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2017年12月10日 (日)

真冬の新潟でシーハリケーンMk.ⅠAの勇者たちに想いを巡らす

11月末発売の「世界の傑作機」Noは「ホーカー・ハリケーン」のリニューアル版。
イギリス空軍の制式採用戦闘機として初の単葉引き込み脚を採用し、最大速度が500km/hを超えた最初の機体であります。
かのバトル・オブ・ブリテンでは、同僚のスーパーマリン・スピットファイアと共に英本土防衛に獅子奮迅の働きを見せ、その後は主役の座をスピットファイアに譲りつつも、戦闘攻撃機、対戦車攻撃機に転身して戦争終結まで第一線に残った長寿機でもあります。

昔の飛行機というものは人間と同じで、旬な花の盛りはごく僅か。
特に大戦下のそれは特に。
ひとたび旬を過ぎてしまえば、後はもう落ちていくのみ消え行くのみ。
しかしそのような残酷な世の定めに抗い、たとい一線級の命脈は尽きても身の程にあった第二の人生に活路を見出し、そこでいぶし銀の働きを見せる。
私ももういい歳のオッサンなので、最近はそのような事が頭をよぎり、そしてそのような飛行機にこれまで以上に愛着を感じるようになってまいったところです。
アメリカのカーチスP-40やグラマンF4F、PBYカタリナ、SOCシーガル、イギリスのソードフイッシュ、そして今回のホーカー・ハリケーンといった面々がまさしくその愛着を感じるヒコーキたちなのです。
なので今号は実に興味深く読み耽った次第。
以前の号は立ち読みして、内容が薄いな~と思い買わなかったのですよ。
まぁあの当時の「世界の傑作機」って大体あんな感じでしたけれど。

以前の号は所有しておらず、またこの戦闘機に関してはごくごく基本的な事しか知らなかったので、今回読んで初めて知ったこともいくつかありました。

>鋼管羽布構造といっても接続は溶接ではなくジョイントを使用
今までずっと溶接だとばかり思っていました、勉強不足ですいません親方!
溶接のための要員、設備を抑える為にハリケーン以前から試みられていたことで、当時の技術で造り慣れた構造を生かしつつ、より低コストで量産できるように考慮。
当時、セミモノコック構造全金属製の「ノースロップ・ガンマ」に魅了されて、官民上げてそちらの方向へ一気に突っ走っちゃったわが国とは違いますなぁ。

>バトルオブブリテンの従来の定説は違っている
従来の説では、Bf109には高性能のスピットファイアを充て、爆撃機には低性能のハリケーンを充てていたという話でしたが、当時のレーダーや指揮通信能力でそんなにうまい事いくのかいなとは、以前から感じていた疑問だったのです。
大型機なら早期に捉えられたにしても、小型の戦闘機はかなり近づかないと探知できなかったでしょうし、爆撃機には必ず戦闘機の護衛が付いていてそれらは爆撃機の上空にいるとは推定できても、高角レーダーが無かった当時は相手の侵入高度まではわかりませんし、そんな状態ではスピットファイアを差し向けるにしても推測以上の情報は与えられないでしょう。

>バトルオブブリテン後のハリケーン
パトルオブブリテン終了後はスピットファイアの充足に伴い、ハリケーンは本国の戦闘機軍団から中東や東南アジアに急速に転出・・・というのが、無知な私の勝手な思い込みだったのですけれど、実際は戦闘機軍団に所属してドイツ占領下の低地諸国に侵入攻撃作戦を繰り広げていたのです。
この手の任務だと戦闘機軍団ではなく陸軍直協軍団の領分じゃないのかなぁと思うところなのですが、基地に帰投寸前の敵爆撃機を狙うミッションは敵機撃墜を目的にしているので戦闘機軍団の仕事という考え方だったのでしょうか。

>最後のハリケーン
今回、最も驚いたのが英国空軍において戦後も僅かな期間ながらハリケーンが実戦配備されていたということです。
英国空軍ハリケーン最後の実戦飛行隊No6sq(中東パレスチナに展開)が、同じホーカー社製の後輩であるホーカー・テンペストに席を譲って退役したのが1947年1月。
ハリケーンの次にホーカー社が開発した戦闘機のタイフーンは、欧州戦終結後アッという間に消え去ってしまったのに、何とも長寿なハリケーンなのであります。
これも先述した「身の程にあった第二の人生に活路を見出し」の結果なのです。
旧式構造で飛行性能もそれなりのものになってしまっても、高性能な敵戦闘機に遭遇する心配のない戦後間もない中東では、過酷な自然条件に耐え得るその旧式構造ゆえのアドバンテージが多かったということなのでしょうね。

さて、今回私が最も期待しておったのが、英国海軍が急遽導入した「シーハリケーン」の実態についてでした。
空軍のハリケーンを艦上機に仕立て直した「シーハリケーン」は、まだ護衛空母が大挙投入されていなかった時期に船団の防空直衛用として配備されたCAMシップからカタパルト射出される使い捨てのMK.ⅠAと、着艦フックを取り付けるなどして空母での運用を可能にしたMk.ⅠB、Mk.ⅠC及びMk.Ⅱ2Cが存在します。
しかしそれらに関する記事が、ぶっちゃけ薄い・・・。
岡部いさく先生が書かれるからには、もっと濃い内容を期待していたのですよ。
シーハリケーンを運用した海軍戦闘飛行隊一覧とかね。
そういうネタはいずれ「フェアリー フルマー」を扱う時の為に温存しているに違いない、きっとそうなんだよウン!と、自慰に耽っている今時分なのであります。

しかしハリケーン萌えとは別に、冷静に考えてみるとはたしてMk.ⅠA以外の「シーハリケーン」が海軍航空隊にホントに必要だったのか?
性能はフルマーよりは良いとはいえ、イタリア空軍はともかく、帝国海軍やドイツ空軍の戦闘機相手には劣勢を免れない月並みな性能。
さらに致命的なことには主翼を折りたためないから母艦の格納庫に収容することも出来ない。
帝国空軍やドイツ空軍の戦闘機と正面きって戦う戦域では使わないからそれでもいいのだという話なのであれば、フルマーでも一応の役割は果たせるわけです。
また米国製のグラマン・マートレット(F4Fワイルドキャット)は、1941年春から主翼折りたたみ仕様のマートレットⅡが、1942年に入るとレンドリースでマートレットⅢが引き渡しを開始しています。
生粋の艦上戦闘機で主翼の折りたたみが可能、飛行性能は一長一短あるものの総じてシーハリリーンと互角で航続力はより長いマートレット、この機とシーハリケーンのどちらを選ぶかとなればやはりマートレットに軍配を上げざるを得ないでしょう。
それでもなおシーハリケーンを、応急処置的なMk.ⅠBに続いてエンジン換装、武装強化型のMk.ⅡCまで配備したのは、とにかく適当な性能の艦上戦闘機を一機でも多く欲しかっただけなのか、マートレットの主脚間隔の狭さ(シーハリケーンの2.31mに対してマートレットは1.96m)に懸念があって低錬度の搭乗員では危ないと判断したのか、はたまた万が一レンドリースを止められて米国に梯子を外される最悪の事態も頭に入れてのことだったのか。
識者の方々の見解をぜひ聞いてみたいと、常々念願しておるところなのです。

空母搭載型の「シーハリケーン」については、このようにその存在意義についてうーむといささか首を捻らざるを得ないのですが、最初のタイプであるMk.ⅠAについては、朝日ソノラマ刊「北欧空戦史」を読み耽って、往時のパイロットたちの勇気ある戦いに思いを巡らせておったところです。
時に1942年5月25日、ソ連のムルマンクスを出航してイギリスに帰投する船団QP-12がノルウェー北方海域でドイツ空軍爆撃機の襲撃を受け、船団唯一のCAMシップからケンダル中尉搭乗のシーハリケーンが勇躍射出出撃。
ケンダル機は見事ドイツ機を撃墜した後、空戦よりも過酷な機体からの脱出を敢行。
着艦設備の一切無いCAMシップからひとたび射出されたら、後は陸上の味方基地に向かうか機を捨てて脱出し味方のフネに拾われるかのどちらかしかないのです。
ケンダル中尉のパラシュートは海面上わずか15mで開き、5月とはいえまだまだ冷たい北洋の海面に叩きつけられるように着水、駆逐艦に救助されたものの死亡したという話。
今回、CAMシップ運用で戦死者は一名と書かれていましたが、もしかしたらこのケンダル中尉の話がその唯一の戦死例なのかもしれません。
日本の特攻と違って「必死」の作戦ではありませんが、まさしく「決死」の任務に違いなく、CAMシップ勤務は志願者で行われていたのも頷けます。
今号のカラーページに、怒涛逆巻く洋上を進むCAMシップとカタパルト上で待機するシーハリケーンの画が載っていますが、あんな海象条件であっても敵機来襲となれば射出発進していったのでしょう。
あんな海に落ちて救助を待つなど、生半可な戦意では無理ですな。
危急の際にはあのような任務をも進んで断行する。
それこそが海洋国家大英帝国の真髄発揮だと深く感じるところなのであります。

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