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2017年7月の記事

2017年7月29日 (土)

小針駅(越後線)

本日の駅紹介は越後線・小針駅。

小針駅の駅名標

新潟県新潟市西区に所在する有人駅で、開業は昭和35年6月1日。
開業当時の所在は既に新潟市でした。
戦前の当地周辺は旧新潟市近郊の田圃で宅地化がされておらず、それゆえに駅設置が見送られていたようです。
昭和30年代に入るとようやく当地でも宅地開発が行われるようになって、地元と新潟市が協力して国鉄に駅設置を要望。
当局は当初、まだまだ人口が少ないことを挙げて駅設置に難色を示したそうですが、その後の宅地化の急速な進展と地元及び新潟市の粘り強い活動で、ようやく小針駅開業にこぎつけたのです。
戦後間もなく、戦時下に作られた信号場の多くが続々と駅に昇格した後は、国鉄の新駅設置のハードルが非常に高くなったなぁと強く感じさせる小典型なのが小針駅設置のいきさつなのです。
山間の小駅ならまだ理解も出来ますが、旧新潟市内でも越後石山駅と東新潟駅は永らく駅昇格させてもらえないという不遇の時期を経験していますしね。
信号場上がりの山間の小駅が出来る一方で、地方大都市近郊の新駅には渋い顔をする国鉄当局。
これに不条理を感じてしまうのですよ。
やはり国会議員の政治力の差があったりするのかなと勘ぐってしまいます。
新潟市からは有力な政治家が出てないからなぁ。

さてそんな経緯で誕生した小針駅の2016年度一日平均乗車人員は、JR東日本によると2,651人。
同社新潟県内有人67駅中13位で、同じ越後線内の巻駅よりやや多く、内野駅よりやや少ないレベルです。
かつて当局が設置に難色を示した駅とは思えない利用状況で、戦後生まれの駅としてはこれもやはり越後線内の新潟大学前駅に次ぐものです。
ちなみに今から約半世紀前の昭和40年度年間乗車人員は、新潟市史によると36万三千人。
単純計算すると一日平均約994人で、当局に設置を渋られた駅としては破格と言ってよい利用状況でした。
当時は越後線の運行頻度が現在の半分以下だったことを考えると、朝夕の混雑は相当なものだったのでしょう。
しかしこの数字をもってしても、現在は乗車人員で当駅より下位にある寺尾駅関屋駅の後塵を拝していたのです。
昔からこれだけの数字を残す諸駅がありながら、現在もなお「地方交通線」なのが越後線なのであります。

小針駅駅舎の様子
小針駅駅舎の様子、2015年12月撮影。
建築財産票によると昭和35年6月の完成。
つまり駅開業当時からの建物です。
同時期に建てられた諸駅の駅舎と比較すると、何となく安っぽさを感じさせるのは気のせいでしょうか?

改装工事に入っている小針駅駅舎
改装工事に入っている小針駅駅舎、2017年7月撮影。
当駅は新潟市が策定した「にいがた交通戦略プラン」では、当駅のバリアフリー化が謳われているものの駅舎改築の予定はないようです。
また鉄道運輸機構のPDFを見ると、当駅にエレベーター付きの跨線橋を平成29年度中の完成予定で整備すると明記されているので、この工事はその関連のものかもしれません。
バリアフリー施策として、駅舎前にスロープの設置も並行して行うつもりなのかも。
答えは近いうちに出るでしょう。

斜め視線で見た改装着手前の小針駅駅舎
斜め視線で見た改装着手前の小針駅駅舎、2012年3月撮影。
向かって左側に男女別のトイレがあります。
水飲み場があるなど、昭和30~40年代の匂い漂う駅舎です。

駅舎から見た駅前広場の様子
駅舎から見た駅前広場の様子、2012年3月撮影。
画像右側は上屋付き二階建ての駐輪場で、通勤通学需要の多さを伺わせます。
当時の新興住宅地の只中に設置されたこともあってか、駅前広場はやや控えめ。
ロータリー等の整備は行われていません。
タクシーは常駐しているようで、駅の南方まで大きく広がった駅勢圏を反映してのことなのか。

小針駅の南方を越後線と並走する県道
小針駅の南方を越後線と並走する県道、2012年3月撮影。
この道路には新潟交通運行の路線バス寺尾線、越後線の北側を並行する西大通りには路線バス西小針線がそれぞれ運行されていて、越後線・新潟-内野間の諸駅の移動に使えます。
まぁ越後線の当該区間の運行頻度を考えれば、駅巡りにバスを使う必要もないのですけれど。

小針駅駅舎内の自動改札機群
小針駅駅舎内の自動改札機群、2015年12月撮影。

みどりの窓口と一台のみ設置の自動券売機
みどりの窓口と一台のみ設置の自動券売機、2015年12月撮影。
駅の利用状況から見て、券売機が一台きりなのは心もとないところなのです。
まぁ利用客の多くが定期やsuicaならこれでよしという当局の割り切りなのか。

以前の駅舎内待合室
以前の駅舎内待合室、2015年12月撮影。

現在の駅舎内待合室
現在の駅舎内待合室、2017年7月撮影。
上の画像撮影の後、駅舎構内側にバリアフリー対応のトイレを作った関係からか、待合室の空間が大きく縮小されています。

小針駅北口の様子
小針駅北口の様子、2012年3月撮影。
建築財産票によると平成17年(2005年)2月撮影。
跨線橋直下の空間をうまく利用して組み込まれています。

小針駅北口内部の様子
小針駅北口内部の様子、2012年3月撮影。
こちら側は終日無人です。

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小針駅北口廻りの様子、2012年3月撮影。
出入り口前はご覧のように狭隘な生活道路です。
当駅は南北両側共に住宅地になっています。
こちら側から従来からの駅出入り口の南口へ行くには、構外連絡地下道を通るか駅前後の踏切を渡っていました。
前者は特に夜間、防犯上の問題があり得ない話ではないですし、後者は相当に歩くことになります。
したがって北口が新設されたのは、当駅北側の利用者にとって実に歓迎すべきことであったでしょう。


1番線の青山駅方から見た小針駅構内
1番線の青山駅方から見た小針駅構内、2017年5月撮影。
1番線は吉田方面乗り場です。
当駅構内は直線上の対面式ホーム二本というシンプルな構造。
昭和三十年代半ばと比較的近年の設置なので遺構の類もなく、構内に目を見張るモノはあまりありません。

1番線端から青山駅方を見る
1番線端から青山駅方を見る、2017年5月撮影。
手前の踏切はとにかく通行量が多く、日中でも遮断機が上がっている間はクルマの途切れることがありません。

1番ホームに面した駅舎の構内側の様子
1番ホームに面した駅舎の構内側の様子、2012年3月撮影。

跨線橋出入り口から見た1番ホームの駅舎方
跨線橋出入り口から見た1番ホームの駅舎方、2012年3月撮影。

跨線橋出入り口方からみた1番ホームの駅舎方
跨線橋出入り口方からみた1番ホームの駅舎方、2017年5月撮影。
画像右の衝立の向こうで改装工事が行われています。
また上の画像を見ていただければわかるように、以前は幅が狭かった上屋の右側に新たな上屋が増築されています。
私は2015年12月以来、当駅にはご無沙汰だったので、細かく手が加えられている当駅の構内外にいちいち驚く始末でした。

1番ホームの跨線橋出入り口廻りの様子
1番ホームの跨線橋出入り口廻りの様子、2017年5月撮影。
画像左側の柱が増築された上屋のものです。

特徴のない小針駅構内にあって、唯一私の目を惹くのが跨線橋下のこの空間
特徴のない小針駅構内にあって、唯一私の目を惹くのが跨線橋下のこの空間、2012年3月撮影。
待合室を建てるには丁度良さそうな大きさなのですが。

1番線の寺尾駅方から見た小針駅構内
1番線の寺尾駅方から見た小針駅構内、2012年3月撮影。

1番線端から寺尾駅方を見る
1番線端から寺尾駅方を見る、2017年5月撮影。

2012年3月当時の小針駅跨線橋内部
2012年3月当時の小針駅跨線橋内部。
なんとはなしに、荒んだ印象を抱かせます。
開口部は多いものの、波板状の日よけ?が付いていてあまり意味がないような。
この構造では、私の大好きな跨線橋上俯瞰撮影は事実上不可能です。

現在の小針駅跨線橋内部の様子
現在の小針駅跨線橋内部の様子、2017年5月撮影。
2015年12月に訪れた時には既にこのようになっていました。
無意味と思われる開口部が塞がれて、壁面が綺麗に整備されたことで印象はグッと良くなりますな、
上部の窓の位置も低くなったので、構内俯瞰撮影が三脚無しでもなんとか可能になったのは、私のようなスキモノにとって実に喜ばしい話なのであります。

跨線橋上から見た小針駅構内の青山駅方
再整備された跨線橋上から見た小針駅構内の青山駅方、2015年12月撮影。

同じく寺尾駅方を見る
同じく寺尾駅方を見る、2017年5月撮影。
画像右側の路上の小屋は、前述の構外連絡地下道の出入り口です。

2番線の青山駅方から見た小針駅構内
2番線の青山駅方から見た小針駅構内、2017年5月撮影。
2番線は新潟方面乗り場です。
このホームは右隣の生活道路と同一レベルにあるので、道路の延長のような趣も。

跨線橋出入り口から見た2番ホームの青山駅方
跨線橋出入り口から見た2番ホームの青山駅方、2017年5月撮影。
2番ホーム上に待合室はありません。

2番ホーム上から見た小針駅駅舎
2番ホーム上から見た小針駅駅舎、2017年5月撮影。

2番線の寺尾駅方から見た小針駅構内
2番線の寺尾駅方から見た小針駅構内、2015年12月撮影。

青山駅方の踏切から見た小針駅構内
青山駅方の踏切から見た小針駅構内、2017年5月撮影。

寺尾駅方の踏切から見た小針駅構内
寺尾駅方の踏切から見た小針駅構内、2017年5月撮影。
駅と踏切との距離は多少あった方が間合いが程好く取れて良いですな。
当駅の場合、青山駅方の踏切はホームに近過ぎて画が単調になり過ぎです。

小針駅1番線から発車するE129系電車内野行
小針駅1番線から発車するE129系電車内野行、2017年5月撮影。

小針駅2番線に進入するE129系電車新潟行
小針駅2番線に進入するE129系電車新潟行、2017年5月撮影。
2017年3月改正ダイヤでは、当駅での列車交換は一日十回。
越後線・新潟-内野間の交換可能駅(当駅の他に白山、関屋、寺尾の各駅)の中では最小回数です。

真夏の小針駅を出発加速する115系電車吉田行
真夏の小針駅を出発加速する115系電車吉田行、2005年8月撮影。

弥生春未だの小針駅を出発するE127系電車内野行
弥生春未だの小針駅を出発するE127系電車内野行、2012年3月撮影。

小針駅2番線に停車中の115系電車新潟行
越後の地にとって実に貴重な冬晴れの朝、小針駅2番線に停車中の115系電車新潟行、2015年12月撮影。

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2017年7月23日 (日)

関屋駅(越後線)

本日の駅紹介は越後線・関屋駅。

関屋駅の駅名標

新潟県新潟市中央区に所在する有人駅で、開業は大正2年(1913年)11月15日。
当時の越後鉄道・白山-西吉田(現・吉田)間開業(1912年8月)後、一年余りを経ての駅開業で、開業時の所在も市街地拡大以前の新潟市でした。
越後鉄道は開業当初、駅が少ないと沿線から不満の声が上がっていて、当駅の設置はその声に答えた第一号になります。
ただ当駅の場合は、当時周辺に製油所が集中して所在しており、それに続いて各種工場も次々と建てられて新潟市西部の工業地帯化していたので、潜在的貨物需要を考えれば設置するのが当然の停車場と言えます。
需要が無いからと当局が設置するのを渋った他の駅(寺尾駅越後赤塚駅)とは、やや性格が異なる駅だったのです。
しかし当駅が開業してから間もない大正半ばには製油所も移転や廃止(県内の産油量減少)でその数を大きく減らし、工業地帯の色合いは次第に薄れていき、後述する関屋分水の工事の影響もあってかつての面影も無くなったのが今日の駅周辺の姿です。

JR東日本によると、2015年度の関屋駅1日平均乗車人員は1,938人で同社県内有人67駅中21位。
信越本線・越後石山駅よりやや少なく、上越線・六日町駅とほぼ同レベルです。
白山-内野間の旧越後鉄道以来の駅(白山、関屋、寺尾、内野)の中では最小で、国鉄時代に設置された青山小針新潟大学前の各駅を入れた現在の7駅中6位という、所在地周辺の人口密度の高さから見ると少々物足りなく映る数字であります。
ちなみに約半世紀前の昭和40年度乗車人員は、新潟市史によると約44万三千人。
単純計算すると1日平均1,214人になります。
新参の小針駅(昭和35年開業)よりは多いものの、宅地造成で乗客数が急増した寺尾駅の約半分、旧内野町の玄関駅である内野駅の四割弱、新潟市都心の白山駅の二割強という、やはりあまり振るわない数字を残しています。

関屋駅の橋上駅舎南口
関屋駅の橋上駅舎南口の様子、2015年12月撮影。
平成18年(2006年)12月に、越後線新潟市内駅近代化の先陣を切って供用を開始しました。


橋上駅舎南口出入り口の様子
橋上駅舎南口出入り口の様子、2017年5月撮影。
この南口は駅舎改築以前からの出入り口です.

関屋駅南口駅前通りの様子
関屋駅南口駅前通りの様子、2017年5月撮影。
この辺りは昔ながらの街並で道路も狭く、その奥に押し込まれるように駅が立地しています。
そもそもの出自が資金力に乏しいローカル私鉄なので、街の只中において官営鉄道の駅のように用地を広く取れなかったのは止むを得ないところです。
これは寺尾、内野の両駅にも共通した話ですな。

関屋駅南口近くの県道の様子
駅から通りを数百m進むと、そこは車が切れ目無く行き交う通り。
画像右手の建物群のすぐ裏手が信濃川です。
至近には関屋駅のお得意様である私立新潟第一高校、その向こうには家電量販店やスーパーが立地しています。
なおこちらの通りには、鉄道補完の新潟交通運行バス路線としてBRT萬代橋ライン(対白山、新潟駅)、寺尾線(対青山、小針、寺尾、新潟大学前、内野各駅至近に移動可能、また一部の便は多少歩きますが内野西が丘駅へも移動可能)です。
当駅の最寄バス停は「第一高校前」になります。


関屋駅橋上駅舎北口
関屋駅橋上駅舎北口の様子、2017年5月撮影。
こちら側は橋上駅舎化に伴って新設されました。
駅前広場はロータリーになっていて、狭隘な南口に比べて車でのアクセスは断然上です。

橋上駅舎北口出入り口
橋上駅舎北口出入り口、2017年5月撮影。
出入り口の右奥がエレベーターです。


関屋駅北口至近の国道402号線
関屋駅北口至近の国道402号線、2017年5月撮影。
この国道には鉄道補完の路線バスとして、浜浦線と信濃町線(対新潟)、西小針線(対新潟、青山、小針、寺尾、新潟大学前、内野各駅に移動可能)が運行されています。
最寄バス停は「信濃町」です。

関屋駅橋上駅舎南北自由通路の様子
関屋駅橋上駅舎南北自由通路の様子、2017年5月撮影。
画像右側が内野方、左側が窓口と改札口のある新潟方です。

自由通路側から見た窓口と自動改札周り
自由通路側から見た窓口と自動改札周り、2017年5月撮影。

構内側から見た改札口の様子
構内側から見た改札口の様子、2015年12月撮影。
画像右奥がホームと連絡するエレベーター、右側のベンチの向こう側がホームへの階段、画像左側が待合室です。

改札方から見た構内待合室とトイレの位置関係
改札方から見た構内待合室とトイレの位置関係、2015年12月撮影。

構内待合室内部の様子
構内待合室内部の様子、2010年5月撮影。
ベンチの定員は僅か9人と実にこじんまりしたもの。
しかし利用客は高校生主体で且つ日中毎時3本の頻発運転区間。
これで充分と割り切れる利用動向なのでしような。

橋上駅舎構内側の窓から俯瞰で見た駅構内新潟方の様子
橋上駅舎構内側の窓から俯瞰で見た駅構内新潟方の様子、2017年5月撮影。
ここは窓が開かないので、俯瞰マニア的には少々不満なところです。

自由通路上から見た駅構内の内野方
自由通路上から見た駅構内の内野方、2017年5月撮影。
先端に向けて絞り込まれていく三角形の島式ホームが当駅の特徴であります。

島式ホームの青山駅方から見た関屋駅構内
島式ホームの青山駅方から見た関屋駅構内、2015年12月撮影。
幅狭のホームを圧するツインタワーな橋上駅舎の威容であります。
ローカル私鉄由来の狭い構内と巨大な駅舎のミスマッチぶりも当駅の特徴。

島式ホーム端から青山駅方を見通す
島式ホーム端から青山駅方を見通す、2017年5月撮影。
画像左横の横取り線はまだ生きていて、上の画像の右側のように保線車両が留置されているのを時折見かけます。

島式ホームと橋上駅舎を連絡するエレベーター
島式ホームと橋上駅舎を連絡するエレベーター、2015年12月撮影。

橋上駅舎出入り口とホームの上屋下の様子
橋上駅舎出入り口とホームの上屋下の様子、2017年5月撮影。
ホーム上のベンチはこの画に映っているものが全てです。


島式ホームの白山駅方から見た関屋駅構内
島式ホームの白山駅方から見た関屋駅構内、2017年5月撮影。
2台設置されている監視カメラが物々しい。
まぁ最近は色々と物騒ですし、安全上からも防犯上からもカメラの設置、増強は仕方ないですな。

島式ホーム端から白山駅方を見通す
島式ホーム端から白山駅方を見通す、2017年5月撮影。
遊休化した部分は立ち入り禁止になっています。
画像左側は関屋自動車学校。
県民にはTVCMの「せっきっや!じどうしゃっガッコー!」のフレーズでよく知られたところ。
ここの教習生も当駅を利用しているのでしょう。
目出度く免許を取ったら、きしゃなんてカッタルくて使わないのでしょうけれど。

青山駅方の踏切から見た関屋駅構内
青山駅方の踏切から見た関屋駅構内、2017年5月撮影。
当駅駅舎は耐震性強化の為の「連結耐震構造」を採用していて、駅舎と自由通路の間に揺れを吸収するオイルダンパーを設置しており、その働きによって建物が損壊しにくくなっているそうです。
駅舎改築開始の一年前に中越地震が起きているので、それが駅舎の設計に影響を与えたのでしょうか。
あの時は新潟市で震度4。
しかし我が家の地域を含む地盤軟弱地帯では4なんてもんじゃなかった。
5弱はいってましたな。
しかも揺れている時間が長かった。

白山駅方の踏切から見た関屋駅構内
白山駅方の踏切から見た関屋駅構内、2017年5月撮影。

関屋駅2番線に停車中のE129系電車新潟行
関屋駅2番線に停車中のE129系電車新潟行、2017年5月撮影。
非電化時代、昭和50年代半ばまで磐越西線馬下駅から当駅終着の旧型客車列車が運転されていたのも遠い遠い昔の話になりました。

関屋駅で顔を合わせた越後の電車新旧の主役
関屋駅で顔を合わせた越後の電車新旧の主役、2015年12月撮影。

関屋駅での115系電車同士の列車交換
今ではすっかり少数派になった115系電車同士の列車交換、2015年12月撮影。

関屋駅でのE129系電車同士の列車交換
越後路のこれからの主役、E129系電車同士の列車交換、2017年5月撮影。
全区間単線で日中毎時3本の頻発運行区間である越後線・新潟-内野間において、最も頻繁に列車交換が行われるのがここ関屋駅。
平成29年3月改正ダイヤでは1日28回が実施されています。

関屋駅1番線に停車中の115系電車新潟行
関屋駅2番線に停車中の115系電車新潟行、2017年5月撮影。
昭和59年の越後線電化で颯爽デビューし、気動車が騒々しく走る元ローカル私鉄の鉄路に新風を吹き込んで、今日の都市型路線への脱皮に大きく貢献したのがこの115系電車です。

E127系電車内野行が1番線から出発
E129系電車に新世代の主役の座を譲ったE127系電車内野行が1番線から出発、2012年6月撮影。

関屋駅の旧駅舎
ここからは改築以前の関屋駅の様子をご紹介。
かつての関屋駅駅舎は昭和7年(1932年)の完成で、このように実にこじんまりとした建物でした、2003年11月撮影。
しかしその佇まいは周りの風景とうまく溶け込んでいました。

駅舎と跨線橋間の上屋の様子
駅舎と跨線橋間の上屋の様子、2003年11月撮影。
自動券売機の設置の仕方といい、雰囲気といい、関西の大手私鉄の各駅停車しか停まらない小駅のような印象でした。

関屋駅旧駅舎とホーム、跨線橋の位置関係
関屋駅旧駅舎とホーム、跨線橋の位置関係、2005年8月撮影。
この三ヶ月後に駅舎改築工事が始まっています。
旧駅舎時代最後の夏の午後の一時であります。

青山駅方から見たホーム上の待合室
青山駅方から見たホーム上の待合室、2005年8月撮影。
室内には今から10年程前まで無人駅でよく見られた朱色のベンチを設置。

旧駅舎時代の島式ホーム上屋下の様子
旧駅舎時代の島式ホーム上屋下の様子、2005年8月撮影。
乗り場案内もなんとなく私鉄っぽかったのですよ。

旧駅舎時代の関屋駅構内を青山駅方から見る
旧駅舎時代の関屋駅構内を青山駅方から見る、2005年8月撮影。
この頃の方が、駅の美観上はずっと良いなぁ。
小さい中にも土着の地に足が付いたしたたかさを感じるのですわ。

旧駅舎時代のホーム端から青山駅方を見る
旧駅舎時代のホーム端から青山駅方を見る、2005年8月撮影。
画像左端の旧貨物側線とおぼしきレールはまだその姿をはっきり確認できます。
現在はすっかり草生してしまっていますな。

旧駅舎時代の関屋駅構内を白山駅方から見る
旧駅舎時代の関屋駅構内を白山駅方から見る、2005年8月撮影。
真夏の午後とあって完全に逆光です。
この撮影当時はこのブログを始めたばかりの頃で、ヘンテコな趣味にうつつを抜かしていて現在のような展開は全く意図していなかったのです。
今思い返すに、もっとちゃんと撮っておけばよかったと後悔ばかりなのです。
駅舎内部の画像も、人が居たので遠慮したとはいえ、現在のように撮れるまで待つとか後日また来るとかせずに諦める淡白さだったのです。

旧駅舎時代のホーム端から白山駅方を見る
旧駅舎時代のホーム端から白山駅方を見る、2005年8月撮影。
周りの様子は12年経った今も変わっていません。

跨線橋上から見た旧駅舎時代の関屋駅構内の青山駅方
跨線橋上から見た旧駅舎時代の関屋駅構内の青山駅方、2005年8月撮影。
完全に逆光で背景はまっしろけ。

跨線橋上から島式ホームを見る
跨線橋上から島式ホームを見る、2005年8月撮影。

構外から見た旧駅舎時代の関屋駅構内
構外から見た旧駅舎時代の関屋駅構内、2005年8月撮影。
このスリムさ、狭さが関屋駅本来の姿です。

青山駅方の踏切から見た旧駅舎時代の関屋駅構内
青山駅方の踏切から見た旧駅舎時代の関屋駅構内、2005年8月撮影。

旧駅舎時代の関屋駅で交換するE127系電車
旧駅舎時代の関屋駅で交換するE127系電車、2005年8月撮影。

初夏の関屋浜海水浴場
昔ながらの街並の只中にある関屋駅ですが、歩くこと1km弱で日本海に到達します、2017年6月撮影。
ここは関屋浜海水浴場で、海開きに備えて海の家の準備が進んでいました。

関屋浜と初夏の美しい日本海
関屋浜と初夏の美しい日本海、2017年6月撮影。
この日は海沿いをじっくりとトレッキング。

関分記念公園
北から約5km続いた海沿いロードの終着が関分記念公園です、2017年6月撮影。
新潟市を信濃川の氾濫による水害から救った救世主、それが昭和47年に完成した関屋分水です。
画像中央は展望台で、高所恐怖症の私としてはお尻がムズムズして衝動的に飛び降りてしまいそうな恐怖を感じる高さの塔であります。

展望台から関屋分水の上流方を見る
くだんの展望台から関屋分水の上流方を見る、2017年6月撮影。
手前は新潟大堰で、下部のゲートを上げ下げすることで信濃川の水量を調整し、海から川への逆流も防いでいるんだとか。
ここから南に約1.8kmの信濃川との合流地点までに、鉄道橋と合わせて六つの橋が架かっています。
越後線の鉄橋はここから五つ目で、画像奥に辛うじて確認できます。

関屋分水の日本海口
関屋分水の日本海口、2017年6月撮影。
汽水域と海とでは色が違いますな。

展望台から見下ろして一枚
展望台から見下ろして一枚、2017年6月撮影。

ここまで歩いてきた日本海沿いの道のりを振り返って一枚
ここまで歩いてきた日本海沿いの道のりを振り返って一枚、2017年6月撮影。
この道沿いでは波や風による侵食から砂浜を守る為の工事が間断無く行われていて、画像中央に見えるクレーン車が停まっているあたりもその一つ。

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2017年7月16日 (日)

白山駅(越後線)

本日の駅紹介は越後線・白山駅。

白山駅の駅名標

新潟県新潟市中央区に所在する有人駅で、開業は大正元年(1912年)8月25日。
開業時の所在は既に新潟市ですけれど、当時の市域は現在よりもずっと小さいものでした。
白山駅はその時代の新潟市内最初の鉄道駅なのです。
また当時は越後線の前身である私鉄越後鉄道の起点として、同社の本社や現業機関が置かれていて会社の中枢を成していたのです。
昭和2年に同鉄道が国有化された後も、当駅の越後線の起点としての位置は不動で、その状態は戦後の昭和26年まで続いていました。
昭和26年12月に、戦時下の昭和18年に造られた新潟-関屋間の信越本線貨物支線が越後線に統合され、それに伴い白山駅は新たな越後線上に移転して、線区の起点から中間駅に格下げされた形になりました。
それが現在の駅の所在地になります。
旧駅の敷地は市立鏡淵小学校の用地になったとの事ですけれど、駅移転から既に63年を経過していて当時の面影を見出すことは至難です。
白山駅は新潟市役所を始め主な官公庁に近く、また周辺には新潟最高のエリート校である県立新潟高校(五教科250点満点で230点は取らないと合格できません)や新潟商業高校も所在していて、新潟市の文教地区の玄関駅にもなっています。
しかしその割には駅も駅周辺も地味で、その辺は出自である越後鉄道を引きずっているかのようです。

JR東日本によると、2015年度の白山駅1日平均乗車人員は5,437人で、同社新潟県内有人67駅中、新潟、長岡両駅に次ぐ第3位。
その座を信越本線・亀田駅と争っています。
現在急ピッチで工事が行われている新潟駅の高架化工事は来年度(平成30年度)に第一期として越後線高架化が完成予定で、平成33年度には高架化が完成予定です。
高架化完成時には信越線と白新線の列車の白山駅乗り入れが行われる予定で、当駅は後述するようにその受け入れ準備を整えています。
そうなれば当駅は名実共に新潟市のサブターミナルとなって、駅の利便性は更に向上するのでしょう。
上越新幹線接続の特急「いなほ」はともかく、「しらゆき」は白山駅始発という日もいずれ訪れるのではと夢想するところであります。

白山駅北口出入り口
白山駅北口出入り口、2017年5月撮影。
白山駅は2010年から駅改修が始まり、旧駅舎の解体と南北自由通路の設置、駅構内のホーム増設が実施されて2014年3月に一応の完成を見ています。
私が駅改修後の当駅を訪れたのは2014年9月でしたが、その時は駅前ロータリーがまだ工事中でした。

白山駅の駅前ロータリー
白山駅の駅前ロータリー、2017年5月撮影。
画像右手の上屋奥が駅出入り口です。
かつての白山駅は駅前広場が狭く、路線バスは乗り入れていませんでした。
現在はこのように立派なロータリー化されていて、新潟交通のBRT萬代橋ライン(対新潟、関屋青山各駅の相互移動に使えます)が発着しています。

白山駅前を出発する新潟交通運行のBRT
白山駅前を出発する新潟交通運行のBRT、2017年7月撮影。
懐かしの「かぼちゃ電車」カラーであります。

白山駅前通りの様子
白山駅前通りの様子、2017年5月撮影。
新潟県第三の繁忙駅の駅前とは思えない昭和的な通りです。
かつてはこの道路に新潟交通電車線の軌道線が敷設されていたのです。
軌道線が廃止されて早や四半世紀、その面影はもう残っていません。
新潟市役所やその至近の電鉄線白山前駅跡へは、画像奥に向かって1km弱。

新潟交通電車線白山前駅跡周辺の様子
白山駅から東に1km弱のこの界隈が、かつて新潟交通電車線の起点・白山前(県庁前)駅の所在したところです、2017年6月撮影。

白山前駅跡
ここが白山前駅跡です、2017年6月撮影。
後背の建物は新潟市役所で、かつてはここに新潟県庁が建っていました。

白山公園
白山前駅跡至近の白山公園、2017年6月撮影。
明治6年に開設された、近代日本最初の公園のひとつに数えられるところです。
平成元年に日本の都市公園百選にも選ばれてもいますけれど、初詣の習慣が全然無い無宗教無信心の私にとってはあまり縁が無いところであります。

白山駅南口
駅改修に伴い新設された白山駅南口、2017年5月撮影。
以前はこちら側に出るのに、越後線のガード下をくぐって大回りしなければならなかったのです。
付近には県立がんセンターがあって、通院やお見舞いで訪れる方にとっては利便性が飛躍的に向上しました。

白山駅地下の南北自由通路
白山駅地下の南北自由通路、2017年5月撮影。
画像左側が窓口と改札です。

自由通路からみた改札口周り
自由通路からみた改札口周り、2017年5月撮影。

構内側から見た改札口周り
構内側から見た改札口周り、2017年5月撮影。
自動改札機は六機設置されていて、流石は県内第三の繁忙駅。
右側のベンチは旧駅舎の流用品の気配。

構内待合室の様子
構内待合室の様子、2017年5月撮影。
駅の利用状況の割には小さな待合室ですが、通勤通学がメインの駅なのでこれで事足りるということなのでしょう。
日中は毎時3本が確保されていますしね。

白山駅3-4番島式ホームの4番線側から関屋駅方を見る
駅改修で新設された3-4番島式ホームの4番線側から関屋駅方を見る、2017年5月撮影。
4番線は吉田方面乗り場です。

3-4番島式ホーム端から新潟駅方を見る
3-4番島式ホーム端から新潟駅方を見る、2017年5月撮影。

白山駅と新潟駅の間に架かる信濃川鉄橋
白山駅と新潟駅の間に架かる信濃川鉄橋、2017年6月撮影。
越後線の新潟-関屋間現ルートの前身である信越本線貨物支線の鉄橋として昭和18年に供用を開始してから今年(2017年)で74年。
新潟駅高架化に伴って越後線は新潟駅からこの鉄橋の手前まで部分複線化されますが、この鉄橋は手付かずのまま。
JR東日本に架け替える予定は無いようです。
白山駅のホームを増設して信越線や白新線の列車を乗り入れさせても、鉄橋が単線では冬季の強風時にはダイヤ混乱の心配があります。
新潟駅のホームは高架化の代わりに減らされるので、収容力不足でますますもって心配。
地震津波対策などを絡めて、鉄橋の架け替えに国からおカネを引っ張ってきてなんとか出来ないのだろうかと思うところです。
でもなぁ、この街の議員先生といえば、自民の若手と野党第一党のコテコテの左派だしなぁ。
国と掛け合ってカネを取ってくる豪腕はとても期待できないのであります。

信濃川鉄橋を渡るE129系電車
信濃川鉄橋を白山駅に向けて渡り終えるE129系電車、2017年6月撮影。
この鉄橋は私のような高所恐怖症にはもう辛抱タマランところなのであります。
ここを渡る時はいつも目を瞑ってます。
今、突然震度7に直撃されたら川に転落して逝くな・・・と震えながら。

3-4番島式ホームの3番線側から見た白山駅構内中央部の様子
3-4番島式ホームの3番線側から見た白山駅構内中央部の様子、2017年5月撮影。
地下からホームへのアプローチは、階段、エスカレーター、エレベーターという三段構えの至れり尽くせり。

3-4番島式ホーム上屋下の様子
3-4番島式ホーム上屋下の様子、2017年5月撮影。

3-4番島式ホーム端から関屋駅方を見る
3-4番島式ホーム端から関屋駅方を見る、2017年5月撮影。
右横の古めかしいホームは以前から存在する1-2番ホームで、端部は立ち入り出来なくなっています。
平成25年に供用を開始した新ホームと昭和26年以来のホーム、その歳の差は62。

3-4番島式ホームの関屋駅方から見た白山駅構内
3-4番島式ホームの関屋駅方から見た白山駅構内、2017年5月撮影。

1-2番島式ホームの上屋下
駅が現在位置に移転した昭和26年以来の1-2番島式ホームの上屋下、2017年5月撮影。
当駅ホームは新旧いずれも待合室はありません。
この辺は通勤通学駅としての性格ゆえなのでしょう。

1-2番島式ホームの関屋駅方から見た構内
1-2番島式ホームの関屋駅方から見た構内、2017年5月撮影。

1-2番島式ホーム端から関屋駅方を見る
1-2番島式ホーム端から関屋駅方を見る、2017年5月撮影。
遊休化した部分を柵で封じてあります。

1-2番島式ホームの1番線新潟駅方から見た白山駅構内
1-2番島式ホームの1番線新潟駅方から見た白山駅構内、2017年5月撮影。
1番線は新潟方面乗り場です。

1-2番島式ホーム端から新潟駅方面を見る
1-2番島式ホーム端から新潟駅方面を見る、2017年5月撮影。

4番線を出発したE129系電車内野行
4番線を出発したE129系電車内野行、2017年5月撮影。

白山駅で列車交換を終えて出発する115系電車長岡行
白山駅で列車交換を終えて新潟駅に向け出発する115系電車長岡行、2017年5月撮影。
2017年3月改正ダイヤでは、当駅で1日20回の列車交換が行われています。
しかしこの115系電車の後部編成のこの色はちょっとやり過ぎでしょうと苦言をば。
115系が70系電車由来の所謂新潟色で走っていたことなんてないでしょ。
なんか悪ノリし過ぎですわよ。

4番線に到着したE129系電車吉田行
4番線に到着したE129系電車吉田行、2017年5月撮影。

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白山駅3番線に停車中の115系電車吉田行
白山駅3番線に停車中の115系電車吉田行、二枚共2014年9月撮影。
2017年3月改正ダイヤでは上下合わせて五本の定期列車が発着する中線ですが、新潟駅高架化完成後は信越線や白新線からの乗り入れ列車の発着ホームになる予定です。
しかし折り返し列車の専用にするのなら、従来からの島式ホームはそのまま越後線用として、新ホームは頭端式にすれば工費も節約できたのでは?と思うのは、多分シロウトの浅はかさなのでしょうな。

1番線から出発するE127系電車新潟行
1番線から出発するE127系電車新潟行、2014年9月撮影。

新潟県高校会館
ホーム上から見た駅の南側にある「新潟県高校会館」、2015年12月撮影。
進歩的教職員さまの集うアジ・・・もといっヘイワ護憲反戦の殿堂であります。
窓にぴちっと張られた色とりどりの「アベ政治を許さない」。
このフレーズに全てが集約されております。

白山駅の旧駅舎
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さてここからは、改築以前の白山駅の昔日の様子をかいつまんでご紹介。
白山駅の旧駅舎は建築財産票によると昭和26年12月の完成、2011年6月撮影。
つまり駅の移転以来の建物でした。
昭和20年代から30年代に建てられた他の駅舎との類似が無い、極めて独特のデザインです。
駅前広場はロータリーになっていますが、ロータリーとしての明確な整備は行われていないので雑多な印象でした。

白山駅旧駅舎内の窓口と自動改札周りの様子
白山駅旧駅舎内の窓口と自動改札周りの様子、2011年6月撮影。

改札口は出入り口がはっきり区分されていました
改札口は出入り口がはっきり区分されていました、2012年3月撮影。

待合室とキオスクの出入り口
待合室とキオスクの出入り口、2012年3月撮影。
キオスクは休憩を挟んで07:45~19:00の営業で、休日定休。
待合室は現在の構内待合室に比べると広く、駅に来て列車が来るまで相応の時間を待つことの多い、駅舎完成当時の汽車型ダイヤに見合ったものと言えましょうか。
なにしろ越後線は昭和59年の電化以降に都市型ダイヤが導入されるまで、今日の目で見ると驚くべき運行頻度だったのですから。
昭和55年10月改正ダイヤでは、下り新潟方面が20本(うち4本は休日運休、1本は急行「ひめかわ」)、上り吉田方面が22本(うち3本は休日運休、1本は当駅止まり、1本は急行「ひめかわ」)。
ちなみに平成29年3月改正ダイヤでは、上下合わせて106本(うち2本は休日運休)です。

改札口とその向こうにホームへ向かう通路
白山駅旧駅舎の改札口とその向こうにホームへ向かう通路、2008年5月撮影。
改札前の広い空間とホームへの地下道、大都市圏の駅のような雰囲気であります。

白山駅の仮設跨線橋
白山駅の改装はまず構内から始まり、従来の地下道が閉鎖されて代わりに跨線橋が設置されていました、2011年6月撮影。

仮設跨線橋内部の様子
仮設跨線橋内部の様子、2011年6月撮影。
窓はサッシではなく、しかも半透明だったので俯瞰撮影が出来ず残念。

島式ホーム上の仮設跨線橋出入り口
島式ホーム上の仮設跨線橋出入り口、2011年6月撮影。

改修工事中の白山駅構内
改修工事中の白山駅構内、2011年6月撮影。
この時期、島式ホームの1番線新潟方は仮設跨線橋下から先が立ち入り禁止になっていて、この2番線新潟方が張り出している形になっています。

旧2番線から関屋駅方を見る
旧2番線から関屋駅方を見る、2011年6月撮影。

旧2番線の関屋駅方から見た構内
旧2番線の関屋駅方から見た構内、2011年6月撮影。
この時点では、こちら側の工事はまだ未着手。

改修がまだ及んでいない島式ホーム端から関屋駅方を見る
改修がまだ及んでいない島式ホーム端から関屋駅方を見る、2011年6月撮影。

新潟方ホーム切断で短くなった有効長を補うために仮設された1番線のホーム端
前述の新潟方ホーム切断で短くなった有効長を補うために仮設された1番線のホーム端、
2011年6月撮影。

1番線の仮設ホーム端から見た白山駅構内
1番線の仮設ホーム端から見た白山駅構内、2011年6月撮影。
メリハリの付いたホームと遠方の跨線橋。
この姿の方が、改修以前よりも駅らしくて個人的には好みだったのですよ。

構内改修工事中の1番線から出発するE127系電車新潟行
構内改修工事中の1番線から出発するE127系電車新潟行、2011年6月撮影。

改修着手以前の2番線新潟駅方から見た白山駅構内
改修着手以前の2番線新潟駅方から見た白山駅構内、2005年8月撮影。
時代を感じさせる上屋の形状であります。
国鉄時代に移転した駅構内ですが、やはりどことなく私鉄的な匂いのする構内でしたっけ。

改修着手以前の島式ホーム端から新潟駅方を見る
改修着手以前の島式ホーム端から新潟駅方を見る、2005年8月撮影。

改修着手以前の島式ホーム関屋駅方から見た構内
改修着手以前の島式ホーム関屋駅方から見た構内、2005年8月撮影。
新潟県内第三の利用実績を誇る駅とは思えないローカルな雰囲気です。

改修着手以前の島式ホーム端から関屋駅方を見る
改修着手以前の島式ホーム端から関屋駅方を見る、2005年8月撮影。

白山駅から北に十数分歩けばそこは日本海
新潟市の実質都心の駅、あまり潤いの無い実用本位の硬質な駅という印象の強い白山駅ですが、北に十数分歩けばそこは日本海なのです、2017年6月撮影。

水族館のマリンピアや護国神社にほど近い、海岸沿いの道路
水族館のマリンピアや護国神社にほど近い、海岸沿いの道路、2017年6月撮影。
この日の天気は実に素晴らしく風もほどよく冷たくて体の熱冷ましには丁度良し。
白山駅-日和山海岸-関屋浜-関屋分水-新潟駅の約11kmを一気にトレッキング。

初夏の日本海の蒼さ
初夏の日本海の蒼さは素晴らしいのです、2017年6月撮影。

日和山海岸の突堤
日和山海岸の突堤、2017年6月撮影。
砂が風で移動しない為の防御用で、新潟海岸の砂浜を維持する為の施策の一つ。
立ち入りは制限されていないので、当然のことながら海釣り趣味の人がいます。

日本海に向かって伸びる突堤
日本海に向かって伸びる突堤、2017年6月撮影。

初夏の日和山海水浴場
初夏の日和山海水浴場、2017年6月撮影。

船上から海を見ているような感じ
船上から海を見ているような感じですな、2017年6月撮影。

突堤の先端には日本海の波しぶき
突堤の先端には日本海の波しぶきが、2017年6月撮影。
こんな穏やかな日でもこうなのですから、厳冬期のそれはさぞ凄いでしょうな。
新潟市の冬の季節風の強さといったら、上空で風の逆巻く音が聞こえ毎日台風が接近してきているようなものなのですから。

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2017年7月 9日 (日)

春日山駅(えちごトキめき鉄道)

本日の駅紹介はえちごトキめき鉄道妙高はねうまライン・春日山駅。

JR東日本所属時代の春日山駅駅名標
えちごトキめき鉄道移管後の春日山駅駅名標

新潟県上越市に所在する有人駅で、現在はえちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインの所属です。
開業は昭和3年(1928年)10月26日で、当時の所在は中頸木郡春日村で、同村唯一の玄関駅でした。
春日村はその後昭和30年に高田市へ編入され、同市は昭和46年に直江津市と合併して新自治体の上越市となり今日に至ります。

信越本線直江津-高田間は6.7kmもの距離があるので、その中間地点の春日村村内に駅が設置されても全く不思議ではないのですけれど、明治19年にこの地へ鉄道が敷設されて以来、当局が駅設置に積極的に動くことはなかったようです。
それに業を煮やしたのかどうかは定かではありませんが、大正末期に至って、春日村が誘致運動を開始。
その甲斐あってようやく春日山駅誕生にこぎつけたそうです。
当時は上越線が全通しておらず、新潟-東京間のメインルートは信越線でしたから、複線化の進まぬ当時に輸送力を増強する為には列車交換設備の拡充が不可欠です。
春日山駅誕生には地元の熱心な誘致活動と、信号場を必要とする当局の思惑が合致した結果ではなかったかと推察する次第ですが真相は果たして?

春日村から高田市時代はこれといって特徴の無い地方幹線の小駅に過ぎなかった春日山駅ですけれど、上越市発足に伴い市の行政機能は高田と直江津の中間に位置する春日地区に移転しました。
そして当駅はその最寄り駅として、これまでになかった位置付けになります。
しかし何分クルマ社会な地方都市のことゆえに、それが直接当駅の利用に結び付いたとは残念ながら言い難いのです。
当駅がJR東日本所属時代に統計に載っていた最後の年の2013年度一日平均乗車人員は732人で、漸増状態とはいえ同社新潟県内有人75駅中50位。
上越線・塩沢駅と同レベルで、一日平均2000人を余裕で越す直江津、高田両駅には大差をつけられてしまっています。
この辺はやはり、そもそもの出自が村の駅だったことの限界でしょうか。
新潟県第三の都市の官庁最寄り駅だというのに、国鉄時代は特急はもちろん急行が定期停車することもなかったようです。
しかし当駅がJRから切り離されたその日に運転を開始した特急「しらゆき」5往復の内、1往復の当駅停車が実現。
皮肉なことに、JRの駅では無くなってしまった途端にJRの特急列車が停まるようになったのです。

JR東日本所属時代の春日山駅駅舎の様子
JR東日本所属時代の春日山駅駅舎の様子、2011年6月撮影。
建築財産票によると、平成14年12月5日の完成。
トイレは画像左側の駅舎とは別棟の建物です。
この建物は仮駅舎的なモノで、本命をいずれ建てるという話のようですが、一向に具体化していません。

えちごトキめき鉄道移管後の春日山駅駅舎
えちごトキめき鉄道移管後の春日山駅駅舎、2016年9月撮影。
駅名板が変わったこと以外はJR時代と変化無しです。

春日山駅前広場の様子
春日山駅前広場の様子、2016年9月撮影。
駐輪場に上屋が無いのは、駅舎が仮住まいであることの表れなんでしょうか。
人気観光スポットの「春日山」のお膝元らしく、周辺の大きな観光案内板が設置されているのは来訪者にとって心強いところです。
路上のバスはくびきバス運行の直江津-中央病院線で、直江津駅北口と春日山、高田市街地を結んでいます。

JR所属時代の春日山駅駅舎内の窓口とホーム出入り口周りの様子
JR所属時代の春日山駅駅舎内の窓口とホーム出入り口周りの様子、2011年6月撮影。
実用本位の簡素でそっけない造りです。
仮住まいの駅舎という話も頷けますな。

駅舎内の待合空間
駅舎内の待合空間、2011年6月撮影。
駅舎内は吹き抜けで、ベンチは駅舎内の壁南側にまとめて設置されています。

えちごトキめき鉄道に移管後の駅舎内窓口と自動券売機
えちごトキめき鉄道に移管後の駅舎内窓口と自動券売機、2016年9月撮影。
窓口の表記と自動券売機がえちごトキめき鉄道型に変わった以外は変化無し。
JR時代から宣伝掲示の類が少なく少々寂しい駅舎でしたので、三セクに変わっても印象は変わらないのです。

直江津駅方から見た春日山駅構内
直江津駅方から見た春日山駅構内、2011年6月撮影。
当駅はかつて2面2線で列車交換可能な駅でしたが、平成14年12月にそれまでよりも直江津方に400m移動しています。
したがって事実上新駅といって差し支えないのが現在の駅の姿です。

ホーム端から直江津駅方を見る
ホーム端から直江津駅方を見る、2011年6月撮影。

ホーム上屋下の様子
ホーム上屋下の様子、2012年6月撮影。
手前が駅舎側になります。

高田駅方から見た春日山駅構内
高田駅方から見た春日山駅構内、2012年6月撮影。
前述したように事実上の新駅ゆえに、遺構の類は無く余り見所はありません。

ホーム端から高田駅方を見る
ホーム端から高田駅方を見る、2011年6月撮影。
当駅のホーム有効長は6両です。

不自然な線路の曲がり方と横取り線の分岐
不自然な線路の曲がり方と横取り線の分岐をホーム端から望見できます、2012年6月撮影。
あの辺りがかつての春日山駅跡になります。
昔の時刻表を紐解くと、昭和55年10月改正ダイヤでは1日2回、昭和60年3月改正ダイヤでは1日5回の定期旅客列車の交換が当駅で行われていました。
早い時期から遊休化していたわけではなく、国鉄末期には普通列車の増発もあって交換回数が増えてさえいたのです。

駅舎反対側の線路と並行する道路から見た春日山駅構内
駅舎反対側の線路と並行する道路から見た春日山駅構内、2011年6月撮影。
駅舎が見えないと、平凡なローカル線の小駅のように見えます。

道路上から見た春日山駅駅舎のホーム側の様子
道路上から見た春日山駅駅舎のホーム側の様子、2011年6月撮影。

春日山駅に進入する485系電車T編成の快速「くびき野」新潟行
春日山駅に進入する485系電車T編成の快速「くびき野」新潟行、2005年6月撮影。

485系電車T編成の普通列車新井行
快速「くびき野」編成の新井駅への回送を兼ねて朝に設定されていた、485系電車T編成の普通列車新井行、2011年6月撮影。

春日山駅に到着した189系電車の普通列車「妙高」長野行
春日山駅に到着した189系電車の普通列車「妙高」長野行、2011年6月撮影。

春日山駅を出発する115系電車直江津行
春日山駅を出発する115系電車直江津行、2012年6月撮影。
えちごトキめき鉄道に移管後の当駅で115系電車を見れるのは、快速「くびき野」の後身である通称「新井快速」と、新井快速用車両の直江津からの送り込み列車のみになりました。

春日山駅に到着したET127系電車妙高高原行
春日山駅に到着したET127系電車妙高高原行、2016年9月撮影。
JR時代は上越界隈で定期運用されることのなかったこの電車も、今や妙高はねうまラインの主役の座に。

春日山駅に停車中のET127系電車新井行
秋の陽を浴びながら春日山駅に停車中のET127系電車新井行、2015年10月撮影。
こちらのカラーリングはJR所属時代そのまま。
この電車に乗り慣れていた私は、七ヶ月ぶりに旧友と再会した気分。
でも車内は雰囲気がなんとなく荒れていました。
乗客が荒んでいるということではなく、車内清掃があまり行き届いていない感じを受けてしまったのです。
JR西日本時代の北陸本線の電車もそんな感じでしたっけ。
それを考えるに、何だかんだ言ってもJR東日本はやはり凄いやと再認識させられるのであります。

春日山駅に停車中のE653系電車特急「しらゆき」
春日山駅に停車中のE653系電車特急「しらゆき」上越妙高行、2015年10月撮影。
上越地方にお住まいの方以外は現地に宿泊しない限り、陽の出ている時間帯で当駅に停車する「しらゆき」を撮影できるのは、午後の6号のみです。
私もこれを撮るために、トキ鉄内の特急料金210円也を払って高田駅まで一駅乗車しました。

春日山駅に停車中のほくほく線直通HK100形電車
春日山駅に停車中の、ほくほく線直通HK100形電車越後湯沢行、2016年9月撮影。
JR信越本線時代は実施されていなかったほくほく線電車の乗り入れも、三セク化によって実現の運びに。
本数は少ないですが、JRから乗り入れてくる「新井快速」以外はロングシートのET127系電車ばかりになってしまったこの線区で、クロスシート車に乗車券だけで乗れるのは貴重な事なのであります。

春日山駅ホームのすぐ下をアンダークロスして駅の東西を結ぶ道路
春日山駅ホームのすぐ下をアンダークロスして駅の東西を結ぶ道路、2008年5月撮影。
画像右側の白い建物が、新潟県第三の都市・上越市役所です。
市役所が人口の多い旧高田市内ではなく、直江津、高田に挟まれたこの地に建てられた事は、両市の合併が対等なものであった事の表れか。


上越市役所の所在する界隈
道路をくぐって上越市役所の所在する界隈に出ます、2012年6月撮影。

線路とアンダークロスする道路の春日山方
線路とアンダークロスする道路の春日山方、2006年10月撮影。
春日山駅は画像左方に位置しています。
この通りを道なりに2km程進むと、かつての越後上杉家の本拠地・春日山界隈に行き着きます。

春日山駅から春日山界隈への道のり
春日山駅から15分ほど歩くと、駅周辺の地方中核都市近郊の車の喧騒とは隔絶した鄙びた風景に変わってまいります、2011年6月撮影。

春日山城跡ものがたり館
駅から17分程歩いて、「春日山城跡ものがたり館」に到着、2011年6月撮影。
春日山一帯を見て回る前に、予備知識を仕入れるためにここで春日山や上杉氏の歴史についてのビデオ解説を見るのが良いでしょう。

春日山史跡広場
「春日山城跡ものがたり館」に隣接した春日山史跡広場、2011年6月撮影。

春日神社の入り口
史跡広場から数分で春日神社の入り口に到着、2011年6月撮影。
今から千年と少し前に、奈良春日神社の分霊を祀るためにこの地に建てられた神社です。
「春日山」の由来もこの神社からきています。
神社が現在位置に移ったのは1381年の事なんだとか。

春日神社の社殿
春日神社の社殿、2011年6月撮影。

林泉寺山門
春日神社から10分ほど歩いて林泉寺に到着、2011年6月撮影。
1497年に上杉謙信公の祖父であられる越後守護代・長尾能景公が、長尾氏の菩提寺として建立した曹洞宗の寺です。
越後の地に威勢を誇った上杉氏ゆかりの寺らしく、惚れ惚れする山門の造りであります。

林泉寺本堂
林泉寺の本堂、2011年6月撮影。



林泉寺境内の様子
林泉寺境内の様子、2011年6月撮影。

上杉謙信公のお墓
上杉謙信公のお墓です、2011年6月撮影。

林泉寺の宝物館
林泉寺の宝物館、2011年6月撮影。
上杉氏ゆかりの多数の展示物を解説付きで見学できます。
戦国女子の諸女はぜひ押さえておいてもらいたいところです。

春日山神社
林泉寺から12分ほど歩いて春日山神社に到着、2011年6月撮影。
上杉謙信公の時代の武士姿の方々のパフォーマンスが行われていました。
しかしぶっちゃけ私はこういうのはかなり苦手・・・。

春日山城址に向けて登り始めます
春日山神社からいよいよ春日山城址に向けて登り始めます、2011年6月撮影。

春日山城址への道のり
春日山城址への道のりは整備されているので、山登りではなくピクニック気分です。
2011年6月撮影。

直江屋敷への道
画像左手を登ると、「花の慶次」で慶次郎の莫逆の友・直江兼続で有名な上杉家の重臣・直江氏の館跡「直江屋敷」に行き着きます、2011年6月撮影。

直江屋敷
春日山神社から9分で直江屋敷に到着、2011年6月撮影。

直江屋敷から下界を見下ろす
直江屋敷から下界を見下ろす、2011年6月撮影。

史蹟 春日山城址
直江屋敷から5分で、史蹟 春日山城址に到着、2011年6月撮影。
春日山神社からここまで、あちこちフラフラしながら私の足で18分というところです。
「春日山城跡ものがたり館」からだと、途中春日神社、林泉寺、春日山神社に寄り道しつつ所要45分。



春日山城址から下界を見下ろす
春日山城址から下界を見下ろす、2011年6月撮影。
生憎この日は薄曇で、素晴らしい眺め!とはいかなかったのが残念。

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2017年7月 2日 (日)

直江津駅(信越本線・えちごトキめき鉄道)

本日の駅紹介は信越本線/えちごトキめき鉄道・直江津駅。

国鉄型の直江津駅駅名標
えちごトキめき鉄道型の直江津駅駅名標

新潟県上越市に所在する有人駅で、開業は明治19年(1886年)8月15日。
ただし現在位置に移転したのは明治31年8月1日との事です。
開業時の所在は中頚城郡直江津町で、同町は周辺自治体を合併編入して昭和29年に市制を施行して直江津市になります。
国指定の重要港湾である直江津港を抱える直江津市は日本海沿岸海運の要衝のひとつでしたが、昭和46年に南隣の高田市と合併して人口約12万人の県内第三の都市・上越市に発展的解消を遂げて今日に至ります。
旧高田市はかつての越後高田藩の城下町で商業の中心地、対して旧直江津市は海運工業と鉄道道路の交通上の要路で、それぞれの力をひとつに纏めて地域の発展を図る大同団結であったのです。
上越市は平成の大合併によってその市域を拡大し、面積は村上市に次ぐ県内第二位、人口は20万人弱で新潟、長岡両市に次ぐ県内第3位の都市になっています。

さて直江津駅は信越本線と北陸本線の接続駅で、平成27年3月の北陸新幹線金沢延伸までは特急列車が多数行きかう活気ある大駅でした。
昔の時刻表を紐解くと、昭和55年10月改正ダイヤで直江津駅に発着する優等列車はかくのごとき。

寝台特急3往復半: 「つるぎ」、「日本海」2往復、上り「北陸」
電車特急11往復: 「白鳥」、「雷鳥」3往復、「はくたか」2往復、「白山」3往復、「あさま」1往復、「北越」
電車急行5往復:「とがくし」2往復、「妙高」2往復、「よねやま」
気動車急行3往復:「赤倉」「しらゆき」「ひめかわ」
客車急行3往復:「きたぐに」「能登」「越前」
合計25往復半で、定期優等列車発着本数は長岡駅、新潟駅に次ぐ県内第三位。

昭和60年3月改正ダイヤでは
寝台特急3往復半: 「つるぎ」、「日本海」2往復、上り「北陸」
電車特急14往復:「白鳥」、「雷鳥」3往復、「北越」5往復、「白山」2往復、「あさま」3往復
電車急行4往復:「きたぐに」、「南越後」、「とがくし」2往復
客車急行1往復:「能登」
合計22往復半で、在来線定期優等列車発着本数は新潟、長岡両駅を凌ぎ県内堂々の1位。
当駅はこの首位の座を昭和59年2月改正から平成27年3月改正までの約31年間守ってきたのです。

しかし北陸新幹線金沢延伸で、在来線特急の「はくたか」が永遠の旅路に走り去ってそれは激変。
長中距離の優等列車が賑やかに行き交う鉄路の要衝としての機能は既に昔日の光景となり、広大な構内に短編成のローカル列車が出入りする寂しい風景。
夏草や兵どもが夢のあと。

JR東日本によると、2015年度の直江津駅1日平均乗車人員は2,337人。
同社新潟県内有人65駅中15位で、燕三条駅(上越新幹線・弥彦線)よりもやや多く、
巻駅(越後線)よりやや少ないというレベルです。
ただ燕三条駅は上越新幹線駅としての数字なので、無人駅扱いの弥彦線の数字を入れれば当駅よりもかなり大きい数字になると思われます。
また北陸新幹線金沢延伸前年の2014年度と比べると265人減で、思っていたよりも減少幅はずっと小さいのです。

JR東日本管理下の直江津駅駅舎北口
北陸新幹線金沢延伸以前、JR東日本管理下の直江津駅駅舎北口の様子、2005年10月撮影。
2000年4月に供用を開始した駅舎は、前時代の風格たっぷりだった旧駅舎と正反対の現代建築。
とごとなく客船をイメージさせるデザインであります。
鉄路の要衝の新たな顔としてこれからも華やかに・・・といきたかったところですが、現駅舎供用開始の八ヶ月後には、北陸新幹線・長野-富山間のフル規格建設が決定したのです。
華々しく再デビューを飾ったこの立派な駅舎も、近い将来の斜陽化ローカル化を決定付けられてしまったわけです。

えちごトキめき鉄道管理に移った直江津駅駅舎
第三セクター鉄道のえちごトキめき鉄道管理に移った直江津駅駅舎、2015年10月撮影。
駅名から「JR」の二文字が消えています。
なお駅前のバス停には上越市各地及び周辺地域への路線が多数乗り入れていて、鉄道補完では上越大通り線(上越妙高高田犀潟土底浜潟町の各駅に移動可能、南高田黒井駅へは少々歩きます、土休日上下24本)、春日山・佐内線(春日山駅に移動可能、黒井、高田両駅へは少々歩きます、土休日上下15本)、桑取線(谷浜駅に移動可能、有間川駅へは少々歩きます、土休日上下8本)が出入りしています。

直江津駅北口駅前通りの様子
直江津駅北口駅前通りの様子、2010年5月撮影。
昔ながらの旅館や店舗が軒を連ねる通りです。

夜の直江津駅北口駅前通り
夜の直江津駅北口駅前通り、2009年6月撮影。
昼よりも夜の方が風情を感じさせますな。

直江津駅周辺で最大の集客力を持つ店舗「イトーヨーカドー直江津店」
画像左側は直江津駅周辺で最大の集客力を持つ店舗「イトーヨーカドー直江津店」、その手前にあるのはくびきバスの「イトーヨーカドー前」バス停の待合室です、2010年6月撮影。
このバス停には直江津駅発着の路線バスが概ね停まります。

直江津駅南口の様子
直江津駅南口の様子、2010年5月撮影。
道路を渡る自由通路の窓は船の舷窓のようです。

直江津駅南口出入り口の様子
直江津駅南口出入り口の様子、2010年5月撮影。
内陸側のこちらには、特段目を惹くようなものはありません。
南口からもバス停があって、鉄道補完では名立線(谷浜、有間川両駅に移動可能、名立駅へは少々歩きます、土休日上下6本)と能生線(谷浜、有間川両駅に移動可能、名立筒石能生の各駅には少々歩きます、土曜上下4本、休日は全便運休)が発着しています。

えちごトキめき鉄道管理になった今日の直江津駅駅舎改札口
えちごトキめき鉄道管理になった今日の直江津駅駅舎改札口、2015年10月撮影。
2005年末に導入された自動改札機こそ維持されているものの、看板を見ればわかる通り今ではJRは添え物的な扱い。

JR東日本時代の駅窓口
JR東日本時代の駅窓口、2009年6月撮影。

えちごトキめき鉄道に移管後の駅窓口
えちごトキめき鉄道に移管後の駅窓口、2016年9月撮影。

えちごトキめき鉄道窓口脇の自動券売機群
えちごトキめき鉄道窓口脇の自動券売機群、2016年9月撮影。
右側から順に、JRの指定券用、通常用、えちごトキめき鉄道用2台。
JR券売機上のモニターは空席案内板で、この時は上越新幹線の空席情報を表示していました。
直江津界隈からだと上越妙高駅から北陸新幹線を利用するのが対東京の主要路だと思うのですが、これを見るとほくほく線で越後湯沢駅まで出て上越新幹線に乗り換えというルートも、まだ需要があるということなのでしょうか。

駅の南北を横断する小奇麗な自由通路
駅の南北を横断する小奇麗な自由通路、2009年6月撮影。

構内通路から見た直江津駅構内の春日山・谷浜方
構内通路から見た直江津駅構内の春日山・谷浜方、2010年5月撮影。
おりしも3番線には快速「くびき野」が停車中。

自由通路から見た直江津駅構内の黒井方
自由通路から見た直江津駅構内の黒井方、2010年5月撮影。
錯綜する多数の線路は、鉄路の要衝たる証です。

自由通路から見た直江津駅構内の春日山方
自由通路から見た直江津駅構内の春日山方、2015年10月撮影。

自由通路から見たえちごトキめき鉄道の直江津運転センター
自由通路から見たえちごトキめき鉄道の直江津運転センター、2015年10月撮影。
同鉄道の二大主役であるET122形気動車とET127系電車を俯瞰で同時に見物できます。

構内各ホームへ連絡する構内通路
構内各ホームへ連絡する構内通路、2010年5月撮影。
構内のトイレはこの通路上(私が立っている側)にあります。
特急「はくたか」が飛び去った後も、駅弁売りの方が出ておられますが、正直なところ、直江津駅の現状では売り上げも相当に減ってしまったのではと心配になるところです。

直江津駅1-2番島式ホームの春日山、谷浜駅方から見た構内
直江津駅1-2番島式ホームの春日山、谷浜駅方から見た構内の様子、2010年5月撮影。
画像左側の1番線には食パン顔の419系電車が客待ち中。
ご覧のように当駅構内は実に広大で、在来線の駅としては新潟、長岡両駅を凌ぎ、新津駅と並ぶ新潟県下随一の規模です。

島式ホームの2番線端から春日山、谷浜駅方を見る
島式ホームの2番線端から春日山、谷浜駅方を見る、2010年5月撮影。
ホーム端の小屋が視界を遮るので、ここからの眺めはイマイチ。

直江津駅1番線で待機中の413系電車富山行
直江津駅1番線で待機中の413系電車富山行、2012年6月撮影。
2011年3月改正をもって引退した419系電車の後任として、北陸本線の糸魚川以東で運用を開始したこの電車。
しかしその姿を当駅で見られたのは僅か4年でした。

夜の直江津駅1番ホームと、停車中の475系電車
夜の直江津駅1番ホームと、停車中の475系電車、2009年6月撮影。
重厚な上屋の造りが夜目にくっきり。

直江津駅1番線に到着した単行のET122形気動車
直江津駅1番線に到着した単行のET122形気動車、2015年10月撮影。
JR時代の3両編成を単行にしたので当たり前の話なのですが、とにかく混んでいました。
日曜なので学生が集中しているわけではなく、一般の用務客が利用するのです。
あれだけ混んでいると、意気地のない私なぞは糸魚川との往来に北陸新幹線を使いたくなるというものです。
なお2016年9月時点で、1番線から出発する定期列車は1日7本。
全てえちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインのこの気動車です。

直江津駅2番線に到着する当駅止まりの475系電車
直江津駅2番線に到着する当駅止まりの475系電車、2011年6月撮影。
個人的には最後まで馴染めなかった青一色の車体です。

2番線に進入する特急「はくたか」越後湯沢行
2番線に進入する特急「はくたか」越後湯沢行、2013年5月撮影。
北陸新幹線金沢延伸まで当駅最大のスタァと言えたのが、金沢-越後湯沢間新幹線連絡輸送の重責を担っていたこの列車でした。
「北越」よりも長編成で見映えのする列車でしたなぁ。

直江津駅2番線に到着する485系電車国鉄特急色の特急「北越」新潟行
直江津駅2番線に到着する485系電車国鉄特急色の特急「北越」新潟行、2010年6月撮影。
当駅2番線には新潟行「北越」と越後湯沢行「はくたか」が発着していました。
2016年9月時点で2番線を出発する定期列車は、えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの3本と妙高はねうまライン1本、JR東日本が8本(うち特急「しらゆき」が3本)の合計12本です。

3-4番島式ホームの3番春日山、谷浜方から見た構内
3-4番島式ホームの3番春日山、谷浜方から見た構内、2011年6月撮影。

3-4番島式ホーム端から春日山、谷浜方を見通す
3-4番島式ホーム端から春日山、谷浜方を見通す、2011年6月撮影。

3-4番島式ホーム上屋下の待合室内部
3-4番島式ホーム上屋下の待合室内部、2013年5月撮影。
主要駅に相応しく広い室内です。
待合室の向こうの上屋下はガランとして何もなく、今日では完全に遊休化。
新津駅構内と通ずるものがあります。

3-4番島式ホーム上屋下の様子
3-4番島式ホーム上屋下の様子、2011年6月撮影。

南北連絡通路を見上げる3番線黒井駅方から見た構内
南北連絡通路を見上げる3番線黒井駅方から見た構内、2011年6月撮影。
駅周辺の交通事情改善に多大な効果があったと思われるこの連絡橋も、駅撮りの観点のみで言うのならばあまり見栄えは・・・
位置がもう少し構内中央寄りであればまた違っていたと思うのですが。

3番線端から黒井駅方を見通す
3番線端から黒井駅方を見通す、2011年6月撮影。

3番線に停車中の485系電車R編成の特急「北越」金沢行
3番線に停車中の485系電車R編成の特急「北越」金沢行、2013年5月撮影。
かつての3番線は金沢方面への「北越」「はくたか」が発着していていました。
2016年9月時点で3番線から出発する定期列車は、えちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインが9本、妙高はねうまラインが8本(内特急「しらゆき」5本)、JRが2本の合計19本です。

2番線に停車中のET122形気動車と、3番線に到着するE653系電車の特急「はくたか」上越妙高行
2番線に停車中のET122形気動車と、3番線に到着するE653系電車の特急「はくたか」上越妙高行、2016年9月撮影。
特急「はくたか」「北越」が飛び去ってしまった今、寂れた雰囲気が構内に漂う直江津駅に一時の華やぎをもたらすのがこの「しらゆき」でありましょう。

3番線を出発加速する「しらゆき」
上越妙高駅へ向けて、えちごトキめき鉄道に足を踏み入れるべく3番線を出発加速する「しらゆき」、2016年9月撮影。

2番線に停車中の特急「はくたか」と、3番線に停車中の快速「くびき野」
2番線に停車中の特急「はくたか」と、3番線に停車中の快速「くびき野」のツーショット、2013年5月撮影。

秋の夕陽の直江津駅3番線に停車中の115系電車
秋の夕陽の直江津駅3番線に停車中の115系電車、2015年10月撮影。

4番線に停車中の475系電車
4番線に停車中の475系電車、2011年6月撮影。
新潟県内では急行くずれの快速「立山」が糸魚川駅に出入りする以外、国鉄交直流急行色を目にする機会が無かったので、この電車のカラーといえば白地に青のラインです。
2016年9月時点で4番線から出発する定期列車は、えちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインが1本(2017年3月改正で廃止された所謂「糸魚川快速)、妙高はねうまラインが9本、JRが5本の合計15本です。

夕刻の直江津駅4番線に到着した485系電車T編成の快速「くびき野」新潟行
夕刻の直江津駅4番線に到着した485系電車T編成の快速「くびき野」新潟行、2011年6月撮影。
上越地方からの帰路、私がもっぱら愛用したのがこの「くびき野5号」でした。
直江津駅を六時前に出発する時間帯の良さで、指定席に腰を落ち着けてまったりと大名気分で帰宅の一時を過ごしたものです。
この時も撮影後すぐ車中の人へ。
日曜の夕方ですが、車内には新潟到着まで私ひとり。
「くびき野」の指定席は概ねそんな感じでした。
10月の三連休の中日に乗ったことがありますけど、その時でも指定は半分にも行ってない乗り具合でしたっけ。
自由席はぎゅう詰め満員なのにですよ。

南北連絡橋直下の5-6番島式ホームから見た直江津駅構内
南北連絡橋直下の5-6番島式ホームから見た直江津駅構内、2011年6月撮影。
画像左の6番線には指定席車連結の普通列車「妙高」が待機中。

5-6番島式ホーム端から黒井駅方を見る
5-6番島式ホーム端から黒井駅方を見る、2011年6月撮影。
中央には喫煙者憩いの場の喫煙所。
私はそもそも煙草を吸った事が一度も無いので、ホーム端のここまで来て吸いまくる喫煙者の気持ちは理解できませぬ。
中学生の時、「タバコは体にいい」とか言って私にも無理強いしてきたあのバカ、今頃は肺もまっくろけかなぁw

5番線から見た構内中央部
5番線から見た構内中央部、2011年6月撮影。
やはり当駅のような、上屋の長大な大駅の昼間の撮影はイマイチ。
しかも梅雨時の一面の曇り空だし。
これまでに何度か言及してますが、夜の方が映えます。

5番線から構内の春日山、谷浜方を見る
5番線から構内の春日山、谷浜方を見る、2011年6月撮影。
ご覧の通り、この辺りの上屋下には何もありません。

当駅最果ての地、6番線から見た構内の様子
当駅最果ての地、6番線から見た構内の様子、2011年6月撮影。


4番線に停車中のJR東日本E129系電車と5番線に到着したえちごトキめき鉄道のET127系電車
画像左側の4番線に停車中のJR東日本E129系電車と、右側の5番線に到着したえちごトキめき鉄道のET127系電車、2016年9月撮影。
私にとって長年慣れ親しんだE127系電車と、現在多用しているE129系電車の新旧顔合わせであります。
2016年9月時点で5番線から出発する定期列車は、えちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインが9本、北越急行ほくほく線直通が8本、JR東日本が4本の合計21本。

4番線と5番線で仲良く顔を合わせるET127系電車
4番線と5番線で仲良く顔を合わせるET127系電車、2015年10月撮影。

4番線の115系電車長野色と5番線の115系電車N編成
今ではもう見られない顔合わせ、4番線の115系電車長野色と5番線の115系電車N編成、2013年5月撮影。

4番線に停車中のJR西日本所属475系電車と5番線で待機中のJR東日本所属115系電車長野色
こちらも今では思い出のひとコマ、4番線に停車中のJR西日本所属475系電車と5番線で待機中のJR東日本所属115系電車長野色、2012年6月撮影。

5番線で待機中の北越急行所属HK100形電車
5番線で待機中の北越急行所属HK100形電車、2012年6月撮影。
ほくほく線直通列車はこの5-6番島式ホームのみに発着します。

5番線で待機中の189系電車国鉄特急色の「妙高」
5番線で待機中の189系電車国鉄特急色の「妙高」、2014年5月撮影。
「妙高」最後の皐月の姿であります。

朝の485系電車T編成の普通列車新井行
快速「くびき野」を新井駅に送り込む回送を兼ねて運転されていた、朝の485系電車T編成の普通列車新井行、2014年5月撮影。
半室グリーンと指定席車は締め切り扱いでの運転でした。

寝台特急「トワイライトエクスプレス」札幌行が直江津駅5番線に進入
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寝台特急「トワイライトエクスプレス」札幌行が直江津駅5番線に進入、上は2014年5月、下は2013年5月撮影。

停車中の「トワイライトエクスプレス」
5番ホームの有効長を目一杯使って停車中の「トワイライトエクスプレス」、2014年5月撮影。
こんな長編成の旅客列車が直江津駅に停車する事はおそらく二度とないのでしょうな。

出発する「トワイライトエクスプレス」
次の停車駅長岡に向けて出発する「トワイライトエクスプレス」、2014年5月撮影。
私が直接見た「トワイライトエクスプレス」最後の姿です。

6番線を出発したET127系電車妙高高原行
当駅最果ての6番線を出発したET127系電車妙高高原行、2015年10月撮影。
2016年9月現在、6番線から出発する定期列車はえちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインが7本、北越急行ほくほく線直通が8本、JRが3本(うち2本は特急「しらゆき」)の合計18本。
頭端式ホームで日本海ひすいライン専用の1番は別にして、他の2~6番には万遍なく列車を割り振っている今日の直江津駅ですが、利用者の目から見れば路線別にホームを集約使用してもらった方が便利なのは確かでしょう。

直江津駅6番線で折り返し待機中の189系電車「妙高」
直江津駅6番線で折り返し待機中の189系電車「妙高」、2011年6月撮影。
いつも適度に空いていて、実に利用しやすい列車でしたっけ。

6番線で待機中の419系電車富山行
6番線で待機中の419系電車富山行、2009年6月撮影。
タネ車の581/583系電車の風格を偲ばせる面構えでした。
このホームは一見すると信越本線長野方面とほくほく線直通列車専用のような印象でしたけれど、北陸本線の普通列車もこのように入ってきていました。

6番線で待機中の419系電車「食パン顔」
6番線で待機中の419系電車「食パン顔」、2005年10月撮影。

陸橋上から俯瞰で見た直江津駅構内
駅至近の陸橋上から俯瞰で見た直江津駅構内、2010年10月撮影。
うねりながら集散する線路は、鉄道のジャンクションの持つ黒鉄色のダイナミズムそのものであります。

同じ位置から春日山、谷浜方を俯瞰で見る
同じ位置から春日山、谷浜方を俯瞰で見る、2010年10月撮影。
右側が北陸本線、左側が信越本線です。

五智国分寺の三重塔
ここからは直江津駅周辺の見所をご紹介。
これは駅から谷浜方面に2km弱進むと行き着く、五智国分寺の三重塔、2011年6月撮影。
オリジナルは焼失してしまっていて、現存するこの塔は1856年に建て直したものだそうです。

親鸞聖人が1207年に上陸したと言われる居多ヶ浜
越後に流罪となった親鸞聖人が1207年に上陸したと言われる居多ヶ浜、2011年6月撮影。
五智国分寺のすぐ近くです。

海水浴場になっている居多ヶ浜の様子
海水浴場になっている居多ヶ浜の様子、2011年6月撮影。

安寿姫と厨子王丸の供養塔
直江津駅から黒井駅方に歩いて関川沿いに海岸近くまで行くと、そこには安寿姫と厨子王丸の供養塔があります、2010年5月撮影。
私は小学生の時に学校で観劇した「山椒大夫」がちょっとしたトラウマなのですよ。
「タローが森の、タローが家~」、まさに地獄の一丁目でした。

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