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2016年12月31日 (土)

吉田駅(越後線/弥彦線)

本日の駅紹介は越後線/弥彦線・吉田駅。

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新潟県燕市に所在する有人駅で、開業は当時の越後鉄道の停車場として大正元年(1912年)8月25日。
開業当時の所在は西蒲原郡吉田村で、大正13年に町制を施行します。
その後は周辺諸村を合併編入して町勢を拡大し、人口2万五千弱と市に準じた規模の状態で近隣の燕市、分水町と合併し、人口八万人弱の新たな燕市の南部地域となり今日に至ります。

吉田駅は当初、越後鉄道白山-吉田間の終端としての開業でしたが、その後鉄路は順次当駅から南北西の各方面に伸びていき、大正11年(1922年)4月20日に現在の弥彦線の当駅-燕駅間の開通で、吉田駅の現在の形が確立されたのです。
なお、開業翌年4月には駅名を「西吉田」に改称していますけれど、これは官営鉄道の信越本線に「吉田」駅(現在のしなの鉄道・北長野駅)が開業した為です。
後出しジャンケンでも親方日の丸が圧倒的に強く、ナニ既得権?田舎モンの分際でナニいっとんぢゃあぁん?という具合なのが当時のデフォルトな展開だったのですよ。
その「吉田」駅が近隣の長野電鉄・信濃吉田駅と紛らわしいとの理由で「北長野」に改称したことで、西吉田駅もようやく町名を冠した元の駅名に戻れることとなり、昭和34年10月に46年ぶりの「吉田」駅復活を果たしました。

吉田町史によると、鉄道の開通と吉田駅の開業は当地に多大な利益をもたらしたそうで、代表例として挙げられているのが冬季における新米出荷の話。
鉄道開通前、米の大消費地であり遠隔地への出荷拠点の新潟港を有する県都新潟への物流は全面的に西川の水運に依存していたのですが、冬季は天候不良(雪はあまり降らないのですが、季節風が凄いのです)の為に出荷が予定通りにいかず、不安定なものだったそうです。
その為、吉田界隈の米商人たちは立場的にどうしても弱くなってしまい、米相場の主導権を握るのは新潟の商人に。
それが鉄道開通によって、冬季でもそれまでよりずっと計画的な輸送が可能になり、相場の主導権も新潟の商人にやられっぱなしでは無くなったのです。
また県央地域の工業集積地帯である燕と鉄路で結ばれたことによって、工業の燕、商業の吉田という相互連携が図られることになり、吉田の商業集積地としての役割が高まりました。
吉田が大正後期という早い時期に町制を施行できたのは、鉄道開通による村勢拡大が多分に影響していると思われ、また燕市と吉田町が合併したのも、こういう実利上の背景が昔からあったが故の事なのでしょうね。

さて優等列車が設定されていない非幹線系区間の新潟県内の駅にあって、最大規模を誇るのがここ吉田駅です。
JR東日本によると、2015年度の吉田駅一日平均乗車人員は1,580人。
同社新潟県内有人67駅中28位で、特急が停車し県北の代表的な観光地であり市の玄関駅でもある羽越本線・村上駅と比較しても100人強少ないだけで、周辺人口の規模も考えると相当に高いレベルにあると言えます。
付近に高校が所在し、四方から学生が集中するようになっている当駅の立地が物を言っている気がしますけれど、昨今は県内一学区で県内どの高校でも行けるようになっていますから、昔に比べると立地の優位性も薄れているかもしれません。
・・・実際、吉田駅付近の高校の偏差値は40で県内高校でも下位なのです。
昔の学区制なら、ずっと高い学力があってもそれに見合う学校が学区内に存在せず、やむを得ずその学校に進学というケースも珍しくなかったでしょうが、今は違いますからねぇ。
余談になりますが、新潟県内の高校は偏差値格差が私の受験の頃と比べると大幅に開いていて、その種のサイトを見ると我が母校の凋落ぶりに唖然としてしまいます。
まぁ国立大に行くには数学が規格外に不出来で、浪人必至レベルだった私が大学模試学内一位だったので、そもそもが推して知るべしなレベルだったのですけれどね。
もし当時の学力でこれから受験となったら、どの学校を受験すればいいのか相当に迷うことは必定です。
私みたいな中の上レベルの学力に見合う学校がホントに少ない。
上はどんどんレベルが上がり、下はどんどん下がっていっているのですから。

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吉田駅駅舎の様子、2011年4月撮影。
建築財産票によると昭和37年3月の完成。
駅舎改築時には当駅に新潟鉄道管理局の越後線・弥彦線管理所が置かれていたからなのか、二階建ての立派な建物になっています。
駅前にはタクシーが四台待機中。
路線バスは当駅前から分水、燕三条、弥彦の各方面に燕市循環バスが出ています。
ただし土休日は全便運休なのが残念なところ。
燕三条-吉田-粟生津分水の「スワロー」号は、鉄道で当駅乗り換えよりもずっと便利なんですけどね。

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吉田駅の北吉田駅側に設置されている東西連絡跨線橋上から俯瞰で見た吉田駅前の様子、2011年4月撮影。
駅舎や駅構内の規模の割に駅前広場が狭いのは、当駅の出自がローカル私鉄の停車場であった事の名残でしょうか。

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吉田駅駅舎内の様子、2011年4月撮影。
当時は東日本大震災発災から一ヶ月強で、節電が強く叫ばれている時期でした。
下の画像左側がキオスク及び待合室入り口です。
当時の待合室開放時間帯は午前4時50分から午後22時50分まで。

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待合室内とシャッターの下ろされたキオスク、2008年4月撮影。
当時のキオスクの営業時間は午前6時55分から午後6時35分までで、昼休みが一時間入っていました。
駅付近のコンビニには少々歩かねばならない為、当駅のキオスクには手近な買い物処として便利な存在だったのですけれど、2016年3月で閉鎖されてしまったとの事です。

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一番ホームに面した駅舎とその先の幅広な跨線橋出入り口、2011年4月撮影。

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一番線南吉田駅方から見た吉田駅構内の様子、2011年4月撮影。
越後線と弥彦線のジャンクションである当駅構内の日中は、常に電車がどこかに停まっています。
この時は一、二番線間の側線と五番線に115系電車を留置中。

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一番ホーム端から南吉田駅方を見る、2011年4月撮影。

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一番ホーム北吉田駅方から見た吉田駅構内、2011年4月撮影。
越後線用の一、二番ホームは有効長が大きく、弥彦線用の三~五番ホームの有効長が小さいのが当駅構内の一大特徴と言えます。
越後線が官鉄、弥彦線が私鉄ならこういうホーム配置もわかるのですけれど、両方共私鉄でしかも同じ会社だったのです。
しかも弥彦線開通の頃は、吉田町史によると弥彦線の一日運転本数が11往復に対して越後線は6往復。
両線の需要は現在とは逆だったのですよ。

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一番ホーム端から北吉田駅方を見る、2011年4月撮影。
この辺りは既に遊休化していて、ホームの白線も昔のままです。

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吉田駅跨線橋内の様子、2008年4月撮影。
幅広で方向別に指定された通路です。
朝ラッシュ時には行ったことがありませんが、四方からやって来る学生たちの乗下車乗り換えで混雑するのが目に浮かびますな。

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跨線橋上から南吉田、矢作駅方を見る、2004年6月撮影。
電車が三本停車中で見通し悪し。
画像のデータを見ると撮影は午後一時過ぎで、一番線の115系電車Y編成は一日一往復のみ新潟駅に乗り入れる便かもしれません。

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二、三番島式ホームの北吉田・西燕駅方から見た吉田駅構内、2011年4月撮影。
三番線のホームを伸ばせなかったのは分岐器の障害になるからでしょうね。

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三番ホーム端から西燕駅方を見る、2011年4月撮影。

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二、三番島式ホーム上屋部分の様子、2011年4月撮影。
上屋に造り付けの形で待合室があります。

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二、三番島式ホーム上の待合室内部、2011年4月撮影。
建築財産票が無い為、完成年月は残念ながら不明。
ホーム幅一杯に近い幅広の室内です。
おかげでユトリ有る過ごし易い空間になっていますけれど、そのしわ寄せで待合室横のホームは非常に狭く混雑時には通行の隘路にも。

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四、五番島式ホームの跨線橋出入り口、2011年4月撮影。
一~三番のそれに比べて半分ほどの幅です。

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四、五番島式ホーム端から西燕駅方を見る、2011年4月撮影。

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四番線矢作駅方から見た吉田駅構内、2011年4月撮影。
四番は弥彦方面乗り場です。

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四、五番島式ホーム上の待合室内部の様子、2011年4月撮影。
二、三番のそれと違って、こちらは純正ローカル線仕様。

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四、五番島式ホーム端から矢作駅方を見る、2011年4月撮影。

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北吉田、西燕駅方の踏切から見た吉田駅構内、2011年4月撮影。
三つの乗り場、横長の跨線橋、うねり集散する線路、常に停車留置されている電車。
ここから見る駅構内の眺めは中々に壮観なのであります。

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駅の東西を連絡する構外跨線橋上から見た吉田駅構内北側、2011年4月撮影。

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同じく吉田駅構内東側を見る、2011年4月撮影。

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構外跨線橋を渡って吉田駅東側に出ました、2011年4月撮影。
こちら側に駅出入り口は無く、燕市営駐車場になっています。
国道116号線や旧町役場はこちら側にあるのですけれど。
駅舎も築50年を超えてそろそろ改築を考える時期に差しかかっていると思いますが、その場合はこの駐車場の土地を活用して橋上駅舎化するのが理想的な形でしょうね。
しかし当駅の場合は構内が広い為に自由通路も長くせざるを得ません。
委託駅や無人駅の場合は建物は燕市、バリアフリー関連はJRが出資という形を取るのでしょうけれど、当駅は現在JRの直営駅なので負担率は変わるのが否か。
また建物地元負担の場合、色々見聞するに鉄道に対する意識が後ろ向きの感がある市が、そこまでおカネを出すのかどうか。

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一番線で待機中のE127系電車新潟行、2014年7月撮影。
越後線北部区間でその姿を見るのは稀なE127系電車ですが、2015年3月改正からは弥彦線で主力の座に就いています。

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一番線で待機中の115系電車新潟行と側線に留置中の115系電車、2011年4月撮影。

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全てのホームに115系電車が停車中という壮観な光景、2005年8月撮影。
こんな画は現在もう見れないでしょうな。

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四番線に進入する弥彦発の115系電車Y編成、2005年8月撮影。

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四番線で待機中の115系電車Y編成、2004年5月撮影。
この時点では五番のホーム案内板は無く、乗り場扱いされていませんでした。
正式に五番が付与されて僅かながら定期列車が発着するようになったのは翌年です。

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五番線に留置中の115系電車S編成、2011年4月撮影。

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吉田駅西側の旧町中心部の様子、2011年4月撮影。
かつては一帯の商業地域として活況を呈した街並みも、現在は燕三条界隈が県央地域の一大商業集積地になった事で寂れています・・・。
ご覧のようなどの店もシャッターを閉めています、もうお昼近くなんですけど。

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吉田駅から徒歩十分ほどの踏切至近の弥彦線・西川橋りょう、2011年4月撮影。
弥彦線の鉄路は前方の弥彦山に向かって延びていきます。

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