« 五泉駅(磐越西線) | トップページ | 新津駅(信越本線・羽越本線・磐越西線) »

2017年9月10日 (日)

蒲原鉄道廃線跡と村松

磐越西線・五泉駅を紹介しておいて見逃してはおられないのが、かつて五泉駅から村松そして加茂駅まで延びていた蒲原鉄道の廃線跡です。
そこで今回は、五泉駅記事の補完という形で、蒲原鉄道の村松駅、そしてその界隈を点描してみます。

五泉と村松を結ぶ県道新津村松線上の「今泉」バス停
五泉と村松を結ぶ県道新津村松線上の「今泉」バス停、2003年11月撮影。
この至近に蒲原鉄道・五泉-村松間唯一の中間駅である今泉駅がありました。

今泉駅付近の蒲原鉄道廃線跡
今泉からさらに村松に歩みを進める、2003年11月撮影。
この時点で蒲原鉄道廃止から約4年経過しています。
線路は外されて、路盤はこのように雑草に覆い尽くされています。
半年先行して廃止された新潟交通電車線では線路も架線柱も駅舎さえも残存して、現役時代さながらの姿を保っていたのとは対照的。

静態保存されていた蒲原鉄道の電車
村松の中心街に入る手前で静態保存されていた蒲原鉄道の電車、2003年11月撮影。
町や蒲原鉄道ではなく、有志の方が私費を投じて保管していたのです。
頭が下がります。
自分の器の小ささを恥じ入るばかり。

斜めから見た蒲原鉄道の静態保存電車
斜めから見た蒲原鉄道の静態保存電車、2003年11月撮影。

正面から見た蒲原鉄道の静態保存電車
正面から見た蒲原鉄道の静態保存電車、2003年11月撮影。

蒲原鉄道の電車モハ71
電車の連結部、2003年11月撮影。
左側の電車は「モハ71」。
鉄道ジャーナル1983年8月号の蒲原鉄道の小特集によると、モハ71は昭和2年に製造された元西武鉄道の制御車で三扉車、昭和40年に電装化し蒲原鉄道に入ってきたようです。
画像左側には「蒲原鉄道 村松変電所」の看板が。
蒲原鉄道が最終的に鉄道線廃止を決めたのは、赤字の他に老朽化した電車や変電所の更新費用の問題でした。
鉄道線廃止の数年前に出版された川島令三氏の著作では、いっそのこと気動車化したら?という提言がなされていましたっけ。
鉄道線を存続させるにはその手しか無いよなぁと、当時私も同感したものです。
キハ110が磐越西線新津方から蒲原鉄道に直接乗り入れできれば、それなりのインパクトもあるはず。
しかし耳にした範囲では、そうした話が真面目に検討されたことはなかったよう。
外の人間がどうこう言っても、もうどうしようもない状態だったのでしょう。
まぁここで妄想を述べさせていただければ、JR東日本が買収して村松駅を棒線化の上で磐越西線馬下折り返しの列車を村松発着に変更するとか。
五泉-馬下間よりは五泉-村松間の方が利用が多いのは、周辺人口規模から言ってもまず間違いないところですし。
もちろんこのようなマニアの机上の空論が省みられることなぞ絶対にあり得ない事なのは、よくよくわかっておりますですよハイ。

電車の見学を終えて、村松の街中に足を踏み出しつつ振り返って一枚
電車の見学を終えて、村松の街中に足を踏み出しつつ振り返って一枚、2003年11月撮影。

電車と凸形電気機関車のセット
旧村松駅付近まで来ると、またまた車両を発見、2003年11月撮影。
今度は電車と凸形電気機関車のセットであります。

蒲原鉄道の電車モハ31
この電車は「モハ31」、2003年11月撮影。
大正12年製の非貫通型で、他社からの購入ではなく蒲原鉄道発注の純血種のようです。
ガソリン気動車に似た感じの正面二枚窓であります。

蒲原鉄道モハ31を斜めから見る
蒲原鉄道モハ31を斜めから見る、2003年11月撮影。

蒲原鉄道唯一の電気機関車、ED1形
蒲原鉄道唯一の電気機関車、ED1形、2003年11月撮影。
アメリカのウェスチングハウス社製電気機関車に範をとった無骨な凸形機で、昭和5年製。
往時は貨物列車の牽引や除雪、イレギュラーで故障した電車の牽引と、たった一両で縦横無尽な活躍を見せていた蒲原鉄道の陰の主役的存在でありました。
前述の鉄道ジャーナル1983年8月号には、七谷駅で故障電車を牽引するED1形のカラー写真が載っていますが、回りの雨に濡れた鄙びた情景、無骨な機関車、古典的電車の3本セットでもう辛抱たまらんモノがあります。
この号の特集は当時、飯田線で廃止目前となった戦前製の旧型国電の特集で、それに関連して地方電化ローカル私鉄の例として蒲原鉄道と栗原電鉄が取り上げられています。
古書店で見かける機会があったら、ぜひ入手していただきたいお薦めの一冊であります。

旧村松駅のバスターミナル
旧村松駅はバスターミナルに姿を変えています、2012年7月撮影。
村松を訪れるのは2003年11月以来でしたが、このバスターミナルは発着本数もすっかり減って、その機能もあまり果たされていない様子。
五泉-村松間はともかく、村松から加茂へは鉄道代替バスとは思えない過疎ダイヤ。
元々この区間の需要が少なかった証なのであります。
前述の鉄道ジャーナル誌の小特集は村松-加茂間廃止が具体化する以前の記事でしたが、鉄道線全体の約8割を占めるのに利用は約3割に過ぎないという、同区間の苦境が問題になっていたのです。
昭和50年代半ばの村松-加茂間の一日平均輸送人員は約850人だったそうです。

現在(2017年)の、村松-加茂間のバス事情をかいつまんでおくと、加茂-村松直通便は一日3往復で朝夕晩の運行。
この区間のバスは加茂市が運行していますが、加茂駅から旧七谷駅あたりまでは上下46本と充分な本数が確保されている一方、現在蒲原鉄道の電車が保存されていて先日公共放送BSのとうちゃこで火野正平氏が訪れていた冬鳥越へは上下18本と本数が激減。
その先、旧高松駅あたりになると上下8本になります。
加茂市と五泉市に跨る路線を加茂市が運行しているので、旧村松町内に入るバスが少なくなるのは仕方のないことなのですが、遠方からの来訪者が廃線跡を探訪するにはひどく不便なダイヤになってしまっているのです。

旧村松町中心街の様子
人口二万人弱を擁した旧村松町中心街の様子、2012年7月撮影。
車の往来は多いものの、シャッターを閉めた店舗が目立ち、歩行者も少なくて正直活気はありません。
村松中心街の道は十字路が無いのですが、これは村松藩の防御策由来なんだとか。
十字路にすべきところでも道をわざとずらして、味方の兵を進撃する敵の死角に潜ませて迎え撃つつもりだったのでしょうね。

村松城跡公園入り口
村松城跡公園入り口、2012年7月撮影。
かつての越後村松藩三万石の城跡に作られた公園です。
村松藩は当初、旧安田町域(現在の阿賀野市)に拠点を持ち、藩の格は最下位の「無城」でした。
それが村松に移転して、城を持てる「城主格」になりました。

蒲原鉄道の電車モハ11その1
城跡公園内に保存されている蒲原鉄道の電車「モハ11」、2012年7月撮影。
昭和5年製の蒲原鉄道純血種の電車で、蒲鉄の他の電車の出自がバラバラの単品なのに対して、このモハ11は同型のモハ12が存在しているので形式として「形」と呼称して差し支えない存在なのです。

蒲原鉄道の電車モハ11その2
モハ11は全長12.432mで、相棒のモハ12と共に蒲原鉄道最小の電車でもありました、2012年7月撮影。

郷土資料館に展示されているタブレット閉塞機
城跡公園内には旧村松町の郷土資料館があり、館内には蒲原鉄道の展示コーナーが常設されています、2012年7月撮影。
これはタブレット閉塞機。
ジリリとベルが鳴ってタマが出てくるヤツですな。
先月の鉄道ピクトリアルの特集はまさにこれでした。

郷土資料館に展示されている電車のサボや駅名板
電車のサボや駅名板などもこうして見学できます、2012年7月撮影。

郷土資料館に展示されている蒲原鉄道の鉄道模型
蒲原鉄道の村松-五泉間を模した鉄道模型のレイアウト、2012年7月撮影。
手前が村松駅です。

|

« 五泉駅(磐越西線) | トップページ | 新津駅(信越本線・羽越本線・磐越西線) »

R001 鉄道」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 五泉駅(磐越西線) | トップページ | 新津駅(信越本線・羽越本線・磐越西線) »