« 来迎寺駅(信越本線) | トップページ | 北三条駅(弥彦線) »

2015年11月15日 (日)

見附駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・見附駅。

見附駅の駅名標

新潟県見附市に所在する有人駅で、開業は明治31年(1898年)6月16日。
当時の北越鉄道が長岡と三条の間に鉄道敷設を計画した当初、この地域における鉄道駅は見附町に置く予定でした。
見附町は現在の見附市中心部で、現在の見附駅からの距離は南に2km強。
見附町は織物の町として発展しており、駅を置けばそのあたりの貨物需要も期待できたのですけれど、御他聞に漏れず地元が駅設置に反対。
やむを得ず、北隣の今町との中間地点に駅を置くこととなりました。
今町は燕地域で信濃川に合流する刈谷田川河畔にあって、川駅が置かれ信濃川舟運の拠点の一つでした。
見附駅からの距離は北に2km弱。
見附町とすれば、後の鉄道隆盛期にあっては客貨共に時流から大きく取り残されてしまいましたが、今町としては原案通りに駅が置かれた場合、駅までの距離は約4kmになってしまい、舟運が鉄道に押されて立ち行かなくなるのは確実な事からして、時流から大きく
取り残されてしまうことになります。
しかし見附町の頑迷な態度のおかげで、鉄道駅までの距離は当初の半分にまで縮まりました。
この両町の駅に関する損得勘定、最終的にはどちらに利があったのか実に興味深いところです。

開業当時の見附駅が、見附町と今町のどちらに所在していたのかは明記された資料に行き当たらず、両町が合併する以前の地図を探して見る以外に判断が出来かねるのですけれど、ともかく昭和29年に市制施行した見附市は、昭和31年に南蒲原郡今町を編入して
現在の見附市域が確立し今日に至ります。
南隣には新潟県第二の都市で中越地方の中心である長岡市があり、平成の大合併においては見附市も隣接する栃尾市同様に長岡市に編入されるのではと思ったものですが、大合併の嵐が吹き荒れた当時の市の財政状況が県内でもトップクラスだった故なのか、
今日に至るまで独立した存在として新潟平野南部において存在感を示しているのです。

JR東日本によれば、見附駅の2014年度一日平均乗車人員は2,023人で同社新潟支社管内有人67駅中第20位。
3位の六日町駅と6位の犀潟駅はほくほく線の通過旅客を含んだ実態に合わない数字なので、当駅は実質的に第18位と言えます。
観察した限りでは圧倒的に長岡志向で、土曜の朝に信越線上り普通列車に乗っていると三条駅で学生が下車し閑散とした車内が、見附駅で学生の大量乗車により一気にけたたましくなるのです。

現在は特急「しらゆき」五往復全便が停車する見附駅ですけれど、国鉄時代の基準に照らせば特急が頻繁に停車するクラスの駅ではなく、国鉄末期までは大半が通過していたのです。
あやふやな記憶で恐縮ですけれど、上越特急「とき」が当駅に停車するようになったのは昭和50年前後ではなかったかと。
昭和55年10月ダイヤ改正では、当駅に停車する特急は上野発着の「とき」2往復と金沢発着の「北越」と大阪発着の「雷鳥」各1往復の計4往復。
残りの「とき」12往復と「雷鳥」2往復、青森・秋田方面への「白鳥」と「いなほ」三往復、寝台特急「つるぎ」の計19往復は通過していました。
昼行急行も「佐渡」や「とがくし」は全便停車するものの、長距離気動車急行「赤倉」「しらゆき」は通過。
「赤倉」や「しらゆき」の場合は車両の性能上、電車急行に伍して運転するには停車駅を絞らざるを得ない事情があったにせよ、通過しても営業上差し支えないと判断されるレベルの駅であったわけです。
「とき」や「佐渡」が鉄路を去った後の昭和60年3月改正ダイヤでは、特急停車は対金沢・福井の「北越」五往復全便と対大阪の「雷鳥」「つるぎ」各1往復に増大。
通過するのは残りの「雷鳥」2往復と老舗の「白鳥」1往復に。
2001年に「白鳥」「雷鳥」が「北越」や「いなほ」に系統分割される直前は、「白鳥」以外の特急は見附駅に停車するようになっていて、それ以降は五往復の「北越」そして現在の「しらゆき」五往復全便停車に引き継がれていったのです。

見附駅駅舎の様子
見附駅駅舎の様子、2011年6月撮影。
建築財産票を見つけられなかったので詳細は不明ですが、昭和33年12月に改築との事。

見附駅駅舎内の様子
見附駅駅舎内の様子、2011年6月撮影。
個人的には昔ながらの「みどりの窓口」の表示板が良い感じ。

2008年4月時点の見附駅待合室
2011年6月時点の見附駅待合室
待合室内の様子、上は2008年4月、下は2011年6月撮影。
2008年4月時点では待合室内にキオスクが健在でした。
生憎日曜のこの日は定休日。
営業時間は0700~1100、1500~1800。
駅前通りにあるセブンイレブンへは少々歩くので、ちょっとした買い物には便利な存在でしたのに。
下の撮影時には跡形も無く撤去されていました。

駅舎ホーム側の様子
見附駅駅舎ホーム側の様子、2011年6月撮影。
かなりの経年の駅舎ですけれど、近年バリアフリー対策を施してあることからして、改築はまだまだ先の話なのでしょう。

一番ホーム帯織方から見た見附駅構内
1番ホームの帯織駅方から見た見附駅構内、2011年6月撮影。
あちこちに雑草が生え、一面茶色で枯れた感じのホームは比較的利用の多い駅なのに寂れたローカル駅の雰囲気を漂わせているのが、見附駅構内の特徴と言えます。

一番ホーム帯織方先端から先を見る
同じく帯織方を見る、2011年6月撮影。

一番ホーム押切方から見た見附駅構内
1番ホームの押切駅方から見た見附駅構内、2011年6月撮影。
ホームの右隣は二階建ての駐輪場です。

一番ホーム押切方先端から先を見る
同じく押切方面を見る、2011年6月撮影。
中線は本線と切断済み。

見附駅跨線橋内の様子
見附駅跨線橋内の様子、2012年6月撮影。
エレベーターは2008年4月時点では未設置。
2011年6月時点では設置されていたので、当駅のバリアフリー化が実施されたのはその間という事になります。

跨線橋上から長岡方を見る
跨線橋上から長岡方を見る、2011年6月撮影。

跨線橋上から新潟方を見る
同じく新潟方を見る、2011年6月撮影。
エレベーター設置スペース捻出の為に、完全に分断された中線の様子がわかります。

島式ホーム帯織方から見た見附駅構内
島式ホームの帯織駅方から見た見附駅構内、2011年6月撮影。
中線は分断されてしまいましたが、3番線右隣の側線は健在。

島式ホーム帯織方先端から先を見る
同じく帯織駅方を見通す、2011年6月撮影。
昭和55年10月改正ダイヤを紐解くと、当駅で優等退避が行われていたのは上りの急行佐渡4号と特急雷鳥28号、434M-特急いなほ4号の二回。
分断され再起不能になったあの中線に、長編成の電車急行が停まっていたなど、今日では想像すら難しい魅惑的な光景であります。
しかし昭和60年3月改正では無くなっていて、現在よりも優等列車の本数が多かった当時でさえこの状態では、見附駅の中線廃止も止むを得ない事でしょう。
しかし見附-長岡間の乗客の多さを見るに、中線が健在であれば見附折り返しの区間列車を社会実験として試行してみても良いのでは?と部外者は妄想するわけです。
飯山線の二連気動車を見附まで引っ張って来れないかい?と。

島式ホームの上屋部分の様子
島式ホームの上屋部分の様子、2011年6月撮影。
ホーム上に待合室がある代わりに、ベンチは設置されていません。

島式ホーム上の待合室の様子
島式ホーム上の待合室の様子、2011年6月撮影。

見附駅の昔ながらの跨線橋と真新しいエレベーターの様子
昔ながらの跨線橋と真新しいエレベーターの様子、2011年6月撮影。

島式ホーム押切方から見た見附駅構内
島式ホームの押切駅方から見た見附駅構内、2011年6月撮影。

ホームから見た中線分断部の様子
ホームから見た中線分断部の様子、2011年6月撮影。

バリアフリー化以前の見附駅構内の様子
バリアフリー化以前の見附駅構内の様子、2005年8月撮影。
島式ホーム上の待合室はまだ昔ながらのものです。
2008年4月時点でも同じでしたから、待合室を跨線橋寄りに移設したのはバリアフリー化と連動してのものであったと推察されます。

見附駅を出発する上り長岡行115系電車
見附駅1番線から出発する長岡行115系電車、2011年6月撮影。

見附駅を出発する下り新潟行115系電車
見附駅3番線から出発する115系電車新潟行、2012年6月撮影。

見附駅に到着した金沢行485系電車R編成の特急「北越」
見附駅1番線に到着した485系電車R編成の特急「北越」金沢行、2012年6月撮影。
「北越」そして現在の「しらゆき」に乗っていると、新潟-見附間の利用客が散見されますが、これは県都新潟との往来需要がある割には上越新幹線、高速バスのいずれもやや不便な見附地域の事情ゆえなのかもしれません。

見附駅を出発する新潟行485系電車R編成の特急「北越」
見附駅3番線から出発する485系電車R編成の特急「北越」新潟行、2012年6月撮影。

見附駅に進入する485系電車T編成の快速「くびき野」
見附駅1番線に進入する485系電車T編成の快速「くびき野」新井行、2012年6月撮影。

見附駅に到着した583系電車急行「きたぐに」
見附駅3番線に到着した583系電車急行「きたぐに」新潟行、2011年6月撮影。
6両の短編成な「北越」「くびき野」に比べて、10両編成の「きたぐに」はやはりボリュームがあり編成の迫力が違います。
それが現在の「しらゆき」では普通列車と変わらぬレベルのたったの4両.....
他の駅にも共通する話ですが、12両対応の長いホーム一杯に停車する旅客列車など、特急普通問わず新潟にはもう現れないでしょうね.....。

見附駅前のバス乗り場
見附駅前のバス乗り場、2011年6月撮影。
現在、ここに乗り入れる路線バスは、今町と見附本町を結ぶ市のコミュニティバスのみになっています。→詳細はこちらへ

見附駅前通りの様子
駅前から見た見附駅前通りの様子、2011年6月撮影。
前述したように当駅は市街地外に作られたので、現在でも駅周辺には商店街は形成されず民家が建ち並んでいます。

駅前通りを少し歩いて見附駅方面を振り返る
駅前通りを少し歩いて見附駅方面を振り返る、2011年6月撮影。
特急停車駅とは思えない地味な雰囲気。

見附市のコミュニティバス
見附駅から見附本町へコミュニティバスで移動、2012年6月撮影。
直行便ならば10分もかからないのですけれど、この便はあちこち回り道をして行くので30分近くかかりました。
途中、見附中心街から外れた集落へ入っていくので、その鄙びた風景に「このバス、ホントに本町まで行くの?」とちょっぴり不安になる道行でしたな。

上見附車庫前の様子
コミュニティバスの終着、上見附車庫前。2012年6月撮影。
昭和50年まで走っていた越後交通栃尾線の上見附駅跡ですけれど、周辺は宅地化され当時の面影を偲ばせるものはありません。
予備知識が無ければ、ここが鉄道駅跡だとはわからないでしょう。
なお越後交通の路線バス長岡駅東口-上見附線もここに発着します。
→ダイヤはこちらへ

見附市街地の様子その一
見附市街地の様子その二
見附市街地の様子、2012年6月撮影。
比較的道幅の広い通りとアーケード街です。
しかしやはり御他聞に漏れず、商店街に活気はありませんな...
ここ見附本町は路線バス長岡-栃尾線の経由地になっています。
栃尾線は概ね毎時一本のダイヤで利便性高し。→ダイヤはこちらへ
長岡-見附本町間の運賃は360円で所要時間は30分強。
一方、コミュニティバス見附駅乗り換えで信越線を使う場合は、バスとJR込みの運賃340円で見附駅までの直行便利用の場合は乗り換え余裕も含めて所要30分弱。
乗り換えの手間を考えれば、見附市街地の方が長岡へ出るには越後交通のバスを使うのが当然の成り行きでしょう。
だからこそあれだけの運行本数を維持出来るのでしょうね。
路線バスが鉄道に対して優位に立てる、新潟県内では珍しい事例であります。

観音山公園から見た見附市街地後背の様子
市街地の外れにある観音山公園から見た見附市街地後背の様子、2012年6月撮影。
建物が建て込み、新潟県内自治体でも人口密度が新潟市、燕市に次ぐ第三位の見附市の中心街からちょっと離れると、風景は一変して後背には田圃とその先の鄙びた光景。
市街地とのギャップが大きいので、これを見た時はちょっとした衝撃を受けたものです。

見附市今町地区の上越新幹線高架
今度は見附本町から見附駅を挟んで反対側の今町地区を観察に行きますが、バスダイヤの空白時間帯なので歩いた方が早いと判断し小雨模様な雲行きの中を、往復4km強の歩き。
駅から徒歩12分で、上越新幹線の高架前に到着。2012年6月撮影。
このあたりは長岡-燕三条間のちょうど中間に当たりますが、ここに新幹線の駅を作ってみたら...なんて妄想もチラリと頭をよぎりますです。
まぁ仮に駅を作るとなれば全額地元負担になるのでしょうし、多少の利便性向上の為に大金払うのは市民感情としてNO!なんでしょうけれどね。

見附市今町の様子
かつての南蒲原郡今町中心街の様子、2012年6月撮影。
あちこちフラフラしながら、見附駅からの所要およそ35分。
この地域は新幹線と並行する国道8号線沿いのロードサイドショップに商業活動の核が移ってしまっているので、この旧市街地は全くと言っていいほど人気がありませんでしたな.....
人通りはもちろん行きかうクルマも僅か。
今町と長岡との間には越後交通の路線バスが運行されているものの、運行本数は僅かです→ダイヤはこちらへ
この地域からだと、長岡へ出るにはコミュニティバス見附駅乗り換えで鉄道利用の方が便利でしょう。

|

« 来迎寺駅(信越本線) | トップページ | 北三条駅(弥彦線) »

R006 信越本線の駅」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 来迎寺駅(信越本線) | トップページ | 北三条駅(弥彦線) »