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2016年8月の記事

2016年8月28日 (日)

八色駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・八色駅。

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新潟県南魚沼市に所在する無人駅で、開業は昭和40年(1965年)1月15日。
開業時の所在は南魚沼郡大和町で、同町は平成16年(2004年)11月に南隣の六日町と合併して新自治体の南魚沼市の北部地域となって現在に至っており、八色駅は北隣の魚沼市との境界に位置しています。

八色駅周辺には小集落がある程度で観光名所もなく、鉄道に興味の無い人が八色と聞いて頭に浮かぶのは当地域名産の八色スイカでしょう。
駅開業時には上越線・浦佐-小出間は複線化していたので、列車交換の信号場的役割を持っていたわけでもありません。
国鉄時代には普通列車も数本は当駅を通過していたほどです。
旧大和町の玄関駅である浦佐駅からも比較的近く(約3km)、駅前至近には国道17号線も通っているのです。
何故この地に駅が置かれたのか?
大和町史にもその辺の事情は記述されていません。
新駅設置なら他にいくらでも需要の見込めるところはあるのに。
やっぱりアノ方の何らかの働きかけがあったのか?
そんな疑問ばかりが頭をよぎる、そんな駅がここ八色駅なのです。

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越後湯沢方面乗り場の小出駅方から見た八色駅構内の様子、2013年5月撮影。
電化複線の直線上に当駅は所在しています。
前後は緩やかなカープなので、ホームを作りやすいこの位置に駅を置いたのかもしれません。
しかしそのせいで駅構内の印象は地味色一色。
少しでも曲線を描けていれば、印象はかなり変わるはず。

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同じくホーム端から小出駅方を見る、2013年5月撮影。
八色駅の直線を抜けた列車は上下別線のトンネルに突入して魚沼市内に入ります。

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ホーム上の小さな待合室、2004年10月撮影。
建築財産票によると昭和43年7月の完成。
許容積雪量が250cmなのは豪雪地帯ならでは。
屋根の剛健な作りが目を惹きます。

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待合室内の様子、2004年5月撮影。
この時点では八色駅には自動券売機も乗車証明書発行機も未設置で、需要は周辺集落の学生に限られているのを窺わせます。
上越線の新潟県内区間で券売機・発行機共に未設置なのは土樽駅と当駅のみです。
ワンマン運行区間以外でここまでナイナイづくしの幹線系の駅も珍しい。

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越後湯沢方面乗り場の浦佐駅方から見た八色駅構内、2013年5月撮影。
上屋もホーム上のベンチも無いので、ホームは極めて長大に映ります。
アクセント皆無なのでその佇まいは実に退屈なのですよ。
勿論異論は認める。

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上下のホーム間の連絡は浦佐方の構外の踏切で行います、2013年5月撮影。

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踏切に続く通路から見たホーム出入り口付近、2013年5月撮影。

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浦佐方の踏切から見た八色駅構内、2013年5月撮影。
シンメントリーもここまでやると美観的にちと考え物ですな。

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長岡方面乗り場の端から見た浦佐駅方の様子、2004年5月撮影。

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長岡方面乗り場の浦佐駅方から見た八色駅構内、2013年5月撮影。
左側は旧大和町五箇地区の小集落、右側は民家が点在する田圃で至近を魚野川が流れています。

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同じく小出駅方から見た八色駅の様子、2004年5月撮影。

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八色駅を出発する115系電車水上行、2013年5月撮影。
当駅の地味さをより増しているのが、停車・通過する車両のバラエティの乏しさでしょう。
定期列車は115系電車と電気機関車牽引の貨物列車だけなのです。

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八色駅周辺の様子、2008年4月撮影。
画像中央に見える小さな茶色の建物は公衆トイレです。

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八色駅前至近を通る国道17号線の様子、2013年5月撮影。
この時点では付近にレストランが一軒ありました。
国道には南越後観光バス運行の路線バス小出-六日町線が運行されていて、本数的にも上越線の補完として使えます。
八色駅最寄は「堺川」バス停になります。

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魚野川に架かる国道17号線の八色大橋、2013年5月撮影。
八色駅から徒歩数分のこの橋が南魚沼市と魚沼市の境界です。

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八色大橋上から見た、清き流れの魚野川、2013年5月撮影。

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2016年8月21日 (日)

森宮野原駅(飯山線)

本日の駅紹介は、飯山線・森宮野原駅。

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当ブログは新潟県の駅をメインコンテンツにしており、長野県の駅である当駅は本来守備範囲外です。
しかし飯山線の列車運行上の要衝である当駅は新潟長野県境のすぐ向こうにあって、列車交換駅であることから区切りも良い為、当ブログでの飯山線の守備範囲はこの森宮野原駅までとします。

さて森宮野原駅は長野県下水内郡栄村に所在する有人駅で、開業は大正15年(1925年)11月19日。
飯山方面から延伸された飯山鉄道の終着駅として開業し、昭和2年8月に当駅-越後外丸駅(現・津南駅)に延伸されて中間駅となりましたが、飯山鉄道の旅客貨物の要衝駅の一つとしてその後も存在感を発揮してきたのです。
開業当時の所在については、当時の水内村だったのか堺村だったのか他県の人間である私にはよくわからないのが正直なところです。
両村の境界は森宮野原駅の南至近にある信濃川なのであろうことは推測できますけれど、当駅の立地は実に微妙なところにあるのです。
信濃川の北側が水内村なので、単純に考えれば当駅もギリギリ水内村に入りますが果たして・・・?
また「森宮野原」と言う駅名は、当駅周辺の「森」地区と新潟県側の「宮野原」地区を合わせたものなんだとか。
開業当時、県境の新潟側に足滝駅は置かれませんでしたので、新潟県側の中魚沼郡上郷村内の宮野原集落にとっても当地への鉄道停車場設置は大きなメリットがあったのが窺える話です。
なおこの宮野原地区はかつて村だった集落です。
飯山鉄道のやり方としては他駅のエントリーで述べているように、「停車場設置自治体への寄附金要求」がありますけれど、この場合は長野県側の自治体に加えて駅名にその名を連ねる宮野原地区(上郷村)も寄附金を負担したのか?
その辺の県を越えて錯綜した裏事情は実に興味深い話なのであります
閑話休題、水内村と堺村は昭和31年9月に合併して現在の栄村になり、今日に至ります。

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森宮野原駅駅舎の様子、2011年5月撮影。
実に立派な駅舎!・・・と思いきや、実は栄村の「森宮野原駅交流館」との合築です。
合築というよりは駅が交流館に間借りしていると言った方が適当ですな。
建築財産票を見つけられなかったのですが、ウィキペディアによると2004年4月に完成との事です。
新潟県内でもこういう合築例は散見されます。
単純にJRとの共同で駅舎を建てるよりは、こちらの方が県や国からの補助率が高いとか、そういう事情もあるのでしょうか。

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「森宮野原駅交流館」の大きな看板の右に小さな「森宮野原駅」の看板。
間借りのような状況を端的に表していると申せましょうか。
2011年5月撮影。

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森宮野原駅駅舎待合室内の様子、2011年5月撮影。
駅名に相応しい木をイメージさせる内装です。
JR東日本によると、森宮野原駅の2014年度一日平均乗車人員は45人。
JR東日本とJR東海の長野県内有人駅は私が数えたところ84駅ありましたが、当駅は80位。
当駅より下位にいるのは、大糸線・神城駅、飯山線・横倉、平滝、信濃白鳥の各駅です。
飯山線の三駅はいずれも栄村内の駅です。
栄村の人口は約1,900人で、県境で接する新潟県の津南町の約1/5。
一方で森宮野原駅は津南駅の半分弱の利用実態です。
津南駅が津南町の中心部から距離があって不便であり、潜在需要を掘り起こせないでいる点を考慮しても、人口規模の差を考えれば当駅は健闘しているように思えます。

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待合室からホームへは、飯山鉄道定番の構内通路で連絡です。
2011年5月撮影。
飯山線の新潟県内区間各駅では見られない物々しい遮断機に注目。

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足滝駅方から見た森宮野原駅構内の様子、2011年5月撮影。
画像右手に旧貨物ホームらしきものが見えます。

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ホーム端から足滝駅方と駅舎を見る、2011年5月撮影。

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横倉駅方から見た森宮野原駅ホームの様子、2011年5月撮影。
画像右側に見えるバスは、当駅前で折り返し待機中の南越後観光バス運行の越後湯沢駅行です。

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ホーム端から横倉駅方を見る、2011年5月撮影。
飯山線のこの先、長野県側には久しく乗っていませんなぁそういえば。
四半世紀も足を踏み入れていませんよ。

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森宮野原駅で行き違うキハ110系気動車、2011年5月撮影。
右の単行戸狩野沢温泉行と左の二連越後川口行です。

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森宮野原駅一番線で列車交換待機中のキハ110系気動車の戸狩野沢温泉行、2005年5月撮影。

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ホーム上の名所案内板、2005年5月撮影。
新潟県側麓のスキー場でも有名な苗場山まで、地図上の直線距離で約20km。
村域はさらにその南方まであります。
当駅から南方に、実に奥行き広いのが栄村の特徴です。

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駅構内に建つ、日本最高積雪地点の記念柱、2011年5月撮影。
積雪実に7.8m・・・!
二階から出入りするの冬を何度か経験したのが上限の私には、想像を絶する世界です。

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構内通路から見た森宮野原駅構内、2011年5月撮影。
栄村は東日本大震災の発災翌日未明に起きた「長野北部地震」の震源地で、最大震度6強。
大々的に報道されるべき内陸型の大地震だったのですが、世界の地震史史上有数の大地震であった東日本大震災の影に隠れてしまって、報道がされず被害の実態がなかなか伝わってこなかったのは、栄村村民の皆様にとって実にお気の毒な事であったのは記憶に新しいところです。
当駅も被害が大きく、新しく舗装した部分は復旧箇所でその範囲は実に広いのです。
この撮影時は当駅の営業再開からまだ半月程で、線路のバラストもまだ真新しい。

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構内通路から足滝駅方を望む、2011年5月撮影。

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国道森宮野原駅前通りの様子、2011年5月撮影。
通りには旅館と食堂の看板が各一軒というところ。
左側の書店の「小学館の学習雑誌」の看板が実に懐かしい。
この当時はまだあちこちで地震被害の復旧工事中でした。

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森宮野原駅前広場横の駐車場で折り返し待機中の、南越後観光バス運行の越後湯沢駅行バス、2011年5月撮影。
「急行」バスと銘打ってはおりますけれど、私が乗車した石打郵便局前までは通過扱いのバス停は無かったように思います。
まぁ乗降が少なく通過するバス停が圧倒的に多いので、実態は急行と言えましょうか。
この時ガッカリしたのは、バスがフツーの古い路線バスタイプだったこと。
このバス路線について予備知識無しで行ったので、観光用のお古の冷房バッチリなタイプと信じて疑わなかったのですよ。
ですので駅のホーム上からこのバスを見た時は、なんかため息出ちゃいましたね。
昔と違って、観光用の中古バスを格下げ転用なんてしないのでしょうね。
格下げする前に廃車しちゃうんでしょう。
そのように心の中で愚痴りながら車中の人へ。
古いバスの固い座席に座り、一時間近く揺られて石打に到着です。
バスはいただけませんが、車窓は素晴らしかった!
清津峡は実に風光明媚で、降りてあちこちウロつきたい衝動に駆られましたが、次のバスは三時間後でしかも最終便。
車中でかなり悩んだ末に、下車は断念して当初予定の石打駅へという道行でございました。
なおここからは津南への便も出ていて、飯山線との相互補完で駅巡りに使えます。
ただし足滝、越後田中津南各駅共最寄バス停からは離れているので要注意。

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2016年8月14日 (日)

矢代田駅(信越本線)

本日の駅紹介は信越本線・矢代田駅。

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新潟県新潟市秋葉区に所在する有人駅で、開業は明治30年(1897年)11月20日。
開業当時の所在は中蒲原郡矢代田村で、同村は当駅開業直後の明治34年(1901年)11月に西隣の小須戸町と合併し、平成までその状態を維持してきました。
平成の大合併の号令下で平成17年(2005年)3月に新潟市に合併編入されて、旧新津市と共に新潟市秋葉区に転身して今日に至ります。
旧小須戸町は新潟市中心部から20km以上離れていて、新津市と合併するならともかく、それを飛び越えていきなり新潟市と合併してしまう展開には驚いたものです。

矢代田駅開設に当たっては、信濃川水運の水駅が置かれて商業物流拠点として賑わいを見せていた小須戸町にではなく、その中心地区から東に約2kmも離れた矢代田村内に設置した経緯が非常に気になるところなのですが、色々調べてもコレといった結論が無いのです。
曰く、
この地に鉄道を敷設した北越鉄道は新発田までの免許を持っていて、新発田へは遠回りになる小須戸町経由は避けたのだとか、
曰く、
最初は小須戸町へ停車場設置を考えていたが、鉄道が通ると水運が衰退するので町が反対して止めさせただとか、
曰く、
信濃川の氾濫による悪影響を考慮して小須戸町への設置は避けたのだとか。
印象としては、小須戸町は鉄道駅誘致にあまり積極的ではなかったのだろうというのが最大公約数的な話になるのですけれど、矢代田村が小須戸町に合併された後、小須戸町が矢代田駅を「小須戸駅」に改称しろという声があったという話もあり、また話がこんがらがってくるわけなのであります。
ともあれ、駅名の改称が行われることはなく、矢代田駅は東に1.5kmに所在する、新潟県下トップクラスの石油産出地域である新津油田の石油輸送に重宝されることになりました。
新津市史によると、おりしも当駅開業から6年後には、金津地区を含む新津油田の産油量が西山油田を超えて県内トップになっているのです。
ちなみにこの新津油田、明治末期に産油量が落ちてしまいましたが掘削の新技術導入で盛り返し、大正5年にピークを迎えます。
しかしそれが新津油田の限界で、伸び代を使い切った油田の産油量は以後下降の一途を辿っていったとの事です。

JR東日本によると、2014年度の矢代田駅一日平均乗車人員は1,119人。
同社新潟県内有人67駅中36位で、越後線・青山駅や磐越西線・五泉駅と同レベルです。
人口約1万人の旧小須戸町中心地区から2kmも離れていてこの数字は中々に立派なもので、付近に高校が所在し学生の集積拠点となっているのが大きいと思われます。
駅西側には新たな宅地造成も行われていて、新潟市近郊のフロンティア的な立ち位置としてこれから周辺人口も漸増していきそうなところです。

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矢代田駅駅舎東口の様子、2012年6月撮影。
2008年6月に供用を開始した橋上駅舎です。
前述したように駅東口では宅地造成が行われていて、そちらへのアクセス向上と老朽化した駅舎の改築を兼ねた結果、このような立派な駅舎が建設されたのです。

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矢代田駅東口の上屋とロータリー、2010年7月撮影。
この時点ではタクシー一台が常駐。
手前にバス停があり、新潟交通観光バス運行の路線バス新津-小須戸線と秋葉区運営のコミニュテイバスが乗り入れていますが、便数は少なくあまり便利とは言えないのでタクシー常駐は必要でしょうねぇ。

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東口ロータリーから信越線に並行する県道方面を見る、2012年6月撮影。
旧駅舎時代はこちら側が唯一の駅出入り口でした。

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矢代田駅東側の県道の様子、2012年6月撮影。
旧矢代田村の中心地区ですが、人口集積はそれほどではありません。
駅前にはYショップがありますが、コンビニではないので深夜早朝は閉まっています。
なお、この県道では矢代田駅から新津駅方面には前述の路線バスが運行されていますが、田上駅方面へのバス路線設定はなく、信越本線新潟-長岡間におけるバス空白区間の一つになっています。
田上駅は南蒲原郡田上町の所在なので、自治体を跨いでコミニュティバスを走らせるわけにもいかないのでしょう。
なお、この県道は当駅前を過ぎて間もなく、国道403号線に昇格しています。

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矢代田駅西口の様子、2009年7月撮影。
西口とはまた意匠が異なったデザインです。
新潟市近郊のフロンティアとして売り出していこうという当局の意欲が伝わってくるようですな。
駅の東西でデザインを変えて画一化から脱却するのは実に良いことだと思うのですけれど、その分おカネは張りそうでもあります。

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矢代田駅西口駅前通りの様子、2009年7月撮影。
この時点ではまだまだこれから、まさにフロンティアでありました。

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駅の東西を結ぶ橋上駅舎内の自由通路の様子、2010年7月撮影。
画像奥のステンドグラス調の花の画、旧小須戸町の町花はツツジなんですが描かれているのはコスモス?
花には全く知識が無いのでよくわかりません・・・。
ちなみに旧小須戸町を含む新潟市秋葉区のウリの一つが「花のまち」なのです。

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矢代田駅橋上駅舎改札口周りの様子、2010年7月撮影。
当駅の一日平均乗車人員はJR東日本新潟支社の自動改札機導入対象の下限に位置していて、当駅と利用状況が同レベルの五泉駅には自動改札機が導入されています。
駅舎を改築する話を聞いた時は、これに合わせて自動改札機を導入するのではと思いましたけれど、実際は従来の有人改札のままでした。

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橋上駅舎構内の待合室の様子、2009年7月撮影。
総ガラス張りなので、うっかり鼻クソもほじれないのです。

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新潟方面乗り場の旧島式ホームの田上駅方から見た矢代田駅構内の様子、2010年7月撮影。
駅舎改築前に既に遊休化していた中線上には架線柱が建ち、完全に分断されてしまいました。
「二度と甦らないようにトドメ刺しておきましたっ」的なこういう図は、駅フェチにとっては残念!の一言なのであります。

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同じく田上駅方を見る、2010年7月撮影。
画面奥の跨線橋は、旧小須戸町中心部に行き着く国道403号線です。

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旧島式ホームの古津駅方から見た矢代田駅構内、2010年7月撮影。
手持ちの時刻表を紐解くと当駅での普通列車の優等列車退避は、上越線特急全盛の昭和55年10月改正ダイヤでは上下合わせて4本、上越特急廃止後の昭和60年3月改正ダイヤでは上り1本で実施されていました。

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長岡方面乗り場の対面式ホーム田上駅方から見た矢代田駅構内、2010年7月撮影。
ここから見ると橋上駅舎の構内部分の構えも中々立派なものです。
西口へ伸びるアーム状の自由通路が良いアクセントになっています。

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同じく古津駅方から見た矢代田駅構内、2010年7月撮影。

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対面式ホーム端から古津駅方を見る、2010年7月撮影。
ここから見ると人家も疎らな広大な平野にこれから投げ出されていくような感じですけど、実際は新潟県最大の人口集積地域にどんどん近づいていくわけです。

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旧島式ホーム上から見た矢代田駅西側の様子、2010年7月撮影。

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橋上駅舎上から古津駅方を見る、2012年6月撮影。
宅地として開発されたエリアから一歩出れば、越後平野の広大無辺な田圃の海なのです。
お子さんの情操教育には、こういうロケーションに住んでみるのがプラスかもしれませんな。

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同じく田上駅方を見る、2012年6月撮影。
ここから見るとこちら側の方が賑やかに見えるのでけれど、実際は逆なのです。

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田上駅方の国道跨線橋上から見た矢代田駅全景、2010年7月撮影。

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古津駅方の踏切から見た矢代田駅、2012年6月撮影。
こちら側は中線が完全に撤去されているので、上下線間に不自然な空間が生じてしまっています。

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矢代田駅に停車中の115系電車新潟行、2012年6月撮影。

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矢代田駅に到着した115系電車湘南色の長岡行、2012年6月撮影。
こういう光景も間もなく見納めです。

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矢代田駅を通過する485系電車R編成の特急「北越」金沢行、2012年6月撮影。
特急の定期停車実績は無く、急行列車も停まりそうで停まらないビミョーな立ち位置の当駅ですが、快速列車に関しては昔から停車駅でした。
特急に準じた使命の快速「くびき野」停車は叶わなかったのは残念でしたが、現在(2016年)時点では特急型車両が充当される快速列車として夜の「らくらくトレイン信越」と、新潟-糸魚川間に一日一往復が運行されている485系最後の定期運用列車である8621M・8622Mが停車しています。

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矢代田駅に進入する485系電車T編成の特急「北越」新潟行、2012年6月撮影。

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矢代田駅旧駅舎の様子、2004年10月撮影。
建築財産票を確認できなかったのですが、相当に年季の入った建物でした。
二重屋根?の造り、上屋を支える支柱の形状など実に興味深い。
旧駅舎時代の駅前広場は狭くて、路線バスも乗り入れていませんでした。
あのような立派な橋上駅舎が建つとは当時夢想だにしませんでしたなぁ。
下の画像の駅舎出入り口左手が待合室で、内部は吹き抜けではなく待合室は仕切られていました。
駅舎内部を撮影しておかなかったのが悔やんでも悔やみきれないのでありますが、当時はこのブログを始める前でこんな記事を書くとは全く考えておらず、現在のように人がいなくなるまで辛抱強く待って撮影するとか面倒な事はやっていなかったのですよ。

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対面式ホームに面した駅舎とその先の跨線橋、2004年10月撮影。

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島式ホームから見た駅舎の様子、2004年10月撮影。
この時点では中線はまだその姿を留めていました。

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島式ホームから見た矢代田駅旧構内の様子、2004年10月撮影。

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島式ホーム上には実用本位な作りの待合室がありました、2004年10月撮影。

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島式ホーム古津駅方から見た、矢代田駅旧構内の様子、2004年10月撮影。
現在の駅構内と比較して見ていただければ、単に駅舎の改築に留まらず構内も相当に手が入れられているのがお分かりいただけると存じます。

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対面式ホーム田上駅方から見た矢代田駅旧構内、2004年10月撮影。

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対面式ホーム古津駅方から見た旧構内中心部、2006年11月撮影。
この半年後、旧駅舎は撤去解体されてしまったのです。
この時点では既に当ブログを始めていましたけれど、最初の頃のエントリーを見ていたたければわかるように、現在のようにディープな様式では無く撮影も今日の視点では色々と不備があったのです。
今なら駅舎内、跨線橋内、待合室内は絶対に押さえておくポイントですのに、この時はそのいずれもスルーという有様。

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跨線橋上から見た矢代田駅旧構内古津駅方の様子、2004年10月撮影。
跨線橋内は撮影していないものの、俯瞰マニアなのは昔も今も変わらないので優先的に撮影しています。

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同じく田上駅方を見る、2004年10月撮影。
現在と比べると、ホームは長く見えます。

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田上駅方の国道跨線橋上から見た矢代田駅旧構内、2004年10月撮影。
この時点では駅西側はまだ未開発でした。

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ここからはかつて新津油田の一角を占めていた金津地区の様子を簡単にご紹介。
ここから先の画像は全て2010年7月撮影です。
矢代田駅から東に1.5kmの金津地区は「石油の里」として観光地になっています。
公共交通機関でのアクセスは、新潟交通観光バス運行の新津-金津線(2016年3月時点で一日四往復、この撮影時と変わっていません)と、秋葉区運行のコミニュティバス(新津駅から古津駅、矢代田駅を経由して新津駅へ戻るルートで一日七便)です。

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石油の里では、往時の石油関連施設が野外展示されていて、明治~大正期の石油産出最盛期を偲ぶことが出来ます。

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産出した原油の量を測る計量タンク。
同時に一日かけて油と水を分離するそうです。

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計量タンクからこの加熱炉に送られた原油は、70℃の加熱で油と水の分離をさらに行います。

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頭上に架かる送油管。

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画像中央右手の建物が「石油の世界館」。
新津油田の歴史を学ぶことが出来ます。

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2016年8月 7日 (日)

北五泉駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・北五泉駅。

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新潟県五泉市に所在する有人駅で、開業は昭和27年(1952年)2月20日。
磐越西線新津口の区間運転用気動車(所謂「ガスカー」)用の停留所として、東新津駅と同時に開業しました。
磐越西線・新津-馬下間は明治43年(1910年)に開業しておりますけれど、この区間内に設けられた停車場は五泉駅のみ。
その状態が40年以上も続いたのは、今日の目から見ると極めて奇異に映るところです。
現在では新津-五泉間においては沿線も宅地化が進展していますが、戦前は駅を開設する程の需要を貨物を含めて見込めなかったのでしょうね。
そんな状況を最初に破ったのが東新津駅とこの北五泉駅であり、これを契機に新関駅猿和田駅が続けざまに開業して現在に至ったのです。
当駅の場合は、付近に五泉高校が所在しているのが駅設置に当たっての大きなポイントではなかったかと思います。

JR東日本によると、北五泉駅の2014年度一日平均乗車人員は680人。
同社新潟県内有人67駅中48位です。
数字としては旧塩沢町の玄関駅である塩沢駅と、旧柿崎駅の玄関駅で特急停車駅でもある柿崎駅の間にあって中々立派なのですけれど、土休日はひっそりとしてとてもそんなに利用されているとは思えないのです。
それもそのはずで、北五泉駅の一日平均乗車人員の約87%は定期客。
この比率が当駅よりも高いJR新潟県内有人駅は弥彦線・燕駅と越後線・寺泊駅、出雲崎駅の三駅だけです。
ちなみに当駅の場合、私は駅員の姿を見たことがありません。
五泉市がJRから委託されているそうなので、役所と同じく土休日は休みなのでしょうか?

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北五泉駅駅舎の様子、上は2006年11月、下は2010年6月撮影。
建築財産票によると平成6年(1994年)11月24日の竣工です。
「五泉市総合案内センター」が併設されています。
2010年6月時点では駅前にタクシーが一台待機中。
上の画像の左側は有料駐車場になっていて、フリーの駐車スペースは六台程度でした。

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北五泉駅舎内待合室の様子、2010年6月撮影。
・・・というよりも、ここは「五泉市総合案内センター」の空間なのでしょう。
ベンチもJR定番のモノではないですしね。

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同じく駅舎内の様子、2010年6月撮影。
簡易suikaの改札機と券売機が一台設置されています。

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ホームに面した待合室内の様子、2010年6月撮影。
こちらはJR正規のベンチです。

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ホームの待合室出入り口付近の様子、2010年6月撮影。

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線路沿いの道路から見上げた北五泉駅駅舎、2010年6月撮影。
白い壁の部分が駅舎部分と考えればよいのでしょう。

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五泉駅方から見た北五泉駅構内の様子、2010年6月撮影。

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ホーム端から五泉駅方を見る、2010年6月撮影。
画像右手の建物は、連絡地下道の出入り口です。

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新関駅方から見た北五泉駅構内の様子、2010年6月撮影。
前述の通り、当駅は気動車に総括制御が取り入れられる以前の短編成「ガスカー」用の停留所として開業しているので、元々のホーム長は東新津駅同様に旅客車2両程度であったと思われます。
昭和60年3月改正ダイヤでは、東新津駅は全て通過だった客車列車の大半は当駅に停車しており、当時の客車列車が四~六両程度であったことを考えると当駅のホーム延長は国鉄時代に既に実施されていたのかもしれませんね。
なお現在の有効長は六~七両です。

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ホーム端から新関駅方を見る、2010年6月撮影。
駅の表口は五泉市郊外の宅地になっていますが、裏手はこのように田圃の中に民家が点在する昔ながらの風景が健在です。
昔は表口もこんな感じだったのでしょうな。

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新関駅方の踏切から見た北五泉駅、2010年6月撮影。
福島県境の阿賀の山々が迫ります。

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北五泉駅を出発するキハ40系気動車二連の会津若松行、2010年6月撮影。

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北五泉駅に停車中のキハ40系四連の馬下行、2004年12月撮影。
冬晴れの午後三時半ですが、陽はもうこんなに傾いています。


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北五泉駅を出発するキハ110+キハE120気動車の五泉行、2014年8月撮影。

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北五泉駅前の様子、2006年11月撮影。
駅前には定食喫茶が一軒。
駅前通りを数百m進むと、新津-五泉間の路線バスが走る県道に出ます。
当駅前には五泉市のコミュニティバスが乗り入れていて、当駅と五泉市中心部、そして蒲原鉄道がかつて走っていた旧村松町に移動できます。
コミュニティバスというと、土休日は運休というのがありがちなパターンですが、五泉市の場合は土休日も平日とほとんど変わらない本数が確保されているので、来訪者にとって実に有難いのです。

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