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2018年12月23日 (日)

新潟県民放子供向け番組放送の推移第一回(昭和41年4月)

この3年程の間に、白石雅彦氏の手による「ウルトラQの誕生」「ウルトラマンの飛翔」「ウルトラセブンの帰還」という、TBS日曜七時の所謂「タケダアワー」の空想特撮シリーズ三部作についての労作が出されたのは皆様ご存知かと思います。
いずれの本も実に興味深い内容で、特に「ウルトラQの誕生」については脚本の準備稿と決定稿の相違など(例えば「ガラダマの谷」と「ガラダマ」の違いとか)恥ずかしながら初めて知った逸話も多くて、私的にはまさに瞠目の内容でした。
これら諸作の中で、白石氏があとがきで触れているのが氏の故郷である秋田県における空想特撮シリーズの放送状況です。
秋田県ではTBS系の民放が無いそうで、シリーズの放送は全国同時ネットよりもだいぶ遅れての事だったとの事。
それを読んで私がふと思ったのが、
「我が新潟における空想特撮シリーズ、いや特撮モノ全般の放送状況はどんな流れだったのだろうか?」
新潟には「新潟放送」(BSN)という老舗のTBS系民放があり、空想特撮シリーズや「帰ってきたウルトラマン」以降のウルトラシリーズについて同時ネットで視聴できたのは私の経験として承知しています。
ではTBS以外のキー局で放送された作品についてはどうだったのか?
このように一旦考え出すとその疑問を解き明かしたくてもう辛抱タマラン状態に陥ってしまいまして、昔の新聞の縮刷版のテレビ欄を追跡調査し、昔の新潟県の特撮、否アニメも含めた子供向け番組全般についての放送状況を備忘録も兼ねてこれから掲載していきたく存じます。

さて、新潟日報縮刷版を手に取って閲覧できる最初の号は「昭和41年4月」であります。
なお新潟においては昭和43年までは民放はBSN一局のみで、昭和44年1月から第二の民放である「新潟総合テレビ」(NST)が放送を開始しています。
では昭和41年4月最終週のBSN放送の子供向け番組プログラムは下記の通りです。

4/24(日)
10:30-11:00「狼少年ケン」 11:00-30「トムとジェリー」 17:00-30「ワンダースリー」(フジ遅れネット二週間) 19:00-30「ウルトラQ」(TBS同時ネット) 19:30-2000「オバケのQ太郎」(TBS同時ネット)

「ウルトラQ」は前述のように、新潟では幸いなことに同時ネットでリアルタイム視聴が出来ていました。
注目すべきは「ワンダースリー」がフジテレビ系同時ネットから約二週間の遅れで、「ウルトラQ」の二時間前に放送されていることです。
皆様ご存知のように、手塚治虫原作のアニメ「ワンダースリー」はフジテレビ日曜夜七時の放送で、昭和41年1月放送開始の「ウルトラQ」が裏番組になるまでは人気を博した作品です。
しかし「ウルトラQ」が放送を開始するとたちまち劣勢に追い込まれ、視聴率は急落してついには放送曜日の変更を余儀なくされてしまった曰くつきの作品でもあります。
全国ネットではこのような悲運に見舞われた「ワンダースリー」ですが、我が新潟では同時ネットから二週間遅れての放送ではあるものの、「ウルトラQ」と同じ日曜の放送で時間帯の棲み分けが出来ていました。
ただ私は「ワンダースリー」って一度も見たこと無いです、スイマセン親方・・・。
なお「ウルトラQ」は田舎の視点でもかなりのインパクトがあった番組のようで、テレビ欄の番組紹介でもかなり取り上げられています。
4月から6月放送分では「東京氷河期」と「悪魔ッ子」以外の各話の紹介記事が載っていて、「ガラモンの逆襲」「2020年の挑戦」「変身」は写真付きになっています。
「ウルトラQ」については新潟日報に「うなぎのぼりの制作費」という記事が載っていて、それによると当時も1本当たりの制作費が最も高額だったのは日本テレビの一時間モノ「明治天皇」(BSNで火曜夜10時枠)で約700万円、それに次ぐのが「ウルトラQ」の約600万円。
「ウルトラQ」は30分番組ですから単純換算すれば一時間で1,200万円という超高額になります。
ただし視聴率は「明治天皇」が10%前後と不振を極めていたのに対して、「ウルトラQ」は30%は当たり前なので、費用対効果なら「ウルトラQ」が断然上でしょう。
まぁ「ウルトラQ」の場合はメイン視聴者層が子供なので、視聴率が幾ら良くてもスポンサーの販促にどれだけ貢献していたかは色々と議論のあるところでしょうけれど。

4/25(月)
07:10-20「エイトマン」 18:00-30「丸出だめ夫」(日本テレビ同時ネット)

朝七時台の「エイトマン」は月曜から土曜の帯番組です。
「丸出だめ夫」は4/11からの放送ですが、日本テレビ系全国ネット放送開始は3/7。
したがって新潟では第六回からの放送開始になります。
この時間帯はそれ以前には「宇宙エース」を放送していました。
ただ私は「宇宙エース」も「丸出だめ夫」も一度も見たことないです、スイマセン親方・・・。

4/26(火)
07:10-20「エイトマン」 18:00-30「宇宙エース」(フジ遅れネット) 19:00-30「宇宙少年ソラン」(TBS同時ネット)

「宇宙エース」は4/12からこの時間帯に移動して、フジテレビ系の同時ネットから約一ヶ月遅れで放送を継続しています。
「宇宙少年ソラン」はTBS系なので新潟では同時ネットで視聴できました。
ただ私は「宇宙少年ソラン」を一度も見たことがありません、申し訳ないです親方・・・。

4/27(水)
07:10-20「エイトマン」 18:00-30「ジャングル大帝」(フジ、同時ネット)
 
手塚先生不朽の名作のひとつである「ジャングル大帝」は、新潟ではフジテレビ系の同時ネットでリアルタイム視聴ができていました。
TBS以外の番組で同時ネットの番組は、当時の新潟では少数派だったのです。
「ジャングル大帝」については幼少の頃に見た記憶があります。
勿論この当時、私はこの世にいなかったので当然再放送なのですけれど。
モノクロのアニメはほぼまったく記憶にないのに、この作品は僅かに覚えがある。
やはりカラー作品だと再放送の機会が爆発的に増えるということなのでしょうな。

4/28(木)
07:10-20「エイトマン」 
4/14までの18:00-30枠は「スーパージェッター」を放送していました。
TBS放送の「スーパージェッター」はこの年の1月に放送を終了しているので、新潟のこの枠での放送は再放送と思われます。
なお4/7放送は第13話「未来予言機」、4/14放送は第18話「恐怖の子守唄」なので、放送順はランダムであったことが伺えます。

4/29(金)
07:10-20「エイトマン」 17:15-45「おそ松くん」(フジ遅れネット) 18:00-30「遊星少年パピィ」(フジ遅れネット)

近年、腐女子や貴腐人の方々のココロを鷲掴みにして萌えさせた「おそ松さん」のオリジナル版が夕方に放送されています。
サブタイトルが不明なので全国ネットからの遅れ具合はわかりませんでした。
ただ私は「おそ松くん」も「遊星少年パピィ」(いずれもフジテレビ系)も全く見たことがありません、実に遺憾です親方・・・。
イヤミのあの「シェー!」のポーズを取った覚えって全然無いですしね。
アレをやれって振られても全く対応できないし、知らないから。
昭和の歴代仮面ライダーの変身ポーズは1号からBLACKまですぐ出来るというのに。
(RXは難しくて覚えるのを諦めました、怒らないでください親方・・・)
「遊星少年パピィ」も同時ネットでは無いのは確実ですが、こちらもどれぐらいの遅れが生じていたのか不明です。

4/30(土)
07:10-20「エイトマン」 19:00-30「鉄腕アトム」(フジ、同時ネット)

日本アニメ史上不朽の作品「鉄腕アトム」は新潟でフジテレビ系同時ネットでリアルタイム視聴です。
ただ私は「アトム」って好きじゃないのです。
幼少の頃からそうなのですが、たぶんあのどことなく哀愁漂う雰囲気が嫌いだったのだと思います。
その後の新作版も見てないですし。
ああいう作風が好みで無いのは、いい歳をしたオッサンの今でも変わらずです。

追記すると、朝七時の帯枠では「エイトマン」の他に「ポパイ」を流していたのが確認できます。
また有名な海外ドラマでは昭和41年4月末時点で水曜夜八時枠に「コンバット」、土曜夜九時半枠に「ルーシーショー」、それに続く十時枠に「逃亡者」、日曜夜十時枠に「サンセット77」、十一時台に「0011ナポレオン・ソロ」を放送しています。

調査の初回で驚いたのは、まず想像していたよりも子供向け番組の放送が多かったことです。
既述のように当時の人気番組は概ねフォロー出来ています。
当然の事ながら遅れネットが多いものの、民放一局のみでここまでやれているとは思いませんでした。
またその反動からなのか、昭和30年代に放送されていた番組の再放送が僅少であるという点も驚きでした。
この時点で「昔の番組」の再放送は「エイトマン」と「狼少年ケン」ぐらいですからね。
アニメだと「鉄人28号」、実写特撮だと「月光仮面」「まぼろし探偵」「少年ジェット」「七色仮面」「ナショナルキッド」といったあたりが朝か夕方四時五時台に再放送されているのではと想像していたのですけれど、様相は全く異なっていました。
なお、それら「古い作品」は新潟においてはこれ以降も全く再放送していないのを確認しています。
なにしろ昭和43年末まではBSN一局のみで民放の番組を一手に引き受けていたので、新作を追っかけるだけで放送枠は手一杯の状況だったのです。
そして第二の民放NSTが開局した昭和44年は既にカラー放送が普及し始めていて、モノクロの古い番組はなかなか放送し辛いのは想像に難くなく、また新番組がどんどん増えていってそれらを消化するのにこれまた手一杯だったのです。

→昭和41年7月、10月はこちらへ

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