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2016年2月の記事

2016年2月28日 (日)

只見線・入広瀬駅、柿ノ木駅、田子倉駅、磐越西線・三川駅記事改装

以前に書いた駅エントリーを、現在のスタイルにアップグレードする
作業を適宜進めています。
文字を大きくするのと駅名票画像追加以上の改装については、
このカテゴリーでお知らせ致します。

2月28日、下記の改装を実施しました。

只見線・入広瀬駅の画像追加と記事の加筆修正。

只見線・柿ノ木駅の画像レイアウト変更と貼り変え、
及び記事の加筆修正。

只見線・田子倉駅の画像レイアウト変更と貼り変え、
及び記事の加筆修正。

磐越西線・三川駅の画像追加(揚川ダムの様子など)

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2016年2月27日 (土)

只見線・越後広瀬駅、魚沼田中駅、越後須原駅記事改装情報

以前に書いた駅エントリーを、現在のスタイルにアップグレードする作業を適宜進めています。
文字を大きくするのと駅名票画像追加以上の改装については、このカテゴリーでお知らせ致します。
2月24日に只見線・魚沼田中駅、本日、只見線・越後広瀬駅越後須原駅を改装しました。
画像の一部貼り変え・追加と記事の一部加筆修正を実施しました。

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2016年2月21日 (日)

津川駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・津川駅。

津川駅の駅名票

新潟県東蒲原郡阿賀町に所在する有人駅で、開業は大正2年(1913年)6月1日。
開業時の所在は東蒲原郡津川町で、同町は平成の大合併で2005年4月に周辺諸町村と広域合併して新自治体の阿賀町となり今日に至ります。

よく知られているように、旧津川町をはじめ東蒲原郡一帯は古来より越後ではなく会津に属し、ここ津川の地は会津藩の領国支配の重要拠点として、また会津と越後の中継地として重要な位置を占めていて、鉄道開通以前に越後と会津の物流交易の主柱であった阿賀
野川舟運の河港が置かれていました。
東蒲原郡域は明治19年(1889年)に福島県から新潟県に編入されましたが、その後も暫くは津川の威勢は大きく、明治22年に町村制が施行されると津川は東蒲原郡域内唯一の「町」となっています。

舟運で古くから栄えた街ゆえに、それを衰退させかねない鉄道に対する忌避はかなりあったようで、「図説東蒲原郡史」によると舟運衰退への危惧から津川までの鉄道開通に対して好意的ではなかったとの事です。
鉄道の開通式典も当面の終着駅である津川ではなく五十島で行われました。
津川駅も津川の中心街ではなく、阿賀野川対岸の街外れに置かれています。
街の中心街に駅を置き、そこから鹿瀬へ至るとなると阿賀野川を二回渡河しなければならないので、その辺の技術的予算的問題もあったのかもしれません。
しかしやはり最大の理由は、舟運衰退に対する抵抗感が相当に根強かったからではと邪推してしまうところなのですが、実際は果たして?

JR東日本によると、2014年度の津川駅一日平均乗車人員は161人。
同社新潟支社新潟県内有人67駅中63駅で、当駅より下位にあるのは上越線・石打駅、飯山線・津南駅、米坂線・越後下関駅、羽越線・府屋駅の四駅のみ。
当駅が属する磐越西線・五泉-喜多方間の一日平均通過人員は2014年度で一日平均465人。
JRが発足した1987年度比で74%もの大幅減で過疎路線化は相当に深刻、それがここ津川駅の置かれた環境なのであります。

改築後の津川駅駅舎
津川駅駅舎の様子、2010年5月撮影。
2009年9月に改築された新駅舎で、津川の昔の商家を思わせる風情は個人的になかなか良し。
阿賀町の玄関駅に対する地元の力の入れ方が伝わってくるような建物であります。

改築前の津川駅駅舎遠景
改築前の津川駅近景
かつての津川駅駅舎、上は2007年7月、下は2005年3月撮影。
昭和10年改築の建物で、戦前の亜幹線の主要駅の典型のような実に堂々として味のある建物でありました。
鉄道が労働集約型産業であった頃の証である駅務空間の広さ、吹き抜けで広々とした舎内。
個人的には柿崎駅の旧駅舎の次に好きな建物だったのであります。

津川駅駅舎内の様子
待合室内の様子
現在の津川駅駅舎内部の様子、2010年5月撮影。
外観の風情とは対照的に内部は実用本位のドライな造り。
上の画像左側が待合室です。
待合室の開放時間は明記されていませんでした。
トイレは駅舎改札内にあります。
近年の改築駅舎はこれが常態になっていますな。
旧駅舎時代は駅舎とは別棟のトイレがあって、急にもよおしても安心できる環境でしたけれど、駅舎改築に伴い解体されてしまいました。

跨線橋出入り口から見た駅舎
跨線橋出入り口から見た駅舎、2010年5月撮影。
磐越西線の当駅前後の区間は駅舎とホームが離れている駅が連続していて、津川駅の他に五十島三川、鹿瀬、日出谷豊実の各駅がそうした構造です。

跨線橋内の様子
津川駅跨線橋内の様子、2015年12月撮影。
通路は狭く、主要駅といえども亜幹線のそれなのだなぁと強く感じさせられるところです。
季節柄、冬の観光やイベントポスターがところ狭しと貼られており、「なんか必死やな・・・」

跨線橋上から三川方面を望む
跨線橋上から三川方面を望む、2005年3月撮影。
ここ津川の地は新潟県下越地方で最も雪深い土地のひとつで、三月中旬のこの時期、私の住まいの新潟市では積雪ゼロなのに約50km離れた当地ではこのような情景。

跨線橋上から鹿瀬方面を望む
同じく鹿瀬方面を望む、2010年5月撮影。

三川方から見た津川駅構内の様子
ホームの三川駅方から見た津川駅構内の様子、2010年5月撮影。
アクセントの少ない島式ホームは駅フェチとしては魅力に乏しいのが正直な感想。
ロケーションは良い駅なんですけどね。

ホーム先端部から三川方を見る
同じく三川駅方を見る、2007年7月撮影。
線路は三川方面に向かって左に急カーブしており見通しは悪いものの、キィキィと車輪を軋ませながら進入してくる列車はなかなかの見物なのであります。

ホーム鹿瀬方から見た津川駅構内
ホームの鹿瀬駅方から見た津川駅構内、2007年7月撮影。
左手には当駅折り返しの新潟行キハ40系普通列車が待機中。
左手前の旧字体の駅名標こそは、「SLばんえつ物語号」停車駅の栄えある証なのです。
画像右手には明らかに側線跡とおぼしき空間が広がっています。
かつてはそこに貨物用のホームがあったのか否か。

ホーム先端部から鹿瀬方を見る
同じく鹿瀬駅方を見る、2007年7月撮影。
画像中央が待合室です。

ホーム上の待合室内の様子
ホーム上の待合室内の様子、2010年5月撮影。
ベンチは「ばん物」停車駅用のモノです。

現在の待合室の様子
現在の待合室の様子、2015年12月撮影。
津川駅を訪れたのは2010年5月以来、話には聞いていましたが、実物を見て「ありゃ~」と苦笑してしまいましたがな。
この待合室、「オコジロウの家」と呼称するのだそうで、2013年11月完成との事。
オコジロウというのは「ばん物」のいわゆる「ゆるキャラ」で、「オコミ」という奥さんががいるのだとか。
ドックンとキャサリンから一言ご意見を頂戴したいところであります。

オコジロウの家の内部
オコジロウの家の内部、2015年12月撮影。
つがいは常駐しているわけではないようです。
「ばん物」オフシーズンは冬眠中なのでしょうか。
しかしうーむ、ここまで幼児に媚びなくても・・・

構内通路の鹿瀬方から先を望む
ホームというより構内通路の鹿瀬駅方から先を望む、2010年5月撮影。

秋の朝の車中から見た旧駅舎時代の津川駅
鹿瀬駅に向け出発した秋の朝の車中から見た旧駅舎時代の津川駅、2004年10月撮影。

停車中のキハ40系
停車中のキハ40系気動車新潟行、2010年5月撮影。

列車交換中のキハ110系とキハ40
津川駅で列車交換中の会津若松行キハ110系気動車とキハ40系気動車新潟行普通列車、2015年12月撮影。
磐越西線の馬下以南では、キハ110系は少数派で撮影する為のスケジュール立ては少々面倒。

停車中のキハ47首都圏色
津川駅に停車中のキハ47気動車首都圏色を先頭にした新潟行、2007年7月撮影。

列車交換待機中のキハ110系快速「あがの」
津川駅で列車交換待機中のキハ110系気動車先頭の新潟行快速「あがの」、2015年12月撮影。
昭和57年11月までは、「いいで」と「あがの」二往復の計三往復の急行列車が停車していたここ津川駅。
かつての急行「あがの」の後身であるこの快速列車も、一往復になって十年以上経ちました。
「あがの」と前後して急行から快速に格下げされた「うおの」「ひめかわ」は程なく廃止され、「べにばな」は米坂線内各駅停車で急行時代の面影無し。
唯一亜幹線優等列車の余韻を感じられるのがこの「あがの」なのです。
新潟-津川間の速達手段としては、磐越自動車道経由の高速バスも運行されていますけれど、本数は極めて少なく一日二往復。
なお同自動車道には津川便の他に新潟-会津若松便に一日四往復、新潟-郡山間に一日二往復が運行されているものの、前者は津川-会津若松方面間の利用しか認められておらず、後者は津川を通過しています。

停車中のキハ58系を先頭にした臨時列車
駅巡りを本格的に始めて津川駅に初めて降り立ったときに偶然遭遇した、キハ58系を先頭にした臨時列車、2003年11月撮影。
磐西・只見ぐるり一周号でしょうか?

津川駅前の様子
津川駅前の様子、2010年5月撮影。
駅舎がコンパクト化され、別棟のトイレは撤去されたので元々広い駅前が一層大きくなりました。
この日はタクシーが三台待機中。
阿賀町は町域が極めて広く、津川市街地以外の路線バスも便利とは言えない本数なので、クルマの送迎が無ければタクシー利用が多いのではと推察されます。

津川駅前バス停に進入する路線バス
津川駅前バス停に進入する新潟交通観光バスの路線バス津川営業所行、2010年5月撮影。
駅から約2km離れた川向こうの市街地へは、一定の本数が確保されています。→くわしくはこちらを
駅から市街地までは150円ナリ。

日出谷方の踏切から見た旧駅舎時代の津川駅構内
日出谷方の踏切から見た旧駅舎時代の津川駅構内、2007年7月撮影。
こうしてみると前方の山深さが際立ちます。

駅裏手の高台から俯瞰で見た津川駅
駅裏手の高台から俯瞰で見た津川駅の様子、2010年5月撮影。
跨線橋の形状や駅前広場の広大さが把握実感できます。

旧駅舎時代の駅前通りの様子
旧駅舎時代の駅前通りの様子、2007年7月撮影。
この道は県道で、画像奥に向かって鹿瀬駅に続いていますけれど、津川駅を過ぎると俄かにローカル色を増した細道になり、列車から観察するとサルの群れを見ることも間々あります。
特に秋口は群れとの不意遭遇の恐れがあるので、歩きはお勧めできませんです。
この道は鹿瀬駅への近道なんですけどね・・・。
なお駅周辺には何もありません。
津川駅は単なる公共交通の結節点に過ぎません。

「きりん橋」上から津川駅方面を見る
阿賀野川に架かる「きりん橋」上から津川駅方面を見る、2007年7月撮影。
市街地へはこの橋を通って行きます。

きりん橋上から見た阿賀野川初冬の風情
きりん橋上から見た阿賀野川初冬の風情、2015年12月撮影。
鹿瀬方面の眺めです。
昨年(2015年)12月は記録的な温かさで、雪は降る気配すらありませんでした。

橋上から見た三川方面の様子
同じく三川方面を見る、2005年3月撮影。
このぐらいの雪景色が一番良いなぁと個人的に思うところです。

阿賀野川対岸から見たきりん橋
きりん橋を渡り対岸から一枚、2015年12月撮影。

津川河港跡の様子
津川河港跡の様子、2007年7月撮影。
古来より鉄道開通までの永きに渡って、会津からの陸路と越後からの舟運の中継地として大いに栄えたこの河港も、今はこのようにひっそり。

旧津川町中心街の様子
人口五千人強の旧津川町中心街の様子、2015年12月撮影。
昔ながらの街並みが続きます。
目立つのは銀行の看板ぐらい。
しかし荒廃した雰囲気を感じさせず、まったりと街歩きを楽しめます。

国道459号線の城山トンネル入り口
鹿瀬方面へ進む国道459号線の城山トンネル、2010年5月撮影。
画像左側の駐車場が麒麟山への登り口です。
標高は200m弱。

麒麟山から見たきりん橋周辺
麒麟山から見たきりん橋周辺の眺望、2010年5月撮影。

麒麟山から見たSLばんえつ物語号
津川駅を出発したSLばんえつ物語号を山から俯瞰で見る、2010年5月撮影。

麒麟山展望台の城址記念碑
麒麟山展望台の城址記念碑、2010年5月撮影。
麒麟山には鎌倉中期から江戸初期まで津川城があり、ここはその本丸跡です。
登山口からここまで、あちこちフラフラ寄り道しながら私の足で10分でした。
コースタイムは20分とのことなので、トシの割には相当の健脚であろうと自画自賛するところです。

金上稲荷神社の様子
展望台と記念碑に隣接する金上稲荷神社、2010年5月撮影。
ここから先が短くも険しい山頂への道のりです。

麒麟山山頂への入り口
山頂への入り口、2010年5月撮影。
足元危険!登山注意!の警告が。
ちょっと大げさじゃないの?と甘く見るとヤバいですマジで。

山頂に向け上る岩場
これから登る岩場、2010年5月撮影。

岩場の途中から下を見下ろす
筋金入りの高所恐怖症な私はかなりビビりましたが、俯瞰フェチの沸き立つ血潮が恐怖に打ち勝ちながら歩みを続けて振り返り一枚、2010年5月撮影。

麒麟山山頂から見た阿賀野川
麒麟山山頂から見た津川市街地
何とか頂上まで上がり、津川の素晴らしい俯瞰を思うさま撮りまくった次第であります、神社から所要6分。
2010年5月撮影。
しかしここはホントに怖い。
人ひとり通るのがやっとの岩場を足踏み外したら一貫の終わりですがな。

麒麟山温泉の様子
下山して城山トンネルを通り、麒麟山温泉界隈に達して一枚。
2010年5月撮影。
鹿瀬へはこの道をなおも進みます。

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2016年2月14日 (日)

南吉田駅(越後線)

今回の駅紹介は越後線・南吉田駅。

南吉田駅の駅名票

新潟県燕市に所在する無人駅で、開業は昭和40年(1965年)6月10日。
開業当時の所在は西蒲原郡吉田町で、同町は平成の大合併により平成18年(2006年)3月に近隣の燕市や分水町と合併して新たな燕市となり今日に至ります。

吉田町史によると南吉田駅の開業には周辺の宅地開発が深く関わっていて、現在当駅周辺に立ち並ぶ街並みは駅開業と前後して造成されたもののようです。
また当初は駅名として当地の地名「西太田」を予定していて、「南吉田」は仮称とされていたのですけれど、結局仮称がそのまま実際の駅名になりました。

当駅周辺はまだまだ開発の余地が残っていて、南吉田駅から南に約1kmのところに新たな燕市の新庁舎が2013年に竣工しております。
人口約8万人を擁し、三条市と並ぶ県央地域の雄たる燕市の役所最寄駅という称号を得た?南吉田駅ですが、実際に当駅を利用して役所に用足しに行く人はまずいないのではないかと思います。
「燕市総合計画平成20年度~27年度」によると、鉄道に対する燕市民の満足度は非常に低い(アンケートで満足しているという回答は僅か3%強に過ぎず、ほぼ満足を加えても二割に満たない)ので、越後線で役所にアクセスという発想は無いかもしれません。
市民の鉄道に対する満足度が低い最大の要因として考えられるのは、運行本数が少ないことのようですけれど、特に越後線南部区間(吉田-柏崎間)は利用が少ないから本数が少ないのかはたまた本数が少ないから利用が少ないのか、部外者には判断しかねるとこ
ろなのです。
閑話休題、事実として役所の窓口業務時間内の南吉田駅には、下り3本、上り2本しか発着せず不便過ぎます。
車以外の選択肢には燕市循環バス「スワロー号」があり、こちらは平日のみの運行で一日五往復。→スワロー号ダイヤはこちらへ
バスも本数は少ないものの、日中約二時間毎に運行していて且つ燕市内の主要地区である分水、吉田、燕三条を直結しているので、鉄道とバスのどちらが選択されるかは自明の理なのであります。

南吉田駅駅舎
南吉田駅駅舎の様子、2011年4月撮影。
建築財産票によると完成は駅開業と同じ昭和40年6月で、許容積雪量は100cm。
画像左の小さな建物はトイレです。
男女別で一応水洗ですが、内部の様子はご察しください...
取材から五年経つ現在、トイレはどうなっているのやら。
近年は無人駅のトイレが見違えるようなモノに改装されてビックリ!という例がちらほら有りますが...。
越後線ですと私が確認した限りでは妙法寺駅がそうでした。

駅舎内部の様子その一
駅舎内部の様子その二
南吉田駅駅舎内部の様子、2011年4月撮影。
純粋に待合室としての機能のみです。

ホーム吉田方から見た南吉田駅全景
ホームの吉田駅方から見た南吉田駅全景、2011年4月撮影。
住宅街を線路が貫通しているが如き様相ですが、宅地化が本格化したのは駅開業前後の話なのは前述した通り。
最初に駅ありきの形で宅地開発が進められたのでしょうに、現在は学生以外省みることのなさそうな立ち位置になってしまっています。

ホーム先端部から吉田方面を望む
ホーム端から吉田方面を望む、2011年4月撮影。
ここから吉田駅までは越後線で2km。
この日、私は吉田駅からここまで歩いてきましたが、デジカメのデータによれば所要時間は25分。

ホーム中央部と待合室周り
南吉田駅ホーム中央部と待合室周りの様子、2011年4月撮影。

ホーム粟生津方から見た南吉田駅全景
粟生津駅方から見た南吉田駅全景、2011年4月撮影。
ホームの有効長は6両です。

ホーム先端部から粟生津方を望む
ホーム端から粟生津駅方を望む、2011年4月撮影。

南吉田駅に停車中の115系電車
南吉田駅に停車中の115系電車、2004年9月撮影。

駅前ロータリーと盛りを過ぎた桜の木
南吉田駅前ロータリーと盛りを過ぎた桜の木、2011年4月撮影。
小さいながらロータリーを昔から有する駅は僅少で、地味過ぎるほど地味で顧みられることのない南吉田駅の最大の特徴と言えましょうか。

吉田方の踏切から見た南吉田駅
吉田方の踏切から見た南吉田駅、2011年4月撮影。
周辺の住宅密度の高さがよくわかります。
ここから見た駅の風情は大都市圏の大手私鉄のローカル線の駅のようです。
利用実態もそれに見合っていれば良いのですけれど、残念ながら実態はJR東日本電化路線中、最閑散区間の小駅なのです。

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2016年2月13日 (土)

豊栄駅(白新線)

本日の駅紹介は白新線・豊栄駅。

豊栄駅の駅名票

新潟県新潟市北区に所在する有人駅で、同区の中心駅です。
開業は昭和27年(1952年)12月23日で、新発田駅から伸びる白新線の暫定終着駅としてでした。
開業当時の駅名は「葛塚」。
私が幼少のみぎりは、時刻表に市の玄関駅を表す二重丸で「葛塚」の表記を見るたびに、異様な関心を向けたものです。
市の代表駅なのに白の二重丸、つまり「みどりの窓口」が設置されていないし特急白鳥は通過、急行も大半は通過というギャップにです。
町に過ぎない上越線の六日町や小出に特急「とき」は停まるのに、市の代表駅に停まらないのはどういうことやねんと、幼い頭の中では疑問が渦を巻いていましたなぁ。
閑話休題、当駅の開業当時の所在は北蒲原郡豊栄町で、「葛塚」の駅名は開業当時の所在自治体であった北蒲原郡葛塚に由来します。
同町は昭和30年に周辺諸村と合併して豊栄町になり、昭和45年に市制施行して豊栄市が誕生します。
市の玄関駅なのに駅名が旧町名ではアピール度に欠けるとあってか、昭和51年に駅名を現在の「豊栄」に改称、そして平成の大合併で豊栄市は平成19年に東隣の新潟市に合併編入されて同市北区となり、豊栄駅は北区の中心駅となって今日に至ります。

JR東日本によると2014年度の豊栄駅一日平均乗車人員は3,732人で、同社新潟支社県内有人67駅中第8位。
3位の上越線・六日町駅と6位の信越本線・犀潟駅はほくほく線の通過旅客を含めた水増し数字なので、豊栄駅は新潟、長岡、白山、亀田、新津に次ぐ実質第6位の大駅なのであります。
昭和55年(1980年)当時は上下併せて31本の定期列車(急行4本、快速・普通27本)の停車だったのが、2015年では実に112本の停車(特急14本、快速5本、普通93本)。
新潟-豊栄間はデータイム毎時3本の新潟都市圏頻発運転区間でもあり、当駅で折り返す普通列車は36本を数えます。


豊栄駅南口の様子
豊栄駅南口駅舎の様子、2009年7月撮影。
当駅舎は橋上型で、2009年3月から供用開始。
奇をてらわない堅実な印象の建物です。
駅前はロータリーになっていて、タクシーが常駐。
早通経由で新潟中心部まで行く路線バスと、月岡温泉に直行するバスが発着します。

駅南口の商店街の様子
豊栄駅南口の商店街の様子、2009年7月撮影。
シャッター通り化しつつあるのは日本各地で見られる共通の由々しき問題です。
かつては駅近くにジャスコがあったのですが、いつの間にやら閉店。
これもあちこちで聞かれる話ですな、去られた後に残ったのは客を奪われた商店街という。

豊栄駅北口の様子
豊栄駅北口の様子、2009年7月撮影。
こちら側は駅舎の橋上化によって新たに整備されました。

駅北口ロータリーの様子
豊栄駅北口ロータリーの様子、2009年7月撮影。
こちら側はまだまだ伸び代がありそうに見えます。

豊栄駅橋上駅舎自由通路内の様子
豊栄駅橋上駅舎自由通路内の様子、2010年6月撮影。
画像左手のヤマザキショップは、以前はNewdaysでした。
この時点では夜8時までの営業で、ちょっとばかし早過ぎますな。
日曜夜9時過ぎの自由通路内は人気が無くひっそり。
県内上位の利用状況とはいえ、通勤通学客メインの駅なのでやむを得ないところなのですが。

豊栄駅改札口周りの様子
改札口周りの様子、2010年6月撮影。
天井から下がっている「特急列車のご利用には特急券が必要です」の看板に注目。
新潟-豊栄-新発田間は特急「いなほ」に特急券を買わずに乗る人が多いそうで、実際乗っていると、「どう見ても特急券を買っているようには見えない」風体雰囲気の人が多数乗降するのを見かけます。
列車本数が少なく有人改札ならばチェックも出来て抑止効果が大きいのですけれど、これだけ列車本数が多くなり且つ自動改札ではチェックのやりようが無いですものね。
朝の「いなほ」新潟行ではホームで特急券のチェックをしているという話を聞いたことがあり、実際新発田駅では「特急券拝見」に遭遇したこともありますが、アレが恒常的な事なのかはわかりません。

豊栄駅の改札を抜けた駅構内
改札を抜け豊栄駅構内で一枚、2010年6月撮影。
画像左手前が待合室、中央がエレベーターです。

橋上駅舎上から構内新潟方を見る
橋上駅舎上から豊栄駅構内新潟方を見る、2012年5月撮影。

一番ホーム早通方から見た豊栄駅構内
1番のホームの早通駅方から見た豊栄駅構内、2009年7月撮影。

一番ホーム先端部から早通方を望む
1番ホーム端から早通方を望む、2009年7月撮影。

豊栄駅早通方の線路配置
豊栄駅構内早通方の線路配置はこんな感じです、2009年7月撮影。
白新線新潟-豊栄間はデータイム毎時三本の普通列車と定期七往復の特急、さらに貨物列車も通るので列車密度は高いのですけれど、新崎-豊栄間は単線でこれ以上の増発は厳しいかと思われます。
理想は同区間の複線化ですけれど、JR主導では実現はまず無理。県や市が音頭を取るより他に道無しですが、こちらもまず無理でしょう。
やる気が多少でもあるのなら羽越線高速化計画で検討されるはずですが、そんな話は全然聞きませんからね。

一番ホーム黒山方から見た豊栄駅構内
1番ホームの黒山駅方から見た豊栄駅構内、2009年7月撮影。

一番ホーム先端部から黒山方を望む
1番ホーム端から黒山駅方を望む、2009年7月撮影。
ホーム有効長は旅客列車9両です。

二番ホーム黒山方から見た駅構内
2番ホームの黒山駅方から見た豊栄駅構内、2009年7月撮影。
ホームの上屋は普通列車の編成長に見合った長さです。

三番ホーム中央部の様子
豊栄駅3番ホーム中央部の様子、2015年10月撮影。
3番線は主に普通列車の豊栄駅折り返しや貨物列車の退避に使用されます。

豊栄駅三番線に進入するEF81形電機牽引の貨物列車
旅客列車退避の為、豊栄駅3番線に進入するEF81形電気機関車牽引の貨物列車、2013年9月撮影。

二番ホーム早通方から見た豊栄駅構内
2番ホームの早通駅方から見た豊栄駅構内、2009年7月撮影。
当駅は列車交換の無い場合は上下共に1番線発着なので、2番線の使用頻度は以外に少ないのが特徴です。
2015年3月改正ダイヤで2番線に停車する列車は下記の通りです(全て新発田方面です)
07:04発普通村上行 07:54発普通村上行
08:27発普通新発田行 08:40発特急秋田行
08:57発快速米沢行 12:45発特急秋田行
17:50発普通新発田行 18:28発普通村上行
18:43発普通新発田行 19:07発特急酒田行
19:42発普通新発田行 20:16発快速村上行
21:07発普通新発田行 21:45発普通村上行
23:15発普通新発田行 23:58発普通新発田行

日曜夜の豊栄駅構内
人影のない日曜夜の豊栄駅構内、2010年6月撮影。
まだ21時台ですけれど、田舎の人の動きはこんなところです。

三番ホームの早通方を見る
豊栄駅3番ホームの早通駅方を見る、2009年7月撮影。
3番ホームの有効長は短く、旅客列車4両対応です。
しかし3番は前述したように、主に新潟-豊栄間の短編成区間列車が発着するのでこの程度の長さでも問題無しなのです。
日中の電車は二連ですしね。

豊栄駅一番線に停車中の115系電車
豊栄駅1番線に停車中の新潟行115系電車、2014年6月撮影。
少し前までは日常過ぎるほど日常だったこの光景も、新鋭E129系電車の投入で過去帳入り寸前です。

豊栄駅で列車交換する115系電車とE127系電車
豊栄駅で列車交換する115系電車とE127系電車、2013年9月撮影。
後者は白新線では完全に過去帳入りです。

豊栄駅に停車中のキハ110系快速「べにばな」
豊栄駅2番線に停車中のキハ110系快速「べにばな」米沢行、2014年6月撮影。
昔は気動車列車が多かった白新線も、現在定期気動車列車の乗り入れはこの「べにばな」と朝の新崎発新潟行8626Dのみ。

豊栄駅で折り返し待機中のE129系電車
豊栄駅3番線で折り返し待機中のE129系電車、2015年10月撮影。

豊栄駅で行き違う485系電車時代の特急「いなほ」
豊栄駅で行き違う485系電車時代の特急「いなほ」、2013年5月撮影。
上越新幹線開業以前、当駅に停車する急行列車は下りの「羽越・べにばな」、上りの「べにばな」2往復のみだった時代を鮮明に記憶している世代にとっては、特急が全便停車する現状は豊栄駅が出世したというよりも特急のグレードが下がったのを見せつけられる寂しい話であるというのは言い過ぎでしょうか。

豊栄駅に停車中の485系R編成時代の特急「いなほ」
豊栄駅1番線に停車中の485系電車R編成時代の特急「いなほ」新潟行、2013年9月撮影。

豊栄駅で行き違う485系T編成の特急「いなほ」
豊栄駅で行き違う485系電車T編成の新潟行とR編成秋田行の特急「いなほ」、2012年5月撮影。

豊栄駅で行き違う485系R編成とE653系の特急「いなほ」
去り行く485系電車R編成新潟行とこれから羽越路のヌシとなる
E653系電車秋田行の特急「いなほ」、2014年6月撮影。
485系が定期「いなほ」から撤退する直前の時期の、新旧交代を象徴するような一枚です。

豊栄駅を出発する快速「きらきらうえつ」
豊栄駅1番線から出発する快速「きらきらうえつ」新潟行、2013年5月撮影。
乗ればリーズナブルで実に良いこの電車も、見た目はケバケバしく見えてなんだかなーというのが個人的な印象ですな。
タネ車が485系とはとても思えませんです...

ビュー福島潟の建物
豊栄駅最寄の観光スポット・福島潟の展示展望施設「ビュー福島潟」
2009年7月撮影。
遠目から見ると、科学特捜隊日本支部のようであります。
この日は月岡で市島邸を見学した後、初夏の夕陽を浴びながらここまで歩き。
開館時間内に余裕で着く計算だったのに、道を思い切り間違えて遠回りしてしまい、汗だくでたどり着いたのは17:00過ぎ。
閉館直後の到着でガックリきてしまいましたよ。
あれから行こう行こうと思いながら早6年半。
今年は春に行って勉強してこよう。

初夏の夕刻の福島潟
初夏の夕刻の福島潟、2009年7月撮影。
ここ福島潟は日本のオニバス自生北限で有名です。
実に清涼感のある風景で、自分のミスで閉館に間に合わずのぼせ上がった頭を、風に吹かれながら冷やしたのです。
福島潟見学についてはこちらを

橋上化以前の豊栄駅駅舎
橋上化以前の豊栄駅駅舎、2003年11月撮影。
当時は建築財産票を調べる習慣がついていなかったので正確な完成日が不明なのは実に遺憾なところ。
どうやら駅開業以来の建物だったようです。

橋上化以前の豊栄駅構内その一
橋上化以前の豊栄駅構内その二
橋上化以前の豊栄駅構内その三
橋上化以前の豊栄駅構内の様子、2003年11月撮影。
島式ホーム上の待合室は屋根の上に上屋があるという無意味さで、上屋が作られたのは待合室完成後というのが一目瞭然。
この待合室辺りの佇まいは何となく国鉄様式美離れしていて、なかなかに魅惑的だったのであります。

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2016年2月 6日 (土)

糸魚川駅(北陸新幹線・えちごトキめき鉄道)

本日の駅紹介は北陸新幹線/えちごトキめき鉄道・糸魚川駅。

2017年4月15日記、糸魚川駅の旧記事二つを新記事と統合し加筆修正しました。

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北陸新幹線糸魚川駅の駅名票
えちごトキめき鉄道糸魚川駅の駅名票

大正元年(1912年)12月16日の開業で、新潟県西端の自治体である糸魚川市の玄関駅です。
2015年3月ダイヤ改正でJR西日本・北陸本線から第三セクター鉄道の「えちごトキめき鉄道」日本海ひすいラインに所属が変わっています。
一方、同日に開業した北陸新幹線の駅として新たなスタートをきっています。

糸魚川駅の開業当時の所在は西頸城郡糸魚川町で、同町は昭和29年(1954年)6月に周辺諸村と合併して市制を施行、平成の大合併の号令下の平成17年(2005年)3月に周辺町村と合併して新たな糸魚川市として再出発して今日に至ります。

糸魚川駅はかつてセメント輸送の拠点として活況を呈し、昭和50年代半ばの貨物収入は14億円前後を数え、当時の国鉄金沢鉄道管理局管内の貨物収入は隣の青海駅に次ぐ第2位、当駅と青海駅で同局管内の貨物収入の1/3を占める程だったといいます。
旅客面においても北陸路を往く優等列車多数が停車していて、新潟県西端の客貨の要衝として重きを成していた栄光の過去があるのです。

そんな糸魚川駅の利用状況は、古い資料で恐縮ですが糸魚川市統計要覧によると平成19年度(2007年)の糸魚川駅年間乗車人員は409,911人。
単純計算すると1日平均約1,123人です。
この数字は市内の他の12駅の合計よりも多く、この地域における糸魚川駅の求心力の高さは相当のものなのです。
しかしJR東日本管内の新潟県内駅と比較すると中条駅や五泉駅と同レベル。
市の人口に対して駅の乗車人員は少ないように見えますが、大合併前の旧糸魚川市の人口は3万人強なので、前述の2駅と比べて特別悪いわけではありません。
もしJR東日本所属なら、自動改札導入の下限に位置する利用状況なのです。
ちなみに昭和54年(1979年)の1日平均乗車人員は約2,900人。
30年弱で約6割減っています。

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糸魚川駅旧駅舎の様子、2009年6月撮影。
建築財産票を見つけられなかったので竣工年月を確認できませんでした。
色々資料を見ると昭和32年の竣工という話を見つけたましたが、建物の造りを見るにそのように思えます。
旅客のみならず前述のように貨物の拠点駅でもあったその証が、二階建ての駅舎ということなのでしょう。

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改築以前の糸魚川駅前の様子、2006年9月撮影。
駅前ロータリーにはタクシーがぱっと見で十台ほど常駐の様子。
路線バスは降車が駅ロータリー内、乗車が駅前停留所と乗降場所が区別されていました

なお2017年4月時点での糸魚川駅前発着の糸魚川バス運行の路線バスの鉄道補完路線としては、青海能生線(青海、梶屋敷、浦本、能生)、根知線(姫川、頸城大野、根知)、早川線(梶屋敷)、おうみ巡回線(青海)があります。
→pdfのバス時刻表はこちらへ
土休日運休便が多いので、利用の際はダイヤをよくご確認くださいませ。

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幹線の主要駅らしく、改札口が多い糸魚川駅旧駅舎、2009年6月撮影。
この改札口を使用していた頃、例えば昭和55年10月改正当時の糸魚川駅に日中停車する優等列車は12往復(特急10往復、急行2往復)、富山-糸魚川間は快速列車として運転される急行1往復でした。
優等列車の停車本数で言うと、2011年3月改正では特急14往復、2017年3月改正の北陸新幹線「はくたか」の停車本数は15往復。
停車本数そのものは国鉄時代よりむしろ増えているのですが、受ける印象はそれとは逆なのが不思議なところ。

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乗り越しなどの運賃精算は画像中央のみどりの窓口で行うようにと言われたのです、2009年6月撮影。
しかしこの窓口がまたアレで・・・。
地方の駅にありがちな事なのですけれど、おぢいさんおばぁさんが旅行相談所としてみどりの窓口であーでもないこーでもないと粘っておられる(後ろの行列は眼中に無しで話に夢中)ので、待たされる事といったらもう!(怒)
駅も駅で、小駅のような一人勤務ではないのですから、もう少し融通を利かせてもらってもと思うところですけれどね。
利用する側も、きちんと旅程を決めて切符を買うように心がけていただきたいものです。
こういう光景は新潟駅でも他の駅でも頻繁に目にしますからね・・・。

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糸魚川駅舎の出入り口の様子、2009年6月撮影。
駅コンコース内はタバコ自販機一台と自動券売機が二台設置されていました。

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コンコースの向かって左手には待合室がありました。
待合室内は中央に机状の四角ベンチと壁沿いの一人掛けベンチが二列。
コインロッカーも設置されており、2列X4段構成。
テレビが出入り口上方に置かれて暇つぶしにぼんやり見るのも良し。
また室内にはキヨスク「STATION-PIT」があり、営業時間は0650~2000で品揃えもそこそこ。
なおトイレは改札内外にそれぞれあり、清掃も行き届き綺麗でした。

新駅舎に移行期の糸魚川駅駅舎内改札口付近
窓口と待合室の様子
糸魚川駅旧駅舎から新駅舎への移行期の改札口と窓口及び待合室の様子、2013年9月撮影。
これを見た時も、国鉄時代の特急停車駅に相応しかった舎内がこんなに小さくなっちゃって...と衝撃を受けたものでしたが、後述のようにえちごトキめき鉄道に転換後はこれどころではなかったのであります。

糸魚川駅日本海口の様子
北陸新幹線が開業して、装いも新たになった糸魚川駅日本海口(北口)の様子、2015年10月撮影。
こちら側は北陸本線から転換されたえちごトキめき鉄道の駅としての顔です。
昭和30年代前半に改築された国鉄型の旧駅舎と比べて、当然の事とはいえ何とも垢抜けたものだと感慨もひとしお。
駅前ロータリーも拡幅されてスッキリしましたが、人影もクルマも少ないのは旧駅舎時代と変わらず。

糸魚川駅アルプス口の様子
糸魚川駅アルプス口(南口)の様子、2015年10月撮影。
こちらは北陸新幹線駅としての顔です。
日本海口にも増して立派な佇まいですけれど、これもまた高架駅特有の作用に基づく印象。

糸魚川駅アルプス口駅前通り
アルプス口駅前通りの様子、2015年10月撮影。
かつてはこちら側から駅へ行くには、駅前後の踏切を渡り大きく迂回していかねばならなかったので、住民の方々にとっては大いなる福音と申せましょう。
まだまだ発展途上ながら、市役所もこちら側にあるので今後の発展の伸び代は日本海口よりも大きいかもしれません。

糸魚川駅の赤煉瓦車庫のモニュメント
アルプス口駅前に設置された、かつての駅構内赤煉瓦車庫の出入り口、2015年10月撮影。
移築保存の動きがあったものの、結局叶う事なく新幹線工事に伴って解体されてしまった赤煉瓦車庫。
こうして一部だけでも残されて往時を偲ぶことが出来るのは幸いです。

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糸魚川ジオステーション ジオパルで展示されているキハ52
アルプス口一階の「糸魚川ジオステーション ジオパル」内で保存一般展示されているキハ52、2015年10月撮影。
私が最後に大糸線キハ52に乗ったのは、2009年6月。
私的なさよなら乗車は、雨の夕刻の平岩発糸魚川行でしたっけ。

糸魚川橋上駅舎の自由通路
新装成った糸魚川駅の日本海口とアルプス口を連絡する自由通路の様子、2015年10月撮影。
天井も高く立派な構えの建物ですけれど、道行く人は残念ながらまばら。

糸魚川駅のえちごトキめき鉄道改札口付近
糸魚川駅のえちごトキめき鉄道改札口付近の様子、2015年10月撮影。
旧駅舎時代と比べて、なんとスペースの小さくなったことか。今回、最初に衝撃を受けたのがここでした。
日本海口の立派な様子は言わばショーウィンドー、前途多難な第三セクター鉄道としての実際の顔がこれなのです。

北陸新幹線糸魚川駅の改札口付近
改札を抜けた構内の様子
糸魚川駅北陸新幹線乗り場の様子、2015年10月撮影。
上が改札口付近、下が改札を抜けた構内です。
利用予測を十二分に検討した産物のような、こじんまりとした様子です。
上越新幹線の諸駅を見慣れた目には小さすぎるように思えるのですけれど、上越新幹線の方が少々異常なんでしょうな多分。
浦佐とか浦佐とか浦佐とか。

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駅舎改築前の糸魚川駅前通りの様子、画像中央奥にチラリと見えるのが旧駅舎時代の糸魚川駅です、2009年6月撮影。
通りはアーケードになっていて風雨を凌げます。
しかしこれといった店も無く、非常に地味です・・・。
当時の駅前通りにはこれといった食料調達先も無かったのですが、そこは灯台下暗し。
駅ロータリー右手を歩く事数分にあるのがスーパー「ナルス」。
午前9時からの営業で、品揃えも充分です。
大糸北線を鉄道&バスで見て回る方は、ここでの食料確保を強くお奨めします。
一度北線に入ってしまうと、本当~に!唖然とするぐらい何も無いですから。
姫川駅近くにセブンイレブンがある程度で、他の駅周辺には正しく「何もありません」。
コンビニ・スーパーは勿論食堂もありませんし雑貨店もありません。
飲料以外は現地調達不可。
(何かあるだろうと甘く見て行ったらドツボに嵌った経験者は語るw)

アーケードが撤去された頃の糸魚川駅前
商店街のアーケードが一時完全撤去された頃の糸魚川駅前、2013年9月撮影。
斜陽化する駅前商店街の姿が白日の下に晒された感じで、ちょっと感傷的になりながらこれを撮ってましたっけ。

日本海口方の糸魚川駅前通り
駅舎改築後の糸魚川駅前通りの様子、2015年10月撮影。
こうして見ると駅はとても大きく立派に見えるのですけれど、橋上駅舎化と新幹線の高架のもたらす錯覚的作用が大きいのが実態。
駅とロータリーの工事に伴って撤去されてしまった商店街のアーケードも復活。
しかし見たところ新規出店は無いようで、新しい皮袋に古い酒といった印象です。

さて2009年6月訪問当時、駅前通りの横道は道幅の狭い、昭和三十~四十年代の地方都市の懐かしい雰囲気。
「小学館の学習雑誌」という黄色い看板など見てしまうと、幼稚園や小学校低学年の頃を思い出して、もう懐かしくって切なくって、その場にしばし佇んで・・・。
2016年12月に起きた糸魚川大火では、あの辺りも相当の被害を受けているでしょう。
被災された方に遅まきながらお見舞い申し上げます。
あの長閑な通りがまた再建されることを願っております。

そのように寄り道しながら、駅前通りを真っ直ぐ400mほど進むと突き当たるのが国道8号線。

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国道を地下道でくぐった先にあるのが、日本海の大海原を望む展望台、2009年6月撮影。

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国道8号線の富山方を望む、上は2004年3月、下は2009年6月撮影。
上の画の沈む太陽を見るたびに、昔の金曜ロードショーの物悲しいトランペットの音色が脳内再生されるのですよ。
下の画の背景にうっすら見えるのは姫川港。

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同じく直江津方を望む、上は2004年3月、下は2009年6月撮影。
やはり夕景のほうが画になるかなぁ、ここは・・・。

さて駅に戻って構内を見てみます。

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北陸新幹線駅舎建設が本格化する前の糸魚川駅1番線青海駅方から見た構内、2005年6月撮影。
切り欠き型の4番ホームでは大糸線のキハ52形気動車が待機中。

一番ホーム青海方から見た橋上駅舎化以前の糸魚川駅構内
北陸新幹線駅舎建設工事たけなわの糸魚川駅1番線青海駅方から見た構内、2012年6月撮影。

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北陸新幹線建設本格化以前の糸魚川駅1番線端から青海駅方を見る、2005年6月撮影。

一番ホーム青海方先端部から先を見る
北陸新幹線の高架が完成した糸魚川駅1番線端から青海駅方を見る、2012年6月撮影。
高架建設以前の構内に感じた幹線鉄道の停車場のダイナミズムは随分と薄れてしまった印象です。

一番線梶屋敷方から見た橋上駅舎化以前の糸魚川駅構内
橋上駅舎建設以前の糸魚川駅構内を1番線梶屋敷駅方から見る、2012年6月撮影。

一番ホーム梶屋敷方先端部から先を見る
同じく梶屋敷駅方を見通す、2012年6月撮影。

糸魚川駅の昔の跨線橋内の様子
糸魚川駅跨線橋内部の様子、2013年10月撮影。
幹線の主要駅に相応しい広さです。
この味のある跨線橋も今はもうありません。
画像中央の案内板は、特急「はくたか」「北越」編成案内です。

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跨線橋上から構内青海駅方を見る、上は2009年6月、下は2012年6月撮影。
新幹線の駅舎や高架の圧迫感はやはり強烈。

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同じく構内梶屋敷駅方を見る、上は2009年6月、下は2012年6月撮影。
上の画の2番線に停車している415系電車は当時糸魚川以東の運用には入っておらず、
富山方からの列車が朝晩に入るのみの希少な存在でした。

自由通路から見た糸魚川駅構内
駅舎改築後の橋上駅舎の通路から見た糸魚川駅構内の梶屋敷駅方を見る、2015年10月撮影。

二番線梶屋敷方から見た駅構内
2番線の梶屋敷駅方から見た糸魚川駅構内、2012年6月撮影。

二番線梶屋敷方先端部から先を見る
同じく3番線端から梶屋敷駅方を見通す、2012年6月撮影。

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北陸新幹線建設本格化以前の糸魚川駅島式ホームを梶屋敷駅方から見る、2005年6月撮影。

橋上駅舎化以前の糸魚川駅島式ホーム上屋下の様子
糸魚川駅島式ホーム上屋下の様子、2012年6月撮影。
上屋は長大で、流石は北陸本線の主要駅の貫禄。
しかし列車撮影の場合はコントラストがきつすぎてあまり宜しくなかったりします。
ホーム上には待合室はありません。
3番線は北陸本線上り富山方面乗り場、2番線は待避線です。

三番線中程から青海方を見る
3番線の中程から青海駅方を見る、2012年6月撮影。
かつてのレンガ車庫はその雰囲気も完全に消え去っています。

二番線中程から青海方を見る
同じく2番線中程から青海駅方を見る、2012年6月撮影。
糸魚川駅2番線で普通列車が特急の通過待ちをする光景も、北陸新幹線開業で完全に過去帳入りになりました。

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糸魚川駅3番ホーム上から見たレンガ車庫、2004年3月撮影。
かつての糸魚川駅の見所といったらこの車庫につきました。
その色艶・風格も見事であります。
車庫にはDE10形ディーゼル機関車2両が入庫中。

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レンガ車庫周りの往年の淑女たち、2005年6月撮影。
この日は大糸線にキハ58系気動車2両連結のイベント列車が走っていて、私も頸城大野駅で撮影したものです。

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青海方の踏切から見た糸魚川駅構内
青海駅方の踏切から見た糸魚川駅構内の様子、上は2009年6月、下は2013年10月撮影。

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踏切を渡ったすぐ先がレンガ車庫でした、2009年6月撮影。
地元ボランティアの方々が保存を求めて運動していましたけれど、その甲斐も無く移築は無理という結論になりました。
残しておけば後々街のイメージアップに貢献したと思いますが、費用を考えると当局が二の足を踏んだのも已む無しでしょうなぁ。
双方の言い分共に理解できるので複雑な思いだったものです。

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朝の419系電車富山行が糸魚川駅を発車直前、2009年6月撮影。

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糸魚川駅2番線に停車中の475系急行型電車、2009年6月撮影。

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当時、糸魚川駅には朝夕しか姿を見せなかった413系電車、2009年6月撮影。

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旧塗装のキハ52と「食パン顔」の419系電車の揃い踏み、2005年6月撮影。

糸魚川駅を出発する富山行413系電車
糸魚川駅3番線から出発する413系電車富山行、2013年10月撮影。
当駅のような上屋の長大な駅構内での列車撮影は夜間の方が当たり外れが無くてよいなぁとつくづく思うところ。
昼間だと上屋のせいでこの駅はホント、撮りにくいのですよ。

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懐かしの大糸線気動車キハ52 125 2009年6月撮影。

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キハ52 115 2009年6月撮影。

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キハ52 115と旧塗装の恐らくキハ52 125 2005年6月撮影。

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国鉄首都圏色のキハ52 156 2009年6月撮影。

糸魚川駅に停車中のキハ120
糸魚川駅4番線に停車中の大糸線用キハ120形、2012年6月撮影。
この時は隣の姫川駅までこの気動車に初乗車してみたのですけれど、乗るのはともかく、撮る対象ではないなぁと再認識しました。
当ブログの趣旨から言うと、定期運用される旅客車両は可能な限り撮るのが本筋なので、大糸線も少なくとも新潟県内の平岩駅までの各駅停車のキハ120形を撮らなければならないのです。
しかし車両に魅力を全然感じないし、駅とその周辺はつくづく見て回ったしで、全然その気にならないのですよ、困ったモンだ。
我が街界隈で俄然目にする機会の増えた新鋭E129系電車にも同じ事が言えて、乗れば最高撮るにはサッパリなあの電車を各駅で追っかけするのはなんだかなぁと、全然やる気が起きないのです。

糸魚川駅を出発する485系特急「北越」金沢行
糸魚川駅3番線から出発する485系電車T編成の金沢行特急「北越」、2013年9月撮影。

一番線に到着した485系R編成の新潟行特急「北越」
糸魚川駅1番線に到着した485系電車R編成の新潟行特急「北越」、2013年10月撮影。
北陸新幹線開業以前に撮った糸魚川駅のラストショットがこれ。
これで北陸本線糸魚川駅とはサヨナラかと、ある種の感慨を抱きながら車上の人となりましたっけ。

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糸魚川駅1番線に進入する特急「はくたか」越後湯沢行 2005年6月撮影。

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「はくたか」と旧塗装キハ52のツーショット、2005年6月撮影。

糸魚川駅から出発する金沢行特急「はくたか」
糸魚川駅3番線から出発する金沢行特急「はくたか」、2013年9月撮影。

糸魚川駅を出発した越後湯沢行特急「はくたか」
糸魚川駅1番線を出発した下り越後湯沢行特急「はくたか」、2013年9月撮影。
「はくたか」は、乗ろう乗ろう特にほくほく線区間は乗ろうと思い続けつつ、他のスケジュールとの兼ね合いで結局果たせず、糸魚川から直江津まで一度乗ったきりで打ち止め...
他の取材なんぞ後回しにして乗っとけばよかったと、今頃になって当時の自分の判断を悔いる日々にございます。

糸魚川駅
糸魚川駅1番線に進入する越後湯沢行特急「はくたか」と、4番線で待機中の大糸線キハ120形、2013年10月撮影。

北陸新幹線開業とそれに伴う在来線の第三セクター化で、多種多様な列車が行き交っていた糸魚川駅に日中乗り入れる列車はこのET122系気動車と大糸線のキハ120形のみになりました。
かつての電車特急「北越」の最後の残影として走っていた、485系電車R編成使用の通称「糸魚川快速」も2017年3月ダイヤ改正で廃止されています。

糸魚川駅に入線する泊行ET122系気動車
糸魚川駅に停車中の泊行ET122系気動車
3番線に到着したET122系気動車単行の泊行、2015年10月撮影。
特急列車の乗車口案内板が無くなり、ガランとした長大なホームに単行の気動車...。
この訪問で最大の衝撃を受けたのがこの光景です。

糸魚川駅に入線する直江津行ET122系気動車
糸魚川駅に停車中のET122系気動車
糸魚川駅1番線に到着したえちこトキめき鉄道ET122系気動車単行の直江津行、2015年10月撮影。
JR時代は3連だったのを単行にしたのですから当然と言えばそうなのですけれど、混んでました。
糸魚川から直江津までこの列車で移動しましたが、能生まで座れません。
日曜で学生がいないにも関わらず。
JR西日本時代の土日は、座れないなどまず考えられなかったことです。
糸魚川出発時の単行気動車の乗客の七割は直江津まで乗り通した感じで、運賃がJR時代と同じ事もあって対上越市往来エコノミー派の利用が多いものと推察されます。
なお、待避線の2番線は特急廃止に伴い遊休化したわけではなく、糸魚川発着列車も設定されているために列車が入っています。
2015年3月ダイヤでの2番線発ダイヤは下記の通りです。
直江津方面
07:59発 快速新潟行
以下は直江津行
08:58発 11:01発 13:08発 15:48発 16:18発 17:41発 22:44発

泊方面
05:37発泊行 06:41発金沢行 07:31発高岡行

北陸新幹線糸魚川駅構内の様子その一
北陸新幹線糸魚川駅構内の様子その二
北陸新幹線糸魚川駅構内の様子その三
北陸新幹線糸魚川駅構内の様子、2015年10月撮影。
上越妙高駅同様、ホームドアが完備されているので面白味は全く無し。

糸魚川駅に入線するE7/W7系新幹線電車
駅構内は面白くなくとも、やはりテンション上がるのがE7/W7系電車です。
2015年10月撮影。
ホームドアも柵も、車両撮影には支障の無いレベルなのが救いですな。
このカッコいい電車、来年度からはE4系電車の後継として上越新幹線にも投入開始するとのアナウンスが2007年4月にありました。

さて、糸魚川といえば私がぜひ行ってみたかったのは美山公園の展望台と「フォッサマグナミュージアム」。

姫川駅から国道148号線を歩く
国道148号線を大糸線・姫川駅から糸魚川市街に向けて歩きながら一枚、2012年6月撮影。
前述の大糸線キハ120形に乗車して姫川駅で下車、そこから歩いて向かうことに。
姫川駅から見上げた小山の頂上に美山公園の展望台が見えるので、歩きでもそんなにかからんのではと誤断したのです。

大糸線糸魚川-姫川間の踏切
展望台に向かうには大糸線を横断せねばならないのですが、肝心の踏切がなかなか無くて、かなり歩いてしまってようやくここを横断。
これなら糸魚川駅から素直に行った方が速くね?と後悔し始めた頃でした。

北陸自動車道の側道
セメント工場を見下ろしつつ、北陸自動車道の側道を進んで...

北陸自動車道の上を渡る
北陸自動車道の上を渡って...

美山公園の様子
ようやく目的地の美山公園に到着。
姫川駅を出発してここまで30分。
道は間違えなかったので、掛け値無しにこれだけ掛かるということです。
高低差を甘く見てはいけないと良い教訓になりました。

美山公園内の展望台
公園内のこのデカいタンクがくだんの展望台。

美山公園展望台からの眺め
長野側へはこのような眺望。
山々に雲がかかって冴えないのが残念。
冬の晴れた日に順光で撮れれば最高でしょうね。

展望台から見下ろした大糸線姫川駅
展望台から見下ろした大糸線・姫川駅。
俯瞰で見ると駅の小ささがより実感できます。

フォッサマグナミュージアム
かくして次の目的地「フォッサマグナミュージアム」に到着。
糸魚川静岡構造線の北端に位置する糸魚川市の特質を生かした地質・鉱物博物館であります。→くわしくはこちらを

軽便用蒸気機関車「くろひめ号」
野外展示されている軽便鉄道用の蒸気機関車「くろひめ号」。
産業用としては国産最後の蒸機だそうで、昭和25年ごろ製造されて昭和31年から57年まで糸魚川の運搬用軽便鉄道で使われたとの事です。
重量は5.1tで、日本初の蒸機一号機関車や国鉄の国産蒸機最小のB20形の約1/4に過ぎない小兵てすけれど、実見するとなかなかどうして堂々たるものです。

フォッサマグナミュージアムに展示されている岩石その一
フォッサマグナミュージアムに展示されている岩石その二
館内に展示されている岩石。
鉱物にそれなりの知識が無いと理解するのはちょっと難しいかも。
ブラタモリでタモリさんがここを訪れて知識を披露するのを期待したいところです。

長者ヶ原遺跡その一
長者ヶ原遺跡その二
フォッサマグナミュージアムに隣接する「長者ヶ原遺跡」。
3,500~5,000年前の縄文中期の集落跡で、当時の竪穴式住居が再現展示されています。
個人的にはイマイチつかみどころのない岩石鉱物よりも、こちらの方に強い印象を受けました。

高台から見た糸魚川市街
高台にあるミュージアムから糸魚川駅へ戻りながら一枚。
糸魚川市中心部の街並みと概成した北陸新幹線の高架を望見できました。

糸魚川小学校校庭に展示されている蒸気機関車C12
糸魚川駅アルプス口至近の糸魚川小学校校庭に展示されている蒸気機関車
「C12形88号機」。
重量は50tで前述の「くろひめ号」の約十倍です。
この機関車もアルプス口で展示保存すればいいのになぁ。

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