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2016年5月29日 (日)

分水駅(越後線)

本日の駅紹介は、越後線・分水駅。

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新潟県燕市に所在する有人駅で、過疎電化ローカル線である越後線南部区間の中間駅としては出雲崎駅と共に希少な、みどりの窓口設置駅でもあります。
越後線唯一の優等列車であった気動車急行「ひめかわ」の停車駅でもありました。
正式な開業は大正2年(1913年)4月20日で、開業当時の駅名は「地蔵堂」。
当時の所在は西蒲原郡地蔵堂町で、駅名は町名から取ったものです。
分水町史によると、当駅は当初、大河津分水工事の資材搬入拠点として使用する観点から、大河津分水に近い地点への設置が考えられていたそうです。
当駅から大河津分水路までは500m程、分水可動堰までは1.8kmですけれど、当初の停車場想定位置が単純に分水路の河畔だったのか、それとも大河津駅(現・寺泊駅)から南東方向に急カーブして現在の国道116号沿いに出て分水を渡った辺りだったのか、残念ながら定かではありません。
後者なら可動堰や洗堰にも近くて、資材搬入の利便性は高かったと思いますけれど。
ともあれ停車場の位置は、町の中心部への設置を望む町の働きかけで現在位置に決定しました。
しかし民家の立ち退きや駅周辺の道路整備(大河津分水の資材搬入基地として使用するのでこれは必須だったのでしょうね)に手間取った為に、やむなく駅から吉田方に約200mの、現在の良寛資料館付近に仮駅を設置したのです。
仮駅としての開業は、大正元年12月18日です。

さて地蔵堂町は戦後の昭和29年に周辺諸村と合併して、新自治体「分水町」として新たなスタートを切ります。
地蔵堂駅は分水町の玄関駅となりましたが、自治体名と駅名が違うのは少々考え物です。
越後線電化完成を翌年に控えた昭和58年4月に、駅名を現在の「分水」に改称して、ようやく町名と駅名の一致をみたのです。
本来ならもっと早い時期に改称すべきだったでしょうに、町に鉄道に対する熱意があまり無かったのか、国鉄のお役所体質で陳情を中々受理しなかったのか?
この辺の裏事情も興味を惹くところであります。
分水町はその後、平成の大合併で平成18年に近隣の吉田町と共に燕市と合併して、その西部地区となり現在に至ります。
JR東日本によると、分水駅の2014年度一日平均乗車人員は546人。
同社新潟県内有人67駅中51位で、飯山線・十日町駅よりもやや多いレベルにあり、越後線南部区間の過疎ダイヤを考えれば中々健闘していると言えそうです。
駅からはやや遠いのですが、高校があって通学客が相当数存在するのもその理由でしょう。

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分水駅駅舎の様子、上は2005年8月、下は2011年4月撮影。
建築財産票によると、2000年3月10日の完成で、許容積雪量は1.3m。
駅の利用実態に合った程よい大きさの、堅実な建物と申せましょうか。
この時点ではタクシーが一台待機中でした。
画像左側に停まっているバスは、折り返し待機中の越後交通運行長岡行です。
駅舎の壁面のレンガ状のデザインは、何を表現しているのだろうと疑問に思っていたところですが、コレは大河津分水をイメージしているのだそうです。
なるほど、我がイマジネーションの不足が恥ずかしい限りでございます(恥)。

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分水駅前広場の様子、2011年4月撮影。
当駅前のバス停からは、越後交通運行の長岡-分水線、東三条-寺泊車庫線が発着しています。
前者は長岡駅まで約一時間で、過疎ダイヤの越後線南部区間における駅巡りでは貴重な路線です。
長岡周辺と分水界隈の取材が比較的短時間で行えるのですから。
後者も東三条や燕三条と分水界隈、そして海岸沿いの寺泊中心街の取材に使えます。
また分水駅前からは燕市のコミニュテイバス「スワロー号」が平日に限り運行していて、分水-粟生津南吉田-吉田--燕三条の移動に使えます。

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分水駅駅舎内の様子、2011年4月撮影。
画像右側が待合室で、新しい建物として当然の空調付きです。
室内はJR東日本定番の三人掛けベンチが三脚。
この時点での待合室開放時間は、駅窓口営業時間と同一の朝7時から夕方5時半まで。
5年後の現在も同じようですね。

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寺泊駅方から見た分水駅ホーム全景、2005年8月撮影。
定期列車の発着は右側の駅舎に面したホームのみです。
越後線電化完成後の昭和60年3月改正ダイヤでは、当駅での列車交換は既に無くなっていました。

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寺泊駅方を望む、2011年4月撮影。
4月下旬の撮影で、桜の時期ももう終わりですね。

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粟生津駅方から見た分水駅ホーム全景、2005年8月撮影。
右側のホームへは地下道で連絡していますが、通常は通行禁止になっていて残念ながら見学することは出来ません。

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ホーム端から粟生津駅方を望む、2005年8月撮影。

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分水駅駅舎ホーム側の様子、2005年8月撮影。
トイレはこの改札内の他に、駅前広場横の公園に公衆トイレがあります。
至近にトイレを借りられる店が無いので、来訪者にとっては大いなる福音。

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分水駅を出発する115系電車の柏崎行、2011年4月撮影。
この電車ももうじき見納めですな。

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粟生津方の踏切から見た分水駅構内、2011年4月撮影。
画像中央に大河津分水に架かる鉄橋が見えます。

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分水駅から国道116号線に至る旧地蔵堂町中心街の様子、2011年4月撮影。
郷愁を誘うレトロな町並みですけれど、当地域も御他聞に漏れず商業集積は国道沿いに集中してしまっています。
再開発が行われず廃れる一方だからこそのレトロな町並みなわけで、ここでもうーむと考えてしまうのですな。

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分水駅から1kmほどで、国道116号線の大河津橋に到達、2011年4月撮影。
旧市街地と異なり、こちらはクルマがひっきりなし。

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大河津橋上から分水可動堰を望む、2011年4月撮影。
画像奥の緑色の建造物が当時現役だった旧可動堰、右手前で工事中なのが新可動堰です。
新可動堰はこの撮影から約七ヶ月後の2011年11月に供用開始しました。

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大河津橋上から見た越後線の鉄橋、2011年5月撮影。
強風でしばしば抑止がかかる為、その際のダイヤ調整の為に分水駅の列車交換設備を残しているそうです。
しかし強風が予測されれば運休のご時勢ですから、あの設備も使う機会はどれだけあるのやら。

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花も散った大河津分水沿いの桜並木、2011年4月撮影。

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旧可動堰に近づいてまいりました、2011年4月撮影。

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旧可動堰の先にある、信濃川大河津資料館に到着、2011年4月撮影。
入館無料で、この地域の洪水との戦い、治水の重要性を見学勉強できる場です。

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大河津分水の上流側を望む、2011年4月撮影。

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俯瞰で見た旧可動堰、2011年4月撮影。

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