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2017年3月の記事

2017年3月20日 (月)

さつき野駅、古津駅、妙法寺駅、礼拝駅、西山駅、西中通駅、東柏崎駅記事を改装しました

以前に書いた駅エントリーを、現在のスタイルにアップグレードする作業を適宜進めています。
駅名票画像追加以上の改装については、このカテゴリーでお知らせ致します。

本日、信越本線・さつき野駅古津駅、越後線・妙法寺駅礼拝駅西山駅西中通駅
東柏崎駅に対して画像の貼り替えと加筆修正を実施しました。

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2017年3月19日 (日)

犀潟駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・犀潟駅。

黒井駅はこちらへ←信越本線→土底浜駅はこちらへ
      北越急行ほくほく線→くびき駅はこちらへ

犀潟駅の駅名標

新潟県上越市に所在する有人駅で、開業は明治30年(1897年)5月13日。
開業当時の所在は中頚城郡犀潟村です。
同村は明治34年(1901年)に東隣の潟町村と合併してその西部地域になり、潟町村は昭和32年(1957年)に町制を施行して大潟町になります。
大潟町は平成17年(2005年)に上越市に編入されて、現在に至ります。

かつては駅付近の工場やセメントターミナルの貨物輸送の拠点として、昭和61年まで貨物取扱が行われ、物流面で相応の地位を占めていたここ犀潟駅ですが、旅客駅としては大潟町の玄関駅ではなく(玄関駅は潟町駅)、優等列車が停車する事もなく、ほくほく線が開業してその分岐駅になるまではいたって地味な存在でした。
ほくほく線が開業すると、一日平均乗車人員が新潟県内トップクラスになって統計マニアの目を大きく惹きつけることになりましたが、これは統計上のマジック。
上越線・六日町駅と当駅は、ほくほく線の通過旅客をカウントしているので数字が駅の利用実態と大きく乖離しているのは皆様よくご存知の通りです。
JR東日本によると、2015年度の当駅一日平均乗車人員は704人で、同社新潟県内有人67駅中48位。
ほくほく線に特急「はくたか」が運行されていた最後の年である2014年度は4,497人なので、減少率は約85%という凄まじいものです。
現在の数字はそれだけ減っていても、近隣の特急停車駅の柿崎駅よりもまだ多いのですけれど、当駅の数字はほくほく線直通列車の通過旅客を含んだものですから、純粋な乗車人員はもっと少ないでしょうね。
一日500人を割っているのではと個人的には思うところです。

犀潟駅駅舎
犀潟駅駅舎の様子、2013年10月撮影。
建築財産票を見つけられなかったのですが、北越鉄道の停車場として開業当時からの建物だそうです。
出入り口の上屋の形状はそれを物語っておりますな。
新潟県内では当駅のような古い駅舎が上越地方に集中していて、えちごトキめき鉄道の二本木、谷浜、有間川、梶屋敷、親不知、市振の各駅がそうです。
ウィキペディアの当駅の項の出展にある上越市議会での答弁書を見ると、当駅も南北を結ぶ自由通路を備え、さらにエレベーターの設置や南側広場の整備が計画されていたようで、私はこの件は初耳で驚いたところです。
答弁書でははっきり述べられてはいませんでしたが、「改築」「自由通路」「エレベーター」となれば想定される新しい駅舎は橋上駅舎だったのでしょう。
しかし当駅の利用実績で、橋上駅舎を大金掛けて建設するというのは、上越市としてはやはり考えてしまうところでしょうなぁ。
バリアフリー関係費以外は全て上越市の負担になるのでしょうし。
新潟県内の駅で近年に橋上駅舎化されたのは、越後線の関屋駅と内野駅、白新線の豊栄駅、信越本線の亀田駅と矢代田駅ですけれど、この中で最も利用が少ない矢代田駅でも一日平均乗車人員は四桁で、且つ駅東側の宅地開発と連動しているのです。
当駅の場合も、南口でそのような開発計画が具体化しない限り橋上駅舎化は難しいのではないかと思うところです。
しかし駅舎老朽化は待ったなしの話でもあり、近い将来の改築は必至。
現在と同じく北口だけの駅舎を作ってしまえば、向こう数十年は橋上化はナシということになるので、それを期待していた地元の反発もあるでしょう。
上越市としては、前述のえちごトキめき鉄道内の老朽駅舎の手当も考えなければならないでしょうから、それも含めて頭の痛いところです。

犀潟駅前広場
駅前広場の様子、2011年6月撮影。
駐車スペースは広いのですが、大半は月極になっていました。
私の立ち位置からさらに直江津方に行くと、2011年10月に供用を開始した立派な作りの公衆トイレがあります。
それと引き換えに当駅のトイレは廃止されたのでご注意を。
駅トイレ廃止も駅舎老朽化の影響なんですかねぇ。
近い将来駅舎が改築された場合はトイレ無しなんでしょうねぇ。

犀潟駅駅舎内部その1
駅舎内部の様子、2012年6月撮影。
待合室は仕切られておらず、三人掛けベンチを四脚設置。

犀潟駅駅舎内部その2
1番ホームの柏崎方から見た犀潟駅構内、2011年6月撮影。
この位置だと跨線橋の出入り口が向いておらず駅舎も見えないので、撮影ポイントとしては不適でしょう。

犀潟駅の1番ホームその1
1番ホーム端から柏崎方を見る、2011年6月撮影。
画像左側がかつての貨物線で、このクラスの駅のそれとしては規模が大きいのが特徴。
国鉄末期まで貨物取扱が行われていたのも伊達ではないのです。

犀潟駅の1番ホームその2
1番ホーム駅舎前の上屋とその先の跨線橋出入り口の様子。
当駅のホーム上屋は対面、島式両方とも跨線橋直前だけで、この辺は優等列車の停車しないローカル駅定番の配置なのです。

犀潟駅の1番ホームその3
1番ホームの直江津方から見た構内、2011年6月撮影。
1番ホームは長岡方面乗り場です。

犀潟駅の1番ホームその4
1番ホームの直江津方から見た構内。
古い時代に作られた駅の常として、当駅構内のホーム配置は千鳥型でそれも顕著なものです。
ここまで来ると跨線橋は最早遥か彼方。
現在のホーム有効長を示す黄色の太線も遥か向こうで、画像手前の辺りはホームとして完全に遊休化しています。

犀潟駅の1番ホームその5
1番ホーム端部から直江津方を見る。
国鉄時代の白線の痕跡が辛うじて残っていますが、あと数年もすれば完全に消えてしまいそう。

犀潟駅の跨線橋
跨線橋内部の様子、2011年6月撮影。
優等列車の停車しない駅のそれとしては幅広の通路です。
当駅は有人駅ですが、跨線橋の壁面にポスターが貼られておらず無人駅同様の寒々しい光景なのは、この駅の先行きを不安に感じさせてしまうのです。
あくまで土休日のみの観察ですが、お客が少ないのでいずれは無人化というのも考えられなくはないのですよ。
新潟県内のみどりの窓口設置駅で無人化された例は無いのですが、その方針もいつまで続く事かわかりませんしね。

跨線橋上から見た構内その1
跨線橋上から構内の直江津方を見る、2012年6月撮影。
島式ホーム端部に機関車待機線のような線路が見えます。
現在でも保線車両の留置に使っていたりするのかどうか。

跨線橋上から見た構内その2
同じく構内の柏崎方を見る、2012年6月撮影。
画像左側の広い旧貨物用空間に改めて注目。
貨物側線に加えてホーム端部にも機関車の待機線跡らしきものがあり、剥がされた線路は相当に多いと推察されます。

犀潟駅の島式ホームその1
島式ホームの跨線橋出入り口と上屋直下の様子、2012年6月撮影。
ベンチがほくほく線用の2番ホームに背を向けて設置されているのが、JRと北越急行の力関係を暗示しているような気がしますな。
画像左側の3番線は直江津方面乗り場です。

犀潟駅の島式ホームその2
2番・3番の島式ホーム端から直江津方を見る、2012年6月撮影。

犀潟駅の島式ホームその3
島式ホーム端から十日町方を見る、2012年6月撮影。
2番線はほくほく線普通・快速列車発着用で、特急「はくたか」のみ1番、3番線を通過していました。

犀潟駅の島式ホームその4
2番ホームの十日町方から見た構内、2012年6月撮影。
この時点ではワンマン運転用のミラーが設置されているのが、2番ホームがほくほく線用ホームたる証でした。
しかしE129系電車の投入で、信越本線直江津-長岡間でも2016年3月から一部列車のワンマン運転が始まったので、現在は当駅の1、3番ホームにもミラーが設置されているのでしょう。

犀潟駅の島式ホームその5
2番ホーム端から十日町方を見る、2012年6月撮影。

犀潟駅を出発した115系電車
3番線から出発した115系電車直江津行、2012年6月撮影。

犀潟駅を出発する115系電車
1番線から出発する115系電車長岡行、2013年10月撮影。

犀潟駅に到着するHK100形電車
2番線に到着するHK100形単行の電車越後湯沢行、2011年6月撮影。
この時は東日本大震災の余波で節電が強く叫ばれていた時期で、この列車も所定2両のところを節電対策で単行運行に変えていました。

犀潟駅に停車中のHK100形電車
2番線に停車中のHK100形越後湯沢駅、2012年6月撮影。
上の画像の一年後の同じ列車の画ですが、既に所定の2両編成に戻っています。

犀潟駅を出発するHK100形電車
2番線から出発するHK100形「ゆめぞら」直江津行、2013年10月撮影。

犀潟駅を通過する特急「はくたか」
1番線を通過する越後湯沢行特急「はくたか」、2013年10月撮影。

犀潟駅を通過する485系電車特急「北越」
1番線を通過する485系電車R編成の新潟行特急「北越」、2013年10月撮影。
485系R編成は「北越」廃止後も新潟-糸魚川間の快速列車で運用されていましたが、2017年3月ダイヤ改正で列車廃止となりついに引退しました。
またこの快速列車は当駅に停車していました。
かつての485系運用の快速「くびき野」の停車が叶わなかった当駅ですが、糸魚川快速の停車実現によって国鉄型特急電車の速達運用における停車駅の一つに加えられることになったのです。

犀潟駅前を出発する路線バス
駅前広場にある犀潟駅前バス停から出発する、くびきバス運行の路線バス直江津行、2012年6月撮影。
この撮影時には当駅前に乗り入れるのが直江津-柿崎線で、他に駅付近の県道経由の直江津-鵜の浜温泉線がありました。
2016年秋のバス路線の再編が実施されて、新たに設定された上越妙高駅-鵜の浜線は県道にある「犀潟駅入口」バス停発着で、当駅前には直接乗り入れしていないので利用の際はご注意ください。
なおこの路線は鉄道補完では上越妙高高田直江津、犀潟、土底浜、潟町各駅間の移動に便利です。
平日は上下30本、土休日は上下24本の運行になっています。

犀潟駅前の国道8号線
駅前の国道8号線の様子、2012年6月撮影。
通行量はとにかく多く、日中はひっそりしている犀潟駅とは大違い。
2006年に当駅を訪問した時は、国道を挟んだ向かい側にあるヤマザキショップが、駅至近唯一の買い物処でした。
2012年段階では別の看板になっていて、現在はどうなっているのか確認してません。
国道を柏崎方に歩くと、信越線とほくほく線の分岐点近くにセブンイレブンがありますが、駅からは少々距離があります。
こちらは現在も盛業中のようです。

踏切から見た犀潟駅構内
直江津方の踏切から見た構内の様子、2013年10月撮影。

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2017年3月12日 (日)

新井、出雲崎、石地、荒浜、内野、黒山、二本木、神山、水原、京ヶ瀬各駅記事を統合改装しました

以前に書いた駅エントリーを、現在のスタイルにアップグレードする作業を適宜進めています。
駅名票画像追加以上の改装については、このカテゴリーでお知らせ致します。

本日、新井駅出雲崎駅荒浜駅石地駅内野駅黒山駅について旧記事と新記事の統合を実施しました。
また、二本木駅神山駅水原駅京ヶ瀬駅の画像貼り替え及び加筆修正を実施しました。

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2017年3月11日 (土)

小出駅(上越線)

本日の駅紹介は、上越線/只見線・小出駅。

八色駅はこちらへ←上越線→越後堀之内駅はこちらへ
             只見線→薮神駅はこちらへ

小出駅の駅名標

新潟県魚沼市に所在する有人駅で、同市の玄関駅であります。
開業は大正12年(1923年)9月1日で、当時の所在は北魚沼郡小出町。
小出町は六日町と並ぶ魚沼地方の主要な町で、駅の風格もそれに相応しいものになっています。
戦時下の昭和17年11月1日に只見線・小出-大白川間が開業して、当駅は上越線と只見線が乗り入れる現在の形が確立されました。
人口約一万三千人の小出町は平成の大合併の号令下、2004年11月1日に北魚沼郡の諸町村と合併して新自治体の魚沼市の中心部となり、当駅は人口約三万七千人の新たな市の玄関駅となって今日に至ります。

さて小出駅は魚沼市(旧小出町)中心部とは魚野川を挟んで対岸にあり、街の中心部とは1km近く離れています。
越後堀之内駅から街の中心部に至るには魚野川を鉄橋で渡らねばなりませんから、その辺の事情もあるのだろうとずっと思っていましたけれど、小出町史によると駅があのようなやや不便な場所に設けられたのは、鉄道に対して町にそれほどの熱意が無かったからのようです。
町の意識として、鉄道の駅を町発展のツールとする意識が大きくなく、駅が町の中心から離れていても許容範囲内なら無問題というわけです。
大正時代ともなれば、客貨両面に渡る鉄道の威力は広く知られるところだったでしょうに、何とも淡白な話なのです。
新潟県の駅紹介にあたっては、新潟県内の市町村史を調べて駅設置の謂れを勉強しているのですけれど、このようにユルい話は当駅に関するこの話がほとんど唯一なのですよ。
こういう町の意識の下、小出停車場は町内を流れる魚野川西岸の現在地に置かれることになったのです。
川岸の縦深の無い地形に駅を設置した事は、後世になって大きなツケとなって返ってきました。
それが上越新幹線の駅設置の問題です。
小出は長岡-越後湯沢間のちょうど中間に位置していて、駅設置に程よいところであります。
只見線と接続していて、その辺のアドバンテージもあります。
しかし新幹線駅は、人口規模で小出町とほぼ同格の南魚沼郡大和町内の浦佐駅に決定。
時に昭和46年10月であります。
この結果に憤懣やる方ないのが小出町で、町史によるとこの翌月に「町民総決起大会」を挙行して浦佐駅へ異議アリと高らかに宣言します。
昭和47年2月には、総勢225人もの大陳情団が上京して時の通産大臣・田中角栄氏に直談判するまでにエスカレート。
しかし角栄氏の回答は、「新幹線の駅は技術的問題があるので簡単には動かせない」でありまして、眦を決して談判に及んだ陳情団にとって無情なモノなのでした。
まぁこの駅に新幹線の駅を作るとなると、直線で入るとルートの根本的変更が必要ですし、現在そのままのルートから駅に入るとなると急カープは避けられません。
加えて前述した駅周辺の地形の余裕の無さ。
あの場所に浦佐駅と同規模の立派な駅を作るのはかなり無理があります。
計画段階で大陳情団を繰り出してアピールしておけば、町内の別位置に新駅を設置するのも可能だったかもしれませんが、ルートが確定してしまってから騒いでも遅すぎますなぁ。
かくて昭和48年秋には上越新幹線・浦佐駅の建設が始まり、全ては終わってしまったのです。
新幹線開業前は浦佐駅に対して断然優位であった小出駅も、開業によって在来線特急「とき」が全廃されると一気に斜陽化。
昭和60年3月改正で急行「佐渡」「よねやま」が廃止されると、当駅に停車する幹線筋の優等列車は消滅。
JR移行後まもなく只見線の急行「奥只見」が廃止されて、当駅はついに優等列車の停車しない実質電化ローカル線の小さな拠点駅になって今日に至るのです。

そんな小出駅の2015年度一日平均乗車人員は、JR東日本によると940人。
同社の新潟県内有人67駅中42位です。
高校が付近にある為に学生の集中があり、市の規模を考えれば健闘しているように思えます。

小出駅駅舎その1
小出駅駅舎その2
まだ真新しい小出駅駅舎の様子、2012年5月撮影。
建築財産票を見つけられなかったのですが、ウィキペディアによると2011年8月26日の供用開始です。
下の画像の駅舎右側のガラス張りのところが待合室です。

小出駅前のバス乗り場
駅舎横の路線バス乗り場、2012年5月撮影。
駅前からは鉄道補完として、南越後観光バス運行の穴沢(入広瀬)・大白川線と上越線沿いの六日町線及び小千谷線が発着しています。
特に穴沢大白川線は、超過疎ダイヤの只見線各駅廻りの大きな助けになります。

小出駅の駅名板
町出身の俳優・渡辺謙氏の手による駅名板、2012年5月撮影。
当地域出身の有名人と言えば、私的には渡辺氏と戦隊シリーズ初期の名女形で現在はアクションコーディネーターの竹田道弘さんですな。
戦隊スーツを着ると、体型も挙動もどー見ても女子にしか見えない名人芸でした。

小出駅駅舎内部その1
小出駅駅舎内部その2
駅舎内部の様子、2012年5月撮影。
下の画像の左側が待合室入り口です。
改築で駅舎はすっかり小奇麗になりましたけれど、旧駅舎の持つ幹線の主要駅としての風格は随分薄れてしまいました。
なおトイレは駅構内にしかなく、駅周辺に気軽にトイレを借りられる店は無いのでその点ご注意の程を。

小出駅駅舎内部その3
待合室内部の様子、2012年5月撮影。
一面窓で鼻クソをほじっているのも外から丸見えですが、防犯上はこの方が良いですな。

小出駅の1番ホームその1
1番ホームに接する駅舎と上屋の様子、2012年5月撮影。
1番ホームは長岡方面乗り場になります。
トイレは改札口の向こう側で、新しい駅舎では当然の事ながらバリアフリー対応。

小出駅の1番ホームその2
1番ホーム(下り長岡方面乗り場)の水上方から見た小出駅構内、2012年5月撮影。
上越新幹線開業前はこのホームを目一杯使って、電車特急「とき」が一日5往復停車していたのです。
この時期には他に電車急行「佐渡」四往復と「よねやま」一往復、客車夜行急行「能登」の下りが停車していました。
当駅に「とき」が停車するようになったのは確か昭和47年3月改正からで、新潟-越後湯沢間の電車急行「ゆざわ」が同改正で廃止された代替措置がその始まりではなかったかと記憶しております。
ちなみに昭和55年10月改正ダイヤにおける、小出駅の優等列車停車は下記の如し。
下り                      上り
01:51急行「能登」金沢行        01:08急行「佐渡8号」上野行
03:38急行「佐渡7号」新潟行     08:01特急「とき4号」上野行
09:49特急「とき1号」新潟行      08:24急行「佐渡2号」上野行
11:05急行「佐渡1号」新潟行      11:02特急「とき10号」 上野行
11:48特急「とき5号」新潟行      11:08急行「よねやま」上野行
12:15急行「よねやま」直江津行   15:00特急「とき18号」上野行
16:20特急「とき15号」新潟行    15:06急行「佐渡4号」上野行
17:06急行「佐渡3号」新潟行     17:00特急「とき22号」上野行
18:47特急「とき21号」新潟行    17:42急行「佐渡6号」上野行
21:17特急「とき25号」新潟行    18:00特急「とき24号」上野行
21:49急行「佐渡5号」新潟行

小出駅の1番ホームその3
1番ホームの長岡方から見た構内、2012年5月撮影。
只見線ホームへ至る跨線橋が長いこともあって、地方幹線の主要駅らしい風格満々なのです。
ただホームの上屋は信越本線の特急停車駅に比べると短めで、この辺りはローカル輸送の実態を反映してのものではないかと推察できるところ。

小出駅の1番ホームその4
1番ホーム端から長岡方を望む、2012年5月撮影。

小出駅の1番ホームその5
1番ホーム上の跨線橋出入り口の様子、2012年5月撮影。
地方幹線主要駅としては標準的な幅です。

小出駅跨線橋その1
跨線橋内部の様子、2012年5月撮影。
只見線ホーム乗り場へ向って、途中から幅が狭くなっているのがポイントです。
電化幹線上越線さまとは格が違うんだぞぅと逆アピールしているようです。

跨線橋上から見た構内その1
跨線橋上から構内の水上方を見る、2012年5月撮影。
上越(画像右側)、只見(画像左側)両線間の空所が目に付きます。

跨線橋上から見た構内その2
同じく構内の長岡方を見る、2012年5月撮影。
画像右側の駅裏は道路一本隔てた向こうがすぐ魚野川です。

小出駅の上越線用島式ホームその1
島式ホーム中央部の様子、2012年5月撮影。
上り水上方面乗り場は画像左側の3番線で、右側の2番線(中線)に発着する定期列車は現在ありません。
ちなみに昭和55年10月改正ダイヤでは、当駅での普通列車の特急列車退避が1日3回ありました。

小出駅の上越線用島式ホームその2
島式ホーム2番の長岡方から見た構内、2012年5月撮影。
この2番線に今後定期列車が発着することはもう無いのでしょう。
豪雪地域ゆえに冬季にダイヤが乱れた際の保険で維持しているのかもしれませんが、ダイヤが乱れそうなら先手を打って運休させるのが常態ならば、その必要も無さそうです。
ローカル旅客はそれで良くても貨物列車はそうもいかないでしょうから、その辺の考慮もあるのかもしれませんけれど。

小出駅の上越線用島式ホームその3
小出駅の上越線用島式ホームその4
島式ホーム端から長岡方を見る、2012年5月撮影。

上越線ホームから見た只見線用ホーム
3番ホームから見た只見線の島式ホーム、2012年5月撮影。
跨線橋がひどく大きく見える、低くて小さなホームです。

小出駅の上越線用島式ホームその5
島式ホームの端から水上方を見る、2012年5月撮影。

小出駅の上越線用島式ホームその6
島式ホーム3番の水上方から見た構内、2012年5月撮影。
右手の只見線ホームはJR線のホームというより、軽便鉄道上がりのローカル私鉄線のそれのよう。
出自はまじりっけ無しの国有路線なんですけどね。

構内の転車台
只見線用ホームの先にある転車台、2012年5月撮影。

小出駅の上越線用島式ホームその7
構内中央部の様子、2012年5月撮影。
2番線の使用頻度はレールの色から察することが出来ます。

小出駅の只見線用島式ホームその1
跨線橋出入り口付近から見た只見線用島式ホームの様子、2012年5月撮影。

小出駅の只見線用島式ホームその2
只見線用ホームから見た構内、2012年5月撮影。
構内の離れ小島のような場所に只見線乗り場はあります。

小出駅の只見線用島式ホームその3
上越線用ホームのそれに比べて、幅のずっと小さい只見線用跨線橋出入り口、2012年5月撮影。

小出駅から出発する115系電車
1番線から出発する115系電車長岡行、2012年5月撮影。
当駅のかつての全盛時代を知る唯一の生き証人だったこの電車も、2016年3月ダイヤ改正で新鋭E129系電車に置き換えられて姿を消しました。

小出駅に到着した115系電車
3番線に到着した115系電車水上行、2013年5月撮影。
左側で待機中の只見線気動車は新潟色のキハ47+仙台色キハ40です。

小出駅で待機中のキハ40系気動車その1
3番ホームから見た只見線のキハ40新潟色+仙台色、2013年5月撮影。

小出駅で待機中のキハ40系気動車その2
只見線用の4番線で出発待機中の大白川行、2012年5月撮影。
前年7月の新潟福島豪雨で不通の大白川-只見間が復旧したのはこの約五ヶ月後でした。
大白川止まりの昼過ぎのこの列車、土曜でしたが学生も少なくガラガラでしたっけ。
何だかんだいっても、やはり最低でも只見まで行かないと意味が無い路線かも。

小出駅で待機中のキハ40系気動車その3
小出駅で待機中のキハ40系気動車その4
只見線が全線健在だった頃、小さな島式ホームに並び立つキハ40の両雄。
上は2003年8月撮影、取材目的で只見線に入った記念すべき最初の日でした。
下は2004年10月撮影で、昼過ぎの会津若松行の出発直前です。

小出駅前その1
駅舎前から見た駅前の様子、2012年5月撮影。
駅前には旅館とビジネスホテルがありますが、中心街から離れた駅界隈は公共交通の結節点で、商店街は形成されていません。

小出駅前で待機中の大白川行路線バス
駅前バス停で客待ち中の、南越後観光バス運行の大白川行路線バス、2012年5月撮影。

小出駅前その2
駅から中心街に向かって歩きながら振り返って一枚、2012年5月撮影。
駅は右手になります。

小出橋その1
町を分ける魚野川に架かる小出橋、2012年5月撮影。
両側に歩道の付いた立派な橋です。
画像奥が旧町そして魚沼市の中心街入り口になります。

小出橋上から見た小出駅構内その1
橋上から見た駅構内、2012年5月撮影。
ここからの眺めは素晴らしく、俯瞰フェチの私は色んな角度から撮りまくりましたなぁ。

小出橋上から見た上越線の長岡方面
橋上から構内の長岡方を見る、2012年5月撮影。

小出橋から見た魚野川その1
橋から見た魚野川下流方の様子、2012年5月撮影。
画像左端が小出駅、真ん中の鉄橋は只見線のそれです。
魚野川は鉄橋の向こう側で只見線沿いに流れる破間川と合流するのです。

小出橋上から見た小出駅構内その2
橋上から見た駅裏手の様子、2008年4月撮影。

小出橋から見た魚野川その2
同じく魚野川上流方の様子、2012年5月撮影。

小出橋その2
橋を渡り、振り返って一枚、2008年4月撮影。

旧小出町の中心街
旧町中心街の様子、2008年4月撮影。
豪雪地帯特有の頑健なアーケイド街です。
この辺りには集客力のある店舗はなく、昔ながらの個人商店が立ち並んでいます。
シャッターを閉めている店も目立つのですけれど、アーケイドの視覚的効果もあってそれほど寂れた印象は持ちません。
ただし横道に入ると、あぁ~・・・と口を突いて出てしまいそうな光景も。
前述の大白川行バスに乗るとそこを通ります。
ちなみにこれは小出駅から只見線の薮神駅に歩きながらの一枚。
昼過ぎの列車に薮神駅から乗るには、歩いて行くより他に道無しだったのです。

魚沼市営小出スキー場その1
魚沼市営小出スキー場その2
駅から徒歩10分の、魚沼市営小出スキー場のシーズンオフの様子、2008年5月撮影。
魚沼市域には合併前の旧町村運営のスキー場が点在していますが、いずれも状況は思わしくなく、最も集客性の高い只見線・越後須原駅最寄りの須原スキー場以外からは撤退の方針が打ち出された事があります。
幸い、この小出スキー場は2016年度時点で健在です。

小出スキー場から見た魚沼市中心街
小出スキー場から見た魚沼市中心街、2008年5月撮影。
ここからの眺めも実に素晴らしいのですよ。

小出駅の旧駅舎
小出駅旧駅舎の様子、2008年4月撮影。
建築財産票を見つけられなかったので、完成年月は残念ながら不明。
現駅舎と比べると、運転関係のスペースがある分横長でした。

小出駅旧駅舎内部その1
旧駅舎内の窓口と改札口、2008年5月撮影。
改札口の柵などは上越線全盛時代の遺構的な味わいをかもし出していたものです。
コンコースは実に広々としていて、上越新幹線開業以前は荷物を抱えた優等列車乗客がここで改札が開くのを待ち構えていたのでしょうね。
また旧駅舎時代はトイレも駅構内外にそれぞれあって、客はシモの心配をせずに済んだのです。

小出駅旧駅舎内部その2
改札口から見た旧駅舎内部の様子、2008年5月撮影。
昔はこのクラスの駅には大抵コインロッカーがありましたっけ。
画像左側が待合室出入り口です。

小出駅旧駅舎内部その3
改札口から見た待合室の様子、2008年5月撮影。

小出駅旧駅舎内部その4
待合室内にはキオスクがあって、至近に買い物処の無い当駅では貴重な存在でした。
2008年5月撮影。
この時の待合室開放時間は06:50~20:00で窓口営業時間と同一。
キオスク営業時間は07:40~13:20、14:20~18:00でした。

ホームから見た旧駅舎
島式ホームから見た、旧駅舎の1番ホーム側と上屋廻り、2004年10月撮影。

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2017年3月 4日 (土)

越後堀之内駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・越後堀之内駅。

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越後堀之内駅の駅名標

新潟県魚沼市に所在する有人駅で、開業は大正11年(1922年)8月1日。
開業時の所在はかつて三国街道の宿場町であった北魚沼郡堀之内村で、同村の玄関駅でした。
村は駅開業の四年後に町制を施行して堀之内町になり、平成の大合併の号令下で平成17年(2005年)に近隣諸町村と大合併して、新自治体の魚沼市になって今日に至ります。
駅名に「越後」を冠するのは、当時東海道本線の静岡県下に明治22年開業の「堀之内」駅が存在したからですが、静岡県の「堀之内」駅は昭和31年に現駅名の「菊川」に改称されています。
JR東日本によると、2015年度の当駅一日平均乗車人員は433人で、同社県内有人67駅中55位。
当駅裏には県立堀之内高校が所在していますが、同校は2004年度から定時制高校に移行しています。
同高校が全日制だった2001年度の当駅一日平均乗車人員は770人。
最寄高校が定時制に移行して学生の集中が無くなってしまってから、当駅の利用も急速に減少してしまったのです、それは14年間で44%減。
いかに地方の鉄道利用が学生に依存しているかを、この数字が物語っているのです。

さて自治体史を見ると、鉄道に関して全く触れてないところがある一方で、私のような好事家が瞠目するような濃い話が書かれているところもまたあるのですけれど、旧堀之内町の場合はまさしく後者です。
すなわち現在の飯山線(当時は十日町線と呼称)の計画時に、旧村を始め魚沼地方から堀之内-十日町間にすべきという申し入れがあったという話です。
皆様ご存知の通り、現実の飯山線は当駅から西に約8kmの上越線・越後川口駅から分岐しているわけですが、飯山線の当初計画時には上越線との分岐を川口にするのかこちらにするのかその優劣が検討されたというのです。
それも上越線の停車場が開業する3年も前の大正8年にです。

堀之内町史によると、堀之内停車場分岐のメリットとして
1.当村は川口村と比較して人口は二倍以上、主要物産品の生産量はそれ以上であること
2.対東京の利便性は川口よりも距離が短いこちらが有利。
3.堀之内分岐は川口分岐よりもトンネルや鉄橋が少なくて済むこと(ただし川口-十日町間と堀之内-十日町間の距離自体はほぼ同じ)。
4.川口村より当村の方が隣接する村が多く、周辺からの客貨を期待できること。

想定されるトンネルや鉄橋(それぞれ一箇所ずつ)の数を見ると、この堀之内-十日町線は現在の国道252号線に沿ったルートのようです。
そしてこの検討時に存在していた沿線自治体は、堀之内村と十日町を除くと田川入村(大正15年に堀之内村に編入)と中条村(昭和29年に十日町と合併)。
一方、川口分岐の場合は岩沢村、下条村、中条村。
国道252号線は通ったことがありませんが、現在の飯山線沿線の越後岩沢駅(岩沢村、昭和30年に小千谷市に編入)、下条駅(下条村、昭和30年に十日町市に編入)の周辺を見るに、往時は相応の実力を持った村のように見えます。
ゆえに路線内での需要は川口分岐の方に軍配が上がりそう。
また東京対十日町ではこちらのルートが有利とは言っても、十日町にとっては県都新潟や中越地方の中心である長岡との結びつきも重要で、その場合は対東京とは逆に川口ルートの方が近いことになります。

結局、堀之内分岐案が陽の目を見ることはなく、十日町線は現在の越後川口駅分岐で落着しましたけれど、もしこちら側からの分岐になっていたら途中の駅はどこに設置されたのか、風景はどんな感じだろうかと色々想像してみるのもなかなか楽しい事なのですよ。

越後堀之内駅駅舎その1
越後堀之内駅駅舎その2
越後堀之内駅駅舎の様子、2012年5月撮影。
建築財産票によると昭和43年10月の竣工。
許容積雪量は250cmで、この屋根の剛健さを見るにああ成る程と納得する次第。
昭和40年前後に完成した駅舎の特徴である窓の大きさがこの駅舎にも見られます。
駅前広場はかなり広いのですが、ご覧のように駐車はナシ。
2008年に訪問した際はタクシーが待機していましたが、この時はナシ。
常駐は止めてしまったのかどうか。

越後堀之内駅前通り
駅舎から見た駅前通り、2012年5月撮影。
国道17号線は画像中央の十字路の横の道路です。

越後堀之内駅駅舎内部その1
越後堀之内駅駅舎内部その1
駅舎内部の様子、2012年5月撮影。
2008年4月訪問時には内部空間は一つだけでしたが、2011年5月に立ち寄った際には待合室が仕切られて空間が二つになっていました。
以前には無かった空調もしっかり設置。
間もなく築半世紀のこの建物、このように手を入れたからにはまだまだ使うつもりなのでしょう。

越後堀之内駅駅舎その3
構内から見た、改装前の駅舎内の様子、2008年4月撮影。
この時は列車到着30分前からオバチャン集団が待合室で大はしゃぎ。
ゆえに駅舎内の画をまともに撮れずに私は涙目。
オバチャンたちが列車に乗車するために到着キリギリに構内に入り、列車がいまホームに進入しているその時に撮ったのがコレでした。
駅巡りをやっていると、こういう事は間々あるのです。
近所の人らしきおぢさんがベンチで昼寝してたり、いたいけなオバァサンたちの井戸端会議場と化していたり、明らかに未成年のDQ・・・もとい少年たちの喫煙場になっていたり。
凄いケースでは、ほくほく線のうらがわら駅で待合室に寝袋やら自炊用具やら酒瓶やらを並べて、完全にマイルーム化していた登山家風のおぢさんに遭遇したことがあります。

越後堀之内駅の上りホームその1
上りホーム(水上方面乗り場)の水上方から見た越後堀之内駅構内、2012年5月撮影。
2面3線プラス貨物線という、幹線の「町」の玄関駅の標準形態です。
優等列車停車の格ではないせいか、ホームに架かる上屋はごく控え目です。

旧貨物用ホーム
上りホーム脇の旧貨物ホームと二本の側線、2012年5月撮影。
ハイモの留置線として活用されています。

越後堀之内駅の上りホームその2
上りホーム端から水上方を見る、2012年5月撮影。
左横の二本の側線は一条になって上り本線と繋がっているのがわかります。

上りホームから見た駅舎その1
上りホームから見た駅舎その2
駅舎の上りホーム側の様子、上は2004年7月、下は2011年5月撮影。
国鉄時代の地方の有人駅の標準的スタイルを今なお留めています。
上の画の右側の、ひらがなの駅名表記は私の幼少の目にはひどく印象的でしたっけ。
上越線の急行「佐渡」の車中から目が釘付けでした。
なんであんなに惹かれたんだろうかと、自身の事とはいえ子供の感性はわからんものです。

越後堀之内駅の跨線橋
跨線橋内部の様子、2012年5月撮影。
内部は優等列車停車駅並みの広さです。
窓を開けられなかったので構内の俯瞰撮影が出来ず残念無念。
当駅は町の玄関駅でありながら、魚沼地域の主要駅の一つである小出駅から僅か2.5kmという近さゆえか、特急列車は勿論、定期急行列車の停車はありませんでした。
やはり主要駅の六日町駅の隣ということなのか、急行停車が叶わなかった塩沢駅と同じ境遇で、駅の規模の割に報われなかったなぁという印象が強いのです。
当駅や塩沢駅よりも利用が少ないのに、飯山線の接続駅ということで昼行急行列車の「佐渡」と「よねやま」が停車していた越後川口駅の贔屓されっぷりと差が有り過ぎです。
ただし「堀之内町史」には「越後堀之内駅に準急列車が停車」という記述があったので、かつての電車準急「ゆきぐに」や「ゆざわ」の停車実績があったのかどうか。

越後堀之内駅の旧島式ホームその1
旧島式ホームの2番線側から見た構内中心部、2012年5月撮影。
上越新幹線開業前の昭和55年10月改正ダイヤでは、当駅で優等列車を退避する普通列車は一日1本のみ。
新幹線開通後の国鉄末期には、塩沢駅や越後滝谷駅と同様に撤去されていたようです。
仕方が無いこととはいえ、中線廃止による変則対面式の構内は、見映えがよく無いなぁと見るたびに思うところです。

越後堀之内駅の旧島式ホームその2
旧島式ホームの水上方から見た構内、2012年5月撮影。
古い時代の駅の常として、当駅のホーム配置もやはり千鳥型。

越後堀之内駅の旧島式ホームその3
旧島式ホームの長岡方から見た構内、2012年5月撮影。
左側の上りホームの古めかしく頑丈そうな基礎が目を惹きます。

越後堀之内駅の旧島式ホームその4
旧島式ホーム端から長岡方を見通す、2012年5月撮影。

陸橋上から見た越後堀之内駅構内
水上方の陸橋上から遠望した構内、2013年9月撮影。
中線跡の、今日では無意味な空間はやはり寂しいのです。

越後堀之内駅に停車中の115系電車
旧島式の下りホームに停車中の115系電車長岡行、2012年5月撮影。
優等列車が思い出の彼方に消え去った後の当駅に日中出入りするのは、115系電車と貨物列車のみ。
そしてこの115系電車も2016年3月改正で全列車がE129系電車に更新されて、過去帳の仲間入りになったのです。

越後堀之内駅に到着した115系電車
上りホームに到着した115系電車水上行、2012年5月撮影。

越後堀之内駅至近の国道17号線
駅至近の国道17号線の様子、2012年5月撮影。
とにかくクルマの通行量が多く、こうしてクルマが映りこんでいない画を撮るのに随分と待たされるのです。
駅近くには画像右側のセブンイレブンがあります。
人口一万人弱の旧堀之内町ですが、商業エリアは駅周辺に集中しているので旧町の人口規模以上に賑やかな感じ。
なお国道には南越後観光バス運行の小千谷-小出線が走っていて、小出-越後堀之内-北堀之内-越後川口-小千谷の各駅間の鉄道補完として使えます。

旧堀之内町の中心街
駅から見て、国道の一本向こうにある道が昔の三国街道でもある旧国道の様子、2012年5月撮影。
国道とは違い、こちらはクルマも少なく寂れた印象を拭えません。
第四銀行の支店が立地しているのは、かつての町の中心部であったことの証と言えましょう。

旧堀之内町内を流れる魚野川その1
旧堀之内町内を流れる魚野川その2
旧町内を流れる魚野川の様子、上は2012年5月、下は2013年9月撮影。

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