« 2017年4月 | トップページ | 2017年6月 »

2017年5月の記事

2017年5月27日 (土)

間島駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・間島駅。

Majima001

新潟県村上市に所在する無人駅で、開業は大正13年(1924年)7月31日。
開業当時の所在は岩船郡上海府村でした。
上海府村は昭和29年3月末をもって、周辺諸町村と合併して市制を施行、新自治体の村上市の一部となって今日に至ります。

当時の鉄道の駅は特に地方線区であれば、概ね自治体一つに付き1駅というのが常態。
戦後まで駅が設けられなかった例も珍しくなかったのですが、ここ上海府村の場合は越後早川駅と間島駅の二駅が鉄道開通当初から設置されていました。
これは越後早川駅の記事で述べたように、岩船郡一体に強い影響力を持っていた大地主の市井家の影響力によるものとの事です。
当局の元々の計画では、上海府村に置かれる駅は越後早川駅-間島駅間の中間地点に当たる現在の上海府小学校付近。
しかしそれでは越後早川駅至近で炭を生産して出荷していた市井家にとっては、停車場までの距離が遠くて不便だと言うのです。
その後政治的な根回しが行われて、当初計画は修正されて従来の駅構想は破棄。
越後早川駅を設置し、そのままでは村上駅との間に12kmもの距離があるために、おそらくは信号場としての役割も期待されて、越後早川駅から約5km、村上駅から約7kmのここ間島の地に停車場が作られることになったのです。

Majima0021106
Majima0030613
間島駅駅舎の様子、上は2006年11月、下は2013年6月撮影。
建築財産票によると、完成は昭和63年3月18日。
隣の越後早川駅同様、日本海を意識したような青い屋根が特徴の小品です。
駅前広場は広いものの舗装はされておらず、どこか茫洋とした印象です。
越後早川駅同様に駅舎出入り口に飲料の自販機がありますが、当駅周辺には他に自販機の類が無いので貴重な水分補給所になっています。

Majima0260610
1番ホームから見た間島駅駅前広場の様子、2010年6月撮影。
画像左奥にチラリと見えるのは日本海。

Majima0270613
羽越本線と並走する国道345号線の間島駅付近の様子、2013年6月撮影。
鉄道補完として、この国道には新潟交通観光バス運行の路線バス村上-寒川線が走っています。
当駅の他、越後早川、桑川今川越後寒川各駅への移動に使えますが、運行本数は一日2往復でしかも土休日運休・・・、駅巡り者にとっては実に残念です。

Majima0300610
国道345号線上の「間島」バス停、後方の建物はバスの待合室です、2010年6月撮影。
当時の路線バスは村上-馬下(越後早川駅から約4km、桑川駅から約2km地点で平成の大合併前の村上市と山北町の境)間と村上-桑川漁港間に設定されていました。
現在の土休日全便運休とは違って、通年運行が1往復、土休日運行が1往復と駅巡りに使える可能性があったダイヤ設定だったのです。

Majima0310904
国道345号線を村上方面に2km程歩いて、羽越線を跨ぐ陸橋上から海辺の下り線を見る、2004年9月撮影。
潮風吹きすさぶ海岸の手前にまで田圃があるのです。
日本の農家は逞しい。

Majima0040610
Majima0050610
間島駅駅舎内部の様子、2010年6月撮影。
かつての窓口らしき辺りはシャッターで閉鎖されています。
内部には自動券売機が一台設置。

Majima0060613
ホーム側から見た駅舎出入り口の様子、2013年6月撮影。
ホームと駅舎に高低差があるのが間島駅構内の特徴のひとつです。

Majima0100610
跨線橋手前から見た間島駅駅舎とホームの位置関係、2010年6月撮影。
トイレは駅舎構内側の向かって右端にあり、当時は男女兼用でした。

Majima0070613
1番線(酒田方面乗り場)の越後早川駅方から見た間島駅構内の様子、2013年6月撮影。
線路が右にカーブしている上に、手前の物々しい架線柱がある為に眺めは個人的にはイマイチ。

Majima0080613
1番ホーム端から越後早川駅方を見る、2013年6月撮影。
古い時代の駅の常として、間島駅構内のホーム配置も千鳥型です。
ここから先は単線区間になっています。

Majima0190613
1番線横の旧貨物線跡、2013年6月撮影。

Majima0090613
1番ホームの村上駅方から見た間島駅構内、2013年6月撮影。

Majima0110613
間島駅跨線橋内部の様子、2013年6月撮影。
国鉄時代のローカル駅跨線橋の定番型です。
上部にある窓は固定式で、私の身長(170cm)では両手を一杯に伸ばしても撮影は困難。
残念ながら構内の俯瞰は断念です。
窓が固定なのは潮風が入ってくるのを防ぐ為か?と一瞬思いましたが、隣の越後早川駅の跨線橋は窓の位置がもっと低くて開閉式なのですよ。
と言う事は、海に近い事がこの構造の理由では無いわけで・・・。
何を基準にこういう構造にしているのか謎ですな。

Majima0120613
跨線橋出入り口から見た、間島駅島式ホーム(2-3番線)越後早川駅方の様子、2013年6月撮影。
ホーム上には待合室があるきりで、上屋はありません。
当駅の場合、旅客流動は圧倒的に村上指向でしょうから、乗客が列車を待つのはこのホームということになります。
しかし上屋は無く待合室も少し離れているので、雨の日などは跨線橋内に立ちんぼで待っているんでしょうかね。

Majima0130613
島式ホーム2番線の越後早川駅方から見た間島駅構内、2013年6月撮影。
千鳥配置の1番ホーム、その後背の駅舎と跨線橋、右側の旧貨物線跡が一同に写りこむこの辺りが、当駅構内で最も見栄えがする場所だと個人的に思います。
越後早川駅と異なって当駅の中線は健在でしたけれど、2017年3月改正ダイヤにおいて当駅での列車交換や普通列車の特急退避は無いので、少なくとも定期旅客列車については中線に入る事は無いようです。

Majima0140613
島式ホーム端から越後早川駅方を見る、2013年6月撮影。
間島駅構内の線路配置がよくわかります。

Majima0150613
Majima0160613
間島駅島式ホーム上の待合室とその内部の様子、2013年6月撮影。
建築財産票によると完成は大正2年11月・・・って駅開業の11年前ですぜ!?
訪問するたびに控えているので間違ってはいないと思うのですが。
それはさておき、待合室は内外共に手を入れられているので、古めかしさはあまり感じさせません。
この時点でベンチはJR東日本定番型に更新済み。
けして忘れ去られた存在ではないのだなぁと安心しました。

Majima0170613
島式ホームの村上駅方から見た間島駅構内、2013年6月撮影。
列車が入線する機会があまり無いからなのか、2番線の枕木の色の薄さが目立ちます。

Majima0180613
島式ホーム端から村上駅方を望む、2013年6月撮影。
間島駅から村上駅までは複線で、線路は並列ではなく別線の形。
景色の良い日本海側を走るのは下り線です。

Majima0200613
間島駅1番線を出発するキハ40系気動車酒田行、2013年6月撮影。
羽越本線・村上-酒田間の主力車両として今なお君臨しているこの気動車も、来年度から後継の電気式気動車投入開始でいよいよ姿を消していくことになります。

Majima0280904
間島駅2番線に停車中のキハ40系気動車村上行、2004年9月撮影。

Majima0210610
間島駅3番線に停車中のキハ40系気動車村上行と、1番線を颯爽と駆け抜ける485系電車R編成の特急「いなほ」秋田行、2010年6月撮影。
海辺の小駅が華やぐ一瞬の光景です。

Majima0220613
間島駅1番線を通過し遠ざかる、485系電車R編成の特急「いなほ」酒田行、2013年6月撮影。

Majima0230613
間島駅3番線を通過する485系電車T編成の特急「いなほ」新潟行、2013年6月撮影。

Majima0291106
間島駅3番線に停車中の485系電車T編成の団体列車、2006年11月撮影。
1番ホームで酒田行普通列車を待っていたら、これが入ってきてこちらはビックリ。
跨線橋を駆け抜けて撮りまくったものです。
5分程停車していましたっけ。
2番線に停車していたら、もっと貴重な画だったのになぁ。

Majima0240610
間島駅1番線を通過するEF81形電気機関車牽引の下り貨物列車、2010年6月撮影。
かつての日本海縦貫線のヌシであったEF81もその命は今や風前の灯。
羽越本線の村上以北と言えば、かつてはこの機関車が牽引する旧型客車列車が主力だったのも遠い思い出の彼方。

Majima0250904
煙と共に間島駅1番線を通過中の、C57形蒸気機関車牽引の「SL出羽街道号」、2004年9月撮影。
当駅でのギャラリーは少なく、まったりとした雰囲気の中を通過していきました。
2番線に単機のEF81が停車しているのに注目。

| | コメント (0)

2017年5月21日 (日)

大沢駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・大沢駅。

Osawa0010304

新潟県南魚沼市に所在する無人駅で、開業は昭和24年(1949年)5月28日。
開業当時の所在は南魚沼郡塩沢町で、同町は平成の大合併の号令によって近隣町村と合併して市制を施行し、新自治体の南魚沼市の一部となり今日に至ります。

さて大沢駅の前身は、戦時下の昭和18年秋に開業した大沢信号場です。
上越線の塩沢-石打間の距離は7km強あって、単線時代の決戦輸送力強化に必要な施設として、両駅のちょうど中間にあるこの地に信号場が作られたのです。
戦後は日本各地で戦時中に作られた信号場の駅昇格が盛んに行われて、大沢信号場も早期の駅昇格を果たしています。
石打郷土史によると、早期の駅昇格に当たっては駅周辺の集落によって大正15年に設立された大沢駅設置期成同盟会の運動の成果が大きかったとの事で、普段からの地道な活動が大きな大輪の花を咲かせたのです。
同史によると、昭和31年の当駅一日平均乗車人員は349人。
駅に配置された国鉄職員は保線区、通信区の派出所要員も含めて24名。
現在の駅の佇まいからは信じがたい人数です。
かつての鉄道が、いかに労働集約型産業であったかを物語る数字なのであります。

Osawa0020613
Osawa0030904
大沢駅駅舎の様子、上は2013年6月、下は2004年9月撮影。
建築財産表によると昭和54年12月8日の完成。
許容積雪量は3mで、流石は豪雪地帯の駅舎です。
色合いこそ違いますが、同時期に改築された信越本線の上下浜駅などと共通したデザイン性で、当時の流行り(と言ってよいのかどうか)はこんな形だったのでしょうかね。

Osawa0220613
大沢駅前通りの様子、2013年6月撮影。
画像右側の道を下っていくと上越国際スキー場前駅に行き着きます。
周辺は半農半住な地域で、コンビニ等はありません。

Osawa0040514
大沢駅駅舎内部の様子、2014年5月撮影。
内部は吹き抜けで、ベンチが6脚設置。
画像右奥はかつての窓口で、駅舎改築当時は当駅のような小駅でも有人体制を維持することを前提とした設計だったのです。

Osawa0050613
駅舎の構内側の様子、2013年6月撮影。
トイレは画像からは切れていますが、建物の向かって左側にあります。
当時は男女共用でした。

Osawa0060613
上りホーム(水上方面乗り場)の石打駅方から見た大沢駅構内の様子、2013年6月撮影。
当駅は複線上の2面2線です。

Osawa0070613
上りホームの石打駅方から先を見通す、2013年6月撮影。

Osawa0080709
大沢駅跨線橋内部の様子、2009年7月撮影。
小駅のそれとして、標準的なタイプです。

Osawa0090613
跨線橋上から塩沢方を見る、2013年6月撮影。
駅舎の位置関係と画像左側の下りホームの張り出し具合がよくわかります。
駅舎横の木々は巨大で大沢駅の小さな建物を圧倒。

Osawa0100613
同じく石打方を見る、2013年6月撮影。

Osawa0110613
下りホーム(長岡方面乗り場)の上越国際スキー場駅方から見た大沢駅構内、2013年6月撮影。
構内が対面式ホームで、ホームと駅舎がこれだけ離れている構造の駅は、新潟県内では当駅とえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの浦本駅ぐらいです。

Osawa0120709
下りホームの上越国際スキー場前駅方から先を見通す、2009年7月撮影。
ホームのこの辺りは完全に遊休化してしまっていて、それ故に国鉄時代からの白線が今も残っています。

Osawa0130613
大沢駅下りホーム上の待合室の様子、2013年6月撮影。

Osawa0140613
下りホーム待合室内部の様子、2013年6月撮影。
内部はベンチが4脚で、JR東日本の現在の標準型ではない古いタイプでした。
駅舎のそれは標準仕様になっているのにここは以前のまま。
小さな駅の待合室までは流石に目が行き届いていないということなのか。

Osawa0150613
下りホームの石打駅方から見た大沢駅構内、2013年6月撮影。

Osawa0160514
大沢駅下りホームに停車中の115系電車長岡行、2014年5月撮影。
上越線水上-長岡間の普通列車は、2016年3月改正で全列車がE129系電車に更新されました。

Osawa0170514
大沢駅上りホームに停車中の115系電車湘南色越後湯沢行、2014年5月撮影。

Osawa0180514
大沢駅を通過する北越急行HK100形電車の直江津行、2014年5月撮影。
当時も今も、ほくほく線直通列車は大沢駅を全便通過しています。
この電車がこの駅に停まってくれたらなぁと、当駅を訪れる度に思うところです。
何しろ上越線JR列車の日中は毎時一時間半~二時間なのですから。

Osawa0190613
大沢駅を通過する特急「はくたか」越後湯沢行、2013年6月撮影。
六日町越後湯沢間で「はくたか」を撮影するに当たって、一番画になったのが当駅です。
しかも無人駅なので好きな時に撮れたのです。
隣の上越国際スキー場前駅はホームが短く作りもドライでイマイチ、塩沢、石打両駅は有人駅で撮影できる列車がごく限られてしまいました。

Osawa0200514
大沢駅に進入する特急「はくたか」金沢行、2014年5月撮影。
上越線の六日町-越後湯沢間は、この列車が飛び去ってしまったことで一気に華が無くなりましたなぁ。
トドメが115系電車の撤退。
かつて特急「とき」、急行「佐渡」が駆け抜けた幹線としての時代は過去のものとなってしまいました。

Osawa0210514
大沢駅を通過する、EH200形電気機関車牽引の下り貨物列車、2014年5月撮影。
旅客列車が完全にローカル化してしまった上越線の新潟県内区間において、唯一幹線の雰囲気を放っているのが貨物列車の存在です。
かつては地味過ぎて撮影の触手が伸びなかった貨物列車も、現在の上越線では花も実もある鉄路のスタァです。
Osawa0230709
大沢駅と上越国際スキー場前駅間の距離は僅か1km強。
道中はこのような長閑な風景です。
画像左側に見える石碑は、「樺沢城跡」。
上杉家の本拠地・春日山城の番城で、上杉勢が関東に遠征する際の宿城として使われていたとの事です。

| | コメント (0)

2017年5月19日 (金)

ただいまgoogle八分中

ども。
先月中旬から「ばけのかわ」に対してGoogleさまが激おこらしく、アクセス数が激減した状態が既に一ヶ月続いています。
ユニークアクセスは以前の半分に減ってしまいました。
これが噂に聞く「Google八分」ってヤツですな。
記事を書いても、例えば最新記事の「水上駅」は検索しても全く出てきません。
「ばけのかわ 水上駅」で検索すると出てくるので、インデックスはされているけれど一般的な検索には反映されていないという事です。
既存の記事も、以前は検索1P目に出てきたものが4P目まで順位が大幅下落していたりします。
以前は5P目ぐらいの記事だと、今は検索しても出てきません。
考えられる原因としては、4月前半に実施した記事の大幅な統廃合がGoogle様のカンに触ったかもしれない事ぐらいです。
別にスパムとか他サイトのパクリとかしてるわけじゃないのにこういう扱いを受けると、なんかもうね、やる気が失せちゃうわけですよ。
数行の走り書きと画像数枚のところよりも、ウチは低品質のクズブログとGoogle様に判断されているわけで、これ以上何を書いたら良質なコンテンツと判断されるのか、私の不憫な頭では考え付きません。
雰囲気的にはずっとこのままって気もしますし、低品質のクズはクズなりに、ネットの大海の片隅でやっていくしかないんでしょうね。

| | コメント (0)

2017年5月14日 (日)

水上駅(上越線)

本日の駅紹介は、上越線・水上駅。

Minakami0010304

当ブログのメインコンテンツは新潟県の駅紹介ですが、上越線の新潟口は主に水上駅発着でありますので、当ブログでの上越線守備範囲は当駅までと致します。

さて水上駅は群馬県利根郡みなかみ町に所在する有人駅で、開業は昭和3年(1928年)10月30日。
険しい上越国境を目の前にした上越南線の当面の終着駅としての開業でした。
開業当時の所在は利根郡水上村です。
駅開業から三年後の昭和6年には、清水トンネルが開通して上越線が全通。
水上駅は中間駅になりましたけれど、上越国境越えの峠のシェルパたる電気機関車の拠点として、また一帯の温泉玄関駅として、上越線の旅客・運転両方の一大拠点として大変に大きな位置を占めてきたのです。
なお水上村は戦後の昭和22年10月に町制を施行して水上町となり、平成の大合併の大号令下で平成17年10月に周辺諸町村と合併して新自治体のみなかみ町となり今日に至ります。

2017年現在では定期優等列車の発着も無く、すっかり廃れた印象の水上駅ですけれども、上越新幹線開業前は実に華やかな全盛時代を謳歌していたのです。
昭和40年3月ダイヤ改正で電車特急「とき」が一往復増発されて二往復体制になったのと同時に、「とき」の水上及び越後湯沢駅停車が実現。
当時は水上、湯沢共に「町」で、特急列車の格が今日とは比較にならぬほど高かった当時としては異例の扱いでした。
当時の特急停車駅の基準と言えば、長岡、高崎のような相当の人口を擁する「市」の玄関駅や、新津や直江津のような幹線接続駅に限られていたのです。
「とき」で言えば、新潟県県央の代表駅である東三条駅(三条市所在)よりも水上、越後湯沢両駅停車の方が先んじたのですから、それだけ両駅の観光需要が高かったことの表れ、本来は急行、準急の領分であった観光輸送を取り込んだ後の特急大衆化の先駆けと言えそうです。

水上駅の最盛期であった上越新幹線開業前の最後のダイヤ改正(昭和55年10月改正)優等列車ダイヤにつきましては、当ブログの下記のエントリーを参照ください。
上越新幹線開通以前の上越線優等列車ダイヤ(上り)
上越新幹線開通以前の上越線優等列車ダイヤ(下り)」

当駅発着定期昼行列車の概略をかいつまんでおきますと、特急は「とき」が14往復中6往復停車、「いなほ」が3往復全て停車、「はくたか」も2往復全て停車で、計11往復停車。
急行は「佐渡」3往復、「よねやま」1往復に加えて当駅始終着の「ゆけむり」が6往復で計10往復停車。
昼行定期優等列車停車合計は実に21往復です。
私の子供の頃は、時刻表を眺めて「いなほ」や「はくたか」が小出も六日町も越後湯沢も見向きもしないのに水上駅だけには必ず停車しているのを見て、水上ってすげえなー、どんな立派な駅なんだろうと妄想を逞しくしておったものです。
上越新幹線上野開業の昭和60年3月改正では、急行「佐渡」「よねやま」が全廃されましたけれど、当駅始終着の優等列車は新特急「谷川」5往復が設定されて、全盛期の残照もまだ煌々としていたのです。
しかしその間に国境越えの電気機関車が新性能型のEF64型1000番台に更新され、また特に貨物の輸送体系が大きく変化したことで、上越線運転上の一大拠点であった当駅隣接の水上機関区は昭和61年11月の国鉄最後のダイヤ改正で廃止されてしまいます。
これで当駅の拠点駅たる両輪の一方が完全に失われた事になり、以降は上越新幹線と関越自動車道に客を奪われ、水上温泉の斜陽化もあって昔日の観光輸送の栄光も失われていったのです。
新特急「谷川」は2002年に特急「水上」に改称されますが、需要の低迷に伴い2010年に定期運行を終了して、以後は季節運転として細々と設定される状況。
このエントリーを書く直近の2017年春ダイヤでは運行されていません。

観光需要が無くなってしまうと、上越国境沿いの「町」の駅、しかも合併後は人口の多い旧月夜野町の玄関駅であった後閑駅がみなかみ町の玄関駅になったので、水上駅の斜陽化には歯止めが掛けられない状況と思われます。
当駅周辺地域には高校が無いので、学生が集まらないのも痛いところです。
かくして2015年度の当駅一日平均乗車人員は、JR東日本によると405人。
新潟県内の駅と比較すると、同じく上越線の越後堀之内駅よりもやや少ないレベル。
前述の後閑駅の約半分です。
上越新幹線開業前の後閑駅は特急が一切停車しない比較的地味な印象の駅でしたけれど、今日では水上駅とは立場を完全に逆転しています。
向こうは上越新幹線・上毛高原駅も比較的近いですしねぇ。
うーむ、まさに諸行無常の世界でありますなぁ。

Minakami0020511
Minakami0500916
Minakami0510916
水上駅駅舎の様子、上は2011年5月、下二枚は2016年9月撮影。
建築財産票を見つけられなかった為、完成年月は不明で実に遺憾です。
一見すると新しく立派な建物に見えますが、実は従来の駅舎の入り口部分を増築したもの。
でもこうするだけで見栄えは全然違います。
駅舎は2013年秋に改装されて、出入り口の色合いはよりシックで落ち着いた雰囲気になりました。
しかしせっかくの改装も、駅の利用実態を底上げできていないのは辛いところです。

Minakami0540916
駅舎正面と駅舎本体の間の空間、2016年9月撮影。
ドアをきちんと閉めておけば、冬場の駅舎内の保温性は完璧でしょう。

Minakami0030511
Minakami0550916Minakami0570916
水上駅改札口周辺の様子、上は改装前の2011年5月、下二枚は改装後の2016年9月撮影。
改装後は改札正面上の時刻表が撤去されてしまいました。
あの時刻表が無くなったのは、感覚的に当駅凋落の象徴のような気がします。
上の画像の構内の湘南色115系電車は折り返し待機中の高崎行。
当駅の自動改札は2006年3月に供用開始との事です。
私が当駅を取材目的で最初に訪れた2004年3月はまだ有人改札で、構内撮影も駆け足でしたっけ。
私のような構内撮影に異様な執着を持つ者にとっては、自動改札化は大いなる福音なのであります。

Minakami0040511
駅舎改装前の改札横のキオスク、2011年5月撮影。

Minakami0560916
画像中央のドアが待合室出入り口です、2016年9月撮影。
上の画と比べると、改装後のキオスクの店舗面積は拡大されているようです。

Minakami0050511
水上駅の広い待合室、2011年5月撮影。
かつての全盛時代の名残です。
この時、待合室には人影ゼロ。

Minakami0060511
ホーム側から見た改札周りの様子、2011年5月撮影。

Minakami0070511
1番ホームの上屋に掲示されている水上駅発車時刻表、2011年5月撮影。
長岡方面はたったの5本。
2004年3月に訪れた際には、高崎行は3番線から発着していて2番線発着の長岡発着との連絡を取っていましたけれど、この時点では乗り換えに跨線橋移動が必須に。
長岡発着便と接続する便に限っては3番線発着にすればいいのにと、傍若無人な18きっぱーが嫌いな私でさえ思うところですが、それよりも1番線発着に統一して跨線橋移動を無くす方が日常のニーズに合っているのでしょうな。
旅客流動は圧倒的に対高崎側でしょうしね。

Minakami0080511
1番ホーム改札付近から見た水上駅構内上牧駅方面、2011年5月撮影。

Minakami0090304
上牧駅方から見た水上駅構内の様子、2004年3月撮影。
2番線には折り返し長岡行が待機中。
後背の山々に雪はもうありません。

Minakami0100304
1番ホーム端から上牧駅方を望む、2004年3月撮影。
3番線の向こうに、当時まだ健在だった特急「水上」の185系電車が留置中。

Minakami0110511
1番ホーム中央部から湯檜曽駅方を見る、2011年5月撮影。
かつての機回し線跡には、「二度と復活しないようにトドメ刺しときましたっ!」とばかりの架線柱が。
棺おけに釘の感これあり。

Minakami0120304
1番ホームの湯檜曽駅方から見た水上駅構内、2004年3月撮影。
ゆるやかな右カーブを描く長大なホーム。
12両編成の電車特急が、このホームを目一杯使って停車していた昔日の栄光の日々に想いを馳せるのであります。

Minakami0130511
水上駅跨線橋内の様子、2011年5月撮影。
かつての特急停車駅の名残りで通路は広く、天井や窓のレトロな造作がいい味出してます。

Minakami0140511
跨線橋上から上牧駅方を望む、2011年5月撮影。
おりしもEH200形電気機関車牽引の貨物列車が1番線に進入し運転停車しました。
2番線には115系電車長岡行が待機中。

Minakami0150511
同じく湯檜曽駅方を望む、2011年5月撮影。
前掲の画像より約二時間前で、1番線には湘南色115系電車高崎行が折り返し待機中。

Minakami0160511
2番線で待機中の115系電車長岡行と、1番ホームに面した駅舎の様子、2011年5月撮影。

Minakami0170304
2番ホーム湯檜曽駅方から見た水上駅構内、2004年3月撮影。
3番線には湘南色115系電車高崎行が停車中。
この日は青春18きっぷの期間に入っていましたが、阿鼻叫喚の乗り換えラッシュには見舞われませんでした。
この後新潟県側にトンボ帰りしましたけれど、車内は比較的空いていましたっけ。
午後三時台なので、混んでいて五月蝿いのだろうと覚悟していたのでいささか拍子抜け。

Minakami0180304
島式ホームの上牧駅方から見た水上駅構内、2004年3月撮影。

Minakami0190304
構内に留置中の特急「水上」用185系電車、2004年3月撮影。
185系電車にはリニューアル前に「踊り子」と「草津」に一回ずつ乗車した経験がありますが、普通車の座席がリクライニングでないのはまだしもシートピッチが狭くて足のやり場に困りましたなぁ。

Minakami0200304
3番線から出発直前の湘南色115系高崎行、2004年3月撮影。
新潟方から乗り入れる115系電車はE129系電車に更新されて姿を消しましたが、高崎口はしばらく活躍が見れそうです。
高崎口の115系が更新されてしまった時が、水上駅の過去の栄光との完全なる決別の日のような気がしますね。

Minakami0210511
水上駅2番線で待機中の115系電車長岡行、2011年5月撮影。
上越線長岡口の115系電車は2016年3月改正で運用から全面撤退しています。

Minakami0590916
Minakami0580916
秋の夕刻の水上駅2番線で待機中のE129系電車長岡行、2016年9月撮影。
青春18きっぷの有効期限から外れた時期の日曜でしたが、4両編成で乗車率は3割といったところ。
越後湯沢駅で大量下車してガラガラになっていました。
私もドン行を乗り継いで帰る程の根性は無くなっているので、越後湯沢駅から上越新幹線で帰宅という仕儀。

Minakami0600916
1番線の新潟方面に向かって左側に線路がもう一本あって、1番ホームの長岡方は島式のようになっているのですが、そこにE129系電車が留置されていました、2016年9月撮影。
水上駅には取材目的で3回訪れていますけれど、ここに電車が留置されているのを見たのはこれが初めて。

Minakami0220511
Minakami0260511
Minakami0530916
水上駅駅前通りの様子、上二枚は2011年5月、一番下は2016年9月撮影。
昔ながらのみやげ物店が並んでいて、個人的にはこういう風景が大好きです。
2011年5月訪問時には駅前にタクシーが数台待機していて、このあたりは流石温泉場の玄関駅と思ったところでした。
2016年9月訪問時にはタクシーの姿が無くひっそり。

Minakami0520916
水上駅横の路線バス乗り場、2016年9月撮影。
この日は土合駅前から関越交通運行の路線バスで水上駅に再訪。
鉄道補完としては、バスで当駅から湯檜曽、土合、上牧、上毛高原の各駅に移動できます。
運賃は鉄道よりも割高ですが運行本数は通年で多く、特に湯檜曽、土合両駅へは過疎ダイヤの上越線とは比較にならない利便性の高さです。

Minakami0250511
旧水上機関区跡の様子、2011年5月撮影。
「SL転車台広場」に整備されていて、顔の部分がくり抜いてある記念撮影用の看板が二つ置いてありました。
「SLみなかみ号」の運転日でないこの日は人っ子一人いません。

Minakami0230511
水上駅からSL転車台広場へ行く道中で、上越国境越えに勇躍出発したEH200形電気機関車牽引の貨物列車、2011年5月撮影。
この約二時間後に前掲の貨物列車があるので、旅客列車よりも運転密度が高いのです。

Minakami0240511
湯檜曽駅方の踏切から湯檜曽方を望む、2011年5月撮影。
上越線はここからJR在来線屈指の峠道になります。
水上駅方は線路が大きく右カーブしていて、構内の全容を見ることは残念ながら出来ません。

Minakami0270511
SL転車台広場とは反対方向の上牧駅方へ歩みを進めて、陸橋上から水上駅構内を見る、2011年5月撮影。
逆光気味なのでうまく映りこんでいないのが残念ですが、水上駅構内の広大さは実感できます。
この構図でバッチシ撮るのは午前中ですな。

Minakami0280511
同じく陸橋上から上牧駅方を見る、2011年5月撮影。

Minakami0290511
Minakami0620916
利根川沿いの遊歩道を進み、出会った吊り橋、上は2011年5月、下は2016年9月撮影。
破損していて通行禁止だったのが残念。
2016年9月の再訪時には崩壊が進んで板が川に落ちスカスカになっています。
五年間放置しっ放しなのは、実に頂けない話です。

Minakami0300511
なかなかに急な利根川の流れ、2011年5月撮影。

Minakami0310511
Minakami0610916
利根川の対岸には水上温泉街、上は2011年5月、下は2016年9月撮影。
廃墟と化したホテルが目につきます。
こういうのを放置しておくと視覚的にも雰囲気的にも実に宜しくなく、客離れにますます拍車がかかってしまうのですな。

Minakami0320511
水上温泉街の様子、2011年5月撮影。
とにかく人がいなかった!
浴衣姿の初老の方数人とすれ違っただけでした。
あまりの人気の無さにうーむと絶句。
まぁ、婦女子や子供が憩うようなファニーな雰囲気皆無なので仕方ないか・・・。
しかしそこここにある呑み屋にはココロ惹かれるものがありました。
フラリと入って年増のママとgdgd世間話をする。
そんなところに惹きつけられる自分をふと省みる瞬間があって、オレは自分が思ってるほど若くはないんだもう立派なおっさんなんだと愕然としたりするわけです。
しかしまぁ、某六角精児さんの呑み鉄番組でぜひ訪れて泊まってほしいところですなここは。

Minakami0330511
水上駅を出発してSL転車台広場と利根川沿いの遊歩道、水上温泉街を回って「みなかみ清流公園」に到着。
私の脚でここまで約一時間。
ここにはかつて上越国境のヌシであった電気機関車EF16形28号機が展示されています。
製造は昭和22年で、廃車されたのは昭和56年12月との事。

Minakami0340511
みなかみ清流公園近くの橋上から利根川下流を見る、2011年5月です。
画像右側が公園になります。

Minakami0350511
みなかみ清流公園から国道291号線を水上駅に戻りながら一枚、2011年5月撮影。
この国道を道なりに進むと、谷川岳麓に到着します。
温泉街と反対側のこちら側は、観光とはあまり関係がない旧水上町の地に足の着いた日常の風情です。

| | コメント (0)

2017年5月 7日 (日)

燕三条駅(上越新幹線・弥彦線)

本日の駅紹介は上越新幹線/弥彦線・燕三条駅。

Tsubamesanjo001
Tsubamesanjo022

新潟県三条市に所在する駅で、弥彦線の駅としては無人駅です。
開業は上越新幹線の大宮暫定開業日の昭和57年(1982年)11月15日。
当時の所在も三条市でした。
当駅の設置に関して、三条市と燕市がどちらも一歩も退かない誘致合戦を繰り広げた果てに、玉虫色の結論として両市の境界線上に置くという結論に達したことは皆様よくご存知の通りです。
三条市と燕市は昔から折り合いが悪く、平成の大合併の大号令の最中に話し合われた合併話も頓挫して、両市は引き続き別々の道を歩んでいくこととなりました。
まぁ仲が悪いといっても、現代ではエラいさんたちの利権利害絡みが主要因で、一般市民の感覚としてはそんな事は無いと思いますけどね。
三条市と燕市が合併すれば、その人口は約17万八千人。
新潟県第三の都市である上越市(人口約19万六千人)に次ぐ規模になるのです。
さらに近隣の加茂市とも合併できれば、人口は20万人を越えて上越市を抜き、新潟市、長岡市に次ぐ県内第三の都市になれるのです。
しかしこの3市は方向性がバラバラで纏まる気配はなし。
大合併は必ずしも良いことばかりでないことは、生活実感としてよく承知しておりますけれど、部外者の野次馬的視点で見ると、三条・燕・加茂がうまく纏まれないのは実に惜しい話であると常々思っておるところなのですよ。

さて、そんな色々と面倒な経緯の末に生まれた燕三条駅。
JR東日本によると2015年度の1日平均乗車人員は2,200人で、同社新潟県内有人67駅中16位。
直江津駅にやや劣り、寺尾駅とほぼ同じレベルです。
ただし前述したように、燕三条駅は弥彦線の駅としては無人駅扱い。
乗車人員としてカウントされているのは上越新幹線のそれだけと思われるので、新幹線・在来線込みの数字はもっと多く、隣の燕駅の数字が約千人であることを考えると当駅の実際の数字は三千人に達するのは確実と思われます。
三千人台となれば三条市の玄関駅である東三条駅を抜き、新発田駅に次ぐJR東日本県内有人8位になるのです。

Tsubamesanjo0020512
燕三条駅の高架駅舎の様子、2012年5月撮影。
第一級の大駅のような威容を誇ります。
駅前には大きな駐車場を有しています。
この反対側の駅前広場に燕三条駅前バス停があって、鉄道補完としては越後交通運行の東三条駅-寺泊車庫線(東三条、北三条分水各駅及びその至近へ)、東三条駅-燕線(東三条、北三条、燕各駅及びその至近へ)、地場産センター-加茂駅線(加茂駅へ)、燕市コミニュティバス「スワロー号」(燕、西燕吉田南吉田粟生津、分水各駅及びその至近へ)が主な路線ですけれど、残念ながら本数そのものが少ない上に土休日運休が多いので駅巡りの補完手段としては多くを望めないのが残念なところです。

Tsubamesanjo0230512
燕三条駅前通りの様子、2012年5月撮影。
交通量が多いので、このように車が映り込まない画を撮るのは少々の忍耐を必要とします。
当駅と北陸自動車道のICを併せ持つこの地域は、周辺人口20万人の県央地域最大の商業集積地になっています。

Tsubamesanjo003512
上越新幹線高架下の自由通路の様子、2012年5月撮影。

Tsubamesanjo0040408
燕三条駅コンコース内の様子、2008年4月撮影。

Tsubamesanjo0050512
弥彦線乗り場前に立つ、弥彦神社をイメージした小さな鳥居、2012年5月撮影。
これから弥彦に向かう気分を盛り上げていますけれど、残念ながら上越新幹線と弥彦線の接続はあまり良くありません。

Tsubamesanjo0060512
画像奥が弥彦線乗り場になります、2012年5月撮影。
弥彦線の駅としては無人駅扱いなのを象徴するように、設置されている自動券売機は無人駅仕様。
地道な増収策として、有人改札を置くか自動改札化すれば・・・とシロウトの私は考えるところですけれど、それに必要な経費はキセルで失う収入を大きく上回ったりするのかも。

Tsubamesanjo0070512
コンコースから弥彦線乗り場へやって来て、階段上からホームの燕駅方を見る、2012年5月撮影。

Tsubamesanjo0080512
燕三条駅の弥彦線ホーム燕駅方から見た構内の様子、2012年5月撮影。

Tsubamesanjo0090512
同じく燕駅方を見る、2012年5月撮影。
線路を跨ぐ陸橋は北陸自動車道です。
当駅至近には三条燕ICがありますが、あちらは「三条」を前に置いて、「燕」を前に置く当駅とのバランスを保たせているのは皆様ご存知の通り。
三条市と燕市のメンツを立てる為の措置ですが、それなら「新潟県央」とか中立的な名称にしてしまえばいいのにと部外の野次馬は感じるところ。

Tsubamesanjo0100512
上越新幹線高架下のホーム中央部の様子、2012年5月撮影。
設置されているベンチは、駅の利用状況の割にはかなり少なめ。

Tsubamesanjo0110512
燕三条駅の弥彦線ホーム北三条駅方から見た構内、2012年5月撮影。

Tsubamesanjo0120512
同じく北三条駅方を見る、2012年5月撮影。
画像中央にチラリと見えるのは信濃川鉄橋です。
あの橋を越えると間もなく、線路は三条市の旧市街地に入っていきます。

Tsubamesanjo0130512
弥彦線を跨ぐ歩道橋上から見た、燕三条駅の弥彦線ホーム、2012年5月撮影。
ホームの右側の空間は、当駅の列車交換駅化に備えたものです。
上越新幹線建設当初は、弥彦観光を当て込んだ弥彦線増発の思惑があった故の事だったのかもしれません。
しかし現状はそれを全く必要としない状況で、隣の燕駅での交換で十分なのです。
当駅の弥彦線定期列車発着本数も、1985年3月改正時では上下合わせて32本だったのが、2017年3月改正では上下合わせて27本と減ってしまっています。

Tsubamesanjo0140512
燕三条駅の弥彦線ホームに停車中の115系電車Y編成弥彦行、2012年5月撮影。
このY編成は2015年3月改正で全車運用を離脱し廃車されています。

Tsubamesanjo0151215
師走の夕刻、燕三条駅に到着するE129系電車東三条行、2015年12月撮影。
弥彦線では2015年3月改正で前掲の115系電車Y編成の後任として、E127系電車2編成が定期運用に入りました。
しかしそれから間もなく、矢作駅付近の踏切で立ち往生したフォークリフトと電車が衝突して修理の為に1編成が一時運用離脱。
そのピンチヒッターとして、当時最新鋭のE129系電車が弥彦線で運用されていた頃の一枚です。

Tsubamesanjo0161215
燕三条駅の上越新幹線乗り場前の様子、2015年12月撮影。

Tsubamesanjo0171215
Tsubamesanjo0181215
燕三条駅の上越新幹線駅構内の様子、2015年12月撮影。
規格化されていて面白みのない新幹線駅構内ですけれど、ホームドアの設置が標準化されている昨今の新幹線駅と比べれば、昔ながらの鉄道駅としての雰囲気を残していると言えましょうか。

Tsubamesanjo0210408
燕三条駅12番線を出発するE1系新幹線電車「MAXとき」東京行、2008年4月撮影。
E1系電車は2012年9月に運用離脱引退しています。

Tsubamesanjo0191215
燕三条駅11番線に停車中のE4系新幹線電車「MAXとき」新潟行、2015年12月撮影。
先日、JR東日本からE4系電車を2020年度末までに引退させて、北陸新幹線で運用しているE7系電車に更新する公式アナウンスがあったのは皆様よくご存知の通り。
MAX編成が無くなると、混雑が酷くなりそうでちょっとイヤなんですけど。

Tsubamesanjo0201215
燕三条駅12番線に停車中のE2系新幹線電車「とき」東京行、2015年12月撮影。
2017年3月改正ダイヤにおける、当駅の上越新幹線定期列車の停車本数は上下合わせて50本。
新幹線開通直前の東三条駅発着の特急「とき」と昼行の急行「佐渡」の停車本数が上下合わせて28本ですから、県央地域と東京の鉄道アクセス利便性は新幹線開業によって大きく高まったのです。

| | コメント (0)

« 2017年4月 | トップページ | 2017年6月 »