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2016年12月の記事

2016年12月31日 (土)

吉田駅(越後線/弥彦線)

本日の駅紹介は越後線/弥彦線・吉田駅。

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新潟県燕市に所在する有人駅で、開業は当時の越後鉄道の停車場として大正元年(1912年)8月25日。
開業当時の所在は西蒲原郡吉田村で、大正13年に町制を施行します。
その後は周辺諸村を合併編入して町勢を拡大し、人口2万五千弱と市に準じた規模の状態で近隣の燕市、分水町と合併し、人口八万人弱の新たな燕市の南部地域となり今日に至ります。

吉田駅は当初、越後鉄道白山-吉田間の終端としての開業でしたが、その後鉄路は順次当駅から南北西の各方面に伸びていき、大正11年(1922年)4月20日に現在の弥彦線の当駅-燕駅間の開通で、吉田駅の現在の形が確立されたのです。
なお、開業翌年4月には駅名を「西吉田」に改称していますけれど、これは官営鉄道の信越本線に「吉田」駅(現在のしなの鉄道・北長野駅)が開業した為です。
後出しジャンケンでも親方日の丸が圧倒的に強く、ナニ既得権?田舎モンの分際でナニいっとんぢゃあぁん?という具合なのが当時のデフォルトな展開だったのですよ。
その「吉田」駅が近隣の長野電鉄・信濃吉田駅と紛らわしいとの理由で「北長野」に改称したことで、西吉田駅もようやく町名を冠した元の駅名に戻れることとなり、昭和34年10月に46年ぶりの「吉田」駅復活を果たしました。

吉田町史によると、鉄道の開通と吉田駅の開業は当地に多大な利益をもたらしたそうで、代表例として挙げられているのが冬季における新米出荷の話。
鉄道開通前、米の大消費地であり遠隔地への出荷拠点の新潟港を有する県都新潟への物流は全面的に西川の水運に依存していたのですが、冬季は天候不良(雪はあまり降らないのですが、季節風が凄いのです)の為に出荷が予定通りにいかず、不安定なものだったそうです。
その為、吉田界隈の米商人たちは立場的にどうしても弱くなってしまい、米相場の主導権を握るのは新潟の商人に。
それが鉄道開通によって、冬季でもそれまでよりずっと計画的な輸送が可能になり、相場の主導権も新潟の商人にやられっぱなしでは無くなったのです。
また県央地域の工業集積地帯である燕と鉄路で結ばれたことによって、工業の燕、商業の吉田という相互連携が図られることになり、吉田の商業集積地としての役割が高まりました。
吉田が大正後期という早い時期に町制を施行できたのは、鉄道開通による村勢拡大が多分に影響していると思われ、また燕市と吉田町が合併したのも、こういう実利上の背景が昔からあったが故の事なのでしょうね。

さて優等列車が設定されていない非幹線系区間の新潟県内の駅にあって、最大規模を誇るのがここ吉田駅です。
JR東日本によると、2015年度の吉田駅一日平均乗車人員は1,580人。
同社新潟県内有人67駅中28位で、特急が停車し県北の代表的な観光地であり市の玄関駅でもある羽越本線・村上駅と比較しても100人強少ないだけで、周辺人口の規模も考えると相当に高いレベルにあると言えます。
付近に高校が所在し、四方から学生が集中するようになっている当駅の立地が物を言っている気がしますけれど、昨今は県内一学区で県内どの高校でも行けるようになっていますから、昔に比べると立地の優位性も薄れているかもしれません。
・・・実際、吉田駅付近の高校の偏差値は40で県内高校でも下位なのです。
昔の学区制なら、ずっと高い学力があってもそれに見合う学校が学区内に存在せず、やむを得ずその学校に進学というケースも珍しくなかったでしょうが、今は違いますからねぇ。
余談になりますが、新潟県内の高校は偏差値格差が私の受験の頃と比べると大幅に開いていて、その種のサイトを見ると我が母校の凋落ぶりに唖然としてしまいます。
まぁ国立大に行くには数学が規格外に不出来で、浪人必至レベルだった私が大学模試学内一位だったので、そもそもが推して知るべしなレベルだったのですけれどね。
もし当時の学力でこれから受験となったら、どの学校を受験すればいいのか相当に迷うことは必定です。
私みたいな中の上レベルの学力に見合う学校がホントに少ない。
上はどんどんレベルが上がり、下はどんどん下がっていっているのですから。

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吉田駅駅舎の様子、2011年4月撮影。
建築財産票によると昭和37年3月の完成。
駅舎改築時には当駅に新潟鉄道管理局の越後線・弥彦線管理所が置かれていたからなのか、二階建ての立派な建物になっています。
駅前にはタクシーが四台待機中。
路線バスは当駅前から分水、燕三条、弥彦の各方面に燕市循環バスが出ています。
ただし土休日は全便運休なのが残念なところ。
燕三条-吉田-粟生津分水の「スワロー」号は、鉄道で当駅乗り換えよりもずっと便利なんですけどね。

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吉田駅の北吉田駅側に設置されている東西連絡跨線橋上から俯瞰で見た吉田駅前の様子、2011年4月撮影。
駅舎や駅構内の規模の割に駅前広場が狭いのは、当駅の出自がローカル私鉄の停車場であった事の名残でしょうか。

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吉田駅駅舎内の様子、2011年4月撮影。
当時は東日本大震災発災から一ヶ月強で、節電が強く叫ばれている時期でした。
下の画像左側がキオスク及び待合室入り口です。
当時の待合室開放時間帯は午前4時50分から午後22時50分まで。

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待合室内とシャッターの下ろされたキオスク、2008年4月撮影。
当時のキオスクの営業時間は午前6時55分から午後6時35分までで、昼休みが一時間入っていました。
駅付近のコンビニには少々歩かねばならない為、当駅のキオスクには手近な買い物処として便利な存在だったのですけれど、2016年3月で閉鎖されてしまったとの事です。

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一番ホームに面した駅舎とその先の幅広な跨線橋出入り口、2011年4月撮影。

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一番線南吉田駅方から見た吉田駅構内の様子、2011年4月撮影。
越後線と弥彦線のジャンクションである当駅構内の日中は、常に電車がどこかに停まっています。
この時は一、二番線間の側線と五番線に115系電車を留置中。

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一番ホーム端から南吉田駅方を見る、2011年4月撮影。

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一番ホーム北吉田駅方から見た吉田駅構内、2011年4月撮影。
越後線用の一、二番ホームは有効長が大きく、弥彦線用の三~五番ホームの有効長が小さいのが当駅構内の一大特徴と言えます。
越後線が官鉄、弥彦線が私鉄ならこういうホーム配置もわかるのですけれど、両方共私鉄でしかも同じ会社だったのです。
しかも弥彦線開通の頃は、吉田町史によると弥彦線の一日運転本数が11往復に対して越後線は6往復。
両線の需要は現在とは逆だったのですよ。

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一番ホーム端から北吉田駅方を見る、2011年4月撮影。
この辺りは既に遊休化していて、ホームの白線も昔のままです。

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吉田駅跨線橋内の様子、2008年4月撮影。
幅広で方向別に指定された通路です。
朝ラッシュ時には行ったことがありませんが、四方からやって来る学生たちの乗下車乗り換えで混雑するのが目に浮かびますな。

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跨線橋上から南吉田、矢作駅方を見る、2004年6月撮影。
電車が三本停車中で見通し悪し。
画像のデータを見ると撮影は午後一時過ぎで、一番線の115系電車Y編成は一日一往復のみ新潟駅に乗り入れる便かもしれません。

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二、三番島式ホームの北吉田・西燕駅方から見た吉田駅構内、2011年4月撮影。
三番線のホームを伸ばせなかったのは分岐器の障害になるからでしょうね。

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三番ホーム端から西燕駅方を見る、2011年4月撮影。

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二、三番島式ホーム上屋部分の様子、2011年4月撮影。
上屋に造り付けの形で待合室があります。

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二、三番島式ホーム上の待合室内部、2011年4月撮影。
建築財産票が無い為、完成年月は残念ながら不明。
ホーム幅一杯に近い幅広の室内です。
おかげでユトリ有る過ごし易い空間になっていますけれど、そのしわ寄せで待合室横のホームは非常に狭く混雑時には通行の隘路にも。

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四、五番島式ホームの跨線橋出入り口、2011年4月撮影。
一~三番のそれに比べて半分ほどの幅です。

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四、五番島式ホーム端から西燕駅方を見る、2011年4月撮影。

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四番線矢作駅方から見た吉田駅構内、2011年4月撮影。
四番は弥彦方面乗り場です。

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四、五番島式ホーム上の待合室内部の様子、2011年4月撮影。
二、三番のそれと違って、こちらは純正ローカル線仕様。

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四、五番島式ホーム端から矢作駅方を見る、2011年4月撮影。

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北吉田、西燕駅方の踏切から見た吉田駅構内、2011年4月撮影。
三つの乗り場、横長の跨線橋、うねり集散する線路、常に停車留置されている電車。
ここから見る駅構内の眺めは中々に壮観なのであります。

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駅の東西を連絡する構外跨線橋上から見た吉田駅構内北側、2011年4月撮影。

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同じく吉田駅構内東側を見る、2011年4月撮影。

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構外跨線橋を渡って吉田駅東側に出ました、2011年4月撮影。
こちら側に駅出入り口は無く、燕市営駐車場になっています。
国道116号線や旧町役場はこちら側にあるのですけれど。
駅舎も築50年を超えてそろそろ改築を考える時期に差しかかっていると思いますが、その場合はこの駐車場の土地を活用して橋上駅舎化するのが理想的な形でしょうね。
しかし当駅の場合は構内が広い為に自由通路も長くせざるを得ません。
委託駅や無人駅の場合は建物は燕市、バリアフリー関連はJRが出資という形を取るのでしょうけれど、当駅は現在JRの直営駅なので負担率は変わるのが否か。
また建物地元負担の場合、色々見聞するに鉄道に対する意識が後ろ向きの感がある市が、そこまでおカネを出すのかどうか。

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一番線で待機中のE127系電車新潟行、2014年7月撮影。
越後線北部区間でその姿を見るのは稀なE127系電車ですが、2015年3月改正からは弥彦線で主力の座に就いています。

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一番線で待機中の115系電車新潟行と側線に留置中の115系電車、2011年4月撮影。

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全てのホームに115系電車が停車中という壮観な光景、2005年8月撮影。
こんな画は現在もう見れないでしょうな。

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四番線に進入する弥彦発の115系電車Y編成、2005年8月撮影。

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四番線で待機中の115系電車Y編成、2004年5月撮影。
この時点では五番のホーム案内板は無く、乗り場扱いされていませんでした。
正式に五番が付与されて僅かながら定期列車が発着するようになったのは翌年です。

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五番線に留置中の115系電車S編成、2011年4月撮影。

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吉田駅西側の旧町中心部の様子、2011年4月撮影。
かつては一帯の商業地域として活況を呈した街並みも、現在は燕三条界隈が県央地域の一大商業集積地になった事で寂れています・・・。
ご覧のようなどの店もシャッターを閉めています、もうお昼近くなんですけど。

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吉田駅から徒歩十分ほどの踏切至近の弥彦線・西川橋りょう、2011年4月撮影。
弥彦線の鉄路は前方の弥彦山に向かって延びていきます。

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2016年12月11日 (日)

弥彦駅(弥彦線)

本日の駅紹介は、越後線・弥彦駅。

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新潟県西蒲原郡弥彦村に所在する有人駅で、開業は大正5年(1916年)10月16日。
開業当時の所在は既に弥彦村になっていて、以後今日まで弥彦村の玄関駅として、また万葉集にも歌われ越後随一の神社である「彌彦神社」、そしてその後背の弥彦山の玄関駅であります。
弥彦村は平成の大合併の大号令下、西蒲原郡内の分水町、吉田町と共に燕市との合併が模索されましたけれど結局破談。
分水、吉田両町が燕市と合併した後は、西蒲原郡唯一の自治体として歩んでおります。
吉田町史(現・燕市の一部)によると、弥彦村は昭和29年にも周辺町村(吉田町と粟生津村及び米納津村)との合併話が持ち上がりましたが、合併後の新自治体の町名を「吉田」か「弥彦」のどちらにするかで吉田町と弥彦村が対立し、合併協議会による採決では「吉田」の圧勝。
そもそも投票による新町名決定に反対だった弥彦村側は、投票前に全員退場してしまったんだとか。
かくして合併は吉田町と粟生津村、米納津村の三者で行われたのです。
まぁ弥彦村は彌彦神社に弥彦競輪場に弥彦山、集客力は周辺地域でも突出している感が強く、独自でやっていける目算もあったのでしょうね。
それなら大幅に譲歩してまで合併に加わるメリットはありません。
周辺自治体と合併してしまったら、村の独自性はどうしても薄れてやがて消えてしまうでしょうし。

JR東日本によると、弥彦駅の2014年度一日平均乗車人員は259人で、同社新潟県内有人67駅中57位。
特筆すべきはその内訳で、定期客と定期外客がほぼ同数です。
人口集積地域の玄関駅である新潟駅や長岡駅を除くと、新潟県内有人駅は定期客が乗車人員の6~9割を占めているのです。
その中にあって当駅の数字は極めて例外的なもので、駅付近に高校が無く学生の集中が無いとは言え、観光目的で当駅を利用する客がまだまだ無視できない顧客であることの証明でもあります。
ただ弥彦村史によると、今から50年前の昭和41年の当駅年間乗車人員は825,899人で、単純計算すると一日平均2,263人。
利用の絶対数は半世紀で約9割減であり、ここにもローカル線の厳しい現実があるのです。

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弥彦駅駅舎の様子、2011年6月撮影。
当駅舎は2013年秋にリニューアルされており、この画はそれ以前の姿です。
まぁリニューアルといっても、駅舎の外観が一変するようなものではありませんが。
建築財産票によると、大正5年10月の完成で許容積雪量は70cm。
当時の寺社建築をモチーフとした建物としては、長野駅の旧駅舎と並ぶ代表例なんだとか。
しかし大正5年といったら、海の向こうの西ヨーロッパでは一度の会戦で数万人が死傷する規模の戦いが飽きること無く続いていた頃ですよ。
日本だと帝国海軍二隻目の超ド級戦艦「山城」が完成した頃です。
そんな事を考えながらこの駅舎を眺めて、色々と物思いに耽るのであります。
なお駅前には燕・弥彦広域循環バス「やひこ号」が発着しています。
一日五往復で矢作、吉田両駅との行き来に利用できますが、運行は平日のみなのが来訪者には残念なところです。

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弥彦駅舎内部の様子、2011年6月撮影。
内部空間は極めて広く、弥彦神社参拝客で賑わった往時を今に留めています。
2015年秋には駅舎内が一部リニューアルされて、弥彦山へのハイキング客用の設備が整えられているとの事です。

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弥彦駅待合室内の様子、2011年6月撮影。
この時点では待合室開放時間は駅窓口営業時間と同一で、午前7時10分から午後17時30分まで。
待合室内にはキオスクがあり、現在も盛業中との事。
駅周辺にコンビニは見当たらなかったので、ちょっとした買い物に便利です。
弥彦山登山となれば、エネルギー補給の為にこちらで色々買っておくのが吉。

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改札口から見た弥彦駅駅舎内の様子、2011年6月撮影。
改札の柵も寺社っぽい感じ。
全てが彌彦神社にお参りする雰囲気を高めるような演出の建物なのです。

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ホームに面した駅舎の様子、2011年6月撮影。
上屋を支える支柱の造作がレトロでまた良いのですよ。

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弥彦駅ホームで折り返し待機中の、115系電車Y編成。
2011年6月撮影。
2015年3月改正で全編成運用から離脱して廃車されています。
私は取材目的で三回弥彦駅に降り立っていますが、電車は常にコレでしたなぁ。

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矢作駅方から見た弥彦駅構内の様子、2011年6月撮影。
ご覧の通りの棒線ですが、ホームは幅広です。

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ホーム端から矢作駅方を見る、2011年6月撮影。
一見すると山間部へ分け入るようにも見えますが、右カーブした線路は越後平野の北端に躍り出るのです。

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行き止まりの車止め方から見た弥彦駅構内の様子、2011年6月撮影。
現在、新潟県内で行き止まりの唯一の旅客駅が当駅です。

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ホーム終端部の様子、2011年6月撮影。

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車止め後方の路上から見た弥彦駅、2011年6月撮影。
ここから見ると、行き止まり駅特有の寂寥感と観光地の玄関駅という華やかさが絶妙にハーモナイズされて、見ても見飽きない独特の佇まいなのです。

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おりしも入線してきた吉田発の115系Y編成、2011年6月撮影。
到着17分後に折り返し吉田行として出発です。
2016年3月改正ダイヤでは、弥彦-東三条間直通便は下り1本(最終列車)、上り4本(始発列車と10時~13時台に3本)です。
需要喚起の為には燕三条駅で上越新幹線との接続を改善すると共に、直通列車について配慮する必要があると思いますけれど、現状はこの通りです。
大半の列車は吉田乗換えですが、彌彦神社や弥彦山を訪れるメインと思われる中高年層は乗り換えを嫌いますからねぇ。

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矢作駅方の踏切から見た弥彦駅構内、2011年6月撮影。

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実に広大な弥彦駅前広場と駐車場、2011年6月撮影。
駅前にはタクシーが四台待機中。

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駅前にある廃業して久しい「弥彦観光ホテル」、2011年6月撮影。
心霊スポットとして有名な廃墟だそうですけれど、私はそういうものには興味が無いのでフーンここかってな具合でスルー。
債権問題が色々と面倒で放置せざるを得なかったようですけれど、駅前の一等地にこんなのがあるのは、村にとって実に宜しくない話であります。
諸問題をクリアした上で今月から解体工事を本格化し、2017年3月末に完了予定との事です。

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駅前通りを彌彦神社に向って少し進み、振り返って駅方向を一枚、2011年6月撮影。
駅周辺には前述の矢作駅方踏切の近くにコンビニがありましたけれど、弥彦駅から彌彦神社に向う村のメインストリートにはスーパー、コンビニ共にありませんでした。

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この辺りは人口8千人余りの弥彦村の、足に地の着いた日常の光景と言えましょう。
2011年6月撮影。

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彌彦神社に近づくと、そろそろ旅館の看板が目立つようになります。

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かくしてあちこちフラフラしながら、彌彦神社に到着。
私の足で駅から10分でした。
入り口はご覧のように改修中で残念。

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拝殿に向けて参道を行く。
周りの緑が実に清清しいのです。

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鳥居を越えてその先が拝殿。
世の中には、この鳥居を蛇蝎のごとく嫌う宗教や民族がいらっしゃいますな。

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かくして彌彦神社拝殿に到着。
普段信心の無い俗物の私でも、思わず背筋を正す威厳なのであります。

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拝殿を辞して参道を後にします。

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彌彦神社付近の駐車場とみやげもの店の並ぶ通り。

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彌彦神社付近から弥彦ロープウェイの山麓駅へ向う無料バス。
ここから山麓駅まで歩いて数分なんですけど。

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いよいよ本日のメインイベント、弥彦山登山に出発なのです。

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登山道に入って6分後、休憩所を通過。
時代劇に出てきそうな茶屋でココロを大きく動かされましたけど、とりあえず登山に集中。

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登山道に入って12分後の、二合目付近。
実を言うと、この先三合目でバテてしまって進撃を停止してしまったのです。
勾配が緩やかに見えたので、平地をガンガン歩くペースで進んだらあっという間に体力を消耗しちゃったのですよ。
「戻ってロープウェーで頂上に行っちゃおうか」なぞと弱気の虫に頭を支配されかけていたそんな時、天皇陛下によく似た上品そうな御老人が上がってきました。
歩みはゆっくりですけれどにこやかで実に楽しげに、時折立ち止まって周囲の木々を観察しながらです。
そんな御老体を見て、「オレ、このおじいさんより三周りは余裕で若いのに、こんな程度でくじけちゃいけないなぁ」と、己の弱さに恥じ入りながら前進を再開したのですわ。

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登山道に入って26分後、五合目を通過。
幸い、三合目以降は身体が順応してきたのと勾配にメリハリがあって歩き易くなったので、ペースも回復したのです。

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登山道に入って45分後、八合目を通過。

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かくして標高634mの弥彦山頂上に到着。
登山道に入って一時間ジャストでした。
初登山としてはごくごく平凡なタイムだそうです、まだまだ鍛錬が足りんなぁ・・・。
また登る機会があれば、ペースをうまく調整できると思うのでもう少し時間短縮できるかな。
日本百名山完全人力踏破を達成したあの人なら、30分ぐらいで登っちゃうんでしょうなぁ。

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弥彦山頂上から見た下界の西蒲原。

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同じく日本海の大海原とその先の佐渡島を見る。

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ここが弥彦ロープウエーの「山頂駅」です。

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山頂駅とその右側の弥彦パノラマタワー。
回転昇降式の展望台ですが、万代シティのレインボータワーですら恐ろしくて乗れなかった、筋金入りの高所恐怖症患者の私にはとても無理です・・・。

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弥彦ロープウェイ山頂駅の様子。

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帰路はロープウェイを利用するのが当初からの計画です。
登山でヘコたれたわけではないことを、誓って申し上げておきます。

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かくして山頂駅を出発して下界へ。
細いケーブル、揺れる車体、怖い、実に怖かった・・・
こんなモノの屋根の上でアクションする、スタントマンの方々や藤岡さんや宮内さんやドゥカヴニーさんは凄いです。

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怖いとはいいながらも、頑健な鉄塔の造作には思わず見入ってしまうのです。

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山頂駅から5分で山麓駅に到着です。
2011年6月時点では片道700円、2016年時点では片道750円、往復1,400円です。

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弥彦ロープウェイ山頂駅の様子。
ロープウェイは15分間隔の運行で、2016年5月時点では08:45~17:00です。

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2016年12月 4日 (日)

北長野駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・北長野駅。

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長野県長野市に所在する有人駅で、JR東日本在籍時は信越本線、現在はしなの鉄道・北しなの線に所属しています。
開業は1898年(明治31年)9月1日で、当初の駅名は「吉田」。
現駅名に改称したのは昭和32年4月1日です。
開業時の所在は上水内郡中越村で、信越線・長野-関山間開通から10年目でようやく村の玄関駅が誕生したのです。
北隣の三才駅は戦後しばらくしてからの誕生なので、開業当初の鉄道は長野-豊野間約11kmの間に停車場が一つも無かったことになるのが、現在の目で見ると奇異感が夥し。
まぁしかし、当時の貧弱な蒸気機関車の性能では、そう頻繁に加減速、停車発進を繰り返すわけにもいかなかったでしょうから、それを考えれば致し方のない事だったのでしょうか。
中越村は周辺諸町村と共に、大正12年(1923年)に長野市に編入されて今日に至ります。
当地域が村であった時に子供だった方の御歳は百歳近いわけであります。
もう一世紀も昔の話では、地元で生まれ育った方も「村」の意識は無いんでしょうなぁ。

三才駅で大都市近郊の雰囲気が濃厚になって来たところで、次の北長野駅は人口38万人弱を数える甲信越地方最大の大都市・長野市副都心の様相であります。
JR東日本によると、当駅が同社在籍時の2013年度一日平均乗車人員は2,170人で、同社長野県内有人67駅中12位。
新潟県内の駅との比較だと、越後線・寺尾駅と同格なのですけれど、駅周辺の賑わいは一日平均5,000人以上の乗車人員がある越後線・白山駅よりもずっとあります。
隣の芝生は青く見えるとよく申しますが、それを差し引いても勢いを感じる周辺の様子なのです。

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北長野駅駅舎の様子、2011年6月撮影。
なお画像は全て同日撮影であります。
当駅駅舎は北陸新幹線の高架下にあって、その辺がまた都会的なイメージを増幅させているのです。
建築財産票を見つけられなかったので完成年月は不明ですが、この新幹線高架線は元々長野駅-長野新幹線運転所間として建設されたものなので、1997年10月の長野新幹線開業以前の供用開始であろうことは推察できます。
駅前広場が駐車場になっていて、そこの車の出入りが激しいのが強く印象に残っています。

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北長野駅駅舎内の様子。
駅舎内は吹き抜けです。

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改札口と跨線橋周りの様子。

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一番線三才駅方から見た北長野駅構内の様子。
一番線は豊野方乗り場です。

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同じくホーム端から三才駅方を見る。

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一番線長野駅方から見た北長野駅構内の様子。
これまでの信越本線の諸駅と違って、上屋が長大で現在の列車の編成長なら完全にフォローできています。
従って悪天候の日でも特定の場所に乗客が固まらずに済むのです。
この辺も大都市圏の駅らしいのですよ。

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同じくホーム端から長野駅方を見る。

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北長野駅跨線橋内の様子。
当駅は優等列車の停車駅ではありませんが、大都市圏の駅の利用状況に相応しく通路の幅はそれに準じたレベルです。

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跨線橋上から長野駅方を見る。
上屋が長大なのは利用客にとっては実に喜ばしい話ですけれど、俯瞰マニアとしてはホームの様子が窺い知れないのが不満なところ。

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同じく三才駅方を見る。

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島式ホーム長野駅方から見た北長野駅構内。
右側に留置されているのは209系電車のようです。
当駅の長野駅方寄りにはJR貨物のターミナルがあり、当駅の側線の多くは同社の持ち物のようです。

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島式ホーム端から長野駅方を見る。

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島式ホーム三才駅方から見た北長野駅構内。
この時点(2011年6月)で、二番線への定期列車発着はありませんでした。
ウィキペディアによると現在も予備として残っているそうですが、一番、二番線間の中線共々この先使い道はあるのかどうか。
JR東日本の飯山線列車が乗り入れている関係上、必要とされているんでしょうかね?

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同じく三才駅方を見る。

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島式ホーム中央部の様子。
左側三番線は長野方面乗り場です。
ホーム上のベンチが全て三番線に向いているのは、当駅の二番線に対する当局の見解を無言のうちに物語っていますなぁ。

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北長野駅三番線に停車中の115系電車長野色の長野行。

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北長野駅三番線に停車中の飯山線直通キハ110系気動車の長野行。

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北長野駅三番線から出発する189系電車「妙高」長野行。

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北長野駅前の様子。
駅前道路は交通量が多い上に至近で三叉路になっている為、渋滞気味でした。
おそらく慢性的にこうなのでしょう。
右側の駐輪場は日曜日にも関わらず自転車が鈴なり。
左側の建物は、当駅周辺で最大の集客力を持つ「ながの東急ライフ」。
1990年11月の出店だそうで、バブルの最末期なんですな。

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駅と駅前をつらつらと眺めても、まだ時間があったので数分歩いて長野電鉄の信濃吉田駅まで足を伸ばしてみました。
当駅は北長野駅開業の28年後、大正15年6月に開業しました。

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1997年に完成した信濃吉田駅橋上駅舎自由通路の様子。

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信濃吉田駅改札口周りの様子。
我が新潟の私鉄といえば、古めかしい電車が信濃川の堤防下をゴトゴトと走る新潟交通電鉄線なので、新潟市よりも人口規模の小さい長野市で長野電鉄、富山市で富山地方鉄道が盛業なのは驚異的な話に感じられるのですよ。

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朝陽駅方の踏切から見た信濃吉田駅構内。
当駅から南隣の桐原駅は僅か0.7kmで、ここからでも桐原駅の跨線橋を容易に確認出来ます。

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桐原駅方の踏切から見た信濃吉田駅構内の様子。

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まったくの偶然だったのですけれど、信濃吉田駅の桐原方踏切で長野電鉄2000系電車に遭遇。
この時点で唯一健在だったD編成のようです。
「普通 須坂」とあるので代走運転だったのでしょう。
日曜日なので惜別ファンたちが多いのかと思いきや、車内はガラガラでした。
この電車には昭和55年の夏休みに、湯田中への旅行の際に乗りましたっけ。
気動車急行「赤倉」の冷房の無い自由席で長野駅まで揺られてきた後に、2000系特急に乗り換えて湯田中まで。
車中は程よい乗り具合で、座席確保に汲々とすることもありませんでした。
私が長野電鉄に乗ったのは、その時と学生の時に長野回りで帰省した際に善光寺参りに利用した二回きり。
その時は善光寺下駅で降りたのですが、道に迷って汗だくになり、パニくる寸前まで追い詰められたものです。
道に迷わなければ10分ぐらいで行けるそうですが、あの時は一時間以上さ迷っていました。
長野駅から素直に道なりに歩いた方がずっと速かったw
不案内な土地でフラフラしたがるのが私の昔からの悪癖なのでございます。

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