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2016年1月の記事

2016年1月23日 (土)

桑川駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・桑川駅。

桑川駅の駅名票


新潟県村上市に所在する無人駅で、開業は大正13年(1924年)7月31日。
開業当時の所在は岩船郡下海府村で、同村は昭和30年に周辺諸村と合併して山北村となり、桑川地区はその東部地域になります。
同村はその十年後に町制を施行して新潟県最北の町・山北町になりましたが、平成の大合併により平成20年に周辺町村と共に村上市と合併して今日に至ります。

日本海と海岸近くまで迫る山地の狭間にある桑川地区は、かつては交通不便の地ゆえに海産物の出荷もままならず、当地で作られる良質な木炭が生活の糧だったと聞きます。
そうした生活に陽が差したのが羽越本線の延伸により当地に駅が設置されたことで、鉄道を使う事で海産物の出荷がようやく可能になり、駅近くの桑川漁港が作られたのも鉄道開業なんだとか。
鉄道の威力とその波及効果を表す小典型と言えましょう。

桑川駅舎と道の駅遠景
桑川駅舎と道の駅近景
桑川駅舎の様子、上が2010年6月、下は2003年11月撮影。
駅舎と言っても実際の駅スペースはごく僅かで、大半は「道の駅笹川流れ」です。
地域活性化の為に県の補助を受けて平成5年2月に道の駅に登録されたそうで、レストランと物産販売コーナー、観光案内コーナーを併設しており、国道345号線の重要な休憩施設になっています。

桑川駅待合室内の様子
桑川駅待合室内の様子、2010年6月撮影。
これはホーム側を見た画で、反対側の国道側出入り口前に自動券売機が一台設置されています。
これだけ大きな道の駅の建物でありながら、桑川駅としての空間はこの待合室のみなのです。
この地に多大な恩恵をもたらした鉄道の時代は去り、人もモノもクルマクルマで鉄道はほんの付録という地方過疎地域の現実を体現しているかのようですな。

下りホーム今川方から見た桑川駅構内
1番ホーム(酒田方面乗り場)の今川駅方から見た桑川駅構内、2013年5月撮影。
大正生まれの長大なホームに停車する旅客列車の最長編成は、快速「きらきらうえつ」四連で、他は気動車2~3両に過ぎません。
ホーム右側は道の駅の駐車場で、休憩しながら興味深そうに短編成の気動車列車や通過する特急「いなほ」を見物する人たちをよく見ます。
あくまでも見てるだけーで、鉄道と言えば遠出や出張で新幹線を使うだけ、トロくて不便な気動車なんて乗りませんことよといった感じのギャラリーさんたちです。

下りホーム今川方先端部から先を見通す
1番ホームの今川駅方から先を見通す、2013年5月撮影。
この先は単線区間になっています。

桑川駅一番ホーム中央部の様子
1番ホーム中央部の様子、2004年9月撮影。

桑川駅跨線橋内の様子
桑川駅の開放感ある跨線橋の様子、2010年6月撮影。
今川方面へは遮るものもなく俯瞰で存分に撮影できます。
眺望を良くしているのは、ここから先が笹川流れであることが多少は関係しているのかも。

跨線橋上から見た今川方面
跨線橋上から今川方面を望む、2013年5月撮影。
線路の手前まで迫る山地、大正生まれの構内、駅の利用実態に対してあまりに巨大な建物、本線と比べて使用頻度が少ないのがよくわかる中線の様子。
俯瞰マニアとしては中々に興味深いのがこのポイント。
海がチラ見してくれれば最高なんですけど。

跨線橋上から見た越後早川方面
同じく越後早川方面を望む、2013年5月撮影。
こちら側はは固定窓になっていて、汚れた窓越しにしか撮影出来ないのが俯瞰好きとしては不満なところ。
こっちは海が見えるんですけどね。

二番ホームの越後早川方から見た桑川駅構内
中線の2番ホーム越後早川駅方から見た桑川駅構内、2013年5月撮影。
表側に比べてなんとも色気の無い跨線橋裏手。

島式ホーム越後早川方先端部から先を見通す
島式ホームの村上方から越後早川駅方を見通す、2013年5月撮影。
こちら側は複線区間になっています。

島式ホーム中央から見た道の駅と跨線橋の位置関係
島式ホーム中央から見た道の駅の建物と跨線橋の位置関係、2010年6月撮影。
道の駅の建物の巨大さを実感できる一枚。

中線側の今川方から見た桑川駅構内
中線側の今川駅方から見た桑川駅構内、2004年9月撮影。
こちら側から午前中の下り列車を狙うのが構内撮影のベストかと思います。

島式ホーム上の待合室の様子
桑川駅島式ホーム上の待合室内部の様子、2010年6月撮影。
建築財産票によると昭和26年6月撮影。
利用者が少ないからなのか清掃が行き届いているからなのか、室内は綺麗。
近年は駅の待合室のベンチも、無人駅といえども茶色い一人がけのモノに換わってきていますが、この当時は数世代前のモノでした。
今はどうなっているのやら。

三番線の越後早川方を見る
島式ホーム3番線側から越後早川駅方を見る、2013年5月撮影。
待合室から手前の遊休化部分は雑草が生えていい具合に枯れた雰囲気。

島式ホームの今川方先端部から先を見通す
島式ホーム今川駅方から先を見通す、2013年5月撮影。
中線はまず3番線と合流ののち1番線と合流して一本になっています。

桑川駅で行き違う上下のキハ40系
桑川駅で行き違う上下のキハ40系気動車列車、2013年6月撮影。
日が長い時期とはいえ夕方四時過ぎなので逆光気味なのが辛いところ。
新津行普通列車が中線で待機して上り貨物列車を先行させ、貨物列車通過直後に下り酒田行が桑川駅に到着というシチュエーションです。

桑川駅三番線に進入するEF510型電気機関車牽引の貨物列車
新津行普通列車が2番線に待機中の桑川駅の3番線に進入する、EF510型電気機関車牽引の貨物列車、2013年6月撮影。

桑川駅に到着したキハ110系
桑川駅に到着したキハ110系気動車新津行普通列車、2010年6月撮影。
キハ110系はこの界隈では少数派で、当駅で日のあるうちに撮影出来るのは、日の長い季節でも朝の酒田行とこの列車だけです。

桑川駅に停車中の快速「きらきらうえつ」
桑川駅3番線に停車中の快速「きらきらうえつ」、2013年6月撮影。
桑川駅には優等列車の定期停車実績は無く、金土休日運転の全車指定快速「きらきらうえつ」が優等に準ずる列車停車の唯一の例かと思います。
この日はこれを撮影したのち車上の人になって帰宅。
梅雨時の観光閑散時期でもあり、当駅で乗車したのは私一人。
指定が取れれば特急「いなほ」よりも安上がりで良いですなこの列車は。
まぁ繁忙期は子供が煩いので敬遠しますけど。

桑川駅を通過する485系国鉄特急色の特急「いなほ」
桑川駅1番線を通過する485系電車国鉄特急色の特急「いなほ」秋田行、2013年6月撮影。

桑川駅を通過する485系R編成の特急「いなほ」
3番線を通過する485系電車R編成の新潟行特急「いなほ」、2013年6月撮影。

道の駅のサンセットブリッジ上から見た国道345号線の今川方面
「道の駅笹川流れ夕日会館」から海岸に伸びる「サンセットブリッジ」上から国道345号の今川方面を望む、2013年5月撮影。

道の駅のサンセットブリッジ上から見た国道345号線の越後早川方面
同じく越後早川方面を望む、2013年5月撮影。
かつては公共交通機関で桑川まで来るには羽越線のみでしたが、現在は新潟交通観光バスの路線バス村上-寒川線が運行されています。
ただし一日二便で土休日運休なので駅巡りには使い難いのが残念。

夕日階段から見た海岸の今川方面
「サンセットブリッジ」を渡って「夕日階段」から海岸沿いの今川方面を見る、2013年5月撮影。
ここから先が笹川流れです。
画像中央に見えるのが桑川漁港。

桑川港の様子
桑川駅から今川方面に1km弱の桑川漁港の様子、2006年11月撮影。

桑川漁港に係留中の笹川流れ遊覧船「ゆうなぎ」
桑川漁港に係留中の笹川流れ遊覧船「ゆうなぎ」、2013年6月撮影。
フネの揺れに弱いというか海に畏怖の念を持つ私は未だ乗船経験無し。
佐渡汽船のフェリーでさえ怖いのです。
この遊覧船と粟島汽船のフェリーは乗ってみたいものの海に乗り出す怖さが上回っていて毎年決心が付かず先送りの有様です。
遊覧船はこのフネと「おばこ丸」の二隻体制で、運行期間は3月末から11月中旬まで。

桑川漁港手前の砂浜から桑川駅方面を望む
桑川漁港手前の砂浜から桑川駅方面を望む、2013年6月撮影。
漂着かはたまたポイ捨てか、ゴミが多いのに閉口しましたなぁ。

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2016年1月17日 (日)

中条駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・中条駅。

中条駅の駅名票

新潟県胎内市に所在する有人駅で、開業は大正3年(1914年)6月1日。
開業当時の所在は北蒲原郡中条町で、同町は周辺諸村を逐次合併編入して町勢を拡大。
新潟県内の町としては亀田町や六日町と共に、小さな市よりも存在感の大きい屈指の存在でした。
平成の大合併では隣接する黒川村と合併して新自治体「胎内市」が誕生し、中条駅は人口三万人の新たな市の玄関駅になりました。

古くから県北地域の人口集積地域の一つであった中条町でしたが、産業構造は昔ながらの農業中心でした。
しかし昭和31年に日本海に面する村松浜で天然ガスの試掘に成功し、大手のガス化学工業会社が当地に進出。
さらに昭和37年に新潟県では初の「低開発地域工業開発促進法」に指定されて、県北
地域最大の工業地帯に変貌していったのです。
当駅構内西側の側線群はそれに伴って整備されたもので、当駅から北に2km弱にある(株)クラレ中条事業所へは専用線が引かれていました。

さてJR東日本によれば、2014年度の中条駅一日平均乗車人員は1,193人で、同新潟支社新潟県内有人67駅中33位。
新潟支社では駅への自動改札機導入の下限は基本的に一日平均1,000人程度で、中条駅は新潟都市圏の駅を除けば五泉駅と共にその最下限に属しています。

中条駅駅舎遠景
中条駅駅舎近景
中条駅舎の様子、上は2012年5月、下は2003年11月撮影。
平屋の典型的国鉄様式というべき建物で、建築財産票によると昭和41年11月の完成。
この建物の驚異的なのは、許容積雪量が360cm!であることです。
財産票の表記の間違いじゃないの?と疑ってしまう数字。
駅の改築に中条町が費用負担をしたのかどうかは残念ながら定かではありませんが、もししたのであればそれほど剛健な建物に出来るほど町の財政に余裕があったという事でしょうか?
駅前広場はロータリーになっていて、タクシーが数台待機しております。
ロータリーに発着する路線バスは中条-新発田線で、平日のみの運行で一日四往復→ダイヤはこちらへ
なおこの路線は海岸側の県道経由なので、金塚加治両駅へのアクセスには使えません。
ちなみに「路線バスの旅」青森-新潟編で一行が乗り継ぐ予定だったのがこの路線。
最終便に乗れれば、新発田で新潟行き最終便に余裕で乗り継げるはずだったのですよ。
また当時は平木田-中条間にコミュニティバスが走っていて、一行はギリギリそれに乗れたのですが、現在は廃止されています。
現在あのルートを進むとなったら、坂町-中条間は歩く以外の選択無しですな。

2013年6月時点のu中条駅駅舎内の様子
2008年4月時点の中条駅駅舎内野様子
駅舎内の様子、上は2013年6月、下は2008年4月撮影。
下の画像撮影時点では待合室内でキオスクが営業中でした。
営業時間は07:00~17:30。
当駅至近にコンビニは無く、スーパーウオロクへは少々歩くのでちょっとした買い物に重宝する存在でしたけれど、時流には抗えずにこの半年後に撤退。
この時期は県内の駅でキオスク撤退が相次いでいました。
キオスク跡は観光案内所になりましたが、担当のおねいさんが一人いるだけの正直力を入れているとは言い難い印象で、上の画像撮影時には売店を併設していましたけれど、品揃えはキオスクより明らかに見劣りするものでしたね...。

一番ホーム中央部の様子
1番ホーム中央部の様子、2011年4月撮影。
国鉄時代ほぼそのままのスタイル。

一番ホーム新発田方から見た中条駅構内
1番ホーム(新潟方面乗り場)金塚駅方から見た中条駅構内、2011年4月撮影。
画像右手のコンテナ群はJR貨物に所属するオフレールステーションのモノ。
貨物列車による輸送は過去帳入りになって久しい当駅ですが、物流拠点としての機能は未だ健在。

一番ホーム新発田方から金塚方面を見通す
1番ホーム金塚駅方から先を見通す、2011年4月撮影。

一番ホーム村上方から見た中条駅構内
1番ホーム平木田駅方から見た中条駅構内、2011年4月撮影。
中線(二番線)のホーム有効長が本線のそれよりもずっと短いのがよくわかります。

中条駅跨線橋内の様子
中条駅跨線橋内の様子、2012年5月撮影。
国鉄時代の急行列車停車駅として標準的な広さですな。
画面奥の窓の上に防犯カメラが見えます。
私は遭遇したことがないのですけれど、噂では当駅利用の学生諸君のお行儀はよろしくないのだとか。
一説では下越地方のヨコヅナという声も。

跨線橋上から金塚方面を望む
跨線橋上から金塚駅方を望む、2012年5月撮影。

跨線橋上から平木田方面を望む
同じく平木田駅方を望む、2012年5月撮影。

二番ホーム新発田方から見た中条駅構内
2番ホーム金塚駅方から見た中条駅構内、2012年5月撮影。
中条駅では、2015年3月改正現在で普通列車の特急退避が一日二回行われております。

三番ホーム新発田方から見た貨物側線群
3番ホーム金塚駅方から貨物側線群を見る、2012年5月撮影。
胎内市による中条駅西口整備事業では、この広大な空間を活用して西口を整備し、同時に駅舎を橋上化するとの事です。
事業計画は平成29年度までになっているので、話が順調に進めば再来年には新たな中条駅の姿を見られるのでしょうか。
→計画についてはこちらを。

中条駅島式ホーム上から金塚方面を望む
島式ホーム上から金塚駅方を望む、2011年4月撮影。

島式ホーム上から見た駅舎の様子
島式ホーム上から見た駅舎の様子、2011年4月撮影。
こうした典型的国鉄風を見れるのも、あと僅かなのでしょうね。

二番ホーム村上方から平木田方を見る
二番ホーム村上方から平木田駅方を見る、2011年4月撮影。

三番ホーム村上方から金塚方と側線群を見る
三番ホーム村上方から金塚駅方と側線群を見る、2011年4月撮影。

2008年4月時点の中条駅前の様子
2012年5月時点の中条駅前の様子
中条駅前の様子、上は2008年4月、下は2012年5月撮影。
下の画像中央の道を進むと旧中条町の中心地区へ至ります。
中心地区は核となる店舗が無く、道も狭いので大規模な再開発無しでは活性化は難しいなあという印象で、商業集積は当駅から平木田方に数百mのスーパーウオロクから市役所にかけて集中しているよ
うです。
クラレを始めとした事業所群からは近いので、商売上はその方が良いのでしょうね。

中条駅から出発する115系電車
中条駅1番線から出発する115系電車の新潟行普通列車、2013年6月撮影。
中線では下り貨物列車が待機中。

中条駅から出発するE127系電車
1番線から出発するE127系電車の新潟行普通列車、2013年6月撮影。

中条駅から出発するキハE120+110気動車の快速「べにばな」
中条駅3番線から出発するキハE120+110気動車の快速「べにばな」米沢行、2011年4月撮影。

中条駅二番線で特急退避待機中のキハ40系
中条駅2番線で特急退避待機中のキハ40系酒田行普通列車、2014年4月撮影。

中条駅に停車中のキハ52形
今では完全に過去帳入りとなったキハ52を後部とした夕刻の米沢行普通列車と貨物側線のタンク車、2004年9月撮影。

中条駅に停車中の485系R編成特急「いなほ」
3番線に停車中の485系R編成秋田行特急「いなほ」、2012年5月撮影。
新潟-中条間は約40kmで自由席特急券が¥510と安上がりなのと、時間帯によっては普通列車が過疎ダイヤなせいか中条駅でのいなほ利用はかなり多い印象を受けます。
当駅に特急列車が停車するようになったのは、うろ覚えでいささか恐縮ですが昭和53年10月改正ではなかったかと思います。
ちなみに昭和55年10月改正ダイヤにおける中条駅の優等列車停車は下記の如しです。

下り
803  寝台急行天の川    06:19発 秋田行
811D 急行羽越1号             秋田行
612D   べにばな2号    07:58発 仙台行
501  急行きたぐに      09:48発 青森行
2041M特急いなほ1号    11:48発 秋田行
501D 急行しらゆき      15:13発 青森行
2043M特急いなほ3号    15:46発 青森行
813D 急行羽越3号      16:11発 秋田行
614D   べにばな2号           仙台行
2045M特急いなほ5号    19:46発 秋田行

上り
2042M特急いなほ2号   09:57発 上野行
812D 急行羽越2号     11:19発 新潟行
611D 急行べにばな1号  11:55発 新潟行
502D 急行しらゆき     13:38発 金沢行
2044M特急いなほ4号   13:58発 上野行
814D 急行羽越4号     16:26発 新潟行
2046M特急いなほ6号   17:06発 上野行
502  急行きたぐに     20:11発 大阪行
613D 急行べにばな3号  21:18発 新潟行
802  寝台急行天の川   22:00発 上野行

中条駅を通過する優等列車は、寝台特急「日本海」二往復と夜行急行「鳥海」でしたが、前者はわかりますけれど後者が停車しないのは少々腑に落ちないところです。
坂町駅には停車するのに、当駅はスルー...。
「鳥海」は新聞輸送も使命の一つで、中条駅は新聞輸送の拠点駅ではなかったとすれば通過もわからないではないですが。
でも羽越線内の他の急行停車駅の大半には停車してるんですよね。
吹浦駅には上下共、鼠ヶ関駅には下りが停車していますし。
特急停車駅で通過なのは中条駅のみ。

中条駅を出発するE653系電車特急「いなほ10号」新潟行
中条駅を出発するE653系電車特急「いなほ7号」秋田行
中条駅が最も華やぐ一時、2014年4月撮影。
酒田行831Dを2番線で待機させ、1番線からE653系電車特急「いなほ10号」新潟行が、3番線からは同じく特急「いなほ7号」秋田行が同時発車です。

中条駅二番線で待機中のEF81形電気機関車牽引の下り貨物列車
中条駅2番線で待機中のEF81形電気機関車牽引の下り貨物列車、2013年6月撮影。

中条駅を通過するEF81形電気機関車牽引の上り貨物列車
酒田行普通列車を待機させて1番線を通過するEF81形電気機関車牽引の上り貨物列車、2004年9月撮影。

平木田方の踏切から見た中条駅構内
平木田駅方の踏切から見た中条駅構内、2008年4月撮影。
金塚方駅至近に踏切は無く、駅至近で東西を結ぶ道はこれしかなく、道幅も狭いことから駅西に宅地が広がっている現状では朝晩の渋滞が相当のモノであろうことは容易に想像できるところ。

踏切から平木田方を見る
踏切から平木田駅方を見る、2008年4月撮影。
画像左側の線路が撮影の前月に廃止されたクラレ専用線です。
羽越線の線路に比べて規格が明らかに違うのがよくわかります。

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2016年1月11日 (月)

越後鹿渡駅(飯山線)

本日の駅紹介は飯山線・越後鹿渡駅。

越後鹿渡駅の駅名票

新潟県中魚沼郡津南町に所在する無人駅で、開業は昭和2年(1927年)11月6日。
飯山線の前身である飯山鉄道の越後外丸駅(現・津南駅)-
越後田沢駅間延長開業時にその中間駅として設置されました。
開業当時の所在は中魚沼郡外丸村で、同村は昭和30年に周辺諸村と合併して町制を施行して津南町となり、平成の大合併の嵐の中にあっても十日町市と合併する事なく独立独歩の道を選んでいます。

私鉄の駅として誕生したこの越後鹿渡駅、津南町史を見ると中々に面倒な経緯で設置されております。
飯山鉄道は当時新潟県からも中魚沼郡からも補助金等の支援を得られなかった為、駅設置地域へ「寄付金」を要求したそうで、
当駅周辺地域からは3,500円の「寄付金」を徴収。
大正15年から昭和11年まで約12年をかけて完納させたそうです。
昭和初期の新聞の月極購読料は1円だったそうですから、極めて大雑把に1円=現在の約三千円と考えるとこの「寄付金」は、現在の一千万円ほどになりますね。
この「寄付金」は駅の規模や地元からの駅用地寄付の程度によってかなり変わるようで、いずれエントリーする津南駅(当時は越後外丸駅)は相当の高額に、越後田沢駅は少額で済んだそうです。
しかしたとえ「寄付金」を強要されようと、おらが村おらが地域に鉄道の駅を置かせたかったのが当時の社会状況で、ここ越後鹿渡駅設置に当たっては鹿渡地区と隣の辰ノ口地区の間で熾烈な駅誘致合戦が繰り広げられたとの事で、しかも駅設置後は「寄付金」の分担をめぐってまたモメたそうです。
辰ノ口地区からすれば、自分のとこから約1km離れた隣地区の駅の為にけして少なくないおカネを支払わされるなんて、到底納得いかないところでしょうしねぇ、あぁメンドくさい話...。

さて誕生にこのような経緯を経た飯山鉄道・越後鹿渡駅は、昭和19年6月に同鉄道が国有化されたことにより、戦後は国鉄の駅として歩んできたわけです。
十日町市史によると、当駅の半世紀前の1965年一日平均乗車人員は218人。
現在の駅とその周辺を考えると、俄かには信じられない凄い数字です。
それが1970年12月の貨物取り扱い廃止を経て、1980年の一日平均乗車人員は96人で、15年間で56%の大幅減。
1992年は38人にまでさらに減っていて、現在は10人台でも驚かない、そんな駅の佇まいです。

越後鹿渡駅駅舎の様子
越後鹿渡駅舎の様子、2010年5月撮影。
飯山線新潟県内区間の他の改築駅と同一のデザインです。
最初からそうだったのかはわかりませんが、出入り口がスロープになっているのは時流に沿ったものでしょう。
建築財産票によると2002年12月の完成です。
1997年から2002年にかけて、当駅の他に十日町市、中里村、津南町に所在する
内ヶ巻下条魚沼中条土市越後水沢越後田中の各駅がこのようなデザインで改築されています。
これら改築駅にはトイレが無いので要注意。
当駅周辺にはトイレを借りられる店はありません。

越後鹿渡駅前の様子
越後鹿渡駅前の様子、2010年5月撮影。
かつての隆盛ぶりを偲ばせる広い駅前です。

ホーム十日町方から見た越後鹿渡駅構内の様子
ホームの越後田沢駅方から見た越後鹿渡駅構内の様子、2010年5月撮影。
ホームの有効長は四両です。
当駅の列車交換設備がいつ頃撤去されたのかは残念ながら資料に行き当たりませんでした。
ただ昔の時刻表を紐解くと、昭和55年10月改正ダイヤでは十日町-森宮野原間の定期旅客列車の交換の大半は越後田沢駅で行われており、この時点で当駅の交換設備は不要であったと推測できます。

ホーム十日町方から越後田沢方面を見通す
ホーム端から越後田沢駅方面を見通す、2010年5月撮影。
当駅が列車交換駅であった事が線形からもよくわかります。

津南方から見た越後鹿渡駅構内の様子
ホームの津南駅方から見た越後鹿渡駅構内の様子、2010年5月撮影。

ホーム先端部から津南方面を見通す
ホーム端から津南駅方を見通す、2010年5月撮影。

ホーム上の古びた上屋
越後鹿渡駅の昔日の栄光を知っているであろう、ホーム上の古びた上屋、2010年5月撮影。

越後鹿渡駅の交換設備や側線の撤去跡の様子
当駅の交換施設や貨物側線の撤去跡は再利用されていないようです。
2010年5月撮影。

実に味のある駅の佇まい
この角度から見ると程好く静かに自然に朽ちた、実に味がある駅の佇まいだと個人的に思うところであります、2010年5月撮影。

待合室内の様子
越後鹿渡駅待合室内の様子、2010年5月撮影。
飯山線はワンマン運行区間なので、自動券売機も乗車証明書発行機もありません。
右奥の「善意の傘」は、この界隈で時折見かけるものです。

越後鹿渡駅を出発するキハ110系気動車
越後鹿渡駅を出発するキハ110系気動車長野行普通列車、2010年5月撮影。
画像右側端に、駅裏を流れる信濃川の水面がチラリと映っています。

駅周辺の鹿渡地区の様子
駅周辺の鹿渡地区の様子、2010年5月撮影。
この道路は国道353号線です。
この撮影の二ヶ月前までは、付近に津南町立三箇小学校がありました。
過疎化少子化の為、信濃川の対岸の国道117号線沿いの津南小学校に統合されてしまいました。
当地域から直線距離で3kmほどありますけれど、橋が少ないので実際にはその倍はあります。
画像右手前の民家の前にバス停がありますが、これは鹿渡新田-津南駅前-津南小学校間に運行されている路線バスのものです。
→ダイヤはこちらへ

鹿渡集落の山側に見えるおそらくは砂防ダム
鹿渡集落の山側に見えるおそらくは砂防ダム、2010年5月撮影。
信濃川と山地に挟まれた狭隘な立地なのです。

鹿渡地区から国道117号線へ通じる橋の様子
鹿渡地区から信濃川対岸の地域の大動脈国道117号線へはこの橋を渡っていきます、2010年5月撮影。
中越地震の一週間前(2004年10月)に当駅を初めて訪れた時には、十日町から津南行きの路線バスに乗車し、この道への入り口にあるバス停で降りて約2km歩いてみました。
季節的にも野生動物さんとの不意遭遇の気配濃厚で、かなりビビりながら進んだのが記憶にまざまざと甦る、そんなロケーションでしたね。

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2016年1月10日 (日)

平林駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・平林駅。

平林駅の駅名票

新潟県村上市に所在する無人駅で、開業は昭和27年(1952年)5月15日。
当駅の前身は仮乗降場で、ウィキペディアには昭和25年に開設とありますが、私が当たった資料や他サイト様では昭和19年開設とあります。
羽越線では戦時中に輸送力増強の為に神山駅中浦駅がまず信号場として開設されていますけれど、当駅の仮乗降場としての開設が昭和19年であるのならば、やはり信号場としてまず開設が計画されて、仮乗降場としての機能も追加されることになった為に開設
当初から「仮乗降場」としてアナウンスされたと考える事が出来て、当駅の出自としてはこちらが自然な流れかなぁと考えるところなのですが、確定的な資料が無い以上推測の域を出ません。

ともあれ当時日本各地であった信号場や仮乗降場の駅昇格請願の流れに乗って、平林信号場は昭和27年に駅昇格を果たし現在に至ります。
なお駅昇格時の所在は岩船郡平林村で、同村は昭和30年に隣接諸村と合併して神林村となりますが、同村の玄関駅は村役場が隣接する東隣の岩船町駅でした。
神林村は平成の大合併で平成20年(2008年)4月1日に周辺市町村と合併して新たな村上市の一部となり今日に至ります。

2013年9月時点の平林駅駅舎の様子
2003年11月時点の平林駅駅舎の様子
平林駅舎の様子、上は2013年9月、下は2003年11月撮影。
建築財産票によると竣工は平成10年(1998年)1月27日。
許容積雪量は130cmですが、近年この地域でそこまで積もるのは極めて稀でしょうね。
駅舎は待合室とトイレのみの建物で、待合室は窓が広く大きくて見映え良し防犯上も良しの良デザイン。
下の画像は当駅初訪問時の一枚で、この時点で既に自動券売機が一台設置されていました。
当駅が無人化されたのは昭和47年9月との事ですが、これは羽越本線・白新線全線電化と引き換えの合理化施策のようです。
この時期は線内の多くの駅が無人化や貨物・荷物の取り扱い廃止の憂き目を見ています。

平林駅西口駅前の様子
平林駅西口駅前の様子、2013年9月撮影。
こちら側は半農半住の地域で、旧平林村の中心集落もこちら側だったのでしょう。
自転車の駐輪スペースはご覧の通りで、簡易なモノでいいから村の予算で上屋を付けてやればいいのにと部外者は思うところです。

西口側ホームの坂町方から見た平林駅構内
西口側ホーム(村上方面乗り場)の坂町方から見た平林駅構内、2013年9月撮影。
ホーム上の雑草の有無で、列車停車の境界が判別できます。

西口側ホーム中央部の様子
西口側ホーム中央部の様子、2011年4月撮影。
駅舎と跨線橋、東側ホームの待合室の位置関係がわかります。

西口側ホーム村上方から岩船町駅方を見通す
西口側ホーム村上方から岩船町駅方を見通す、2011年4月撮影。
黄色い線が無いことから、この辺りは列車の停止位置から外れて完全に遊休化しているのがわかります。
昔は長編成の客車列車がホーム有効長一杯に停車していたのでしょうに、今では最大七両、E129系に統一後は最大六両になるのは確実です。

平林駅跨線橋内の様子
平林駅跨線橋内の様子、2011年4月撮影。
国鉄時代のローカル駅定番のスタイル。
上の窓は固定されていますが、下の窓は開閉可能なのが俯瞰好きな私にとっては大いなる福音。
まぁ窓を開ける酔狂な御仁は他にいませんから、窓とその下は汚くておっそろしい事に。

平林駅跨線橋から見た岩船町方面
その開く窓から岩船町駅方を望む、2011年4月撮影。
平林駅から村上駅までは単線区間になりますが、当駅の有効長は往年の長編成貨物列車も十分収まりそうな長大なものになっております。

平林駅跨線橋から見た坂町方面
同じく坂町駅方を望む、2011年4月撮影。

東口側ホームの岩船町方から見た平林駅構内
東口側ホーム(新潟方面乗り場)の岩船町方から見た平林駅構内、2011年4月撮影。
こちら方では東口側ホームが張り出した形になっています。

東口側ホームの坂町方から先を見通す
同じく坂町駅方から先を見通す、2011年4月撮影。

平林駅東口側ホーム待合室内部の様子
平林駅東口側ホーム待合室内部の様子、2013年9月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和33年2月の竣工。
この年に平林駅は岩船町方に300m移設されているそうで、この待合室は駅移設時に建てたものなのでしょう。
撮影時点では自動券売機は未設置で、代わりに乗車証明書発行機が置いてありました。
この小型の郵便ポストみたいな機械も、近年見なくなりましたなぁ。

平林駅東口の様子
平林駅東口の様子、2011年4月撮影。
国道7号線に面した、2000年秋に整備されたというこの東口、広い駐車スペースと上屋付きの駐輪場と、部外者から見ればこちら側がメインのエントランスだと信じて疑わないことでしょう。
この時点では駅至近に、やる気満々でいい感じの八百屋さんとローソンがありました。
八百屋さんで果物を買いローソンでお弁当を買って、田園の長閑な風景の中を走り抜ける列車を眺めながら食すのもまた一興。

「平林城跡」の案内板
東口の観光案内と言うべき「平林城跡」の案内板、2011年4月撮影。

羽越本線と並走する国道7号線
羽越本線と並走する国道7号線、2011年4月撮影。
ここ平林はバス過疎地域で、小岩井-村上間に土休日運休の便が一日一往復のみです。→ダイヤはこちらに
村上駅前から平林駅へは所要40分で運賃560円ナリ。
なおこの路線は海岸沿いの岩船本町経由で、国道7号経由で村上や坂町に直行する路線はありません。
もしあったならば、「路線バスの旅」でたとえ府屋で蛭子さんのパチンガス炸裂があっても万代橋まで辿り着けたかもしれないのにw。
20年ほど前の地図を見てもバス路線の設定はなかったようで、羽越線の普通列車が基本的に毎時一本確保されているとあっては、所要時間の点で競合は困難なのでしょうね。
ちなみに「小岩井」は米坂線旧花立駅から荒川を渡った辺りで、当駅から南西に約4km。

坂町方の踏切から見た平林駅構内
坂町駅方の踏切から見た平林駅構内、2011年4月撮影。
岩船町に向かってすっきりと直線が続きます。

「平林城跡」の様子その一
「平林城跡」の様子その二
「平林城跡」の様子その三
駅東口の案内板通り、約20分で「平林城跡」に到着。
2011年4月撮影。
中世の城について予備知識が無いと、見学しても何が何やらという感じで、私はその辺は完全に素人なので正直余り惹かれるモノもなく....。
山城へ行けば印象もまた違うのは、これまでの経験上わかっておるつもりですけれど、行くにはちょっとした登山の覚悟が必要で断念。

平林駅に停車中の115系電車
平林駅に停車中の村上行115系電車の普通列車、2013年9月撮影。

平林駅に停車中のキハ40系気動車
朝の新津行キハ40系気動車普通列車が停車中、2004年8月撮影。

平林駅を出発するキハ110系気動車
平林駅を出発する朝のキハ110系気動車酒田行普通列車、2004年8月撮影。
この時も現在も、陽のあるうちに坂町-桑川間でキハ110系を撮影出来るのは実質この列車だけになります。
夕方~夜のキハ110系新津行は、最も日の長い時期でも桑川駅が日没ギリギリというところです。

平林駅に停車中のE127系電車
昨年(2015年)3月ダイヤ改正で羽越線から姿を消したE127系電車新潟行普通列車、2006年10月撮影。

平林駅を通過する485系R編成の特急「いなほ」
平林駅を通過する485系電車R編成の新潟行特急「いなほ」、2011年4月撮影。

平林駅を通過する485系T編成の特急「いなほ」
完全に過去帳入りとなった485系電車T編成の新潟行特急「いなほ」、2013年9月撮影。

平林駅を通過するEF81形電気機関車'牽引の下り貨物列車
平林駅を通過するEF81形電気機関車'牽引の下り貨物列車、2011年4月撮影。

平林駅を通過するEF510形電気機関車牽引の上り貨物列車
2013年度にJR東日本からJR貨物に売却されたという経歴の、EF510形電気機関車504号機牽引の上り貨物列車、2014年4月撮影。

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2016年1月 3日 (日)

新潟大学前駅(越後線)

本日の駅紹介は越後線・新潟大学前駅。

新潟大学前駅の駅名票


新潟県新潟市西区に所在する有人駅で、開業は越後線電化と同日の昭和59年(1984年)4月8日。
開業時の所在も新潟市でした。
駅名の由来は、当駅から東に約700mで正門に行き着く国立新潟大学そのものズバリなのですが、新潟大学(新大)のキャンパスは広いので、学部によっては内野駅の方が近かったりするそうです。
...実は私は新大に足を踏み入れたことがないのです、なにしろ数学が壊滅的にデキないので、国立大受験は最初から諦めて私立文系一本だったものですから。
だから国立大卒の人には今もってコンプレックスがあるのですよ。
何でもオールマイティに点を取れる人って凄いなぁと。
なにしろ私は歴史や政経は偏差値70当たり前な一方、数学は校内の定期試験でさえ50点台しか取れない(大恥)。
それもね、試験の二週間前から勉強始めてそれですからね。
公式なんて三歩歩けば最早忘却の海に沈んでいる始末。
「どうしてそうなったのか」という経緯を理解出来ないと覚えられないんですわ。
何事も連続性、物語性を見出さないと覚えられない。
歴史や政経はそれを満たしているので、教科書や参考書を数回読めば知識として理解蓄積できるのですが。
即興の暗記が苦手なのは、流石IQ60の成せる業なのでございます。

閑話休題
JR東日本によれば新潟大学前駅の2014年度一日平均乗車人員は2,932人で同社新潟県内有人67駅中11位。
3位の上越線・六日町駅と6位の信越本線・犀潟駅はほくほく線通過旅客込みの水増し数字なので、当駅は実質第9位になります。
単線かつ列車交換設備の無い棒線上の駅としては、新潟県内でトップの利用状況なのであります。

新潟大学前駅舎の様子
新潟大学前駅舎の様子、2012年3月撮影。
高台のホーム/改札に至る階段が駅舎構造物と一体化しているので、橋上駅舎と同様に駅舎を大きく見せています。

ホーム上から駅前を見下ろす
ホーム上から新潟大学前駅前を見下ろす、2012年3月撮影。
ホームとの高低差を実感出来ます。
駅至近は住宅街で道も生活道路そのものという感じで、路線バスの乗り入れもこれでは難しいでしょう。
新大関係者向けにタクシーの常駐があっても良さそうなものですが、私はタクシー待機を目撃したことはありません。

2012年3月時点の改札口周辺の様子
2015年12月時点の改札口周辺の様子
新潟大学前駅改札口周辺の様子、上は2012年3月、下は2015年12月撮影。
当駅は2010年2月に指定券自動券売機を設置した代わりにみどりの窓口を廃止。
これは新潟県内では最初のケースになります。
当駅に続いて信越本線・越後石山駅と白新線・東新潟駅も同様の形態に変更されて、当時は今後この業態が増えるのだろうと思っておりましたけれど、結局この三駅で打ち止めのようで予想は外れましたなぁ。
新潟駅や長岡駅では指定券券売機で新幹線のきっぷが買えるのに、年配層以外でもわざわざ窓口に並んで求めている人が目立ちますが、融通の利かない機械相手は面倒に感じる向きがそれだけ多いということでしょう。
なお、指定券券売機導入以前は窓口横の有人駅用自動券売機の他に、無人駅用の券売機が通路に一台設置されていました。

ホーム内野方から見た新潟大学前駅構内
ホームの内野駅方から見た新潟大学前駅構内、2012年3月撮影。
棒線で駅舎に面した上屋の一角以外、ホーム上には何もないので視界が遮らず且つ直線である事から、実際以上にホームが長く見えるのが当駅の特徴です。

ホーム先端部から見た内野方
同じく内野駅方を見る、2015年12月撮影。

ホーム寺尾方から見た新潟大学前駅構内
ホームの寺尾駅方から見た新潟大学前駅構内、2012年3月撮影。

ホーム先端部から見た寺尾方
同じく寺尾駅方を見る、2015年12月撮影。

駅海側の高台から見た構内
新潟大学前駅の海側はさらに高台になっており、そこから駅を見下ろして一枚、2012年3月撮影。
ホーム上の上屋は二両分といったところです。

新潟大学駅前の連絡地下道の様子
駅反対側(海側、新大方面)へは地下道で連絡しています、2008年12月撮影。
駅至近は前述の通りですが、越後線を挟んで南北に幹線道路が通っており、少し歩けば買い物や食事に困る事はありません。

新潟大学前駅に停車中の115系電車
新潟大学前駅に停車中の115系電車、2015年12月撮影。

新潟大学前駅に停車中のE127系電車
越後線・新潟-内野間のの主力車両だった当時のE127系電車が新潟大学前駅に停車中、2005年9月撮影。

新潟大学前駅に停車中のE129系電車
これからの主力となる新鋭E129系電車が新潟大学前駅に停車中、2015年12月撮影。

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2016年1月 2日 (土)

内野駅(越後線)

本日の駅紹介は越後線・内野駅。

2017年3月12日記、旧駅舎時代の記事と統合し、加筆修正を実施しました。

内野駅の駅名票

新潟県新潟市西区に所在する有人駅で、大正元年(1912年)8月25日の開業です。
開業当時は西蒲原郡内野村の所在で、同村は昭和に入って間もなく町制を施行し、昭和35年11月に新潟市に編入合併して今日に至ります。
平成の大合併以前の旧新潟市時代、市西部の市街地西端がこの地域で、内野駅もまた新潟駅との越後線頻発運転区間(データイム毎時3本)の終端であります。
JR東日本によれば当駅の2015年度一日平均乗車人員は2,714人で、同社新潟県内有人67駅中12位です。
越後線内の有人駅(新潟駅と柏崎駅を除く)では13駅中第3位と、頻発運転区間の終端という列車運行上のみならず、営業的にも重要な駅なのですが、新潟大学前駅、そして内野西が丘駅が相次いで開業して、当駅駅勢の地盤沈下が続いています。
特に2008年度で新潟大学前駅に乗車人員で抜かれて、その差が拡大し続けている状況なのです。

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内野駅旧駅舎の様子、上は2006年10月、下は2010年5月撮影。
建築財産票によると昭和46年11月の竣工。
国鉄の地方中堅クラスの駅舎特有の横長平屋建てです。
駅前広場は比較的狭く(奥行きが無い)、この狭隘さは開業当時の旧内野村の中心近くという立地に由来しているのかなと思う次第。
既に市街化されているところに駅を設置したわけですから、今日の視点に立てば色々としわ寄せがきているのは確か。

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内野駅旧駅舎内部の様子、2010年5月撮影。
国鉄の地方主要駅の標準形でした。
当駅には2006年1月に自動改札が導入されております。
改札正面上の白い掲示板は、昔は時刻表が掲示されていたと思うのですけれど。
近年はどこも外されてしまっていますなぁ。

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内野駅旧駅舎内部の待合室周りの様子、2008年5月撮影。
駅出入り口から向かって右側が待合室で、新潟県内ではその数を減じているキオスクが健在でした。
当時、内野駅至近にコンビニは存在していなかったので、このキオスクはちょっとした買い物に便利だったのです。
(当時のキオスク営業時間は06:55~12:05、14:00~18:30で日曜定休)
2010年5月に再訪した際もまだ健在でしたが、ウィキペディアによると2011年3月に撤退してしまったとの事です。
橋上駅舎への改築計画が定まった時点で撤退は決まっていたのでしょうね。
待合室内は空調付きで、開放時間は05:15~23:55とほぼ初電/終電に対応したものでした。
この辺は当時、内野駅がJRの直営駅であればこそのサービスぶりで、業務委託が大半になっている他の中堅有人駅では夕方6時ともなれば、窓口営業終了と同様に待合室は閉鎖されてしまうのです。
この撮影からしばらくして当駅も業務委託駅になり、それに伴って待合室の開放時間にも影響があったのではと思われます。

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内野駅1番ホーム側の駅舎の様子、2005年9月撮影。
この辺の見付けはまさに国鉄地方中堅駅のスタンダードと言えましょうか。
なお構内のトイレは画像の飲料自販機の先に男女別でありました。

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駅舎改築前の内野駅北口の様子、2010年5月撮影。
画像の右側は小学校の校庭で、桜の木の列が道と校庭の狭間に。
春を迎えると桜の花が咲き誇り彩り鮮やかに。

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駅舎改築直前の内野駅北口は、自動券売機1台と自動改札機2台という簡素なものでした、2010年5月撮影。

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改築前の駅前広場から内野駅前通りを見通す、2010年5月撮影。
当駅至近は頻発運転区間終端で賑やかという想像とは異なり、前述のようにコンビニはありませんし、スーパーも大手は出店していません。
いずれも駅から500m以上進まないと行き当たらないのです。
駅前通りやそれと十字路で交差する県道周りを含め、寿司屋等の料理店や個人商店が軒を連ねます。

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県道の十字路側から駅前通りを見通す、2010年5月撮影。
画像中央の青い屋根の建物が旧内野駅駅舎です。

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駅前通りと十字路で交差する県道の様子、2010年5月撮影。
新潟市西区の人口集積及び行政文教は当駅から新潟方へ2駅進んだ寺尾駅周辺が中心で、この県道もそちらに向かうにつれてコンビニやスーパー、レストランなどが増えていきます。
なおこの県道には新潟市中心部と内野地区を結ぶ路線バスが設定されています。
2010年時点だと新潟駅-内野駅間は越後線で所要20分強で運賃は¥230、バスは40分程度で運賃は¥550。
これだけ見ると勝負にならんと思われるでしょうが、バスは越後線が通らない市中心街や市役所直通のうえに、特に真冬は越後線よりも「動いてくれる」可能性が高いので信頼性が高かったりします・・・。
越後線は特に羽越線での特急「いなほ」脱線事故以来、昔なら運行していたレベルの風でも運休や大幅遅延が当たり前。
新潟-白山間の信濃川鉄橋と関屋青山間の関屋分水鉄橋、内野以南の遮蔽物が一切無い田圃の強風吹きさらし区間で運転規制がかかる事夥しで、ホントにアテにならんのですわ・・・(困ったモンだまったく)。

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1番ホームの新潟大学前駅方から駅舎改築前の内野駅構内を望む、2005年9月撮影。
1番線には当駅折り返し待機中のE127系電車が客待ち中です。

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1番ホームの内野西が丘駅方から、駅舎改築前の内野駅構内を望む、2005年9月撮影。
ホーム上の上屋は小さくて、車両2両分といったところです。
利用状況は悪くないのに、この小駅然の扱い。
越後線が電化のはるか以前、C56形蒸気機関車牽引り客車列車が主力な簡易規格のローカル線だった頃を平成の世になってもまだ引きずっているかのようでした。
話によると構内有効長は昔より小さくなっていて、現在は最大7両ほど。
そういえば昔は急行列車の間合い運用で、朝ラッシュ時に長大編成が走っていましたからねぇ・・・。
構内有効長を小さくしたという事は、越後線頻発運転区間でも需要はその程度と支社が見切っているという事ですな。

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内野駅跨線橋上から新潟大学前駅方を望む、2005年9月撮影、。
内野駅構内は対面式ホームの2面2線で、当駅が前述のように頻発運転区間の終端である事から折り返しの電車が常にどちらかのホームに停車している印象が強く、途中駅でありながら大都市私鉄の支線の終端駅のような趣があります。

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同じく内野西が丘駅方を望む、2005年9月撮影。

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2番ホームの内野西が丘駅方から、改築前の内野駅構内を望む、2005年9月撮影。

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内野西が丘駅方踏切から、改築前の内野駅構内を望む、2010年5月撮影。

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新潟方の陸橋上から改築前の内野駅構内とその周辺を見る、2010年5月撮影。
線路の左右とも市街地化されている様子がよくわかります。

内野駅の新駅舎の様子その一
内野駅の新駅舎の様子その二
内野駅の新駅舎、2015年12月撮影。
2014年9月に供用を開始した橋上駅舎です。
階段がアーチ状になっていて、二本の虹が頂点で結合しているような趣。
単に傾斜直線状でデザインするよりも、建物の有機的存在感が増すと言うかまろやかさに富むというか。
ボキャブラリーが貧困なので中々美味く表現出来ないのが遺憾なところですが。

内野駅前ロータリーの様子
駅舎改築後の内野駅前ロータリーの様子、2015年12月撮影。
改築前と比べると少し広くなって、白線がきちんと引かれて秩序立っています。
以前はその点、ちょっとルーズな感じでした。
タクシーが常駐しているのは以前と変わらずです。
路線バスは内野駅と海岸沿いの角田地区を結ぶ社会実験の住民バス「シーサイドエクスプレス」のみ乗り入れています。→詳細はこちら
2016年度も社会実験として引き続き運行されていましたが、2017年度の運行については3月5日の時点でまだアナウンスされていません。
定期路線バスについては、2017年3月25日の新潟交通ダイヤ改正で、「内野駅南口」バス停が新設されて、駅前にバスが乗り入れることになりました。
発表されたダイヤでは、青山から内野駅南口間へは平日2本・土休日8本、内野駅南口から青山へは平日9本・土休日6本になっています。

内野駅前通りの様子
駅舎改築後の内野駅前通りの様子、2015年12月撮影。
画像中央の建物が内野駅の新駅舎。
通りの様子は以前と変化無し。
駅至近にコンビニは無いので、駅改築に先立ってキオスクが撤退してしまった現在、ちょっとした買い物に困るのです。

内野西が丘方の踏切から見た内野駅構内
内野西が丘駅方の踏切から見た改築後の内野駅構内、2015年12月撮影。
画像右手のアーチ状階段部分は、側面から見ると巨大な事がよくわかります。

駅舎改築後の内野駅北口
駅舎改築後の内野駅北口の様子、2015年12月撮影。
前述のように、駅舎改築以前はこちら側に自動改札機と券売機のみ設置の簡易な出入り口がありましたが、橋上駅舎化に伴い撤去されました。

内野駅舎内自由通路の様子その一
内野駅舎内自由通路の様子その二
内野駅橋上駅舎内自由通路の様子、2015年12月撮影。
外から見ると実態以上に巨大な駅に見えるのは橋上駅舎の常で、内部はいたってシンプルです。
改札周りも簡素で、かつての「国鉄の駅」らしさムンムンだった旧駅舎に比べるとマニア的にはやはり寂しい...

自由通路側から見た内野駅の改札内の様子
内野駅橋上駅舎の自由通路側から改札内を見る、2015年12月撮影。
画像奥が待合室です。
内部の造りは近年の新潟県内の橋上駅舎(亀田豊栄、関屋の各駅)と比べると、やや簡素な印象。
今後の駅の需要予測と市の財政事情が絡み合ってのモノなのでしょうか。

一番ホーム新潟大学前方から見た内野駅構内
1番ホームの新潟大学前駅方から見た駅舎改築後の内野駅構内、2015年12月撮影。
旧駅舎時代同様、駅構内の撮影はホームと駅舎の間合いが大きく開放感のある吉田方からの方がベターでしょう。

内野駅二番線で折り返し待機中のE129系四連
1番ホームの内野西が丘駅方から見た改築後の内野駅構内、2015年12月撮影。
2番線には当駅折り返しのE129系電車4連が待機中です。

二番ホーム内野西が丘方から見た内野駅構内
2番ホームの内野西が丘駅方から見た駅舎改築後の内野駅構内、2015年12月撮影。

二番ホーム出入り口付近の様子
駅舎改築後の内野駅2番ホームの出入り口付近の様子。
ホーム上のベンチは一、二番共に階段手前と橋上駅舎直下に集中して設置されています。
飲料の自販機も両ホーム共に同じ位置に設置。

内野駅で交換する115系電車とE129系電車
越後線の新旧交代を象徴する、新鋭E129系電車と去り行く115系電車の内野駅での交換風景、2015年12月撮影。
あと二年もすれば、この光景も完全に過去帳入りでしょうか。

折り返し待機中のE129系二連
同じく待機中のE129系電車2連。
走り始めた当初は、「乗る分にはとても良いけれど、撮る対象にはならない」というのが私の主観的評価だったのですけれど、見慣れるとこのデザインもこれはこれで良いのかなぁと思い始めたここ最近です。
慣れって不思議なものですな。

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旧駅舎時代の内野駅で交換するE129系電車と115系電車、2005年9月撮影。

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改築前の内野駅1番線で折り返し待機中のE127系電車、2005年9月撮影。
2015年3月改正以降は、この電車が越後線内に姿を見せるのもごく僅少になりました。

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内野駅至近の吉田方踏切から新川橋りょうを望む、2010年5月撮影。
この鉄橋を越えると、沿線はこれまでの昔から完成された市街地から田園と新興住宅街の入り混じった風景に変わり、内野西が丘駅へと至ります。

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新川に架かる橋から見た上流方面、2010年5月撮影。
手前から二つめのトラス橋が越後線の新川橋りょうです。

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同じく橋から見た下流方面、2010年5月撮影。
画像奥に見える橋は日本海沿岸を走る国道402号線。
日本海沿岸に沿って走る印象の強い越後線ですが、海岸までの距離は相当にあって、この橋から日本海までは約1.5kmもの距離があります。

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