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2017年6月の記事

2017年6月24日 (土)

長岡駅(信越本線・上越新幹線)

本日の駅紹介は信越本線/上越新幹線・長岡駅。

長岡駅の在来線駅名標
長岡駅の上越新幹線駅名標

新潟県長岡市に所在する有人駅で、新潟県中越地方の中心にして県内第2の都市である長岡市の玄関駅です。
開業は明治31年(1898年)6月16日で、当時の所在は古志郡長岡町。
かつての越後長岡藩14万2,700石の城下町であった長岡町は、駅開業の5年後に県都新潟に次ぐ県内で二番目の市制施行を果たして長岡市となり、その後も周辺自治体の合併編入で市勢を拡大、現在の人口は約27万2千人を数える新潟県内第2の都市としての立場を確固たるものとしています。

JR東日本によると、長岡駅の2015年度1日平均乗車人員は11,623人で、同社県内有人67駅中新潟駅に次ぐ第2位の堂々たる数字です。
乗車人員に占める定期と定期外の比率は1対1に近く、通勤通学と用務観光の両方で利用が活発な駅であります。
県内では利用状況が突出した第2位で比較対象が無いので、他県の駅と比べてみると、秋田県の県庁所在地である秋田駅や、最近某女性タレントの「山奥」暴言で話題になったw埼玉県埼京線の指扇駅と同レベルです。

長岡駅大手口の様子
長岡駅大手口の様子、2012年6月撮影。
かつての長岡城跡、つまり町の中心部に造られたのが長岡駅です。
という事は、鉄道に対する忌避感がこの町には無かったということなのでしょう。
城跡にまとまった用地があったという理由以外にも、失った城に変わる町の象徴として、新時代、文明開化の象徴たる鉄道の停車場を選ぶ、そういう空気があったのかもしれません。
現在の駅舎は上越新幹線建設に伴い改築されたもので、昭和55年に供用開始。
店舗も建物内に多数展開していて、なかなか活気があります。

大手口の駅前の様子
大手口の駅前の様子、2016年9月撮影。
日曜の早朝とあって人影はまばら。
画像左側は路線バス乗り場です。

空中回廊の大手スカイデッキ上から見た長岡駅大手口駅前広場
駅と駅前通りを結ぶ空中回廊の大手スカイデッキ上から見た長岡駅大手口駅前広場、2016年9月撮影。
タクシーが多数待機しているあたりは流石県内第二の都市の玄関駅であります。
しかしこの辺は夜ともなればムクドリの大群が集結して、蜂の巣のつついたような大騒ぎになるのであります。

越後交通の長岡駅前バス乗り場
前掲の画の反対側に位置する、越後交通の長岡駅前バス乗り場、2016年9月撮影。
左側が長岡駅です。
ここには長岡市各地や近隣自治体へのバス路線多数が乗り入れています。
後付で手狭かつごちゃごちゃしている新潟駅前に比べると、駅舎改築に伴う駅前整備によるものだけあって、スッキリとして利用しやすい構造になっています。
鉄道補完では、上越線の越後滝谷小千谷各駅、信越線の宮内前川来迎寺、塚山、柏崎北長岡東三条、飯山線の越後岩沢下条魚沼中条十日町、越後線の分水
寺泊小島谷出雲崎礼拝西山刈羽西中通東柏崎の各駅にバスで直接もしくは最寄バス停から僅かの徒歩で移動可能です。
特に新潟駅から越後線南部の各駅に行く場合、上越新幹線で長岡下車、越後交通のパスに乗り換えて行く方が、時間帯によっては圧倒的に便利だったりするのはちょっとした豆知識。

大手スカイデッキ上から見た長岡駅大手口駅前通り
大手スカイデッキ上から見た長岡駅大手口駅前通りの様子、2016年9月撮影。
長岡駅周辺はダイエーの撤退など、一時は衰退の危機感が相当にあったのですけれど、近年はだいぶ持ち直してきている印象。
まぁたまにしかこない部外者の目にはそう映っても、地元の方にはまた別に見えるのかもしれませんが。

夜の長岡駅大手口と大手スカイデッキ
夜の長岡駅大手口と大手スカイデッキ、2016年9月撮影。
光量の多い大駅周辺は夜の方が画になります。

長岡駅東口の様子
長岡駅東口の様子、2016年9月撮影。
こちら側にはかつて越後交通電車線の駅が置かれていたのだとか。
うーむ、全然記憶にないわ・・・、越後交通電車線で記憶に残っているのは、急行「佐渡」車中から見た袋町駅の短くて雑然としたホームぐらいですな。
上屋の壁に琺瑯の広告板がいっぱい貼られていましたっけ。
まだ国鉄と私鉄の区別も付かない紅顔の美幼児だったので、なぜあの駅にオレンジと緑のでんしゃは停まらないのだろうと不思議に思っていましたなぁ。

長岡駅東口のバス乗り場の様子
長岡駅東口の旧ダイエー長岡店の建物とその直下のバス乗り場の様子、2016年9月撮影。
こちらに乗り入れて来る路線バスは大手口よりもずっと少な目。
駅舎通路から俯瞰でみた駅東口の様子
駅舎通路から俯瞰でみた駅東口の様子、2010年5月撮影。
賑やかな大手口と異なり、こちら側は行きかう人も車も少ない静かな佇まい。
通りの道幅が広いので、余計にその感を強くするのです。

長岡駅駅舎内の商業施設「CoCoLo」
長岡駅駅舎内の商業施設「CoCoLo」、2015年12月撮影。

在来線改札周りの様子
在来線改札周りの様子、2015年12月撮影。
ずらりと並ぶ自動改札機が駅利用者の多さを無言のうちに物語っているのです。

上越新幹線の改札周り
こちらは上越新幹線の改札周り、2015年12月撮影。
自動改札機はご覧のようにちょっと少なめ。

改札を通り、駅構内に足を踏み入れて一枚
改札を通り、駅構内に足を踏み入れて一枚、2015年12月撮影。
複数の改札口があってごちゃごちゃしている新潟駅と比べて、長岡駅は出入り口がひとつに集約されていて通路も広いのが印象的。

構内には広い待合室、待合室右横の通路奥手にトイレがあります
構内には広い待合室、待合室左横の通路奥手にトイレがあります、2016年9月撮影。

構内通路から見た長岡駅構内の北長岡駅方
構内通路から見た長岡駅構内の北長岡駅方、2012年5月撮影。
画像左側は言わずと知れた上越新幹線。

構内通路から見た長岡駅構内の宮内駅方
構内通路から見た長岡駅構内の宮内駅方、2016年9月撮影。
おりしもE129系電車が3番線に進入中。

長岡駅在来線構内の島式ホーム(2-3番線)の3番線宮内駅方から見た構内
長岡駅在来線構内の島式ホーム(2-3番線)の3番線宮内駅方から見た構内の様子、2012年5月撮影。
現在は定期列車の発着が無くホームが閉鎖されている1番線と新潟方面への列車が多く入る2番線の直上に、上越新幹線の高架が建てられています。

2番線宮内駅方から見た、新幹線高架下の構内
島式ホーム(2-3番線)の2番線宮内駅方から見た、新幹線高架下の構内の様子、2012年5月撮影。
ここは昼間だとコントラストがあり過ぎて画にならないので、夜間撮影の方が良かろうと強く感じるところであります。

2番線端から宮内駅方を見る
2番線端から宮内駅方を見る、2012年5月撮影。

3番線北長岡駅方から見た長岡駅構内
島式ホーム(2-3番線)の3番線北長岡駅方から見た長岡駅構内、2012年5月撮影。

2番線北長岡駅方から見た新幹線高架下の構内
島式ホーム(2-3番線)の2番線北長岡駅方から見た新幹線高架下の構内、2012年5月撮影。
画像右側が現在閉鎖されている1番線で、貨物列車の通過線になっているようです。
私も2011年5月の朝に1番線を通過する貨物列車を見たことがあります。
当駅で貨物列車を見たのは、後にも先にもその一度だけ。
そもそも長岡駅は、隣の宮内駅との中間地点に造られた貨物専用の南長岡駅が昭和41年10月に開業後、貨物取扱は翌年12月にそちらへ移されていて、随分前から貨物列車との縁は薄いのです。

2番線端から北長岡駅方を見る
島式ホーム(2-3番線)の2番線端から北長岡駅方を見る、2012年5月撮影。

3番線端から北長岡駅方を見る
島式ホーム(2-3番線)の3番線端から北長岡駅方を見る、2012年5月撮影。

4番線宮内駅方から見た長岡駅構内
島式ホーム(4-5番線)の4番線宮内駅方から見た長岡駅構内、2012年5月撮影。

4番線端から宮内駅方を見る
4番線端から宮内駅方を見る、2012年5月撮影。
右端の上越新幹線高架も開業から早35年になって、大分いい感じに古びてきました。
中越地震の災厄も乗り越えた、すっかり古強者の風格。

5番線の宮内駅方から見た構内
5番線の宮内駅方から見た構内、2012年5月撮影。

島式ホーム(4-5番線)上屋下の様子
島式ホーム(4-5番線)上屋下の様子、2012年5月撮影。
上屋の風情は昔のまま。

4番線の北長岡駅方から見た長岡駅構内
4番線の北長岡駅方から見た長岡駅構内、2012年5月撮影。
個人的には当駅構内はこの位置からの眺めがベストですな。
駅の新旧が一同に会しているのをじっくり見物できますから。


4番線端から北長岡駅方を見通す
4番線端から北長岡駅方を見通す、2012年5月撮影。

宮内駅方の踏切から見た、長岡駅構内の上越新幹線高架下の様子
宮内駅方の踏切から見た、長岡駅構内の上越新幹線高架下の様子、2010年5月撮影。
高架のせいでこの2本の線路だけ、他とは別線のような印象を持たされます。

在来線構内中央部辺りの様子
視点を変えて、在来線構内中央部辺りの様子、2010年5月撮影。
大きな駅の割には、貨物線が無く中線も1本だけなのでシンプルな構造と言えましょう。

快速「越乃Shu*Kura」の停車駅の証であるスペシャル駅名標
日本酒好きには辛抱タマラン、快速「越乃Shu*Kura」の停車駅の証であるスペシャル駅名標、2016年9月撮影。

2番線で客待ち中の115系電車湘南色新潟行
新幹線高架下の2番線で客待ち中の115系電車湘南色新潟行、2014年5月撮影。
直近の取材の2016年9月時点では、新潟方面への定期列車34本中、2番線発は19本。
新潟行の特急「しらゆき」は5本全て2番線発になっています。

かつては構内で115系電車の姿が常に見れました
かつては構内で115系電車の姿が常に見れました、2012年5月撮影。
長岡地区では新潟地区のような短区間頻発運転が実施されていないため、普通列車の本数は国鉄時代と比べて爆発的に増えている・・・とは言えない現状です。
昭和55年10月改正ダイヤにおける普通・快速列車の方面別本数は、対新潟が18本、対柏崎が12本、対上越線は12本で合計42本。
平成29年3月改正ダイヤでは対新潟27本(全席指定の「おはよう信越」を除く)、対柏崎18本(らくらくトレイン信越を除く)、対上越線18本で合計64本。
現在の1列車あたりの両数は国鉄時代と比べて確実に減っているので、輸送力全体としては37年前と比べて増減の判断がつきかねる微妙な数字なのです。
優等列車を含めた在来線トータルだと、昭和55年10月改正では対新潟54本、対柏崎27本、対上越線が41本で合計122本。
対して平成29年3月改正では対新潟33本、対柏崎24本、対上越線18本で合計75本。

115系電車長野色の越後湯沢行が3番線に停車中
新潟ではE129系電車の充足までのショートリリーフ的存在だった、115系電車長野色の越後湯沢行が3番線に停車中、2015年12月撮影。
2016年9月時点では3番線から出発する定期列車は18本で、上越線へ9本、信越線新潟方面に3本、信越線直江津方面に6本という構成。

5番線で待機中の115系電車湘南色の水上行
5番線で待機中の115系電車湘南色の水上行、2015年12月撮影。
2016年9月時点で5番線から出発する定期列車は15本で、信越線新潟方面に9本、上越線へ5本、信越線直江津方面に1本という構成。
こうして見ると長岡駅在来線の四つの乗り場はほぼ均等に使われていますが、ホームは方面別に明確な区分をしていないので、自分の乗車する列車について電光掲示や時刻表で確認を要します。

長岡駅には早朝のみ姿を見せる飯山線直通キハ110系気動車十日町行
長岡駅には早朝のみ姿を見せる飯山線直通キハ110系気動車十日町行、2008年5月撮影。
飯山線直通はもっと増やしても・・・と、無責任な部外者は思うところです。

長岡駅で見かける機会が激増した新鋭E129系電車
上越線長岡口の普通列車が2016年3月改正で全便更新されたことで、当駅で見かける機会が激増した新鋭E129系電車、2016年9月撮影。

2番線に停車中の485系電車R編成の特急「北越」新潟行
夜の2番線に停車中の485系電車R編成の特急「北越」新潟行、2010年5月撮影。
やはりここは夜間の方が映えます。
長岡駅は上越新幹線開業以前の在来線全盛時代では、日中の優等列車は全て停車していました。
当駅で旅客取扱をしない優等列車は寝台特急「日本海」2往復と「北陸」のみ。
昭和55年10月改正ダイヤでは、長岡駅で旅客取扱いをする定期優等列車の本数は僅かながら新潟駅を上回り、県内首位だったのです。

2番線に停車中の485系電車T編成快速「くびき野」新潟行
同じく2番線に停車中の485系電車T編成快速「くびき野」新潟行、2005年9月撮影。
「くびき野」が廃止されるなど、夢想さえしなかった頃の撮影です。
T編成はいずれ廃車されても、R編成で相当先まで運行を続けるのだろうと、当時は漠然と考えておったところですが、結果は実にあっけないものでした。
しかも後任は今更感の強い115系電車快速・・・。

朝の2番線に停車中の583系電車急行「きたぐに」新潟行
朝の2番線に停車中の583系電車急行「きたぐに」新潟行、2008年5月撮影。
来迎寺-新潟間の停車各駅で追っかけをした列車でしたが、乗車機会はついにありませんでしたなぁ。
583系電車自体、乗車したのは1987年冬に青函連絡船に乗りに行った際の帰路に乗った特急「はつかり」の一度きり。
早朝だったのですぐ寝入ってしまい、道中はほとんど覚えていないという痛恨でした。

E653系電車特急「しらゆき」が4番線に停車中
越後路の新たな顔、E653系電車特急「しらゆき」が4番線に停車中、2015年12月撮影。
「しらゆき」にはこれまで4回乗っていますけれど、いずれも乗車率はまずまずというところ。
かつての不人気特急「みのり」の再来というヨタ話も杞憂に終わったようです。
なお4番線からは2016年9月時点で定期列車18本が出発していて、上りの「しらゆき」は全便4番線発になっています。

偶然撮影した臨時蒸機列車に、EF81形電気機関車が連結
偶然撮影した臨時蒸機列車に、EF81形電気機関車が連結、2013年10月撮影。
このブログで度々述べていますが、私は蒸気機関車に興味が薄いのでこの列車の運転も全く知りませんでした。
日常生活、社会活動に密着した列車でないと、途端に興味が無くなるのですよ。
観光イベント型の列車は、あえて言うと遊園地の遊具みたいに感じるのですわ。

Nagaoka0401215
全列車が停車する要衝駅にしては規模の小さい構内
さてここからは上越新幹線駅としての長岡駅をかいつまんでご案内。
全列車が停車する要衝駅にしては規模の小さい構内です。

対面ホームの間に通過線の置かれた新幹線長岡駅構内
対面ホームの間に通過線の置かれた新幹線長岡駅構内、2015年12月撮影。
2017年3月改正ダイヤで当駅を通過するのは1日1往復。
上越新幹線上野開業の昭和60年3月改正では1日2往復でした。

夢と消え散った形の羽越新幹線用ホーム予定地
夢と消え散った形の羽越新幹線用ホーム予定地、2008年5月撮影。
長岡-上越妙高間のミニ新幹線化が実行されるのならば、ここが新在アプローチの起点として整備されるのかもしれません。
しかし県は羽越線高速化を優先し、旗振り役であった柏崎市が事実上の白旗では実現はかなりキビしい・・・。
将来の対関西アクセスを考えれば再検討する価値はあると思うのですけれど、私のようなシロウトが考えている以上に新潟と関西の結びつきは弱くなっているのかも。
今は皆、東京マンセーな土地柄ですしね。
関西直結の特急「白鳥」「雷鳥」「つるぎ」、急行「きたぐに」が高い乗車率で走っていたのも、今では遠い昔の話のようです。

長岡駅に停車中のE4系電車「MAXとき」東京行
長岡駅に停車中のE4系電車「MAXとき」東京行、2016年9月撮影。
先日、この電車を2020年度末までにE7系電車に置き換える公式アナウンスがあったのは皆様ご存知の通りです。

長岡駅に到着したE2系電車「とき」
長岡駅に到着したE2系電車「とき」、2016年9月撮影。
上越新幹線の上野延伸開業時(昭和60年3月改正)では、当駅に停車する定期の「あさひ」「とき」は上下46本、当駅通過便は上下4本でした。
平成29年3月改正では、定期の「とき」停車は上下53本で当駅通過便は上下2本です。
かつては北陸方面との乗換駅だった上越新幹線長岡駅も、ほくほく線が開業して乗換駅の座を越後湯沢駅に譲ってからは、新潟-長岡間の速達輸送と長岡市周辺地域と首都圏の間の地に足が着いた輸送の二本立てになっています。
たとい短距離であっても新幹線の威力は絶大で、新潟-長岡間には往復割引きっぷが発売され続けていて、安価で頻発運転の高速バスと棲み分けが出来ています。
鉄オタの私も、新潟-長岡間を普通列車で移動はイヤだもんなぁ。
高速バスは便利で安いけどシモの心配と万が一の事故の懸念があるので、どうしても新幹線利用になりがちです。
駅巡りの際は4枚綴りの回数券をよく使います。
使用期限は購入後一ヶ月ですが、3枚使えば普通に自由席特急券を2回買うよりも断然おトクですもの。

山本五十六元帥生誕の実家が、長岡駅大手口近くの山本記念公園に保存されています
山本五十六元帥生誕の実家が、長岡駅大手口近くの山本記念公園に保存されています、2012年5月撮影。

山本五十六記念館
山本記念公園の至近には、山本五十六記念館があります、2012年5月撮影。
実はわたくし、恥ずかしながらここへ見学に行ったことがありません(恥)。
この時も他に予定があって素通りの已む無きに。
駅取材は一応終了しましたし、次に長岡界隈に行くのは栃尾見学とセットになると思うので、その時はここと河井継之助記念館をぜひとも見学せねばなりますまい。

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2017年6月17日 (土)

亀田駅(信越本線)

本日の駅紹介は信越本線・亀田駅。

亀田駅の駅名標

新潟県新潟市江南区に所在する有人駅で、江南区の玄関駅です。
開業は明治30年(1897年)11月20日で、当時の所在は中蒲原郡亀田町。
亀田町は新潟市に隣接する、面積はさほど大きくない街でしたけれど財政状況は新潟市よりも良好だったそうで、それ故か新潟市に併呑されることなく、新潟県下の「町」としては最強クラスの人口を擁して永らく存在感を発揮していました。
しかしそんな町も平成の大合併の大号令の逆風には耐えられずに、平成17年3月に新潟市と合併してその江南区となり、今日に至るのです。

さて亀田駅は旧来の亀田町中心街から約1km弱北方に位置しています。
これは明治の鉄道黎明期によくある鉄道忌避の産物で、火の粉を撒き散らす汽車は火事をもたらすとされて当時の町外れに設置されたとの事。
昔は今と違って消防の整備もまだまだ、一旦火事が起きると酷いことになります。
新潟の沿岸地域は特に冬の季節風が強いので、そんな時に火事が起きれば大変なことになります。
当時の人たちの懸念はごもっともでよく判るのですけれど、戦前戦後の町の発展の観点から見れば、駅と中心街がこれだけ離れているのはマイナス材料でしょう。
しかし今日の視点で見ると、道路も狭く路地が入り組んでいて、発展性に欠ける旧来の中心街よりは、現在位置の方が発展性はずっと上なのです。
駅の東側には高校が2校あり、西側は新々バイパスに通じる一本道で亀田界隈の新たな商業集積地帯になっています。
昔はマイナスでも今はプラス、駅の立地はその時々の各種要因によって正否が揺れ動くことを実感させられる、それがここ亀田駅なのであります。

JR東日本によると、2015年度の亀田駅1日平均乗車人員は5,402人。
同社県内有人67駅中、堂々の第4位で越後線の白山駅と第3位の座を争っています。
亀田町時代から経済や人の流動で新潟市と一体化していた為に、駅の利用は周辺人口以上に大きいのです。

亀田駅橋上駅舎西口の様子
亀田駅橋上駅舎西口の様子、2016年8月撮影。
こちら側が昔からの出入り口で、橋上駅舎に改築完成したのは平成17年(2005年)10月1日。
かつては大正期に立てられた古めかしい駅舎で、その時代を知っている者としてはこの豪勢さはまさに隔世の感。
しかしあの駅舎が建て替えられてこうなる事を予期していたのならば、撮影しておくべきだったと激しく後悔しているのであります。
私がデジカメを弄り始めたのは2002年の秋からで、その頃は亀田駅の旧駅舎はまだ健在だったのですよ。
亀田界隈は日常の延長で来れるところなので、遠方の直江津や糸魚川のように、スケジュールを立ててさぁ撮るぞ見るぞと構える必要もないのです。
しかしその辺が落とし穴、まさに灯台下暗しなのであります。
気軽に行けるところだと、そのうちそのうちと後回しになって、気が付いてみた時は既に手遅れ。
なにしろ、取材目的で亀田駅を訪れたのは2008年秋。
新潟県内の数ある駅の中で、一番最後に来たのがこの駅だったのです。

橋上駅舎の自由通路から俯瞰で見た亀田駅西口駅前
橋上駅舎の自由通路から俯瞰で見た亀田駅西口駅前、2016年8月撮影。
駅前広場もかつての旧駅舎時代はずっと小さかったのです。
今ではきっちり明確に整備されたロータリーです。
このロータリーには新潟交通運行の路線バスが乗り入れていて、鉄道補完では万代シティ-新津線、万代シティ-水原線があり、新潟駅の他に前者は荻川、さつき野、新津各駅(越後石山駅へは最寄バス停から少々距離アリ)、後者は水原駅への移動に活用できます。
特に後者は毎時1本と比較的運行本数が多いので、新津駅で過疎ダイヤの羽越本線に乗り換えて行くよりはずっと便利な存在なのです。

亀田駅西口の駅前通り
亀田駅西口の駅前通り、2016年8月撮影。
画像の左右は県道で、左手を1km弱進むと旧亀田町の中心街に行き着きます。
画像中央の道は、前述した新々バイパスへ向かう道です。

旧亀田町の中心商店街の様子
旧亀田町の中心商店街の様子、2008年10月撮影。
この頃、通りで集客力のある店舗はスーパー1軒のみ。
現在は更に廃れていて、廃業した個人商店も見かけるようになりました。
この時、今では絶版のハセガワ1/72スケールF-102デルタダガーを発見して小躍りしつつ購入したおもちゃ屋さんも、数年前に廃業してしまいました。

亀田駅橋上駅舎東口の様子
亀田駅橋上駅舎東口の様子、2016年8月撮影。
こちら側はこれから発展の余地があるフロンティアと言えます。

自由通路から見た亀田駅東口駅前通り
自由通路から見た亀田駅東口駅前通り、2016年8月撮影。
画像左側には漫画「ドカベン」の明訓高校のモデルの私立新潟明訓高校があります。
新潟明訓は新潟県内の私立高校でトップの学校で、且つ野球を始めスポーツの強豪高でもあります。

亀田駅自由通路内の様子
亀田駅自由通路内の様子、2016年8月撮影。

改札口付近の様子
改札口付近の様子、2016年8月撮影。
自動改札機4台が、駅の利用状況を物語っていますな。
両隣の荻川駅(一日平均乗車人員1,800人台)のそれは3台、越後石山駅(一日平均乗車人員2000人強)は実質2台です。
画像右側に見えるのはNew Days。
待合室は改札内にあります。

構内通路から見た亀田駅構内の荻川駅方
構内通路から見た亀田駅構内の荻川駅方、2016年8月撮影。


島式ホームの1番線(新潟方面乗り場)の越後石山駅方から見た亀田駅構内の様子
島式ホームの1番線(新潟方面乗り場)の越後石山駅方から見た亀田駅構内の様子、2016年8月撮影。
当駅は駅舎改築以前、2面3線で中線を持っていました。
昭和55年10月、昭和60年3月の改正ダイヤでは毎日1回、普通列車が特急列車に道を譲っていましたし、新潟-亀田間の区間列車も運行されていたのです。
しかし駅舎改築、橋上駅舎化に伴う構内改修で幅広の島式ホーム1本という実に味気ない姿に変わってしまいました。
率直に言って、私見では見所の無さという点で亀田駅が新潟県内数ある駅の中では一番と申せます。

島式ホームの上屋直前から越後石山駅方を見る
島式ホームの上屋直前から越後石山駅方を見る、2016年8月撮影。

島式ホーム上屋下の様子
島式ホーム上屋下の様子、2012年3月撮影。
ホーム上には待合室はありません。

島式ホームの荻川駅方から見た亀田駅構内
島式ホームの荻川駅方から見た亀田駅構内、2016年8月撮影。

島式ホーム端から荻川駅方を見る
島式ホーム端から荻川駅方を見る、2016年8月撮影。
少々見難いですが、画像中央にはかつての中線と思しき線路が1本。

駅南方の陸橋上から俯瞰で見た亀田駅構内の様子
駅南方の陸橋上から俯瞰で見た亀田駅構内の様子、2008年10月撮影。
前述の中線と思われる線路をはっきり確認出来ます。


越後石山駅方の踏切から見た亀田駅構内
越後石山駅方の踏切から見た亀田駅構内、2008年10月撮影。
こちら側には中線跡は残っていません。

荻川駅方の踏切から見た亀田駅構内
荻川駅方の踏切から見た亀田駅構内、2008年10月撮影。
こちら側から見るとかつての中線の様子を仔細に観察出来ます。

亀田駅1番線に停車中のE129系電車新潟行
亀田駅1番線に停車中のE129系電車新潟行、2016年8月撮影。

亀田駅1番線に到着した朝の内野行E127系電車
亀田駅1番線に到着した朝の内野行E127系電車、2012年3月撮影。
平日なら大混雑する時間帯ですが、日曜のこの朝はホームの人影もまばら。
亀田駅2番線を出発して加速するE127系電車新津行
亀田駅2番線を出発して加速するE127系電車新津行、2008年10月撮影。
信越本線の新潟近郊区間では、2015年3月ダイヤ改正をもって過去帳入りした電車です。

亀田駅2番線から出発する115系電車長岡行
亀田駅2番線から出発する115系電車長岡行、2012年3月撮影。
永らく越後路の主役として君臨してきたこの電車も現在では少数派に。
しかし日中でも見かける機会はまだよくあります。
でも車体は薄汚れて退色しているし、やはりそろそろ潮時なのですな。

亀田駅1番線を出発したキハ110系+キハE120の5両編成磐越西線直通新潟行
亀田駅1番線を出発したキハ110系+キハE120の5両編成磐越西線直通新潟行、2012年3月撮影。

真夏の夕刻の亀田駅1番線に停車中のキハ40系気動車の新潟行
真夏の夕刻の亀田駅1番線に停車中のキハ40系気動車の新潟行、2014年8月撮影。
この列車は磐越西線直通列車ではなく、新津発新潟行の区間列車です。
新津-新潟間の区間気動車列車は、平日上下合わせて6本が設定されています。

亀田駅2番線を通過する、485系電車国鉄特急色の快速「くびき野」新井行
亀田駅2番線を通過する、485系電車国鉄特急色の快速「くびき野」新井行、2014年8月撮影。
「くびき野」最後の夏のひとコマです。
特急に準ずる都市間輸送を主な使命とする「くびき野」の当駅停車は適わず。
駅東口にある養護学校から「くびき野」を亀田駅に停車させてほしいという要望があったという話を聞いたことがありますけれど、「くびき野」に先が見えてきた時期の話でもあり、実現には至りませんでした。
なお「くびき野」の後身である通称「新井快速」は当駅に停車します。

まだ残雪の残る亀田駅構内を駆け抜ける485系電車国鉄特急色の特急「北越」金沢行
まだ残雪の残る亀田駅構内を駆け抜ける485系電車国鉄特急色の特急「北越」金沢行、2012年3月撮影。

真夏の夕刻、終点新潟駅に向けラストスパートをかける485系電車R編成の特急「北越」
真夏の夕刻、終点新潟駅に向けラストスパートをかける485系電車R編成の特急「北越」、2014年8月撮影。

名残の雪と共に亀田駅を去り行く583系電車の急行(快速)きたぐに新潟行
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間も無く定期運行を終了という時期、名残の雪と共に亀田駅を去り行く583系電車の急行(快速)きたぐに新潟行、2012年3月撮影。
大阪発の下り列車の新津-新潟間が快速列車として朝ラッシュ対応の一翼を担っていたことは、皆様よくご存知の通り。

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2017年6月13日 (火)

早通駅(白新線)

本日の駅紹介は白新線・早通駅。

早通駅の昔の駅名標

新潟県新潟市北区に所在する有人の自動改札設置駅てす。
開業は昭和32年(1957年)2月11日で、開業当時の所在は北蒲原郡豊栄町。
豊栄町は昭和45年に市制を施行して豊栄市になり、県都新潟市と境を接する街として発展して来ましたけれど、平成の大合併の号令下で平成17年3月に新潟市に合併編入されて、同市北区となり今日に至ります。
早通駅の置かれた早通地区は、昭和40年代半ばから県営団地の造成を皮切りに宅地開発が進められた地域で、当駅はその街並みの只中にあります。
しかし早くから開発が行われて来た故なのか、周辺の雰囲気は私が子供の頃と左程変わっておらず、部外者の目には近年に橋上駅舎化されて、更なる発展の機会を得た両隣の豊栄、新崎両駅周辺に比べてやや古めかしく映ってしまうのです。

JR東日本によると、2015年度の早通駅1日平均乗車人員は1,118人。
同社新潟県内有人67駅中36位で、特急列車の停車する羽越本線・中条駅よりもやや少なく、信越本線・矢代田駅や越後線・青山駅と同レベルです。
新潟市の統計によると早通地区の人口は約1万人なので、それを考えると人口比では当駅の利用状況は相当に良いと申せましょうか。
当駅周辺に高校は無いので学生の集中は無く、新潟市中心部への通勤通学が主要な顧客です。

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早通駅南口の様子
早通駅南口の様子、2015年12月撮影。
建築財産票によると完成は平成17年3月11日なのですが、当駅への自動改札機導入は3月10日なので腑に落ちないところです。
ウィキペテ゜ィアや「広報とよさか」によると、この南口は昭和45年10月に当駅がそれまでの新崎方の踏切付近から現在位置に移転した際に作られたものなんだとか。
当時の写真を見ると周囲には何も無く、それゆえに広大な駅前広場とロータリーを設置できたということなのでしょう。
新潟県の駅紹介を書いていて、最も驚いた事のひとつがこの話でした。
子供の頃からの印象で、こちら側が駅開設時からの出入り口だとずっと思い込んでましたからねぇ。
万事物事は、先入観に囚われず見て調べてみるべしと改めて思い知りました。
閑話休題、南口駅前ロータリーには新潟交通運行の路線バス・万代シティ-豊栄線が乗り入れています。
鉄道補完では豊栄、新崎(最寄バス停から少々距離アリ)、新潟の各駅への移動に使えますが、本数は少なく2017年3月改正ダイヤでは平日1日9往復と過疎ダイヤになっています。
また何度か訪れた日中見た限りでは、駅前にタクシーの待機はしていないようですけれど、駅前にはタクシーの営業所があります。

早通駅南口の自動改札機
早通駅南口の自動改札機、2015年12月撮影。
前述したように当駅への自動改札導入は2005年3月です。

跨線橋上から俯瞰で見た早通駅南口駅前通り
跨線橋上から俯瞰で見た早通駅南口駅前通りの様子、2015年12月撮影。
背の低い建物が密集する住宅街です。
通りにはセブンイレブン以外、昔からの店舗が点在していて集客力のある建物はありません。
駅前広場とロータリーは昔の仕様で、昨今のそれのようにメリハリのついた整備はされていないのでどことなく混沌とした印象。

早通駅北口の様子
早通駅北口の様子、2015年12月撮影。
当駅設置から昭和45年まではこちら側が唯一の出入り口でした。

自動改札機導入以前の早通駅北口
自動改札機導入以前の早通駅北口、2003年11月撮影。

早通駅北口自動改札周りの様子
北口自動改札周りの様子、2015年12月撮影。
こちら側は完全に無人化されています。

早通駅北口ロータリーの様子
北口ロータリーの様子、2015年12月撮影。
混沌としてとりとめのない印象の南口と異なり、小さいながらもよく整備されていて印象の良いところです。

1番線の豊栄駅方から見た早通駅構内
1番線の豊栄駅方から見た早通駅構内の様子、2011年6月撮影。
当駅構内は直線上に2本のホームがあるのみのシンプルな構造の上、貨物ホーム跡などの遺構も無いためにこれといった見せ場も無く地味です。


1番ホーム端から豊栄駅方面を見通す
1番ホーム端から豊栄駅方面を見通す、2013年4月撮影。
一見すると複線に見えますが、構内有効長が広いだけの単線です。

1番ホーム中央部の様子
1番ホーム中央部の様子、2013年4月撮影。
新潟方面への列車のほとんどが発着するこのホームは上屋も2番のそれに比べて長く、ベンチも設置されていて利用実態を無言の内に物語っているよう。
ただしホーム上の待合室の居住性は2番の方が上ですな。

2番ホームから見た1番ホームの改札周りの様子
2番ホームから見た1番ホームの改札周りの様子、2015年12月撮影。
建物の右側が自動改札機導入に伴って作られた部分です。
画像左側が待合室です。

1番ホームの新崎駅方から見た早通駅構内
1番ホームの新崎駅方から見た早通駅構内、2013年4月撮影。
当駅のトイレは1番ホームの跨線橋直下にあります。

1番ホーム端から新崎駅方を見る
1番ホーム端から新崎駅方を見る、2013年4月撮影。

早通駅跨線橋内部の様子
早通駅跨線橋内部の様子、2015年12月撮影。
当駅の跨線橋は昭和45年10月に駅の移転及び列車交換設備設置に伴って造られたものです。
その後の国鉄標準型と比べると、その内部の造りは大きく異なっていて天井の造作などは無骨そのもの。
この跨線橋は自由通路になっていて、自動改札導入以降は二つのホームの相互移動には使えないのが当駅最大の特徴になっています。
南口は1番ホーム専用出入り口、北口は2番ホーム専用出入り口になっているのです。
単線上の駅である当駅の場合、列車交換や優等列車の退避が無い場合の列車は上下共に1番線発着が基本になっていて、特に新潟行は朝の特急退避1本以外は全て1番発着です。
しかし2番の列車発着も2015年12月時点で、1日20本(内19本は豊栄・新発田・村上方面行)もあるのです。
構内のホーム相互間の行き来が出来ない新潟県内の駅としては他に信越本線の越後石山駅の例がありますけれど、あちらは複線上の棒駅なのでホームは方面別に明確に区別されていますから、まだわかりやすいと言えましょう。
しかし当駅の場合は単線上の駅ゆえに上下が混在した状況で、利用者にとって不便さは否めません。
新崎-豊栄間の複線化が絶望的な状況下で、これを解消する最善の対策としては橋上駅舎化がベストでしょう。
また白新線の新潟市内各駅では新崎、豊栄両駅の橋上駅舎化に続いて近年は黒山駅の駅舎(待合室)改築や大形駅の駅前広場拡張整備、東新潟駅跨線橋へのエレベーター設置と利便性の強化が図られており、早通駅の抜本的改修が実施されれば市内の白新線全駅で一応手が入れられたことになります。
しかしそれには何分、先立つモノとの相談が必要。
最近は越後線の巻駅や前述の越後石山駅橋上駅舎化に向けてのアクションも起こっていますし、新潟市としては早通駅と越後石山駅という市内の二大不便駅のどちらを先に解消するのか、遠くない将来に判断を求められることになるのでしょう。

跨線橋上から早通駅構内の豊栄駅方を見る
跨線橋上から早通駅構内の豊栄駅方を見る、2013年4月撮影。

跨線橋上から新崎駅方を見る
同じく新崎駅方を見る、2015年12月撮影。

2番ホームの豊栄駅方から見た早通駅構内
2番ホームの豊栄駅方から見た早通駅構内、2015年12月撮影。
昭和45年10月に駅が現在位置に移転した時点でのホーム長は90mだったそうなので、この辺りは国鉄末期に延伸された部分と思われます。

1番ホームから見た2番ホーム待合室の様子
1番ホームから見た2番ホーム待合室の様子、2013年4月撮影。
2番ホームの上屋は改札口と待合室の辺りのみしか設けられていません。

2番ホームの北口改札付近の様子
2番ホームの北口改札付近の様子、2013年4月撮影。
2番ホーム内にトイレはありませんので、利用の際はご注意ください。
前述したように、2番ホームから1番ホームへの移動は直接出来ず、一度改札を出る必要があります。

自動改札機導入以前の早通駅2番ホーム(画像右側)と跨線橋の位置関係
自動改札機導入以前の早通駅2番ホーム(画像右側)と跨線橋の位置関係、2003年11月撮影。
跨線橋を使って2本のホームを行き来できる構造であったことがわかります。

新崎駅方の踏切から見た早通駅構内
新崎駅方の踏切から見た早通駅構内、2008年9月撮影。
ウィキペディアや「広報とよさか」によれば、開業当初の当駅はこの踏切の手前に置かれていて(画像左側)、ホーム長は僅か60mだったとか。
気動車3両でイッパイイッパイの短さだったのです。

早通駅を通過する485系電車R編成の特急「いなほ」酒田行
早通駅を通過する485系電車R編成の特急「いなほ」酒田行、2011年6月撮影。

早通駅を通過するE653系電車の特急「いなほ」酒田行
早通駅を通過するE653系電車の特急「いなほ」酒田行、2015年12月撮影。
2017年3月改正ダイヤでは、朝の特急「いなほ1号」を上り普通列車が当駅で交換待ちしています。

早通駅で行き違う115系電車湘南色の新潟行とE129系電車豊栄行
早通駅で行き違う115系電車湘南色の新潟行とE129系電車豊栄行、2015年12月撮影。

列車交換を終えて早通駅を出発する115系電車新潟行
列車交換を終えて早通駅を出発する115系電車新潟行、2015年12月撮影。

早通駅で上下のE129系電車が行き交う
早通駅で上下のE129系電車が行き交う、2015年12月撮影。
新潟県内のJR直流電化区間では、これからはこの光景が日常のモノになるのです。

早通駅2番線を出発するE129系電車村上行
早通駅2番線を出発するE129系電車村上行、2015年12月撮影。
昭和55年10月改正ダイヤでは、当駅に停車する定期列車は上下合わせて26本。
日本海側有数の大都市近郊の路線としてはあまりにも少ない数字でした。
それが現在では上下合わせて90本を越えます。

E127系電車同士が、春の早通駅で行き違う
白新線では2015年3月改正をもって過去帳入りしたE127系電車同士が、春の早通駅で行き違う、2013年4月撮影。

E127系電車内野行が早通駅1番線に進入
E127系電車内野行が早通駅1番線に進入、2013年4月撮影。

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2017年6月10日 (土)

馬下駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・馬下駅。

馬下駅の昔の駅名標

新潟県五泉市に所在する無人駅で、開業は明治43年(1910年)10月25日。
開業当時の所在は中蒲原郡川東村で、戦後の昭和26年に猿和田駅が開業するまでは村の唯一の駅でした。
しかし人口集積は小中学校を有する猿和田駅周辺の方が多いように思われ、馬下駅の設置は多分に駅用地取得の容易さや五泉駅からの距離などの要素が大きく絡んでいたのではないかと推測しておるところです。
猿和田駅の開業で村内に鉄道駅が二つという恵まれた交通事情の川東村でしたが、昭和29年に周辺町村と合併し、新自治体の五泉市の東部地域になって今日に至ります。

さて、ここ馬下の地は、かつては事実上越後と会津の国境といえるところで、広大な越後平野と阿賀の山々の境界でもあります。
馬下という地名の由来も、ここから会津へは馬を下りて進む他なしという道中の過酷さから来たのだとか。
鉄道の駅としても新潟近郊区間の終端であり、昔から当駅止まりの列車が常に設定されている分水嶺でもあるのです。

2015年12月時点の馬下駅駅舎の様子
2011年6月時点の馬下駅駅舎
馬下駅駅舎の様子、上は2015年12月、下は2011年6月撮影。
建築財産票によると、昭和58年(1983年)12月9日の竣工。
同年2月に磐越西線の新津-喜多方間がCTC化されて、駅に運転要員の配置の必要が無くなった後の完成ゆえか駅舎はこじんまりとしています。
トイレは駅舎向かって左側のドアが出入り口で男女兼用。
2011年6月訪問時までは非水洗型で、内部はお察しください・・・なレベルでした。
しかし2015年12月に再訪した時にはその変わりように仰天。
男女兼用は変わらずながら、トイレットペーパー装備の水洗洋式にリニューアルされていました。
田舎のローカル駅のトイレのバリアフリー化は着々と進んでおるようでまずは目出度し。
しかしこういう事案はどこがおカネを出しているのか?
バリアフリー関連ですからJR東日本が出しているのですかね?

駅前広場の様子
駅前広場の様子、2011年6月撮影。
舗装された生活道路と未舗装の空間が混じる、どこかとりとめのない混沌とした印象。
駐車空間は広いので、「SLばんえつ物語」をクルマで駅撮りに来る場合は具合の良さそうなところです。

駅舎から見た駅前通りの様子
駅舎から見た駅前通りの様子、2015年12月撮影。
短い駅前通りの向こうは、かつて路線バスが運行されていた県道です。

路線バスが運行されていた県道の様子
かつて路線バスが運行されていた県道の様子、2011年6月撮影。
道沿いに目立つ建物は郵便局ぐらいです。
五泉駅と馬下保養センターの間には以前路線バスが運行されていて、本数は少ないとはいえ五泉-猿和田-馬下間相互の移動に利用出来、駅巡り者には貴重な存在でした。
馬下-猿和田間を乗車したことがありますが、見事なまでにガラガラで乗客は私を含め三人ほどでしたっけ。
現在ではコミニュティバス化を通り越してデマンドタクシー化されており、部外者の利用は事実上出来ません。
コミニュティバスでも路線維持が困難な程の需要の少なさということなのでしょうね。
また周辺で食料調達は出来ないので、当駅訪問の際は軽食ぐらいは持参していった方が良いでしょう。
時間帯によっては列車の運行頻度も過疎化しますしね。

馬下駅駅舎内部の様子
馬下駅駅舎内部の様子、2015年12月撮影。
室内は自動券売機一台と三人掛けのベンチで、駅構内の規模と比較すると相当に狭いのです。
昭和58年時点でも、運転上の要衝ではあっても営業上はこれで足りる利用状況であったということなのでしよう。

1番ホームの猿和田駅方から見た馬下駅構内
1番ホームの猿和田駅方から見た馬下駅構内の様子、2015年12月撮影。
1番ホームは新津方面乗り場です。

1番ホーム端から猿和田駅方を見る
1番ホーム端から猿和田駅方を見る、2011年6月撮影。
ホームの左隣にはモーターカーの車庫があります。
現在のホームの有効長表示は6両ですが、日中は2両で充分なのが実際のところ。

1番ホーム横のモーターカー車庫の先の廃線路
1番ホーム横のモーターカー車庫の先の廃線路、2015年12月撮影。
画像右側にかつての貨物ホームらしきものが見えます。

馬下駅構内の中枢部の様子
馬下駅構内の中枢部の様子、2015年12月撮影。
列車運転上の重要駅である当駅ですが、旅客営業上はまぎれもなくローカル。
その証にホームの上屋はほぼ無い状態です。

1番ホームの咲花駅方から見た馬下駅構内
1番ホームの咲花駅方から見た馬下駅構内、2011年6月撮影。

馬下駅のレンガ積みのランプ小屋
馬下駅名物と言えばコレ、明治の停車場開業以来のレンガ積みのランプ小屋です、2011年6月撮影。
文明開化の香り漂う洋風の小品です。

1番ホーム端から咲花駅方を見る
1番ホーム端から咲花駅方を見る、2015年12月撮影。
後背にはかつての会津領であった阿賀の山々。

馬下駅跨線橋内部の様子
馬下駅跨線橋内部の様子、2015年12月撮影。
国鉄時代後期のローカル駅跨線橋の典型的スタイルです。
窓は開閉可能で高さも程よく、俯瞰フェチには大変有難いとこめです。

跨線橋上から咲花駅方面を俯瞰で見る
跨線橋上から咲花駅方面を俯瞰で見る、2015年12月撮影。
当駅は古い時代の停車場ですが、ホームの配置は千鳥型ではありません。
平地で用地取得も容易であった故なのかどうか。

跨線橋上から猿和田駅方面を見る
同じく猿和田駅方面を見る、2011年6月撮影。
前述したように当駅は平野と山地の境界に立地していて、上下方向で見せる顔が全く違うのが魅力です。

馬下駅島式ホームの3番線の様子
馬下駅島式ホームの3番線の様子、2015年12月撮影。
こちらには当駅折り返し列車が入ります。
2017年3月改正ダイヤでは馬下始発6本(内1本は休日運休)、終着が5本。

島式ホーム端から猿和田駅方を見る
島式ホーム端から猿和田駅方を見る、2011年6月撮影。

島式ホーム上から見た駅舎構内側
島式ホーム上から見た駅舎構内側の様子、2015年12月撮影。
駅舎の通路右側の窓部が待合室なので、旅客用の空間は駅舎全体の1/3程です。


島式ホームの2番線側から見た馬下駅構内中枢部
島式ホームの2番線側から見た馬下駅構内中枢部、2015年12月撮影。
2番は津川方面乗り場です。

島式ホーム上の待合室内部
島式ホーム上の待合室内部、2015年12月撮影。
建築財産票によると昭和55年10月2月の完成。
駅舎よりもこの待合室の方が五割ほど面積が広く、待合空間のそれは倍以上の差があります。
ベンチも駅舎の倍の三人掛け二脚を設置ですが、倉庫を兼ねているからなのかその配置は千鳥式。
画像右側のブルーシートに包まれているのは除雪機械です。

跨線橋出入り口から見た島式ホームと待合室
跨線橋出入り口から見た島式ホームと待合室、2011年6月撮影。

島式ホーム端から咲花駅方を見る
島式ホーム端から咲花駅方を見る、2015年12月撮影。

当駅止まりの列車が発着する3番線の咲花駅方はすっかり草生して廃線の様相
当駅止まりの列車が発着する3番線の咲花駅方はすっかり草生して廃線の様相、2015年12月撮影。

島式ホームの咲花駅方端には、駅舎反対側を通る国道290号線への出入り口があります
島式ホームの咲花駅方端には、駅舎の反対側を通る国道290号線への出入り口があります、2011年6月撮影。

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こちら側には上屋付きの駐輪場が置かれていて、一定の需要があるようです、2015年12月撮影。

馬下駅裏手の国道290号線の様子
馬下駅裏手の国道290号線の様子、2015年12月撮影。
こちら側にも目を引くような建物や店はありません。
当駅の北方約5kmには周辺唯一の遊園地「サントピアワールド」(旧安田アイランド)があって、物理的な距離としては当駅が最も近く、最寄り駅と言えなくもないのです。
そう言えば新津を出発し五泉を過ぎた磐越西線の車中で同席した母子連れに、安田アイランドへはどこで降りたら良いかと尋ねられて驚愕したことがありましたっけ。
鉄道利用なら五泉で降りてタクシー利用がデフォなのです。
距離的には馬下が一番近そうですけど・・・と答えたら、ホントに当駅で降りちゃいました。
子供連れで5km歩くのは流石に無理でしょうにねぇ。
ケータイの普及するずっと前の話ですから、公衆電話でタクシーを呼ぶより他に道無しでしょうけれど。

咲花駅方の踏切から見た馬下駅構内
咲花駅方の踏切から見た馬下駅構内の様子、2011年6月撮影。

猿和田駅方の踏切から見た馬下駅構内
猿和田駅方の踏切から見た馬下駅構内の様子、2011年6月撮影。

馬下駅1番線に停車中のキハ110系+キハE120の気動車快速「あがの」新潟行
馬下駅1番線に停車中のキハ110系+キハE120の気動車快速「あがの」新潟行、2015年12月撮影。
かつての急行「あがの」「いいで」は停車せず、快速も永らく通過だった当駅ですが、現在は上下共停車しています。
この日、当駅に下車したのは私ひとり、乗車はナシ。

列車交換中のキハ40系気動車新津行とキハ110系快速「あがの」会津若松行
列車交換中のキハ40系気動車新津行とキハ110系快速「あがの」会津若松行、2011年6月撮影。
磐越西線の五泉-津川間で列車交換可能駅は当駅と五十島駅ですが、交換のメインは当駅になっていて、運転上の要衝の地位を今も保っています。
2017年3月改正ダイヤでは1日4回の交換を実施。
対して五十島駅は1日2回で内1回は「SLばんえつ物語」絡みです。

馬下駅に到着したキハ40系気動車新津行
馬下駅に到着したキハ40系気動車新津行、2011年6月撮影。
新潟都市圏の末端に位置する当駅は、国鉄時代よりも列車本数が増えています。
昭和55年(1980年)10月改正ダイヤでは当駅停車の定期列車は上下合わせて25本。
対して2017年3月改正ダイヤでは上下合わせて33本です。
数年前まではもう少し多かったのですけれど、新津-馬下間の区間列車が五泉発着に変更されて減少していてなおもこの数字なのです。
しかしこの利便性の高さも、需要の喚起に必ずしも直結していなさそうなのも事実でしょう。

馬下駅を出発するキハ40系気動車新津行
馬下駅を出発するキハ40系気動車新津行、2011年6月撮影。
あと数年で国鉄時代からのベテラン気動車ともお別れです。

3番線で折り返し待機中のキハ58系気動車
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真夏の夕暮れ、3番線で折り返し待機中のキハ58系気動車、2007年8月撮影。
新潟地区での定期運用も残り一年半の頃の画です。
キハ110系の代車で臨時に運用に入っていたのかどうかは定かではありません。

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秋の馬下駅を通過する、DD53形ディーゼル機関車牽引の「DD53ばんえつ物語号」
機関の轟音と共に秋の馬下駅を通過する、DD53形ディーゼル機関車牽引の「DD53ばんえつ物語号」、2006年11月撮影。
普段のSL牽引は積極的に撮りに行く気が全く起きないこの列車、しかしDL、しかもレアなDD53形が引くとなれば話は別。
私はSLよりもDLの方が断然好きなのです。
現役時代のSLってほぼ記憶に無いのですが、DLは磐越西線直通の客車列車や貨物列車、操車場の構内入れ替えで日常的に見てましたから、子供時代の記憶の琴線にビンビンと触れるのですよ。
どの駅で撮るか色々と思案した結果、当駅で実行することにしたのですけれど、本当は午後が構内撮影のベストなのです。
しかし11月ともなれば、午後は日暮れでまともに撮れませんからこれで致し方なし。

阿賀野川対岸の国道49号線へ向かう国道290号線の馬下橋
阿賀野川対岸の国道49号線へ向かう国道290号線の馬下橋、2007年8月撮影。

馬下橋上から見た真夏夕暮れの阿賀野川の穏やかな流れ
馬下橋上から見た真夏夕暮れの阿賀野川の穏やかな流れ、2007年8月撮影。

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2017年6月 6日 (火)

鹿瀬駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・鹿瀬駅。

鹿瀬駅の昔の駅名標

新潟県東蒲原郡阿賀町に所在する無人駅で、開業は大正3年(1914年)11月1日。
開業当時の所在は東蒲原郡両鹿瀬村で、同村の玄関駅でした。
両鹿瀬村は戦後の昭和30年4月に近隣の日出谷村、豊美村と合併して鹿実谷村になります。
合併した旧村の名前から一字ずつ取った、三方丸く収めたようなネーミングでしたけれどこれは長続きせず、翌年1月の町制施行を機に鹿瀬町と名を改めます。
結局は合併3村の力関係をそのまま表したような形になったのでしょうね。
鹿瀬町は平成の大合併の号令下で近隣町村と合併し、新自治体の阿賀町の一地域として再出発して今日に至ります。

鹿瀬駅は新潟水俣病でその名が全国に知られた昭和電工鹿瀬工場の最寄駅で、工場は昭和初期に建設されて当駅との間に専用線も引かれて、戦前から戦後にかけては旅客貨物共に賑わいを見せていたのです。
かつての気動車急行「あがの」「いいで」も当駅に停車していました。
また当駅における戦前の貨物収入は新潟県内屈指のものであったそうで、現在の駅の寂寥とした姿からは想像のつかない話なのです。

鹿瀬駅の駅舎
鹿瀬駅駅舎の様子、2015年12月撮影。
建築財産票を確認できなかったので竣工年月は不明ですが、屋根や上屋の造りからして戦前の建物ではと思います。
昭和30年代末までの当駅全盛時代には、この駅舎もさぞや活気があったことでしょう。
現在は内部に布団屋さんが入っていて、その脇を間借りしているような風で待合空間があります。
なおトイレは画像には映っていませんが、向かって右側に駅舎とは別棟であります。
私が取材目的で初めて当駅を訪れた2003年11月時は、非水洗の昔の形態のトイレでしたけれど、2010年5月に行った時には改築されて水洗化・一部バリアフリー化されていました。

鹿瀬駅前通りの様子
鹿瀬駅前通りの様子、2015年12月撮影。
画像右手が鹿瀬駅駅舎です。
この通りが旧鹿瀬町のメインストリートでもありました。
この時には周囲に集客力の高い店舗はありませんでした。
列車の本数も少ないので、駅巡りで立ち寄る場合は相応の時間をここで過ごすことになるかと思います。
軽食程度は持参していった方が良いでしょう。

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駅前通りを反対側から一枚、2015年12月撮影。
画像左手が鹿瀬駅駅舎、奥の陸橋は国道459号線です。
なお当地のバス事情ですが、駅前には乗り入れないものの国道経由の津川-日出谷線が新潟交通観光バスによって運行されています。
本数は少ないですが、土休日にも運行されているのが私のような人種には実に有難いところ。
しかも昼過ぎという使い勝手のいい便が通年運行で走っているのですよ。

鹿瀬駅駅舎内部の様子
鹿瀬駅駅舎内部の待合空間、2010年5月撮影。
ベンチにクッションが置かれているのは温かみがあって良いですな。
画像左側の壁には鹿瀬地域の大きな観光案内板があります。

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鹿瀬駅の構内と駅舎の位置関係、2015年12月撮影。
画像右側の空間はかつての線路跡です。

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構内通路から見た鹿瀬駅ホームの様子、2015年12月撮影。

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鹿瀬駅の旧島式ホームから見た構内通路とその先の駅舎、2015年12月撮影。

日出谷駅方から見た鹿瀬駅構内
日出谷駅方(駅舎方)から見た鹿瀬駅旧島式ホーム、2015年12月撮影。
かつては気動車急行「いいで」「あがの」やDD51形ディーゼル機関車牽引の旧型客車列車が、このホームに発着していたのです。
磐越西線の現在の花形「SLばんえつ物語」は当駅を通過。
かつての急行列車停車駅で「ばん物」が通過するのは、当駅と荻野駅のみです。
急行の通過駅だった咲花駅三川駅、日出谷駅には停車していますから、当駅の凋落ぶりが否が応でも目立ってしまうのです。
ホーム上の上屋の存在は、流石元有人駅にして急行停車駅の貫禄ですけれど、平板な島式ホームということもあり、正直見栄えはしない構内です。

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津川駅方から見た鹿瀬駅ホームの様子、2015年12月撮影。

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ホームの津川駅方を見る、2015年12月撮影。

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島式ホーム上の待合室内部の様子、2015年12月撮影。
建築財産票によると昭和58年5月23日の完成。
日出谷駅や三川駅のホーム待合室と同じスタイルの造りになっています。
内部には自動券売機を一台設置。

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画像右側の空間がかつての線路跡です、2015年12月撮影。
昔の時刻表を紐解いて見ると、当駅では昭和55年10月改正ダイヤで1日2回、昭和60年3月改正ダイヤでは1日1回の定期旅客列車の交換が行われていました。

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交換設備の撤去跡を日出谷方から見る、2010年5月撮影。
跡地の一部は宅地に転用されていて、当駅の列車交換設備復旧は事実上不可能になっています。
ちなみに鉄道ジャーナル別冊「急行列車ジグザグ日本全周大追跡」には、昭和59年当時の当駅での列車交換(急行「あがの」とDD51形ディーゼル機関車牽引の50系客車列車)の写真が載っています。
機関車と客車6両がホーム一杯に停まっている、その種のマニアにはもう辛抱タマラン画なのであります(私がその種のマニアw)。

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日出谷方の陸橋上から俯瞰で見た鹿瀬駅構内の様子、2010年5月撮影。
かつての貨物最盛期には、本線の右側の空間に貨物側線が数本並んでいたのでしょう。

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同じく、より俯瞰で鹿瀬駅周辺を観察、2010年5月撮影。
周辺の人口密度は高そうですな。

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同じく陸橋上から日出谷駅方を見る、2010年5月撮影。
画像右側を流れているのは阿賀野川です。
鹿瀬駅から日出谷駅へは鉄道の営業キロで5.2kmと比較的近いのですけれど、国道459号線経由ですと距離は鉄道の倍以上です。
これは磐越西線が平瀬トンネルで山をぶち抜き直進するのに対して、国道は山を大きく迂回して三角形の二辺を往くような形になっているからです。
鉄道と国道の間にはもう一本道がありますが、何しろ野趣に富むロケーション故に、徒歩の場合は野生動物さんとの不意遭遇の危険性があります。
現に津川-鹿瀬間では車中からニホンザルの群れを目撃できるのです。

鹿瀬駅に停車中の快速「あがの」会津若松行
鹿瀬駅に停車中のキハ110+キハE120の快速「あがの」会津若松行、2015年12月撮影。
かつての気動車急行「あがの」の後身で、昭和60年3月改正から運行されている今年(2017年)で運行開始33年目の老舗の快速です。
急行時代は前身の準急を含めても約26年の生涯でしたので、快速としての歴史が長い列車になりました。
運行本数はかつての2往復から1往復に減ってしまったものの、上りは全区間、下りも会津若松-新津間は快速運転をしていて、新潟と会津地方を結ぶ速達便としての機能を今なお果たしているのです。
土休日に乗っても乗車率は上々で、18きっぷ期間以外は閑散としている米坂線の「べにばな」とは格が違う印象を受けます。

鹿瀬駅に到着するキハ40系気動車新津行
鹿瀬駅に到着するキハ40系気動車の新津行、2004年11月撮影。
キハ110やキハE120と比べると、乗り心地も車内設備も旧式の謗りを免れない車両です。
この時期は非冷房車も入っていて、真夏はガーラガラでしたな。
暑い車内で座っているよりも、立ってもいいから冷房の効いた車両がいいのでしょう。

磐越西線の津川-野沢間は過疎ダイヤのローカル線化していて、鹿瀬駅に発着する定期列車は2017年3月改正ダイヤでは上下16本(快速2本、普通14本)。
上越新幹線開通前の昭和55年10月改正ダイヤでは24本(急行6本、普通18本)。
新津方の区間列車の折り返しが、国鉄時代の日出谷駅から津川駅に移ってしまったのは、その間にある当駅にとって大きなマイナスだったのです。

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鹿瀬駅の所在する向鹿瀬地区と、阿賀野川対岸の旧町役場がある鹿瀬地区を連絡する歩行者用の橋、2015年12月撮影。
高所恐怖症の私にとっては中々にスリリングなところです。
しかし橋から見た阿賀野川の眺めは格別。
紅葉シーズンは実に良い景色です。
橋脚部分の古さから見て、国道の立派な橋が架かるまではこの橋に車も通していたのかも。

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放水中の鹿瀬ダム(角神ダム)
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鹿瀬駅からちょっと足を伸ばして、国道459号線を日出谷方に向かって往くこと約3kmで
鹿瀬ダムに到達、2010年5月撮影。
1928年(昭和3年)に完成した、阿賀野川流域電源開発の主役であります。

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満々と水を湛えた角神ダム湖、2010年5月撮影。

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鹿瀬ダムを見物しながら国道をなおも進むと、奥阿賀地域の観光拠点であるレークサイド角神に到着、2010年5月撮影。

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レークサイド角神から徒歩数分で奥阿賀遊覧船の発着場に行けます、2010年5月撮影。

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皐月の快晴の日曜日だというのに、奥阿賀遊覧船二隻が揃って係留中、2010年5月撮影。
この日は鹿瀬ダムの放流日で、遊覧船は終日運休だったのです。

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鹿瀬地区から角神を経て、日出谷方面に伸び往く国道459号線、2010年5月撮影。
ここから先、しばらくは人跡稀な道行です。

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2017年6月 3日 (土)

小国駅(米坂線)

本日の駅紹介は米坂線・小国駅。

小国駅の昔の駅名標

山形県西置賜郡小国町に所在する有人駅で、人口八千人強のこの山間の町の玄関駅です。
開業は昭和10年(1935年)7月31日。
開業当時の所在は西置賜郡小国本村で、同村は戦時下の昭和17年秋に町制を施行して小国町になり、今日に至ります。
当ブログは「新潟県の駅紹介」がメインコンテンツで、厳密に言えば小国駅はそれから外れるのですけれど、当駅はJR東日本新潟支社の管轄で「えちごワンデーきっぷ」のフリー乗降区間に入っている唯一の新潟県外駅であります。
ですので駅とその概要を簡潔にご紹介致したく、筆を進めてまいります。

JR東日本によると、小国駅の1日平均乗車人員は106人で、新潟県内の駅との比較では同じ米坂線内の越後下関駅より少し多く、飯山線の津南駅とほぼ同じレベル。
乗車人員中の定期客が占める割合は70%で、地方ローカル線の駅としてはこの数字はかなり低めと言えます。
越後下関駅のそれが90%に達していて、利用客のほとんどが学生なのとはだいぶ趣が異なるのです。
実際、土日に何度か乗り降りしてみても、近隣の駅では見られない明らかにハイカーとおぼしき乗客が見られて、観光要素の大きな駅であることを実感できます。

小国駅駅舎
小国駅駅舎の様子、2013年9月撮影。
建築財産票を見つけられなかったので竣工年月は不明ですが、おそらく駅開業当時からの建物と思われます。
小高い三角屋根が象徴的な、どこかメルヘンチックな香りもする良い建物。
東北の駅百選に選ばれるのも当然ですなこれは。
そう言えばあのシリーズ、新潟県の駅はほぼスルーなんですよね。
どの地方に入れたらいいのかわからないからと聞いたことがありますが、そんな理由でスルーとは県民として実にけしからん話なのであります。
閑話休題、駅前ロータリーにはタクシーが複数常駐していて、この辺も観光要素の大きい駅であることを表しています。

小国駅前広場のロータリー
小国駅前ロータリーの様子、2013年9月撮影。

米坂線と並走する小国駅前通り
米坂線と並走する小国駅前通りの様子、2013年9月撮影。

小国町営バスターミナル
小国駅から坂町方へ徒歩4分の道沿いにある小国町営バスターミナル、2013年9月撮影。
広大な小国町内各地に運行されていますが、米坂線補完に関しては、羽前松岡、伊佐領、羽前沼沢の各駅へ向かう路線はデマンド化されているので、地域外の人間が利用するのは難しいでしょう。
越後金丸駅方へはバスが運行されていて、廃止された玉川口駅の先、新潟県境の落合まで行けます。
そこから越後金丸駅までは約3km。
ただしこのバス路線(南部線)も通年運行便は僅少です。

小国駅と国道113号線を結ぶ駅前通り
小国駅と国道113号線を結ぶ駅前通りの様子、2013年9月撮影。
画像奥が小国駅です。
道はすっきりとして視界が開けていますが、集客力を持つ店はありません。
なおスーパーが駅から前述のバスターミナルを越えて少し進むとありますので、当駅訪問時の買い物はそこでするのが吉でしょう。

小国駅駅舎内部の様子その1
小国駅駅舎内改札口周りの様子、2013年9月撮影。
米坂線内でみどりの窓口が置かれている駅は、当駅と今泉駅のみ。

小国駅駅舎内部の様子その2
駅舎内のトイレは男女別です、2013年9月撮影。
画像では見切れてしまっていますが、右側にチラリと映っているのはツキノワグマの剥製の前足です。
小柄な体躯の剥製ですが、あんなのに山の中でバッタリ出会ったら恐怖の一言ですな。

小国駅駅舎内部の様子その3
駅舎内の出入り口周りの様子、2013年9月撮影。
当駅の待合空間はコンコース内のベンチ群の他に、画像左側にある待合室もあります。
ベンチの着席定員は双方合計で19人というところ。

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1番ホームの上屋下とその先の跨線橋出入り口の様子、2013年9月撮影。

1番線の米沢方から見た小国駅構内
坂町方面乗り場の1番線の羽前松岡駅方から見た小国駅構内の様子、2013年9月撮影。
駅構内は顕著な千鳥型配置。
当駅は列車交換駅で、2017年3月改正ダイヤでは1日2回の列車交換が行われています。

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1番線中程から羽前松岡駅方を見る、2013年9月撮影。

小国駅跨線橋内部の様子
跨線橋内部の様子、2013年9月撮影。
幅広で急行列車停車駅に相応しい貫禄。
この辺も利用実態の数字が似ている越後下関駅とは根本的に異なるところです。
あちらの跨線橋は小駅のそれそのもので、準急停車駅のレベルにも達していませんからなぁ。
まぁ町と村の玄関駅という差もあるのでしょうけれど。

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跨線橋上から羽前松岡駅方を俯瞰で見る、2013年9月撮影。

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同じく越後金丸駅方を見る、2013年9月撮影。

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島式ホームの2番線越後金丸駅方から見た小国駅構内、2013年9月撮影。
2番線は米沢方面乗り場です。

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島式ホーム3番線上屋近くの様子、2013年9月撮影。
3番線は当駅始発着列車の乗り場です。
上屋の3番線側は仕切られていて壁になっており、開放されていません。

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島式ホーム2番線端から羽前松岡駅方を見る、2013年9月撮影。
ホームの千鳥配置ぶりがよくわかります。

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島式ホーム2番線側の上屋下とその先の跨線橋出入り口の位置関係、2013年9月撮影。
上屋下にはJR東日本定番型のベンチを5脚設置。

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島式ホーム3番線側から構内を見渡す、2005年5月撮影。

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島式ホーム中程から越後金丸駅方を見る、2005年5月撮影。

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島式ホームから見た小国駅駅舎の構内側、2005年5月撮影。

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越後金丸駅方の踏切から見た小国駅構内の様子、2013年9月撮影。
構内で見ると相応に広い空間だと感じるのですが、少し離れて見ると駅の規模が小さいのを実感できます。

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羽前松岡駅方の踏切から見た小国駅構内、2013年9月撮影。
山懐に抱かれた駅であります。

小国駅2番線に停車中の快速べにばな米沢行
2番線に停車中のキハ110系気動車快速「べにばな」米沢行、2013年9月撮影。
かつての気動車急行「あさひ」「べにばな」の末裔ですけれど、米坂線内は各駅停車で快速表示が泣くというものです。

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キハ40系気動車時代の快速「べにばな」が小国駅に停車中、2004年8月撮影。
取材目的で当駅に初めて降り立った時のファーストショットです。

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1番線に停車中のキハE120形気動車坂町行、2013年9月撮影。

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1番線に進入するキハ52+キハ47の坂町行、2005年5月撮影。

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キハ52+キハ47の坂町行が列車交換待機中、2005年5月撮影。

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