« 改金剛型宇宙戦艦の陽電子衝撃砲は無砲身型なのか否か | トップページ | 小出駅(上越線) »

2017年3月 4日 (土)

越後堀之内駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・越後堀之内駅。

Echigohorinouchi0010704

新潟県魚沼市に所在する有人駅で、開業は大正11年(1922年)8月1日。
開業時の所在はかつて三国街道の宿場町であった北魚沼郡堀之内村で、同村の玄関駅でした。
堀之内村は駅開業の四年後に町制を施行して堀之内町になり、平成の大合併の号令下で平成17年(2005年)に近隣諸町村と大合併して、新自治体の魚沼市になって今日に至ります。
駅名に「越後」を冠するのは、当時東海道本線の静岡県下に明治22年開業の「堀之内」駅が存在したからですが、静岡県の「堀之内」駅は昭和31年に現駅名の「菊川」に改称されています。
JR東日本によると、2015年度の当駅一日平均乗車人員は433人で、同社県内有人67駅中55位。
当駅裏には県立堀之内高校が所在していますが、同校は2004年度から定時制高校に移行しています。
堀之内高校が全日制だった2001年度の当駅一日平均乗車人員は770人。
最寄高校が定時制に移行して学生の集中が無くなってしまってから、当駅の利用も急速に減少してしまったのです、それは14年間で44%減。
いかに地方の鉄道利用が学生に依存しているかを、この数字が物語っているのです。

さて自治体史を見ると、鉄道に関して全く触れてないところがある一方で、私のような好事家が瞠目するような濃い話が書かれているところもまたあるのですけれど、旧堀之内町の場合はまさしく後者です。
すなわち現在の飯山線(当時は十日町線と呼称)の計画時に、堀之内村を始め魚沼地方から堀之内-十日町間にすべきという申し入れがあったという話です。
皆様ご存知の通り、現実の飯山線は当駅から西に約8kmの上越線・越後川口駅から分岐しているわけですが、飯山線の当初計画時には上越線との分岐を川口にするのか堀之内にするのかその優劣が検討されたというのです。
それも越後堀之内停車場が開業する3年も前の大正8年にです。

堀之内町史によると、堀之内停車場分岐のメリットとして
1.堀之内村は川口村と比較して人口は二倍以上、主要物産品の生産量はそれ以上であること
2.対東京の利便性は川口よりも距離が短い堀之内が有利。
3.堀之内分岐は川口分岐よりもトンネルや鉄橋が少なくて済むこと(ただし川口-十日町間と堀之内-十日町間の距離自体はほぼ同じ)。
4.川口村より堀之内村の方が隣接する村が多く、周辺からの客貨を期待できること。

想定されるトンネルや鉄橋(それぞれ一箇所ずつ)の数を見ると、この堀之内-十日町線は現在の国道252号線に沿ったルートのようです。
そしてこの検討時に存在していた沿線自治体は、堀之内村と十日町を除くと田川入村(大正15年に堀之内村に編入)と中条村(昭和29年に十日町と合併)。
一方、川口分岐の場合は岩沢村、下条村、中条村。
国道252号線は通ったことがありませんが、現在の飯山線沿線の越後岩沢駅(岩沢村、昭和30年に小千谷市に編入)、下条駅(下条村、昭和30年に十日町市に編入)の周辺を見るに、往時は相応の実力を持った村のように見えます。
ゆえに路線内での需要は川口分岐の方に軍配が上がりそう。
また東京対十日町では堀之内ルートが有利とは言っても、十日町にとっては県都新潟や中越地方の中心である長岡との結びつきも重要で、その場合は対東京とは逆に川口ルートの方が近いことになります。

結局、堀之内分岐案が陽の目を見ることはなく、十日町線は現在の越後川口駅分岐で落着しましたけれど、もし越後堀之内駅分岐になっていたら駅はどこに設置されたのか、風景はどんな感じだろうかと色々想像してみるのもなかなか楽しい事なのですよ。

Echigohorinouchi0020512
Echigohorinouchi0030512
越後堀之内駅駅舎の様子、2012年5月撮影。
建築財産票によると昭和43年10月の竣工。
許容積雪量は250cmで、この屋根の剛健さを見るにああ成る程と納得する次第。
昭和40年前後に完成した駅舎の特徴である窓の大きさがこの駅舎にも見られます。
駅前広場はかなり広いのですが、ご覧のように駐車はナシ。
2008年に訪問した際はタクシーが待機していましたが、この時はナシ。
常駐は止めてしまったのかどうか。

Echigohorinouchi0190512
駅舎から見た越後堀之内駅前通り、2012年5月撮影。
国道17号線は画像中央の十字路の横の道路です。

Echigohorinouchi0040512
Echigohorinouchi0050512
越後堀之内駅駅舎内の様子、2012年5月撮影。
2008年4月訪問時には吹き抜けでしたが、2011年5月に立ち寄った際にはこの形になっていました。
吹き抜け時代には無かった空調もしっかり設置。
間もなく築半世紀のこの建物、このように手を入れたからにはまだまだ使うつもりなのでしょう。

Echigohorinouchi0060408
構内から見た、吹き抜け時代の越後堀之内駅駅舎内の様子、2008年4月撮影。
この時は列車到着30分前からオバチャン集団が待合室で大はしゃぎ。
ゆえに駅舎内の画をまともに撮れずに私は涙目。
オバチャンたちが列車に乗車するために到着キリギリに構内に入り、列車がいまホームに進入しているその時に撮ったのがコレでした。
駅巡りをやっていると、こういう事は間々あるのです。
近所の人らしきおぢさんがベンチで昼寝してたり、いたいけなオバァサンたちの井戸端会議場と化していたり、明らかに未成年のDQ・・・もとい少年たちの喫煙場になっていたり。
凄いケースでは、ほくほく線のうらがわら駅で待合室に寝袋やら自炊用具やら酒瓶やらを並べて、完全にマイルーム化していた登山家風のおぢさんに遭遇したことがあります。

Echigohorinouchi0070512
上りホーム(水上方面乗り場)の小出駅方から見た越後堀之内駅構内の様子、2012年5月撮影。

Echigohorinouchi0080512
上りホーム脇の旧貨物ホームと二本の側線、2012年5月撮影。
ハイモの留置線として活用されています。

Echigohorinouchi0090512
上りホーム端から小出駅方を見る、2012年5月撮影。
左横の二本の側線は一条になって上り本線と繋がっているのがわかります。

Echigohorinouchi0240704
Echigohorinouchi0100511
越後堀之内駅駅舎の上りホーム側の様子、上は2004年7月、下は2011年5月撮影。
国鉄時代の地方の有人駅の標準的スタイルを今なお留めています。
上の画の右側の、ひらがなの駅名表記は私の幼少の目にはひどく印象的でしたっけ。
上越線の急行「佐渡」の車中から目が釘付けでした。
なんであんなに惹かれたんだろうかと、自身の事とはいえ子供の感性はわからんものです。

Echigohorinouchi0110512
越後堀之内駅跨線橋内部の様子、2012年5月撮影。
内部は優等列車停車駅並みの広さです。
窓を開けられなかったので構内の俯瞰撮影が出来ず残念無念。
当駅は堀之内町の玄関駅でありながら、魚沼地域の主要駅の一つである小出駅から僅か2.5kmという近さゆえか、特急列車は勿論、定期急行列車の停車はありませんでした。
やはり主要駅の六日町駅の隣ということなのか、急行停車が叶わなかった塩沢駅と同じ境遇で、駅の規模の割に報われなかったなぁという印象が強いのです。
当駅や塩沢駅よりも利用が少ないのに、飯山線の接続駅ということで昼行急行列車の「佐渡」と「よねやま」が停車していた越後川口駅の贔屓されっぷりと差が有り過ぎです。
ただし「堀之内町史」には「越後堀之内駅に準急列車が停車」という記述があったので、かつての電車準急「ゆきぐに」や「ゆざわ」の停車実績があったのかどうか。

Echigohorinouchi0120512
旧島式ホームの2番線側から見た越後堀之内駅の中心部、2012年5月撮影。
上越新幹線開業前の昭和55年10月改正ダイヤでは、当駅で優等列車を退避する普通列車は一日1本のみ。
新幹線開通後の国鉄末期には、塩沢駅や越後滝谷駅と同様に撤去されていたようです。
仕方が無いこととはいえ、中線廃止による変則対面式の構内は、見映えがよく無いなぁと見るたびに思うところです。

Echigohorinouchi0130512
旧島式ホームの小出駅方から見た越後堀之内駅構内、2012年5月撮影。
古い時代の駅の常として、当駅のホーム配置もやはり千鳥型。

Echigohorinouchi0140512
旧島式ホームの北堀之内駅方から見た越後堀之内駅構内、2012年5月撮影。
ホームの古めかしく頑丈そうな基礎が目を惹きます。

Echigohorinouchi0150512
旧島式ホーム端から北堀之内駅方を見通す、2012年5月撮影。

Echigohorinouchi0160913
小出駅方の陸橋上から遠望した越後堀之内駅構内、2013年9月撮影。
中線跡の、今日では無意味な空間はやはり寂しいのです。

Echigohorinouchi0170512
越後堀之内駅に停車中の115系電車長岡行、2012年5月撮影。
優等列車が思い出の彼方に消え去った後の当駅に日中出入りするのは、115系電車と貨物列車のみ。
そしてこの115系電車も2016年3月改正で全列車がE129系電車に更新されて、過去帳の仲間入りになったのです。

Echigohorinouchi0180512
越後堀之内駅に到着した115系電車水上行、2012年5月撮影。

Echigohorinouchi0200512
越後堀之内駅至近の国道17号線の様子、2012年5月撮影。
とにかくクルマの通行量が多く、こうしてクルマが映りこんでいない画を撮るのに随分と待たされるのです。
駅近くには画像右側のセブンイレブンがあります。
人口一万人弱の旧堀之内町ですが、商業エリアは駅周辺に集中しているので旧町の人口規模以上に賑やかな感じ。
なお国道には南越後観光バス運行の小千谷-小出線が走っていて、小出-越後堀之内-北堀之内-越後川口-小千谷の各駅間の鉄道補完として使えます。

Echigohorinouchi0210512
駅から見て、国道の一本向こうにある道が昔の三国街道でもある旧国道の様子、2012年5月撮影。
国道とは違い、こちらはクルマも少なく寂れた印象を拭えません。
第四銀行の支店が立地しているのは、かつての堀之内中心部であったことの証と言えましょう。

Echigohorinouchi0220512
Echigohorinouchi0230913
旧町内を流れる魚野川の様子、上は2012年5月、下は2013年9月撮影。

|

« 改金剛型宇宙戦艦の陽電子衝撃砲は無砲身型なのか否か | トップページ | 小出駅(上越線) »

R005 上越線の駅」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 改金剛型宇宙戦艦の陽電子衝撃砲は無砲身型なのか否か | トップページ | 小出駅(上越線) »