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2015年11月 8日 (日)

来迎寺駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・来迎寺駅。

2017年2月18日記、駅舎リニューアル関連の記事を加筆しました。

来迎寺駅の駅名標

新潟県長岡市に所在する有人駅で、開業は明治37年(1898年)12月27日。
開業当時は三島郡来迎寺村の所在で、駅名は村名にちなんだものです。
来迎寺村は戦後の昭和30年に周辺諸村と合併して新自治体の越路町となって来迎寺地域はその中心地区となります。
越路町は私のような筋金入りの下越民から見ると、非常に地味で来迎寺駅やかつての魚沼線抜きでは忘れてしまいそうな町(出身の方が見られたら激怒されるでしょうね)でしたけれど、人口自体は柿崎町よりも少し多かったりするのです。
新潟第二の都市、長岡に隣接していて埋没した感強しで、ちょっと気の毒にも見える立ち位置だった越路町ですが、2005年に周辺市町村と共に長岡市に編入されて今日に至ります。

現在でこそ地方幹線の一有人駅として、二面二線の平凡な佇まいの来迎寺駅ですけれど、かつては私鉄とのジャンクションであった時期もありました。
明治44年に国鉄魚沼線の前身である軽便鉄道の魚沼鉄道が開業、この鉄道はこの地域における行政上の中心であり、「小千谷ちぢみ」の産地として古くから有名であった小千谷の市街地に達していて、大正9年に上越線の小千谷駅が開業して駅周辺が発展を始めるまでの短い期間ながら、長岡-小千谷間を連絡する鉄道の重要な一翼を担っていました。
魚沼鉄道が上越線に需要を奪われ衰退する一方、大正10年には長岡鉄道が西長岡駅から来迎寺駅まで延伸され、来迎寺-寺泊間全線が開通。
しかしこちらは元々人口密度の低い地域を縦貫するために苦戦し、昭和26年にはテコ入れとして全線電化の後、栃尾鉄道と中越自動車との合併で現在の越後交通になるも昭和50年に路線の大半を廃止。
来迎寺口は貨物専用で辛うじて残ったものの、平成7年に廃止されてしまいました。
廃止の半年ほど前の秋の夕方に、一度だけ電機牽引の貨物列車と踏切で遭遇したことがあったのですけれど、あの頃はテツ趣味から一時足を洗っていた時期だったのでカメラも持ち歩いておらず、ゆっくりと目の前を通過する列車を無感動にボーッと見逃してしまったのが今となっては実に遺憾な限り(涙)。

JR東日本によれば、来迎寺駅の2015年度一日平均乗車人員は527人。
JR東日本新潟支社管内の有人67駅中54位で、飯山線・十日町駅と同レベルです。
新潟第二の都市・長岡から信越線を上って三駅目が当駅ですけれど、それでこの数字は少々寂しい.....
実際、乗り降りしても車窓から眺めても、学生の利用する時間帯以外は駅舎内もホームも人はまばらなのです。

来迎寺駅駅舎
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来迎寺駅駅舎の様子、上は2004年8月、下はリニューアル後の2016年9月撮影。
建築財産票によると、竣工は昭和54年11月12日。
リニューアル前の佇まいは何とはなく只見線の越後須原駅を思わせます。
両駅舎は竣工時期も近似していて、それまでの画一的な国鉄標準形からデザイン性も考慮した建物に変わっていく過渡期の産物のように感じられます。
越後須原駅舎同様目を惹くのが頑丈この上無さそうな、重厚な屋根。
許容積雪量は250cmです。

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リニューアル後の来迎寺駅駅舎出入り口周り、2016年9月撮影。
当駅駅舎のリニューアルは2016年2月に完成しました。

2012年5月時点の来迎寺駅駅舎内の様子
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来迎寺駅駅舎内の様子、上は2012年5月、下は2016年9月撮影。
国鉄時代からのビジネスライクな内装がシックな色調に改められて、落ち着いた雰囲気に変わっています。

2008年5月時点の来迎寺駅駅舎内の様子
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駅舎待合室出入り口周りの様子、上は2008年5月、下は2016年9月撮影。
リニューアル後の下の画の待合室出入り口上部のデザインは「ホタルが舞う里」を表現しているとの事。
リニューアル前の待合室の開放時間は窓口営業時間と同一でしたが、リニューアル後は明示されていませんでした。

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待合室内部の様子、2016年9月撮影。
待合室の内装もシックな色使いに変更されています。
広い室内ですが、ベンチの数はやや少なめ。

一番ホーム側の駅舎の様子
1番ホーム側の駅舎の様子、2012年5月撮影。
駅舎正面や内部と異なり、こちら側はリニューアルされておらずこの撮影時と変わっていません。
「駅長事務室」の表示が国鉄時代を偲ばせます。
なかなかに良デザインの駅舎も、ホームに接する部分は国鉄標準形と変わるところはありません。

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快速「越乃Shu*Kura」停車駅の証である駅名標、2016年9月撮影。
朝日酒造の最寄駅なのが、停車駅に選ばれた理由のようです。

一番ホーム前川方から見た来迎寺駅構内
1番ホーム前川駅方から来迎寺駅構内を見る、2012年5月撮影。
ホーム左側は昭和59年に廃止された魚沼線用のスペース。
廃止後31年を経て、なおも残るホームの白線が印象的。

来迎寺駅の魚沼線用ホーム跡
同じ位置から長岡方を見る、2011年6月撮影。
冬枯れの晩秋から初冬なら魚沼線の痕跡を見れるのかもしれませんけれど、初夏のこの時期では雑草が生い茂っていて残念。

一番ホーム越後岩塚方から見た来迎寺駅構内
1番ホーム越後岩塚駅方から見た来迎寺駅構内、2011年6月撮影。

旧貨物線周辺の様子
旧貨物側線周辺の様子、2011年6月撮影。
来迎寺駅の貨物取り扱いは昭和53年6月に廃止されました。
前述した越後交通長岡線の貨物輸送が健在な時期なので、国鉄との連絡輸送はどうなっていたのでしょうか?

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1番ホーム越後岩塚駅方を見る、2016年9月撮影。
「柏崎方面」の表示板が懐古趣味者にはタマランところです。

来迎寺駅跨線橋内の様子
来迎寺駅跨線橋内の様子、2011年6月撮影。
地方幹線の準急停車クラスの駅として標準の広さです。
画像奥の窓の上に張ってあるのは、急行「きたぐに」の乗車案内です。
新潟方面乗り場側に張ってあるということはすなわち、来迎寺駅の「きたぐに」利用客は圧倒的に新潟志向であった証と言えましょう。

来迎寺駅に残る急行「きたぐに」の乗車案内
急行「きたぐに」乗車案内のアップ
私は何度も乗車のチャンスがありながら、その都度「また今度」と見送って気がついたら列車廃止の有様。
583系に乗車したのは青函トンネル開通前年の冬に、最初で最後の青函連絡船乗船を果たした帰りに青森-盛岡間の特急「はつかり」に乗ったのが最初で最後。
しかも函館の居酒屋で悪友としこたま祝杯を上げ魚を食して、腹を壊して酷い有様でw
盛岡駅でトイレに駆け込んだことしか記憶にございません...

跨線橋上から長岡方面を見る
跨線橋上から長岡方面を見る、2011年6月撮影。

跨線橋上から柏崎方面を見る
同じく柏崎方を見る、2008年5月撮影。

二番ホーム前川方から見た来迎寺駅構内
2番ホーム前川駅方から見た来迎寺駅構内、2012年5月撮影。

二番ホーム来迎寺方先端から先を見る
同じく前川駅方を見る、2011年6月撮影。
古い時代の駅の常として、ご覧のようにホームは千鳥配置です。

来迎寺駅島式ホームの待合室内部
来迎寺駅旧島式ホームの待合室内部、2011年6月撮影。
ホーム幅一杯に近い広さです。
建築財産票によると昭和28年12月完成。

二番ホーム越後岩塚方から見た来迎寺駅構内
2番ホーム越後岩塚駅方から見た来迎寺駅構内、2011年6月撮影。

道路に変わったかつての三番線跡
かつての三番線跡は道路になっています、2011年6月撮影。
その向こうにあった越後交通長岡線跡は完全に宅地化され、当時の面影はありません。
魚沼線ホーム同様、今も名残の白線が残存。
宅地の建て込み具合から見て、近い将来駅舎改築となればおそらく橋上化だと思います。
駅構外の連絡地下道もかなり年季が入っていましたしね。
しかし駅舎がああしてリニューアルされた以上、その時期は相当に遠のいたと言わねばなりますまい。

来迎寺駅の三番線が存在したことを今にとどめる線路
三番線が存在したことを今にとどめる線路、2011年6月撮影。
ちなみに昭和55年10月改正ダイヤを見ると、来迎寺駅で普通列車の優等退避が行われたのは上り二回(長岡行1322レ-特急「雷鳥12号」大阪行、1332M直江津行-急行「よねやま」直江津行)、下り一回(521レ長岡行-特急「北越」新潟行))です。
昭和60年3月改正では皆無になっていました。
当駅の三番線が何時頃廃止されたのかは、越路町史にも関連資料にも記述が全く無かったので不明なのですけれど、少なくとも越後交通長岡線が廃止されるまでは形として残っていたのでしょう。

来迎寺駅を出発する115系電車
来迎寺駅1番線から出発する信越線長岡口上り朝イチの直江津行115系電車普通列車、2012年5月撮影。
かつての急行「きたぐに」、現在の快速「おはよう信越」を当駅で駅撮りするには、この電車で降り立つのが絶対条件なのです。

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来迎寺駅1番線から出発するE129系電車直江津行、2016年9月撮影。
上の画の115系列車がE129系に置き換えられました。
115系時代の三連がE129系への更新に伴い二連に編成短縮されてしまい、平日の柿崎以西は通学生ですし詰めになるのでないかと懸念するところであります。

来迎寺駅に停車中の485系電車R編成の快速「おはよう信越」
485系電車時代の全席指定快速新潟行「おはよう信越」が来迎寺駅2番線に停車中、2012年5月撮影。
乗車券の他に料金が別途必要な当駅停車の列車は、朝の「おはよう信越」と夜の上り直江津行「らくらくトレイン信越」のみです。

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来迎寺駅2番線に到着したE653系電車の全車指定快速「おはよう信越」新潟行、2016年9月撮影。
「おはよう信越」も485系からE653系に更新されています。
この日は土曜の朝、観察したところでは当駅からの乗車はカップル一組、降車は無し。
見る限りいつも空いていて、車内で指定券を求めるのは簡単に思えますが、早朝で当駅はまだ窓口が開いていない時間帯ゆえに、指定券を持たずに飛び乗りするのは少々勇気がいるかもしれません。

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来迎寺駅を出発して長岡駅に向けて加速する快速「おはよう信越」、2016年9月撮影。
四連という短編成とこのカラーリング、JRというよりは関東大手私鉄の特急のような印象です。

来迎寺駅に停車中の583系電車急行「きたぐに」
2番線に停車中の583系電車新潟行急行「きたぐに」、2008年5月撮影。
昭和55年10月改正ダイヤでは、来迎寺駅に停車する優等列車は上野-直江津間の165系電車急行「よねやま」一往復のみ。
それが昭和60年3月改正では、当時長岡-直江津間を走る急行全列車(「とがくし」二往復、「南越後」、「きたぐに」)が来迎寺駅に停車するようになり、当時の特急停車駅拡大の趨勢、柿崎駅の例を考えればやがては急行廃止と引き換えに当駅にも特急が停車するようになるのだろうと当時思っていたのですが、その機会は今まで一度もありません。
快速「くびき野」なら当駅に停まっても何らおかしくなかったのですけれど、誕生から廃止まで完全スルーでしたからねぇ。
新潟県内広しと言えど、特急が走る路線のかつての急行停車駅で特急停車が一度も叶わなかったのは、信越線・潟町駅と北陸線・名立駅、そしてこの来迎寺駅ぐらいです。

来迎寺駅を通過する485系電車T編成の特急「北越」
2番線を通過する下り485系電車T編成の特急「北越」新潟行、2004年8月撮影。

来迎寺駅を通過する485系電車T編成の快速「くびき野」
2番線を通過する下り485系電車T編成の快速「くびき野」新潟行、2011年6月撮影。
日曜の夕方、これが来迎寺駅に停まってくれたら、撮ってすぐ乗り込んで帰宅出来るのにと少々恨めしい気がしましたっけ。

来迎寺駅を通過するEF81形電気機関車牽引の貨物列車
1番線を通過する上りEF81形電気機関車牽引の貨物列車、2011年6月撮影。
かつては新潟界隈を走っているのが当たり前だったこの電機も、最近は見る機会もめっきり減りました。

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小雨模様の早朝の来迎寺駅1番線を通過するEH200形電気機関車牽引の貨物列車、2016年9月撮影。

駅前通りから見た来迎寺駅舎
駅前通りから見たリニューアル前の来迎寺駅舎、2012年5月撮影。
駅前広場の広さがよくわかります。

来迎寺駅前通り
駅出入り口から見た来迎寺駅前通り、2011年6月撮影。
駅至近には旅館の看板と郵便局、洋菓子店が目立つ程度。
当時はこの道をしばらく進んで十字路を左折したあたりにセブンイレブンがありました。
当駅から長岡、小千谷へは路線バスで移動出来ます。
→ダイヤはこちらへ
ただしバスは駅前広場までは入ってこないので注意。

柏崎方の陸橋上から見た来迎寺駅構内
柏崎方の陸橋上から見た来迎寺駅構内、2005年3月撮影。
私は基本的に積雪期はリサーチに行かないのですけれど、数少ない例外がこれ。
3月とはいえ、私の住まいでは積雪ゼロなので行っても大丈夫だろうとたかをくくって行ったらこんな状態。

長岡方の踏切から見た来迎寺駅構内
長岡方の踏切から見た来迎寺駅構内、2011年6月撮影。
画像右側手前に旧三番線のレールの残骸が見えます。

来迎寺駅周辺の越後交通長岡線の遺構その一
来迎寺駅周辺の越後交通長岡線の遺構その二
来迎寺駅周辺の越後交通長岡線の遺構その三
越後交通長岡線の遺構の数々、2008年5月撮影。
廃止から13年後の様子です。
この日は来迎寺駅で「きたぐに」を撮影後、長岡線の遺構に並走する道を1km半歩いて国道404号線に出た後、路線バスで塚山駅に移動というスケジュール。
線路跡とはっきりわかる遺構が田圃の真ん中を突っ切っていました。
道中、川を渡るので鉄橋の橋脚がもしかしたら...と期待しておったのですけれど、残念ながら跡形も無く撤去済みでした。

越路橋の様子
長岡地域と来迎寺地域を分かつ信濃川に架かる県道の越路橋の長岡方面を見る。
2012年5月撮影。
この橋の来迎寺側のたもとの浦地区はかつて信濃川舟運の河港があって、鉄道駅誘致においても河港に近いことをセールスポイントにして来迎寺地区と激しく争った過去があります。
現在の越路橋は平成10年完成ですが、越路町史によるとそれ以前の越路橋は信越線の鉄橋架け替えに伴い廃橋になった明治31年完成の鉄道橋を新潟県が購入し、道路橋に改造して使用していたそうで、改造完成は昭和34年11年21日。
驚くことに、昭和42年1月31日まで橋前後区間を含めた5km弱は有料だったそうです。
自動車だけでなく歩行者までも有料の道路は全国で二番目で、国が架橋予算を出し渋った為の窮余の策だったとの事。
通行料は歩行者10円、自転車20円から始まって、普通車230円、トラック250円、路線バス350円ナリ。
歩行者については長岡市と越路町で歩行者分の年間計71万5千円を負担していて実質無料だったものの、それ以外は料金所でガッチリ頂戴。
自動車の通行料金があまりにも割高な上に、冬季は降雪通行止めが続発して評判が悪く、赤字続きだったと言いますからなかなか難儀な話なのであります。
結局道路公団に引き取ってもらって、無料化に落ち着いたそうです。

来迎寺-前川間の信濃川鉄橋2
信濃川鉄橋を走り抜けた特急「北越」
信濃川に架かる信越線の鉄橋と、鉄橋を走りぬけ新潟に向かう特急「北越」、2012年5月撮影。

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