旅客側の事情もあったのではないかと。
ともあれ、「越後」が無くなったことで新潟県内通過定期急行列車は一往復減の28往復。
一日当たり延べ走行営業キロ数は約7,500kmに減じました。
特急は同改正でさらに増発が実施されて、32往復、約11,100kmになっています。

昭和55年10月ダイヤ改正では特急・急行共にこの状況に変化はありません。
ちなみにこの段階でグリーン車を2両連結していたのは「佐渡」「よねやま」「赤倉」「妙高」。
「赤倉」は全国唯一のグリーン車2両の気動車急行です。
全国広しと言えども他には「伊豆」「東海」「信州」「アルプス」だけ。
かつては「特ロ」と「並ロ」を一両ずつ連結しているのが当然だった幹線筋の急行列車の面影を、新潟県内ではまだ見出すことが出来たのです。

そしてついに迎えた運命の日。
昭和57年11月の東北・上越新幹線大宮暫定開業に伴うダイヤ大改正です。
急行列車は大幅に整理されて下記の如き状況に。
「佐渡」夜行一往復を廃止、昼行一往復を季節列車化。
「妙高」二往復を特急「あさま」に格上げ。
「うおの」を快速に格下げ。
「しらゆき」を特急に格上げして「白鳥」に編入。
「羽越」を特急「いなほ」に格上げ。
「ひめかわ」を快速に格下げし、柏崎-青海間は廃止。
「いいで」を廃止。
「白馬」を廃止。
「あがの」の新潟-五泉間を快速に格下げ。
「鳥海」を寝台特急「出羽」に格上げ。
「越前」と「能登」を統合して長野経由の「能登」として一本化。
「きたぐに」の新潟-青森間を特急「いなほ」に格上げ。

残存する急行列車は「赤倉」をキハ58系気動車から165系電車に、「きたぐに」を12系客車&10系寝台車から14系客車に、「能登」を旧型客車&10系寝台車から14系客車にそれぞれ更新しています。
「赤倉」については、381系特急化の話があったと耳にしています。
しかし新潟-長野間のインフラを振り子対応にするにはカネがかかり過ぎるので、急行のまま存置だったとか。
しかし新潟-長野間は振り子をオフにしていてもいいんじゃないのと思うのです。
勾配区間は気息奄々で、編成をダブルエンジン車主体にせざるを得ない為に普通車の冷房化もままならず、平坦区間でも電車急行と同じダイヤにする為に停車駅を減らさざるを得ないキハ58系に比べれば、振り子を使わない381系でも40分程度のスピードアップは充分可能だったはずです。
またまた閑話休題、
「赤倉」の電車化と「いいで」の廃止によって、気動車のグリーン車は新潟県内の定期列車から姿を消しました。
また「きたぐに」「鳥海」「能登」「越前」に加えて奥羽本線の「津軽」の10系寝台車も連結を終了して、10系寝台車および旧型客車の定期急行運用はこれで終焉を迎えたのです。
10系寝台車はその後も普通夜行列車「山陰」「はやたま」「ながさき」で細々と余命を過ごし、最終的に昭和60年3月改正で「山陰」廃止によって全廃されています。

さてこの大改正の結果、新潟県内定期急行列車は、
「佐渡」二往復(新潟-上野間、165系電車)。
「よねやま」(直江津-上野間、165系電車)。
「天の川」(上野-秋田間、夜行20系客車)。
「赤倉」(新潟-名古屋間、165系電車)。
「とがくし」二往復(新潟-長野間、165系電車)。
「きたぐに」(新潟-大阪間、夜行14系客車)。
「能登」(上野-金沢間長野経由、夜行14系客車)。
「べにばな」二往復(新潟-仙台間、キハ58系気動車)。
「あがの」二往復(新潟-福島間、急行区間は五泉-郡山間、キハ58系気動車)。
「野沢」(長岡-長野間、キハ58系気動車)。
「奥只見」(小出-会津若松間、小出-浦佐間普通列車、キハ58系)
合計15往復、一日当たり県内走行延べ営業キロは約3,700km。
改正前の半分になってしまったのです。
越後線と大糸線から急行が全廃されたことなどで、新潟県内定期急行停車駅は改正前の55駅から13駅減の42駅になりました。
一方、特急も「とき」「はくたか」が全廃されるなど大きな影響を受けたものの、急行の格上げ等でドラスティックなものにはなっていません。
改正後は26往復で約8,500kmです。

「佐渡」「よねやま」「天の川」が生き残ったのは、上越新幹線が上野発着になるまでの暫定措置であり、この時点で先が見えてしまっています。
私が「佐渡」に最後に乗ったのもこの時期で、昭和59年の夏休みに新潟-上野間を片道乗車しました。
「佐渡」は新潟県内区間で度々乗っていたものの、全区間乗車は昭和57年夏と合わせて二回きり。
まだお盆前の八月初めでしたが、夏休みの真っ最中だというのに自由席の乗車率50%といったところで、快適には過ごせたものの急行時代の終わりを実感したものです。
新幹線開業直前の昭和57年夏のお盆前に上野-新潟間を利用した際は、立錐の余地無く満員で指定席もグリーン車も全て売り切れだったのに。
しかも熊谷あたりで起きた踏切事故の影響で二時間抑止というオマケ付き。

続きはまた次回。

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