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2016年9月の記事

2016年9月18日 (日)

牟礼駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・牟礼駅。

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牟礼駅の駅名標

長野県上水内郡飯綱町に所在する有人駅で、JR在籍時代は信越本線、現在はしなの鉄道・北しなの線に所属しています。
開業は明治21年(1888年)5月1日で、開業当時の所在は上水内郡牟礼村。
牟礼村は当駅開業直後の1890年に中郷村と改称し、昭和30年4月に隣接する高岡村と合併して再度牟礼村を名乗ります。
二代目の牟礼村は平成の大合併の中、隣接する三水村と合併して町制を施行し、新自治体・飯綱町になって今日に至ります。

牟礼村史によると、牟礼停車場が置かれたのは当時の村北東端だったとの事で、北国街道の牟礼宿からはやや離れています。
宿場に当時の常であった鉄道に対する忌避感があった故の事なのかもしれませんが、関川宿(妙高高原)や柏原宿(黒姫)のように、街道そのものと鉄道が大きく離れているわけではないのでその辺の忌避感もそれほどではなかったのではないかと推察さるところです。
ともあれ鉄道開通によって当地にも外部から色々と文物が入ってくるようになり、その代表例が「魚屋」です。
牟礼村史によると、鉄道開通によって村に初めて魚屋が出来たのです!
村でそれまで魚と言えば、川で獲った川魚を自分たちで食する程度だったのでしょう。
それが鉄道によって日本海側から海魚が入ってくるようになり、商売として成立するようになったのでしょうね。
まさに消費革命であり、起業の夜明けだったのであります。

そんな牟礼駅のJR東日本所属時代の2013年度一日平均乗車人員は767人。
同社長野県内有人67駅中32位でした。
自治体の人口規模が同レベルの黒姫駅の約二倍の数字で、当駅付近に高校があるのが大きなアドバンテージになっているようです。
観光利用が廃れた現在では、やはり学生の集中無くして大きな数字は出せないのであります。
なお牟礼駅には優等列車停車の実績も僅かながらあって、国鉄末期には新潟-長野・松本間の急行「とがくし」「南越後」が上下一本ずつ停車していました。

牟礼駅駅舎その1
牟礼駅駅舎その2
牟礼駅駅舎の様子、2011年6月撮影。
なお撮影は全て同日であります。
建築財産票を見つけられなかったので完成年月は残念ながら不明。
相当に年季の入った建物ですが、色々と手は入れられています。
古い駅舎の常として、駅構内外にそれぞれトイレがあるのは来訪者にとって嬉しい限り。

牟礼駅駅舎内部その1
駅舎内部の様子。
黒姫駅駅舎と比べるとずっとコンパクトです。
往時でもそれほどの観光需要が無かった為でしょうか。

牟礼駅駅舎内部その2
待合室の様子。
壁にそってベンチが配されているのは昔の駅舎の特徴と言えます。
時計の上にツバメの巣があるのは、微笑ましいというかはた迷惑というかビミョーな感じ。

牟礼駅の1番線その1
1番線の豊野方から見た牟礼駅構内。
上下線間の中線跡が実に目立ちます。

牟礼駅の1番線その2
1番ホームに接した改札口周りの様子。

牟礼駅の1番線その3
改札口から跨線橋出入り口前には小さな上屋が置かれて風雨を凌げるのが、利用者にとって好印象なのです。

牟礼駅の1番線その4
1番線の妙高高原方から見た構内。
斜陽という言葉が頭をよぎる閑寂な風情です。

牟礼駅の1番線その5
ホーム端から妙高高原方を見る。

1番ホーム脇に立つ天狗像
1番ホーム脇に立つ牟礼駅のシンボル・天狗像。
飯綱町内にある標高1,917mの火山・飯縄山の山岳信仰に基づくという飯縄権現が天狗の姿であることから、町では天狗がシンボルのようになっています。

牟礼駅の跨線橋
跨線橋内部の様子。
昭和31年5月の完成ですが、内部の状態は良好です。
通路幅はこのクラスの駅標準サイズ。
手すりが付いているのは、エスカレーターの無い当駅にとってせめてものバリアフリー施策でしょうか。

跨線橋上から見た構内その1
跨線橋上から構内の豊野方を望む。

跨線橋上から見た構内その2
同じく構内の妙高高原方を見る。

牟礼駅の2番線その1
2番線の妙高高原方から見た構内。

牟礼駅の2番線その2
2番ホーム端から妙高高原方を望む。

牟礼駅の2番線その3
2番ホームの跨線橋出入り口と上屋、そして待合室。
構内は相応の広さですがホームの上屋は僅か。
この辺が、その出自が「村の玄関駅」であった当駅の格を表しています。

2番ホームの待合室
2番ホーム待合室内部の様子。
建築財産票を確認出来なかったのですが、室内のこのレイアウトから察して相当の経年と思われます。

牟礼駅の2番線その4
2番ホーム端から豊野方を見る。

牟礼駅を出発する189系電車「妙高」
牟礼駅2番線を出発する189系電車「妙高」長野行。

牟礼駅に到着した189系電車「妙高」
牟礼駅1番線に到着した189系電車「妙高」直江津行。

牟礼駅前通りその1
駅前通りの様子。
画像右手が駅になります。
駅前にはバス停があり、現在(2016年)は長野駅前との間に平日11往復、土休日6往復の長野電鉄運行路線バスが走っています。
ただし所要時間は一時間近くかかるので、対長野の鉄道補完とは言えません。
しかし長野電鉄の本郷駅に立ち寄るので、当駅から長野駅に出ずに電鉄に乗り換えて須坂方面に行きたい場合は使えるルートではあります。

牟礼駅前通りその2
駅前通りは豊野方に向かって高度を上げます。
そこからだと俯瞰で駅周辺をよく観察することが出来るのです。

牟礼駅に到着した115系電車
おりしも115系電車長野行が2番線に到着。

牟礼駅前通りその3
駅前通りは小規模ながら商店街を形成しています。
人通りは少ないもののクルマの往来は多いところです。

踏切から見た牟礼駅構内
妙高高原方の踏切から見た構内。

「ようこそ天狗の里へ」の看板
踏切を渡り国道18号線への道中にも、「ようこそ天狗の里へ」。

牟礼駅付近の国道18号線
駅から数分で国道18号線に出ます。

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2016年9月11日 (日)

古間駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・古間駅。

牟礼駅はこちらへ← →黒姫駅はこちらへ

古間駅の駅名標

長野県上水内郡信濃町に所在する無人駅で、JR東日本在籍時は信越本線、現在はしなの鉄道・北しなの線に所属しています。
駅としての開業は昭和3年(1928年)12月23日ですが、その前身である古間信号場は大正2年(1913年)10月1日に開設されています。
駅開業当時の所在は上水内郡古間村で、信濃町史によると古間信号場の駅昇格に当たっては、地元から必要な土地の提供と寄附金があったとの事。
黒姫駅の記事でも触れましたが、当地域に鉄道を敷設するに当たって当局の当初案は北国街道の柏原宿でした。
そこなら古間の中心集落から1km強といったところで、古間村の利便性も高まったはずだったのです。
しかし鉄道によって宿場が廃れるとの反対意見が強く、結局停車場は現在地に。
こういう事情で鉄道を利用した発展からやや取り残された村としては、どうあっても信号場を駅に格上げさせたかったのでしょう。
そんな古間村は昭和31年に周辺諸村と合併して新自治体・信濃町の一地域となって、今日に至ります。

信濃町史によると、合併前年の昭和30年度の古間駅年間乗車人員は157,283人。
単純計算すると一日平均約431人。
貨物の発送も一日平均約3tもあって、今日の姿からは想像できない繁盛ぶりでした。
JR東日本によると、古間駅がJR所属時代の2013年度一日平均乗車人員は118人で、同社長野県内有人67駅中58位です。

古間駅駅舎
古間駅駅舎の様子、2011年6月撮影。
なお画像は全て同日のものであります。
建築財産票によると、平成13年(2001年)12月の完成。
新潟県内の近年の改築駅舎とは、デザインコンセプトが異なっていそうなのが中々興味深い。
出入り口の両側に立つ照明の形状は特に珍しいのです。
どことなく宗教がかっている気がすると感じるのは私だけでしょうか?

古間駅駅舎内部
駅舎内部の様子。
私がこれまで実物を見た中では、有人駅として最狭の待合空間であります。
大人が四人も掛けれはもう満杯の木製ベンチがあるきり。
一日平均100人以上の乗車があるのに、この狭さはかなり異様であります。
この時の窓口営業時間は07:30~15:00。
自動券売機は設置されておらず、乗車証明発行機が置かれていました(画像右手の朱塗りのモノ)。
なお、当駅はしなの鉄道への移管に伴って、現在は無人化されています。
無人化後は自動券売機が設置されたとの事。

古間駅のホームその1
豊野方から見た構内。
かつては二面三線と立派な規模であった当駅も、現在は棒線化されています。
当然のことながら、廃ホームに立ち入ることは出来ません。

古間駅のホームその2
ホーム端から豊野方を見る。
この先には旧線時代の遺構トンネルがあります。

古間駅のホームその3
構内中心部の様子。
ホームの上屋は駅舎から黒姫寄りに短いものが立っているきり。
ホーム上のベンチは上屋下に三人掛けが一脚あるきりなので、前述の待合室の異様な狭さも考えると、特にこのような天気の悪い日は列車を待つのに忍耐を必要としそうです。
なお、当時は駅舎ホーム側にトイレがありました。

ホーム上の名所案内板
ホーム上の名所案内板。
野尻湖はここからじゃちと遠いっす・・・。

古間駅のホームその4
妙高高原方から見た構内。
線路は構内でカーブしており、この位置では構内を見渡すことは出来ません。

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ホーム端から妙高高原方を見る。
右側の旧島式ホームはすっかり草生して、廃ホームとしては中々良い感じ。

踏切から見た構内
豊野方の踏切から見た構内。

古間駅を出発する115系電車
古間駅を出発する115系電車長野行。
この電車も昨年限りで過去帳入り。
E129系電車投入までの穴埋めとして、この長野色115系電車が一昨年前から直江津以東でも見られるようになりましたっけ。

古間駅に到着した189系電車「妙高」その1
雨中の古間駅に到着した189系電車「妙高」長野行。

古間駅前広場
駅前の様子。
駅前広場は広く、駅舎の規模に比べて相当に広大であります。
またかなりよく整備もされていました。

古間駅前通り
駅前通りの様子。
この規模の駅前通りとしては、失礼ながら場違いな広さです。
あるいはこの道路も、古間信号場を駅に昇格させるに当たっての地元負担の環境整備の一環なのかもしれまんな。
日曜の雨の午後、人影は無くクルマも思い出したように通るきり。
至近にコンビニやスーパーはありませんでした。
駅昇格は地元の悲願であったとはいえ、旧古間村の中心は北国街道(現・国道18号線)沿いでここに商店街が形成されていないのも止むを得ないでしょう。

古間駅前の路線バス
全く予期していなかったのですが、偶然にも駅前に発着する路線バスに遭遇。
乗客はゼロ。
当時は黒姫駅との間に平日一日四本、休日は二本の運行でした。
現在も黒姫駅前から古間、牟礼に国道18号線経由で平日のみ運行の路線バスが走っていますが、駅前には乗り入れていないようです。

駅裏から見た駅舎
駅裏の路上から見た駅舎の様子。

古間駅に到着した189系電車「妙高」その2
古間駅に到着した189系電車「妙高」直江津行。

旧戸草トンネルその1
旧戸草トンネルその2
駅を出発してあちこちフラフラしながら約20分で旧戸草トンネルに到着。
昭和41年の信越本線電化によって廃棄され、その後町道のトンネルとして使われています。
完成は明治20年11月。

旧戸草トンネルその3
旧戸草トンネル内部の様子。
全長約145mの小さな隧道ですが、、距離以上に長く感じるのは往時そのままの内部ゆえですかね。
かつてはこのトンネルを気動車特急「白鳥」が疾走していたのですよ。

旧戸草トンネルその4
旧戸草トンネルの牟礼側の様子。

旧戸草トンネルその5
旧戸草トンネルを抜けた町道の様子。

薬師岳
古間地域のシンボルと言えるのがこの山、薬師岳。
比較的気軽に登れる山だそうで標高819m。

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2016年9月 4日 (日)

黒姫駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・黒姫駅。

古間駅はこちらへ← →妙高高原駅はこちらへ

黒姫駅の駅名標

当ブログのメインコンテンツは新潟県内の鉄道駅紹介ですが、信越本線時代の黒姫-北長野間は189系電車撮影も兼ねて各駅に下車しています。
新潟県内駅に比べると、得られる情報量が少ないのでほんのサワリ程度にしかご紹介出来ないのが遺憾ではありますけれど、ここに記していきたく存じます。

さて黒姫駅はかつての信越本線、現在はしなの鉄道・北しなの線に所属する有人駅で、長野県上水内郡信濃町に所在し、同町の玄関駅です。
開業は明治21年(1888年)5月1日で、開業当時の所在は上水内郡柏原村。
開業当時の駅名は「柏原」で、当時の所在村名にちなんだ命名です。
柏原村は昭和30年7月に富士見村と合併して新自治体・信濃村になり、翌年9月には周辺諸村と合併して町制を施行。
新自治体・信濃町にめまぐるしい変身を遂げて今日に至ります。
駅名は昭和43年10月に現駅名の「黒姫」に改称されましたが、自治体名は長野県の旧国名であるので地域の特色を打ち出せずNGといったところでしょうか。
当駅北西には黒姫高原、北東には野尻湖という観光地があり、また当地は俳人・小林一茶の出身地でもあります。
この中で観光客を呼び込めるキャッチーな駅名をとなると、やはり「黒姫」になるでしょうなぁ。
私が選考委員でも文句なくこちらを選ぶと思います。

さて信濃町史によると、当地の停車場は当初案では当時の柏原村と古間村の村境あたりの設置が計画されていたそうです。
現在の国道18号線(北国街道)と信越本線の交差する辺りのようです。
しかしここだと柏原村の宿場町にごく近い為に現地の反対に遭い、已む無く当時は無人の野であった現在地に落ち着いたとの事。
柏原停車場の開業は明治21年と比較的早い時期であり、陸上交通は江戸時代さながらというのが当時の地方の実態であり、無知無理解と既得権益維持の両面からこのような反対運動が起きるのも無理は無いのです。
しかし結果は惨憺たるもので、鉄道開通によって柏原の宿場町はみるみるうちに衰退してしまったのです。
これは新潟県側の妙高高原駅と関川の宿場町の関係と同一の話で、全国各地で鉄道駅を誘致しなかった宿場町に見られる衰退の詩集の一典型と申せましょう。

このようにして誕生した柏原停車場は宿場に代わる旅客・物流の主役になり、やがて沿線の観光開発の進展と共に観光駅として発展していくことになります。
昭和55年10月改正ダイヤでは、特急「あさま」(上野-直江津間)1往復、急行「妙高」3往復(上野-妙高高原・直江津)、急行「赤倉」1往復(新潟-名古屋間)、急行「とがくし」2往復(新潟-上田間)の計7往復が停車しています。
北隣の妙高高原駅はこの他に特急「白山」(上野-金沢間)3往復が停車しているので、当駅はそれに比べればやや格落ちの感はあるものの、新井市の玄関駅である新井駅と優等列車の停車に関しては同格です。
自治体の人口規模(新井市は信濃町の三倍近い人口)を考えれば、当地の観光需要の多さが窺い知れます。

かつては上野直通の特急列車が停車するなど繁盛した黒姫駅でしたけれど、その後の新幹線と高速道開通によってその立場は激変。
2001年末に当駅に唯一停車する特急「みのり」(長野-新潟間)1往復が廃止され、当駅への定期優等列車停車は消滅してしまったのです。
JR東日本在籍時最後の統計である2013年度の当駅一日平均乗車人員は389人。
同社長野県内有人67駅中42位でした。
北隣の妙高高原駅も同レベルで、両者共に駅周辺に高校が無い為に学生の集中が無く、観光需要の衰退と地域の過疎化で正直なところ上がり目は・・・。
過去の栄光を考えると実に辛い話なのですが、これが地方ローカル鉄道化した旧信越本線の実態なのです。

黒姫駅駅舎その1
黒姫駅駅舎その2
黒姫駅駅舎の様子、2011年6月撮影。
なお、画像は全て同年同月の撮影であります。
過去の栄光の日々の残照を濃厚に残す駅舎です。
建築財産票を見つけられなかったのですが、信濃町史によると昭和7年8月の完成との事。
駅前には黒塗りの高級そうなタクシーが二台待機中。
昔はもっと多かったんでしょうなぁ。
時間があれば野尻湖見学にタクシーを使って、運転手の方に昔の話を聞いておくべきでしょうな。
もう少し経つと、昔の事を知っている方も引退してしまうでしょうから。
下の画像中央の跨線橋は、駅の南北を結ぶ自由通路です。

黒姫駅駅舎内部その1
駅舎内の窓口と改札周りの様子。
内部の様子はビジネスライクな新潟県内のそれとは明らかに異質です。
いかにも高原風で開放的。
観光でメシを食っていくんだという気概を感じさせます。

黒姫駅駅舎内部その2
駅舎待合室内の様子。
当日は日曜日でしたが、キオスクは閉まっていました。
左のソバ屋さんは盛業中。
信濃町史によると、当駅キオスクの前身の売店は昭和12年4月に開設され、戦時中に一時廃止された後、戦後は昭和29年12月から鉄道弘済会による通年営業になったそうです。
ソバ屋さんは昭和38年からやっているということで、両者共に「柏原」駅時代、そして当駅の最盛期を知る存在なのです。
残念ながらキオスクは、しなの鉄道移管直前に撤退。
ソバ屋さんは盛業との事で何よりです。

黒姫駅の1番線その1
1番線の妙高高原方から見た構内。
この辺りまでかかる長編成の定期列車はこの時点で存在せず。
上に架かっているのは前述の自由通路です。

黒姫駅の1番線その2
1番ホーム端から妙高高原方を見る。
手前に189系電車「妙高」号の指定席車乗車口案内があります。

黒姫駅の1番線その3
1番線の豊野方から見た構内。
開放的で広々とした構内です。

黒姫駅の1番線その4
1番線のホーム端から豊野方を見る。

黒姫駅の跨線橋
跨線橋内部の様子。
優等列車停車駅に相応しい通路の広さです。
信濃町史によると、この跨線橋は地元負担で建設され昭和25年2月に完成との事。
通路の広さなどは完成当時のままでしょうから、今後の観光需要を見据えた先見の明の賜物であったのかもしれません。
信濃町史は鉄道に関して記述が多く、町の鉄道に対する思いを強く感じる事が出来て実に好印象。
鉄道に関して一行たりとも書かれていない新潟県内のアノ市やコノ町らとは大違いです。

跨線橋上から見た構内その1
跨線橋上から構内の豊野方を望む。
画像左側を見るに、引込線は少なくとも二線あったのがわかります。

跨線橋上から見た構内その2
同じく構内の妙高高原方を望む。
かつては上下線の間に中線があったのでしょうな。

黒姫駅の島式ホームその1
島式ホームの跨線橋出入り口と上屋の様子。

黒姫駅の島式ホームその2
島式ホームと1番ホームに接する駅舎の様子。
取材時点では島式ホームの2番線は一日一回、夜の妙高高原行のみで使用されていました。

黒姫駅の島式ホームその3
島式ホーム端から妙高高原方を見る。
当駅から妙高高原駅までは複線になっていますが、優等列車も貨物列車も通らぬ現在では過剰な設備と言えます。

黒姫駅の島式ホームその4
島式ホームの3番線の様子、3番線は妙高高原方面乗り場です。
この線路の右横にもかつては線路があったのでしょうね。

黒姫駅の島式ホームその5
島式ホームの豊野方から見た構内。

黒姫駅の島式ホームその6
島式ホーム端から豊野方を見る。
この先は単線になっています。

黒姫駅に到着した189系電車「妙高」
1番線に到着した189電車使用の普通列車「妙高」長野行。

黒姫駅を出発する189系電車「妙高」
前掲の長野行「妙高」と同時発車の直江津行「妙高」。
当時は「妙高」の本数が多かったのでこのような光景も見れたのです。
取材翌年の2012年3月改正で「妙高」の運行本数はそれまでの5往復から2往復減の3往復になりました。
3往復だと、各駅での停車画を撮るには沿線に数回通わなければならなかったので、早い内に撮れて実にラッキーだったのです。
油断している向きが多かったのか、ご同業の方には一人も出会いませんでしたな。

自由通路上から見た構内その1
自由通路上から俯瞰で見た構内。

自由通路上から見た構内その2
同じく妙高高原方を俯瞰で望む。

黒姫駅の南側
自由通路を渡って駅南側から見た駅舎。

駅南口広場
南口広場の様子。
こちら側は昔日の村らしい風景です。

踏切から見た黒姫駅構内
妙高高原方の踏切から見た構内。

黒姫駅北口広場
駅北口広場の様子。
駅前広場はご覧のように広く、かつては観光バスも多数発着していたのでしょう。

黒姫駅通り
駅前通りの様子。
この通りは当地出身の俳人・小林一茶にちなんて「一茶通り」と呼ばれています。
道沿いには地元資本のスーパーが一軒ありました。

陸橋上から見た黒姫駅構内
駅の豊野方に架かる県道の陸橋上から見た構内。
画像右側が町の中心部、そして小林一茶ゆかりのエリアになります。

一茶記念館
駅からフラフラ歩き、13分ほどで「一茶記念館」に到着。
小林一茶の人生と俳句の世界を知り、学ぶことが出来ます。

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「一茶記念館」の建物。
日曜の館内は多くの人が見学していました。
俳人ということもあって、ほぼ全員が年配の方。
見たところ、一番の若造は他ならぬ私でしたなw
館内は小林一茶関連に加えて往時の「柏原宿」の再現ジオラマもありました。
北国街道沿いに多くの建物が密集して建てられていて、中々の壮観。
建物の裏手はすぐ田畑になっていて、昔の宿場ってこんなに縦深(横深?)が無かったのねと少々の驚きも。
なお記念館内には図書室もあって、参考文献の「信濃町史」はそこで読みました。

ねこ館長のうみニャンコ殿その1
ねこ館長のうみニャンコ殿その2
ねこ館長のうみニャンコ殿その3
「一茶記念館」名物が、ねこ館長のうみニャンコ殿。
館内の巡回を終えて、私のすぐ後ろから表に出ていらっしゃいました。
しゃがんでウィンクしながら声をかけさせていただいたら、目の前でこのようにあられもないお姿を見せていただきました。
顔洗いを終えられると、「ハイ今日のサービスはここまでニャ」という風に、何事も無かったかのように向かいのみやげ物屋さんに悠然と歩き去っていかれました。
うみニャンコ館長殿は今もご壮健のようで何よりでございます。
ただこの当時より少々太ましくなられたようであります。

うみニャンコ殿最優先の張り紙
「一茶記念館」構内にはこのような掲示があります。
ねこ館長うみニャンコ殿が最優先なのは言うまでもないことです。

俳諧寺
「一茶記念館」に隣接してこのような建物も保存展示されています。
これは「俳諧寺」といって、小林一茶を慕う地元の方々によって明治43年に建てられたそうです。

小丸山公園
「一茶記念館」に隣接する、なかなか趣きのある小丸山公園。

国道18号線沿いの柏原宿
「一茶記念館」界隈から少し歩いて国道18号線に出ます。
この辺りが往年の宿場町「柏原」です。

史跡小林一茶旧宅
北国街道の南の外れにある「史跡小林一茶旧宅」。
小林一茶は柏原宿の大火で家を失い、焼け残ったこの土蔵で火事から約四ヶ月後にここで亡くなりました。

一茶の弟屋敷
平成12年に復元された、一茶の弟屋敷。

野尻湖行の路線バス
黒姫駅と野尻湖を結んでいた長野電鉄運行の路線バス。
2011年当時は信越本線の列車に接続する形で毎時一本が運行されていました。
観光閑散期の梅雨時の日曜ではありましたがガラガラだったので、先行きを少々懸念しておったところです。
その翌年(2012年)に当地域の路線バスの再編があり、多くの路線から長野電鉄が撤退。
現在、野尻湖アクセスに関しては信濃町が季節運行の「観光シャトル便」を運行しています。
しかし本数は一日四便と僅少で、鉄道で当地に降り立ち野尻湖に行こうと思ったらタクシー利用か約4kmの歩き他無しなのです。
また鉄道補完では黒姫駅前から古間、牟礼にバス路線が設定されていますが、両駅前には立ち寄らないようです。
一日三往復で土休日運休になっています。

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