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2017年9月の記事

2017年9月24日 (日)

荻川駅(信越本線)

本日の駅紹介は信越本線・荻川駅。

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新潟県新潟市秋葉区に所在する有人駅で、開業は大正15年(1926年)11月20日。
開業当時の所在は中蒲原郡荻川村の所在で、同村の玄関駅でした。
荻川村は昭和14年に隣接する新津町に合併編入され、その新津市は戦後の昭和26年に市制を施行して新津市に、そして平成の大合併の号令下で平成17年に新潟市に合併編入されて同市秋葉区となり今日に至ります。

荻川駅の前身は大正6年(1917年)9月4日に開設された荻川信号場で、荻川村と周辺諸村は大正10年に信号場の駅昇格を当局に陳情したものの、良い回答を得るのは出来ませんでした。
そこで駅設置に向けて期成同盟会が設立され、駅用地を寄付することでようやく駅昇格になったとのことです。
信越線の新津-亀田間は8.7kmあり、その中間地点であるこの地域に信号場を置くことは至極妥当な話なのでありますが、その時点で駅が設置されなかったというのは当地域の鉄道需要がまず見込めないという当局の意思の表れであったのでしょう。
現在の目で見ると奇異に感じる点が多々見受けられる明治大正期の駅設置にまつわる話ですけれど、当時の町の、村の様子はどのような状況であったのか、それを考えて単なる鉄道話に留まらず地域史や郷土史に触れて考えてみるのがこの手の趣味の面白さなのであります。

JR東日本によると2016年度の荻川駅一日平均乗車人員は1,907人。
同社新潟県内有人67駅中22位で、白新線・東新潟駅よりもやや多く、越後線・関屋駅よりもやや少ないレベルです。
当駅付近に高校は所在していないので、学生の集中は無く新潟都市圏の典型的中間駅という立ち位置と言えましょう。

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バリアフリー対策で駅舎向かって右側にエレベーターを追加装備した荻川駅橋上駅舎東口の様子、2016年8月撮影。
ウィキペディアによると供用開始は2015年2月との事です。
当駅の場合は駅舎右側が空いているので、エレベーター設置に頭を悩ますこともなかったでしょう。
またエレベーターを追加すると、後付のやっつけ感から駅舎の美観的にはあまり宜しくなかったりするものなのですが、当駅の場合は駅舎右側の空間の未整備から来る雑感が解消されて、駅舎の見た目は以前よりもむしろ良くなっているように個人的に感じるところです。

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エレベーターが追加装備される前の荻川駅橋上駅舎東口、2006年11月撮影。
この橋上駅舎が供用を開始したのは国鉄最末期の1986年12月で、新潟県内の純然たる在来線橋上駅舎としては北陸本線(現・えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン)・
青海駅に次ぐ二例目でした。
デザインは昨今の橋上駅舎とは異なるボクシーなもの。
正直、あまりイケてるデザインとは申せません・・・。

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荻川駅東口駅前広場の様子、2016年8月撮影。
駅舎橋上化の副産物でこの駅前広場も拡幅できたのでしょう。
狭隘な取り付け道路に比して広大です。
しかしロータリーとして秩序立った整備がされているわけではないので、どこかルーズに映る広場です。
なお当駅前には路線バス、コミニュテイバス共に乗り入れておらず、新潟新津間の路線バスが通る県道に出るには少々歩くことになります。

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荻川駅東口駅前通りの様子、2016年8月撮影。
画像奥が荻川駅です。
周辺は旧荻川村由来の街並。
この通りをもう少し進むと、荻川地区の中心街に出ます。

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荻川駅橋上駅舎西口の様子、2016年8月撮影。
西口にも東口同様にエレベーターが追加設置されています。
こちら側は比較的新興の住宅街になっています。

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荻川駅西口から少し歩けば、スーパーウオエイなどが出店しています、2010年3月撮影。

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荻川駅橋上駅舎自由通路の様子、2016年8月撮影。
通路中央右側が窓口と自動改札です。
国鉄時代に改築された橋上駅舎ゆえに、昨今のデザイン性を相応に重視したものとは違って実用一点張りです。

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荻川駅橋上駅舎の中枢部、窓口と自動券売機、2016年8月撮影。
画像奥が東口エレベーター出入り口です。

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自由通路側から見た自動改札の様子、2016年8月撮影。

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自由通路上の待合室内部の様子、2010年3月撮影。
車内も構内も禁煙なのに煙草の自販機が設置されている摩訶不思議。

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橋上駅舎の構内側通路の様子、2016年8月撮影。
画像奥の1番線は新津方面乗り場、私の立っている側(2番線)が新潟方面乗り場になります。
今の感覚だと随分古びて見えてしまうこの駅舎、内装のリニューアルはそろそろ実施した方が宜しいのではないかと思いますなぁ。

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橋上駅舎の自由通路方から見た荻川駅構内の亀田駅方、2016年8月撮影。
当駅駅舎の窓は一体型で開かない仕様なので、俯瞰は撮影は窓越しになります。
画像右上のシミみたいなものは、窓の汚れです。

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橋上駅舎の構内側から見た荻川駅構内のさつき野駅方、2017年5月撮影。

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1番線(新津方面乗り場)のさつき野駅方から見た荻川駅構内、2017年5月撮影。
当駅構内は複線上の対面式直線型ホーム二面の平凡な構造です。

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1番線端からさつき野駅方を見る、2017年5月撮影。
画像左側の横取線に注目。

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横取線の終端部の様子、2016年8月撮影。
かつては貨物側線だったのでしょうか。
多くの列車が行き来する電化幹線の駅のすぐ横に、このような遺構めいたものがひっそり存在しているのを見るのもこの手の趣味の醍醐味なのであります。

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1番ホーム上屋下の様子、2017年5月撮影。
上屋下にはベンチが設置されていますが、数はご覧の通りの少なさ。

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1番ホームの上屋の長さはこんな感じ、2017年6月撮影。

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後述の2番ホーム(画像左側)待合室が設置されていない頃の構内中央部の様子、2005年7月撮影。

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1番線の亀田駅方から見た荻川駅構内、2017年6月撮影。
1番のこちら側には上屋無し、隣の2番には上屋有り。
この辺は乗車人員の大小によるものなのでしょうかね。
当駅から乗車するのは新潟方面が多いでしょうからね。
ホーム上で待つ客が多いのならば上屋の長さもそれに対応。

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1番ホームの亀田駅方が短くされる以前の荻川駅構内、2005年7月撮影。
長大編成の汽車時代の名残のホーム長でした。

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現在は解体されてしまった1番ホームの亀田駅方突出部の様子、2005年7月撮影。
国鉄時代の白線も完全に消えてしまっていました。

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2番線(新潟方面乗り場)の亀田駅方から見た荻川駅構内、2017年6月撮影。
トイレは2番ホームの橋上駅舎直下に設置されています。

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エレベーターが設置される以前のオリジナル形態の橋上駅舎時代の荻川駅2番線亀田駅方の様子、2005年7月撮影。
当時も今も、ホーム上の国鉄時代の白線が健在です。

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2番線亀田駅方の現在の様子、2017年5月撮影。
二本のホームのこちら側は対称形になっています。

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前述した1番線のホームが短くされる前の亀田駅方の様子、2005年7月撮影。
切断解体された1番ホームがいかに長かったかがよくわかります。

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雰囲気的に何かいわくがありそうな線路横の空間、2005年7月撮影。

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荻川駅2番ホーム上屋下の様子、2017年6月撮影。
2番ホームは待合室が設置されているのに加えて、ベンチの数も多くなっています。

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1番ホーム上から見た2番ホームの待合室、2015年12月撮影。
建築財産票によると平成27年3月の完成。
上屋下の空間という制約ゆえなのか、近年多くの駅に設置されているJR東日本定番型の構内待合室とは異なる独特の建物です。

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2番ホーム待合室内部の様子、2017年6月撮影。
飲料の自販機が設置されています。
当駅の場合、自由通路上の待合室は利用状況に対して手狭感は否めず、風雨を凌ぎながら列車を待つ空間が不足していました。
よってこの待合室の設置は乗客にとって大いなる福音と言えましょう。

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2番ホームのさつき野駅方上屋の様子、2017年5月撮影。
2番の上屋の長さは1番の倍というところでしょうか。
待合室の空間も合わせれば、風雨を凌げる空間の差はもっと開きます。

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2番線のさつき野駅方から見た荻川駅構内、2017年5月撮影。
2番のこの辺りも今では完全に遊休化していますが、1番と異なり現在に至るまで手付かずのままです。

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さつき野駅方の踏切から見た荻川駅構内、2010年3月撮影。
2番線にはE127系電車新潟行が停車中。

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荻川駅2番線を通過する484系電車R編成の特急「北越」新潟行、2014年8月撮影。
この時期、橋上駅舎はエレベーターの設置工事もたけなわ。

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荻川駅1番線を通過する485系T編成の快速「くびき野」新井行、2005年7月撮影。
まだ全席自由席の4両編成の頃で、先頭車は北海道向けとして製造された二ツ目の1500番代です。

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荻川駅1番線に到着するE129系電車長岡行、2017年6月撮影。
新潟では普通列車の最長になる6両編成です。

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荻川駅2番線に進入するE129系電車新潟行、2017年5月撮影。
新潟-新津間の頻発運転区間の日中はこの2連が標準型です。

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荻川駅2番線を通過する115系電車の通称「新井快速」新潟行、2017年6月撮影。
快速「くびき野」の後任として、115系電車最後と思われる長距離速達運用に就いています。

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荻川駅1番線に停車中の115系電車長岡行、2016年8月撮影。
現在(2017年9月)もまだその姿を見る機会がありますけれど、塗装もすっかり退色してしまってE129系電車との差が歴然です・・・。

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荻川駅1番線に停車中のキハ110系気動車五泉行、2005年8月撮影。

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荻川駅2番線に進入するキハE120形気動車新潟行、2017年6月撮影。
左の1番線にはE127系電車が停車中。

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信越線の新潟近郊区間では過去帳入りしたE127系電車新津行が荻川駅1番線に到着、2010年3月撮影。

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この10年後に115系電車やキハ40系気動車よりも先に姿を消すとは思いもしなかった頃、荻川駅2番線に進入するE127系電車新潟行、2005年7月撮影。

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後継車GV-E400系気動車投入決定で、引退までのカウントダウンが始まった落日のキハ40系気動車馬下行が夏の夕方の荻川駅に到着、2014年8月撮影。
新潟-新津間にキハ40系が乗り入れる機会は僅少なので、撮影はなかなかに面倒な話なのです。

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C57形蒸気機関車牽引の「SLばんえつ物語」が荻川駅を通過中、2014年8月撮影。

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キハ52を先頭にした「磐西只見ぐるり一周号」が秋晴れの朝の荻川駅を通過、2006年11月撮影。

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2017年9月18日 (月)

昭和55年10月改正ダイヤにおける新津駅優等列車時刻表

新津駅記事に関連して、新潟県内において在来線優等列車絶頂期であった昭和55年10月改正ダイヤにおける、新津駅発着優等列車時刻表を作成してみました。

新津駅優等列車時刻表 
昭和55年10月改正ダイヤから作成、列車編成は鉄道ジャーナル社刊「国鉄の花形列車1981」から抜粋
赤字は特急列車、緑字は急行列車、青字は寝台専用列車です
下り
列車名 始発 発車時刻 終着
特急 日本海
1号
大阪 01:15 青森 24系25形客車11両編成(ハネのみ)+電源車
急行 鳥海 上野 02:50 秋田 旧型客車及び10系寝台車10両編成( ロネ1、ハネ2、ロザ1、ハザ自6)+荷物車3両
特急 日本海
3号
大阪 04:26 青森 24系客車11両編成(ハネのみ)+電源車
急行 天の川 上野 04:53 秋田 20系客車10両編成(ロネ2、ハネ8)+電源車+郵便車
急行 佐渡7号 上野 05:00 新潟 165系電車12両編成(ロザ2、ハザ指3、ハザ自7)
特急 つるぎ 大阪 06:33 新潟 24系25形客車11両編成(ハネのみ)+電源車
急行 きたぐに 大阪 08:38 青森 12系客車及び10系寝台車11両編成(ロネ1、ハネ4、ハザ自7)+郵便車+荷物車
急行 とがくし
1号
上田 10:16 新潟 165系電車7両編成(ハザ指1、ハザ自6)、上田-長野間普通列車
特急 とき1号 上野 10:50 新潟 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 うおの 十日町 11:00 新潟 キハ58系気動車3両編成(ハザ自のみ) 十日町-越後川口間普通列車
特急 いなほ
1号
上野 11:14 秋田 485系電車12両編成(ロザ1、ハザ指7、ハザ自3、シ1)
特急 北越 金沢 11:35 新潟 485系電車12両編成(ロザ2、ハザ指6、ハザ自3、シ1)
急行 佐渡1号 上野 12:21 新潟 165系電車12両編成(ロザ2、ハザ指3、ハザ自7)
急行 あがの
2号
仙台 12:53 新潟 キハ58系気動車6両編成(ハザ指1、ハザ自5) 新津-新潟間普通列車
特急 とき7号 上野 13:47 新潟 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 しらゆき 金沢 14:13 青森 キハ58系気動車9両編成(ロザ1、ハザ指1、ハザ自7)
特急 雷鳥3号 大阪 14:41 新潟 485系電車12両編成(ロザ2、ハザ指6、ハザ自3、シ1)
特急 いなほ
3号
上野 15:13 青森 485系電車12両編成(ロザ1、ハザ指7、ハザ自3、シ1)
特急 とき11号 上野 15:48 新潟 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 いいで 上野 16:11 新潟 キハ58系気動車4両編成(ロザ1、ハザ自3)、磐越西線経由
特急 とき15号 上野 17:22 新潟 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 赤倉 名古屋 18:03 新潟 キハ58系気動車10両編成(ロザ2、ハザ指2、ハザ自6)
急行 佐渡3号 上野 18:18 新潟 165系電車12両編成(ロザ2、ハザ指3、ハザ自7)
特急 雷鳥13号 大阪 18:41 新潟 485系電車12両編成(ロザ2、ハザ指6、ハザ自3、シ1)
特急 とき19号 上野 18:49 新潟 181系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 あがの4号 仙台 18:52 新潟 キハ58系気動車8両編成(ロザ1、ハザ自7)
特急 いなほ
5号
上野 19:14 秋田 485系電車12両編成(ロザ1、ハザ指7、ハザ自3、シ1)
急行 とがくし
3号
上田 19:35 新潟 165系電車7両編成(ハザ指1、ハザ自6)
特急 とき23号 上野 20:48 新潟 181系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
特急 雷鳥21号 大阪 21:41 新潟 485系電車12両編成(ロザ2、ハザ指6、ハザ自3、シ1)
特急 とき25号 上野 22:18 新潟 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 佐渡5号 上野 23:09 新潟 165系電車12両編成(ロザ2、ハザ指3、ハザ自7)
特急 とき27号 上野 23:18 新潟 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
上り
列車名 始発 発車時刻 終着
急行 鳥海 秋田 00:40 上野 旧型客車及び10系寝台車10両編成( ロネ1、ハネ2、ロザ1、ハザ6)+荷物車3両
特急 日本海4号 青森 02:45 大阪 24系25形客車11両編成(ハネのみ)+電源車
特急 とき4号 新潟 07:00 上野 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 佐渡2号 新潟 07:10 上野 165系電車12両編成(ロザ2、ハザ指3、ハザ自7)
特急 雷鳥12号 新潟 07:43 大阪 485系電車12両編成(ロザ2、ハザ指6、ハザ自3、シ1)
特急 とき6号 新潟 08:00 上野 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 あがの1号 新潟 08:36 仙台 キハ58系気動車8両編成(ロザ1、ハザ自7)、福島-仙台間普通列車
特急 とき8号 新潟 09:00 上野 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 赤倉 新潟 09:29 名古屋 キハ58系気動車10両編成(ロザ2、ハザ指2、ハザ自6)
特急 雷鳥16号 新潟 09:43 大阪 485系電車12両編成(ロザ2、ハザ指6、ハザ自3、シ1)
特急 いなほ2号 秋田 10:32 上野 485系電車12両編成(ロザ1、ハザ指7、ハザ自3、シ1)
特急 とき12号 新潟 11:00 上野 181系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 とがくし2号 新潟 11:08 上田 165系電車7両編成(ハザ指1、ハザ自6)
急行 いいで 新潟 12:15 上野 キハ58系気動車4両編成(ロザ1、ハザ自3)、磐越西線経由
特急 とき16号 新潟 13:00 上野 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
特急 佐渡4号 新潟 13:34 上野 165系電車12両編成(ロザ2、ハザ指3、ハザ自7)
特急 雷鳥28号 新潟 13:43 大阪 485系電車12両編成(ロザ2、ハザ指6、ハザ自3、シ1)
特急 いなほ4号 青森 14:33 上野 485系電車12両編成(ロザ1、ハザ指7、ハザ自3、シ1)
急行 しらゆき 青森 14:43 金沢 キハ58系気動車9両編成(ロザ1、ハザ指1、ハザ自7)
急行 あがの3号 新潟 16:26 仙台 キハ58系気動車6両編成(ハザ指1、ハザ自5)、福島-仙台間普通列車
急行 佐渡6号 新潟 16:31 上野 165系電車12両編成(ロザ2、ハザ指3、ハザ自7)
特急 北越 新潟 16:42 金沢 485系電車12両編成(ロザ2、ハザ指6、ハザ自3、シ1)
特急 とき24号 新潟 17:00 上野 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
特急 いなほ6号 秋田 17:40 上野 485系電車12両編成(ロザ1、ハザ指7、ハザ自3、シ1)
特急 とき28号 新潟 19:00 上野 183系電車12両編成(ロザ2、ハザ指7、ハザ自3)
急行 うおの 新潟 19:22 十日町 キハ58系気動車5両編成(ハザ自のみ) 越後川口-十日町間普通列車
急行 とがくし4号 新潟 19:44 上田 165系電車7両編成(ハザ指1、ハザ自6)、長野-上田間普通列車
急行 きたぐに 青森 21:40 大阪 12系客車及び10系寝台車11両編成(ロネ1、ハネ4、ハザ指1、ハザ自6)+郵便車
特急 つるぎ 新潟 22:41 大阪 24系25形客車11両編成(ハネのみ)+電源車
急行 佐渡8号 新潟 23:16 上野 165系電車12両編成(ロザ2、ハザ指3、ハザ自7)
特急 日本海2号 青森 23:46 大阪 24系客車11両編成(ハネのみ)+電源車
急行 天の川 秋田 23:50 上野 20系客車10両編成(ロネ2、ハネ8)+電源車+郵便車

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2017年9月17日 (日)

新津駅(信越本線・羽越本線・磐越西線)

本日の駅紹介は信越本線・新津駅。

新津駅の駅名標

新潟県新潟市秋葉区に所在する有人駅で、同区の玄関駅です。
開業は明治30年(1897年)11月20日で、当時の北越鉄道、現在の信越本線の停車場としてでした。
開業当時の所在は中蒲原郡新津町で、新津一帯は江戸時代末から石油が採れることで知られ、新津停車場が開業する直前の頃には油田に上総堀工法が採用されます。
従来の手掘りでは最大でも200mほどしか掘れないのに対して、この工法だとその倍近くまで掘ることが出来、石油の眠る層まで到達するチャンスが大きく増えることになります。
その数年後には近代的な機械掘りが採用されて、新津市史によると明治37年の産油量は約53万石。
それまで産油量で新潟県内首位の座にあった西山油田を凌ぐ全盛期を迎え、その輸送手段として新津駅と矢代田駅がその役目を担うことになりました。
(西山油田については当ブログの西山駅記事内で触れています)
しかし油田の衰退は早く、明治末から産油量の減少が始まります。
大正時代に入ると更なる新技術導入による一時的な産油量の上昇はあったものの、それも僅か数年の事。
大正五年を境に産油量は再び低下し、以後回復することは無く衰退の一途を辿ります。
新津駅を拠点とする石油輸送もそれで消滅していってしまいますけれど、当駅の場合は石油輸送に代わる駅勢拡大の大きな機会が与えられます。
それは信越本線・羽越本線・磐越西線という地方幹線2路線と亜幹線の交わるジャンクション、そしてそれに付随する機関区の設置と操車場機能の付加でした。
大正元年に当駅に乗り入れた羽越本線は、大正13年に全通。
明治43年に当駅に乗り入れた磐越西線は、大正3年に全通。
磐越西線全通前年の大正2年には、新津機関区を設置。
この新津機関区はその後、日本海縦貫線と磐越西線を管轄する蒸気機関車の一大拠点となります。
当地に動力近代化の波が押し寄せる直前の昭和35年当時、新津機関区に所属していた蒸気機関車は41両(主力はD51で18両、次にC57の9両)。
当時の国鉄新潟鉄道管理局内の五つの機関区(酒田、坂町、新津、長岡第一、直江津)中、最も多い蒸機の配車です。
操車場としての機能も大きく日本海縦貫線の一大拠点で、まさに新津こそは「鉄道の町」であった、昔日の栄光の日々だったのです。

しかし動力近代化が進んで蒸気機関車が姿を消すと、新津機関区から機関車の姿は消えてしまいます。
昭和47年秋の日本海縦貫線全線電化で投入された交直流型電気機関車EF81形は、酒田、富山、金沢の各機関区に集中配備。
ディーゼル機関車についても、本線用のDD51形は東新潟機関区の配置です。
かくて新津機関区は気動車の基地に変貌し、現在のJR東日本新津運輸区として現在に至っているのです。
また昭和44年に後発の新潟操車場に貨物拠点の座を奪われ、昭和55年に新潟操車場の機能が更に拡充されて貨車取扱能力が昭和44年当時の2,400両から3,000両に増大するに至り、新津駅の操車場としての命脈を完全に断つことになりました。

戦前は新潟県内の駅では三駅しかない「一等駅」の一つ(残り二つは新潟と長岡)に数えられたという新津駅は、かくて現在の姿に収斂されていきました。
駅の所属自治体も、中蒲原郡新津町から昭和26年に市制を施行して新津市になった後、平成の大合併で新潟市に編入されて今日に至っています。
JR東日本によると2016年度の当駅一日平均乗車人員は4,343人。
同社新潟県内有人67駅中、堂々の第五位。
四位の亀田駅とも六位の豊栄駅ともやや差があるので、当駅の県内ナンバーファイブの座は当分揺るぐことはないでしょう。
運転上の要衝という地位は薄れ、貨物拠点の機能は喪失してしまった新津駅ですが、旅客輸送に関しては元々が人口七万人弱の市の玄関駅だったことと新潟都市圏であることもあって、実に堅調です。

新津駅駅舎東口の様子
新津駅駅舎東口の様子、2016年8月撮影。
当駅は橋上駅舎で、平成15年(2003年)12月6日。
画像右側の上屋のある辺りが、路線バスの発着場です。
鉄道補完の路線バスは、新潟交通運行の新津-万代シティ線が平日上下26本、土休日21本で、沢海経由は信越本線亀田駅へ、二本木経由はそれに加えてさつき野、荻川両駅に移動できます。
越後石山駅へは最寄のバス停「山二ツ」からやや距離があるのでご注意ください。
新潟交通観光バス運行の新津-白根線は平日16本、土休日12本で信越本線古津駅と矢代田駅に移動可能です。
新津-五泉線は平日19本、土休日10本で磐越西線東新津駅、新関駅、五泉駅に移動可能。
北五泉駅へは最寄バス停からやや距離があるのでご注意ください。
羽越本線に関しては、阿賀野川対岸の京ヶ瀬営業所までしかパスが運行されておらず、その本数も少ないのが残念。
秋葉区の区バスは新津駅東口から三便が出ていて、古津、矢代田両駅には早回りのコースになっています。

駅前通りから見た新津駅東口
駅前通りから見た新津駅東口、2016年8月撮影。
こちら側が旧来からの駅前通りです。

新津駅前通りの様子
新津駅前通りの様子、2016年8月撮影。
この日はお盆、「新津まつり」の準備でこのように紅白で飾られていました。
鉄道の町全盛時代には賑わっていたであろうこの界隈も、現在は営業している店の方が少ないのでは?と思わせる寂しい通りになっています。
地方の御他聞に漏れず、新津界隈の商業集積は周辺のロードサイドに完全シフトしてしまっています。

橋上駅舎上から俯瞰で見た新津駅東口
橋上駅舎上から俯瞰で見た新津駅東口、2016年8月撮影。

駅の東西を結ぶ自由通路の様子
駅の東西を結ぶ自由通路の様子、2016年8月撮影。
幅広のゆったりした空間であります。

新津駅橋上駅舎西口の様子
新津駅橋上駅舎西口の様子、2016年8月撮影。
橋上駅舎化によって整備されたところで、ロータリーを完備。
こちら側にもタクシーが待機しています。
こちらからは秋葉区の区バスが一日四便出ています。
古津、矢代田両駅に移動可能ですが、東口発の便に比べると遠回りでやや時間がかかるので、利用の際はご注意を。

西口に置かれた、蒸気機関車8620形の動輪
西口に置かれた、蒸気機関車8620形の動輪、2016年8月撮影。

橋上駅舎上から俯瞰で見た新津駅西口
橋上駅舎上から俯瞰で見た新津駅西口、2016年8月撮影。
こちら側は新興住宅地になっています。

新津駅橋上駅舎改札口の様子
新津駅橋上駅舎改札口の様子、2015年12月撮影。
構内側からの画です。
利用の多さに対して自動改札機の数は少ない印象。
画像左側が待合室になります。

構内通路の様子
構内通路の様子、2017年5月撮影。

自由通路上から俯瞰で見た新津駅構内のさつき野・京ヶ瀬駅方
自由通路上から俯瞰で見た新津駅構内のさつき野京ヶ瀬駅方、2011年6月撮影。

同じく俯瞰で古津・東新津駅方を見る
同じく俯瞰で古津東新津駅方を見る、2011年6月撮影。

自由通路からは新津運輸区とそこに集う気動車たちを望見することができます
自由通路からは新津運輸区とそこに集う気動車たちを望見することができます、2011年6月撮影。
2016年現在では新津運輸区に気動車71両を配置との事ですが、先日導入計画が正式発表された電気式気動車GV-E400系は果たして何両配置になるのか。
キハ110やキハE120も全て置き換えになるのでしょうか。
だとしたらちょっと寂しい話です。
キハ40系は乗っていてやはりちょっとなーと感じるので、更新も仕方の無い話と納得していますが。

1番線の古津・東新津駅方から見た新津駅構内の様子
1番線の古津・東新津駅方から見た新津駅構内の様子、2017年5月撮影。
当駅を発車する列車は五つの乗り場にランダムに割り振られています。
2017年3月改正ダイヤでは、信越線長岡方面3本(内1本は特急「しらゆき」)、新潟方面6本、羽越線3本、磐越西線3本(内1本は「SLばんえつ物語」)の計15本です。
当駅の五つの乗り場で使用頻度が最も少ないのがここ。

かつて磐越西線用だった0番線跡
かつて磐越西線用だった0番線跡、2017年5月撮影。
私が最後に旧型客車に乗ったのが、確かここから出発する郡山行。
昭和57年の夏休み、旧客で会津若松、只見線に乗り換えて小出まで乗り通し、急行佐渡に乗り換えて新潟に戻るというささやかなワンデイトリップでした。

0番線跡から東新津駅方を見る
0番線跡から東新津駅方を見る、2017年5月撮影。

1番線上屋下の様子
1番線上屋下の様子、2017年5月撮影。
当駅では「SLばんえつ物語」を推して推して推しまくっています。
しかし私はあの列車には触手が全然伸びない・・・
客車がねぇ、旧型客車かオリジナルの12系客車なら乗るんですけど。
オリジナルの12系に乗ったのも、昭和57年の夏が最後だったなぁそう言えば。
急行「きたぐに」で新潟から村上まで。
昭和61年に急行「津軽」で上野から山形まで乗った時は14系客車だったもんなぁ。

1番線上屋下のベンチは、他のホームと違ってレトロ調
1番線上屋下のベンチは、他のホームと違ってレトロ調であります、2017年5月撮影。
どうせやるなら上屋の柱もそれらしく改修すればいいのに。

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1番線の出入り口付近の様子、2017年5月撮影。
階段の他にエスカレーターも設置されています。

1番線のさつき野・京ヶ瀬駅方から見た新津駅構内
1番線のさつき野・京ヶ瀬駅方から見た新津駅構内、2017年5月撮影。
機関車込みで8両の「SLばんえつ物語」の存在ゆえか、ホームに引かれた黄色のラインも長いのです。
このホームのこちら側は上屋が短いので、狭雑感が少なく撮影には好都合。

1番線端から、さつき野・京ヶ瀬駅方を見通す
1番線端から、さつき野・京ヶ瀬駅方を見通す、2017年5月撮影。
ホーム端部は流石に国鉄時代由来の白線が残存。


2-3番島式ホームの2番線さつき野・京ヶ瀬駅方から見た新津駅構内
2-3番島式ホームの2番線さつき野・京ヶ瀬駅方から見た新津駅構内、2017年5月撮影。
左隣の中線には貨物列車がよく停車しています。
2017年3月改正ダイヤでは、信越線長岡方面28本(内特急「しらゆき」4本)、新潟方面7本、磐越西線7本の計42本が2番線から発車しています。
当駅の五つの乗り場でもっとも列車の出入りが激しいのがこの2番。

2-3番島式ホームの3番線さつき野・京ヶ瀬駅方から見た新津駅構内
2-3番島式ホームの3番線さつき野・京ヶ瀬駅方から見た新津駅構内、2017年5月撮影。
このホームは3番のホーム長が長くなっています。
かつては長編成の特急列車が停車していたのかもしれません。
9両編成の札幌行寝台特急「トワイライトエクスプレス」もこの3番に停車していました。
しかし今日では特急「しらゆき」はたったの4両編成。
ホームの張り出しも完全に遊休化してしまっています。
2017年3月改正ダイヤでは、信越線長岡方面1本、新潟方面8本(内1本は「SLばんえつ物語)、羽越線8本、磐越西線2本の計19本が3番線から発車しています。

2-3番島式ホームの3番線端からさつき野・京ヶ瀬駅方を見通す
2-3番島式ホームの3番線端からさつき野・京ヶ瀬駅方を見通す、2017年5月撮影。
「トワイライトエクスプレス」の出入りしていたホームにもかかわらず、この辺は国鉄時代の白線のまま。
当駅の目玉「SLばんえつ物語」と違って、長距離クルージングトレインはウリにならなかったということなのか。

2-3番島式ホームのさつき野・京ヶ瀬駅方上屋下の様子
2-3番島式ホームのさつき野・京ヶ瀬駅方上屋下の様子、2017年5月撮影。
ベンチの空白地帯になっています。

2-3番島式ホーム中央部の様子
2-3番島式ホーム中央部の様子、2017年5月撮影。
列車が停車するのは概ねこの辺り。
画像中央にエレベーターの出入り口が見えます。

2-3番島式ホームの古津・東新津駅方から見た新津駅構内
2-3番島式ホームの古津・東新津駅方から見た新津駅構内、2017年5月撮影。
こちら側の上屋下には待合室を設置。

3番から見た隣の4-5番島式ホームの様子
3番から見た隣の4-5番島式ホームの様子、2017年5月撮影。
島式ホーム2本の古津・東新津駅方は、いずれも上屋を出てすぐホーム端という形になっていて、撮影には不向きであろうというのが個人的な感想。

4-5番島式ホームの4番さつき野・京ヶ瀬駅方から見た新津駅構内
4-5番島式ホームの4番さつき野・京ヶ瀬駅方から見た新津駅構内、2017年5月撮影。
このホームも3番同様に張り出しているのが特徴。
2017年3月改正では信越線長岡方面1本、新潟方面30本(内5本は特急「しらゆき」)、磐越西線2本の計33本が発車しています。

4-5番島式ホームの5番端から、さつき野・京ヶ瀬駅方を見通す
4-5番島式ホームの5番端から、さつき野・京ヶ瀬駅方を見通す、2017年5月撮影。
左隣は新潟地区の気動車の拠点・新津運輸区。

4-5番島式ホームの5番の右側に広がるかつての繁栄の夢の跡
4-5番島式ホームの5番の右側に広がるかつての繁栄の夢の跡、2017年5月撮影。

4-5番島式ホームの古津・京ヶ瀬方上屋下の様子
4-5番島式ホームの古津・京ヶ瀬方上屋下の様子、2017年5月撮影。
となりの2-3番の上屋は実用一点張りですが、こちらはゆるやかな三角形で「停車場」の雰囲気を構内で最も濃厚に残していると感じるところです。

4-5番島式ホーム上屋下からさつき野・京ヶ瀬駅方を見る
4-5番島式ホーム上屋下からさつき野・京ヶ瀬駅方を見る、2017年5月撮影。

4-5番島式ホームの5番古津・東新津駅方から見た新津駅構内さいはての風景
4-5番島式ホームの5番古津・東新津駅方から見た新津駅構内さいはての風景、2017年5月撮影。
2017年3月改正ダイヤでは信越線新潟方面14本、羽越線2本、磐越西線6本の計22本が5番から発車しています。

4-5番島式ホーム端から古津・東新津駅方を見通す
4-5番島式ホーム端から古津・東新津駅方を見通す、2017年5月撮影。
この構造物の基礎っぽい部分は一体何なのか。
昔はこの島式ホームももっと長かったのか、はたまた構内通路の痕跡なのか。

古津・東新津駅方の陸橋上から見た新津駅全景
古津・東新津駅方の陸橋上から見た新津駅全景、2017年5月撮影。
5番線から左側に分岐する線路は草生して遊休化しているのがわかります。
地上のホームから見るよりも色々と発見が多いのが俯瞰の醍醐味。

新津駅4番線に停車中のE653系電車特急「しらゆき」新潟行
新津駅4番線に停車中のE653系電車特急「しらゆき」新潟行、2017年5月撮影。
たった4両編成でグリーン車無しというカジュアルなスタイルの列車ですけれど、「SLばんえつ物語」を除けばこの列車が当駅に出入りする列車の日常的な花形です。
日中は毎時3本の新潟方面普通列車が確保している今日、流石に特急の新潟行に乗り込む客はほとんど見かけませんが。
しかし国鉄時代、普通列車が毎時1本しかなかった時代には、時間帯によっては普通列車よりも本数が多かった優等列車に乗って新潟と行き来する人たちもいました。
私の叔母もよくそうしてましたな。
新津から新潟まで出てくるのに特急に乗車するなんて豪勢やのーと、子供心に羨望また羨望でしたな。

新津駅2番線から出発するE653系電車特急「しらゆき」上越妙高行
新津駅2番線から出発するE653系電車特急「しらゆき」上越妙高行、2015年8月撮影。
右隣の1番線に停車しているのは「SLばんえつ物語」。

新津駅4番線から出発する485系電車R編成の特急「北越」新潟行
新津駅4番線から出発する485系電車R編成の特急「北越」新潟行、2012年7月撮影。

夜の新津駅4番線に停車中の485系電車R編成の特急「北越」新潟行
夜の新津駅4番線に停車中の485系電車R編成の特急「北越」新潟行、2012年6月撮影。


新津駅4番線を発車加速して遠ざかる485系電車R編成の特急「北越」新潟行
新津駅4番線を発車加速して遠ざかる485系電車R編成の特急「北越」新潟行、2012年7月撮影。
国鉄時代の基準に照らせば短い七両編成でも、今日の「しらゆき」と比べればまだまだ優等列車の貫禄が感じられます。
失って初めて理解できることも多いのですわ世の中は。

新津駅2番線を出発した485系電車国鉄特急色の特急「北越」金沢行
新津駅2番線を出発した485系電車国鉄特急色の特急「北越」金沢行、2012年8月撮影。
左隣の中線には貨物列車が一休み中。

新津駅4番線に停車中の、485系電車T編成の快速「くびき野」新潟行
秋の陽が降り注ぐ新津駅4番線に停車中の、485系電車T編成の快速「くびき野」新潟行、2013年10月撮影。
この列車が2015年3月に廃止されて、同時に新潟と上越地区間の特急割引きっぷも大幅値上げでしかも上越新幹線・新潟-長岡間の利用は別途特急券を買わなければならなくなりました。
それまでは特急の運行していない時間帯を考慮して、新潟-長岡間の新幹線利用は特急料金を払わずにそのまま乗車できる特典付きでしたのに。
もう高速バスと張り合う薄利多売はしない当局の決意表明とか、北陸新幹線の建設分担金財源捻出のために沿線で取れるところからはギッチリ取るためとか色々噂を聞きますが、それによる鉄道からバスへの顧客の再移転はどれほどのものなのか興味があります。

夕闇迫る新津駅4番線から発車する、485系電車T編成の快速「くびき野」新潟行
夕闇迫る新津駅4番線から発車する、485系電車T編成の快速「くびき野」新潟行、2013年6月撮影。

新津駅4番線から発車する583系電車急行「きたぐに」新潟行
新津駅4番線から発車する583系電車急行「きたぐに」新潟行、2011年6月撮影。
堂々の10両編成でホームの黄線もそれに対応しています。
この日は平日でしたが、偶然にも5番の隣で酒田駅に回送準備中だという蒸気機関車C57と遭遇。

新津駅2番線から出発するE129系電車長岡行
新津駅2番線から出発するE129系電車長岡行、2017年5月撮影。

新津駅3番線で特急「北越」退避中の115系電車村上行
新津駅3番線で特急「北越」退避中の115系電車村上行、2012年7月撮影。
当時は新津駅での普通列車の特急退避が上下1本ずつありました。
2017年3月改正ダイヤでは午前下りに1本のみ設定されています。

夜の新津駅5番線に停車中の115系電車新潟行
夜の新津駅5番線に停車中の115系電車新潟行、2012年6月撮影。
昔の時刻表を紐解くと、昭和55年10月改正ダイヤでの平日の新津-新潟間定期普通・快速列車の本数は上下合わせて61本。
対して2017年3月改正ダイヤでは116本(「おはよう信越」「らくらくトレイン信越」を除く)。
一方同区間の優等列車は昭和55年10月改正ダイヤで48本(寝台特急「つるぎ」と寝台急行「天の川は除く)、対して2017年3月改正ダイヤでは12本(「おはよう信越」「らくらくトレイン信越」を含む)。

2015年3月改正以前は新潟-新津間の区間列車に多用されていたE127系電車
2015年3月改正以前は新潟-新津間の区間列車に多用されていたE127系電車、2014年8月撮影。

新津駅4番線から出発するE127系電車新潟行
新津駅4番線から出発するE127系電車新潟行、2012年6月撮影。

新津駅1番線に到着した、羽越線新発田発のキハ110形気動車
新津駅1番線に到着した、羽越線新発田発のキハ110形気動車、2017年5月撮影。
広い構内に単行気動車がポツンと停車。
れきとした地方幹線であるはずの羽越本線新津-新発田間の現実です。
昭和55年10月改正ダイヤでの羽越本線新津口の発着普通列車は上下合わせて23本(気動車15本、客車8本)。
他に寝台特急「日本海」4本と電車特急「いなほ」6本、客車夜行急行「鳥海」2本。
同時期の白新線・新潟-新発田間の普通・快速列車は上下27本で、今日の目から見ると甚だ奇異なダイヤ構成だったのです。
当時も沿線人口は白新線沿いがずっと多かったのですから。
旅客の流動実態に目をそむけて伝統に固執する汽車型ダイヤの面目躍如と言えましょうか。
気動車の拠点が新津にあったから・・・というのも理由のひとつかもしれませんが。
一方、2017年3月改正ダイヤでは、37年前と同じく上下合わせて23本(電車4本、気動車19本、他に休日運休の新津-水原区間便2本)。
運行本数は同じですけれど、当時と今とでは一列車当たりの編成長が大きく違いますから、総合的な輸送力としては現状は昔の半分以下でしょうね。

新津駅3番線で待機中のキハ110系気動車新発田行
新津駅3番線で待機中のキハ110系気動車新発田行、2017年5月撮影。

新津駅3番線に停車中のキハ40系気動車会津若松行
新津駅3番線に停車中のキハ40系気動車会津若松行、2009年7月撮影。
お昼に出発するこの列車はキハ40系とキハ110系が日替わりで運用に就いているらしく、運用パターンがわからない私にとっては実にメンドくさい存在なのです。
この列車がキハ110で運用されていれば、その停車画をまだ未撮の日出谷駅豊実駅で撮れるのですよ。
午前の会津若松行はキハ110の固定運用なので、それで日出谷駅まで行って2時間滞在して次のこの列車で豊実駅へ行き、そこから歩いて県境を越えて徳沢駅を初訪問するという効率的なスケジュールを立てられるのですわ。

新津駅5番線で新津運輸区へ回送待機中のキハ40系気動車
新津駅5番線で新津運輸区へ回送待機中のキハ40系気動車、2017年5月撮影。

夜の新津駅5番線に停車中のキハ110系気動車
夜の新津駅5番線に停車中のキハ110系気動車、2005年9月撮影。
昭和55年10月改正ダイヤでの磐越西線・新津-五泉間の平日定期旅客列車運行本数は上下合わせて33本(気動車急行6本、気動車普通12本、客車普通15本)。
対して2017年3月改正ダイヤでは41本。
本数は増えていますが、その伸び率は小さめ。
「SLばんえつ物語」ダイヤ設定の為なのか、午前中の新津発は2時間空白があったりして、運行時間帯が朝晩にやや偏っている印象。
それだけ日中の旅客流動は小さいということなのか。

>晩秋早朝の新津駅4番線で待機中のキハ52形気動車新潟行
晩秋早朝の新津駅4番線で待機中のキハ52形気動車新潟行、2003年11月撮影。
当駅下り新潟方面の初便は当時も今も気動車で運行されています。
この頃はホーム上の待合室も昔のままです。

新津駅3番線に停車中の寝台特急「トワイライトエクスプレス」札幌行
新津駅3番線に停車中の寝台特急「トワイライトエクスプレス」札幌行、2012年6月撮影。

キハ58系気動車国鉄急行色二連が新津駅5番隣の側線で休息中
当時盛んに「キハ58系懐かしの急行」シリーズに充てられていた、キハ58系気動車国鉄急行色二連が新津駅5番隣の側線で休息中、2004年9月撮影。

「SLばんえつ物語」編成の回送列車
急行「きたぐに」が新潟に向け出発した後、おもむろに動き出した「SLばんえつ物語」編成の酒田への回送列車、2011年6月撮影。

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2017年9月10日 (日)

蒲原鉄道廃線跡と村松

磐越西線・五泉駅を紹介しておいて見逃してはおられないのが、かつて五泉駅から村松そして加茂駅まで延びていた蒲原鉄道の廃線跡です。
そこで今回は、五泉駅記事の補完という形で、蒲原鉄道の村松駅、そしてその界隈を点描してみます。

五泉と村松を結ぶ県道新津村松線上の「今泉」バス停
五泉と村松を結ぶ県道新津村松線上の「今泉」バス停、2003年11月撮影。
この至近に蒲原鉄道・五泉-村松間唯一の中間駅である今泉駅がありました。

今泉駅付近の蒲原鉄道廃線跡
今泉からさらに村松に歩みを進める、2003年11月撮影。
この時点で蒲原鉄道廃止から約4年経過しています。
線路は外されて、路盤はこのように雑草に覆い尽くされています。
半年先行して廃止された新潟交通電車線では線路も架線柱も駅舎さえも残存して、現役時代さながらの姿を保っていたのとは対照的。

静態保存されていた蒲原鉄道の電車
村松の中心街に入る手前で静態保存されていた蒲原鉄道の電車、2003年11月撮影。
町や蒲原鉄道ではなく、有志の方が私費を投じて保管していたのです。
頭が下がります。
自分の器の小ささを恥じ入るばかり。

斜めから見た蒲原鉄道の静態保存電車
斜めから見た蒲原鉄道の静態保存電車、2003年11月撮影。

正面から見た蒲原鉄道の静態保存電車
正面から見た蒲原鉄道の静態保存電車、2003年11月撮影。

蒲原鉄道の電車モハ71
電車の連結部、2003年11月撮影。
左側の電車は「モハ71」。
鉄道ジャーナル1983年8月号の蒲原鉄道の小特集によると、モハ71は昭和2年に製造された元西武鉄道の制御車で三扉車、昭和40年に電装化し蒲原鉄道に入ってきたようです。
画像左側には「蒲原鉄道 村松変電所」の看板が。
蒲原鉄道が最終的に鉄道線廃止を決めたのは、赤字の他に老朽化した電車や変電所の更新費用の問題でした。
鉄道線廃止の数年前に出版された川島令三氏の著作では、いっそのこと気動車化したら?という提言がなされていましたっけ。
鉄道線を存続させるにはその手しか無いよなぁと、当時私も同感したものです。
キハ110が磐越西線新津方から蒲原鉄道に直接乗り入れできれば、それなりのインパクトもあるはず。
しかし耳にした範囲では、そうした話が真面目に検討されたことはなかったよう。
外の人間がどうこう言っても、もうどうしようもない状態だったのでしょう。
まぁここで妄想を述べさせていただければ、JR東日本が買収して村松駅を棒線化の上で磐越西線馬下折り返しの列車を村松発着に変更するとか。
五泉-馬下間よりは五泉-村松間の方が利用が多いのは、周辺人口規模から言ってもまず間違いないところですし。
もちろんこのようなマニアの机上の空論が省みられることなぞ絶対にあり得ない事なのは、よくよくわかっておりますですよハイ。

電車の見学を終えて、村松の街中に足を踏み出しつつ振り返って一枚
電車の見学を終えて、村松の街中に足を踏み出しつつ振り返って一枚、2003年11月撮影。

電車と凸形電気機関車のセット
旧村松駅付近まで来ると、またまた車両を発見、2003年11月撮影。
今度は電車と凸形電気機関車のセットであります。

蒲原鉄道の電車モハ31
この電車は「モハ31」、2003年11月撮影。
大正12年製の非貫通型で、他社からの購入ではなく蒲原鉄道発注の純血種のようです。
ガソリン気動車に似た感じの正面二枚窓であります。

蒲原鉄道モハ31を斜めから見る
蒲原鉄道モハ31を斜めから見る、2003年11月撮影。

蒲原鉄道唯一の電気機関車、ED1形
蒲原鉄道唯一の電気機関車、ED1形、2003年11月撮影。
アメリカのウェスチングハウス社製電気機関車に範をとった無骨な凸形機で、昭和5年製。
往時は貨物列車の牽引や除雪、イレギュラーで故障した電車の牽引と、たった一両で縦横無尽な活躍を見せていた蒲原鉄道の陰の主役的存在でありました。
前述の鉄道ジャーナル1983年8月号には、七谷駅で故障電車を牽引するED1形のカラー写真が載っていますが、回りの雨に濡れた鄙びた情景、無骨な機関車、古典的電車の3本セットでもう辛抱たまらんモノがあります。
この号の特集は当時、飯田線で廃止目前となった戦前製の旧型国電の特集で、それに関連して地方電化ローカル私鉄の例として蒲原鉄道と栗原電鉄が取り上げられています。
古書店で見かける機会があったら、ぜひ入手していただきたいお薦めの一冊であります。

旧村松駅のバスターミナル
旧村松駅はバスターミナルに姿を変えています、2012年7月撮影。
村松を訪れるのは2003年11月以来でしたが、このバスターミナルは発着本数もすっかり減って、その機能もあまり果たされていない様子。
五泉-村松間はともかく、村松から加茂へは鉄道代替バスとは思えない過疎ダイヤ。
元々この区間の需要が少なかった証なのであります。
前述の鉄道ジャーナル誌の小特集は村松-加茂間廃止が具体化する以前の記事でしたが、鉄道線全体の約8割を占めるのに利用は約3割に過ぎないという、同区間の苦境が問題になっていたのです。
昭和50年代半ばの村松-加茂間の一日平均輸送人員は約850人だったそうです。

現在(2017年)の、村松-加茂間のバス事情をかいつまんでおくと、加茂-村松直通便は一日3往復で朝夕晩の運行。
この区間のバスは加茂市が運行していますが、加茂駅から旧七谷駅あたりまでは上下46本と充分な本数が確保されている一方、現在蒲原鉄道の電車が保存されていて先日公共放送BSのとうちゃこで火野正平氏が訪れていた冬鳥越へは上下18本と本数が激減。
その先、旧高松駅あたりになると上下8本になります。
加茂市と五泉市に跨る路線を加茂市が運行しているので、旧村松町内に入るバスが少なくなるのは仕方のないことなのですが、遠方からの来訪者が廃線跡を探訪するにはひどく不便なダイヤになってしまっているのです。

旧村松町中心街の様子
人口二万人弱を擁した旧村松町中心街の様子、2012年7月撮影。
車の往来は多いものの、シャッターを閉めた店舗が目立ち、歩行者も少なくて正直活気はありません。
村松中心街の道は十字路が無いのですが、これは村松藩の防御策由来なんだとか。
十字路にすべきところでも道をわざとずらして、味方の兵を進撃する敵の死角に潜ませて迎え撃つつもりだったのでしょうね。

村松城跡公園入り口
村松城跡公園入り口、2012年7月撮影。
かつての越後村松藩三万石の城跡に作られた公園です。
村松藩は当初、旧安田町域(現在の阿賀野市)に拠点を持ち、藩の格は最下位の「無城」でした。
それが村松に移転して、城を持てる「城主格」になりました。

蒲原鉄道の電車モハ11その1
城跡公園内に保存されている蒲原鉄道の電車「モハ11」、2012年7月撮影。
昭和5年製の蒲原鉄道純血種の電車で、蒲鉄の他の電車の出自がバラバラの単品なのに対して、このモハ11は同型のモハ12が存在しているので形式として「形」と呼称して差し支えない存在なのです。

蒲原鉄道の電車モハ11その2
モハ11は全長12.432mで、相棒のモハ12と共に蒲原鉄道最小の電車でもありました、2012年7月撮影。

郷土資料館に展示されているタブレット閉塞機
城跡公園内には旧村松町の郷土資料館があり、館内には蒲原鉄道の展示コーナーが常設されています、2012年7月撮影。
これはタブレット閉塞機。
ジリリとベルが鳴ってタマが出てくるヤツですな。
先月の鉄道ピクトリアルの特集はまさにこれでした。

郷土資料館に展示されている電車のサボや駅名板
電車のサボや駅名板などもこうして見学できます、2012年7月撮影。

郷土資料館に展示されている蒲原鉄道の鉄道模型
蒲原鉄道の村松-五泉間を模した鉄道模型のレイアウト、2012年7月撮影。
手前が村松駅です。

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2017年9月 9日 (土)

五泉駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・五泉駅。

五泉駅の昔の跨線橋

新潟県五泉市に所在する有人駅で、同市の玄関駅です。
開業は明治43年(1910年)10月25日。
開業当時の所在は中蒲原郡五泉町で、明治時代には既に中蒲原郡域有数の街になっていました。
五泉町の隣の村松町には帝国陸軍の歩兵連隊が駐屯していましたけれど、磐越西線開通以前は信越本線の羽生田駅が部隊輸送や軍人の往来の玄関駅。
村松から羽生田へは約10kmで道中は山道多し。
一方村松から五泉へは約5kmで平野部です。
部隊の迅速なる移動にどちらが優れているかは言うまでもありません。
当駅の開業は軍事上大きな意義があったのです。

五泉停車場開業の13年後には、江戸時代はこの地域の中心だった村松藩三万石の城下町村松に向かう蒲原鉄道が開業して、五泉駅は官鉄とローカル私鉄の乗り入れるジャンクションの機能を持つようになります。
五泉町はその後、周辺自治体を合併編入して町勢を拡大、昭和29年には市制を施行して五泉市になり、平成の大合併の号令下で隣の村松町と合併し新たな五泉市として再スタートをきり、現在に至ります。
五泉市は特急の走らぬローカル亜幹線・磐越西線沿線で周辺に著名な観光地が少ないことから他県の方から見るとかなり地味に映るかもしれません。
しかし当地は昔から「ニットの街」として有名で、その生産高は日本一。
生産高のみならず技術の点でも高く評価されているところなのです。
また市勢についてもその人口は北陸新幹線の停車する糸魚川市よりも多く、当市より面積が七割近く多い十日町市に匹敵するレベルで、新潟県下においては見附市と共に、地味に見えるが実は侮りがたい街なのであります。

さてJR東日本によると、2016年度の五泉駅の一日平均乗車人員は1,070人。
同社新潟県内有人67駅中38位で、弥彦線・燕駅や越後線青山駅、白新線・早通駅、信越本線・矢代田駅と同レベルにあります。
また当駅は自動改札設置駅で、設置の一応の目安と言われる一日平均乗車人員千人をギリギリ満たしている駅であります。
なお新潟県内の自動改札設置駅で乗車人員が当駅よりも少ないのは、信越本線・さつき野駅のみになります。
市の人口、そして新潟都市圏の一員としての立ち位置も考えればもう少し利用が多くてもよさそうなところなのですが、五泉市中心部に所在する五泉高校へは、当駅よりも隣の北五泉駅の方が近いのです。
北五泉駅の2015年度一日平均乗車人員が737人もいるのは、それが大きく貢献していると思われます。
北五泉駅に学生利用の集中が見られる、その割を食っているのが五泉駅の現状なのです。

五泉駅駅舎の様子
五泉駅駅舎の様子、2017年6月撮影。
建築財産票を見つけられなかったので竣工年月は不明。
横長の建物で建てられたのは昭和30年代半ばから後半という印象です。
昔の造りの駅の常として、構外側にもトイレがあるのは来訪者にとって実に心強い限りですな。
昨今の改築駅舎だと間違いなく、構外のトイレは無くなっちゃってますもんねぇ。

駅前広場の中央連絡橋方を見る
駅前広場の中央連絡橋方を見る、2017年6月撮影。
画像奥中央に見えるのが、駅の南北を繋ぐ中央連絡橋です。
駅舎に合わせて横長で、奥行きの小さい駅前広場はどことなく物寂しい風情。

中央連絡橋側から見た五泉駅の駅前広場
中央連絡橋側から見た五泉駅の駅前広場、2017年6月撮影。
画像手前右側の辺りに、かつて蒲原鉄道五泉駅の駅舎が建っていたそうです。
画像には何も映っていませんが、これはタクシーが客を乗せて走り去った直後の、誰もいない駅前広場を狙って撮った苦心の一枚です。
通常、タクシーは数台待機していて五泉市コミニュティバスも乗り入れてきます。
路線バスの鉄道補完としては、新潟交通観光バス運行の五泉-新津線が磐越西線の補完として利用できます(新関東新津両駅)。
運行頻度は2時間に1本というところですが、土休日も大半の便が走っているので使い勝手が良いのです。
ただし乗り場は五泉駅前ではなく、駅前通りを少し歩いて右折したところにあるので土地勘の無い来訪者には少々わかりにくいのが難点。
一方、駅前に乗り入れる五泉市コミニュティバスは北五泉駅やかつての蒲原鉄道の終点・村松への足として使えます。
磐越西線の津川方面については、十年ほど前まで運行されていた路線バス五泉-馬下線が廃止されデマンドタクシー化されてしまった為、来訪者の移動手段としては磐越西線のみになっています。

駅前通りから見た五泉駅駅舎
駅前通りから見た五泉駅駅舎、2017年6月撮影。
通りからでは全体像をはっきり把握できない横長の建物なのであります。

駅舎出入り口から見た五泉駅駅前通り
駅舎出入り口から見た五泉駅駅前通り、2017年6月撮影。
背の高い建物は周囲にありません。
五泉市の旧中心街はこの通りではなく、画像左側に入って少し進んだ先の、磐越西線の踏切がある通りになります。
駅至近にはコンビニ等はございませんのでご注意の程を。

中央連絡橋の階段上から俯瞰で見た五泉駅前通りの様子
中央連絡橋の階段上から俯瞰で見た五泉駅前通りの様子、2017年6月撮影。

五泉駅駅舎内部の自動改札機群
五泉駅駅舎内部の自動改札機群、2017年6月撮影。
前述のように、当駅は新潟県内の在来線自動改札設置駅では下から二番目の一日乗車人員ですが、磐越西線の新潟県内区間では断トツの賑わいを見せる駅でもあるのです。

磐越西線新潟県内区間最大の駅である当駅には、当然みどりの窓口を設置
磐越西線新潟県内区間最大の駅である当駅には、当然みどりの窓口を設置、2017年6月撮影。

窓口隣には、自動券売機が一台きり
窓口隣には、自動券売機が一台きり、2017年6月撮影。
当駅乗車人員に占める定期外の割合は約22%で、実数は一日平均で200人台前半。
上越新幹線利用など遠出のきっぷは窓口で買いますから、近距離の定期外客対応は一台で充分という当局の判断なのでしょう。

かつての五泉駅待合室内にはキオスクがありました
かつての五泉駅待合室内にはキオスクがありました、2010年6月撮影。
当時の営業時間は途中休憩を挟んで朝七時から夜七時四十分で、休日定休。
私がこの後に当駅を訪れたのは2012年7月でしたが、その時は既に撤退していました。

キオスク撤退後の待合室内部
キオスク撤退後の待合室内部、2017年6月撮影。
キオスクの代わりに自販機を二台設置しています。
当駅のように至近に適当な買い物処がない環境では、キオスクが無いのはやはり不便。

1番線の猿和田駅方から見た五泉駅構内の様子
1番線の猿和田駅方から見た五泉駅構内の様子、2017年6月撮影。
1番線は津川方面乗り場です。
対面式ホームと島式ホームの組み合わせによる2面3線の、ごく標準的な仕様になっています。

1番線端から猿和田駅方を見る
1番線端から猿和田駅方を見る、2017年6月撮影。
「SLばんえつ物語」の機関車停止位置が表示されています。
私はあの列車にさして興味が無く、積極的に撮りに行くことはないので当駅での停車も見たことが無いのですが、機関車の停止位置がホーム外れのここということは、機関車+客車七両の列車がホーム長いっぱいに余すことなく停車するということなのでしょう。
上越新幹線大宮暫定開業前の気動車急行「あがの」「いいで」も最大6両ですから、停車する列車の威勢はそれを上回って過去最大なのですよ。

1番線上屋下の様子
1番線上屋下の様子、2017年6月撮影。
「ようこそ五泉へ!」・・・、しかし「SLばんえつ物語」で五泉下車というお客はあまりいないのでは。

1番線の跨線橋出入り口側から見た上屋下の様子
1番線の跨線橋出入り口側から見た上屋下の様子、2017年6月撮影。
こちらには「SLばんえつ物語」の吊り看板を設置。
磐越西線の新潟県内区間を統括する「阿賀野ライン営業所」は当駅に置かれています。
こういった看板の類も、「ウチはSLで推して推して推しまくる!」という営業所の決意の表明と言えましょうか。

1番線の北五泉駅方から見た五泉駅構内
1番線の北五泉駅方から見た五泉駅構内、2017年6月撮影。
当駅の跨線橋は北五泉駅方に偏って設置されているので、ここからの見通しは良くありません。
何事も偏向はいけませんな。

1番線端から北五泉駅方を見る
1番線端から北五泉駅方を見る、2017年6月撮影。
構内通路が健在なのは、亜幹線の駅らしい雰囲気濃厚です。

五泉駅跨線橋内部の様子
五泉駅跨線橋内部の様子、2017年6月撮影。
小都市や大きな町の玄関駅として標準サイズの通路幅です。

跨線橋上から五泉駅構内の猿和田駅方を望む
跨線橋上から五泉駅構内の猿和田駅方を望む、2017年6月撮影。
跨線橋の位置が偏っていて上屋の終端にある為に、ここから見る構内は上屋が長く見えて残念ながら見通しは利かず。
反対側至近には前述の中央連絡橋があるので視界が遮られています。

2-3番島式ホームの2番線側上屋下の様子
2-3番島式ホームの2番線側上屋下の様子、2017年6月撮影。
当駅構内には待合室はありません。

2-3番島式ホームの2番線猿和田駅方から見た五泉駅構内
2-3番島式ホームの2番線猿和田駅方から見た五泉駅構内、2017年6月撮影。
2番線は新津方面乗り場です。

島式ホームの3番線側端から猿和田駅方を見る
島式ホームの3番線側端から猿和田駅方を見る、2017年6月撮影。
横取線は1本残存していますが、使用頻度はどの程度なのか

島式ホーム3番線の上屋直前から北五泉駅方を見る
島式ホーム3番線の上屋直前から北五泉駅方を見る、2017年6月撮影。
3番線は現在新津方からの短編成当駅折り返し列車用になっていて、この辺りに列車が停車することは通常ありません。
3番側のホームもそのような仕様になっていて、前述のベンチが配置されているところは遮風板が設置されています。

島式ホーム3番の中ほどから猿和田駅方を見る
島式ホーム3番の中ほどから猿和田駅方を見る、2017年6月撮影。
横取線はこちら側とは繋がっていません。

五泉駅島式ホーム端から北五泉駅方を見る
五泉駅島式ホーム端から北五泉駅方を見る、2017年6月撮影。

3番線北五泉駅方から猿和田駅方を見る
3番線北五泉駅方から猿和田駅方を見る、2017年6月撮影。

猿和田駅方の踏切から見た五泉駅構内の様子
猿和田駅方の踏切から見た五泉駅構内の様子、2017年6月撮影。


北五泉駅方の踏切から見た五泉駅構内
北五泉駅方の踏切から見た五泉駅構内、2017年6月撮影。

平成4年12月に竣工した中央連絡橋内部
平成4年12月に竣工した中央連絡橋内部、2017年6月撮影。
比較的新しい構造物ですが、バリアフリー化されていないのが五泉市で問題視されているようで、平成24年からの五泉駅周辺の整備事業ではこの橋の再整備が謳われています。

中央連絡橋上から見た五泉駅構内外れの北五泉駅方
中央連絡橋上から見た五泉駅構内外れの北五泉駅方、2017年6月撮影。

駅南側が再整備される以前の五泉駅構内外れの様子
駅南側が再整備される以前の五泉駅構内外れの様子、2004年12月撮影。
画像左側には、1999年10月に廃止された蒲原鉄道五泉駅の用地が空き地になっていました。
→蒲原鉄道・五泉-村松間の廃線跡と旧村松町界隈の様子についてはこちらを。

中央連絡橋上から五泉駅構内の猿和田駅方を見る
中央連絡橋上から五泉駅構内の猿和田駅方を見る、2017年6月撮影。
画像右の駅南側には、五泉地域の公共福祉の中核として「五泉地域包括支援センター」が近年建てられました。

蒲原鉄道関係の空き地の再活用が手付かずだった時期の駅南側の様子
蒲原鉄道関係の空き地の再活用が手付かずだった時期の駅南側の様子、2004年12月撮影。

2010年6月時点の五泉駅南側
駅南側は、2010年6月時点でも未だこのような姿でした。
ここから見ると、3番ホームの仕様を簡単に把握できます。
列車が停車するのは、遮風板の手前からです。

>「五泉地域包括支援センター」が建設される以前の、中央連絡橋南側出入り口付近の様子
「五泉地域包括支援センター」が建設される以前の、中央連絡橋南側出入り口付近の様子、2010年6月撮影。
周辺は宅地になっています。
上屋付きの駐輪場が置かれていて、こちら側から五泉駅への需要が少なからず存在する事がわかります。
駅舎の経年もかなりのものになっていますし、中央連絡橋の再整備という話もあるからには、いっそ全て包括して橋上駅舎化してしまえばと、無責任な部外者は思ってしまうところ。
しかし前述の駅周辺整備事業では、その辺については全く触れられていません。

五泉駅2番線に停車中のキハ40系気動車新津行
五泉駅2番線に停車中のキハ40系気動車新津行、2017年6月撮影。
キハ40系が国鉄急行色で定期運用された事は無いので、115系電車の新潟色といいコレといい私的にはやはり当局の悪ノリに見えてしまいます。
まぁしかし、こうして見るとキハ40系のこの塗装はなかなか良い感じなのです。
115系の新潟色よりはずっとマシかな。

五泉駅1番線に到着したキハ40系気動車会津若松行
五泉駅1番線に到着したキハ40系気動車会津若松行、2012年7月撮影。
夕方で平日ならば帰宅部学生の帰宅時間帯です。
しかし列車は二連。
磐越西線の厳しい現実を垣間見るようです。
ちなみに昔の時刻表を紐解くと、昭和55年10月改正ダイヤでの五泉駅発着列車は上下合わせて33本。
内訳は急行列車6本、普通列車27本(五泉折り返しは2本)で、15本はDD51形ディーゼル機関車牽引の客車列車でした。
それから37年後の2017年3月改正では上下合わせて41本(「SLばんえつ物語」は除く)。
五泉-新津間の普通列車に限って言えば、約五割増えていますけれど、日中はまだまだ過疎ダイヤなのが実情。
一方馬下駅の先、津川方面に向かう場合は昭和55年10月では上下合わせて24本(急行列車6本を含む)に対して、2017年3月では22本と、乗車機会は微減なのです。

五泉駅で行き違う、キハ110系気動車馬下行とキハE120気動車快速「あがの」新潟行
五泉駅で行き違う、キハ110系気動車馬下行とキハE120気動車快速「あがの」新潟行、2012年7月撮影。
この馬下行は、この後運転区間が短縮されて、五泉駅3番線折り返し列車になっています。
日中の短編成列車なら当駅3番線の短い収容空間でもOKですから、列車留置の為に利用の少ない五泉-馬下間を回送同然の姿でわざわざ走らせることもないのです。
快速「あがの」はかつての気動車急行「あがの」の末裔で一日1往復。
本数が半減して久しいのですが、米坂線の「べにばな」と異なり上りは全区間、下りは新津まで快速運転を維持しているのは元急行の矜持を感じさせます。
なお当駅の2017年3月改正ダイヤにおける列車交換は一日2回(朝と夜の各1回)で、馬下駅が交換の大半を担っています。

五泉駅3番線で客待ち顔のキハE120
五泉駅3番線で客待ち顔のキハE120、2014年8月撮影。
2017年3月改正ダイヤで日中にこの光景を見れるのは一日2回です。
磐越西線新津口の区間列車は、五泉と馬下折り返しがそれぞれ一日四往復ずつ設定されていますけれど、編成の長い朝夕の列車はホーム収容力の大きい馬下、短編成の早朝と日中、深夜は当駅と両者の棲み分けが出来ています。
当駅の3番線をもっと長く使えるようにホームの改修を行わない限り、五泉折り返しがこれ以上増えることはなさそう。

3番線に停車中の当駅折り返しキハ110を北五泉駅方から見る
3番線に停車中の当駅折り返しキハ110を北五泉駅方から見る、2014年8月撮影。

五泉駅3番線に到着したキハE120
五泉駅3番線に到着したキハE120、2017年6月撮影。

五泉市の旧中心商店街
五泉市の旧中心商店街、2017年6月撮影。
昔ながらの商店街で懐かしさに溢れていますが、集客力の大きい店舗は現在出店していません。


廃墟化したジャスコ2003年11月
五泉駅前通りと上述の旧中心商店街の通りの中間に出店していたジャスコの成れの果ての廃墟、2003年11月撮影。
この時点で閉店から四年ほど経っているようです。
ここが流行っていれば五泉駅付近ももっと賑わいがあったでしょうに。

廃墟化したジャスコ2010年6月
2010年6月時点の旧ジャスコとその周辺の様子。
ジャスコの大きな看板が撤去された以外、何も変わらず

廃墟化したジャスコ2017年6月その一
廃墟化したジャスコ2017年6月その二
そして2017年6月時点の旧ジャスコ。
建物の壁面が緑に覆われつつあります。
権利関係がメンドくさくてこんな放置状態なんでしょうけど、いつまでこんな状態が続くのでしょうか。

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2017年9月 3日 (日)

新発田駅(羽越本線・白新線)

本日の駅紹介は羽越本線/白新線・新発田駅。

2003年当時の新発田駅駅名標

新潟県新発田市に所在する有人駅で、開業は大正元年(1912年)9月2日。
開業当時の所在は北蒲原郡新発田町で、越後新発田藩10万石の城下町であった新発田町は、同じく村上藩の城下町であった村上町と共に新潟県北地域の代表的な街でした。
新発田町は昭和22年に市制を施行、新発田市となって以後周辺自治体を合併編入してその市勢を高めて今日に至っています。
現在の人口は10万人弱で、新潟県内では新潟、長岡、上越、三条に次ぐ第五の人口を誇ります。
三条市との差は僅少ですが、あと少しの差を中々埋められずにいます。
人口は近年微減傾向で、また新たに合併に応じそうな自治体も無いので、人口十万人を安定して維持する事と県内第四の街になる可能性は、ちょっと望み薄という感じ。

開業当時は羽越本線の中間駅という位置付けであった新発田駅ですが、大正14年に赤谷線が開業してジャンクションとしての機能が加わり、昭和27年に白新線が葛塚駅(現・豊栄駅)まで部分開業。
その四年後に沼垂駅まで一応の全通を見て、鉄路での新潟市との往来の利便性は大きく向上しました。

JR東日本によると、2016年度の新発田駅1日平均乗車人員は3,691人で、同社新潟県内有人67駅中7駅。
人口規模が新発田市と同じ三条市の場合は、東三条駅三条駅燕三条駅の三駅に需要が分散していますが、新発田市の場合は市内駅で新発田駅が圧倒的な存在であり、それが東三条駅と当駅の乗車人員の差になって表れています。
隣接する白新線の豊栄駅よりもやや少ないレベルで、8位の新潟大学前駅とは600人弱の差を付けており、豊栄駅と第6位の座を競う現在の駅の立ち位置は不動のものになっているのです。

平成26年11月にリニューアルが完成した新発田駅駅舎
平成26年11月にリニューアルが完成した新発田駅駅舎、2016年10月撮影。
駅前広場の拡張整備は、駅舎のリニューアルに先立つこと8年前に実施されていました。

新発田駅駅舎出入り口付近の様子
新発田駅駅舎出入り口付近の様子、2016年10月撮影。
新発田城で使われていた、耐水、防火性に優れる海鼠壁をイメージしたデザインだそうですが、そういうジャンルにほぼ無知な私は、ほーそうですか・・・としか返せないのが実に遺憾で勉強不足を思い知らされる瞬間なのです。

画像奥が駅舎、手前の上屋あたりが路線バスの乗り場です
画像奥が駅舎、手前の上屋あたりが路線バスの乗り場です、2016年10月撮影。
鉄道補完では、新発田駅駅前から新潟交通運行の万代シティ-新発田線(日中は概ね1~2時間に1本の運行頻度で新潟駅の他、多少の徒歩で佐々木新崎駅に移動可能、他の白新線各駅へはかなり歩くことになります)、新潟交通観光バス運行の新発田-中条線(中条駅に移動可能、ただし本数は平日4往復、土休日全休)と新発田-月岡温泉線
中浦月岡両駅に移動可能、本数は平日8往復、土休日全休)、そして新発田市運行のコミニュテイバスが二系統(新発田中心部循環の「あやめバス」と加治方面への便)あって、前者は西新発田駅への移動に使え、運行態勢は外回り(西新発田駅先回りで所要14分)平日13本、土休日6本、内回り(西新発田駅後回りで所要48分)平日12本、土休日7本。
後者は加治駅から1キロ弱の地点まで移動可能で、平日12本、土休日4本です。

駅の東西を連絡する地下道
駅の東西を連絡する地下道、2017年7月撮影。

東西連絡地下道内部の様子
東西連絡地下道内部の様子、2017年7月撮影。
私はここを通ったのはこの時が初めてだったのですが、後述の駅東側交通広場整備に合わせてリニューアルされているそうです。

機能的な構造の新発田駅前ロータリー
機能的な構造の新発田駅前ロータリーの様子、2016年10月撮影。
駅前からロータリーとその向こうの駅前通りを見る
駅前からロータリーとその向こうの駅前通りを見る、2016年10月撮影。
おりしも新潟交通観光バス運行の路線バスが駅前バス停に停車中です。

新発田駅前通りの様子
新発田駅前通りの様子、2016年10月撮影。
画像奥が新発田駅になります。
駅前広場の再整備と同時に県立新発田病院が至近に移転してきましたけれど、駅前通り商店街の活性化には直接結びついていない感じです。


新発田市中心街の様子
駅から少し歩いて、新発田市中心街の様子を一枚、2016年10月撮影。
この辺に集客力のある店舗は無く、昔ながらの商店が軒を連ねています。
新発田市界隈の商業集積の軸心は隣の西新発田駅界隈に完全に移ってしまっていて、道行く人はお年寄りが目立ちます。
車の通行量は多いのですが、大半は素通りしていってしまいます。

新発田駅駅舎内の自動改札機群
新発田駅駅舎内の自動改札機群、2016年10月撮影。
駅の利用状況の良さを無言のうちに物語っています。

駅舎内向かって右側の待合室出入り口とその右隣のヤマザキデイリー
駅舎内向かって右側の待合室出入り口とその右隣のヤマザキデイリー、2016年10月撮影。
待合室は常に人が多い印象で、室内撮影は遠慮せざるを得ないレベル。
夜遅くでも結構な人数がいるのです。
ヤマザキデイリーは、周辺にコンビニが無い当駅において貴重な買い物処で、営業時間は午前五時から深夜一時まで。

駅舎向かって左側の窓口と自動券売機三台
駅舎向かって左側の窓口と自動券売機三台、2016年10月撮影。
指定券券売機が一台設置されていて、その頭上には上越新幹線の空席情報盤。
しばらく観察してみましたが、指定券券売機を使う人はゼロでした。
皆窓口で時間をかけて切符を購入。
特にお年寄りやオバチャンはこの手の機械が苦手なのですな。

構内側から見た自動改札機群
構内側から見た自動改札機群、2016年10月撮影。

1番ホームの上屋下の様子
1番ホームの上屋下の様子、2016年10月撮影。

快速「きらきらうえつ」停車駅の証たるスペシャル駅名標
全車指定席の快速「きらきらうえつ」停車駅の証たるスペシャル駅名標、2017年7月撮影。

白新線専用の切り欠き型頭端式ホーム・0番線を西新発田駅方から見る
白新線専用の切り欠き型頭端式ホーム・0番線を西新発田駅方から見る、2016年10月撮影。

0番線端から西新発田駅方を見る
0番線端から西新発田駅方を見る、2016年10月撮影。

0-1番ホーム上屋下の様子
0-1番ホーム上屋下の様子、2016年10月撮影。
ここは単に通路としての機能で、ベンチは設置されていません。

1番線の西新発田駅方から見た新発田駅構内の様子
1番線の西新発田駅方から見た新発田駅構内の様子、2016年10月撮影。
1番線は村上方面乗り場です。
国鉄仕様の白線がまだ健在なのは、この辺りが遊休化している証です。
上越新幹線開業前、12連の特急「いなほ」がこのホーム目一杯を使って停車していたのも、もう35年前の遠い昔話になってしまいました。


1番線の加治駅方から見た新発田駅構内
1番線の加治駅方から見た新発田駅構内、2016年10月撮影。
こちら側は白線も消失してしまっています。
現在の1番ホーム有効長は上屋の架かるところだけ。


1番ホーム端から加治駅方を見通す
1番ホーム端から加治駅方を見通す、2016年10月撮影。

2面3線の構内を連絡する地下道の様子
2面3線の構内を連絡する地下道の様子、2016年10月撮影。
羽越本線の新潟県内区間の主要駅である村上駅と当駅の構内連絡手段は、地下道のみという時代が長く続いていました。
跨線橋は元々存在したのか否か、気になるところであります。
あの0番線が無ければ、空間的に跨線橋の設置は問題が無かったと思うのですけれど。

新発田駅構内地下道のエレベーター
近年のバリアフリー化の時流に乗って、当駅にもエレベーターが近年設置されました、2016年10月撮影。
地下構造に手を加えるので、設置は跨線橋に後付するよりもおカネがかかりそうではあります。
当駅と同じ構造だった村上駅は、エレベーター装備の跨線橋を新しく造って対応していますけれど、当駅の場合は一時橋上駅舎化内定→市長交代で白紙撤回という混乱があったので、それも適わなかったという事なのかも。

2-3番島式ホームの中浦駅方から見た、地下道出入り口とその左側のエレベーター
2-3番島式ホームの中浦駅方から見た、地下道出入り口とその左側のエレベーター、そして三角屋根の上屋の様子、2016年10月撮影。

島式ホーム2番の中浦駅方から見た新発田駅構内
島式ホーム2番の中浦駅方から見た新発田駅構内、2016年10月撮影。
2番線は新潟、新津方面乗り場です。

島式ホームの3番線の中浦駅方から見た新発田駅東側
島式ホームの3番線の中浦駅方から見た新発田駅東側、2016年10月撮影。


2番線端から中浦駅方を見通す
2番線端から中浦駅方を見通す、2016年10月撮影。
画像奥の陸橋は、跨線橋の存在しない当駅にあって、俯瞰で駅の全景を把握できる得難いビューポイントになっています。

2-3番島式ホーム上屋下の様子
2-3番島式ホーム上屋下の様子、2016年10月撮影。
画像奥が待合室です。
上屋の重厚かつ無骨な造りはやはり良いのです。
これぞ鉄道の停車場。

島式ホーム上屋下の待合室内部
島式ホーム上屋下の待合室内部、2016年10月撮影。
近年の構内待合室の標準形です。
昔の待合室に比べて画一的で、建物に面白味は無いですが防犯上は良さそうなデザイン。
しかし駅で列車を待つのは、天候や寒さの許す限り外で風に吹かれながらの方が個人的には良いなぁ。

島式ホーム2番線の加治駅方から見た新発田駅構内
島式ホーム2番線の加治駅方から見た新発田駅構内、2017年5月撮影。
ホーム基礎部分の形状が、時代を感じさせますな。

有料駐車場が併設された新発田駅東側の交通広場
有料駐車場が併設された新発田駅東側の交通広場、2016年10月撮影。
2012年に策定された新発田市の駅周辺整備基本計画で作られた空間です。
新発田駅の橋上駅舎化を見送った市の次善策なのでしょう。
2015年10月に当駅を訪れた時には、工事に着手して間もない様子でしたが、一年後にはこのように上屋付きの立派なロータリーになっています。

東側出入り口から見た交通広場
東側出入り口から見た交通広場、2017年7月撮影。

島式ホーム3番線の加治駅方から見た駅構内と駅東側の側線群
島式ホーム3番線の加治駅方から見た駅構内と駅東側の側線群、2011年4月撮影。

交通広場整備後の島式ホーム3番線の加治駅方から見た駅構内
交通広場整備後の島式ホーム3番線の加治駅方から見た駅構内、2017年7月撮影。
架線柱も新しくなっているのがわかります。

3番線端から加治駅方を見る
交通広場整備前の3番線端から加治駅方を見る、2011年4月撮影。

交通広場整備後の3番線端部
交通広場整備後の3番線端部、2017年7月撮影。
旧架線柱が画像右側に残っています。
この空き地を今後どう活用するかが今後の課題でしょうか。

陸橋上から俯瞰で見た新発田駅全景
前述した陸橋上から俯瞰で見た新発田駅全景、2011年4月撮影。

新発田駅東側を俯瞰で見る
新発田駅東側を俯瞰で見る、2011年4月撮影。
駅東側の交通広場整備が決定される前の様子で、多数の側線が活用のアテもなく眠っていました。

交通広場整備後の新発田駅東側
交通広場整備後の新発田駅東側、2017年7月撮影。

交通広場整備後の新発田駅構内
交通広場整備後の新発田駅構内、2017年7月撮影。

陸橋上から見た駅反対側のモーターカーの車庫
陸橋上から見た駅反対側のモーターカーの車庫、2017年7月撮影。

陸橋上から西新発田、中浦駅方を見る
陸橋上から西新発田、中浦駅方を見る、2017年7月撮影。
集約された線路はこの先2本に別れて、右側は白新線西新発田駅、左側は羽越本線中浦駅へと向かいます。

白新線に足を踏み入れるE129系電車
新発田駅2番線を出発して、白新線に足を踏み入れるE129系電車、2017年7月撮影。

リニューアル以前の新発田駅駅舎
リニューアル以前の新発田駅駅舎、2011年4月撮影。
営業のみならず運転上の要衝でもあるからか、駅舎は二階建て。
個人的には「菊水」の看板、これこそが新発田駅の象徴でした。
現在の二階部分はリニューアルデザインに取り込まれた形になっています。
あくまでリニューアルなので、建物の構造そのものに手を加えられない故の事なのでしよう。

夜の新発田駅前の様子
夜の新発田駅前の様子、2010年6月撮影。
集客力のある店が近くに無い駅前の日曜の夜八時半、深閑として人通りはありません。

リニューアル以前の新発田駅駅舎内の窓口辺りの様子
リニューアル以前の新発田駅駅舎内の窓口辺りの様子、2010年6月撮影。
この当時は「みどりの窓口」の案内板が健在。
リニューアル後は窓口の上部に緑の帯でその旨を表示するだけの味気ないものに。

リニューアル以前の新発田駅駅舎内自動改札機群
リニューアル以前の新発田駅駅舎内自動改札機群、2010年6月撮影。

駅舎リニューアル以前の待合室出入り口(画像中央)とその右隣のヤマザキデイリー
駅舎リニューアル以前の待合室出入り口(画像中央)とその右隣のヤマザキデイリー、2010年6月撮影。
この配置は現在も変わっていません。

駅舎リニューアル以前の新発田駅1番ホーム上屋下の様子
駅舎リニューアル以前の新発田駅1番ホーム上屋下の様子、2010年6月撮影。

島式ホーム2番線中央部から構内の西新発田駅方を見る
島式ホーム2番線中央部から構内の西新発田駅方を見る、2010年6月撮影。
やはりこのクラスの駅は夜景の方が映えますな。

島式ホーム2番線の西新発田駅方から見た夜の新発田駅構内
島式ホーム2番線の西新発田駅方から見た夜の新発田駅構内、2010年6月撮影。
まだエレベーターが設置されていない、昔ながらの駅の様子です。

新発田駅2番線に停車中のE653系電車特急「いなほ」新潟行
新発田駅2番線に停車中のE653系電車特急「いなほ」新潟行、2015年10月撮影。
2017年3月改正ダイヤで、新発田駅に停車する優等列車は定期の特急「いなほ」七往復です。
昔の時刻表を紐解くと、昭和55年10月改正ダイヤでは特急は4往復(「白鳥」と「いなほ」3往復)、急行は昼行上下10本(「きたぐに」、「しらゆき」、下り「羽越・あさひ」、上り「羽越」、上り「あさひ」各2本)と夜行2往復(「鳥海」と「天の川」)でした。
昼行の新潟-酒田・秋田間で言えば、現状は上越新幹線大宮暫定開業直前と比べて1往復減という形に。
不定期の快速「きらきらうえつ」を入れてやっと互角という数字です。
新幹線が開業すれば接続する在来線も共存共栄に・・・という展開には、残念ながら至っていないのが羽越本線の現在の姿なのです。

新発田駅1番線に到着したE653系電車特急「いなほ」秋田行
新発田駅1番線に到着したE653系電車特急「いなほ」秋田行、2016年10月撮影。

新発田駅1番線から出発する485系電車T編成の特急「いなほ」秋田行
新発田駅1番線から出発する485系電車T編成の特急「いなほ」秋田行、2011年4月撮影。

新発田駅2番線に停車中の485系電車T編成の特急「いなほ」新潟行
新発田駅2番線に停車中の485系電車T編成の特急「いなほ」新潟行、2013年9月撮影。

夜の新発田駅1番線に停車中の485系電車R編成快速「らくらくトレイン村上」村上行
夜の新発田駅1番線に停車中の485系電車R編成快速「らくらくトレイン村上」村上行、2010年6月撮影。
有名なコピペ「こないださ、ちょうどらくらくなんとかとかいう汽車があったっけ」の舞台になったのがこの列車。
オチが秀逸なんですよあのコピペは。
「豊栄ぐらいタダで乗せればいいこてね」
「だっけ殿様商売らって言われるんだこて」

新発田駅2番線を出発する全車指定の快速「きらきらうえつ」新潟行
新発田駅2番線を出発する全車指定の快速「きらきらうえつ」新潟行、2012年5月撮影。
夕方の白新線新潟行は、土日でも部活帰りの学生たちで煩いので、520円投資しても乗る価値のある列車と申せましょう。

秋の早朝、新発田駅2番線に運転停車していた寝台特急「トワイライトエクスプレス」大阪行
秋の早朝、新発田駅2番線に運転停車していた寝台特急「トワイライトエクスプレス」大阪行、2006年10月撮影。
所定より約二時間の遅れです。
京ヶ瀬駅の記事に載せていますが、この後京ヶ瀬駅でも運転停車しています。

新発田駅1番線から出発するE129系電車村上行
新発田駅1番線から出発するE129系電車村上行、2016年10月撮影。

新発田駅0番線で折り返し待機中のE129系電車
新発田駅0番線で折り返し待機中のE129系電車、2017年5月撮影。
2016年10月時点では、0番線から出発する白新線新潟方面は1日11本です。
新発田始発の白新線列車は1日13本なので、その大半はこのホームに出入りしているのです。

新発田駅3番線で待機中のE129系電車新津行
新発田駅3番線で待機中のE129系電車新津行、2017年5月撮影。
羽越本線の新津-新発田間はキハ110系気動車が多数派ですが、朝夕のみ電車列車が運行されています。
以前は115系電車でしたが、現在はE129系に更新されています。
なお、2016年10月時点で3番線から出発する定期列車は11本で、新津行が9本と白新線新潟方面が2本。
いずれも当駅始発で、朝の新津発当駅止まりのE129系電車は3番線に到着後、そのまま白新線経由吉田行になっていました。
夕方の新津発当駅止まりE129系電車も、おそらく同じ運用になっていると思われます。

新発田駅1番線を出発するキハ110+キハE120気動車の快速「べにばな」米沢行
新発田駅1番線を出発するキハ110+キハE120気動車の快速「べにばな」米沢行、2011年4月撮影。

新発田駅1番線に到着した、当駅止まりの新津駅発キハ110形気動車
新発田駅1番線に到着した、当駅止まりの新津発キハ110形気動車、2016年10月撮影。

新発田駅到着後、5分後に村上方面へ出発したキハ110
新発田駅到着後、5分後に村上方面へ出発したキハ110、2017年7月撮影。
時間的に見て、坂町駅4番線に到着後米沢行になるのでしょうか。
あの列車もキハ110の単行列車ですからね。
そうだとしたら、新発田-坂町間を回送ではなく客扱いすればいいのにと思うところなのです。
二十数分前に村上行普通列車が先行していますけれど、それはそれとして客扱いしてもバチは当たるまいに。
まぁ新津-米沢間の長距離営業運行扱いがイヤな事情があるのでしょうな。

新発田駅1番線に停車中の115系電車村上行
新発田駅1番線に停車中の115系電車村上行、2013年9月撮影。

新発田駅2番線から出発する115系電車新潟行
新発田駅2番線から出発する115系電車新潟行、2016年10月撮影。

朝の皐月の新発田駅1番線に停車中の115系電車村上行と、3番線で待機中のE129系電車新津行
朝の皐月の新発田駅1番線に停車中の115系電車村上行と、3番線で待機中のE129系電車新津行、2017年5月撮影。

新発田駅3番線で待機中の115系電車新津行
秋の早朝、新発田駅3番線で待機中の115系電車新津行、2006年10月撮影。
まだホームに電光案内板が設置される前で、ホームの案内表示も昔の形。
この頃まではまだ、国鉄時代の匂いを構内随所で感じることが出来たのです。

E127系電車新潟行が2番線を出発
羽越本線の村上-新発田間では見る機会の少なかったE127系電車新潟行が2番線を出発、2003年11月撮影。

2番線から出発するキハ40系気動車新津行
エレベーター設置前の島式ホーム2番線から出発するキハ40系気動車新津行、2012年5月撮影。
古強者のキハ40系気動車も、この界隈で見かけることは少なくなりました。
先日、この車両を置き換える為の新型気動車「GV-E400系」がJR東日本からプレスリリースされました。
キハ110やキハE120と比べると加速感も乗り心地も居住性も難点ばかりで、いささか閉口するこの系列も、いざ無くなってしまうのが確定するとやはり寂しさも。

駅近くの公園で静態保存されていた蒸気機関車「D51 512」
駅近くの公園で静態保存されていた蒸気機関車「D51 512」、2011年4月撮影。

城下町・新発田の誇る新発田城の三階櫓
城下町・新発田の誇る新発田城の三階櫓、2011年4月撮影。
ただしこの城はオリジナルのものではなく、平成16年に復元されたものです。
オリジナルは明治初期の廃城令で破却されてしまったとの事。

新発田城の石垣と堀と満開の桜
新発田城の石垣と堀と満開の桜、2011年4月撮影。

新発田駅東側の、廃止された赤谷線跡を転用したサイクリングロードの起点
新発田駅東側の、廃止された赤谷線跡を転用したサイクリングロードの起点、2011年4月撮影。

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