« 2016年12月 | トップページ | 2017年3月 »

2017年2月の記事

2017年2月25日 (土)

改金剛型宇宙戦艦の陽電子衝撃砲は無砲身型なのか否か

本日から、「宇宙戦艦ヤマト」リメイクシリーズ第2弾・「宇宙戦艦ヤマト2202」の第一話と第二話が劇場公開されます。
我が街は政令指定都市なのに松竹系の映画館が無いので、リメイクヤマトの劇場公開は残念ながら見れません(トホホ)。
私は成人して以来、「マトモな」映画館に足を運んだ事が一度もないので(いわゆる「成人向け」に行って館内の生態を観察した事はありますが)、地元の映画館事情は無知に等しい有様。
昔、ガンダムを見に行った松竹系の古町の映画館は無くなってしまったのだろうなぁと、今頃になって思い出に浸る状態なのであります。

おっと閑話休題。
先日、BS11で放送した特番で第一話前半12分が放送されているのを見ました。
前作「2199」と同じく開始早々に戦闘場面でしたが、人間ドラマが無くなんだか殺伐とした印象。
オープニングナレーションもなんかヘンだなぁと思っていたら、ああ成る程。
あれは大帝ズォーダーさまの独り言でしたのね。
なんでもああして思索に耽る高尚な御方なんだとか。
旧作のようにサーベラーさんをはべらせて美味そうに酒を呑んでドヤ顔という、やり手のオヤヂ臭い面は見せないのでしょうか。
あと大帝の笑い声はどうするんでしょうかね。
旧作でズォーダーを演じた小林修さんの笑い声は、こちらまで愉快になる物凄い豪笑でしたけど、アレは再現困難ではなかろうかと。

戦闘はどこぞの浮遊大陸の成れの果て。
ひょっとして前作でヤマトが波動砲で粉砕した木星浮遊大陸のなれの果て!?
あんなとこまでガトランティス艦隊に押し込まれているのなら地球は相当ヤバいんじゃないの!?
しかしアレは太陽系外のお話のようで、まずは何より。
しかしガトランティス艦隊は強い。
旧作ではヤマトや地球艦隊の砲撃にあっさりぶち抜かれるやられメカだった「大戦艦」転じてガイゼンガン兵器群・カラクルム級戦闘艦の雷撃旋回砲。
艦首に緑色の輪を生じさせて、そこから広域にビームの雨を降らせて敵を殲滅する兵器。
火焔直撃砲もかなり危険な兵器なのに、加えてあんな凄い武器ですよ。
地球やガミラスはショックカノンや陽電子ビーム砲をバンバン撃ったぐらいじゃ、歯が立ちそうにないですよ。
これからあんなのを相手にしなきゃならないのなら、地球連邦政府がイスカンダルとの和親条約を破ってでも波動砲に執着する気持ちもわかるというものです。

ラストではアンドロメダらしき艦が、拡散波動砲の一撃でガトランティス艦隊を殲滅していました。
私は「2202」の情報が公開される以前、アンドロメダは前作で地球を訪れたユリーシャシップや火星から回収したサーシャシップの波動コアを組み込んだ、ヤマト以外では唯一の波動砲搭載艦として描くのではないかと想像を逞しくしておったところです。
しかし蓋を開けてみれば、「前衛武装宇宙艦」に類別されるアンドロメダ級は同型艦も既に完成しているそうで、波動コアの扱いは一体どうなっているのか!?なのです。
ガミラスのデスラー砲は、大型のコアを何個も使ってようやく運用できている様子でしたが、アンドロメダの全長444mから見て、デスラー砲よりもコンパクトなシステム構成なのでしょう。
となると、地球のコア開発技術はガミラスを既に凌いでいるのでしょうか。
またアンドロメダのスペックを見ると。補助機関は「ケルビンインパルスエンジン」。
従来の「コスモタービン」とは違う機関のようですが、どういう種類の機関なのか?
主砲は「収束圧縮型衝撃砲」と呼称するようで、ヤマトの主砲よりもいかにも威力が上がっていそうなネーミングであります。
現在、真田さんたちの手で近代化改修を受けているヤマトの主砲や副砲も、このタイプに変わるのかもしれませんな。

今回、私の目を最も惹いたのは「金剛改型宇宙戦艦」。
前作の金剛型宇宙戦艦の主機を波動機関に換装して、ワープが可能になり主力兵器も従来の高圧増幅光線砲から陽電子衝撃砲に更新されています。
これによって艦の戦闘能力は大幅に向上したと思われますけれど、外観は変化が無いように見えるんですよねぇ。
砲塔も従来と同じだし。
陽電子砲に砲身は必ずしも必要では無さそうなのは、ガミラス艦を見れば明らかです。
砲身型にすれば威力が上がるが、カネも保守の手間もかかるのでとりあえず無砲身型でもOKということなのか?
古代クンの指揮する「ゆうなぎ」は、かつての「ゆきかぜ」ばりの突撃雷撃戦で敵艦を仕留めていましたが、アレは古代クンも砲雷長の南部クンも、無砲身の衝撃砲をあまり評価していないということなのなんでしょうか。
無砲身36サンチショックカノンではガトランティス艦に大して効果が薄いという、かつての光線砲がガミラス艦に通じなかった悪夢の再来なのでしょうか?
また設定にある艦首46サンチ陽電子衝撃砲というのも、なんだか無駄な装備の気がします。
長砲身型なのでしょうから、一発当たりの威力はヤマトの48サンチ主砲より上なのかもしれません。
これまでとは違い、主機で生み出せるパワーも段違いですから、ある程度の連射も可能なのでしょう。
しかし艦首固定式である以上、深宇宙における機動戦では使えないシロモノなのは変わらず。
対要塞用の攻城戦用兵器としては威力不足のようにも思え、私が去年、妄想を書き散らした一連の考察で描いた、敵戦略兵器(遊星爆弾や惑星間弾道弾)迎撃用ぐらいしか使い道が無さそうに思えるのですよ。

また、設定でかなり無理があるのではと感じたのは、改磯風型突撃駆逐艦。
金剛型や村雨型巡洋艦と同様に、磯風型突撃駆逐艦の主機を波動機関に換装したフネです。
あの小型の船体に波動機関というのは、うーむどうなんだろう・・・。
12.7センチ衝撃砲なんて意味のある兵装なんでしょうかね。
それにいくら機関性能が上がってワープ可能になったとしても、あの船体では長期の作戦行動は無理でしょう。
駆逐艦は旧作「さらば」や「2」の駆逐艦をリメイクしてもよかったのではないかと、強く感じるところであります。
波動機関のもたらすパワーは機動性と間接防御力の大幅向上に充て、ショックカノンは装備せず、波動防壁の前方集中で敵弾を凌ぎつつ、艦首に集中装備した空間魚雷の一斉投射で、対ショックカノン防御力を持つ相手にも打撃を与えられる艦をです。

| | コメント (0)

2017年2月24日 (金)

信越本線・土底浜、潟町、上下浜、米山、笠島、鯨波、柏崎、茨目各駅リニューアルのお知らせ

以前に書いた駅エントリーを、現在のスタイルにアップグレードする作業を適宜進めています。
駅名票画像追加以上の改装については、このカテゴリーでお知らせ致します。

本日、信越本線・潟町および柏崎駅の駅舎改装関連のリニューアルと、土底浜上下浜
米山笠島鯨波茨目各駅の画像張替え及び加筆修正を実施しました。

| | コメント (0)

2017年2月19日 (日)

金塚駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・金塚駅。

Kanazuka0020411

新潟県新発田市に所在する無人駅で、開業は大正3年(1914年)6月1日。
開業当時の所在は北蒲原郡金塚村で、同村内唯一の玄関駅でした。
金塚村は昭和30年に隣接する加治村と合併して新自治体の加治川村になります。
どちらかに編入されるのではなく、新たな村名を冠して再出発するあたりは、金塚村と加治村の力関係が拮抗していたことを窺わせます。
実際、村役場は両者のバランスを取るがごとく、金塚駅と加治駅の中間地点に置かれていたのです。
実際に行ってみても、加治川村は玄関駅が旧加治村の加治駅とはいっても、中核となる地域は無いようで、同じような規模の集落が村内に分散している印象を強く持つのです。
そんな加治川村も平成の大合併の号令下、平成17年5月に下越地方有数の都市である新発田市に編入されて、同市の東部地域となり現在に至ります。

かつての加治川村が、旧金塚村と旧加治村の両雄並び立っているような姿であったのを証明するかのように、旧金塚村の玄関駅である金塚駅と旧加治村の玄関駅である加治駅は駅の利用状況もほぼ同じです。
両駅が通年で委託駅であった平成15年度の一日平均乗車人員を見ると、加治駅は318人で同年度のJR東日本新潟県内有人86駅中62位、金塚駅は284人で86駅中67位です。
利用状況も完全無人化された時期もほぼ同じで、双子の兄弟のような両駅なのですけれど、駅の佇まいは全く異なるのがなかなか面白いところです。
双子なのに顔も体型も全く似ていないツインズのようであります。

Kanazuka0020411
金塚駅駅舎の様子、2011年4月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和40年3月で、築半世紀の建物です。
この時期の駅舎の特徴として、やたら窓が大きく採光性が高いのがポイント。
しかし現在、常時活用されている空間は駅舎の半分弱といったところ。
かつての有人駅の御他聞に漏れず、遊休化が著しい駅舎なのです。
この時点では未舗装部分が大半の駅前広場は、ご覧のように車十台は停められる広さです。

Kanazuka0300414
金塚駅前の様子、2014年4月撮影。
こちら側は旧金塚村以来の古い集落という趣。

Kanazuka0030411
Kanazuka0050411
Kanazuka0040411
金塚駅駅舎内の様子、2011年4月撮影。
内部は昭和40年代の空気を濃厚に残しています。
画像上から二番目の左側に、旧窓口が板で塞がれもせず残っているのがポイント。
室内は流石かつての有人駅という広さですが、置かれたベンチはご覧の通りの少なさ。

Kanazuka0060411
駅舎を出て構内に入りつつ振り返って一枚、2011年4月撮影。
西隣の加治駅同様に、駅舎とホームが離れた形態です。
羽越本線の新潟県内区間では、この形態の駅は他に月岡駅平木田駅、坂町駅、岩船町駅が該当します。

Kanazuka0070411
金塚駅跨線橋内の様子、2011年4月撮影。
近隣の平木田駅同様、優等列車停車駅並みの広い通路を持つ堂々たる跨線橋です。
画像左側のホーム番号表示板が国鉄時代そのままで懐かしい。
しかし残念なことに、窓を開ける事が出来なかったので俯瞰マニアの私は残念無念。

Kanazuka0080613
島式ホームの中条駅方から見た金塚駅構内の様子、2013年6月撮影。
画像右側が村上方面乗り場、真ん中が中線、左側が新潟方面乗り場です。

Kanazuka0090613
島式ホームの先から中条駅方を見通す、2013年6月撮影。
この先、画像左手(日本海側)はしばらく田圃が続きます。
ちなみにここから海岸までは約6km。

Kanazuka0100613
島式ホームの跨線橋及び上屋あたりの様子、2013年6月撮影。
このホームにはベンチがありませんので要注意。
ホームで駅撮りする場合、座るところが無くて待つのに少々難儀。
駅舎や隣のホームに、座るために行き来するのも面倒臭い微妙な距離感なのですよ。

Kanazuka0110613
跨線橋直下の島式ホーム端から加治駅方面を見る、2013年6月撮影。
古い時代に作られた駅の常として、金塚駅のホーム配置も千鳥式です。

Kanazuka0120411
島式ホームの左横の旧貨物引込線らしき線路、2011年4月撮影。

Kanazuka0130411
島式ホームと駅舎の位置関係はこんな感じ、2011年4月撮影。

Kanazuka0140411
ホームから見た金塚駅駅舎の様子、2011年4月撮影。
上屋の作りもしっかりしていて流石は国鉄全盛期の産物と言えましょうか。
築半世紀を経過した当駅駅舎は近い将来改築の話が出るのでしょうが、そうなったら駅舎(待合室)はこの上屋の面積程度で収まってしまうかも。
いやひょっとしてら待合室は造らずに、自動券売機を一台置いたきりの、跨線橋に繋がる上屋だけになってしまうかも。
そして島式ホームにベンチを設置すればそれで事足りてしまうかもしれませんな。
今の駅舎の建っている土地は更地にしてしまうでしょうから、駅前広場は際立って広大化するでしょう。

Kanazuka0150411
新潟方面乗り場の加治駅方から見た金塚駅構内の様子、2011年4月撮影。
優等列車停車駅に引けを取らない、堂々たる構内が当駅の魅力であります。

Kanazuka0160613
新潟方面乗り場の中条駅方から見た金塚駅構内、2013年6月撮影。
構内は広いものの上屋がごく小さい辺りは、当駅が営業上はローカル駅に過ぎない証と言えましょう。
国鉄時代に設定されていた快速列車も、加治駅には停車し当駅は通過していましたっけ。

Kanazuka0170613
新潟方面乗り場の端から中条駅方を見る、2013年6月撮影。
中線と上下本線の分岐がよくわかります。
近年はダイヤの整理で金塚駅のせっかくの中線も活用はあまりされておらず、2016年3月改正ダイヤでは定期列車は夜の945M村上行が快速「らくらくトレイン」村上行に道を譲るのみになっています。

Kanazuka0180411
新潟方面乗り場の上屋と跨線橋出入り口周りの様子、2011年4月撮影。
島式ホームとは違ってこちらにはベンチが置かれており、自動券売機も設置されています。
実はこちら側にも駅出入り口があって、外へ出ればそこは行き交う車の切れ目の無い国道八号線。
観察した限りでは、本来の駅舎よりもこちら側からホームに入る利用者が多い印象です。
周辺人口的には、駅の南北は拮抗しているようにも見えるのですけれど。
駅が無人化された現在では、跨線橋は駅の南北を連絡する自由通路としての機能が高いようにも見受けられます。
踏切は少々距離があり、歩行者には負担を強いているのでなおの事なのです。

Kanazuka0190411
国道八号線に面した金塚駅南口の様子、2011年4月撮影。
上屋付きの駐輪場が道路に沿って並んでおり、この辺もこの南口の人気の理由かも。

Kanazuka0310411
国道八号線金塚駅付近の様子、2011年4月撮影。
駅南口から信号を渡るとセブンイレブンがあります。
この店は20年前の道路地図にも載っていて、おそらく優良店なのでしょう。
この辺りでは唯一のコンビニですし、交通量の多い国道に面していてしかも駅前という立地の良さです。
なお、この国道にはバス路線は設定されておらず、金塚駅の公共交通アクセスは羽越線のみになっています。

Kanazuka0200411
新発田方の踏切から見た金塚駅構内の様子、2011年4月撮影。

Kanazuka0210613
金塚駅に到着した115系電車新潟行、2013年6月撮影。

Kanazuka0220414
今では羽越本線からはその姿を消した、E127系電車村上行が金塚駅に停車中、2014年4月撮影。
羽越線では運行本数の少ない電車だったので、撮影のスケジュールを組むのが中々面倒でしたっけ。

Kanazuka0230613
金塚駅に到着したキハ40系気動車新津行、2013年6月撮影。
昔なじみのこの気動車とも、新潟地区ではあと数年でお別れ。

Kanazuka0240613
金塚駅を出発するキハ110系気動車米沢行、2013年6月撮影。
撮影可能な時間帯にこの気動車が金塚駅を通るのは、快速「べにばな」と昼過ぎの回送列車を除けば朝の酒田行と夕方のこの列車のみです。

Kanazuka0250613
金塚駅構内に進入する485系電車R編成の特急「いなほ」新潟行、2013年6月撮影。

Kanazuka0260613
夕刻の金塚駅で運転停車中の485系電車国鉄特急色の特急「いなほ」酒田行、2013年6月撮影。
この先村上方面は単線区間の為、快速「きらきらうえつ」の通過待ちです。
「いなほ」がE653系電車に更新されてからは、「いなほ」のスピードアップで金塚-加治間の複線区間でのすれ違いになった為、当駅での運転停車は解消されています。

Kanazuka0270613
「きらきらうえつ」との行き違いを終えて、中条駅に向かって出発した特急「いなほ」、2013年6月撮影。

Kanazuka0280414
春の穏やかな陽を浴びながら金塚駅を通過するE653系電車の特急「いなほ」新潟行、2014年4月撮影。

Kanazuka0290414
金塚駅を通過するEF510形電気機関車牽引の貨物列車、2014年4月撮影。

| | コメント (0)

2017年2月18日 (土)

宮内、北長岡、来迎寺、越後川口各駅記事リニューアルのお知らせ

以前に書いた駅エントリーを、現在のスタイルにアップグレードする作業を適宜進めています。
文字を大きくするのと駅名票画像追加以上の改装については、このカテゴリーでお知らせ致します。

本日、信越本線・宮内駅の全面リニューアル、信越本線・北長岡駅来迎寺駅、上越線・越後川口駅の駅舎改築や改装関連の記事画像加筆リニューアルを実施しました。

| | コメント (0)

2017年2月12日 (日)

平木田、加治、新崎各駅記事リニューアルのお知らせ

以前に書いた駅エントリーを、現在のスタイルにアップグレードする作業を適宜進めています。
文字を大きくするのと駅名票画像追加以上の改装については、このカテゴリーでお知らせ致します。

本日、羽越本線・平木田駅加治駅、白新線・新崎駅のリニューアルを実施しました。

| | コメント (0)

2017年2月11日 (土)

越後早川駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・越後早川駅。

Echigohayakawa001

新潟県村上市に所在する無人駅で、開業は大正13年(1924年)7月31日。
開業当時の所在は岩船郡上海府村でしたが、、同村内の駅は羽越本線・村上-鼠ヶ関間開通時に当駅と西隣の間島駅の二つが置かれています。
当時は、特に国有鉄道の場合は一村に一駅あれば上出来で、鉄道が通っているのに後年になるまで停車場や停留所は未設置という例も珍しくはありません。
にも関わらず当時の上海府村内に二駅設置という好待遇を受けたのは、岩船地域一帯に強い影響力を持っていた関川村の市井家の意向があったという話です。
羽越線の当初計画では、上海府村内には越後早川駅と間島駅の中程に駅を置く計画だったそうですが、そうなると早川地区の山林で炭を作って重要な商売にしていた市井家にとっては、炭を鉄道で出荷する場合、予定停車場にはやや距離があるのです。
市井家がどの程度当局に働きかけを行ったのかは定かではありませんけれど、結局早川地区に停車場を置くことになり、それが現在の越後早川駅になります。
しかしそうなると隣の村上駅との距離は12kmになってしまい、少々距離が空いてしまいます。
当時の列車の平均速度が30km/hとすると、12kmを走るのに要する時間は24分。
となると列車の運行頻度は毎時一本という計算になります。
それでは輸送力不足と判断されたのか、村上駅に近い位置にもう一駅置かなければならないという事で、追加設置されたのが間島駅なんだとか。
そのお陰で割を食ったのが当初の駅設置予定地区で、おらが村のおらが地区の駅と喜んでいたら、鉄道が開通してみたら越後早川、間島両駅に2km以上ある不便な地になってしまったのです。
あちらを立てればこちらが立たず、なんとも気の毒というか難儀な話なのであります。
私鉄なら敷地を提供すれば停留所ぐらいは作ってくれそうですけれど、当時の国有鉄道ではそういう融通無碍な事はしませんしねぇ。
なお上海府村は戦後の昭和25年に岩船郡瀬波町に編入され、昭和29年には周辺諸村と共に村上市に合併編入されて今日に至ります。

Echigohayakawa0020804
Echigohayakawa0290804
越後早川駅駅舎の様子、2004年8月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和63年3月。
時期的に日本がバブルで踊り出し始めた頃の建物ですが、そういう浮ついた感じが無い端正な小品という佇まいです。
駅前広場は広大ですが、ご覧のように舗装はされていません。
周囲に何も無い当駅訪問者にとって、駅出入り口横の飲料自販機の存在は貴重です。

Echigohayakawa0030610
Echigohayakawa0040610
越後早川駅駅舎内の様子、2010年6月撮影。
待合室内は壁に沿って造られた木のベンチと置き型のベンチと自動券売機。
上の画のドアの向こうは保線の休憩所なのか倉庫なのか、はたまた掲示板になっているところが旧窓口で駅舎改築後に有人だった時期があったのか。
想像を逞しくさせられるところです。
なおトイレは駅舎のホーム側にありますが、この時点では男女共用ながら水洗型になっていました。
現在のところ、私が当駅を訪れたのは2013年が最後なのですが、昨今のトイレバリアフリー化の波に乗って当駅のトイレ事情はその後果たしてどうなっているのやら。
駅巡りをしているとトイレの問題は実に切実な話なのですよ。

Echigohayakawa0050610
酒田方面乗り場の桑川駅方から見た越後早川駅構内の様子、2010年6月撮影。
昔の駅らしく、このようなローカルなロケーションでもホームも構内も広大。

Echigohayakawa0060610
同じく桑川駅方を見通す、2010年6月撮影。

Echigohayakawa0070610
旧貨物引き込み線とホーム跡の様子、2010年6月撮影。
当駅の開業当時は前述の炭の出荷で賑わったのでしょうね。

Echigohayakawa0080610
酒田方面乗り場の駅舎と跨線橋の位置関係、2010年6月撮影。

Echigohayakawa0100610
跨線橋出入り口から振り返って一枚、2010年6月撮影。
トイレの出入り口は画像左の通路の左側です。

Echigohayakawa0090610
酒田方面乗り場の間島駅方から見た越後早川駅構内、2010年6月撮影。
当駅も昔の駅の常としてホーム配置は千鳥式ですが、越後曽根駅のような極端なものではありません。
その辺が国有鉄道と地方私鉄の違いと言うべきなのかどうか。

Echigohayakawa0110610
越後早川駅跨線橋内の様子、2010年6月撮影。
通路は狭く国鉄後期の無人駅標準仕様ですが、利用が少ないからなのか内部は比較的綺麗です。
白色に深緑のラインというのが清潔感を演出しているように見えます。

Echigohayakawa0120513
跨線橋内から間島駅方面を見る、2013年5月撮影。
画像中央にかつての中線の未撤去の線路が見えます。

Echigohayakawa0130513
同じく桑川駅方面を見る、2013年5月撮影。
こちら側の中線は撤去済みです。

Echigohayakawa0140610
島式ホームの桑川方から見た越後早川駅構内、2010年6月撮影。

Echigohayakawa0150610
跨線橋出入り口から見た越後早川駅島式ホームの様子、2010年6月撮影。
旧中線側のホームの白線は既に風化したように消えていたので、線路が撤去されて使われなくなってからかなり経っているように思われます。

Echigohayakawa0290610
Echigohayakawa0160610
越後早川駅島式ホーム上の待合室と内部の様子、2010年6月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和43年10月。
面積は駅舎の約半分で、跨線橋内と同様、ゴミも散らかっておらず清潔ですが使用感はあまり感じられません。

Echigohayakawa0170610
島式ホームの村上方面乗り場の間島駅方から見た越後早川駅構内、2010年6月撮影。

Echigohayakawa0180610
島式ホームの間島駅方から先を見通す、2010年6月撮影。
中線以外に機関車の待機線も敷かれていそうな感じ。

Echigohayakawa0190613
越後早川駅を出発するキハ40系気動車二連の酒田行、2013年6月撮影。
新潟地区向けの電気式気動車導入も近く始まり、この昔懐かしい情景が見れるのも後数年となりました。

Echigohayakawa0200610
越後早川駅に停車中のキハ110系気動車二連の酒田行、2010年6月撮影。
この当時も現在も、キハ110系を当駅で撮影出来るのは朝の新津発酒田行のこの列車のみです。
上り列車は日が最も高い時期でも、桑川駅の夜七時が限界なのですよ。
くだんの新型気動車は新潟、秋田、八戸の各地区に配置するようですが、そうなると郡山にキハ110系を集中配置するのかもしれません。
そうなると羽越線や米坂線のキハ110系も新型気動車に置き換えられる事になるわけで、駅に停車中の画をまだ撮影していない間島、今川越後寒川府屋各駅で早急に実行しなければなりますまい。
しかしキハ40系に対するような思い入れはこの形式には無いので、あまり気合が乗らないのが困ったところ。
E127系電車もそんな感じで、新津-長岡間ではほとんど撮りませんでしたっけ。

Echigohayakawa0210610
越後早川駅を通過する485系電車R編成の特急「いなほ」新潟行、2010年6月撮影。
来る2017年3月改正でこの電車の定期運行も終了です。
大いなる一つの時代がいよいよ終わってしまい、実に寂しい。

Echigohayakawa0220613
越後早川駅を通過する485系電車T編成の特急「いなほ」酒田行、2013年6月撮影。

Echigohayakawa0230513
越後早川駅至近の羽越本線と並走する国道345号線、2013年5月撮影。
付近に信号機が無いので、車は高速で走る手合いが多いのです。
撮影横断には注意が必要です。

Echigohayakawa0240513
国道にある路線バスのバス停「早川駅前」、2013年5月撮影。
このバス停には2017年2月現在、新潟交通観光バス運行の村上-寒川線が停車していますが、一日二往復で土休日は全便運休です。
私が当駅を初めて訪れた2004年秋の時点では、ここから桑川方面に4kmほどの馬下止まりだったので、桑川やその先の今川、寒川までバスで直接行けるようになったのは駅巡りの身にとっては実にありがたい話なのです。
しかし土休日運休というのはねぇ・・・まぁ病院通いのお年寄りが主要な顧客なんでしょうし、それは仕方が無い事ではあるのですが。

Echigohayakawa0250513
道路から見た春の日本海、画像中央に見える島は粟島です、2013年5月撮影。
この時はここで海を眺めながらコンビニ弁当を食したのですが、後方にカモメたちが多数集まってきましたなぁ。
試しにご飯をあげても食べようとはせず逃げようともせず、ただ並んでこちらを凝視するのみ。
鳥たちの視線を背中に感じつつ、潮風に吹かれながらメシを食べる皐月の長閑な昼下がりです。

Echigohayakawa0260610
越後早川駅を出発して隣の間島駅まで約5kmの歩きです、2010年6月撮影。
道路の右側が墓地になっています。
海岸手前まで山地が迫り、平地が狭いこの地域では、墓地の土地確保に難渋した為なのか平地の人目に付くところでこういう風景が間々見られます。

Echigohayakawa0270610
越後早川駅と間島駅の中間地点にある上海府小学校付近の様子、2010年6月撮影。
鉄道敷設の当初計画では、この辺りに停車場を置く予定だったとの事です。

Echigohayakawa0280610
国道をぷらぷらと一時間ほど歩いて、間島界隈に到達、2010年6月撮影。
所謂「笹川流れ」からは外れている海辺の道ですが、こちらの風情もなかなかどうして。
青い空と海と遠い島影を眺めながら歩くのは実に楽しい事なのですよ。

| | コメント (0)

2017年2月 5日 (日)

越後曽根駅(越後線)

本日の駅紹介は越後線・越後曽根駅。

Echigosone0010305

新潟県新潟市西蒲区に所在する有人駅で、開業は大正元年(1912年)8月25日。
開業当時の駅名は「曽根」で、開業翌年の4月に現駅名に改称しています。
当駅の開業時点では既に「曽根駅」は二つも存在しているので、それゆえの「越後」なのでしょうね。
ちなみにその二つとは、明治21年開業の山陽本線兵庫県下の曽根駅と明治45年開業の箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄宝塚線)大阪府下の曽根駅であります。
箕面有馬電気軌道の曽根駅が構い無しで越後鉄道の当駅が改名というのは、当局に田舎者の分際で都会さまの駅名とダブらせるなとバカにされているようで、実に遺憾に思うところなのです。

さて越後曽根駅の開業時の所在は西蒲原郡鎧郷村で、当駅の現在の所在地名から推測するに、鎧郷村に隣接する曽根村との境に近い位置のようです。
曽根村は後の西川町の中心地区であり、こちらの方が駅開業当時でも人口が多そうではあるのですけれど、それにも関わらず鎧郷村内に駅が設けられたのは、鉄道開通前は当地域の交通運輸の要であった西川の存在が大きかったのではと推察されるところです。
曽根村は鎧郷村の西川対岸にあって、曽根村中心部に駅を設けるには、西川を鉄橋で二回越えなければなりません。
西川自体は大きな川ではないのですが、零細地方私鉄である当時の越後鉄道にとって、おカネのかかる架橋は出来るだけ避けたいところでしょう。
なお鎧郷村は昭和五年に町制を施行した曽根町と昭和30年三月に合併して新自治体の西川町になり、越後曽根駅は平成17年三月時点で人口一万二千人余りを擁する町の玄関駅でした。
約半世紀に渡って、日本海側最大の都市新潟市の西端と境を接する自治体として歩んできた西川町でしたが、平成の大合併の大号令下で平成17年三月に周辺市町村と共に新潟市へ合併編入され、同市西蒲区の一部となって今日に至ります。

Echigosone0020612
Echigosone0260612
Echigosone0271106
越後曽根駅駅舎全景、上から順に2012年6月、2008年5月、2006年11月撮影。
よく見ると2006年11月から2008年5月までの間に、屋根や上屋が塗り替えられています。
建築財産票によると昭和41年12月の完成で、築半世紀の駅舎です。
横長平屋の国鉄標準型の建物で、画像左側の、今日では大半が遊休化していると思われる事務運転空間の採光が極めて良好そうであります。
駅舎は近い将来、改築の話も出てくるでしょうが、そうなれば駅舎の規模は今の半分ほどになってしまいそうです。
駅前広場は流石に人口一万二千人の旧町の玄関駅らしく、相応に広大であります。
画像右側にタクシーが一台駐車していますが、何度か訪問して観察したところでは常駐しているわけではないようです。
毎時一本の列車到着に合わせて来ているようでした。
駅前広場には新潟交通観光バス運行の路線バス白根-曽根線が乗り入れていますが、2016年12月時点で平日四往復、土休日は二往復と過疎ダイヤです。
西蒲区のコミュニティバスは旧西川町に設定されておらず、越後線と並行するバス路線はありません。

Echigosone0250508
駅前広場の端にある二階建ての駐輪場、2008年5月撮影。
当駅の一日乗車人員の約八割は学生です。

Echigosone0240612
Echigosone0030612
Echigosone0250612
越後曽根駅駅舎内の様子、2012年6月撮影。
一番上の画像の右側が待合室です。
自動券売機が二台設置されていますけれど、JR東日本新潟支社の券売機複数設置の基準がイマイチよくわからないところです。
当駅よりも乗車人員が多い駅が一台きりだったりしますし。
なおJR東日本によると、2015年度の越後曽根駅の一日平均乗車人員は1,007人で同社新潟県内有人67駅中40位です。
新潟市西蒲区の中心駅である西隣の巻駅は2,471人なので、当駅はその四割に過ぎませんが、旧巻町と旧西川町の人口差もこれとほぼ同等なので、純粋に人口に見合った利用状況と申せましょう。
一日平均乗車人員が千人というのは、新潟支社の自動改札駅の下限レベルであるのですけれど、越後線・新潟-吉田間の有人駅で自動改札未設置駅は当駅のみでもあります。
それなら思い切って自動改札を導入してしまえば区間の有人全駅自動改札化でスッキリ収まるのにと考えてしまうのは素人の浅はかさなんでしょう。

Echigosone0050508
Echigosone0040612
待合室内の様子、上は2008年5月、下は2012年6月撮影。
2008年5月時点では壁に沿ってベンチが置かれており、遊休空間が大きいガランした室内でした。
ウィキペディアによると2002年9月まではキオスクが出店していたようです。
私が当駅に取材目的で初めて降り立ったのは2004年6月の事でした。
もうちょっとこのプロジェクトを始めるのが早ければそれを見ることも出来たであろうにと、少々残念なのであります。
ちなみに私がこういう事を思いついて始めたのは2003年7月で、最初に行ったのは羽越本線・中浦駅でしたっけ。
おっと閑話休題、2012年6月訪問時では待合室内のベンチのレイアウトが全面的に変更されていて、遊休化していた中央部にベンチを集中して設置していました。

Echigosone0070612
越後曽根駅一番ホーム改札付近の様子、2012年6月撮影。

Echigosone0060612
一番ホームの越後赤塚駅方から見た越後曽根駅構内の様子、2012年6月撮影。
ホーム配置は典型的な千鳥式と言えましょうか。
なお列車交換の無い場合、列車発着は基本的にこの一番ホームになります。

Echigosone0080612
一番ホームの巻駅方から先を見通す、2012年6月撮影。
当駅構内はご覧のような際立った千鳥配置のホームになっています。
画像左側の線路は旧貨物引き込み線でしょうか。

Echigosone0090612
一番ホーム巻駅方の跨線橋出入り口、2012年6月撮影。
跨線橋出入り口の前方はすぐホームの端になっています。
かつて越後線唯一の優等列車であった急行「ひめかわ」は当駅には停車しておらず、跨線橋出入り口の狭さは当駅のその立ち位置を表しているかのようです。

Echigosone0100612
越後曽根駅跨線橋内部の様子、2012年6月撮影。
ウィキペディアによると当駅跨線橋は昭和56年の竣工。
この時点で築31年ですが、それ以上の経年を感じさせます。
板張りで安普請感が否めない空間なのであります。

Echigosone0110612
跨線橋通路から駅構内越後赤塚駅方を望む、2012年6月撮影。

Echigosone0120612
同じく巻駅方を望む、2012年6月撮影。
画像右側の駅裏手はこの時点では線路沿いに民家が立ち並んでいるものの、奥行きはあまりありません。
と言うことは、新潟市の新たな新興住宅地としての潜在的発展性を持っていると申せましょうか。

Echigosone0130612
基本的に列車交換時のみ列車が入る二番ホームの巻駅方から見た越後曽根駅構内、2012年6月撮影。
2016年3月改正ダイヤでこのホームに出入りする定期列車は一日六本です。

Echigosone0140305
二番ホーム中央の上屋あたりの様子、2005年3月撮影。
ベンチはご覧のように四人掛けが二脚のみです。
自動改札未設置の越後曽根駅の改札は開くのが概して遅く、列車到着数分前だったりします。
その為、列車の発着が限られる二番ホームを存分に撮影するには、窓口が開く前の早朝六時台を狙うしかないと思い詰めて行きましたっけ。

Echigosone0150305
二番ホームの越後赤塚駅方から先を見通す、2005年3月撮影。
三月中旬でしたが、霜の降りた寒い土曜の朝でした。

Echigosone0160305
二番ホームの越後赤塚駅方から見た早朝の越後曽根駅構内、2005年3月撮影。
画像右側の線路の出自に興味が湧くのです。
元々は島式ホームだったりしたのだろうか?
しかしホームの巻駅方に線路を敷く空間は無いような気も・・・。

Echigosone0170612
越後曽根駅一番ホームで列車交換待機中の115系電車吉田行、2012年6月撮影。
画像右側の二番ホームに、新潟行き列車を待つ人たちが見えます。
2012年3月から2015年3月までの三年間、越後線では新潟市の社会実験として内野-吉田間のデータイム増発が施行されていて、それまでのデータイム一時間ヘッドが40分ヘッドになり、その列車交換の多くは越後曽根駅で行われていました。
しかし結果は惨憺たるもので、乗車人員は実験前を下回ったほどで目標値を大きく割り込んでしまい、増発定期化の要無しとして現在は社会実験以前の一時間ヘッドに戻ってしまっています。
この社会実験失敗で、越後線の内野駅以西の今後の増発の目はほぼ無くなってしまったと申せましょう。
敗因は定期客の減少だそうで、沿線高校のクラス数は三年間で四クラス160人も減ってしまったとの事。
そもそも定期客頼みの増発なんて、この少子化のご時勢では失敗が目に見えていたのですけれどねぇ。
学生以外の需要開拓を余程行わなければあきませんわなぁ。

Echigosone0180612
越後曽根駅で並ぶ越後線のかつての両雄、吉田行の115系電車と新潟行のE127系電車、2012年6月撮影。

Echigosone0190612
越後曽根駅二番線を出発するE127系電車新潟行、2012年6月撮影。

Echigosone0200612
巻駅方の踏切から見た越後曽根駅構内の様子、2012年6月撮影。

Echigosone0280612
同じ位置から巻駅方を見る、2012年6月撮影。
越後曽根駅の駅構内は踏切を越えています。

Echigosone0210612
駅舎から見た越後曽根駅駅前通りの様子、2012年6月撮影。
駅前通りと言っても、前述のように当駅と旧西川町の中心地区とはやや距離があり、この時点ではコンビニ等はありません。

Echigosone0220612
越後線と並行する駅前の道路、2012年6月撮影。
駅周辺で目立つのは画像右側の郵便局ぐらいです。

Echigosone0230612
越後曽根駅から歩いて十分弱の、旧西川町中心部の様子、2012年6月撮影。
人口一万人強の町の中心部ですが、正直なところ、寂れているなぁ・・・という印象しかもてませんでした。
道幅の狭い古い形の商店街で、スーパーは無し。
銀行と画像左手のヤマザキショップが目立つ程度の、車の往来も少ない通りでした。

| | コメント (0)

« 2016年12月 | トップページ | 2017年3月 »