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2017年4月の記事

2017年4月29日 (土)

寺尾駅(越後線)

本日の駅紹介は、越後線・寺尾駅。

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新潟県新潟市西区に所在する有人駅で、人口約16万3000人を擁する西区の区役所の最寄り駅はここ寺尾駅。
故に西区の代表駅は越後線頻発運行区間の終点である内野駅ではなく、当駅と申せましょうか。
駅開業は1914年(大正3年)10月20日で、当時のローカル私鉄である越後鉄道の停車場としての出発でした。
開業当時の所在は西蒲原郡坂井輪村で、同村の玄関駅でした。
坂井輪村は戦後の昭和29年に新潟市に編入されて今日に至ります。

寺尾駅周辺は今でこそ新潟市旧市街地西部の人口集積地域になっていまけれど、駅開業からしばらくの間は人家もまばらな寒村だったそうで、駅設置が越後鉄道開業から約2年後というのもその辺の事情によるもののようです。
周辺地域に人口が集積し始め、駅に活気が出てくるのは坂井輪村が新潟市に編入される頃からだったのです。

JR東日本によると、寺尾駅の2015年度1日平均乗車人員は2,187人。
同社新潟県内有人67駅中17位で、見附駅と同レベル、直江津駅よりも少し下という利用実績です。
当駅の狭さ小ささを考えると、驚嘆に値する高水準の乗車人員ですけれど、越後線の新潟-吉田間では有人10駅(新潟駅を除く)中6位に過ぎず、越後北線と称されるこの区間の利用の多さの裏付けにもなっているのです。
それなのに線区の格付けは国鉄末期に貼られた「地方交通線」のまま。
信越、白新両線に比べて運賃も割高で、利用客にとっては不条理この上無い状況がずっと続いているのですよ。

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寺尾駅橋上駅舎南口の様子、上は2006年11月、下は2015年12月撮影。
上の画の時点ではまだエレベーターが未設置でバリアフリー化されていませんでした。
その前身がローカル私鉄の小駅であったからか、駅前広場はご覧のように狭隘。
その為に路線バスも駅前には乗り入れていません。
代わりにタクシーが最低一台常駐しています。

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寺尾駅南口駅前の様子、2012年3月撮影。
ご覧のように道路の道幅も狭く、車には優しくないところです。

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寺尾駅北口の様子、2012年3月撮影。
橋上駅舎化に伴って開設された出入り口で、歩道なのか駐輪場なのか判然としないカオスさがあります。

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寺尾駅橋上駅舎の自由通路内部の様子、2012年3月撮影。
建築財産票を確認できなかったので駅舎の竣工年月は不明ですが、ウィキペディアによると1986年完成という記述があります。
新潟県内在来線のみの橋上駅舎としては、青海駅、荻川駅に続く三番目になります。
ただ形状から見てこの通路はかつての跨線橋なのでしょう。
その竣工は建築財産票によると昭和48年3月。
跨線橋出入り口の構内側に橋上駅舎を増築したように思われます。

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橋上駅舎への出入り口付近の様子、2012年3月撮影。
窓口及び自動改札機は画像左側になります。

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構内側から見た寺尾駅橋上駅舎内部の様子、2015年12月撮影。
駅舎内の待合空間は下の画のところ(自動改札機とホーム出入り口の間の通路)しかありません。
なおトイレはホーム上にしか無いのでご注意ください。

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自由通路上から見た寺尾駅構内新潟方の様子、2015年12月撮影。

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自由通路上から見た寺尾駅構内内野方の様子、2005年9月撮影。
画像左側の駅前の狭隘さがよくわかります。

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島式ホームの新潟大学前駅方から見た寺尾駅構内の様子、2012年3月撮影。
駅構内は一面2線のごくシンプルなもの。
この形態のホームは平板な印象が強くて、個人的にはあまり好みではないのです。
しかも中途半端な植え込みで見通しも悪し。
正直、訪問や撮影の触手が伸びない駅なのであります。

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島式ホーム端から新潟大学前駅方を見る、2012年3月撮影。

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島式ホーム上屋下の様子、2015年12月撮影。
ホーム上に待合室はありません。
橋上駅舎内の待合空間の小ささといい、ホームの上屋下にベンチが並ぶ様子といい、実用本位に徹した「乗り降りするだけの駅」な印象の強い寺尾駅です。
よく言えば都会的と言えなくもない?

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島式ホームの小針駅方から見た寺尾駅構内、2012年3月撮影。
画像左側の国鉄様式の跨線橋部分と、右側の新たに設けられた北口への連絡通路の違いがよくわかります。
なおトイレとエレベーターは連絡通路の柱の後方にあります。

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島式ホーム端から小針駅方を見る、2012年3月撮影。

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新潟大学前駅方の踏切から見た寺尾駅構内の様子、2012年3月撮影。


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寺尾駅に停車中の115系電車新潟行、2012年3月撮影。

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寺尾駅で列車交換する新潟行115系電車と内野行E127系電車、2012年3月撮影。
データイム毎時3本の単線頻発運行区間である越後線の新潟-内野間の列車交換駅
白山、関屋、小針、寺尾の各駅)では、列車交換が頻繁に行われています。

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列車交換を終えて寺尾駅を出発するE127系電車内野行、2012年3月撮影。

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E127系に代わる線区の新たな顔のE129系電車新潟行と115系電車吉田行が寺尾駅で列車交換中、2015年12月撮影。

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2017年4月23日 (日)

上条駅(只見線)

本日の駅紹介は只見線・上条駅。

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新潟県魚沼市に所在する無人駅で、開業は昭和26年10月1日。
その約半年前の3月1日から仮乗降場として旅客扱いを開始していました。
仮乗降場としての先行営業、駅への昇格時期は只見線内の薮神魚沼田中両駅と同じで、これら三駅は駅の規模も造りも似通っています。
当駅の開業当時の所在は上条村で、上条駅は同村の玄関駅になりました。
しかし上条村は駅開業の五年後、昭和31年9月に隣接する須原村と合併して守門村に装いを改め、平成の大合併の号令によって平成16年11月に近隣諸町村と合併して新自治体の魚沼市の東部地域になり、現在に至ります。

小出駅を出発して越後須原駅までは半農半住の長閑な道のりを辿る只見線も、越後須原駅を出ると俄かにローカル色が濃くなってきます。
そんなロケーションの只中に寂然と佇むのが上条駅です。

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上条駅待合室の様子、2013年5月撮影。
建築財産票を確認出来なかったので竣工年月は不明ですが、駅開業時の建物かもしれません。
名うての豪雪地帯の建物にしては、屋根に厚みがなく華奢な感じです。
これだと雪下ろしも頻繁にやらないと危険なのではと心配になるのです。

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上条駅前通りの様子、2008年4月撮影。
画像真ん中の建物は公衆トイレで、その右側に駅待合室があります。
只見線の新潟県内区間諸駅で駅トイレもしくは公衆トイレがあるのは、近年まで有人駅だった越後須原、入広瀬大白川の各駅と当駅です。
生粋の無人駅としては上条駅が唯一の存在なのです。

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上条駅待合室内部の様子、2008年4月撮影。
仮乗降場上がりで同じ境遇の薮神、魚沼田中両駅の待合室と比べて相当に広い室内です。
ベンチの着席定員は八名で、只見線の新潟県内区間の諸駅の例に漏れず自動券売機も乗車証明書自動発行機も未設置。
2013年5月に再訪した時は、ベンチがJR東日本定番型に変わっていました。
そう言えば、私は只見線に乗って車内検札を受けたことが一度もありません。
途中駅から乗車しても車掌氏は回って来ないのですよ。
私は取材では「えちごツーデーパス」を使うので、別に回ってこなくてもいいのですけれど、普通にきっぷを買って乗ろうとするとアレでは困ります。
客の方から車掌氏のところへ行けってことなんですかね?
まぁかつての北陸線では度々そういうことがありましたけど。
自動券売機の無い有間川駅から乗車しても車掌氏が回って来ないので、仕方なくこちらから出向くという、ユーザーフレンドリー何それ美味しいの?な状態。
あまりにも赤字が多いと、現場のやる気も無くなるんですかね?

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越後須原駅方から見た上条駅構内の様子、2013年5月撮影。

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ホーム端から越後須原駅方を見通す、2013年5月撮影。

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入広瀬駅方から見た上条駅構内、上は2008年4月中旬、下は2013年5月下旬撮影。
一ヶ月強の間に風景はこんなに違うのです。
また上の画の時点では、駅名標は魚沼地方の駅独特の物が未だ健在でした。
下の画の時点ではJR東日本定番型に替わり、設置場所も移動しています。
何もこんな線区にまで、おカネをかけて標準化させなくてもいいのにと外野は思うところです

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ホーム端から入広瀬駅方を見通す、2013年5月撮影。

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ホーム上の名所案内板、2003年8月撮影。

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上条駅に停車中のキハ40系気動車只見行、2013年5月撮影。
ホーム有効長は2両で、只見線全通前の客車列車時代は常にはみ出していたのでしょうね。

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只見線と並走する国道252号線の上条駅付近の様子、2013年5月撮影。
下の画に写っているバスは、南越後観光バス運行の小出行路線バスです。
小出発着の只見線並行路線バスは穴沢大白川線と貫木線があって、ここ上条で分岐しています。
前者は国道252号線をそのまま直進して穴沢(入広瀬)や大白川に、後者はここから国道290号線に入って守門温泉方面に向かいます。

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前述の路線バス小出-貫木線が走る国道290号線、2013年5月撮影。

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国道290号線の渋川橋から見た春の破間川の清き流れ、2013年5月撮影。

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2017年4月16日 (日)

「ばけのかわ」新潟県の駅記事一覧

当ブログのメインコンテンツである「新潟県の駅」の記事一覧です。

◎羽越本線

鼠ヶ関 府屋 勝木 越後寒川 今川 桑川 越後早川 間島 村上 岩船町 平林

坂町 平木田 中条 金塚 加治 新発田 中浦 月岡 神山 水原 京ヶ瀬

◎米坂線

越後大島 越後下関 越後片貝 越後金丸 小国

◎白新線

西新発田 佐々木 黒山 豊栄 早通 新崎 大形 東新潟

◎信越本線

新潟(1) (2) 越後石山 亀田 荻川 さつき野 新津 古津 矢代田 田上 羽生田 

加茂 保内 東三条 三条 東光寺 帯織 見附 押切 北長岡 長岡 宮内 前川 

来迎寺 越後岩塚 塚山 長鳥 越後広田 北条 安田 茨目 柏崎 鯨波 

青海川(1) (2) 笠島 米山 柿崎 上下浜 潟町 土底浜 犀潟 黒井 直江津

◎越後線

白山 関屋 青山 小針 寺尾 新潟大学前 内野 内野西が丘 越後赤塚

越後曽根  岩室 北吉田 吉田 南吉田 粟生津 分水 寺泊 桐原 小島谷

妙法寺 出雲崎 小木ノ城 石地 礼拝 西山 刈羽 荒浜 西中通 東柏崎

◎弥彦線

北三条 燕三条  西燕 矢作 弥彦

◎磐越西線

東新津 新関 北五泉 五泉 猿和田 馬下 咲花 東下条 五十島 三川 津川

鹿瀬 日出谷 豊実

◎上越線

越後滝谷 小千谷 越後川口 北堀之内 越後堀之内 小出 八色 浦佐 五日町

六日町 塩沢 上越国際スキー場前 大沢 石打 越後湯沢 岩原スキー場前

越後中里 土樽 土合 湯檜曽 水上

◎飯山線

内ヶ巻 越後岩沢 下条 魚沼中条 十日町 土市 越後水沢 越後田沢 越後鹿渡

津南 越後田中 足滝 森宮野原

◎只見線

薮神 越後広瀬 魚沼田中 越後須原 上条 入広瀬 柿ノ木 大白川 田子倉 只見

◎北越急行ほくほく線

魚沼丘陵 美佐島 しんざ まつだい ほくほく大島 虫川大杉 うらがわら 

大池いこいの森 くびき

◎えちごトキめき鉄道・妙高はねうまライン(旧信越本線)

春日山 高田 南高田 上越妙高脇野田 北新井 新井 二本木 関山 妙高高原

◎しなの鉄道北しなの線(旧信越本線)

黒姫 古間 牟礼 豊野 三才 北長野

◎えちごトキめき鉄道・日本海ひすいライン(旧北陸本線)

谷浜 有間川 名立 筒石 能生 浦本 梶屋敷 糸魚川 青海 親不知

市振

◎大糸線

姫川 頸城大野 根知 小滝 平岩 北小谷 中土 南小谷

◎新潟交通電車線廃線跡

東関屋・東青山 平島 寺地 ときめき 焼鮒 越後大野 黒埼中学前 新大野

木場 板井 七穂 吉江 味方中学前 味方 白根 千日・曲 月潟

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2017年4月15日 (土)

糸魚川、市振、土樽、土合、湯檜曽、五十島各駅記事の統合等を実施しました

本日、糸魚川駅市振駅土樽駅土合駅湯檜曽駅五十島駅の記事の新旧統合を実施しました。

また下記の駅記事について画像貼り替え及び追加、加筆修正を実施しました。

越後中里駅越後湯沢駅五日町駅巻駅岩室駅北吉田駅三条駅

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2017年4月 9日 (日)

黒井駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・黒井駅。

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新潟県上越市に所在する無人駅で、開業はまず貨物駅として明治35年(1902年)7月1日。
その前年、当駅付近に米国のスタンダード石油傘下のインターナショナル石油によって直江津製油所が完成し、当時の北越鉄道が石油関連の貨物輸送拠点として黒井駅を開設しました。
この時点では客貨分離が図られており、旅客営業は当駅の直江津方約1km地点に設置された「春日新田」駅で行っています。
黒井駅はその4年後の明治39年9月1日に旅客営業を開始しています。
この直前に春日新田駅が廃止されているので、当駅が旅客営業を開始したのはその代替措置であったようです。
当駅誕生のきっかけとなった直江津製油所は、その後日本石油に売却された後、大正11年に閉鎖。
黒井駅はその最大の顧客を失って危機に陥る・・・かと思いきや、製油所廃止から間もなく、当駅付近に大手の各種工場が相次いで進出。
これによって当駅はそれら工場の物流拠点として活況を呈するようになったのです。

黒井駅の開業当時の所在については、私の調べでは何とも判断がつきかねるのが正直なところであります。
駅南方の地名から推察すると中頚城郡大瀁村ではないかとも思えるのですけれど、当駅周辺は複数の自治体の境界線上にあるので断言が出来ないのです。
ともあれ駅名票にある中頚城郡頸城村は、昭和32年(1957年)4月に大瀁村と明治村が合併して誕生し、平成17年1月に上越市に合併編入されて今日に至ります。

やや古い資料で恐縮ですが、上越市統計要覧によると平成19年度の黒井駅年間乗車人員は9万人。
単純計算すると一日平均約247人です。
この数字は有人駅の潟町駅を凌ぐもので、通学以外にも周辺工場への通勤需要があるのかもしれません。

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改築後の黒井駅北口の様子、2014年6月撮影。
こちら側が従来からの駅出入り口になります。
駅の南北を結ぶ自由通路は2011年6月に竣工しました。
これに伴い旧駅舎は解体撤去されています。

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自由通路の供用開始に伴って新設された黒井駅南口の様子、2012年6月撮影。
この時点ではこちら側は全くの未開発エリアです。

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自由通路上の駅構内出入り口付近の様子、2012年6月撮影。
自動券売機が一台置いてあるだけの、簡素極まりない出入り口です。

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犀潟駅方から見た黒井駅構内の様子、2012年6月撮影。
画像右側がJR貨物の黒井貨物駅。
旅客駅と生きた貨物駅が併設されているのは、新潟県内では当駅と白新線・東新潟駅ぐらいですな。
かつての黒井貨物駅は、約1km南にある直江津港の発展とリンクして盛況を呈していました。

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ホーム端から犀潟駅方を見る、2012年6月撮影。

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黒井駅の島式ホームの様子、2012年6月撮影。
ホーム右側の1番は下り長岡方面、左側の2番は上り直江津方面乗り場です。
当駅のホーム上屋は昭和41年3月の完成。
おそらく旧駅舎と同時期に建てられたのでしょう。
信越本線・北長岡駅のそれと類似した印象。
隣が貨物駅のせいか、実用本位の雰囲気が強まって旅情は感じられませんなぁ。

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ホーム中央部から見た黒井駅自由通路南口側、2012年6月撮影。

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ホーム上の待合室内の様子、2012年6月撮影。
ホーム上の待合室も、近年はこういう形態が増えました。
待合室も以前は犀潟方のホーム上屋端に設けられていましたが、自由通路化に合わせて出入り口近くの現在位置に移動しています。

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自由通路に通じる出入り口付近の様子、2012年6月撮影。

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黒井貨物駅構内で待機中のEF81形電気機関車455号機、2012年6月撮影。

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ホーム端から直江津駅方面を見る、2012年6月撮影。

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自由通路上から俯瞰で見た黒井駅構内の様子、2012年6月撮影。
前述したように当駅の元々の出自は貨物駅なのがよくわかります。
構内は犀潟駅方に向って広がっています。

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同じく直江津方を俯瞰で見る、2012年6月撮影。
こちら側は線路群が収束していくのを望見できます。

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黒井駅1番線から出発する115系電車長岡行、2012年6月撮影。

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黒井駅1番線を通過する北越急行ほくほく線HK100形電車の越後湯沢行、2012年6月撮影。
ホーム上の建物は閉鎖された旧待合室です。
北陸新幹線開業以前、ほくほく線列車は当駅を全列車通過していましたが、2015年3月改正でほくほく線列車の当駅停車が実現しました。
当時は下り(六日町方面)が朝の二本、上りが昼の一本の計3本。
2017年3月改正では上下各三本ずつ計6本に拡大しています。

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黒井駅2番線に進入する特急「はくたか」金沢行、2012年6月撮影。
ホーム端の貨物運行事務用と思われる建物が犀潟方面への視界を大きく遮っているので、ここからの画はあまり見栄えはしないのです。
しかし直江津方のホーム端は自由通路が視界を遮るので、これまたあまり宜しくない。
元々島式ホームというのは駅撮りに適しているとは言いかねるのですけれど、当駅の場合はそれら悪条件が重なるので駅撮りには向いていません。
目当てとするべきなのは旅客列車よりも貨物列車でしょうな。

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黒井駅2番線を通過する特急「北越」金沢駅、2012年6月撮影。
自由通路側を背景にする場合、直江津方面への列車はすれ違いざまの咄嗟撮影になるのでこれまたあまり宜しくないのです。

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黒井駅前通りの様子、2012年6月撮影。
駅付近に住宅、その周りは工場群という環境です。
この時点では駅周辺にこれといった店舗はありません。

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直江津方の踏切から見た黒井駅構内、2012年6月撮影。

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同じく直江津方を見る、2012年6月撮影。
20年程前の道路地図を見ると引込線(専用線?)がこれと同じような位置に健在なのですが、これがその跡なのでしょうか?

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まだまだこれからというところの、黒井駅南口の道路沿い、2012年6月撮影。
当駅南にはかつてナローゲージの頸城鉄道・新黒井駅が併設されていました。
昭和43年10月に新黒井駅乗り入れが廃止され、昭和46年5月に全線廃止されています。
駅跡には碑が立っていたことはよく知られており、私も探したことがあったのですが探し方が悪かったのか見つけられませんでした(涙)。
自由通路建設に伴う再開発前は、駅の南側は一面雑草で覆われて近づくことが出来ず、新黒井駅の遺構も全く窺い知ることが出来なかったのです。

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ここからは旧駅舎時代の黒井駅についてご紹介。
上は2006年11月、下は2004年9月撮影。
前述の自由通路建設に伴って撤去された建物です。
昭和41年に貨物駅の構内大改修が実施された際に改築されたとの事。
建築財産票は明らかに剥ぎ取られた跡がありました。
駅舎が存在していた当時の当駅は、独特の荒んだ雰囲気があり、そんなことをするDQNがいても全く不思議に思わない状況だったのですよ。

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黒井駅旧駅舎内部の様子、2006年11月撮影。
内部にベンチは無く、自動券売機が一台ポツンと置いてあるきりの素っ気無いところでした。
駅舎内外共に、工場地帯の立地に相応しい実用性のみを追求したような姿なのです。

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黒井駅旧駅舎のホーム出入り口付近の様子、2004年9月撮影。
ホームへは貨物線群を跨ぐ長大な跨線橋で連絡していました。
階段の右横にあるのがトイレで、男女兼用・水洗。

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旧黒井駅舎時代の長大な跨線橋、2006年11月撮影。
壁面の汚れのようなものは概ね靴跡です。
DQNたちが壁を蹴りまくっているのです。
こんなのは色々噂の加茂駅や中条駅でも、他の無人駅でもお目にかかれないものでした。

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そんな壁面にはこんな張り紙が、2006年11月撮影。
「蹴らないでください」
「喫煙禁止場所」
こんなのが張ってある駅も、そうそうお目にかかれるものではありません。
きょうびは防犯カメラが無いと実に危ない。

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旧駅舎から見た黒井駅の旧跨線橋、2004年9月撮影。
駅舎は素っ気無さ過ぎて、美的にはあまり宜しくありませんでしたけれど、この無骨かつ頑健な跨線橋は実に味わいがありました。
鉄骨が水色なのが清新なアクセントになっていて実に宜しい。
内部の荒れ方とは全てにおいて対照的です。

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旧駅舎・旧跨線橋時代の黒井駅構内を直江津方から見る、2004年9月撮影。
直江津港を臨む貨物拠点、そして周辺工場群の物流拠点。
そんな栄光の時代を濃厚に留めていたかつての姿です。
この頃はこの位置から列車を撮影しても、下り列車は充分に画になったのです。

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同じく犀潟駅方から見る、2004年9月撮影。

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直江津方の踏切から見た旧駅舎・旧跨線橋時代の黒井駅構内、2004年9月撮影。

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