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2016年9月 4日 (日)

黒姫駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・黒姫駅。

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黒姫駅の駅名標

当ブログのメインコンテンツは新潟県内の鉄道駅紹介ですが、信越本線時代の黒姫-北長野間は189系電車撮影も兼ねて各駅に下車しています。
新潟県内駅に比べると、得られる情報量が少ないのでほんのサワリ程度にしかご紹介出来ないのが遺憾ではありますけれど、ここに記していきたく存じます。

さて黒姫駅はかつての信越本線、現在はしなの鉄道・北しなの線に所属する有人駅で、長野県上水内郡信濃町に所在し、同町の玄関駅です。
開業は明治21年(1888年)5月1日で、開業当時の所在は上水内郡柏原村。
開業当時の駅名は「柏原」で、当時の所在村名にちなんだ命名です。
柏原村は昭和30年7月に富士見村と合併して新自治体・信濃村になり、翌年9月には周辺諸村と合併して町制を施行。
新自治体・信濃町にめまぐるしい変身を遂げて今日に至ります。
駅名は昭和43年10月に現駅名の「黒姫」に改称されましたが、自治体名は長野県の旧国名であるので地域の特色を打ち出せずNGといったところでしょうか。
当駅北西には黒姫高原、北東には野尻湖という観光地があり、また当地は俳人・小林一茶の出身地でもあります。
この中で観光客を呼び込めるキャッチーな駅名をとなると、やはり「黒姫」になるでしょうなぁ。
私が選考委員でも文句なくこちらを選ぶと思います。

さて信濃町史によると、当地の停車場は当初案では当時の柏原村と古間村の村境あたりの設置が計画されていたそうです。
現在の国道18号線(北国街道)と信越本線の交差する辺りのようです。
しかしここだと柏原村の宿場町にごく近い為に現地の反対に遭い、已む無く当時は無人の野であった現在地に落ち着いたとの事。
柏原停車場の開業は明治21年と比較的早い時期であり、陸上交通は江戸時代さながらというのが当時の地方の実態であり、無知無理解と既得権益維持の両面からこのような反対運動が起きるのも無理は無いのです。
しかし結果は惨憺たるもので、鉄道開通によって柏原の宿場町はみるみるうちに衰退してしまったのです。
これは新潟県側の妙高高原駅と関川の宿場町の関係と同一の話で、全国各地で鉄道駅を誘致しなかった宿場町に見られる衰退の詩集の一典型と申せましょう。

このようにして誕生した柏原停車場は宿場に代わる旅客・物流の主役になり、やがて沿線の観光開発の進展と共に観光駅として発展していくことになります。
昭和55年10月改正ダイヤでは、特急「あさま」(上野-直江津間)1往復、急行「妙高」3往復(上野-妙高高原・直江津)、急行「赤倉」1往復(新潟-名古屋間)、急行「とがくし」2往復(新潟-上田間)の計7往復が停車しています。
北隣の妙高高原駅はこの他に特急「白山」(上野-金沢間)3往復が停車しているので、当駅はそれに比べればやや格落ちの感はあるものの、新井市の玄関駅である新井駅と優等列車の停車に関しては同格です。
自治体の人口規模(新井市は信濃町の三倍近い人口)を考えれば、当地の観光需要の多さが窺い知れます。

かつては上野直通の特急列車が停車するなど繁盛した黒姫駅でしたけれど、その後の新幹線と高速道開通によってその立場は激変。
2001年末に当駅に唯一停車する特急「みのり」(長野-新潟間)1往復が廃止され、当駅への定期優等列車停車は消滅してしまったのです。
JR東日本在籍時最後の統計である2013年度の当駅一日平均乗車人員は389人。
同社長野県内有人67駅中42位でした。
北隣の妙高高原駅も同レベルで、両者共に駅周辺に高校が無い為に学生の集中が無く、観光需要の衰退と地域の過疎化で正直なところ上がり目は・・・。
過去の栄光を考えると実に辛い話なのですが、これが地方ローカル鉄道化した旧信越本線の実態なのです。

黒姫駅駅舎その1
黒姫駅駅舎その2
黒姫駅駅舎の様子、2011年6月撮影。
なお、画像は全て同年同月の撮影であります。
過去の栄光の日々の残照を濃厚に残す駅舎です。
建築財産票を見つけられなかったのですが、信濃町史によると昭和7年8月の完成との事。
駅前には黒塗りの高級そうなタクシーが二台待機中。
昔はもっと多かったんでしょうなぁ。
時間があれば野尻湖見学にタクシーを使って、運転手の方に昔の話を聞いておくべきでしょうな。
もう少し経つと、昔の事を知っている方も引退してしまうでしょうから。
下の画像中央の跨線橋は、駅の南北を結ぶ自由通路です。

黒姫駅駅舎内部その1
駅舎内の窓口と改札周りの様子。
内部の様子はビジネスライクな新潟県内のそれとは明らかに異質です。
いかにも高原風で開放的。
観光でメシを食っていくんだという気概を感じさせます。

黒姫駅駅舎内部その2
駅舎待合室内の様子。
当日は日曜日でしたが、キオスクは閉まっていました。
左のソバ屋さんは盛業中。
信濃町史によると、当駅キオスクの前身の売店は昭和12年4月に開設され、戦時中に一時廃止された後、戦後は昭和29年12月から鉄道弘済会による通年営業になったそうです。
ソバ屋さんは昭和38年からやっているということで、両者共に「柏原」駅時代、そして当駅の最盛期を知る存在なのです。
残念ながらキオスクは、しなの鉄道移管直前に撤退。
ソバ屋さんは盛業との事で何よりです。

黒姫駅の1番線その1
1番線の妙高高原方から見た構内。
この辺りまでかかる長編成の定期列車はこの時点で存在せず。
上に架かっているのは前述の自由通路です。

黒姫駅の1番線その2
1番ホーム端から妙高高原方を見る。
手前に189系電車「妙高」号の指定席車乗車口案内があります。

黒姫駅の1番線その3
1番線の豊野方から見た構内。
開放的で広々とした構内です。

黒姫駅の1番線その4
1番線のホーム端から豊野方を見る。

黒姫駅の跨線橋
跨線橋内部の様子。
優等列車停車駅に相応しい通路の広さです。
信濃町史によると、この跨線橋は地元負担で建設され昭和25年2月に完成との事。
通路の広さなどは完成当時のままでしょうから、今後の観光需要を見据えた先見の明の賜物であったのかもしれません。
信濃町史は鉄道に関して記述が多く、町の鉄道に対する思いを強く感じる事が出来て実に好印象。
鉄道に関して一行たりとも書かれていない新潟県内のアノ市やコノ町らとは大違いです。

跨線橋上から見た構内その1
跨線橋上から構内の豊野方を望む。
画像左側を見るに、引込線は少なくとも二線あったのがわかります。

跨線橋上から見た構内その2
同じく構内の妙高高原方を望む。
かつては上下線の間に中線があったのでしょうな。

黒姫駅の島式ホームその1
島式ホームの跨線橋出入り口と上屋の様子。

黒姫駅の島式ホームその2
島式ホームと1番ホームに接する駅舎の様子。
取材時点では島式ホームの2番線は一日一回、夜の妙高高原行のみで使用されていました。

黒姫駅の島式ホームその3
島式ホーム端から妙高高原方を見る。
当駅から妙高高原駅までは複線になっていますが、優等列車も貨物列車も通らぬ現在では過剰な設備と言えます。

黒姫駅の島式ホームその4
島式ホームの3番線の様子、3番線は妙高高原方面乗り場です。
この線路の右横にもかつては線路があったのでしょうね。

黒姫駅の島式ホームその5
島式ホームの豊野方から見た構内。

黒姫駅の島式ホームその6
島式ホーム端から豊野方を見る。
この先は単線になっています。

黒姫駅に到着した189系電車「妙高」
1番線に到着した189電車使用の普通列車「妙高」長野行。

黒姫駅を出発する189系電車「妙高」
前掲の長野行「妙高」と同時発車の直江津行「妙高」。
当時は「妙高」の本数が多かったのでこのような光景も見れたのです。
取材翌年の2012年3月改正で「妙高」の運行本数はそれまでの5往復から2往復減の3往復になりました。
3往復だと、各駅での停車画を撮るには沿線に数回通わなければならなかったので、早い内に撮れて実にラッキーだったのです。
油断している向きが多かったのか、ご同業の方には一人も出会いませんでしたな。

自由通路上から見た構内その1
自由通路上から俯瞰で見た構内。

自由通路上から見た構内その2
同じく妙高高原方を俯瞰で望む。

黒姫駅の南側
自由通路を渡って駅南側から見た駅舎。

駅南口広場
南口広場の様子。
こちら側は昔日の村らしい風景です。

踏切から見た黒姫駅構内
妙高高原方の踏切から見た構内。

黒姫駅北口広場
駅北口広場の様子。
駅前広場はご覧のように広く、かつては観光バスも多数発着していたのでしょう。

黒姫駅通り
駅前通りの様子。
この通りは当地出身の俳人・小林一茶にちなんて「一茶通り」と呼ばれています。
道沿いには地元資本のスーパーが一軒ありました。

陸橋上から見た黒姫駅構内
駅の豊野方に架かる県道の陸橋上から見た構内。
画像右側が町の中心部、そして小林一茶ゆかりのエリアになります。

一茶記念館
駅からフラフラ歩き、13分ほどで「一茶記念館」に到着。
小林一茶の人生と俳句の世界を知り、学ぶことが出来ます。

Kurohime0310611
「一茶記念館」の建物。
日曜の館内は多くの人が見学していました。
俳人ということもあって、ほぼ全員が年配の方。
見たところ、一番の若造は他ならぬ私でしたなw
館内は小林一茶関連に加えて往時の「柏原宿」の再現ジオラマもありました。
北国街道沿いに多くの建物が密集して建てられていて、中々の壮観。
建物の裏手はすぐ田畑になっていて、昔の宿場ってこんなに縦深(横深?)が無かったのねと少々の驚きも。
なお記念館内には図書室もあって、参考文献の「信濃町史」はそこで読みました。

ねこ館長のうみニャンコ殿その1
ねこ館長のうみニャンコ殿その2
ねこ館長のうみニャンコ殿その3
「一茶記念館」名物が、ねこ館長のうみニャンコ殿。
館内の巡回を終えて、私のすぐ後ろから表に出ていらっしゃいました。
しゃがんでウィンクしながら声をかけさせていただいたら、目の前でこのようにあられもないお姿を見せていただきました。
顔洗いを終えられると、「ハイ今日のサービスはここまでニャ」という風に、何事も無かったかのように向かいのみやげ物屋さんに悠然と歩き去っていかれました。
うみニャンコ館長殿は今もご壮健のようで何よりでございます。
ただこの当時より少々太ましくなられたようであります。

うみニャンコ殿最優先の張り紙
「一茶記念館」構内にはこのような掲示があります。
ねこ館長うみニャンコ殿が最優先なのは言うまでもないことです。

俳諧寺
「一茶記念館」に隣接してこのような建物も保存展示されています。
これは「俳諧寺」といって、小林一茶を慕う地元の方々によって明治43年に建てられたそうです。

小丸山公園
「一茶記念館」に隣接する、なかなか趣きのある小丸山公園。

国道18号線沿いの柏原宿
「一茶記念館」界隈から少し歩いて国道18号線に出ます。
この辺りが往年の宿場町「柏原」です。

史跡小林一茶旧宅
北国街道の南の外れにある「史跡小林一茶旧宅」。
小林一茶は柏原宿の大火で家を失い、焼け残ったこの土蔵で火事から約四ヶ月後にここで亡くなりました。

一茶の弟屋敷
平成12年に復元された、一茶の弟屋敷。

野尻湖行の路線バス
黒姫駅と野尻湖を結んでいた長野電鉄運行の路線バス。
2011年当時は信越本線の列車に接続する形で毎時一本が運行されていました。
観光閑散期の梅雨時の日曜ではありましたがガラガラだったので、先行きを少々懸念しておったところです。
その翌年(2012年)に当地域の路線バスの再編があり、多くの路線から長野電鉄が撤退。
現在、野尻湖アクセスに関しては信濃町が季節運行の「観光シャトル便」を運行しています。
しかし本数は一日四便と僅少で、鉄道で当地に降り立ち野尻湖に行こうと思ったらタクシー利用か約4kmの歩き他無しなのです。
また鉄道補完では黒姫駅前から古間、牟礼にバス路線が設定されていますが、両駅前には立ち寄らないようです。
一日三往復で土休日運休になっています。

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